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源氏山公園 源頼朝像 [日本史]

2022年の鎌倉殿の13人のとき、鎌倉五山など所縁の鎌倉の土地をいろいろ行脚した。いい想い出である。でもこのときどうしても達成できなかったところがあった。それが源氏山公園の源頼朝像である。


もちろん行こうとした。でもあの頃は脳疾患から復帰して退院したばかり。いまと比べて歩行障害もひどかった。せっかくNHK大河ドラマで、自分がもっとも拘る源頼朝と東国武士団の旗揚げを題材として扱ってくれているのに、源氏山公園 源頼朝像に行かない訳にはいかないだろう。


源氏山公園は、何度か試みた。まずネットで下調べしたところ、簡単にはいけないところであることがわかった。山の中にある。そして鎌倉駅から徒歩でゆうに20分以上かかるとある。


徒歩で20分というのは相当の距離歩きますよ。

歩行障害の自分にはこれは無理だな~と思った。


そして地図を見ても、山の中なので、鎌倉駅からの徒歩でけっこういろいろ道の蛇行が多くて複雑で頭の中にイメージできない感じだった。こりゃ結構難しいな~と感じた。それでいったん諦めた。


でもせっかく鎌倉殿の13人に纏わる巡礼の旅と称して、鎌倉五山や北条氏所縁の寺院を歩き回っているのに、源氏山公園の源頼朝像を外すのはおかしいだろう?ということで再度チャレンジしてみようと思ったのである。


自分が考えたのは、タクシーを使おうと思ったことである。(笑)

いま考えたら、ちゃんちゃらおかしいのであるが、やはり自分的に相当追い詰められていたんだろうな。なんとかしなきゃということで。


タクシーを使って、源氏山公園の麓まで行って、そこで待たせておいて、さらっと源頼朝像を見てきたら、また下山してきてそのままタクシーで鎌倉駅に戻る、という案である。なにせ、源氏山公園は山の中にあるので、行ったはいいけど、帰りの足をきちんと確保しておかないと、そのままそこに置いてきぼりになって大変なことになってしまう、と考えたのである。


いま考えたら必死だったんだな(笑)と、笑うしかないのだが。


そして満を持して、鎌倉駅に行って、タクシーに乗り込んで、源氏山公園と告げた。

そうしたら無理です、と言われた。(笑)

源氏山公園はもともとハイキングコースなのだけど、台風の影響で倒木などで軒並み通行禁止になっていて、いまあそこまでは車ではとてもじゃないけどいけないんですよ。


これでアウト。

あ~もうこれで無理だな。諦めるしかないな、と。


かなり心残りだったけど、もう自分の足の状態から、まずそんなに歩くのは無理だし、そんな山の中にある公園までたどり着くのは絶対無理だろう、と思ったのである。


そして、それから1年経過した今年2023年。


歩行リハビリを毎日強烈にやり続けて、そして街歩きという新しい目標が加わり、いままで以上に1日にたくさん歩くようになった。いまの横浜シリーズなんて、8月の猛暑のときから開始して、朝の9時頃に横浜に着いて、そこから終わって家に帰るのは夕方の16時くらい。もう6~7時間ずっと歩きっぱなしである。しかも酷暑の毎日。それをもう2か月間続けてきたのである。


もうだいぶ鍛えられてきたと自分では感じる。

退院した頃と比べると雲泥の差だ。


でも源氏山公園のことは、もう忘れていた。もう大河ドラマは終わっているし、自分の中ではすでに終了案件であった。


そんなときに、2023年10月27日の鎌倉歴史文化会館で展示されている洪鐘祭(おおがねまつり)の展示会。これで鎌倉市役所のある方向の住宅街を歩いていたときのこと。


鎌倉の銭洗弁財神社まで何km、そして源氏山公園まで何km・・・という行先掲示板がどんどん現れる。もうこれは自分は意識しない訳には行かない。(笑)


鎌倉歴史文化会館の方面、さらにその先には、銭洗弁財神社、そして源氏山公園があるのだ。

そのキロメートル数を見て、いまの自分だったら歩けるんじゃないか?行けるんじゃないか?と直感で感じてしまった。


なにせ、ここ毎日、横浜ウォーキングで鍛えに鍛えているので、これくらいのキロメートル数だったら、行けるよ!と思ってしまった。


そこで、鎌倉歴史文化会館で洪鐘祭の展示会を見た後に、そのまま銭洗弁財神社、そして源氏山公園まで歩いて行ったのだ。


もう偶然の賜物。偶然もいいとこ。その日の予定ではまったく考えていなかったのに、その場所に行ったら、その行先掲示板でピンと来てしまった。


・・・ということで。期せずして、2年ぶりにリベンジの源氏山公園 源頼朝像に再挑戦なのである。


まず、銭洗弁財神社から。こっちのほうが先だ。源氏山公園に行く途中にこの神社がある。


もう住宅街の中をいろいろ蛇行して歩いて行った。これじゃ地図を見てイメージしているだけでは無理だな~と思ってしまった。とにかく行先掲示板が頻繁に表れてくれるので助かった。それに基づいて誘導されてただ歩いていけばいいのだ。


こりゃ楽だ、と思ってしまった。いままでなんでこんな簡単なことに悩んでいたんだろう、と思ってしまった。



銭洗弁財天宇賀福神社


佐助ヶ谷の最奥に三方を尾根に囲まれ、

古くから隠里と呼ばれ、

福神の住むところといわれた凹地があります。

銭洗弁財天宇賀福神社は

そこに鎮座しています。



銭洗弁天のもとは

扇ヶ谷の八坂神社の末社でしたが

1970年に独立し、

名を銭洗弁財天宇賀福神社としました。

御神体は、体は蛇、頭は人の形をしていて

水の神とされています。


 


創建のいきさつについては、

次のような話が伝えられています。


平安時代の終わり頃は世の中が乱れ、

そのうえ飢饉が続いて人々の苦しみはひどく、

目も当てられない有様でした。



源頼朝は人々の命を救おうと

日夜神や仏に祈っていましたが、

巳の年の1185(文治元)年、

巳の月、巳の日の夜に、

夢にひとりの老人が現れ、



ここから西北の方に一つの谷があり、

きれいな泉が岩の間から湧き出ている。

今後この水を汲んで絶えず用い、

神仏を供養せよ。

自分はこのかくれ里の主の宇賀福神である。



と言って姿を消しました。



夢からさめた頼朝がすぐ家来をやって

その場所を探らせると、

確かに、岩の間から

綺麗な水が湧き出ているのが見つかりました。



頼朝はさっそく石工に命じて穴ぐらを掘らせ、

社を建てて宇賀福神をおまつりし、

毎日その水を運んで供えたところ、

天下は次第に治まり、

人々は安楽な日々を送るようになった

といいます。



その後、第5代執権北条時頼もこの神を敬い、

人々に参拝させました。



そして「銭をこの水で洗い清めれば

福銭となり、一家は栄え、

子孫は長く安らかになるであろう」と、

自ら持っていた銭を巳の日に洗って祈ると、

人々もそれにならって

銭を洗い清めるようになりました。



いつしか銭洗いの水と呼ばれるようになり、

今でもこの水でお金を洗う人が絶えません。

​(銭洗水は鎌倉五名水の一つです)



・・・ということである。


自分は、この神社は、銭洗い神社として有名として認識していて、「銭をこの水で洗い清めれば福銭となり、一家は栄え、子孫は長く安らかになるであろう」・・・この部分の認識でいた。


ここの水でお金を洗うととても福銭なる。

これをぜひ実行してみたい、とかねてより思っていたのである。


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もうこんな坂を登っていくのである。これはやはりキツカッタな~。平地を歩くだけでも辛いのに、坂を登るってほんとうに辛いです。


ものすごい息が切れます。相当キツイ。

この坂は健康人の人でもキツイんじゃないかな。



そしてありました!!!




銭洗弁財天宇賀福神社


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洞窟の中を入っていき、その先に神社が広がっているのである。


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ここが洞窟から出てきたところ。このように厳かな門構えになっています。


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ちょっとしたお店も展開しています。


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ここが休憩所です。


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もう自分はゲロゲロでバテテしまっていて、もう息絶え絶えで、ここのベンチに座っていましばらく休憩していました。息が整ってきたところで、さっそくお参りと銭洗いをしたいと思いました。


でもやり方がよくわかりませんでした。

お寺の方に聞きました。


まず、ここでろうそくとお線香を買います。

そして、ここで銭を洗うためのザルを借ります。


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あとは人がやっているのを見ようみ真似です。ここに、もともとのろうそくに火がともされていて、それを自分のろうそくに火を移して、ここにろうそくを刺すのだと思いました。


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そしてお線香にもこのろうそくから火をもらい、ここに刺します。


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このご本尊さまでお賽銭とともに、お祈願をします。


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さて、銭洗いをやります。

そのご本尊の左隣にあります。


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洞窟のようなところに水がたまり、ここにザルにお金を入れて、この水で洗うのです。お札を洗う場合は、その後に乾かします。


お水の中には、お金が投げ込まれていましたので、自分もお財布の小銭をぜんぶそこに投げてきました。お金を洗うことが重要だと思いますが、自分はせっかくなので、洗った後、そのままその水たまりにお金を置いてきました。(笑)




神社内は複数の神様が祀られていて、そこに各々お参りをしました。

まず七福神さま。




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ここは、となりに湧き水が出ていて、これが


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源頼朝は人々の命を救おうと

日夜神や仏に祈っていましたが、

巳の年の1185(文治元)年、

巳の月、巳の日の夜に、

夢にひとりの老人が現れ、



ここから西北の方に一つの谷があり、

きれいな泉が岩の間から湧き出ている。

今後この水を汲んで絶えず用い、

神仏を供養せよ。

自分はこのかくれ里の主の宇賀福神である。


・・・ということですね。

ここの湧き水のことなんですね。




このほかにもとても厳かな場所は何か所もありました。


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これで、いちおう念願の銭洗弁財天宇賀福神社へのお参りができた、と思います。とてもホッとしました。かねてよりずっと来たいと思っていた神社ですし、源頼朝に関連する神社ですので、ぜひお参りしたかったです。


夢が果たせてよかったです。






つぎにいよいよ源氏山公園です。


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源氏山公園は、この銭洗弁財天宇賀福神社からさらに上へ登っていきます。

もう山の中なのです。


もうこの上り坂がキツイのなんの。とてもこのキツイ坂の写真を撮る余裕すらなかったです。(笑)



そして、この階段を登ったところに源氏山公園があるということです。


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うへぇぇぇえええ~。こりゃ、無理だ。(笑)手すりすらない。これは登ったのはいいとして、下りが相当怖いな、と思いました。手すりなしで下るのは相当怖い。



結局この階段を登ったんですが、帰りに源頼朝像に行くには、この右の脇道を歩いていけばたどり着くことに気づきました。(笑)


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源氏山公園ってこんな山の中なんです。


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源氏山公園は白旗山または旗立山とよばれたこともあるようです。緑豊かな自然に囲まれ、公園のすぐわきには、鎌倉の七切通しの一つであり、国の史跡でもある化粧坂が、園内には頼朝像・広場などがあります。


春には桜、秋には紅葉が楽しめます。北鎌倉、大仏へぬけるハイキングコースがあり、近くには葛原岡神社、銭洗弁天、佐助稲荷があります。源氏山公園には、日野俊基卿の墓や化粧坂などの史跡、源頼朝像があります。


ずばり、源氏山公園は、ハイキングコースです。ハイキングコースにふさわしい山の中の自然公園なのです。とても広いです。もうすごい上り坂を登って来て、息も絶え絶えの自分は、とてもじゃないですが、公園内を全部歩くことは無理です。頼朝像だけを拝めればいいな、と思いました。


でもこんな広い自然公園ですから、頼朝像がどこにあるか、見当もつきません。

行先掲示板も見当たりません。


おもわず、そこで仕事をしているおじいさんに聞きました。

なるほど。ありがとうございます。

その通りに進んでいきます。


源氏山公園は、こんな山道の中を歩いていく感じなのです。


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この鎖のあるところを入っていくと言っていたな・・・自販機があるところ。合ってるな。。。


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ひたすら歩いていきます。こんな山の中なので、だんだん不安になってきます。


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ありました!行先掲示板。

源頼朝像こちらです!


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そして進んでいくと一面に平地の丘が広がっています。


おぉぉぉおおお~あの遠くに見えるのが、源頼朝像ではないか?!!


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2年ぶりのリベンジ!

ようやく念願の源氏山公園の源頼朝像に辿り着くことができました。


じっさいは、こういう柵に囲まれているんですね。


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まっ正面から。これがネットでいわゆる普及しているアングルですね。この日は雲一つない快晴で撮影日よりの日でございました。


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頼朝像の右には石碑があります。その石碑を入れたアングルです。


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後ろからのアングル。


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源頼朝像のあるところは、広い平地の丘みたいになっているんですね。

すごい見晴らしがいいですし、気持ちがいいです。


この日は、幼稚園、保育園の遠足、ハイキングの日と重なったようです。たくさんの子どもたちが楽しそうに遊んでいましたし、頼朝像のところで記念撮影をしていました。


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2022年の鎌倉殿の13人に纏わる巡礼の旅として、1年遅れではありますが、いまここに源氏山公園 源頼朝像を訪ねることができました。


ミッション・コンプリートです。


ここまでの道のりは長かったです。(笑)




しかし、この源氏山公園の源頼朝像の顔はなんか違うんじゃないか、といつも思っています。

歴史の教科書に掲載されている源頼朝の肖像画が有名ですが、じつは昨今の歴史認識ではあの肖像画は別人説というのが濃厚みたいです。あの肖像画はいかにもハンサムすぎますよね。(笑)なんかカッコ良すぎです。


では、日本で初めての武家政権を樹立した源頼朝はじっさいどんなご尊顔をしていたのか?


甲斐善光寺に、源頼朝の木像があります。


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源頼朝は、信濃善光寺を復興した大檀那として知られ、信州・甲州の善光寺には、かつて源氏の「三代将軍堂」がありました。この像は、そこに祀られていたもので、文保三年(1319)の修理銘があり、源頼朝像としては、日本最古の彫像として知られております。


源頼朝の最古の木像とされる。近年は、頼朝の実像に最も近いとされ、歴史の教科書にも掲載されており、今後は修復後の写真が使われる可能性もある。


この木像がいちばん頼朝の実像に近いとされているそうですよ。

これだとなんかリアルというか実際に存在した人の顔という感じがしますよね。

もっとも古い頼朝の木像で、その製作年月日は鎌倉時代にまで遡るそうで、おそらく実在の頼朝をモデルにしてそのまま作ったものだとされています。だから本物の頼朝にいちばん近いとされているようです。


これだと納得いく感じです。

肖像画はハンサムすぎます。格好良すぎです。(笑)










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