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やっぱり音楽は素晴らしい! [クラシック雑感]

今週は、諏訪内晶子さんの国際音楽祭NIPPON2024と茂木大輔さんののだめクラシックコンサートを拝聴してきた。まったく方向性は違うけれど、両者ともとてもクオリティが高く、劇的なクライマックスでいまだに興奮冷めやらぬというところである。


年明けてから、気持ちの持ちようというか、長年張りつめていた緊張感が切れた感じで、将来の不安も含め朝から気持ちがどんよりと優れない日々が続いている。


でも2日間続けてこの音楽会を通って、心底明るくなった。

救われた、と感じた。


やっぱり音楽は素晴らしい!


音楽は人生を救ってくれる。


人生、ずっと音楽とともに生きてきた、音楽のある人生に自負のある自分にとって、しみじみとそのことを実感した。またその信念を確かなものと感じさせてくれた演奏会であった。


みなさん、ほんとうにご苦労様でした。


●国際音楽祭NIPPON2024 シューマン室内楽マラソンコンサート 


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ブラームスの室内楽は、東京・春・音楽祭で10年以上に渡って、川本嘉子さんのプロジェクトを聴き続けているので、ブラームス・ソナタってこんな感じというのがよくわかっている。ブラームスってやっぱりドイツ音楽らしく男らしい。きっちりとした骨格感があって厳格な旋律で、その進行の中でふっと垣間見る美しい旋律が、いかにもブラームスって感じなんですよね。


それに対してシューマンの室内楽って、その対極にあるような柔らかい旋律の美しさがあるように思う。シューマンの旋律って、女性らしくて優しくてすごい美しい。ほんとうに癒されるような優しい美しさに包まれていて、聴いていて曲としての構成の妙を感じる。


シューマンの音楽には、”春の訪れ”を感じる。

春という季節がよく似合う作曲家だと思う。


アルゲリッチは、私はやっぱりシューマンが好き。シューマンの音楽がいちばん私に合っていると感じる・・・そのように断言している。


ブラームスの成功はやはりシューマン夫妻なくしてはありえなかった。そしてその後のブラームスの人生、創作活動についても、シューマンの妻・クララとの関係を抜きにして語ることはできない。


でもこの3者でその音楽性がとても明確に違いがあってとても興味深く感じるところであった。


この日は、シューマンの室内楽を、ピアノ三重奏曲、ヴァイオリン・ソナタ、弦楽四重奏曲、そして幻想小曲集、ピアノ四重奏曲、ピアノ五重奏曲、とフルに堪能できるマラソンコンサートであった。朝11:00から終演が20:30。まさに1日シューマンづくしである。


シューマンの音楽を、こんなに1日で満遍なく聴き込めるのは極上の贅沢であり、自分もこんな経験はほとんど記憶にない。最高の音楽体験であった。


諏訪内晶子さんは、最後の大曲、ピアノ五重奏曲のみで、若手が主役の演奏会であった。普段なかなか若手演奏家のコンサートに足を運べていない自分にとって、なんとも新鮮でそしてそのレベルの高さに驚嘆を感じざるを得なかった。


詳細なレビューは専用に日記で書きます。



●のだめクラシックコンサート


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”のだめカンタービレ”は、連載開始20周年を記念して2022年にはサントリー・ホールとオーチャード・ホールで3公演「のだめクラシック・コンサート」が開催され、23年にはフェスとミュージカルも開催された。


大変不覚なことで、自分はこの2022年ののだめクラシックコンサート、まったく気づいていなかったです。2022年の年末に調布グリーンホールで、のだめコンサートのクリスマスイブコンサートには行ったのは覚えています。この年の聴き納めコンサートで大感動しました。のだめコンサートの東京版といえば、大体調布グリーンホールで行われるのが常。


そのときいつも思っていたのが、のだめコンサートをサントリーホールで聴けたらな~、最高の華なのにな~と思っていたのでした。


だから、連載20周年記念の節目の年にサントリーホールでのだめコンサートが開催されていたなんて!もう地団太踏んで悔しく思いました。まったく気づいていませんでした。駆けつけることができず、申し訳なかったです。こんな大イベントにまったく気づいていなかったなんて。。。SNS普段よく見ていますが。。この日記を書くときにネットで調べて初めて知りました。いま知りました。


今回ののだめクラシックコンサートは、東京国際フォーラムで新年ガラコンサートという位置づけ。茂木さんの投稿で知りました。


東京国際フォーラムという5,000人は入るであろう大会場が満員御礼。これだけたくさんの人が集まってくれるなんて、しかも毎回のことながら、客層がすごく若い!


のだめコンサートは、もうこれだけのみんなに周知されるところになったんだな~と感慨深く感じました。


春日井で初めて聴いて、そして東京初進出のときも調布にかけつけた。そこから長年ずっと見守ってきたので、もうこれだけみんなの知るところになったんだな~これだけビッグな存在になったんだ!うれしく感じました。


のだめコンサートは、クラシック音楽を分かりやすく、初心者でも簡単に入りやすいように。。そのコンセプトは極めてシンプル。年配者、そして難しい、高尚な趣味と思われているクラシック音楽の敷居を低くするべく、クロスオーバー含め、いろいろな試みが行われている昨今の中で、もっともシンプルでわかりやすいコンサートで大成功している筆頭格が、こののだめコンサートなのではないでしょうか。


とにかく名曲のオンパレード。アンコールピースのオンパレードとも思うくらい、美しいいい曲が全編に並ぶ。フル楽章でなく、単楽章のみなどの疲れさせない工夫も。


こういうアプローチが本当の意味で分かりやすいクラシックコンサートなのだと思います。


聴いていて、ホッとするし、暖かいし、いい曲ばかりなので満足感がたっぷりです。


この日は、12曲という大サービスで、みんな珠玉の名曲ばかり。


あまりにいい曲ばかりで、家に帰ったら思わずストリーミングで聴き返して、お気に入りに追加しておきました。(笑)それだけ頭の中でループしてずっと鳴っていて強烈なインパクトでした。


茂木さんもN響首席時代から指揮者に転向してからずっとその指揮姿を見てきましたが、もういまや完璧な指揮者に変貌です。ベテランの指揮者と間違うくらい堂に入っていてカッコいいです。


若手演奏家主体で、そのフレッシュな演奏、みんな素晴らしかった。

ブラボーでした。


諏訪内さんも茂木さんも、主役は若手。自分は総監督の立場で、自分の世代から若手の世代へ受け継がれていくように誘導しているように思いました。


茂木さんののだめコンサートも、後日詳細レポートして日記にします。







人生の生き方、人それぞれの考え方があって正しい、正しくないはないけど、老後のことを考えて定年までいっさい我慢して貯蓄に励み、それで定年になって第二の人生になってから人生楽しみましょう、ってそんなにうまくいくもんじゃないんですよね。


若い頃からひとえにいろいろ人生を楽しんできた人は、その都度、その瞬間、瞬間にいろいろ学んで、人間的な成熟があって、長い人生で見たときに、その時代、時代でのその積み重ねが、その人の人間性、教養を形成しているものなんですよね。


定年になってから、さっ始めます・・・と自分が思っても、事は起きないんだよね。(笑)

そんなに簡単なことじゃない。そんなに自分に都合よく事は起きないです。


やっぱり一期一会なんですよ。自分の長い人生の中で、その瞬間、その出会いが一期一会と思って、そのときに楽しんで学んでいかないと、そしてそのときにお金をかける、投資していかないとダメなんだと思う。


人生では、若いときから自分に投資していくことが一番大事。


将来のことを考えて、老後の不安のためにいまは一生懸命貯蓄して、したいこともいっさい我慢して生きていくというのは、結局人生として、すごくつまんない人間になっていると思う。人間性も磨けず、教養も学べず、そういうチャンスをことごとく自分で潰してきて、定年後に安定した人生との引き換えに結局得たものというものは、至極つまんない人間になっていた事実だったということだと思う。


音楽はまさにそうだと思う。


音楽は若い頃から、子供の頃から親しんで聴き込んでくることがやっぱりいいだろう。スズキ・メソードではないけど、自分の子供に音楽を自然と親しませるような教育も重要だろう。もちろん自分も含め、そういう環境下になかった人でも、別に聴き始めたのが遅くてもいい。いまからでもいい。


音楽はすべてを救ってくれる。


朝方からずっと悩み事、将来の不安などで鬱々とした気分で過ごしてきて気分が冴えなくても、その日の夕方に演奏会、コンサートがあって音楽に身をそのまま授けると、音楽家、演奏家のみなさんに一気に天国、夢見心地の別世界へ誘ってもらい、終演後は、いままでの朝方の気分がまるで嘘だったかのように、高揚して最高の気分になっている。


音楽は、そういう陰の気を一気に粉砕して、すべてを陽の気に変換してくれるエネルギーを持っているのだ。音楽は強力な魔法なのだ。


また音楽には歴史、流行りがある。その時代、時代の音楽を学んでいくこと、ずっと聴いてくることが、音楽の素養を学んでいく上で大切である。録音、レコード演奏という革命でいまの時代でも昔の音楽を楽しめるようになった。でもやはりリアルタイムで、その時代に聴いた経験のほうがやはり自分の身の中に深く沁み込んでいるものである。


定年になってから、歳をとってから、まとめていままでの時代の音楽を勉強するのではダメだ。自分がいままで生きてきた何十年というスパン、感覚のものさしの基準は、縮められないのだ。その時間のスパンの感覚は、そのままの尺だから意味があるし、その尺の長さそのものの長さで自分の中に存在しているその時間感覚が自分という人間を構築しているその証なのだ。


自分が聴いてきた音楽は、その自分が生きてきた尺の長さの感覚で生き続けているし、その人の人間性を形成している大きな要因になっている。だから、音楽は、もう子供の頃から、若いときから、そのとき、そのときで、たくさんのお金をかけて、投資をして、勉強していかないといけないし、聴いてこないと。


定年になってからやります、じゃダメな世界だと思う。(もちろんそれを否定している訳でなく、早ければ早いほどいいということを言ってます。)


クラシックはとくにそうだ。いかに経験を積むか、いかに場数を踏むかだ。若い頃からのその経験の積み重ねが、その後の自分のクラシック人生を形成するといって過言ではない。たくさんの作曲家の曲、たくさんの演奏家の演奏、声楽家の声をリアルで聴くこと。そしてヨーロッパに行かないとダメだと思う。クラシックの本場、ヨーロッパで演奏を聴かないとダメだ。インターネットが普及している現在、ネット空間、VRでいかにも現場にいるかのような仮想体験ができるので、日本に居ながら、ヨーロッパで聴くことも可能な時代だ。


でもそれじゃダメなんだよね。自分という存在が、そのベルリン、ウィーンでもいいけど、そのヨーロッパの街並み、ヨーロッパ人の歩いている喧騒の中に埋没している感覚、あの感覚、あの空気を自分がリアルで体験しないとダメだ。


この街でベートーヴェンが過ごした、モーツァルトが作曲をしていた、ショパンがピアノを演奏していた、そういう由緒あるところを自分でその跡を追うように同じ道を歩いてみないとダメだ。そして自分がベートーヴェン、モーツァルト、ショパンの気持ちになってみる、その当時のことに想いを馳せてみる。そういう行為がクラシックの場合、とても大切なのだ。


感性を磨くこと。この行為は、やはりヨーロッパの現地に行かないとダメだと思う。その街、その場所を自分が歩いてみないとダメだ。インターネットを通しての体験ではダメだ。


もちろんコンサートホール、オペラハウスもそうだ。日本のコンサートホールは音響も素晴らしく世界でも最高峰レベルのホールであろう。でもクラシックの場合、やはりヨーロッパの現地のホールを体験しないとダメだと思う。外国人聴衆、そしてあの雰囲気。あの現地体験を経験しないと絶対ダメだ。


音楽祭、定期公演ふくめ、自分はここに莫大な投資をしてきた。


クラシックは金がかかるのだ。(笑)


音楽には、その時代、その時代で、その流行、形式があって、それをなるべくリアルタイムで実演で体験すること。そのとき、そのときが一期一会の出会いで、それを逃したら、もう二度と巡り合えないかもしれない。そのチャンスをいましっかり掴んでおかないといけない。


そのとき、そのときに、投資をしていく。その投資を惜しまないこと。


音楽とは経験と場数、そしていかに投資をするか。

その投資の度合いで、音楽の世界に深く関われるかどうか決まってくる。

その投資の額によって、その深さが決まってしまうような気がしている。


これは音楽のことばかりではない。

人生すべてにおいてもあてはまると思う。


人生もそのとき、そのときで、いかに投資していくか、その投資した額で、その世界への関わり方の深さが決まってくるような気がしている。定年になるまで、その投資を惜しみ、すべては老後になってから生きていく上で困らないレベルの生活ができればいい、という考えでは、結局できあがった人間の器としてつまらない人間になっているのではないか、と思うのである。


定年になってから、老後になってから始めますじゃ、そんなに都合よく事は起こらないと思うんですよね。


人生って金がかかるもの。

ほんとうにいったいいくら金があればいいんだ、というくらい無尽蔵にあっていいもの。


人間の悩みって、ほとんどお金が解決してくれるものかもしれませんね。(笑)

お金があれば大抵の悩みは解決してしまうものなのではないでしょうか。(笑)


でも自分のようにお気軽な1人生活じゃ偉そうなことは言えないことも事実。家族がいる場合、お子さんを育てていかないといけない場合、マイホーム購入で住宅ローン返済。現実はより厳しい。子供が独り立ちするまで、そして住宅ローン完済、そして定年になってから悠々自適にゆったり人生を謳歌する。これがふつうの人の人生の考え方、ふつうの人の感覚なのだろう。


正解はありませんね。人それぞれの考え方ですね。人生の組み立て方の問題ですね。


自分が言うのもなんなんですが、人生なんとかなるんじゃないかな、と思います。

そのときそのときで、なんとかなる、切り抜けて生きていけるのではないか、と思ってたりします。


人生綿密に計画を立てて生きていこうと思っても、まずその通りになりませんね。

かならず想定外のことに出会うのではないでしょうか。


自分もそうですが、人間って先行き不透明な未来、将来のこと、とくに老後の問題はとても不安になって心配してしまいます。いまの自分なんかまさにそれです。


でも95%の確率で、心配しているようことは起こらないらしいですし、なんとかなる、と考えて生きていく方がいいのではないでしょうか。


還暦を迎えたら、もういままでのようにはいかない。行きたいコンサートはどれでも行くというのではなく、取捨選択をしていかないといけない。筋肉質の予算体制で生きていかないといけない。


そう誓ったばかりですが、3月以降も、新国オペラ トリスタンとイゾルテ、東京・春・音楽祭のトリスタンとイゾルテ、ヤノフスキのワーグナー・ガラコンサート、川本嘉子のブラームス室内楽、そしてヤノフスキのN響定期。。。


ととどまることを知りません。現役時代とほぼ変わらぬペース配分です。


このペースでいくと、最初自分の方で予想していたのは、老後資金が枯渇して、路頭に迷う、老後破綻が襲い掛かってくるのが大体70歳以降かな~と読んでいたのですが、このペースだともっと早まって60歳代に来るかもしれません。(笑)


危機、リスクはもうすぐそこまで忍び寄っています。偉そうなことを言っていても、じつはしっかり老後対策をして、定年以降も安泰な生活をしていくのがやっぱり無難なのかもしれません。













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