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コンサートのキャッチボール [クラシック雑感]

今日のトリスタンとイゾルデを聴いて、長年自分の中でもどかしい想いをしていたことが、ようやくわかった。


ずっと自分のライフとして生演奏、実演とオーディオの両方を聴いてきて、なぜ生演奏、実演のほうが感動するのか。D-Range、低域再生という言葉を使ったりしていたけど、なにか足りない、というかずばり言い得ていないもどかしさがあった。


なんか、もっと的確に表す言葉がないものか。

たしかに技術的な観点から考えると、D-Rangeとか低域再生とか、あと音場感とか、スケール感、立体感、自分の身体の周りが響きで包まれるような感覚とかいろいろある。


でもそういった技術的な用語では説明できないなにかがある。ずっとそう思っていた。なんか言い得ていないというか、そのものずばり、というストライクな感覚がない。


なんなんだろう、とずっと考えていた。


それはステージと聴衆との間の心のキャッチボールだ。


演奏中のステージと聴衆との間の真剣勝負、張りつめた空気感。


そして終演後、演奏者が心を込めて演奏をして、どうですか?いかがでしたか?と我々に投げかけてくるそのボールに、我々は大感動をする。割れんばかりの拍手とブラボーで応える。あるいはその反対の大落胆、ブーもある。


そういう双方向の見えないコミュニケーションがあるからじゃないか。

そこに人間同士の心の通い合いというか、そういうつながりがあるからじゃないか。


で、そこには予期せぬ驚きがある。開演時はどうなるかわからない。誰も予想できない。でも終わってみたら、まさに一期一会の名演だった。


そこに予期せぬ驚きがあり、我々に与えるその瞬時のインパクト、衝撃度が凄まじいということじゃないか。なんか感覚的にそういうことじゃないかな、とようやく言葉で言い表せれるようになってきた。いままでドンピシャで言葉で書けなくて、なんなんだろう、とずっともどかしい想いをしてきた。


そういう双方向のキャッチボールがあって、そして予期せぬ驚きがあるから、そのインパクトが瞬時ですごいのだ。それが実演の凄みなんじゃないか。


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録音再生は、どうだろう。双方向の心のキャッチボールはあるだろうか。そして予期せぬ驚きがあるだろうか。たぶん聞き手、リスナー側の一方的な要望により再生して感動を得る。そして、その音源が優秀録音なのか、否かもよくわかっている。そういう予定調和の中での快感というか期待を裏切らない快感なのだろうと思う。


どっちがいい、というような単純なことを言うつもりはない。


自分は昔からオーディオ再生が大好きだったので、オーディオの魅力もよくわかっている。やっぱりオーディオは所有感の美学というか、自分の空間に装置がビシッと決まっていて、それが鳴っている図が堪らんという感じなんだよね。男の人が好きな車と同じ感覚。


ハイエンドオーディオが大好きだった自分。あのフォルムの美しさ、あの空間、装置が鳴っているそのサマが堪らんという感じです。そして技術的に深いところも堪らん、そそられる。


鳴るようにいろいろ調教する楽しみもあるだろう。

あと、優秀録音のソフトを見つけ出して集めるのもコレクターで楽しいもんなんですよね。(このパターンは多いですよ。)


スピーカーからいい音が出ているあの感動(おっいい音じゃん、すごい音じゃんと一瞬思うあの感覚)と、コンサートで受ける感動は、なんか別物のような感じがするんですよね。


それを等しくなるようにするのも理想のひとつなのかもしれないが、でも現実はなかなかねぇ。大きな違いが


・双方向で心のキャッチボールがあるかどうか。

・予期せぬ驚きがあるかどうか。


ずっとなんなんだろう?と言葉で言い表せなくてもどかしい想いをずっとしてきたのだが、こういう表現をすれば言い得ているのかな、と今日の公演を聴いて閃いた。


そういうことを一瞬にて閃かせてくれるくらいの今日の公演は大名演だった。


もちろん生演奏は水物なんで、当たりもあれば、外れも多い。

その点録音再生はつねに安定な快感を得られる。


つねに間違いない快感を得たいのであれば、録音再生がいいだろう。


でも生演奏の当たりだった場合の感動は、すごいインパクト大きいんですよ。それも瞬時でドバ~と襲い掛かってくる。もう痺れる~という感じである。


これは病みつきになりますよ。繁々とコンサートホールに通うのはそういう出会いをしたいからである。


コンサートゴアの方にとっては、オーディオは理解できないかもしれませんね。

やっぱりオーディオは好きな人じゃないとその気持ちはわからないと思う。


生演奏で外れだった場合は、ほんとうにガッカリである。こういうことを言うと、トゲがあって嫌な気持ちにさせてしまうのが嫌なのだが、やはりコンサートチケット代は高額で、しかも身銭なので、自分の働いたお金でやりくりして買っているので(貧乏庶民なので。。笑笑)、凡演や外れだった場合のがっかり感、怒りはやはり凄まじいです。演奏側からすると連日公演のうちのOne Of Themなのかもしれませんが、自分はその1日にピンと合わせて勝負をかけて来ているので、それが凡演だったときの怒りはやはり大きいです。なんとも言えない虚しさが残ります。


とくに海外旅行の場合の落胆度は半端ではないですね。もう1年前からずっと準備をしてきて、もう何十万という予算をかけて、気合を入れて、いざヨーロッパの劇場に乗り込んだら、凡演で唖然としてしまった、ということも多いです。


自分は外様客で、外国人演奏家だと、そんな気持ちもわからない、察してくれないだろうから、余計虚しい訳です。どこに怒りをぶつけていいのか。(笑)


それが生演奏は水物、といわれる所以です。


”生演奏とオーディオ”については、このブログを始めた当初からずっと語っていることだけど、もう尽きた感もあるけど、でもいまだに真相はわからない、という永遠のテーマです。



そしてこの御命題は、人によって、みんなそれぞれの考え方があって、どれが正しいとは一概には言えないけれど、自分の経験、自分の考え方に基づくという限定であれば、1冊の本が書けると思いますよ。(笑)













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東京・春・音楽祭 トリスタンとイゾルデ [国内クラシックコンサートレビュー]

終演後、もう頭がフラフラ、ずっとモチーフが頭の中でループしていて、感動がそのままずっと続いていて意識朦朧な感じで、帰りの電車を3回乗り間違えてしまった。(笑)山手線をいつもと反対周りに乗ってしまうし。


上野から自宅までは1時間半で帰れるところをなんと3時間以上かかってしまった。


ヤノフスキ&N響すごすぎる~。(笑)


帰宅してからも、もうこの勢い止まらず。ずっとこのまま余韻をキープしたくて、PENTATONEヤノフスキ盤で夜中の3時まで絶賛再生。そして眠りに着こうと思ったのだが、もう神経が高ぶって興奮している状態で、もう今日は眠るの無理。


そしていまこの日記を書いている。


東京・春・音楽祭では2020年にヤノフスキ&N響で、トリスタンとイゾルデをやる予定であった。でも残念ながらコロナで中止となった。トリスタンは自分にとってワーグナー最大の演目なのでこれをヤノスフキ&N響で聴けるのは最高の楽しみだったのだが、このときほど無念に思ったことはなかった。


そして4年間のインターバルを経て、今年リベンジである。


上野の春の風物詩。東京・春・音楽祭。

自分は東京オペラの森で小澤征爾さんのエフゲニーオーネギンの頃から通っているから、もうこの音楽祭の歴史とともに歩んでいるようなものだ。もう走馬灯のように頭の中を想い出が駆け巡る。でもほんとうにビッグな音楽祭になってうれしいです。


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今日の公演は、自分がいままで体験してきたトリスタンとイゾルデの実演の中で最高のステージだったと断言できる。去年マイスタージンガーをいままでの東京春祭のN響ワーグナーシリーズの中で最高の出来栄えと言ったが、今年はそれを超えたと言ってもいいのではないか。


今年のトリスタンとイゾルデは、いままでのN響ワーグナーシリーズの中で文句なしのナンバーワンだ。


凄ましかった。


一期一会とはこういうことを言うのだ。


こんな名演に巡り合えて、自分は本当に幸せ者だと思う。生演奏なんてほんとうにどうなるかわからない中での予期せぬ驚き、そのインパクトも衝撃的で大きい。


ものの見事にノックアウトされて、終演後フラフラになって帰ってきた。


そして結論から言うと、自分は演奏会形式でオペラを鑑賞する、ということに改めて思うところが多かった。自分はトリスタンとイゾルデはいままでずっとオペラ形式でしか観たことがなかったのだ。全部オペラで観てきた。トリスタンをコンサート形式で鑑賞した、という記憶がない。


演奏会形式で観ることで、このオペラの印象がずいぶん違ってきた。先の新国オペラのトリスタンの日記で、自分はこのオペラってすごい冗長的な印象を持っている、ということを言及したと思う。


でも演奏会形式で鑑賞すると冗長的どころか、聴きどころ満載の美しい旋律、そしてモチーフも頻繁に表れていることを認識できるし全編通してなんと美しいオペラなんだろう、と再認識したのだ。


とくに第2幕の二重唱は美しさ満載で、陶酔感がある。ある意味このオペラのいちばん酔えるところなのかもしれないが、じつは自分はオペラで観るといままでそこまで最高というほど感動したことがない。


これはたぶんオペラ形式だと、オペラは総合芸術なので、舞台装置、演出、歌手たちの演技などいろいろなことが視界に入って来て頭の理解力を占有する。音楽だけに集中できないところがあると思う。


ところが演奏会形式だと、ほんとうにオケと歌手たちの歌だけ。舞台演出がいっさいない。ワーグナーの音楽だけを純粋に楽しめる。これでようやくこのオペラの音楽の美しさに気づいたのではないか、と自分は考えた。


ヤノフスキSACDで何回も聴いたし、オペラも何回も観たのに、いままで分かってなかったの?という感じなのだが、今日は初めての演奏会形式ということでほんとうに純粋に音楽だけを楽しめて、トリスタンの音楽の美しさにいまようやく気づいた感じである。


これはある意味、ヤノフスキの理論そのものである。ヤノフスキは、昨今のワーグナーのオペラはかなり過度な演出で、聴衆がそちらのほうばかりに神経が集中してしまうため、純粋にワーグナーの音楽の美しさを堪能できない。ワーグナー音楽はやはり演奏会形式に限る、と断言している。そしてPENTATONE録音でもそれを実践してきた。


そういうことだったのか、といまになってようやくわかる。


もちろんオペラ形式も素晴らしいですよ。自分の理解力がそこまで頭が回らなかったということです。


あと演奏会形式はやっぱり音がいいですね。ピットに閉じ込められていないから、ものすごく開放感があって音がいいです。やっぱり遮るものがなく、音の伸びがあって聴いていて気持ちがいいです。やっぱり自分は演奏会形式が好きだな。


Copyright:東京・春・音楽祭 Facebook


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とにかくヤノフスキ&N響がすごかった!


歌手たちも素晴らしかったが、なによりもいちばん衝撃だったのは、ヤノフスキ&N響のオーケストラだ。やっぱりワーグナーはオーケストラが厚くてうねる感じで重厚でないと酔えない。彼らがいちばんの主役だったと言えるのではないか。ここまでドライブされて鳴りに鳴っていたオーケストラは昨今では記憶にない。圧倒されました。そして最高に格好良かった。


いやぁ~やっぱりワーグナーはこうじゃないとダメだよな~というお手本のような演奏でした。かなり高速でハードボイルドなワーグナーでした。(笑)


弦の厚いこと。そしてうねるような感じ。陶酔感満載。酔えるというのはこういうことを言いますね。


やっぱりワーグナー音楽って、まずオーケストラがいちばん根底を成す重要なところなんだということを再認識しました。屋台骨というか。。。その上に歌手の出来栄えが乗ってくるという感じですね。


オーケストラは指揮者によってその音が変わるとはよく言われることですが、N響からこれだけの”鳴り”を引き出すヤノフスキにひたすら脱帽という感じです。


もうワーグナー音楽を完璧に手中に収めていて、その思うとおりにオーケストラから鳴りを引き出し、ドライブしていってワーグナー音楽を構築していくその指揮ぶりにもう圧巻でした。見事というしかない。あらためて惚れ直しました。


ヤノフスキはリハーサルなどかなり厳しいらしいですよ。N響とはもう長年のパートナーですが、怒られに怒られ、ばっちり鍛え抜かれたN響。そうして出来上がった筋肉質なサウンド、あっぱれでした。


そして、これは毎年ヤノフスキ&N響の演奏会形式を見て、驚くことなのだが、普通、オペラ歌手が歌うところでは、オーケストラ自体の音量を下げて、歌手の声をかき消さないような指示をしたりする指揮者が多いのだが、ヤノフスキはまったくその反対なんですよね。歌手が歌っているところこそ、オーケストラに、もっと大きく、もっと大きくという指示を出しているかのようにオーケストラの音量をより一層上げている。


歌手もヤノフスキのときはほんとうに大変だと思うのだが、でもそれがより一層、ヤノフスキの紡ぐワーグナーが、終始一貫して、雄大で重厚なサウンドなのは、そこに起因するのではないか。歌手が歌うアリアこそもっともアピールする箇所で、そこでオーケストラを雄大に鳴らし、ドラマティック性に華を添える。


所々で、音量の強弱を繰り返す音型よりも、ずっと一貫して突っ走る(もちろん多少の音量強弱はあると思いますが)、それが終始、全体的に雄大でスケール感の大きいワーグナーを表現できるヤノフスキ独自のワーグナー戦略なのだと思う。


去年と同じ第3幕で吉井瑞穂さんがオーボエ首席として入るなど、メンバーチェンジがいろいろあって総動員体制という感じでした。第3幕の池田昭子さんのイングリッシュホルンのソロ。あそこはすごい難所なんですよ。すごい難しいところ。聴いていて外さないでよ、外さないでよ、と祈らざるを得ないくらい長いソロで、もう見事でした。さっすがです!!!


東京オペラシンガーズは相変わらずすごいですね。主に第1幕ですが、もう声の音圧がすごい。もうエネルギーの塊という感じで声のハーモニーが飛んでくる。驚きました。


では歌手陣に行ってみますね。


歌手陣は、飛びぬけて驚くほどすごいという印象はなかったですが、でもハイレベルでまとまっていてみんないい歌手だと思いました。粒ぞろいのいい歌手が揃っていました。


毎年思うことなのですが、東京春祭実行委員会の選考委員のみなさんは、どういう情報源パイプから、そしてどうやってこんないい歌手たちを集めてくるのかほんとうに凄いと思います。これから時代を担う新しい育ち盛りの歌手を選んでくるその選択眼が素晴らしいと思います。



イゾルデ(ソプラノ):ビルギッテ・クリステンセン


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ワーグナー歌手といういわゆる巨艦ぶりな歌手ではなく、やや声量控えめな叙情的で優しいソプラノですね。最初出足が不安定で、イゾルデにはなかなか厳しいかな、と最初思いましたが、徐々に喉が温まってきてヒートアップしてきてもう十分すぎるくらいイゾルデを演じ切りました。


声質は透明感があって、美声だと思います。最初気になった声量の小ささももう中盤以降は全然十分すぎるくらいで素晴らしいと思いました。


イゾルデはもう見せ場はたくさんありますが、やはり第3幕の愛の死。号泣しました。(笑)涙腺が堪えきれず、ついに決壊。このオペラで昇天するいちばん肝のところですから、いつ来るか、いつ来るか、と待ち構えていましたが、もう期待に十分すぎるくらい応えてくれて最高でした。


もうこのときは、よくやってくれた、よくやってくれた、と涙ながらに喝采しました、です。


もうブラボーを贈りたいです。最高のイゾルデでした。




ブランゲーネ(メゾ・ソプラノ):ルクサンドラ・ドノーセ


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素晴らしかったです。自分は最初、イゾルデと区別がつかなく、2人ともすごい似たような声質と声量だな、と思いました。この2人非常に似ているタイプの歌手だと思います。いい歌手だと思います。このオペラではブランゲーネはすごい歌う場面が多いですから、存分に堪能しました。素晴らしかったと思います。


第2幕ですかね。三重唱のときに、このブランゲーネだけがバンダのように、客席で歌うところがあったんですね。そして3人で重唱するわけです。それが私の席のすぐ傍で歌ってくれたのです。(2階席)もうオペラ歌手が歌っているところをこんな至近距離で聴くのは人生で初めて。もうすごい臨場感で生々しさがあって、発声の出だしのところはもうすごい音圧です。うわぁ、やっぱりオペラ歌手ってすごいな、と思いました。もう別次元の才能の持ち主、という感じですね。我々凡人の想像の域の遥か上を行っていると思います。


素晴らしい歌手だと思いました。




トリスタン(テノール):スチュアート・スケルトン


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たっ体格が!(笑)すごいです。でもいい声してますね~。素晴らしいと思いました。いわゆる突き抜けるような感じではありませんが、優しい柔らかい声質でいい声してるな~と思いました。喉の声帯が広いというか声の発声に器的な余裕がありますね。そして定位感もあります。自分的には今回は男性陣が素晴らしいと思っていたところがあって、その筆頭格といってもいいのではないでしょうか。主役を張るだけの主張感、存在感がありました。


特にトリスタンの最大の見せ場、第3幕の1人語りのところですね。もう独壇場でしたね。最高でした。



マルケ王(バス):フランツ=ヨゼフ・ゼーリヒ


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自分の数少ない拙い経験でしかありませんが、トリスタンとイゾルデでは、マルケ王は大体いい歌手が多いんです。(笑)毎回好評な評価を得る場合が多いです。バスのあの低音の魅力で安定感と定位感があって、ずば抜けた存在感がありました。マルケ王は重要な役柄でもありますね。




クルヴェナール(バリトン):マルクス・アイヒェ


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自分は、今回2階席だったので、もともと視力が悪いので、間違っているかもしれませんが、男性歌手陣の中で飛びぬけた実力、歌唱力を持っていたのは、このクルヴェナールです!もう他の追随を許さないというか、もう発声しただけで、もう全然ひと味違うというすごい声量があります。


艶のあるいい声をしています。飛びぬけています。うわぁ、これはスゴイな。たぶん一流歌手だろうな、と思っていましたが、案の定バイロイトでも活躍しているみたいですね。というかこの方、東京春祭ワーグナーシリーズの常連さんですね。(笑)顔写真を見たら、もう完璧に記憶にあります。もう毎回出てくれているのではないでしょうか。貴重なレギュラー出演歌手です。今回の男性陣の中ではナンバーワンではないでしょうか。最後のカーテンコールでも1番歓声が上がりました。




あと、もう東京春祭では、すっかり常連のメロート役の甲斐栄次郎さんも素晴らしかったし、同じく常連の大槻孝志さんや、高橋洋介さん、金山京介さんも素晴らしかったです。しっかり見届けました。




とにかくオーケストラに歌手陣。穴がなかった。全体に綺麗だけど破格外レベルまで拡張してまとまっていた。パーフェクトだった。いやぁひさしぶりに激感動しました。ドラマティックでした。ひとつの大きな絵巻物語を見終わった気分です。


やっぱり最後は余韻を楽しむ、ということをマナーとして取り入れたいですね。自分なんて絶対余韻を楽しむ派、あの長い沈黙があるからこそすべてに重く荘厳に終わると思うのですが、世の中にはすぐに拍手したい(フライング!)人もいっぱいいるんですね。人によりけりです。この日もそうで、せっかくの大伽藍をぶち壊しです。ヤノフスキが両手で制止して、すぐに沈黙を取り戻し、事なきを得たという感じです。




官能的で悩ましくて麻薬のような独特の旋律。聴いていると人の感情を内から煽り立てるような刹那というかそんな仕掛けを感じてしまう。ワーグナーの10大楽劇作品の中でも、かなり異端で特異な旋律である。



トリスタンとイゾルデは、ワーグナーの作品の中で最高傑作である。


ヤノフスキは85歳だそうだ。今年亡くなられた小澤征爾さんやポリーニが同じ80歳代だったことを考えても信じられない元気溌溂の現役ぶりで、自分が以前拝見した感じからまったく変わらず、衰えていなく驚くばかりである。


ヤノフスキに対して、やっぱり自分は特別な感情を持っているんですよね。しかめっ面の笑わない頑固なオヤジかもしれないけど、1本筋が通っている。自分の理論、自分軸を持っている。


カラヤンやバーンスタイン、小澤征爾さんは、もう自分が生まれたときから大スターだった。でもヤノフスキの場合は、なんか自分といっしょに育ってきたというか、自分といっしょに歩んできた同士のような感覚があり、とても親しみを持っている指揮者なのである。


これからも元気で頑張ってほしい。


マレク・ヤノフスキは、自分の誇りである。


4/13のNHKホールでのN響定期もチケットを取りましたが、東京春祭の川本嘉子さんのブラームス室内楽とかぶってました~。(笑)ブラームス室内楽のほうを優先します。残念。



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東京・春・音楽祭2024

2024年3月27日 [水] 15:00開演(14:00開場)

東京文化会館 大ホール


東京春祭ワーグナーシリーズ VOL.15

ワーグナー:楽劇《トリスタンとイゾルデ》(全3幕)

上演時間:約5時間(休憩2回含む)


 

指揮:マレク・ヤノフスキ

トリスタン(テノール):スチュアート・スケルトン

マルケ王(バス):フランツ=ヨゼフ・ゼーリヒ

イゾルデ(ソプラノ):ビルギッテ・クリステンセン

クルヴェナール(バリトン):マルクス・アイヒェ

メロート(バリトン):甲斐栄次郎

ブランゲーネ(メゾ・ソプラノ):ルクサンドラ・ドノーセ

牧童(テノール):大槻孝志

舵取り(バリトン):高橋洋介

若い水夫の声(テノール):金山京介

管弦楽:NHK交響楽団(ゲストコンサートマスター:ベンジャミン・ボウマン)

合唱:東京オペラシンガーズ

合唱指揮:エベルハルト・フリードリヒ、西口彰浩

音楽コーチ:トーマス・ラウスマン







 




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松坂牛 よし田 [グルメ]

東京オペラシティのコンサートに行くときは、かならず座るとこがない、ということと、食事をするところがない、この2点で困り果ててしまう。まさに都会のビル空間の中にあり、無機質な都会空間なのだ。


でも最近気がついたことに、東京オペラシティビルは、複合施設の高層ビルなので、上階の53F/54Fに食べ物処がたくさん集中していることがわかった。高いところにあるのでぜんぜん気がつきませんでした。気づいたのは最近です。


その53Fにちょっと自分が惹かれるというか、気になるお店がある。


それが”松坂牛 よし田”である。


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もともとのきっかけは、Instagramで自分のTLにプッシュしてきたこと。なにせすき焼きが大好きなので、そのすき焼き御膳の写真がじつに美味しそうで、美味しそうで。これは食べてみたい、すぐに行ってみようということになった。値段も1,500円とお手頃である。


しかも東京オペラシティの53Fである。新しい食事処を発見した、という感じである。しかも悩んでいた東京オペラシティで。


松坂牛 よし田は、もともとは、世界最高峰の時計・ジュエリーを扱うYOSHIDAがもともとの企業体。

そこがサイドビジネスとして、一流の食を求めるお客様のために、レストラン「松坂牛 よし田」をオープンしたとのことなのだ。


もともとが宝石店!それがレストランもやる。ビジネスってやはりこういう余裕があるところが勝ちますね。余裕があると、それがお客にも直感で伝わります。いつもカツカツなところは、そんなゆとりがなく、それがお客様にも敏感に伝わってしまいます。


でも、それって大富豪の企業だからですよね。(笑)ふつうどこの企業も、とくに中小企業はみんなカツカツで、そんなゆとり出している余裕ないのが実情なのではないでしょうか。



松阪牛の最高の美味しさを味わっていただくために鉄板焼き・すき焼き・しゃぶしゃぶの3つのスタイルと、松阪牛をメインとした会席料理になります。


松坂牛ですよ!!!


もう国産牛肉ナンバー1ですね。松坂牛とかの国産の牛肉の最高級というものは、あの人形町今半のすき焼きのときに、ずいぶん勉強しました。最高級牛肉のすき焼きってほんとうに別次元の美味しさです。ちょっと庶民では味わえない高級な料理ですね。


とにかく牛肉が口の中でとろけるように甘い。ものすごい甘いです。

それを溶き卵で食べるなんとも贅沢なひととき。


あの感覚は、今半で体験しましたが、いまでも濃厚に覚えています。


料理は学校法人 服部栄養専門学校 理事長・校長のあの服部幸應先生が監修しているのだそうですよ。


この松坂牛 よし田の最高の料理にあわせるための選りすぐりの銘酒も用意されています。フランスDRC・五大シャトーや、日本では輸入本数が少なく、稀少で高品質なスイスワインなど価値ある銘酒たちが、あなたをお待ちしております。(笑)


High Societyですね~。

さすがジュエリー店です。


そして、なによりも楽しみなのが、東京オペラシティビルの53Fという抜群のロケーションなので、東京の景色をそこから一気に見下ろせる、東京都心を俯瞰する最高の絶景のCity Viewなのだ。


地上200mから、昼間は明治神宮や新宿御苑の緑、夜は東京の夜景を一望できる美しい景色。


もうこれは堪らん!松坂牛のすき焼き御膳も楽しみだけど、この絶景Viewも楽しみで楽しみで。


こういう高層エリアからの絶景Viewは、大体昼間より夜景のほうが感動しますね。渋谷スクランブルスクエアのShibuya_Skyももう断然夜景のほうが綺麗で感動しました。


チャレンジするなら夜がお薦めです。


ちなみに、松坂牛 よし田の夜景Viewはこんな感じだそうですよ。



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美味しい料理・ワインと絶景ロケーション。


一流ジュエリー店が提供する最大のおもてなし空間である。


自分のInstagramのTLにすき焼き御膳の写真がプッシュされてきて、それが美味しそうで、美味しそうで。しかも1,500円というお手頃価格。


自分はそれ以上調べず、本能的にお店に向かいました。


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そうしたら、朝11:30開店なのですが、もうすごい長蛇の行列なんですね。

そしてスマホでメニューを調べてみたら、驚いてしまいました。


鉄板焼きもすき焼きもしゃぶしゃぶも、そして会席料理も、みんなコースになっていて、50,000円とかします。


5万円!!!


食事に5万もかけられるか!


このとき、自分は遠い記憶の彼方に閉じ込められていた、すっかり忘れていたフレンチのトゥール・ダルジャンのことを思い出したのです。


松坂牛 よし田は、超一流のHigh Society御用達のレストランだと思いました。


もうプライシングが庶民感覚を超越しています。


最高級が5万円で、それぞれ段々グレードが下がっていきますが、それでも2万5千円、とか1万5千円とか、です。


貧乏人の自分には無理です。(笑)

うわぁ、三流庶民の自分の居る場所ではないなと直感で感じました。


でも、Instragramでは確かに、1,500円のすき焼き御膳がありました。すると確かにあります。でもそれはメニューの本命ではなく、ついでのサービスみたいな位置づけで、いわゆるランチメニューです。しかも限定20食とかの制限付きです。


自分はそのことを知らずに、最初行ってしまい、しかも長蛇の列に並んでいたので、これじゃあっという間に20食完売だな~と思いました。お店の女性の仲居さんに聞いたら、案の定完売だとのことでした。


もう万単位のメニューしか残っていません。


自分は諦めてスゴスゴと帰ってきました。


さすが一流レストラン。メニューは万単位が基本なのです。1,500円のランチは、ランチ限定の特別メニューに過ぎないのです。しかも20食限定。


まっ結局、自分には縁がないレストランだったんだな~と思いました。


それで数日過ごしていたんですが、ふっと思いつきました。

11:30開店ならば、朝早くからいの一番で並べばいいのではないか?

だとしたら、20食限定のフィルタをクリアできる。


あの松本でのうなぎ屋さん、うなぎのまつ嘉のときと同じ戦法です。


思い立ったら即実行ゴーです。


11:30開店なのに、9:30着で並びました。(笑)準備しているお店の男性に、こんなに早く並んでいる人は、いままで見たことない、初めてだ、と労われました。(笑)


黒毛和牛のすき焼き御膳を食するための自分の諦めない根性の成せる業です。


そうして歩行障害の自分にとって2時間立ちっぱなしというのは、まさに苦行そのものでしたが、ようやくオープンです。


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やはりお店のフロアの空間は、まさに高級レストランそのもの。基本は和空間、和風テイストだと思いますが、とても清潔感溢れる美しい空間でございました。男性スタッフは洋装、女性スタッフは和服です。


日本の伝統的な技法を取り入れた「心からのおもてなし」空間を演出します。多忙な日常から離れ、静寂で優美な空気感につつまれながらも、組子細工などの和の高級感が贅沢なひと時を創り出します。


最初想像していたフロア空間は一面にだだっ広い空間なのかな、と思いましたが、実際は小さなエリア空間に区間割されていて、その間を細い通路が通っている、というカウンター、お座敷などが細かく区割りされている空間でした。


自分はもっとも渇望していた絶景Viewを臨めるカウンターに通されました。


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素晴らしい~とは思いましたが、なんか思ったほど驚きもなく、実際の絶景Viewも遠い感じで、まっそれなりだと思いました。絶対夜景がいいですね。


目の前は鉄板になっていて、ここでシェフが実際、鉄板焼きを調理するところを目の前でショーをしながら楽しむのだと思いました。横浜・馬車道の瀬里奈ドームと同じですね。


自分は、もちろん”黒毛和牛のすき焼き御膳”をオーダーします。メニューには公式サイトに載っていないスペシャルバージョンというのがありましたので、そちらにしました。


ランチメニュー、20食限定です。自分はもちろん1食目のお客さんです。(笑)


これが夢にまでみた、松坂牛 よし田の黒毛和牛 すき焼き御膳です。


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とても甘くて美味しいです。さすが最高峰 黒毛和牛です。

すき焼きってやっぱり美味しいですよね。ひさしぶりに食べた感動はひとしおでした。この濃い目の割り出し。まさに関東風の濃い味付けですね。つけ合わせのトロロがありました。すき焼き鍋でグツグツ煮るときに、このトロロをまぶすのもこれまた一興なのだそうです。


でも自分は、人形町今半で最高級のすき焼きを経験済みです。その感覚と同レベルのグレードを期待していたこともあって、やはりそうは世の中甘くないな、と思いました。あんなに牛肉が大きくないです。やっぱり細かく小片にカットされていて、思っていたほど食べ応えがなく、口に入れたときの感動も。。。う~ん、やはり安価なランチメニュー限定なので、それなりのグレードだな~という感覚はありました。


でも、でも、それでも全然十分です。それを差し引いてもぜんぜん最高に美味しかったです。1,500円(自分の場合、スペシャルだったので、2,000円でしたが。)のすき焼き御膳としては最高級の美味しさだと思いました。


ランチメニューはあくまでサービス、オマケなんですよ。本チャンは万単位のフルコースメニューのほうなのです。松坂牛 よし田は、この松坂牛をふんだんに贅沢に使うフルコースに勝負所を置いているのです。


自分は十分満足した気持ちになりました。

達成感ありました。


2時間前から並んだ甲斐がありました。


いい想い出、体験になりました。


ひとついまだに不思議なのは、お店の前に、これだけの長蛇の大行列。

ランチメニューは20食限定です。すぐに完売するはずです。


それなのに、これだけの大行列。この方々はみんな万単位のメニューを頼むほど経済力があるのでしょうか?(笑)


それが疑問なのでした。

見た目若そうな人たちなのに、みんなスゴイなと思いました、です。(笑)












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ポリーニ・アルゲリッチ世代 [クラシック演奏家]

イタリアの世界的ピアニスト、マウリツィオ・ポリーニが昨日亡くなったというニュースが世界を駆け巡った。ほんとうに今年はなんという年なのだろう。自分のプライベートでの激震もそうだけど、クラシックでは、小澤征爾さん、そして今度はポリーニだ。


自分の世代、そしてクラシック界で一時代を築いた巨星がつぎつぎと亡くなっていく。


もう、これはクラシック音楽界だけではない。俳優さん、タレントさんの世界でも、まさに自分のリアルタイム世代の方がどんどん亡くなっていく。あ~、あの方も亡くなったか~。子供の頃、いろいろ想い出がある。。


最近、そういう経験がすごく多くなってきている。


自分が思うに、自分の人生にとっていままで関わってきたものをすべてこの年で清算して新しい世界へと誘っている、そういう人生の新しい局面、節目、変わり目なんだ、というような気がしている。


自分と繋がっていたものが、つぎつぎと自分の元を去っていく。離れていく。

これは自分にとっても新しい出会いが待っているという前向きな気持ちで捉えるべきなのだろう。


歳をとること、還暦を超えていくと、自分といっしょに同じ時代を過ごしてきた同士がどんどん世を去っていく。お別れを体験することが日常茶飯事になっていく。


人間ってある年齢になったら、そういう同志たちが先に世を去って、そのお見送り、追悼をする、という機会があたりまえのようになっていく。


それはいままでのそれ以下の年齢ではいっさい関係なかったこと、起こらなかった事象だ。そういうことを日常茶飯事に経験するようになったということは、自分はそれだけ歳をとったということなのだ。そういうことを経験する年齢のリミットを超えたということ、そういうシニア世代の仲間入りをしたということ、それだけ歳をとったということだ。


これからの自分は追悼文を書く、という作業も大事な自分の仕事となっていくに違いない。

そして追悼文を書くことが、これからどんどん増えていくに違いない。


やはり、自分と同じ時代を生きてきた有志、自分との接点、関りを中心に、その人の素晴らしい経歴、業績をいま一度、世に再認識してもらうこと、そして心からの感謝、愛情をもって送り出してあげること。


これが自分に課せられた使命であろう。

これからこういう仕事があらたにどんどん増えていく、ということだ。





クラシックのリスナーにとって、”ポリーニ・アルゲリッチ世代”というのが必ずあるに違いないと考えている。


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1970年代から1990年代、そして2000年あたりまでの30年間。ポリーニとアルゲリッチは、クラシック・ピアノ界の顔ともいうべき存在だった。まさに類まれな天才2人が、こうやって同時期に現れたのも、偶然ではなくなにかしらの運命だったと考えるべきだ。


ポリーニもアルゲリッチもショパン系のピアニストとしてが出自で、ポリーニは、1960年にショパンコンクールで優勝。アルゲリッチも、1965年にショパンコンクールで優勝している。


まさに同じ時期にすい星のごとく現れた。


これだけの才能に恵まれて、華のある大スターが、お互い切磋琢磨してクラシック・ピアノという分野を牽引していった、というのはまさしくひとつの時代だったといえる。


そして、そのポリーニとアルゲリッチで、自分はクラシックのピアノ曲を勉強しました、というリスナー、聞き手の世代が、まさにいるはずなのだ。


まさに自分がそうなのである。


自分は、ポリーニ・アルゲリッチ世代ど真ん中の人で、クラシックのピアノの曲を自分のものにしていこう、一生懸命勉強していこうと修行していた時代。まさにポリーニ・アルゲリッチの録音で、一生懸命勉強していたのだ。


自分がクラシック入門の扉を叩いたときから、2人はすでに大スターだった。


2人のピアニズムはもう全然正反対というか、まったく似ても似つかないまったく違うタイプのピアニストだった。


ポリーニは、非常に紳士的で静かな人、そしてピアノはもうコンピュータのように精緻な打鍵で、まさに”ピアノが上手い”というお手本のようなテクニシャンであった。肌合い感としては、クールな知性派ピアニストという装いで、でも中に熱いものを秘めている、そういうタイプだった。CDのジャケットは、つねに背広にネクタイという紳士服スタイルである。


それに対してアルゲリッチは、情熱的な人で、激しい強打腱、そしてある意味一本調子とも言えるくらい突っ走るタイプ、激しいバイオリズムのあるピアノが特徴で、それが女性で超美人である、ということと相まって絵になる、そういうピアニストだった。けっして優等生ではなく、非常に恋多き女性で、愛情の深さ、激情家、失敗も多々あるといったその波瀾万丈な人生にとても人間っぽい俗っぽさ、そういうギャップが誰からも愛されるというそこに秘密があったように思う。


”静と動”


そんな感じでまったく正反対のタイプだった。


ポリーニとアルゲリッチは、お互いぜんぜん違うキャラクターで、どうなのだろう、共演などの接点もそんなにあっただろうか?でも自分たちが、この30年間のクラシック・ピアノ界を牽引していっている、という自覚は自分の中に間違いなくあって、そういう意味でお互いを意識していたことは間違いない。いい意味でお互い切磋琢磨していくライバルだったのである。


それがリスナー、聞き手にとっての”ポリーニ・アルゲリッチ世代”の我々による2人に対するイメージだ。




またこの時代、クラシック音楽界では、アーティストとメディア、評論との関係についても今とは違う独特な関係性があったように思う。いわゆるある演奏会での演奏に対して、歯に衣を着せぬ忖度のない評論、そして正確な分析、でもその評論がいくら厳しい辛口であっても、そこには品格があり、読者を納得させるだけの根拠が感じられ、アーティストのためという親心も垣間見え、そしてアーティスト側もそれに発奮して、それに呼応できるように次回以降に自分の演奏にその意見を取り入れていく、そういう真剣な戦い、やりとりがあったように思う。


忖度のない評論に対しても、両者間には信頼関係があったように思う。


そういう関係性で得られた結果として、、メディアはそのアーティストを最終的に承認するという感じで、お墨付きを与え、そしてその時代を代表するアーティスト、巨匠というような位置に祭り上げる。。。そういうゲームがあったように思う。


いまは、やはり時代なのだろうか、お互い優しい関係だ。褒めていくことで、そのノリの邪魔をしないように、逆を言えばそのノリを加速してあげるようなプッシュ型の関係のように思う。褒めていくことで伸ばす。ノリを加速させてあげる。そういう関係性のように感じる。協調型というか、お互い良い気分でそして良いところを伸ばしていく。。そういうスタイルのように思う。


まっ時代なのだから、それをとやかくいうのはよくないと思うが、そういう厳しい関係にあった時代のアーティストは、その後にカリスマとして存在感があって、その時代を代表する顔になり、ずっと輝いていっているのも、そういう関係性、その鍛錬のおかげなのではないか、と思うのである。


クラシックのリスナーに対して


”ポリーニ・アルゲリッチ世代”


と呼ばせるくらいの存在感になるということは、やはりそういう当時の時代背景があるのではないかと絶対思う。


いまの時代、そして今後のクラシック音楽界で活躍するアーティストで、このように呼ばれるだけの、時代の顔となるだけのアーティストが今後出てくるかどうか。。


自分はなかなか難しいのではないか、と考えている。時代が違う、時代背景が違うというしか言いようがない。


ポリーニは、そういう時代のカリスマだったので、その人が亡くなるというのは、まさに一時代の終焉で、自分のクラシック人生においてもひとつの区切りだな、と思うのである。



また最近、歳をとるにつれて、薄々感じてきているのだけれど、クラシックを学ぶという謙虚な姿勢、そしてコンサートに通って感動する、そういう自分の熱中度合いが段々希薄になってきているように感じる。


若いとき、とにかくクラシックを勉強したい。ショパン、ベートーヴェン、モーツァルト、シューベルト、シューマン・・・それぞれの作曲家の曲、それも交響曲、協奏曲、そしてピアノソナタ、ヴァイオリンソナタ・・・そういう曲を全部自分のものにしたい!


そういうガムシャラさがあった。


自分にとって新しい世界、未知な世界をもうどんどん吸収していく。もう無我夢中でガムシャラである。そこにはあまり理論とか理屈とか存在しなくただガムシャラに聴きまくってその都度新しい発見に感動する。そういう無我夢中という状態があった。


もう好きで好きでたまらない、である。そういう純真無垢な時代は、その時代に夢中になったもの、好きだったものは、後年、そしてものすごく未来永劫自分の中に残るものなのである。忘れ去ることができないものなのである。


ある意味この時代がいちばん大事なのかな?


歳をとってきて、経験やキャリアを重ねていくと、そういう好きという感覚と無我夢中という感覚がだんだんなくなって、どちらかというと俯瞰したモノの見方をするようになるんですね。それも自分の過去の膨大な経験をものさし基準とした俯瞰したモノの見方。


だから慣れと言うか、感動度合いもなくなってきて、すぐに忘れてしまい、後年、あまり自分の中に残らない。


だから自分にとって自分の世代のアーティストは未来永劫追っていくけど、歳をとってくると、若い世代のアーティストはすごく興味があって応援したいのだけど、頭や体がついていかない、というのはそういうことなのかな、と思っています。



でもいざ、若いアーティストの演奏を聴くと、もうすごく大感動するんですけどね。(笑)なによりも見通しが明るいというか、自分の中に潜んでいる閉塞感を一気にぶち破ってくれるようなストレスフリー、抜け感があって、最高に気持ちいいんですけどね。未来が明るい、可能性を感じる、そういう前向きな印象を受けます。


そのときにいつも後悔する訳です。もっと若い世代のアーティストのコンサートに足を運ばないと、と。


だから、自分にとって、ポリーニ・アルゲリッチは、まさに無我夢中で好きで好きでどんどん吸収していた時代の人。だからいつまでも忘れられないし、未来永劫、自分の中に残っているものだと思います。


自分にとってポリーニは、とにかくCDを聴きまくった人。ポリーニの録音はほとんど持っていた。

修業時代、まさに毎日ポリーニのCDを片っ端から1日中聴きまくっていた。


ショパン、ベートーヴェン、モーツァルト、バッハ、シューベルト、このあたりのいわゆる古典派の作曲家を主なレパートリーとしていて、やっぱり自分にとっては、ショパンとベートーヴェンがいちばんポリーニの演奏活動の中で核になっているところではないかな、と思う。


ショパンはやっぱり自分の出自だし、ここが自分のピアニストとしての原点、基本というところがあったと思う。そうしてベートーヴェンは、まさしく39年というピアノ人生をかけて、ピアノソナタを全集としてコンプリートできたところが大きな業績だ。まさにライフワークだ。



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ショパン練習曲集(エチュード) マウリツィオ・ポリーニ(1972)



ポリーニは、1960年ショパン・コンクール優勝後に一度10年間ぐらい演奏活動から遠ざかり、その後録音を再開した。


このショパン『練習曲集』は、多くの人を驚愕させ、彼の存在を世に知らしめたのだ。このエチュードは、完璧なテクニックと高い音楽性を発揮した、いまなおショパン演奏史の金字塔のひとつと称されている名盤中の名盤である。


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ショパン夜想曲集 マウリツィオ・ポリーニ(2CD)



「ショパン・コンクールに優勝して以来、ショパンは私の人生の一部になった」と語るポリーニによる夜想曲。ポリーニ80歳のときの最晩年の録音。結構自分の想い出深い作品です。結構ヘビロテで聴いていました。ショパンのノクターンは素晴らしいです!


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ベートーヴェン ピアノ・ソナタ全集 ポリーニ(8CD)




ポリーニのベートーヴェン:ピアノ・ソナタ全集が39年の月日をかけて完成。ポリーニが30歳代~70歳代に至るまでかかった。まさにライフワークである。単売CDアルバムは、全部で9点あって、それを全部集めていた訳ではないのだが、自分のアンテナに刺さったときは買い集めていた。でも完成してBOXになったら、もちろんBOXも買いました。




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モーツァルト ピアノ協奏曲第21番、第17番 マウリツィオ・ポリーニ、ウィーン・フィル



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モーツァルト ピアノ協奏曲第24番、第12番 マウリツィオ・ポリーニ、ウィーン・フィル




2000年代になると、自分が弾き振りをやってウィーンフィルとモーツァルトのコンチェルトをリリースしたりして驚いた。ところがこれが素晴らしいんだよね~。ポリーニってやっぱり上手いな~としみじみ思うくらい、あのモーツァルトのコロコロ感のある曲とポリーニの正確無比な精緻な打鍵とが相俟って最高なモーツァルトだと思いました。録音も素晴らしくて、この録音は結構自分のヘビーローテーションになってました。



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バッハ平均律クラヴィーア曲集第1巻 全曲 ポリーニ(2CD)



バッハの平均律クラヴィア集も出したりして、ポリーニがバッハ!!!新境地なのかな~という感じで驚いたこともありました。でも素晴らしくて、決してピリオドではなくモダンなアプローチな平均律でした。これもヘビロテでした。


ポリーニには、録音で特別の想い出があります。それはショパンのピアノ協奏曲第1番。ショパン・コンクールでファイナルでの課題曲である。自分はこの曲にずいぶん嵌ってしまったことがあり、好きで好きで堪らなかった。いろいろなピアニストの録音を集めて聴いていた時代がある。



最新録音の音のいい録音は確かにいいとは思うけど、自分がどうしても忘れられない、この曲だったら、この1枚というのがあるのだ。


それがアルゲリッチが優勝した時の1965年のショパンコンクールでのショパンピアノ協奏曲第1番。


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もうすでに廃盤になっていて、中古市場にしか出回らないディスクになってしまったが、自分はこの曲だったら、この演奏がどうしても忘れられない。ある意味、この曲の自分のバイブル的な存在にもなっている。


当時のコンクール・ヴァージョン的に編集されたショパンピアノ協奏曲第1番で、現代の完成度の高い作品と比べると聴き劣りするかもしれないが、自分の中では、この曲で、この盤を超えるものはないと思っている。



とにかくいま聴いても、身震いがするほど、新鮮で衝撃的だ。若い頃に、この録音を聴いて、当時のショパンコンクールでアルゲリッチが優勝した時ってどんな感じだったんだろうな~ということを夢想していたことを思い出す。


彼女の録音を買いまくっていくうちに、彼女の原点はこの1965コンクールの演奏にある、ということに行き着いたのだった。



なぜ、アルゲリッチのショパンコンクール1965の演奏なのか?



アルゲリッチは、その後、後年にこのショパンのピアノ協奏曲第1番を何回も再録している。でもそこには、自分がコンクールライブ盤で感じたような緊張感、鋭さというのを感じなかった。どこか、創り込まれている安心な世界での表現で、ビビッとくるほど緊張や感動をしなかった。


追い込まれた極度の緊張感の中でしか起こり得なかった奇跡、そんなミステリーがこのライブ録音にはある。


コンクール独特の緊張感、まさに伝説の名演奏。

この曲のこれに勝る名演奏はない。


アルゲリッチ本人も、このショパンコンクール録音が気に入っていたという話もある。


とくに第3楽章の冒頭でピアノが最初に入るところ。


ここはアルゲリッチのこのコンクール盤では、まるで鍵盤の上でピンポンが跳ねるように、じつにリズミカルに跳ね上げるように弾く。これが自分には堪らなかった。


それ以来、この曲を聴くときは、この部分はどうなのか?を聴いて、この盤はよい、よくないなどの判断をするようになってしまった。(笑)


それくらい自分にとって大事な箇所だった。


他のアーティストのこの曲の録音のこの部分は、大抵なめるように、軽やかなにさらっと弾き流すのだ。これが自分には物足りなかった。もっと強く鍵盤を弾くかのようにピンポン的に弾いてくれるのが好きだった。



アルゲリッチでこの録音に行き着いたとき、自分は当然、じゃあ、1960年優勝のポリーニのショパン ピアノ協奏曲第1番はどうなのだろう?と思うことは当然の成り行きだ。


なにせ、ルービンシュタインに我々審査員のだれよりもうまい、と言わしめたポリーニである。そのショパンコンクール1960のときのショパン ピアノ協奏曲第1番の録音がないかどうか、もう猛烈にポリーニのディスコグラフィを調べまくった。


ポリーニってこの曲にあまり拘りがないのか、後年この曲をきちんと録音として残すということはしていないみたいだった。ところが、ポリーニ・エディションという、いわゆるポリーニのDGからリリースされた録音全集のようなBOXがDGからリリースされた。


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このBOXの貴重な音源として、このポリーニが優勝した1960年のショパン・コンクールのときのファイナルのショパン ピアノ協奏曲第1番が収録されている、というではないか!!!


もう自分は色めきだった。

長年探し続けてきた恋人にようやく出会えたそういうときめきの瞬間であった。

もう即決で購入!


そしてドキドキしながら、そのショパン・コンクール1960のときのショパン・ピアノ協奏曲第1番のポリーニの演奏を聴いた。


ついに・・・という感じで黄昏がれて聴いていた。この曲はあまりに聴きまくったので、とくにポリーニだからとか、とくにめちゃめちゃ上手いとも感じず、それなりにまっ普通の演奏だな、と感じた。肝心の第3楽章の出だしのところは舐めるようにスラっと演奏していた。


でも、自分にとっては、あの伝説のショパンコンクールでのポリーニのショパン ピアノ協奏曲第1番が聴けて、溜飲を下げた思いである。


その後、学研から出ている過去のショパンコンクールの記録映像をDVDコレクションにした”ワルシャワの覇者”も入手して、ポリーニが優勝した1960年のショパン・コンクールでポリーニが演奏しているその姿も拝見できた。感動であった。


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ポリーニは、1960年のショパンコンクール優勝のときに、その当時の審査員長のアルトゥール・ルービンシィタインから、”ここにいる審査員の誰よりもうまい”と言わしめた伝説がある。


とにかくポリーニというと、”ピアノがうまい”というのが代名詞であるくらい高度な演奏技能を持ったテクニシャンだったと思う。ショパンのエチュード練習曲もそうだけど、とにかく人間業とは思えないようなコンピューターのように均等で正確なリズムを叩き出す打鍵の精緻さがあって、そしてなによりも安定感がある。語彙不足で申し訳ないのだけど、これだけの名演は存在しない、というくらい”ピアノがうまい”というそういうイメージが自分の中に強烈に存在している。


ポリーニはとにかくピアノがうまいのだ。そしてクール。コンサートやCDジャケットでも衣装はつねに、背広にネクタイ、紳士服姿。まさにクラシックの正統派の道まっしぐらの優等生で知性派のテクニシャン。技能は高くて熱いけど、見た目はクールで温度感低め。そういうピアニストだったと思う。


そうして、ルックスがいつも決まっている。加齢による劣化はあるにしろ、生涯そのアーティストイメージが固定だった奇遇稀な人だったと思う。


まさに、ポリーニ!!!である。


ベルリン・フィルが招聘するソリストとしては、ポリーニ・アルゲリッチは、クラディオ・アバドの時代にその全盛期を迎えた。


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いま現在のベルリンフィルは、招聘するソリストは、それこそいろいろ多彩だが、当時は、とくに録音が絡むと、ベルリンフィル側も顔になるソリストということで固定メンバーで宣伝することが多かった。


カラヤンの時代では、ヴァイオリンではムターで、ピアノではワイセンベルクとかである。で、アバドに時代になって、ピアノならポリーニ、アルゲリッチが顔として招聘されるようになった。


自分では録音では、このメンバー組み合わせで随分愛聴した。


とくにポリーニとアバドは盟友関係にあった。同じイタリア・ミラノ生まれの同郷の指揮者クラウディオ・アバドとは親友であり、芸術上のパートナーであり、数々の協奏曲で多くの共演を行っている。そして政治的・社会的活動においても志を同じくし、イタリア共産党員であった作曲家ノーノとも深い親交があった。


アバドの楽団、たとえばルツェルン祝祭管弦楽団などいろいろ共演を重ねた。


自分はやはりポリーニというとアバドと条件反射的に思い出すほど、このコンビ、ペアは仲が良く、まさに盟友という感じで自分の記憶に深い。


ポリーニといえば、見かけはクールなんだけど、結構、内は芯の強いものを持っているエピソードもあって、自分の記憶の中に強烈に残っている。



ポリーニは日本でのコンサート会場としては東京文化会館にこだわりを持っていた。


サントリーホールが完成した1986年でもすぐにはサントリーホールを使わず、東京文化会館を使用していたのだ。サントリーホールを使い始めたのは、1998年あたりから。ポリーニが言うには「東京文化会館は音の明晰さに特徴があります。その点サントリーホールと違います。とはいえ、現在の東京の音楽活動はサントリーホールが中心になっているので移したわけです。サントリーホールも素晴らしいホールで楽器を響かせる点では優れている。でも今でも東京文化会館のクリアな響きに郷愁を感じています。」と言っていました。


たしかに東京文化会館の小ホールは石造りのホールで室内楽スペースの容積で非常に響きが素晴らしい。ピアノリサイタルという規模であれば、サントリーホールの大ホールでやるよりも東京文化会館の小ホールでやるほうが響きも素晴らしく最適であろう。


でも、音楽ビジネスには収益規模という大事な要素がある。ポリーニくらいの大スターを海外から招聘するにはすごい費用が掛かる。それを小ホールの観客人数ではペイしないのは明白だ。やはり大ホールくらいの観客人数でないとその分の収益を回収することが難しいのが現実である。昨今のコンサートでは、ピアノリサイタルや室内楽を大ホールでやるのはそんな理由もあると思われる。もちろん響きの観点からは、室内楽はやはり小ホールでやることがベストだとは思うのですけどね。


自分は、ポリーニの実演は、意外なことに1回しか経験がない。

自分にとって、ポリーニといえば、もうCDの人、録音の人なのである。

録音で徹底的に聴いた人なので、なかなか実演に足を運ぶというのが遅かった。


2010年10月のサントリーホールでのピアノリサイタルに足を運んだ。


このとき、ポリーニが自分のリサイタル(サントリーホールのときだけ?)でいつも実現しているポリーニ・シートというのも目にすることができた。


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この写真のように、お客さんをステージにこのようにピアノの周りに座らせる特別座席を用意するというものだ。

ポリーニのじかに弾いているところを間近で見れるという特別待遇だ。



1.ショパン 24の前奏曲

2.ドビュッシー 6つの練習曲

3.ブーレーズ ピアノ・ソナタ第2番



ポリーニは後年、ドビュッシーもレパートリーに入れるようになり、それを聴けたのがうれしかった。ブーレーズのピアノソナタ2番は大曲で凄かったですね。


この座席だと、ピアノの打鍵の響きがつぎつぎと重なり、飽和して聴こえるような音響でちょっと困惑しました。ピアノリサイタルではここはあまりよくないかもしれない。


なによりもポリーニの実演をじかに見れた最初で最後のコンサートであった。

いまでもよく覚えていますよ。


その後、日本には何回も来日してくれて、その都度行くチャンスがあったのだけど、ポリーニは晩年で、やはり全盛期の頃からからすると衰えが激しいとか、あまり芳しい評判は聞こえてこなかった。ポリーニの晩年は、晩節を汚すというところもあったと思う。これだけ衰えが大きくても、ポリーニというビッグネームに人は集まる。自分は、そんなヨレヨレのポリーニを聴くのが、正直なところあまり気が進まなかった。ポリーニのチケットはすごい高額ですし。



イタリアの世界的ピアニスト マウリツィオ・ポリーニ 82歳。本人に悔いはない人生だったと思う。

そして大ピアニストとしてのその痕跡は、クラシック音楽界に多大なる影響をもたらし、これからもそれで勉強していく音楽家、クラシックファンは多いと思います。


偉大なピアニストだったと思います。


心からご冥福をお祈りします。


R.I.P.















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永代供養 [葬儀・墓・供養]

父と母が自分の命と引き換えに子供たちの自分に教えてくれた葬儀のしきたり。自分は奥さん、連れ合いがいないので、おそらく葬儀は、この父と母の葬儀が終わったことで、今後、自らが葬儀を取り仕切ることももうないだろう。


葬儀は、やはり自分が当事者とならない限り、ほんとうの意味で理解することは難しいと思うのだが、でもよく考えてみるとここは事前にアドバイスしてあげておかないと、その葬儀当日になって本人たちも路頭に迷ってしまうこともあると思い、まっ、あくまで自分の経験に基づくものだけどアドバイスすることにした。


人生の中で、葬儀を取り仕切るというのは、父と母と、連れ合い、そして不幸が重なって自分の子供という大体これだけじゃないか。それ以外に取り仕切ることはないと思う。


自分は奥さんがいないので、父と母だけだ。


それでも父と母の葬儀を取り仕切っただけでも、よくやった!子供としての責任を果たした、と自分を褒めてあげたい。父と母の葬儀は、子供にとって絶対避けて通れない人生最大の試練だ。誰しもがこの難関を通らないといけない。


お金のことなんだが、やはりこういうことはあらかじめアドバイスしてあげておいたほうがいいのではないか。葬儀当日になって、これは困った!と路頭に迷っても困るだけだ。自分は知っているのに、そのことを言わないのもなんか気が引けて・・・


やっぱり葬儀を取り仕切る、ということは、最終的に費用の問題、お金に関する問題に行き着くというのが自分の偽らざる印象だ。


葬儀になった場合、喪主と施主という2人の役割を親族の中で決めないといけない。


「喪主」・・・葬儀を執り行う責任者。 故人様に代わり参列者を迎える遺族の代表者。

「施主」・・・葬儀費用を負担する人。


父親が亡くなった場合は、喪主は母親で、施主は長男が担う。父がすでに故人で、母親が亡くなった場合、喪主と施主は長男がおこなう。(あるいは家庭の事情で、喪主は長男、施主は長女という場合もあるだろう。)


自分の場合、オヤジが2014年に亡くなったときは、喪主はおフクロ、施主が自分。そして今回のおフクロが亡くなったときは、喪主・施主とも自分が担った。


葬儀というのは、葬儀費用を払う人、施主が一番のキーパーソンだと自分は思う。


葬儀自体は、もう葬儀会社はその道のプロなので、葬儀会社がきちんと葬儀のルール、しきたりに則って、その通りに進行してくれるので、自分たちはそのレールに乗っているだけなのだけど、問題は葬儀が終わりました。はい、請求書がきました。それ払ってください、というときに、それが支払えるかだ。


亡くなられた場合は、とにかく焼かないといけない。(笑)そのままだと腐敗してしまうので、とにかく焼かないといけない。だから一連の葬儀は終わらせないといけない。そしてお骨にしてお寺に納骨してそれで一件落着。それはもうきちんとレールが敷かれているので、遺族はその通りに従うだけなのだ。


それは、2~3日で全日程が終わってしまう。3日あれば、すべて終わってしまうのだ。


いちばん親族にとって緊張する場面は、その支払いのときに、どれくらい請求されて、それを現金キャッシュできちんと支払えるかどうかだ。自分の父と母の葬儀でお世話になった葬儀会社だけかどうか、わからないけど、葬儀会社ってクレジットカード払いは受け付けないのだ。あくまで現金キャッシュのみしか支払いは認めない。


だから自分の口座残高で何十万円、百万円近くを預金で持っていないとダメなのだ。請求が来たら、葬儀が終わった後、すぐに銀行のATMで何十万と降ろして、すっきり現金払い、そういう世界なのだ。


介護施設の母親がかなり具合が悪く、覚悟しておくように。。。と病院から最後通達が来たとき、まず親族にとって、とりわけ長男である施主の自分が心配したのは、葬儀の支払いがニコニコ現金払いできるかどうか、だった。


お金の話というのは、芸術面でもそうだけど、あまり表に出すと、はしたない、お金のことはあまり表で言うもんでないというのが、世間の常識だが、そういう綺麗ごとを言う人は大体そういう汚れ役を担っていない人の場合が多く、実際物事がちゃんと動いているのは、そういうお金の面を下支えできちんと綺麗に処理しているから物事はスムーズに進んでいるように見えるのだ。


なので、まず両親がご健在の場合、まずそういう将来に向けて、現金でその分の預金の確保をしておくことをお勧めします。あとで説明するが、通常みんな生命保険に加入している場合が多いから、その生命保険が降りてから、葬儀会社に支払いしても大丈夫だとは思います。事情を説明すれば、葬儀会社は待ってくれるとは思います。


そんな自分の預金で、何十万、百万の残高、余裕であります、なんてあまりないですよね。(笑)


自分の経験から、親戚などのご香典が集まって、その香典全部集めると、葬儀代が全部ペイしてしまう、という経験もあった。自分の父親の葬儀がそうだった。なんだ、葬儀ってあっけないな~ご香典で採算とれるなんて・・・と思ったことがある。


でもご香典は水物。あまり綿密にあらかじめの見積もりには入れておかない方がいい。案の定、今回の母親のご香典はあまり集まりませんでした~。(笑)大赤字です。。。



まず、親の葬儀に向けての準備段階として、もしものときに、どこの葬儀会社を使うかをきちんと決めておくことだ。地方の地元であれば、大体そこひとつというくらい決まってくる。首都圏だとたくさんある。


母親を介護施設に入所させるときに、もしものときは、どこの葬儀会社に運びますか、ということを決めさせられるのだ。だから、今回も病院から母親ご逝去の電話を朝4時に受けたら、すぐにその葬儀会社に、その病院施設に迎えに行ってくれ、という連絡をした。そして病院にも連絡をして、そのまま母親の亡骸をその葬儀会社に安置してもらった。ドライアイス付きで。


そして自分と妹はすぐその日に北海道に飛んだ。こういうとき、ANAアプリってめちゃくちゃ便利です。PC、スマホひとつで、思い立ったそのときにその場ですぐに航空券チケット予約できて、支払いできて、そのままスマホのe-ticketでチャックイン、搭乗できる。もうもとの時代には戻れませんね。


夜の7時頃にようやく葬儀会社に到着。妹夫妻はすでに到着していた。

母親の安らかな顔を拝む。


そこから葬祭プランナーと呼ばれる人が来て、我々遺族と実際の葬儀の進め方について、ディスカッションを始める。どういう葬儀にするか、その葬儀プラン、その段取りと、実際の支払いの見積りだ。ここのステージがいちばん重要なのではないか。ここですべてが決まって、あとはこの敷いたレールの通り進むだけ、それをこなしていくだけだから、最初のこの葬儀プランを決めるときが1番重要である。


死亡診断書を受け取る。

死亡届などを地元の区役所、市役所に届けてくれるのは葬儀会社がやってくれる。

死亡診断書のコピーをもらう。複数枚。生命保険請求のときなどにつかう。


葬式の形態としては、家族だけで見送ってあげる”家族葬”がいちばん費用も掛からないし一般的なのではないか。


まず、お寺に連絡しないといけない。お坊さんの手配なんだが、納骨の際にお世話になるお寺にお願いするのが当然だ。


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オヤジのとき、初めての葬儀だったので、勝手がよくわからず、とにかくノンノン家は、浄土真宗 西本願寺の宗派であることを葬儀会社にお伝えしたら、葬儀会社の方で探してくれた。


結局、オヤジはそのお寺に納骨していまも眠っている。


まず、自分の家の宗派をきちんと知っておくこと。親戚、ご先祖さま含めて調べてちゃんと知っておかないといけない。葬儀はその宗派のお寺のお坊さんにお世話になるべきである。


浄土真宗 西本願寺派・・・浄土真宗 本願寺派


あまり細かい儀式作法は好まず、ざっくばらんな気安い作法を望む宗派だそうで、自分の家に合っているなとは思います。


だから、オフクロの場合は、そのままそのオヤジのお寺にお世話になることは至極当然のレールである。


そのお坊さんの手配、スケジュール次第で、お通夜、告別式、そして霊柩車、火葬場の予約のスケジュールが事細かくつぎつぎと決まっていくのだ。まずお坊さんの手配。


そのお寺のお坊さんが母の亡骸が安置されている葬儀会社にやって来てくれる。


枕経(まくらぎょう)をやっていただく。


枕経(まくらぎょう)とは、仏式の葬儀で納棺の前に故人の枕元で読経すること。 危篤の際に親族が家へ集まり、僧侶に依頼して危篤状態の人の枕元でお経を読むことで不安を鎮める。 臨終後、霊が迷わず成仏するように導く意味を持って枕経があげるなど、枕経の意味については、諸説ある。


母の場合は、事が終了した後なので、後者の意味合いが強い。母の亡骸が安置されている前には、ろうそく、小さなテーブルとちょっとしたご焼香セットが置いてある。お坊さんがお経を読んでいる間、遺族はご焼香をする。


亡くなった場合は、”戒名”というのをつけないといけない。

戒名と言うのは、あの仏様、極楽浄土の世界での名前である。


我々のいまの名前は現世、俗世間に住んでいるときの名前である。成仏して仏様の世界に行く場合は、その俗世間の名前じゃダメなのだ。戒名して、その仏様の世界での名前にならないといけない。


これを戒名と言う。


戒名は、浄土真宗 本願寺派では、法名という呼び方をする。浄土真宗では、”法名=戒名”なのである。


法名は絶対つけないといけないのだ。


浄土真宗では、他宗派の道号に当たる部分がなく、この部分に男性は「釋(しゃく)」、女性は「釋尼(しゃくに)」という字が入ることが特徴である。


男性が「釋」、女性が「釋尼」


と名付ける。


男性なら、釋(しゃく)〇〇、女性なら、釋尼(しゃくに)〇〇


というように名付けられるのだ。法名の名付け親は、そのお寺さんである。

位牌には、この法名が書かれるのだ。


釋というのは、浄土真宗では「仏様の弟子」という意味である。


この法名をお寺さんの方で決めるにあたって、その枕経のときに、お坊さんがいろいろ我々家族の生い立ちや、母の好きだったこと、得意だったことを聞きだす。なるべく母の素性にあった名前をつけてあげたい、という配慮からである。



●戒名と法名はなにが違う?


戒名は、「人間は死後、仏の世界に旅立つ」という仏教の独自の考え方がもとになっている。俗世間の名前に対して、仏の世界での名前。


法名というのは、戒名の浄土真宗における呼び方。戒名=法名。


浄土真宗では、法名の上についている「釋(釈)」とは、仏弟子であることを意味している。他の宗派と比べると短く感じるかもしれないが、浄土真宗の宗祖である親鸞でも「釋親鸞」となっている。


なお、本山に進納された方やお寺に貢献された方には「院号」が授けられることがある。


この院号をもしつけるとなると、院号をつけるだけで、さらに20万円かかるので、これは院号なしにしてもらった。父親のときもそうだったので、母親の場合もそれにならう形にしてもらった。


院号はなし:院号をつけるとなると20万円かかる。


これはひとつのポイントで、北海道だけの慣わしなのかもしれないが、お寺さんに払うお布施と、葬儀会社に払う費用とはまったく別会計である。葬儀会社に払う何十万(あるいは百万単位)という費用とは別に、お寺さんには別途お布施という形で何十万という費用を払わないといけない。


だから葬儀にかかる費用とは、


葬儀費用+お寺さんへのお布施+そうしてお寺さんへの納骨するための費用


この3要素の加算結果と言えるのではないか。お葬式にかかる費用と言うのはこの値段のことを言っている。親が亡くなったときにかかる費用は、この3ファクターの合計値である。


葬儀会社の葬祭プランナーと呼ばれる人と具体的に葬儀のプランについて決めていく。


葬儀の形式は、ほんとうに細かく要素分けされていて、


祭壇のお花:10万、遺影:5万、お棺:3万、ドライアイス:2万、お食事:10万・・・などなど。


こういう要素をどんどん組み合わせていき、葬儀費用の合計が決まっていく。お花はこれでいいですか?お棺はこの色でいいですか?ドライアイスはこれくらい?お食事のメニューはこの中から選んでください。。。などなどその都度葬儀会社のマニュアルの写真の中から我々が選んでいくのだ。


そうして決まった順に、それをどんどん書いていく。


基本は2014年のときの10年前の父親のコースと同じにしてください、と依頼をして、その当時の記録用紙を持ってきて、それに右倣えである。


施主の自分は、もうこのときからもうすごいドキドキ。どんどん負債が溜まっていく感じで、もう気になるのは、その合計値はいくらなの?というところに集中してしまう。そうして最後に電卓で合計値をパチパチ計算しているときの心臓ドキドキMAXのすごいこと。(笑)


出てきた金額は、まっ自分が事前に聞いていた値段とほぼ変わらなく、ホッと安堵である。


そこからコストダウンをしていく。削れるところは削っていく。お花は10万もいらないんじゃないの?もっと小規模でいいですとか・・・でもお花をコストカットしたのは、ちょっと後悔しています。父親の祭壇の豪華さを覚えているので、母親のときはちょっと質素な感じで可哀そうなことをしたな、とすごく後悔しました。


遺影の写真は常日頃から遺族の方は、気をつけておこう。遺影の写真は、遺族のみなさんが普段持っているいわゆるあのプリント型のあの写真でいい。亡くなった人が映っている写真があれば、それでそれがその人のことをいちばん如実に語っているそういう表情をしている写真があれば、それでOKだ。


あとはクロマキーのように、その人物だけを抜き出し、ちょっと表情に笑顔を含ませるとか、背景の色、デザインとか、あるいはなんだったら服装も変えられる、そういう加工は全部葬儀会社の方でやってくれる。そうして出来上がった遺影の写真が、これがまさしくプロの出来栄えなのだ。もう素晴らしいとしかいいようがない。


あのいわゆる写真があればそれでOKだ。もちろん終活活動として、遺影用の写真撮影を別途してもOKだし、フィルムカメラのフィルムを渡してもいいしデジカメのSDカードをそのまま渡してもOKだ。紙の写真でいい、というのが素晴らしい。


オヤジは、釣りが大好きで終生の趣味だったので、その釣りをしている写真がいちばん活き活きとしていて、オヤジらしく素晴らしいと思ったのでその写真を選んだし、母親は実家の自宅でくつろいでいるその表情が素晴らしい写真を選んだ。


ちなみに、この遺影写真を手帳サイズの立て掛け型の写真として作ってくれることも葬儀会社の方でやってくれる。


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遺影写真は大きいし、遺族だけが持つものだが、こういう手帳サイズの立て掛け型にすれば、父親方の親族、母親方の親族に配ることができる。そして葬儀の状況の報告の添え状を兼ねて。大体4,000円くらいで出来てしまう。葬儀会社の方で枠も含めてそういうサービスをやっています。これが親族には大好評なのです。(笑)


葬儀のお通夜、告別式に入る前に、”湯灌(ゆかん)”、”納棺”という作業をおこなう。

これも重要な儀式だ。我々遺族は、このときもそれに立ち会う義務がある。


”湯灌(ゆかん)”という行為は、亡くなったままの病院の衣装でそのまま安置されている母親だが、ご遺体の表情や髪型、服装を整え、外見上の美しさをよみがえらせることをいう。


身体を清掃し、衣服を白装束に着替えさせる。そして髪を解かして、きれいに化粧をしてあげる。これをやってくれる人はまさにプロだ。ふとんをかぶせたまま、清掃、着替えを見事に済ませてしまう。死化粧のときは、我々遺族1人1人が交代で筆で顔に化粧を施してあげる。


もう見違えるような感じである。


そうしてあらかじめ、葬儀プランで決めていたお棺に納棺する。そのときのご遺体を抱えて、お棺に入れる作業は、我々遺族がやらないといけない。喪主である私は頭部のところを担当。それぞれの遺族が身体の他の部分を担当する。すべって落としたりしたら大変なので、すごく緊張します。


無事、お棺に納めることが出来たら、本人の大切していた宝物や記念ものもいっしょにいれてあげることも可能である。


妹の意見でお棺に色をピンクにしたのだが、女性らしく可愛らしくてよかった。



葬儀と言うのは、


お通夜 17:00などの夕方。その日に泊まる。

告別式  9:00~火葬場


この行事のことを言っている。


お通夜というのは、大体夕方の時刻に設定するものである。

お通夜でお坊さんにお経を上げてもらい、遺族たちは焼香する。


葬儀のときはやはり喪服と数珠は必要ですね。


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喪服は男性の場合は、いわゆる冠婚葬祭の礼服で十分です。自分なんか、ヨーロッパの夏の音楽祭は、もう礼服を着ていくので、喪服と兼用してますよ。(笑)数珠はやっぱりあったほうがいいです。数珠は葬儀のひとつのマナーというか常備しておく必需品だと思います。


葬儀での遺族のやることは、ご焼香です。焼香のやり方、作法は、その宗派によって作法が違うんですね。浄土真宗 本願寺派の焼香の作法というのがあります。


そして、葬儀会社の葬儀会場というのは、通常その会場の横側に和室の広間があって、そこで寝泊りや食事ができるようになっている。お通夜の儀式が終わった後、その和室の畳敷の広間で、”通夜振る舞い”というのをおこなう。


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”通夜振る舞い”というのは、通夜の後に設けられる食事会のことである。 通夜振る舞いは単なる食事会ではなく、「喪家が僧侶や弔問客に対して感謝の意を表す」「故人を偲ぶ」という2つの意味がある。 喪主が僧侶や通夜の弔問客に対する感謝の気持ちを表すために、お酒や食事を振る舞ったりする。


そして自分や妹夫妻のような直接の遺族は、そのままその日はその和室で泊まることが普通だ。

母親といっしょに最後の晩を過ごす、という意味である。


自分はお通夜、告別式とある内、このお通夜のときが、いちばんじ~んと来ることが多い。


この最後の晩、妹夫妻と夜遅くまでいろいろ語り合った。いい気分晴らしになった。



そして翌日、告別式。お葬式の本番はこちらのことをいいますね。告別式は午前中朝早く行うことが普通です。お坊さんにお経をあげてもらい、ご遺族たちはご焼香。


そして告別式が終わると、火葬場に行く訳だが、その最後の遺族とのお別れで、お棺をあけて、花がたくさん用意されていて、その1本、1本を遺族の人が、母親の顔の周り、そして身体と母親の花でいっぱいにする。


最後のお別れである。


自分は父親のときもそうだったが、この告別式が終わって火葬場に行く前の最後のお別れのとき、花を1本、1本埋めていく作業のときが、いちばんじ~んと来て涙が出そうでつらいですね。このときがいちばん感傷的になります。


なんともいえない瞬間です。

葬儀で自分がいちばん感傷的になるときです。


母親に産んでくれてありがとう、いままで育ててくれてありがとう。


と感謝を述べました。


そして火葬場に直行。


火葬場はだいたい街の外れにある場合が多い。霊柩車、自分たちの場合はバスを使用しましたが、母親と遺族で火葬場に向かう。


火葬場は大きな炉が何か所もあるという感じで、無機質な空間だ。


そこで母親のお棺をそのまま火葬炉の中に電動式で入っていくときはなんとも複雑な境地だ。あ~ついに・・・という感じである。


そうして1時間半くらい待合室で待つ。


オヤジのときもそう思ったのだけど、人間って焼かれた後というのは、こんなに見事なまでに骨だけになるのか、というそういう驚きがすごい。物の見事に骨だけになっている。


どれくらいの火力で焼けばこうなるのか、かなり高温じゃないとこうはならないのではないか、と思うのだ。すごい火力のはずだ。


そして、これから”骨上げ”をおこなう。


骨上げは「収骨」とも呼ばれ、火葬が終わった後に遺骨を骨壷(収骨容器)におさめる儀式のことを指す。 遺骨は手ではなく、長さが揃っていない木製と竹製の箸を用いるのが基本である。 その先頭を切ってやるのが、喪主そしてつぎに施主がやる。骨上げは日本独自の慣習であり、世界ではあまり見られないそうだ。


火葬場の人が、喉仏の骨をみつける。これは別途違う袋に入れる。

そして頭のてっぺんの骨も最後に入れる。


たくさんの骨の中から、喉仏の骨をいとも簡単に見つけてしまう火葬場の人はほんとうにプロとしか言いようがない。毎日やっているから、簡単に見分けられるのだろう。


あとは遺族全員でお骨をお櫃に入れる作業である。

もうこのときは無機質な気持ちである。


これで無事母親はお骨となった。


そしてまた葬儀会場に戻って来て、繰り上げ法要という形で、四十九日の法要を繰り上げてお経を読んでいただいた。


それで正式に告別式終了である。母親の葬儀はこれで全日程終了である。


心地よい疲労感。ついにやり遂げた~という気持ちである。


あとは、お寺さんへの納骨である。


これまた説明する必要があるだろう。


いわゆるお墓ってどれくらいするか知ってますか?


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墓石代が、60万~200万、墓地代が、35万~130万。

総額が、100万~350万円もするものなのです!


信じられます???(笑)


こんな高いんですよ。


これもこれから述べますが、葬儀費用は、ふつう200万~300万掛かるのが世間の相場です。そしてお寺さんへのお布施はたとえば自分の場合で、地方の田舎のお寺ですが、20万円でした。そうして、お寺への納骨、つまりお墓が100万~350万です。


そうすると、葬儀にかかる費用と言うのは、


葬儀費用+お寺さんへのお布施+そうしてお寺さんへの納骨するための費用(お墓)


ですから、


200万~300万+20万(地方の田舎)+100万~350万


で、320万~670万かかる!ということなのです。


信じられますか??これが現実なのです。葬儀にかかる費用というのはこれだけ莫大な金額が必要で、これが現実なのです。


ちょっと普通の人では無理でしょう?


でも父親、母親は、かならず将来自分より早く亡くなります。

両親の葬儀は自分がやらないといけません。


もうこの現実が自分にとって若い頃からの憂鬱、ブルーな悩みでして、将来どうしよう~といつも考えていました。


いちばんあり得るケースとしては、親の親族の代々の御先祖さまのお墓に入らせてもらうというパターンです。ご先祖様が立派なお墓を持っていらっしゃる場合は、そのままそのお墓に入らせてもらうというパターンです。


これが現実問題、いちばん多いんじゃないかな?


オヤジが亡くなった2014年の葬儀のとき、自分はお墓のことはまったくノーアイデアでした。お墓どうするんだろう?と不安には思っていましたが、どうしようもない。なにか解決できるわけでない。


そこで葬儀に参列いただいたオヤジの弟さんから、九州佐賀県のノンノン家の実家に代々のご先祖様のお墓があるから、そこに入れようか?と提言してくれました。


あるいは永代供養というスタイルがあるよ。


永代供養?


ここで、自分は初めて”永代供養”ということを知りました。



永代供養(えいたいくよう)とは、遺族に代わって、寺院や霊園がお墓の管理・供養をする埋葬方法のことをいいます。 寺院や霊園の管理者が、お墓掃除や供養を一挙に引き受けてくれるため、遺族はお墓参りの必要がありません。 そのため、遺族に負担をかけたくない方や、身寄りのない方からよく選ばれているのです。


いわゆるお墓というのは、墓地を購入して、そこに墓石を立てる。その管理は遺族がやらないといけないんですね。放っておくと、どんどん草ぼうぼうになるし汚くなり、仏さん可哀そうです。だからお盆はもちろんのこと頻繁にお墓参りをしてお墓掃除をしてあげないといけない。


でも永代供養(えいだいくよう)というのは、お寺の中に納骨堂というお骨や位牌を格納するボックスがあるんですね。いわゆる駅に中にあるコインロッカーのようなものをイメージしてくれればいいです。その納骨堂ひとつひとつにその1人のお骨、位牌を納めていくのです。


そして納骨堂の管理、つまり清掃などは、すべてお寺んさんの方でやってくれます。


永代供養のポイントは。永代に渡って祀ってくれる、という意味です。たとえば自分の場合ですと、両親の子供は自分と妹しかいません。その自分や妹が亡くなってしまうと、ふつうのお墓であれば、そのまま誰もお参りしてくれない無縁仏になってしまい、墓も草ぼうぼうで荒れ放題。そうなるとあまりに仏んさんが可哀そうです。


そういう無縁仏にさせないために、永代供養というスタイルが登場したのです。お寺では、かならず年会費を徴収しています。年会費は、そのお寺の総本山への上納と、あと納骨堂の管理費を含んでいます。自分の場合で大体年間1万円くらいです。


お寺には、自分と妹の連絡先を伝えてあります。たとえば自分が亡くなると、お寺さんは自分と連絡が取れなくなるので、妹に連絡をする訳です。年会費払ってください、ということで。そうして妹が今度は払い続ける訳ですが、妹も亡くなった場合、お寺としては妹とも連絡が取れなくなった場合、もうオヤジとオフクロの納骨堂にお参りに来る人はいなくなった、と判断します。


つまり無縁仏になったと判断します。


そうすると、お寺の方では、その納骨堂のお骨や位牌を、他の人といっしょに合祀する、というか、そうやってその人の供養をお寺が末代、永代まで供養する、というステージに変更するのです。


その合祀のやり方は、具体的には知りませんが、いままで個人ベースでの参拝ということで、納骨堂で管理していたお骨と位牌ですが、無縁仏になったと同時に、他の人と合祀して、その管理スペースが変わると思います。そして、そのお寺が永代に至るまで供養していく、というステージに変わります。


これが”永代供養”というものです。


・お墓の代わりに納骨堂。

・無縁仏になったら、お寺のほうで永代供養。


これが永代供養の大きな特徴だと思います。


自分はオヤジの葬儀のときに、永代供養ということを初めて知って、オヤジは浄土真宗 本願寺派の永代供養のお寺さんに埋葬しようと決めました。


永代供養は、とても便利ですよ。なにせ、お墓が、お寺さんの中にありますから、いつもお寺さんの方で、綺麗に清掃されていて清潔感溢れる感じでいいです。そしてなによりも法要とか法事とか、あるいはひさしぶりに北海道に帰省して、オヤジのお墓参りをしようとしたら、お寺さんにお願いすれば、お寺の荘厳立派な広い祭壇会場のところでお経をあげてもらうことも簡単にできます。


ふつうお墓参りというと、お墓を掃除して、お花を添えて、そして墓石に水をかけて、そして合掌する、というのがふつうだと思いますが、永代供養スタイルですと、納骨堂からお骨と位牌を自分が運んでお寺の祭壇会場にセッティングするだけでいいです。そしてお寺の立派な祭壇にオヤジのお骨と位牌をセッティングして、そのままお坊さんにお経を上げてもらえるのです。


ふつうのお墓参りよりもぜんぜん仏んさんに優しいと思います。

お墓とお寺が同じお寺内にあるから可能なことだと思います。


いまオヤジとオフクロは、同じ納骨堂に収まって、あの世でも夫婦めおとで仲良く佇んでいます。同じ納骨堂に納める、というのはお寺さん側のアイデアで大変うれしい心遣いだと思って感謝しています。(ブルーがオヤジのお骨で、オレンジがオフクロのお骨です。)


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永代供養の相場は、40万円だと言われています。自分の場合、オヤジのときに初めて永代供養墓(納骨堂)に入所したので、40万円払ったです。自分が20万、オフクロが20万の折半で賄いました。


もちろん北海道の地方都市での話ですが、首都圏でもこの永代供養というスタイルは登場してきています。


東京広尾にある”了聞”という永代供養のお墓。


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こんな立派なんですよ!詳しくは資料を読んでいませんが、永代供養墓は30万円だそうですよ!俗社会時代では、東京・広尾といったら、まさしく高級住宅エリアでまったく歯が立たなかったエリアですが、あの世に行ったら、広尾の永代供養墓で暮らすというのもなんかいいですね。(笑)


FacebookやInstagramは相変わらず自分に優しいので、そのときそのときで自分に合った適切なコンテンツをプッシュしてくれます。最近はこの永代供養のコンテンツひと筋です。(笑)


先祖代々のお墓に入れてもらう、というのが手っ取り早くていいと思いますが、そういう所縁がない人も多いと思います。自分の場合、オヤジを九州の実家の先祖のお墓に入れる提案もありましたが、そうするとオヤジのお墓参りに九州まで行かないといけない。これも大変かな、と思いました。


東京から北海道や、東京から九州だと飛行機代や旅費など変わらないかもですが、やはり両親は慣れ親しんだ土地で眠るのがいいのだと思っています。


そうして、最後に肝心の葬儀費用です。


世間一般では葬儀費用は、200万~300万かかると言われています。最近は小さなお葬式とか、あまりに費用が掛かり過ぎるので、いろいろ工夫されているようですが、自分が昔から知っている相場はこのくらいです。


でも葬儀を賄う会場、葬儀会社には”互助会”という組織があります。


互助会のもともとの発端は、葬儀代があまりに高額で、低収入家庭の人はとても葬儀が上げられないので、そういう貧困層のための葬儀会社としてスタートしたのが発端です。


自分の実家のある町にある”ベルコ会館”というところは、その互助会の組織のメンバーです。

だから市民にやさしい葬儀会社なのです。


なにが優しいか、と言いますと、そのベルコの葬儀プランの中で、積立していくコースがあり、大体毎月3,000円くらいの額を毎月積み立てていきます。そうして、3,000×64回=192,000円で完結です。


こういう積み立てプランに入っていると、いざ葬儀のときに、普段なら100万~300万掛かる葬儀費用を、そのコースを完済した会員特権として、会員お徳プランという激安で基本プランを使えますよ、という仕組みなのです。


たとえば、オフクロのときは、この3,000円×64回のコースを2本積み立て完了(384,000円)していたので、実際かかった葬儀費用は60万円以内で済みました。


これだけの激安で済ませられたのも、この互助会という組織の一員である葬儀会社を使ったこと。というか、私の実家の町では、葬儀はこのベルコ会館でやるしかほかに選択肢はないわけですが。。。(笑)


この互助会という組織の一員である葬儀会社は全国でもたくさん存在します。東京でもたくさん存在します。2014年の父親のとき、将来の自分の葬儀のために、この互助会に属している東京の葬儀会社のリストをベルコ会館からもらいました。


ベルコ会館というところは、もともと大阪に本社があり、大阪の会社だそうで、でも全国各都市に存在するそうです。東京にも存在するそうなので、自分の葬儀は、このベルコ会館にしようかな、とか考えています。(笑)親子代々でお世話になります。


そのためには積み立てしとかないとダメです。月3,000円でしたら負担小ですね。月々での支払いではなく一括で払ってしまってもいいらしいです。母親と同じく2本完遂しておくには、384,000円一括で払ってしまっても無理な額ではないんではないでしょうか・・・。そうすると葬儀代は60万以内で収まります。



葬儀にかかる費用と言うのは、


葬儀費用+お寺さんへのお布施+そうしてお寺さんへの納骨するための費用(お墓)


ですから、自分の場合は、60万+20万+40万=120万円


納骨するための費用40万円は、最初のオヤジの時だけです。2回目のおフクロのときは必要ありませんでした。


いま葬儀代の相場と言われている200万~300万という額からすると,120万円で済むのは格安な方なのではないでしょうか。もちろん、葬儀終了とともに2~3日以内に、現金キャッシュで払わないといけません。(笑)


施主にとって、この葬儀代をどこの財源から持ってくるか、というのが重要なことです。将来、施主になる立場の人のつねに考えておかないといけないことです。


もちろん自腹で払ってもいいですが、いくら格安とはいえ、120万も自分の自腹って痛くありませんか?(笑)


やはり親に生命保険に入ってもらうことです。受取人は施主の自分にしておきます。

そうすれば大きな出費でも痛くありません。


オヤジは病気をたくさん抱えた後に、生命保険に入ろうとしましたが、案の定入れず。生命保険なしでした。葬儀代は自腹を覚悟しましたが、ご香典が予想以上に集まり、結局葬儀代はほとんどペイしてしまいました。


そのときのオヤジの教訓で、その2014年におフクロを強制的に生命保険・医療保険に強制加入させました。私が月々の保険料払っていました。


今回の出費も無事そこから賄えそうです。


もう、ご両親を生命保険に加入させる、というのは誰もがやっているあたりまえのコモンセンスなのではないでしょうか。まずこれは基本ですね。


生命保険というのは、昔からあるスタンダードな正攻法ですが、最近は、”葬儀保険”というのもあるみたいですよ。やはり葬儀はお金がかかるので、そのための専用の保険です。昔は存在しなかったので、最近誕生した保険サービスなんですね。なんでも月1,000円の掛け金で、300万の葬儀保険金が下りるみたいですよ。まさに葬儀に特化した保険ですね。でも月1,000円というのは注意が必要ですね。自分の医療保険もそうですが、健康体の人が、1,000円なのであって、持病をいろいろ持っている人は、もっと保険金が高くなったり、あるいは最悪保険に入れない場合もあるかもしれません。ここは宣伝文句に注意と言うか罠の場合もありますので、よく確認されることをお薦めします。


あと、これは葬儀とは関係ないですが、老親の介護のときの注意点を書いておきます。


親が高齢になるにつれ、病気で五体満足でなくなり、介護が必要になり、介護施設に入ったりします。そのときの介護費用は、バカになりません。かなり高額です。


その費用は誰が払うのか?


それは当然親の銀行通帳から払ってもらいます。

親の月々の収入、年金額に見合ったレベルの介護施設を選ぶ必要があります。


親がちゃんと認識力があって、子供に自分の通帳と銀行認印を渡して、子供に入所手続きを代役でやってもらう、という状態だったらなんら問題ありません。


ところが親の認知症や認識力、理解力に問題ある場合、その代用手続きが不可能な場合はかなり厄介です。その費用引き落としの手続きには、親の銀行通帳とその銀行認印が必要になります。


親が急な病気で認知レベルに問題があって、その銀行通帳と銀行認印を子供に渡すという作業が不可能な場合、子供にとってかなりリスク最大になります。


その親の介護施設の費用を子供が払わないといけません。月々7万円(自分の母親の場合)とか、そんなのとてもじゃないですが、子供は負担できません。


自分の母親の場合、実家の自宅内で脳梗塞で倒れてしまいました。1人暮らしなので、その異変に気付いたのは、毎週1回母の様子をチェックにしに自宅に訪問してくれるヘルパーさんから自分に連絡が入りました。


お母さん、呼び鈴鳴らしても全然出てこないし、新聞も何日分も刺さったままで溜まっている。


自分は、スワっと恐怖感が全身を襲いました。


老親の1人暮らしの最大の恐怖は孤独死です。心筋梗塞、脳疾患などいつ突然やってくるか、わかりません。しかも1人暮らしです。誰も気が付かないです。


うわぁ~自分がいちばん恐れていたことが起こってしまった~と思いました。


中から鍵がかかっているので、もう警察と消防車を呼んで、3階なのですが、窓ガラスを割って、施錠を外して強制的に潜入してもらいました。


そうしたら、母は倒れていて、でも意識はあったそうです。それで、どうも脳疾患みたいだということで救急病院に運ばれ、なんとか助かりました。


それで、脳梗塞の後遺症から、もう1人での生活は不可能で、介護施設で介助を受けながら生活をしていかないだとダメだと診断されました。


もう警察、消防車の強制潜入(私が逐次電話で指示しながら)、そして病院の先生の診断結果を受け取る。これは正味3時間くらいのできごとでしたでしょうか・・・身が凍り付くというか生きた心地がしなかったです。


そこから介護施設探しです。


結局、病院の機能がついた介護施設に決めて、そこに入所してもらいました。


問題は、その月々の介護費用をどうするか、です。


母親の状態から、銀行通帳と銀行認印が家のどこにあるか、など聞き出せる状態ではありませんでした。そのとき、私は仕事でいっぱいいっぱいだったので、ピンチヒッターで妹に北海道の実家に飛んでもらいました。


そうして家の中で探してもらいました。そうしたら、探し始めたその最初で母親の買い物袋の中に、銀行通帳と銀行認印が見つかり、いともあっさり解決してしまいました。


このときの妹からの電話の一報に自分がいかに救われたか、なんとも言えない安堵、ピンチを逃れた~という感じです。


あとは母親の銀行通帳から月々の引き落としを設定してもらいました。


ここからが私のアドバイスです。


親が高齢になるにつれ、そして連れ合いに先立たれ、1人暮らしをしているような場合、そして子供が遠方に住んでいる場合、まず孤独死を避けて異常を検知しやすい仕組みを作っておくこと。


そして親が元気で認識力が十分ある内に、親の銀行通帳と銀行認印の普段置いてある場所を聞いておくこと。


これをかならず実施しておいてください。


私のような突然のケースに陥ってどうにもならなく途方にくれることもあります。


あと、介護保険の利用の仕方もありますが、自分の場合、介護保険はあまり利用しなかった、というか使えないシステムだな、と思いました。スミマセン。(笑)


介護保険のことをよく知らないだけかもしれません。


結局、自分の父親と母親が、自分の命と引き換えに、我々子供に残していった試練、教訓はしかと学びました。人生の大変な教訓だと思っています。


自分の始末を、子供や親戚に迷惑をかけずに、生前にあらかじめきちんとレールを敷いておくこと。結局、自分はオヤジのときもおフクロのときも、その敷かれたレールの上をただその通りに実行していただけに過ぎませんから。


それを自分の父親、母親から学んだのだと思います。


これを自分の終活に活かさないはずがないです。


自分もいろいろ準備しておかないといけない、と今回の母親の葬儀で思ったところです。


注意点ですが、あくまでこれは私個人のケースですので。もっといろいろなパターンはあると思います。


せっかく両親が自分に残してくれた教訓を、世の中の同年代や若い世代の方々にお役に立てればと思いました。みんな同じ不安を抱えていると思うので。少しでも役に立てればと思います。


しかし、ふつうは表には出てこない、隠すべき(?)葬儀の件をここまで詳らかにした記事は前代未聞かもしれません。(笑)

















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悩みはもとから絶たないと。。。 [雑感]

今年は辰年。自分は年男なのだが、今年は年初からすごい試練の年である。
                                         
たぶん自分が生きてきた60年間の中で、もっとも最大の試練の年だと思う。厄年と言うのは当たっている。自分が同じ厄年の42歳のときの試練、病気で転職したときより、比べ物にならないほど数段厳しい試練だ。
                          
龍神様は、自分にすごい試練を与えている。
                         
これを乗り越えれば、たぶんあとはこの世を解脱するまでずっと幸せが続くような気がしている。いまが人生の変わり目に違いない。
                                  
年初から、能登大地震、JAL・自衛機の衝突事故、そして小澤征爾さんのご逝去。そして我が還暦、定年でセカンドステージのスタート。それに伴う生活環境の再整備。
                      
・・・そして、なんと母親があの世に旅立った。
                                   
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もう狼狽した。かなり動揺した。
3か月前あたりからかなり容体が悪くなって覚悟しておくように、とは言われていたが、いざそうなるとかなり動揺する。
                       
無事、葬儀・納骨を済ませ、一件落着。
よくやった!自分!と褒めてあげたいと思う。
                                
もちろん残された残務問題も多く、時間がかかりそうだ。今年の辰年は、自分にとって、もう大変な1年となりそうである。
                             
母親のご逝去は予想していなかったことなので、想定外で処理しないといけないが、還暦を過ぎてからのセカンドステージは自分自身、もう何年前から分かっていることだ。5年前あたりから、あと5年したら定年だ、どうしよう?とか漠然に不安なものだ。
                        
もうこれはサラリーマン、企業人、会社人なら仕方がないこと。もう宿命なのだから。月収40万もらっていた人が、再雇用、あるいは年金受給開始から収入大激減。やっていけるのだろうか・・・。
                                 
みんな全員が通らないといけない人生の最大の難関である。みんなそうなのだ。
                               
鬱だよね~。ブルーになるよね~。もう老後のことを考えると、一気に鬱なので、考えないように”いまを楽しむ”で自分はやってきました。老後のことは、そのときになって考えよう。
                                 
実際数年前から分かっていても、じゃあどうする、なにやる?と言ってもとくになにもやらずそのままズルズルと行くだけだと思います。
                        
その点、自由業の方はいいな、と思います。定年はないので。働けるまで働く。ただ年齢相応の役割に変わっていくのかもしれませんが。
                                    
サラリーマン、企業人にとって還暦というのはなんらめでたくありません!地獄の始まりなのです。よく還暦祝いというのを聞きますが、なにがめでたいのかさっぱりわからないです。
                                            
いまだから告白するが、自分は誕生日は1月なので、1月の誕生日に定年になる。2月から働き方が変わる。そうするともう5年前から鬱気味なのだが、さらに1年前になると猛烈に鬱、ブルーになる。
                         
ましてや、3,4か月前だと、この不安のピークは最大限に達する。
                                 
そのとき自分が考えたことは、このままなにもせずにただ自宅の中で在宅勤務を続けて過ごしていって、そのまま定年を迎えるのではもうあまりに人生暗すぎるだろう。これは精神的にかなりよくないと考えた。
                                   
そこで自分が考えたのが、年末に名古屋、姫路、京都をツアーするという旅行を計画することだった。財力がある内に、後悔しないように、ということで計画した。
                       
今年の芸術の秋_2023は、このことがきっかけで起案した旅行計画だったのだ。
                                   
でも、いま考えると、それで気が晴れるか、というとまずそれはあり得なかった。やっぱり旅行中でもついつい不安な老後生活のことを考えてしまい、いま楽しいはずなのに、どこかブルーで憂鬱なのだ。
                    
年末の姫路、京都のときは気分は最悪だったな。
                                     
そしていろいろ経過していろいろあって、いまに至る訳だが、自分はある大きな解脱点を見つけた。悟りを開いたような感じである。
                       
それは、
                              
悩みは根本を絶たないと楽にならない。
                 
ということである。
                                    
みんな、各個人でいろいろな悩みを抱えていると思うが、そしてそれはおそらく他人に相談できない悩みごとだと思うのだが、その悩み事で苦しい精神状況を、なにか別のことで代用することで楽になるか、というとまずそれはあり得ないということである。
                     
あまりに悩み過ぎて薬に頼るとかもダメ。なにか別の楽しい違うことをして解消するか、というとそれもダメだと思う。
                   
苦しい悩みは、その根本を絶たないと意味がない、というか、その悩み自体を解決しない限り、いつまで経っても楽にならない。
                                         
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これが自分の悟りの境地である。
                         
そのためには、その悩み解決のために具体的になにか自分がアクションを起こさない限り、ずっと解決することはない。老後不安だ~と思っていても、なにもしなかったら、それはいつまでたっても不安が続くだけである。
                                    
自分がちょっと楽になったと思うのは、家計のシュミレーションをやったこと。生活していくには、インとアウトの関係ですから。収入と支出の関係。自分がどれだけの収入があって、毎月どれだけ支出しているか?自分は若い頃から、ずっと1人暮らしなので、インとアウトの管理は必然と自分がやらざるを得ない。だから自分が1か月の間になににお金をどれくらい使っているのかを把握している。
                                   
これは大事なことである。家庭の場合、旦那さんはやりくり上手な奥さんに任せっきりだと思うけど、旦那さん、そんなこと知らないでしょ?(笑)老後生活に切り替わるときは、旦那さんも協力しなきゃ。人生の中で、事が大変化するときは、男がちゃんとイニシアティブとって、あと決まりさえすればディリー管理はあとはお願い、というように。
                  
                                 
そのために一番大事なことが、自分(あるいは夫婦)が1か月の間に、どんなことに支出していて、それぞれどれくらいの額なのか、ということをちゃんと理解しておくこと、整理すること。これがいちばん大事なことです。そして老後の低収入の中に、支出が収まるようになるべく、いろいろなところ、固定費、変動費を削っていく。固定費を見直すのは一番効果大ですね。
                        
そうやっていくと、なんか現実的になって、不安がなくなっていくんですよね。収入の中に支出が収まるようであれば、不安解消だし、やや足りないのならどうしたらいいかを考える。
                                 
そうやってアクションを起こさない限り、いつまで経っても漠然とした不安ばかり頭を覆って、その苦しみはもとを絶たない限り消え去らないです。代用で楽になることはないです。
                         
老後スタートが始まる人は、まずこの家計シュミレーションを1回やることをお薦めします。1度シュミレーションしておけば、あとはもう頭の中に入っていますから、そんな毎日、毎月家計簿つける必要もないです。家計簿つけるのが1番いいと思いますが、自分はそんなマメな性格ではないので、やりません。
                               
でも1度シュミレーションしておけば、そんな必要もないと思います。大体頭の中でわかっているから。1度はかならずやるべきです。
                                 
家計の収入・支出を作成してFPに相談するのもいいと思います。
でも最近ネットの記事によく出てくるFPの回答もズサンですよね。(笑)
                       
1か月の生活に必要な金額、年金支給額、そしていくら足りない、その分を貯蓄から捻出する。そして平均寿命まで何年。・・・で結局〇〇千万円の貯蓄が必要。
                              
こういう理論ですね。
老後2,000万円問題ってこういうことですね。最近ようやく理解しました。
                    
そんな〇〇千万貯蓄があるんだったら誰も苦労しませんよ。(笑)安易すぎるんだよ。もっと頭使えよ。もっとタメになる提案しろよ!といつもボクは怒っています。
                           
まっそれはさておき、自分は去年まで漠然とあった老後の不安は、この家計シュミレーションをして実態とどうしたらいいか、を算出したことで、そしてそれに向かって実際アクションを起こしていることで、現実的なものになり、はっきり言いますと、あれだけブルーだった、鬱だった不安が嘘のように消え去りました。
                                 
あれだけ、不安で憂鬱だった毎日が、いまはかなり爽快で雲が消え去ったように気持ちいいです。やっぱり悩みはもとから絶たないとダメなんだと、そのときに自分は悟りを開きました。もちろん悩みが解決している訳ではぜんぜんありませんが、それに向かって動いている、というだけでもすごくスカッと爽快なのです。
                         
これは介護施設で療養をしている母親についても言えることでした。
もしものことがあったなら、葬儀・納骨きちんと終えることができるであろうか?
                                    
葬儀には、喪主と施主という役割があります。
                              
「喪主」・・・葬儀を執り行う責任者。 故人様に代わり参列者を迎える遺族の代表者。
「施主」・・・葬儀費用を負担する人。
                              
たしかに喪主(旦那さんが亡くなれば奥さん、親が亡くなれば長男)は葬儀の責任者なので、重要なのはあたりまえなのですが、自分の経験から、葬儀は結局やっぱり費用、お金の問題に行き着くので、施主がいちばんキーパーソンだと思ってます。
                         
2014年に父親の葬儀を取り仕切った経験があるので、大体こんなもんだということは分かっていましたが、やはり不安。事前に葬儀会社に葬儀費用や葬儀の段取りを確認して、大体のイメージがつかめました。
                                    
縁起でもない、不躾な行動と怒られるかもしれませんが、施主の立場からすると、ここに見通しが立つと、不安が一気になくなります。それでも母親が亡くなったという報を受けたときは、動揺が激しかったですが、それでも葬儀・納骨まで見通しが立っていたので、意外と気持ちが平穏でいられました。
                              
会社の経営もそうです。予実管理。予算と実績の管理。予算で目標を立てて、実際の実績がどうなのか、上振れなのか下振れなのか。そして次月以降の見通し。この見通しという作業が大事なのです。見通しを立てることで、今後の戦略の軌道修正をするし、それでまたダメだったら、また修正し直し。その繰り返しです。
                      
見通しを立てないと、不安ですよね。安心できませんよね。どうなっていくのかをある程度予想する、最悪のケースも考えて・・・そうやっていくことで、そのときはふっと安心するのだと思います。そういう作業をやらないままだと不安で不安で仕方がないです。
                             
自分もそうでしたが、たぶん親の葬儀はみんな不安と思っていることだと思います。でも葬儀は、自分がその当事者にならない限り、わからないと思います。自分の親なりその当事者になって、喪主、施主になって、初めて葬儀というものがわかるのだと思います。
                      
事前に勉強しておこうとか、他人の葬儀に積極的に行ってもたぶん無理。やっぱり当事者じゃないとわからないと思う。
                              
葬儀について日記にしてみようかな、と思いましたが、やっぱりこういうことはあまり表に出すことではないように思いますし、表で触れてはいけないことのように思いましたので、やめときます。
                          
結局、なにが言いたかったか、というと、
                                    
苦しい悩みは、その根本を絶たないと意味がない、というか、その悩み自体を解決しない限り、いつまで経っても楽にならない。
                                           
そのためには、その悩み解決のために具体的になにか自分がアクションを起こさない限り、ずっと解決することはない。
                        
これが自分の悟りの境地である。
                                     
偉そうに言ってますが、自分も去年までこのことを知らずして、ずっと鬱気味が続いていたのですが、最近ようやく解脱した境地です。・・・というのも、時間が解決してくれるというか、時間とともにやはりなにかアクションをしていかないと事が進まないので、そうやっていく内に問題、悩みが徐々に解決していって、気持ちがす~っと楽になってきた、ということでした。
                           
こういう悩みというのは他人に相談できないことが、また辛いですね。自分の場合は1人で道を探していき、解決まで進んでいったのでかなりキツイ数か月だったと思います。
                                     
まだ、半分くらいしか終わっていないのではないでしょうか・・・まだまだ困難な残問題たくさんあります。今年1年かかるかな?その都度、ショックを受けたりしながら進んでいくと思いますが、まっ結局最後はすべてうまく行くという風になるんではないか、と思っています。(笑)
                            
サラリーマン、企業人の方は、みんな定年近くになると、すごい恐怖と不安な気持ちにさらされるものなんですよ。みんなそういうパターンなのです。みんなそういう病気にかかるものなのです。
                        
でも定年1年後、2年後となっていくと慣れてくるというか、心が麻痺してきて、あまり不安に感じることもなくなるように予想しています。
                      
でも現実はやはり厳しかったりして・・・いつ老後破綻がきてもおかしくないかもしれません。(笑)
                   
                 
                    
                       
                             

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トゥール・ダルジャン [グルメ]

北海道の田舎の町で生まれ育った自分が人生で初めてフランス料理を堪能したのは、北大合格が決まって、オヤジからその入学祝ということで、家族でフランス料理のレストランでお祝いをしてもらったときだ。


札幌のフレンチ・レストラン。


これがフランス料理か~という感じで、とにかくその上品で美しい盛り付けに感動した覚えがある。店内もゴージャスとまではいかないまでも、シックで気品のある美しい内装だった。


オヤジは、食べ物に関しては、西洋料理とはあまり縁がなかったように思え、自分が生まれ育ったときからオヤジにフレンチやイタリアンのレストランに連れてってもらった記憶は1回もない。


この大学入学祝のときが初めてだと思う。

当時はインターネットなんかなかった時代だから、オヤジは、どうやって、この札幌のフレンチ・レストランを探り当てたのかわからないが、ずいぶん感謝したものである。


オヤジが同じように九州の実家で進学祝いに父親からそのようにレストランで家族で進学祝いをしてもらったことが嬉しくて、自分の息子にもそうしてあげようと思ったらしい。


これが自分の人生の中で初めてのフランス料理、フレンチの体験だった。


いまの国際的にもユネスコ無形資産”和食”の美食国として有名なニッポンと違って、当時は舶来主義というか、やはり西洋料理が贅沢品とされた時代だった。


社会人になって、ヨーロッパに住めるようになったときでも、やはり世界でいちばん美味しい料理は、フレンチとイタリアンの二大巨頭だと思っていた。当時は間違いなくそうだった。


またヨーロッパの国の中で、メシがうまいだけでなく、ブロンド美人の美しさ、美人度からしても、やはりフランスとイタリアが群を抜いてダントツで美人が多かった。


”ヨーロッパの中で美人とメシがうまいのは、フランスとイタリアである。”


これは自分の経験からしみじみ実感することと、我々の世代の常識であった。


またスリが多いのもフランスとイタリアなんですけどね。(笑)(自分はフランスでやられました。。笑笑)


でもいまは、和食、中華料理など世界のいろいろな美食が世界的に認知されるようになり、もはやフレンチ、イタリアンだけの時代ではなく、群雄割拠の時代に入ったと言っていいだろう。


料理の評価基準として”ミシュラン(MICHELIN)”というガイドを知っているだろう。


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ミシュランガイドは、世界16,000軒以上のレストランを紹介する信頼できるレストラン&ホテルの情報提供プラットフォームだ。


ミシュランガイドの”インスペクター”という調査員の方がいて、日本、米国、中国、そしてヨーロッパのいろいろな国を訪れて、訪れたレストランを同じ基準で評価するのだ。ミシュランガイドが世界的に信頼を得ているのは、


・セレクションは、ユーザーのために客観性を維持し、独自性を保つためミシュランがすべて行う。

・ミシュランガイドの掲載は無料。

・掲載の決定は携わった全てのインスペクターとその国のディレクター、そしてインターナショナル・ディレクターとの協議に基づく。特に最高評価については国際的な基準に沿って慎重に検討を重ねる。

・ミシュランガイドに掲載されるレストランは、ミシュランの基準に沿ってセレクションされる。それは、すべてのインスペクターが同じメソッドに従って調査しているからこそ可能。


ミシュランガイドは赤い本で国ごとに1冊で発行されている。ヨーロッパに住んでいるとき、同時期に赴任していたアムスの同期友人が、このミシュランの赤い本をいろいろな国の冊分だけたくさん買い集め、2人で車でドライブでいろいろな国に行くとき、このミシュランガイド本でレストランを探していたのを覚えている。友人はグルメなので、いろいろな国に行って自分が入ったレストランは、すべて自分の手帳にそのレストラン名とアドレスをメモっていたのを覚えている。(笑)


まさに自分の実体験に基づく欧州現地の自分だけのヨーロッパグルメ帳である。


ミシュランの評価として、一つ星、二つ星、三ツ星という三段階がある。


三ツ星>二つ星>一つ星


のランク、順位付けである。



一つ星、二つ星、三つ星の評価は、素材の質、料理技術の高さ、味付けの完成度、独創性、そして常に安定した料理全体の一貫性など、いくつもの点が考慮される。



●三つ星:そのために旅行する価値のある卓越した料理


ミシュラン最高峰の三つ星は、キャリアを極めたシェフの卓越した料理に授与される。最上の食材を使った料理は芸術の域に達しており、後世に受け継がれることも多い。



●二つ星:遠回りしてでも訪れる価値のある素晴らしい料理


熟練した技術だけでなく、目を見張る食材の質や独自性など、料理は洗練されている。



●一つ星:近くに訪れたら行く価値のある優れた料理


食材の質、料理の技術、味付けの完成度など、そのカテゴリーの模範となる。




“世界の美食都市”と聞いて、みなさんはどの都市を思い浮かべるか?


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世界の美食の指標として知られ、世界37カ国でセレクションを行っている『ミシュランガイド』において、星の評価の数は、じつは東京が世界一を誇るのだ。もう驚きである。ミシュランが東京の本を出すというニュースはつい最近のことだったように思うのだが、もはやいまでは星の数は世界一なのだ。


東京は世界一の美食の都市なのだ。



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フランスで誕生した『ミシュランガイド』は、パリ万国博覧会が開催された1900年の初版発行から100年以上もの間、美食を司るガイドブックとして世界中で親しまれている。日本では、2007年に初のアジア版として『ミシュランガイド東京 2008』が発行され、日本で最もよく知られるグルメガイドとしてその名を馳せている。


現在、東京の『ミシュランガイド』の星の数は、美食都市として知られるフランスのパリやアメリカ合衆国のニューヨークを凌いでいる。東京初の2008年版でパリをおさえて世界1位を獲得して以来、東京は16年連続で世界1位を獲得しつづけており、2022年11月に発行された最新号『ミシュランガイド東京 2023』では、合計200軒(ビブグルマン除く)のレストランが星の評価を得ているのだそうだ。





『ミシュランガイド東京 2023』発表の場において、ミシュランガイド・インターナショナルディレクター、グウェンダル・プレネック氏は、「東京は星付きの飲食店・レストランの数が200軒と、今年も世界一星の多い都市となりました。良質な食材が集まる利点があり、それを調理する素晴らしい腕前の料理人が国内外から集まる東京は、美食都市として世界をリードし続けるでしょう」とコメント。


さらに、東京特有の食文化についても触れ、「シンプルな居酒屋や小さな寿司屋、日本料理の専門店から最高級レストランまで、東京には良質なレストランが溢れており、そのユニークなシーンで人々を魅了しています。巨大都市・東京は開放的で、食の多様性も輝きを放っています」とグウェンダル・プレネック氏。このように、美食都市「東京」は、世界中のグルマンから注目を集めているのだ。




2007年に初のアジア版として発行された『ミシュランガイド東京 2008』。そのときはじめて和食料理店や寿司屋が三つ星になった。さらに、三つ星の数が世界一だったパリの10軒に次ぎ、東京は8軒が獲得。また、それまでに発行された他国のミシュランガイドでは、掲載店の一部のみに星がつくだけだったが、東京版では150の掲載店すべてが一つ星以上の評価。星の合計数は、パリの64軒の倍以上を上回る191個で世界最多となった。


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2022~2023年の最新発表によると、東京の三つ星の数は世界1位、さらに三つ星、二つ星、一つ星の合計数でも2位のパリの118軒を大きく上回る200軒と高評価。また、東京だけでなく、TOP5に京都・大阪もランクインしており、東京のみならず、日本の食文化の多様さ、強さがデータからも読み取れる。


それについて、グウェンダル・プレネック氏は、「京都は、歴史と食文化、旬の食材を使った伝統料理、おもてなしの心が息づいています。日本文化を知り、楽しみたい旅行者にとって必見の場所です。一方、大阪は独自の食文化が発展しており、地元の名物料理から世界各国の料理まで、バラエティ豊かな料理を楽しむことができます」と述べた。


●なぜ東京にはミシュランガイドの星の評価を得た店が多いのか


①四季折々の多様で新鮮な食材

②日本独自の味覚、“旨味(UMAMI)”

③国内外問わず、世界トップレベルの料理人が集結


●インバウンド消費のカギを握る、日本の食文化「和食」


和食がユネスコ無形文化遺産に登録されて以来、世界的に和食がブームになり、今では世界中の至るところに日本食のレストランが急増している。また、和食が好まれる理由として多く挙げられたのは、「ヘルシーで健康的だから」。おいしさのみならず、“旨味”を上手に使うことによって、おいしさを損なわず、減塩効果や動物性油脂の少ない健康的な食生活が送れると、ヘルシー志向の外国人からも注目を集めているのだ。



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また、観光庁が発表した「訪日外国人の消費動向」(2019年次報告)によると、訪日外国人観光客が「訪日前に期待していたこと」という調査に、「日本食を食べること」(69.7%)が1位となった。また、日本貿易振興機構「日本食品に対する海外消費者アンケート調査-6都市比較編-(2014年3月)によると、外国人が好きな外国料理の1位が「日本料理」(66.3%)という結果となっている。


訪日外国人観光客の受け入れが再開されたいま、美食の街「東京」、さらに京都・大阪をはじめとする日本各地の地域の食や食文化の魅力を発信することが、日本誘致のカギを握ると言える。


情報引用元:


ミシュランガイドの星が最も多い街「東京」は、世界トップの美食都市 その強さの理由とは





どうだろう?


自分はいま知った事実であり、もう驚きである。確かに世界中から東京に一流シェフが集結するというのはよく理解できる。そういう土壌が日本にはありますね。なにも和食だけではないと思う。世界中の美食が、すべて日本、こと東京には集まっているのではないか。世界のオリジナルの本店に行かなくても東京ですべての国の料理が楽しめる。ラーメン業界の新横浜ラーメン博物館と同じ原理である。日本、東京はグルメの都市なのだ。そしてそういう需要があるから、自然と供給が生まれ、そこにビジネスが発生するのだと思う。たぶん日本国民の要望が強いんだと思う。東京でも食べれるように支店を出してほしい。支店を出せば儲かるから本店側もうれしい、そんな関係なのだろう。


そして東京が美食都市として名を馳せる理由は、日本の風土が大きな要因である。その風土がもたらす日本の四季がはっきりと分かれることで、その季節折々の多様で新鮮な素材、その持ち味を尊重した料理が、日本そして東京のレストランシーンの強みのひとつになっているのだろう。


灯台元暗し。


まさに自分が住んでいる日本、東京はいまや世界一、世界ナンバーワンの美食都市なのだ。


世界の美食としては、やはりフレンチとイタリアンが二大巨頭。


自分の脳内知識は、あの当時から今に至るまでずっとそのまま止まったままだったのである。(笑)


でもどうなのだろう?


いまや世界一の美食都市、東京とは言えども、やはりフレンチ、イタリアンはちょっとオシャレ、非日常感を感じるような特別な食事ではないだろうか?とくに自分は小さい頃から和党、日本食大好きのそっち側の人間だったので、そんなに普段、フレンチやイタリアンを食べるわけではない。やはり旅行とか、デートとか、記念日だとか、そういう特別の日に祝祭を兼ねて利用するのがフレンチやイタリアンだ。


フレンチやイタリアンでもフォーマルなものから家庭料理的なものまで幅広い。海外へホームスティとかの経験のある人は、後者の家庭料理的なものも経験があるのだろう。自分は残念ながらあまり記憶にない。フレンチとイタリアンというともっぱらフォーマルな記憶しかない。


イタリアンも美味しいと思うけど、自分はやっぱりフレンチ、フランス料理が世界一だと思うな。美食都市、東京である現在を鑑みると、自分がオシャレ、非日常感を感じる料理の世界一という意味である。


自分はずっとそのように生まれ育って、生きてきたので、いくら日本食が世界一と言われても灯台下暗しで実感やその有難みがわからず、フレンチが特別で最高と考えてしまう。


フランス料理は、トルコ料理、中華料理とならぶ世界三大料理のひとつである。


フランスで発祥した食文化および調理技術のこと。フレンチガストロノミー(フランス美食学)は2010年にユネスコの無形文化遺産に登録されている。


ベルギーに住んでいた頃、ブリュッセルの街の中のレストランのメニューは大半はフランス語で書かれていた。ベルギーは、真ん中がフランス語圏、上側がオランダ語圏、そして下側がドイツ語圏と3か国語が混在する多国民族国家という感じで非常に複雑だった。


首都のブリュッセルはフランス語圏内だったと思う。レストランのメニューは、ほとんどフランス語で書かれていた。


ここで鍛えられた。フランス語のメニューを理解しないといけない。まっ誰でもそうだと思うが、前菜、肉料理、魚料理、デザート、ドリンクと分類されて、その下に細かくさらにいろいろな料理が分類されている感じ。


だから自分が肉を食べたいのか、魚を食べたいのか、をまず決めないといけない。


肉料理はViande、魚料理はPoissonである。


さらにその下に分類されている料理名を眺めていく。そうすると、その単語、単語で知っている単語がかならず出てくるものなので、それを脳内で繋ぎ合わせていくと、大体どんな感じの料理なのか想像がつく、というものだ。


そして自分のイメージ、好みに合う料理を選んでいく。出てきたものがまったく想像外、という笑い話もあるけど、慣れてくるとそんなに外れもない。


そうやっていけば生きていける、というものである。

生きていくには、そういうサバイバル術が必要だということだ。


思うのだけど、いまの時代はもう英語メニューも必ず用意されていると思いますよ。そしていまの時代は、日本語メニューや中国語メニューなど、お店側はほとんど多国語メニューを用意しているのではないでしょうか?日本人はもちろんのこと、いま現在は中国人の旅行者は世界中ですごい多いですから。


あと、スマホのアプリで、言語翻訳してくれますね。Googleレンズみたいに。(笑)

もう時代はそういう時代なのだ。進化しているのだ。


現地で食べるフレンチやイタリアンの場合、アジア人と分かった途端の人種差別的行為を受けることもあるだろう。よくフランスやニューヨークで日本人夫婦がレストランに入ろうとしたら、日当たりが悪い暗いすごく場所の悪い処に案内された、とかその類の話はよく聞く。まっこれはなかなか残念なことだが、現地のアジア人に対する先入観、潜在意識の中にある人種差別はなかなか消え去らないと思う。


自分の場合、性格が鈍感なので、あまりそんな風に感じたことは1回もないのだが。。。


フランス料理は、首都パリで食べれるものという以外にも、いろいろなフランス内の地域で特色のある料理風土を持つ。プロヴァンス料理/バスク料理/アルザス料理/ノルマンディー料理/ブルターニュ料理/ブルゴーニュ料理/ロワール料理・・・などなどどれも耳にしたことのある名前で、それだけフランス料理は幅広く有名なんだということだ。


飲食店の形態も、レストラン/ビストロ/.ブラッスリー/ブション/カフェ・・・など様々なスタイルがある。


フレンチ、フランス料理というと、レストランのフォーマルなことばかり思い起こしてしまうけど、ワインとチーズ、フランスワインとフランスチーズ、そしてパンですね。フランスパン。もうこれらもフランスをイメージする大切なファクターだ。


こうしてみると、フランスってほんとうに芸術の国というか、美食の国という感じがよく分かりますよね。


普段の日常の食事は和党の自分は、フレンチやイタリアンを堪能するときは、やはり特別の祝祭のときに外のレストランでいただくことが多かった。デートとか、なんかすごくウキウキうれしいときとか。


赤坂見附、表参道、銀座はよく出没していました。


赤坂見附はよく歩いているときに、ここオシャレで素敵だな~と思うと、彼女とのデートで使っておりました。赤坂見附はイタリアンのいいお店があり、そこをかなりの回数使わせていただきました。


もう店名も場所も覚えていないけど、もう存在していないだろうな・・・当時の話ですが、赤坂見附というところは、なかなかそういう自分のイメージにドンピシャとくる素敵なレストランがいっぱいありました。


表参道もよく出没しておりました。

銀座線の地上出口に出たところから徒歩数分のところにこれまた安い、とてもカジュアルで、そして内装がとてもゴージャスなフレンチ・レストランがあり、ここもよく利用していました。デートで使うときも多かったけど、合コンのときに幹事を任されたとき、ここをよく利用していました。大好評だったです。自分は正直に告白すると、合コンというのが大の苦手でした。(笑)付き合いで笑ったり相手に合わせて話していたりしていましたが、早く終わらないかな~とずっと思っておりました。


あと、これも地上出口のすぐそばにありましたが、クリスマスイヴで彼女と食事したフレンチ・レストランがありました。もうこの頃の自分は、バブリーな時代でステレオタイプそのままの行動形式でした。(笑)いま思い起こすととても恥ずかしいです。


表参道もかなりディープなスポットでした。


あと、デートの場所として新宿西口の高層ビル街を使うことが多かったので、ここの新宿センチュリーハイヤット、いまはハイアット リージェンシー東京って改名しているんですね。そこのフレンチ・レストランを使うことも多かったです。


海外旅行では、もうそれメインで訪れますので、非日常感があたりまえです。もう完璧にそれ目的です。だからいっぱい想い出のレストランがありますが、ひとつだけ上げるとすると、2013年に訪問したザルブルク音楽祭のときにゴルディナーヒルシュというホテルです。ザルツブルクのあの最高の人気の通りであるゲトライデガッセにある老舗の高級ホテルです。


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《Hotel Goldener Hirsch》はオーストリア、ザルツブルグにあるホテルで、名称は「黄金の鹿亭」の意。中世の建物を利用したホテルで、15世紀初頭には存在していたガストホーフで、ゴルデナー・ヒルシュの名称での営業は1564年からとされている。


名指揮者、カラヤンが定宿としたことで知られている。


そうなのだ!この年のザルツブルク音楽祭訪問は、音楽祭に行くこともメイン目的でしたが、ザルツブルクに本拠地を置いていたカラヤンのルーツを辿る、という旅でもありました。


アニフにあるカラヤンの墓や家も観に行きましたし、同じアニフにあるムーティの家にも行くことができました。


ザルツブルク音楽祭でカラヤンが定宿としていたホテル・ゴルディナーヒルシュ。ここに宿泊したかったですが、高くて無理でした~。(笑)でもどうしても体験しておきたかったレストランが、このゴルディナーヒルシュの中にあるレストランです。


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近代の造られた造形美みたいな最新のゴージャスさというのではなく、いわゆる岩鉱をくり抜いた空間というか、そういう歴史の重みを感じる空間ですね。これが真のザ・ヨーロッパの美しさだと思います。けっしてゴージャスであればいいという訳でなく、こういう素朴なんだけど昔の面影をそのまま引き継いで歴史の重みを感じる・・・そこにヨーロッパの美しさがありますね。原石の美しさ、といいましょうか・・・決して造られた造形美じゃないです。


このホテルを定宿としていたカラヤンは、もちろん食事でもこのレストランを愛用していました。このレストランでカラヤンがいつも座る定位置の場所があるんですね。いわゆるカラヤンテーブルです。小澤征爾さんの成城学園の増田屋さんのお蕎麦屋さんの定位置の座席と同じです。


厨房近くのレストランの端のほうにあり、1人用テーブル。ここがカラヤンテーブルです。自分は事前にこのカラヤンテーブルに座りたいと要望を出していて、無事そこに陣取ることができたのです。


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レストラン内は、岩鉱をくり抜いた空間というか石でできた空間なので、とにかくすごい響く。そしてなによりもレストラン内の客の話し声が凄く大きくうるさい(笑)。騒然としていてウェイターもかき消されないように、ということですごい大声で話しかけてくる。これだけうるさいレストランは経験したことがなかったです。(笑)


高級レストラン独特の静かな上品さという感じとは正反対な感じです。雰囲気もなんか明るい感じで、でも客の服装はきちんとしている。


敷居はそんなに高いとは感じなかったです。


ここは、とくにフレンチ専門のレストランということではなく、オーストリア料理でしょうね、フレンチも兼ねます、みたいなカジュアルなレストランでした。



デザートのゴルデナーヒルシュ風のクレープとアイスが、視覚的にも最高で、美味しかったです。


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さて、そんなフランス料理、フレンチであるが、自分の人生の中で最高級のフランス料理の経験となったのが、”トゥール・ダルジャン”である。トゥール・ダルジャンはフランス・パリに本店があり、世界で唯一支店として許されているのが、日本の東京なのだ。


トゥール・ダルジャンは、フランス料理の最高級レストラン、グランメゾンである。


まさに、その過程をして「フランス料理の歴史そのもの」と言わしめるほどとなった。


鴨料理が名物。ミシュランの3つ星を長く保持していたことも有名。

現在はパリ本店も、東京ニューオータニ店も、ミシュランの1つ星である。(笑)

やっぱり時代なんですね~。信じられないです。いまや東京のほうが美味しいと評価されているのです。



パリ ラ・トゥール・ダルジャン


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パリ、セーヌ河のほとりに”トゥール・ダルジャン”という鴨料理で有名な老舗レストランがある。創業440年の老舗で、顧客リストには国王をはじめ多くの要人の名が並ぶ。あの昭和天皇皇后も2回訪れたことがある名門レストランだ。パリを代表するこの店の歴史は、まさにフランス料理の歴史でもあるわけだが、しばらく改修していたんですね。2023年の9月にリニューアルオープンしたそうだ。いまネットで知りました。場所や外観は同じだと理解しています。


自分はロンドンに住んでいるとき、パリに遠征してこのトゥール・ダルジャンを体験したことがあります。当時は、ユーロではなく、FF(フレンチフラン)紙幣を握りしめて・・・


トゥール・ダルジャンが鴨料理で有名であるということは当時はまったく知らなかったです。(笑)いまは英語メニューや他の多国語メニューもあると思うのですが、当時はフランス語メニューだけで、なにせ、メニューをViande/Poissonで振るい分けして、あとは想像を掻き立てて、"This One"で指差しでメニューオーダーですから。(笑)愚かでした。。笑笑


もちろんドレスコードはありますので、ピシっとしていきました。


そういう伝統、歴史のある敷居の高い名店ですが、結構恐れ知らずというか、平気でどんどん入っちゃうそういう性格でしたから。いまもそうですが。(笑)たくさんいろんな経験を積むことが将来、自分の糧になる、という考えがその昔からありました。



セーヌ河、そしてノートルダム寺院・・・あのパリの景観がそのまま望める絶景のレストランで、自分は恐れ慄きました。


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自分みたいなアジア人が、西洋人の中に紛れ込んでこんなところに居ていいのかな?と思いました、です。西洋人、ヨーロッパ人の人はすごいゆったりスローモーションで日本人みたいにセカセカしていないですね。なんかゆったりその存在がそのまま絵になる感じで、こういう空間に違和感なく自然にそのまま溶け込んでいる感じがします。私のようなアジア人がそこに溶け込もうとすると無理をするというか、背伸びする感じがどうしても拭えませんが、西洋人の人たちはもうゆったり自然です。悔しいな、といつも思うことです。これはヨーロッパの夏の音楽祭のときのブレークでみんなワインを片手に”ダンケ・シェーン”と通り過ぎるあのゆったりした自然な振舞。あれをどうしても思い出します。


でも、自分の食生活履歴の中で、人生の中で最高の晩餐となったのが、このパリ・トゥール・ダルジャンでの一夜です。これはとても名誉に思っています。クレジットカード払いなので、いくらかかったか覚えていません。5万円というのは当時の東京のほうのトゥール・ダルジャンでの値段です。なにを頼んだのかも覚えていません。


「トゥール・ダルジャン」の7階にあるダイニングへ行くにはエレベーターを利用しますが、そのエレベーターへ向かう狭い通路の両壁いっぱいに飾られているのが、同店で食事した国内外の賓客が残した自筆サイン。王侯貴族、元首、政治家、経済人、文化人や映画スターなど華やかな有名人士のサインが側壁一面にずらっと並ぶ。


これは圧巻ですよ。 こんなところにオレ入っていいのかな?と怖くなりました。






1582年、フランスではアンリ三世の時代であり、日本では大阪城が建てられた頃。パリの中心、5区のセーヌ河畔、ノートルダム寺院を望むサンルイ島の前に一軒の旅籠が誕生。そこからは銀の塔(フランス語でトゥールダルジャン)と呼ばれる、太陽の光に反射して銀色に輝く雲母で飾られた塔が眺められました。貴族のための旅籠を造ろうとしていた主人は、国王に願い出て、店の紋章にこの塔を使う許可を得ました、これがトゥールダルジャンのルーツ。シェフの料理は評判を呼び、遠くイタリアの貴族達も噂を聞いて訪れるようになりました。


1582年のある日。鹿狩りの帰りにアンリ三世と貴族たちが「トゥールダルジャン」に来店。隣のテーブルではフィレンツェから来た貴族の従者が小さな尖った道具を取り出して肉に突き刺して食べていました。この道具に興味を持った国王が尋ねたところ、ヴェニスから届いたばかりの発明品であるとのこと。これがフランスの食文化史上初めてフォークが登場した瞬間。国王はさっそくこの道具を取寄せ、フォークの存在は広まっていきました。


19世紀末、パリの貴婦人たちの間で圧倒的な人気があったレストラン「カフェ・アングレ」の娘と、当時の貴族の館「トゥールダルジャン」の子息が結婚。これにより、ふたつのレストランはひとつになりました。これが現在の「トゥールダルジャン」なのです。カフェ・アングレの偉大なワインセラーも、トゥールダルジャンに統合され、この融合によってフランスの食文化はさらに広がりを見せたといえます。カフェ・アングレのオーナーであったクローディアス・バーデルは、現在のトゥールダルジャンのオーナー、アンドレ・テライユの曾祖父にあたります。



数多くの著名人に愛されたことでも知られる「トゥールダルジャン」。例えば、グレース・ケリー、チャールズ・チャップリン、クリスチャン・ディオール、ジャン・コクトー、アメリカのフランクリン・ルーズベルト大統領、フランスのフランソワ・ミッテラン大統領や、日本をはじめ各国のロイヤルファミリーの方々などさまざまなセレブリティをおもてなししてまいりました。そして、門外不出だった「トゥールダルジャン」の歴史を大きく塗り替える出来事が。1984年、ホテルニューオータニ開業20周年記念事業の一環として、パリ本店と同じく約400年の歴史を誇る日本庭園を望む地に「トゥールダルジャン東京」をオープンしました。フランスと日本の食文化の架け橋として、パリのエスプリと伝統を大切に守りながら、進化し続ける本物のフランス料理を今日もお届けしています。


(以上トゥール・ダルジャン公式HPより抜粋。)


このパリのトゥール・ダルジャンに関するエピソードとしては、


・19世紀末に活躍した給仕長のフレデリック・デレールは、手がけた鴨の一羽一羽に番号をつけ提供するというアイデアを発案し、これが現在でも引き継がれている。


・1921年6月21日、昭和天皇(当時は皇太子)のパリ来店に際し53,211羽目の鴨で、1971年の2度目の来店に際しては423,900羽目の鴨でもてなした。東京店では、これに由来し、53,212羽目の鴨からナンバリングしている。


・ソムリエのメッカ(聖地)としても知られ、数多くの有名ソムリエを輩出している。


・ドラマ「半沢直樹」シーズン2のロケ地として登場し、半沢の「3人まとめて1000倍返しだ!!」や大和田との「タンデム土下座」などの名シーンで登場する。


などがあります。


自分にとってなんとも最高なのは、


あの美食倶楽部の創設者で有名な、陶芸家、美食家の北大路魯山人が、このパリのトゥール・ダルジャンで、鴨料理を「ソースが合わない」と評価し、持参したわさび醤油で食べたとされている逸話です。(笑)



そして・・・そうなんですね。東京の赤坂見附のホテルニューオータニに、このトゥール・ダルジャンの東京支店”トゥール・ダルジャン東京”がオープンしたのです。1984年のことです。


フランス料理の最高峰に立つパリのトゥール・ダルジャンから唯一その支店展開を許されたのが東京です。


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当時、東京にもトゥール・ダルジャンがある、ということを知ってさっそく行きました。彼女と2回、1人で1回かな?1回あたり5万かかったような記憶が鮮烈に残っています。


”フレンチに5万円をかけて堪能する。”


まさにバブルの時代、イケイケの時代、ワンレンボディコン、ディスコお立ち台、お金が天空に舞い踊る・・・そんなお金の使い方が青天井だった時代です。


ちなみに、この5万円の中には、Service Charge (サービス料)も含まれています。


いまこうやってネットから写真を拝借すると、自分の当時の記憶とちょっと違いますね。もっと暗くてすごいインテリア装飾があったような記憶があるのですが、たぶん夜だったからでしょうかね。


もちろんドレスコードあります。男性はジャケット着用を義務付けられています。


もちろんメニューは、日本語なんですが、そのときもトゥール・ダルジャンは鴨料理が名物料理ということを全く知りませんでした。(笑)なんか全然違うコースを頼んでいたような気がします。鴨料理ってまったく記憶にないです。


自分の日本でのフレンチ体験でも、このトゥール・ダルジャン東京が最高峰になります。

これ以上の経験はないです。




約400年の歴史を誇るトゥール・ダルジャン。


伝統を継承しながら、常に革新を続け、時を超えてフランスのエスプリである「アール・ドゥ・ヴィーヴル」(美的生活)をお伝えし、人生の幸福な時間を彩る存在として、フランスと日本の食文化の架け橋として歩んでいるトゥールダルジャン 東京の世界をひも解きます。




トゥール・ダルジャン東京のシェフは、


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ルノー オージエ Renaud Augier

エグゼクティブシェフ


レストランの経営をしていた祖母の影響で、幼い頃から将来の夢は料理人。16歳で一ツ星レストランでの修行をスタートさせ、その後も夢に向かって突き進んできました。愛する日本で、フランス食文化の魅力をお届けする事に誇りを感じています。これからも約400年のトゥールダルジャン パリ本店の伝統とエスプリを継承しながら新しいクリエイションをお届けいたします。



2019年度M.O.F.(フランス国家最優秀職人章)を受章しました。M.O.F.(Meilleur Ouvrier de France / フランス国家最優秀職人章)は、フランス料理界最高峰の栄誉であり、M.O.Fは例えてみれば、ちょうど人間国宝にも相当する称号といえるでしょう。


料理部門で選ばれた7名の内、最年少での受章。日本在住のシェフがM.O.F.に選ばれるのは実に37年ぶりであり、今世紀初の快挙。5月13日には、パリのエリゼ宮でフランス大統領からメダルを授与され、新たなM.O.F.の誕生となりました。




誤解のないように言っておきますが、いままで書いてきた自分の経験は、いまから30年前のことを言ってますよ。いまこんな生活している訳じゃありませんよ。(いまは毎朝納豆ご飯です!)イケイケだった時代の話です。


先日、東京オペラシティビルの53Fにある松坂牛 よし田で並んでいて、すき焼きやしゃぶしゃぶで5万円と知って、急にトゥール・ダルジャンのことを思い出しました。いままで完璧に忘れていました。記憶が遥か彼方にありました。


それを突然思い出しました。


自分の中で最高の贅沢の晩餐である”トゥール・ダルジャン”を、老後貧乏に入る前にもう一度だけ、”最後の晩餐”という形で体験してみる?と計画中です。


いま公式HPでメニューを確認してみると、ディナーで、2,2000円~3,3000円くらいですね。すごい安くなったんですね。当時は間違いなく5万かかりました。自分の記憶の中に強烈に残っています。


今回はぜひ鴨料理を食べてみたいです。


もちろんバシッと正装します。喪服でもいいですか?(笑)


”美食倶楽部 トゥール・ダルジャン~最後の晩餐”


として日記を書こうと思っています。



トゥール・ダルジャン東京に現れて、鴨料理を頼んで、”このソースは合わない”ときっぱり言い放ち、持参のわさび醤油で食べてみたいです。(笑)それこそがこの体験記を、”美食倶楽部”の連載とする北大路魯山人へのオマージュになると思っています。














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東京・初台は音楽の街 [クラシック雑感]

官能的で悩ましくて麻薬のような独特の旋律。聴いていると人の感情を内から煽り立てるような刹那というかそんな仕掛けを感じてしまう。ワーグナーの10大楽劇作品の中でも、かなり異端で特異な旋律だと思う。


ワーグナーは、トリスタンとイゾルデは、私の作品の中で最高傑作だ!と豪語している。


ワーグナーが奥さんとの生活に行き詰まりを感じて、不倫に行く末を求める。でも敵わぬ恋。そんなもどかしい行き場のない刹那な気持ちを作品に投影させたのが、トリスタンとイゾルデだ。


自分の作品の中では、本命は絶対ニーンベルグの指環四部作だったのは間違いない。でも本命作曲中に、とりあえずちょっとそれを置いておいて、ふっと息抜きに作ってみた曲がすごい大傑作になってしまった。


世の中ってそんなものだ。(笑)商品開発なんて、本気を出してよっしゃ~やったるぞ~と気合を入れて開発したものはそんなに思っていたほど伸びず、なにげなくふっと息抜きに出した商品が大ヒットしてしまう。本人たちもびっくり。これが世の中の真実。神様のいたずら。人生なんてそんなものなのだ。


スミマセン、史実関係かなりいい加減な記憶の元で書いているので、間違っていたらすみません。(笑)


このトリスタンとイゾルデは、なんでこんなにエロイんだろう?

まさに”官能的”という表現がいちばん的を得ている言い回しだと思います。


前回の日記でも告白したように、このオペラ、自分にとっては、なかなか複雑な境地で難しい楽劇なのです。何回も試行錯誤しながら、挑戦して、あまり他人の評価の言いなりにならず、自分の頭で理解して、自分なりに解釈して、それを何回も繰り返してきたオペラである。


だから自分にとっても忘れられないのである。


13年前の2010/2011年シーズンの新国立劇場プロデュースのプロダクションだそうで、今回は13年ぶりにその再演という位置づけだ。


大野和士さんは、そのときも指揮をして、今回も手兵の東京都交響楽団と最高の芸術を表現してくれた。あっぱれ!心から賛辞を贈りたいと思う。大野さんは新国立劇場芸術監督の任期も更新ということで、ますます素晴らしい作品を新国立劇場から贈りだしてくれることを心から期待しています。


さて、日本のオペラの神殿、新国立劇場。オペラの会場としては、昔からの所縁で東京文化会館が使われることも多々あるが、やはり日本のオペラは、この新国立劇場が中心になって動いていることは間違いない。


クラシックにとってオーケストラコンサートとオペラは両輪である。

これは小澤征爾さんがカラヤンから授かった大事な教えだ。


自分もそれはわかっているので、半々ペースで行きたいところなのだが、やはりオペラはヘビーなんだよね~。(笑)オペラに行くのはなかなかハードルが高いです。でもオペラは総合芸術。オペラからいろいろなものを一度にたくさん学べる。学べるものがたくさんある。そういう点からもこれからも自分のマイペースだけどオペラは楽しんでいくことになるであろう。


新国立劇場に行ったのは何年振りだろう?新国オペラを観たのは何年振りだろう?コロナ前だから、たぶん軽く8年は経っている。8年もオペラに行っていない。オペラを観るいい機会だったのが、海外音楽鑑賞旅行だ。海外旅行では、かならずオペラを入れるのが基本方針だ。オペラは海外で学ぶと言ってもいいと思う。


そんなまったくのご無沙汰だった新国立劇場を見参して、基本は変わっていないな、と思うものの、いまこんな感じになっているの?というところも多々あり、驚いた。


新国立劇場は、東京・初台にある。

初台は、新宿から京王新線で一駅だ。

昔、この京王新線に行くのが苦手だった。かならず京王線と間違えたものだった。(笑)


東京・初台は、まさしく音楽の街と言っていいのではないか?


ここには、東京オペラシティコンサートホールと、そしてこの新国立劇場が併存しているのだ。

クラシックファンにとっては聖なる音楽の神殿の街といえる場所だ。


初台駅で下車すると、もうそのまま東京オペラシティコンサートホールと新国立劇場にそのまま直結してアクセスできるようになっている。自分はこの駅ホームを降りたときから、あ~~~初台は音楽の街というイメージが強いのだ。


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もうこうやって駅のホームに音符の絵柄のデザインがあるんですよね。素敵です。音楽の街という感じがします。


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まず東京オペラシティコンサートホールから紹介していこう。


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自分は新国立劇場よりもやはり圧倒的に東京オペラシティコンサートホールに通うことが多い。ここのホールは素晴らしいですね。教会のような三角錐の独特の形状をしていて、音響も素晴らしい。いい響きしています。響きが豊潤ですね。


コンサート企画としてもどちらかというと、伝統というより新しい企画を取り扱うことが多いですね。ジャパンアーツさんのアーティストさんは、この東京オペラシティを中心に展開することが多いですね。


自分は東京オペラシティというと、どうしても新しいコンサート、というイメージが強いです。


東京オペラシティコンサートホールというのは、東京オペラシティビルという複合施設の中に入っているコンサートホールなのです。複合施設ビルの中の1施設という位置づけです。


初台駅からは直結なんですが、その通る経路の途中に見える景色がいかにも都会的でクールな装いで素敵です。


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自分はこのコンサートホールに来るたびに思うのは、座って待つところがないな、と思うことです。これ本当に困るのです。自分は歩行障害なので、ずっと立ってられません。座りたいです。でもここは座るところがないんですよね。自分は開演ギリギリが嫌いなので、いつも何時間も前に到着します。そうすると座るところがないというのは異常に困るのです。


自分の脳内意識の中では、東京オペラシティコンサートホール=座るところがない・・・なのです。開場時間までずっと立って待っていないといけない。


困った挙句、ホールエントランスから降りたところのこの広場の椅子に座っていることが多いです。(笑)でも外なので寒いです。とくに冬はあり得ないです。


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東京オペラシティのホールに行くまでに、このような広場があります。


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自分は数年前からこの広場にできた英国パブ、ブリティシュパブが気になって仕方がなかったのです。


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いつか入ってみよう、とずっと思っていてようやく今日実現できました。

店内はかなり本格的な英国パブです。本場に負けない本場志向だと思います。


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・・・ところが、料理を頼んでみるのですが、英国ビール・ハーフパイントとフィッシュ・アンド・チップス、そしてローストビーフを頼んでみました。まさにイギリス料理の定番です。


・・・これが・・・


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これはフィッシュ・アンド・チップスにかけるイギリス特有のソースだそうです。


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貧祖なんだな~。(笑)

こりゃ次はないな、と思ってしまいました。(笑)


せっかく店内装は本場志向なのにもったいないなと思いました。

いつぞやの渋谷の英国パブのほうがはるかに料理は美味しかったです。


ふつう首都圏のコンサートホールというのは、隣接しているエリアにかならずカフェとか食事処のエリアがあるもんなんですね。そこにビジネスが発生するからです。


ところが東京オペラシティコンサートホールの近くにはまったくないんですね~。(笑)

都会のビルの中という感じなので、感覚的には無機質な感じなのです。


あえて言えば、この椿屋珈琲でしょうか?


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ここは困ったときは入りますが、基本高いですね。貧乏庶民は高すぎると思います。コーヒー1杯でもすごく高いです。ケーキなんか一緒に頼むともう青天井です。



東京オペラシティコンサートホール周辺はほんとうに、よく言えば都会的なんですが、ぶっちゃけ言うと無機質な空間という感じなのです。(笑)


ここに展開する空間も、無機質でどちらかというと芸術肌というセンスを感じます。


こんなオブジェもあります。(笑)


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でも最近気づいたことなんですが、この東京オペラシティビルの上階、ほんとうに53階とか54階とか食事処がたくさん集まっているんですね。すごい上にあるので全然気づかなかったです。焼肉の叙々苑とか、いろいろ入っています。


自分はこの中で、とても気になるお店を発見しました。


それが松坂牛のよし田です。


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ここは凄いですよ。もともとYOSHIDAというジュエリー、宝石を扱うお店なのです。それが一興ということで松坂牛の専門店を開いちゃったのです。ビジネスって本業よりもサイドビジネスのほうがうまく行くケースが多いですね。これも世の中の常、神様のいたずらなのです。


そしてここは東京オペラシティビルの53階にあったりするので、いわゆる展望レストランで、ここから見下ろす東京の絶景の景色は最高なのです。夜景なんか最高だと思いますよ。やはり夜景のほうがインパクト強いですね。


松坂牛を使ったいろいろなフルコース。ステーキ、鉄板焼き、すき焼き、しゃぶしゃぶ、なんでも来い、すべて揃ってます。


ところがお値段を見ると、5万とかします。(笑)


ごっごっ五万!!!


食事に五万もかけるか!


自分はいままでの人生あまり豊かな食生活とは縁がなくジャンキーな食生活を送ってきましたが、若かりし頃、財力にブイブイ物を言わせていた時代。彼女とのデートで、赤坂見付、表参道、銀座とかいわゆるステレオタイプ(笑)なデートを重ねていましたな~。


そんな中で最高級のディナーの経験は、紀尾井ホールの近くの赤坂見付のホテルニューオータニに入っているフレンチのトゥール・ダルジャンです。


ここは凄いですよ。ドレスコードがあって男性はジャケット着用を義務付けられます。

店内の内装もすごくゴージャスです。現世とは別次元の装飾が施されています。


自分はここで3回ほどフレンチのコースを堪能したことあります。

1回につき5万かかりました。(笑)


まさに財力にブイブイ物を言わせていた怖いもの知らずだった青い青年だった自分。


”5万円かけてフレンチを堪能する。”


そういう行為がステータスだった時代。

まさにバブルの時代でした。


トゥール・ダルジャンはパリに本店があって、パリのトゥール・ダルジャンも行ったことあります。ロンドンに住んでいたとき、パリに遠征して、挑戦しました。


いまはきっと英語メニューもあると思うのですが、当時はフランス語のメニューしかなかったです。肉料理(Viande)、魚料理(Poisson)、前菜(Apéritif)を頼りに適当に見繕って、メニューを指さしてオーダーします。海外のメニューオーダーでこれをやるとまったく見当はずれなものがやってきたりして、笑えるのですが、このときは結構想像通りというか合っていたような気がします。


パリ現地のトゥール・ダルジャンに行けたことは、自分の人生での食生活の中で最高の名誉であり、誇りでもあります。


日本に帰ってからも赤坂ホテルニューオータニのトゥール・ダルジャンは3回くらい楽しみました。


世界の料理の中でいちばん美味しいのは、やはりフレンチとイタリアンと言われていますが、自分からすると、イタリアンも美味しいですが、やっぱりフレンチがいちばんいいです。フランス料理が最高、ナンバーワンだと思います。フランス料理には芸術性と気品がありますね。


まさに1回5万のこの世の贅沢を尽くし切ったディナーなのですが、もうこういう冒険はできませんね。(笑)もう無理です。若い頃だったからできたことです。いまは完全に和、居酒屋系のほうが断然居心地いいです。


これからセカンドステージと言われる経済的に制約を受ける新しい生活を始める自分。老後貧乏になる前に、いま一度、赤坂ホテルニューオータニのトゥール・ダルジャンを最後の晩餐としてもう一回楽しもうかなと計画中です。一夜限りの贅沢です。


ずばりタイトルは、”美食倶楽部 トゥール・ダルジャン”で決定です。

美食倶楽部は、すき焼き人形町今半をリリースしてから予算不足で頓挫していた企画ですが、トゥール・ダルジャンで復活です。まさに美食倶楽部の名に恥じない最高の贅沢だと思います。


ちなみにいまネットで調べてみると、いま赤坂のトゥール・ダルジャンのフレンチコースは、大体3万円くらいで楽しめるようです。だいぶ下がってきましたね。当時は5万かかりました、です。


すみません・・・かなり脱線しました。(笑)


松坂牛のよし田のメニューがどれも5万の値段ということで思いっきっり反応してしまいました。自分にとって食事に5万円も払うというのは、まさしく自分の記憶の中で条件反射的にトゥール・ダルジャンのことを思い出してしまうのです。


自分はこの日、東京オペラシティビルの53階まで昇って、よし田で大行列ができていたところに並んでいたのですが、スマホで値段を調べてみると、どれも5万するので、ひぇぇぇえええ~いくら松坂牛とはいえ、すき焼きやしゃぶしゃぶに5万もかけれるか、と思いました。


自分が狙っていたのは、ランチメニューの黒毛和牛のすき焼き御膳です。1,500円です。

これなら自分でも大丈夫です。


ところが限定メニューで20食限定なのです。

この大行列ですからあっという間に完売です。


もうあとは5万のメニューしか残ってないです。(笑)確かに東京の絶景の景色を見下ろせるという喜びもありますが、ここに並んでいる人はみんなすき焼きやしゃぶしゃぶに5万もかけるだけの財力があるのでしょうか・・・

驚きとしかいいようがないです。


自分は限定メニューが完売となった時点で、すごすごと退散して帰ってきました。(笑)


東京オペラシティビルはほんとうにゴージャスな施設だと思います。


初台駅から同じく直結の新国立劇場。

まさに日本のオペラの中心、神殿であります。


しばらくご無沙汰しておりました。8年間くらいまったく記憶にないです。(笑)


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超久しぶりの新国立劇場。

そんなに変わってませんでした。


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ホワイエ空間もあの当時のまま。


新国立劇場のホワイエといえば、やはりこのサイドにあるドリンクコーナーや今日の演目に合わせたスィーツとかでしょうか・・・いつも美味しそうだな~と思いながらも、お金がなくて諦めています。


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新国立劇場もついに電子マネー、クレジットカードが使えるようになりました!

まさにコンサートホール、オペラハウスのDX化は必要ですね。


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ブレイクのときのドリンクコーナーは依然と比べると割いているスペースが広くなったような気がします。以前はこんなに大所帯だったかな?と思いました。


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今回すごくびっくりしたのは、ブレイクのときにホワイエでガラス窓の外に向かってみんなその方向で椅子に座っているこの光景です。


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これはかなりビックリして、なんだ、なんだ?と思ってしまいました。

ある意味、ちょっと違和感というか異様な感じがしました。


でもすぐにその意味が分かりました。

みんな中庭の絶景を見ているんですね。


新国立劇場の中庭は風光明媚な観光スポットなのです。これも自分はあまり経験がなかったことです。新国立劇場の中庭はほとんど経験がないです。


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とても素敵な場所だと思いました。新国立劇場にはこういう見せ場もあるんですね。初めて体験しました。全然気づかなかったです。



座席で腰の部分に保護クッションが常設されていましたね。これは今回のワーグナーだけの配慮なのでしょうか。それとも全公演でこういう配慮がされているのでしょうか。(たぶん後者)ワーグナーは長いので腰を傷めないようにという配慮なんでしょうね。素晴らしいです!


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ちなみにバイロイト祝祭劇場の椅子です。ケツ痛い。(笑)


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まさに修行僧というか、これは拷問に近いですね。(笑)ワーグナーのような4時間から5時間もかかる長いオペラでこれはツラいでしょう!一説によると、ワーグナーは自分の長いオペラでお客さんが寝ないように、わざとこういう椅子にした、という話を聞いたことあります。




超久しぶりの新国立劇場。まったく変わっていないと思うところも多かったですが、新たな発見というか驚きもあったことは事実です。



これからもご無沙汰の無礼をしないように、なるべく予算をやり繰りしてオペラを観るようにしたいものです。


新国立劇場オペラで、ちょっと魅かれるものがあります。


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モーツァルトのコジ・ファン・トゥッテです。この舞台装置、キャンプベースのコジ。これは覚えていますよ!


いまから11年前の2013年ですね。新国オペラで観てきました。当時、BISレーベルから北欧の歌姫ということでミア・パーションが華々しく活躍していて、そのミア・パーションが出演するということで、新国まで行ってきたのでした。


SACDで聴くミア・パーションはとても魅力的な声だったのですが、実演での彼女の声は、声帯が狭い感じで、ちょっと耳に突き刺さるような感じで、ちょっとがっかりした記憶があります。いま彼女はどうしているのでしょうか・・・


キャンプベースのコジはよく覚えているので、きっと11年ぶりの再演なんですね。トリスタンとイゾルデといい、あの頃の名演よ、もう一度という感じですね。


ちょっと魅かれるんですよね~。

行ってみたい。。。


オペラはいろいろな演目を幅広く見ていきたいと思っていますが、その意識とは別に結局自分の鑑賞履歴としては、同じ演目を何回も観るというパターンが多いんですよね。


コジ・ファン・トゥッテも2013年のザルツブルク音楽祭で体験できました。


こうしてみると、東京・初台というところは、クラシックファン、クラシック愛好家にとって聖なるクラシックの聖地でもあり、神殿のような場所だと思います。


この初台駅のホームに降り立つと、あ~来たな~と感慨深くなります。

これからも大事に通いたいと思います。












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トリスタン和音 [国内クラシックコンサートレビュー]

新国立劇場、新国オペラを観に来たのはいつ以来だろう?ちょっと思い出せないくらい大昔だ。たぶんコロナ前。過去日記を調べる気もしないくらい大昔だ。演目も思い出せない。
                             
オペラは、自分がよく知っている演目だとすんなり行く気になるけど、予習が必要な自分にとって新しい演目はなかなかハードルが高い。ふだん忙しいので。オペラはやっぱり観劇するのにすごいエネルギーがいると思う。
               
新国オペラで、ワーグナーのトリスタンとイゾルデを13年ぶりに上演するという。演出も13年前のプロダクションのものだそうだ。
               
これは行かないとな~。
                              
新国立劇場、ほんとうにご無沙汰しているので、ひさしぶりに行ってみたいとずっと心に引っかかっていた。でもなかなかオペラを観に行く勇気と時間がなく悩んでいたところに、トリスタンとイゾルデを上演するという。
                      
これは行かないといかんだろう!
                                  
自分にとって、ワーグナーのトリスタンとイゾルデは、自分のワグネリアン人生の頂点に立つ楽劇だ。
                                
2016年は、まさにトリスタンとイゾルデ・イヤーだったと言っていい。
                              
ワーグナーの聖地、バイロイト祝祭劇場で初めてバイロイト音楽祭を体験。
その頂点がトリスタンとイゾルデだった。
                           
そして日本に帰国してからも東京二期会でトリスタンとイゾルデ。東京文化会館。
                                  
そしてMETライブビューイングでもトリスタンとイゾルデ。
                                                               
昔から不思議に思っていたのだけど、オペラ界ってどうして同じ演目を一時期に集中的に続けたくなる性格なのでしょう?(笑)今年はずっとトリスタンとイゾルデばっかり、というのがすごい多いです。
                        
バイロイト音楽祭のときは、ティーレマン指揮で、タイトルロールがステファン・グールドとペトラ・ランク。東京二期会のときは、池田香織さんと山下牧子さんとか。
                        
METは念願のニーナ・ステンメ様。イゾルデ役100回というイゾルデを歌わせればこの人の右に出る人はいないというステンメ様のイゾルデを堪能。
                     
凄かった~~~。映画スクリーンなのに、もうすごいヴィブラート利かせまくりのまさにワーグナー歌手の典型のような巨艦ぶりで、すごい歌い手さんだと思いました。ステンメ様のイゾルデを生涯で1回実演で体験してみたいです。夢です。
                               
そんな自分にとってオハコど真ん中の演目を新国オペラでやってくれるという。ひさしぶりに新国立劇場に行きたかった自分、オペラを観たかった自分。ジャスト・タイミングでした。
                        
東京・初台は音楽の街ですね。東京オペラシティコンサートホールと新国立劇場が併存しています。
                                     
新国立劇場、超久しぶり!
                                   
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公演の詳細レポートはまた別途別に立てます。いま忙しいので、あとでゆっくり論評したいと思ってます。まずは速報という形で。
                           
                      
「トリスタン和音の官能的な響き」
                    
トリスタンとイゾルデの全体の骨格となっている「トリスタン和音」。
                           
なんと!官能的な旋律なんだろう!
ものすごい悩ましい、人を一瞬にして虜にする独特の音階進行。
麻薬みたいな感じですね。
                      
第一幕の前奏曲やラストのイゾルデの愛の死で、そのトリスタン和音は最高潮に達する。
                               
むかし音楽評論家の先生の投稿で、なぜトリスタン和音が人を惹きつけるのか?という論文を拝読したことがある。和声学の理論からしても、じつはこのトリスタン和音の音階進行は官能的な響きになる理屈がちゃんと成り立っているのだそうだ。その音階進行の仕組みが、人間の感性に対してすごく悩ましい、独特の色気を感じさせ、官能的に響くように感じてしまう。それが理論的に和声学的に証明されているのだそうだ。
                         
正直その論文の内容は、あまりに専門的過ぎて難しくてわからなかったのだが(笑)、あのトリスタンとイゾルデ全編を通して流れるちょっと普通ではない半音階ずれた感じで進んでいく、通常の調性音楽と違って一種独特の不安定な旋律の運びは、人間の感情を煽り立てるような、まさにその麻薬ぶり、官能的な響きとなる仕掛けがそこに存在しているのだ。
                                    
トリスタンとイゾルデを観劇するのは2016年以来だから、8年ぶりだ。
いやぁ~じつにエロイ音楽だ。(笑)まさに官能的という言葉がぴったりだ。
                                      
ひさしぶりに聴いて、麻薬みたいな音楽だな、と思ってしまった。
                                      
ひさしぶりに観て、もうひとつ思い出したのが、このオペラ、動きがすごく少ないというか、歌手が静止して延々と歌っている感じで、動きがまったくない。そしてすごく冗長的なオペラなんですよね。すごい冗長的。
                                           
ワーグナーの楽劇は、示導動機、ライトモチーフというその楽劇を象徴する主旋律のメロディが楽劇中に何回も登場することで、1本の筋を通すような役割を果たしている。
                                             
このライトモチーフがカッコいんだよね~。
                                      
ワーグナーのオペラがカッコいいのは、このモチーフが、ここぞというところで何回も現れるので、オペラの骨格としての統一感があって、それが余計、すごいドラマティックに感じる、衝撃的なまでの大感動を生む仕組みを作っているのはこれが原因だと思います。このライトモチーフの仕掛けがそう感じさせる要因だと思ってます。
                                                                     
ところがトリスタンとイゾルデは、そのモチーフの再現回数が意外と少ないというか、正確にはその変形的な旋律はよく現れるのだけど、ここぞど真ん中のストライク、聴いていて気持ちいい!というモチーフの登場は意外と少ないような気がする。
                              
だからインターバルが長いんですよ。すごい冗長的な感じなのです。
                                      
キタ~という感じがなかなか来なく、ずっと今か今かと待っているのだけど、じらされている、というかはぐらかされて、最後のイゾルデの愛の死でついにキタ~という感じで昇天してしまう。そういうオペラだということを思い出しました。(笑)すっかり忘れていました。
                                    
つねに半音階進行的な感じで、従来の調性音楽に対する挑戦みたいな感じです。
これもトリスタン和音の成せる業なのかもしれませんね。
                                    
もちろんこれは門外漢の一般聴衆の自分の感覚でモノを言っているので、音楽学的に正しくないかもしれませんが、自分は昔からこのオペラを観劇すると、いつもそう感じてしまいます。すごいインターバルが長くて冗長的なんですよ。(笑)素人感想でスミマセン。。笑笑
                                    
舞台装置は、13年前とは思えないくらい斬新で芸術的だと思いました。
素晴らしいです。
                                    
歌手はタイトルロールの2人が直前で交代したのですね。今日知りました。トリスタン役はいい歌手だと思いました。明るい軽い声質で、ヘンデルテノール、ワーグナー歌手という感じではなく、もっと軽い感じです。でも声量もあり、歌もうまいと思いました。
                                        
イゾルデ役もいい歌手だと思いました。ずっと第一幕から聴いていていい歌手だな~と思っていましたが、ちょっとだけ辛口でいいですか?(笑)この楽劇の最高潮で昇天するところであるラストのイゾルデの愛の死。いただけなかったな~。(笑)ブレスが多くて、滑らかじゃない。あの官能的な旋律を滑らかに一気に歌いきらないと、聴衆は酔えないんですよ。ブツブツ切なので興奮できない。冗長的なオペラなので、いまかいまかとずっと待っていて、そうしてようやくキタ~という感じで待っていた愛の死でしたが、酔えなく、陶酔できなく、もうがっかりでした。一気に冷めてしまいました。
                                         
でも急なピンチヒッターだった訳ですし、プロフィールをよく拝見しておりませんが、イゾルデはそんなに歌っていないのかもしれません。
                                          
自分が今回のオペラで一番楽しみにしていたのは藤村実穂子さん。藤村さんの歌を聴くのもめちゃくちゃ久しぶりです。覚えていないくらい大昔です。陰影感のあるダークなそして深みのある音色の歌声に、あ~これはまさしく藤村さんの声ということで嬉しかったです。藤村さんの演じたブランゲーネは、非常に歌う出番が多いので、すごく堪能できました。まさしく我が日本を代表する世界的な歌手という実力ぶりでした。
                      
大野和士指揮東京都交響楽団も最高です。
                                        
やっぱりホールでの実演は、器感のダイナミックレンジと低域の出方が全然違う。あのオーケストラの身体を揺らすような豊かな分厚い低音は、家庭のオーディオルームでは再現不可能だと毎回思います。低域の信号は波長が長いので、再生空間の容積が大きいほどいいですね。ホールのあの巨大空間での低域再生は、オーディオルームでは再現は難しいと思います。
                                       
この後、上野の東京・春・音楽祭でもヤノフスキ&N響でトリスタンとイゾルデの演奏会形式を体験します。ヤノフスキの高速でハードボイルドなワーグナー、とても楽しみにしています。きっとまた大感動に違いない。やっぱりワーグナーってハードボイルドに演奏してほしいですよね。枯れたワーグナーはダメです。(笑)
                                   
ひさしぶりに観た新国オペラ「トリスタンとイゾルデ」の公演論評は、別に立てます。落ち着きましたら、ですが。。。
                            
ひさしぶりの新国立劇場。
                                    
電子マネーやクレジットカードが使えるようになりました。(笑)
いいぞ!いいぞ!コンサートホールやオペラハウスもDX化が必要ですね。
                                        
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新国の定番のオペラ演目に合わせた(?)スィーツ。いつも食べたいと思ってしまいます。
                                      
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夕方4時に開演。終演が夜の9時半。5時間半の大伽藍。相変わらずキツかったです。(笑)
                                     
                 
(c)新国立劇場 Facebook
                           
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伊勢屋のカツ丼はなぜ待たされるのか。 [グルメ]

やっぱり町中華は最高である。自分も大好きである。あの雰囲気がいい。テーブルや椅子が大抵赤いですね。そしてお馴染みの町中華メニュー。最近は餃子の王将のような全国チェーン店が中華料理のメニューを完璧に品揃えしていることもあって、こういうチェーン店で中華料理を食べることが多くなった。そして時代とともにあの個人経営の町中華のお店が少なくなっていっているように思う。


”町中華”というのは、昔から地元の人たちに親しまれている中華料理をメインとした庶民向けの食堂のことを指す。 創業年が古いお店が多く、近年では、店主の高齢化や後継者不足などの問題に直面しているところもある。


中華圏の人たちが実際に食べているような本格的な“中国料理”、”中華料理”、いわゆるガチ中華に対して、従来の日本人の嗜好に合う中華料理を「町中華」と呼ぶ。町中にある昔ながらの中華料理店を指し、多くは広東料理や香港料理をベースとして日本人の舌に合うような和風のアレンジが施されている。 本場の中国料理と味は異なるとはいえ、日本人の舌に合わせたローカルフードとしての人気は根強い。


町中華は個人経営が基本で、赤いテーブル、赤い椅子に、そして厨房。漫画や雑誌が置いてあり、お店の前にはウィンドウケースに入ったサンプルが置かれている。


いわゆる「町のラーメン屋さん」が町中華と呼ばれ、赤坂離宮(迎賓館の方ではありません)や聘珍樓などの高級中華と区別されている。


フリーライターの北尾トロと下関マグロが2014年に「町中華探検隊」という隊を結成し、日本全国の町のラーメン屋さんを巡っては本にまとめて出版している。その活動が徐々に注目され始め、「町中華」という言葉がマスコミで取り上げられるようになった。


「町中華」とは、昭和の古き良き時代から続く昔ながらの個人経営の中華料理店のこと。安くて、美味しくて、ボリュームがあって、気軽に通える「町の中華屋さん」を指す。


町中華の定義は:


・狭い店内にカウンターとテーブルだけ(個室はなし)

・メニューはすべて1枚の紙にまとめて書いてあるか、壁に貼ってある

・ラーメン、炒飯、餃子、天津丼などの一般的な中華料理に加えて、カツ丼、カレーライス、オムライス、ミックスフライなどの料理も出している

・飲み物はジュース、コーラ、ビールくらいしか置いていない

・単品価格は500円~1000円程度


といったところであろうか。


町中華はだんだん少なくなってきているとはいえ、やはり昔ながらの名店はたくさん存在する。生駒軒なんかそうだ。いまやのれん分けでたくさんのチェーン展開されている生駒軒だが、その総本山というか、 本店が人形町にある。


生駒軒は町中華の神聖なるルーツなのかもしれませんね。


横浜のおらが街にも、昔ながら愛用している町中華がある。ほんとうにこの街に住み始めた30年前からずっと愛用していて、麻婆豆腐がすごく美味しい。いつもチャーハンとセットで頼む。


やはり町中華のいちばんの魅力は、安くて腹いっぱい喰った~という満足感が得られるところではないか。とにかく庶民的で腹いっぱい喰える。腹を満たしてくれる、その満足感が最高なのである。そして安くて美味しい。庶民の味方なのである。


”町中華”という言葉を最近になってリバイバルというか、ブームに火をつけたのは間違いなく、BS-TBSの”町中華で飲ろうぜ”である。


これ最高だよね~~~。(笑)


始まった頃からずっとファンで見ています。毎週欠かさず見てます。最高ですよね。こういう番組がいちばん楽しくて好きです。玉ちゃんこと玉袋筋太郎さん、坂ノ上茜ちゃん、いまは卒業になってしまったけど高田秋ちゃん。このトリオ最高でした。やっぱり玉ちゃんのあの雰囲気が最高に町中華の雰囲気に合ってますね。玉ちゃんが番組をグイグイ引っ張っていってますね。


いろいろメニューを頼んでいく中でも、かならず最後はラーメンで締める、というのが玉ちゃん流。

これは自分はこの”町中華で飲ろうぜ”を見て初めて学びました。


町中華のラーメンほど、最高にシンプルでラーメンの原点と言えるラーメンはないのではないでしょうか。東京ラーメン、正油ラーメンの基本中の基本。


最近なかなかこういうシンプルな東京ラーメンを食べさせてくれるお店がなくなりました。最近のラーメン屋さんは、ものすごく手の込んだ創作料理の域に達する芸術品のラーメンが圧倒的です。有名ラーメン店は、みんなそういう手の込んだラーメンばかりです。


シンプルで昔ながらの東京ラーメンは、もういまは食べようと思ってもどこで食べればいいのか、思いつきませんよね。そんなラーメン店っていま存在しないです。


どうしても食べようと思うなら、やはり町中華に行くしかないと思うのです。


”町中華で飲ろうぜ”で、玉ちゃんが締めにラーメンを頼んで食べているときがほんとうに美味しそうで。。。(笑)それにつられて、自分も猛烈に食べたくなるのだけど、あういうシンプルな正油ラーメン、どこに行けば食べれるんだ?といつも考えてしまうのでした。(笑)


こういう昔ラーメン、東京ラーメン、正油ラーメンを食べるなら、もう町中華に行くしかないと思います。


”町中華で飲ろうぜ”は最高!いつも見てます。これからも応援していきます。どんどん新たな町中華開拓していってほしいです。

 



さて、横浜の星川という町に伝説の町中華がある情報をキャッチした。


横浜といえば、“日本三大中華街”の一つ「横浜中華街」がある街。料理・雑貨・土産など、600以上の店舗がひしめきあい、その規模は東アジアの中でも最大級と言われている。そんな中華街で有名な横浜なのだが、実はその町で長く愛されている「町中華」も多く存在する。


相鉄線「星川駅」南口に新しくできたバスロータリーの裏手に佇む町中華「伊勢屋」。住宅が立ち並ぶ中、それと見間違えてしまうような外観に、緑地に白い文字の看板の店頭にはいつも行列ができている。再開発が進み、新しい施設が増えてきたこのエリアは横浜からのアクセスもよく、訪れやすい、住みやすい環境が整っている。


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スッスッスゴすぎる・・・(滝汗・・沈黙シ~ン・・・)


この店の看板メニューの「カツ丼」は空前絶後のボリュームが売りで、最短でも60分待ち、長いときは120分待ちの”伝説のカツ丼”と言われているのだ。(笑)麺類、炒め物などどのメニューも美味しいからこそ際立つ「カツ丼」。


最初この写真を見たとき、自分はキタ~~~!とばかり自分のどストライクど真ん中という感じであった。


こ~れは食べてみたい!

しかも町中華だ。

ひさしぶりの町中華。


これはちょっくら行ってみる?というノリで、さっそくGOである。


横浜から相鉄線で”星川駅”で下車する。

ふだん相鉄線ってほとんど使ったことないけど、自動車免許証の更新のときに二俣川免許センターでやることが常なので、その二俣川に行くのに相鉄線を使うくらいだ。だから5年に1度の頻度。でも車内は明るく、相鉄線もなかなかいいな、と思いました。


初めてその町に降りたつ”星川”。


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ちょっと駅前をぶらぶら歩いてみたけど、基本は住宅が立ち並ぶそんな町だけど、駅前は中華屋さんなど昔ながらの個人経営の飲食店のお店が集っているそんな微笑ましい小さなまちという感じだ。


その住宅街の住宅と見間違うかのように、その中にカメレオンのように保護色となって潜んでいるのが、町中華”伊勢屋”である。緑地に白い文字の看板。


あの空前絶後のボリュームが売りの”伝説のカツ丼”はここで食べることができる。


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店内は狭く、まさに町中華そのものという風情。テーブルや椅子はもちろん赤い。壁にはメニューが赤い札でずらっと貼られている。厨房は2畳くらいしかない細長いスペースで、店主のオヤジさんと娘さんなのかな?2人でのオペレーションであった。


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自分はさっそく伝説のカツ丼を頼む。


そうすると、


いまからですと、2時間かかりますが、よろしいですか?


内心、えっぇぇぇえええ~~~と思いながら、ここまで来てあのカツ丼を食べないと話にならないだろうと咄嗟に思い直し、もちろん承諾した。


空前絶後のボリュームとはいえ、あのカツ丼を作るのに、2時間もかかるのか!

そんなにかかるものなのか?

いったいどこにそんなに時間がかかるのか?


いろいろ疑問がふつふつ湧いてきた。

ネットで調べてみると、このカツ丼の調理時間が長い理由が詳らかにされていた。

とても有名なことなんですね。


とにかくこの空前絶後のボリュームのカツ丼は、その豚肉が異常なまでに分厚いのだ。もう信じられないくらい分厚い。


お店は厨房が2畳くらいしかない小さなお店で、時間がかかる理由に納得がいく。これだけ肉が分厚いと、カツを揚げるだけでかなりの時間が必要。低温でじっくり調理しないと、内部が生焼けになっちゃう。


おまけに、中華屋さんですから、普通にラーメンとか炒め物とか、通常メニューこなさないといけない。カツ丼に時間をとってたら商売あがったりなんで、カツ丼の注文をとってきた従業員に対し「え-」と不平を言っている店主の声が聞こえたりする。(笑)


実は揚げ物を専門にしているお店ではないので、一度に4つ?くらいまでしか作れず、なおかつ揚げるのにかなり時間がかかるので、1時間に4人までとかしか提供できないメニューみたいらしいのだ。だからこれを頼まれちゃうと、お客さんの回転が悪くなっちゃう。商売としては成り立たないと。(笑)


平日だったらお客さんも忙しいので、普通にラーメンとか頼む人が多いと思うんだけど、休日はカツ丼のためならお客さんもゆっくり待ちますからね。


周りを見ていると、ラーメンとカツ丼を頼む強者(笑)もいましたが、カツ丼だけ頼んで、あとはじーっと1時間くらい本を読みながら待っているお客さんとかいまして、注文のタイミングによってはそうなっちゃうみたいだった。


ちなみに中華系メニューはあっという間に出てくるんで待っている時間が結構ある。待つ方はそのつもりで覚悟しているんで全く問題ないのだが、そして外で待つ人ももちろんそのつもりでいるんだけど、お店の商売としては困るよね、という感じなのである。


ちなみにお店としては1日としてはカツ丼はせいぜい4つ、と決めているところもあって、最後のカツ丼だった場合は、次のお客さんからは断わられるのだそうだ。というか、その後も、入ってくるお客さんはみんなカツ丼を頼む。休日はこんな感じみたいである。


お店に迷惑だからカツ丼を頼む場合は開店と同時に入った場合のみにしたほうがよいということもあるそうだ。カウンター、テーブルが全て埋まると全員分のカツ丼を作るのは無理なので、結局、回転は悪くなっちゃう。


この伊勢屋は、この町が地元の人でも、「いつも並んでるから入ったことない」と言わしめるようなお店なのだ。


自分が伊勢屋に行ったときは、お店の外に行列はなかったが、いつもは1時間、2時間平気の行列ができている、そんな人気店らしい。そしてここのカツ丼はとにかく空前絶後のボリュームで分厚い。この分厚い豚肉をきちんと中まで火を通すには、すごい長時間が必要。十分中まで火を通して、そして揚げるには膨大な時間が必要なのである。


だからお店の人にとっては、カツ丼をどんどん頼まれるとはなはだ迷惑なのだ。(笑)ほかのラーメンとかチャーハンとかの中華メニューも同時に捌いてこなしていかないといけない。カツ丼はお店の回転を悪くするだけのお店の人にとっては結構迷惑なメニューだったりするのだ。(笑)お客さんがカツ丼を注文すると、いまからだと1時間~2時間かかりますよ、と何度も言ってくるので、要するに頼んで欲しくなさそうなのだ。(笑)


でもお客さんは、みんなカツ丼目当てでやってくる。


ずばりカツ丼作るのにとても時間がかかって、カツ丼を待たれると中華屋さんなのに回転が悪くなってお店の人にはとても困っちゃうメニュー。


これがこの伊勢屋の真実なんだ、ということがわかった。(笑)


自分の場合、2時間かかる、と言われた。

よ~し!2時間待とうではないか!


そう決心したものの、お店で注文してから2時間かかるってどれくらいの時間の尺の感覚だかわかります?ふつう中華屋さんで注文したら、ものの10分~15分で出来上がってくるであろう。


あの基準をふつうの待ち時間の感覚と捉えよう。

あの我々がふつうと考える待ち時間のおよそ8倍である。

2時間待つって相当つらいよ。(笑)


さすがの自分も長い、長すぎる、と思ってしまった。注文して、こんなに手持ちぶたさで待たされることのツラさ。こんなにお店の中で、手持ちぶたさで長時間待つことのツラさ。これはかなり苦痛である。自分はスマホでSNSを閲覧しながら時間をつぶしていたが、さすがにまだか!まだか!という感覚だった。


自分はカウンターの席だったので、厨房が丸見えである。そうすると、カツを揚げているようなところはほとんど見かけないんだよね。ずっと見ていると、ひたすら他の中華メニュー、ラーメンだとかチャーハンだとか、野菜炒めとか、そういうメニューをこなしてくので忙しいのだ。見ているとひたすらこれらの他メニューを作る、捌くことで忙しい。


自分からすると、こんなにまだか、まだか、と待っているのに、カツ丼を作っている様子が全然ないのでひたすら不思議であった。


どこでやっているのか、いつやっているのか、ちゃんとやっているのか。


たぶんカツを揚げたら、そのままその油の中で1時間から2時間ずっと弱火でそのまま浸しているのだと思う。弱火でずっと揚げ続けることで、分厚いカツの中にも火をちゃんと通す、そういうことなのだろう。


結局2時間ではできなかった。

2時間半待った。


その待っている2時間半の間、ずっと厨房を眺めていたのだが、ご主人がカツ丼らしきものを作っている作業はまったく見かけなかった。他の中華メニューはすごい回転率が速く、つぎからつぎへと新しく作ってはお客さんに提供ってな感じで忙しかった。


そして、自分が気づかぬ間に、後ろから配膳の女性から、「カツ丼お待たせしました。」


キタ~~~。待ち焦がれたよ~。。。である。


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これが伊勢屋の空前絶後のボリュームの”伝説のカツ丼”である。とにかく分厚い。そしてこのボリューム。となりのおじさんは、ボクにこのカツ丼が運ばれたとき、びっくりしている様子で何回もチラチラこちらのカツ丼を見ていた。(笑)


これだけ分厚いのに中までちゃーんと火が入っていて肉が軟らかくて美味しい。

とにかく肉がものすごく柔らかいのである。これは美味しいと思った。

そして中まできちんと火が通っていて、生じゃない、温かいお肉だ。


これを実現したいがためにこれだけ待たせたんだね、という感じである。


とにかくすごいボリュームですごい食べ応え。お肉があまりに分厚いので、それがどんぶりの上に乗っている。そうするとご飯はもうどんぶりの底辺に敷いている感じで、量が少ないというか上に乗っているカツの分だけ、ごはんは底辺に追いやられ、量がすくない感じである。


もちろんカツは卵でとじられているので、その卵の塊もごはんにかかっていて、これまた香ばしくて美味しい。分厚いカツと卵、そして卵汁で浸された白いごはん。まさに最高の組み合わせである。


自分の最近の食生活の悩みは、ごはんを食べても喰った~という満足感が得られないことである。血糖コントールのため、食生活を節制していることもあり、あまり量を接種していない。だから食事が終わっても、なんか物足りないというかお腹いっぱいにならず、つねに腹八分目というかお腹が空いている感じで欲求不満なところがある。


でもだ。でもだ。この空前絶後のカツ丼だけは違った。もうこの分厚いカツが5枚乗っているカツ丼。そのカツを1枚1枚ほおばっていくにつれ、そして同時に底辺の白いごはんもかっこんでいく。


こ~れはすごいボリューム感だったし、すごい食べ応えだった。最近の自分にとっては、かなりお腹がキツイ感じで、こりゃ苦しいわ、という感じでいかにも喰った~という感じで最高な気分だった。


伝説のカツ丼、伊勢屋のカツ丼、恐るべしである。


そしてこのカツ丼を食するには、1時間~2時間かかるということを学んだ。


ぜひまた食べに行きたいです。



ちなみに、カツ丼といえば刑務所の取調室である。


取調室といえばカツ丼。このイメージはどうして生まれたのか?


刑事ドラマでおなじみの場面といえば取調室。そこで容疑者がカツ丼を食べるというシーンは定番。


なぜカツ丼なのか?本当に出されるのか?


そしてカツ丼ではなかったとしても、他の丼や定食など、何かしら食事が出されることはあるのか。


ドラマでカツ丼が定番になった理由とあわせて解説していきたい。


実際は取調室で食事はできない。

現在、取り調べの際に食べ物を出すことは禁止されているのだそうだ。


食べ物を出すことは「自白を誘導する」という行為にあたるからで、カツ丼に限らず、おにぎりやパン、そしてタバコなどの嗜好品も禁止されている。なので食事は一旦、留置場へ戻ってとることになっている。



じゃあ、なぜ取調室=カツ丼となったのか?


戦後間もなかったころの日本では、カツ丼が最高のご馳走とされていて、実際に1963年に起きた「吉展ちゃん誘拐事件」では、犯人の自白を引き出すためにカツ丼が出されたという逸話が残っている。


これをきっかけにしてカツ丼のイメージができあがった。


そして、テレビで刑事ドラマが放送されるようになった頃には、警察や刑事の人情を感じさせものとして、カツ丼が使われるようになったそうだ。それからは長く刑事ドラマの取り調べシーンに登場するようになり、カツ丼のイメージが定着していったのであった。


吉展ちゃん事件って知ってますか?(笑)


当時、白ヘル警察官の3億円事件と並んで戦後の犯罪、大事件として国民を震え上がらせた犯罪でした。よく覚えていますよ。いまと違って、当時の犯罪は、なんかミステリアスで怖い感じがしましたね。まさに国民を震え上がらせる、そんな暗い戦慄なイメージでした。


カツ丼、なんと魅力的で美味しい食べ物なのでしょう!


豚肉のロース、ヒレ、どちらを使ってもうまいけど、ヒレ肉はほとんど脂がなくしっとり柔らかな食感の部位。 ロース肉は適度に脂がのったジューシーな味わいが魅力の部位。 よって脂身が苦手な方やさっぱりとしたとんかつを食べたい方はヒレ肉、ガツンとジューシーな味わいを楽しみたい方はロース肉がおすすめといえるのだと思います。


自分は完璧にロース派です。








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おひつ膳 田んぼ [グルメ]

やはり日本人はごはんである。自分は間違いなく食事は和党。朝ごはんはパンよりもごはんと味噌汁派である。都内でおいしいお米、ごはんを食べさせてくれるお店として、以前に表参道の大かまど飯 寅福 青山店を体験して日記で紹介した。厨房にはたくさんの大きな釜戸があって、それでごはんを炊くのだ。


ごはんが似合う和食って、やっぱりおかずが小さくて品数が多いいわゆる上品ですよね。独特の和の佇まいというか、そういう和の美意識が備わっている。


見栄えが美しくて上品。ボリューミーな体育会系でないと、なかなかお腹いっぱい、腹いっぱい喰った~という感覚にならない自分にとって、和食はやはり上品な盛り付けだ。腹いっぱいの満足感を得るというよりは、見かけの美しさ、美食を堪能する、という食事だと思う。


そして美味しいごはんを食べさせてくれる都内のお店は、やはり値段がすごい高い。大かまど飯 寅福もそうだったけど、やはりお米に相当こだわりがある。日本全国からまさにお米の名産地から直送、全国からいろいろな名産地のお米を取り寄せているのだ。こだわりのお米である。だから高いんだと思う。


最近、YouTubeを見ていたら、「おひつ膳 田んぼ」という美味しいごはん専門店が東京都内に展開されていることを知った。やっぱり”美味しいごはん専門店”という響きが和風ですごくいいですよ。


これは魅かれた。行ってみたいな~と思った。


炊きつづける誇り・・・

にっぽんの美味しさを伝え続けます


平成8年創業。1996年ですね。ごはん専門店。登録商標が”おひつ膳 田んぼ”


現在都内に3店舗を構える。代々木店が本店。そして表参道店、三軒茶屋店である。


都内で全国のおいしいお米が味わえるごはん屋さんである。「おひつ膳 田んぼ」は、とにかくお米へのこだわりが強い”ごはん専門店”。炊き立てであることはもちろん、米は時期ごとに一番おいしいお米を使用している。全国からその時期にいちばん美味しいお米を取り寄せているのだ。


そしてごはんを炊く釜にもこだわりがある。毎月1回実演炊飯をして提供している”ぬか釜”という釜でごはんを炊く。


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”ぬか釜”は、もみ殻を燃料にして炊く昔の農家の炊飯器である。美味しいごはんを炊くことに特化した "ぬか釜" は、不要の籾殻や落ち葉の杉を燃料としていて、昔の人の知恵で『うんめぇまんまが炊ける!』電気もガスも使わないエコな調理器具なのだ。究極のエコ炊飯器である。もみ殻を使うから、米作りをする地域で生まれた道具なのだろうが、新潟固有のものかどうかはわからない。東北から北陸にかけて使われていたという話もあるそうだ。




お米のスケジュールも、1か月の間で1週間ごとに使用するお米が違う。お店のHPにて毎月掲載されている。

2024年2月度でいえば、


2/1~2/8     魚沼産コシヒカリ棚田米

2/9~2/11   宮城県蕪栗ふゆみず田んぼ米

2/12~2/24  岩手県江刺金札米

2/25~2/29  山形県置賜産つや姫


お店ではこのスケジュールで精米したての新鮮なお米を炊いているのだ。

これらの自慢の全国のお米は、店頭販売や配送のご注文も可能だ。


1月だけでも4種類のお米をで楽しめる。全国のおいしいお米を都内で味わえるのもうれしいし、種類も月によって変わるので、次の月も行きたくなる。また、スケジュールにあわせて精米しているので、より新鮮なお米をいただくことができる。店頭販売や、配送などもあるので、おいしいお米をおうちでも同じように味わうことができるのだ。ちなみに三軒茶屋店の屋上には、実際の田んぼがありそこでもお米を栽培されているのだそうだ。驚きである。


まさに美味しいごはん専門店。お米に特化した、お米へのこだわりが強い”ごはん専門店”なのである。


お米以外にもこだわりがある。

そのほかにもこだわりが止まらない。


しょうゆ:天然醸造純正しょうゆ使用

みそ:無添加天然醸造

塩:天然ミネラル塩

のり:佐賀有明の初摘み


そして、お店で使用されているうつわは有田焼の食器を中心にオリジナルの茶わん、湯飲みを使用しているとのこと。出るものすべてにこだわりを感じるお店で、来店しているお客さんも細部までこだわりを楽しむことができるのが魅力的である。


これはぜひ行ってみたくなってきた。


代々木店本店や表参道店もいいが、自分は昔、三軒茶屋にいろいろ想い出があり、しばらく三軒茶屋ご無沙汰しているな~と思い、三軒茶屋店を訪問することにした。


おひつ膳 田んぼ 三軒茶屋店


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三軒茶屋駅から国道246号沿いをまっすぐ駒沢大学駅方面に進んでいくと、平屋の建物「おひつ膳 田んぼ」の店舗が見えてくる。平屋で一戸建ての店舗は三軒茶屋あたりでは珍しいので、わかりやすいと思う。



「おひつ膳 田んぼ」は平成8年(1996年)創業で、代々木に本店がある。三軒茶屋店は3つの店舗の中でも一番新しい令和3年(2021年)創業。3年前のピッカピカのお店だ。


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最近できたばかりのお店だが、どこか懐かしい昔ながらの定食屋のような雰囲気の店内である。清潔感もあり、やはりどこか癒しを感じる和の雰囲気満載で、定食屋さんでも一般大衆向けというよりは、もうちょっとハイソで高級な部類に感じる店内の装いだ。すごく上品で洗練された和空間だと思う。



真ん中には大テーブルがあり、12人ほど座れる。テーブル席も3卓、カウンター席も7席ある。家族で来ても、1人で来ても過ごしやすいと思う。町にある大衆向け食堂というよりは高級で洗練されていると思うが、一方で敷居が高過ぎず、落ち着きのある店内で、老若男女問わず入りやすいお店だと思う。




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メニューは、おひつ膳の田んぼの朝ごはんなどは有名だ。シャケの朝ごはんである。お昼頃になると”昼おひつ膳”という形でまた別メニューがある。季節によってそのおかずが違ってくる”季節のおひつ膳”というのもある。


おひつ膳は、全部で13種類


昼おひつ膳(焼きしゃけ)1,200円

昼おひつ膳(さばみそ煮)1,200円

明太子おひつ膳 1,600円

鶏ささみおひつ膳 1,800円

まぐろ中おちおひつ膳 1,800円

かつおたたきおひつ膳 1,900円

銀だらしょうゆかす漬おひつ膳 2,200円

きんき西京漬おひつ膳 2,200円

さけいくらおひつ膳 2,400円

豚角煮おひつ膳 2,200円

ふぐ塩辛おひつ膳 2,200円

うなぎかば焼おひつ膳 2,600円

季節のおひつ膳 1,600円


いい値段するよね~。(笑)大かまど飯 寅福 青山店のときも思ったけど、やはりごはんにこだわったお店のごはん定食はすごい高いのだ。お値段が張る。でもそれだけの値段の価値がある上品な、これぞ日本のごはん定食といえるような代表的なおかずが並んでいるではないか。


自分はすごく悩んだけれど、


銀だらしょうゆかす漬おひつ膳 2,200円


にすることにした。


じゃじゃ~~~ん。


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これは美味しそう~~~。日本人に生まれてきてよかった~と感じるときですね。やはり和定食の食事というのは、こういう感じがいいですね。和定食って、上品な装いで量も少なめだから、血糖コントロール的にみても健康な食事です。そしてなによりも見た目がすごい美しい!使われている食器やおわんが華を添えていますね。有田焼を中心にオリジナルもあって、それが見た目に和の落ち着きと美しさを醸し出していると思いました。


自慢のごはんはこのようにおひつに入って提供されます。おひつのごはんの量としては、ちょうど提供されたお茶碗によそると、ちょうどなくなってしまうくらいの分量で提供されます。


おひつ膳のごはんは、注文の時に好みの量を伝えることができます。おかわりも可能です。そのほかにも、にぎりたてのおにぎりや小鉢もあるので、自分だけの定食をつくっていただくのも楽しそうです。


さっそくいただきます。


使用しているお米は、”松之山魚沼コシヒカリ米”でした。


まず一口ごはんを口に含んだときの印象。


甘~い!である。


なんと甘いお米なんだろう。ソフトで甘みがある。米の甘さが際立ち、もっちりとした炊きあがり。つやつやで粒だっている。


「ぬか釜」で炊くごはんは、一気に燃え上がってガスより強い火力を生みだすから、米の甘さが際立ち、もっちりとした炊き上がりになるのは、そこに起因するかもしれない。


とにかくもっちりしていて甘いので美味しいのなんの。


あまりのおいしさに『道具でこんなに味が違うのか』と茫然としてしまうところもあった。自分のような大食漢では、おかずなしで、このごはんだけで二升は軽く平らげられると思いますね。(笑)


まっ考えてみれば、普段自炊もあまりしないし、外食が多い独身男性の食生活では、こんなつやつやの美味しいごはんにありつけるなんてことは滅多にないから、こういう機会でないと食べられないと思う。


それだけ格別の美味しいごはんでありました。


おかずの銀だらしょうゆかす漬けも抜群の美味ですね~。銀だらってあのように白身で、ちょっと脂の乗りがよくて香ばしい。そこにしょうゆの粕漬のような味付けでこんがり香ばしく焼き上がっているから美味しいのなんの。白いご飯にあう!それも特上の美味しいごはんに絶妙のコンビネーション!という感じである。


日本の和食定食の代表格、王様ですね。


最高だと思いました。


美味しいごはん専門店 ”おひつ膳 田んぼ”

これから頻繁に利用させてもらいたいと思います。


三軒茶屋、懐かしい街です。前職時代にプライベートで想い出があります。

自分から進んで行く街ではけっしてないけど、三軒茶屋、通称、三茶(さんちゃ)は人気あるんでしょ?三軒茶屋というと、やっぱりすぐに思い出すのが、首都高速がバシッと上を走っていること。その首都高速の下にそれなりに町が開けている。そういう景観である、三軒茶屋というのは。


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三軒茶屋は、東京の世田谷区にある街。 世田谷区の中でも知名度が高いエリアで、自由が丘や吉祥寺と並び「住みたい町ランキング」などで、上位にランクインするほど人気がある。 「芸能人が多く住んでいる街」としても有名な他、「トレンディな街」、「オシャレな街」のように呼ばれることも多い。


三茶は家賃凄い高いよね。



「三軒茶屋」という地名は、江戸時代に3軒の茶屋があったことに由来している。渋谷から地下鉄でたった4分で着く三軒茶屋駅直結の「キャロットタワー」は、三軒茶屋のランドマーク的存在。だそう飲み屋も多く、ディープに東京を旅行したい方におすすめの街なのだ。



キャロットタワー


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いろいろプライベートで黄昏の想い出が多い三軒茶屋。今度ゆっくり街歩きして、日記で紹介してみたいです。














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エリザベス・テイラー [俳優]

最近、Facebookの自分のタイムラインにハリウッド女優 エリザベス・テイラーのページ投稿がよく現れる。もう突然のことである。モハメド・アリもそうだったし、らーめん香月もそうだった。その他たくさん。。。自分のこの60年の人生の中で関わってきた人物、事象をFacebookの管理者はお見通しなのだろうか?


頭の中の記憶をスキャンして、その史実をお見通しなのだろうか・・

オレを喜ばせたいのか。(笑)


エリザベス・テイラーは自分にとって忘れられない女優さんである。

あまりに懐かしすぎる!すっかり存在を忘れていました。


子供の思春期の頃の甘酸っぱい、人にはなかなか言えない恥ずかしい想い出でいっぱいな感じである。


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女優さんというのは、海外も国内もやはり時代とともにみなが思うその美人度、美的センスという基準が変わってきていると思うのである。昔の女優さんの”美しい”、”美人”という基準と、いまの女優さんの”美しい”、”美人”とは全然そのものさしが違うように思う。


エリザベス・テイラーは、自分がその存在を認識した高校生の頃かな、だから1970年代。すでにもうピークを過ぎて晩年だった。昔の海外の女優さんの美しい、という基準は、まさにエリザベス・テイラーのような容姿のことを指していた。


当時のものさし基準では、肉感的でエロい感じでセクシーを感じさせる女優。こういう女優が美人女優で美しい女優さんという代名詞であった。そういうものさし基準であった。


この時代、あるいはそれ以前の彼女の全盛期の頃というのは、そういう女性像が美しい女優さんと思われていた図式があったのだ。


そういう基準に全く相反する形でまったく違う正反対のイメージで人気を博したのが、オードリー・ヘプバーンである。それまで肉感的でエロい、セクシーという感じがもっとも女性らしいとされた時代に、その真逆を行くかのように異を唱えるかのように、まったくそういう雰囲気をいっさい持たない中性的な美しさで頂点に立った。


まさに女優の世界での革命児だった。


自分はエリザベス・テイラーを知ったのは街の図書館でその写真集を偶然見たことに始まる。


なんと美しいのだろう!

そしてなんとセクシーなのだろう!


1970年代の高校生の頃だったので、もう異性への興味とか性への関心とか最大限MAXのときである。エリザベス・テイラーはかなり刺激的であった。胸の谷間とか全体的に肉感的でエロい感じ。かなり当時の青い青年にとってはかなり危険な対象であった。


そこから興味を持つようになり、いろいろ本などで女優としてのキャリアを調べた記憶がある。当時は家庭用ビデオもなかったので、出演作を観ることが叶わなかったが、大学生になってからかな?ビデオVHSデッキを親に買ったもらってから、レンタルビデオで、「クレオパトラ」、「陽のあたる場所」、「緑園の天使」とかその代表作を総ざらいした。


まさに「ハリウッド黄金時代」を代表する大女優の一人で、存在そのものにオーラがあって別次元の人という感じであった。輝いていた。まさに昔の女優さんの”美しい”の代表的存在だと思う。


世界的にもっとも有名な女優の一人であり、優れた演技力、美貌、豪奢な私生活、そして珍しいスミレ色にも見える深い青色の美しい瞳で圧倒的な存在を誇っていた。この瞳の色がすごいのである。ブルーより薄いヴァイオレットの瞳なのである。これは自分は写真集を見て、すごい驚いたとともに、人類でこんな色の瞳の人がいるんだな、と思ったし、それが絶世の美人度をますます上げていると思った。


エリザベス・テイラーの容姿にはちょっと変なところが「あった」。年齢のわりには大人びており、実年齢よりも年上だと考える人々も多かったと思う。当時の人々は、シャーリー・テンプルの清純な愛らしさや、ジュディ・ガーランドの飾り気のない子供らしさ、あういう感じに美人だ、というものさしを合わしていたところがあったので、エリザベス・テイラーは違和感な存在であった。



エリザベス・テイラーは、ハリウッド最高のスター、最高の映画スターという名をほしいままにその役者人生を全うしただけでなく、1960年代の性革命にも大きな役割を果たした。『PLAYBOY』にほぼ全裸のグラビアを掲載した最初の有名人の一人であり、映画で脱衣シーンを見せた最初の映画女優の一人でもあった。


セックス・クイーンやセックス・シンボルとしてのイメージも彼女の大きな革命であった。


当時の美しい女性、美しい女優さんというのは、まさにこのイメージであった。

マリリン・モンローもそうである。当時の美しい女性、女優さんというのは、エリザベス・テイラーやマリリン・モンローのような女性のことを指していた。


思春期の青年時代の自分が、一生懸命図書館に通いまくり、エリザベス・テイラーの写真集を眺めていたのもそんなところからくる。


懐かしい想い出である。(笑)自分の思春期の甘酸っぱい想い出ですね。自分が高校生のときだから、もう50年も前のことである。すっかりその存在を忘れていましたが、Facebookのおかげで急激に思い出し、ちょっと青い経験というか、恥ずかしい気持ちになりました。


その後、このような同じ気持ちになったのはもう1回ある。ロック界のマドンナの登場である。1984年頃だから大学生のとき。ロックスターのプロモーションビデオMTVが盛んだった頃である。


マドンナの登場はそれはそれは衝撃であった。完全に自分はマリリン・モンローの生まれ変わりであることを意識していた。そのようにアピールしていた。ロック界のセックスシンボルであることを武器、戦略にしていた。


やはりスターというのは優等生じゃダメだ。驚きがないといけない。マドンナはそんな驚きのいままでにない突然現れたスターであった。


とにかくマドンナの登場は驚いた。

”ライク・ア・ヴァージン”は歴史に残る名盤です!


その後、フルヌード写真集や幾度の顔整形、そして騒音騒動など、どんどん株を下げていったのは残念だったとは思いますが。。。マドンナのページも自分のFacebookのタイムラインによく現れるのです。(笑)やっぱり管理者、主催者は私の記憶をよくお見通しなのでしょうか?(笑)


エリザベス・テイラーは私生活でも非常に恋多き人で、8回の結婚を経験している。晩年はエイズ撲滅の運動に自分の人生をかけた。


自分にとって一生涯忘れられないハリウッド女優である。









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NYC ガーデンアパートメント [住居・ライフスタイル]

米国映画を観ていると、かならずこのような建物を見かけることが多い。


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アパートのような集合住宅で、いわゆる入り口が少し高いところにあって、道路からその入り口に行くまでに階段があるのだ。これは米国映画を観ていると絶対出てくる。誰しもが見た経験があるだろう。


こういう建築方式は日本にはないと思われる。

まず見たことがない。


アメリカ、米国オリジナルの建築方式なのだろう。

しかもスラム街というか、下級階層が住むあまり安全ではない治安の悪いエリアに多く見られ、この階段のところでたむろしている若者たち。


まさに黒人、ブラックミュージックの世界で、このアパートのこの1階部分の階段のアプローチがまあとにかくUSAのMV(MusicVideo)に出てくること出てくること(笑)。ここに友達と溜まっている主人公が、向こうから歩いてくるカワイイ女子、イケメン男子に声をかけるっていうストーリー。


ひとつの「お約束」になっている感じである。


まさにブラックミュージックといえば、この階段なのである。


だいたい階段に溜まるMV(MusicVideo)の曲は「綺麗な女性に会って一目惚れ」みたいな内容なんですね(笑)。あと、アーティストのキャリア的にも、かなり初期の頃にやる「お約束」MVっていう位置づけかもしれません。売れてくると、お金をかけられるので、豪邸豪遊パーティとかのMVになることが多いけど、若手はそこまでまだお金をかけられないし。


・・・てな感じで、まさに「例の階段」なのである。(笑)



そして映画の中のワンシーンでも、このアパートで階段を登って行って、上に入り口の玄関があり、そこから入って下方に展開している庶民級の部屋でくつろぐスター主役たち。シルベスター・スタローンのロッキーなんかもそうではなかったか。こういうアパートの部屋に住んでいて、そして部屋の中でロッキーが大きなジョッキの中に生卵を何個も割って入れて、それをゴクゴク飲み干す・・・そんなシーンを思い出す。


この建物はなんというのだろう?

アメリカ、米国オリジナルの建物ではないか。


ロンドンに住んでいたときも、街中をマイカーでグルグル廻って見学していたときもこんな階段付きアパートメントを見かけたような気がするのだが。。。記憶が定かでない。


とにかくアメリカ、米国で間違いない。


この建築方式は、”ガーデンアパートメント”というのだそうだ。


こういうタイプの部屋は、ガーデンアパートメントという名称で呼ばれている半地下の部屋である。

NYC(ニューヨーク)やロサンゼルスで見かけることが多いらしいがいちばん大多数を占めているのは、やはりNYCだそうだ。


ガーデンアパートメントといえば、ニューヨークなのだ。


もちろん、そこそこの大きさの都市であれば、全米でも見ることが出来る。

土地が十分ある郊外ではあまり目にしないが。


これは、都市の主に賃貸や分譲のアパート(フラット)に見られる建て方で、半地下も部屋として貸す(売る)ための工夫なのである。全くの地下だと価値がなくなるので、半地下にして部屋の上部から光が入るようにしてあるのだ。また名称も「半地下」だとイメージが悪いので、「ガーデンアパートメント」としているのが普通なのである。


建物のオーナーは、普通地上に花壇やガーデンを作って手入れをするのでこういう名称になっている。


値段も上の階よりは安めで、学生や、階段の上り下りが少ない(買い物の場合は階段の下りだけで済む)ので、老人が住んでいたりする。


土地がない所に、効率的に建てて、1部屋余計に作る知恵である。こういう場所では、建物の高さも決められているので、上に多く部屋は作れないのである。


たとえば、地上は4階なので4部屋、それにガーデンアパートメントで5部屋になる。1階をそのまま入り口にしてしまうと、4部屋しかできない。でも1階の部屋にだけ、その分半分の地下エリアが掘ってあって、空間ボリュームとしては。1階+半地下の部屋容積なのだ。この1階と半地下エリアを合体させた部屋をガーデンアパートメントという。だから窓が上の方にあるのだ。そして玄関の入り口も道路から階段で昇って行って上から入って、そして部屋は半地下のほうに下方エリアに展開されているという・・・。



“ガーデンアパートメント” 素敵なイメージが浮かぶが、実は地下室のことで、タウンハウスやアパートの地下室を賃貸する場合に、“地下室”ではイメージが悪くテナントを惹き付けないため、“ガーデンアパートメント”とおしゃれに言い換えているのだ。


だが地下室とは言っても半地下のタイプが大多数で、もぐらの住まいのような(?)暗黒の地下室を想像すると大間違い。部屋の上部には窓があって窓から地上が見晴らせ、外光も入ってくる。つまり窓の位置が地上レベルというわけだ。


部屋の窓から植え込みや花壇もながめられるから、“ガーデンアパートメント”というのもさながらうそではない。通常、上の階よりは家賃を安く設定するので、立地条件が良いガーデンアパートメントは、学生や若者、アーティストなどに大人気だ。


地下室は、冬は暖かく夏は冷涼で、気温が上の階よりずっと安定しているため、住み心地は悪くはない。地下室の利用は中西部が圧倒的に多いようだ。むしろ、西海岸や南部では少ないかもしれない。オランダやベルギーでも地下室を住居として使っているのを多く見かけるが(賃貸かどうかは不明)、いずれも都会に多い点が共通している。 都市は土地が限られ不動産価格も高いから、建物オーナーにとっては、改造してガーデンアパートメントとして何戸か付け加えればそれだけ安定した収入が増える。 入居者サイドから見ても、ガーデンアパートメント、つまり地下室に住めば、別の出入り口からすぐに外に出られるため、足が弱っている人や、沢山の買い物などで手が一杯だったりする場合には、上の階に住むのに比べて便利だ。 とりわけアパート回りの景観をオーナーが美しく整えてある場合、地下室から出てすぐに美しい景色が目いっぱいに広がるのは気持ちがよい。アパートによっては別の出入り口が裏庭に通じていることも多いから、しばしば外に出す必要のある犬など飼っている人々にとってはぴったりな住まいと言える。


ところで、賃貸ガーデンアパートメントの不利な点は、泥棒に入られ易い、暗い、湿気が多い、そして浸水の可能性を免れないなどがある。たしかに、上の階に比べて、窓から(つまり地上から)侵入し易いから、窓に補強ガラスを使うとか鉄格子をはめて防いでいるガーデンアパートメントをよく見る。 


「暗い」という点については、学生や夜働く人にとっては必ずしも不利にはならないだろうし、浸水や湿気については、特殊な下水設備を専門に取り扱う業者などもいるから、充分に信頼できる業者を選び対処することで解決はできよう。


不動産売買において、コンドミニアム、タウンハウス、一戸建てなどの地下室は、“Unfinished basement”と表示されていることが多いが、これは床はむきだしのセメントで、壁はドライウォールとかスタディッドウォールなどの建材で仕上がっている状態を言う。


地下室を物置や貯蔵庫、洗濯室として使う場合には、この程度の仕上げで充分なのだ。だが、のちにここを改造してガーデンアパートメントとし、テナントを入れるオーナーも結構多い。一方、“Finished basement”の表示は、壁や床は上記の仕上げだが、それに加えて、さらにきれいに表装され、冷暖房装置の完備、電気の配線等もなされて、住居としても使用可能な状態を言う。とりわけ高額な物件では、娯楽室やエクササイズルームなど、自由に使える部屋のスペースとして付加されていることが多い。



一戸建ての地下室にベッドをしつらえ、風呂もトイレもつけて独立した客間に改造するのは通常“Father-in-law basement”と呼ばれる。直訳すれば「義理の父親の地下室」だが、何も義理の両親が泊まるためだけには限らない。最近の不況で、いったんは家を出た子供達が経済的な事情から実家に舞い戻るケースが少なくないのだ。子供達(と言っても立派な大人だが)は、もとあった子供部屋でなく地下室に住むことで合意する。両親は生活時間帯の違う子供達によって静かな暮らしを乱されるのを嫌がるし、子供達にとっても、地下室であれば出入り口が別で、親にどこへ行ったの遅かったのと干渉されずに済むからだ。 この他、大工仕事のスペースにしたり、娯楽室としてビリヤード台やピンポン台を置いたり…。キッチンをしつらえて貸し料理教室が最近最もトレンディ。地下室はもっともっと利用されてよいのではなかろうか。



情報引用元:


海外トピックス vol.209 ガーデンアパートメントって?




自分はNYに住むことになった暁にはマンハッタンの高層タワーマンションではなく、こういうガーデンアパートメントの1階+半地下の部屋に住んでみたいです。(笑)こっちのほうがいかにもニューヨークに住んでる!というイメージが湧きます。


NYCといえば、ガーデンアパートメントである!


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自分はいままでたくさんの米国映画、アメリカ映画でこのガーデンアパートメントを見てきた。


1番どんぴしゃその部屋というのが、オードリーヘプバーン主演の1967年の「暗くなるまで待って」ではなかろうか。


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いつも可憐な華のある主役を務めることが多いオードリーではあるが、この映画では全盲の1人暮らしの女性を演じ、目が見えないことをいいことに様々な悪だくみを考える悪な男たち。その男たちと目が見えないながらも戦うオードリー。まさにスリリングな展開でその心理描写、心理作戦にドキドキしてしまう最高にホラーな映画である。


この主人公が住んでいた部屋が、まさしくこのガーデンアパートメントであった。ネットで写真を探してみたんだけど、ドンピシャのがなくて、なんとかそれが分かるのがこの写真である。


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玄関の入り口が上の方にあって、部屋に入ったらそこから階段で下のエリアに降りていくんですよね。1階の空間ボリュームと半地下の空間ボリュームが合体した部屋の高さが十分に稼げている空間で、あまり貧乏くさい感じはしない。映画のセットなので、そこはある程度ゴージャスに作っているのかもしれない。そして半地下を足している分、窓が上のほうにあるんですよね。



この半地下。日本は日照権の問題があるためか、あまり半地下に住む人って聞いたことがない。アイルランドやイタリアでも聞いたことがない。半地下に住む人というのは、やはりニューヨーク。特にマンハッタンには、半地下に住む人は結構いるようで、そんなに悪い事でもないんだそうだ。


何よりビックリなのが、ニューヨークでは半地下の幼稚園が多いこと。いや、半地下を通り越して、完全地下の幼稚園も結構あるそうだ。(笑)


やっぱり半地下や地下って、やっぱり匂いが結構気になるそうですよ。そしてニューヨークの建物は意外と壁が薄くて、隣の人や上下の人の音が聞こえるアパートが多い。


騒音トラブルは、日常茶飯事だ。


子供の頃によく見たアメリカ映画、米国映画の影響もあって、ニューヨークといえば、こういう半地下のガーデンアパートメントを思い出すことも多く、こういうところに住んでいれば、いまオレはニューヨークに住んでいる!という実感が湧いていいとも思ったけど実際はやはり環境劣悪なんですね。(笑)


やっぱり郊外の一軒家がいいですね。


ネットでこの半地下の部屋の写真を探してみたんだけど、ほとんどヒットしなかった。

やはりいろいろ問題あるのだろう。


自分がロンドンに住んでいたときもそうだったけど、海外の賃貸物件は結構家具付きの部屋が多い。これはすごく助かる。あらかじめ生活に必要な家具は一式揃っている。テレビ、冷蔵庫、電子レンジ、洗濯機、台所調理一式などなど。


まったくがらんどうの空き室を与えられても、そこから一から家具を備えるまですごい時間と莫大な費用がかかる。家具付き賃貸物件のほうが家賃高いかもしれないけど、海外で一時的に生活するなら絶対家具付き賃貸がいい。自分はロンドンの一軒家でも、ベルギーのマンションでも両方とも家具付きでした。


自分は結局アメリカ、米国とはなかなか縁が遠かった。


ぜひ行きたいとは思っているのだけど、なによりも予算!自分は基本ヨーロッパの人なので、とにかくヨーロッパ優先。この国に行きたいと思っている国が圧倒的にヨーロッパに多くて、アメリカに回すだけの予算がなかった。


クラシックでいえばカーネギーホール、MET(メトロポリタン歌劇場)、そして小澤征爾さんのボストンシンフォニーホール。この3つはぜひ抑えておきたいと思っていて、もちろんアメリカも有力な実行計画に入っていたのだけど、とにかくヨーロッパがもう好きすぎるくらい大好きなので、どうしてもお金払うならヨーロッパという優先度になってしまいアメリカまでに回せなかった。でもつねにアメリカは計画の中に入っていました。


9.11の同時多発テロ発生以来、アメリカに旅行する場合は、スーツケースはカギをかけても空港検査員が破壊できるような仕様でないと認められない特注のスーツケースであることが国家保安的に条件、ということも聞いたことがある。


ぜひアメリカ旅行用のスーツケースを買っておきたかった。(笑)


やっぱりアメリカといえばニューヨーク、NYCであろう!

24時間眠らない街。


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やはり憧れである。


物価が信じられないくらい高いらしいですよ。世界一物価が高い街。破産する~~~という悲鳴を上げるくらい高いらしい。そんなNYCで、しかもマンハッタンのような高級エリアに住むことなど、もう一般人には無理なことであろう。


治安の悪い街でもあるし、旅行ならまだしも住むとなるとかなりハードルも高い。

でもNYC マンハッタンで半地下の部屋に住んでみたい気持ちは密かに持っていたりします。(笑)









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