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コンサートのキャッチボール [クラシック雑感]

今日のトリスタンとイゾルデを聴いて、長年自分の中でもどかしい想いをしていたことが、ようやくわかった。


ずっと自分のライフとして生演奏、実演とオーディオの両方を聴いてきて、なぜ生演奏、実演のほうが感動するのか。D-Range、低域再生という言葉を使ったりしていたけど、なにか足りない、というかずばり言い得ていないもどかしさがあった。


なんか、もっと的確に表す言葉がないものか。

たしかに技術的な観点から考えると、D-Rangeとか低域再生とか、あと音場感とか、スケール感、立体感、自分の身体の周りが響きで包まれるような感覚とかいろいろある。


でもそういった技術的な用語では説明できないなにかがある。ずっとそう思っていた。なんか言い得ていないというか、そのものずばり、というストライクな感覚がない。


なんなんだろう、とずっと考えていた。


それはステージと聴衆との間の心のキャッチボールだ。


演奏中のステージと聴衆との間の真剣勝負、張りつめた空気感。


そして終演後、演奏者が心を込めて演奏をして、どうですか?いかがでしたか?と我々に投げかけてくるそのボールに、我々は大感動をする。割れんばかりの拍手とブラボーで応える。あるいはその反対の大落胆、ブーもある。


そういう双方向の見えないコミュニケーションがあるからじゃないか。

そこに人間同士の心の通い合いというか、そういうつながりがあるからじゃないか。


で、そこには予期せぬ驚きがある。開演時はどうなるかわからない。誰も予想できない。でも終わってみたら、まさに一期一会の名演だった。


そこに予期せぬ驚きがあり、我々に与えるその瞬時のインパクト、衝撃度が凄まじいということじゃないか。なんか感覚的にそういうことじゃないかな、とようやく言葉で言い表せれるようになってきた。いままでドンピシャで言葉で書けなくて、なんなんだろう、とずっともどかしい想いをしてきた。


そういう双方向のキャッチボールがあって、そして予期せぬ驚きがあるから、そのインパクトが瞬時ですごいのだ。それが実演の凄みなんじゃないか。


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録音再生は、どうだろう。双方向の心のキャッチボールはあるだろうか。そして予期せぬ驚きがあるだろうか。たぶん聞き手、リスナー側の一方的な要望により再生して感動を得る。そして、その音源が優秀録音なのか、否かもよくわかっている。そういう予定調和の中での快感というか期待を裏切らない快感なのだろうと思う。


どっちがいい、というような単純なことを言うつもりはない。


自分は昔からオーディオ再生が大好きだったので、オーディオの魅力もよくわかっている。やっぱりオーディオは所有感の美学というか、自分の空間に装置がビシッと決まっていて、それが鳴っている図が堪らんという感じなんだよね。男の人が好きな車と同じ感覚。


ハイエンドオーディオが大好きだった自分。あのフォルムの美しさ、あの空間、装置が鳴っているそのサマが堪らんという感じです。そして技術的に深いところも堪らん、そそられる。


鳴るようにいろいろ調教する楽しみもあるだろう。

あと、優秀録音のソフトを見つけ出して集めるのもコレクターで楽しいもんなんですよね。(このパターンは多いですよ。)


スピーカーからいい音が出ているあの感動(おっいい音じゃん、すごい音じゃんと一瞬思うあの感覚)と、コンサートで受ける感動は、なんか別物のような感じがするんですよね。


それを等しくなるようにするのも理想のひとつなのかもしれないが、でも現実はなかなかねぇ。大きな違いが


・双方向で心のキャッチボールがあるかどうか。

・予期せぬ驚きがあるかどうか。


ずっとなんなんだろう?と言葉で言い表せなくてもどかしい想いをずっとしてきたのだが、こういう表現をすれば言い得ているのかな、と今日の公演を聴いて閃いた。


そういうことを一瞬にて閃かせてくれるくらいの今日の公演は大名演だった。


もちろん生演奏は水物なんで、当たりもあれば、外れも多い。

その点録音再生はつねに安定な快感を得られる。


つねに間違いない快感を得たいのであれば、録音再生がいいだろう。


でも生演奏の当たりだった場合の感動は、すごいインパクト大きいんですよ。それも瞬時でドバ~と襲い掛かってくる。もう痺れる~という感じである。


これは病みつきになりますよ。繁々とコンサートホールに通うのはそういう出会いをしたいからである。


コンサートゴアの方にとっては、オーディオは理解できないかもしれませんね。

やっぱりオーディオは好きな人じゃないとその気持ちはわからないと思う。


生演奏で外れだった場合は、ほんとうにガッカリである。こういうことを言うと、トゲがあって嫌な気持ちにさせてしまうのが嫌なのだが、やはりコンサートチケット代は高額で、しかも身銭なので、自分の働いたお金でやりくりして買っているので(貧乏庶民なので。。笑笑)、凡演や外れだった場合のがっかり感、怒りはやはり凄まじいです。演奏側からすると連日公演のうちのOne Of Themなのかもしれませんが、自分はその1日にピンと合わせて勝負をかけて来ているので、それが凡演だったときの怒りはやはり大きいです。なんとも言えない虚しさが残ります。


とくに海外旅行の場合の落胆度は半端ではないですね。もう1年前からずっと準備をしてきて、もう何十万という予算をかけて、気合を入れて、いざヨーロッパの劇場に乗り込んだら、凡演で唖然としてしまった、ということも多いです。


自分は外様客で、外国人演奏家だと、そんな気持ちもわからない、察してくれないだろうから、余計虚しい訳です。どこに怒りをぶつけていいのか。(笑)


それが生演奏は水物、といわれる所以です。


”生演奏とオーディオ”については、このブログを始めた当初からずっと語っていることだけど、もう尽きた感もあるけど、でもいまだに真相はわからない、という永遠のテーマです。



そしてこの御命題は、人によって、みんなそれぞれの考え方があって、どれが正しいとは一概には言えないけれど、自分の経験、自分の考え方に基づくという限定であれば、1冊の本が書けると思いますよ。(笑)













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東京・初台は音楽の街 [クラシック雑感]

官能的で悩ましくて麻薬のような独特の旋律。聴いていると人の感情を内から煽り立てるような刹那というかそんな仕掛けを感じてしまう。ワーグナーの10大楽劇作品の中でも、かなり異端で特異な旋律だと思う。


ワーグナーは、トリスタンとイゾルデは、私の作品の中で最高傑作だ!と豪語している。


ワーグナーが奥さんとの生活に行き詰まりを感じて、不倫に行く末を求める。でも敵わぬ恋。そんなもどかしい行き場のない刹那な気持ちを作品に投影させたのが、トリスタンとイゾルデだ。


自分の作品の中では、本命は絶対ニーンベルグの指環四部作だったのは間違いない。でも本命作曲中に、とりあえずちょっとそれを置いておいて、ふっと息抜きに作ってみた曲がすごい大傑作になってしまった。


世の中ってそんなものだ。(笑)商品開発なんて、本気を出してよっしゃ~やったるぞ~と気合を入れて開発したものはそんなに思っていたほど伸びず、なにげなくふっと息抜きに出した商品が大ヒットしてしまう。本人たちもびっくり。これが世の中の真実。神様のいたずら。人生なんてそんなものなのだ。


スミマセン、史実関係かなりいい加減な記憶の元で書いているので、間違っていたらすみません。(笑)


このトリスタンとイゾルデは、なんでこんなにエロイんだろう?

まさに”官能的”という表現がいちばん的を得ている言い回しだと思います。


前回の日記でも告白したように、このオペラ、自分にとっては、なかなか複雑な境地で難しい楽劇なのです。何回も試行錯誤しながら、挑戦して、あまり他人の評価の言いなりにならず、自分の頭で理解して、自分なりに解釈して、それを何回も繰り返してきたオペラである。


だから自分にとっても忘れられないのである。


13年前の2010/2011年シーズンの新国立劇場プロデュースのプロダクションだそうで、今回は13年ぶりにその再演という位置づけだ。


大野和士さんは、そのときも指揮をして、今回も手兵の東京都交響楽団と最高の芸術を表現してくれた。あっぱれ!心から賛辞を贈りたいと思う。大野さんは新国立劇場芸術監督の任期も更新ということで、ますます素晴らしい作品を新国立劇場から贈りだしてくれることを心から期待しています。


さて、日本のオペラの神殿、新国立劇場。オペラの会場としては、昔からの所縁で東京文化会館が使われることも多々あるが、やはり日本のオペラは、この新国立劇場が中心になって動いていることは間違いない。


クラシックにとってオーケストラコンサートとオペラは両輪である。

これは小澤征爾さんがカラヤンから授かった大事な教えだ。


自分もそれはわかっているので、半々ペースで行きたいところなのだが、やはりオペラはヘビーなんだよね~。(笑)オペラに行くのはなかなかハードルが高いです。でもオペラは総合芸術。オペラからいろいろなものを一度にたくさん学べる。学べるものがたくさんある。そういう点からもこれからも自分のマイペースだけどオペラは楽しんでいくことになるであろう。


新国立劇場に行ったのは何年振りだろう?新国オペラを観たのは何年振りだろう?コロナ前だから、たぶん軽く8年は経っている。8年もオペラに行っていない。オペラを観るいい機会だったのが、海外音楽鑑賞旅行だ。海外旅行では、かならずオペラを入れるのが基本方針だ。オペラは海外で学ぶと言ってもいいと思う。


そんなまったくのご無沙汰だった新国立劇場を見参して、基本は変わっていないな、と思うものの、いまこんな感じになっているの?というところも多々あり、驚いた。


新国立劇場は、東京・初台にある。

初台は、新宿から京王新線で一駅だ。

昔、この京王新線に行くのが苦手だった。かならず京王線と間違えたものだった。(笑)


東京・初台は、まさしく音楽の街と言っていいのではないか?


ここには、東京オペラシティコンサートホールと、そしてこの新国立劇場が併存しているのだ。

クラシックファンにとっては聖なる音楽の神殿の街といえる場所だ。


初台駅で下車すると、もうそのまま東京オペラシティコンサートホールと新国立劇場にそのまま直結してアクセスできるようになっている。自分はこの駅ホームを降りたときから、あ~~~初台は音楽の街というイメージが強いのだ。


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もうこうやって駅のホームに音符の絵柄のデザインがあるんですよね。素敵です。音楽の街という感じがします。


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まず東京オペラシティコンサートホールから紹介していこう。


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自分は新国立劇場よりもやはり圧倒的に東京オペラシティコンサートホールに通うことが多い。ここのホールは素晴らしいですね。教会のような三角錐の独特の形状をしていて、音響も素晴らしい。いい響きしています。響きが豊潤ですね。


コンサート企画としてもどちらかというと、伝統というより新しい企画を取り扱うことが多いですね。ジャパンアーツさんのアーティストさんは、この東京オペラシティを中心に展開することが多いですね。


自分は東京オペラシティというと、どうしても新しいコンサート、というイメージが強いです。


東京オペラシティコンサートホールというのは、東京オペラシティビルという複合施設の中に入っているコンサートホールなのです。複合施設ビルの中の1施設という位置づけです。


初台駅からは直結なんですが、その通る経路の途中に見える景色がいかにも都会的でクールな装いで素敵です。


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自分はこのコンサートホールに来るたびに思うのは、座って待つところがないな、と思うことです。これ本当に困るのです。自分は歩行障害なので、ずっと立ってられません。座りたいです。でもここは座るところがないんですよね。自分は開演ギリギリが嫌いなので、いつも何時間も前に到着します。そうすると座るところがないというのは異常に困るのです。


自分の脳内意識の中では、東京オペラシティコンサートホール=座るところがない・・・なのです。開場時間までずっと立って待っていないといけない。


困った挙句、ホールエントランスから降りたところのこの広場の椅子に座っていることが多いです。(笑)でも外なので寒いです。とくに冬はあり得ないです。


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東京オペラシティのホールに行くまでに、このような広場があります。


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自分は数年前からこの広場にできた英国パブ、ブリティシュパブが気になって仕方がなかったのです。


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いつか入ってみよう、とずっと思っていてようやく今日実現できました。

店内はかなり本格的な英国パブです。本場に負けない本場志向だと思います。


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・・・ところが、料理を頼んでみるのですが、英国ビール・ハーフパイントとフィッシュ・アンド・チップス、そしてローストビーフを頼んでみました。まさにイギリス料理の定番です。


・・・これが・・・


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これはフィッシュ・アンド・チップスにかけるイギリス特有のソースだそうです。


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貧祖なんだな~。(笑)

こりゃ次はないな、と思ってしまいました。(笑)


せっかく店内装は本場志向なのにもったいないなと思いました。

いつぞやの渋谷の英国パブのほうがはるかに料理は美味しかったです。


ふつう首都圏のコンサートホールというのは、隣接しているエリアにかならずカフェとか食事処のエリアがあるもんなんですね。そこにビジネスが発生するからです。


ところが東京オペラシティコンサートホールの近くにはまったくないんですね~。(笑)

都会のビルの中という感じなので、感覚的には無機質な感じなのです。


あえて言えば、この椿屋珈琲でしょうか?


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ここは困ったときは入りますが、基本高いですね。貧乏庶民は高すぎると思います。コーヒー1杯でもすごく高いです。ケーキなんか一緒に頼むともう青天井です。



東京オペラシティコンサートホール周辺はほんとうに、よく言えば都会的なんですが、ぶっちゃけ言うと無機質な空間という感じなのです。(笑)


ここに展開する空間も、無機質でどちらかというと芸術肌というセンスを感じます。


こんなオブジェもあります。(笑)


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でも最近気づいたことなんですが、この東京オペラシティビルの上階、ほんとうに53階とか54階とか食事処がたくさん集まっているんですね。すごい上にあるので全然気づかなかったです。焼肉の叙々苑とか、いろいろ入っています。


自分はこの中で、とても気になるお店を発見しました。


それが松坂牛のよし田です。


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ここは凄いですよ。もともとYOSHIDAというジュエリー、宝石を扱うお店なのです。それが一興ということで松坂牛の専門店を開いちゃったのです。ビジネスって本業よりもサイドビジネスのほうがうまく行くケースが多いですね。これも世の中の常、神様のいたずらなのです。


そしてここは東京オペラシティビルの53階にあったりするので、いわゆる展望レストランで、ここから見下ろす東京の絶景の景色は最高なのです。夜景なんか最高だと思いますよ。やはり夜景のほうがインパクト強いですね。


松坂牛を使ったいろいろなフルコース。ステーキ、鉄板焼き、すき焼き、しゃぶしゃぶ、なんでも来い、すべて揃ってます。


ところがお値段を見ると、5万とかします。(笑)


ごっごっ五万!!!


食事に五万もかけるか!


自分はいままでの人生あまり豊かな食生活とは縁がなくジャンキーな食生活を送ってきましたが、若かりし頃、財力にブイブイ物を言わせていた時代。彼女とのデートで、赤坂見付、表参道、銀座とかいわゆるステレオタイプ(笑)なデートを重ねていましたな~。


そんな中で最高級のディナーの経験は、紀尾井ホールの近くの赤坂見付のホテルニューオータニに入っているフレンチのトゥール・ダルジャンです。


ここは凄いですよ。ドレスコードがあって男性はジャケット着用を義務付けられます。

店内の内装もすごくゴージャスです。現世とは別次元の装飾が施されています。


自分はここで3回ほどフレンチのコースを堪能したことあります。

1回につき5万かかりました。(笑)


まさに財力にブイブイ物を言わせていた怖いもの知らずだった青い青年だった自分。


”5万円かけてフレンチを堪能する。”


そういう行為がステータスだった時代。

まさにバブルの時代でした。


トゥール・ダルジャンはパリに本店があって、パリのトゥール・ダルジャンも行ったことあります。ロンドンに住んでいたとき、パリに遠征して、挑戦しました。


いまはきっと英語メニューもあると思うのですが、当時はフランス語のメニューしかなかったです。肉料理(Viande)、魚料理(Poisson)、前菜(Apéritif)を頼りに適当に見繕って、メニューを指さしてオーダーします。海外のメニューオーダーでこれをやるとまったく見当はずれなものがやってきたりして、笑えるのですが、このときは結構想像通りというか合っていたような気がします。


パリ現地のトゥール・ダルジャンに行けたことは、自分の人生での食生活の中で最高の名誉であり、誇りでもあります。


日本に帰ってからも赤坂ホテルニューオータニのトゥール・ダルジャンは3回くらい楽しみました。


世界の料理の中でいちばん美味しいのは、やはりフレンチとイタリアンと言われていますが、自分からすると、イタリアンも美味しいですが、やっぱりフレンチがいちばんいいです。フランス料理が最高、ナンバーワンだと思います。フランス料理には芸術性と気品がありますね。


まさに1回5万のこの世の贅沢を尽くし切ったディナーなのですが、もうこういう冒険はできませんね。(笑)もう無理です。若い頃だったからできたことです。いまは完全に和、居酒屋系のほうが断然居心地いいです。


これからセカンドステージと言われる経済的に制約を受ける新しい生活を始める自分。老後貧乏になる前に、いま一度、赤坂ホテルニューオータニのトゥール・ダルジャンを最後の晩餐としてもう一回楽しもうかなと計画中です。一夜限りの贅沢です。


ずばりタイトルは、”美食倶楽部 トゥール・ダルジャン”で決定です。

美食倶楽部は、すき焼き人形町今半をリリースしてから予算不足で頓挫していた企画ですが、トゥール・ダルジャンで復活です。まさに美食倶楽部の名に恥じない最高の贅沢だと思います。


ちなみにいまネットで調べてみると、いま赤坂のトゥール・ダルジャンのフレンチコースは、大体3万円くらいで楽しめるようです。だいぶ下がってきましたね。当時は5万かかりました、です。


すみません・・・かなり脱線しました。(笑)


松坂牛のよし田のメニューがどれも5万の値段ということで思いっきっり反応してしまいました。自分にとって食事に5万円も払うというのは、まさしく自分の記憶の中で条件反射的にトゥール・ダルジャンのことを思い出してしまうのです。


自分はこの日、東京オペラシティビルの53階まで昇って、よし田で大行列ができていたところに並んでいたのですが、スマホで値段を調べてみると、どれも5万するので、ひぇぇぇえええ~いくら松坂牛とはいえ、すき焼きやしゃぶしゃぶに5万もかけれるか、と思いました。


自分が狙っていたのは、ランチメニューの黒毛和牛のすき焼き御膳です。1,500円です。

これなら自分でも大丈夫です。


ところが限定メニューで20食限定なのです。

この大行列ですからあっという間に完売です。


もうあとは5万のメニューしか残ってないです。(笑)確かに東京の絶景の景色を見下ろせるという喜びもありますが、ここに並んでいる人はみんなすき焼きやしゃぶしゃぶに5万もかけるだけの財力があるのでしょうか・・・

驚きとしかいいようがないです。


自分は限定メニューが完売となった時点で、すごすごと退散して帰ってきました。(笑)


東京オペラシティビルはほんとうにゴージャスな施設だと思います。


初台駅から同じく直結の新国立劇場。

まさに日本のオペラの中心、神殿であります。


しばらくご無沙汰しておりました。8年間くらいまったく記憶にないです。(笑)


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超久しぶりの新国立劇場。

そんなに変わってませんでした。


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ホワイエ空間もあの当時のまま。


新国立劇場のホワイエといえば、やはりこのサイドにあるドリンクコーナーや今日の演目に合わせたスィーツとかでしょうか・・・いつも美味しそうだな~と思いながらも、お金がなくて諦めています。


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新国立劇場もついに電子マネー、クレジットカードが使えるようになりました!

まさにコンサートホール、オペラハウスのDX化は必要ですね。


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ブレイクのときのドリンクコーナーは依然と比べると割いているスペースが広くなったような気がします。以前はこんなに大所帯だったかな?と思いました。


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今回すごくびっくりしたのは、ブレイクのときにホワイエでガラス窓の外に向かってみんなその方向で椅子に座っているこの光景です。


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これはかなりビックリして、なんだ、なんだ?と思ってしまいました。

ある意味、ちょっと違和感というか異様な感じがしました。


でもすぐにその意味が分かりました。

みんな中庭の絶景を見ているんですね。


新国立劇場の中庭は風光明媚な観光スポットなのです。これも自分はあまり経験がなかったことです。新国立劇場の中庭はほとんど経験がないです。


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とても素敵な場所だと思いました。新国立劇場にはこういう見せ場もあるんですね。初めて体験しました。全然気づかなかったです。



座席で腰の部分に保護クッションが常設されていましたね。これは今回のワーグナーだけの配慮なのでしょうか。それとも全公演でこういう配慮がされているのでしょうか。(たぶん後者)ワーグナーは長いので腰を傷めないようにという配慮なんでしょうね。素晴らしいです!


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ちなみにバイロイト祝祭劇場の椅子です。ケツ痛い。(笑)


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まさに修行僧というか、これは拷問に近いですね。(笑)ワーグナーのような4時間から5時間もかかる長いオペラでこれはツラいでしょう!一説によると、ワーグナーは自分の長いオペラでお客さんが寝ないように、わざとこういう椅子にした、という話を聞いたことあります。




超久しぶりの新国立劇場。まったく変わっていないと思うところも多かったですが、新たな発見というか驚きもあったことは事実です。



これからもご無沙汰の無礼をしないように、なるべく予算をやり繰りしてオペラを観るようにしたいものです。


新国立劇場オペラで、ちょっと魅かれるものがあります。


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モーツァルトのコジ・ファン・トゥッテです。この舞台装置、キャンプベースのコジ。これは覚えていますよ!


いまから11年前の2013年ですね。新国オペラで観てきました。当時、BISレーベルから北欧の歌姫ということでミア・パーションが華々しく活躍していて、そのミア・パーションが出演するということで、新国まで行ってきたのでした。


SACDで聴くミア・パーションはとても魅力的な声だったのですが、実演での彼女の声は、声帯が狭い感じで、ちょっと耳に突き刺さるような感じで、ちょっとがっかりした記憶があります。いま彼女はどうしているのでしょうか・・・


キャンプベースのコジはよく覚えているので、きっと11年ぶりの再演なんですね。トリスタンとイゾルデといい、あの頃の名演よ、もう一度という感じですね。


ちょっと魅かれるんですよね~。

行ってみたい。。。


オペラはいろいろな演目を幅広く見ていきたいと思っていますが、その意識とは別に結局自分の鑑賞履歴としては、同じ演目を何回も観るというパターンが多いんですよね。


コジ・ファン・トゥッテも2013年のザルツブルク音楽祭で体験できました。


こうしてみると、東京・初台というところは、クラシックファン、クラシック愛好家にとって聖なるクラシックの聖地でもあり、神殿のような場所だと思います。


この初台駅のホームに降り立つと、あ~来たな~と感慨深くなります。

これからも大事に通いたいと思います。












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やっぱり音楽は素晴らしい! [クラシック雑感]

今週は、諏訪内晶子さんの国際音楽祭NIPPON2024と茂木大輔さんののだめクラシックコンサートを拝聴してきた。まったく方向性は違うけれど、両者ともとてもクオリティが高く、劇的なクライマックスでいまだに興奮冷めやらぬというところである。


年明けてから、気持ちの持ちようというか、長年張りつめていた緊張感が切れた感じで、将来の不安も含め朝から気持ちがどんよりと優れない日々が続いている。


でも2日間続けてこの音楽会を通って、心底明るくなった。

救われた、と感じた。


やっぱり音楽は素晴らしい!


音楽は人生を救ってくれる。


人生、ずっと音楽とともに生きてきた、音楽のある人生に自負のある自分にとって、しみじみとそのことを実感した。またその信念を確かなものと感じさせてくれた演奏会であった。


みなさん、ほんとうにご苦労様でした。


●国際音楽祭NIPPON2024 シューマン室内楽マラソンコンサート 


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ブラームスの室内楽は、東京・春・音楽祭で10年以上に渡って、川本嘉子さんのプロジェクトを聴き続けているので、ブラームス・ソナタってこんな感じというのがよくわかっている。ブラームスってやっぱりドイツ音楽らしく男らしい。きっちりとした骨格感があって厳格な旋律で、その進行の中でふっと垣間見る美しい旋律が、いかにもブラームスって感じなんですよね。


それに対してシューマンの室内楽って、その対極にあるような柔らかい旋律の美しさがあるように思う。シューマンの旋律って、女性らしくて優しくてすごい美しい。ほんとうに癒されるような優しい美しさに包まれていて、聴いていて曲としての構成の妙を感じる。


シューマンの音楽には、”春の訪れ”を感じる。

春という季節がよく似合う作曲家だと思う。


アルゲリッチは、私はやっぱりシューマンが好き。シューマンの音楽がいちばん私に合っていると感じる・・・そのように断言している。


ブラームスの成功はやはりシューマン夫妻なくしてはありえなかった。そしてその後のブラームスの人生、創作活動についても、シューマンの妻・クララとの関係を抜きにして語ることはできない。


でもこの3者でその音楽性がとても明確に違いがあってとても興味深く感じるところであった。


この日は、シューマンの室内楽を、ピアノ三重奏曲、ヴァイオリン・ソナタ、弦楽四重奏曲、そして幻想小曲集、ピアノ四重奏曲、ピアノ五重奏曲、とフルに堪能できるマラソンコンサートであった。朝11:00から終演が20:30。まさに1日シューマンづくしである。


シューマンの音楽を、こんなに1日で満遍なく聴き込めるのは極上の贅沢であり、自分もこんな経験はほとんど記憶にない。最高の音楽体験であった。


諏訪内晶子さんは、最後の大曲、ピアノ五重奏曲のみで、若手が主役の演奏会であった。普段なかなか若手演奏家のコンサートに足を運べていない自分にとって、なんとも新鮮でそしてそのレベルの高さに驚嘆を感じざるを得なかった。


詳細なレビューは専用に日記で書きます。



●のだめクラシックコンサート


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”のだめカンタービレ”は、連載開始20周年を記念して2022年にはサントリー・ホールとオーチャード・ホールで3公演「のだめクラシック・コンサート」が開催され、23年にはフェスとミュージカルも開催された。


大変不覚なことで、自分はこの2022年ののだめクラシックコンサート、まったく気づいていなかったです。2022年の年末に調布グリーンホールで、のだめコンサートのクリスマスイブコンサートには行ったのは覚えています。この年の聴き納めコンサートで大感動しました。のだめコンサートの東京版といえば、大体調布グリーンホールで行われるのが常。


そのときいつも思っていたのが、のだめコンサートをサントリーホールで聴けたらな~、最高の華なのにな~と思っていたのでした。


だから、連載20周年記念の節目の年にサントリーホールでのだめコンサートが開催されていたなんて!もう地団太踏んで悔しく思いました。まったく気づいていませんでした。駆けつけることができず、申し訳なかったです。こんな大イベントにまったく気づいていなかったなんて。。。SNS普段よく見ていますが。。この日記を書くときにネットで調べて初めて知りました。いま知りました。


今回ののだめクラシックコンサートは、東京国際フォーラムで新年ガラコンサートという位置づけ。茂木さんの投稿で知りました。


東京国際フォーラムという5,000人は入るであろう大会場が満員御礼。これだけたくさんの人が集まってくれるなんて、しかも毎回のことながら、客層がすごく若い!


のだめコンサートは、もうこれだけのみんなに周知されるところになったんだな~と感慨深く感じました。


春日井で初めて聴いて、そして東京初進出のときも調布にかけつけた。そこから長年ずっと見守ってきたので、もうこれだけみんなの知るところになったんだな~これだけビッグな存在になったんだ!うれしく感じました。


のだめコンサートは、クラシック音楽を分かりやすく、初心者でも簡単に入りやすいように。。そのコンセプトは極めてシンプル。年配者、そして難しい、高尚な趣味と思われているクラシック音楽の敷居を低くするべく、クロスオーバー含め、いろいろな試みが行われている昨今の中で、もっともシンプルでわかりやすいコンサートで大成功している筆頭格が、こののだめコンサートなのではないでしょうか。


とにかく名曲のオンパレード。アンコールピースのオンパレードとも思うくらい、美しいいい曲が全編に並ぶ。フル楽章でなく、単楽章のみなどの疲れさせない工夫も。


こういうアプローチが本当の意味で分かりやすいクラシックコンサートなのだと思います。


聴いていて、ホッとするし、暖かいし、いい曲ばかりなので満足感がたっぷりです。


この日は、12曲という大サービスで、みんな珠玉の名曲ばかり。


あまりにいい曲ばかりで、家に帰ったら思わずストリーミングで聴き返して、お気に入りに追加しておきました。(笑)それだけ頭の中でループしてずっと鳴っていて強烈なインパクトでした。


茂木さんもN響首席時代から指揮者に転向してからずっとその指揮姿を見てきましたが、もういまや完璧な指揮者に変貌です。ベテランの指揮者と間違うくらい堂に入っていてカッコいいです。


若手演奏家主体で、そのフレッシュな演奏、みんな素晴らしかった。

ブラボーでした。


諏訪内さんも茂木さんも、主役は若手。自分は総監督の立場で、自分の世代から若手の世代へ受け継がれていくように誘導しているように思いました。


茂木さんののだめコンサートも、後日詳細レポートして日記にします。







人生の生き方、人それぞれの考え方があって正しい、正しくないはないけど、老後のことを考えて定年までいっさい我慢して貯蓄に励み、それで定年になって第二の人生になってから人生楽しみましょう、ってそんなにうまくいくもんじゃないんですよね。


若い頃からひとえにいろいろ人生を楽しんできた人は、その都度、その瞬間、瞬間にいろいろ学んで、人間的な成熟があって、長い人生で見たときに、その時代、時代でのその積み重ねが、その人の人間性、教養を形成しているものなんですよね。


定年になってから、さっ始めます・・・と自分が思っても、事は起きないんだよね。(笑)

そんなに簡単なことじゃない。そんなに自分に都合よく事は起きないです。


やっぱり一期一会なんですよ。自分の長い人生の中で、その瞬間、その出会いが一期一会と思って、そのときに楽しんで学んでいかないと、そしてそのときにお金をかける、投資していかないとダメなんだと思う。


人生では、若いときから自分に投資していくことが一番大事。


将来のことを考えて、老後の不安のためにいまは一生懸命貯蓄して、したいこともいっさい我慢して生きていくというのは、結局人生として、すごくつまんない人間になっていると思う。人間性も磨けず、教養も学べず、そういうチャンスをことごとく自分で潰してきて、定年後に安定した人生との引き換えに結局得たものというものは、至極つまんない人間になっていた事実だったということだと思う。


音楽はまさにそうだと思う。


音楽は若い頃から、子供の頃から親しんで聴き込んでくることがやっぱりいいだろう。スズキ・メソードではないけど、自分の子供に音楽を自然と親しませるような教育も重要だろう。もちろん自分も含め、そういう環境下になかった人でも、別に聴き始めたのが遅くてもいい。いまからでもいい。


音楽はすべてを救ってくれる。


朝方からずっと悩み事、将来の不安などで鬱々とした気分で過ごしてきて気分が冴えなくても、その日の夕方に演奏会、コンサートがあって音楽に身をそのまま授けると、音楽家、演奏家のみなさんに一気に天国、夢見心地の別世界へ誘ってもらい、終演後は、いままでの朝方の気分がまるで嘘だったかのように、高揚して最高の気分になっている。


音楽は、そういう陰の気を一気に粉砕して、すべてを陽の気に変換してくれるエネルギーを持っているのだ。音楽は強力な魔法なのだ。


また音楽には歴史、流行りがある。その時代、時代の音楽を学んでいくこと、ずっと聴いてくることが、音楽の素養を学んでいく上で大切である。録音、レコード演奏という革命でいまの時代でも昔の音楽を楽しめるようになった。でもやはりリアルタイムで、その時代に聴いた経験のほうがやはり自分の身の中に深く沁み込んでいるものである。


定年になってから、歳をとってから、まとめていままでの時代の音楽を勉強するのではダメだ。自分がいままで生きてきた何十年というスパン、感覚のものさしの基準は、縮められないのだ。その時間のスパンの感覚は、そのままの尺だから意味があるし、その尺の長さそのものの長さで自分の中に存在しているその時間感覚が自分という人間を構築しているその証なのだ。


自分が聴いてきた音楽は、その自分が生きてきた尺の長さの感覚で生き続けているし、その人の人間性を形成している大きな要因になっている。だから、音楽は、もう子供の頃から、若いときから、そのとき、そのときで、たくさんのお金をかけて、投資をして、勉強していかないといけないし、聴いてこないと。


定年になってからやります、じゃダメな世界だと思う。(もちろんそれを否定している訳でなく、早ければ早いほどいいということを言ってます。)


クラシックはとくにそうだ。いかに経験を積むか、いかに場数を踏むかだ。若い頃からのその経験の積み重ねが、その後の自分のクラシック人生を形成するといって過言ではない。たくさんの作曲家の曲、たくさんの演奏家の演奏、声楽家の声をリアルで聴くこと。そしてヨーロッパに行かないとダメだと思う。クラシックの本場、ヨーロッパで演奏を聴かないとダメだ。インターネットが普及している現在、ネット空間、VRでいかにも現場にいるかのような仮想体験ができるので、日本に居ながら、ヨーロッパで聴くことも可能な時代だ。


でもそれじゃダメなんだよね。自分という存在が、そのベルリン、ウィーンでもいいけど、そのヨーロッパの街並み、ヨーロッパ人の歩いている喧騒の中に埋没している感覚、あの感覚、あの空気を自分がリアルで体験しないとダメだ。


この街でベートーヴェンが過ごした、モーツァルトが作曲をしていた、ショパンがピアノを演奏していた、そういう由緒あるところを自分でその跡を追うように同じ道を歩いてみないとダメだ。そして自分がベートーヴェン、モーツァルト、ショパンの気持ちになってみる、その当時のことに想いを馳せてみる。そういう行為がクラシックの場合、とても大切なのだ。


感性を磨くこと。この行為は、やはりヨーロッパの現地に行かないとダメだと思う。その街、その場所を自分が歩いてみないとダメだ。インターネットを通しての体験ではダメだ。


もちろんコンサートホール、オペラハウスもそうだ。日本のコンサートホールは音響も素晴らしく世界でも最高峰レベルのホールであろう。でもクラシックの場合、やはりヨーロッパの現地のホールを体験しないとダメだと思う。外国人聴衆、そしてあの雰囲気。あの現地体験を経験しないと絶対ダメだ。


音楽祭、定期公演ふくめ、自分はここに莫大な投資をしてきた。


クラシックは金がかかるのだ。(笑)


音楽には、その時代、その時代で、その流行、形式があって、それをなるべくリアルタイムで実演で体験すること。そのとき、そのときが一期一会の出会いで、それを逃したら、もう二度と巡り合えないかもしれない。そのチャンスをいましっかり掴んでおかないといけない。


そのとき、そのときに、投資をしていく。その投資を惜しまないこと。


音楽とは経験と場数、そしていかに投資をするか。

その投資の度合いで、音楽の世界に深く関われるかどうか決まってくる。

その投資の額によって、その深さが決まってしまうような気がしている。


これは音楽のことばかりではない。

人生すべてにおいてもあてはまると思う。


人生もそのとき、そのときで、いかに投資していくか、その投資した額で、その世界への関わり方の深さが決まってくるような気がしている。定年になるまで、その投資を惜しみ、すべては老後になってから生きていく上で困らないレベルの生活ができればいい、という考えでは、結局できあがった人間の器としてつまらない人間になっているのではないか、と思うのである。


定年になってから、老後になってから始めますじゃ、そんなに都合よく事は起こらないと思うんですよね。


人生って金がかかるもの。

ほんとうにいったいいくら金があればいいんだ、というくらい無尽蔵にあっていいもの。


人間の悩みって、ほとんどお金が解決してくれるものかもしれませんね。(笑)

お金があれば大抵の悩みは解決してしまうものなのではないでしょうか。(笑)


でも自分のようにお気軽な1人生活じゃ偉そうなことは言えないことも事実。家族がいる場合、お子さんを育てていかないといけない場合、マイホーム購入で住宅ローン返済。現実はより厳しい。子供が独り立ちするまで、そして住宅ローン完済、そして定年になってから悠々自適にゆったり人生を謳歌する。これがふつうの人の人生の考え方、ふつうの人の感覚なのだろう。


正解はありませんね。人それぞれの考え方ですね。人生の組み立て方の問題ですね。


自分が言うのもなんなんですが、人生なんとかなるんじゃないかな、と思います。

そのときそのときで、なんとかなる、切り抜けて生きていけるのではないか、と思ってたりします。


人生綿密に計画を立てて生きていこうと思っても、まずその通りになりませんね。

かならず想定外のことに出会うのではないでしょうか。


自分もそうですが、人間って先行き不透明な未来、将来のこと、とくに老後の問題はとても不安になって心配してしまいます。いまの自分なんかまさにそれです。


でも95%の確率で、心配しているようことは起こらないらしいですし、なんとかなる、と考えて生きていく方がいいのではないでしょうか。


還暦を迎えたら、もういままでのようにはいかない。行きたいコンサートはどれでも行くというのではなく、取捨選択をしていかないといけない。筋肉質の予算体制で生きていかないといけない。


そう誓ったばかりですが、3月以降も、新国オペラ トリスタンとイゾルテ、東京・春・音楽祭のトリスタンとイゾルテ、ヤノフスキのワーグナー・ガラコンサート、川本嘉子のブラームス室内楽、そしてヤノフスキのN響定期。。。


ととどまることを知りません。現役時代とほぼ変わらぬペース配分です。


このペースでいくと、最初自分の方で予想していたのは、老後資金が枯渇して、路頭に迷う、老後破綻が襲い掛かってくるのが大体70歳以降かな~と読んでいたのですが、このペースだともっと早まって60歳代に来るかもしれません。(笑)


危機、リスクはもうすぐそこまで忍び寄っています。偉そうなことを言っていても、じつはしっかり老後対策をして、定年以降も安泰な生活をしていくのがやっぱり無難なのかもしれません。













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ミューザ川崎にマツモトキヨシが!!! [クラシック雑感]

内田光子さん&マーラーチェンバーの川崎公演行ってきました。かねてからの期待通りの素晴らしいコンサートでした。さすが外来オケとも思うようなパワーを感じたものでした。詳しくは、後日日記でレポートします。お楽しみに!


ところで、じつにひさしぶりにミューザ川崎に行ったら、エントランスの横に見慣れない店舗が・・・(笑)


マツモトキヨシ・・・


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あれれれ~~~???こんなところにマツモトキヨシなんてあったっけ?

もう何年にも渡って、ミューザ川崎に通っているので、その頭の中に埋め込まれている固定画像認識とマッチングしないのである。ふっと見たときに、かなり違和感がある。


ミューザ川崎のとなりにマツモトキヨシなんて、絶対なかった。


その場でスマホのネットで調べてみると、


マツモトキヨシ ミューザ川崎店


という記事はいくらでもあるが、それがいつからオープンになったかを明示している記事はひとつもなかった。


モヤモヤがあったが、とりあえず、本番のコンサートを思う存分楽しんだ。


そして休憩中にやはりこのままではモヤモヤがありすぎて精神の健康上よろしくない。店舗のスタッフに聞いてみよう、と思った。


マツモトキヨシ ミューザ川崎店


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マツモトキヨシのイメージカラーの黄色で全部統一されている。

店内はかなり広いが、商品の陳列棚で意外やギチギチで詰まっている。


昔は、絶対こんなのなかった!



レジの女性店員さんに訪ねてみた。


ノンノン「すみません、昔からここにマツモトキヨシってありました?」


女性店員「いやないです。最近できたのです。去年の7月あたりにできました。」


ノンノン「やっぱりそうですよね~。ありがとうございました。」


ミューザ川崎にマツモトキヨシ!(笑)


去年2022年7月にオープンしたらしいです。


・・・ということは、自分は、去年の7月以来ずっとミューザ川崎にはご無沙汰で来ていなかった、ということになります。この変化に気づいていなかったです。


そもそもここに、ミューザ川崎というコンサートホールの隣になぜマツモトキヨシが必要なのか?


どういう購買層を意識してのマーケティングなのか?


どういう層がどういう商品を買う、というマーケティングのもとにここにオープンしたのか?


正直、いまの時点では自分にはわからないし、理解できない。やはり「音楽のまち、かわさき」としてコンサートホールというイメージ造りの中に、マツモトキヨシは必要なアイテムなのか?


大変申し訳ないのだけれど、あくまで個人の意見として聞いてほしいのだが、クラシック、コンサートホールというブランドイメージ造りからすると、マツモトキヨシというのは、そのイメージを破壊するというか、そのイメージに合わないような気がするのだが・・・


どうなのだろう?


街作りとか、どこにどういうブランドの店舗をオープンするという場合も、街作りの景観にうるさい街では、そのブランドイメージで拒否する可能性も大いにある。ヨーロッパの旧市街なんかそうですね。建築物新築の場合は、慎重な議論が重ねられます。


赤坂のサントリーホールも厳しそうだ。六本木アークヒルズの文化施設という建前上、やはりあそこに新設されるテナントのブランドイメージは非常に慎重に扱われるであろう。そのエリアの雰囲気を壊さないように。そのエリアの雰囲気に合うように。。。と。


べつにマツモトキヨシさんを悪く言っている訳ではないので、誤解のないように。気を悪くなさらないでください。でも自分は、マツモトキヨシは普段ほとんど使わないので、どんなお店かよく知らないんですよね。直感的に、ドラッグストアなのかな、とは思いますが。


あらためてネットで調べてみました。


株式会社マツモトキヨシは、千葉県松戸市に本社を置く、ドラッグストア(薬店)チェーンの日本大手企業。マツモトキヨシグループの子会社にして、マツキヨココカラ&カンパニーのグループ内における中枢企業の一つを担っている。


・・・やっぱりドラッグストアだったんですね。


ミューザ川崎の地下のエリアのところに出店するなら、まだいいかな。あそこは飲食店街、コンビニ、とか雑貨関係なんでもあり、みたいな雰囲気はありますので。あそこだったら、あまり違和感を感じないかも。


ミューザ川崎に入るところにドカ~ンとあるのは、どうも自分のクラシック、コンサートホールのブランドイメージとそぐわなくて、なんか一瞬だけど、拒否感というか抵抗感があります。


スミマセン・・・



同じくミューザ川崎のとなりにあるホテルメトロポリタン川崎に隣接しているブッフェ(ビュッフェ)のTERRACE and TABLE。


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こういうイメージは合うのです。これは最高なのです。


このブッフェ、本当にお洒落でステキで、いい雰囲気で、ホテルメトロポリタン川崎の最大の魅力ポイントって、じつはこのブッフェなんじゃないかな、と思うほどすごい素敵です。



2021年7月に、サマーミューザコラボレーションブッフェというサマーフェスタミューザにコラボした料理を披露してくれました。クラシック音楽界の作曲家にちなんだ当時の料理とかを、いま再現する、というとても魅力的な催しでした。


ここのブッフェも、それから1か月も経過してない、その同年の2021年の8月かな?脳梗塞を発症して、クリニックで見てもらいましたが、異常なしという判断で、じゃサマーフェスタミューザに行こう!ということで、広上淳一さん&京都市交響楽団の初登場の晴れ舞台を観に行ったのでした。


もう具合は最悪のゲロゲロ状態。(笑)


もう目眩、きちんと歩行できない、平衡感覚フラフラの中、タクシーも使わず、足を這うように家に帰ってきたのでした。その翌日の朝に救急車で担ぎ込まれて即入院。


そのときに、このブッフェでスィーツを頼んだのですが、気分最悪だったので、苦しかった記憶しかないです。


だからこのお洒落な建物、ブッフェを見ると、その最悪の事件だったときを思い出すので、それを払拭したいのです。新たに通って、その悪い記憶を全部きれいに拭い去りたいです。


そういうリベンジをいつかやりたい、と思っています。


この日、TERRACE and TABLEを眺めて、それを新たに誓いました!


それにしても、ミューザ川崎の隣のマツモトキヨシ。どんな理由でここに店舗オープンしたのでしょうか?資本力にモノを言わせたのでしょうか?


それとももっと納得のいく理由があるのでしょうか・・・


いまもって謎です。


そして、この謎が今後も解明されることは、まずないように思います。







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ダニーボーイ [クラシック雑感]

小山実稚恵 Concerto <以心伝心>2023で、本編で大感動した後に待っていた驚愕の終焉。

 

それがアンコールのアイルランド民謡「ダニーボーイ」である。


最初に、小山実稚恵さんのピアノソロで静かに入り、そこからオーケストラが引き継ぐ形で入り、雄大で感動的な幕引きとなった。


こんなに感動したアンコールはいままであったであろうか。

                        

こんなにアンコールにふさわしい終わり方はないのではないだろうか。

                  

最初この曲を聴いたとき、すぐに曲名がわからなかった。

聴いたことのある昔懐かしい有名な曲。誰もが知っている曲。

                   

なんという曲だったっけ?

                

終演後、ホールの外のホワイトボードで確認してようやくわかった。

                   

アンコールというのは、どんな曲でもなれるわけではない。ある才能がないとダメなものなのである。クラシックでいえば、1曲1時間くらいの大曲を前半・後半と聴いてきて、そして最後のアンコールのとき、3分間くらいのワンピースで、その瞬間、一瞬にして聴衆の気持ちを鷲掴みにし、まさに大伽藍のエンディングにふさわしい、”これで上がり”、”長い間ご苦労様でした”という仕上げの感覚を抱かせないとダメなのだ。そういう気持ちにさせるには、もうそのワンピースでキャッチーなメロディを備えていないといけない。

             

そういう意味で、アンコールにふさわしい曲というのがあるのだ。

           

アンコールになれる曲というのは、そう簡単にはない、限られた曲なのだ。

聴衆の気持ちを一瞬にして虜にするキャッチーなメロディとは・・・。

           

その公演から帰宅して、さっそく、このアイルランド民謡「ダニーボーイ」について調べた。そしてSpotifyでカバー曲を探した。


                                                

「ダニー・ボーイ」(Danny Boy)は、アイルランドの民謡であり、「ロンドンデリーの歌」として知られる旋律に歌詞を付けたものである。この旋律は「ダニー・ボーイ」のほかにも数多くの歌詞で歌われる。


この歌詞はイングランドの弁護士、フレデリック・ウェザリーの作である。元々は別の曲のために1910年に作られた詞だったが、それは広く知られるには至らなかった。1912年にアメリカにいる義理の姉妹から「ロンドンデリーの歌」の楽譜を送られると、彼は翌1913年にその詞をこのメロディーに合うように修正して発表した。


女性の立場で男性に別れを告げる歌として解釈できる内容だが、この歌は男性歌手によっても多く歌われてきた。また両親や祖父母が戦地に赴く息子や孫を送り出すという設定で解釈されることも多い。


歌詞の日本語翻訳を探してみた。この曲の日本語歌詞で代表的な、なかにし礼さんの詩だが、これは後者の両親や祖父母が戦地に赴く息子や孫を送り出すという設定で解釈したほうなのかな。


おお ダニーボーイ

いとしきわが子よ

いずこに今日は眠る

戦に疲れた体を

休めるすべはあるか

お前に心を痛めて

眠れぬ夜を過ごす

老いたるこの母の胸に

                                                

おお ダニーボーイ

おお ダニーボーイ帰れよ

                                               

                                                 

おお ダニーボーイ

いとしきわが子よ

たよりもすでに途絶え

はるかなその地のはてにも

花咲く春はくるか

祖国に命をあずけた

おまえの無事を祈る

老いたるこの母の胸に

                                                

おお ダニーボーイ

おお ダニーボーイ帰れよ

                             



Spotifyでまず探したのは、この日の公演で披露されたオーケストラバージョンである。まず、この雄大な弦楽器でうねるように厚いハーモニーで奏でられたオーケストラバージョン。なにせ、このオーケストラバージョンがすごく雄大で美しく、感動してしまったのだ。同じものを手に入れたいと思った。


そして出てきたのが、小林研一郎さん&東京フィルの音源だ。                                                                                                                                                                                        

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ドヴォルザークの交響曲第8番がメインで、その中に小曲としてカップリングされているようだった。そして、もうひとつが小林研一郎さんのアンコールピースを特集したアルバムだ。

              

さっそくHMVのサイトでこのアルバムたちを検索して、商品説明文を読んだりしていると、ダニーボーイは、コバケンさんがよく好んで使うアンコール曲だった、ということがわかった。

             

このときに、ようやくあの公演のアンコールは、コバケンさんのアイデアだったのだ、ということが理解できたのだ。ところが、このアルバムたちに収録されているダニーボーイは純粋にオーケストラだけで演奏されているバージョンなのだ。

      

自分が感動したのは、最初に小山実稚恵さんのピアノソロで誘導するように入り、その後にオーケストラが引き継いで入っていく、というミックス形式だ。ピアノとオーケストラのコンビネーションがいいのだ。

   

これがめちゃめちゃいいのだ。

                      

コバケンさんと小山実稚恵さんは、もう100回を超える共演回数。このアンコールにダニーボーイを演奏するのは、もう何回も演奏してきていることなのだろう。

                    

そして、このピアノソロとオーケストラのコンビネーションは、その中で考案された改良バージョンなのだろう。

               

だからこのスタイルは、録音、音源にはないのかもしれない。

   

ダニーボーイのカバーをいろいろ聴いてみる。自分の到達した考えでは、音楽はやっぱり原曲よりカバーのほうがいいケースが多いのだ。いろいろな歌手、演奏家によって、それぞれ個性的なアレンジにどんどん変えていき、その曲の持っている可能性がどんどん広がるからだ。いい曲を発見したら、その曲のいろんなカバーを聴くのが自分の趣味と言っていい。そういう理由からしても、ストリーミングはほんとうに便利なツールだ。

   

ダニーボーイのカバーをいろいろ聴いてみると、ピアノソロと歌唱付きの2つのパターンに大別される、ということがわかった。大体、これらのどちらかだ。特別版として、コバケンさんのオーケストラバージョンがある、という感じだ。

 

ダニーボーイのカバーをいろいろ聴いてみた結果、自分のお気に入りの音源を紹介していこう。                                                                                

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ダニー・ボーイ

アンディ・ウイリアムス

                                                  

アンディ・ウィリアムス(英: Andy Williams、1927年12月3日 - 2012年9月25日)は、アメリカ合衆国出身のアメリカ・ポピュラー音楽史を代表する歌手。アルバムセールスに関して、アメリカレコード協会および英国レコード産業協会から、18のゴールドディスク、3つのプラチナディスクを贈られている。NBCで1962年-1967年及び1969年-1971年に、自らの名前を冠した音楽バラエティ番組『アンディ・ウィリアムス・ショー』を放映し、エミー賞を3度受賞した。

                                                 

1992年に代表的ヒット曲から命名した、2054席を擁する「ムーン・リバー・シアター」をミズーリ州ブランソンに自ら設立し、以降この劇場を本拠地として、2011年までライブを続けた。

                                                  

男の声で聴くダニーボーイはすごい魅力的だ。アンディ・ウイリアムスはほんとうにいい声をしている。甘い優しいダンディな男の代表的な声質と言っていいだろう。ダニーボーイ自体がとても古い昔の曲のように聴こえるのだが、アンディ・ウイリアムスが歌うと、まさにセピア色のそんな昔の曲のように感じてしまう。古きよきアメリカを思い出すようなそんなアレンジだ。自分は、かなりこのカバー大好きです。

                                                                                                 

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ダニー・ボーイ

Lapis Lazuli(ラピスラズリ)

                                                  

                                                  

繊細で美しい歌声と鍛え上げられたクラシカルなテクニックで、自身の手がける詞の世界を情感豊かに、時にはインストゥルメンタル的に歌い上げる、クラシカルクロスオーバー歌手。

                                                 

12月8日生まれ。愛称はラピちゃん。イギリス人の祖父を持つ。音楽大学在学中から数々のオペラ、ミュージカルの主役、声楽家として映画出演等を経て、クロスオーバーの活動を始める。2010年より五木田岳彦プロデュースによりオリジナルソングの制作を始める。2011年、「Lapis Lazuli」としてデビュー。Ruriをはじめとした複数の名義で、自身の曲だけでなく、他のアーティストへの詞の提供もしている。

                                                 

女性ボーカルのよさ。クラシカルクロスオーバーのテイストがなんとも妖艶で最高だ。女性の声としては、ちょっと幼い印象を受けるが、録音の編集で女性ボーカルにありがちなエコー処理をかけていると思うが、それがすごい透明感があって抜け感、空間感を感じて気持ちいい。新しい時代のダニーボーイという感じだ。

                                                                                                 

                                                 

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ダニー・ボーイ

江利チエミ

                                                 

江利チエミさん、知ってますか?(笑)

自分のリアルタイムの歌手さんでした。懐かしい~。

                                                 

                                                   

江利 チエミ(1937年〈昭和12年〉1月11日 - 1982年〈昭和57年〉2月13日)は、昭和期に活躍した日本の歌手・女優・タレント。メジャーデビューシングルの「テネシーワルツ」は23万枚、続く「ツゥー・ヤング」(トゥー・ヤング)も15万枚 の大ヒットとなった。クラシック音楽以外の全ての海外製ポピュラー音楽を総称して「ジャズ」と呼んだ当時、この大ヒットが、大規模の劇場や公会堂を使ったジャズ・コンサート(ジャズ・コン)ブームや、ジャズを放送で取り上げる民間放送の開局ラッシュと重なり、ジャズが全国へ広がるうえでの牽引役となる。

                                                

江利チエミさんが、テレビに出て歌っているのを子供時代よく覚えていますよ。やっぱり江利チエミさんといえば、テネシーワルツでした。

                                                 

江利チエミさんが歌うダニーボーイがこれまたいいんだな~。美声ではない、どちらかというとハスキーなダミ声なんですが、その歌い方がすごく個性的で独特の味があるんですね。テネシーワルツに似た雰囲気はあると思います。やっぱり昭和カラーですね。あういう感じです。こういうダニーボーイもあっていいな、と思いました。自分はとても気に入りました。

                                               

                                                

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ダニー・ボーイ

エディ・ヒギンズ

                                                 

エドワード・ハイドン・ヒギンズ(Edward Haydn Higgins、1932年2月21日 - 2009年8月31日)は、アメリカ合衆国のジャズピアニスト、作曲家、オーケストラ奏者。

                                                 

20年以上にわたり、ヒギンズはブラス・レール、プレビュー・ラウンジ、ブルーノート、クロイスター・イン、ジャズ・リミテッドなど、シカゴで最も権威のあるジャズ・クラブで働いていた。1957年から1960年代後半までジャズ・トリオを率い、キャノンボール・アダレイ、ビル・エヴァンス、エロール・ガーナー、スタン・ゲッツ、ディジー・ガレスピー、ウェス・モンゴメリー、オスカー・ピーターソン、ジョージ・シアリングなど、当時のジャズ・スターたちと共演している。

                                                

1980年代初頭から、ジャズ・フェスティバルのツアーを幅広く行い、ヨーロッパや日本でも頻繁に演奏した。日本のレーベル、ヴィーナス(Venus)からのリリースは、複数のアルバムでジャズ・セールス1位を獲得した。

                                               

エディ・ヒギンズの繊細な音色とコンセプトは、最も影響力があり成功したジャズ・ピアニストの一人であるビル・エヴァンスのものと比較されることが多かった。彼はキャリアを通じて主にバップとメインストリームのジャズ音楽を演奏しました。ヒギンズはスウィングのようなメロディーを奏でるのが得意だった。彼のメロディーはグルーヴ感とスウィング感があり、余計なものではなかった。このようなエディ・ヒギンズのスウィング感は、オスカー・ピーターソンやナット・キング・コールのスウィング感と比較されることも多かった。

                                               

                                                 

エディ・ヒギンズは、もうジャズファンであればお馴染み。ジャズを勉強していくなら、どうしても避けて通れない人でしたね。日本でも有名なジャズマンでした。自分もよく勉強しました。ジャズピアノトリオの時代の作品が好きでした。

                                                 

エディ・ヒギンズがカバーするダニーボーイは、これは最高ですよ。ダニーボーイのカバーでピアノスタイルとしては、自分は最高に好きだと思いました。ジャズらしい、ちょっとこうリズムを崩した、というか、均等なリズムではない、いかにもジャズらしいピアノです。この崩した感じの気だるい雰囲気が、大人のオシャレ感覚というか、これまたダニーボーイとよく合うのです。これは好きだな~。

                                                    

ちなみに小山実稚恵さんのピアノは、クラシックスタイルで、均等なリズムのアレンジでした。

                                                 

                                              

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Danny Boy

小野リサ

                                                

小野リサさんは、自分のカバー特集でもう何回も取り上げていて紹介していますね。小野リサ(1962年7月29日 - )は、ブラジル生まれの日本人ボサノヴァ歌手。まさにブラジル音楽であるボサノバの日本における第一人者。日本にボサノバを普及させるために先頭に立って引っ張っていっている歌手です。

                                                

ダニーボーイは、もうボサノバとは最高の相性だと思います。小野リサさんが歌うダニーボーイは、ボーカル、ピアノと2つに大別されるダニーボーイのカバーで最高傑作と言っていいでしょう。自分はダニーボーイのカバーでこの曲が1番気に入りました。

                                                 

とにかくボサノバのあの独特の気だるさ、雰囲気が最高にダニーボーイのメロディに合うのです。この曲は、ほんとうに素敵です。この曲はぜひお勧めしたいです。

                                                  

録音もすごくいいんですよね。ここに紹介しているカバーの中でもダントツでいい音しています。この小野リサカバーが最高傑作だと思います。こういうダニーボーイがあってもいいと思いました。

                                             

                                                 

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ダニー・ボーイ

山中千尋

                                                   

山中 千尋(12月26日 - ※生年は非公開)は、群馬県桐生市出身の、日本のジャズ・ピアニスト。

                                               

名門デッカ・レーベル初の日本人ジャズ・アーティストとして全米デビューを果たした気鋭のピアニストとして注目されている。コンサートの最後は必ず桐生市名物「八木節」で締めるといい、桐生好きを公言。バークリー音楽大学を首席で卒業後はニューヨークを拠点に活動を続け、これまでに26枚のリーダー・アルバムを発表している。

                                                    

山中千尋さんも有名なジャズアーティストですが、山中千尋さんのダニーボーイは、とても均等なリズムでクラシックアプローチに近いと思いました。ダニーボーイの場合、ピアノで差をつけるのは難しいような気がします。ピアノカバーはどれも似たような印象を受けますね、一聴しただけだと。

                                               

ただ、すこしスローなしっとりと聴かせるようなアレンジで、その部分に関してはクラシックというよりジャズな香りがして、そこに特徴があるな、と思いました。

                                                 

                                            

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ダニー・ボーイ

木住野佳子

                                             

木住野 佳子(1960年10月15日-)は、日本のジャズピアニストである。東京都出身。

                                                         

東京に生まれる。桐朋学園大学音楽学部在学中、ヤマハのポピュラー系のコンテストで「ベスト・キーボード賞」を2度受賞。

1986年 - 小中和哉監督の商業映画デビュー作「星空のむこうの国」の映画音楽を村井俊夫と共に担当する。

1995年 - GRPレコードよりアルバム「fairy tale」を発売し、プロとしてデビュー。

1996年 - ブルーノート東京で自己名義のトリオで出演。

1997年よりTVコマーシャルへの曲提供も開始。

                                              

木住野佳子さんはFacebookでフォローしていますよ。(笑)1度実演に接してみたいジャズピアニストだと常日頃思っています。木住野佳子さんのダニーボーイは、山中千尋さんのピアノより、さらに均等リズムでクラシックスタイルに近いアレンジだと思います。テンポも山中千尋さんより早いです。非常に透明感があって、美しいピアノカバーで、いちばん小山実稚恵さんのクラシックスタイルに近いと思いました。美しいダニーボーイのピアノカバーだと言えると思います。

                                                    

                                                    

                                                     

どうですか?

ぜひストリーミングでこれらのダニーボーイのカバーを聴いてみてください。

                                                      

ダニーボーイは、牧歌的でもあるけど、童謡的でもあるし、もっと昔懐かしい正統派の美しいメロディで、誰でも聴いたことのある名曲だと思います。

                                                   

誰でも1回聴いたら、大好きになると思います。

                                                

アンコールの素養のある曲というのは、こういうメロディを兼ね備えている曲だと思います。

                                                     







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クラシック音楽は、自分が聴く音楽のリファレンス [クラシック雑感]

クラシック音楽を聴くようになって傾倒していったのは、やはりオーディオの趣味によるところが大きいと思う。いまはどうかわからないけれど、当時のオーディオメーカーは、機器を開発するにあたって、やはり音質を決めるリファレンス(基準)としてクラシック音楽を利用して音造りをしていた。リファレンスの音源は、やはりクラシックソースだった。


自分もハイエンドなオーディオシステムを揃えて、さぁ、それで何を聴こうか、という話になったとき、やはりハイエンドなシステムには、クラシック音楽がいちばん似合うし、奏でるサウンドに気品があって、その匂い立つような高貴な雰囲気はやはりクラシックでないと出せないと感じていた。


というか、順番としてはその逆で、クラシックをいい音で聴きたいから、ハイエンドを揃えた、と言ったほうがいい。


ハイエンドにはクラシックが似合う、という方程式のようなものが自分の中にあった。


そしてなによりもコンサートホールそのものが大好きだった自分は、あのホールの響き、音響、内装空間の美しさに魅せられ、(一種の建築美に魅かれたと言っていい。)そこで演奏されるクラシック音楽のダイナミックレンジの大きい、スケール感の大きい演奏を聴いて、生演奏とは?オーディオ再生とは?とか考えさせられたこともあった。


そこにあったのは、やはり音場重視のスタンスだと思う。明瞭な音像に、広大な音場。クラシック録音の理想とするところだけど、両方が同時に成立するのはなかなか難しい。その中で、自分には良い録音とは?となったときに、いわゆるS/N感のいいクリアな録音という基準よりも、より部屋いっぱいに広がる音場感を感じる録音のほうに魅かれる傾向があった。これは自分の嗜好である。そして音自体に鮮度感とエネルギー感があること。


そして、もうひとつのアプローチにジャズというのが対抗馬にあった。あのスィングするような音楽をいかにオーディオで魅力的に再生するか、ということもオーディオマニアに課せられたもうひとつのテーマのように思う。ジャズは、オンマイク録音が基本なので、やはりダイレクト感があって、切れ味の鋭い明瞭な音像再生が得意なところである。


なんかこの両方が、そのアプローチとして存在するように思う。ポップスもジャズアプローチのほうに入りますね。


音場のクラシックに、音像のジャズ。

オフマイク録音のクラシックに、オンマイク録音のジャズ。


最近の音楽の複雑化は、そんな簡単にカテゴライズされるものでもないかもしれないけど、究極、基本はそういう分け方に行きつくような気がする。


で、自分はやっぱり音場派なんだよね。音場の広い録音にはすごく惹かれるし、響きが空間一杯にひろがるというそういう状態は、聴いていて、やはりじ~んとくる感動を覚える。


コンサートホールでクラシックのコンサートを聴いたときに感じる恍惚感は、このホール全体に広がる響きと、その響きを体全体に浴びることで、あういうエクスタシー状態になるのではないか、と思う。


クラシック音楽のサウンドの大事なところは、この響き、余韻の美しさですね。奏者が楽器を奏でると、そのダイレクト音と同時に響きが生まれ、その余韻が長く続き、それがホール空間に広がっていき、いろいろな壁で反射して・・・オーケストラはその集合体ですね。その響きの集合体が、あのホール全体の響きとなって、我々の全身に降り注いでくる。


この感覚がなんとも好きなんだよね。

この感覚にエクスタシーを感じるのです。


自分が音場派なのも、この感覚が好きだからです。

しげしげとコンサート通いするのも、この感覚を味わいたいから。


やっぱり、クラシックとジャズやポップスでは、音楽としてのその楽しみ方の基準が違うように感じる。もう全然別物。自分はジャズやポップスも大好き。音楽全般に大好きなので、それぞれの音楽で、特徴、いいところというのがある。


最近、オーディオ機器に火入れすることが少なくなり、毎日ポップスやリズミカルな洋楽系を、スマホのストリーミングで聴いている場合が圧倒的に多いのだけど、これはこれで、またいいんだよね。こういうノリのいい音楽は、気分をハイにしてくれるし、気持ちを明るく高揚させてくれる。


最近は普段はこっち系が多いでしょうか。とにかく精神的にすごくいい。ノリがいいと興奮するし、とにかく場がパッと明るくなり、聴いていて気持ちいい。


真剣に聴く、真剣に対峙するクラシック音楽に、毎日気晴らしに明るい気持ち、高揚したいために、ポップス、リズミカルな洋楽系。演歌もよく聴きます。演歌もすごくいいです。


個人の勝手ですが、音楽の趣味はいろいろ広いほうが、人生にとってはいろんな感動、学びを得られていいと思います。


じゃあ、コンサートとなると、自分の場合、やはりクラシック専門なんですね。やはりクラシック・コンサートに特別な想いがある。


サントリーホール、ミューザ川崎、東京文化会館、東京芸術劇場、新国立劇場・・・こういうホールに通う行為が好きです。もうそれはそこに行くまでの交通機関に乗っているときから、そのホールのアクセスまでの間や、コンサート本番前に近くのどこかで腹ごしらえで食事したりとか、コンサート本番中は、もちろんのこと、休憩時間での過ごし方、ホール空間の美しさに感動、ホール音響に感動、ホワイエでの空間・・・そういうクラシックのコンサートに行くときに経験する1日の行動と環境が全部好き。


それがまるごと好きなのである。

あの雰囲気が好きなのである。


なんか、自分の中でいちばん大事なイベント、気合が入るイベントという位置づけになります。

このときはフォーマルな気持ちになる。


最近、自分はクラシック音楽、オーディオだけではなく、いろいろなジャンルに興味を持ってきて、その好奇心を抑えることができず、それを満たすことに熱中している。日記のテーマもどんどん多様化している。最近は街歩きがとても好き。お金かかんなくて、これだけ知的欲求を満たしてくれるものはないのではないか、と思うくらいハマっている。


でもクラシックのコンサートの予定を入れる(チケットを買う)という行為。そしてその本番に向けての予習、そしてコンサートに行く、そして感想、コンサートレビュー、そういう一連の行為は、まさに自分にとってフォーマルで、自分のいちばん基本のレールの上に戻ってきた、という感覚を覚える。


自分の居場所はここなんだな、という・・・

自分はもともとここからスタートしたんだな、という・・・


最近予算がどんどん減っていき、コンサートチケットを買う機会も減っていってますが、チケットを買うたびに、そしてその日程をカレンダーに書き込むたびに興奮するし、あぁ~また自分のもとの場所に戻って来たんだな~と実感します。



昨日、衝撃のニュースがあった。


アムステルダム・コンセルトヘボウで、2025年にマーラーフェスティバルを開催する、という。


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これはかねてから、その情報は知っていたが、実際ニュースを受けて衝撃を受けた。

ついに来たか!という感じである。


ほんとうに15~25年に1回しかやらないフェスで、満を持して2020年に開催予定がコロナパンデミックで中止。2021年にも縮小版を企画したが、これもあえなくコロナで中止。


もう彼らとしては、やり場のない、怒りの向ける矛先がない、散々な状態だったのだろう。これはよくお察し申し上げる。


だからコロナ明けには、ぜひすぐにでもリベンジを、というのはすごくわかるし、筋が通っている。彼らにとっては、至極あたりまえのことだけど、自分にとっては結構心の準備がぜんぜん出来ていなくて、しかもそんな今、海外旅行できるほどの予算状態でもない。どうしよう?困った!である。


ほんとうに困った!という感じである。


気になるキャストと演目については、こんな感じだ。


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2020年度のときと比較すると、ますキャスト面では、ウィーンフィルが参加しないこと。代わりにNHK交響楽団が登場する。これは心底驚いた。マーラーフェストは、BPO/VPO/RCOの三大オケの競演が看板であるところもあるが、ウィーンフィルが出ないのはどんな理由だろうか・・・スケジュール的と言ってもまだ2年後の話だ。


今回は、ぜひN響を出演させたい!という大きな力が働いているような気がする。前回も感じてましたけど、このマーラーフェスト、その編成に、じつは日本の発言力、影響力って結構大きくありません?(笑)なんか前回から薄々感じていたことなのですが・・・


きっとリベンジ開催に向けて、スポンサー、資本協力で日本サイドから莫大なマネーの提供があったに違いない。(笑)


自分としてはウィーンフィルは残念だったけど、N響の登場は、もう大歓迎である。この世紀の大舞台で、日本のオーケストラ、NHK交響楽団が登場するなんて、最高の名誉だし、将来の歴史に名を残すと思います。自分にとっても最高の想い出になる。


現在の芸術監督のファビオ・ルイージが指揮を執る。第3番と第4番だ。3番はこれは大変な大曲だ。自分は、同じ日本人として、マーラーフェストにN響が登場することは最高の名誉を感じます。


ぜひ、頑張ってほしいです。


N響は、この同じ同時期にヨーロッパツアーを計画中だそうである。

その一環としてアムスにも出向く、という感じなのだろう。


2025年はN響にとって近年稀にみる大躍進イヤーとなるであろう。


ほかに気づいたこと。


バレンボイムが指揮するらしいが、大丈夫なのかしら?(笑)昨今の健康状態から極めて不安です。ピンチヒッターはつねに用意していたほうがいいのではないでしょうか。


あと、ヤープ・ファン・ズヴェーデンは、前回はニューヨーク・フィルを率いて演奏する予定だったが、今回はシカゴ交響楽団だ。


このマーラーフェストは、基本はマーラーに所縁のあるオーケストラが出演する、と理解しているのだが、NYPは非常に関係が深いが、シカゴ響ってマーラーと関係ありましたっけ?(笑)


マーラーフェスト当局は、前回からヤープ・ファン・ズヴェーデンとは非常に友好な関係にあるようで、彼を指揮者として招き、スケジュール的に都合が合うのがシカゴ響であった、ということなのか。。。


イヴァン・フィッシャーのブタペスト祝祭管弦楽団も、ほんとうにオランダ、アムステルダムから支持されているんだな~と毎回思います。このコンビって意外や日本ではあまり知られていないし、日本にもほとんど来日しない。レーベルは、Channel Classicsである。まさにオランダに根付いた指揮者、オーケストラなんでしょうね。


そしてベルリンフィルが、キリル・ペトレンコで、コンセルトヘボウが、クラウス・マケラである。


このコンセルトヘボウ、ブタペスト祝祭管、N響、シカゴ響、ベルリンフィルの5楽団で、マーラーの10大シンフォニーを演奏する。各々の楽団で2曲づつ担当する、という役割分担だ。


ちょっと寂しいのは、さすらう若者の歌とか、亡き子をしのぶ歌とか、リュッケルト歌曲集などのマーラーの歌曲集がないことだ。


2020年では、この10大交響曲のどれかとカップリングされて、かならずこれらのマーラー歌曲が加えられるものなのに。1995年フェス、2020年フェスではそうなっていた。(おそらく1920年フェスも)


今回の2025フェスではシンプルに交響曲だけだ。

ひょっとすると、これから後日発表されるかもしれませんね。


あとマーラー歌曲については、リサイタル形式という形でリサイタルホールのほうで、フェス期間中に大ホールと並んで、コンサートが開催される。これも立派なマーラーフェストなのだ。


このリサイタルホールのほうも、ちゃんとプログラミングされているのかな?


あとは、コンセルトヘボウホールの前の芝生のところに、大きな大きな展示会のテントを張って、マーラーの遺品とか写真、史料、年表、そして講演などが開催される。Mahler Foundation (マーラー基金)による運営だ。


そしてアムス市内の数か所でパブリックビューイングもするんではないかな?

実演とライブストリーミングのハイブリッドはやるはずだ。


そしてコンセルトヘボウ・ホールのレストランでフェス専用の特別な食事提供も・・・


なんか段々思い出してきた・・・(笑)




このマーラーフェスティバル2025の発表は大変驚いたけど、反面すごく困ったことになってしまった。まったく予想もしていなかったし、2020年のときは、もう3年前から資金を捻出して、貯金をしてこのフェスのために備えていた。でも今回はまったくの無防備だ。


正直無理だ。(笑)もうあの頃の予算体力はないし、まったく準備していない状況なので、いまからでは無理のような気がする。海外音楽鑑賞旅行をする場合は、チケット代、エアー代、ホテル代、そして交通費、食費、雑費と総計どれくらいかかるか、よく知っているので、う・・・ん、難しいなぁ・・。


ない袖はふれないしな~という感じである。(しかも、いま年末の旅行で絶賛出費中。(笑))


あと、脳梗塞をやって、歩行障害なので、海外に旅行することはまだ不安があります。


今回は、おそらく実演とライブストリーミングのハイブリッド開催だと思うので、配信のほうで、観る感じかな?


正直、かなり困った・・・という感じです。あまり前向きないい材料が見つからないです。


昨日は悩みまくりました。(笑)


まっ、でもひょっとしたら、2年後の開催寸前で予算的にクリアになって、急遽行けることになって、チケットも全公演取れなくても一部公演がリターンなどで、とれたなら、ひょっとしたら行くかもしれません。


そこは神のみぞ知る、という感じでしょうか・・・

自分には音楽の神様がついている。


マーラーフェストは、自分にとっては、2020年が最大のボルテージマックスでした。絶頂期を過ぎると、そのピークをそのまま維持するのはなかなか難しいものなのです。




今年の芸術の秋・コンサートリストに、さらにラインナップを加えました。


諏訪内晶子 国際音楽祭NIPPON 2024


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もちろん行こうとは思っていましたが、まさかチケットがすでに発売になっているとは思っておらず、昨日たまたまFacebookの音楽の友さんの投稿で、このフェスのことに気づき、おそるおそるぴあを確認してみたら、すでにチケット発売されていました。(笑)


告知してよ~~~。(笑)


あやうくスルーして完売になるところでした。


というか公演日がいつなのかも知らないで、そんな文句をいう資格はありませんね。(笑)


芸術監督の諏訪内晶子さんのオンライン記者会見もおこなわれました。


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その内容から、今回の国際音楽祭NIPPONのコンセプト、スローガンなんかを確認しました。


2012年から8回目となる国際音楽祭NIPPON2024は、2024年1月11日から2月27日まで、東京・愛知・神奈川・岩手にて7企画10公演の多彩なラインナップで開催されます。



国際音楽祭NIPPON2024は、「トップクオリティ」「未来を創る」「心をつなぐ」の3つのキーワードを中心に企画立案されています。諏訪内晶子のモーツァルトのヴァイオリン協奏曲全曲演奏会では、ウィーン出身の指揮者サッシャ・ゲッツェルを迎え、国内外から名手を集めたフェスティヴァル・オーケストラと共にお届けします。


またクラシック&モダンの室内楽プロジェクトでは、ウィーンで1800年代と1900年代に作曲された作品等の対比でお楽しみいただきます。そのほか、シューマンの室内楽マラソンコンサート、マスタークラスやアウトリーチ活動などの構成でお届けします。


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国際音楽祭NIPPON2024は、音楽学者・音楽評論家の沼野雄司さんと舩木篤也さんのお二人にプログラム監修を務めていただいています。記者会見では、沼野雄司さんをお迎えし、芸術監督の諏訪内晶子とのトークセッションを行いました。



室内楽プロジェクトのCLASSICは18世紀のウィーン楽派中心のプログラム、室内楽プロジェクトのMODERNは19世紀の新ウィーン楽派が中心です。CLASSICに、なぜパガニーニが?と疑問に思われる方も多いでしょう。実は、当時、超絶技巧で有名なパガニーニは、世界中で演奏会を行い、行く先々で聴衆を圧倒していました。ウィーンでも公演を行い、ウィーンの人々に大きな影響を与えています。


沼野氏からの「諏訪内さんにとってパガニーニはどのような作曲家ですか?」という質問に、諏訪内晶子は「人々が話しをしているような、オペラのようなところがある。またヴィルトーゾ的にも演奏する必要がある。さまざまな要素を求められる作曲家だと思います。」と答えていました。


また、今回MODERNではベルク、ウェーベルン、シェーンベルクなど19世紀の新ウィーン楽派を取り上げるので、次はもっとハードな現代音楽をやってみてほしいという沼野氏からのリクエストには、「現代音楽については、演奏するだけでなく、伝え方も奏者の役割だと思っています。聴く方に拒絶反応が出てしまっては残念なので、徐々に紹介していけたら」と回答。


そして、MODERNでは新ウィーン楽派の影響を受けた日本の現代作曲家 安良岡章夫氏に委嘱した新作が披露されます。安良岡氏は、なんと諏訪内の高校時代の担任の先生とのこと。「当時、エリザベート王妃国際音楽コンクールに入賞した時期で、あまり学校に行けなかったので、先生をだいぶ困らせてしまったかと思います。大学院では安良岡先生の作品で論文をまとめたこともありました。」



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―モーツァルトを重点的に取り上げる狙いと、一連の作品に対して現在感じていることを教えてください。


今回のテーマがウィーンですので、モーツァルトは外せません。モーツァルトはヴァイオリン・コンチェルトを19歳のときに一機に書き上げていますが、自筆譜をみるとアイデアのほうが手より先にいってしまっていることがわかります。ウィーン出身のサーシャ(サッシャ・ゲッツェル)と、フェスティヴァル・オーケストラのみなさんと統一感のある音楽をお届けできると思います。


―諏訪内さんが思う「モーツァルトの協奏曲の魅力」を教えてください。


パガニーニと共通するところがあると思うのですが、コンチェルトの中にオペラ的なものも含む、様々な要素が詰まっていると感じます。コンチェルト全曲を通して、 モーツァルトの世界観を伝えたいと思います。




ウイーンがコンセプト。モーツァルト、ウィーン楽派、そしてシューマンですね。

いろいろあるコンサートのラインナップの中で、どれかピックアップして行こうと思いましたが、いろいろ悩んだ挙句、そういうやり方、聴き方では、フェスのコンセプトに対し、どこか中途半端な聴き方になると思いました。


それで、少ない予算の中をやり繰りして奮発して、モーツァルトのコンチェルトを全曲。(2024/1/11と1/12) そしてシューマンの室内楽マラソンコンサートを4部ともコンプリート。これで手を打ちました。MODERNは申し訳なかったです。ぜひ聴きたかったですが予算的に、これが限界でした。


去年のバッハシリーズに続き、今年のウィーンシリーズもかなりコンプリートで網羅的に聴けるのではないか、と思っています。


とくに楽しみなのは、シューマンの室内楽の1日かけてのマラソンコンサート(4部構成)。諏訪内晶子さんと、たくさんの若い演奏家のみなさんとの競演がとても楽しみ。なかなか普段聴く機会のない若いアーティストの演奏はとても楽しみにしています。


今年の芸術の秋は、これで上がりでしょうか・・・










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