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東京タワー [建築]

東京タワーに対する自分の想い出は述べた。東京タワーといえば、自分にとって仕事の場所だった。観光で東京タワーに行きたいと思ったことはまったくなかった。


ずっと自分の記憶の片隅に眠っていた東京タワーであるが、いま東京タワー1Fであの伝説の女優さん、高峰秀子さんの展示会が開催中で、これはぜひ行ってみたいと思い、その場所が東京タワーということで、あまりに思い入れが深いところなので、つらつらと思い出してしまった。


墨田区の東京スカイツリーにデジタル放送の電波塔としての主役の座を譲ったあと、東京タワーっていまどうやってご飯を食べているのかな、どうやって経営が成り立っているのかな。


自分がこうなったら怖いなと思ったのは、東京タワーの毎日の維持費、ランニングコストってすごい高いと思うんですよね。仕事としての役割がなくなった東京タワーは、どうやってこの維持費を賄っているのかな。


ランニングコストを払えなくなって経営難に陥って、ついに東京タワー解体、という話になってしまったら、あまりに悲しすぎる。昭和の高度成長時代からずっと東京を見守ってきた東京タワー。東京の遺産なのであるから、それだけは避けたいと思ったのである。


それで、東京タワーっていまどうやって経営を維持しているのかな、と思い、ネットで調べたのだ。


そうすると、それ以外にも東京タワーの成り立ちから、その歴史、いろいろ知ることができてすごい興奮してしまった。これはもう東京タワーに行くしかないだろう!と思ってしまった。


そして東京タワー、行ってきました!

もちろん高峰秀子さんの展示会も。


そこら辺を、今回紹介できれば、と思う。




●電波塔の東京タワーにわざわざ「展望台」が作られた理由


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情報引用元:


電波塔の東京タワーにわざわざ「展望台」が作られた理由。

小川裕夫~フリーランスライター





・今なお色褪せぬ、東京の「シンボル」


1958年(昭和33年)に開業した東京タワーは、今でも東京の「シンボル」であり、観光名所としても親しまれています。その東京タワーを設計したのは建築家の内藤多中(たちゅう)です。


内藤は、東京タワーのほか、前身ともいえる日本放送協会の愛宕山放送局塔を手掛けています。その後も名古屋テレビ塔、2代目通天閣、別府タワー、さっぽろテレビ塔、博多ポートタワーなども設計し、「塔博士」とも呼ばれました。


国内の電波塔として抜群の知名度を誇る東京タワーですが、それ以前より、名古屋テレビ塔や別府タワー、さっぽろテレビ塔といったテレビ・ラジオの電波塔は建設されていたのです。


いままではテレビ・ラジオの電波塔は、東京ならテレビ局ならテレビ局ごと、そしてラジオ局ならラジオ局ごとというように、それぞれに小さな電波塔が乱立している感じだったのですが、それだと東京のあっちこっちで電波塔の乱立で街の景観が破壊されてしまうということで、そこで持ち上がったのが、テレビ・ラジオなどの電波を集約する総合電波塔の構想です。これが後に東京タワーの計画へと進化を遂げていくのです。


総合電波塔の構想前の時代の電波塔は、このように複数の電波塔が乱立している状態だった。


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テレビの電波塔とラジオの電波塔が別々。これだと電波塔の乱立で街の景観を破壊してしまう。そこで、テレビとラジオをまとめて、1つの電波塔だけで関東圏をすべてカバーする。それが総合電波塔のコンセプトである。



東京タワーを国内屈指の総合電波塔にするべく、内藤多中はあらゆる面で奔走します。


内藤は、名古屋テレビ塔が入場料で建設費を賄ったケースを踏襲し、東京タワーにも展望台を設置します。この展望台で入場料を稼ぐといったビジネスモデルを考えたのです。


東京タワーは総合電波塔としての役目だけでなく、現在は年間300万人が訪れる東京には欠かせない観光名所になっています。東京タワーの収入は電波塔としてテレビ局・ラジオ局から収入を得ているほか、観光客による入場料、お土産販売、レストラン・カフェによる飲食関連の売り上げも大きなウェイトを占めています。


そのため、東京スカイツリーに総合電波塔の主役を譲っても、東京タワーは堅調な経営を維持しています。内藤が考えていた、「観光収入という経営安定策」が、もくろみ通りに東京タワーを収入面で支えているのです。


そうした観光面による収入は、東京タワーが東京都心部に立地していて目立つから、眺望のいい高層のタワーだからということだけが理由ではありません。そうしたメリットにあぐらをかかず、多くのリピーターを引きつけるべく東京タワーは絶えず経営努力をしているのです。


東京タワーの周りには、あまり高層ビルを立ててはいけない、という街景観のルールが東京都港区にはあるみたいですよ。高層ビルが乱立してしまうと、あの東京タワーの美しいシルエットが隠れて見えなくなってしまうじゃないですか・・・


東京タワーのあのシルエットがちゃんと全景が見えるように、あの周辺には建築法など厳しい街景観造りの規制をおこなっているそうです。


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●東京タワーは、なぜ333メートルなのか。


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情報引用元:


なぜ東京タワーは「世界一高い電波塔」となったのか・・・333mという異形の高さを実現した田中角栄のひと言

大澤昭彦(東洋大学理工学部准教授)





関東全域に電波を届けるためには塔の高さを300メートル以上にしなければならない。そこに6局分のアンテナを乗せると380メートルになる。しかし、強風時のアンテナの揺れ角度の制限などから320メートルぐらいに下げざるを得なくなった。


地上風速60メートル/秒、頂部で90メートル/秒の風に耐え得る設計がおこなわれた。着工当時の高さは、塔体260メートルの上にアンテナ部分61.66メートルを加えた321.66メートルであった。


ところが、各局の要望を取り入れようとすると、アンテナが62メートル内に収まらないことがわかり、約80メートルに伸びた。そこで塔体の頂部を一部切除して高さを調整し、塔体253メートルにアンテナ部分を80メートルを加えた333メートルで落ち着いた。


東京タワーの創業者、前田久吉は、東京タワーの高さが333メートルである理由として、「どうせつくるなら世界一を・・・エッフェル塔をしのぐものでなければ意味がない。」と記したが、実のところ世界一を目指したためではなく、技術的な要請によるものであった。(笑)


でも創業者、経営者ってそういうセンスがないとダメですね。そういう洒落っ気というか、アドリブがないと面白くもなんともないです。名経営者にそういう名言が多いのは、普通でなんともない事実をそのように換言するそういうセンスに長けているからだと思います。



●NHKからの物言い


アンテナの位置が高いほど電波は遠くに飛ぶ。各局にとってアンテナの設置場所は死活問題であった。通常、周波数が大きいものを高い場所に設置するため、日本電波塔は、上から順に10チャンネル(日本教育テレビ・NET)、8チャンネル(富士テレビジョン)、6チャンネル(ラジオ東京テレビ)、4チャンネル(日本テレビ)、3チャンネル(NHK総合)、1チャンネル(NHK総合)にすることを考えていた。


この案に最下段となったNHKが反発した。電波を関東一円に届けるころは公共放送の義務であるとして、最上部を要求したのである。日本電波塔の松尾三郎はNHKの永田清会長に面会し説得を試みたが、永田は「一番トップに持っていくなら乗ってやろう」と頑なな姿勢を見せた。


NHKをはじめとする既局はまだ送信所の移転を決定していた訳ではなかった。日本電波塔としてもNHKに利用してもらわなければ、総合と教育の2局分の利用料が手に入らない。これだけは避けたい。


苦肉の策で、最上部に1チャンネルと3チャンネルが共用するスーパーターンスタイルアンテナを置き、以下10,8,6,4チャンネルの順でスーパーゲインアンテナを設置する案を作り、各社の同意を得ることができた。最終的にNHKが、最も条件のよい最上部を確保することとなった。



●田中角栄と東京タワーの意外な関係


これで建設は順調に進むと思われたが、予期せぬところで横槍が入った。東京都が建設基準法に抵触するとして手続きを止めたのである。


NHK、日本テレビ、ラジオ東京のテレビ塔と異なり、新電波塔には屋根や壁を持つ展望台とアンテナ整備用の作業台(1967年に特別展望台に改修)が計画されていた。それゆえ、東京都は「工作物」ではなく、「建築物」とみなしたのである。


当時、建築基準法では、建築物の高さは最大でも31メートルに規制されていた。渋谷の東急会館(東急百貨店東横店西館)と東急文化会館(五島プラネタリューム)はいずれも43メートルの高さだったが、これは例外措置を用いたものだった。


東京都は例外許可の運用が厳格なことで知られていた。


そこに当時郵政大臣であった田中角栄が登場する。


田中は、1957年(昭和32年)7月に39歳で史上最年少大臣に就任。その数日後、郵政官僚の浅野賢澄官房文書課長から、新電波塔の工事が滞っている旨の説明を受け、解決に乗り出す。


自ら建設業を営み、議員になってから建設基準法の制定に大きく関与していた田中は、東京タワーは建築物ではなく工作物と解釈するべきであると石破二朗建設次官に進言。


これに建設省や東京都も納得し、工事が再開されることになる。田中角栄は自らの手柄としたが、その判断の裏には、自民党参議院議員の石井桂の助言があったと考えられている。



●タワーの色が白とオレンジなワケ


工事中には、別のトラブルにも見舞われた。1958(昭和33年)春、国際航空運送協会(IATA)が東京タワーの高さに疑義を唱えたのである。


東京で開催されていたIATAの太平洋・アジア地区技術会議(航空会社11社55名。3月17日から4月1日開催)が、航空安全上の問題があるとして、塔の高さを66メートル低くするよう、運輸省航空局と気象庁に申し入れをおこなった。


羽田空港では、1959(昭和34年)年秋から1960(昭和35年)年末にかけて、パン・アメリカン航空、スカンジナビア航空、日本航空などの各社がジェット機の運航を予定しており、離陸時の支障になるとの主張であった。


通常のルートであれば影響はないが、離陸直後にエンジンが一つでも故障すると、浮力が落ちて急遽飛行方向を変更しなければならず、タワーに衝突する恐れがあった。IATAは、高さを削ることができないのであれば、法規で定めるよりも明るい航空障害灯の設置などを要望した。


法律上、60ワットの航空障害灯を取り付ければよかったが、要望を受けて、東京タワーでは1キロワットが6つ、75ワットが6つ、頂部には500ワットのライトが設置されることになった。


また航空安全の観点から白と橙(インターナショナルオレンジ)で塗分けられることも要望された。日本電波塔側は、太陽の輻射熱の影響をできるだけ避けるため全体を銀白色に塗る計画であった。(→これはいまの東京スカイツリーのほうで実践されていますね。)


1958(昭和33)年10月9日、公募によって愛称が「東京タワー」に決定し、同月14日にアンテナ取り付けが完了。

12月23日に竣工した。




これが東京タワーのすべてである。

東京タワーの真実である。


東京タワーはその当時、その333メートルという高さ。世界一高い電波塔であった。

それは創業者 前田久吉が「どうせつくるなら世界一を・・・エッフェル塔をしのぐものでなければ意味がない。」という逸話も生まれた。


東京タワーは、当初案では煙突のようなタワーだったそうだ。(笑)


エッフェル塔のような末広がりの鉄塔は風景を阻害しているのではないかとの疑問を持たれていたようだった。むしろ煙突のようにまっすぐに空に伸びるスレンダーな塔の方が美観に資すると考えられたそうである。


そして塔がオレンジ色と白に塗り分けられている理由~それは航空安全のためだった。


電波塔ではあるけれど、展望台を作ることで、観光収入を得るという収入ビジネス。設計者であり、塔博士でもある内藤多中が名古屋テレビ塔で展望台を作ったことで得たその知見を東京タワーにも同じビジネスモデルとして取り入れたのだ。


電波塔としての役割は、東京スカイツリーにその主役の座を明け渡したが、いまだに東京タワーとしてビジネス経営ができているのは、このFMラジオ放送局からの電波料賃貸収入、そして展望台の観光収入、そしてお土産屋さん収入、そして東京タワーに入っている飲食店などのテナント料で賄われているのだ。


これで、自分の謎がすべて解決した。


東京タワーというと、もうひとつ面白い逸話がある。

それは東京タワーを建築するときの神話だ。


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東京タワーを作り上げた鳶(トビ)職人たち。昔の人はスゴかった。(笑)怖いだろう?


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鳶(トビ)職人というのは、一般的に日本の建設業において、高所での作業を専門とする職人を指す。


この東京タワー建設時に大活躍した鳶職人たちには、伝説がある。

高層部分の建築は、当然、鳶職人たちがおこなった。

※鳶の若頭は桐生五郎氏で、当時なんと25歳。


鳶職人たちは、もちろん命綱はない。

多いときでは、約60人もの鳶職人が高層部で仕事をしていたそうだ。


納期が厳しいことから、風速15m/sまでなら作業をしていたようである。

東京湾からの突風が吹くこともある。

まさに命がけの工事である。



当時はクレーンもないので、部材はゴンドラに乗せて高所に運んでいた。


東京タワー建設の伝説が、”死のキャッチボール”である。

鉄骨をつなぐ鋲(びょう)を、まるでキャッチボールのように渡していたのが東京タワー建設の伝説。


通称「死のキャッチボール」。


800℃まで熱した鋲を、各作業場所までパスする。

鋲を受け取る鳶職人は、金属製のバケツで800℃の鋲をキャッチする。


ときには、20mクラスのロングパスもあったそうだ。

死のキャッチボールは、約28万回も繰り返された。

このようにして東京タワーは、なんとすべて手作業で建設されているのだ。


東京タワー建設中におきた死亡事故 ”死者数1名”

東京タワー建設では、1名の尊い命が失われている。。


1958年6月30日に、鳶職人1人が強風に煽られて高さ61mから転落して死亡した。


当時の足場は30cmほどしかなく、前述のとおり命綱もなし。

鉄骨にしがみつきながらの作業も多かったそうだ。


もうほんとうに昔の人はスゴイとしか言いようがない。(笑)

高所恐怖症の自分には絶対無理です。



ここまで情報インプットして、もう居ても経ってもいられなくなり、東京タワーに行ってみることにした。(笑)



東京タワーへのアクセスは、5パターンくらいある。自分は一番近い都営大江戸線の芝大門駅からのアプローチを選んだ。


おぉぉぉおおお~~~。見えてきた、東京タワー!!!

もう興奮度最大MAXである。目の前で見る東京タワーの迫力のすごいこと!

すごい高いです。


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東京タワーの構造はこのようになっている。


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1Fがチケット売り場、2F/3Fにお土産屋さん、飲食店・フードコートが集まっている。そしてRという階からオープンエアでメインデッキまで外の階段を上りながら空気をじかに浴びながら、そしてあのオレンジ色の骨組み骨格を眺めながら上っていくのだ。もちろん1Fのエレベーターで、直接メインデッキへ行くことも可能。


地上から150mにある大展望台をいまはメインデッキという呼び方にリニューアル。そして地上から250mにある特別展望台をトップデッキという呼び方にリニューアルしたのです。


展望台は、メインデッキ(150m)とトップデッキ(250m)とがあるということです。


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メインデッキへは簡単にエレベーターで行けるが、トップデッキからはツアー形式になっていて、ツアー申込の予約制で、時間指定のチケットを買わないといけない。メインデッキのみのチケットと、メインデッキとトップデッキへの両方いけるチケットがある。


自分はもちろんメインデッキ+トップデッキの両方行けるチケットにした。


3,000円!!!である。高い!さすがの料金設定である。(笑)ここに観光収入を見込んでいるだけある。


東京タワーへは年間300万人の観光客が訪れるそうだから、3,000円の展望台チケットの観光収入だけでも、年間90億の収入である!(驚)


すごいもんだな~~。


ちなみに、自分が直接東京タワーに入った感触では、もう90%以上が外国人観光客という感じでした。平日のお昼ということもあるでしょうけど、ほとんど日本人はいなかった。全員外国人観光客という感じである。アジア系、西洋系満遍なくいます。


やっぱりインバウンド観光ビジネスなんですね~。インバウンド観光客、神様という感じなんでしょうね。これで日本は儲けさせてもらっているんですね。外国人観光客にとって、東京タワーは大人気なのです。


ボクら日本人がロンドンに行ったらビッグベン&国会議事堂とかロンドンタワーブリッジ、パリなら凱旋門、ルーブル・オルセー美術館に行くようなもんですね。(笑)お互い様です。


3,000円という強気の価格設定もインバウンド観光客向けの設定なのかもしれません。


東京タワーのエントランスです。


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東京タワースタジオというのがあります。


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ここは、かつては、この建物をテレビ東京が日本科学技術振興財団のテレビ事業本部時代から本社・放送センターとして使用していた建物だそうです。当初より、この建物並びに立地している土地は、東京タワーの運営会社である日本電波塔(現:TOKYO TOWER)の所有であり、テレビ東京が本社として使用していた当時は日本電波塔に家賃を払って使用していたそうである。




エントランス前には、ロンドンのあの2階建ての赤いバスを思わせるバスがあり、上階の2階は食べ物を食べるインスタントな食事処になっていました。たこ焼きやホットドッグを食べるみたいです。


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東京タワーの内装空間は、やはりちょっと時代を感じさせますね~。なんかいかにも昭和というレトロな感覚が残っています。もう感覚的、雰囲気の問題です。あ~やっぱり古い建物だな~と思いました。


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2F/3Fの飲食店、カフェ、フードコート、お土産屋さんを覗いてみますね。でも、ここで稼ぐ収入も大きいんですよね。平日のお昼ということもありますが、もう本当に外国人だらけです。日本人ほとんどいなかったです。もうここでの飲食店のテナント料、お土産屋さんの売り上げなどで膨大な収益を上げているのです。外国人観光客、様様です。


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1Fのチケット売り場


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1Fにこんな記念撮影スポットが。東京タワーはもはや観光がメインですから記念撮影スポットはいたるところにあります。


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メインデッキへのエレベーターを待つ人々。もう大行列です。


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そしてエレベータに乗ってメインデッキに到着します。


そうするとウエルカムゲートパネルが待っていました。ここで外国人観光客のみなさん、みんな記念撮影をします。


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メインデッキをゆっくり見物したいですが、トップデッキへ行くのは時間予約制なので、まずトップデッキへ行くことを優先します。トップデッキに行くエレベータはこちらです。ここからはトップデッキツアー専用のエレベーターになります。


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メインデッキからトップデッキに行くためのエレベーターはプライベートエレベーターになっていました。


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この2人の肖像画は、東京タワー創業者の前田久吉と、東京タワー設計者の塔博士の内藤多中に違いありません。どちらがどちら、というのは分かりませんでしたが、なんとAIを使ってかわかりませんが、この肖像画の表情が動き出して話し出すんですよね。(笑)前田久吉と内藤多中とが、東京タワーについて語り合っているのです。


そして奥に見える本棚の一部がトップデッキへ行くプライベートエレベーターです。


トップデッキへはもうツアーなのです。トップデッキツアーなのです。13言語でおもてなし、東京の街と東京タワーを知る事前予約制の体験型展望ツアーなのです。


その前にガイドさんが、東京タワーのトップデッキに着いたら、待ち構えているツアーガイドさんへの挨拶方法を教えてくれます。


トップデッキツアーでは、Vサインではなく3本指のWサインが登場します。WIO!は、電波塔の地図記号を表しており、上から、W・I・O、つまりウィオ!となります。


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プライベートエレベーターでは一気にトップデッキに行くのではなく、途中で下車します。エレベータの乗り継ぎがあるんですね。この途中下車した階でドリンクサービスと、記念撮影があるのです。


こうやって東京都の街並みをバックにカメラマンに記念撮影の写真を撮ってもらえるのです。外国人観光客さんにとってはうれしいでしょう。カメラマンの英語はネイティブ並みに達者でございました。


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そして、ついにトップデッキに到着します。


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メインデッキと比べると当然ですがフロアは狭くなります。でもすごい高くて見晴らしがイイです。これが東京タワーのトップデッキから眺める東京都心です。


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もう外国人観光客大喜びです。


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やっぱり昔から思うんですが、こういう展望台景色は、絶対夜景の方がいいですね、ロマンティックですね。今度夜に行きます。



そしてまたエレベーターでメインデッキに戻って来ます。順番としては、まずツアーになっているトップデッキ(250m)に最初に行くという感じで、あとで、メインデッキ(150m)に戻って来てゆっくり見物する、という感じですね。


メインデッキはやはり広いし、スペースにゆとりがあります。


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季節柄、桜の木も飾られていました。


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神殿なんかもありましたよ。


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メインデッキから臨む東京都心です。


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THE SKYという東京タワーのOFFICIAL SHOPもありました。みんな東京タワーのおみやげを物色しています。


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ここメインデッキから下の階に降りて行くには、まず外のオープンエアの階段を降りていくのです。自分は最初、えっ?と思いました。結構高さがあります。ここから階段で降りていけ、というのか。でもそうなっているのです。


行は地上1Fからメインデッキへエレベーターで直行します。でも帰りは、メインデッキから外のオープンエアの階段で降りていくのです。


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これが素晴らしいですよ!あの東京タワーのオレンジ色の骨組みの中を外気に触れながら階段で降りていくのです。なんか高所恐怖症の方にとっては怖いかも?(笑)階段で言えば、531段あります。こういう試みも東京タワーの醍醐味を楽しんでもらうひとつのコンセプトなんですね。


結構歩いて階段を下りていきました。まっ上りよりは下りの方が楽ですから、助かりましたが、歩行障害の自分にとってはなかなかハードではありました。


そうしてRという外のフロアにいったん到着します。


記念撮影場所があります。


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なんか、東京タワーで、もちろん煙モクモクですから外気に触れるどこかの頂上部でしょうが・・・ジンギスカンが食べられる催しもあるみたいです。


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このRという外のフロアからエレベータで元の1F/2F/3Fに戻るのです。


せっかく東京タワーに来たのに、ちょっとミスしたことがありました。それは東京タワーの上階で、床がガラス張りになっていてそこから下界の風景が一望できるというものです。メインデッキかな。トップデッキかな。


これは怖いですよ~。

高所恐怖症の人は無理ですね、自分含めて。でも体験したかったです。当日忘れてしまいました。



もうお昼を廻っていました。お腹ペコペコです。


2F/3Fのフードコートやレストラン街で、めぼしい処を探します。


せっかくですから珍しいところがイイですね。


パキスタン料理レストランみたいです。


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パキスタン料理ってもちろんいままで食べたことないです。

興味本位でここにしました。



店内は薄暗く、かなり怪しげです。(笑)おそらくパキスタン音楽のBGMが店内に大音量で流れていました。なんかだんだんその雰囲気に染まってきた感じです。


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自分はパキスタン料理とはいえ、カレーにしました。シディクマナカレーというカレーです。パキスタンのカレーなのでしょうか・・・


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これはじつに不思議な味でした。いままで食べたことのないカレーの味です。ちょっと甘い感じで、独特のタンパク質系というかデンプン系というか、そういう食感の味がする不思議な味です。全然辛くないです。ひたすら甘いでんぷん質の味なのです。これがパキスタンのカレーなんだな、と思いました。


美味しいと思いましたよ。

1,200円でした。


御馳走様でした。


じつは東京タワーに来ようと思った最初の理由は、伝説の女優、高峰秀子さんの生誕100年プロジェクトがこの東京タワーで展示されていたからなのです。ここに来たいから東京タワーに来たのです。それで東京タワーのことを調べたら衝動的になってしまって・・・(笑)


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展示は写真撮影禁止ですので、口頭でしか説明できませんが、それはそれは素晴らしいものでした。高峰秀子ファンにとっては堪らないと思います。


高峰秀子 生誕100年プロジェクトは、それはそれは素晴らしいものでした。高峰秀子さんの人生の年表に合わせて、そのときの映画に出演した台本の展示、当時の雑誌に掲載された高峰さんの写真、そして実際住まれていた家の家具なんでしょうかね。実物大で展示されていました。もう高峰秀子という女優のすべてがここに詰まっている、と言っても過言ではないのではないでしょうか。


高峰さんが出演された映画(もちろん白黒)の断片を繋ぎ合わせたショートームービーの鑑賞ルームもあって、そこで座って高峰さんの代表作、そして演じている姿を拝見しました。


高峰秀子さんは、自分の世代ではないですね。もううちのオヤジ、オフクロの世代の女優さんです。

自分からすると伝説の女優さんです。


その凛とした演技ぶり、話し方も含めて、高峰秀子という女優を理解できたような気がします。展示会に行かれる人は、ぜひこのショートムービーをご覧になることをお薦めします。


もうこのために東京タワーに来たんだ、という満足感でいっぱいでした。


展示会は写真撮影禁止ですので、ネットに掲載されている写真を上げておきますね。こんな感じの展示会でした。


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東京タワーというところは、自分にとっては仕事つながりでしか想い出がなかった場所でしたが、まさか女優 高峰秀子で繋がるとは思いも寄りませんでした。(笑)


素晴らしい展示会だったと思います。


5/6(月)までやってます。ぜひ行かれてみてください。













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東京タワーの想い出 [放送技術]

電波塔としての役割は、墨田区の東京スカイツリーにその主役の座は譲ったとしても、いまだに東京のシンボル、東京観光のメッカとして人気の高い東京タワー。昭和、平成、令和と3つの時代に渡って東京を見守ってきた。
                                         
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地上デジタル放送の電波塔は、みんな東京スカイツリーに移りましたが、ラジオの電波塔はまだ東京タワーですね。AMラジオが停波するので、FMラジオだけは、まだ東京タワーの電波塔から送信されていると思います。
                    
自分は東京タワーというと、もう放送系の仕事、RF屋さんとしての技術者時代に記憶が遡る。自分にとって東京タワーというと放送としての電波塔なのだ。
                  
デジタル放送送信アンテナ・システムが東京スカイツリーに移る直前、東京タワーにあったときの電波塔機能。
                             
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アナログ放送からデジタル放送への移行という放送業界にとって100年に1度の大改革の時期。そのど真ん中で自分は仕事をさせてもらった。あれだけ興奮したことはなかったであろう。技術者冥利に尽きる、というものだ。
              
いまじゃもう誰も不思議に思わないデジタル放送。地デジ、衛星デジタル。
            
                         
技術開発のゴールというのは、まさに一般市民が誰も不思議に思わない、ごく当たり前のようにふつうに使う技術まで市民に浸透すること。そこが技術開発のゴールである。
                    
草創期・黎明期の頃に、最初に発表して、世間一般のみんなを驚かすだけではダメである。(笑)ここは、いわばイノベイター的な立ち位置で、とてもカッコいいポジションなので、誰もがやりたがる。でも普通の市民がなにも疑問を持たないくらい浸透させるフェーズになると、かなり地道な作業になっていくので、そうなると段々フェードアウトしていく人たち、企業が多いんですよね。(笑)
                      
それじゃあ、ダメなんだよね。確かに驚きは必要だけど、技術開発のゴールは、一般市民がなんの不思議も抱かずにあたりまえのように使用するようになる。ここがゴールだと思います。
                 
最初に出て、一般市民に浸透するまでには、登場したときから、その姿、形をどんどん変えていき、たぶん20年はかかる。同じく100年に1度の大革命と言われている、カービジネス、次世代モビリティの世界も、おそらく現時点から、どんどんその技術の形が変形していって最終段階のステージに落ち着くにはいまから20年以上はかかるんではないか。
                    
生成AI、Web3、NFTなどの騒がれている技術も、試行錯誤を重ねつつ、形を変えつつ、最終的な落ち着き場所に辿り着いて普及というフェーズに入っていく。
               
技術開発って、みんなそんなもんじゃないかな、と思う。
                         
でもそれに関わる技術者たちは、自分たちが関与している”いま”が最終ゴールと思っていつも仕事しているんだよね。自分がいまやっているのが、普及するための最終といつも思いながらやっている。そのとき、その”いま”に全力投球している。
                  
自分はビデオ事業部なので、ビデオデッキに搭載するデジタル放送受信部、つまりチューナーブロックの設計をしていた。
                     
放送という仕事は、送信があって、受信があるんですよね。
                                 
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放送局側でベースバンドの映像、音声、テキスト情報をIF UpConv/RF UpConv.して変調して電波として空に飛ばし送信する。それをご家庭のビデオデッキ(あるいはテレビ)のチューナー受信部で受信して逆の手順でベースバンドの映像、音声、テキスト情報の元に戻すのです。この反対の作業を復調といいます。我々がテレビで見ている映像、音声、テキスト情報は、もうベースバンド帯域 (ゼロ帯域)の信号なのです。
                
もちろん自分の趣味のオーディオはベースバンドでの世界でのお話です。
                                 
放送はもちろんいまのインターネット、あるいはDVD/Blu-ray/CDのような物理メディアでもそうですが、送信があって、そしてそれを受ける受信があり、その間の放送/通信経路(もちろん物理メディアの場合は記録メディア&物販経路になりますが。)を飛ばすためにデータを搬送波のキャリアに乗せて(誤り訂正含む)飛ばすために変調と言う作業をするのです。ベースバンドの信号をそのままでは飛ばせないのです。飛ばすためには、かならず変調
という物理層・伝送系の処理をその上に被せないとダメなのです。
                           
つまり、我々が家庭で見ているエンド端末での映像、音声、テキストはベースバンド(ゼロ帯域)の信号で、それをどこかに飛ばす、あるエリアに移動させる場合は、そのベースバンドのままでは飛ばせないので、変調、誤り訂正(物理系、伝送系処理)を施して、搬送波(キャリア)という、いわゆる乗り物に乗せて飛ばしてやるのです。
                                  
その移動の手段、移動のさせ方として、放送、インターネット、携帯モバイル通信(3G/4G/5G)、物理メディア(DVD/Blu-ray/CD)という運搬手段があるのです。その放送、インターネット、携帯モバイル通信、物理メディアという伝送手段の種類に応じて、それぞれ変調、誤り訂正の方法が存在するのです。伝送経路に応じて、それぞれに適した変調方式、誤り訂正方式が存在するということです。でももともとのエンド端末では、みんな同じベースバンド帯域(ゼロ帯域)の信号で共通なのです。ベースバンド帯域(ゼロ帯域)は上位層の処理、変調、誤り訂正(物理系、伝送系処理)は、下位層の処理と言われます。
               
画像圧縮、音声圧縮はこのベースバンド帯域(ゼロ帯域)の上位層の処理に属します。
                                           
たまたま、いまここでは放送という伝送経路で説明しているだけに過ぎません。インターネットや携帯モバイル通信(3G/4G/5G)、物理メディア(DVD/Blu-ray/CD)もまったく同様に、同じように説明できます。
                                            
                                                                                                       
自分にとって、東京タワーというと、大学時代の同期で、当時はフジテレビに勤めていた友人のことを思い出す。(彼ももう自分と同じ定年、還暦。その後、ずっとフジテレビで人生を全うしたのだろうか。セカンドキャリアの人生をどう過ごしているのであろうか?)
                          
テレビ局というとニュース、報道、制作陣、プロデューサー、ディレクターと華々しい世界を思い出す人も多いと思うが、その友人は電波の部署に配属された。自分と同じ理系だったので、テレビと言えばやはり電波。当然の配属だったのかもしれない。
              
                      
このアナログ放送からデジタル放送に移行する草創期・黎明期。自分はずいぶんこの友人の影響を受けた。いろいろ教えてもらったことが多かった。
                        
もちろん仕事としてではなく、上京したての頃は、よくその大学時代の友人とプライベートで会っていっしょに遊んだり(タイ料理を教えてくれたのも彼でした。)、ふだん電話(その当時は固定電話です!)をしあったりしていた仲だったので、その会話の中でお互いデジタル放送の仕事をしているので、そんな中の会話のキャッチボールで登場して学ぶことが多かった。
                     
自分はどうしてもテレビやビデオデッキに内蔵するチューナー受信部、いわゆる放送電波を受信してベースバンドの信号に戻すまでの受信部を設計するので、そこだけを知っていればいいという間違いに陥りやすい。
                           
なかなか放送局の送信側の勉強は怠りがちになりやすかった。でも放送は送信があって、そして受信がある。
                   
また社内でもそういう送信側を勉強するような人材パイプなどにも恵まれなかった。(もちろんそういう部署は放送局に関わるテレビ部門、放送局機材を開発する厚木ブランチにはあったと思いますが。)
                      
でも手っ取り早く自分の社外のプライベートな友人からその知識を得ることのほうが多かった。
                  
自分は受信側にいる人間で、友人は送信側にいる人間だったのである。
自分にないモノを持っている立場の人間で、Give & Take みたいな関係だった。
                            
地上波の伝搬の仕組みもその友人から教えてもらった。放送には地上波、ケーブル、衛星放送とあり、ケーブルはある限定エリアにケーブルを敷いてその中に放送電波を通すこと。衛星放送は、宇宙に打ち上げた衛星から日本全国に一瞬にしてビームを照射して電波を流すこと。
                   
ケーブルテレビは、いまは高層ビルが障害になっているとか、あるいは山間部などで、電波が受信しずらいところなどの難視聴地域のために、有線を敷くことでカバーすることで、放送を提供するというものです。
                     
地上波放送と衛星放送
                                  
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ケーブルテレビ
                                               
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そして地上波は、電波塔(送信所、親局)を立てて、そこから放射される電波を、中継局というのがたくさんあり、その中継局から中継局へと伝言ゲームで伝えていく。そういう伝言ゲームが地上波の仕組みになります。
             
図はマルチパス障害の図ですが、とりあえず地上波の仕組みを説明するにはいい図と思い採用しました。
                                     
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電波塔(送信所、親局)は、各地方ごとに自分の管轄エリアをカバーしている。たとえば東京タワーだったら首都圏エリア全般だし、名古屋テレビ塔だったら、愛知県エリア全般だし、さっぽろテレビ塔であれば北海道エリア全般というように。
             
そしてその各々の管轄エリアで、中継局が多数存在して、親局の電波を伝言ゲームでその中継局を通して伝えていって、そのエリアを広げていき、その地域全般の受信をカバーするのである。
                   
                                     
伝送するための電波はこれでわかったとして、じゃ、つぎにそこに流す番組コンテンツ、CMコンテンツは・・・
                  
テレビ放送局の番組コンテンツは、テレビ局が企画して、プロデューサー、ディレクターがいて、実際その番組コンテンツを制作しているのは、テレビ局が抱えている番組制作会社であろう。番組を実際作っているのは、この番組制作会社である。
                      
報道は違うと思う。報道は、放送局が全責任を負っていると推測する。
                                    
全国ネットの放送映像コンテンツ(番組コンテンツ)そのものは首都圏の放送局(在京キー局)から各地の地方局(地方ローカル局)に光ファイバーで送られる。そして間に挟むCMは地方ローカル版を挟むなど。もちろん地方ローカル局の番組コンテンツもある。それをチャンポンにしてMIXしてそうやって地方オリジナルの1日の完パケ(完全パケット)のストリームを造るのだ、地方ローカル局の場合は。
                   
地方ごとに電波塔があって、その電波塔が照射できるビームがある固定エリアでそれを中継局で伝言ゲームしていくのが地上波である。
                              
その電波塔で、首都圏全体に電波を照射するのが東京タワーの仕事である。
               
もちろんさっぽろテレビ塔や名古屋テレビ塔なんかもそうだ。それぞれ彼らのエリアを受け持つ。
                                   
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携帯電話・モバイル通信(3G/4G/5G)の通信システムも、この地上波システムに似ていますね。携帯電話も各エリアに基地局を立てていって、そこから携帯に電波を送り届けます。地上波との違いは、放送(一方向)か、通信(双方向)かの違いです。
                
そんな地上波の仕組みをそのフジテレビの友人はよく教えてくれた。自分はへ~そうだったのか!と目からウロコであった。
            
                
                              
デジタル放送というと、もう現在ではあまりにあたりまえ過ぎて、画質が綺麗としか思い起こす人はいないであろう。アナログ放送時代を知っている老人世代では、デジタル放送の登場は脅威であった。画質がもうメチャクチャ綺麗でいわゆるアナログの柔らかい画質と言うかフイルムカメラのようなしっとりした画質と違って、鮮明でクリアでかなりビビッドな画質に驚いたものだった。そして録画してもいっさい画質劣化がない。何世代ダビングを繰り返してもデジタルはいっさい画質が劣化しない。
                       
アナログ放送を録画するアナログビデオを開発していたとき、最初テレビ番組を録画させることを拒否したのだ、放送局側は。ビデオを開発していた家電メーカーは焦った。そこで必死に説得する。その折衷案が録画、コピーすると画質が劣化するということだった。これでテレビ番組をビデオに録画することを許された。放送局側を説得させることができた。
                       
でもデジタル放送時代になると、何世代、孫の世代までダビングを繰り返してもいっさい画質劣化しないのだ、デジタルというのは。だからコピー世代コントール(親から子は10回までダビング可。孫世代コピーは禁止)という折衷案で解決した。デジタルVTR/VDRが許されることになった。
                     
放送局の人というのは、基本、テレビ番組を録画させたくないのだ。自分たちが制作した著作権コンテンツだから。コピーされて勝手にそのコピー品が世の中に出回ってマネーも絡んで普及していく海賊ビジネス行為が耐えられないのだ。
                
ビデオ事業部は、そんなテレビ放送局の人たちとの交渉、闘いの歴史だったと言えた。
              
                
                             
放送はとりあえずこんな形でけじまったが、これからの時代、インターネット含め、著作権コンテンツはもうユーザーの手元、ローカルにコピーさせることは金輪際ないと思われる。権利者、著作権者にとって、自分の著作権コンテンツは、手元(サーバー)で管理したいのである。ユーザーへの複製を許すということは自分の管理の外に置いてしまうし、そのあとその複製コンテンツがどう扱われるか補償外だ。彼らはそれが心配なのだ。
                                 
これからの時代はストリーミング、サブスクの時代で、サーバーにあるコンテンツを手元で再生するのみ、という形で手元、ローカルには複製できない、が理想の解になるだろう。これからは録画不可能なオンデマンドサービスのみ。家庭用ビデオというのは、過去の経緯から暫定で残った遺跡みたいな存在になるだろう。(笑)
                    
ビデオというのはもともと放送局の一方的な時間割で流れるテレビ番組に対し、タイムシフトで観たいというニーズのために誕生した。でもいまや、タイムシフト視聴は、オンデマンド・サービスが代替えしている。
               
放送ならNHKオンデマンドや民放TVerで、もう充分ビデオの役割を果たしている。(コンテンツは期限付きだが)もう家庭用ビデオというスタイルは廃れるであろう。あぁぁ~オレの人生が・・・(笑)
                           
音楽配信もストリーミングが主流になり、ダウンロードはまだしばらく存在するかもだが、これも淘汰されて自然消滅に間違いない。
                 
著作権コンテンツは、もうオンデマンド・スタイルでゴールだと思われる。
                      
技術はどんどん姿・形を変えていき進化していくいい例だと思う。
               
               
              
                          
デジタル放送は画質が綺麗というイメージが先行するが、自分にとって、デジタル放送というとなんと言ってもSFN (Single Frequency Network)である。
                       
SFNには心底驚いた。そんなことができるのか!デジタル放送すげぇ~~~、である。
                
自分はデジタル放送というと、いちばんその特徴を思い出すのが、このSFNである。
                           
このSFNのこともそのフジテレビの友人から教えてもらった。
                                  
地上波の電波は、各地方にある電波塔(東京であれば東京タワー、名古屋であれば名古屋テレビ塔、札幌であればさっぽろテレビ塔)から中継局への伝言ゲームで伝えられていく、と述べたが、中継局で受信する周波数と逆にそれをさらに違う中継局に飛ばすための周波数は違うのが通例だった。もちろん受信と送信との周波数が隣接しているとお互い干渉してセパレーション(分離度)が悪くなるので、お互いをじゅうぶん離れた帯域に設定しないといけない。これを中継局の数だけ、受信の周波数と送信の周波数とでペアで帯域を占有しないといけなく、中継局の数だけ、もうどんどん帯域が埋まっていくという感じである。そしてついに帯域が足りなくなってしまうという状況にもなった。
                              
ところがデジタル放送の時代は、この中継局の送信、受信はどこでも1つの周波数、単一周波数で送信、受信できるようになった。まさにSingle Frequencyである。日本全国、どこでも単一周波数で伝言ゲームできるのだ。送信と受信で同じ周波数を使ってもお互い干渉しないのだ。
                                          
                     
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昔のアナログ放送は、NHKであれば首都圏と地方ではチャンネル数が違っていたりした。でもいまのデジタル放送では、日本全国どこでもNHKは、11と31のチャンネルである。たった一つの周波数で全国津々浦々送信・受信の伝言ゲームができるのだ。
                     
デジタル放送でなにが驚いたかというと、このSFNでしたな~、自分にとっては。
画質が綺麗ということより、断然SFNのことのほうが、はるかに驚きが大きかったし、RF屋さんとしては、デジタル放送すげぇぇえええ~~~である。このときほど、デジタル放送すげぇぇぇえええ~と思ったことはなかった。
                                         
このSFNのことを教えてくれたのもそのフジテレビの同期友人からだった。
おそらくビデオデッキのチューナー受信部を設計しているだけでは、永久に知らなかったであろう放送の送信側のシステム。
                 
やっぱり放送は、送信があって、受信がある、ということが大切である。これはインターネットや物理メディアでも同じ理屈ですよ。世の中の不偏の原理なのです。
                                
アナログ放送からデジタル放送へ移行するときは、まさにテレビ局にとっては死活問題。
家電メーカーより大変だったと思う。放送局の送信システム、中継局の受信・送信システムをアナログ機器からデジタル機器へ総入れ替えですから。予算も大変だったんじゃないかな。もうテレビ局だけのお財布じゃ無理で国家予算あげての全面協力だったように思う。
               
                                      
放送の世界では、技術革命は、かならず衛星放送から始まる、と言われています。放送のデジタル化もまず衛星放送で始まりました。4K/8Kのスーパーハイビジョン・高画質化もまず衛星放送からスタートします。
                         
理由は簡単。衛星放送の方が、送信設備を変更(アナログ機器→デジタル機器に置き換え)する場所が簡単で工数が少ないからです。宇宙の衛星へ電波を送る地上のでっかいパラボラアンテナ送信所のところだけを変更すればいいからです。
                         
これが地上波、ケーブルのデジタル化となると、各々の地域エリアの親局、そして中継局の受信・送信システムを全部総取り換えになるので、もう膨大な工数と費用が掛かります。
                           
放送の世界では、革命はかならず衛星放送から、が定石なのです。ヨーロッパやアメリカの放送もそうです。日本は地上波の国と言われていますが、世界で似たような放送システムの国はイギリスです。イギリスは地上波の国で、国の放送技術を開発する放送技研としても国営のBBCのBBC放送技術研究所があり、日本が地上波中心で、NHK放送技術研究所で国営のNHKが放送技術の開発をしているのと、あまりによく似ています。放送に関しては、日本とイギリスはそっくりなのです。
                 
アメリカ、ヨーロッパは、ケーブルテレビがやはり主流ですね。
                                    
そのフジテレビの友人は電波部門の所属だったから、このデジタル放送への移行期は、地方の中継局などに出張などですごく忙しかったように記憶している。
                 
東京タワーというと、自分はこのフジテレビの大学同期の友人を思い出す。
電波部門に所属していた友人は、週に1回、2回は、かならず東京タワーに泊りがけの徹夜勤務をしていたのだ。東京タワーのてっぺんには、各放送局の送信アンテナと送信設備があり、それを管理しているオフィスがあるのだ。
                            
NHK総合、NHK教育、日テレ、TBS、フジテレビ、テレビ朝日、テレビ東京。各放送局のアンテナ、送信設備があり、その管理オフィスがある。そこでトラブル、放送事故などなどがないかの見張り番である。
                         
もう30年以上前だから時効だと思うが、ここに入ったことありますよ。(笑)
我々RF屋さんの作業台にある測定器、SG関連が軒並みラックに入って並んでいるのには親近感を抱いたものだ。どこでも同じものを使っているんだな~と思いました。寝るベッドもありました。
                    
ネットでググってみたら、なんと!この東京タワーのフジテレビ送信システム局(TVデジタル放送電波送信設備)の写真ありました。(笑)
                   
そうです。ここです、ここです。
                            
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フジテレビの設備は、ところ狭しと置いてあった記憶があります。部屋はとても狭かったです。送信アンテナは、TBSと共用だそう。今では停波してしまったアナログ波の送信設備は5階にある。停止後は撤去するとのことで、今はもうないかもしれない。デジタル放送の設備は、東京スカイツリーでの送信が始まったら、予備として置いておくのだそうだ。
               
自分がこの部屋に入ったときは、デジタル放送がこれから始まるときだったので、アナログ放送の送信設備だったかもしれません。よく覚えておらず。。
                
                                 
いまは、この各局の送信アンテナ、送信所(エンコーダ類)は、デジタル放送に関しては、そして管理オフィスも全部、墨田区の東京スカイツリーに移ったんですね。でもスカイツリーにもしものことがあったときのために、予備として東京タワーのほうも残しているのかも?アナログの送信設備は撤去ですね。いま残って活動しているのはFMラジオ放送局だけです。
                    
自分にとって、東京タワーというところは、まさにテレビの電波塔そのもの、観光チックな一面はまったくなかった。仕事と直結していた。東京タワーというと仕事のイメージしかなかった。
                 
いままではホームエンターティメント時代の話。カーエンターティメントの時代も思い出がある。カーの時代になるとデジタル放送受信部は車載器の一部という位置づけで設計され、それを車に乗せて、車で運転しながら受信できるかどうかをチェックする。
                    
ホーム時代はFT(FieldTest)と言っていたが、カー時代では実走と言うことが多かった。実際車で走る、という意味合いからそういうのである。
                        
東京タワー周辺を走ると、このエリアは魔のエリアと言われ、なにせ電波塔の直下なので、電波強度がメチャクチャでかい。あまりに強電界で放送受信が落ちる、ということもままあったような気がする。
                   
AGC=Auto Gain Controlの設計が重要である。Tunerへ入力される前段には必ずAGC回路がある。(Tunerへの入力前のRF AGCとIFへの入力前のIF AGC) 強電界過ぎる場合はGainを落として、弱電界の場合はGainを上げて、つねにTuner/IF段への入力レベルを一定にする機能である。
                          
東京タワー周辺、東京タワー直下というのは、そんなAGC泣かせのエリアだったような・・・、そんな淡い記憶がある。もう昔過ぎて、よく覚えていないのですが。。。
             
もう自分にとって東京タワーは仕事だったのである。
遊びで東京タワーに行こうという気はさらさらなかった。
                        
東京タワーにはそんなイメージしかない。
                      
電波塔としての役割は、すでに東京スカイツリーに譲ってしまった東京タワー。
いまどうやって生計を立てているのかな、とふっと不思議に思った。
                 
ちょっとネットで調べてみたら、意外や自分の知らない東京タワーのことがたくさん知ることができてすごい新鮮だった。東京タワーのうんちくとか含め、そうだったのか~~~という感じである。
                        
なんか調べていく内に、そうして東京タワーのことをよく知ることができるようになって、なんか無性に東京タワーに行きたくなってしまって・・・(笑)
              
そしてついに実行!
東京タワーまで行ってきてしまいました。(笑)
                           
じつは伏線としては、いま東京タワーであの伝説の女優さん、高峰秀子さん生誕100年記念プロジェクトという展覧会が東京タワーで開催されていて、それを観に行きたいと思い、そうか~東京タワーか~・・・懐かしいな~と思い、東京タワーのことをネットで調べたらもう興奮モードに入ってしまったということでした。(笑)
                     
まず、自分がネットで調べたかったことは、電波塔としての役割を東京スカイツリーに譲ってしまった東京タワーっていまどうやってご飯を食べていっているのか、その収益源はなんなのか、そこを調べたかったのです。
                 
東京タワーは、基本的には、アンテナ賃貸料、店舗のテナント料や展望台の観光収入が主な収益になっているそうである。
              
つぎの日記で、東京タワーの歴史、そしてひさしぶりに東京タワーに行ってきたので、その体験レポートを書いていこうと思う。

         

                 

                

                      

                 

                         

                     

                           



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スポーツは格闘技 [スポーツ]

日本と韓国の話が出てきたところで、日韓というとやはりスポーツでのライバル関係だろう。日本と韓国は、やはり生涯ライバル関係なのだ。
                                         
一方で、米大リーグMLBの大谷翔平の大活躍は、もうただただ凄いとしかいいようがない。自分も幼少時代からずっと野球を観てきた軽く50年以上の鑑賞歴を持つ大ベテランの野球ファンだ。
                  
大谷翔平のなにが違うのか。
いままでのMLBで活躍してきた日本人選手と何が違うのか。
                      
とにかくパワーがある。
あの体格の良さと体の柔らかさと瞬発力。
ボールを遠くに飛ばせるそれだけのパワーがある。
                  
日本ハム時代の大谷をよく知っているだけに、MLBで化けたな、とつくづく思う。身長が高いと、投手のボールを見ている目線というか視角度が違ってきて、よくボールを飛ばすのに有利のような気がする。
                           
あれだけの体の柔らかさと瞬発力、パワーを日本人選手が有しているなんてまったく想定できなかったことだ。外国人選手との体格とパワーのハンディをいかに克服していくか。MLBでプレーする日本人選手はそれとの闘いだったように思う。
                      
大谷翔平は、もうすでにMLBを下に見ているのではないか?
本人はこれっぽっちの欠点もないような謙虚な性格だから、そんなことはまずないだろうが、もうMLBを下に見ているとしか思えない。YouTubeで大谷翔平の食事管理やトレーニングを見ていたりすると本当にストイックなまでの探究心で驚くばかりだ。
               
だが、だが、ところが・・・ところがだ。
                  
これはいまの時代の風潮、いまのスポーツ界全般に言えることだが、みんな優等生過ぎる、というか、いい人過ぎる、スマート過ぎるのだ。
                
そこにはスポーツは格闘技という野生というか闘争心、怒り、燃える、興奮という状態がないような気がする。あまりにスマート過ぎて、大人しすぎて、優等生過ぎる。
                    
スポーツというのは、元来、人間と人間との闘いなのだから、そこに闘争心、怒りという衝動的な感情がないといけない。
              
野球ファンの自分はそれで思い出すのが、2006年の野球WBC世界大会だ。
                         
イチローが、韓国戦を前にして、格の違いを見せつけたいと思ってます、とインタビューで応えて、それに韓国が猛反発。そしてまさかの韓国戦敗戦。韓国はもうざまぁみろ!という感じで、すごい剣幕だった。
                  
そして準々決勝だったか、韓国戦でさらにまさかの連敗。
野球大国日本として、これ以上ない屈辱だった。
                   
もう後がない三戦目の韓国戦。イチローは同じ相手に三度も負けるわけにはいかない、とインタビューで言う。
                       
準決勝だったかな。
あのときの日韓戦ほど、小便ちびるというか、ドキドキした試合はなかった。
もう心臓がバクバクでテレビを正視できなかった。
              
日本中、そして韓国も含め世界中がまさにテレビに釘付けだったろう。
                    
イチローはまさに男を魅せてくれた。
                
韓国戦連敗でインタビューで散々恥ずかしいコメントまでさせられるイチロー。そこからの奮発で最後の最後は男を上げてくれたイチローは最高にカッコいいと思った。自分の野球観戦の中であれだけ興奮したことがなかった。
                                              
                           
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スポーツを観戦していて、こういう応酬というか、波、ドラマがあったほうが結果として盛り上がるんじゃないか。スポーツって格闘技だから、そこに醍醐味があるんじゃないか。
                    
それ以来、野球の日韓戦は、興奮する看板カード、生涯のライバルとなった。
                        
古くは、1989年の日本シリーズの巨人×近鉄戦。
近鉄が三連勝して、近鉄の加藤哲郎が巨人はロッテより弱いと発言して(実際の発言内容はそうでなく、スポーツ紙が面白おかしく脚色したそうだが。)、巨人側は猛発奮。日本中を敵に回した感じで、巨人がその後怒涛の4連勝で逆転日本一となった。
                
このときも一種独特の異様な雰囲気だった。
                        
スポーツって元来こういう感情、雰囲気が大事なのではないのか。
人間と人間との闘いなのだから、そういう感情があればあるほど興奮するものというものだ。
                               
自分は以前日記でこの同じ例を挙げて、勝負ではそういう発言は避けた方がいい、勝負処になればなるほど、発言は慎重になるべき、ということを書いたような気がする。(笑)
                
でも最近の大谷翔平フィーバーを傍観しながら、なにか感じるその平坦さ、というか、あまりにスマート過ぎる、野性味がない、闘争心とは無関係とも思えるその平穏で幸せな雰囲気に、なんか不満を感じることがある。
                          
スポーツはやはりもっと燃えないといけない。
                    
”スポーツは格闘技。”
                    
人間と人間との闘いだから、そこにライバル心、お互い闘争心が剥き出しにならないといけない。その状態でお互い戦う、ぶつかり戦うから余計観客は興奮するのだ。それが返って周囲を煽って興奮するものなのだ。
              
一発触発!
               
スポーツって本来そういうものではないか。
             
自分のようなロートルの古い世代はどうしてもそう思ってしまう。
最近のスポーツはあまりに優しくてスマート過ぎて、平坦過ぎる。
大人しいな~と思ってしまうのだ。
                    
やはり時代なんだろうと思う。
いまの子たちはみんな優しい。
いい子たちだ。
                   
また時代もあるだろう。
昔のようなそういう感情はもう野蛮と見られるところもあるだろう。コンプライアンス、規律などがどんどん厳しくなっていき、社会がとてもスマートで優しい住みやすい時代に変貌して行っているこの時代。
               
たぶん時代なんだろうな。
それに合わせて、スポーツ界もどんどんスマートになって行っているような気がする。
                          
野球界の大谷翔平も将棋界の藤井聡太もそうだ。
まさに、”いま”という時代の申し子のような優等生、模範生だ。
                           
これがいまの時代にあった戦う選手の自然の成り行きなのだろう、と思う。
                                
自分は大谷翔平は、ほんとうに凄いと思うけど、もっと彼が怒っているところを、怒り、闘志むき出しにして戦っているそういう姿を見てみたいと思っている。
                     
あまりに優等生過ぎるのだ。いい人過ぎる。
スポーツ選手はもっと粗野で野蛮でいいんじゃないか。(笑)
                            
そしてスポーツはもっとそういうギリギリの興奮というか、闘争心剥き出しにしてやるものなのではないか、と思うことだ。そっちのほうが、世界は興奮すると思うよ。
                   
でもいまのコンプライアンスの時代、逆にそういう行動、発言をしてしまうと、余計世間からバッシングされるだけか。(笑)やっぱりそういう時代なんだよな~。
                         
昨今の大谷翔平フィーバーに接していて、ずっと自分が思っていたことなのだけど、今日、日本と韓国、という話題で、急に思い出してそれを文章にしてみました。
             
                              
                                    
 
                                         
                               
                                           

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セイコーマートってこんなコンビニ [グルメ]

以前日記で紹介したと思うが、北海道にあるセイコーマート(愛称セコマ)というコンビニは、北海道だけに存在するコンビニなんですね。
                    
自分はいままでそのことにまったく気づいていなかったです。(笑)東京にもどこにでも同様にあるコンビニだと思っていました。
             
人生60年間やってきて、セイコーマートが北海道だけのコンビニであることは、ほんとうに最後の年に知った訳です。(笑)
               
自分の実家のマンションの近くにセイコーマートがあって、帰省したときは、なにかとペットボトルの水だとかいろいろ生活必需品購入で利用させてもらうことが多いコンビニでした。
                   
セイコーマートの特徴は、売っている商品が、もう全然セブンイレブン、ファミリーマート、ローソンとは違いますね。もう北海道オリジナルの商品ばかりなのです。とくに食品飲料関係なんかがそうですね。北海道で製造して、北海道だけで販売する。そういう地域独立型のコンビニなんですね。
             
もちろん他の都道府県からも出してみないか、というお誘いはあるみたいですが、いまのところ関東圏では、埼玉県と茨城県だけらしいです。
                              
                            
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セイコーマートの特徴として、
                         
・セイコーマートは北海道にしか存在しない。
・そして道外に店舗を展開する意思もないこと。
・北海道からでない理由として、この商品だったらセコマだよね、といわれるオリジネーターの商品作りに拘りがあること。
・そのためには北海道生産のものを使うことで、どの他県よりも早くその情報や原材料入手することができる。
・そのためには北海道にいる必要がある。
・値段の安さは、東京所得と北海道所得との配慮してのこと。
・だからセイコーマートに並ぶ商品は、北海道産の素材を使ったオリジナル独創的な商品が多いこと。
                                        
こんなコンビニなのだ。セイコーマートって。
               
セイコーマートの店内に入ってみると、とにかく
                      
・品数が多すぎる!
・見たことがない商品だらけ!(北海道オリジナルの商品だらけ。)
・安い!
                 
の三拍子。
                   
自分はいままでまったくそのことを知らなかったのだけど、いまセコマが北海道専用のコンビニなんだ、という事実を知って、店内をしげしげと眺めてみると、まさに上の3点が印象に残る。
              
母親が亡くなったという報を受けて、3月の北海道に緊急帰省した。
到着した日はあまりの大変さで、満足に食事もとれなかったが、翌朝タクシーで葬儀会館に行く途中に、実家の近くにあるセイコーマートに寄って朝ごはんを調達していこうと考えた。
                      
この実家の近くのセイコーマートのことを日記に書こうと思っていて、セコマの外観の写真をバシャバシャ撮影していたら、タクシーに戻ってきたら、タクシーの運ちゃんから、「アハハ、内地(北海道外、本州のことを道内人は内地と言う。)の人は、セイコーマートって見たことないからね。(笑)」と言われてしまいました。(笑)
                     
自分の実家の近くにあるセイコーマートってこんな感じのコンビニです。
                                 
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店内は、パッと見た感じでは、いたって、全国版のセブンイレブン、ファミリーマート、ローソンと違いはないのだけど、売っている商品が違います。どれも見たことのない北海道オリジナルの商品ばかり。
                                 
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ワインなどのドリンク関係も品数多いけど、これ全部北海道オリジナルのワインなんだよね。
                              
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牛乳とかも北海道オリジナル品ですね。
                        
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このカップ麺関係も全部北海道オリジナルカップ麺ばかりです。もう驚きました!
全国版カップ麺存在しないです。(あっどん衛ありますか・・・)
                              
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もうすべてにおいて、見たことのない北海道オリジナルの商品ばかりで、もう圧倒されました。そして品数もじつに多い。北海道の原材料を使って、北海道の工場で製造して、北海道内だけで販売する。全部自給自足で賄っているんですね。
             
              
                  
この事実をいままで知らなかった自分は、セコマに入ったら、ふつうに商品が陳列されているなーくらいにしか分かってなかったです。でもその品々1つ1つを眺めると、どれも全国版では見たことのない北海道オリジナルな商品ばかり。
                 
これがセコマ、セイコーマートなんだな、と人生60年経ったいま現在ようやく理解できました。
                  
朝食を見繕って、パンとおにぎりと、お茶。
                       
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葬儀会館に着いて、母親の安置されている部屋で、母親に”おはよう!これから朝ごはん食べるね。”と声掛けをして、母親の傍で、このセイコーマートで調達した朝ごはんを食べていたのでした。(笑)
                     
お茶は全国版の綾鷹ですが、パンとおにぎりはまさに北海道オリジナル。
                             
クリームたっぷり北海道産牛乳入りパン
クリームに北海道産クリームを使ったセコマのホワイトチョコクリームパン。
北海道産小豆使用こしあんぱん
北海道で獲れた鮭を使ったおにぎり
                 
もう北海道づくし、です。
                 
こうしてみると、北海道で獲れる原材料を使う、というところがミソなのかもしれませんね。
                  
最高に美味しかったです!
                     
傍の母親に、これから葬儀(通夜と告別式)始めますよ、と声をかけて、この美味しい朝ごはんがエネルギー源となってこの苦難を乗り越えることができたのでした。
                
                
                      
                                    
                                                    

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韓国家庭料理 [グルメ]

日本と韓国は、過去に大変不幸な歴史があったので、”近くて遠い国”という名のごとく、なかなか難しい間柄ですね。お互い気持ちを一掃して未来志向の間柄を築き上げればいいといつも思うのですが、やはりなかなかそうはいかないみたいですね。とくに被害者の韓国の方々には反日教育含め、心の奥底にそういうわだかまりは生涯消えないのではないでしょうか。


数年間隔ごとに政治の世界、国民感情の世界でニュースになりますね。


難しい関係だとはいつも思います。

仕方がないですね。


でも政治的にはいつもそういう間柄ばかりを強調されますけど、民衆ベースでは、じつは日本と韓国は、すごく文化の交流が盛んですね。まぁそんなことそっちのけで、若い層では、もうすごく日韓の交流は盛んだと思います。


自分の世代では、チェ・ジウさまの冬のソナタなどで韓流ブームが巻き起こりました。チェ・ジウさま好きだったな~。いまはK-POPはじめ、日本の若い子たちは、みんな韓国が大好きで遊びに行ってますね。逆に韓国の若い世代もみんな日本のことが大好きで遊びに来ているのではないでしょうか。日本の有名な観光地に行くと、必ずハングル語が聞こえてきます。


日本のインバウンド観光は、ほんとうに中国・韓国からが多いです。


日本と韓国は難しい関係と言っているのは、政治の世界、そして戦中時代を知っている世代、そしてそれを引きずっている世代なのではないでしょうか。若い世代は、そんなに危惧する必要もないくらい日本人は韓国のことが大好きだし、韓国人も日本によく遊びに来ているという感じでなのではないでしょうか。


いつも思うことですが。お互い不幸な歴史はありましたが、これからは未来志向の関係が築ければといつも思うことです。


”政冷経熱”とはよく言われる言葉ですが、日本と韓国は、政治はともかく、文化、経済ではとても熱い関係で、切っても切れない関係にあるのではないでしょうか。


以前、韓国の俳優さんと言う日記を書いたと思うが、韓国の俳優さんの美顔はほんとうに凄いと思う。美容整形ナンバーワンの国だとか、その美顔、コスメにかけるその情熱・意気込みの文化の特徴もあるけど、ほんとうにすごいです。また、K-POPのような歌謡界、アイドル界も彼らは世界をマーケットとして、つねに世界を見ている。それには理由があって、韓国は国土的に小さい国なので、韓国内のマーケットが大きくなく、より稼ぎを上げようとするなら、収益を上げようとするならもう世界をマーケットとして見ていくしかない、という背景があるようだ。


日本のアイドルのような日本のマーケットが十分に大きいので、日本だけで稼ぎを十分得られる日本とはそこが根本的に違うようだ。ハングリー精神が違うみたいである。


前回、韓国の女優さんで、ソン・イジェン、Son Ye Jinさんを発見してなかなか素敵な女優さんだと思いました。先だって”韓国の俳優さん”という日記で取り上げました。


でも、結婚したばかりなんですかね?なんか最近では旦那さんとのツーショットの投稿写真や、仲つまじい写真ばかりで、最近は妊婦姿も!な~んだ、とか思ってしまいますよね。(笑)ファンは冷めちゃいますね。


やっぱり女優さんは、結婚していても表には1人で出るほうがいいですね。

伴侶を表に出さないで隠しておいた方がいいですね。(笑)


夫婦カップル姿はファンにとっては、な~んだと思ってしまいますね。


最近、自分のSNS TLに流れてくる韓国の女優さんでいいな~と思う”続・韓国の俳優さん”では、ソン ヘギョ Song Hey-Kyoさんがいいいのではないでしょうか。


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なかなか魔性的な魅力というか、ちょっと生意気そうなんだけど、男を魅惑する魔性の女という魅力があっていいと思います。自分の感性にビビッときますね。自分のアンテナに引っ掛かるというか。。。


KBSの『初恋』でドラマデビュー。ドラマ『秋の童話』(2000年)のウンソ役で人気が上昇した。『フルハウス』(2004年)では共演したR&B歌手のRain(ピ)とのコンビも人気を集め、KBS演技最優秀大賞・ベストカップル賞などを受賞した。2005年、『僕の、世界の中心は、君だ。』で映画デビュー。




さて、自分は韓国には、冬のソナタで一気に心を寄せたときがあったけど、その都度起こる政治の世界での日韓の不幸な歴史の反芻の繰り返しで、もうこりゃダメだな、とはよく思いましたが、じつは自分にとってとても韓国で好きなものがあります。


それが


韓国料理


なのです。


韓国料理っていうとキムチなんか有名ですけど、キムチ以外にも韓国料理ってほんとうに東京はもちろんのこと、日本国中で大人気ですよね~。自分は辛い物が大好きだし、とにかく韓国料理が大好き!


自分はやはり東洋系、アジア系の人種なんだなと思うのは、舌の感覚が、フレンチやイタリアンの洋食よりも、アジア食のほうに親近感を抱くこと。その中でも韓国料理は最高に美味しいと思います。


昔、前職時代の本社の五反田ビルの前を走る通りに、美味しい韓国料理屋さんがあって、韓国の家庭料理を食べさせてくれるお店があってよくそこを贔屓にしていました。


とにかく、韓国料理のあのテイスト、あの感じが妙に自分の舌の感覚に合って、昔から韓国料理には好印象しかない。


韓国料理大好き!


という感じなのである。


大好きなんだけど、そんなに頻繁に通っているかというと、そうでもなく、でもあの雰囲気が大好き、というにわかファンなのかもしれません。



とくに単純に韓国料理というのではなく、”家庭”という言葉が入る”韓国家庭料理”という言葉に特別な響きを感じます。大きなお店ではなく、韓国人が家庭で食べるような韓国の家庭料理。この響きに弱いんだな~自分は。(笑)


でも韓国料理って美味しいと思うよ。そしてあのお店の雰囲気、そして韓国料理全体に漂う雰囲気もまさに韓国そのものという感じである。


そういう韓国文化を知ったのは、やはり自分にとっては冬のソナタの韓流ブームのときなんだよね~。あのときはもうチェ・ジウさまが出演するドラマは全部見たので、そうするとドラマの中に出てくる韓国の食事風景、韓国の食器、そして韓国の食事、屋台などのお店、マッコリなどの韓国のお酒、そして儒教の国らしく目上の人を敬うその作法の厳しさ。。。そういうすべての面において当時の自分にとってはもう新鮮そのもので!見るものすべて初めての体験、これが韓国の文化なのか~~~という感じであった。


韓国1度は行ってみたいと思いますが、唯一大変だと思うのはあのハングル語。あれだけはまったくわからないです。(笑)でも韓国へ旅行に行くと、日本人ならまったく困らないくらい日本語案内が発達しているみたいですね。


1度行ってみたいです。韓国。


そんな自分が大好きな韓国料理。


●韓国料理(朝鮮料理)の定義とは?


方や陰陽五行の思想にのっとり、五色(赤・黄・白・緑・黒)、五味(酸・甘・渋・辛・塩)、五法(生・煮る・焼く・蒸す・炒める)をバランスよく献立に取り入れることを良しとする。



・米と穀物中心の食文化

・山菜の多用

・スープの文化

・焼肉の文化

・海産物

・飯饌


朝鮮料理の惣菜は専用名詞の「飯饌(パンチャン)」と呼ぶ。一般的な韓国料理屋の場合、ナムルやキムチなどの一部惣菜を注文とは別に提供する事が多い。


・飯床



●様式・マナー


①属製の箸と匙

食事には、金属製の箸(チョッカラッ)と匙(スッカラッ)を用いる。しかし、現在の韓国では白いプラスティック製やステンレス製が一般的である。


②茶碗・鉢などの食器を持たない

茶碗・平鉢・鍾子・蒸し器・皿などの食器を一切持ち上げないのは原則であり、そもそも金属製の食器がよく使われるので熱が伝わりやすく持ち続けることは困難である。韓国料理での食器は持ち上げずに置いたまま、ご飯や汁物は匙で、汁のないおかずは箸を使って口に運ぶ。


③年長者への敬畏

儒教の影響で、目上の人より先に箸を付けず、目上の人と酒を酌み交わす際には左手をひじや胸に添える。また目上の人の前で飲酒をする場合、目下の者は目上の人から顔を背け、手で口元を隠して飲まなければならない。また女性は、酌をしてはいけない。



自分は、この韓国の食事の様式・マナーの3項目は、そして食器類はすべて韓流ドラマから学んだ。すごい驚きだった。とうぜん日本人とはまったく別の文化で、とても物珍しく思った。


韓国料理は、とにかくあの感じである。(笑)うまく言葉で表現できないけど、あの味、あの感覚が自分の好みに合う。美味しいと思うけどな・・・。


●韓国料理の三大料理は?


今や日本で誰もが知っている韓国料理と言えば「ビビンパ」ですが、チョンジュはビビンパ発祥の地と言われていて、全州のビビンパ、平壌の冷麺、開城のクッパが朝鮮王朝時代の三大名菜とされています。 現在ではその三大名菜が無形文化財にも指定されているので、韓国料理を代表する料理として我々に馴染みがあるのも納得できます。


●韓国を代表する料理は何ですか?


定番グルメ


ビビンバ 韓国伝統料理の代名詞「ビビンバ」

サムギョプサル 厚切りの豚の三枚肉を焼いて食べる「サムギョプサル」

キンパ 韓国風のり巻き「キンパ」

チヂミ 韓国風お好み焼き「チヂミ」

参鶏湯(サムゲタン) 鶏肉の中に漢方を詰めて煮込む「参鶏湯(サムゲタン)」

チャプチェ ...

冷麺


●韓国の伝統料理は?


韓国料理の代表的なメニュー


プルコギ

参鶏湯(サムゲタン)

ビビムネンミョン(冷麺)

サムギョプサル

チヂミ


●韓国の食文化の特徴は?


韓国の食文化の大きな特徴は「調和」であり、例えば多様な味や調理法(焼く、煮る等)、 色彩等の調和である。 また、韓国の食文化の特徴の1つは「スローフード」であり、その 意味するところは、発酵食品に代表されるように時間を掛けるという点にある。 韓食は創造的な献立であるという特徴を持つ。



いいな~いいな~。


韓国料理大好きなんだけど、じつは韓国料理をちゃんと腰を据えて食べたことってあまりないのです。(笑)なんだ~いままでの前振りは!と言われてしまいそうですが、もう想像のレベルで大好きなだけで、ちゃんと何回も足繁く通って食べ尽くしたという訳ではないのです。ただあの雰囲気が好きというだけなのです。もちろん数回は食べたことありますが。。


そこで、今回自分がチャレンジしたのは、そんな想像のレベルで大好きな韓国料理をきちんと食べ尽くそう!韓国家庭料理を心から堪能しようというプロジェクトなのです。


町田にある一楽さんという韓国料理の家庭料理を食べさせてくれるお店をチョイスして、3回くらい通いつくして代表的な韓国家庭料理を思う存分食べてきました。


町田の街を歩いていると不思議なんですが、なぜか韓国料理屋さん、韓国料理の屋台、韓国料理の家庭料理のお店がすごく多いですよね。


なぜなんでしょうね?


町田駅から徒歩1分!昔からある雑居ビルのB1Fの地下にあるのだが、町田で本格韓国料理・焼肉を楽しむなら『一楽』!!


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韓国の本格の味を楽しめる。キムチやチヂミなどの定番はもちろん、韓国でしか味わえない珍しいものまで準備してある。また、絶妙な素材のバランスでできた、秘伝のタレで仕込んだ、黒毛和牛焼肉も!大人気のホルモンも多数取り揃えてある。韓国出身の方のリピーターも多いそうだ。まさに”本物”の韓国料理が知れる人気店である。



若い男女のカップルや日本に住んでいる韓国人の家族等のお客も多く、地元韓国の方も認める美味しいお店なのだと思います。まがい物の韓国料理屋さん、日本人がやっている日本風韓国料理屋さんが多い中で、ここはまさに本場韓国の韓国の家庭料理、そして焼き肉が食べれるところだと思います。


24時間営業みたい。(驚)


店内は、庶民的な造りで、とりわけ韓国風であるという訳ではないが、なかなか庶民的であの韓国料理の家庭料理という雰囲気にはぴったり合うと思います。店内スタッフは、本場の韓国人が多し。日本語上手でした。中には日本人スタッフもいました。




ここに3日間通いました。韓国料理は1品の量がすごく多いので、自分が食べたい品を全部食べようとすると、複数回来ないとダメだと悟りました。それで連日通いました、です。


なので、これから紹介するメニューは、3日間通って食べたメニューですよ。1日で食べた訳ではないですよ。(笑)


メニューには、黒毛和牛による韓国焼肉を筆頭に、韓国家庭料理がずらりと並ぶ。


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●ベチューキムチ(白菜キムチ)


一番満足したのはキムチ。

(箸が韓国の金属箸だ~と感動しました。。笑笑)


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韓国人の人からすると、キムチの美味しいお店は大体全部ほかの料理も美味しい認識だそうです。…ここのキムチはうまかったです。韓国では白菜キムチのことをベチューキムチっていうんですね。このベチューキムチ、白菜キムチ、めちゃくちゃ美味かったです。


よく聞く話が、日本のキムチは日本人に合うように甘辛く漬けてあって、本場韓国のキムチはもっと酸っぱいのだ、というご意見。でもそんなことはありませんでした。とにかくすごい濃厚なキムチ。濃いな~~~、という感じで、あのキムチのあの味がじつに濃厚。これは美味しい、これこそが本場のキムチだと思いました。



●プルコギ


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今回堪能した韓国家庭料理の中で、自分が1番うまいと思ったもの。それはこのプルコギと海鮮チヂミの2品でした。ご飯を大盛にしてもらったのですが、こんな風に盛ってくれるんです。(笑)金属の茶碗です。韓国の作法では、茶碗を持ち上げて食べたりしないです。テーブルに置いたまま食べます。ご飯はスプーンで食べることが多いですね。箸(金属箸)はおかずのときに使いますかね。


プルコギというのは、薄くスライスされた牛肉に醤油ベースの下味をつけ、野菜や春雨と一緒に焼いたり煮たりする料理のことをいいます。 「プル」は韓国語で「火」、「コギ」は「肉」を指すことから、プルコギとは「焼いた肉」という意味です。 


いま「プルコギ」といえば、牛の薄切り肉を野菜とともにタレにつけこんで焼く料理のことだそうです。 プルコギに使う牛肉は、モモやカタなど赤身の多い部位を薄く切った肉がよく使われるとか。


このプルコギが最高にうまいんだ!自分は海鮮チヂミと並んで最高傑作だと思いました。牛肉を野菜とともにそれを醤油ベースのタレで、煮たり焼いたりして食べるものなんだけど、一楽さんのプルコギはすごく甘い味付け。甘いしょう油ダレなので、これが香ばしく甘くてじつにご飯がススムのだ。ご飯に最高の供だと思いますね。とにかく甘い。


これはある意味、日本人の味覚ともよく合うと思いますね。日本でいえば、肉と野菜炒めを甘辛く濃厚に絡め合った1品という感じでしょうかね。日本人なら誰でも大好きな味じゃないでしょうか?そしてご飯のお供としてススムものなのではないでしょうか・・・



●トッポギ


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韓流ドラマでかなりの頻度で登場するトッポギ。トッポギはまさに韓国のソウルフードである。どんな食べ物なのか一度食べていたいとずっと思っていました。


トッポギとは・・・うるち米を原料としたもちを、味付けして炒める韓国のメニュー。 最も代表的な、コチュジャンをベースにした甘辛い味つけは、屋台料理として始まり、現在では家庭においてもおやつやおつまみとしてアレンジされ、さまざまな場面で親しまれている。


韓国のソウルフード「トッポギ」とは、「トッ」と呼ばれる餅をコチュジャンや砂糖を使って甘辛く炒めた料理。 日本の餅と「トッ」の違いは、原材料にある。 日本の餅はもち米から作られているのに対し、「トッ」はうるち米から作られています。


これはもう完全にオヤツですね。(笑)韓国のオヤツです。とにかく甘い。甘かったな~。甘いコチュジャンベースの甘辛いトロリとしょたタレに餅みたいなモッチリした食べ物(筒状で中が空洞になっている)がまぶせられている。


餅と甘いタレのオヤツと言っていいのではないでしょうか・・・トッポギを日本風な表現をするならば。


これはこれで大変美味しいと思いました。



●参鶏湯(サムゲタン)


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参鶏湯(サムゲタン)はもう完全に薬膳料理ですね。


韓国の伝統料理の一つである「参鶏湯」。丸鶏の中にもち米や高麗人参、なつめやニンニク、生姜を詰めてじっくり煮込む料理。高麗人参やなつめなどの食材からもわかるように、薬膳料理としても知られている。


韓国では「伏日(ボンナル)」にこの参鶏湯が食べられているようである。伏日は日本でいう「土用の丑の日」のことを指し、厳しい夏の暑さを乗り切るために食べる習慣があるのだとか。ちなみに「参鶏湯」という名前は、使用食材である高麗人参の「参」、鶏肉の「鶏」、スープを意味する「湯」から付いたと言われている。


韓国料理というとかならず出てくるこの参鶏湯。そのたびに自分は挑戦して食べるのだけど、やっぱり薬膳料理で、健康にはいいかもしれないけど、美味しいモノかといわれるとどうなのだろう?といつも思うものだ。参鶏湯の名前が出てこれば、急いで食べてみるのだけど、う~む、こんなものかな~と思い・・・今度こそは!と思い、また同じ感想を抱く・・それを何回も繰り返す・・そんな韓国料理だ。自分にとって参鶏湯とは。


さっぱりした薄い白湯色の半透明色のスープに丸鶏がそのままに煮込まれている。あまり濃い味付けではなく、さっぱりした無味無臭な薬膳料理。やっぱり高麗人参なんかが入っているところが体にいいですね。



●海鮮チヂミ


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今回自分にとって最大の驚きは、この海鮮チヂミである。

海鮮チヂミがこんなにうまいものだったとは!


大変失礼ながら、海鮮チヂミって所詮おやつに過ぎなくて、それもなんか日本のハンペンみたいな外見であまり美味しそうに見えないので、先入観で大したことないモノとずっと思っていた。


ところがこれが最高にうまいんだな~。とくにこのタレが最高に甘辛くて、このタレにチヂミをつけて食べることで、極上の食感と香ばしい美味、食べ応えに変貌するんだな。これは美味しいと思いました。外はカリっとしていて、そして中はモッチリしていて、ちょっと脂らしい香ばしさがあって、これがタレと相まって最高な食感に変貌するのだ。


海鮮チヂミはもう1回食べてみたいと思ってます。

プルコギと海鮮チヂミが最高に美味しいと思いました。


チヂミは野菜や魚介類などを水で溶いた小麦粉に入れて混ぜ、油を敷いたフライパンなどで平たく焼いたもの。 「韓国式お好み焼き」とも呼ばれ、韓国料理屋や焼肉店でもおなじみの料理である。 しかし、「チヂミ」は日本だけの呼び方で、韓国で言っても通じないらしい。


う~む・・・たしかにお好み焼きといってしまえばそうかもしれない。このタレは一楽さん特製のタレなんでしょうね。だから一楽さんのチヂミ、このタレだからうまいのかもしれない。つけダレが勝負処ですね。


海鮮チヂミは結構サイズが大きくて、これだけでも腹いっぱいになります。かなり食べ応えあります。



●サムギョプサル


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「サムギョプサル」とは、厚切りにした”三枚肉”を専用の焼き鍋で豪快に焼く料理のことを言います。 韓国語でサムは数字の”3”、ギョプは”層”、サルは”肉”という意味です。 一般的な焼肉と違い、サムギョプサルでは豚肉の三枚肉のみを使用しています。 キムチなどと一緒にサンチュやエゴマの葉などに包んで食べます。


サムギョプサル・・・この名前は自分にはあまり馴染みのない言葉でした。なんなんだろう?どんな食べ物なんだろう?要は豚肉ですね。豚肉の焼き肉です。普通の韓国焼肉との違いは牛肉を使うか、豚肉を使うか、の違いです。


サムギョプサルは豚肉を使います。それも厚いお肉を3枚使います。そしてそれを食べるときにサンチュなどとともに葉に包んで食べるんですね。焼いたお肉にサムジャンというみそダレをつけて、野菜と一緒にサンチュで包んで食べるのが一般的な食べ方です。


ネギを千切りにした味付けネギも最高に美味しかったです。


サムギョプサルは豚バラ肉の三枚肉のみに特化しており、厚切りの肉を全く味付けせずに焼くのが特徴的と言われているのだけど、ご覧のように独特の薄口の塩?ベースのサラッとした味付けで食べるのもなかなかオツなモノであった。


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”サムギョプサル”は初めて聞いた言葉だし、初めて食べた韓国料理。

なかなかのお味でした。



●キムチチゲ


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出た~~~という感じですね。(笑)

まさに韓国家庭料理というと、キムチチゲはその代表格ではないでしょうか。


キムチの素はふつうにスーパーで売っていますので、野菜と豚肉を買ってきて、ふつうのご家庭でキムチ鍋を作るのもとても簡単ですね。自分もよくやっているし、大好物です。


キムチチゲは美味しいです。


「キムチ鍋」と「キムチチゲ」は、どちらもキムチを使った鍋料理ですが、調理方法と呼び方で違いがあります。キムチ鍋はキムチや野菜、肉などを鍋に入れ煮込む料理。 キムチチゲは、キムチや野菜、肉などを炒めてから、調味料と出汁で煮込む料理です。 日本では一般的に「キムチ鍋」と呼ばれており、韓国では「チゲ」と呼ばれているそうだとか。


「チゲ」とは、朝鮮半島の言葉で「鍋料理」という意味。 日本では一般的に「チゲ鍋」と表現をすることがあります。 しかし、鍋という言葉が重複しているので、厳密にいうと「チゲ」と呼ぶのが正解だとか。




町田の韓国料理屋一楽さんで堪能した韓国料理の伝統料理、7品。まさに韓国料理と言ったらこれ!という有名な品ばかりでやっと、自分は韓国料理を自分のモノにできた~~~と思いました。


もちろん韓国料理と言えば、韓国焼肉。これは最大の王道でしょう!ここ一楽さんでは、黒毛和牛の牛肉を使って焼肉も堪能できるようにメニューに用意されていました。韓国焼肉、ぜひ食べたかったけど、これだけで腹いっぱいだし、予算も大変だしね、黒毛和牛だと。。。


やっぱり韓国料理、韓国家庭料理、美味しいですよね。


7品食べて改めて感じたことは、韓国家庭料理はやはりすごい濃いというか、濃厚な味付けだな~と思ったことです。甘かったり、辛かったり。とにかく味が濃い。味がすごい濃厚です。


韓国のあのエネルギッシュな国民性が好む味、ということに起因しているのかもしれませんね。


町田にはなぜか韓国家庭料理のお店が多い謎。これからちょっと韓国家庭料理に嵌ってみようと思ってます。(笑)








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龍神様 [雑感]

横浜のおらが街(いまでは旧おらが街になってしまったが。)には30年住んできた。上京して30年も同じ街に住むのは東京暮らしの中でも最長ロングランの記録だ。残された余生の長さを考えると、これからも破られることはないだろう。


そのおらが街にあったイトーヨーカドーが店じまいするという。


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イトーヨーカドーは、その経営状況の悪化から全国から不採算の店舗は閉店していき事業縮小する方向のニュースが報道されたばかりだ。


ついにおらが街も来たか~という感じである。おらが街は温泉街として有名だった街で、温泉地として栄えてきた街である。その歴史と共にイトーヨーカドーもいっしょに歩んできたのだ。


自分がこの街に引っ越してきた30年前には、すでにイトーヨーカドーは存在していた。いろいろお店の出入りが激しい街だが、イトーヨーカドーはその絶対的な王者として君臨してきた。


何を隠そうこの街のイトーヨーカドーは、自分は特別の思い入れがある。もちろんよく買い物をしていた贔屓の場所だったということもあるけど、とくに想い出があるのが、3年間の休職のときに、3年間実家で静養した後、いよいよ復職というときに、その助走期間として東京でもとのようにちゃんと1人暮らしができるかどうかトライアルが必要だろう、ということで、自分のマンションでオヤジ監視の中で、ちゃんと1人暮らしができるかどうか、の試験をおこなったのだ。


休職期間中に実家でおフクロに習った料理、そしてオヤジと一緒に通った男の料理教室で習ったレパートリー。これをいよいよ自分で実践する機会だ。イトーヨーカドーで食器類、ナベ、フライパンなど調理一連を買い込み、そして毎日イトーヨーカドーに3食分の食材を買い込みに行く。この短期間に同居しているオヤジの分と2人分だ。


朝食、昼食、夕食の3食分のメニュー、献立を考えるのは大変だ。ある程度のレパートリーの数が必要だ。それをサイクルして回してく感じだ。肉じゃが、五目煮込み、焼き魚、野菜のポトフ、さんまご飯、白菜鍋(ミルフィーユ鍋)、焼きナス、麻婆豆腐、そしてお漬物(オヤジが必ずつけろと煩い。。笑笑)。。まだまだたくさんあったが忘れてしまった。


母親はもちろん、家庭の奥さんって大変だな、と思ったものだ。3食作っているかどうか別として、毎日違う献立を考えてバリエーションを持たせて旦那さんを飽きさせないようにして、回していくのは大変だ。奥さんの気持ちがよくわかった。さらに仕事を持っている奥さんは兼務だから大変だろう。


オヤジに食べてもらうために(もちろん自分も食べる)料理を作る。人に自分の料理を食べてもらう。そういう作業をした人生で最初でおそらく最後の経験だった。


そのためにイトーヨーカドーの地下の食材売り場は毎日その食材買い込みに毎日通ったところなのだ。


そして数週間、1か月間だろうか、オヤジと同居して、オヤジの合格をもらって、オヤジは北海道に帰って行った。自分は東京で昔の通りに1人暮らしができるというお墨付きをもらって、会社も承諾して、自分の復職が決まった。


イトーヨーカドーの地下の食材売り場は忘れられないよ~。毎年の年末年始の大晦日、正月のお寿司、年越しそば、お節料理の買い込みなんかもこのイトーヨーカドーで毎年調達していた。


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自分は体格が大きいので、下着や靴下がふつうのサイズより大きいサイズが必要なのだが、ここのイトーヨーカドーにはちゃんと置いてあるんだよね。重宝していました。


まさに30年間この街に過ごしてきた自分の生活に密着した大事な調達スポットだったのだ、イトーヨーカドーは。


そのイトーヨーカドーがついに閉店するという。

自分にとってひとつの時代が終わったな~という感じである。


イトーヨーカドーは、温泉街として栄えてきたこの街の成長、移り変わりをずっと眺めてきた生き証人的な存在であった。


それだけこの街でイトーヨーカドーってすごい大きな存在だった、自分にとって。趣味の世界とは違う自分の素の姿、本来の生活をするために必要なスポットだった。


なんか終わったな~という感じである。ほんとうに今年という年は、自分にとってなんでも終わってしまう、いろいろなお別れがある年だ。いままでの自分と決別することを求められている年のようだ。




そして代わりに新しくオープンする施設がある。それがグランクレールという施設だ。去年2023年11月からオープン。いわゆる高級シニア住宅といおうか。老人ホームとか、介護施設というと、ちょっと暗い陰鬱なイメージで、年寄りの墓場みたいなイメージを持ってしまうが、そういうのとは正反対のオシャレで明るいイメージだ。


東急不動産による高齢者住宅。

”街全体が共用部”というコンセプトをもとに、首都圏初の駅直結のアクティブシニア向け住宅。いわゆる住宅型有料老人ホームという感じだろうか。そんな不動産ビジネスがおらが街で始まった。


オレが定年、還暦となったその年に示し合わせたかのようにおらが街でオープン。(笑)


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とにかくすごい。お洒落でモダンでちょっとした高級マンションだ。

老後をこんな素敵な居住空間で過ごせるなら最高だな、と思ってしまった。


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グランクレールとは。


人生を愉しみ、自分らしく過ごしたい、そんな方々に向けたシニアのための住まいである。ゆとりの居住空間や充実した施設、お住いの方々をサポートする各種サービスを備え、東急不動産ホールディングスグループのノウハウとグループ力が結集した住宅なのである。


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ポイント骨子は


・食事へのこだわり


ダイニング、いわゆる食堂があるんだな。食事つきである。社員食堂や寮のように食堂があって、食事がついているのだ。3食付き。それも調理法や食材にこだわり、美味しくいただける最高に素敵な料理だ。予約データに基づき健康管理に気を付けたメニューを要望することも可能なのだそうだ。


どう?この食事。これが普段のご飯、通常食です。


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こんな素敵な料理が毎日食べられるんですよ!

毎日、1人暮らしで食事をどうするか悩んでいる身で、UberEatsで吉野家の牛丼を食べている身からすると別世界ですね。(笑)



もちろん毎日の食事だけでなく、大切な友人やご家族と食事を楽しめるスペース、プライベートダイニングも用意されている。もちろんそれ専用の特別食だ。しかもダイニング、食堂が素敵すぎる!



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もちろんプライベートダイニングの使用も特別食も有料である。


・運動・交流


なんか運動やコミュニティも存在するみたいですよ。インストラクターや理学療法士とかがついているのかしら?毎日運動できるならいいですね。そういう共用施設があるんですね。


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そしてコミュニティもあるみたいです。このように室内楽のサロンコンサートも開催されるみたいです。(笑)


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ご入居者同士の交流の場としてコミュニティの創出、趣味の継続や新しい楽しみの発見の場としても重宝されているんだそうです。


素敵だと思いますが、基本1人が好きな自分としては、入居者同士の付き合いとか面倒くさいな、と思ってしまうので素晴らしいとは思いますが、自分に合うかどうか。。




・日々の生活サービス


●フロントサービス


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フロントサービスがあります。(笑)

もうこれはホテルと言っていいのではないでしょうか。

このグランクレールはフロントがいるのです。


郵便物や宅配物などのお取次ぎや、日常生活のご相談をお受けします。



●安心の24時間サポート体制


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24時間365日の有人管理体制になっております。24時間見守られているのです。緊急の際にはスタッフがすぐに駆け付けるサポート体制が整っています。


老人の1人暮らしにとっていちばん恐れているのは、孤独死ですね。それが心配だから、子供は老親を施設に入れますね。これは自分もなんか考えておかないといけないと思っているところなのですが、たとえばいまは在宅勤務で、朝始業と夕終業はチャットで挨拶しますので、それがないとなにかあったと会社で判断できますが、会社を退職した後は、なにかそういう毎日の生存確認、連絡確認の手段と作っておかないといけないな、と考えています。


でもここグランクレールでは24時間見守り体制なのです。


でも外出するときも、どこそこにいくとか、予定をフロントに伝える必要があるんでしょうね。ちゃんと帰宅しているかどうか。あるいは旅行のような長期不在も予定や連絡先を伝えておく必要ありますね。


24時間見守られている、というのは安心な分、面倒くさいというか窮屈と感じるところもありますね。


でもホテルに宿泊するとき、つねにフロントがいる、というのは安心なことではありますね。



●生活サポート



日常生活のご相談をスタッフがお受けします。また日勤の看護師が、ご入居の健康を見守ります。看護に関わる職員体制:週39時間換算で看護師1名(常勤1名、非常勤0名)



●清掃サービス



居室内の清掃を、ご要望に応じてお受けします。(有料)洗濯とかどうするんでしょうか。各部屋に洗濯機などの家具付きなのでしょうか。それとも共用部にコインランドリー、乾燥機のようなものがあるのでしょうか。トイレやバスルーム、キッチン、収納スペースは各個室にあります。



自分にとって居住空間はとても素敵だと思うが、オーディオができるくらいのボリュームがあるといいなと思います。モデルルームの写真を見れば、小振りなシステムであれば大丈夫かな、とは思います。


でも騒音の問題がありますね。ご老人の住んでいる環境は爆音や騒音には厳しいような気がします。



気になる費用というか、入居条件ですが、


入居初期費用は69万、月々19万だそうです。(笑)

入居条件年齢は65歳以上。


会社員の厚生年金でいえば、1人の老人は年金額15万くらいですからちょっと難しいかもですが、夫婦の年金額ですと23万ですからなんか費用内に収まるのではないでしょうか。初期費用は退職金から十分賄えますね。


これだけのサポート環境が整っていれば、そんなにお高いものではないかもしれません。老人ホームだとか介護施設の暗いイメージよりずっと斬新で明るい新しいイメージだと思います。


住宅型有料老人ホーム。


この住宅型というところが、ミソですね。

いままでの現役時代と違和感なく、いままで通りの住宅に住んでいる感覚を保ちつつ、ダイニング、プライベートダイニングで素敵な食事つき。フロント(ホテルフロントのようにカッコいい!)がいて、スタッフが24時間常駐体制。24時間見守りサービス付き。それに加えて娯楽、運動、コミュニティがある。


新しい時代の高齢者シニア向け住宅ですね。


さすが、東急です!


自分の自宅ホームをこういう安心なところに置いて、コンサートのときに外出するというシニア用生活設計もいいかもしれません。


このグランクレールは、なにもおらが街だけではありません。都内で複数の街に同時に展開しているみたいです。未来志向の明るいイメージの老人の生活。これを目指しているのかもしれません。


こんな不動産サービスが、自分の定年、還暦と同時におらが街で始まりました。(笑)オレに入居しろ、と言っているのでしょうか・・・自分の年齢に合わせて計画されていた不動産サービスだったのでしょうか・・・



しかし、この2024年という辰年。ほんとうに大変な年になりそうです。

芸術分野の著名人の立て続けの訃報。そして自分の定年、母親が亡くなったこと、実家の処分、もうこれだけ最大の試練は初めての経験です。自分がいままで築き上げてきたものがすべて崩れ去り、自分と繋がっていたものがすべて去っていき、新しい出会いが待っている、新しい人生が始まる。。。そういう意味合いの年のようです。


龍神様ってほんとうに恐ろしいですね。


十二支の中で唯一、空想の生き物である龍(辰)は、天に昇る様子から、中国では古来より成功や発展の象徴として、縁起がよいとされています。


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龍神様は地球を守ってくれる存在。天地を自由に動き回って「流れ」を起こし、気象や海流の流れを司っている神様だといわれています、古来より中国から伝来し、日本でも龍神様を信仰するようになりました。龍は架空の生き物で、中国では権力の象徴とされています。



龍神様に好かれる人は「へこたれない」人。もちろん、ときには自己卑下をしたり、罪悪感に苦しんだりち、自分で自分を痛めつけるのが人間というもの、龍神様はそうした人間の性(さが)を理解したうえで、打たれても転んでも自ら起き上がり、復活する人を好むのです。


自分の人生は、自分自身大いに人生を楽しんできた自負があるけど、反面苦労も多く試練も多かった(とくに病気関連)。そこから這い上がってきたという感覚も多いので、龍神様に好かれている、と思いたいです。


龍神様がついている人の特徴は、


(1)決断力が高まる。

(2)雨女や雨男になる。

(3)目力が強くなる。

(4)数字の8に縁がある。

(5)熱っぽくなる。

(6)行動力が増す。


・・・だそうです。


まさに今年2024年辰年は、イトーヨーカドーをはじめとする自分のいままでの縁、世界を全部ぶち壊し、新たな人生、新しい世界へと自分を誘ってくれている、そういう破壊の年。龍神様の力はすざましい、と恐れをなしながら、きっと龍神様に見守られているのだ、と頑なに信じています。


自分は辰年生まれでほんとうに良かったと思っています。


龍ってやっぱりカッコいいですよね。












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ヤノフスキ&N響 定期公演 [国内クラシックコンサートレビュー]

よかった~~~。すっすごかった~~。(大滝汗)
                      
ヤノフスキ&N響の音が戻ってきた。この音、このサウンドを待ってました。
               
やっぱり前回はお疲れだったんですね。(笑)
トリスタンにあまりに完全燃焼し過ぎてガス抜きだったんですね。
                    
ていうか、ワーグナーにガラは合いませんよね。(笑)
余計消化不良でストレスになるだけだと思います。
              
このコンビは、やはりこういう音を出してもらわないといけない。
聴衆もそれを期待していると思います。
                         
じつにひさしぶりのNHKホール。ここはステージの音が客席に飛んでこないことで有名なのですけど、2階席でしたが、全然そんなに気にならず。十分楽しめました。すごい迫力でした。
                          
ヤノフスキが指揮をするN響はドイツのオーケストラの音がします。まるでドイツの楽団のようです。厳格で男らしい。無駄を排除した淡調感とは無縁のきっちりと骨格感のある音。
                                   
ヤノフスキはもともとドイツ音楽を専門として指揮者として極めてきたところがあるので、その遺伝子をN響にインプリして後世に伝えようとしている感じがします。
                                    
オーケストラは、ほんとうに指揮者によって出てくる音が全然違ってくる。いつも自分が思うのは、オーケストラの団員さんってすごい大変なんじゃないかということ。首席指揮者はもちろん、客演指揮者など、海外からたくさんの指揮者を招聘してくる。とくにN響のような資金力の安定している楽団は、その招聘力は凄いものがある。
                    
そのたくさんの指揮者1人1人に、自分たちのサウンド作りを委ねるのだ。
                              
リハーサル。
                             
その指揮者、指揮者で、いろいろなアプローチ、音作りがあって、それを叩き込まれて、その指揮者の数だけ、自分をカメレオンのように変幻自在に変化させていかないといけない。自分のような不器用な人はついていけませんね。
                                 
そのオーケストラをはじめて振る指揮者の場合、”ファーストコンタクト”と言って最初の30分だったかな(時間はよく覚えていない。)、この30分の間のリハーサルでの指揮者とオーケストラのやりとり、相性で、その後のすべてが決まってしまうのだそうだ。最初の30分間で両者間でしっくりいかない場合は、結局最後までその指揮者とオーケストラはうまくいかない。逆にすんなりうまく溶け合えば、その後がミステリーなサウンドを作り出すことができる。オーケストラの団員たちにとって、演奏していて自分を天国の境地に連れてってくれるような指揮者が最高なのだ。逆にこりゃあかん、と見限った場合、もうその指揮者の言うことは、そのまま右耳から左耳へスルーしながら、いっさい構わず自分たちで勝手にサウンドを作ってしまう。
                      
そんな感じなんだろう。
                                         
指揮者ってつらい稼業だ。あの指揮台に立って、大勢のオーケストラと面と向かって対話しながら、外国オーケストラであれば英語かドイツ語で説得していかないといけない。オケのみんなは受動態だから、指揮者ってツラいと思うな。孤独な職業だ。
                             
この最初の30分のファーストコンタクトですべてが決まってしまうのだ。
                                     
このファーストコンタクトは、自分は佐渡裕さんが初のベルリンフィルに客演ということで、NHKが連携取材してドキュメンタリーにした番組を見て知った。
                                 
佐渡さん、ドイツ語堪能なんですね。自分がずっと憧れていたベルリンフィルをはじめて振ることができる。ドイツ語で丁寧に一生懸命説明する佐渡さん。そのファーストコンタクトでじりじりと焦りが・・・
                                    
結局ベルリンフィルの団員たちからコンマスの樫本大進氏を通して、結局どういう音が欲しいのか、ダイレクトに端的に言って欲しい。そうすれば、その望み通りの音を作り出して提供する。
                                       
そんなことを言われてしまう佐渡さん。あわわ・・・ベルリンフィル怖ぇえ~。(笑)
                                      
佐渡さんを客演として招聘しようという動きはベルリンフィル内部のメンバーが発起人として動いたことだそうなので、やはり佐渡さんにはうまく行って欲しい、という願いからなのだろう。
                                    
指揮者とオーケストラの関係は、我々が想像している以上に難しい神経の磨り減る関係なのだ。もうお互い長年のパートナーでよく知っている間柄だとすごくやりやすいでしょうね。日本のオーケストラはみんなそういう良い関係が多いような気がします。
                                  
逆にN響のような海外からの招聘の客演指揮者が多い場合、オケの団員たちは大変である。良好な関係を築けるかどうか、ファーストコンタクトがうまく行くかどうか。。。
                                  
ほんとうにその指揮者によってどんな音を作りたいか、全然違うし、その作法も全然違う。その都度、その指揮者に自分たちを合わせる作業というのは大変ではないか、と思うのだ。とくに招聘指揮者の数が多い場合は。
                          
ヤノフスキのリハーサルは非常に厳しいそうだ。
かなり厳しいという話を聞いている。
                             
オケがうまくできないときは、事務所に怒鳴り込んでくる剣幕らしい。
                               
いっさいの妥協がない巨匠なのだ。
                              
自分がヤノフスキの指揮でなにがいちばん素晴らしいかというと、オーケストラから大きな大音量を出し尽くせる指揮者だということだ。これだけオーケストラを鳴らせる、これだけオーケストラから大音量を引き出せる、その手腕というのはなかなかそうはいないと思う。
                                    
指揮者にはほんとうにいろいろなタイプがいて、音楽の解釈に拘る、その解釈の仕方に自分の意見を反映させる、曲の最初から最後に至るまでの抑揚のつけ方、ドラマをいかに造るかに拘る人、その音楽の作り方、もういろいろである。
                                   
でもオケから大音量を引き出せる、オケを鳴らせる、ハードボイルドである、という基本は、なかなかできてない難しいところではないか。
                                     
もちろんヤノフスキの場合、ワーグナーを中心にドイツ音楽主体でやってきた人なので、もともと畑が違う人からすると違和感でしかないかもしれないが、自分は、ヤノフスキのそこが大好きである。
                                  
自分は聴いていて、オケをガンガンに鳴らして、自分を陶酔させてくれる指揮者が好きだ。終わった後もその余韻が続き、興奮が冷めやらない、そんなトリップさせてくれる男らしい指揮をする指揮者が好きだ。
                                       
指揮者によっては、カラフルな色彩感を強調したく、抑揚を大きく、全体をこう膨らませるような音作りをする人も多い。ヤノフスキはその反対で、非常に引き締まった音作りをする人で、全体がビシッとこう締まった感じで、どちらかというと機能的でシンフォニック的な音作りだ。そしてとにかくテンポが早い。すごい高速な人で、もうサクサク進んでいくという感じである。
                                         
もっと叙情的に歌い上げるようにやってほしい、という声もあるが、自分はヤノフスキのワーグナーを聴いている限り、もう十分すぎるくらいドラマティックで陶酔感があると思うし、かなり酔える。それでいて高速でハードボイルドで引き締まったサウンドである。
                                         
もうヤノフスキのワーグナーに身を沁みつかせてしまうと、昔のワーグナー録音や演奏には戻れないような気がする。古臭く感じてしまい、とても聴いていられないような気がする。
                                       
東京・春・音楽祭、そしてN響定期と長年のヤノフスキとN響との共創作業で強固なパートナーシップと信頼関係に結びついている両者。
                                          
すっかりヤノフスキの音造りのノウハウを叩き込まれているN響。
                                   
その鉄壁のコンビで繰り広げられた今日の公演は圧巻だった。
                                    
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シューベルト 交響曲第4番「悲劇的」とブラームス交響曲第1番。
                            
シューベルトの4番は、軽やかさと重厚さが相まみえた不思議な曲調で、でもそこにヤノフスキらしい厚い重厚なサウンドに光るものがあって絶品だった。この曲は、あまり自分は経験の記憶にないのだが、なかなか素晴らしい曲だと感じた。
                                   
そうしてなによりも本命は後半のブラ1だろう。まさにドイツ音楽そのものというカラーのブラ1。自分は昔、2011年頃のベルリンフィルのヨーロッパコンサートで、バレンボイムが指揮したブラ1が名演で忘れられない。ヨーロッパコンサートなので、イギリスの教会のようなところでの特別演奏会なのだが、なかなか理想に近い演奏だった。
                                        
ブラ1というと、自分の頭の中にはその演奏のイメージが強くこびり付いているので、最初にヤノフスキのブラ1を聴いた瞬間、速すぎるよ~。(笑)あまりにサクサク進むので、速過ぎると思ってしまった。ブラ1の冒頭は、あの歌い上げるような腰のある、というか、そういう演歌のこぶしのような粘りが必要だと思うのだが、ヤノフスキのブラ1は、かなり機能的でサクサク感満載で、あっけない感じでどんどん進んでいく。
                     
でも第2楽章、第3楽章では美しく歌わせるところは、美しく歌わせ、充分に緩急を示していた。決して一本調子ではない。やはり最終楽章が見せ場、最高のクライマックスであろう。
                       
あれだけ速かったテンポを若干緩め、重厚感たっぷりに鳴らすその音のさまは、まさに圧巻そのものであった。この第4楽章を聴いただけでも、ヤノフスキは速いだけではない、充分歌わせるだけの緩急はあると確信できる。
                  
まさに酔えたブラ1であった。
                               
自分はブラームスの交響曲第1番は、ブラームスがその着想に20年かけたというだけあって、曲の構造や音階の進行がかなり大仰な感じで、ちょっと大げさだよな~という印象を昔からずっと持っていた。もっとさりげない軽さというのがあったほうがいいと思っていた。とにかくブラ1は大仰なのだ。
                                   
でもこの日の最終楽章を、このヤノフスキ&N響の重厚なサウンドで聴けて、やはりこれくらいじゃないと大作とは言えないなと思い直したところである。
                  
シューベルトとブラームス両方において、首席オーボエ奏者の吉村さんが大活躍だった。ソロパートが多く、すごい目立っていて素晴らしい大活躍だと思いました。ブラボー!
                      
                                  
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(c) NHK交響楽団 NHKSO Facebook
                              
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2024年4月 N響定期公演
2024年4月14日(日) 14:00~
NHKホール
                        
指揮:マレク・ヤノフスキ
                 
妥協なき巨匠と拓くブラームス<<第1番>>の新たな世界
NHKホール<Aプログラム>
                     
シューベルト 交響曲第4番 ハ短調 D.417「悲劇的」
                            
ブラームス 交響曲第1番 ハ短調 作品68
                   
                     
                   
                                   
                    
                             

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川本嘉子 ブラームス室内楽 11年間ありがとう! [国内クラシックコンサートレビュー]

ついにこのときが来た、という感じである。なにごとにも終わりがある。東京・春・音楽祭の看板公演だったブラームス室内楽が、11年目の今年をもって終了である。

                                        

ほんとうにご苦労様、そしてブラームスの室内楽のことをいろいろ教えてくれてほんとうにありがとう!である。ひとつのテーマについて掘り下げていき、それを11年間も続ける、ということはなかなかないのではないか。

                     

自分もずっと最初の頃から聴いてきて、ブラームスの室内楽とは、ということでほんとうに勉強させてもらった。ブラームスの室内楽に対して、広く大きな外枠のイメージを抱くことを可能にさせてくれた。心から感謝いたします。そしてその労を心から労いたいと思います。

                          

その最終公演となった今日。凄かった~~~。(笑)とくに音!こんなにすごい音。。。やっぱり生演奏はスゴすぎる。音量が桁違いだ。この音量感はなかなか実演でないと無理だろう。そして弦の厚み、ハーモニー感、和声感のある重厚な響き、そしてもう毎度おなじみの圧倒的なD-Range。すべてにおいて桁違いのスケールだった。

                

弦楽四重奏だった訳だが、各々の4人が輝いていた。

ひとりひとりがスター的な存在で、とくに若手2人が素晴らしかった!

                         

この11年間を振り返ってみて思うのだが、川本嘉子さんはNHK大河ドラマの主役だったのではないか。

                      

NHK大河ドラマは1年間の長丁場である。その長丁場を視聴者に飽きさせずに乗り越えていくには、ある意味、ドラマ自体が群像劇的な要素を持ったほうがいいのではないか。

                                

その時期、その期間で、魅力的なキャラクターが光るサブの主役たちが登場して、話題をさらい番組を盛り上げる。そういうサブの主役がたくさん登場すればするほど結果として番組は盛り上がり、1年間という長丁場では成功するのではないか。

                 

オレが、オレが、という主役主導型だと1年間持たせるのは大変だろう?

              

そういう群像劇的スタイルのキャラクターの立たせ方が肝を握っていると思う。

                          

もちろん主役としてつねに中心軸をしっかり掴んだまま、そのときのサブの主役たちを縁の下の力持ちのように下から支えて暖かく見守る。そういうサブの主役たちがたくさん登場して、活躍すればするほど、結果としてそのドラマは大成功する。主役にはそういう大人の器量というのが必要なのではないか。

                           

そして終盤になって行くにつれて、どんどんドラマを締め上げていき、最後はきちんと主役として圧倒的な存在感を示して終了する。それが長丁場の主役の在り方なのではないか。

                

なんか、東京春祭のブラームス室内楽を11年間に渡って見てきて思うのは、そんな主役の在り方が川本嘉子さんの立ち位置だったような感じがする。

                               

11年間の間、昔は同じ釜の飯のサイトウキネン、水戸室などの小澤ブランドの仲間で占めることが多かったが、後半の近年はもう積極的に若手を登用し、いかに若手が話題をさらっていくか、そんな暖かく見守るそんな主役の立ち位置だったように思う。

                          

これって簡単に言うけど、結構大変なのではないでしょうか・・・。

11年間に渡り、毎年つねに新しいメンバーを立たせながら、自分はホストとしてずっとシリーズを支えていく、というのは大変な重責だったと思います。

                

ほんとうにご苦労様としかいいようがない。

なかなか誰にでもできることではないと思います。

                          

自分にとって、ブラームス室内楽は、N響ワーグナーと並ぶ東京・春・音楽祭の看板公演だった。東京春祭では、かならずこの2公演は必須である。それに興味のある公演が出てこれば、それをアドオンしていく。そんな手法である。

                          

ブラームス室内楽の存在を知ったのは、2015年の頃かな?ミューザ川崎のホール空間を設計なされたACTの小林洋子さんの自由が丘事務所でおこなっている室内楽に参加したときである。川本嘉子さんと三舩優子さんのデュオでヴィオラリサイタルだった。ブラームスのヴァイオリン・ソナタをヴィオラ版にした譜があって、それを演奏されていた。

                      

それに大層感動して、そして東京春祭でブラームス室内楽をやってます、という紹介で知った。ブラームス室内楽は2014年からだから、ちょうど2年目からずっと聴いてきたのである。(途中チョンボでスッポかしたこともありますが。。笑笑)

                       

その自由が丘事務所で川本さんとツーショットの写真も撮りましたよ。(笑)10年以上前だから、いま見返してみるとお互い若い!(笑)自分はとてもシャイな性格なので、アーティストとツーショットの写真を撮ることはまずない。というかお願いできない。

                   

いままでツーショットの写真があるのは、川本嘉子さんと小澤征爾さんだけである。

                            

自分のクラシックの鑑賞歴においても、たとえば、ブラームスの室内楽だったら、それを11年間も聴き続けるという経験はなかった。自分にとっても初めての経験であった。

                 

長いようであっという間で短かったように思う。

                          

ヴィオラは、オーケストラの中では内声の役割で、縁の下の力持ちだ。

ところがヴィオラ奏者がソリストとしての立場になることが多くなった。

                   

日本クラシック界のヴィオラ奏者のレジェンドである今井信子さんの功績も大きい。

                             

ヴィオラの地位を上げたのが、まさに今井信子さんだ。欧米でソロ奏者、指導者として尊敬される存在で、小澤征爾さんらマエストロたちからの信頼もあつい。

                

まさに日本のクラシック界にとってヴィオラのレジェンドである。

                         

自分の世代だとタベア・ツィンマーマンが好きだったな~。自分はファンでした。大好きなヴィオリストでした。myrios classicから出る彼女のSACDは自分の愛聴盤でした。彼女もヴィオラという楽器を内声的役割ではなく主旋律として使って、ヴァイオリンの曲を、どんどんヴィオラで演奏するというようなチャレンジをしていった奏者で革命的だったと思う。

                         

ソリスト用のヴィオラ専用の曲というのは、当初はなかなかなかったが、タベア・ツィンマーマンのようないわゆるヴィオラ版という形で編曲して演奏するというアプローチが多かったように思う。

                 

今上天皇さまも学習院大在籍のときオケでヴィオラを弾いていらっしゃったのですよ!

                             

ヴィオラは何といってもその暖かい音色、人を恍惚とさせる周波数帯域のその音色がなんといっても魅力的だ。まさに懐の深い倍音である。

                      

この心地よさ、気持ちよさはチェロの音色にも通じるところがありますね。

                                                 

そんなヴィオラという楽器で、いまやソリスト級としての扱い、ヴィオラをひとつの独立した存在の楽器として扱う演奏家、まさにいまの時代のヴィオラの顔なのが、川本嘉子さんだ。

                                               

川本嘉子さんというと、自分にはずっと謎がある。それは音楽家仲間や裏方さんは、みんな彼女のことを、”いねこ”さん、”イネコ”さんと呼ぶことだ。

                                            

どうして「いねこ」さんなのか。

まったく想像つかない。

                                            

なんか、東京都下で女子高なのに、なぜか男子生徒までいるという奇抜な学校(笑)で、ヴァイオリンを習っていたときのこと。なんの拍子か、先生だか友人だかが、「嘉子」を「いねこ」と読む、と信じ込んだんだな。その方たちは嘉子さんのことを、それからというものの「いねこ、いねこ」と呼び続け、一向に直してくれようとはしなかった。そしていつのまにか、まわりの友人も学友もそれを面白がり、「いねこ~」やら「いねちゃん」と呼ぼれるようになったそうだ。

                                                   

この神話のルーツはたぶんそういうことらしい。

長年の謎がいまようやく解けた。

                               

                                           

川本さんのインタビューでこんなことを言っていて、自分はなかなか興味深く拝読した。

                                                         

・・・・・・・・

                                      

                        

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「私がバイオリンからビオラに転向した二十数年前、親は悲しくて泣いていた」。

                                      

ヴィオラの場合、ベートーヴェンの作品でも、しばらくは音にどんな意味があるのかわからなかったです。というのも、指揮者もメロディを弾くヴァイオリンなどにはきちんと指示をするのですが、ヴィオラをどうするかを考えていない人が多いからです。私は周りの息遣いや動作に合わせて引いていました。最近はヴィオラの内声としての意味が考えられるようになり、指揮者も上手く操作してくれる人が多いです。またオケのヴィオラ奏者も個性が多様化したように思います。

                           

ヴィオラ奏者はヴィルトゥオーゾというよりは音色のよさが求められます。私は前に出るのが苦手なので、ヴィオラの転向によって前に押し出されるのを回避できました。両親は始め理解を示しませんでしたが、ここまでくると転向してここまでやってきたことがえらいという風に変わってきました。わたしとしては楽しみながらやってきました。

                          

ロシア生まれの世界的ヴィオラ奏者、ユーリ・バシュメットが日本でリサイタルをした記事があり、ヴィオラでもソリストとして生きていけることを知り、衝撃を受けました。ベートーヴェンがそれまでの作曲家と違い、パトロンの庇護を受けずにフリーランスの音楽家として成功したのと同じくらいのイノベーションを感じ、興奮したことを覚えています。

                

プリムローズという天才の活躍後は、バシュメット、カシュカシアン、今井信子さんたちが世界を駆け巡り活躍していたので、ヴィオラの可能性はITで起業に挑むような心持ちでした。

                     

                 

・・・・・・・・

               

今日の公演の弦楽四重奏第3番の第2楽章だったかな?

                             

いままでヴァイオリンが主旋律で、ヴィオラが内声という役割が反転して、ヴィオラが主旋律を担い、ヴァイオリンが内声というスタイルでヴィオラが朗々とメロディを歌うというところがあって、これがめちゃくちゃカッコよかった!川本さん、最高にカッコいいと思いました。

                  

そんな世間が言うほど、ヴィオラは地味だとは思いませんけどね。

                 

11年目でついに最終章となったブラームス室内楽。

最後は弦楽四重奏だった。

               

                            

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ヴァイオリンに周防亮介、小川響子といういま最高に注目の若手を起用し、チェロ:向山佳絵子という長年の親友パートナー。

                

               

周防亮介、小川響子というホットな2人は最高に楽しみだった。

もうこういう機会でないと自分の場合、なかなか聴くチャンスがない。

                                   

小川響子は、先日のシューマン室内楽マラソンコンサートで堪能した。葵トリオ、そしてデュオと鑑賞したが、すごく目立っていてレベルが高くいい奏者だな~という印象だった。

               

自分が驚いたのは、弦楽四重奏第2番の第3楽章だったかな?自分の座席からはこのとき1stだった小川の姿を直視する感じなので、一心不乱に観ていた。とにかくすごい熱演で、激しいボーイングに、演奏に興を高じて、椅子から体を浮かすアクションを何度もするくらいの激しい演奏で、それも4人全員が同じテンションの激しさ。

                  

これは痺れました~~~。

                     

小川響子すごいよ~。オガキョ、凄い!

                           

彼女はほんとうにすごいヴァイオリニストだということが、この時点でしっかり自分の頭の中に刻み込まれました。やっぱり印象は最初が肝心。彼女に対しては、このイメージをずっと持ち続けることになるでしょう。

               

日本のクラシック界の未来は明るい。

                  

ヴァイオリンは、1stと2ndは、周防亮介、小川響子が交代で務めた。

                       

自分が最高に楽しみだったのが、周防亮介。ご活躍はずっと存じ上げていましたが、いつかは実演に接してみたい、とずっと思っていたので、念願かなって最高にうれしかったです。

                   

見た目、中性的で性別不詳なのですが(名前からすると男性なのかもですが、よくわからないです。)、それがかえって、ミステリアスな感じがして自分は昔から気になっていた存在でした。

                           

非常にスマートで、端正な奏法で、なんか外見のエレガントな感じとよく合っていて、カッコいいな、と思いました。男である自分から見ても、なんかちょっとカッコいい、惚れてしまう、そういう魅力があります。なんか魔訶不思議な魅力ですよね。

                            

一度、ヴァイオリンソナタでじっくり演奏を聴いてみたい感じがします。

すごい気になっていたヴァイオリン奏者だったのでした。(笑)

                                 

川本嘉子ブラームス室内楽のチェロと言ったら、もう向山佳絵子さんしか思いつかないですね。若手じゃ無理です。(笑)まさに川本さんの親友パートナーで、ずっとこのシリーズでチェロ、そして川本さんの相棒として重責を果たしてきました。まさにこのシリーズの顔と言っていいのではないでしょうか?

                          

自分の記憶ではレギュラー出演だったような気がします。チェロで若手というのは、曲に応じてそういうこともあったかもですが、基本は、毎年のレギュラー出演だったと思います。まさにこのシリーズでなくてはならない存在だったと思います。

                  

今回の座席は、向山さんのチェロの音色が飛んでくる方向に座っていたので、いつもより低弦のゾリゾリ感が凄く迫力がありました。

                             

演目は、ブラームスの弦楽四重奏の第1番、第2番、第3番。

まさにこれぞブラームスという重厚な旋律で、ホールの響きも素晴らしく、生演奏ならではの迫力サウンドだったので、もう圧倒されました。

                    

11年間、毎年名演で、優劣つけれませんが、優秀の美ということで、この最後の公演をベストとして推挙しても許されるのではないでしょうか。

                                 

誰も文句は言わないと思います。

               

それだけ素晴らしい公演でした。

                    

来年から東京春祭でブラームス室内楽を聴けないと思うと、なんかさみしいな~とは思います。

              

この11年間の歴史、歩みは、川本嘉子さんの演奏家人生の中で、揺るぎない金字塔、キャリアとして永遠に語り継がれていくことでしょう。そしてもちろん、これだけのチャンスを与えてくれた春祭実行委員長の鈴木会長には、まさに感謝しかありませんね。

                     

                                 

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(c)東京・春・音楽祭 Facebook


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東京・春・音楽祭2024  ブラームスの室内楽 XI

                      

2024年4月13日 [土] 18:00開演

東京文化会館 小ホール

                  

ヴァイオリン:周防亮介、小川響子

ヴィオラ:川本嘉子

チェロ:向山佳絵子

                  

ブラームス:

弦楽四重奏曲 第1番 ハ短調 op.51-1 

弦楽四重奏曲 第2番 イ短調 op.51-2 

弦楽四重奏曲 第3番 変ロ長調 op.67

               

                      

                    

                         

                                    




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東京春祭ワーグナー 「ニーベルングの指環」ガラコンサート [国内クラシックコンサートレビュー]

オペラアリアコンサートというのは、オペラの見どころ、聴きどころであるアリアを中心に編成するプログラム。CDやコンサートの両方でよく使われる手法だ。


オペラは全曲、完結編を観るとすごい長いので、そのいちばん美味しいところのアリアだけを抜粋して楽しみましょう、というコンセプト。


自分はいままで、このオペラアリアコンサートをすごい愛用してきた。たとえばベルカントオペラを親しみたいと思ったら、グルベローヴァさまのCDでオペラアリア集のCDを聴く。ほんとうに素敵なアリアだけで編集されているので、いわゆるベストアルバムみたいなもので、飽きないし、楽しい。そしてイタリア、ベルカントオペラの演目を網羅して、ベルカントオペラなるもの、その全体を俯瞰できるメリットもある。1から全曲、オペラ完結編を観るより、ずっと効率的で楽な手法である。コンサートについてもしかり。オペラアリアコンサートというのはよく使われる手法である。自分なんかオペラを観るよりも、このオペラアリアコンサートのほうが好きかもしれない。


先日のトリスタンとイゾルデで、まさに世紀の大名演を演じてくれたヤノフスキ&N響。

今回は、ワーグナーの最大の大作「ニーベルングの指環」のガラコンサートである。

いわゆるリングのオペラアリアコンサートである。


これは当然もうすごい期待するに決まっているじゃないですか!

リングのオペラアリアですよ!

トリスタンのときと同じあの感動、震えがもう一回味わえる。

あの熱量をもう一度。そう考えるのがあたりまえじゃないですか。


自分はもちろんトリスタンと同レベルの感動を求めて会場に行きました。


結果としては、もちろん素晴らしいコンサートで感動もしたし、いわゆるガラコンサート、”祝祭”という観点からその役割は十分果たしたと思います。


素晴らしかったです。ブラボー!

詳細な公演レポは後述。


じつは、正直なところを申しますと、自分はこのリングのガラコンサート。いろいろ思うところが多かった。まず聴いていた瞬間、トリスタンのときのような熱い感動は得られなかった。そしてヤノフスキ&N響もトリスタンのときのようなキレッキレの演奏とはかなり程遠く、かなり散漫で緩い演奏だったように思う。オーケストラが引き締まってなかった。筋肉質の引き締まったサウンドが真骨頂のヤノフスキ、おそらくN響をリハーサルのときから締めに締めあげて徹底的に追い込んで作っていくヤノフスキサウンド。その片鱗が見られなかった。かなり緩い演奏だったように思われた。


トリスタンがあれだけキレッキレだったので、さすがのヤノフスキ&N響もお疲れだったのかしら?(笑)人間なんだから、そんなに連日連夜、緊張を持続させるのは難しいですよね。波があって当然です。こういうときもあるさ。。。自分は聴いた直後はそのように思っていた。


でも、そうじゃないんだよね。なんか自分の中でしっくりくるものがない。頭がこれだっ!という感じでロックしない。なんかモヤモヤしている。真理をついていないからだ。


そうして終演後6時間後経ってからかな。ずっともやもやを続けながら考え続けて、昨晩の23時頃。自分はようやくたぶんこういうことなんじゃないかな、という真実に辿り着いたような気がする。


その真実とは・・・


ワーグナー音楽は、ガラコンサート(オペラアリア)とは合わないのではないか?


ということである。


昨日、自分がいちばん違和感を感じたのは、短すぎる、あっという間すぎる、ということである。1アリアにつき、もう20分くらいで終わってしまい、そしてその都度拍手である。


自分はこの拍手が、すごく精神を集中させているときに邪魔になるもの、阻害するものだと、このときほど感じたことはなかった。ふつうのワーグナーオペラのように、1時間から2時間くらい1幕をびっちりやって、聴衆はずっと沈黙を守り続け、そしてそれから拍手ならわかるのだけど、20分間隔で拍手はもうその都度、ブツブツと切れる感じなので、緊張が続かず、散漫な印象を受ける。


やはりワーグナーは、長くないとダメなんじゃないか。


なぜワーグナー音楽は陶酔するのか?酔えるのか?


それは旋律とか、ライトモチーフとか、いろいろな要因はあるけど、じつは長いから、というのも大きな要因のように思う。まさに長いオペラ、4時間から5時間かけてずっと聴いてきているからこそ、そういう想いがどんどん内部に蓄積されてきて、そういう想いがあるからこそ、最後のエンディングは、いままでずっと聴いてきた、そういう到達感というか、そういう想いが一気に胸に込み上げてきて、最後は万来の気持ちで感動する、いや感傷的になると言ってもいい。ワーグナーのオペラが長い、というのは、じつはそういう作用効果を生むポイントにもなっているのではないか。


そういう長い尺の中で、出てくる素敵なアリアも、そういう助走の部分があってこそ、そこのアリアの素晴らしさが際立つのであって、そのアリアだけを抜粋してポンと持ってきました、というだけでは、感動できないのではないか、ワーグナーの場合。


クラシック音楽というのは、交響曲なら1時間という枠組みの中の作品構成でそのシナリオ考えながら作曲されているので、その美味しいところの一部分だけを抜粋して持ってきても、感動具合からすると、減少してしまうのではないか。


完成体な枠組みの中で捉えないと、その感動具合はかなり減るのではないか。オペラアリアは確かに美しい素敵な箇所で、それだけでも魅力があるのだけど、じつは作品全体としてのフレームの中で捉えられる方がその本質の素晴らしさが損なわれないのではないか。クラシックはもともとそのように設計、作曲されているのではないか。


自分はいままであまりこのことを意識したことはほとんどなかった。いやまったく考えていなかった。こういうことを問題提起したこともなかった。


でも昨日のリングのガラコンサートを拝聴して、結局なにかどこか満たされない、欲求不満のようなストレスみたいなもの、そういうモヤモヤを感じていたのは、そこが原因なのではないか。


自分はトリスタン全曲演奏のときのような、昇天して逝ってしまう。あの突き抜けるような感動。。そういうものを期待していただけに、昨日のコンサートは、どこか消化不良のようなモヤモヤみたいな満たされないストレスがずっとつきまとった。


それは誰が悪い訳でもない。ヤノフスキ&N響が悪い訳でもない。


ワーグナーには、ガラというのが合わないんじゃないか?


ここに行きつくのかな、とようやく解脱した。


ワーグナーはやはり4時間~5時間の長編のドラマをずっと聴いてきて、そこにうねるような毒のある音楽性に身をゆだねながら、そこに陶酔していく、そういう長い前ぶりがあるからこそ、その見せ場のアリアで、その快楽は頂点に達する。


そういう仕掛け、前ぶり、助走が必要なのではないか。そういう全体のフレームの中で捉えないと酔えない、うまくその魅力を伝えるのが難しい音楽なのではないか、ワーグナー音楽というのは。


いくら美しいアリアでも、そこだけをポンと抜粋して持ってきて並べてみても、いっこうに酔えない、感動できないのは、ワーグナー音楽にはもともとそういう特徴、構成美があるからじゃないか。


このことは実際演奏しているN響にも大きな影響を与える。なにせ20分くらいで1アリアが終わってしまうので、団員たちはどこにピークを持っていけばいいのか、そういうストーリーが見えないので、なんかこうぐっと集中できない。わずか20分で、エンジンがかからなううちに終わってしまう。なんか昨日の演奏を聴いていると、ずっとそんな印象を受けた。オケが乗れない、というか、乗っていけないというような感じ。どこか消化不良なのである。


N響も前半よりも後半のほうが圧倒的に良かった。前半あまりに散漫で緩い演奏で、引き締まってないので、これがヤノフスキの音か、と自分は耳を疑ったし、座席が悪いのかな、とも思ったりした。後半になり、最後の神々の黄昏のブリュンヒルデの自己犠牲のところは、さすがであった。これだよ、これ!ようやくヤノフスキ&N響のサウンドが戻ってきた。


一糸乱れぬ調和のとれた弦の厚いハーモニーで、もうグイグイ攻めてくる。高速でハードボイルド。まさにあの鍛え抜かれた、ヤノフスキがN響に対して徹底して追い込みに追い込んで作り出していくサウンド。やっぱりN響は、ヤノフスキに鍛えられるようになって以来、その音がよりドイツの楽団の音がするようになったと思います。


それが復活してきた。


こうでなくっちゃ、である。

それを感じたのが、後半。とくにラストの大団円である。


4時間なら4時間、5時間なら5時間という長い尺の中で、その物語性を音楽絵巻物語のように表現しながら、そのところどころでピークに持っていく、そういうバイオリズムというか波があるものなんじゃないか。そういう波があるからこそ、そしてそれが長いからこそ余計その反動でピークは大感動するのではないか。それがワーグナー音楽なんじゃないか。


そのピークだけを抜粋して、並べてもなんか消化不良的なモヤモヤがあって感動できない。


ワーグナー音楽には、そういう罠があるんじゃないか。


ワーグナーは、ガラが合わないのではないか。


自分は、昨日ずっとモヤモヤとしながら考え続けて、ようやく到達した解脱ポイントはここであった。


こういうことっていままで考えたこともなかったです。まったく露にも考えたことがない。オペラアリアは美しくて、楽しい。その一点張りで、そういうもんだと思っていました。


また、先日ののだめクラシックコンサートの日記でも書いたように、結局若い世代の人が、なかなかクラシックに入れ込めないのは、長いからでないか。若い人は、そのサビの部分だけ、美味しいところだけを望んでいる。若者が耐えられる時間は3分である。


と現在のクラシックが若い世代に普及して行かない理由を分析したりした。


でも、その見解もクラシック音楽のほんとうの魅力を伝える上では、間違っているというか、暫定処置、応急処置みたいなもので、本筋ではないのかな、と思うようになりました。


はっきり言いますと、もう自分はなにがなんだか、よくわからなくなってきました。(笑)

じゃあ、どうすればいいのか、とか。

やっぱり世の中、クラシックの世界は深すぎますね。


そんなに簡単に世の中の真理は見通せないですね。


また迷い道の迷いネコ(犬ではない)のようになってしまいました。


自分は、リング、いやワーグナー作品のガラコンサートという経験は今回が初めてでした。昔、リングのアリアを自分のものにしたくて勉強したくて、そういう名もなき指揮者、オーケストラのコンピレーション・アルバムのようなアリア集を買ったりしたけど、やはり感動しなかった。というかあくまで勉強のため、という位置づけなので、それでポイだったな~。ワーグナー音楽にはそういう罠がある、ということは、実演に接してみて、今回初めて理解できました。クラシック人生での初体験です。自分もまだまだ勉強するところが多いと思いました。


もちろん企画する側もまったくそのようには思っておらず、自分と同じ、ワーグナーのニーベルングの指環ですよ!リングですよ!それのアリア集ですよ!もう最高に感動するに決まっているじゃないですか!


という多大な期待を寄せていたに違いない。


自分も間違いなく、そのように期待していましたから。

誰も責められないです。誰が悪い訳じゃないです。


思ってもいなかったことだった、ということだけじゃないでしょうか。(笑)


もちろんこれは自分の気持ち、自分の解釈ですので、人はいろいろな感性で感じるので、一概に正しいとは言えないです。みなさんが正直に自分の感性に感じられたことがいちばん正しいと思います。それが一番だと思います。


ガラコンサートというのは、そもそも”祝祭”の意味を持つコンサート。今年で東京・春・音楽祭も20周年ということで、その祝祭もかねて、こういう特別企画のコンサートを催したということなのだと思います。


またガラコンサートとしては、もう充分過ぎるくらい素晴らしいコンサートで、もう充分その役割を果たしていたのではないか、と思います。


ワーグナーのガラコンサートって、世界中でも頻繁に開催されるものなんでしょうかね?

そういう事例はたくさんあるんでしょうかね?


自分は、今回初めて体験しました。大変貴重な経験で、いろいろな発見もできて、自分の認識も新たになり、そういう意味でも自分のクラシック人生の中でも忘れることのできないコンサートとなりました。メモリアルなコンサートだったと思います。



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東京・春・音楽祭20周年を記念とするアニバーサリーコンサート。

ワーグナーの大作「ニーベルングの指環」四部作のアリアで構成された贅沢なガラコンサートとなった。


採用されたアリアは、


序夜《ラインの黄金》より第4場「城へと歩む橋は……」~ フィナーレ 

第1日《ワルキューレ》より第1幕 第3場「父は誓った 俺がひと振りの剣を見出すと……」~第1幕フィナーレ

第2日《ジークフリート》より第2幕「森のささやき」~フィナーレ

第3日《神々の黄昏》より第3幕 第3場ブリュンヒルデの自己犠牲「わが前に 硬い薪を積み上げよ……」


まさにリングのアリアならここ!というほどの贅沢な選択で、ワーグナーファンにとって文句のつけようがない満足のいくものであったであろう。


歌手陣は大変充実していたと思う。


とくに自分がいちばん推しというか素晴らしいと感じたのは、神々の黄昏のブリュンヒルデのエレーナ・パンクラトヴァ(ソプラノ)。


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先だってのトリスタンとイゾルデでは、イゾルデ役にいっせいに批判が集まり、もう可哀そうな感じであった。(笑)たしかに声量控えめで、あまりワーグナー歌手という感じでない優しい感じなので、そこに主役を張るだけの存在感を感じずに、そういう評価になったのだと思うけど、自分は最初こそたしかにちょっと不安定な要素が多く、不満にも思ったけど、その後、喉が温まってきたらヒートアップしてよく健闘していたと思うけどな。最後の愛の死もよく頑張ってくれて自分は大感動しました。


なんか、SNSの投稿って誰かが口火を切ると、それに畳みかけるように同じように批判する傾向があるので、なんか可愛そうだな、と思いました。みんなと違う意見を言うことも勇気だと思います。


今日のこのエレーナ・パンクラトヴァは、声量も抜群で、深いヴィブラートがかかり、声色コントロールもなかなかなもので、いい歌手だなと思った。いかにもワーグナー歌手という感じで、彼女がイゾルデ役だったらよかったかもな~、とも思ったりもした。


やっぱり圧巻は、ラストのブリュンヒルデの自己犠牲。まさにリング、神々の黄昏でもっとも感動するアリア、大団円であり、その荘厳な終結は、その余韻含めほんとうに美しい。自分が今回のコンサートでもっとも感動した場面であり、文句のつけようがなかった。N響のサウンドも重厚で雄大なスケール感の大きいサウンドがここに来てようやく復活してきた。これこれ、この音。こうじゃなきゃいけない。。。この音を聴きに来ました。。そう確信した最高の出来栄えであった。


ブリュンヒルデは歌い終わった後も、N響があの感動的な旋律を奏でる中、役にそのまま入り込む続けるその熱演ぶりで、その余韻をずっと維持し続けてくれた。素晴らしかったと思う。



ローゲとジークムンド、ジークフリードの3役をこなしたヴィンセント・ヴォルフシュタイナー(テノール)


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甘く、深い声帯の幅を持った器感のある余裕のあるいい声をしていて、いい歌手だと思った。1人3役という難関もなんなくこなし、それぞれの役割に華を添えるだけの歌い手としての余裕があったように思う。自分は個人的にジークフリードのアリアが好きなんですよね。ジークフリードはあまり女声がでてこない男声中心のオペラですが、そんな男声の魅力をじゅうにぶんに伝えてくれるのがジークフリードなのです。このジークフリードを歌っているときのヴォルフシュタイナー氏は素晴らしいと思いました。



その他に、ヴォータンを歌ったマルクス・アイヒェ。相変わらず彼は素晴らしい。もう宝物のようないい声していますね。彼が発声するだけで、いちだんとエネルギー感が違うというか、かなり目立つ声をしていると思います。東京春祭ワーグナーシリーズの常連さんです。毎年ありがとうございます。



日本人歌手も健闘した。フリッカの杉山由紀さんは、はじめて体験しましたが、なかなかVividな声の持ち主でインパクト大きいな、と思いました。岸浪愛学氏も柔らかいマイルドな声の印象で好印象。やはりいちばん印象に残ったのは、森の鳥の中畑有美子さんではないか。バンダのように2階席から歌う場面、そしてジークフリードとのやりとり、魅力的だと思いました。その他の日本人歌手もみなさん健闘しました。素晴らしかったです。



トリスタンのときは、その悪質なフライング拍手、ブラボーに心底嫌な思いをしたが、今回はまさにパーフェクト。マエストロや主催者側の意を汲むように、終演後、しばらく数分間の沈黙。やはりクラシックのコンサートはこうでないといけないと思います。終演後の余韻ってすごく重要だと思います。これでそのコンサートの重みが違ってきますね。


東京・春・音楽祭で、2014年のラインの黄金から始まって、2017年の神々の黄昏まで、東京春祭ワーグナーシリーズでN響とリング四部作を振ってきたマエストロ・ヤノフスキ。今回、その同窓会とも言えるべき顔合わせと懐かしい調べに涙しましたし、あの当時から10年経ったんだな~です。


あの当時のこと、よく覚えてますよ。毎日が無我夢中でした。

今年の東京春祭20周年に相応しいアニバーサル・コンサートだったと思います。


ヤノフスキ、4月13日、14日のNHK定期演奏会にも指揮をしてくれます。自分は13日だけだと思って、チケットを取ったら、なんと!川本嘉子さんのブラームス室内楽の日と被っていました。残念!今回は諦めかな、と思いましたが、なんと4月14日も同プログラムであるんですね!N響のFBの投稿でそのことに気づき、急いでチケットを取りました。14日の日、ひさしぶりのNHKホールに見参します。シューベルトの交響曲と、ブラ1です。楽しみ~。


今回の来日で話題になっているヤノフスキ先生のおやすみポーズ、自分のカメラで撮ることができました。(笑)まさにトリスタンからずっと日本滞在しているヤノフスキ先生。日本食を十二分に楽しまれているのでしょうか・・・きちんと洗濯していますか?(笑)



Copyright:NHK交響楽団 Facebook


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Copyright:東京・春・音楽祭 Facebook


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The 20th Anniversary

ワーグナー『ニーベルングの指環』ガラ・コンサート


2024年4月7日 [日] 15:00開演(14:00開場)

東京文化会館 大ホール


出演・曲目

舞台祝祭劇『ニーベルングの指環』より


序夜《ラインの黄金》より第4場「城へと歩む橋は……」~ フィナーレ 

ヴォータン:マルクス・アイヒェ(バリトン)

フロー:岸浪愛学(テノール)

ローゲ:ヴィンセント・ヴォルフシュタイナー(テノール)

フリッカ:杉山由紀(メゾ・ソプラノ)

ヴォークリンデ:冨平安希子(ソプラノ)

ヴェルグンデ:秋本悠希(メソ・ソプラノ)

フロースヒルデ:金子美香(メゾ・ソプラノ)



第1日《ワルキューレ》より第1幕 第3場「父は誓った 俺がひと振りの剣を見出すと……」~第1幕フィナーレ 

ジークムント:ヴィンセント・ヴォルフシュタイナー(テノール)

ジークリンデ:エレーナ・パンクラトヴァ(ソプラノ)


 

第2日《ジークフリート》より第2幕「森のささやき」~フィナーレ

第2場「あいつが父親でないとは うれしくてたまらない」―森のささやき [試聴]

第3場「親切な小鳥よ 教えてくれ……」〜第2幕フィナーレ [試聴]

ジークフリート:ヴィンセント・ヴォルフシュタイナー(テノール)

森の鳥:中畑有美子(ソプラノ)



第3日《神々の黄昏》より第3幕 第3場ブリュンヒルデの自己犠牲「わが前に 硬い薪を積み上げよ……」 

ブリュンヒルデ:エレーナ・パンクラトヴァ(ソプラノ)


 


指揮:マレク・ヤノフスキ

管弦楽:NHK交響楽団(ゲスト・コンサートマスター:ウォルフガング・ヘントリヒ)

音楽コーチ:トーマス・ラウスマン














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社会人生活後半をどう生きていくか? [雑感]

技術系の会社に技術者として入社して技術者として生きてきた場合、その晩年をどう過ごすか、は人生のひとつの課題というか乗り越えないといけない壁みたいなものだろう。


定年まで、現役のエンジニアで行ける人ってどうなのだろう?そんなにいるだろうか。


自分の場合、ハードウエアエンジニアだったので、まず視力が落ちてきて限界を感じて、そして細かい作業ができなくなる。半田ごてで、1608チップ(いまもっと小さいチップある?)を基板に半田付けするのが、もう手が震えて、震えて・・・こりゃあかん、もう限界かな・・と思ってしまった。


CADパターン設計で、6層基板なんかを設計する。自分が社会人に成りたてのときは、表裏の2層基板でした。それがいまやGND層、電源層、部品層など、6層もある。基板集積技術の高密度化の発展はほんとうにすごい。


回路設計して、CADで回路図書いて、それに紐づいて部品表が自動で作られて、CADで基板のパターン設計をして基板を作り、工場で基板に部品を実装して、その数枚を取り寄せて、性能評価。ソフトエンジニアの人に頼んでソフトをインプリしてもらって動かす。放送系だったら、FT(FieldTest)&実走も必要だろう。


そういう本番の前に、まず、使うICをどこのメーカー社製を使うか。各メーカーからデモボードを取り寄せて性能評価。そしてこれがいちばんいい、と決めたら、ようやくそのメーカーのICを使うことを決める。


自分の会社に半導体事業部があるなら、逐次その他社ICの情報をフォワードする。そしていずれは自社製のICに乗せ換える。そうやって自社の半導体事業部を育てていく。


技術の世界は、世の中の流れは速い。もうほんとうにすごいスピードで世の中変わっていく。社内失業なんてあっという間だ。社内でどんどん職を変えていく。そんな感じだったな~。


で、オレ、こんなことをしてずっと定年までやっていくのか。。。

もう体力や視力の限界で半田付けができない。


なにより飽きた、というか、こんなことを同じことをずっと続けて歳を取っていくのはしんどいな~、という感じだった。あと肉体的、精神的にキツくなった、という感じかな。作業台と測定器の山に囲まれる世界が。(笑)


前職時代はホームエンターテイメントひと筋20年だった。でもいまの会社に転職してからカーエンターテイメントひと筋の17年である。もうカルチャーショックだった。こんなに世界が違うのか。もちろん会社のカラーの違いもあるだろうけど、ホームとカーではぜんぜん違う。


車は双方向が苦手なのだ。(笑)これからの時代、H/Uにスマホを繋げて双方向なんていう”ちゃっちい”こと言ってないで、もっと車ごとICT機能を持って双方向を実現する、そうあって欲しいと思います。スマホ連携じゃあまりにチンケすぎる!(笑)本命じゃないと思う。


カービジネスのことに携われてほんとうに良かったと思っている。キャリアとしてホームとカーの両方を知っている、というのは大きな強みだと思う。


自分は日本国内では車はやりませんが、これからの時代、カービジネスは熱いですよ~。カー業界はいま100年に1度の大革命の時期と言われています。


自分の前職時代、放送業界もアナログ放送からデジタル放送へ変革。同じく放送業界でも100年に1度の大革命と言われて、そのど真ん中で仕事をやらせていただいた。


ホームでもカーでも、自分はなにか、と100年に1度の大革命のときに遭遇する(笑)、というなかなかそうチャンスは来ない、そういうラッキーな星の巡り合わせはあるのだろう。


まっそんなに優秀なエンジニアとは言えなかったけれど、いま含めて、その当時、その当時の最先端の技術の流れのど真ん中に居れたことは幸せだったと思う。


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前職に在籍していたときから、自分の将来のキャリアプランを考えていて、その頃から知財の世界に憧れを持っていて、技術者人生の晩年は、知財の世界で身を立ててれば、とずっと考えていた。


せっかく長年の技術の世界での経験を活かせるし、知財の世界では、つねに最先端の技術テーマを扱うので、最先端の技術に身を置ける。そしてなによりも半田ごてを持たなくてもいい。(笑)デスク作業だけで、技術の世界に浸れる。人生晩年を過ごすなら、技術のキャリアを活かして、そして自分の体力のことを考えたら、もう絶対知財しか自分の進む道はないと考えた。


前職の会社では、キャリアプランで上司に相談なしに、直接人事と交渉して、自分のキャリアに沿った他部署異動ができる、そういうシステムがあった。


で、自分は知財部に異動したい、と希望を出したのだけれど、リジェクト。理由は経験がないから。知財部は即戦力、経験のある人を必要としている、ということだった。


そんなの無理だろう?誰だって初めての経験なのだから、どうやって経験ありの資格を得るんだ?と思ったものだった。


2回くらいオファーしたのだけど、経験がないから。即戦力が必要なので。というひと言でリジェクト。即戦力を必要とする現場の気持ちもよく理解できるので、なかなか転職って厳しいもんだな~と思った。


そして病気で3年間の休職。そして復職するときに、どこに部署がいい?どういう仕事がいい?という希望に知財と答えたのだが、もともと経験ありしか取らない部署が、病気上がりの人間を取る訳がなく。(笑)


その折衷案として、開発部の中に存在するのだけど、その部門の特許出願を手助けするそういうスペシャルな部門があって、そこに入らせていただくことになった。知財部は本当の意味で、出願に対する事務的な処理に専念するため、先行文献調査とか、特許出願するポイント誘導などの縁の下の力持ちのヘルパーの役割のメンバーは技術部門内にそういう機能があって廻っていたという感じだった。


そこで先行文献調査とか、特許の世界のことをいろいろ勉強した。


自分の技術者人生を振り返ってみると、映像、音声、放送、機構とあった場合、自分はその圧倒的な部分を、放送と音声を占めたのではないか。


とくに音声の仕事は、かなり圧倒的に多かったと思う。知財の世界で、かなり音声処理の特許を出願担当したり、先行文献調査したりして権利マップを作ったりした。音声処理のスペシャリストの技術者にいろいろ教えてもらいながら、それを特許面で自分が貢献する、そんな感じではなかったか。音声処理について(圧縮も含めて)はかなり勉強した。


とにかく音声処理については、随分関わってきた気がする。音声処理のエンジニアの人から、音声処理って映像処理と比べるとものすごく簡単ですよね~。もうやることない感じなんですよ。(笑)とよく言われたことを覚えている。


自分が社会人に成りたての頃、ビデオ事業本部に在籍していた頃(ベータマックスとか全盛でした。。笑笑)、ビデオ事業部とオーディオ事業部とはかなりカルチャーが違っていた。壁があったように思う。


自分が不思議だったのだが、オーディオ機器というのは、いわゆるハイエンドオーディオと呼ばれるものは、100万円なんてザラ、数百万円から数千万円の価格帯である。


でも映像機器は、もう完全に普及価格帯なのだ。ビデオも最初の一発目は旗艦機器として値段が最高なんだけど、それからどんどん安いエントリーモデルが出ていくという路線。最初の旗艦器で高くて40万円。その後の普通価格帯で6万~10万じゃないか。


自分は不思議で不思議で仕方がなかった。映像処理のほうが、音声処理より遥かに難しくて高度で演算量も半端じゃないのに、なぜオーディオ機器は数百万単位で、ビデオ機器は数十万なんだ?(笑)


これはビデオ事業部にいる者にとってちょっとしたジェラシーであった。


自分の中には


”映像処理>音声処理”


という方程式が確固としてあったので、これがいざ商品の価格帯では反転現象になるのが許せなかった。


でもその後、オーディオはいわゆる高級オーディオというHigh Soceityな文化が昔から存在していて、その音、音楽にかける社会的ステータスがすごい高い。そういう文化が昔から存在しているのだ。


それに対して、映像の文化って、まず普及してなんぼ?というのがあるのではないか。


”テレビ番組を録画する”


まず家庭に普及して意味がある。東京オリンピックの頃、力道山のプロレスを観たくて、テレビのある家でみんな集まって応援する。そうやって各家庭にテレビが普及していく。


ビデオもその延長線上で、普及してなんぼ、というのがあるんじゃないか。

普及させるのは、まず普及価格帯ではないと勝負にならない。


オーディオは趣味の世界だから、金のある人、趣向のある人が買っていく。そういうニッチなビジネスでもいい。それでも景気のいいときは、それでマーケットがきちんと廻っていて存在できていた、そんなビジネスなんではないか。


後年、自分の中でそういう位置づけをして、自分なりに納得させたものだった。


その後、自分がオーディオマニアになるとはつゆにも思ってもおらず。(笑)

そしてオーディオマニアになってから、この真髄は正しいと理解できるようになった。


まさにオーディオマニアになって、いろいろな経験をして、学び、オーディオオフ会も多く体験し、そしてコンサートホールの音響なんか勉強していくうちに、自分の人生はますます音、音声処理の世界で占有された人生だったのだな~といま振り返ってしみじみ思う。


でも技術者として、思うのは、やはり自分の中では、


”映像処理>音声処理”


の方程式で揺るぎがないです。


技術者として、本格的に映像処理を専門として拘われなかったのは、残念だったと思う。

自分の時代は、技術者にとって、映像処理はやはり華形でしたから。


でも好奇心旺盛な自分は、もちろん仕事では拘われなかったけれど、自分の知識として映像処理とはどういうものか、というのを一生懸命勉強していましたよ。そういう本が市販でたくさん出ていて、片っ端から買って読み漁っていました。前職時代は仕事人間だったので。



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技術者、エンジニアの末路はなかなか厳しい。成功例は管理マネジメントになることだ。優秀なエンジニアで、人間力がある人は管理マネジメントとして登用されていくだろう。でもそれはほんの数パーセントだ。残りの凡庸な(自分も含めて)人はどうするか。他社に転職して生きながらえるか、あるいはまったく職種を変えて、技術の世界とはまったく関係ない文系の仕事につくかだ。


人生の現実は厳しいのだ。


技術者、エンジニアの末路は大体そういうところだろうな、と若い頃から思っていた自分は、どうしても自分の晩年の身の置き方、というのを考えざるを得なかった。


自分が目指したのは、知財の世界だった。


人生の好転機はあっけない感じでやってきた。

転職して、毎年自分のキャリアプランシートを書かされるのだが、その第2志望に知財部希望と書いていたら、知財部に欠員が出て、至急人材が欲しい、ということで白羽の矢が立った。


人生ってあっけないもんだな~と思った。(笑)

あれだけ希望してもなかなか通らなかった夢が、こんな理由でいとも簡単に実現できてしまうとは。。。である。


これが世の中なんだろう。


多少はかじったことはあるにしろ、知財素人の自分を一生懸命育ててくれた当時の知財部の上司にはもう頭が上がらないです。特許出願、中間処理、外国出願、係争のときの会議にも積極的に参加させてくれ、いろいろ経験を積ませていただいた。


ここで、思ったことは、半田ごてが嫌で、体力がもう持たないから、ペーパーの世界で技術の世界を堪能したい。そういう思いで知財を希望していたのだが、そんなに現実は甘くなかった、ということだ。


知財の世界は、知財の世界で、独特の苦しみというのがあるのだ。

それは分厚い特許明細書を読み込んで、その明細書に書かれている技術を一瞬にして簡潔にまとめられること、そして理解できること。膨大な特許案件(特許リスト)何千件を、ざっと俯瞰して読んでいき、それを全案件とも内容をピンポイントで把握でき、簡潔にまとめられること。


これははっきり言おう!


技術者の世界より、相当厳しい、というか、そうとうツラいですよ。(笑)


技術系の文章を読んで、それを理解する。


あるいは、


技術系の文章を書いていく。(特許明細書を書く)


という作業は、相当苦痛ですよ。


これはやっぱり才能が必要だと思う。才能がないと案件をつぎつぎと処理できないと思います。


自分がこのときつくづく感じたのは、”仕事のできる人”というのは、ある意味頭がいいのだろうけど、ほんとうにすごく効率的で処理能力がずば抜けているのだ。他人のペースを遥かに上回るそういう処理能力がある。


この”仕事のできる人”を自分がいちばん実感として感じたのが、この知財時代だった。

処理能力のある人が仕事のできる人という方程式も成り立った。


知財の世界は、やはり件数ですから。特許出願件数。中間処理件数。。。もう仕事のできる人は、もうあっという間に、どんどん何件も出願を済ましてしまう。それもすごいペースでどんどんこなしていく。


文章を読まないといけない。そして考えないといけない。そして文章を書かないといけない。


これで件数、スピードが求められる。


以前日記に書いたと思うが、企業知財部、そして特許事務所の先生たちは、毎日ノルマを課せられて仕事をしていますから。ノルマを達成できないと査定、給与に響いてきます。


もうこれはある意味、すごいハードワークで、相当ツラいですよ。

技術者時代、ペーパー上だから楽ちん、なんて思っていた自分は相当甘かったです。


知財の世界は、技術の世界とはまったく別の世界だった、と言えました。


自分が現役時代、どうしても敵わないと思った同僚がいた。その人はすごいおとなしい寡黙な人なんだけど、もうすごい処理能力がすごくて、あっという間に自分でどんどん明細書を書いちゃうとか、あの処理能力はちょっと敵わないな、とため息がでました。


”知的財産”という世界は、自分が予想していた世界とは全然違っていて、相当ハードワークなところだったと言えます。というか、技術者の世界とは、ハードな意味合いが違う、まったく違う次元のハードという感じでした。



いまでこそ、いろいろな分野でDXということが叫ばれていますが、知財ほど紙の文化だったところはないでしょう。(笑)さすがにいまはもう特許庁を始め、DX化は進んでいるでしょう。でもあの完璧に紙の文化だった頃をよく知っているだけにあそこからどうやってDX化するのか、気が遠くなるというか、大変でしょうな。


いまの時代は、アイデアシートをAIに読み込ませれば、AIが特許明細書を作成してくれる時代だそうですよ。(笑)


昔、いまの携帯でナビが実現できてしまうナビタイムNAVITIMEが世に出た頃、カーナビの大手のパイオニアがナビタイムを特許侵害と訴訟したことがありました。結局パイオニアが敗訴してしまったのですが。


そのとき、その訴訟記録を閲覧するために、どこだったか、よく覚えていないのですが、そういう知財訴訟、裁判の記録が格納されている図書館に行ったことがあります。


とりあえず知財図書館と言っておきましょうか。。。そこはもちろんコピー禁止です。訴訟記録をひたすら直筆で写すしかないのです。もう大変苦痛な作業でございました。(笑)


その図書館の地下には食堂があって、なんかカレーを食べたのかな、美味しかった~。照明暗かったです。


知財には、”お宝発掘”という地道な作業もあります。これはかなり苦痛な作業です。


ライセンスオファーというのは、ある技術の権利を特許などという形で保有している者が、他社に対してその権利行使をすること。自分の技術ライセンスの権利の使用を認める代わりに、その対価、ロイヤリティを支払ってください、そういうオファー、申し入れをすることを言います。



いつもライセンスオファーされる側だけど(笑)、ライセンスオファーする側もかなり大変です。ライセンスオファーするって簡単なことじゃないです。


他社製品のカタログを全部調べて、その取説と自社特許を照合して自分の会社の特許の技術を使っているかどうかつぶさに調べるのです。もう洗いざらいつぶさに調べます。



やっとこさ確証見つけてレター作成して送付しても、すぐに、ハイ、払いますなんてなる訳ない。(笑)


そんな簡単にはまず行かないです。レターを送られてもそのまましばらく放置というか、交渉含め、ものすごく足が長い時間のかかることなのです。



まっいままで日記でいろいろ知財の世界を紹介してきたので、もうそこで言い尽くした感はありますが、知財の世界は楽じゃない、ということです。ペーパーの世界とタカをくくってはとんでもないことになる、ということです。



技術者、エンジニアにとっては、やはり人生の晩年は、お金に関すること、経営に関することは学んでいたほうが絶対いいです。いくら最新の技術と誉れ高くエバっていても、結局会社って経営で成り立っている、自分たちの給料がどうやって作り出されているのか、その真実をちゃんと知っていたほうがいいです。


サラリーマン、エンジニア、会社人にとっての最終目標は、最後はちゃんとお金のことを理解する、経営のことを知っておく、ということではないでしょうか。自分も偉そうなことを言っていますが、たまたま知財繋がりでライセンス料管理の世界に足を踏み入れるようになり、このお金の世界に入り込みました。


自分の会社のように製造業、つまり商品を開発、製造して、それを世界に販売していく、というビジネスの場合、それにかかる費用、そして売り上げによる利益、そういう関係をよく理解しておいたほうがいいです。


結局会社ってここなのです。

会社って、とどのつまりここなのです。


この真実を知らない限り、いつまでも大人にはなれない、ということではないでしょうか。


・・・なんて偉そうなことを言ってますが、自分も知財からいまの原価グループに移動したときは、まったくのチンプンカンプン、グループメンバーが話している言葉、内容がまったくの宇宙語でした。(笑)


いまもひたすら勉強中ですが、お金の世界は理屈はシンプルなんだけど、とても深いです。


やっぱり会社人だったら、最後の晩年は、きちんと経営のことを理解できるようになるのが、ひとつの目標なのかな、と思います。若いうちはそんなことを考えずに、もうバリバリと技術のことを。そして晩年は経営のことがよく分かっている。。そういうステップがいいのではないでしょうか。



還暦、定年を迎え、セカンドステージと人生が移り変わっていく上で、自分のいままで歩んできた人生をちょっと振り返ってみたくなりました。


じゅうぶんやってきた。よくやってきた。と自分を褒めてあげたいと思います。


なんとか潜り抜けた、通り抜けた、という感じです。(笑)


と、同時に、技術者、エンジニアにとって、自分の晩年の身の置き方を考える、というのも大事なことなのかな、と思い直しました。


もちろん生涯現役、ずっと還暦以降でも、バリバリのエンジニアとして頑張っていく、そういうすごい人もたくさんいることでしょう。自分は、もうそういう人はほんとうに尊敬してしまいます。持って生まれた才能、類まれな才能の持ち主だと尊敬しております。



2024年4月6日(土曜日)


渋谷ハチ公前です。桜が満開でした。いよいよ桜の季節ですね。渋谷ハチ公前は、もう相変わらずですが、外国人観光客でいっぱいでした。ハチ公もタスキ掛けしています。(笑)このハチ公の横に立って記念撮影するのがひとつのパターンなんですね。片側に1人、あるいは両側に2人立って、ハイポーズで記念撮影して、つぎは私の番って感じで、それを順番で繰り返すのです。もうエンドレスでやってます。(笑)


渋谷の桜の季節の名物ですね。


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のだめクラシックコンサート [国内クラシックコンサートレビュー]

諏訪内晶子さんの国際音楽祭NIPPONにしろ、茂木大輔さんののだめクラシックコンサートにしろ、共通していたことは、主役は若手だということだ。自分はあくまで総監督という位置づけ。


自分の世代から若い新しい世代へ。


これからの日本のクラシック界を考えて、若手を育成していく。

どんどんチャンスを与え、お披露目の場を与えて、世間のみなさんに認知してもらう。

そういうプロデュース的な立場に自分を置いていたように思う。


でも、それは誰でもができることではないんですよね。

まず自分が凄くないといけない。それだけいままでクラシック界で名を馳せてきた人でないといけない。そういう実績、功績のある人が、じゃあつぎに、ということで若手を育てていく、自分の経験値、スキル、ノウハウを後世に伝えていく、そういうステップがあるように思う。


諏訪内さんにしろ、茂木さんにしろ、現役時代(いまもバリバリの現役ですが。。笑笑)、もう名声の名声を得てきた人ですから、それだけの資格というか、誰しもが認めるところなのだと思います。


漫画”のだめカンタービレ”に基づいた茂木大輔さんの”のだめコンサート”。自分は、何年前だったかな。まさにのだめコンサート発祥の地、愛知県春日井市まで詣でをしたことがある。やはり聖地巡礼。これはある意味、1番最初の訪問のときの礼儀、マナーでもある。


高橋多佳子さんのラフマニノフ ピアノ協奏曲第3番だった。


鮮烈でした。いまでもはっきり覚えている。


その当時、関東では、のだめオーケストラというのが、茂木さんのオーケストラとは別組織で存在していて、権利関係で、なかなか関東圏で活動できなかったのであるが、その権利もクリアになり、首都圏でも”のだめコンサート”ができるようになった。


東京ののだめコンサートは、大体、調布グリーンホールを使うことが多かった。初東京上陸のときも、かけつけましたよ~。


そんな紆余曲折の歴史があるので、それがいまやこんなに知名度があって、ビッグなコンサートになったなんて、感慨深いものがある。兵庫県ののだめコンサートはかならず販売即完売となる人気スポットで、定番のイベントとなった。


そしていまや全国各都道府県でのだめコンサートが開催されるようになった。


のだめコンサートは、自分が知るようになるずっと前から、地道な努力を続けてこられてきたが、自分が知るようになってからも、まさに長い道のりだったな~と思います。


成功は一夜にしてならず、ですね。


のだめコンサートに行くと、毎回驚くことが、客層が驚くほど若いということだ。年配者もいるが、もう圧倒的に若い人。やっぱり客層が若いということは、その場にいる自分にとってもすごく嬉しい。


自分はクラシックのコンサートのいつもの客層を知っているので、あの高年齢層化した客層には、正直あまり未来を感じにくいし、暗い気持ちにもなる。というか、自分も含め、この方たちが鬼籍に入ってしまった後、クラシックコンサートってビジネスとして成り立つのかな?という不安をいつも感じる。このままじゃダメじゃないか、とか。


これはいまのクラシック界が抱えている大きな問題の一つで、クラシック音楽は難しいし、敷居が高い、というハードルがある。結局かなりの専門知識が必要で、経済力のある、ちょっとブルジュア的な階層の楽しむ趣味、高学歴・高教育、そんなイメージがつきまとう。そして公演評などの筆クオリティの壁。


やっぱりクラシックはお高いのだ。(笑)


そのハードルの高さの要因となっているのは、クラシック音楽って、長いよね、ということだと思う。交響曲で40分~60分くらい。協奏曲でも30分~40分ではなかろうか。しかも第1楽章、第2楽章、第3楽章、そして交響曲の場合は第4楽章まである。


長いよ~~~。(笑)


しかも、冗長的だ。この長い曲は、いわゆる絵巻物語で序章から中盤にかけて、そしてコーダときちんとした物語になっている場合が多く、いわゆるもっとも人の心を掴むキャッチーなメロディって、そのピークのところのごく一部だったりする。


そこの感動を味わいたいから、物語を序盤から聴いていき、徐々に自分のピークを持っていって、その見せ場に来たら、キタ~~~という感じである。


クラシックを長年キャリアを積んでいくと、そのピークまでいく過程の物語を楽しみ、そしてピークで昇天して、作品トータルとして捉える楽しみ方ができるようになる。いきなりピークを持ってきて来られても唐突過ぎる、という感じかもしれない。


まっ大人の楽しみ方と言えるのかもしれません。


でもクラシックに馴染みのない若い世代の人は、そのピークだけを楽しみたいんですよね。(笑)いわゆるポップスなどのヒット曲にあるフックの仕掛けというか、大ヒットする曲というのは、かならずそういう秀逸なメロディを持っている。若い人はそこだけを聴きたいです。あるいはその連続が聴きたいです。


あまり長い前ぶりの過程は飛ばしたい、という感じではないでしょうか。。


ポップスの曲は、1曲あたり大体3分です。その中で、聴いていたら、ピークがやってきて、気持ちいい、となる。そういうパターンしか慣れていないと思います。若者の限界は3分なのです。(笑)


だから全部聴くのに1時間もかかるクラシック。しかもそのピークに行くまでの過程が長過ぎて、若者は待ってられないというかくたびれちゃうのではないでしょうか。


でもそれは仕方がないことです。古来から伝承されてきているクラシックの曲というのは、そういう構造なのです。


クラシック音楽を若い世代の人たちにもその魅力を伝えたい、ということで、業界あげていろいろな工夫がされている。まさにクラシック界が抱えている大きな問題なので、この高年齢層しかお客がいないという現実をいかに回避して、いかに若い世代に魅力を伝えていくか。みんな大まじめに考えている。クロスオーバーだとかいろいろやっている。


そういうクラシック音楽界の抱えている大きな問題点を、そのものずばり解決して、その解を提示しているのが、のだめコンサートの手法なのではないか、と自分は思うのです。


のだめコンサートの手法は、じつに明快。


クラシックの初心者にもわかりやすい、取っつきやすいキャッチーなメロディのその楽章だけを演奏する。それはいわゆるクラシックの名曲、名旋律と呼ばれる有名な曲から、そのメロディを抜粋みたいな、その楽章だけの抜粋。そしてコンサートの始めから、終わりまで、そういう素敵なメロディが、次々と現れて、飽きることがない。とにかく美しい、素敵なメロディばかりが流れる。楽しい。


そんな印象で埋め尽くされるように選曲、プログラミングされているのが、のだめコンサートである。クラシックだけではない。あるときはジャズだとか、ポップスとかも取り上げる。


当初はのだめカンタービレに関わる楽曲に限定されていたところもあったが、いまはもうほとんどそんな縛りがない。茂木さんがいいと思ったものは、どんどん取り入れていくフレキシビリティがある。


とにかくずっと聴いていて楽しいし、ウキウキする。


そうして、そういうプログラミングである、ということは、コンサートの告知をしたときに、若い世代の人が食いつきやすいのだと思います。のだめコンサートに行けば、ほんとうに楽しいいい曲がいっぱい聴ける、という先入観があって、若い人はチケットを買ってくれる。もうそういう概念ができあがっている。


ここがミソなんじゃないかな、と思います。


茂木さんは手の込んだ、巧妙な、そんなに画期的な戦略を考えながらという訳でもなく、ほんとうにシンプルそのもので、のだめカンタービレに関わる曲で、初心者の方に飽きさせないようにするには、どういう楽しみ方をさせればいいか。


そこを考えて、自然とこういうスタイルになったのではないでしょうか。ほんとうにあまり深刻に考えずに、とてもシンプルに考えて行きついた境地なのだと思います。


自分のようなある程度クラシックを聴いてきているファンにとっても、のだめコンサートがある、チケットを買ってみようか、ということになったときに、どんな素敵なメロディがたくさん聴けるのだろう、となんかウキウキします。自分のような者でもすごい楽しみだったりします。期待してしまいます。


そして大きなことは、外れがないことですね。


絶対外れがない。


別にそんな目新しいことをやっている訳でもなく、ほんとうに真髄を考えて行ったときに、ここに行きついた、という感じではないかと思うのです。


のだめコンサートは、いわゆる選曲だけじゃないです。茂木さんのスピーチや、ゲストとのトーク、スクリーンの投影などで、その曲の成り立ちや知識などをわかりやすく、説明してくれます。これもとても初心者にやさしい感じがします。


コンサート全体として、すごい暖かい雰囲気がありますね。漫画、アニメ、実写の”のだめカンタービレ”を中心のシンボルとして置いているのも、そういう温かみを助長していると思います。クラシックの敷居の高い雰囲気とは、もう全然違う世界です。クラシック音楽につきまとうハードルの高さを、こういう点を解消して、初心者、若い人にもわかりやすい雰囲気を作って導入しやすいようにする。。。ここにのだめコンサートの真髄があると思います。


だからいつも客層は、圧倒的に若い層が多く、なんか明るい感じがするのです。

そして人気があり、いつも満員御礼なんだと思います。


これが自分がいままでのだめコンサートに通い続けてきた経験の中で悟った解脱の境地です。

たぶん間違いないと思います。合っていると思います。


クラシック音楽をいかに若い世代の方々に興味を持ってもらうか。いろいろなアプローチをされている中で、のだめコンサートがやっていることは、もっともいまの現状の延長線上にあるシンプルなやり方で、難しくもなんともなく、簡単に実現できる方法なのだと思います。


自分はいつもそう思っています。


昔、カラヤン&ベルリンフィルが出したアルバムで、”アダージョ・カラヤン”というCDがあり、世界的な大ヒットとなった。文字通り、クラシックの有名曲のいちばん素敵なメロディの部分の楽章を選りすぐり集めたコンピレーション・アルバムみたいなもので、これが初心者層に大受けした。スペインを中心としたヨーロッパで驚異的な大ヒットをはたし、日本でも一世を風靡した。世間、普及世帯にクラシック音楽を浸透させるのは、意外やこんなアプローチが常套手段なのかもしれない。


さて、今回の”のだめクラシックコンサート”ですが、自分は茂木さんのFacebookでの投稿で知ったのですが、もちろんそのときにネットで調べてちょっとショックなことがありました。



”のだめカンタービレ”は、連載開始20周年を記念して2022年にはサントリー・ホールとオーチャード・ホールで3公演「のだめクラシック・コンサート」が開催され、23年にはフェスとミュージカルも開催されたのだそうです。


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大変不覚なことで、自分はこの2022年ののだめクラシックコンサート、まったく気づいていなかったです。2022年の年末に調布グリーンホールで、のだめコンサートのクリスマスイブコンサートには行ったのは覚えています。この年の聴き納めコンサートで大感動しました。のだめコンサートの東京版といえば、大体調布グリーンホールで行われるのが常。



そのときいつも思っていたのが、のだめコンサートをサントリーホールで聴けたらな~、最高の華なのにな~と思っていたのでした。



だから、連載20周年記念の節目の年にサントリーホールでのだめコンサートが開催されていたなんて!もう地団太踏んで悔しく思いました。まったく気づいていませんでした。駆けつけることができず、申し訳なかったです。こんな大イベントにまったく気づいていなかったなんて。。。SNS普段よく見ていますが。。ネットで調べて初めて知りました。いま知りました。



今回ののだめクラシックコンサートは、東京国際フォーラムで新年ガラコンサートという位置づけ。

ただの”のだめコンサート”ではないです。”のだめクラシックコンサート”なのです。


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東京国際フォーラムという5,000人は入るであろう大会場が満員御礼。これだけたくさんの人が集まってくれるなんて、しかも毎回のことながら、客層がすごく若い!


東京国際フォーラムはもともと音楽ホール用という訳ではないので、やはり広すぎますね。PAが薄っすら入っていたと思います。でもこれだけの人数が収容できて、満員御礼ということであれば、1度きりの公演での収益率がすごいですね。(笑)大ホールでやる魅力はビジネス的にはそこに魅力がありますね。のだめコンサートは、いつもはステージ背面に大きなスクリーンをぶら下げて、そこに投影します。でも今回は、ステージ両側横にテレビモニターを設置して、そこに映し出していました。のだめカンタービレの漫画の投影ももちろんですが、ピアノなんかはそこにカメラを設置して、指回りの様子をそのモニターに映し出したりして、臨場感を出したりしていました。


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とにかく名曲のオンパレード。アンコールピースのオンパレードとも思うくらい、美しいいい曲が全編に並ぶ。フル楽章でなく、単楽章のみなどの疲れさせない工夫。



この日は、12曲という大サービスで、みんな珠玉の名曲ばかり。



あまりにいい曲ばかりで、家に帰ったら思わずストリーミングで聴き返して、お気に入りに追加しておきました。(笑)それだけ頭の中でループしてずっと鳴っていて強烈なインパクトでした。


ちょっとこの中で印象に残った曲を簡単に自分の印象含め、紹介していきますね。


最初の小林萌花さんのベートーヴェンのピアノ・ソナタ第8番の悲愴の第二楽章。いわゆる悲愴ソナタ。のだめカンタービレでも重要な立ち位置の曲です。


このメロディは誰でも泣くでしょう!(笑)あまりに美しいメロディ。

自分はベートーヴェンのピアノソナタの中では最高に好きなメロディです。


小林萌花さんは初めて拝見しましたが、とても指回りが素晴らしく、とくにつぎに弾いたショパン エチュードも圧巻ですごいピアニストがいるもんだな、と驚きました。


のだめコンサートでは、まさに定番であるガーシュウインのラプソディー・イン・ブルー。

ピアニストは、シークレットゲストとなっていました。


いざステージ上手から登場したのは、いま若手男性ピアニストで人気の角野隼斗氏。客席から黄色い声が飛んでおりました。(笑)角野氏が弾くラプソディー・イン・ブルーは、まさにジャズ色のアレンジいっぱい。こうちょっと崩した感じの弾き方とか。いわゆるクラシックピアノにおけるカデンツァにあたるアドリブが随所に現れて、凄かったです。


ピアノの上にトイピアノというのかな。それを置いて、ピアノ本体の速射連弾と、トイピアノの速射連弾と、右手、左手の方をうまく使って、片手づつ、それぞれハンドリングして、すごいアクロバティック。何度も現れるオリジナル独創のジャズ風アレンジと相まって、それはそれはすごいラプソディー・イン・ブルーとなりました。


角野隼斗、カッコイイよ、オマエ!(笑)


のだめコンサートの手法は、大きなスクリーンにアニメ画像を投影するという手法がメインなのですが、この日は、ステージ横に大型テレビモニターを壁に掛けて、カメラで演奏中のピアノの手元も映し出して、そのモニターに映し出すというもので、それはそれはすごい格好良かったです。


こんなラプソディー・イン・ブルーは聴いたことがなかったですね。


その後、茂木さんと角野氏とのゲストトークで、お互いこのラプソディー・イン・ブルーは毎回共演している回数が多いそうですが、毎回このジャズ風アレンジが共演するたびに、全部違うアドリブなんだそうです。まさにそのときに瞬時に思いつきながら弾く即興演奏ですね。いまNYに住んでいるらしくて、夜な夜なNYのクラブに現れては、ピアノで参加して即興のジャムセッションに加わって演奏している、そんなクラブ回りの毎日を過ごしているんだそうです。まさに若いときの武者修行と言おうか、一番鍛錬を積むときですね。


東大在学中にピティナ・ピアノコンペティションで特級グランプリを受賞!

まさに異色のピアニストです。


つい先だって、ソニークラシカルとのアーティスト契約も発表されて、ますますのワールドワイドな活躍が期待されますね。頑張ってほしいです。


休憩を挟んで、Budoによるショパンの幻想即興曲と、ベートーヴェンのピアノ・ソナタ熱情・第三楽章。


Budo、ぶどうと呼ばれるピアニスト。自分は存じ上げませんでした。ネットで調べてもあまり詳しい情報は出てきません。YouTuberピアニストだということくらいです。神秘のベールに包まれたピアニストで、なんとYouTuberピアニストとして初のサントリーホールでコンサートを開くそうです。そして浜離宮朝日ホールでも。


桐朋学園大学ピアノ科を卒業後、単身カナダに渡り、ストリートピアノとの運命的な出会いを果たしたそうです。帰国後、YouTubeにストリートピアノの演奏動画を投稿し始め、独特の世界観、”怪しい風貌の男”が超絶技巧のクラシック音楽を奏でる動画が話題を呼び、YouTube登録者数が8万人を超え、数か月で100万回再生を超えた。


そんな異色のピアニストでした。(今回のパンフレットに書いてありました。)


自分は当日誰なのだろう?と思いましたが、ルックスが男性で長髪で、ゴローさんそっくりなのです。(笑)なんかゴローさんに似ているな~とずっと思っていました。


ゴローさんに似ているので、確かに”怪しい風貌の男”です。(笑)


で、で、ですよ。。。ピアノがめちゃくちゃウマいです。驚きました。まさに全盛期のポリーニばりに均等でコンピュータのような精緻な打鍵で、パワーもある。あまりにピアノがウマいので、この方誰?という感じになってしまいました。


茂木さんとも親しいらしく、ゲストトークでも弾んでいました。

のだめカンタービレのミュージカルで劇中ピアノ演奏を務めたそうなので、その縁ですね。


いぁあ、自分はこのピアニストがすごい衝撃でした。かなり怪しい雰囲気なのですが(笑)、とにかくめちゃめちゃピアノがうまくて。。。


まさかYouTuberピアニストとは思ってもおらず、こういう出会いがあるのも、のだめコンサートの素晴らしいところではないでしょうか。


高松亜衣さんによるモンティのチャールダッシュ。

チャールダッシュはこれは聴けば必ず燃える曲ですよね~。まさに高速弾きのこれぞスタンダード曲とも言うべき有名な曲で、すごく興奮しました。


新倉瞳さんによるドヴォルザークのチェロ協奏曲も素晴らしかったですね~。まさにチェロ協奏曲の定番、名曲ですね。その恍惚の旋律、そしてチェロの暖かい恍惚感のある周波数帯域の音色に酔いしれました。新倉さんはご無沙汰していました。昔ののだめコンサート以来でしょうか。


やっぱり締めは、のだめカンタービレの主題歌、ベートーヴェン 交響曲第7番ではないでしょうか。第一楽章と第四楽章でした。


今回、自分のツボだったのは、アンコールのプッチーニのお父さん。

もうこれはオペラアリアの名曲中の名曲ですね。ひさしぶりに聴きました。ほんとうに素敵なアリアです。てっきりオペラ歌手がそのアリアを歌うのか、と思いましたが、そのメロディは、コンサートマスターがヴァイオリンで奏でるというサプライズでした。


オーケストラは、のだめオーケストラとのだめユースオーケストラ。


茂木さんもN響首席時代から指揮者に転向してからずっとその指揮姿を見てきましたが、もういまや完璧な指揮者に変貌です。ベテランの指揮者と間違うくらい堂に入っていてカッコいいです。



若手演奏家主体で、そのフレッシュな演奏、みんな素晴らしかった。


ブラボーでした。


いつ来ても、何回通っても飽きさせない、そのときのサプライズ、企画が用意されていて、そしてお馴染みの根幹をなすスタンダードの曲ももちろん披露して、ほんとうに楽しいコンサートです。


なによりも聴いていて気持ちいい。

音楽って、この要素が結局原点というか、いちばん大切なことなんじゃないでしょうか。


このファクターさえ、つねに心掛けていれば世代の壁など関係なく、お客さんは集まってくれるのだと思いました。



のだめクラシックコンサート、次回は京都ですよ~。ロームシアター京都。2024年5月4日(土)&5月5日(日)です!!!


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のだめクラシックコンサート

2024.2.24(土) 17:00~ 東京国際フォーラム ホールA


ベートーヴェン" ピアノソナタ第八番 悲愴 第二楽章"(小林萌花)

ショパン" エチュード 作品10-4"(小林萌花)

グリンカ" 歌劇「ルスランとリュドミラ」より序曲"(のだめユースオーケストラ)

ガーシュウィン" ラプソディ・イン・ブルー"(角野隼斗&のだめユースオーケストラ)

ラフマニノフ" ピアノ協奏曲第二番 一楽章"(石井琢磨&のだめオーケストラ)


- 休憩 intermission –


ショパン" 幻想即興曲 "(Budo)

ベートーヴェン" ピアノソナタ第23番「熱情 」第三楽章"(Budo)

ヴェルディ" 歌劇「椿姫」より「乾杯の歌」"(のだめオーケストラ、REAL TRAUM、川越未晴)

モーツァルト"歌劇「魔笛」より、パパゲーノのアリア「俺は鳥刺し」(のだめオーケストラ、堺祐馬)

モーツァルト"歌劇「魔笛」より、タミーノのアリア「なんと美しい絵姿」(のだめオーケストラ、鳥尾匠海)

モーツァルト"歌劇「魔笛」より、「夜の女王のアリア」(のだめオーケストラ、川越美晴)

レハール"喜歌劇「微笑みの国」から「君は我が心のすべて」"(のだめオーケストラ、REAL TRAUM)

モンティ" チャールダッシュ"(のだめオーケストラ、高松亜衣)

ドヴォルザーク" チェロ協奏曲 から第一楽章"(のだめオーケストラ、新倉瞳)

ベートーヴェン"交響曲第七番 第一・四楽章"(のだめオーケストラ)

プッチーニ"歌劇「ジャンニ・スキッキ」から「私のお父さん」"(のだめオーケストラ)








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シューマン室内楽マラソンコンサート [国内クラシックコンサートレビュー]

とにかく2024年辰年。年男の自分であるが、まさに人生最大の試練の年。公私ともにすごい大変なストレスにさらされている。とくに3月に入ってプライベート面でどん底で、それでも予定していたクラシックのコンサートは行くので、もう精神状態が下げたり、上げたりでまさしくジェットコースターのようで気分が悪くなる。(笑)


そういう状態なので、コンサートレビューの日記がなかなか書けなくて申し訳なかったのだが、徐々に書いていきたいと思う。


諏訪内晶子さんの国際音楽祭NIPPON2024。シューマン室内楽マラソンコンサートに行ってきた。


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まさにシューマンの室内楽を、朝11:00開演で、20時頃終演になるまで、まさに1日フルマラソンのコンサートである。シューマンの室内楽を、ピアノ三重奏曲、ヴァイオリン・ソナタ、弦楽四重奏曲、そしてピアノ四重奏曲、ピアノ五重奏曲とおおよそ、すべての作品をフルに聴くという機会はなかなかないのではないだろうか。


大変貴重な経験をさせていただいたと感謝している。


この日の演奏会の目玉は、なんといってもやはり若手演奏家中心であること。これがなんと言っても新鮮だ。諏訪内さんは最後の大トリのピアノ五重奏曲だけの出演だった。


やはり若手の演奏家、これからの日本のクラシック音楽界を継いでいくその俊英たち。なんともフレッシュな顔ぶれで、聴いていても見通しの明るさ、可能性を感じて、その場がふっと明るくなる感じがする。演奏家のルックスを見てもあどけさなが残って可愛い感じがするし、自分の気持ちもとても若返った気持ちがする。なんか自分の子供の晴れ舞台の演奏会を親として観ている感じだ。(笑)


そしてなんといっても、技術的にハイレベルであること。自分が普段聴いている自分の世代の演奏家とまったく遜色ない、素晴らしいパフォーマンスを魅せてくれたこと。日本のクラシック界の将来は明るいな、と安心しました。


とくに一度聴いてみたいとずっと思っていた若手音楽家が何人も登場していて、この機会を逃しては絶対いけないな、と狙っていた。



国際音楽祭NIPPON2024のシューマンづくしの企画としては、このように東京オペラシティコンサートホールのホワイエで、ロビーコンサートと題して、シューマンの室内楽について、ちょっとしたレクチャーコンサートも催されていた。司会進行は、音楽評論家の舩木篤也さんが務められていた。


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そして国際音楽祭NIPPONは、単なるコンサートだけではない。若手音楽家の育成も大きなテーマだ。諏訪内晶子さんなどの講師陣を迎えマスタークラスも開催された。写真は、ヴァイオリン部門。講師は諏訪内晶子、ベンジャミン・シュミット。



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(c) 国際音楽祭NIPPON Twitter/X



シューマンの室内楽というのは、じつはあまり自分は実演で経験したことがなく、ブラームスの室内楽のほうはもうベテランだ。(笑)東京春祭の川本嘉子さんのプロジェクトでもう10年以上聴き続けている。ブラームスの場合は、いかにもきっちりとした骨格感があって厳格な旋律で、ドイツ音楽らしい男らしいメロディで、硬派な音の紡ぎの中でその合間にフッと現れる美しい旋律がなんとも効果的。そういう男らしい硬派~美しいのバランスが絶妙に交互に現れるので、そこはかとなく秋の季節が似合うそういう哀愁帯びた音楽。


ブラームスの音楽って大体そんな感じではないだろうか。


でもシューマンの音楽は、とても優しい女性的な美しいメロディでほんとうに癒される。音階の進み方やメロディの構造がとてもわかりやすく、とても親しみやすい、わかりやすい音楽だ。すごく優しくて女性的で叙情的な調べ。聴いていて浄化される、というか、精神が綺麗になるようなそんな爽やかな感じがする。


シューマンの音楽は、春の季節が似合うと思う。ブラームスが秋の哀愁とすると、シューマンは春の訪れである。


クラシック初心者の方にも入りやすい作曲家ではなかろうか。


アルゲリッチが、やはり私はいちばんシューマンが好き。シューマンがいちばん自分に合っている、と告白しているくらいだ。アルゲリッチが愛したのはピアノ曲と室内楽だ。アルゲリッチとシューマンといえば、子供の情景とかクライスレリアーナ。あとシューマンのピアノ協奏曲があるじゃないですか!もうピアノコンチェルトの中でも名曲中の名曲ですね。ほんとうに明るいいい曲です。


ブラームスの成功はやはりシューマン夫妻なくしてはありえなかった。そしてその後のブラームスの人生、創作活動についても、シューマンの妻・クララとの関係を抜きにして語ることはできない。



でもこの3者でその音楽性がとても明確に違いがあってとても興味深く感じるところでもある。


自分は、シューマンの室内楽が大好きだ。


心温まる旋律で、どちらかというと春の訪れというイメージがあり、春の季節にぴったりな素敵な調べだと思う。でもその一方でシューマンの音楽は、明るいだけじゃない。ほの暗くロマンティックなところも特徴で、シューマン自身が精神障害を患い始めてからは一層内向的になり、心の奥底へ沈み込んでゆくようになる。情熱的な曲ですら、何か焦燥感にかられるようであり、心の不安定さが拭いきれない、という一面も持っている。けれども、ファンにとってはそれが魅力であり、強く惹かれるのではないか。


シューマンの時代。すなわち19世紀の前半。室内楽は、作曲家が「本気で」取り組むべきジャンルとなっていた。もはや王侯貴族の館やアマチュア家庭でのみ奏でられる娯楽作品ではない。公衆が集まるコンサートで、書き手の能力がシビアに問われ、交響曲と同様のステイタスを有していたとみなされていたのだそうだ。


それまでに公表したのは、もっぱらピアノ曲と歌曲だった。1841年に交響曲を、翌1842年に室内楽曲を集中的に書いている。私人としても公人としても「社会的承認」を得ねば、というわけだ。室内楽に関しては、以後ドレスデン時代とデッュセルフ時代にも書き継いでいる。


今回、そんなシューマンの室内楽をもうほとんどすべてを網羅するという感じで聴かせていただいて、自分はシューマンが紡ぎ出すそのメロディへの自分の印象、認識を新たに確実にした、という感じだった。



Following pictures are under the copyright of 国際音楽祭NIPPON Twitter/X


●<第1部>11:00開演

ピアノ三重奏曲 第1番 ニ短調 Op. 63(葵トリオ)


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ピアノ三重奏曲 第2番 ヘ長調 Op. 80 (辻/佐藤/阪田)


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ピアノ三重奏曲 第3番 ト短調 Op. 110 (シュミット/マインツ/福間)


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ピアノ三重奏曲というのは、ヴァイオリン、チェロ、ピアノの室内楽だ。



妻クララへの誕生日プレゼントのために作曲された第1番。メンデルスゾーンのピアノ三重奏曲第1番ニ短調に影響を受けて作曲され、この2つの作品はロマン派を代表するピアノ三重奏として広く認知されている。第2番は、1847年に第1番と同時期に作曲された。次第にシューマンを苦しめる心の病から逃れるかのように、明るく前向きな内容で、シューマン自身「甘やかで生き生きとした印象」としており、後にクララはこの作品について「私の魂の深いところをあたたかく包み、最初から最後まで私を喜ばせる作品」であり「大好きで何度も演奏したい」と述べた。そして第3番は、シューマン家でクララのピアノで初演されたのち、1852年に公開初演された。クララ自身、この作品を情熱的で創意に満ちていると非常に気に入っていたようすの日記が遺されている。


シューマンの室内楽はあまり経験がないと思っていたのだけど、調べてみると、シューマンのピアノ三重奏曲は、2011年にベルリンのコンツェルトハウス・ベルリンの室内楽ホールで生体験した経験があり、素晴らしい感動体験だった。素敵なホールでした。シューマン室内楽と言えば、ピアノ五重奏曲やピアノ四重奏曲が双壁だと思うが、ピアノ三重奏曲もじつに素晴らしいのだ。


ピアノ五重奏曲とピアノ四重奏曲は名曲なので、比較的コンサートやFM放送などでも取り上げられる機会も多いが、それに比べてピアノ三重奏曲、あまり耳にする機会は多くない。そういった意味ではある意味渋い選曲かもしれない。


自分がかねてより聴きたかったのは、葵トリオだ。小川響子(ヴァイオリン)、伊東裕(チェロ)、秋元孝介(ピアノ)のトリオ。


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ドイツのミュンヘン国際音楽コンクールで2018年に堂々の1位を獲得し、ドイツを拠点に活動する。ベルリン、ミュンヘンなどで研磨をしているときから注目していて、ぜひ一度実演に接してみたいと思っていてようやく念願が叶った。フレッシュなアンサンブルで、切れ味鋭い鋭敏さとハーモニーの美しさが両立しているような抜群のコンビネーションを魅せてくれた。ベテラン並みのかなりハイレベルなアンサンブルで舌を巻いた。特に小川響子のヴァイオリンが目立っていた。


辻彩奈(ヴァイオリン)、佐藤晴馬(チェロ)、阪田知樹(ピアノ)の第2番。辻、阪田は実演の経験済みで、佐藤晴馬が初体験で注目。チェロというもっとも人間の聴覚に恍惚感を与える帯域の楽器。ボーイングがサマになっていて、格好良かった。1度拝見してみたかった。


シュミット(ヴァイオリン)、マインツ(チェロ)、福間洸太朗(ピアノ)の第3番。自分はもちろん福間を初体験で狙っていた。予想外にシュミット、マインツの押しが目立ち、いい奏者だな、と感心した。とくにこのあとのヴァイオリン・ソナタでも活躍するシュミットが素晴らしく、自分はヴァイオリニストはやっぱり女性奏者がいい、というところもあるのだが、男性ならではの切れ味、パワフル、弓が弦に吸いつくような安定したボーウイングなど、さすが男性奏者だなと舌を巻いた。



●<第2部>14:00開演


ヴァイオリン・ソナタ 第1番 イ短調 Op. 105(中野/秋元)


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ヴァイオリン・ソナタ 第2番 ニ短調 Op. 121 (シュミット/福間)


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ヴァイオリン・ソナタ 第3番 イ短調 WoO 27 (辻/阪田)


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シューマンの第1番のヴァイオリン・ソナタは1851年に着手され、たった16日間で完成されたという曲。まだまだ活動的で、情熱に溢れる時期の作品であり、全体的に緊密に書かれた名作なのだが、シューマンはこの曲に満足していなかったようで、第1番の完成後、約1か月ほどですぐに第2番に着手、たった1週間で完成させるという超人的能力を発揮。第1番よりも更に円熟の作品を作り上げたのであった。第3番のソナタはほとんど知られていない作品で、これはかのヨアヒムに献呈された「F.A.E.ソナタ」のシューマンが作曲した部分(第2楽章と第4楽章)に、新たに2つの楽章を加えてソナタとして完成させたもの。完成度は高いものの、ほとんど注目もされず、没後100年目の1956年になってようやく楽譜が出版されたという秘曲である。



中野りな(ヴァイオリン)、秋元孝介(ピアノ)の第1番。中野りなもぜひ聴いてみたい、実演に接してみたかった若手ヴァイオリニストで、可愛らしい優しいルックスに似つかないパワフルなテクニシャンで驚いてしまった。(笑)将来かなり有望であろう。


シュミット(ヴァイオリン)、福間洸太朗(ピアノ)の第2番。かねてより福間洸太朗のピアノを聴いてみたいと思っていた。やっぱりいま若手男性ピアニストは熱いし、超人気だ。ルックスの良さ、スタイルの良さ、そして堅実だけど光るものがあるテクニック。人気なのはよくわかるな~と納得だった。


辻彩奈(ヴァイオリン)、阪田知樹(ピアノ)の第3番。辻、阪田のコンビは、もう普段でも数多くの公演を重ねてきており、もうお互いあ・うんの呼吸というか、よくお互いを知っている絶妙のパートナーであろう。もうすっかり名コンビだ。辻彩奈は、自分にとっては、スイスロマンド100周年記念コンサートで東京芸術劇場で、ジョナサン・ノット指揮でメンデルスゾーンのコンチェルトにて初めて実演に接した。将来有望と目をかけているヴァイオリニストである。いまもっとも公演数が多く、弾けている旬な奏者ではないか。初めて実演に接したときと比べ、より音量が大きく、奏法もすごく安定してサマになってきた、というか貫禄が出てきた。一流ヴァイオリニストの仲間入りという感じだ。経験の数がモノを言ってますね。


阪田は相変わらず素晴らしい。ラフマニノフ全曲演奏会でその実力に舌を巻き、ピアニストとしての実力はそのときに詳細にレポートした。まさにその通りだ。若手男性ピアニスト・知性派ピアニストの筆頭株としてこれからもどんどん精進していってほしい。応援している。



●<第3部>16:00開演


弦楽四重奏曲 第1番 イ短調 Op. 41-1 (米元/小川/鈴木/伊東)


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弦楽四重奏曲 第2番 ヘ長調 Op. 41-2 (中野/米元/佐々木/佐藤)


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弦楽四重奏曲 第3番 イ長調 Op. 41-3 (カルテッド・アマービレ)


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”弦楽四重奏は、クラシックの基本である。”


小澤征爾さんが解脱して得た真実である。それをもとに小澤国際室内楽アカデミー奥志賀、そしてスイス国際音楽アカデミー、とこの真理をもとに若手を育成してきた。


「サイトウ・キネン・フェスティバル松本」と同時に、奥志賀で若い音楽家を集めて講習会をやっていて、それとまったく同じアイデアをスイスに持ってきた。日本では日本人が主で、スイスではヨーロッパ人が中心だ。


小澤さんの解脱した真実とはこういうことだ。


要するに四重奏をやってソリストになるのと、やらずになるのとでは( その人が作り出す )音楽に違いが必ずあるということですね。音楽の本当の芯を作るのは、弦楽四重奏の主なる特徴なんですね。弦楽四重奏というのは、飾りがないんですよね、全然。オーケストラというのは飾りが割りと入っているけど。


飾りがまったくなくて、純粋な音楽作りを4人でやるというのが、歴史的にも弦楽四重奏の特徴で、作曲家もみんなそういうつもりで書いているからね。そこには純粋な音楽だけがあるのです。


そういう経験があったほうが、オールラウンドで、全体としていい音楽家になれると思います。「音楽作り」には四重奏が大切だと信じています。細かく言えば、音楽の語法とか、論法とか、そういうものを習うのにも四重奏はすごくいい。


音をただ並べるだけでは音楽にならないわけで、どうやって作曲家が紙に書いたものを音楽に戻すかと、ここのことですよね。もちろんソロの曲でもそういうことはあるのですが、四重奏の場合はそれがもろに出てくるということです。




シューマンが作曲した弦楽四重奏曲は、この作品41の3曲のみである。


1840年に結婚した妻クララが、1842年に結婚後初めての長い演奏旅行に出ている間、シューマンはライプツィヒの自宅で一人暮らしを余儀なくされ、極度のスランプに陥っていた。1840年の歌曲 (「歌曲の年」)、1841年の交響曲 (「交響曲の年」)に続き、新たに室内楽に目を向け、1842年6月4日に第1番の作曲を開始し、約2か月の間に3曲の弦楽四重奏曲を完成した。これらは、シューマンにとって最初の室内楽曲作品である。


シューマンの弦楽四重奏は、シューマンが重んじた先人たちの様式とロマン派の表現が高い次元で融合した作品ともいえる。


これは第1番だったか、第2番だったか覚えていないのだけど、たぶん1番。もうものすごい美しい軽やかなメロディで、まさにシューマンらしい春の訪れを感じさせるような明るくて優しい曲。自分はもう一発で虜になりましたねぇ~。この日のフルマラソンコンサートの中で1番驚いて、1番シューマンの音楽って素敵だ!と思った瞬間です。弦楽四重奏だから、弦の合奏の美しさ、ハーモニーの美しさが、この曲に際立って合っていて、もうじつに軽やかに軽快に弾くんだよね~。弦の厚いハーモニーってほんとうに美しいです。


ホールに響き渡る倍音の美しさ。


ふっと自分の頬に春のそよ風があたる・・・、みたいななんとも言えない軽やかさ。もう自分はベタ惚れ。自分がこの日一番反応したときでした。


米元響子さんは、ずいぶんご無沙汰。数年前にイザイの無伴奏のリサイタル以来。あとは前回の諏訪内さんの音楽祭以来かな。なんか、より女性らしく美しくなったんじゃないでしょうか?(笑)なんかあか抜けて綺麗になったな、と思いました。


カルテッド・アマービレは、2015年桐朋学園大学在籍中のメンバー(Vn. 篠原悠那、北田千尋、Va.中恵菜、Vc.笹沼樹)により結成された。勉強不足で存じ上げなく申し訳なかったですが、素晴らしかったですね~。なんかふつうに自分が聴いているベテランのカルテッドと全然遜色ないんだよね。もう驚いちゃいます。自分が差を認識できないアマチュアというだけなのか、それともほんとうに上手いのか。たぶん間違いなく後者です。自分はそれなりに経験を積んできたという自負があるので、そこら辺の識別には自信があります。


ほんとうにすごいよ。驚くばかりであった。




●<第4部>19:00開演


幻想小曲集 イ短調 Op. 88 (葵トリオ)


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ピアノ四重奏曲 変ホ長調 Op. 47 (シュミット/鈴木/マインツ/阪田)


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ピアノ五重奏曲 変ホ長調 Op. 44 (諏訪内/米元/佐々木/マインツ/ガヤルド)


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やっぱりシューマンの室内楽の名曲、王様と言ったら、ピアノ四重奏曲、ピアノ五重奏曲であろう。もう名曲中の名曲で、室内楽コンサートではかならずお目にかかることの多い曲だ。


とくにピアノ五重奏曲はその頂点に立つと言ってもいい珠玉の名曲、秀逸な作品で、とくに最終楽章のあの盛り上がりのところは、まさに春の訪れである。もうシューマンと言ったら結局ここなんだよね~。(笑)


シューマンのピアノ五重奏曲と言ったら自分は想い出がある。東京オペラシティコンサートホールのリサイタルホールのほうで、ゴローさん存命のとき、ゴローさん、みつばちさん、そして島田真千子さん、などのメンバーで、このシューマンのピアノ五重奏曲の演奏会を披露したことがあり、ゴローさんがmixiの日記でぜひ応援に来てくれ~、というお誘いに、自分はかけつけたのであった。


懐かしすぎる~。(笑)何年前のことだ?少なくとも2012年より前のことだから、12年以上前のことだ。

ヴァイオリンは1stが島田さんで、2ndがゴローさんだった。ピアノがみつばちさん。


これから開演、いざ始まる、というときに、ゴローさんがふっと立ち上がり、この期に及んで椅子の高さを調整していた。もっと始まる前にやっておけよ(笑)、と思ったものだ。図太い神経だな、ゴローさんらしいとも思いました。


それはそれは素晴らしい演奏で、”シューマンの曲は春の訪れ”というのは、そのときにこの曲を聴いて、自分の中に深く刻み込まれたフレーズだった。シューマンのピアノ五重奏曲が室内楽の名曲中の名曲である、ということも、このときにしっかり自分の中に刻み込んだ。あの公演は忘れられないです。


シューマンのピアノ五重奏曲と言ったら、あのコンサートのことを思い出すし、自分の中ではあの公演がナンバーワンの位置づけです。


個人にとってのメモリアルなコンサートの想い出というのは、じつはプロの演奏でない場合が意外と多いんですよね。


幻想小曲集と言ったら、もともとピアノ曲集で、ふつうシューマンのアルバムでは、子供の情景とカップリングで、この幻想小曲集が入っているアルバムが多いですね。これを葵トリオで聴く。素晴らしかった。なんか懐かしい感じがした。自分が一生懸命クラシックを勉強していたときのことを思い出すというか。。。


ピアノ四重奏曲もスタンダードな名曲。もちろん素晴らしい演奏だった。


そして最後の大トリ。ピアノ五重奏曲。諏訪内晶子さんが満を持してついに登場。

朝11:00からずっと聴いてきたシューマンの室内楽コンサート。もう夜の20時近くだったかな。なんか最後の大見せ場にふさわしいゴージャスなアンサンブルで自分はついに来たか~という涙がうっすらと・・・。もちろんこのとき自分のメモリアルのあの公演のこともオーバーラップした。最終楽章のあの盛り上がる、昇天して行ってエンディングに入る、あの感動の進行は相変わらず痺れました。


1日かけてのフルマラソンコンサートにふさわしいエンディングだったと思います。


最後は、芸術監督の諏訪内さんが、御礼のご挨拶とアンコール、クララ・シューマン 3つのロマンス Op.21より第1楽章で締めたのでした。



若手の演奏家のみなさんは、その実力の期待値通りの抜群のアンサンブルの精緻さと色艶のある表現力で、シューマンの味わい濃いテイストを十分に醸し出していたと思います。やはり室内楽って、聴いている聴衆からすると、各楽器のこまやかなフレージングやニュアンスが手にとるようにわかるもんなんですよね。そういうすごい生々しさがじかに感じ取れるのです。


突っ走らないし、ちょっと呼吸する、ちょっとフレーズを歌う、ちょっと息を抜くといったところがシューマンの曲のやんわりとした幻想的な感覚に妙にマッチしていてお見事としか言いようがなかったと思います。


音程の安定感と音の柔らかい伸びが素晴らしく、繊細な心の動きやふるえが感じられる表現はみんな若いのにベテラン並みだと感服しました。


室内楽の素敵なところは、音数の少ないことに起因する、そのほぐれ感、ばらけ感、隙間のある音空間を感じることで、音が立体的でふくよかに感じ取れる感覚になれるところだと思います。


大編成のオケの重厚な音では絶対味わえない豊潤なひとときだ。


そんな素敵な「音のさま」がこの音響の素晴らしい東京オペラシティコンサートホールに響きわたるのを聴けたのは本当に最高の幸せ。


これから未来の日本のクラシック界を背負って立つべく、経験、大舞台をどんどんキャリアを積んでいって大きくなっていってください。


私も最初は優しく包容あるように論評しましたが、これからは厳しいです。(笑)

やっぱり演奏家にとって、音楽評論は優しいだけではダメだと思います。お互い両者にとって伸びていく、学んでいく、育っていくには、お互い前向きで真実に迫る厳しいアドバイスも必要だと思います。


今日体験した若手演奏家のみなさんは、きっとこれからの大スターとなるそういうオーラがありました。

すごく楽しみにしています。


最後にシューマンの室内楽というと、もうひとつ自分には思い出があります。

こうしてみると、自分は意外やシューマンの室内楽、実演の経験多かったです。


ゴローさんご逝去の2012年。その年の年末をどう過ごそうか。第九はマンネリだしな~と思っていたところに、堀米ゆず子さんのシューマンの室内楽コンサートが、東京文化会館 小ホールであったのです。2012年12月21日でした。年末の聴き納めはこれにしよう!と即決でした。


プラチナ・ソワレ第3夜「冬の一夜、シューマンとともに」というタイトルで、



ヴァイオリン:堀米ゆず子

チェロ:山崎伸子

ピアノ:津田裕也


曲目


シューマン/アダージョとアレグロ 変イ長調 Op.70

シューマン/子供の情景 Op.15

シューマン/ヴァイオリン・ソナタ 第2番 ニ短調 Op.121


~休憩~


シューマン/ピアノ三重奏曲 第1番 ニ短調 Op.63



でシューマンの室内楽を楽しんだのでした。



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堀米さん、若い!!!(笑) 


いまでもよく覚えていますよ。


堀米ゆず子さんとゴローさんとは親交があって、ゴローさんのNHKのクラシック番組にもよく出演してもらっていた間柄でした。


そしてこのコンサートが終わった後、堀米さんはMCで、この年亡くなった小林悟朗さんのことに言及して、


「今年、私の大切な友人だったNHKの音楽ディレクター、小林悟朗さんが亡くなられました。つい先だって、「ヴァイオリン戻ってきてホントに良かったねぇ~。」とかいろいろ話していたばかり、いまだに信じられません。今日はその悟朗さんが大好きだったシューマンのピアノ四重奏曲の第3楽章をアンコールに演奏したいと思います。今日はトリオでしたが、このアンコールのためにヴィオラをわざわざ呼んできました。(笑)どうぞお楽しみください。」




そう言えば、堀米ゆず子さん、昔、空港の税関で自分のヴァイオリン、ガルネリを没収されてしまった事件ありましたね。(笑)いま昔の日記を読み返して思い出しました。そんなことあったな~という感じです。


シューマンの室内楽というのは、じつは自分にとって、コンツェルトハウス ベルリン、ピアノ五重奏曲、そして堀米さんコンサートと意外に縁が深かったということをいまこの日記を書きながらわかりました。


きっと、この国際音楽祭NIPPON2024 シューマン室内楽マラソンコンサートも、音楽の神様が自然と赤い糸で結び付けてくれて、当の本人である自分はすっかりそのことを忘れて、よっしゃ~若手を聴きに行くか~というなにげない動機で4部ともフル参加した、という偶然だったのかもしれません。


自分の時代から、若い新しい時代へ。

そういう縁結びだったのかもしれません。


音楽の神様に感謝です。


音楽の神様はいつも自分の音楽人生のことを見守ってくれています。











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コンサートのキャッチボール [クラシック雑感]

今日のトリスタンとイゾルデを聴いて、長年自分の中でもどかしい想いをしていたことが、ようやくわかった。


ずっと自分のライフとして生演奏、実演とオーディオの両方を聴いてきて、なぜ生演奏、実演のほうが感動するのか。D-Range、低域再生という言葉を使ったりしていたけど、なにか足りない、というかずばり言い得ていないもどかしさがあった。


なんか、もっと的確に表す言葉がないものか。

たしかに技術的な観点から考えると、D-Rangeとか低域再生とか、あと音場感とか、スケール感、立体感、自分の身体の周りが響きで包まれるような感覚とかいろいろある。


でもそういった技術的な用語では説明できないなにかがある。ずっとそう思っていた。なんか言い得ていないというか、そのものずばり、というストライクな感覚がない。


なんなんだろう、とずっと考えていた。


それはステージと聴衆との間の心のキャッチボールだ。


演奏中のステージと聴衆との間の真剣勝負、張りつめた空気感。


そして終演後、演奏者が心を込めて演奏をして、どうですか?いかがでしたか?と我々に投げかけてくるそのボールに、我々は大感動をする。割れんばかりの拍手とブラボーで応える。あるいはその反対の大落胆、ブーもある。


そういう双方向の見えないコミュニケーションがあるからじゃないか。

そこに人間同士の心の通い合いというか、そういうつながりがあるからじゃないか。


で、そこには予期せぬ驚きがある。開演時はどうなるかわからない。誰も予想できない。でも終わってみたら、まさに一期一会の名演だった。


そこに予期せぬ驚きがあり、我々に与えるその瞬時のインパクト、衝撃度が凄まじいということじゃないか。なんか感覚的にそういうことじゃないかな、とようやく言葉で言い表せれるようになってきた。いままでドンピシャで言葉で書けなくて、なんなんだろう、とずっともどかしい想いをしてきた。


そういう双方向のキャッチボールがあって、そして予期せぬ驚きがあるから、そのインパクトが瞬時ですごいのだ。それが実演の凄みなんじゃないか。


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録音再生は、どうだろう。双方向の心のキャッチボールはあるだろうか。そして予期せぬ驚きがあるだろうか。たぶん聞き手、リスナー側の一方的な要望により再生して感動を得る。そして、その音源が優秀録音なのか、否かもよくわかっている。そういう予定調和の中での快感というか期待を裏切らない快感なのだろうと思う。


どっちがいい、というような単純なことを言うつもりはない。


自分は昔からオーディオ再生が大好きだったので、オーディオの魅力もよくわかっている。やっぱりオーディオは所有感の美学というか、自分の空間に装置がビシッと決まっていて、それが鳴っている図が堪らんという感じなんだよね。男の人が好きな車と同じ感覚。


ハイエンドオーディオが大好きだった自分。あのフォルムの美しさ、あの空間、装置が鳴っているそのサマが堪らんという感じです。そして技術的に深いところも堪らん、そそられる。


鳴るようにいろいろ調教する楽しみもあるだろう。

あと、優秀録音のソフトを見つけ出して集めるのもコレクターで楽しいもんなんですよね。(このパターンは多いですよ。)


スピーカーからいい音が出ているあの感動(おっいい音じゃん、すごい音じゃんと一瞬思うあの感覚)と、コンサートで受ける感動は、なんか別物のような感じがするんですよね。


それを等しくなるようにするのも理想のひとつなのかもしれないが、でも現実はなかなかねぇ。大きな違いが


・双方向で心のキャッチボールがあるかどうか。

・予期せぬ驚きがあるかどうか。


ずっとなんなんだろう?と言葉で言い表せなくてもどかしい想いをずっとしてきたのだが、こういう表現をすれば言い得ているのかな、と今日の公演を聴いて閃いた。


そういうことを一瞬にて閃かせてくれるくらいの今日の公演は大名演だった。


もちろん生演奏は水物なんで、当たりもあれば、外れも多い。

その点録音再生はつねに安定な快感を得られる。


つねに間違いない快感を得たいのであれば、録音再生がいいだろう。


でも生演奏の当たりだった場合の感動は、すごいインパクト大きいんですよ。それも瞬時でドバ~と襲い掛かってくる。もう痺れる~という感じである。


これは病みつきになりますよ。繁々とコンサートホールに通うのはそういう出会いをしたいからである。


コンサートゴアの方にとっては、オーディオは理解できないかもしれませんね。

やっぱりオーディオは好きな人じゃないとその気持ちはわからないと思う。


生演奏で外れだった場合は、ほんとうにガッカリである。こういうことを言うと、トゲがあって嫌な気持ちにさせてしまうのが嫌なのだが、やはりコンサートチケット代は高額で、しかも身銭なので、自分の働いたお金でやりくりして買っているので(貧乏庶民なので。。笑笑)、凡演や外れだった場合のがっかり感、怒りはやはり凄まじいです。演奏側からすると連日公演のうちのOne Of Themなのかもしれませんが、自分はその1日にピンと合わせて勝負をかけて来ているので、それが凡演だったときの怒りはやはり大きいです。なんとも言えない虚しさが残ります。


とくに海外旅行の場合の落胆度は半端ではないですね。もう1年前からずっと準備をしてきて、もう何十万という予算をかけて、気合を入れて、いざヨーロッパの劇場に乗り込んだら、凡演で唖然としてしまった、ということも多いです。


自分は外様客で、外国人演奏家だと、そんな気持ちもわからない、察してくれないだろうから、余計虚しい訳です。どこに怒りをぶつけていいのか。(笑)


それが生演奏は水物、といわれる所以です。


”生演奏とオーディオ”については、このブログを始めた当初からずっと語っていることだけど、もう尽きた感もあるけど、でもいまだに真相はわからない、という永遠のテーマです。



そしてこの御命題は、人によって、みんなそれぞれの考え方があって、どれが正しいとは一概には言えないけれど、自分の経験、自分の考え方に基づくという限定であれば、1冊の本が書けると思いますよ。(笑)













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東京・春・音楽祭 トリスタンとイゾルデ [国内クラシックコンサートレビュー]

終演後、もう頭がフラフラ、ずっとモチーフが頭の中でループしていて、感動がそのままずっと続いていて意識朦朧な感じで、帰りの電車を3回乗り間違えてしまった。(笑)山手線をいつもと反対周りに乗ってしまうし。


上野から自宅までは1時間半で帰れるところをなんと3時間以上かかってしまった。


ヤノフスキ&N響すごすぎる~。(笑)


帰宅してからも、もうこの勢い止まらず。ずっとこのまま余韻をキープしたくて、PENTATONEヤノフスキ盤で夜中の3時まで絶賛再生。そして眠りに着こうと思ったのだが、もう神経が高ぶって興奮している状態で、もう今日は眠るの無理。


そしていまこの日記を書いている。


東京・春・音楽祭では2020年にヤノフスキ&N響で、トリスタンとイゾルデをやる予定であった。でも残念ながらコロナで中止となった。トリスタンは自分にとってワーグナー最大の演目なのでこれをヤノスフキ&N響で聴けるのは最高の楽しみだったのだが、このときほど無念に思ったことはなかった。


そして4年間のインターバルを経て、今年リベンジである。


上野の春の風物詩。東京・春・音楽祭。

自分は東京オペラの森で小澤征爾さんのエフゲニーオーネギンの頃から通っているから、もうこの音楽祭の歴史とともに歩んでいるようなものだ。もう走馬灯のように頭の中を想い出が駆け巡る。でもほんとうにビッグな音楽祭になってうれしいです。


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今日の公演は、自分がいままで体験してきたトリスタンとイゾルデの実演の中で最高のステージだったと断言できる。去年マイスタージンガーをいままでの東京春祭のN響ワーグナーシリーズの中で最高の出来栄えと言ったが、今年はそれを超えたと言ってもいいのではないか。


今年のトリスタンとイゾルデは、いままでのN響ワーグナーシリーズの中で文句なしのナンバーワンだ。


凄ましかった。


一期一会とはこういうことを言うのだ。


こんな名演に巡り合えて、自分は本当に幸せ者だと思う。生演奏なんてほんとうにどうなるかわからない中での予期せぬ驚き、そのインパクトも衝撃的で大きい。


ものの見事にノックアウトされて、終演後フラフラになって帰ってきた。


そして結論から言うと、自分は演奏会形式でオペラを鑑賞する、ということに改めて思うところが多かった。自分はトリスタンとイゾルデはいままでずっとオペラ形式でしか観たことがなかったのだ。全部オペラで観てきた。トリスタンをコンサート形式で鑑賞した、という記憶がない。


演奏会形式で観ることで、このオペラの印象がずいぶん違ってきた。先の新国オペラのトリスタンの日記で、自分はこのオペラってすごい冗長的な印象を持っている、ということを言及したと思う。


でも演奏会形式で鑑賞すると冗長的どころか、聴きどころ満載の美しい旋律、そしてモチーフも頻繁に表れていることを認識できるし全編通してなんと美しいオペラなんだろう、と再認識したのだ。


とくに第2幕の二重唱は美しさ満載で、陶酔感がある。ある意味このオペラのいちばん酔えるところなのかもしれないが、じつは自分はオペラで観るといままでそこまで最高というほど感動したことがない。


これはたぶんオペラ形式だと、オペラは総合芸術なので、舞台装置、演出、歌手たちの演技などいろいろなことが視界に入って来て頭の理解力を占有する。音楽だけに集中できないところがあると思う。


ところが演奏会形式だと、ほんとうにオケと歌手たちの歌だけ。舞台演出がいっさいない。ワーグナーの音楽だけを純粋に楽しめる。これでようやくこのオペラの音楽の美しさに気づいたのではないか、と自分は考えた。


ヤノフスキSACDで何回も聴いたし、オペラも何回も観たのに、いままで分かってなかったの?という感じなのだが、今日は初めての演奏会形式ということでほんとうに純粋に音楽だけを楽しめて、トリスタンの音楽の美しさにいまようやく気づいた感じである。


これはある意味、ヤノフスキの理論そのものである。ヤノフスキは、昨今のワーグナーのオペラはかなり過度な演出で、聴衆がそちらのほうばかりに神経が集中してしまうため、純粋にワーグナーの音楽の美しさを堪能できない。ワーグナー音楽はやはり演奏会形式に限る、と断言している。そしてPENTATONE録音でもそれを実践してきた。


そういうことだったのか、といまになってようやくわかる。


もちろんオペラ形式も素晴らしいですよ。自分の理解力がそこまで頭が回らなかったということです。


あと演奏会形式はやっぱり音がいいですね。ピットに閉じ込められていないから、ものすごく開放感があって音がいいです。やっぱり遮るものがなく、音の伸びがあって聴いていて気持ちがいいです。やっぱり自分は演奏会形式が好きだな。


Copyright:東京・春・音楽祭 Facebook


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とにかくヤノフスキ&N響がすごかった!


歌手たちも素晴らしかったが、なによりもいちばん衝撃だったのは、ヤノフスキ&N響のオーケストラだ。やっぱりワーグナーはオーケストラが厚くてうねる感じで重厚でないと酔えない。彼らがいちばんの主役だったと言えるのではないか。ここまでドライブされて鳴りに鳴っていたオーケストラは昨今では記憶にない。圧倒されました。そして最高に格好良かった。


いやぁ~やっぱりワーグナーはこうじゃないとダメだよな~というお手本のような演奏でした。かなり高速でハードボイルドなワーグナーでした。(笑)


弦の厚いこと。そしてうねるような感じ。陶酔感満載。酔えるというのはこういうことを言いますね。


やっぱりワーグナー音楽って、まずオーケストラがいちばん根底を成す重要なところなんだということを再認識しました。屋台骨というか。。。その上に歌手の出来栄えが乗ってくるという感じですね。


オーケストラは指揮者によってその音が変わるとはよく言われることですが、N響からこれだけの”鳴り”を引き出すヤノフスキにひたすら脱帽という感じです。


もうワーグナー音楽を完璧に手中に収めていて、その思うとおりにオーケストラから鳴りを引き出し、ドライブしていってワーグナー音楽を構築していくその指揮ぶりにもう圧巻でした。見事というしかない。あらためて惚れ直しました。


ヤノフスキはリハーサルなどかなり厳しいらしいですよ。N響とはもう長年のパートナーですが、怒られに怒られ、ばっちり鍛え抜かれたN響。そうして出来上がった筋肉質なサウンド、あっぱれでした。


そして、これは毎年ヤノフスキ&N響の演奏会形式を見て、驚くことなのだが、普通、オペラ歌手が歌うところでは、オーケストラ自体の音量を下げて、歌手の声をかき消さないような指示をしたりする指揮者が多いのだが、ヤノフスキはまったくその反対なんですよね。歌手が歌っているところこそ、オーケストラに、もっと大きく、もっと大きくという指示を出しているかのようにオーケストラの音量をより一層上げている。


歌手もヤノフスキのときはほんとうに大変だと思うのだが、でもそれがより一層、ヤノフスキの紡ぐワーグナーが、終始一貫して、雄大で重厚なサウンドなのは、そこに起因するのではないか。歌手が歌うアリアこそもっともアピールする箇所で、そこでオーケストラを雄大に鳴らし、ドラマティック性に華を添える。


所々で、音量の強弱を繰り返す音型よりも、ずっと一貫して突っ走る(もちろん多少の音量強弱はあると思いますが)、それが終始、全体的に雄大でスケール感の大きいワーグナーを表現できるヤノフスキ独自のワーグナー戦略なのだと思う。


去年と同じ第3幕で吉井瑞穂さんがオーボエ首席として入るなど、メンバーチェンジがいろいろあって総動員体制という感じでした。第3幕の池田昭子さんのイングリッシュホルンのソロ。あそこはすごい難所なんですよ。すごい難しいところ。聴いていて外さないでよ、外さないでよ、と祈らざるを得ないくらい長いソロで、もう見事でした。さっすがです!!!


東京オペラシンガーズは相変わらずすごいですね。主に第1幕ですが、もう声の音圧がすごい。もうエネルギーの塊という感じで声のハーモニーが飛んでくる。驚きました。


では歌手陣に行ってみますね。


歌手陣は、飛びぬけて驚くほどすごいという印象はなかったですが、でもハイレベルでまとまっていてみんないい歌手だと思いました。粒ぞろいのいい歌手が揃っていました。


毎年思うことなのですが、東京春祭実行委員会の選考委員のみなさんは、どういう情報源パイプから、そしてどうやってこんないい歌手たちを集めてくるのかほんとうに凄いと思います。これから時代を担う新しい育ち盛りの歌手を選んでくるその選択眼が素晴らしいと思います。



イゾルデ(ソプラノ):ビルギッテ・クリステンセン


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ワーグナー歌手といういわゆる巨艦ぶりな歌手ではなく、やや声量控えめな叙情的で優しいソプラノですね。最初出足が不安定で、イゾルデにはなかなか厳しいかな、と最初思いましたが、徐々に喉が温まってきてヒートアップしてきてもう十分すぎるくらいイゾルデを演じ切りました。


声質は透明感があって、美声だと思います。最初気になった声量の小ささももう中盤以降は全然十分すぎるくらいで素晴らしいと思いました。


イゾルデはもう見せ場はたくさんありますが、やはり第3幕の愛の死。号泣しました。(笑)涙腺が堪えきれず、ついに決壊。このオペラで昇天するいちばん肝のところですから、いつ来るか、いつ来るか、と待ち構えていましたが、もう期待に十分すぎるくらい応えてくれて最高でした。


もうこのときは、よくやってくれた、よくやってくれた、と涙ながらに喝采しました、です。


もうブラボーを贈りたいです。最高のイゾルデでした。




ブランゲーネ(メゾ・ソプラノ):ルクサンドラ・ドノーセ


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素晴らしかったです。自分は最初、イゾルデと区別がつかなく、2人ともすごい似たような声質と声量だな、と思いました。この2人非常に似ているタイプの歌手だと思います。いい歌手だと思います。このオペラではブランゲーネはすごい歌う場面が多いですから、存分に堪能しました。素晴らしかったと思います。


第2幕ですかね。三重唱のときに、このブランゲーネだけがバンダのように、客席で歌うところがあったんですね。そして3人で重唱するわけです。それが私の席のすぐ傍で歌ってくれたのです。(2階席)もうオペラ歌手が歌っているところをこんな至近距離で聴くのは人生で初めて。もうすごい臨場感で生々しさがあって、発声の出だしのところはもうすごい音圧です。うわぁ、やっぱりオペラ歌手ってすごいな、と思いました。もう別次元の才能の持ち主、という感じですね。我々凡人の想像の域の遥か上を行っていると思います。


素晴らしい歌手だと思いました。




トリスタン(テノール):スチュアート・スケルトン


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たっ体格が!(笑)すごいです。でもいい声してますね~。素晴らしいと思いました。いわゆる突き抜けるような感じではありませんが、優しい柔らかい声質でいい声してるな~と思いました。喉の声帯が広いというか声の発声に器的な余裕がありますね。そして定位感もあります。自分的には今回は男性陣が素晴らしいと思っていたところがあって、その筆頭格といってもいいのではないでしょうか。主役を張るだけの主張感、存在感がありました。


特にトリスタンの最大の見せ場、第3幕の1人語りのところですね。もう独壇場でしたね。最高でした。



マルケ王(バス):フランツ=ヨゼフ・ゼーリヒ


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自分の数少ない拙い経験でしかありませんが、トリスタンとイゾルデでは、マルケ王は大体いい歌手が多いんです。(笑)毎回好評な評価を得る場合が多いです。バスのあの低音の魅力で安定感と定位感があって、ずば抜けた存在感がありました。マルケ王は重要な役柄でもありますね。




クルヴェナール(バリトン):マルクス・アイヒェ


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自分は、今回2階席だったので、もともと視力が悪いので、間違っているかもしれませんが、男性歌手陣の中で飛びぬけた実力、歌唱力を持っていたのは、このクルヴェナールです!もう他の追随を許さないというか、もう発声しただけで、もう全然ひと味違うというすごい声量があります。


艶のあるいい声をしています。飛びぬけています。うわぁ、これはスゴイな。たぶん一流歌手だろうな、と思っていましたが、案の定バイロイトでも活躍しているみたいですね。というかこの方、東京春祭ワーグナーシリーズの常連さんですね。(笑)顔写真を見たら、もう完璧に記憶にあります。もう毎回出てくれているのではないでしょうか。貴重なレギュラー出演歌手です。今回の男性陣の中ではナンバーワンではないでしょうか。最後のカーテンコールでも1番歓声が上がりました。




あと、もう東京春祭では、すっかり常連のメロート役の甲斐栄次郎さんも素晴らしかったし、同じく常連の大槻孝志さんや、高橋洋介さん、金山京介さんも素晴らしかったです。しっかり見届けました。




とにかくオーケストラに歌手陣。穴がなかった。全体に綺麗だけど破格外レベルまで拡張してまとまっていた。パーフェクトだった。いやぁひさしぶりに激感動しました。ドラマティックでした。ひとつの大きな絵巻物語を見終わった気分です。


やっぱり最後は余韻を楽しむ、ということをマナーとして取り入れたいですね。自分なんて絶対余韻を楽しむ派、あの長い沈黙があるからこそすべてに重く荘厳に終わると思うのですが、世の中にはすぐに拍手したい(フライング!)人もいっぱいいるんですね。人によりけりです。この日もそうで、せっかくの大伽藍をぶち壊しです。ヤノフスキが両手で制止して、すぐに沈黙を取り戻し、事なきを得たという感じです。




官能的で悩ましくて麻薬のような独特の旋律。聴いていると人の感情を内から煽り立てるような刹那というかそんな仕掛けを感じてしまう。ワーグナーの10大楽劇作品の中でも、かなり異端で特異な旋律である。



トリスタンとイゾルデは、ワーグナーの作品の中で最高傑作である。


ヤノフスキは85歳だそうだ。今年亡くなられた小澤征爾さんやポリーニが同じ80歳代だったことを考えても信じられない元気溌溂の現役ぶりで、自分が以前拝見した感じからまったく変わらず、衰えていなく驚くばかりである。


ヤノフスキに対して、やっぱり自分は特別な感情を持っているんですよね。しかめっ面の笑わない頑固なオヤジかもしれないけど、1本筋が通っている。自分の理論、自分軸を持っている。


カラヤンやバーンスタイン、小澤征爾さんは、もう自分が生まれたときから大スターだった。でもヤノフスキの場合は、なんか自分といっしょに育ってきたというか、自分といっしょに歩んできた同士のような感覚があり、とても親しみを持っている指揮者なのである。


これからも元気で頑張ってほしい。


マレク・ヤノフスキは、自分の誇りである。


4/13のNHKホールでのN響定期もチケットを取りましたが、東京春祭の川本嘉子さんのブラームス室内楽とかぶってました~。(笑)ブラームス室内楽のほうを優先します。残念。



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東京・春・音楽祭2024

2024年3月27日 [水] 15:00開演(14:00開場)

東京文化会館 大ホール


東京春祭ワーグナーシリーズ VOL.15

ワーグナー:楽劇《トリスタンとイゾルデ》(全3幕)

上演時間:約5時間(休憩2回含む)


 

指揮:マレク・ヤノフスキ

トリスタン(テノール):スチュアート・スケルトン

マルケ王(バス):フランツ=ヨゼフ・ゼーリヒ

イゾルデ(ソプラノ):ビルギッテ・クリステンセン

クルヴェナール(バリトン):マルクス・アイヒェ

メロート(バリトン):甲斐栄次郎

ブランゲーネ(メゾ・ソプラノ):ルクサンドラ・ドノーセ

牧童(テノール):大槻孝志

舵取り(バリトン):高橋洋介

若い水夫の声(テノール):金山京介

管弦楽:NHK交響楽団(ゲストコンサートマスター:ベンジャミン・ボウマン)

合唱:東京オペラシンガーズ

合唱指揮:エベルハルト・フリードリヒ、西口彰浩

音楽コーチ:トーマス・ラウスマン







 




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松坂牛 よし田 [グルメ]

東京オペラシティのコンサートに行くときは、かならず座るとこがない、ということと、食事をするところがない、この2点で困り果ててしまう。まさに都会のビル空間の中にあり、無機質な都会空間なのだ。


でも最近気がついたことに、東京オペラシティビルは、複合施設の高層ビルなので、上階の53F/54Fに食べ物処がたくさん集中していることがわかった。高いところにあるのでぜんぜん気がつきませんでした。気づいたのは最近です。


その53Fにちょっと自分が惹かれるというか、気になるお店がある。


それが”松坂牛 よし田”である。


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もともとのきっかけは、Instagramで自分のTLにプッシュしてきたこと。なにせすき焼きが大好きなので、そのすき焼き御膳の写真がじつに美味しそうで、美味しそうで。これは食べてみたい、すぐに行ってみようということになった。値段も1,500円とお手頃である。


しかも東京オペラシティの53Fである。新しい食事処を発見した、という感じである。しかも悩んでいた東京オペラシティで。


松坂牛 よし田は、もともとは、世界最高峰の時計・ジュエリーを扱うYOSHIDAがもともとの企業体。

そこがサイドビジネスとして、一流の食を求めるお客様のために、レストラン「松坂牛 よし田」をオープンしたとのことなのだ。


もともとが宝石店!それがレストランもやる。ビジネスってやはりこういう余裕があるところが勝ちますね。余裕があると、それがお客にも直感で伝わります。いつもカツカツなところは、そんなゆとりがなく、それがお客様にも敏感に伝わってしまいます。


でも、それって大富豪の企業だからですよね。(笑)ふつうどこの企業も、とくに中小企業はみんなカツカツで、そんなゆとり出している余裕ないのが実情なのではないでしょうか。



松阪牛の最高の美味しさを味わっていただくために鉄板焼き・すき焼き・しゃぶしゃぶの3つのスタイルと、松阪牛をメインとした会席料理になります。


松坂牛ですよ!!!


もう国産牛肉ナンバー1ですね。松坂牛とかの国産の牛肉の最高級というものは、あの人形町今半のすき焼きのときに、ずいぶん勉強しました。最高級牛肉のすき焼きってほんとうに別次元の美味しさです。ちょっと庶民では味わえない高級な料理ですね。


とにかく牛肉が口の中でとろけるように甘い。ものすごい甘いです。

それを溶き卵で食べるなんとも贅沢なひととき。


あの感覚は、今半で体験しましたが、いまでも濃厚に覚えています。


料理は学校法人 服部栄養専門学校 理事長・校長のあの服部幸應先生が監修しているのだそうですよ。


この松坂牛 よし田の最高の料理にあわせるための選りすぐりの銘酒も用意されています。フランスDRC・五大シャトーや、日本では輸入本数が少なく、稀少で高品質なスイスワインなど価値ある銘酒たちが、あなたをお待ちしております。(笑)


High Societyですね~。

さすがジュエリー店です。


そして、なによりも楽しみなのが、東京オペラシティビルの53Fという抜群のロケーションなので、東京の景色をそこから一気に見下ろせる、東京都心を俯瞰する最高の絶景のCity Viewなのだ。


地上200mから、昼間は明治神宮や新宿御苑の緑、夜は東京の夜景を一望できる美しい景色。


もうこれは堪らん!松坂牛のすき焼き御膳も楽しみだけど、この絶景Viewも楽しみで楽しみで。


こういう高層エリアからの絶景Viewは、大体昼間より夜景のほうが感動しますね。渋谷スクランブルスクエアのShibuya_Skyももう断然夜景のほうが綺麗で感動しました。


チャレンジするなら夜がお薦めです。


ちなみに、松坂牛 よし田の夜景Viewはこんな感じだそうですよ。



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美味しい料理・ワインと絶景ロケーション。


一流ジュエリー店が提供する最大のおもてなし空間である。


自分のInstagramのTLにすき焼き御膳の写真がプッシュされてきて、それが美味しそうで、美味しそうで。しかも1,500円というお手頃価格。


自分はそれ以上調べず、本能的にお店に向かいました。


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そうしたら、朝11:30開店なのですが、もうすごい長蛇の行列なんですね。

そしてスマホでメニューを調べてみたら、驚いてしまいました。


鉄板焼きもすき焼きもしゃぶしゃぶも、そして会席料理も、みんなコースになっていて、50,000円とかします。


5万円!!!


食事に5万もかけられるか!


このとき、自分は遠い記憶の彼方に閉じ込められていた、すっかり忘れていたフレンチのトゥール・ダルジャンのことを思い出したのです。


松坂牛 よし田は、超一流のHigh Society御用達のレストランだと思いました。


もうプライシングが庶民感覚を超越しています。


最高級が5万円で、それぞれ段々グレードが下がっていきますが、それでも2万5千円、とか1万5千円とか、です。


貧乏人の自分には無理です。(笑)

うわぁ、三流庶民の自分の居る場所ではないなと直感で感じました。


でも、Instragramでは確かに、1,500円のすき焼き御膳がありました。すると確かにあります。でもそれはメニューの本命ではなく、ついでのサービスみたいな位置づけで、いわゆるランチメニューです。しかも限定20食とかの制限付きです。


自分はそのことを知らずに、最初行ってしまい、しかも長蛇の列に並んでいたので、これじゃあっという間に20食完売だな~と思いました。お店の女性の仲居さんに聞いたら、案の定完売だとのことでした。


もう万単位のメニューしか残っていません。


自分は諦めてスゴスゴと帰ってきました。


さすが一流レストラン。メニューは万単位が基本なのです。1,500円のランチは、ランチ限定の特別メニューに過ぎないのです。しかも20食限定。


まっ結局、自分には縁がないレストランだったんだな~と思いました。


それで数日過ごしていたんですが、ふっと思いつきました。

11:30開店ならば、朝早くからいの一番で並べばいいのではないか?

だとしたら、20食限定のフィルタをクリアできる。


あの松本でのうなぎ屋さん、うなぎのまつ嘉のときと同じ戦法です。


思い立ったら即実行ゴーです。


11:30開店なのに、9:30着で並びました。(笑)準備しているお店の男性に、こんなに早く並んでいる人は、いままで見たことない、初めてだ、と労われました。(笑)


黒毛和牛のすき焼き御膳を食するための自分の諦めない根性の成せる業です。


そうして歩行障害の自分にとって2時間立ちっぱなしというのは、まさに苦行そのものでしたが、ようやくオープンです。


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やはりお店のフロアの空間は、まさに高級レストランそのもの。基本は和空間、和風テイストだと思いますが、とても清潔感溢れる美しい空間でございました。男性スタッフは洋装、女性スタッフは和服です。


日本の伝統的な技法を取り入れた「心からのおもてなし」空間を演出します。多忙な日常から離れ、静寂で優美な空気感につつまれながらも、組子細工などの和の高級感が贅沢なひと時を創り出します。


最初想像していたフロア空間は一面にだだっ広い空間なのかな、と思いましたが、実際は小さなエリア空間に区間割されていて、その間を細い通路が通っている、というカウンター、お座敷などが細かく区割りされている空間でした。


自分はもっとも渇望していた絶景Viewを臨めるカウンターに通されました。


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素晴らしい~とは思いましたが、なんか思ったほど驚きもなく、実際の絶景Viewも遠い感じで、まっそれなりだと思いました。絶対夜景がいいですね。


目の前は鉄板になっていて、ここでシェフが実際、鉄板焼きを調理するところを目の前でショーをしながら楽しむのだと思いました。横浜・馬車道の瀬里奈ドームと同じですね。


自分は、もちろん”黒毛和牛のすき焼き御膳”をオーダーします。メニューには公式サイトに載っていないスペシャルバージョンというのがありましたので、そちらにしました。


ランチメニュー、20食限定です。自分はもちろん1食目のお客さんです。(笑)


これが夢にまでみた、松坂牛 よし田の黒毛和牛 すき焼き御膳です。


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とても甘くて美味しいです。さすが最高峰 黒毛和牛です。

すき焼きってやっぱり美味しいですよね。ひさしぶりに食べた感動はひとしおでした。この濃い目の割り出し。まさに関東風の濃い味付けですね。つけ合わせのトロロがありました。すき焼き鍋でグツグツ煮るときに、このトロロをまぶすのもこれまた一興なのだそうです。


でも自分は、人形町今半で最高級のすき焼きを経験済みです。その感覚と同レベルのグレードを期待していたこともあって、やはりそうは世の中甘くないな、と思いました。あんなに牛肉が大きくないです。やっぱり細かく小片にカットされていて、思っていたほど食べ応えがなく、口に入れたときの感動も。。。う~ん、やはり安価なランチメニュー限定なので、それなりのグレードだな~という感覚はありました。


でも、でも、それでも全然十分です。それを差し引いてもぜんぜん最高に美味しかったです。1,500円(自分の場合、スペシャルだったので、2,000円でしたが。)のすき焼き御膳としては最高級の美味しさだと思いました。


ランチメニューはあくまでサービス、オマケなんですよ。本チャンは万単位のフルコースメニューのほうなのです。松坂牛 よし田は、この松坂牛をふんだんに贅沢に使うフルコースに勝負所を置いているのです。


自分は十分満足した気持ちになりました。

達成感ありました。


2時間前から並んだ甲斐がありました。


いい想い出、体験になりました。


ひとついまだに不思議なのは、お店の前に、これだけの長蛇の大行列。

ランチメニューは20食限定です。すぐに完売するはずです。


それなのに、これだけの大行列。この方々はみんな万単位のメニューを頼むほど経済力があるのでしょうか?(笑)


それが疑問なのでした。

見た目若そうな人たちなのに、みんなスゴイなと思いました、です。(笑)












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ポリーニ・アルゲリッチ世代 [クラシック演奏家]

イタリアの世界的ピアニスト、マウリツィオ・ポリーニが昨日亡くなったというニュースが世界を駆け巡った。ほんとうに今年はなんという年なのだろう。自分のプライベートでの激震もそうだけど、クラシックでは、小澤征爾さん、そして今度はポリーニだ。


自分の世代、そしてクラシック界で一時代を築いた巨星がつぎつぎと亡くなっていく。


もう、これはクラシック音楽界だけではない。俳優さん、タレントさんの世界でも、まさに自分のリアルタイム世代の方がどんどん亡くなっていく。あ~、あの方も亡くなったか~。子供の頃、いろいろ想い出がある。。


最近、そういう経験がすごく多くなってきている。


自分が思うに、自分の人生にとっていままで関わってきたものをすべてこの年で清算して新しい世界へと誘っている、そういう人生の新しい局面、節目、変わり目なんだ、というような気がしている。


自分と繋がっていたものが、つぎつぎと自分の元を去っていく。離れていく。

これは自分にとっても新しい出会いが待っているという前向きな気持ちで捉えるべきなのだろう。


歳をとること、還暦を超えていくと、自分といっしょに同じ時代を過ごしてきた同士がどんどん世を去っていく。お別れを体験することが日常茶飯事になっていく。


人間ってある年齢になったら、そういう同志たちが先に世を去って、そのお見送り、追悼をする、という機会があたりまえのようになっていく。


それはいままでのそれ以下の年齢ではいっさい関係なかったこと、起こらなかった事象だ。そういうことを日常茶飯事に経験するようになったということは、自分はそれだけ歳をとったということなのだ。そういうことを経験する年齢のリミットを超えたということ、そういうシニア世代の仲間入りをしたということ、それだけ歳をとったということだ。


これからの自分は追悼文を書く、という作業も大事な自分の仕事となっていくに違いない。

そして追悼文を書くことが、これからどんどん増えていくに違いない。


やはり、自分と同じ時代を生きてきた有志、自分との接点、関りを中心に、その人の素晴らしい経歴、業績をいま一度、世に再認識してもらうこと、そして心からの感謝、愛情をもって送り出してあげること。


これが自分に課せられた使命であろう。

これからこういう仕事があらたにどんどん増えていく、ということだ。





クラシックのリスナーにとって、”ポリーニ・アルゲリッチ世代”というのが必ずあるに違いないと考えている。


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1970年代から1990年代、そして2000年あたりまでの30年間。ポリーニとアルゲリッチは、クラシック・ピアノ界の顔ともいうべき存在だった。まさに類まれな天才2人が、こうやって同時期に現れたのも、偶然ではなくなにかしらの運命だったと考えるべきだ。


ポリーニもアルゲリッチもショパン系のピアニストとしてが出自で、ポリーニは、1960年にショパンコンクールで優勝。アルゲリッチも、1965年にショパンコンクールで優勝している。


まさに同じ時期にすい星のごとく現れた。


これだけの才能に恵まれて、華のある大スターが、お互い切磋琢磨してクラシック・ピアノという分野を牽引していった、というのはまさしくひとつの時代だったといえる。


そして、そのポリーニとアルゲリッチで、自分はクラシックのピアノ曲を勉強しました、というリスナー、聞き手の世代が、まさにいるはずなのだ。


まさに自分がそうなのである。


自分は、ポリーニ・アルゲリッチ世代ど真ん中の人で、クラシックのピアノの曲を自分のものにしていこう、一生懸命勉強していこうと修行していた時代。まさにポリーニ・アルゲリッチの録音で、一生懸命勉強していたのだ。


自分がクラシック入門の扉を叩いたときから、2人はすでに大スターだった。


2人のピアニズムはもう全然正反対というか、まったく似ても似つかないまったく違うタイプのピアニストだった。


ポリーニは、非常に紳士的で静かな人、そしてピアノはもうコンピュータのように精緻な打鍵で、まさに”ピアノが上手い”というお手本のようなテクニシャンであった。肌合い感としては、クールな知性派ピアニストという装いで、でも中に熱いものを秘めている、そういうタイプだった。CDのジャケットは、つねに背広にネクタイという紳士服スタイルである。


それに対してアルゲリッチは、情熱的な人で、激しい強打腱、そしてある意味一本調子とも言えるくらい突っ走るタイプ、激しいバイオリズムのあるピアノが特徴で、それが女性で超美人である、ということと相まって絵になる、そういうピアニストだった。けっして優等生ではなく、非常に恋多き女性で、愛情の深さ、激情家、失敗も多々あるといったその波瀾万丈な人生にとても人間っぽい俗っぽさ、そういうギャップが誰からも愛されるというそこに秘密があったように思う。


”静と動”


そんな感じでまったく正反対のタイプだった。


ポリーニとアルゲリッチは、お互いぜんぜん違うキャラクターで、どうなのだろう、共演などの接点もそんなにあっただろうか?でも自分たちが、この30年間のクラシック・ピアノ界を牽引していっている、という自覚は自分の中に間違いなくあって、そういう意味でお互いを意識していたことは間違いない。いい意味でお互い切磋琢磨していくライバルだったのである。


それがリスナー、聞き手にとっての”ポリーニ・アルゲリッチ世代”の我々による2人に対するイメージだ。




またこの時代、クラシック音楽界では、アーティストとメディア、評論との関係についても今とは違う独特な関係性があったように思う。いわゆるある演奏会での演奏に対して、歯に衣を着せぬ忖度のない評論、そして正確な分析、でもその評論がいくら厳しい辛口であっても、そこには品格があり、読者を納得させるだけの根拠が感じられ、アーティストのためという親心も垣間見え、そしてアーティスト側もそれに発奮して、それに呼応できるように次回以降に自分の演奏にその意見を取り入れていく、そういう真剣な戦い、やりとりがあったように思う。


忖度のない評論に対しても、両者間には信頼関係があったように思う。


そういう関係性で得られた結果として、、メディアはそのアーティストを最終的に承認するという感じで、お墨付きを与え、そしてその時代を代表するアーティスト、巨匠というような位置に祭り上げる。。。そういうゲームがあったように思う。


いまは、やはり時代なのだろうか、お互い優しい関係だ。褒めていくことで、そのノリの邪魔をしないように、逆を言えばそのノリを加速してあげるようなプッシュ型の関係のように思う。褒めていくことで伸ばす。ノリを加速させてあげる。そういう関係性のように感じる。協調型というか、お互い良い気分でそして良いところを伸ばしていく。。そういうスタイルのように思う。


まっ時代なのだから、それをとやかくいうのはよくないと思うが、そういう厳しい関係にあった時代のアーティストは、その後にカリスマとして存在感があって、その時代を代表する顔になり、ずっと輝いていっているのも、そういう関係性、その鍛錬のおかげなのではないか、と思うのである。


クラシックのリスナーに対して


”ポリーニ・アルゲリッチ世代”


と呼ばせるくらいの存在感になるということは、やはりそういう当時の時代背景があるのではないかと絶対思う。


いまの時代、そして今後のクラシック音楽界で活躍するアーティストで、このように呼ばれるだけの、時代の顔となるだけのアーティストが今後出てくるかどうか。。


自分はなかなか難しいのではないか、と考えている。時代が違う、時代背景が違うというしか言いようがない。


ポリーニは、そういう時代のカリスマだったので、その人が亡くなるというのは、まさに一時代の終焉で、自分のクラシック人生においてもひとつの区切りだな、と思うのである。



また最近、歳をとるにつれて、薄々感じてきているのだけれど、クラシックを学ぶという謙虚な姿勢、そしてコンサートに通って感動する、そういう自分の熱中度合いが段々希薄になってきているように感じる。


若いとき、とにかくクラシックを勉強したい。ショパン、ベートーヴェン、モーツァルト、シューベルト、シューマン・・・それぞれの作曲家の曲、それも交響曲、協奏曲、そしてピアノソナタ、ヴァイオリンソナタ・・・そういう曲を全部自分のものにしたい!


そういうガムシャラさがあった。


自分にとって新しい世界、未知な世界をもうどんどん吸収していく。もう無我夢中でガムシャラである。そこにはあまり理論とか理屈とか存在しなくただガムシャラに聴きまくってその都度新しい発見に感動する。そういう無我夢中という状態があった。


もう好きで好きでたまらない、である。そういう純真無垢な時代は、その時代に夢中になったもの、好きだったものは、後年、そしてものすごく未来永劫自分の中に残るものなのである。忘れ去ることができないものなのである。


ある意味この時代がいちばん大事なのかな?


歳をとってきて、経験やキャリアを重ねていくと、そういう好きという感覚と無我夢中という感覚がだんだんなくなって、どちらかというと俯瞰したモノの見方をするようになるんですね。それも自分の過去の膨大な経験をものさし基準とした俯瞰したモノの見方。


だから慣れと言うか、感動度合いもなくなってきて、すぐに忘れてしまい、後年、あまり自分の中に残らない。


だから自分にとって自分の世代のアーティストは未来永劫追っていくけど、歳をとってくると、若い世代のアーティストはすごく興味があって応援したいのだけど、頭や体がついていかない、というのはそういうことなのかな、と思っています。



でもいざ、若いアーティストの演奏を聴くと、もうすごく大感動するんですけどね。(笑)なによりも見通しが明るいというか、自分の中に潜んでいる閉塞感を一気にぶち破ってくれるようなストレスフリー、抜け感があって、最高に気持ちいいんですけどね。未来が明るい、可能性を感じる、そういう前向きな印象を受けます。


そのときにいつも後悔する訳です。もっと若い世代のアーティストのコンサートに足を運ばないと、と。


だから、自分にとって、ポリーニ・アルゲリッチは、まさに無我夢中で好きで好きでどんどん吸収していた時代の人。だからいつまでも忘れられないし、未来永劫、自分の中に残っているものだと思います。


自分にとってポリーニは、とにかくCDを聴きまくった人。ポリーニの録音はほとんど持っていた。

修業時代、まさに毎日ポリーニのCDを片っ端から1日中聴きまくっていた。


ショパン、ベートーヴェン、モーツァルト、バッハ、シューベルト、このあたりのいわゆる古典派の作曲家を主なレパートリーとしていて、やっぱり自分にとっては、ショパンとベートーヴェンがいちばんポリーニの演奏活動の中で核になっているところではないかな、と思う。


ショパンはやっぱり自分の出自だし、ここが自分のピアニストとしての原点、基本というところがあったと思う。そうしてベートーヴェンは、まさしく39年というピアノ人生をかけて、ピアノソナタを全集としてコンプリートできたところが大きな業績だ。まさにライフワークだ。



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ショパン練習曲集(エチュード) マウリツィオ・ポリーニ(1972)



ポリーニは、1960年ショパン・コンクール優勝後に一度10年間ぐらい演奏活動から遠ざかり、その後録音を再開した。


このショパン『練習曲集』は、多くの人を驚愕させ、彼の存在を世に知らしめたのだ。このエチュードは、完璧なテクニックと高い音楽性を発揮した、いまなおショパン演奏史の金字塔のひとつと称されている名盤中の名盤である。


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ショパン夜想曲集 マウリツィオ・ポリーニ(2CD)



「ショパン・コンクールに優勝して以来、ショパンは私の人生の一部になった」と語るポリーニによる夜想曲。ポリーニ80歳のときの最晩年の録音。結構自分の想い出深い作品です。結構ヘビロテで聴いていました。ショパンのノクターンは素晴らしいです!


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ベートーヴェン ピアノ・ソナタ全集 ポリーニ(8CD)




ポリーニのベートーヴェン:ピアノ・ソナタ全集が39年の月日をかけて完成。ポリーニが30歳代~70歳代に至るまでかかった。まさにライフワークである。単売CDアルバムは、全部で9点あって、それを全部集めていた訳ではないのだが、自分のアンテナに刺さったときは買い集めていた。でも完成してBOXになったら、もちろんBOXも買いました。




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モーツァルト ピアノ協奏曲第21番、第17番 マウリツィオ・ポリーニ、ウィーン・フィル



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モーツァルト ピアノ協奏曲第24番、第12番 マウリツィオ・ポリーニ、ウィーン・フィル




2000年代になると、自分が弾き振りをやってウィーンフィルとモーツァルトのコンチェルトをリリースしたりして驚いた。ところがこれが素晴らしいんだよね~。ポリーニってやっぱり上手いな~としみじみ思うくらい、あのモーツァルトのコロコロ感のある曲とポリーニの正確無比な精緻な打鍵とが相俟って最高なモーツァルトだと思いました。録音も素晴らしくて、この録音は結構自分のヘビーローテーションになってました。



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バッハ平均律クラヴィーア曲集第1巻 全曲 ポリーニ(2CD)



バッハの平均律クラヴィア集も出したりして、ポリーニがバッハ!!!新境地なのかな~という感じで驚いたこともありました。でも素晴らしくて、決してピリオドではなくモダンなアプローチな平均律でした。これもヘビロテでした。


ポリーニには、録音で特別の想い出があります。それはショパンのピアノ協奏曲第1番。ショパン・コンクールでファイナルでの課題曲である。自分はこの曲にずいぶん嵌ってしまったことがあり、好きで好きで堪らなかった。いろいろなピアニストの録音を集めて聴いていた時代がある。



最新録音の音のいい録音は確かにいいとは思うけど、自分がどうしても忘れられない、この曲だったら、この1枚というのがあるのだ。


それがアルゲリッチが優勝した時の1965年のショパンコンクールでのショパンピアノ協奏曲第1番。


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もうすでに廃盤になっていて、中古市場にしか出回らないディスクになってしまったが、自分はこの曲だったら、この演奏がどうしても忘れられない。ある意味、この曲の自分のバイブル的な存在にもなっている。


当時のコンクール・ヴァージョン的に編集されたショパンピアノ協奏曲第1番で、現代の完成度の高い作品と比べると聴き劣りするかもしれないが、自分の中では、この曲で、この盤を超えるものはないと思っている。



とにかくいま聴いても、身震いがするほど、新鮮で衝撃的だ。若い頃に、この録音を聴いて、当時のショパンコンクールでアルゲリッチが優勝した時ってどんな感じだったんだろうな~ということを夢想していたことを思い出す。


彼女の録音を買いまくっていくうちに、彼女の原点はこの1965コンクールの演奏にある、ということに行き着いたのだった。



なぜ、アルゲリッチのショパンコンクール1965の演奏なのか?



アルゲリッチは、その後、後年にこのショパンのピアノ協奏曲第1番を何回も再録している。でもそこには、自分がコンクールライブ盤で感じたような緊張感、鋭さというのを感じなかった。どこか、創り込まれている安心な世界での表現で、ビビッとくるほど緊張や感動をしなかった。


追い込まれた極度の緊張感の中でしか起こり得なかった奇跡、そんなミステリーがこのライブ録音にはある。


コンクール独特の緊張感、まさに伝説の名演奏。

この曲のこれに勝る名演奏はない。


アルゲリッチ本人も、このショパンコンクール録音が気に入っていたという話もある。


とくに第3楽章の冒頭でピアノが最初に入るところ。


ここはアルゲリッチのこのコンクール盤では、まるで鍵盤の上でピンポンが跳ねるように、じつにリズミカルに跳ね上げるように弾く。これが自分には堪らなかった。


それ以来、この曲を聴くときは、この部分はどうなのか?を聴いて、この盤はよい、よくないなどの判断をするようになってしまった。(笑)


それくらい自分にとって大事な箇所だった。


他のアーティストのこの曲の録音のこの部分は、大抵なめるように、軽やかなにさらっと弾き流すのだ。これが自分には物足りなかった。もっと強く鍵盤を弾くかのようにピンポン的に弾いてくれるのが好きだった。



アルゲリッチでこの録音に行き着いたとき、自分は当然、じゃあ、1960年優勝のポリーニのショパン ピアノ協奏曲第1番はどうなのだろう?と思うことは当然の成り行きだ。


なにせ、ルービンシュタインに我々審査員のだれよりもうまい、と言わしめたポリーニである。そのショパンコンクール1960のときのショパン ピアノ協奏曲第1番の録音がないかどうか、もう猛烈にポリーニのディスコグラフィを調べまくった。


ポリーニってこの曲にあまり拘りがないのか、後年この曲をきちんと録音として残すということはしていないみたいだった。ところが、ポリーニ・エディションという、いわゆるポリーニのDGからリリースされた録音全集のようなBOXがDGからリリースされた。


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このBOXの貴重な音源として、このポリーニが優勝した1960年のショパン・コンクールのときのファイナルのショパン ピアノ協奏曲第1番が収録されている、というではないか!!!


もう自分は色めきだった。

長年探し続けてきた恋人にようやく出会えたそういうときめきの瞬間であった。

もう即決で購入!


そしてドキドキしながら、そのショパン・コンクール1960のときのショパン・ピアノ協奏曲第1番のポリーニの演奏を聴いた。


ついに・・・という感じで黄昏がれて聴いていた。この曲はあまりに聴きまくったので、とくにポリーニだからとか、とくにめちゃめちゃ上手いとも感じず、それなりにまっ普通の演奏だな、と感じた。肝心の第3楽章の出だしのところは舐めるようにスラっと演奏していた。


でも、自分にとっては、あの伝説のショパンコンクールでのポリーニのショパン ピアノ協奏曲第1番が聴けて、溜飲を下げた思いである。


その後、学研から出ている過去のショパンコンクールの記録映像をDVDコレクションにした”ワルシャワの覇者”も入手して、ポリーニが優勝した1960年のショパン・コンクールでポリーニが演奏しているその姿も拝見できた。感動であった。


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ポリーニは、1960年のショパンコンクール優勝のときに、その当時の審査員長のアルトゥール・ルービンシィタインから、”ここにいる審査員の誰よりもうまい”と言わしめた伝説がある。


とにかくポリーニというと、”ピアノがうまい”というのが代名詞であるくらい高度な演奏技能を持ったテクニシャンだったと思う。ショパンのエチュード練習曲もそうだけど、とにかく人間業とは思えないようなコンピューターのように均等で正確なリズムを叩き出す打鍵の精緻さがあって、そしてなによりも安定感がある。語彙不足で申し訳ないのだけど、これだけの名演は存在しない、というくらい”ピアノがうまい”というそういうイメージが自分の中に強烈に存在している。


ポリーニはとにかくピアノがうまいのだ。そしてクール。コンサートやCDジャケットでも衣装はつねに、背広にネクタイ、紳士服姿。まさにクラシックの正統派の道まっしぐらの優等生で知性派のテクニシャン。技能は高くて熱いけど、見た目はクールで温度感低め。そういうピアニストだったと思う。


そうして、ルックスがいつも決まっている。加齢による劣化はあるにしろ、生涯そのアーティストイメージが固定だった奇遇稀な人だったと思う。


まさに、ポリーニ!!!である。


ベルリン・フィルが招聘するソリストとしては、ポリーニ・アルゲリッチは、クラディオ・アバドの時代にその全盛期を迎えた。


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いま現在のベルリンフィルは、招聘するソリストは、それこそいろいろ多彩だが、当時は、とくに録音が絡むと、ベルリンフィル側も顔になるソリストということで固定メンバーで宣伝することが多かった。


カラヤンの時代では、ヴァイオリンではムターで、ピアノではワイセンベルクとかである。で、アバドに時代になって、ピアノならポリーニ、アルゲリッチが顔として招聘されるようになった。


自分では録音では、このメンバー組み合わせで随分愛聴した。


とくにポリーニとアバドは盟友関係にあった。同じイタリア・ミラノ生まれの同郷の指揮者クラウディオ・アバドとは親友であり、芸術上のパートナーであり、数々の協奏曲で多くの共演を行っている。そして政治的・社会的活動においても志を同じくし、イタリア共産党員であった作曲家ノーノとも深い親交があった。


アバドの楽団、たとえばルツェルン祝祭管弦楽団などいろいろ共演を重ねた。


自分はやはりポリーニというとアバドと条件反射的に思い出すほど、このコンビ、ペアは仲が良く、まさに盟友という感じで自分の記憶に深い。


ポリーニといえば、見かけはクールなんだけど、結構、内は芯の強いものを持っているエピソードもあって、自分の記憶の中に強烈に残っている。



ポリーニは日本でのコンサート会場としては東京文化会館にこだわりを持っていた。


サントリーホールが完成した1986年でもすぐにはサントリーホールを使わず、東京文化会館を使用していたのだ。サントリーホールを使い始めたのは、1998年あたりから。ポリーニが言うには「東京文化会館は音の明晰さに特徴があります。その点サントリーホールと違います。とはいえ、現在の東京の音楽活動はサントリーホールが中心になっているので移したわけです。サントリーホールも素晴らしいホールで楽器を響かせる点では優れている。でも今でも東京文化会館のクリアな響きに郷愁を感じています。」と言っていました。


たしかに東京文化会館の小ホールは石造りのホールで室内楽スペースの容積で非常に響きが素晴らしい。ピアノリサイタルという規模であれば、サントリーホールの大ホールでやるよりも東京文化会館の小ホールでやるほうが響きも素晴らしく最適であろう。


でも、音楽ビジネスには収益規模という大事な要素がある。ポリーニくらいの大スターを海外から招聘するにはすごい費用が掛かる。それを小ホールの観客人数ではペイしないのは明白だ。やはり大ホールくらいの観客人数でないとその分の収益を回収することが難しいのが現実である。昨今のコンサートでは、ピアノリサイタルや室内楽を大ホールでやるのはそんな理由もあると思われる。もちろん響きの観点からは、室内楽はやはり小ホールでやることがベストだとは思うのですけどね。


自分は、ポリーニの実演は、意外なことに1回しか経験がない。

自分にとって、ポリーニといえば、もうCDの人、録音の人なのである。

録音で徹底的に聴いた人なので、なかなか実演に足を運ぶというのが遅かった。


2010年10月のサントリーホールでのピアノリサイタルに足を運んだ。


このとき、ポリーニが自分のリサイタル(サントリーホールのときだけ?)でいつも実現しているポリーニ・シートというのも目にすることができた。


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この写真のように、お客さんをステージにこのようにピアノの周りに座らせる特別座席を用意するというものだ。

ポリーニのじかに弾いているところを間近で見れるという特別待遇だ。



1.ショパン 24の前奏曲

2.ドビュッシー 6つの練習曲

3.ブーレーズ ピアノ・ソナタ第2番



ポリーニは後年、ドビュッシーもレパートリーに入れるようになり、それを聴けたのがうれしかった。ブーレーズのピアノソナタ2番は大曲で凄かったですね。


この座席だと、ピアノの打鍵の響きがつぎつぎと重なり、飽和して聴こえるような音響でちょっと困惑しました。ピアノリサイタルではここはあまりよくないかもしれない。


なによりもポリーニの実演をじかに見れた最初で最後のコンサートであった。

いまでもよく覚えていますよ。


その後、日本には何回も来日してくれて、その都度行くチャンスがあったのだけど、ポリーニは晩年で、やはり全盛期の頃からからすると衰えが激しいとか、あまり芳しい評判は聞こえてこなかった。ポリーニの晩年は、晩節を汚すというところもあったと思う。これだけ衰えが大きくても、ポリーニというビッグネームに人は集まる。自分は、そんなヨレヨレのポリーニを聴くのが、正直なところあまり気が進まなかった。ポリーニのチケットはすごい高額ですし。



イタリアの世界的ピアニスト マウリツィオ・ポリーニ 82歳。本人に悔いはない人生だったと思う。

そして大ピアニストとしてのその痕跡は、クラシック音楽界に多大なる影響をもたらし、これからもそれで勉強していく音楽家、クラシックファンは多いと思います。


偉大なピアニストだったと思います。


心からご冥福をお祈りします。


R.I.P.















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永代供養 [葬儀・墓・供養]

父と母が自分の命と引き換えに子供たちの自分に教えてくれた葬儀のしきたり。自分は奥さん、連れ合いがいないので、おそらく葬儀は、この父と母の葬儀が終わったことで、今後、自らが葬儀を取り仕切ることももうないだろう。


葬儀は、やはり自分が当事者とならない限り、ほんとうの意味で理解することは難しいと思うのだが、でもよく考えてみるとここは事前にアドバイスしてあげておかないと、その葬儀当日になって本人たちも路頭に迷ってしまうこともあると思い、まっ、あくまで自分の経験に基づくものだけどアドバイスすることにした。


人生の中で、葬儀を取り仕切るというのは、父と母と、連れ合い、そして不幸が重なって自分の子供という大体これだけじゃないか。それ以外に取り仕切ることはないと思う。


自分は奥さんがいないので、父と母だけだ。


それでも父と母の葬儀を取り仕切っただけでも、よくやった!子供としての責任を果たした、と自分を褒めてあげたい。父と母の葬儀は、子供にとって絶対避けて通れない人生最大の試練だ。誰しもがこの難関を通らないといけない。


お金のことなんだが、やはりこういうことはあらかじめアドバイスしてあげておいたほうがいいのではないか。葬儀当日になって、これは困った!と路頭に迷っても困るだけだ。自分は知っているのに、そのことを言わないのもなんか気が引けて・・・


やっぱり葬儀を取り仕切る、ということは、最終的に費用の問題、お金に関する問題に行き着くというのが自分の偽らざる印象だ。


葬儀になった場合、喪主と施主という2人の役割を親族の中で決めないといけない。


「喪主」・・・葬儀を執り行う責任者。 故人様に代わり参列者を迎える遺族の代表者。

「施主」・・・葬儀費用を負担する人。


父親が亡くなった場合は、喪主は母親で、施主は長男が担う。父がすでに故人で、母親が亡くなった場合、喪主と施主は長男がおこなう。(あるいは家庭の事情で、喪主は長男、施主は長女という場合もあるだろう。)


自分の場合、オヤジが2014年に亡くなったときは、喪主はおフクロ、施主が自分。そして今回のおフクロが亡くなったときは、喪主・施主とも自分が担った。


葬儀というのは、葬儀費用を払う人、施主が一番のキーパーソンだと自分は思う。


葬儀自体は、もう葬儀会社はその道のプロなので、葬儀会社がきちんと葬儀のルール、しきたりに則って、その通りに進行してくれるので、自分たちはそのレールに乗っているだけなのだけど、問題は葬儀が終わりました。はい、請求書がきました。それ払ってください、というときに、それが支払えるかだ。


亡くなられた場合は、とにかく焼かないといけない。(笑)そのままだと腐敗してしまうので、とにかく焼かないといけない。だから一連の葬儀は終わらせないといけない。そしてお骨にしてお寺に納骨してそれで一件落着。それはもうきちんとレールが敷かれているので、遺族はその通りに従うだけなのだ。


それは、2~3日で全日程が終わってしまう。3日あれば、すべて終わってしまうのだ。


いちばん親族にとって緊張する場面は、その支払いのときに、どれくらい請求されて、それを現金キャッシュできちんと支払えるかどうかだ。自分の父と母の葬儀でお世話になった葬儀会社だけかどうか、わからないけど、葬儀会社ってクレジットカード払いは受け付けないのだ。あくまで現金キャッシュのみしか支払いは認めない。


だから自分の口座残高で何十万円、百万円近くを預金で持っていないとダメなのだ。請求が来たら、葬儀が終わった後、すぐに銀行のATMで何十万と降ろして、すっきり現金払い、そういう世界なのだ。


介護施設の母親がかなり具合が悪く、覚悟しておくように。。。と病院から最後通達が来たとき、まず親族にとって、とりわけ長男である施主の自分が心配したのは、葬儀の支払いがニコニコ現金払いできるかどうか、だった。


お金の話というのは、芸術面でもそうだけど、あまり表に出すと、はしたない、お金のことはあまり表で言うもんでないというのが、世間の常識だが、そういう綺麗ごとを言う人は大体そういう汚れ役を担っていない人の場合が多く、実際物事がちゃんと動いているのは、そういうお金の面を下支えできちんと綺麗に処理しているから物事はスムーズに進んでいるように見えるのだ。


なので、まず両親がご健在の場合、まずそういう将来に向けて、現金でその分の預金の確保をしておくことをお勧めします。あとで説明するが、通常みんな生命保険に加入している場合が多いから、その生命保険が降りてから、葬儀会社に支払いしても大丈夫だとは思います。事情を説明すれば、葬儀会社は待ってくれるとは思います。


そんな自分の預金で、何十万、百万の残高、余裕であります、なんてあまりないですよね。(笑)


自分の経験から、親戚などのご香典が集まって、その香典全部集めると、葬儀代が全部ペイしてしまう、という経験もあった。自分の父親の葬儀がそうだった。なんだ、葬儀ってあっけないな~ご香典で採算とれるなんて・・・と思ったことがある。


でもご香典は水物。あまり綿密にあらかじめの見積もりには入れておかない方がいい。案の定、今回の母親のご香典はあまり集まりませんでした~。(笑)大赤字です。。。



まず、親の葬儀に向けての準備段階として、もしものときに、どこの葬儀会社を使うかをきちんと決めておくことだ。地方の地元であれば、大体そこひとつというくらい決まってくる。首都圏だとたくさんある。


母親を介護施設に入所させるときに、もしものときは、どこの葬儀会社に運びますか、ということを決めさせられるのだ。だから、今回も病院から母親ご逝去の電話を朝4時に受けたら、すぐにその葬儀会社に、その病院施設に迎えに行ってくれ、という連絡をした。そして病院にも連絡をして、そのまま母親の亡骸をその葬儀会社に安置してもらった。ドライアイス付きで。


そして自分と妹はすぐその日に北海道に飛んだ。こういうとき、ANAアプリってめちゃくちゃ便利です。PC、スマホひとつで、思い立ったそのときにその場ですぐに航空券チケット予約できて、支払いできて、そのままスマホのe-ticketでチャックイン、搭乗できる。もうもとの時代には戻れませんね。


夜の7時頃にようやく葬儀会社に到着。妹夫妻はすでに到着していた。

母親の安らかな顔を拝む。


そこから葬祭プランナーと呼ばれる人が来て、我々遺族と実際の葬儀の進め方について、ディスカッションを始める。どういう葬儀にするか、その葬儀プラン、その段取りと、実際の支払いの見積りだ。ここのステージがいちばん重要なのではないか。ここですべてが決まって、あとはこの敷いたレールの通り進むだけ、それをこなしていくだけだから、最初のこの葬儀プランを決めるときが1番重要である。


死亡診断書を受け取る。

死亡届などを地元の区役所、市役所に届けてくれるのは葬儀会社がやってくれる。

死亡診断書のコピーをもらう。複数枚。生命保険請求のときなどにつかう。


葬式の形態としては、家族だけで見送ってあげる”家族葬”がいちばん費用も掛からないし一般的なのではないか。


まず、お寺に連絡しないといけない。お坊さんの手配なんだが、納骨の際にお世話になるお寺にお願いするのが当然だ。


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オヤジのとき、初めての葬儀だったので、勝手がよくわからず、とにかくノンノン家は、浄土真宗 西本願寺の宗派であることを葬儀会社にお伝えしたら、葬儀会社の方で探してくれた。


結局、オヤジはそのお寺に納骨していまも眠っている。


まず、自分の家の宗派をきちんと知っておくこと。親戚、ご先祖さま含めて調べてちゃんと知っておかないといけない。葬儀はその宗派のお寺のお坊さんにお世話になるべきである。


浄土真宗 西本願寺派・・・浄土真宗 本願寺派


あまり細かい儀式作法は好まず、ざっくばらんな気安い作法を望む宗派だそうで、自分の家に合っているなとは思います。


だから、オフクロの場合は、そのままそのオヤジのお寺にお世話になることは至極当然のレールである。


そのお坊さんの手配、スケジュール次第で、お通夜、告別式、そして霊柩車、火葬場の予約のスケジュールが事細かくつぎつぎと決まっていくのだ。まずお坊さんの手配。


そのお寺のお坊さんが母の亡骸が安置されている葬儀会社にやって来てくれる。


枕経(まくらぎょう)をやっていただく。


枕経(まくらぎょう)とは、仏式の葬儀で納棺の前に故人の枕元で読経すること。 危篤の際に親族が家へ集まり、僧侶に依頼して危篤状態の人の枕元でお経を読むことで不安を鎮める。 臨終後、霊が迷わず成仏するように導く意味を持って枕経があげるなど、枕経の意味については、諸説ある。


母の場合は、事が終了した後なので、後者の意味合いが強い。母の亡骸が安置されている前には、ろうそく、小さなテーブルとちょっとしたご焼香セットが置いてある。お坊さんがお経を読んでいる間、遺族はご焼香をする。


亡くなった場合は、”戒名”というのをつけないといけない。

戒名と言うのは、あの仏様、極楽浄土の世界での名前である。


我々のいまの名前は現世、俗世間に住んでいるときの名前である。成仏して仏様の世界に行く場合は、その俗世間の名前じゃダメなのだ。戒名して、その仏様の世界での名前にならないといけない。


これを戒名と言う。


戒名は、浄土真宗 本願寺派では、法名という呼び方をする。浄土真宗では、”法名=戒名”なのである。


法名は絶対つけないといけないのだ。


浄土真宗では、他宗派の道号に当たる部分がなく、この部分に男性は「釋(しゃく)」、女性は「釋尼(しゃくに)」という字が入ることが特徴である。


男性が「釋」、女性が「釋尼」


と名付ける。


男性なら、釋(しゃく)〇〇、女性なら、釋尼(しゃくに)〇〇


というように名付けられるのだ。法名の名付け親は、そのお寺さんである。

位牌には、この法名が書かれるのだ。


釋というのは、浄土真宗では「仏様の弟子」という意味である。


この法名をお寺さんの方で決めるにあたって、その枕経のときに、お坊さんがいろいろ我々家族の生い立ちや、母の好きだったこと、得意だったことを聞きだす。なるべく母の素性にあった名前をつけてあげたい、という配慮からである。



●戒名と法名はなにが違う?


戒名は、「人間は死後、仏の世界に旅立つ」という仏教の独自の考え方がもとになっている。俗世間の名前に対して、仏の世界での名前。


法名というのは、戒名の浄土真宗における呼び方。戒名=法名。


浄土真宗では、法名の上についている「釋(釈)」とは、仏弟子であることを意味している。他の宗派と比べると短く感じるかもしれないが、浄土真宗の宗祖である親鸞でも「釋親鸞」となっている。


なお、本山に進納された方やお寺に貢献された方には「院号」が授けられることがある。


この院号をもしつけるとなると、院号をつけるだけで、さらに20万円かかるので、これは院号なしにしてもらった。父親のときもそうだったので、母親の場合もそれにならう形にしてもらった。


院号はなし:院号をつけるとなると20万円かかる。


これはひとつのポイントで、北海道だけの慣わしなのかもしれないが、お寺さんに払うお布施と、葬儀会社に払う費用とはまったく別会計である。葬儀会社に払う何十万(あるいは百万単位)という費用とは別に、お寺さんには別途お布施という形で何十万という費用を払わないといけない。


だから葬儀にかかる費用とは、


葬儀費用+お寺さんへのお布施+そうしてお寺さんへの納骨するための費用


この3要素の加算結果と言えるのではないか。お葬式にかかる費用と言うのはこの値段のことを言っている。親が亡くなったときにかかる費用は、この3ファクターの合計値である。


葬儀会社の葬祭プランナーと呼ばれる人と具体的に葬儀のプランについて決めていく。


葬儀の形式は、ほんとうに細かく要素分けされていて、


祭壇のお花:10万、遺影:5万、お棺:3万、ドライアイス:2万、お食事:10万・・・などなど。


こういう要素をどんどん組み合わせていき、葬儀費用の合計が決まっていく。お花はこれでいいですか?お棺はこの色でいいですか?ドライアイスはこれくらい?お食事のメニューはこの中から選んでください。。。などなどその都度葬儀会社のマニュアルの写真の中から我々が選んでいくのだ。


そうして決まった順に、それをどんどん書いていく。


基本は2014年のときの10年前の父親のコースと同じにしてください、と依頼をして、その当時の記録用紙を持ってきて、それに右倣えである。


施主の自分は、もうこのときからもうすごいドキドキ。どんどん負債が溜まっていく感じで、もう気になるのは、その合計値はいくらなの?というところに集中してしまう。そうして最後に電卓で合計値をパチパチ計算しているときの心臓ドキドキMAXのすごいこと。(笑)


出てきた金額は、まっ自分が事前に聞いていた値段とほぼ変わらなく、ホッと安堵である。


そこからコストダウンをしていく。削れるところは削っていく。お花は10万もいらないんじゃないの?もっと小規模でいいですとか・・・でもお花をコストカットしたのは、ちょっと後悔しています。父親の祭壇の豪華さを覚えているので、母親のときはちょっと質素な感じで可哀そうなことをしたな、とすごく後悔しました。


遺影の写真は常日頃から遺族の方は、気をつけておこう。遺影の写真は、遺族のみなさんが普段持っているいわゆるあのプリント型のあの写真でいい。亡くなった人が映っている写真があれば、それでそれがその人のことをいちばん如実に語っているそういう表情をしている写真があれば、それでOKだ。


あとはクロマキーのように、その人物だけを抜き出し、ちょっと表情に笑顔を含ませるとか、背景の色、デザインとか、あるいはなんだったら服装も変えられる、そういう加工は全部葬儀会社の方でやってくれる。そうして出来上がった遺影の写真が、これがまさしくプロの出来栄えなのだ。もう素晴らしいとしかいいようがない。


あのいわゆる写真があればそれでOKだ。もちろん終活活動として、遺影用の写真撮影を別途してもOKだし、フィルムカメラのフィルムを渡してもいいしデジカメのSDカードをそのまま渡してもOKだ。紙の写真でいい、というのが素晴らしい。


オヤジは、釣りが大好きで終生の趣味だったので、その釣りをしている写真がいちばん活き活きとしていて、オヤジらしく素晴らしいと思ったのでその写真を選んだし、母親は実家の自宅でくつろいでいるその表情が素晴らしい写真を選んだ。


ちなみに、この遺影写真を手帳サイズの立て掛け型の写真として作ってくれることも葬儀会社の方でやってくれる。


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遺影写真は大きいし、遺族だけが持つものだが、こういう手帳サイズの立て掛け型にすれば、父親方の親族、母親方の親族に配ることができる。そして葬儀の状況の報告の添え状を兼ねて。大体4,000円くらいで出来てしまう。葬儀会社の方で枠も含めてそういうサービスをやっています。これが親族には大好評なのです。(笑)


葬儀のお通夜、告別式に入る前に、”湯灌(ゆかん)”、”納棺”という作業をおこなう。

これも重要な儀式だ。我々遺族は、このときもそれに立ち会う義務がある。


”湯灌(ゆかん)”という行為は、亡くなったままの病院の衣装でそのまま安置されている母親だが、ご遺体の表情や髪型、服装を整え、外見上の美しさをよみがえらせることをいう。


身体を清掃し、衣服を白装束に着替えさせる。そして髪を解かして、きれいに化粧をしてあげる。これをやってくれる人はまさにプロだ。ふとんをかぶせたまま、清掃、着替えを見事に済ませてしまう。死化粧のときは、我々遺族1人1人が交代で筆で顔に化粧を施してあげる。


もう見違えるような感じである。


そうしてあらかじめ、葬儀プランで決めていたお棺に納棺する。そのときのご遺体を抱えて、お棺に入れる作業は、我々遺族がやらないといけない。喪主である私は頭部のところを担当。それぞれの遺族が身体の他の部分を担当する。すべって落としたりしたら大変なので、すごく緊張します。


無事、お棺に納めることが出来たら、本人の大切していた宝物や記念ものもいっしょにいれてあげることも可能である。


妹の意見でお棺に色をピンクにしたのだが、女性らしく可愛らしくてよかった。



葬儀と言うのは、


お通夜 17:00などの夕方。その日に泊まる。

告別式  9:00~火葬場


この行事のことを言っている。


お通夜というのは、大体夕方の時刻に設定するものである。

お通夜でお坊さんにお経を上げてもらい、遺族たちは焼香する。


葬儀のときはやはり喪服と数珠は必要ですね。


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喪服は男性の場合は、いわゆる冠婚葬祭の礼服で十分です。自分なんか、ヨーロッパの夏の音楽祭は、もう礼服を着ていくので、喪服と兼用してますよ。(笑)数珠はやっぱりあったほうがいいです。数珠は葬儀のひとつのマナーというか常備しておく必需品だと思います。


葬儀での遺族のやることは、ご焼香です。焼香のやり方、作法は、その宗派によって作法が違うんですね。浄土真宗 本願寺派の焼香の作法というのがあります。


そして、葬儀会社の葬儀会場というのは、通常その会場の横側に和室の広間があって、そこで寝泊りや食事ができるようになっている。お通夜の儀式が終わった後、その和室の畳敷の広間で、”通夜振る舞い”というのをおこなう。


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”通夜振る舞い”というのは、通夜の後に設けられる食事会のことである。 通夜振る舞いは単なる食事会ではなく、「喪家が僧侶や弔問客に対して感謝の意を表す」「故人を偲ぶ」という2つの意味がある。 喪主が僧侶や通夜の弔問客に対する感謝の気持ちを表すために、お酒や食事を振る舞ったりする。


そして自分や妹夫妻のような直接の遺族は、そのままその日はその和室で泊まることが普通だ。

母親といっしょに最後の晩を過ごす、という意味である。


自分はお通夜、告別式とある内、このお通夜のときが、いちばんじ~んと来ることが多い。


この最後の晩、妹夫妻と夜遅くまでいろいろ語り合った。いい気分晴らしになった。



そして翌日、告別式。お葬式の本番はこちらのことをいいますね。告別式は午前中朝早く行うことが普通です。お坊さんにお経をあげてもらい、ご遺族たちはご焼香。


そして告別式が終わると、火葬場に行く訳だが、その最後の遺族とのお別れで、お棺をあけて、花がたくさん用意されていて、その1本、1本を遺族の人が、母親の顔の周り、そして身体と母親の花でいっぱいにする。


最後のお別れである。


自分は父親のときもそうだったが、この告別式が終わって火葬場に行く前の最後のお別れのとき、花を1本、1本埋めていく作業のときが、いちばんじ~んと来て涙が出そうでつらいですね。このときがいちばん感傷的になります。


なんともいえない瞬間です。

葬儀で自分がいちばん感傷的になるときです。


母親に産んでくれてありがとう、いままで育ててくれてありがとう。


と感謝を述べました。


そして火葬場に直行。


火葬場はだいたい街の外れにある場合が多い。霊柩車、自分たちの場合はバスを使用しましたが、母親と遺族で火葬場に向かう。


火葬場は大きな炉が何か所もあるという感じで、無機質な空間だ。


そこで母親のお棺をそのまま火葬炉の中に電動式で入っていくときはなんとも複雑な境地だ。あ~ついに・・・という感じである。


そうして1時間半くらい待合室で待つ。


オヤジのときもそう思ったのだけど、人間って焼かれた後というのは、こんなに見事なまでに骨だけになるのか、というそういう驚きがすごい。物の見事に骨だけになっている。


どれくらいの火力で焼けばこうなるのか、かなり高温じゃないとこうはならないのではないか、と思うのだ。すごい火力のはずだ。


そして、これから”骨上げ”をおこなう。


骨上げは「収骨」とも呼ばれ、火葬が終わった後に遺骨を骨壷(収骨容器)におさめる儀式のことを指す。 遺骨は手ではなく、長さが揃っていない木製と竹製の箸を用いるのが基本である。 その先頭を切ってやるのが、喪主そしてつぎに施主がやる。骨上げは日本独自の慣習であり、世界ではあまり見られないそうだ。


火葬場の人が、喉仏の骨をみつける。これは別途違う袋に入れる。

そして頭のてっぺんの骨も最後に入れる。


たくさんの骨の中から、喉仏の骨をいとも簡単に見つけてしまう火葬場の人はほんとうにプロとしか言いようがない。毎日やっているから、簡単に見分けられるのだろう。


あとは遺族全員でお骨をお櫃に入れる作業である。

もうこのときは無機質な気持ちである。


これで無事母親はお骨となった。


そしてまた葬儀会場に戻って来て、繰り上げ法要という形で、四十九日の法要を繰り上げてお経を読んでいただいた。


それで正式に告別式終了である。母親の葬儀はこれで全日程終了である。


心地よい疲労感。ついにやり遂げた~という気持ちである。


あとは、お寺さんへの納骨である。


これまた説明する必要があるだろう。


いわゆるお墓ってどれくらいするか知ってますか?


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墓石代が、60万~200万、墓地代が、35万~130万。

総額が、100万~350万円もするものなのです!


信じられます???(笑)


こんな高いんですよ。


これもこれから述べますが、葬儀費用は、ふつう200万~300万掛かるのが世間の相場です。そしてお寺さんへのお布施はたとえば自分の場合で、地方の田舎のお寺ですが、20万円でした。そうして、お寺への納骨、つまりお墓が100万~350万です。


そうすると、葬儀にかかる費用と言うのは、


葬儀費用+お寺さんへのお布施+そうしてお寺さんへの納骨するための費用(お墓)


ですから、


200万~300万+20万(地方の田舎)+100万~350万


で、320万~670万かかる!ということなのです。


信じられますか??これが現実なのです。葬儀にかかる費用というのはこれだけ莫大な金額が必要で、これが現実なのです。


ちょっと普通の人では無理でしょう?


でも父親、母親は、かならず将来自分より早く亡くなります。

両親の葬儀は自分がやらないといけません。


もうこの現実が自分にとって若い頃からの憂鬱、ブルーな悩みでして、将来どうしよう~といつも考えていました。


いちばんあり得るケースとしては、親の親族の代々の御先祖さまのお墓に入らせてもらうというパターンです。ご先祖様が立派なお墓を持っていらっしゃる場合は、そのままそのお墓に入らせてもらうというパターンです。


これが現実問題、いちばん多いんじゃないかな?


オヤジが亡くなった2014年の葬儀のとき、自分はお墓のことはまったくノーアイデアでした。お墓どうするんだろう?と不安には思っていましたが、どうしようもない。なにか解決できるわけでない。


そこで葬儀に参列いただいたオヤジの弟さんから、九州佐賀県のノンノン家の実家に代々のご先祖様のお墓があるから、そこに入れようか?と提言してくれました。


あるいは永代供養というスタイルがあるよ。


永代供養?


ここで、自分は初めて”永代供養”ということを知りました。



永代供養(えいたいくよう)とは、遺族に代わって、寺院や霊園がお墓の管理・供養をする埋葬方法のことをいいます。 寺院や霊園の管理者が、お墓掃除や供養を一挙に引き受けてくれるため、遺族はお墓参りの必要がありません。 そのため、遺族に負担をかけたくない方や、身寄りのない方からよく選ばれているのです。


いわゆるお墓というのは、墓地を購入して、そこに墓石を立てる。その管理は遺族がやらないといけないんですね。放っておくと、どんどん草ぼうぼうになるし汚くなり、仏さん可哀そうです。だからお盆はもちろんのこと頻繁にお墓参りをしてお墓掃除をしてあげないといけない。


でも永代供養(えいだいくよう)というのは、お寺の中に納骨堂というお骨や位牌を格納するボックスがあるんですね。いわゆる駅に中にあるコインロッカーのようなものをイメージしてくれればいいです。その納骨堂ひとつひとつにその1人のお骨、位牌を納めていくのです。


そして納骨堂の管理、つまり清掃などは、すべてお寺んさんの方でやってくれます。


永代供養のポイントは。永代に渡って祀ってくれる、という意味です。たとえば自分の場合ですと、両親の子供は自分と妹しかいません。その自分や妹が亡くなってしまうと、ふつうのお墓であれば、そのまま誰もお参りしてくれない無縁仏になってしまい、墓も草ぼうぼうで荒れ放題。そうなるとあまりに仏んさんが可哀そうです。


そういう無縁仏にさせないために、永代供養というスタイルが登場したのです。お寺では、かならず年会費を徴収しています。年会費は、そのお寺の総本山への上納と、あと納骨堂の管理費を含んでいます。自分の場合で大体年間1万円くらいです。


お寺には、自分と妹の連絡先を伝えてあります。たとえば自分が亡くなると、お寺さんは自分と連絡が取れなくなるので、妹に連絡をする訳です。年会費払ってください、ということで。そうして妹が今度は払い続ける訳ですが、妹も亡くなった場合、お寺としては妹とも連絡が取れなくなった場合、もうオヤジとオフクロの納骨堂にお参りに来る人はいなくなった、と判断します。


つまり無縁仏になったと判断します。


そうすると、お寺の方では、その納骨堂のお骨や位牌を、他の人といっしょに合祀する、というか、そうやってその人の供養をお寺が末代、永代まで供養する、というステージに変更するのです。


その合祀のやり方は、具体的には知りませんが、いままで個人ベースでの参拝ということで、納骨堂で管理していたお骨と位牌ですが、無縁仏になったと同時に、他の人と合祀して、その管理スペースが変わると思います。そして、そのお寺が永代に至るまで供養していく、というステージに変わります。


これが”永代供養”というものです。


・お墓の代わりに納骨堂。

・無縁仏になったら、お寺のほうで永代供養。


これが永代供養の大きな特徴だと思います。


自分はオヤジの葬儀のときに、永代供養ということを初めて知って、オヤジは浄土真宗 本願寺派の永代供養のお寺さんに埋葬しようと決めました。


永代供養は、とても便利ですよ。なにせ、お墓が、お寺さんの中にありますから、いつもお寺さんの方で、綺麗に清掃されていて清潔感溢れる感じでいいです。そしてなによりも法要とか法事とか、あるいはひさしぶりに北海道に帰省して、オヤジのお墓参りをしようとしたら、お寺さんにお願いすれば、お寺の荘厳立派な広い祭壇会場のところでお経をあげてもらうことも簡単にできます。


ふつうお墓参りというと、お墓を掃除して、お花を添えて、そして墓石に水をかけて、そして合掌する、というのがふつうだと思いますが、永代供養スタイルですと、納骨堂からお骨と位牌を自分が運んでお寺の祭壇会場にセッティングするだけでいいです。そしてお寺の立派な祭壇にオヤジのお骨と位牌をセッティングして、そのままお坊さんにお経を上げてもらえるのです。


ふつうのお墓参りよりもぜんぜん仏んさんに優しいと思います。

お墓とお寺が同じお寺内にあるから可能なことだと思います。


いまオヤジとオフクロは、同じ納骨堂に収まって、あの世でも夫婦めおとで仲良く佇んでいます。同じ納骨堂に納める、というのはお寺さん側のアイデアで大変うれしい心遣いだと思って感謝しています。(ブルーがオヤジのお骨で、オレンジがオフクロのお骨です。)


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永代供養の相場は、40万円だと言われています。自分の場合、オヤジのときに初めて永代供養墓(納骨堂)に入所したので、40万円払ったです。自分が20万、オフクロが20万の折半で賄いました。


もちろん北海道の地方都市での話ですが、首都圏でもこの永代供養というスタイルは登場してきています。


東京広尾にある”了聞”という永代供養のお墓。


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こんな立派なんですよ!詳しくは資料を読んでいませんが、永代供養墓は30万円だそうですよ!俗社会時代では、東京・広尾といったら、まさしく高級住宅エリアでまったく歯が立たなかったエリアですが、あの世に行ったら、広尾の永代供養墓で暮らすというのもなんかいいですね。(笑)


FacebookやInstagramは相変わらず自分に優しいので、そのときそのときで自分に合った適切なコンテンツをプッシュしてくれます。最近はこの永代供養のコンテンツひと筋です。(笑)


先祖代々のお墓に入れてもらう、というのが手っ取り早くていいと思いますが、そういう所縁がない人も多いと思います。自分の場合、オヤジを九州の実家の先祖のお墓に入れる提案もありましたが、そうするとオヤジのお墓参りに九州まで行かないといけない。これも大変かな、と思いました。


東京から北海道や、東京から九州だと飛行機代や旅費など変わらないかもですが、やはり両親は慣れ親しんだ土地で眠るのがいいのだと思っています。


そうして、最後に肝心の葬儀費用です。


世間一般では葬儀費用は、200万~300万かかると言われています。最近は小さなお葬式とか、あまりに費用が掛かり過ぎるので、いろいろ工夫されているようですが、自分が昔から知っている相場はこのくらいです。


でも葬儀を賄う会場、葬儀会社には”互助会”という組織があります。


互助会のもともとの発端は、葬儀代があまりに高額で、低収入家庭の人はとても葬儀が上げられないので、そういう貧困層のための葬儀会社としてスタートしたのが発端です。


自分の実家のある町にある”ベルコ会館”というところは、その互助会の組織のメンバーです。

だから市民にやさしい葬儀会社なのです。


なにが優しいか、と言いますと、そのベルコの葬儀プランの中で、積立していくコースがあり、大体毎月3,000円くらいの額を毎月積み立てていきます。そうして、3,000×64回=192,000円で完結です。


こういう積み立てプランに入っていると、いざ葬儀のときに、普段なら100万~300万掛かる葬儀費用を、そのコースを完済した会員特権として、会員お徳プランという激安で基本プランを使えますよ、という仕組みなのです。


たとえば、オフクロのときは、この3,000円×64回のコースを2本積み立て完了(384,000円)していたので、実際かかった葬儀費用は60万円以内で済みました。


これだけの激安で済ませられたのも、この互助会という組織の一員である葬儀会社を使ったこと。というか、私の実家の町では、葬儀はこのベルコ会館でやるしかほかに選択肢はないわけですが。。。(笑)


この互助会という組織の一員である葬儀会社は全国でもたくさん存在します。東京でもたくさん存在します。2014年の父親のとき、将来の自分の葬儀のために、この互助会に属している東京の葬儀会社のリストをベルコ会館からもらいました。


ベルコ会館というところは、もともと大阪に本社があり、大阪の会社だそうで、でも全国各都市に存在するそうです。東京にも存在するそうなので、自分の葬儀は、このベルコ会館にしようかな、とか考えています。(笑)親子代々でお世話になります。


そのためには積み立てしとかないとダメです。月3,000円でしたら負担小ですね。月々での支払いではなく一括で払ってしまってもいいらしいです。母親と同じく2本完遂しておくには、384,000円一括で払ってしまっても無理な額ではないんではないでしょうか・・・。そうすると葬儀代は60万以内で収まります。



葬儀にかかる費用と言うのは、


葬儀費用+お寺さんへのお布施+そうしてお寺さんへの納骨するための費用(お墓)


ですから、自分の場合は、60万+20万+40万=120万円


納骨するための費用40万円は、最初のオヤジの時だけです。2回目のおフクロのときは必要ありませんでした。


いま葬儀代の相場と言われている200万~300万という額からすると,120万円で済むのは格安な方なのではないでしょうか。もちろん、葬儀終了とともに2~3日以内に、現金キャッシュで払わないといけません。(笑)


施主にとって、この葬儀代をどこの財源から持ってくるか、というのが重要なことです。将来、施主になる立場の人のつねに考えておかないといけないことです。


もちろん自腹で払ってもいいですが、いくら格安とはいえ、120万も自分の自腹って痛くありませんか?(笑)


やはり親に生命保険に入ってもらうことです。受取人は施主の自分にしておきます。

そうすれば大きな出費でも痛くありません。


オヤジは病気をたくさん抱えた後に、生命保険に入ろうとしましたが、案の定入れず。生命保険なしでした。葬儀代は自腹を覚悟しましたが、ご香典が予想以上に集まり、結局葬儀代はほとんどペイしてしまいました。


そのときのオヤジの教訓で、その2014年におフクロを強制的に生命保険・医療保険に強制加入させました。私が月々の保険料払っていました。


今回の出費も無事そこから賄えそうです。


もう、ご両親を生命保険に加入させる、というのは誰もがやっているあたりまえのコモンセンスなのではないでしょうか。まずこれは基本ですね。


生命保険というのは、昔からあるスタンダードな正攻法ですが、最近は、”葬儀保険”というのもあるみたいですよ。やはり葬儀はお金がかかるので、そのための専用の保険です。昔は存在しなかったので、最近誕生した保険サービスなんですね。なんでも月1,000円の掛け金で、300万の葬儀保険金が下りるみたいですよ。まさに葬儀に特化した保険ですね。でも月1,000円というのは注意が必要ですね。自分の医療保険もそうですが、健康体の人が、1,000円なのであって、持病をいろいろ持っている人は、もっと保険金が高くなったり、あるいは最悪保険に入れない場合もあるかもしれません。ここは宣伝文句に注意と言うか罠の場合もありますので、よく確認されることをお薦めします。


あと、これは葬儀とは関係ないですが、老親の介護のときの注意点を書いておきます。


親が高齢になるにつれ、病気で五体満足でなくなり、介護が必要になり、介護施設に入ったりします。そのときの介護費用は、バカになりません。かなり高額です。


その費用は誰が払うのか?


それは当然親の銀行通帳から払ってもらいます。

親の月々の収入、年金額に見合ったレベルの介護施設を選ぶ必要があります。


親がちゃんと認識力があって、子供に自分の通帳と銀行認印を渡して、子供に入所手続きを代役でやってもらう、という状態だったらなんら問題ありません。


ところが親の認知症や認識力、理解力に問題ある場合、その代用手続きが不可能な場合はかなり厄介です。その費用引き落としの手続きには、親の銀行通帳とその銀行認印が必要になります。


親が急な病気で認知レベルに問題があって、その銀行通帳と銀行認印を子供に渡すという作業が不可能な場合、子供にとってかなりリスク最大になります。


その親の介護施設の費用を子供が払わないといけません。月々7万円(自分の母親の場合)とか、そんなのとてもじゃないですが、子供は負担できません。


自分の母親の場合、実家の自宅内で脳梗塞で倒れてしまいました。1人暮らしなので、その異変に気付いたのは、毎週1回母の様子をチェックにしに自宅に訪問してくれるヘルパーさんから自分に連絡が入りました。


お母さん、呼び鈴鳴らしても全然出てこないし、新聞も何日分も刺さったままで溜まっている。


自分は、スワっと恐怖感が全身を襲いました。


老親の1人暮らしの最大の恐怖は孤独死です。心筋梗塞、脳疾患などいつ突然やってくるか、わかりません。しかも1人暮らしです。誰も気が付かないです。


うわぁ~自分がいちばん恐れていたことが起こってしまった~と思いました。


中から鍵がかかっているので、もう警察と消防車を呼んで、3階なのですが、窓ガラスを割って、施錠を外して強制的に潜入してもらいました。


そうしたら、母は倒れていて、でも意識はあったそうです。それで、どうも脳疾患みたいだということで救急病院に運ばれ、なんとか助かりました。


それで、脳梗塞の後遺症から、もう1人での生活は不可能で、介護施設で介助を受けながら生活をしていかないだとダメだと診断されました。


もう警察、消防車の強制潜入(私が逐次電話で指示しながら)、そして病院の先生の診断結果を受け取る。これは正味3時間くらいのできごとでしたでしょうか・・・身が凍り付くというか生きた心地がしなかったです。


そこから介護施設探しです。


結局、病院の機能がついた介護施設に決めて、そこに入所してもらいました。


問題は、その月々の介護費用をどうするか、です。


母親の状態から、銀行通帳と銀行認印が家のどこにあるか、など聞き出せる状態ではありませんでした。そのとき、私は仕事でいっぱいいっぱいだったので、ピンチヒッターで妹に北海道の実家に飛んでもらいました。


そうして家の中で探してもらいました。そうしたら、探し始めたその最初で母親の買い物袋の中に、銀行通帳と銀行認印が見つかり、いともあっさり解決してしまいました。


このときの妹からの電話の一報に自分がいかに救われたか、なんとも言えない安堵、ピンチを逃れた~という感じです。


あとは母親の銀行通帳から月々の引き落としを設定してもらいました。


ここからが私のアドバイスです。


親が高齢になるにつれ、そして連れ合いに先立たれ、1人暮らしをしているような場合、そして子供が遠方に住んでいる場合、まず孤独死を避けて異常を検知しやすい仕組みを作っておくこと。


そして親が元気で認識力が十分ある内に、親の銀行通帳と銀行認印の普段置いてある場所を聞いておくこと。


これをかならず実施しておいてください。


私のような突然のケースに陥ってどうにもならなく途方にくれることもあります。


あと、介護保険の利用の仕方もありますが、自分の場合、介護保険はあまり利用しなかった、というか使えないシステムだな、と思いました。スミマセン。(笑)


介護保険のことをよく知らないだけかもしれません。


結局、自分の父親と母親が、自分の命と引き換えに、我々子供に残していった試練、教訓はしかと学びました。人生の大変な教訓だと思っています。


自分の始末を、子供や親戚に迷惑をかけずに、生前にあらかじめきちんとレールを敷いておくこと。結局、自分はオヤジのときもおフクロのときも、その敷かれたレールの上をただその通りに実行していただけに過ぎませんから。


それを自分の父親、母親から学んだのだと思います。


これを自分の終活に活かさないはずがないです。


自分もいろいろ準備しておかないといけない、と今回の母親の葬儀で思ったところです。


注意点ですが、あくまでこれは私個人のケースですので。もっといろいろなパターンはあると思います。


せっかく両親が自分に残してくれた教訓を、世の中の同年代や若い世代の方々にお役に立てればと思いました。みんな同じ不安を抱えていると思うので。少しでも役に立てればと思います。


しかし、ふつうは表には出てこない、隠すべき(?)葬儀の件をここまで詳らかにした記事は前代未聞かもしれません。(笑)

















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悩みはもとから絶たないと。。。 [雑感]

今年は辰年。自分は年男なのだが、今年は年初からすごい試練の年である。
                                         
たぶん自分が生きてきた60年間の中で、もっとも最大の試練の年だと思う。厄年と言うのは当たっている。自分が同じ厄年の42歳のときの試練、病気で転職したときより、比べ物にならないほど数段厳しい試練だ。
                          
龍神様は、自分にすごい試練を与えている。
                         
これを乗り越えれば、たぶんあとはこの世を解脱するまでずっと幸せが続くような気がしている。いまが人生の変わり目に違いない。
                                  
年初から、能登大地震、JAL・自衛機の衝突事故、そして小澤征爾さんのご逝去。そして我が還暦、定年でセカンドステージのスタート。それに伴う生活環境の再整備。
                      
・・・そして、なんと母親があの世に旅立った。
                                   
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もう狼狽した。かなり動揺した。
3か月前あたりからかなり容体が悪くなって覚悟しておくように、とは言われていたが、いざそうなるとかなり動揺する。
                       
無事、葬儀・納骨を済ませ、一件落着。
よくやった!自分!と褒めてあげたいと思う。
                                
もちろん残された残務問題も多く、時間がかかりそうだ。今年の辰年は、自分にとって、もう大変な1年となりそうである。
                             
母親のご逝去は予想していなかったことなので、想定外で処理しないといけないが、還暦を過ぎてからのセカンドステージは自分自身、もう何年前から分かっていることだ。5年前あたりから、あと5年したら定年だ、どうしよう?とか漠然に不安なものだ。
                        
もうこれはサラリーマン、企業人、会社人なら仕方がないこと。もう宿命なのだから。月収40万もらっていた人が、再雇用、あるいは年金受給開始から収入大激減。やっていけるのだろうか・・・。
                                 
みんな全員が通らないといけない人生の最大の難関である。みんなそうなのだ。
                               
鬱だよね~。ブルーになるよね~。もう老後のことを考えると、一気に鬱なので、考えないように”いまを楽しむ”で自分はやってきました。老後のことは、そのときになって考えよう。
                                 
実際数年前から分かっていても、じゃあどうする、なにやる?と言ってもとくになにもやらずそのままズルズルと行くだけだと思います。
                        
その点、自由業の方はいいな、と思います。定年はないので。働けるまで働く。ただ年齢相応の役割に変わっていくのかもしれませんが。
                                    
サラリーマン、企業人にとって還暦というのはなんらめでたくありません!地獄の始まりなのです。よく還暦祝いというのを聞きますが、なにがめでたいのかさっぱりわからないです。
                                            
いまだから告白するが、自分は誕生日は1月なので、1月の誕生日に定年になる。2月から働き方が変わる。そうするともう5年前から鬱気味なのだが、さらに1年前になると猛烈に鬱、ブルーになる。
                         
ましてや、3,4か月前だと、この不安のピークは最大限に達する。
                                 
そのとき自分が考えたことは、このままなにもせずにただ自宅の中で在宅勤務を続けて過ごしていって、そのまま定年を迎えるのではもうあまりに人生暗すぎるだろう。これは精神的にかなりよくないと考えた。
                                   
そこで自分が考えたのが、年末に名古屋、姫路、京都をツアーするという旅行を計画することだった。財力がある内に、後悔しないように、ということで計画した。
                       
今年の芸術の秋_2023は、このことがきっかけで起案した旅行計画だったのだ。
                                   
でも、いま考えると、それで気が晴れるか、というとまずそれはあり得なかった。やっぱり旅行中でもついつい不安な老後生活のことを考えてしまい、いま楽しいはずなのに、どこかブルーで憂鬱なのだ。
                    
年末の姫路、京都のときは気分は最悪だったな。
                                     
そしていろいろ経過していろいろあって、いまに至る訳だが、自分はある大きな解脱点を見つけた。悟りを開いたような感じである。
                       
それは、
                              
悩みは根本を絶たないと楽にならない。
                 
ということである。
                                    
みんな、各個人でいろいろな悩みを抱えていると思うが、そしてそれはおそらく他人に相談できない悩みごとだと思うのだが、その悩み事で苦しい精神状況を、なにか別のことで代用することで楽になるか、というとまずそれはあり得ないということである。
                     
あまりに悩み過ぎて薬に頼るとかもダメ。なにか別の楽しい違うことをして解消するか、というとそれもダメだと思う。
                   
苦しい悩みは、その根本を絶たないと意味がない、というか、その悩み自体を解決しない限り、いつまで経っても楽にならない。
                                         
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これが自分の悟りの境地である。
                         
そのためには、その悩み解決のために具体的になにか自分がアクションを起こさない限り、ずっと解決することはない。老後不安だ~と思っていても、なにもしなかったら、それはいつまでたっても不安が続くだけである。
                                    
自分がちょっと楽になったと思うのは、家計のシュミレーションをやったこと。生活していくには、インとアウトの関係ですから。収入と支出の関係。自分がどれだけの収入があって、毎月どれだけ支出しているか?自分は若い頃から、ずっと1人暮らしなので、インとアウトの管理は必然と自分がやらざるを得ない。だから自分が1か月の間になににお金をどれくらい使っているのかを把握している。
                                   
これは大事なことである。家庭の場合、旦那さんはやりくり上手な奥さんに任せっきりだと思うけど、旦那さん、そんなこと知らないでしょ?(笑)老後生活に切り替わるときは、旦那さんも協力しなきゃ。人生の中で、事が大変化するときは、男がちゃんとイニシアティブとって、あと決まりさえすればディリー管理はあとはお願い、というように。
                  
                                 
そのために一番大事なことが、自分(あるいは夫婦)が1か月の間に、どんなことに支出していて、それぞれどれくらいの額なのか、ということをちゃんと理解しておくこと、整理すること。これがいちばん大事なことです。そして老後の低収入の中に、支出が収まるようになるべく、いろいろなところ、固定費、変動費を削っていく。固定費を見直すのは一番効果大ですね。
                        
そうやっていくと、なんか現実的になって、不安がなくなっていくんですよね。収入の中に支出が収まるようであれば、不安解消だし、やや足りないのならどうしたらいいかを考える。
                                 
そうやってアクションを起こさない限り、いつまで経っても漠然とした不安ばかり頭を覆って、その苦しみはもとを絶たない限り消え去らないです。代用で楽になることはないです。
                         
老後スタートが始まる人は、まずこの家計シュミレーションを1回やることをお薦めします。1度シュミレーションしておけば、あとはもう頭の中に入っていますから、そんな毎日、毎月家計簿つける必要もないです。家計簿つけるのが1番いいと思いますが、自分はそんなマメな性格ではないので、やりません。
                               
でも1度シュミレーションしておけば、そんな必要もないと思います。大体頭の中でわかっているから。1度はかならずやるべきです。
                                 
家計の収入・支出を作成してFPに相談するのもいいと思います。
でも最近ネットの記事によく出てくるFPの回答もズサンですよね。(笑)
                       
1か月の生活に必要な金額、年金支給額、そしていくら足りない、その分を貯蓄から捻出する。そして平均寿命まで何年。・・・で結局〇〇千万円の貯蓄が必要。
                              
こういう理論ですね。
老後2,000万円問題ってこういうことですね。最近ようやく理解しました。
                    
そんな〇〇千万貯蓄があるんだったら誰も苦労しませんよ。(笑)安易すぎるんだよ。もっと頭使えよ。もっとタメになる提案しろよ!といつもボクは怒っています。
                           
まっそれはさておき、自分は去年まで漠然とあった老後の不安は、この家計シュミレーションをして実態とどうしたらいいか、を算出したことで、そしてそれに向かって実際アクションを起こしていることで、現実的なものになり、はっきり言いますと、あれだけブルーだった、鬱だった不安が嘘のように消え去りました。
                                 
あれだけ、不安で憂鬱だった毎日が、いまはかなり爽快で雲が消え去ったように気持ちいいです。やっぱり悩みはもとから絶たないとダメなんだと、そのときに自分は悟りを開きました。もちろん悩みが解決している訳ではぜんぜんありませんが、それに向かって動いている、というだけでもすごくスカッと爽快なのです。
                         
これは介護施設で療養をしている母親についても言えることでした。
もしものことがあったなら、葬儀・納骨きちんと終えることができるであろうか?
                                    
葬儀には、喪主と施主という役割があります。
                              
「喪主」・・・葬儀を執り行う責任者。 故人様に代わり参列者を迎える遺族の代表者。
「施主」・・・葬儀費用を負担する人。
                              
たしかに喪主(旦那さんが亡くなれば奥さん、親が亡くなれば長男)は葬儀の責任者なので、重要なのはあたりまえなのですが、自分の経験から、葬儀は結局やっぱり費用、お金の問題に行き着くので、施主がいちばんキーパーソンだと思ってます。
                         
2014年に父親の葬儀を取り仕切った経験があるので、大体こんなもんだということは分かっていましたが、やはり不安。事前に葬儀会社に葬儀費用や葬儀の段取りを確認して、大体のイメージがつかめました。
                                    
縁起でもない、不躾な行動と怒られるかもしれませんが、施主の立場からすると、ここに見通しが立つと、不安が一気になくなります。それでも母親が亡くなったという報を受けたときは、動揺が激しかったですが、それでも葬儀・納骨まで見通しが立っていたので、意外と気持ちが平穏でいられました。
                              
会社の経営もそうです。予実管理。予算と実績の管理。予算で目標を立てて、実際の実績がどうなのか、上振れなのか下振れなのか。そして次月以降の見通し。この見通しという作業が大事なのです。見通しを立てることで、今後の戦略の軌道修正をするし、それでまたダメだったら、また修正し直し。その繰り返しです。
                      
見通しを立てないと、不安ですよね。安心できませんよね。どうなっていくのかをある程度予想する、最悪のケースも考えて・・・そうやっていくことで、そのときはふっと安心するのだと思います。そういう作業をやらないままだと不安で不安で仕方がないです。
                             
自分もそうでしたが、たぶん親の葬儀はみんな不安と思っていることだと思います。でも葬儀は、自分がその当事者にならない限り、わからないと思います。自分の親なりその当事者になって、喪主、施主になって、初めて葬儀というものがわかるのだと思います。
                      
事前に勉強しておこうとか、他人の葬儀に積極的に行ってもたぶん無理。やっぱり当事者じゃないとわからないと思う。
                              
葬儀について日記にしてみようかな、と思いましたが、やっぱりこういうことはあまり表に出すことではないように思いますし、表で触れてはいけないことのように思いましたので、やめときます。
                          
結局、なにが言いたかったか、というと、
                                    
苦しい悩みは、その根本を絶たないと意味がない、というか、その悩み自体を解決しない限り、いつまで経っても楽にならない。
                                           
そのためには、その悩み解決のために具体的になにか自分がアクションを起こさない限り、ずっと解決することはない。
                        
これが自分の悟りの境地である。
                                     
偉そうに言ってますが、自分も去年までこのことを知らずして、ずっと鬱気味が続いていたのですが、最近ようやく解脱した境地です。・・・というのも、時間が解決してくれるというか、時間とともにやはりなにかアクションをしていかないと事が進まないので、そうやっていく内に問題、悩みが徐々に解決していって、気持ちがす~っと楽になってきた、ということでした。
                           
こういう悩みというのは他人に相談できないことが、また辛いですね。自分の場合は1人で道を探していき、解決まで進んでいったのでかなりキツイ数か月だったと思います。
                                     
まだ、半分くらいしか終わっていないのではないでしょうか・・・まだまだ困難な残問題たくさんあります。今年1年かかるかな?その都度、ショックを受けたりしながら進んでいくと思いますが、まっ結局最後はすべてうまく行くという風になるんではないか、と思っています。(笑)
                            
サラリーマン、企業人の方は、みんな定年近くになると、すごい恐怖と不安な気持ちにさらされるものなんですよ。みんなそういうパターンなのです。みんなそういう病気にかかるものなのです。
                        
でも定年1年後、2年後となっていくと慣れてくるというか、心が麻痺してきて、あまり不安に感じることもなくなるように予想しています。
                      
でも現実はやはり厳しかったりして・・・いつ老後破綻がきてもおかしくないかもしれません。(笑)
                   
                 
                    
                       
                             

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トゥール・ダルジャン [グルメ]

北海道の田舎の町で生まれ育った自分が人生で初めてフランス料理を堪能したのは、北大合格が決まって、オヤジからその入学祝ということで、家族でフランス料理のレストランでお祝いをしてもらったときだ。


札幌のフレンチ・レストラン。


これがフランス料理か~という感じで、とにかくその上品で美しい盛り付けに感動した覚えがある。店内もゴージャスとまではいかないまでも、シックで気品のある美しい内装だった。


オヤジは、食べ物に関しては、西洋料理とはあまり縁がなかったように思え、自分が生まれ育ったときからオヤジにフレンチやイタリアンのレストランに連れてってもらった記憶は1回もない。


この大学入学祝のときが初めてだと思う。

当時はインターネットなんかなかった時代だから、オヤジは、どうやって、この札幌のフレンチ・レストランを探り当てたのかわからないが、ずいぶん感謝したものである。


オヤジが同じように九州の実家で進学祝いに父親からそのようにレストランで家族で進学祝いをしてもらったことが嬉しくて、自分の息子にもそうしてあげようと思ったらしい。


これが自分の人生の中で初めてのフランス料理、フレンチの体験だった。


いまの国際的にもユネスコ無形資産”和食”の美食国として有名なニッポンと違って、当時は舶来主義というか、やはり西洋料理が贅沢品とされた時代だった。


社会人になって、ヨーロッパに住めるようになったときでも、やはり世界でいちばん美味しい料理は、フレンチとイタリアンの二大巨頭だと思っていた。当時は間違いなくそうだった。


またヨーロッパの国の中で、メシがうまいだけでなく、ブロンド美人の美しさ、美人度からしても、やはりフランスとイタリアが群を抜いてダントツで美人が多かった。


”ヨーロッパの中で美人とメシがうまいのは、フランスとイタリアである。”


これは自分の経験からしみじみ実感することと、我々の世代の常識であった。


またスリが多いのもフランスとイタリアなんですけどね。(笑)(自分はフランスでやられました。。笑笑)


でもいまは、和食、中華料理など世界のいろいろな美食が世界的に認知されるようになり、もはやフレンチ、イタリアンだけの時代ではなく、群雄割拠の時代に入ったと言っていいだろう。


料理の評価基準として”ミシュラン(MICHELIN)”というガイドを知っているだろう。


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ミシュランガイドは、世界16,000軒以上のレストランを紹介する信頼できるレストラン&ホテルの情報提供プラットフォームだ。


ミシュランガイドの”インスペクター”という調査員の方がいて、日本、米国、中国、そしてヨーロッパのいろいろな国を訪れて、訪れたレストランを同じ基準で評価するのだ。ミシュランガイドが世界的に信頼を得ているのは、


・セレクションは、ユーザーのために客観性を維持し、独自性を保つためミシュランがすべて行う。

・ミシュランガイドの掲載は無料。

・掲載の決定は携わった全てのインスペクターとその国のディレクター、そしてインターナショナル・ディレクターとの協議に基づく。特に最高評価については国際的な基準に沿って慎重に検討を重ねる。

・ミシュランガイドに掲載されるレストランは、ミシュランの基準に沿ってセレクションされる。それは、すべてのインスペクターが同じメソッドに従って調査しているからこそ可能。


ミシュランガイドは赤い本で国ごとに1冊で発行されている。ヨーロッパに住んでいるとき、同時期に赴任していたアムスの同期友人が、このミシュランの赤い本をいろいろな国の冊分だけたくさん買い集め、2人で車でドライブでいろいろな国に行くとき、このミシュランガイド本でレストランを探していたのを覚えている。友人はグルメなので、いろいろな国に行って自分が入ったレストランは、すべて自分の手帳にそのレストラン名とアドレスをメモっていたのを覚えている。(笑)


まさに自分の実体験に基づく欧州現地の自分だけのヨーロッパグルメ帳である。


ミシュランの評価として、一つ星、二つ星、三ツ星という三段階がある。


三ツ星>二つ星>一つ星


のランク、順位付けである。



一つ星、二つ星、三つ星の評価は、素材の質、料理技術の高さ、味付けの完成度、独創性、そして常に安定した料理全体の一貫性など、いくつもの点が考慮される。



●三つ星:そのために旅行する価値のある卓越した料理


ミシュラン最高峰の三つ星は、キャリアを極めたシェフの卓越した料理に授与される。最上の食材を使った料理は芸術の域に達しており、後世に受け継がれることも多い。



●二つ星:遠回りしてでも訪れる価値のある素晴らしい料理


熟練した技術だけでなく、目を見張る食材の質や独自性など、料理は洗練されている。



●一つ星:近くに訪れたら行く価値のある優れた料理


食材の質、料理の技術、味付けの完成度など、そのカテゴリーの模範となる。




“世界の美食都市”と聞いて、みなさんはどの都市を思い浮かべるか?


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世界の美食の指標として知られ、世界37カ国でセレクションを行っている『ミシュランガイド』において、星の評価の数は、じつは東京が世界一を誇るのだ。もう驚きである。ミシュランが東京の本を出すというニュースはつい最近のことだったように思うのだが、もはやいまでは星の数は世界一なのだ。


東京は世界一の美食の都市なのだ。



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フランスで誕生した『ミシュランガイド』は、パリ万国博覧会が開催された1900年の初版発行から100年以上もの間、美食を司るガイドブックとして世界中で親しまれている。日本では、2007年に初のアジア版として『ミシュランガイド東京 2008』が発行され、日本で最もよく知られるグルメガイドとしてその名を馳せている。


現在、東京の『ミシュランガイド』の星の数は、美食都市として知られるフランスのパリやアメリカ合衆国のニューヨークを凌いでいる。東京初の2008年版でパリをおさえて世界1位を獲得して以来、東京は16年連続で世界1位を獲得しつづけており、2022年11月に発行された最新号『ミシュランガイド東京 2023』では、合計200軒(ビブグルマン除く)のレストランが星の評価を得ているのだそうだ。





『ミシュランガイド東京 2023』発表の場において、ミシュランガイド・インターナショナルディレクター、グウェンダル・プレネック氏は、「東京は星付きの飲食店・レストランの数が200軒と、今年も世界一星の多い都市となりました。良質な食材が集まる利点があり、それを調理する素晴らしい腕前の料理人が国内外から集まる東京は、美食都市として世界をリードし続けるでしょう」とコメント。


さらに、東京特有の食文化についても触れ、「シンプルな居酒屋や小さな寿司屋、日本料理の専門店から最高級レストランまで、東京には良質なレストランが溢れており、そのユニークなシーンで人々を魅了しています。巨大都市・東京は開放的で、食の多様性も輝きを放っています」とグウェンダル・プレネック氏。このように、美食都市「東京」は、世界中のグルマンから注目を集めているのだ。




2007年に初のアジア版として発行された『ミシュランガイド東京 2008』。そのときはじめて和食料理店や寿司屋が三つ星になった。さらに、三つ星の数が世界一だったパリの10軒に次ぎ、東京は8軒が獲得。また、それまでに発行された他国のミシュランガイドでは、掲載店の一部のみに星がつくだけだったが、東京版では150の掲載店すべてが一つ星以上の評価。星の合計数は、パリの64軒の倍以上を上回る191個で世界最多となった。


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2022~2023年の最新発表によると、東京の三つ星の数は世界1位、さらに三つ星、二つ星、一つ星の合計数でも2位のパリの118軒を大きく上回る200軒と高評価。また、東京だけでなく、TOP5に京都・大阪もランクインしており、東京のみならず、日本の食文化の多様さ、強さがデータからも読み取れる。


それについて、グウェンダル・プレネック氏は、「京都は、歴史と食文化、旬の食材を使った伝統料理、おもてなしの心が息づいています。日本文化を知り、楽しみたい旅行者にとって必見の場所です。一方、大阪は独自の食文化が発展しており、地元の名物料理から世界各国の料理まで、バラエティ豊かな料理を楽しむことができます」と述べた。


●なぜ東京にはミシュランガイドの星の評価を得た店が多いのか


①四季折々の多様で新鮮な食材

②日本独自の味覚、“旨味(UMAMI)”

③国内外問わず、世界トップレベルの料理人が集結


●インバウンド消費のカギを握る、日本の食文化「和食」


和食がユネスコ無形文化遺産に登録されて以来、世界的に和食がブームになり、今では世界中の至るところに日本食のレストランが急増している。また、和食が好まれる理由として多く挙げられたのは、「ヘルシーで健康的だから」。おいしさのみならず、“旨味”を上手に使うことによって、おいしさを損なわず、減塩効果や動物性油脂の少ない健康的な食生活が送れると、ヘルシー志向の外国人からも注目を集めているのだ。



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また、観光庁が発表した「訪日外国人の消費動向」(2019年次報告)によると、訪日外国人観光客が「訪日前に期待していたこと」という調査に、「日本食を食べること」(69.7%)が1位となった。また、日本貿易振興機構「日本食品に対する海外消費者アンケート調査-6都市比較編-(2014年3月)によると、外国人が好きな外国料理の1位が「日本料理」(66.3%)という結果となっている。


訪日外国人観光客の受け入れが再開されたいま、美食の街「東京」、さらに京都・大阪をはじめとする日本各地の地域の食や食文化の魅力を発信することが、日本誘致のカギを握ると言える。


情報引用元:


ミシュランガイドの星が最も多い街「東京」は、世界トップの美食都市 その強さの理由とは





どうだろう?


自分はいま知った事実であり、もう驚きである。確かに世界中から東京に一流シェフが集結するというのはよく理解できる。そういう土壌が日本にはありますね。なにも和食だけではないと思う。世界中の美食が、すべて日本、こと東京には集まっているのではないか。世界のオリジナルの本店に行かなくても東京ですべての国の料理が楽しめる。ラーメン業界の新横浜ラーメン博物館と同じ原理である。日本、東京はグルメの都市なのだ。そしてそういう需要があるから、自然と供給が生まれ、そこにビジネスが発生するのだと思う。たぶん日本国民の要望が強いんだと思う。東京でも食べれるように支店を出してほしい。支店を出せば儲かるから本店側もうれしい、そんな関係なのだろう。


そして東京が美食都市として名を馳せる理由は、日本の風土が大きな要因である。その風土がもたらす日本の四季がはっきりと分かれることで、その季節折々の多様で新鮮な素材、その持ち味を尊重した料理が、日本そして東京のレストランシーンの強みのひとつになっているのだろう。


灯台元暗し。


まさに自分が住んでいる日本、東京はいまや世界一、世界ナンバーワンの美食都市なのだ。


世界の美食としては、やはりフレンチとイタリアンが二大巨頭。


自分の脳内知識は、あの当時から今に至るまでずっとそのまま止まったままだったのである。(笑)


でもどうなのだろう?


いまや世界一の美食都市、東京とは言えども、やはりフレンチ、イタリアンはちょっとオシャレ、非日常感を感じるような特別な食事ではないだろうか?とくに自分は小さい頃から和党、日本食大好きのそっち側の人間だったので、そんなに普段、フレンチやイタリアンを食べるわけではない。やはり旅行とか、デートとか、記念日だとか、そういう特別の日に祝祭を兼ねて利用するのがフレンチやイタリアンだ。


フレンチやイタリアンでもフォーマルなものから家庭料理的なものまで幅広い。海外へホームスティとかの経験のある人は、後者の家庭料理的なものも経験があるのだろう。自分は残念ながらあまり記憶にない。フレンチとイタリアンというともっぱらフォーマルな記憶しかない。


イタリアンも美味しいと思うけど、自分はやっぱりフレンチ、フランス料理が世界一だと思うな。美食都市、東京である現在を鑑みると、自分がオシャレ、非日常感を感じる料理の世界一という意味である。


自分はずっとそのように生まれ育って、生きてきたので、いくら日本食が世界一と言われても灯台下暗しで実感やその有難みがわからず、フレンチが特別で最高と考えてしまう。


フランス料理は、トルコ料理、中華料理とならぶ世界三大料理のひとつである。


フランスで発祥した食文化および調理技術のこと。フレンチガストロノミー(フランス美食学)は2010年にユネスコの無形文化遺産に登録されている。


ベルギーに住んでいた頃、ブリュッセルの街の中のレストランのメニューは大半はフランス語で書かれていた。ベルギーは、真ん中がフランス語圏、上側がオランダ語圏、そして下側がドイツ語圏と3か国語が混在する多国民族国家という感じで非常に複雑だった。


首都のブリュッセルはフランス語圏内だったと思う。レストランのメニューは、ほとんどフランス語で書かれていた。


ここで鍛えられた。フランス語のメニューを理解しないといけない。まっ誰でもそうだと思うが、前菜、肉料理、魚料理、デザート、ドリンクと分類されて、その下に細かくさらにいろいろな料理が分類されている感じ。


だから自分が肉を食べたいのか、魚を食べたいのか、をまず決めないといけない。


肉料理はViande、魚料理はPoissonである。


さらにその下に分類されている料理名を眺めていく。そうすると、その単語、単語で知っている単語がかならず出てくるものなので、それを脳内で繋ぎ合わせていくと、大体どんな感じの料理なのか想像がつく、というものだ。


そして自分のイメージ、好みに合う料理を選んでいく。出てきたものがまったく想像外、という笑い話もあるけど、慣れてくるとそんなに外れもない。


そうやっていけば生きていける、というものである。

生きていくには、そういうサバイバル術が必要だということだ。


思うのだけど、いまの時代はもう英語メニューも必ず用意されていると思いますよ。そしていまの時代は、日本語メニューや中国語メニューなど、お店側はほとんど多国語メニューを用意しているのではないでしょうか?日本人はもちろんのこと、いま現在は中国人の旅行者は世界中ですごい多いですから。


あと、スマホのアプリで、言語翻訳してくれますね。Googleレンズみたいに。(笑)

もう時代はそういう時代なのだ。進化しているのだ。


現地で食べるフレンチやイタリアンの場合、アジア人と分かった途端の人種差別的行為を受けることもあるだろう。よくフランスやニューヨークで日本人夫婦がレストランに入ろうとしたら、日当たりが悪い暗いすごく場所の悪い処に案内された、とかその類の話はよく聞く。まっこれはなかなか残念なことだが、現地のアジア人に対する先入観、潜在意識の中にある人種差別はなかなか消え去らないと思う。


自分の場合、性格が鈍感なので、あまりそんな風に感じたことは1回もないのだが。。。


フランス料理は、首都パリで食べれるものという以外にも、いろいろなフランス内の地域で特色のある料理風土を持つ。プロヴァンス料理/バスク料理/アルザス料理/ノルマンディー料理/ブルターニュ料理/ブルゴーニュ料理/ロワール料理・・・などなどどれも耳にしたことのある名前で、それだけフランス料理は幅広く有名なんだということだ。


飲食店の形態も、レストラン/ビストロ/.ブラッスリー/ブション/カフェ・・・など様々なスタイルがある。


フレンチ、フランス料理というと、レストランのフォーマルなことばかり思い起こしてしまうけど、ワインとチーズ、フランスワインとフランスチーズ、そしてパンですね。フランスパン。もうこれらもフランスをイメージする大切なファクターだ。


こうしてみると、フランスってほんとうに芸術の国というか、美食の国という感じがよく分かりますよね。


普段の日常の食事は和党の自分は、フレンチやイタリアンを堪能するときは、やはり特別の祝祭のときに外のレストランでいただくことが多かった。デートとか、なんかすごくウキウキうれしいときとか。


赤坂見附、表参道、銀座はよく出没していました。


赤坂見附はよく歩いているときに、ここオシャレで素敵だな~と思うと、彼女とのデートで使っておりました。赤坂見附はイタリアンのいいお店があり、そこをかなりの回数使わせていただきました。


もう店名も場所も覚えていないけど、もう存在していないだろうな・・・当時の話ですが、赤坂見附というところは、なかなかそういう自分のイメージにドンピシャとくる素敵なレストランがいっぱいありました。


表参道もよく出没しておりました。

銀座線の地上出口に出たところから徒歩数分のところにこれまた安い、とてもカジュアルで、そして内装がとてもゴージャスなフレンチ・レストランがあり、ここもよく利用していました。デートで使うときも多かったけど、合コンのときに幹事を任されたとき、ここをよく利用していました。大好評だったです。自分は正直に告白すると、合コンというのが大の苦手でした。(笑)付き合いで笑ったり相手に合わせて話していたりしていましたが、早く終わらないかな~とずっと思っておりました。


あと、これも地上出口のすぐそばにありましたが、クリスマスイヴで彼女と食事したフレンチ・レストランがありました。もうこの頃の自分は、バブリーな時代でステレオタイプそのままの行動形式でした。(笑)いま思い起こすととても恥ずかしいです。


表参道もかなりディープなスポットでした。


あと、デートの場所として新宿西口の高層ビル街を使うことが多かったので、ここの新宿センチュリーハイヤット、いまはハイアット リージェンシー東京って改名しているんですね。そこのフレンチ・レストランを使うことも多かったです。


海外旅行では、もうそれメインで訪れますので、非日常感があたりまえです。もう完璧にそれ目的です。だからいっぱい想い出のレストランがありますが、ひとつだけ上げるとすると、2013年に訪問したザルブルク音楽祭のときにゴルディナーヒルシュというホテルです。ザルツブルクのあの最高の人気の通りであるゲトライデガッセにある老舗の高級ホテルです。


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《Hotel Goldener Hirsch》はオーストリア、ザルツブルグにあるホテルで、名称は「黄金の鹿亭」の意。中世の建物を利用したホテルで、15世紀初頭には存在していたガストホーフで、ゴルデナー・ヒルシュの名称での営業は1564年からとされている。


名指揮者、カラヤンが定宿としたことで知られている。


そうなのだ!この年のザルツブルク音楽祭訪問は、音楽祭に行くこともメイン目的でしたが、ザルツブルクに本拠地を置いていたカラヤンのルーツを辿る、という旅でもありました。


アニフにあるカラヤンの墓や家も観に行きましたし、同じアニフにあるムーティの家にも行くことができました。


ザルツブルク音楽祭でカラヤンが定宿としていたホテル・ゴルディナーヒルシュ。ここに宿泊したかったですが、高くて無理でした~。(笑)でもどうしても体験しておきたかったレストランが、このゴルディナーヒルシュの中にあるレストランです。


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近代の造られた造形美みたいな最新のゴージャスさというのではなく、いわゆる岩鉱をくり抜いた空間というか、そういう歴史の重みを感じる空間ですね。これが真のザ・ヨーロッパの美しさだと思います。けっしてゴージャスであればいいという訳でなく、こういう素朴なんだけど昔の面影をそのまま引き継いで歴史の重みを感じる・・・そこにヨーロッパの美しさがありますね。原石の美しさ、といいましょうか・・・決して造られた造形美じゃないです。


このホテルを定宿としていたカラヤンは、もちろん食事でもこのレストランを愛用していました。このレストランでカラヤンがいつも座る定位置の場所があるんですね。いわゆるカラヤンテーブルです。小澤征爾さんの成城学園の増田屋さんのお蕎麦屋さんの定位置の座席と同じです。


厨房近くのレストランの端のほうにあり、1人用テーブル。ここがカラヤンテーブルです。自分は事前にこのカラヤンテーブルに座りたいと要望を出していて、無事そこに陣取ることができたのです。


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レストラン内は、岩鉱をくり抜いた空間というか石でできた空間なので、とにかくすごい響く。そしてなによりもレストラン内の客の話し声が凄く大きくうるさい(笑)。騒然としていてウェイターもかき消されないように、ということですごい大声で話しかけてくる。これだけうるさいレストランは経験したことがなかったです。(笑)


高級レストラン独特の静かな上品さという感じとは正反対な感じです。雰囲気もなんか明るい感じで、でも客の服装はきちんとしている。


敷居はそんなに高いとは感じなかったです。


ここは、とくにフレンチ専門のレストランということではなく、オーストリア料理でしょうね、フレンチも兼ねます、みたいなカジュアルなレストランでした。



デザートのゴルデナーヒルシュ風のクレープとアイスが、視覚的にも最高で、美味しかったです。


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さて、そんなフランス料理、フレンチであるが、自分の人生の中で最高級のフランス料理の経験となったのが、”トゥール・ダルジャン”である。トゥール・ダルジャンはフランス・パリに本店があり、世界で唯一支店として許されているのが、日本の東京なのだ。


トゥール・ダルジャンは、フランス料理の最高級レストラン、グランメゾンである。


まさに、その過程をして「フランス料理の歴史そのもの」と言わしめるほどとなった。


鴨料理が名物。ミシュランの3つ星を長く保持していたことも有名。

現在はパリ本店も、東京ニューオータニ店も、ミシュランの1つ星である。(笑)

やっぱり時代なんですね~。信じられないです。いまや東京のほうが美味しいと評価されているのです。



パリ ラ・トゥール・ダルジャン


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パリ、セーヌ河のほとりに”トゥール・ダルジャン”という鴨料理で有名な老舗レストランがある。創業440年の老舗で、顧客リストには国王をはじめ多くの要人の名が並ぶ。あの昭和天皇皇后も2回訪れたことがある名門レストランだ。パリを代表するこの店の歴史は、まさにフランス料理の歴史でもあるわけだが、しばらく改修していたんですね。2023年の9月にリニューアルオープンしたそうだ。いまネットで知りました。場所や外観は同じだと理解しています。


自分はロンドンに住んでいるとき、パリに遠征してこのトゥール・ダルジャンを体験したことがあります。当時は、ユーロではなく、FF(フレンチフラン)紙幣を握りしめて・・・


トゥール・ダルジャンが鴨料理で有名であるということは当時はまったく知らなかったです。(笑)いまは英語メニューや他の多国語メニューもあると思うのですが、当時はフランス語メニューだけで、なにせ、メニューをViande/Poissonで振るい分けして、あとは想像を掻き立てて、"This One"で指差しでメニューオーダーですから。(笑)愚かでした。。笑笑


もちろんドレスコードはありますので、ピシっとしていきました。


そういう伝統、歴史のある敷居の高い名店ですが、結構恐れ知らずというか、平気でどんどん入っちゃうそういう性格でしたから。いまもそうですが。(笑)たくさんいろんな経験を積むことが将来、自分の糧になる、という考えがその昔からありました。



セーヌ河、そしてノートルダム寺院・・・あのパリの景観がそのまま望める絶景のレストランで、自分は恐れ慄きました。


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自分みたいなアジア人が、西洋人の中に紛れ込んでこんなところに居ていいのかな?と思いました、です。西洋人、ヨーロッパ人の人はすごいゆったりスローモーションで日本人みたいにセカセカしていないですね。なんかゆったりその存在がそのまま絵になる感じで、こういう空間に違和感なく自然にそのまま溶け込んでいる感じがします。私のようなアジア人がそこに溶け込もうとすると無理をするというか、背伸びする感じがどうしても拭えませんが、西洋人の人たちはもうゆったり自然です。悔しいな、といつも思うことです。これはヨーロッパの夏の音楽祭のときのブレークでみんなワインを片手に”ダンケ・シェーン”と通り過ぎるあのゆったりした自然な振舞。あれをどうしても思い出します。


でも、自分の食生活履歴の中で、人生の中で最高の晩餐となったのが、このパリ・トゥール・ダルジャンでの一夜です。これはとても名誉に思っています。クレジットカード払いなので、いくらかかったか覚えていません。5万円というのは当時の東京のほうのトゥール・ダルジャンでの値段です。なにを頼んだのかも覚えていません。


「トゥール・ダルジャン」の7階にあるダイニングへ行くにはエレベーターを利用しますが、そのエレベーターへ向かう狭い通路の両壁いっぱいに飾られているのが、同店で食事した国内外の賓客が残した自筆サイン。王侯貴族、元首、政治家、経済人、文化人や映画スターなど華やかな有名人士のサインが側壁一面にずらっと並ぶ。


これは圧巻ですよ。 こんなところにオレ入っていいのかな?と怖くなりました。






1582年、フランスではアンリ三世の時代であり、日本では大阪城が建てられた頃。パリの中心、5区のセーヌ河畔、ノートルダム寺院を望むサンルイ島の前に一軒の旅籠が誕生。そこからは銀の塔(フランス語でトゥールダルジャン)と呼ばれる、太陽の光に反射して銀色に輝く雲母で飾られた塔が眺められました。貴族のための旅籠を造ろうとしていた主人は、国王に願い出て、店の紋章にこの塔を使う許可を得ました、これがトゥールダルジャンのルーツ。シェフの料理は評判を呼び、遠くイタリアの貴族達も噂を聞いて訪れるようになりました。


1582年のある日。鹿狩りの帰りにアンリ三世と貴族たちが「トゥールダルジャン」に来店。隣のテーブルではフィレンツェから来た貴族の従者が小さな尖った道具を取り出して肉に突き刺して食べていました。この道具に興味を持った国王が尋ねたところ、ヴェニスから届いたばかりの発明品であるとのこと。これがフランスの食文化史上初めてフォークが登場した瞬間。国王はさっそくこの道具を取寄せ、フォークの存在は広まっていきました。


19世紀末、パリの貴婦人たちの間で圧倒的な人気があったレストラン「カフェ・アングレ」の娘と、当時の貴族の館「トゥールダルジャン」の子息が結婚。これにより、ふたつのレストランはひとつになりました。これが現在の「トゥールダルジャン」なのです。カフェ・アングレの偉大なワインセラーも、トゥールダルジャンに統合され、この融合によってフランスの食文化はさらに広がりを見せたといえます。カフェ・アングレのオーナーであったクローディアス・バーデルは、現在のトゥールダルジャンのオーナー、アンドレ・テライユの曾祖父にあたります。



数多くの著名人に愛されたことでも知られる「トゥールダルジャン」。例えば、グレース・ケリー、チャールズ・チャップリン、クリスチャン・ディオール、ジャン・コクトー、アメリカのフランクリン・ルーズベルト大統領、フランスのフランソワ・ミッテラン大統領や、日本をはじめ各国のロイヤルファミリーの方々などさまざまなセレブリティをおもてなししてまいりました。そして、門外不出だった「トゥールダルジャン」の歴史を大きく塗り替える出来事が。1984年、ホテルニューオータニ開業20周年記念事業の一環として、パリ本店と同じく約400年の歴史を誇る日本庭園を望む地に「トゥールダルジャン東京」をオープンしました。フランスと日本の食文化の架け橋として、パリのエスプリと伝統を大切に守りながら、進化し続ける本物のフランス料理を今日もお届けしています。


(以上トゥール・ダルジャン公式HPより抜粋。)


このパリのトゥール・ダルジャンに関するエピソードとしては、


・19世紀末に活躍した給仕長のフレデリック・デレールは、手がけた鴨の一羽一羽に番号をつけ提供するというアイデアを発案し、これが現在でも引き継がれている。


・1921年6月21日、昭和天皇(当時は皇太子)のパリ来店に際し53,211羽目の鴨で、1971年の2度目の来店に際しては423,900羽目の鴨でもてなした。東京店では、これに由来し、53,212羽目の鴨からナンバリングしている。


・ソムリエのメッカ(聖地)としても知られ、数多くの有名ソムリエを輩出している。


・ドラマ「半沢直樹」シーズン2のロケ地として登場し、半沢の「3人まとめて1000倍返しだ!!」や大和田との「タンデム土下座」などの名シーンで登場する。


などがあります。


自分にとってなんとも最高なのは、


あの美食倶楽部の創設者で有名な、陶芸家、美食家の北大路魯山人が、このパリのトゥール・ダルジャンで、鴨料理を「ソースが合わない」と評価し、持参したわさび醤油で食べたとされている逸話です。(笑)



そして・・・そうなんですね。東京の赤坂見附のホテルニューオータニに、このトゥール・ダルジャンの東京支店”トゥール・ダルジャン東京”がオープンしたのです。1984年のことです。


フランス料理の最高峰に立つパリのトゥール・ダルジャンから唯一その支店展開を許されたのが東京です。


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当時、東京にもトゥール・ダルジャンがある、ということを知ってさっそく行きました。彼女と2回、1人で1回かな?1回あたり5万かかったような記憶が鮮烈に残っています。


”フレンチに5万円をかけて堪能する。”


まさにバブルの時代、イケイケの時代、ワンレンボディコン、ディスコお立ち台、お金が天空に舞い踊る・・・そんなお金の使い方が青天井だった時代です。


ちなみに、この5万円の中には、Service Charge (サービス料)も含まれています。


いまこうやってネットから写真を拝借すると、自分の当時の記憶とちょっと違いますね。もっと暗くてすごいインテリア装飾があったような記憶があるのですが、たぶん夜だったからでしょうかね。


もちろんドレスコードあります。男性はジャケット着用を義務付けられています。


もちろんメニューは、日本語なんですが、そのときもトゥール・ダルジャンは鴨料理が名物料理ということを全く知りませんでした。(笑)なんか全然違うコースを頼んでいたような気がします。鴨料理ってまったく記憶にないです。


自分の日本でのフレンチ体験でも、このトゥール・ダルジャン東京が最高峰になります。

これ以上の経験はないです。




約400年の歴史を誇るトゥール・ダルジャン。


伝統を継承しながら、常に革新を続け、時を超えてフランスのエスプリである「アール・ドゥ・ヴィーヴル」(美的生活)をお伝えし、人生の幸福な時間を彩る存在として、フランスと日本の食文化の架け橋として歩んでいるトゥールダルジャン 東京の世界をひも解きます。




トゥール・ダルジャン東京のシェフは、


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ルノー オージエ Renaud Augier

エグゼクティブシェフ


レストランの経営をしていた祖母の影響で、幼い頃から将来の夢は料理人。16歳で一ツ星レストランでの修行をスタートさせ、その後も夢に向かって突き進んできました。愛する日本で、フランス食文化の魅力をお届けする事に誇りを感じています。これからも約400年のトゥールダルジャン パリ本店の伝統とエスプリを継承しながら新しいクリエイションをお届けいたします。



2019年度M.O.F.(フランス国家最優秀職人章)を受章しました。M.O.F.(Meilleur Ouvrier de France / フランス国家最優秀職人章)は、フランス料理界最高峰の栄誉であり、M.O.Fは例えてみれば、ちょうど人間国宝にも相当する称号といえるでしょう。


料理部門で選ばれた7名の内、最年少での受章。日本在住のシェフがM.O.F.に選ばれるのは実に37年ぶりであり、今世紀初の快挙。5月13日には、パリのエリゼ宮でフランス大統領からメダルを授与され、新たなM.O.F.の誕生となりました。




誤解のないように言っておきますが、いままで書いてきた自分の経験は、いまから30年前のことを言ってますよ。いまこんな生活している訳じゃありませんよ。(いまは毎朝納豆ご飯です!)イケイケだった時代の話です。


先日、東京オペラシティビルの53Fにある松坂牛 よし田で並んでいて、すき焼きやしゃぶしゃぶで5万円と知って、急にトゥール・ダルジャンのことを思い出しました。いままで完璧に忘れていました。記憶が遥か彼方にありました。


それを突然思い出しました。


自分の中で最高の贅沢の晩餐である”トゥール・ダルジャン”を、老後貧乏に入る前にもう一度だけ、”最後の晩餐”という形で体験してみる?と計画中です。


いま公式HPでメニューを確認してみると、ディナーで、2,2000円~3,3000円くらいですね。すごい安くなったんですね。当時は間違いなく5万かかりました。自分の記憶の中に強烈に残っています。


今回はぜひ鴨料理を食べてみたいです。


もちろんバシッと正装します。喪服でもいいですか?(笑)


”美食倶楽部 トゥール・ダルジャン~最後の晩餐”


として日記を書こうと思っています。



トゥール・ダルジャン東京に現れて、鴨料理を頼んで、”このソースは合わない”ときっぱり言い放ち、持参のわさび醤油で食べてみたいです。(笑)それこそがこの体験記を、”美食倶楽部”の連載とする北大路魯山人へのオマージュになると思っています。














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東京・初台は音楽の街 [クラシック雑感]

官能的で悩ましくて麻薬のような独特の旋律。聴いていると人の感情を内から煽り立てるような刹那というかそんな仕掛けを感じてしまう。ワーグナーの10大楽劇作品の中でも、かなり異端で特異な旋律だと思う。


ワーグナーは、トリスタンとイゾルデは、私の作品の中で最高傑作だ!と豪語している。


ワーグナーが奥さんとの生活に行き詰まりを感じて、不倫に行く末を求める。でも敵わぬ恋。そんなもどかしい行き場のない刹那な気持ちを作品に投影させたのが、トリスタンとイゾルデだ。


自分の作品の中では、本命は絶対ニーンベルグの指環四部作だったのは間違いない。でも本命作曲中に、とりあえずちょっとそれを置いておいて、ふっと息抜きに作ってみた曲がすごい大傑作になってしまった。


世の中ってそんなものだ。(笑)商品開発なんて、本気を出してよっしゃ~やったるぞ~と気合を入れて開発したものはそんなに思っていたほど伸びず、なにげなくふっと息抜きに出した商品が大ヒットしてしまう。本人たちもびっくり。これが世の中の真実。神様のいたずら。人生なんてそんなものなのだ。


スミマセン、史実関係かなりいい加減な記憶の元で書いているので、間違っていたらすみません。(笑)


このトリスタンとイゾルデは、なんでこんなにエロイんだろう?

まさに”官能的”という表現がいちばん的を得ている言い回しだと思います。


前回の日記でも告白したように、このオペラ、自分にとっては、なかなか複雑な境地で難しい楽劇なのです。何回も試行錯誤しながら、挑戦して、あまり他人の評価の言いなりにならず、自分の頭で理解して、自分なりに解釈して、それを何回も繰り返してきたオペラである。


だから自分にとっても忘れられないのである。


13年前の2010/2011年シーズンの新国立劇場プロデュースのプロダクションだそうで、今回は13年ぶりにその再演という位置づけだ。


大野和士さんは、そのときも指揮をして、今回も手兵の東京都交響楽団と最高の芸術を表現してくれた。あっぱれ!心から賛辞を贈りたいと思う。大野さんは新国立劇場芸術監督の任期も更新ということで、ますます素晴らしい作品を新国立劇場から贈りだしてくれることを心から期待しています。


さて、日本のオペラの神殿、新国立劇場。オペラの会場としては、昔からの所縁で東京文化会館が使われることも多々あるが、やはり日本のオペラは、この新国立劇場が中心になって動いていることは間違いない。


クラシックにとってオーケストラコンサートとオペラは両輪である。

これは小澤征爾さんがカラヤンから授かった大事な教えだ。


自分もそれはわかっているので、半々ペースで行きたいところなのだが、やはりオペラはヘビーなんだよね~。(笑)オペラに行くのはなかなかハードルが高いです。でもオペラは総合芸術。オペラからいろいろなものを一度にたくさん学べる。学べるものがたくさんある。そういう点からもこれからも自分のマイペースだけどオペラは楽しんでいくことになるであろう。


新国立劇場に行ったのは何年振りだろう?新国オペラを観たのは何年振りだろう?コロナ前だから、たぶん軽く8年は経っている。8年もオペラに行っていない。オペラを観るいい機会だったのが、海外音楽鑑賞旅行だ。海外旅行では、かならずオペラを入れるのが基本方針だ。オペラは海外で学ぶと言ってもいいと思う。


そんなまったくのご無沙汰だった新国立劇場を見参して、基本は変わっていないな、と思うものの、いまこんな感じになっているの?というところも多々あり、驚いた。


新国立劇場は、東京・初台にある。

初台は、新宿から京王新線で一駅だ。

昔、この京王新線に行くのが苦手だった。かならず京王線と間違えたものだった。(笑)


東京・初台は、まさしく音楽の街と言っていいのではないか?


ここには、東京オペラシティコンサートホールと、そしてこの新国立劇場が併存しているのだ。

クラシックファンにとっては聖なる音楽の神殿の街といえる場所だ。


初台駅で下車すると、もうそのまま東京オペラシティコンサートホールと新国立劇場にそのまま直結してアクセスできるようになっている。自分はこの駅ホームを降りたときから、あ~~~初台は音楽の街というイメージが強いのだ。


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もうこうやって駅のホームに音符の絵柄のデザインがあるんですよね。素敵です。音楽の街という感じがします。


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まず東京オペラシティコンサートホールから紹介していこう。


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自分は新国立劇場よりもやはり圧倒的に東京オペラシティコンサートホールに通うことが多い。ここのホールは素晴らしいですね。教会のような三角錐の独特の形状をしていて、音響も素晴らしい。いい響きしています。響きが豊潤ですね。


コンサート企画としてもどちらかというと、伝統というより新しい企画を取り扱うことが多いですね。ジャパンアーツさんのアーティストさんは、この東京オペラシティを中心に展開することが多いですね。


自分は東京オペラシティというと、どうしても新しいコンサート、というイメージが強いです。


東京オペラシティコンサートホールというのは、東京オペラシティビルという複合施設の中に入っているコンサートホールなのです。複合施設ビルの中の1施設という位置づけです。


初台駅からは直結なんですが、その通る経路の途中に見える景色がいかにも都会的でクールな装いで素敵です。


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自分はこのコンサートホールに来るたびに思うのは、座って待つところがないな、と思うことです。これ本当に困るのです。自分は歩行障害なので、ずっと立ってられません。座りたいです。でもここは座るところがないんですよね。自分は開演ギリギリが嫌いなので、いつも何時間も前に到着します。そうすると座るところがないというのは異常に困るのです。


自分の脳内意識の中では、東京オペラシティコンサートホール=座るところがない・・・なのです。開場時間までずっと立って待っていないといけない。


困った挙句、ホールエントランスから降りたところのこの広場の椅子に座っていることが多いです。(笑)でも外なので寒いです。とくに冬はあり得ないです。


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東京オペラシティのホールに行くまでに、このような広場があります。


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自分は数年前からこの広場にできた英国パブ、ブリティシュパブが気になって仕方がなかったのです。


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いつか入ってみよう、とずっと思っていてようやく今日実現できました。

店内はかなり本格的な英国パブです。本場に負けない本場志向だと思います。


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・・・ところが、料理を頼んでみるのですが、英国ビール・ハーフパイントとフィッシュ・アンド・チップス、そしてローストビーフを頼んでみました。まさにイギリス料理の定番です。


・・・これが・・・


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これはフィッシュ・アンド・チップスにかけるイギリス特有のソースだそうです。


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貧祖なんだな~。(笑)

こりゃ次はないな、と思ってしまいました。(笑)


せっかく店内装は本場志向なのにもったいないなと思いました。

いつぞやの渋谷の英国パブのほうがはるかに料理は美味しかったです。


ふつう首都圏のコンサートホールというのは、隣接しているエリアにかならずカフェとか食事処のエリアがあるもんなんですね。そこにビジネスが発生するからです。


ところが東京オペラシティコンサートホールの近くにはまったくないんですね~。(笑)

都会のビルの中という感じなので、感覚的には無機質な感じなのです。


あえて言えば、この椿屋珈琲でしょうか?


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ここは困ったときは入りますが、基本高いですね。貧乏庶民は高すぎると思います。コーヒー1杯でもすごく高いです。ケーキなんか一緒に頼むともう青天井です。



東京オペラシティコンサートホール周辺はほんとうに、よく言えば都会的なんですが、ぶっちゃけ言うと無機質な空間という感じなのです。(笑)


ここに展開する空間も、無機質でどちらかというと芸術肌というセンスを感じます。


こんなオブジェもあります。(笑)


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でも最近気づいたことなんですが、この東京オペラシティビルの上階、ほんとうに53階とか54階とか食事処がたくさん集まっているんですね。すごい上にあるので全然気づかなかったです。焼肉の叙々苑とか、いろいろ入っています。


自分はこの中で、とても気になるお店を発見しました。


それが松坂牛のよし田です。


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ここは凄いですよ。もともとYOSHIDAというジュエリー、宝石を扱うお店なのです。それが一興ということで松坂牛の専門店を開いちゃったのです。ビジネスって本業よりもサイドビジネスのほうがうまく行くケースが多いですね。これも世の中の常、神様のいたずらなのです。


そしてここは東京オペラシティビルの53階にあったりするので、いわゆる展望レストランで、ここから見下ろす東京の絶景の景色は最高なのです。夜景なんか最高だと思いますよ。やはり夜景のほうがインパクト強いですね。


松坂牛を使ったいろいろなフルコース。ステーキ、鉄板焼き、すき焼き、しゃぶしゃぶ、なんでも来い、すべて揃ってます。


ところがお値段を見ると、5万とかします。(笑)


ごっごっ五万!!!


食事に五万もかけるか!


自分はいままでの人生あまり豊かな食生活とは縁がなくジャンキーな食生活を送ってきましたが、若かりし頃、財力にブイブイ物を言わせていた時代。彼女とのデートで、赤坂見付、表参道、銀座とかいわゆるステレオタイプ(笑)なデートを重ねていましたな~。


そんな中で最高級のディナーの経験は、紀尾井ホールの近くの赤坂見付のホテルニューオータニに入っているフレンチのトゥール・ダルジャンです。


ここは凄いですよ。ドレスコードがあって男性はジャケット着用を義務付けられます。

店内の内装もすごくゴージャスです。現世とは別次元の装飾が施されています。


自分はここで3回ほどフレンチのコースを堪能したことあります。

1回につき5万かかりました。(笑)


まさに財力にブイブイ物を言わせていた怖いもの知らずだった青い青年だった自分。


”5万円かけてフレンチを堪能する。”


そういう行為がステータスだった時代。

まさにバブルの時代でした。


トゥール・ダルジャンはパリに本店があって、パリのトゥール・ダルジャンも行ったことあります。ロンドンに住んでいたとき、パリに遠征して、挑戦しました。


いまはきっと英語メニューもあると思うのですが、当時はフランス語のメニューしかなかったです。肉料理(Viande)、魚料理(Poisson)、前菜(Apéritif)を頼りに適当に見繕って、メニューを指さしてオーダーします。海外のメニューオーダーでこれをやるとまったく見当はずれなものがやってきたりして、笑えるのですが、このときは結構想像通りというか合っていたような気がします。


パリ現地のトゥール・ダルジャンに行けたことは、自分の人生での食生活の中で最高の名誉であり、誇りでもあります。


日本に帰ってからも赤坂ホテルニューオータニのトゥール・ダルジャンは3回くらい楽しみました。


世界の料理の中でいちばん美味しいのは、やはりフレンチとイタリアンと言われていますが、自分からすると、イタリアンも美味しいですが、やっぱりフレンチがいちばんいいです。フランス料理が最高、ナンバーワンだと思います。フランス料理には芸術性と気品がありますね。


まさに1回5万のこの世の贅沢を尽くし切ったディナーなのですが、もうこういう冒険はできませんね。(笑)もう無理です。若い頃だったからできたことです。いまは完全に和、居酒屋系のほうが断然居心地いいです。


これからセカンドステージと言われる経済的に制約を受ける新しい生活を始める自分。老後貧乏になる前に、いま一度、赤坂ホテルニューオータニのトゥール・ダルジャンを最後の晩餐としてもう一回楽しもうかなと計画中です。一夜限りの贅沢です。


ずばりタイトルは、”美食倶楽部 トゥール・ダルジャン”で決定です。

美食倶楽部は、すき焼き人形町今半をリリースしてから予算不足で頓挫していた企画ですが、トゥール・ダルジャンで復活です。まさに美食倶楽部の名に恥じない最高の贅沢だと思います。


ちなみにいまネットで調べてみると、いま赤坂のトゥール・ダルジャンのフレンチコースは、大体3万円くらいで楽しめるようです。だいぶ下がってきましたね。当時は5万かかりました、です。


すみません・・・かなり脱線しました。(笑)


松坂牛のよし田のメニューがどれも5万の値段ということで思いっきっり反応してしまいました。自分にとって食事に5万円も払うというのは、まさしく自分の記憶の中で条件反射的にトゥール・ダルジャンのことを思い出してしまうのです。


自分はこの日、東京オペラシティビルの53階まで昇って、よし田で大行列ができていたところに並んでいたのですが、スマホで値段を調べてみると、どれも5万するので、ひぇぇぇえええ~いくら松坂牛とはいえ、すき焼きやしゃぶしゃぶに5万もかけれるか、と思いました。


自分が狙っていたのは、ランチメニューの黒毛和牛のすき焼き御膳です。1,500円です。

これなら自分でも大丈夫です。


ところが限定メニューで20食限定なのです。

この大行列ですからあっという間に完売です。


もうあとは5万のメニューしか残ってないです。(笑)確かに東京の絶景の景色を見下ろせるという喜びもありますが、ここに並んでいる人はみんなすき焼きやしゃぶしゃぶに5万もかけるだけの財力があるのでしょうか・・・

驚きとしかいいようがないです。


自分は限定メニューが完売となった時点で、すごすごと退散して帰ってきました。(笑)


東京オペラシティビルはほんとうにゴージャスな施設だと思います。


初台駅から同じく直結の新国立劇場。

まさに日本のオペラの中心、神殿であります。


しばらくご無沙汰しておりました。8年間くらいまったく記憶にないです。(笑)


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超久しぶりの新国立劇場。

そんなに変わってませんでした。


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ホワイエ空間もあの当時のまま。


新国立劇場のホワイエといえば、やはりこのサイドにあるドリンクコーナーや今日の演目に合わせたスィーツとかでしょうか・・・いつも美味しそうだな~と思いながらも、お金がなくて諦めています。


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新国立劇場もついに電子マネー、クレジットカードが使えるようになりました!

まさにコンサートホール、オペラハウスのDX化は必要ですね。


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ブレイクのときのドリンクコーナーは依然と比べると割いているスペースが広くなったような気がします。以前はこんなに大所帯だったかな?と思いました。


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今回すごくびっくりしたのは、ブレイクのときにホワイエでガラス窓の外に向かってみんなその方向で椅子に座っているこの光景です。


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これはかなりビックリして、なんだ、なんだ?と思ってしまいました。

ある意味、ちょっと違和感というか異様な感じがしました。


でもすぐにその意味が分かりました。

みんな中庭の絶景を見ているんですね。


新国立劇場の中庭は風光明媚な観光スポットなのです。これも自分はあまり経験がなかったことです。新国立劇場の中庭はほとんど経験がないです。


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とても素敵な場所だと思いました。新国立劇場にはこういう見せ場もあるんですね。初めて体験しました。全然気づかなかったです。



座席で腰の部分に保護クッションが常設されていましたね。これは今回のワーグナーだけの配慮なのでしょうか。それとも全公演でこういう配慮がされているのでしょうか。(たぶん後者)ワーグナーは長いので腰を傷めないようにという配慮なんでしょうね。素晴らしいです!


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ちなみにバイロイト祝祭劇場の椅子です。ケツ痛い。(笑)


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まさに修行僧というか、これは拷問に近いですね。(笑)ワーグナーのような4時間から5時間もかかる長いオペラでこれはツラいでしょう!一説によると、ワーグナーは自分の長いオペラでお客さんが寝ないように、わざとこういう椅子にした、という話を聞いたことあります。




超久しぶりの新国立劇場。まったく変わっていないと思うところも多かったですが、新たな発見というか驚きもあったことは事実です。



これからもご無沙汰の無礼をしないように、なるべく予算をやり繰りしてオペラを観るようにしたいものです。


新国立劇場オペラで、ちょっと魅かれるものがあります。


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モーツァルトのコジ・ファン・トゥッテです。この舞台装置、キャンプベースのコジ。これは覚えていますよ!


いまから11年前の2013年ですね。新国オペラで観てきました。当時、BISレーベルから北欧の歌姫ということでミア・パーションが華々しく活躍していて、そのミア・パーションが出演するということで、新国まで行ってきたのでした。


SACDで聴くミア・パーションはとても魅力的な声だったのですが、実演での彼女の声は、声帯が狭い感じで、ちょっと耳に突き刺さるような感じで、ちょっとがっかりした記憶があります。いま彼女はどうしているのでしょうか・・・


キャンプベースのコジはよく覚えているので、きっと11年ぶりの再演なんですね。トリスタンとイゾルデといい、あの頃の名演よ、もう一度という感じですね。


ちょっと魅かれるんですよね~。

行ってみたい。。。


オペラはいろいろな演目を幅広く見ていきたいと思っていますが、その意識とは別に結局自分の鑑賞履歴としては、同じ演目を何回も観るというパターンが多いんですよね。


コジ・ファン・トゥッテも2013年のザルツブルク音楽祭で体験できました。


こうしてみると、東京・初台というところは、クラシックファン、クラシック愛好家にとって聖なるクラシックの聖地でもあり、神殿のような場所だと思います。


この初台駅のホームに降り立つと、あ~来たな~と感慨深くなります。

これからも大事に通いたいと思います。












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トリスタン和音 [国内クラシックコンサートレビュー]

新国立劇場、新国オペラを観に来たのはいつ以来だろう?ちょっと思い出せないくらい大昔だ。たぶんコロナ前。過去日記を調べる気もしないくらい大昔だ。演目も思い出せない。
                             
オペラは、自分がよく知っている演目だとすんなり行く気になるけど、予習が必要な自分にとって新しい演目はなかなかハードルが高い。ふだん忙しいので。オペラはやっぱり観劇するのにすごいエネルギーがいると思う。
               
新国オペラで、ワーグナーのトリスタンとイゾルデを13年ぶりに上演するという。演出も13年前のプロダクションのものだそうだ。
               
これは行かないとな~。
                              
新国立劇場、ほんとうにご無沙汰しているので、ひさしぶりに行ってみたいとずっと心に引っかかっていた。でもなかなかオペラを観に行く勇気と時間がなく悩んでいたところに、トリスタンとイゾルデを上演するという。
                      
これは行かないといかんだろう!
                                  
自分にとって、ワーグナーのトリスタンとイゾルデは、自分のワグネリアン人生の頂点に立つ楽劇だ。
                                
2016年は、まさにトリスタンとイゾルデ・イヤーだったと言っていい。
                              
ワーグナーの聖地、バイロイト祝祭劇場で初めてバイロイト音楽祭を体験。
その頂点がトリスタンとイゾルデだった。
                           
そして日本に帰国してからも東京二期会でトリスタンとイゾルデ。東京文化会館。
                                  
そしてMETライブビューイングでもトリスタンとイゾルデ。
                                                               
昔から不思議に思っていたのだけど、オペラ界ってどうして同じ演目を一時期に集中的に続けたくなる性格なのでしょう?(笑)今年はずっとトリスタンとイゾルデばっかり、というのがすごい多いです。
                        
バイロイト音楽祭のときは、ティーレマン指揮で、タイトルロールがステファン・グールドとペトラ・ランク。東京二期会のときは、池田香織さんと山下牧子さんとか。
                        
METは念願のニーナ・ステンメ様。イゾルデ役100回というイゾルデを歌わせればこの人の右に出る人はいないというステンメ様のイゾルデを堪能。
                     
凄かった~~~。映画スクリーンなのに、もうすごいヴィブラート利かせまくりのまさにワーグナー歌手の典型のような巨艦ぶりで、すごい歌い手さんだと思いました。ステンメ様のイゾルデを生涯で1回実演で体験してみたいです。夢です。
                               
そんな自分にとってオハコど真ん中の演目を新国オペラでやってくれるという。ひさしぶりに新国立劇場に行きたかった自分、オペラを観たかった自分。ジャスト・タイミングでした。
                        
東京・初台は音楽の街ですね。東京オペラシティコンサートホールと新国立劇場が併存しています。
                                     
新国立劇場、超久しぶり!
                                   
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公演の詳細レポートはまた別途別に立てます。いま忙しいので、あとでゆっくり論評したいと思ってます。まずは速報という形で。
                           
                      
「トリスタン和音の官能的な響き」
                    
トリスタンとイゾルデの全体の骨格となっている「トリスタン和音」。
                           
なんと!官能的な旋律なんだろう!
ものすごい悩ましい、人を一瞬にして虜にする独特の音階進行。
麻薬みたいな感じですね。
                      
第一幕の前奏曲やラストのイゾルデの愛の死で、そのトリスタン和音は最高潮に達する。
                               
むかし音楽評論家の先生の投稿で、なぜトリスタン和音が人を惹きつけるのか?という論文を拝読したことがある。和声学の理論からしても、じつはこのトリスタン和音の音階進行は官能的な響きになる理屈がちゃんと成り立っているのだそうだ。その音階進行の仕組みが、人間の感性に対してすごく悩ましい、独特の色気を感じさせ、官能的に響くように感じてしまう。それが理論的に和声学的に証明されているのだそうだ。
                         
正直その論文の内容は、あまりに専門的過ぎて難しくてわからなかったのだが(笑)、あのトリスタンとイゾルデ全編を通して流れるちょっと普通ではない半音階ずれた感じで進んでいく、通常の調性音楽と違って一種独特の不安定な旋律の運びは、人間の感情を煽り立てるような、まさにその麻薬ぶり、官能的な響きとなる仕掛けがそこに存在しているのだ。
                                    
トリスタンとイゾルデを観劇するのは2016年以来だから、8年ぶりだ。
いやぁ~じつにエロイ音楽だ。(笑)まさに官能的という言葉がぴったりだ。
                                      
ひさしぶりに聴いて、麻薬みたいな音楽だな、と思ってしまった。
                                      
ひさしぶりに観て、もうひとつ思い出したのが、このオペラ、動きがすごく少ないというか、歌手が静止して延々と歌っている感じで、動きがまったくない。そしてすごく冗長的なオペラなんですよね。すごい冗長的。
                                           
ワーグナーの楽劇は、示導動機、ライトモチーフというその楽劇を象徴する主旋律のメロディが楽劇中に何回も登場することで、1本の筋を通すような役割を果たしている。
                                             
このライトモチーフがカッコいんだよね~。
                                      
ワーグナーのオペラがカッコいいのは、このモチーフが、ここぞというところで何回も現れるので、オペラの骨格としての統一感があって、それが余計、すごいドラマティックに感じる、衝撃的なまでの大感動を生む仕組みを作っているのはこれが原因だと思います。このライトモチーフの仕掛けがそう感じさせる要因だと思ってます。
                                                                     
ところがトリスタンとイゾルデは、そのモチーフの再現回数が意外と少ないというか、正確にはその変形的な旋律はよく現れるのだけど、ここぞど真ん中のストライク、聴いていて気持ちいい!というモチーフの登場は意外と少ないような気がする。
                              
だからインターバルが長いんですよ。すごい冗長的な感じなのです。
                                      
キタ~という感じがなかなか来なく、ずっと今か今かと待っているのだけど、じらされている、というかはぐらかされて、最後のイゾルデの愛の死でついにキタ~という感じで昇天してしまう。そういうオペラだということを思い出しました。(笑)すっかり忘れていました。
                                    
つねに半音階進行的な感じで、従来の調性音楽に対する挑戦みたいな感じです。
これもトリスタン和音の成せる業なのかもしれませんね。
                                    
もちろんこれは門外漢の一般聴衆の自分の感覚でモノを言っているので、音楽学的に正しくないかもしれませんが、自分は昔からこのオペラを観劇すると、いつもそう感じてしまいます。すごいインターバルが長くて冗長的なんですよ。(笑)素人感想でスミマセン。。笑笑
                                    
舞台装置は、13年前とは思えないくらい斬新で芸術的だと思いました。
素晴らしいです。
                                    
歌手はタイトルロールの2人が直前で交代したのですね。今日知りました。トリスタン役はいい歌手だと思いました。明るい軽い声質で、ヘンデルテノール、ワーグナー歌手という感じではなく、もっと軽い感じです。でも声量もあり、歌もうまいと思いました。
                                        
イゾルデ役もいい歌手だと思いました。ずっと第一幕から聴いていていい歌手だな~と思っていましたが、ちょっとだけ辛口でいいですか?(笑)この楽劇の最高潮で昇天するところであるラストのイゾルデの愛の死。いただけなかったな~。(笑)ブレスが多くて、滑らかじゃない。あの官能的な旋律を滑らかに一気に歌いきらないと、聴衆は酔えないんですよ。ブツブツ切なので興奮できない。冗長的なオペラなので、いまかいまかとずっと待っていて、そうしてようやくキタ~という感じで待っていた愛の死でしたが、酔えなく、陶酔できなく、もうがっかりでした。一気に冷めてしまいました。
                                         
でも急なピンチヒッターだった訳ですし、プロフィールをよく拝見しておりませんが、イゾルデはそんなに歌っていないのかもしれません。
                                          
自分が今回のオペラで一番楽しみにしていたのは藤村実穂子さん。藤村さんの歌を聴くのもめちゃくちゃ久しぶりです。覚えていないくらい大昔です。陰影感のあるダークなそして深みのある音色の歌声に、あ~これはまさしく藤村さんの声ということで嬉しかったです。藤村さんの演じたブランゲーネは、非常に歌う出番が多いので、すごく堪能できました。まさしく我が日本を代表する世界的な歌手という実力ぶりでした。
                      
大野和士指揮東京都交響楽団も最高です。
                                        
やっぱりホールでの実演は、器感のダイナミックレンジと低域の出方が全然違う。あのオーケストラの身体を揺らすような豊かな分厚い低音は、家庭のオーディオルームでは再現不可能だと毎回思います。低域の信号は波長が長いので、再生空間の容積が大きいほどいいですね。ホールのあの巨大空間での低域再生は、オーディオルームでは再現は難しいと思います。
                                       
この後、上野の東京・春・音楽祭でもヤノフスキ&N響でトリスタンとイゾルデの演奏会形式を体験します。ヤノフスキの高速でハードボイルドなワーグナー、とても楽しみにしています。きっとまた大感動に違いない。やっぱりワーグナーってハードボイルドに演奏してほしいですよね。枯れたワーグナーはダメです。(笑)
                                   
ひさしぶりに観た新国オペラ「トリスタンとイゾルデ」の公演論評は、別に立てます。落ち着きましたら、ですが。。。
                            
ひさしぶりの新国立劇場。
                                    
電子マネーやクレジットカードが使えるようになりました。(笑)
いいぞ!いいぞ!コンサートホールやオペラハウスもDX化が必要ですね。
                                        
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新国の定番のオペラ演目に合わせた(?)スィーツ。いつも食べたいと思ってしまいます。
                                      
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夕方4時に開演。終演が夜の9時半。5時間半の大伽藍。相変わらずキツかったです。(笑)
                                     
                 
(c)新国立劇場 Facebook
                           
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伊勢屋のカツ丼はなぜ待たされるのか。 [グルメ]

やっぱり町中華は最高である。自分も大好きである。あの雰囲気がいい。テーブルや椅子が大抵赤いですね。そしてお馴染みの町中華メニュー。最近は餃子の王将のような全国チェーン店が中華料理のメニューを完璧に品揃えしていることもあって、こういうチェーン店で中華料理を食べることが多くなった。そして時代とともにあの個人経営の町中華のお店が少なくなっていっているように思う。


”町中華”というのは、昔から地元の人たちに親しまれている中華料理をメインとした庶民向けの食堂のことを指す。 創業年が古いお店が多く、近年では、店主の高齢化や後継者不足などの問題に直面しているところもある。


中華圏の人たちが実際に食べているような本格的な“中国料理”、”中華料理”、いわゆるガチ中華に対して、従来の日本人の嗜好に合う中華料理を「町中華」と呼ぶ。町中にある昔ながらの中華料理店を指し、多くは広東料理や香港料理をベースとして日本人の舌に合うような和風のアレンジが施されている。 本場の中国料理と味は異なるとはいえ、日本人の舌に合わせたローカルフードとしての人気は根強い。


町中華は個人経営が基本で、赤いテーブル、赤い椅子に、そして厨房。漫画や雑誌が置いてあり、お店の前にはウィンドウケースに入ったサンプルが置かれている。


いわゆる「町のラーメン屋さん」が町中華と呼ばれ、赤坂離宮(迎賓館の方ではありません)や聘珍樓などの高級中華と区別されている。


フリーライターの北尾トロと下関マグロが2014年に「町中華探検隊」という隊を結成し、日本全国の町のラーメン屋さんを巡っては本にまとめて出版している。その活動が徐々に注目され始め、「町中華」という言葉がマスコミで取り上げられるようになった。


「町中華」とは、昭和の古き良き時代から続く昔ながらの個人経営の中華料理店のこと。安くて、美味しくて、ボリュームがあって、気軽に通える「町の中華屋さん」を指す。


町中華の定義は:


・狭い店内にカウンターとテーブルだけ(個室はなし)

・メニューはすべて1枚の紙にまとめて書いてあるか、壁に貼ってある

・ラーメン、炒飯、餃子、天津丼などの一般的な中華料理に加えて、カツ丼、カレーライス、オムライス、ミックスフライなどの料理も出している

・飲み物はジュース、コーラ、ビールくらいしか置いていない

・単品価格は500円~1000円程度


といったところであろうか。


町中華はだんだん少なくなってきているとはいえ、やはり昔ながらの名店はたくさん存在する。生駒軒なんかそうだ。いまやのれん分けでたくさんのチェーン展開されている生駒軒だが、その総本山というか、 本店が人形町にある。


生駒軒は町中華の神聖なるルーツなのかもしれませんね。


横浜のおらが街にも、昔ながら愛用している町中華がある。ほんとうにこの街に住み始めた30年前からずっと愛用していて、麻婆豆腐がすごく美味しい。いつもチャーハンとセットで頼む。


やはり町中華のいちばんの魅力は、安くて腹いっぱい喰った~という満足感が得られるところではないか。とにかく庶民的で腹いっぱい喰える。腹を満たしてくれる、その満足感が最高なのである。そして安くて美味しい。庶民の味方なのである。


”町中華”という言葉を最近になってリバイバルというか、ブームに火をつけたのは間違いなく、BS-TBSの”町中華で飲ろうぜ”である。


これ最高だよね~~~。(笑)


始まった頃からずっとファンで見ています。毎週欠かさず見てます。最高ですよね。こういう番組がいちばん楽しくて好きです。玉ちゃんこと玉袋筋太郎さん、坂ノ上茜ちゃん、いまは卒業になってしまったけど高田秋ちゃん。このトリオ最高でした。やっぱり玉ちゃんのあの雰囲気が最高に町中華の雰囲気に合ってますね。玉ちゃんが番組をグイグイ引っ張っていってますね。


いろいろメニューを頼んでいく中でも、かならず最後はラーメンで締める、というのが玉ちゃん流。

これは自分はこの”町中華で飲ろうぜ”を見て初めて学びました。


町中華のラーメンほど、最高にシンプルでラーメンの原点と言えるラーメンはないのではないでしょうか。東京ラーメン、正油ラーメンの基本中の基本。


最近なかなかこういうシンプルな東京ラーメンを食べさせてくれるお店がなくなりました。最近のラーメン屋さんは、ものすごく手の込んだ創作料理の域に達する芸術品のラーメンが圧倒的です。有名ラーメン店は、みんなそういう手の込んだラーメンばかりです。


シンプルで昔ながらの東京ラーメンは、もういまは食べようと思ってもどこで食べればいいのか、思いつきませんよね。そんなラーメン店っていま存在しないです。


どうしても食べようと思うなら、やはり町中華に行くしかないと思うのです。


”町中華で飲ろうぜ”で、玉ちゃんが締めにラーメンを頼んで食べているときがほんとうに美味しそうで。。。(笑)それにつられて、自分も猛烈に食べたくなるのだけど、あういうシンプルな正油ラーメン、どこに行けば食べれるんだ?といつも考えてしまうのでした。(笑)


こういう昔ラーメン、東京ラーメン、正油ラーメンを食べるなら、もう町中華に行くしかないと思います。


”町中華で飲ろうぜ”は最高!いつも見てます。これからも応援していきます。どんどん新たな町中華開拓していってほしいです。

 



さて、横浜の星川という町に伝説の町中華がある情報をキャッチした。


横浜といえば、“日本三大中華街”の一つ「横浜中華街」がある街。料理・雑貨・土産など、600以上の店舗がひしめきあい、その規模は東アジアの中でも最大級と言われている。そんな中華街で有名な横浜なのだが、実はその町で長く愛されている「町中華」も多く存在する。


相鉄線「星川駅」南口に新しくできたバスロータリーの裏手に佇む町中華「伊勢屋」。住宅が立ち並ぶ中、それと見間違えてしまうような外観に、緑地に白い文字の看板の店頭にはいつも行列ができている。再開発が進み、新しい施設が増えてきたこのエリアは横浜からのアクセスもよく、訪れやすい、住みやすい環境が整っている。


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スッスッスゴすぎる・・・(滝汗・・沈黙シ~ン・・・)


この店の看板メニューの「カツ丼」は空前絶後のボリュームが売りで、最短でも60分待ち、長いときは120分待ちの”伝説のカツ丼”と言われているのだ。(笑)麺類、炒め物などどのメニューも美味しいからこそ際立つ「カツ丼」。


最初この写真を見たとき、自分はキタ~~~!とばかり自分のどストライクど真ん中という感じであった。


こ~れは食べてみたい!

しかも町中華だ。

ひさしぶりの町中華。


これはちょっくら行ってみる?というノリで、さっそくGOである。


横浜から相鉄線で”星川駅”で下車する。

ふだん相鉄線ってほとんど使ったことないけど、自動車免許証の更新のときに二俣川免許センターでやることが常なので、その二俣川に行くのに相鉄線を使うくらいだ。だから5年に1度の頻度。でも車内は明るく、相鉄線もなかなかいいな、と思いました。


初めてその町に降りたつ”星川”。


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ちょっと駅前をぶらぶら歩いてみたけど、基本は住宅が立ち並ぶそんな町だけど、駅前は中華屋さんなど昔ながらの個人経営の飲食店のお店が集っているそんな微笑ましい小さなまちという感じだ。


その住宅街の住宅と見間違うかのように、その中にカメレオンのように保護色となって潜んでいるのが、町中華”伊勢屋”である。緑地に白い文字の看板。


あの空前絶後のボリュームが売りの”伝説のカツ丼”はここで食べることができる。


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店内は狭く、まさに町中華そのものという風情。テーブルや椅子はもちろん赤い。壁にはメニューが赤い札でずらっと貼られている。厨房は2畳くらいしかない細長いスペースで、店主のオヤジさんと娘さんなのかな?2人でのオペレーションであった。


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自分はさっそく伝説のカツ丼を頼む。


そうすると、


いまからですと、2時間かかりますが、よろしいですか?


内心、えっぇぇぇえええ~~~と思いながら、ここまで来てあのカツ丼を食べないと話にならないだろうと咄嗟に思い直し、もちろん承諾した。


空前絶後のボリュームとはいえ、あのカツ丼を作るのに、2時間もかかるのか!

そんなにかかるものなのか?

いったいどこにそんなに時間がかかるのか?


いろいろ疑問がふつふつ湧いてきた。

ネットで調べてみると、このカツ丼の調理時間が長い理由が詳らかにされていた。

とても有名なことなんですね。


とにかくこの空前絶後のボリュームのカツ丼は、その豚肉が異常なまでに分厚いのだ。もう信じられないくらい分厚い。


お店は厨房が2畳くらいしかない小さなお店で、時間がかかる理由に納得がいく。これだけ肉が分厚いと、カツを揚げるだけでかなりの時間が必要。低温でじっくり調理しないと、内部が生焼けになっちゃう。


おまけに、中華屋さんですから、普通にラーメンとか炒め物とか、通常メニューこなさないといけない。カツ丼に時間をとってたら商売あがったりなんで、カツ丼の注文をとってきた従業員に対し「え-」と不平を言っている店主の声が聞こえたりする。(笑)


実は揚げ物を専門にしているお店ではないので、一度に4つ?くらいまでしか作れず、なおかつ揚げるのにかなり時間がかかるので、1時間に4人までとかしか提供できないメニューみたいらしいのだ。だからこれを頼まれちゃうと、お客さんの回転が悪くなっちゃう。商売としては成り立たないと。(笑)


平日だったらお客さんも忙しいので、普通にラーメンとか頼む人が多いと思うんだけど、休日はカツ丼のためならお客さんもゆっくり待ちますからね。


周りを見ていると、ラーメンとカツ丼を頼む強者(笑)もいましたが、カツ丼だけ頼んで、あとはじーっと1時間くらい本を読みながら待っているお客さんとかいまして、注文のタイミングによってはそうなっちゃうみたいだった。


ちなみに中華系メニューはあっという間に出てくるんで待っている時間が結構ある。待つ方はそのつもりで覚悟しているんで全く問題ないのだが、そして外で待つ人ももちろんそのつもりでいるんだけど、お店の商売としては困るよね、という感じなのである。


ちなみにお店としては1日としてはカツ丼はせいぜい4つ、と決めているところもあって、最後のカツ丼だった場合は、次のお客さんからは断わられるのだそうだ。というか、その後も、入ってくるお客さんはみんなカツ丼を頼む。休日はこんな感じみたいである。


お店に迷惑だからカツ丼を頼む場合は開店と同時に入った場合のみにしたほうがよいということもあるそうだ。カウンター、テーブルが全て埋まると全員分のカツ丼を作るのは無理なので、結局、回転は悪くなっちゃう。


この伊勢屋は、この町が地元の人でも、「いつも並んでるから入ったことない」と言わしめるようなお店なのだ。


自分が伊勢屋に行ったときは、お店の外に行列はなかったが、いつもは1時間、2時間平気の行列ができている、そんな人気店らしい。そしてここのカツ丼はとにかく空前絶後のボリュームで分厚い。この分厚い豚肉をきちんと中まで火を通すには、すごい長時間が必要。十分中まで火を通して、そして揚げるには膨大な時間が必要なのである。


だからお店の人にとっては、カツ丼をどんどん頼まれるとはなはだ迷惑なのだ。(笑)ほかのラーメンとかチャーハンとかの中華メニューも同時に捌いてこなしていかないといけない。カツ丼はお店の回転を悪くするだけのお店の人にとっては結構迷惑なメニューだったりするのだ。(笑)お客さんがカツ丼を注文すると、いまからだと1時間~2時間かかりますよ、と何度も言ってくるので、要するに頼んで欲しくなさそうなのだ。(笑)


でもお客さんは、みんなカツ丼目当てでやってくる。


ずばりカツ丼作るのにとても時間がかかって、カツ丼を待たれると中華屋さんなのに回転が悪くなってお店の人にはとても困っちゃうメニュー。


これがこの伊勢屋の真実なんだ、ということがわかった。(笑)


自分の場合、2時間かかる、と言われた。

よ~し!2時間待とうではないか!


そう決心したものの、お店で注文してから2時間かかるってどれくらいの時間の尺の感覚だかわかります?ふつう中華屋さんで注文したら、ものの10分~15分で出来上がってくるであろう。


あの基準をふつうの待ち時間の感覚と捉えよう。

あの我々がふつうと考える待ち時間のおよそ8倍である。

2時間待つって相当つらいよ。(笑)


さすがの自分も長い、長すぎる、と思ってしまった。注文して、こんなに手持ちぶたさで待たされることのツラさ。こんなにお店の中で、手持ちぶたさで長時間待つことのツラさ。これはかなり苦痛である。自分はスマホでSNSを閲覧しながら時間をつぶしていたが、さすがにまだか!まだか!という感覚だった。


自分はカウンターの席だったので、厨房が丸見えである。そうすると、カツを揚げているようなところはほとんど見かけないんだよね。ずっと見ていると、ひたすら他の中華メニュー、ラーメンだとかチャーハンだとか、野菜炒めとか、そういうメニューをこなしてくので忙しいのだ。見ているとひたすらこれらの他メニューを作る、捌くことで忙しい。


自分からすると、こんなにまだか、まだか、と待っているのに、カツ丼を作っている様子が全然ないのでひたすら不思議であった。


どこでやっているのか、いつやっているのか、ちゃんとやっているのか。


たぶんカツを揚げたら、そのままその油の中で1時間から2時間ずっと弱火でそのまま浸しているのだと思う。弱火でずっと揚げ続けることで、分厚いカツの中にも火をちゃんと通す、そういうことなのだろう。


結局2時間ではできなかった。

2時間半待った。


その待っている2時間半の間、ずっと厨房を眺めていたのだが、ご主人がカツ丼らしきものを作っている作業はまったく見かけなかった。他の中華メニューはすごい回転率が速く、つぎからつぎへと新しく作ってはお客さんに提供ってな感じで忙しかった。


そして、自分が気づかぬ間に、後ろから配膳の女性から、「カツ丼お待たせしました。」


キタ~~~。待ち焦がれたよ~。。。である。


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これが伊勢屋の空前絶後のボリュームの”伝説のカツ丼”である。とにかく分厚い。そしてこのボリューム。となりのおじさんは、ボクにこのカツ丼が運ばれたとき、びっくりしている様子で何回もチラチラこちらのカツ丼を見ていた。(笑)


これだけ分厚いのに中までちゃーんと火が入っていて肉が軟らかくて美味しい。

とにかく肉がものすごく柔らかいのである。これは美味しいと思った。

そして中まできちんと火が通っていて、生じゃない、温かいお肉だ。


これを実現したいがためにこれだけ待たせたんだね、という感じである。


とにかくすごいボリュームですごい食べ応え。お肉があまりに分厚いので、それがどんぶりの上に乗っている。そうするとご飯はもうどんぶりの底辺に敷いている感じで、量が少ないというか上に乗っているカツの分だけ、ごはんは底辺に追いやられ、量がすくない感じである。


もちろんカツは卵でとじられているので、その卵の塊もごはんにかかっていて、これまた香ばしくて美味しい。分厚いカツと卵、そして卵汁で浸された白いごはん。まさに最高の組み合わせである。


自分の最近の食生活の悩みは、ごはんを食べても喰った~という満足感が得られないことである。血糖コントールのため、食生活を節制していることもあり、あまり量を接種していない。だから食事が終わっても、なんか物足りないというかお腹いっぱいにならず、つねに腹八分目というかお腹が空いている感じで欲求不満なところがある。


でもだ。でもだ。この空前絶後のカツ丼だけは違った。もうこの分厚いカツが5枚乗っているカツ丼。そのカツを1枚1枚ほおばっていくにつれ、そして同時に底辺の白いごはんもかっこんでいく。


こ~れはすごいボリューム感だったし、すごい食べ応えだった。最近の自分にとっては、かなりお腹がキツイ感じで、こりゃ苦しいわ、という感じでいかにも喰った~という感じで最高な気分だった。


伝説のカツ丼、伊勢屋のカツ丼、恐るべしである。


そしてこのカツ丼を食するには、1時間~2時間かかるということを学んだ。


ぜひまた食べに行きたいです。



ちなみに、カツ丼といえば刑務所の取調室である。


取調室といえばカツ丼。このイメージはどうして生まれたのか?


刑事ドラマでおなじみの場面といえば取調室。そこで容疑者がカツ丼を食べるというシーンは定番。


なぜカツ丼なのか?本当に出されるのか?


そしてカツ丼ではなかったとしても、他の丼や定食など、何かしら食事が出されることはあるのか。


ドラマでカツ丼が定番になった理由とあわせて解説していきたい。


実際は取調室で食事はできない。

現在、取り調べの際に食べ物を出すことは禁止されているのだそうだ。


食べ物を出すことは「自白を誘導する」という行為にあたるからで、カツ丼に限らず、おにぎりやパン、そしてタバコなどの嗜好品も禁止されている。なので食事は一旦、留置場へ戻ってとることになっている。



じゃあ、なぜ取調室=カツ丼となったのか?


戦後間もなかったころの日本では、カツ丼が最高のご馳走とされていて、実際に1963年に起きた「吉展ちゃん誘拐事件」では、犯人の自白を引き出すためにカツ丼が出されたという逸話が残っている。


これをきっかけにしてカツ丼のイメージができあがった。


そして、テレビで刑事ドラマが放送されるようになった頃には、警察や刑事の人情を感じさせものとして、カツ丼が使われるようになったそうだ。それからは長く刑事ドラマの取り調べシーンに登場するようになり、カツ丼のイメージが定着していったのであった。


吉展ちゃん事件って知ってますか?(笑)


当時、白ヘル警察官の3億円事件と並んで戦後の犯罪、大事件として国民を震え上がらせた犯罪でした。よく覚えていますよ。いまと違って、当時の犯罪は、なんかミステリアスで怖い感じがしましたね。まさに国民を震え上がらせる、そんな暗い戦慄なイメージでした。


カツ丼、なんと魅力的で美味しい食べ物なのでしょう!


豚肉のロース、ヒレ、どちらを使ってもうまいけど、ヒレ肉はほとんど脂がなくしっとり柔らかな食感の部位。 ロース肉は適度に脂がのったジューシーな味わいが魅力の部位。 よって脂身が苦手な方やさっぱりとしたとんかつを食べたい方はヒレ肉、ガツンとジューシーな味わいを楽しみたい方はロース肉がおすすめといえるのだと思います。


自分は完璧にロース派です。








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おひつ膳 田んぼ [グルメ]

やはり日本人はごはんである。自分は間違いなく食事は和党。朝ごはんはパンよりもごはんと味噌汁派である。都内でおいしいお米、ごはんを食べさせてくれるお店として、以前に表参道の大かまど飯 寅福 青山店を体験して日記で紹介した。厨房にはたくさんの大きな釜戸があって、それでごはんを炊くのだ。


ごはんが似合う和食って、やっぱりおかずが小さくて品数が多いいわゆる上品ですよね。独特の和の佇まいというか、そういう和の美意識が備わっている。


見栄えが美しくて上品。ボリューミーな体育会系でないと、なかなかお腹いっぱい、腹いっぱい喰った~という感覚にならない自分にとって、和食はやはり上品な盛り付けだ。腹いっぱいの満足感を得るというよりは、見かけの美しさ、美食を堪能する、という食事だと思う。


そして美味しいごはんを食べさせてくれる都内のお店は、やはり値段がすごい高い。大かまど飯 寅福もそうだったけど、やはりお米に相当こだわりがある。日本全国からまさにお米の名産地から直送、全国からいろいろな名産地のお米を取り寄せているのだ。こだわりのお米である。だから高いんだと思う。


最近、YouTubeを見ていたら、「おひつ膳 田んぼ」という美味しいごはん専門店が東京都内に展開されていることを知った。やっぱり”美味しいごはん専門店”という響きが和風ですごくいいですよ。


これは魅かれた。行ってみたいな~と思った。


炊きつづける誇り・・・

にっぽんの美味しさを伝え続けます


平成8年創業。1996年ですね。ごはん専門店。登録商標が”おひつ膳 田んぼ”


現在都内に3店舗を構える。代々木店が本店。そして表参道店、三軒茶屋店である。


都内で全国のおいしいお米が味わえるごはん屋さんである。「おひつ膳 田んぼ」は、とにかくお米へのこだわりが強い”ごはん専門店”。炊き立てであることはもちろん、米は時期ごとに一番おいしいお米を使用している。全国からその時期にいちばん美味しいお米を取り寄せているのだ。


そしてごはんを炊く釜にもこだわりがある。毎月1回実演炊飯をして提供している”ぬか釜”という釜でごはんを炊く。


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”ぬか釜”は、もみ殻を燃料にして炊く昔の農家の炊飯器である。美味しいごはんを炊くことに特化した "ぬか釜" は、不要の籾殻や落ち葉の杉を燃料としていて、昔の人の知恵で『うんめぇまんまが炊ける!』電気もガスも使わないエコな調理器具なのだ。究極のエコ炊飯器である。もみ殻を使うから、米作りをする地域で生まれた道具なのだろうが、新潟固有のものかどうかはわからない。東北から北陸にかけて使われていたという話もあるそうだ。




お米のスケジュールも、1か月の間で1週間ごとに使用するお米が違う。お店のHPにて毎月掲載されている。

2024年2月度でいえば、


2/1~2/8     魚沼産コシヒカリ棚田米

2/9~2/11   宮城県蕪栗ふゆみず田んぼ米

2/12~2/24  岩手県江刺金札米

2/25~2/29  山形県置賜産つや姫


お店ではこのスケジュールで精米したての新鮮なお米を炊いているのだ。

これらの自慢の全国のお米は、店頭販売や配送のご注文も可能だ。


1月だけでも4種類のお米をで楽しめる。全国のおいしいお米を都内で味わえるのもうれしいし、種類も月によって変わるので、次の月も行きたくなる。また、スケジュールにあわせて精米しているので、より新鮮なお米をいただくことができる。店頭販売や、配送などもあるので、おいしいお米をおうちでも同じように味わうことができるのだ。ちなみに三軒茶屋店の屋上には、実際の田んぼがありそこでもお米を栽培されているのだそうだ。驚きである。


まさに美味しいごはん専門店。お米に特化した、お米へのこだわりが強い”ごはん専門店”なのである。


お米以外にもこだわりがある。

そのほかにもこだわりが止まらない。


しょうゆ:天然醸造純正しょうゆ使用

みそ:無添加天然醸造

塩:天然ミネラル塩

のり:佐賀有明の初摘み


そして、お店で使用されているうつわは有田焼の食器を中心にオリジナルの茶わん、湯飲みを使用しているとのこと。出るものすべてにこだわりを感じるお店で、来店しているお客さんも細部までこだわりを楽しむことができるのが魅力的である。


これはぜひ行ってみたくなってきた。


代々木店本店や表参道店もいいが、自分は昔、三軒茶屋にいろいろ想い出があり、しばらく三軒茶屋ご無沙汰しているな~と思い、三軒茶屋店を訪問することにした。


おひつ膳 田んぼ 三軒茶屋店


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三軒茶屋駅から国道246号沿いをまっすぐ駒沢大学駅方面に進んでいくと、平屋の建物「おひつ膳 田んぼ」の店舗が見えてくる。平屋で一戸建ての店舗は三軒茶屋あたりでは珍しいので、わかりやすいと思う。



「おひつ膳 田んぼ」は平成8年(1996年)創業で、代々木に本店がある。三軒茶屋店は3つの店舗の中でも一番新しい令和3年(2021年)創業。3年前のピッカピカのお店だ。


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最近できたばかりのお店だが、どこか懐かしい昔ながらの定食屋のような雰囲気の店内である。清潔感もあり、やはりどこか癒しを感じる和の雰囲気満載で、定食屋さんでも一般大衆向けというよりは、もうちょっとハイソで高級な部類に感じる店内の装いだ。すごく上品で洗練された和空間だと思う。



真ん中には大テーブルがあり、12人ほど座れる。テーブル席も3卓、カウンター席も7席ある。家族で来ても、1人で来ても過ごしやすいと思う。町にある大衆向け食堂というよりは高級で洗練されていると思うが、一方で敷居が高過ぎず、落ち着きのある店内で、老若男女問わず入りやすいお店だと思う。




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メニューは、おひつ膳の田んぼの朝ごはんなどは有名だ。シャケの朝ごはんである。お昼頃になると”昼おひつ膳”という形でまた別メニューがある。季節によってそのおかずが違ってくる”季節のおひつ膳”というのもある。


おひつ膳は、全部で13種類


昼おひつ膳(焼きしゃけ)1,200円

昼おひつ膳(さばみそ煮)1,200円

明太子おひつ膳 1,600円

鶏ささみおひつ膳 1,800円

まぐろ中おちおひつ膳 1,800円

かつおたたきおひつ膳 1,900円

銀だらしょうゆかす漬おひつ膳 2,200円

きんき西京漬おひつ膳 2,200円

さけいくらおひつ膳 2,400円

豚角煮おひつ膳 2,200円

ふぐ塩辛おひつ膳 2,200円

うなぎかば焼おひつ膳 2,600円

季節のおひつ膳 1,600円


いい値段するよね~。(笑)大かまど飯 寅福 青山店のときも思ったけど、やはりごはんにこだわったお店のごはん定食はすごい高いのだ。お値段が張る。でもそれだけの値段の価値がある上品な、これぞ日本のごはん定食といえるような代表的なおかずが並んでいるではないか。


自分はすごく悩んだけれど、


銀だらしょうゆかす漬おひつ膳 2,200円


にすることにした。


じゃじゃ~~~ん。


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これは美味しそう~~~。日本人に生まれてきてよかった~と感じるときですね。やはり和定食の食事というのは、こういう感じがいいですね。和定食って、上品な装いで量も少なめだから、血糖コントロール的にみても健康な食事です。そしてなによりも見た目がすごい美しい!使われている食器やおわんが華を添えていますね。有田焼を中心にオリジナルもあって、それが見た目に和の落ち着きと美しさを醸し出していると思いました。


自慢のごはんはこのようにおひつに入って提供されます。おひつのごはんの量としては、ちょうど提供されたお茶碗によそると、ちょうどなくなってしまうくらいの分量で提供されます。


おひつ膳のごはんは、注文の時に好みの量を伝えることができます。おかわりも可能です。そのほかにも、にぎりたてのおにぎりや小鉢もあるので、自分だけの定食をつくっていただくのも楽しそうです。


さっそくいただきます。


使用しているお米は、”松之山魚沼コシヒカリ米”でした。


まず一口ごはんを口に含んだときの印象。


甘~い!である。


なんと甘いお米なんだろう。ソフトで甘みがある。米の甘さが際立ち、もっちりとした炊きあがり。つやつやで粒だっている。


「ぬか釜」で炊くごはんは、一気に燃え上がってガスより強い火力を生みだすから、米の甘さが際立ち、もっちりとした炊き上がりになるのは、そこに起因するかもしれない。


とにかくもっちりしていて甘いので美味しいのなんの。


あまりのおいしさに『道具でこんなに味が違うのか』と茫然としてしまうところもあった。自分のような大食漢では、おかずなしで、このごはんだけで二升は軽く平らげられると思いますね。(笑)


まっ考えてみれば、普段自炊もあまりしないし、外食が多い独身男性の食生活では、こんなつやつやの美味しいごはんにありつけるなんてことは滅多にないから、こういう機会でないと食べられないと思う。


それだけ格別の美味しいごはんでありました。


おかずの銀だらしょうゆかす漬けも抜群の美味ですね~。銀だらってあのように白身で、ちょっと脂の乗りがよくて香ばしい。そこにしょうゆの粕漬のような味付けでこんがり香ばしく焼き上がっているから美味しいのなんの。白いご飯にあう!それも特上の美味しいごはんに絶妙のコンビネーション!という感じである。


日本の和食定食の代表格、王様ですね。


最高だと思いました。


美味しいごはん専門店 ”おひつ膳 田んぼ”

これから頻繁に利用させてもらいたいと思います。


三軒茶屋、懐かしい街です。前職時代にプライベートで想い出があります。

自分から進んで行く街ではけっしてないけど、三軒茶屋、通称、三茶(さんちゃ)は人気あるんでしょ?三軒茶屋というと、やっぱりすぐに思い出すのが、首都高速がバシッと上を走っていること。その首都高速の下にそれなりに町が開けている。そういう景観である、三軒茶屋というのは。


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三軒茶屋は、東京の世田谷区にある街。 世田谷区の中でも知名度が高いエリアで、自由が丘や吉祥寺と並び「住みたい町ランキング」などで、上位にランクインするほど人気がある。 「芸能人が多く住んでいる街」としても有名な他、「トレンディな街」、「オシャレな街」のように呼ばれることも多い。


三茶は家賃凄い高いよね。



「三軒茶屋」という地名は、江戸時代に3軒の茶屋があったことに由来している。渋谷から地下鉄でたった4分で着く三軒茶屋駅直結の「キャロットタワー」は、三軒茶屋のランドマーク的存在。だそう飲み屋も多く、ディープに東京を旅行したい方におすすめの街なのだ。



キャロットタワー


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いろいろプライベートで黄昏の想い出が多い三軒茶屋。今度ゆっくり街歩きして、日記で紹介してみたいです。














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エリザベス・テイラー [俳優]

最近、Facebookの自分のタイムラインにハリウッド女優 エリザベス・テイラーのページ投稿がよく現れる。もう突然のことである。モハメド・アリもそうだったし、らーめん香月もそうだった。その他たくさん。。。自分のこの60年の人生の中で関わってきた人物、事象をFacebookの管理者はお見通しなのだろうか?


頭の中の記憶をスキャンして、その史実をお見通しなのだろうか・・

オレを喜ばせたいのか。(笑)


エリザベス・テイラーは自分にとって忘れられない女優さんである。

あまりに懐かしすぎる!すっかり存在を忘れていました。


子供の思春期の頃の甘酸っぱい、人にはなかなか言えない恥ずかしい想い出でいっぱいな感じである。


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女優さんというのは、海外も国内もやはり時代とともにみなが思うその美人度、美的センスという基準が変わってきていると思うのである。昔の女優さんの”美しい”、”美人”という基準と、いまの女優さんの”美しい”、”美人”とは全然そのものさしが違うように思う。


エリザベス・テイラーは、自分がその存在を認識した高校生の頃かな、だから1970年代。すでにもうピークを過ぎて晩年だった。昔の海外の女優さんの美しい、という基準は、まさにエリザベス・テイラーのような容姿のことを指していた。


当時のものさし基準では、肉感的でエロい感じでセクシーを感じさせる女優。こういう女優が美人女優で美しい女優さんという代名詞であった。そういうものさし基準であった。


この時代、あるいはそれ以前の彼女の全盛期の頃というのは、そういう女性像が美しい女優さんと思われていた図式があったのだ。


そういう基準に全く相反する形でまったく違う正反対のイメージで人気を博したのが、オードリー・ヘプバーンである。それまで肉感的でエロい、セクシーという感じがもっとも女性らしいとされた時代に、その真逆を行くかのように異を唱えるかのように、まったくそういう雰囲気をいっさい持たない中性的な美しさで頂点に立った。


まさに女優の世界での革命児だった。


自分はエリザベス・テイラーを知ったのは街の図書館でその写真集を偶然見たことに始まる。


なんと美しいのだろう!

そしてなんとセクシーなのだろう!


1970年代の高校生の頃だったので、もう異性への興味とか性への関心とか最大限MAXのときである。エリザベス・テイラーはかなり刺激的であった。胸の谷間とか全体的に肉感的でエロい感じ。かなり当時の青い青年にとってはかなり危険な対象であった。


そこから興味を持つようになり、いろいろ本などで女優としてのキャリアを調べた記憶がある。当時は家庭用ビデオもなかったので、出演作を観ることが叶わなかったが、大学生になってからかな?ビデオVHSデッキを親に買ったもらってから、レンタルビデオで、「クレオパトラ」、「陽のあたる場所」、「緑園の天使」とかその代表作を総ざらいした。


まさに「ハリウッド黄金時代」を代表する大女優の一人で、存在そのものにオーラがあって別次元の人という感じであった。輝いていた。まさに昔の女優さんの”美しい”の代表的存在だと思う。


世界的にもっとも有名な女優の一人であり、優れた演技力、美貌、豪奢な私生活、そして珍しいスミレ色にも見える深い青色の美しい瞳で圧倒的な存在を誇っていた。この瞳の色がすごいのである。ブルーより薄いヴァイオレットの瞳なのである。これは自分は写真集を見て、すごい驚いたとともに、人類でこんな色の瞳の人がいるんだな、と思ったし、それが絶世の美人度をますます上げていると思った。


エリザベス・テイラーの容姿にはちょっと変なところが「あった」。年齢のわりには大人びており、実年齢よりも年上だと考える人々も多かったと思う。当時の人々は、シャーリー・テンプルの清純な愛らしさや、ジュディ・ガーランドの飾り気のない子供らしさ、あういう感じに美人だ、というものさしを合わしていたところがあったので、エリザベス・テイラーは違和感な存在であった。



エリザベス・テイラーは、ハリウッド最高のスター、最高の映画スターという名をほしいままにその役者人生を全うしただけでなく、1960年代の性革命にも大きな役割を果たした。『PLAYBOY』にほぼ全裸のグラビアを掲載した最初の有名人の一人であり、映画で脱衣シーンを見せた最初の映画女優の一人でもあった。


セックス・クイーンやセックス・シンボルとしてのイメージも彼女の大きな革命であった。


当時の美しい女性、美しい女優さんというのは、まさにこのイメージであった。

マリリン・モンローもそうである。当時の美しい女性、女優さんというのは、エリザベス・テイラーやマリリン・モンローのような女性のことを指していた。


思春期の青年時代の自分が、一生懸命図書館に通いまくり、エリザベス・テイラーの写真集を眺めていたのもそんなところからくる。


懐かしい想い出である。(笑)自分の思春期の甘酸っぱい想い出ですね。自分が高校生のときだから、もう50年も前のことである。すっかりその存在を忘れていましたが、Facebookのおかげで急激に思い出し、ちょっと青い経験というか、恥ずかしい気持ちになりました。


その後、このような同じ気持ちになったのはもう1回ある。ロック界のマドンナの登場である。1984年頃だから大学生のとき。ロックスターのプロモーションビデオMTVが盛んだった頃である。


マドンナの登場はそれはそれは衝撃であった。完全に自分はマリリン・モンローの生まれ変わりであることを意識していた。そのようにアピールしていた。ロック界のセックスシンボルであることを武器、戦略にしていた。


やはりスターというのは優等生じゃダメだ。驚きがないといけない。マドンナはそんな驚きのいままでにない突然現れたスターであった。


とにかくマドンナの登場は驚いた。

”ライク・ア・ヴァージン”は歴史に残る名盤です!


その後、フルヌード写真集や幾度の顔整形、そして騒音騒動など、どんどん株を下げていったのは残念だったとは思いますが。。。マドンナのページも自分のFacebookのタイムラインによく現れるのです。(笑)やっぱり管理者、主催者は私の記憶をよくお見通しなのでしょうか?(笑)


エリザベス・テイラーは私生活でも非常に恋多き人で、8回の結婚を経験している。晩年はエイズ撲滅の運動に自分の人生をかけた。


自分にとって一生涯忘れられないハリウッド女優である。









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NYC ガーデンアパートメント [住居・ライフスタイル]

米国映画を観ていると、かならずこのような建物を見かけることが多い。


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アパートのような集合住宅で、いわゆる入り口が少し高いところにあって、道路からその入り口に行くまでに階段があるのだ。これは米国映画を観ていると絶対出てくる。誰しもが見た経験があるだろう。


こういう建築方式は日本にはないと思われる。

まず見たことがない。


アメリカ、米国オリジナルの建築方式なのだろう。

しかもスラム街というか、下級階層が住むあまり安全ではない治安の悪いエリアに多く見られ、この階段のところでたむろしている若者たち。


まさに黒人、ブラックミュージックの世界で、このアパートのこの1階部分の階段のアプローチがまあとにかくUSAのMV(MusicVideo)に出てくること出てくること(笑)。ここに友達と溜まっている主人公が、向こうから歩いてくるカワイイ女子、イケメン男子に声をかけるっていうストーリー。


ひとつの「お約束」になっている感じである。


まさにブラックミュージックといえば、この階段なのである。


だいたい階段に溜まるMV(MusicVideo)の曲は「綺麗な女性に会って一目惚れ」みたいな内容なんですね(笑)。あと、アーティストのキャリア的にも、かなり初期の頃にやる「お約束」MVっていう位置づけかもしれません。売れてくると、お金をかけられるので、豪邸豪遊パーティとかのMVになることが多いけど、若手はそこまでまだお金をかけられないし。


・・・てな感じで、まさに「例の階段」なのである。(笑)



そして映画の中のワンシーンでも、このアパートで階段を登って行って、上に入り口の玄関があり、そこから入って下方に展開している庶民級の部屋でくつろぐスター主役たち。シルベスター・スタローンのロッキーなんかもそうではなかったか。こういうアパートの部屋に住んでいて、そして部屋の中でロッキーが大きなジョッキの中に生卵を何個も割って入れて、それをゴクゴク飲み干す・・・そんなシーンを思い出す。


この建物はなんというのだろう?

アメリカ、米国オリジナルの建物ではないか。


ロンドンに住んでいたときも、街中をマイカーでグルグル廻って見学していたときもこんな階段付きアパートメントを見かけたような気がするのだが。。。記憶が定かでない。


とにかくアメリカ、米国で間違いない。


この建築方式は、”ガーデンアパートメント”というのだそうだ。


こういうタイプの部屋は、ガーデンアパートメントという名称で呼ばれている半地下の部屋である。

NYC(ニューヨーク)やロサンゼルスで見かけることが多いらしいがいちばん大多数を占めているのは、やはりNYCだそうだ。


ガーデンアパートメントといえば、ニューヨークなのだ。


もちろん、そこそこの大きさの都市であれば、全米でも見ることが出来る。

土地が十分ある郊外ではあまり目にしないが。


これは、都市の主に賃貸や分譲のアパート(フラット)に見られる建て方で、半地下も部屋として貸す(売る)ための工夫なのである。全くの地下だと価値がなくなるので、半地下にして部屋の上部から光が入るようにしてあるのだ。また名称も「半地下」だとイメージが悪いので、「ガーデンアパートメント」としているのが普通なのである。


建物のオーナーは、普通地上に花壇やガーデンを作って手入れをするのでこういう名称になっている。


値段も上の階よりは安めで、学生や、階段の上り下りが少ない(買い物の場合は階段の下りだけで済む)ので、老人が住んでいたりする。


土地がない所に、効率的に建てて、1部屋余計に作る知恵である。こういう場所では、建物の高さも決められているので、上に多く部屋は作れないのである。


たとえば、地上は4階なので4部屋、それにガーデンアパートメントで5部屋になる。1階をそのまま入り口にしてしまうと、4部屋しかできない。でも1階の部屋にだけ、その分半分の地下エリアが掘ってあって、空間ボリュームとしては。1階+半地下の部屋容積なのだ。この1階と半地下エリアを合体させた部屋をガーデンアパートメントという。だから窓が上の方にあるのだ。そして玄関の入り口も道路から階段で昇って行って上から入って、そして部屋は半地下のほうに下方エリアに展開されているという・・・。



“ガーデンアパートメント” 素敵なイメージが浮かぶが、実は地下室のことで、タウンハウスやアパートの地下室を賃貸する場合に、“地下室”ではイメージが悪くテナントを惹き付けないため、“ガーデンアパートメント”とおしゃれに言い換えているのだ。


だが地下室とは言っても半地下のタイプが大多数で、もぐらの住まいのような(?)暗黒の地下室を想像すると大間違い。部屋の上部には窓があって窓から地上が見晴らせ、外光も入ってくる。つまり窓の位置が地上レベルというわけだ。


部屋の窓から植え込みや花壇もながめられるから、“ガーデンアパートメント”というのもさながらうそではない。通常、上の階よりは家賃を安く設定するので、立地条件が良いガーデンアパートメントは、学生や若者、アーティストなどに大人気だ。


地下室は、冬は暖かく夏は冷涼で、気温が上の階よりずっと安定しているため、住み心地は悪くはない。地下室の利用は中西部が圧倒的に多いようだ。むしろ、西海岸や南部では少ないかもしれない。オランダやベルギーでも地下室を住居として使っているのを多く見かけるが(賃貸かどうかは不明)、いずれも都会に多い点が共通している。 都市は土地が限られ不動産価格も高いから、建物オーナーにとっては、改造してガーデンアパートメントとして何戸か付け加えればそれだけ安定した収入が増える。 入居者サイドから見ても、ガーデンアパートメント、つまり地下室に住めば、別の出入り口からすぐに外に出られるため、足が弱っている人や、沢山の買い物などで手が一杯だったりする場合には、上の階に住むのに比べて便利だ。 とりわけアパート回りの景観をオーナーが美しく整えてある場合、地下室から出てすぐに美しい景色が目いっぱいに広がるのは気持ちがよい。アパートによっては別の出入り口が裏庭に通じていることも多いから、しばしば外に出す必要のある犬など飼っている人々にとってはぴったりな住まいと言える。


ところで、賃貸ガーデンアパートメントの不利な点は、泥棒に入られ易い、暗い、湿気が多い、そして浸水の可能性を免れないなどがある。たしかに、上の階に比べて、窓から(つまり地上から)侵入し易いから、窓に補強ガラスを使うとか鉄格子をはめて防いでいるガーデンアパートメントをよく見る。 


「暗い」という点については、学生や夜働く人にとっては必ずしも不利にはならないだろうし、浸水や湿気については、特殊な下水設備を専門に取り扱う業者などもいるから、充分に信頼できる業者を選び対処することで解決はできよう。


不動産売買において、コンドミニアム、タウンハウス、一戸建てなどの地下室は、“Unfinished basement”と表示されていることが多いが、これは床はむきだしのセメントで、壁はドライウォールとかスタディッドウォールなどの建材で仕上がっている状態を言う。


地下室を物置や貯蔵庫、洗濯室として使う場合には、この程度の仕上げで充分なのだ。だが、のちにここを改造してガーデンアパートメントとし、テナントを入れるオーナーも結構多い。一方、“Finished basement”の表示は、壁や床は上記の仕上げだが、それに加えて、さらにきれいに表装され、冷暖房装置の完備、電気の配線等もなされて、住居としても使用可能な状態を言う。とりわけ高額な物件では、娯楽室やエクササイズルームなど、自由に使える部屋のスペースとして付加されていることが多い。



一戸建ての地下室にベッドをしつらえ、風呂もトイレもつけて独立した客間に改造するのは通常“Father-in-law basement”と呼ばれる。直訳すれば「義理の父親の地下室」だが、何も義理の両親が泊まるためだけには限らない。最近の不況で、いったんは家を出た子供達が経済的な事情から実家に舞い戻るケースが少なくないのだ。子供達(と言っても立派な大人だが)は、もとあった子供部屋でなく地下室に住むことで合意する。両親は生活時間帯の違う子供達によって静かな暮らしを乱されるのを嫌がるし、子供達にとっても、地下室であれば出入り口が別で、親にどこへ行ったの遅かったのと干渉されずに済むからだ。 この他、大工仕事のスペースにしたり、娯楽室としてビリヤード台やピンポン台を置いたり…。キッチンをしつらえて貸し料理教室が最近最もトレンディ。地下室はもっともっと利用されてよいのではなかろうか。



情報引用元:


海外トピックス vol.209 ガーデンアパートメントって?




自分はNYに住むことになった暁にはマンハッタンの高層タワーマンションではなく、こういうガーデンアパートメントの1階+半地下の部屋に住んでみたいです。(笑)こっちのほうがいかにもニューヨークに住んでる!というイメージが湧きます。


NYCといえば、ガーデンアパートメントである!


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自分はいままでたくさんの米国映画、アメリカ映画でこのガーデンアパートメントを見てきた。


1番どんぴしゃその部屋というのが、オードリーヘプバーン主演の1967年の「暗くなるまで待って」ではなかろうか。


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いつも可憐な華のある主役を務めることが多いオードリーではあるが、この映画では全盲の1人暮らしの女性を演じ、目が見えないことをいいことに様々な悪だくみを考える悪な男たち。その男たちと目が見えないながらも戦うオードリー。まさにスリリングな展開でその心理描写、心理作戦にドキドキしてしまう最高にホラーな映画である。


この主人公が住んでいた部屋が、まさしくこのガーデンアパートメントであった。ネットで写真を探してみたんだけど、ドンピシャのがなくて、なんとかそれが分かるのがこの写真である。


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玄関の入り口が上の方にあって、部屋に入ったらそこから階段で下のエリアに降りていくんですよね。1階の空間ボリュームと半地下の空間ボリュームが合体した部屋の高さが十分に稼げている空間で、あまり貧乏くさい感じはしない。映画のセットなので、そこはある程度ゴージャスに作っているのかもしれない。そして半地下を足している分、窓が上のほうにあるんですよね。



この半地下。日本は日照権の問題があるためか、あまり半地下に住む人って聞いたことがない。アイルランドやイタリアでも聞いたことがない。半地下に住む人というのは、やはりニューヨーク。特にマンハッタンには、半地下に住む人は結構いるようで、そんなに悪い事でもないんだそうだ。


何よりビックリなのが、ニューヨークでは半地下の幼稚園が多いこと。いや、半地下を通り越して、完全地下の幼稚園も結構あるそうだ。(笑)


やっぱり半地下や地下って、やっぱり匂いが結構気になるそうですよ。そしてニューヨークの建物は意外と壁が薄くて、隣の人や上下の人の音が聞こえるアパートが多い。


騒音トラブルは、日常茶飯事だ。


子供の頃によく見たアメリカ映画、米国映画の影響もあって、ニューヨークといえば、こういう半地下のガーデンアパートメントを思い出すことも多く、こういうところに住んでいれば、いまオレはニューヨークに住んでいる!という実感が湧いていいとも思ったけど実際はやはり環境劣悪なんですね。(笑)


やっぱり郊外の一軒家がいいですね。


ネットでこの半地下の部屋の写真を探してみたんだけど、ほとんどヒットしなかった。

やはりいろいろ問題あるのだろう。


自分がロンドンに住んでいたときもそうだったけど、海外の賃貸物件は結構家具付きの部屋が多い。これはすごく助かる。あらかじめ生活に必要な家具は一式揃っている。テレビ、冷蔵庫、電子レンジ、洗濯機、台所調理一式などなど。


まったくがらんどうの空き室を与えられても、そこから一から家具を備えるまですごい時間と莫大な費用がかかる。家具付き賃貸物件のほうが家賃高いかもしれないけど、海外で一時的に生活するなら絶対家具付き賃貸がいい。自分はロンドンの一軒家でも、ベルギーのマンションでも両方とも家具付きでした。


自分は結局アメリカ、米国とはなかなか縁が遠かった。


ぜひ行きたいとは思っているのだけど、なによりも予算!自分は基本ヨーロッパの人なので、とにかくヨーロッパ優先。この国に行きたいと思っている国が圧倒的にヨーロッパに多くて、アメリカに回すだけの予算がなかった。


クラシックでいえばカーネギーホール、MET(メトロポリタン歌劇場)、そして小澤征爾さんのボストンシンフォニーホール。この3つはぜひ抑えておきたいと思っていて、もちろんアメリカも有力な実行計画に入っていたのだけど、とにかくヨーロッパがもう好きすぎるくらい大好きなので、どうしてもお金払うならヨーロッパという優先度になってしまいアメリカまでに回せなかった。でもつねにアメリカは計画の中に入っていました。


9.11の同時多発テロ発生以来、アメリカに旅行する場合は、スーツケースはカギをかけても空港検査員が破壊できるような仕様でないと認められない特注のスーツケースであることが国家保安的に条件、ということも聞いたことがある。


ぜひアメリカ旅行用のスーツケースを買っておきたかった。(笑)


やっぱりアメリカといえばニューヨーク、NYCであろう!

24時間眠らない街。


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やはり憧れである。


物価が信じられないくらい高いらしいですよ。世界一物価が高い街。破産する~~~という悲鳴を上げるくらい高いらしい。そんなNYCで、しかもマンハッタンのような高級エリアに住むことなど、もう一般人には無理なことであろう。


治安の悪い街でもあるし、旅行ならまだしも住むとなるとかなりハードルも高い。

でもNYC マンハッタンで半地下の部屋に住んでみたい気持ちは密かに持っていたりします。(笑)









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やっぱり音楽は素晴らしい! [クラシック雑感]

今週は、諏訪内晶子さんの国際音楽祭NIPPON2024と茂木大輔さんののだめクラシックコンサートを拝聴してきた。まったく方向性は違うけれど、両者ともとてもクオリティが高く、劇的なクライマックスでいまだに興奮冷めやらぬというところである。


年明けてから、気持ちの持ちようというか、長年張りつめていた緊張感が切れた感じで、将来の不安も含め朝から気持ちがどんよりと優れない日々が続いている。


でも2日間続けてこの音楽会を通って、心底明るくなった。

救われた、と感じた。


やっぱり音楽は素晴らしい!


音楽は人生を救ってくれる。


人生、ずっと音楽とともに生きてきた、音楽のある人生に自負のある自分にとって、しみじみとそのことを実感した。またその信念を確かなものと感じさせてくれた演奏会であった。


みなさん、ほんとうにご苦労様でした。


●国際音楽祭NIPPON2024 シューマン室内楽マラソンコンサート 


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ブラームスの室内楽は、東京・春・音楽祭で10年以上に渡って、川本嘉子さんのプロジェクトを聴き続けているので、ブラームス・ソナタってこんな感じというのがよくわかっている。ブラームスってやっぱりドイツ音楽らしく男らしい。きっちりとした骨格感があって厳格な旋律で、その進行の中でふっと垣間見る美しい旋律が、いかにもブラームスって感じなんですよね。


それに対してシューマンの室内楽って、その対極にあるような柔らかい旋律の美しさがあるように思う。シューマンの旋律って、女性らしくて優しくてすごい美しい。ほんとうに癒されるような優しい美しさに包まれていて、聴いていて曲としての構成の妙を感じる。


シューマンの音楽には、”春の訪れ”を感じる。

春という季節がよく似合う作曲家だと思う。


アルゲリッチは、私はやっぱりシューマンが好き。シューマンの音楽がいちばん私に合っていると感じる・・・そのように断言している。


ブラームスの成功はやはりシューマン夫妻なくしてはありえなかった。そしてその後のブラームスの人生、創作活動についても、シューマンの妻・クララとの関係を抜きにして語ることはできない。


でもこの3者でその音楽性がとても明確に違いがあってとても興味深く感じるところであった。


この日は、シューマンの室内楽を、ピアノ三重奏曲、ヴァイオリン・ソナタ、弦楽四重奏曲、そして幻想小曲集、ピアノ四重奏曲、ピアノ五重奏曲、とフルに堪能できるマラソンコンサートであった。朝11:00から終演が20:30。まさに1日シューマンづくしである。


シューマンの音楽を、こんなに1日で満遍なく聴き込めるのは極上の贅沢であり、自分もこんな経験はほとんど記憶にない。最高の音楽体験であった。


諏訪内晶子さんは、最後の大曲、ピアノ五重奏曲のみで、若手が主役の演奏会であった。普段なかなか若手演奏家のコンサートに足を運べていない自分にとって、なんとも新鮮でそしてそのレベルの高さに驚嘆を感じざるを得なかった。


詳細なレビューは専用に日記で書きます。



●のだめクラシックコンサート


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”のだめカンタービレ”は、連載開始20周年を記念して2022年にはサントリー・ホールとオーチャード・ホールで3公演「のだめクラシック・コンサート」が開催され、23年にはフェスとミュージカルも開催された。


大変不覚なことで、自分はこの2022年ののだめクラシックコンサート、まったく気づいていなかったです。2022年の年末に調布グリーンホールで、のだめコンサートのクリスマスイブコンサートには行ったのは覚えています。この年の聴き納めコンサートで大感動しました。のだめコンサートの東京版といえば、大体調布グリーンホールで行われるのが常。


そのときいつも思っていたのが、のだめコンサートをサントリーホールで聴けたらな~、最高の華なのにな~と思っていたのでした。


だから、連載20周年記念の節目の年にサントリーホールでのだめコンサートが開催されていたなんて!もう地団太踏んで悔しく思いました。まったく気づいていませんでした。駆けつけることができず、申し訳なかったです。こんな大イベントにまったく気づいていなかったなんて。。。SNS普段よく見ていますが。。この日記を書くときにネットで調べて初めて知りました。いま知りました。


今回ののだめクラシックコンサートは、東京国際フォーラムで新年ガラコンサートという位置づけ。茂木さんの投稿で知りました。


東京国際フォーラムという5,000人は入るであろう大会場が満員御礼。これだけたくさんの人が集まってくれるなんて、しかも毎回のことながら、客層がすごく若い!


のだめコンサートは、もうこれだけのみんなに周知されるところになったんだな~と感慨深く感じました。


春日井で初めて聴いて、そして東京初進出のときも調布にかけつけた。そこから長年ずっと見守ってきたので、もうこれだけみんなの知るところになったんだな~これだけビッグな存在になったんだ!うれしく感じました。


のだめコンサートは、クラシック音楽を分かりやすく、初心者でも簡単に入りやすいように。。そのコンセプトは極めてシンプル。年配者、そして難しい、高尚な趣味と思われているクラシック音楽の敷居を低くするべく、クロスオーバー含め、いろいろな試みが行われている昨今の中で、もっともシンプルでわかりやすいコンサートで大成功している筆頭格が、こののだめコンサートなのではないでしょうか。


とにかく名曲のオンパレード。アンコールピースのオンパレードとも思うくらい、美しいいい曲が全編に並ぶ。フル楽章でなく、単楽章のみなどの疲れさせない工夫も。


こういうアプローチが本当の意味で分かりやすいクラシックコンサートなのだと思います。


聴いていて、ホッとするし、暖かいし、いい曲ばかりなので満足感がたっぷりです。


この日は、12曲という大サービスで、みんな珠玉の名曲ばかり。


あまりにいい曲ばかりで、家に帰ったら思わずストリーミングで聴き返して、お気に入りに追加しておきました。(笑)それだけ頭の中でループしてずっと鳴っていて強烈なインパクトでした。


茂木さんもN響首席時代から指揮者に転向してからずっとその指揮姿を見てきましたが、もういまや完璧な指揮者に変貌です。ベテランの指揮者と間違うくらい堂に入っていてカッコいいです。


若手演奏家主体で、そのフレッシュな演奏、みんな素晴らしかった。

ブラボーでした。


諏訪内さんも茂木さんも、主役は若手。自分は総監督の立場で、自分の世代から若手の世代へ受け継がれていくように誘導しているように思いました。


茂木さんののだめコンサートも、後日詳細レポートして日記にします。







人生の生き方、人それぞれの考え方があって正しい、正しくないはないけど、老後のことを考えて定年までいっさい我慢して貯蓄に励み、それで定年になって第二の人生になってから人生楽しみましょう、ってそんなにうまくいくもんじゃないんですよね。


若い頃からひとえにいろいろ人生を楽しんできた人は、その都度、その瞬間、瞬間にいろいろ学んで、人間的な成熟があって、長い人生で見たときに、その時代、時代でのその積み重ねが、その人の人間性、教養を形成しているものなんですよね。


定年になってから、さっ始めます・・・と自分が思っても、事は起きないんだよね。(笑)

そんなに簡単なことじゃない。そんなに自分に都合よく事は起きないです。


やっぱり一期一会なんですよ。自分の長い人生の中で、その瞬間、その出会いが一期一会と思って、そのときに楽しんで学んでいかないと、そしてそのときにお金をかける、投資していかないとダメなんだと思う。


人生では、若いときから自分に投資していくことが一番大事。


将来のことを考えて、老後の不安のためにいまは一生懸命貯蓄して、したいこともいっさい我慢して生きていくというのは、結局人生として、すごくつまんない人間になっていると思う。人間性も磨けず、教養も学べず、そういうチャンスをことごとく自分で潰してきて、定年後に安定した人生との引き換えに結局得たものというものは、至極つまんない人間になっていた事実だったということだと思う。


音楽はまさにそうだと思う。


音楽は若い頃から、子供の頃から親しんで聴き込んでくることがやっぱりいいだろう。スズキ・メソードではないけど、自分の子供に音楽を自然と親しませるような教育も重要だろう。もちろん自分も含め、そういう環境下になかった人でも、別に聴き始めたのが遅くてもいい。いまからでもいい。


音楽はすべてを救ってくれる。


朝方からずっと悩み事、将来の不安などで鬱々とした気分で過ごしてきて気分が冴えなくても、その日の夕方に演奏会、コンサートがあって音楽に身をそのまま授けると、音楽家、演奏家のみなさんに一気に天国、夢見心地の別世界へ誘ってもらい、終演後は、いままでの朝方の気分がまるで嘘だったかのように、高揚して最高の気分になっている。


音楽は、そういう陰の気を一気に粉砕して、すべてを陽の気に変換してくれるエネルギーを持っているのだ。音楽は強力な魔法なのだ。


また音楽には歴史、流行りがある。その時代、時代の音楽を学んでいくこと、ずっと聴いてくることが、音楽の素養を学んでいく上で大切である。録音、レコード演奏という革命でいまの時代でも昔の音楽を楽しめるようになった。でもやはりリアルタイムで、その時代に聴いた経験のほうがやはり自分の身の中に深く沁み込んでいるものである。


定年になってから、歳をとってから、まとめていままでの時代の音楽を勉強するのではダメだ。自分がいままで生きてきた何十年というスパン、感覚のものさしの基準は、縮められないのだ。その時間のスパンの感覚は、そのままの尺だから意味があるし、その尺の長さそのものの長さで自分の中に存在しているその時間感覚が自分という人間を構築しているその証なのだ。


自分が聴いてきた音楽は、その自分が生きてきた尺の長さの感覚で生き続けているし、その人の人間性を形成している大きな要因になっている。だから、音楽は、もう子供の頃から、若いときから、そのとき、そのときで、たくさんのお金をかけて、投資をして、勉強していかないといけないし、聴いてこないと。


定年になってからやります、じゃダメな世界だと思う。(もちろんそれを否定している訳でなく、早ければ早いほどいいということを言ってます。)


クラシックはとくにそうだ。いかに経験を積むか、いかに場数を踏むかだ。若い頃からのその経験の積み重ねが、その後の自分のクラシック人生を形成するといって過言ではない。たくさんの作曲家の曲、たくさんの演奏家の演奏、声楽家の声をリアルで聴くこと。そしてヨーロッパに行かないとダメだと思う。クラシックの本場、ヨーロッパで演奏を聴かないとダメだ。インターネットが普及している現在、ネット空間、VRでいかにも現場にいるかのような仮想体験ができるので、日本に居ながら、ヨーロッパで聴くことも可能な時代だ。


でもそれじゃダメなんだよね。自分という存在が、そのベルリン、ウィーンでもいいけど、そのヨーロッパの街並み、ヨーロッパ人の歩いている喧騒の中に埋没している感覚、あの感覚、あの空気を自分がリアルで体験しないとダメだ。


この街でベートーヴェンが過ごした、モーツァルトが作曲をしていた、ショパンがピアノを演奏していた、そういう由緒あるところを自分でその跡を追うように同じ道を歩いてみないとダメだ。そして自分がベートーヴェン、モーツァルト、ショパンの気持ちになってみる、その当時のことに想いを馳せてみる。そういう行為がクラシックの場合、とても大切なのだ。


感性を磨くこと。この行為は、やはりヨーロッパの現地に行かないとダメだと思う。その街、その場所を自分が歩いてみないとダメだ。インターネットを通しての体験ではダメだ。


もちろんコンサートホール、オペラハウスもそうだ。日本のコンサートホールは音響も素晴らしく世界でも最高峰レベルのホールであろう。でもクラシックの場合、やはりヨーロッパの現地のホールを体験しないとダメだと思う。外国人聴衆、そしてあの雰囲気。あの現地体験を経験しないと絶対ダメだ。


音楽祭、定期公演ふくめ、自分はここに莫大な投資をしてきた。


クラシックは金がかかるのだ。(笑)


音楽には、その時代、その時代で、その流行、形式があって、それをなるべくリアルタイムで実演で体験すること。そのとき、そのときが一期一会の出会いで、それを逃したら、もう二度と巡り合えないかもしれない。そのチャンスをいましっかり掴んでおかないといけない。


そのとき、そのときに、投資をしていく。その投資を惜しまないこと。


音楽とは経験と場数、そしていかに投資をするか。

その投資の度合いで、音楽の世界に深く関われるかどうか決まってくる。

その投資の額によって、その深さが決まってしまうような気がしている。


これは音楽のことばかりではない。

人生すべてにおいてもあてはまると思う。


人生もそのとき、そのときで、いかに投資していくか、その投資した額で、その世界への関わり方の深さが決まってくるような気がしている。定年になるまで、その投資を惜しみ、すべては老後になってから生きていく上で困らないレベルの生活ができればいい、という考えでは、結局できあがった人間の器としてつまらない人間になっているのではないか、と思うのである。


定年になってから、老後になってから始めますじゃ、そんなに都合よく事は起こらないと思うんですよね。


人生って金がかかるもの。

ほんとうにいったいいくら金があればいいんだ、というくらい無尽蔵にあっていいもの。


人間の悩みって、ほとんどお金が解決してくれるものかもしれませんね。(笑)

お金があれば大抵の悩みは解決してしまうものなのではないでしょうか。(笑)


でも自分のようにお気軽な1人生活じゃ偉そうなことは言えないことも事実。家族がいる場合、お子さんを育てていかないといけない場合、マイホーム購入で住宅ローン返済。現実はより厳しい。子供が独り立ちするまで、そして住宅ローン完済、そして定年になってから悠々自適にゆったり人生を謳歌する。これがふつうの人の人生の考え方、ふつうの人の感覚なのだろう。


正解はありませんね。人それぞれの考え方ですね。人生の組み立て方の問題ですね。


自分が言うのもなんなんですが、人生なんとかなるんじゃないかな、と思います。

そのときそのときで、なんとかなる、切り抜けて生きていけるのではないか、と思ってたりします。


人生綿密に計画を立てて生きていこうと思っても、まずその通りになりませんね。

かならず想定外のことに出会うのではないでしょうか。


自分もそうですが、人間って先行き不透明な未来、将来のこと、とくに老後の問題はとても不安になって心配してしまいます。いまの自分なんかまさにそれです。


でも95%の確率で、心配しているようことは起こらないらしいですし、なんとかなる、と考えて生きていく方がいいのではないでしょうか。


還暦を迎えたら、もういままでのようにはいかない。行きたいコンサートはどれでも行くというのではなく、取捨選択をしていかないといけない。筋肉質の予算体制で生きていかないといけない。


そう誓ったばかりですが、3月以降も、新国オペラ トリスタンとイゾルテ、東京・春・音楽祭のトリスタンとイゾルテ、ヤノフスキのワーグナー・ガラコンサート、川本嘉子のブラームス室内楽、そしてヤノフスキのN響定期。。。


ととどまることを知りません。現役時代とほぼ変わらぬペース配分です。


このペースでいくと、最初自分の方で予想していたのは、老後資金が枯渇して、路頭に迷う、老後破綻が襲い掛かってくるのが大体70歳以降かな~と読んでいたのですが、このペースだともっと早まって60歳代に来るかもしれません。(笑)


危機、リスクはもうすぐそこまで忍び寄っています。偉そうなことを言っていても、じつはしっかり老後対策をして、定年以降も安泰な生活をしていくのがやっぱり無難なのかもしれません。













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文(ふみ)の便り [雑感]

平安・鎌倉時代から江戸時代に至るまで日本の古来から、文(ふみ)というのは特別なコミュニケーション手段で、対面で語り合う以上になんか特別の意思伝達ができるものだったに違いない。


よく恋文(こいぶみ)というのは、男女間でお手紙というあくまで文面でやりとりをすることで、お互い想像を膨らませていって、相手の方はどんな方なんだろう、その文面からさらに激しく相手に想いを寄せるようになって、恋心が燃え上がる。そして長い間、文のやりとりをして、そうしてとうとう念願の対面となる。


昔の日本の恋人同士は、まず最初は文(ふみ)でやりとりをすることが常だったらしい。想像の中でその文の文章の中から、相手への想いがどんどんエスカレートしていく。文というのは、そういう前哨戦的な役割をはたしているものなのだ。だから男女間のお付き合いは、まず文のやりとりから始まる。


文(ふみ)、お手紙というのは、ある意味、自分を脚色できるところもあるのではないか。

人間誰でも他人に対して自分をよく見せたいという気持ちはあるものだ。自分の姿を知られない状態で、文の中で、その言葉の綴りの中だけで自分の心の移ろい、美しさ、純情さ、そして架空想像上のよりよく見せたい自分を相手に表現できる手段でもある。


ある意味、文ほど自分の心の真の姿が出てしまうものもないのではないか。


対面での会話が苦手な人でも、文のやりとり、文通だと自分を出せる人はこの世の中たくさんいるだろう。


文、お手紙で書くということは、リアルな対話以上に、なんか感情的にグッとくるような重いものがある。また文章での疎通はかなり重い、相手への正式な通達みたいな側面もあるのではないか。


ライセンスの世界では、”レター”や”訴状”という形式に則った文面が相手への公式な意思表示になる。決して長文ではないが、まさにオフィシャルな公式の文調でピリっとくる緊張感が漂う。この書面のやりとりからバトルが始まるのだ。(笑)


文章は重いのだ。


いまの軽い時代では、お手紙は重い、としか思われないだろう。スマホのLINEで気軽にワンショットの吹き出しでやりとりをしたり、スマホのテレビ電話でお話しするいまの時代。


お手紙は重すぎて勘弁、というくらいにしか思われていないだろう。


家族で長年に渡って一緒に暮らしている間柄だと、お手紙でやりとりをすることなどほとんどない。家族ほど自分をよく知っている者はいないし、普段日常会話でなにげなくやりとりしている家族。


その家族から手紙をもらうということはほとんどないに違いない。


両親の実家から独り立ちして上京してから、オヤジから手紙をもらったことは、自分の記憶では2回ある。1回は、上京したての頃、ホームシックにかかってしまい、毎晩寮の公衆電話から実家に電話を入れて親の声を聞いていた精神不安定だった頃。オヤジが励ましの言葉とそんなことで、これからの長い社会人生活どうする?やっていけるのか?という叱咤激励の手紙だった。その手紙は紛失してしまって、いまは手元に残っていない。


あとの1回は、自分が大病を患ってしまい、長い間北海道の実家で静養して、そして東京に戻って来て復職したときだ。会社に復職したものの、3年間も不在にしていれば自分の復帰場所も存在しないのはあたりまえだ。


結局早期退職となった。42歳の時である。まさに人生での厄年1回目である。そして1年間は失業保険で暮らしていく。会社都合での退職なので保険給付も長期間で手厚かった。


生活をダウンサイジングする必要があった。高級マンションからもっと手頃なマンションに引っ越し。その引っ越しした自分の新しい住居に、両親が偵察ということで来てくれたのだ。


そして、その帰りに両親を駅まで送るときに、自分が普段愛用しているお寿司屋さんでオヤジ、オフクロにお寿司を御馳走したのだった。


それが大層嬉しかったらしく、その後、オヤジからお手紙をもらった。お手紙の1番の目的は、妹夫妻やオヤジ、オフクロの近影の写真を贈るというものだったが、そこにオヤジのいろいろな想いが綴られていた。


自分がオヤジ、オフクロにお寿司を御馳走したことをそんなに嬉しく思ってくれていたとは思いもよらず、自分は驚きだったが、「帰りにお寿司を御馳走になり、有難う。就職以来何回目かなと思いながらも少しは成長したかなと、ママと話しながら帰りました。」


確かに社会人になって両親が何回か上京して食事をともにしたこともあったが、自分が御馳走したことってそんなになかったっけ?(笑)


まさに無職の時代。これから新しい第2の人生を歩むべく、その第一弾としての引っ越し。これから職探し。そんな人生苦境の時期に、両親が陣中見舞いに来てくれた。


手紙の中には、「四十過ぎの高齢者(特に無資格者)には厳しい事と推察しています。」・・・が頑張れ!という激励であった。


3年間北海道の実家で静養していたときは、毎月1回北大病院で診察を受けていた。オヤジが車で送迎してくれて、診察のときもオヤジ同伴である。


オヤジは大層嘆き悲しんでいた。こんな病気になってしまい、もう普通には働けない体になってしまったんだぞ。お前これからどうやって生きていくんだ?お父さん、お母さんのほうが早く死んでしまうんだぞ!その後、お前どうやって生きていくんだ?


毎回の診察でも、オヤジは北大の主治医の先生に、息子の将来、この病気の場合のその後の人生の生き方について毎回食い入るように相談していた。


自分ははっきり言ってそれが憂鬱だった。


自分にとって、そんなに重い病気、症状だとはまったく思っておらず、全然楽勝で復帰できる。絶対元の生活の戻れるという確信、自信みたいなものがあったので、全然心配していなかったのだ。他の患者さんは、障害者としてその後の人生を歩まれている人も多い中、自分は全然その方々とは違うと思っていた。まったく心配していなかった。自分はせっかくもらったお休みだから、じっくり3年間、会社のことを考えずゆったり楽しみますよ、くらいにしか考えていなかった。


でもオヤジからすると、病気のことを勉強していくにつれてそういうケースを学んでしまうため、息子もそうなってしまう、と深く嘆き悲しんだのだ。そして北大の主治医の先生に、毎回そのことについて真剣に相談するのだった。


それが自分にとって嫌で嫌で堪らなかった。気分が暗くなるからだ。一気に自分も不安になってしまい、そんな気持ちになってしまうからだ。


オヤジからもらった手紙の最後には、そのときに、土曜日が都合が悪く、いまの自由が丘の主治医の先生にご挨拶して面談の機会を逃してしまったのがすごく残念と書いてあった。


そうか~!そんなこともあったな~と思い出した。


病気を甘くみてはいけないが、その後無事今の会社に再就職出来て、第2の人生を再スタートすることができ、まさに人生の幸福度としては最高潮に達したのだ。海外旅行へは行きまくり。(笑)クラシックとオーディオ、そしてグルメ、旅行をメインにした趣味に生きることを自分の人生軸に置いた人生が大成功となり人生を謳歌し続けた。


まったくこんなに人生が好転するとは思ってもいなかった。オヤジが毎日、自分にお前この後どうやって生きていくんだ?と毎回怒られていた毎日を過ごしていた実家静養時代。


自分の子供のことを真剣に心配してくれる親は当然だろう。だからそれも当然だったと自分は思う。でもそういうオヤジの心配をよそに、無事、オヤジを安心させることができて、まっ子供心によかったと思っている。


ほんとうに人生なにがあるかわからない。人生どうなるかわからない、なのである。


オヤジが亡くなったのが2014年である。ライプツィヒ・バッハ・フェスティバル真っ最中のときであった。そしておフクロは、いま施設に居る。


オヤジとオフクロにお寿司を御馳走したお店がいまのおらが街の駅のすぐ傍の栄寿司である。


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昭和32年創業で66年の伝統ある寿司店で、自分はいまでこそご無沙汰しているが、その昔はかなり贔屓で通っていたお店である。回転寿司が多いこの時代の中で、このように昔ながらのいかにも日本伝統のお寿司屋さんという雰囲気が好きでよく通っていた。


ご主人は二代目だそうで、お母さん、お嫁さんと思われる女性の方が給仕さんなどお手伝いをしている。やはり地元密着型のお店で常連さんが通うお店だ。


大学のときに取った自動車運転免許だったが、自分のチョンボで免許失効してしまったことがあって、このおらが街の自動車学校にもう1回通い直して再取得したことがあった。それがいまの会社に転職したその頃だったので懐かしい想い出だ。


会社をフレックスで早めに退勤して自動車学校に毎日通う。もちろんいまのこの時代でも取る免許はMT車の自動車運転免許です。車の運転はマニュアル、MTに限ります。あれから自動車運転免許証もグリーン、ブルー、そして3期連続ゴールド免許である。ペーパードライバー強し!です。


でも仕事はカービジネス関連ひと筋です。(笑)


その自動車学校に通っていたとき、授業、演習が終わったら、毎日この栄寿司でお寿司をいただくのが楽しみだったのだ。なんか毎日通っていた記憶がある。それでこのお寿司屋さんを知ったきっかけになった。


それからオヤジ、おフクロをこのお寿司屋さんで御馳走したのだった。



店内はカウンターとテーブルとがある。


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このテーブルでオヤジ、オフクロにお寿司を御馳走したのだった。


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栄寿司には、もうここ10年くらいご無沙汰で不義理をしていた。超久しぶりに入ったら、なんら変わっていなかった。ご主人もほとんど変わっていない。


ここに来たら、おまかせ寿司。オヤジ、オフクロにもこのおまかせ寿司を御馳走した。

見栄えも美しく、相変わらずの美味でした。


体育会系というよりは、品のある上品なお寿司ですね。


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セカンドステージ、セカンドライフという第二の人生をこれから再スタートする。まさに人生2回目の厄年の60歳である。あのときも厄年の42歳であった。これからどんな人生が待っているのか・・・。


そんなときにふっと思い出し、オヤジの手紙を読み返してみた。普段、一緒に居ることが多かった自分のことを一番知っている家族が、こうやって手紙という文章で想いを綴ってくれるのは、これまたなんか一種独特の感覚がある。文を読めば、あ~まさにオヤジそのものだな~と分かるし、相変わらずオヤジらしいなと思うけど、やはり文(ふみ)、手紙が相手に与える独特の感覚は襟を正すというか、折り目正しさを相手に与えるし、重い感覚があり、しみじみと感傷に浸るものである。


オヤジは九州男児そのもので、短腹(短気なこと)ではあるが、よく笑うし、男らしい性格でいい男であった。まさに九州男児という感じであった。息子の自分にとってはよく怒られていたという記憶が圧倒的ではあるが・・・(笑)。


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矢場とん 東京店 [グルメ]

去年の12月のなごやめしツアーで、じつは1番美味しいと感動したのが矢場とんの味噌カツであった。戦前の予想では、その写真からとんカツに味噌ダレなんて超ヘビーで腹もたれするような感じで勘弁してください、という予想だったのだが、実際食べてみると1番美味しかったし、なによりも食べた~~~という満足感があった。


シン・なごやめしでは、堂々と1位を授けさせていただいた。


1番予想外なところは、味噌ダレがトロミのあるこってりした感じではなく、完全な液体状のサラサラした味噌ダレでこれが予想外にさっぱりしていて美味しかった。それがカツをバクバクいけてしまう美味しさの原動力になっているんじゃないかな、と思ったほどだ。


矢場とんって東京にも支店があるんだろうな、と思っていた。

東京に帰ったら、もう一度矢場とんの味噌カツを食べてみたい。

そう思っていた。


自由が丘の定期クリニックのあとに、矢場とんに寄ってみようと考えた。


前回の”シン・なごやめし”の日記では、矢場とんは、なごやめしの中のOne Of Themという形でサラッと紹介しただけだが、今回は矢場とんにスポットをあてる、ということで、ちょっと矢場とんについて詳しく紹介してみます。


情報引用元:


「矢場とん」の名物「みそかつ」は偶然生まれた?美味しく食べられるこだわりの裏技も紹介!





昭和22(1947)年に創業した矢場とん。当時はなんと小さな屋台だったそうです。「みそかつ」は、ある1人の客がつまみで食べていた串かつを、名古屋の味噌文化の一つである「どて煮」のたれに浸して食べたという些細なきっかけから始まりました。それからというもの「少し贅沢なご馳走」として名古屋を中心に名物として認知されるまでに。



最初は矢場町の本店1店舗のみでしたが、今や約30店舗を展開する人気店。2004年は東京、2016年には大阪と徐々にスケールアップしていきました。東京銀座店の2階奥には伊勢神宮の御神木の一部がまつられており、御利益にあやかれると知る人ぞ知るパワースポットとしてとして親しまれています。



矢場とんの味噌だれは、1年以上熟成させた豆味噌を使った秘伝のレシピで作っており、さらっとしていてとんかつと好相性。老若男女問わず愛され続けています。また、秘伝の味噌だれは矢場とんの中でも限られた職人しか作ることができないと言われています。こだわりは味噌だれだけではありません。豚肉はやわらかくて美味しい南九州産を使用。矢場とん用に作られた油を吸収しすぎないパン粉やしつこくならないために植物油を使用しています。


店員がお客さんの目の前まで料理を運び、そのあと味噌だれをかけるのが矢場とんのお決まり。そうすることでお客さんが食べる直前に味噌が鉄板に流れていき、湯気と香りが立ち上がることで視覚と嗅覚にも強い旨さをイメージさせます。シズル感溢れる演出も矢場とんならでは。また矢場とんではみそかつにさらに「追いみそ」ができるのをご存じでしょうか。これは冷めてしまったみそかつに熱々の味噌だれを後から追加することで、最後まで美味しく食べられるようにと配慮されたもの。食べる直前の演出から最後まで考え抜かれたところに矢場とんの魅力が詰まっているのではないでしょうか。




東京には2店舗あるんですね。

東京銀座店と東京駅グランスタ八重洲店。


自分は東京駅グランスタ八重洲店のほうに行ってみようと思いました。

東京駅って普段まず行かないですね。山手線でも遠いです。


東京駅構内、八重洲口のほうを歩いていると、やっぱり都会だな~と思います。

ほんとうに都会の駅という感じ。


自分はずっと渋谷、新宿の人だったから、あういう感じが駅のホーム、構内という感じですが、その雰囲気と比べるともう東京駅八重洲口はすごい洗練された都会という雰囲気で別世界に感じます。


東京駅構内をよく見ながら歩いたことがなかったので、今回矢場とんを探すために東京駅八重洲口構内をずいぶんウロウロと歩きましたが、新たな発見も多かったです。


なんかサブカルのお店というか人形グッズなどのお店が多く驚きました。東京三大オタクの街、池袋、秋葉原、中野でいうところの中野の中野ブロードウエイに近いな、と思いました。


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東京キャラクターストリートです。東京駅構内にそういうオタク専門のストリートがあるんですね。テレビ局のオフィシャルショップのほか、ポケモンやリラックマ、ウルトラマン、プリキュアなど、人気キャラクターのショップが大集合している感じです。すごい人だかりで外国人も多かったです。日本の誇る文化ですね。


そのほかにも東京駅ラーメンストリートというのもあって、たくさんの人気ラーメン店が所狭しと並んでいました。ラーメンストリートというスタイルは、もう王道ビジネスというか、どこにでもあるひとつのパターンですね。


矢場とん 東京駅グランスタ八重洲店は、このラーメンストリートのすぐ傍にあります。


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本場の名古屋のお店の規模と比較すると、かなり小さめな店舗ですが、間違いなく矢場とんです。席数にして24くらいでしょうか。カウンターがメインのお店です。いかにも駅チカの中にあるお店という装いです。店内の天井近くには、矢場とんの歴史というかその写真が掲載されていました。


自分は名古屋で食べたときと同じ”わらじとんかつ御膳”にしようと思いました。わらじとんかつ御膳は矢場とんのメニューの中でも1番人気だそうですよ。


矢場とんの特徴は、最初は味噌ダレがかかっていない素の状態で提供される、ということですね。今回はその前の写真撮影に成功しました。


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まずこの状態で提供されてから、店員さんが味噌ダレをジャ~ととんかつの上にかけます。

これが矢場とんスタイルですね。


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矢場とんの味噌ダレは、一般的などろりとした黒に近い色のものではなく、さらりとした茶色に近いクドみのないもので、載せるというより浸ける、という感じですね。みその旨みが豚の身や脂の甘さを引き立たせる。名古屋の地元の人が他店などで日頃よく食べるみそかつよりずっとライトな味わいだそうですよ。


自分は矢場とんのうまさは、この液体状の味噌ダレにあるんじゃないかな、と思うのです。このサラサラした液体状というのがあまりに予想外だったし、ほんとうに豚肉が浸る(ひたる)という感じなんですよね。浸る(ひたる)感じなので、噛めば噛むほどじゅわ~とジューシーというか、さっぱりした美味しさがあってウマいな、と思うのです。


そしてこの味噌ダレの甘くて香ばしい独特な深い美味しさ。なかなか言葉で表現するのが難しいウマさですが、この秘伝の味噌ダレ、矢場とんの中でも限られた職人しか作れないんだそうです。そうなんですね・・・。まさに秘伝のタレですね。


矢場とんの味噌カツを食べて美味しいと思う一番の味の決め手となるのが、この秘伝の味噌ダレの味だと思うのです。一年半熟成させた天然醸造の豆味噌を使用して、時間をかけ丁寧に作っています。


もちろん肝心のとんかつのほうは、南九州産の豚肉を使用し、オリジナルのパン粉でふんわり感とカリッと感を演出しています。


これと液体状の味噌ダレの相性が抜群なのです。

豚肉が上質で柔らかくとてもジューシーです。味噌ダレとよく合います。


これはほんとうにご飯が進みますね~。

日本人に生まれてきてよかったと思います。


今回食べて2回目の経験ですが、やはり美味しいと思いますね。自分のイメージ中にあった味噌カツはヘビーすぎる、勘弁というイメージが180度ガラ変です。


味噌カツは味噌ダレをカツにかけたシンプルな食べ物と思われますが、実は”美味しい味”を出すことが難しい食べ物なのだと思います。というのも、トンカツそのものがくどく、味噌ダレもくどいため、一歩間違えると味噌カツは「くどさのカーニバル」になりかねない食べ物だからです。


自分が食べる前で写真で見る限りはずっとそのイメージを抱き続けてきました。もう食べる前にギブというか勘弁して、という感じです。


HbA1cが急上昇して血糖コントロールが悪くなる代表格のような食べ物だと思っていました。


でも実際は全然そんなイメージを覆すような美味しさでした。


名古屋の矢場町の本店が1番ウマいらしいですよ。本店と支店ではやはり違うらしいです。東京店でも銀座店に今度行ってみますね。


銀座店には伊勢神宮の御神木の一部がまつられており、御利益にあやかれると知る人ぞ知るパワースポットなのだそうです。自分はこういうのに弱いです。


美味しいけどもう1回行きたいか、というと、やっぱり東京駅遠すぎます。

もう移動だけでヘトヘトな感じです。


矢場とんは、名古屋ということでプロ野球の中日ドラゴンズとも深い関係にあるそうです。


矢場とんに通った歴代の中日選手が寄贈したユニフォームが店内に飾られているそうで、ドラゴンズがナゴヤ球場を本拠地としていた時代には同球場で矢場とんの「みそかつ弁当」が販売されていたこともあるそうです。いまのナゴヤドームでも販売されているそう。


巨人ファンにとって中日という球団はある意味、宿敵のライバルの阪神タイガースより嫌な存在で親会社が同じ新聞社ということもあって、なかなかライバル視する度合いに特別な感情があります。1984年はいまだに忘れられないし、ずっと自分のメモリアルの中に居続けています。












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音楽通り [街歩き]

神奈川県立音楽堂。
                                       
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日本初の音楽専用コンサートホール。そして木造ホールである。
1954年(昭和29年)創建ですよ。いまから70年前。もう自分が生まれるずっと前にできたまさに伝説のコンサートホールである。
                             
JR桜木町駅から紅葉坂の交差点をずっと登っていく訳だが、これがすごい心臓破りの坂で、今日は神奈川県立音楽堂でコンサート、という日はもう前の晩から憂鬱である。(笑)この坂をずっと登っていくときのあの足の辛さ、そして息も絶え絶えの心臓の辛さはもう誰もが知っている難所であろう。
                         
この紅葉坂の交差点を昇っていく途中に、”音楽通り”というストリートがある。
                                        
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なんという洒落たネーミングの通りなのだろう!と自分は感動してしまった。
かなり素敵なネーミングだと思う。
                                        
”音楽通り”は、なんでも、神奈川県立音楽堂で公演した人々が、帰り道に歌を歌い、その歌声が響く通りという理由で名付けられた愛称なのだそうだ。
                           
やはり神奈川県立音楽堂と「音楽通り」は関係があったのだ!最初は愛称だったけれど、横浜市が市民から募集した「愛称道路」事業で1976年に正式に認定されたそうだ。
                                 
「夜寝ていると通りから歌声が聞こえてくるんです。その歌声が鼻歌ってレベルじゃないんですよ。子ども心にとても上手だなと思いました」
                      
今は聞こえてくることはないそうだが、ぜひプロの鼻歌を聞いてみたいものである。
                                 
1988年 第32回 岸田國士戯曲賞受賞者大橋泰彦さんが月刊『すばる』に執筆されたエッセイにこの通りを題材にした『音楽通り』というエッセイがある。昭和30年代末頃の「音楽通り」の様子が文章から偲ばれる。大橋さんのご実家は、音楽通りで貸本屋さんを営まれていたそうである。
                       
                  …【略】…
                                  
沿線に日吉、田園調布、自由が丘、代官山を置く、日本でもハイソサエティーな私鉄、東横線の横浜よりの終点、桜木町に、私の実家がある。線路と平行に、国道県道を間に置いて、一方通行の小さな商店街、花咲町は、「ハナザキチョウ」と読むのが正式らしいが、私はいつも「はなさきちょう」と言う。
                           
一直線に五百メール程続く商店街は、通称「音楽通り」と呼ばれていて、パン屋、お菓子屋、靴屋、薬屋に始まり、油屋、八百屋、お茶屋、ハンコ屋、乾物屋と続く。通りの中ごろにある私の実家は、小さな貸本屋をやっていた。通りの終点は、なだらかな坂道になっていて、登りきると、今度は直角に、紅葉坂という坂がのびていて、その先には、横浜でもかなりの老舗の県立音楽堂がある。
                                
昔は、クラシックの演奏会が盛んで、十二月にもなると、演奏会帰りの人達が、第九や賛美歌を合唱しながら家の前を通りすぎていった。おそらく「音楽どおり」という名前も、そんなとこから付けられたらしい。私が幼い頃、子守唄替わりに聞いた「もろびとー、こぞりてー」が日本語だったという事を知ったのは、ずい分後だったと思う。  
                              
                 …【略】…
                                 
少年の頃、よく屋根に登り、瓦に腰かけ見下ろした風景は、今、この屋上からは見られない。回りをいくつもの高層ビルやマンションに囲まれて、花咲町「音楽通り」も、時代の波に取り残されまいと、古い家は、五階、六階のビルに建て替えられ、木造の家は、もう、数える程になってしまった。
                     
                       
☆集英社『すばる』1988年7月号 <フォーラム・すばる~町の顔・屋上>より
                   
                                         
                      
                                   
では、この”音楽通り”というストリートは、本当に音楽と関係がある、そういう情緒ある眺めなのか興味が湧くところである。
                       
実際、この”音楽通り”を歩いてみたい、と思ったのである。”音楽通り”をそのまま歩いてみて、自分がなにか感じること、それはやはり音楽的にインスピレーションを与えてくれるものなのか、そういう独特の雰囲気があるのか、自分は感じ取ってみたいと思ったのである。
                                    
ネットでいろいろググってはみたものの、音楽通りの標識の写真はあるけど、そのストリートの様子の写真はほとんど皆無だ。これは実際取材してみれば希少価値があるのではないか、と考えた。
                        
                               
”音楽通り”は、地図上では、この赤い区間のストリートである。
                                    
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では、さっそく”音楽通り”を歩いてみる。
                                          
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う・・・~む。なかなかなんの変哲もないふつうの細道の道路で、ここから”音楽”というインスピレーションはまったく湧いてこない。(笑)結論からいうと、およそその通りの風情から、音楽という感じが湧き出てくるようなそんな特別な景色ではなかった。いたって普通の細道、通りである。なんの変哲もないふつうの通りである。
                          
”音楽通り”の写真が、ネットにほとんど掲載されていないのも、おそらくこれじゃ絵にならない、ということだけなのだろう。
                              
なんと!素敵なストリートなんでしょう!というテンションで盛り上げたかった自分としては、正直困ったな~、どこを売りにしよう?と悩んだりしたが、余計な脚色をするよりも、そのままありのままの姿をご披露するのがいちばんいいだろう、と考え直した。
                      
たぶん、桜木町、神奈川県立音楽堂の”音楽通り”の全景の写真を掲載している記事は、この私の日記しか存在しないであろう。まさに日本一、世界一貴重な写真記事だと考える。(笑)
                     
                         
キリスト教の本屋さんもあります。
                                       
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たしかに一見すると、なんら変哲もないふつうの道に見えるんですけど、ところどころに小洒落た素敵なスポットも確かにあります。ここは素敵だな~と思います。
                       
                              
ここは、セレクトショップのAonoha アオノハさん。
                                     
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セレクトショップというのは、いわゆる店主さんのお目にかなった商品を販売するという独自路線のお店。店主独自のセレクトで選ばれた商品は衣類から雑貨、お花と幅広く取り扱っているそう。
                       
                    
                                     
そして、ここにも”音楽通り”の標識が!
やっぱりネーミングが素敵ですよね~。すごいセンスあると思います。この標識を見るとなんかドキッとしますね。
                                               
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・・・そしてまたしてもなんの変哲もない景色が続きます。(笑)
                                        
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ここはDog Space。ここはペットサロン、犬の美容室ですね。
                                      
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手づくりパンのコティベーカリー。
                                         
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横浜港にほど近い町・桜木町。
                                        
この町で1916年(大正5年)創業以来、
毎日ていねいにパンを作り続けてまいりました。
町の様子は移り変わりましたが、
当店は今日も昔と変わらぬ製法で
じっくり時間をかけてパンを作っております。
                               
港町の小さな小さなパン屋です。
                         
横浜桜木町シベリアのコティベーカリー
                            
自家製のパン屋さんです。
自家製のパンのみ販売というのは、街のパン屋としては、当時画期的で斬新な試みだったそうでこのパン屋さんが、まさにこの”音楽通り”の中の1番の見せ場というかスポットだと思いますよ。
                             
県立音楽堂ができる前、まだ音楽通りというネーミングもなかった時代からこの通りにあるパン屋さんで、大正創業ですから。。。まさにこの通りが”音楽通り”と名付けられる前からずっとこの通り沿いにあって、この音楽通りの生き証人、ずっとその姿を見守ってきた重鎮なのです。
                       
まさに
                                      
「夜寝ていると通りから歌声が聞こえてくるんです。その歌声が鼻歌ってレベルじゃないんですよ。子ども心にとても上手だなと思いました」
                        
これはコティベーカリーの御主人の記憶のひと言なのです。
                                    
音楽通りのことを聞きたかったら、ここの御主人に聞け!です。音楽通りのことで、このお店より詳しい人はいないと思います。お店のHPには、”音楽通り今昔”と題して、昭和20年、30年、50年の頃の音楽通りの写真や想い出がいろいろ綴られており、大変興味深いです。
                        
音楽通りの情報はネットで探してもほとんど皆無で、一番詳しいと思うのが、このパン屋さん”コティベーカリー”のHP内の記述だと思います。
                             
当店の歴史・音楽通り今昔
                        
                             
店内はこんな感じです。ほんとうに狭い小さな手づくりパン屋さんという感じです。商品の棚には、このお店の看板商品のシベリアが見えます。
                                             
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コティ・ベーカリーのパンといえば、シベリアです。
                                          
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『シベリア』というお菓子が生まれたのは明治後半から大正初期頃です。当時のパン屋では、どの店でも、このお菓子が作られていました。パン焼きがまの余熱を利用して焼いたカステラと、あんぱんに使うあんを使って作られました。
                                          
和菓子のような製品ですが、パン屋で作られたのには、この様ないきさつがあったのです。シベリアパン、シベリアケーキと呼ばれることもあります。しかし、製造に手間と時間がかかることから、いつの間にか、シベリアはパン屋の店先から姿を消していきました。さいわい当店のシベリアは、お客様に愛され続け、大正5年(1916年)創業以来、製法も当時のまま、今日に至っております。
                        
                                      
音楽通りの生き証人、コティベーカリーといえばシベリアということで、自分もひとつ買いました。お味はとてもシンプル。真ん中のあんの部分はツルツルした食感で、なんか食べるとペロンという感じで食べれてしまい、その両側のカステラはもっとモッチリした感じで、なんか全然別次元の不思議な組み合わせの味わいです。不思議なパンだな~と思いました。
                             
シベリアパン、シベリアケーキはいまやこのパン屋さんでしか食べられませんね。コティベーカリーのシベリアは、お客様に愛され続け、大正5年(1916年)創業以来、製法も当時のまま・・・です。
                             
貴重なパンが食べられて一生の想い出になりました。
                         
このコティベーカリーのシベリアは、NHK Eテレやそのほかいろいろなテレビ番組、雑誌などの特集でたくさんのメディアから取材を受けています。
                        
自分は”音楽通り”の取材を行く前から、このパン屋さんは生き証人ということで、絶対ここに寄るぞ~!、シベリアを食べるんだ!と誓っていましたから念願かなって本望でした。
                        
”音楽通り”といえば、このお店ということで、自分もメンションできて一安心です。
                     
                            
横浜桜木町シベリアのコティベーカリー
                   
                    
                               
音楽通りの中でいちばんオシャレで素敵なお店構えだと思ったのがここです。
ハナサキ・ブッチャーズ・ストア HANASAKI BUTCHERS STORE。
                                   
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アルゼンチンBBQ料理やブッチャーズフードをワインやクラフトビールで楽しめるお店。インダストリアルな内装でポートランドのフードカルチャーとアルゼンチンの豪快な食文化”アサード”からインスパイアされたメニュー。
                                
BUTCHERS(ブッチャーズ)というのは、英語で肉屋のことです。
昔、プロレスラーでアブドラ・ザ・ブッチャーというレスラーいましたね。(笑)
                           
アルゼンチンの”アサード”というのは、注文したお肉が豪快に焼かれるところを見ながらワインと前菜やソーシャルの愉しむ食文化を取り入れた料理のこと。お肉以外のメニューはほぼ手作りだそうです。
                                          
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アサードではないですけど、ブラジルの料理でシュラスコというのがあるじゃないですか?
ブラジル生まれの肉料理「シュラスコ」。長い串に刺したブロック肉を炭火でじっくりと焼きあげる、お肉好きにはたまらない一品のあれ、です。
                                               
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昔、渋谷にこのシュラスコを食べさせてくれる有名なブラジル料理のお店があって、大学同期のフジテレビの友人から教えてもらったんですけど、まさにテーブルにお店の人がやって来て、大きな長い串に刺さったシュラスコを、ナイフでそぎ落として、お客さんのそれぞれのお皿に盛っていくんですよ。あれは最高でしたね。ウマい、美味しい、ということはもちろんだけど、その豪快さの絵柄が堪らんかったです。
                          
そして宴たけなわになっていくと、みんなテーブルから立ち上がって、行列を作って、前の人の両肩に両手を乗せて、行進を始めてお店内をグルグル廻のです。ブラジル音楽全快でノリノリです。横浜オクトバーフェストのときのようなあんな感じです。
                                        
あのブラジル料理屋さん、シュラスコは堪らんかったです。自分の数少ない合コン幹事でもこのお店よく使わせてもらい大好評でした。(笑)
                        
                      
この音楽通りでは、このハナサキ・ブッチャーズ・ストアがいちばん惹かれました。思わずスルスル~と入ってしまいそうでした。
                       
                       
                                      
ここのオレンジコンセプトもなかなかよさげでした。イタリアンのバルです。そう、あのスペインのバルと同じ、そのイタリア版です。バルというのは、バーのことですね。25年の経歴を持つフレンチ出身のシェフがやっているそうですよ。
                                     
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ここはヘアサロンですかね。
                                           
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ほんとうに極めて普通の通りなのです。(笑)
                                   
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ここが終点ですね。大きな通りに出ます。
                                      
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宮崎料理のいっちゃがさんも発見しました。
                                        
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神奈川県立音楽堂に因んだ”音楽通り”。
                                           
まさにそのストリートを端から端まで歩いて、その全貌を明らかにした記事は、この日記が初めてだと思います。(笑)極めて普通の通りそのもので(笑)、その風景からは音楽というかけらも微塵に感じないのですが、でもそこの通りは、県立音楽堂のコンサートを楽しんだ方々がそのハイになった気分から、ついつい鼻歌、口笛を口ずさみながら、その通りを歩いていく・・・そういう所縁からそのように名付けられたそういうストリートなんですね。
                        
この名付けセンスに自分はやられました。
とても素敵だと思います。
                   
こういうセンスがとてもいいと思います。
                         
”音楽通り”素敵なストリートでした。

                   

                                    

                     

                     

                                     

                                      



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巨星墜つで考えたこと。 [クラシック指揮者]

”世界のオザワ”、指揮者の小澤征爾さんがご逝去なされた。そう遠いことはではないとは思っていたけれど、いざそうなってみるとなんともいえない虚脱感、喪失感が大きい。ついに来たか、という感じで一時代の終焉といえるのではないか。


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昨日世界中に小澤さんの訃報が流れ、世界各所から追悼の意の表明が続いた。それがなお一層悲しさを冗長させる。この気持ちなんとも言えない気分である。


ふつうの訃報や追悼は、自分の人生との関与具合からそれなりの距離感を保つことが可能だが、小澤征爾さんの場合、なかなか自分にはキツイものがあった。小澤さんでそれをやられるのがかなり悲しかった。


なんかいまだに信じられないような・・・その現実を受け入れるのが難しい自分があった。


そしてその訃報に接して、咄嗟に自分が考えたことがあった。


これも時代の終わり。一時代が終わった。もちろん指揮者として、日本、海外のクラシック業界に残した業績のこともある。でも自分が言いたいのは、自分が考えたのは、なんか自分の人生においてもこれでひとつの区切り。時代が終わったんだな、ということである。


先月1月に還暦、定年を迎え、新しい人生、セカンドステージ、セカンドキャリアを歩むことになった自分。

当然いままで趣味として深い関係にあったクラシック音楽。


今後の新しい人生において、クラシック業界とどのような距離感で接していけばいいのか、正直自分はよく見えていなかった。考えてはいるんだけど、正解が見えないというか。


現役時代は、もう自分はクラシックに対してもう膨大な費用を注ぎ込んできた。音楽は自分の人生そのものという指針みたいなものがあった。物欲などでは到底得られない感性の豊かさ、心の感動が得られるからである。


もう毎回が一期一会なのである。


高額なチケット代、そして地方遠征の場合はホテル代、交通費、食費、雑費。さらには海外遠征にも及び世界中のコンサートホール、オペラハウスを制覇したいという夢を語り、実際実現してきた。


これもその一期一会の感動、音楽が人間に与える無形資産、無形価値。こういうものはモノの購入では実現できないのだ。その場にいて、そのときのあの感動。その積み重ねなのである。それが人生を豊かにしていくのである。クラシック音楽においては、経験が財産なのである。いかにたくさんの経験を積むか、この数でその後のクラシック人生が形成されると言って過言ではない。そこにいかに投資するか、である。


お金がもったいないから、お金を出して結局モノとして自分のところに入ってこないものにお金を投資するのは勿体ない、そう考える人も多いだろう。それも正解である。人、人生それぞれの考え方である。


自分はクラシックを自分のモノにするには、もう経験を積むしかない。そして海外、とりわけヨーロッパに行かないとダメだと考えた。箔がつくじゃないけど、海外でのホールでの鑑賞の経験がないとクラシックはダメだと思う。その経験の数でその後のクラシック人生が決まると思う。


自分はそのスローガンのもと、徹底的に国内・海外のコンサートに投資してきた。また自分は絶対正しいという確信みたいなものもあった。自分はいまがそのときだ。徹底的に投資して自分の経験値を上げよう。そこにお金を惜しむようなことはしていけない。


自分にとって新しい世界をどんどんその場でリアルに経験して自分の熟成度を上げよう。

それが自分のクラシック人生においての修行だと思っていた。


それが、2007年あたりから2024年の17年間の自分のやってきたことではなかったか。。。


前職時代は完璧な仕事人間だった。興味が仕事しかなかった。最新の新しい技術の登場に胸ときめいた。でも病気で退職することになっていまの会社に転職した。転職した当時は、やはり人生の張りというかやりがいみたいなものが見つからなく、どこか人生の脱落者的な感覚もあって、人生に生き甲斐を感じなくて鬱だった時期だった。


そのとき自分が思ったのは、人生の自分軸を会社に置かずに、自分の内側に持とうと思ったことである。会社に置いてしまうと、定年になって仕事を失ったあとが哀れである。老後にみんな自分の存在価値が感じられなくなって、鬱になったりする。また仕事しかない人生というのもなんか偏っている人間のように感じられた。


もっといろいろなところにアンテナを張って、総合的にいろいろなことに興味を持ち、トータルの人間性として豊かなバランスのとれた人間を目指した方がいいのではないか、と考えるようになった。


自分は技術者だったので、いかにハード設計スキル、ソフトウエア・プログラミングスキルに優れていても、結局人生それだけの人と言うのは、極端すぎる。偏り過ぎていると思うのである。


技術系の人間だからこそ、逆に芸術の感性、芸術の世界という正反対の世界をたしなむということが人間的にバランスのとれた人間になれると思うのである。


自分は転職する前からクラシックやオーディオの趣味を1人でやっていた。当時は、SNSとかなかったので、皆で共有するということができなかったのである。1人で黙々と楽しんでいた。孤独だけれど、自分が楽しいんだからそれでいいじゃんである。クラシックに関しては、ときどきアムスの同期友人とメールで情報交換するくらいだった。


自分にとって人生の転機になったのは、mixiをやり始めたことかな。NHKの音楽デレクターの小林悟朗さんと出会えたことだ。そこから同じオーディオを趣味とする、そしてクラシックを趣味とするいろいろ仲間達と知り合えたことだ。SNSってなんか楽しいな、と感動だった。(笑)


自分の興味の持ったこと、好きなことを書けば、友人は読んでくれる。誰かに読まれるというのは文章を書く側からすると、ずいぶん励みになるものである。自分の好きなクラシックやオーディオの世界で共通に好きな友人たちと楽しめる。SNSってなんて楽しんだ!ここから人生が変わったような気がする。


自分の会社とはまったく関係ない異業種な人たちと新たに出会い、趣味というひとつのジャンルで繋がるのである。


これは画期的だった。


なんか新しい自分軸を作れそうな気がした。自分の内側にである。会社の仕事は、お金を稼ぐためと割り切っていた。そこで稼いだお金を全部趣味につぎ込んでいたのである。(笑)将来のこと、老後の貯蓄とか、そんなレベルを考えられる訳でもない。


いまを生きる。

いまを楽しむである。


である。なんかそれで精一杯だった17年間だったと思う。


でも自分の人生の幸福度、幸せ、いかに充実していたかを振りかえってみると、もう段違いレベルで仕事オンリーだった前職時代と比較していまの会社で勤めていた17年間のほうが幸せだった。いまの会社で過ごしていた人生のほうがすごく充実していたし楽しかった。楽しい想い出しかない。


人間の幸福として、やはり仕事以外に自分の打ち込める対象を作ったほうがいいと思う。会社に勤めている間は、人間として2面性を持っているのである。仕事の自分と、趣味の世界での自分。分人主義である。


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小林悟朗さんと出会ってから、小澤征爾さんの存在を強く意識するようになる。もちろんもう大昔から世界的指揮者であるから、もちろん知ってはいるが、クラシックを聴き込む、自分のモノにするというレベルになって小澤征爾さんを本格的に意識し、たくさん聴くようになった。オーディオそして実演などに足を運んだ。


自分の場合、小澤征爾さんは、ゴローさん抜きでは考えられない。

小澤さんのキャリアでは、ウィーン国立歌劇場監督を務めていた頃からである。そしてベルリンフィル、ウィーンフィルと世界のオーケストラをまたにかけて、クラシック音楽界でもっとも成功した日本人指揮者となっていった。


西洋社会、西洋文化のクラシック音楽界で、アジア人の指揮者の存在を世界に認めさせたのは、小澤さんが初めてで、計り知れない大きな功績だ。


自分の人生最高だった17年間は、まさに小澤征爾さんは自分のクラシックを楽しむ人生の象徴アイコン的存在だったといえる。オザワブランドともいうべき、松本でのサイトウ・キネン・オーケストラ、水戸での水戸室内管弦楽団、そして新日本フィルハーモニー管弦楽団。もうこれは通いまくった。まさにいまこのときに投資しないとダメだろう、である。湯水のように惜しげもなく費やした。


松本、水戸は、小澤さんがいなければ自分から行こうとは思わなかった街ではなかったか。真夏の暑いミ~ン、ミ~ンとセミが鳴いている時期に、松本市内を歩き回っていたのをいまでもはっきり思い出す。


オザワブランドは一種独特の雰囲気を持っていた。

小澤さんのあの鋭い目力でぐっと睨まれると、もう空気がガラ変して、出てくる音も全然違ってくる。


小澤さんの推進力で引っ張られるサイトウ・キネン・オーケストラ、水戸室内管、そして新日フィルは、独特のブランド、格好良さがあった。団員達も自分がそのメンバーであることに限りない誇りを持っていたと確信する。


それがヒシヒシと感じられるほど、演奏に感動と爆発力があった。


小澤さんのすごいところは、目線の高さが我々と同じ高さにある、ということだ。大巨匠ともなると、どうしても威厳と尊厳が付きまといがちだが、小澤さんはつねにフレンドリーで人間的に親しみやすい暖かい人でもうその人間性が表に滲み出ているのである。話し方も単刀直入でシンプルでわかりやすい。


世界のマエストロでありながら、そういう印象を与えるのは、やはりそのもともとの人間性にあるんだと思う。


でも仕事では厳しいらしいですよ。


小澤征爾さんのクラシック音楽界に残した偉大なる業績、遺産は、もうこれから日本を始め、世界中のメディアから記事、追悼番組などでどんどん紹介されていくだろう。だから自分の日記ではそのことに触れない。自分の小澤さんに対する想い出のみに注力する。


そんな小澤征爾さんがご逝去なされた。

これはクラシック音楽界で一時代の終わりであることは間違いなのだが、自分の人生にとっても一時代の終わりなのかな、と薄々感じ取っていたのだ。小澤さんの訃報を知ったとき、まず自分が考えたのは、自分の人生にとっても一時代の終焉を意味すると思ったのである。


これからセカンドステージ、セカンドライフという経済的に制約された環境で生活していかないといけない中で、いままでのように経験のために投資していくというのは難しくなると考えている。


それが自分が今後のクラシックとの距離感をどうしていくか、の悩みである。もう現役時代のようにどんどん湯水のように経験のために投資していくのは無理だと思っている。海外含め。いままでのようにはいかないと思っている。


そこは取捨選択をしていかないといけないだろう。

興味あるコンサートはなんでも全部駆けつけるということも今後はできなくなるだろう。


まさにクラシック音楽を学ぶための修行、いかに経験をたくさん踏んでいくか、の象徴的なアイコンだった小澤征爾さんのご逝去は、そういう無尽蔵にクラシックを楽しむ自由なスタイルへとの決別なのかな、と感じたのだった。


セカンドステージ、セカンドキャリアの人生になっても、やはり過去の栄光や快楽が忘れられず、まだまだオレは頑張るぞ~と思っていた節もある。でも小澤さんのご逝去で一気に萎えたというか、現実を見ろ、いままでのスタイルを見直すべきところに来ている。


そのことを小澤さんが自分に引導を渡したように感じてしまった。


なんかオレの人生にとってもひとつの終焉なのだな~。

もう修行、経験を積むことに莫大な投資をする時代は終わったのかな。


この17年間でもう充分過ぎるくらい濃厚な経験を積んできたので、もういいだろ?

これから現状維持をモットーにやっていくべきではないか。


そんなことを考えたのである。


小澤征爾さんのご逝去で後任は誰?というほど愚問はないだろう。後任なんて作れるわけない。これだけの業績を積み上げてきた人と同じことをやれ、と言っても無理である。もうこの一時代で終わり。一時代の終焉。ただそれだけである。


1970年代は、一般的には「爆発しない」タイプの演奏様式が 特にレコード録音では、主流だったと思う。 時代の風潮なのだが、当時の70年安保闘争や学生運動の嵐が去った後の「しらけた」雰囲気というのは、独特のものがあった。 ヨーロッパでも 第2次世界大戦の熱気が冷めて 東西冷戦が続いている中で 「パッション・パッション!」「根性だ!爆発だ!」みたいな起伏の激しいロマンティックな演奏は前時代の様式となり、ある種脱力系というか ローカロリーで起伏がなだらかで精緻な演奏がモダンだとされた。 


当時のスター演奏家を眺めてみても もはやバーンスタインもベートーベンやブラームスといったクラシック交響曲では、爆発しないし、ベームは オーケストラの持ち味によりかかった晩年のスタイルになっているし、カラヤンは、爆発というよりも響きの豊潤さを重視した、流麗で古典的な演奏スタイルだ。 それに続くアバドや小澤征爾さんといった中堅もある種優等生的精密な演奏スタイルだった。 


戦後の日本のクラシック音楽界を築き上げてきた、日本人にとって全く道のないところに切り開いていった、まさにいまの日本のクラシック音楽界の礎を築いた小澤征爾さんは、カラヤン、バーンスタイン、ベーム、そしてアバドと同じ時代を生きてきたまさに”生き証人”なのだ。


そのクラシックの伝統を生き証人として生きてきて、多大な貢献を日本のクラシック界にもたらした。


そういう意味で、小澤征爾さんのご逝去は、一時代の終わり、終焉なのである。


2014年に成城学園の小澤さんが贔屓にしているお蕎麦屋さん、増田屋さんをぜひ体験したく、行ったことがある。そのとき、なんと!その後に小澤さんがお店に入ってきたのだ。なんといううれしいサプライズ。


きっと音楽の神様が、自分と小澤さんを引き合わせてくれたに違いないと思うことにしている。


小澤さんとサシでちょこっとだけど、お話させてもらったかな。

ゴローさんの話だったような・・・


そのときにツーショットも撮っていただいた。

そのときの小澤さんである。


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世界中で唯一無二のアイコン、”成城学園前のお蕎麦屋さんで小澤征爾さんにバッタリ!”である。











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