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東京タワー [建築]

東京タワーに対する自分の想い出は述べた。東京タワーといえば、自分にとって仕事の場所だった。観光で東京タワーに行きたいと思ったことはまったくなかった。


ずっと自分の記憶の片隅に眠っていた東京タワーであるが、いま東京タワー1Fであの伝説の女優さん、高峰秀子さんの展示会が開催中で、これはぜひ行ってみたいと思い、その場所が東京タワーということで、あまりに思い入れが深いところなので、つらつらと思い出してしまった。


墨田区の東京スカイツリーにデジタル放送の電波塔としての主役の座を譲ったあと、東京タワーっていまどうやってご飯を食べているのかな、どうやって経営が成り立っているのかな。


自分がこうなったら怖いなと思ったのは、東京タワーの毎日の維持費、ランニングコストってすごい高いと思うんですよね。仕事としての役割がなくなった東京タワーは、どうやってこの維持費を賄っているのかな。


ランニングコストを払えなくなって経営難に陥って、ついに東京タワー解体、という話になってしまったら、あまりに悲しすぎる。昭和の高度成長時代からずっと東京を見守ってきた東京タワー。東京の遺産なのであるから、それだけは避けたいと思ったのである。


それで、東京タワーっていまどうやって経営を維持しているのかな、と思い、ネットで調べたのだ。


そうすると、それ以外にも東京タワーの成り立ちから、その歴史、いろいろ知ることができてすごい興奮してしまった。これはもう東京タワーに行くしかないだろう!と思ってしまった。


そして東京タワー、行ってきました!

もちろん高峰秀子さんの展示会も。


そこら辺を、今回紹介できれば、と思う。




●電波塔の東京タワーにわざわざ「展望台」が作られた理由


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情報引用元:


電波塔の東京タワーにわざわざ「展望台」が作られた理由。

小川裕夫~フリーランスライター





・今なお色褪せぬ、東京の「シンボル」


1958年(昭和33年)に開業した東京タワーは、今でも東京の「シンボル」であり、観光名所としても親しまれています。その東京タワーを設計したのは建築家の内藤多中(たちゅう)です。


内藤は、東京タワーのほか、前身ともいえる日本放送協会の愛宕山放送局塔を手掛けています。その後も名古屋テレビ塔、2代目通天閣、別府タワー、さっぽろテレビ塔、博多ポートタワーなども設計し、「塔博士」とも呼ばれました。


国内の電波塔として抜群の知名度を誇る東京タワーですが、それ以前より、名古屋テレビ塔や別府タワー、さっぽろテレビ塔といったテレビ・ラジオの電波塔は建設されていたのです。


いままではテレビ・ラジオの電波塔は、東京ならテレビ局ならテレビ局ごと、そしてラジオ局ならラジオ局ごとというように、それぞれに小さな電波塔が乱立している感じだったのですが、それだと東京のあっちこっちで電波塔の乱立で街の景観が破壊されてしまうということで、そこで持ち上がったのが、テレビ・ラジオなどの電波を集約する総合電波塔の構想です。これが後に東京タワーの計画へと進化を遂げていくのです。


総合電波塔の構想前の時代の電波塔は、このように複数の電波塔が乱立している状態だった。


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テレビの電波塔とラジオの電波塔が別々。これだと電波塔の乱立で街の景観を破壊してしまう。そこで、テレビとラジオをまとめて、1つの電波塔だけで関東圏をすべてカバーする。それが総合電波塔のコンセプトである。



東京タワーを国内屈指の総合電波塔にするべく、内藤多中はあらゆる面で奔走します。


内藤は、名古屋テレビ塔が入場料で建設費を賄ったケースを踏襲し、東京タワーにも展望台を設置します。この展望台で入場料を稼ぐといったビジネスモデルを考えたのです。


東京タワーは総合電波塔としての役目だけでなく、現在は年間300万人が訪れる東京には欠かせない観光名所になっています。東京タワーの収入は電波塔としてテレビ局・ラジオ局から収入を得ているほか、観光客による入場料、お土産販売、レストラン・カフェによる飲食関連の売り上げも大きなウェイトを占めています。


そのため、東京スカイツリーに総合電波塔の主役を譲っても、東京タワーは堅調な経営を維持しています。内藤が考えていた、「観光収入という経営安定策」が、もくろみ通りに東京タワーを収入面で支えているのです。


そうした観光面による収入は、東京タワーが東京都心部に立地していて目立つから、眺望のいい高層のタワーだからということだけが理由ではありません。そうしたメリットにあぐらをかかず、多くのリピーターを引きつけるべく東京タワーは絶えず経営努力をしているのです。


東京タワーの周りには、あまり高層ビルを立ててはいけない、という街景観のルールが東京都港区にはあるみたいですよ。高層ビルが乱立してしまうと、あの東京タワーの美しいシルエットが隠れて見えなくなってしまうじゃないですか・・・


東京タワーのあのシルエットがちゃんと全景が見えるように、あの周辺には建築法など厳しい街景観造りの規制をおこなっているそうです。


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●東京タワーは、なぜ333メートルなのか。


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情報引用元:


なぜ東京タワーは「世界一高い電波塔」となったのか・・・333mという異形の高さを実現した田中角栄のひと言

大澤昭彦(東洋大学理工学部准教授)





関東全域に電波を届けるためには塔の高さを300メートル以上にしなければならない。そこに6局分のアンテナを乗せると380メートルになる。しかし、強風時のアンテナの揺れ角度の制限などから320メートルぐらいに下げざるを得なくなった。


地上風速60メートル/秒、頂部で90メートル/秒の風に耐え得る設計がおこなわれた。着工当時の高さは、塔体260メートルの上にアンテナ部分61.66メートルを加えた321.66メートルであった。


ところが、各局の要望を取り入れようとすると、アンテナが62メートル内に収まらないことがわかり、約80メートルに伸びた。そこで塔体の頂部を一部切除して高さを調整し、塔体253メートルにアンテナ部分を80メートルを加えた333メートルで落ち着いた。


東京タワーの創業者、前田久吉は、東京タワーの高さが333メートルである理由として、「どうせつくるなら世界一を・・・エッフェル塔をしのぐものでなければ意味がない。」と記したが、実のところ世界一を目指したためではなく、技術的な要請によるものであった。(笑)


でも創業者、経営者ってそういうセンスがないとダメですね。そういう洒落っ気というか、アドリブがないと面白くもなんともないです。名経営者にそういう名言が多いのは、普通でなんともない事実をそのように換言するそういうセンスに長けているからだと思います。



●NHKからの物言い


アンテナの位置が高いほど電波は遠くに飛ぶ。各局にとってアンテナの設置場所は死活問題であった。通常、周波数が大きいものを高い場所に設置するため、日本電波塔は、上から順に10チャンネル(日本教育テレビ・NET)、8チャンネル(富士テレビジョン)、6チャンネル(ラジオ東京テレビ)、4チャンネル(日本テレビ)、3チャンネル(NHK総合)、1チャンネル(NHK総合)にすることを考えていた。


この案に最下段となったNHKが反発した。電波を関東一円に届けるころは公共放送の義務であるとして、最上部を要求したのである。日本電波塔の松尾三郎はNHKの永田清会長に面会し説得を試みたが、永田は「一番トップに持っていくなら乗ってやろう」と頑なな姿勢を見せた。


NHKをはじめとする既局はまだ送信所の移転を決定していた訳ではなかった。日本電波塔としてもNHKに利用してもらわなければ、総合と教育の2局分の利用料が手に入らない。これだけは避けたい。


苦肉の策で、最上部に1チャンネルと3チャンネルが共用するスーパーターンスタイルアンテナを置き、以下10,8,6,4チャンネルの順でスーパーゲインアンテナを設置する案を作り、各社の同意を得ることができた。最終的にNHKが、最も条件のよい最上部を確保することとなった。



●田中角栄と東京タワーの意外な関係


これで建設は順調に進むと思われたが、予期せぬところで横槍が入った。東京都が建設基準法に抵触するとして手続きを止めたのである。


NHK、日本テレビ、ラジオ東京のテレビ塔と異なり、新電波塔には屋根や壁を持つ展望台とアンテナ整備用の作業台(1967年に特別展望台に改修)が計画されていた。それゆえ、東京都は「工作物」ではなく、「建築物」とみなしたのである。


当時、建築基準法では、建築物の高さは最大でも31メートルに規制されていた。渋谷の東急会館(東急百貨店東横店西館)と東急文化会館(五島プラネタリューム)はいずれも43メートルの高さだったが、これは例外措置を用いたものだった。


東京都は例外許可の運用が厳格なことで知られていた。


そこに当時郵政大臣であった田中角栄が登場する。


田中は、1957年(昭和32年)7月に39歳で史上最年少大臣に就任。その数日後、郵政官僚の浅野賢澄官房文書課長から、新電波塔の工事が滞っている旨の説明を受け、解決に乗り出す。


自ら建設業を営み、議員になってから建設基準法の制定に大きく関与していた田中は、東京タワーは建築物ではなく工作物と解釈するべきであると石破二朗建設次官に進言。


これに建設省や東京都も納得し、工事が再開されることになる。田中角栄は自らの手柄としたが、その判断の裏には、自民党参議院議員の石井桂の助言があったと考えられている。



●タワーの色が白とオレンジなワケ


工事中には、別のトラブルにも見舞われた。1958(昭和33年)春、国際航空運送協会(IATA)が東京タワーの高さに疑義を唱えたのである。


東京で開催されていたIATAの太平洋・アジア地区技術会議(航空会社11社55名。3月17日から4月1日開催)が、航空安全上の問題があるとして、塔の高さを66メートル低くするよう、運輸省航空局と気象庁に申し入れをおこなった。


羽田空港では、1959(昭和34年)年秋から1960(昭和35年)年末にかけて、パン・アメリカン航空、スカンジナビア航空、日本航空などの各社がジェット機の運航を予定しており、離陸時の支障になるとの主張であった。


通常のルートであれば影響はないが、離陸直後にエンジンが一つでも故障すると、浮力が落ちて急遽飛行方向を変更しなければならず、タワーに衝突する恐れがあった。IATAは、高さを削ることができないのであれば、法規で定めるよりも明るい航空障害灯の設置などを要望した。


法律上、60ワットの航空障害灯を取り付ければよかったが、要望を受けて、東京タワーでは1キロワットが6つ、75ワットが6つ、頂部には500ワットのライトが設置されることになった。


また航空安全の観点から白と橙(インターナショナルオレンジ)で塗分けられることも要望された。日本電波塔側は、太陽の輻射熱の影響をできるだけ避けるため全体を銀白色に塗る計画であった。(→これはいまの東京スカイツリーのほうで実践されていますね。)


1958(昭和33)年10月9日、公募によって愛称が「東京タワー」に決定し、同月14日にアンテナ取り付けが完了。

12月23日に竣工した。




これが東京タワーのすべてである。

東京タワーの真実である。


東京タワーはその当時、その333メートルという高さ。世界一高い電波塔であった。

それは創業者 前田久吉が「どうせつくるなら世界一を・・・エッフェル塔をしのぐものでなければ意味がない。」という逸話も生まれた。


東京タワーは、当初案では煙突のようなタワーだったそうだ。(笑)


エッフェル塔のような末広がりの鉄塔は風景を阻害しているのではないかとの疑問を持たれていたようだった。むしろ煙突のようにまっすぐに空に伸びるスレンダーな塔の方が美観に資すると考えられたそうである。


そして塔がオレンジ色と白に塗り分けられている理由~それは航空安全のためだった。


電波塔ではあるけれど、展望台を作ることで、観光収入を得るという収入ビジネス。設計者であり、塔博士でもある内藤多中が名古屋テレビ塔で展望台を作ったことで得たその知見を東京タワーにも同じビジネスモデルとして取り入れたのだ。


電波塔としての役割は、東京スカイツリーにその主役の座を明け渡したが、いまだに東京タワーとしてビジネス経営ができているのは、このFMラジオ放送局からの電波料賃貸収入、そして展望台の観光収入、そしてお土産屋さん収入、そして東京タワーに入っている飲食店などのテナント料で賄われているのだ。


これで、自分の謎がすべて解決した。


東京タワーというと、もうひとつ面白い逸話がある。

それは東京タワーを建築するときの神話だ。


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東京タワーを作り上げた鳶(トビ)職人たち。昔の人はスゴかった。(笑)怖いだろう?


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鳶(トビ)職人というのは、一般的に日本の建設業において、高所での作業を専門とする職人を指す。


この東京タワー建設時に大活躍した鳶職人たちには、伝説がある。

高層部分の建築は、当然、鳶職人たちがおこなった。

※鳶の若頭は桐生五郎氏で、当時なんと25歳。


鳶職人たちは、もちろん命綱はない。

多いときでは、約60人もの鳶職人が高層部で仕事をしていたそうだ。


納期が厳しいことから、風速15m/sまでなら作業をしていたようである。

東京湾からの突風が吹くこともある。

まさに命がけの工事である。



当時はクレーンもないので、部材はゴンドラに乗せて高所に運んでいた。


東京タワー建設の伝説が、”死のキャッチボール”である。

鉄骨をつなぐ鋲(びょう)を、まるでキャッチボールのように渡していたのが東京タワー建設の伝説。


通称「死のキャッチボール」。


800℃まで熱した鋲を、各作業場所までパスする。

鋲を受け取る鳶職人は、金属製のバケツで800℃の鋲をキャッチする。


ときには、20mクラスのロングパスもあったそうだ。

死のキャッチボールは、約28万回も繰り返された。

このようにして東京タワーは、なんとすべて手作業で建設されているのだ。


東京タワー建設中におきた死亡事故 ”死者数1名”

東京タワー建設では、1名の尊い命が失われている。。


1958年6月30日に、鳶職人1人が強風に煽られて高さ61mから転落して死亡した。


当時の足場は30cmほどしかなく、前述のとおり命綱もなし。

鉄骨にしがみつきながらの作業も多かったそうだ。


もうほんとうに昔の人はスゴイとしか言いようがない。(笑)

高所恐怖症の自分には絶対無理です。



ここまで情報インプットして、もう居ても経ってもいられなくなり、東京タワーに行ってみることにした。(笑)



東京タワーへのアクセスは、5パターンくらいある。自分は一番近い都営大江戸線の芝大門駅からのアプローチを選んだ。


おぉぉぉおおお~~~。見えてきた、東京タワー!!!

もう興奮度最大MAXである。目の前で見る東京タワーの迫力のすごいこと!

すごい高いです。


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東京タワーの構造はこのようになっている。


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1Fがチケット売り場、2F/3Fにお土産屋さん、飲食店・フードコートが集まっている。そしてRという階からオープンエアでメインデッキまで外の階段を上りながら空気をじかに浴びながら、そしてあのオレンジ色の骨組み骨格を眺めながら上っていくのだ。もちろん1Fのエレベーターで、直接メインデッキへ行くことも可能。


地上から150mにある大展望台をいまはメインデッキという呼び方にリニューアル。そして地上から250mにある特別展望台をトップデッキという呼び方にリニューアルしたのです。


展望台は、メインデッキ(150m)とトップデッキ(250m)とがあるということです。


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メインデッキへは簡単にエレベーターで行けるが、トップデッキからはツアー形式になっていて、ツアー申込の予約制で、時間指定のチケットを買わないといけない。メインデッキのみのチケットと、メインデッキとトップデッキへの両方いけるチケットがある。


自分はもちろんメインデッキ+トップデッキの両方行けるチケットにした。


3,000円!!!である。高い!さすがの料金設定である。(笑)ここに観光収入を見込んでいるだけある。


東京タワーへは年間300万人の観光客が訪れるそうだから、3,000円の展望台チケットの観光収入だけでも、年間90億の収入である!(驚)


すごいもんだな~~。


ちなみに、自分が直接東京タワーに入った感触では、もう90%以上が外国人観光客という感じでした。平日のお昼ということもあるでしょうけど、ほとんど日本人はいなかった。全員外国人観光客という感じである。アジア系、西洋系満遍なくいます。


やっぱりインバウンド観光ビジネスなんですね~。インバウンド観光客、神様という感じなんでしょうね。これで日本は儲けさせてもらっているんですね。外国人観光客にとって、東京タワーは大人気なのです。


ボクら日本人がロンドンに行ったらビッグベン&国会議事堂とかロンドンタワーブリッジ、パリなら凱旋門、ルーブル・オルセー美術館に行くようなもんですね。(笑)お互い様です。


3,000円という強気の価格設定もインバウンド観光客向けの設定なのかもしれません。


東京タワーのエントランスです。


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東京タワースタジオというのがあります。


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ここは、かつては、この建物をテレビ東京が日本科学技術振興財団のテレビ事業本部時代から本社・放送センターとして使用していた建物だそうです。当初より、この建物並びに立地している土地は、東京タワーの運営会社である日本電波塔(現:TOKYO TOWER)の所有であり、テレビ東京が本社として使用していた当時は日本電波塔に家賃を払って使用していたそうである。




エントランス前には、ロンドンのあの2階建ての赤いバスを思わせるバスがあり、上階の2階は食べ物を食べるインスタントな食事処になっていました。たこ焼きやホットドッグを食べるみたいです。


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東京タワーの内装空間は、やはりちょっと時代を感じさせますね~。なんかいかにも昭和というレトロな感覚が残っています。もう感覚的、雰囲気の問題です。あ~やっぱり古い建物だな~と思いました。


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2F/3Fの飲食店、カフェ、フードコート、お土産屋さんを覗いてみますね。でも、ここで稼ぐ収入も大きいんですよね。平日のお昼ということもありますが、もう本当に外国人だらけです。日本人ほとんどいなかったです。もうここでの飲食店のテナント料、お土産屋さんの売り上げなどで膨大な収益を上げているのです。外国人観光客、様様です。


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1Fのチケット売り場


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1Fにこんな記念撮影スポットが。東京タワーはもはや観光がメインですから記念撮影スポットはいたるところにあります。


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メインデッキへのエレベーターを待つ人々。もう大行列です。


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そしてエレベータに乗ってメインデッキに到着します。


そうするとウエルカムゲートパネルが待っていました。ここで外国人観光客のみなさん、みんな記念撮影をします。


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メインデッキをゆっくり見物したいですが、トップデッキへ行くのは時間予約制なので、まずトップデッキへ行くことを優先します。トップデッキに行くエレベータはこちらです。ここからはトップデッキツアー専用のエレベーターになります。


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メインデッキからトップデッキに行くためのエレベーターはプライベートエレベーターになっていました。


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この2人の肖像画は、東京タワー創業者の前田久吉と、東京タワー設計者の塔博士の内藤多中に違いありません。どちらがどちら、というのは分かりませんでしたが、なんとAIを使ってかわかりませんが、この肖像画の表情が動き出して話し出すんですよね。(笑)前田久吉と内藤多中とが、東京タワーについて語り合っているのです。


そして奥に見える本棚の一部がトップデッキへ行くプライベートエレベーターです。


トップデッキへはもうツアーなのです。トップデッキツアーなのです。13言語でおもてなし、東京の街と東京タワーを知る事前予約制の体験型展望ツアーなのです。


その前にガイドさんが、東京タワーのトップデッキに着いたら、待ち構えているツアーガイドさんへの挨拶方法を教えてくれます。


トップデッキツアーでは、Vサインではなく3本指のWサインが登場します。WIO!は、電波塔の地図記号を表しており、上から、W・I・O、つまりウィオ!となります。


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プライベートエレベーターでは一気にトップデッキに行くのではなく、途中で下車します。エレベータの乗り継ぎがあるんですね。この途中下車した階でドリンクサービスと、記念撮影があるのです。


こうやって東京都の街並みをバックにカメラマンに記念撮影の写真を撮ってもらえるのです。外国人観光客さんにとってはうれしいでしょう。カメラマンの英語はネイティブ並みに達者でございました。


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そして、ついにトップデッキに到着します。


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メインデッキと比べると当然ですがフロアは狭くなります。でもすごい高くて見晴らしがイイです。これが東京タワーのトップデッキから眺める東京都心です。


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もう外国人観光客大喜びです。


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やっぱり昔から思うんですが、こういう展望台景色は、絶対夜景の方がいいですね、ロマンティックですね。今度夜に行きます。



そしてまたエレベーターでメインデッキに戻って来ます。順番としては、まずツアーになっているトップデッキ(250m)に最初に行くという感じで、あとで、メインデッキ(150m)に戻って来てゆっくり見物する、という感じですね。


メインデッキはやはり広いし、スペースにゆとりがあります。


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季節柄、桜の木も飾られていました。


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神殿なんかもありましたよ。


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メインデッキから臨む東京都心です。


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THE SKYという東京タワーのOFFICIAL SHOPもありました。みんな東京タワーのおみやげを物色しています。


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ここメインデッキから下の階に降りて行くには、まず外のオープンエアの階段を降りていくのです。自分は最初、えっ?と思いました。結構高さがあります。ここから階段で降りていけ、というのか。でもそうなっているのです。


行は地上1Fからメインデッキへエレベーターで直行します。でも帰りは、メインデッキから外のオープンエアの階段で降りていくのです。


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これが素晴らしいですよ!あの東京タワーのオレンジ色の骨組みの中を外気に触れながら階段で降りていくのです。なんか高所恐怖症の方にとっては怖いかも?(笑)階段で言えば、531段あります。こういう試みも東京タワーの醍醐味を楽しんでもらうひとつのコンセプトなんですね。


結構歩いて階段を下りていきました。まっ上りよりは下りの方が楽ですから、助かりましたが、歩行障害の自分にとってはなかなかハードではありました。


そうしてRという外のフロアにいったん到着します。


記念撮影場所があります。


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なんか、東京タワーで、もちろん煙モクモクですから外気に触れるどこかの頂上部でしょうが・・・ジンギスカンが食べられる催しもあるみたいです。


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このRという外のフロアからエレベータで元の1F/2F/3Fに戻るのです。


せっかく東京タワーに来たのに、ちょっとミスしたことがありました。それは東京タワーの上階で、床がガラス張りになっていてそこから下界の風景が一望できるというものです。メインデッキかな。トップデッキかな。


これは怖いですよ~。

高所恐怖症の人は無理ですね、自分含めて。でも体験したかったです。当日忘れてしまいました。



もうお昼を廻っていました。お腹ペコペコです。


2F/3Fのフードコートやレストラン街で、めぼしい処を探します。


せっかくですから珍しいところがイイですね。


パキスタン料理レストランみたいです。


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パキスタン料理ってもちろんいままで食べたことないです。

興味本位でここにしました。



店内は薄暗く、かなり怪しげです。(笑)おそらくパキスタン音楽のBGMが店内に大音量で流れていました。なんかだんだんその雰囲気に染まってきた感じです。


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自分はパキスタン料理とはいえ、カレーにしました。シディクマナカレーというカレーです。パキスタンのカレーなのでしょうか・・・


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これはじつに不思議な味でした。いままで食べたことのないカレーの味です。ちょっと甘い感じで、独特のタンパク質系というかデンプン系というか、そういう食感の味がする不思議な味です。全然辛くないです。ひたすら甘いでんぷん質の味なのです。これがパキスタンのカレーなんだな、と思いました。


美味しいと思いましたよ。

1,200円でした。


御馳走様でした。


じつは東京タワーに来ようと思った最初の理由は、伝説の女優、高峰秀子さんの生誕100年プロジェクトがこの東京タワーで展示されていたからなのです。ここに来たいから東京タワーに来たのです。それで東京タワーのことを調べたら衝動的になってしまって・・・(笑)


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展示は写真撮影禁止ですので、口頭でしか説明できませんが、それはそれは素晴らしいものでした。高峰秀子ファンにとっては堪らないと思います。


高峰秀子 生誕100年プロジェクトは、それはそれは素晴らしいものでした。高峰秀子さんの人生の年表に合わせて、そのときの映画に出演した台本の展示、当時の雑誌に掲載された高峰さんの写真、そして実際住まれていた家の家具なんでしょうかね。実物大で展示されていました。もう高峰秀子という女優のすべてがここに詰まっている、と言っても過言ではないのではないでしょうか。


高峰さんが出演された映画(もちろん白黒)の断片を繋ぎ合わせたショートームービーの鑑賞ルームもあって、そこで座って高峰さんの代表作、そして演じている姿を拝見しました。


高峰秀子さんは、自分の世代ではないですね。もううちのオヤジ、オフクロの世代の女優さんです。

自分からすると伝説の女優さんです。


その凛とした演技ぶり、話し方も含めて、高峰秀子という女優を理解できたような気がします。展示会に行かれる人は、ぜひこのショートムービーをご覧になることをお薦めします。


もうこのために東京タワーに来たんだ、という満足感でいっぱいでした。


展示会は写真撮影禁止ですので、ネットに掲載されている写真を上げておきますね。こんな感じの展示会でした。


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東京タワーというところは、自分にとっては仕事つながりでしか想い出がなかった場所でしたが、まさか女優 高峰秀子で繋がるとは思いも寄りませんでした。(笑)


素晴らしい展示会だったと思います。


5/6(月)までやってます。ぜひ行かれてみてください。













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