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低域とエアボリューム [オーディオ]

物を持たない人生。
身を軽くすること。
                      
アウトドア派にとっては、コンサートを始め、外に出歩くことに人生の主軸を置く。
                
セカンドステージの人生を始めるにあたって、終活の観点からもそれがいいだろう、とオーディオシステムも大きなシステムから小振りなシステムに変更した。
                  
B&W Signature 800からSignature805へ。
                          
最初からまったく期待していなく、大体ブックシェルフのような小径のスピーカーはやはり限界があるもんだ。大きなユニットのスピーカーに絶対敵わない。とくにオーケストラの大編成のサウンドは、小径のスピーカーには限界があるもんだ。
             
もう身を軽くすることが目的だったから、まっいいっか。
805はもともとサラウンドのリアとしてしか使っていなかったから、ほとんど鳴らしていないのも同然の固い代物だ。
                         
もうオーディオはもう充分楽しんできたし、特にハイエンドは、もうこれ以上あまり新しい可能性を感じない(笑)ので、これからは・・・もう普段スマホで聴いているくらいですから。(笑)
                      
小振りのシステムに変更することで、困ったことが起きてしまった。パワーアンプを売り飛ばしたので、スピーカーケーブルがアンプと合わなくなってしまった。あちゃ~、せっかくすごい高額を投資しためちゃ高価なスピーカーケーブルなのに・・・使い物にならんとは、勿体ない。
              
電源ケーブルの黒ヘビ君も、もともと使いまわしが悪いケーブルなので、小システムにはもう無理。黒ヘビ君も高いのに。。。
                        
スピーカーケーブルと電源ケーブルが使えない。
これはすごいハンディキャップだ。(笑)
                   
インターコネクトのケーブルだけが使える。
                        
ブックシェルフにすることで、大幅なサウンドレベルダウンを覚悟していた自分にとって、このケーブルが使えないのは想定外でこれはもう終わったかな、と感じたところだ。
                    
もうオーディオにお金をかけるつもりはまったくないので、音が鳴ればいいや、音楽が聴ければいいや、という感じで、スピーカーケーブルはAmazonでスピーカーケーブル完成品の3,000円くらいのものを。電源ケーブルも同じくAmazonで市販のもの2,000円くらいのものを。
                  
それで、重い腰をあげて、ようやく今日結線した。身体障害者なので、息ゼイゼイでかなりキツかった。最初Rchのほうが鳴らなかったりで、余計汗ダクダクになってやってた。
                    
ようやく・・・恐る恐る鳴っている音を聴くと・・・
                        
あまりに素晴らしいサウンドで驚いてしまった。(笑)
                          
なにが驚いたかというと、低域モリモリなのだ。こんなにモリモリに低域が鳴っているのは、いままで聴いたことがなかった。Signature800を中古で購入して17年間育ててきた自分がいままで聴いたことがなかった低域モリモリぶりだ。ブックシェルフのスピーカーからこんなに低域モリモリの音が聴けるなんて、夢にも思わなかった。
                       
これはコンサートホールでの実演でも言えることだけど、音楽にとって低域ってすごい大切な帯域だ。低域が豊かになることで、聴感上の安定感、下支えがしっかりするので、音楽の豊かさというのが全然違ってくるのだ。低域が十分に再生しきれていないサウンドは、音痩せしている感じで、その音楽の豊かさというのが出てこないものなのだ。
                       
805のウーハーユニットと800のウーハーユニットではもうユニットサイズと造りが違い過ぎる。大人と子供みたいなものだ。
                 
自分は心当たりがあった。
                      
Signature800というSPは、低域が鳴らない、ウーハーが固いことで有名なスピーカーなのだ。マニア泣かせというか、あまり評判がよくない。
                       
自分はGoldmundの300万のパワーアンプでドライブして鳴らしていた。そうでもしないと、Signature800はウーハーが固すぎて低域が鳴らないSPという引け目をいつも感じていた。
                           
それを一生懸命いろいろやって調教してきた。オフ会でも、大丈夫ですよ、低域十分にちゃんと出ているじゃないですか!というお墨付きももらって、自分はこれで自分のサウンドとしてとりあえずひと段落した。全国各地のオーディオ友人のサウンドを聴いても、拙宅のサウンドがそんなに低域不足だとは思わなかった。
                         
Signature800の素晴らしさは、やはりその澄み切った高域、クリスタルな響きに素晴らしい特徴がある。中域から高域、超高域に向けて秀逸なものがあって、特にピアノの音のそのクリスタルな響きは素晴らしいものがある。その反面、低域が鳴りにくいので音痩せという傾向にある。
                      
17年間も育てて来て、毎日聴いてきたSPなので、もう隅々までその素性を知っている。今度、ゆっくりとB&W Signature800について語ってみたいと思う。我が子のことは自分がよく知っている。
                       
そんな大ユニットのSiganture800を17年間毎日聴いてきて、今日805というブックシェルフの小径スピーカーから出てきた低域モリモリの音が驚きとしか言いようがなかった。いままで聴いたことがないくらい低域モリモリだ。
                   
こんな低音豊かな音楽を室内のオーディオで聴いたことは初めてだ。
                           
370万のスピーカーと300万のパワーアンプが、50万のスピーカーと60万のAVアンプに負けてしまうのだ。(笑)
                  
なんで、こんなに低域モリモリなんだ?
ずっと自分は考えていた。
                        
やっぱりS800は固いんじゃないか。自分は鳴らせていたと思っていただけで、じつは鳴らし切れていなかった、ということではないか。
                                
あと、部屋のエアボリュームもあるかな、と。大きなスピーカーを活かせるようなエアボリュームでなかったのに対して、小径のSPだと、部屋容積的にも鳴り方に解放感があって余裕がある。低域と言うのは波長が長い信号なので、部屋の広さは結構影響が大きい。
                     
でも、それにしてもこの低域モリモリぶりはなんだ!最初の出音を聴いて、なんだ?なんだ?と驚いてしまったくらいですから。いままで17年間聴いたことのないモリモリぶりだ。
                         
低域が豊かな音楽って、なんと安定した、豊かなサウンドなんだろう。
聴いていて、心の豊かさを感じますね。心が暖かい感じがします。
                         
オーディオで素晴らしいサウンドという条件は、この下支えの低域がきちんと鳴っているということである。(鳴りすぎも良くなく、それぞれの帯域バランスが重要なことはもちろんですが。ピラミッドバランスとかドンシャリとかいろいろ特徴あります。)
                    
あと、この部屋、すごいライブなんですよね。部屋の中で携帯で電話しているときの自分の話し声なんてすごい響いて、うわっすごいライブだな、と思ったくらいですから。
                                             
あと、ちゃんと音離れもしているんだよね。驚きです。
              
                
自分がこの小振りの小システムで期待していたのは、SACD/CDプレーヤーでディスク再生をすること。
                  
たとえば、来年の東京春祭のN響ワーグナーの予習で4~5時間もかかるワーグナー音楽を聴くのに、スマホのストリーミングでは無理がある。(笑)
                             
やっぱりディスク再生ができないとダメだろう、ということになった。だから自分にとって、小振りなシステムは、SACDやCDが再生できることが最優先だった。
                   
メインで使っていたSCD-1も売り飛ばしてしまったので、ずっと眠っていてほとんど使っていなかったサブ機を生き残らせたのだが、やはり眠い音だったな。(笑)エージング必要だろう。もう5年から8年くらい電源入れてなかったサブ機だ。
                         
でも怖いのは、ディスク読み取り不良などのピックアップ問題とかディスクトレイの出し入れの問題。怖いのは、あまりに使用すぎると、ここにかならずガタが来る。
                                     
もう生産中止、サポート中止の貴重なSACDプレーヤーなので、壊れたら素もこうもない。
いま世の中にSACDプレーヤーはほとんど存在しませんから。
                
だから酷使できない。貴重に大切に扱わないと。壊れたらもう終わりだ。
                  
だから自分にとって小振りなシステムでも、メインはストリーミングオーディオ、PCオーディオのほうである。
                            
でもやっぱりスマホで聴いているのとは、もう全然違う。
             
低域が豊かすぎる!
音楽が豊かだ。
                
やっぱりスマホじゃ限界がある。
                     
でもぬか喜びはまだまだ、である。
たまたまストリーミングの音源が録音がよかっただけかも。
                                   
New York Lounge Jazz Vocal Classics(マンハッタン・ジャズ・カルテット)に昨今嵌っていて、これはいい録音ですよ。今日1日ずっとエンドレスで聴いていました。あまりにカッコいい曲でいい録音なので、惚れ惚れです。
                                 
Spotifyは権利者還元に問題あるけど、UIとかほんとうにわかりやすく使いやすい。これに慣れちゃうと、なかなか・・・な感じ。スマホをリモコンにして、メインのオーディオで鳴らす芸当もできるし(これは昔から自分が望んでいたこと)、音声信号解析・嗜好解析技術によるリコメンド機能・新たな曲の発見もなかなか妙がある。
                              
でも自分はストリーミングは、昔の古い曲を聴いていることが多いので、やはり古い録音はそんなに音もよくないしまっこんなもんかな、いかにもPCオーディオだな、という感じではあります。
                
ディスクオーディオは壊れると困るので、1~2枚(アラベラさんのヴァイオリン)聴いたくらい。眠い音だな、と。(笑)でもサブ機がちゃんとSACD再生できてよかったです。
                               
ほとんど期待していなかった小振りなシステムではあるが、ここまで鳴ればもう上出来ではなかろうか。嬉しい誤算である。
                                 
もうこれからの自分はアウトドア中心で行くので、物を持たない人生、身を軽くすることをモットーとしているので、コストカットしたオーディオがこれだけ鳴ればもう充分である。
                    
これは昔から学んだ自分の経験学だが、オーディオ機器というのはどんなに高額な機器でも売却するときは、ほんとうに二束三文。
                          
それに対して、ソフトはすごいお金になるんですよね。
ソフトを処分して売るとすごい収入額が入ってくる。
                        
これは昔から感じていることだけど、ソフトって金になるんだな、という感じである。何百万というハイエンド機器でも売却するとほんとうに二束三文なんだけど、ソフトはすごい金になる。
                     
これは自分の人生で学んだ教訓である。
                      
物を持たない人生、身を軽くすることが、これからの自分のモットーですが、そのために機器は処分しましたが、人生何があるかわからないし、晩年に人生爆発することもあるので、高価なインターコネクト、スピーカー、電源ケーブルはちゃんと段ボールにしまって、押し入れにしまってあります。(笑)
                    
                                    
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歌舞伎座と周辺のスポット [歌舞伎]

世界の朝ごはんは、今回は南米コロンビアだ。まさにコーヒー、ココアの国である。自分は、南米は残念ながら行ったことがない。だから自分の体験を熱く語ることはできないが、その魅力だけでもたくさん伝えようと思っている。コロンビアの朝ごはんでコロンビアに行った気になれるように努力してみたい。


南米コロンビアとクラシック音楽の関連は?

いろいろな側面からアプローチしてみたい。


結構なボリュームになりそうだ。いま日記作成準備中。お楽しみに!


さて、世界の朝ごはんを食べさせてくれるカフェ・レストラン World Breakfast Alldayは、外苑前、吉祥寺、そして銀座とある。自分が毎回愛用しているのが銀座店である。


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理由は、やはり2か月に1回は銀座という都心に出てみて、その洗練された空気を味わってみたいこと。World Breakfast Alldayの客層は、やはり若い女性、そして外国人が中心だと思う。とくにここ銀座店はその傾向が強いと思う。銀座の都心だから家賃も高かろうに、スペース的には決して恵まれているとはいえないけど、やはり銀座で体験したいということで自分のお気に入りである。


ここ銀座店に行くアクセスであるが、地下鉄メトロで地上に出るときに、自分がいつも目印にしているのが、この歌舞伎座である。


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歌舞伎座。


まさに日本の伝統芸能、歌舞伎。自分はお恥ずかしい話であるが、歌舞伎を生で鑑賞したことがないのだ。一生の人生の中で、歌舞伎と能楽は一度は体験しておかないといけないと考えている。


ちらっと歌舞伎公演のチケットを見てみたのだけど、歌舞伎って結構高いもんなんですね。驚きました。音響はデッドだと聞いているが(笑)、あの歌舞伎座の空間で、ぜひ日本の伝統芸能を堪能してみたいと思っています。


歌舞伎の自分の想い出といえば、やはり大河ドラマ、そして時代劇ドラマかな~。

いまでもそうだけど、やはり歌舞伎役者さんってすごい格が高くて、普通の俳優さんとは一線を画すというか、それだけ存在感があった。自分の古い世代で申し訳ないですが、自分の子供の頃の大河ドラマの主演は、やはり歌舞伎役者さんが務めることが多かった。


いまは、もうすっかりお茶の間のテレビから消えてしまいましたが、自分が子供の頃は、時代劇の人気ドラマが大全盛の時代でした。やはり時代劇が似合う役者さん、時代劇の顔の役者さんがたくさんいたのです。


そんな中でも歌舞伎役者さんは大活躍じゃなかったかな~。


ご存じのように、歌舞伎役者さんは踏襲制でその家に生まれないとなれない。そんなことも知らずに、自分は子供の頃に歌舞伎役者さんになりたい!と母親に懇願したことがある。(笑)ダメ、その家に生まれないとなれないの、と言われてしまいましたが。


やっぱり普通の役者さんと違って、歌舞伎役者さんは、実力が備わっているというイメージが先行して、なんかこうブランド力があるというか、オーラがありましたな~。存在感が凄かったです。カッコよかったです。


市川團十郎、尾上菊五郎、松本幸四郎、・・・


〇〇代目・・・でみんな踏襲していって、いまはみんな若い人たちが務めていますが、歌舞伎役者さんについては、もう自分の中では自分の子供の頃の大河ドラマのときのあの方とあの名前でそのまま何十年も止まったままになっています。(笑)もう脳内進展していないです。


申し訳ないですが、いまの若い役者さんは追えていないです。覚えるようにします。


奥様が藤純子さん(あの当時~古い。。笑笑。。憧れの的でした~。任侠映画よく見ていました)、いま改め冨司純子さんの旦那様の尾上菊五郎さん。大河ドラマの黄金の日々での市川染五郎(当時)、いまは松本白鵬さんなのかな。いまは亡くなられましたが、当時の中村勘三郎さん、勘九郎さんの頃からテレビでお馴染みでした。


もう自分の歌舞伎初心者脳はこの時代から止まったままです。(笑)

歌舞伎役者さんという仕事もほんとうに大変です。


自分は日本史大好きなので、自分に馴染みのある演目をぜひ観劇してみたいです。

歌舞伎座での鑑賞をぜひ実現してみたいと思っています。


その歌舞伎座の前は、ほんとうに外国人観光客の方たちですごいいっぱいです。

記念撮影していたり。。。


日本の観光スポットの代表格ですからね。


自分は、世界の朝ごはんのカフェに行くときは、東銀座で下車するのですが、地上に上がるときは、この歌舞伎座のところの歌舞伎座出口に出るように工夫します。World Breakfast Allday 銀座店は、この歌舞伎座に近いというか、方向性を確認する上で目印になるのです。


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歌舞伎座の隣には、歌舞伎稲荷大明神が奉納されています。ここで演目大繁盛をお祈りするんですね。(???)


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そしていつも毎回驚くのが、この出口のところを地下に降りていくと、歌舞伎関係のお土産やグッズが売られている大きなエリアがあるんですね。


歌舞伎座の地下2階にある「木挽町広場(こびきちょうひろば)」というんですかね。劇場で観劇しない方でも無料で入場することができるのです。東京メトロ東銀座駅に直結でアクセスしやすく、劇場で観劇しない方でも気軽に入場することができて、歌舞伎の雰囲気を味わいながらショッピングを楽しめる歌舞伎グッズを初め、 和風雑貨などを数多く取り揃えてあるのです。 お土産に最適な和菓子、歌舞伎座の定番菓子も販売しているそう。


歌舞伎座サービス株式会社がこの木挽町広場を運営しているみたいで、GINZA KABUKIZA 地下2階「木挽町広場」での出店、催事、イベント等への貸し出しをこの会社が管理しているみたいです。


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この大提灯。創業安政元年(江戸時代!) 吉野家商店謹製です!


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ここを通るたびにすごいな~と思うんですよね。まさに歌舞伎サイドビジネスそのものだな~と思うのです。歌舞伎ファンの神聖な聖地なんでしょうね。ここをプラプラしているだけで結構楽しいですよ。


自分の場合、世界の朝ごはんを食べ終わった後、結構ここに寄っているケース多いですよ。(笑)


自分の時代の歌舞伎役者さんたちは、もういまやその家の大御所になっていると思うので、いまの若い世代の推しの役者さんを見つけることにしますね。(笑)そして歌舞伎座で初の演目を観劇してみたいです。


その他にも、歌舞伎座からWorld Breakfast Allday 銀座店に行く途中に、気になるスポットがちらほらあるのです。


●東銀座 炭火焼ハンバーグ 神徳


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ここは、毎回通るたびにすごい大行列なんですよね~。なんだ~なんだ~といつも思ってしまいます。一度チャレンジしてみたいな~といつも思うのです。


挽肉屋神徳は、今までにない新しいハンバーグの美味しさを皆様にご提案します。

 

挽肉屋神徳では、毎朝「挽きたての肉」を炭火焼きにしてお出ししています。

フレンチと和食で長年修行を積んだ職人が辿り着いた黄金比率の挽肉は

其々の肉の旨味を最大限引き出す挽きの粗さ、捏ね方、スパイスの調合、

焼き方まで全工程においてとことんこだわりました。


挽肉は炭火で「焼き締め」することで、肉本来の旨味を存分に味わっていただけます。

メニューは六種類の挽肉から選べるハンバーグ定食の他にハンバーグ丼、


出汁ハンバーグ、季節メニューなど、多彩な挽肉メニューをご用意しております。



今度、ぜひ入ってみたいところです。


●イタリア式食堂  カリーナ・イルキャンティ(東銀座)


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ここも通る過ぎるたびに気になるところなんですよね~。なんか雰囲気がオシャレです。


ドレッシングと豊富なワイン、ソフトシェルクラブ

「イタリア式食堂キャンティ」の姉妹店、東銀座「カリーナ・イルキャンティ」


鮮やかな赤色が印象的なイタリアン漆喰の壁と

清潔感あふれる白いレンガ調の壁と天井が見事なコントラストを作る上質な空間——

入口の小ささからは想像できないほどの広くて奥深い、美食の社交場が開けています。

大人のトレンドを発信する銀座でフランクかつカジュアルに

キャンティオリジナルのイタリアンを心ゆくまでお愉しみください。


中に入ったことはありませんが、ここも一度チャレンジしてみたいです。



●洋菓子のヒロタ 東銀座店


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ここもいつも吸い寄せられるようになってしまいます。(笑)


「洋菓子のヒロタ」が創業100周年を迎えるにあたりリブランディング。2023年10月1日(日)には東京に旗艦店の一つ「ヒロタ 東京・東銀座店」が誕生しました。


「洋菓子のヒロタ」が100周年を機にリブランディング。10月1日(日)には東京と大阪に旗艦店が誕生しました。リブランディングにあたっては、“懐かしくて新しいヒロタ”をコンセプトに設定し、商品およびロゴ、商品パッケージをリニューアル。新しく誕生した2つの旗艦店は、生まれ変わったヒロタの世界観を感じられる場所となります。


東京の旗艦店「ヒロタ 東京・東銀座店」は銀座4丁目にオープン。ヒロタのブルーと赤を組み合わせたレトロなチェック柄が全面に施された店内には、懐かしさを感じるネオンサインやシュークリームモチーフの壁など、思わず写真を撮りたくなる仕掛けが盛りだくさんです。


今回オープンした2つの旗艦店では、限定商品として濃厚なカスタードクリーム入りのプチシューが販売されているのでお見逃しなく。


洋菓子のヒロタは、シュークリームを中心とした菓子メーカーだそうです。近畿地方発祥の企業であるが、2001年に経営破綻、支援に入ったヒロタグループホールディングスが東京都に本社を置く企業のため、2008年に本社を東京都へ移転していたそうです。


ヒロタのシュークリームは有名なんですね、

シュークリームといえばヒロタなんですよ、きっと。


シュークリームのヒロタが100周年でリブランディング!東京と大阪に旗艦店をオープン 100年の感謝を込めて全商品を100周年仕様に!・・・ということですから、その東京のほうのお店なんだと思います。


ここもいつも通るたびに魅かれるんですよね~なぜか・・・。


今度ヒロタのシュークリーム、食べてみたいです。


このように、世界の朝ごはんWorld Breakfast Allday 銀座店に行くために東銀座駅で降りてからカフェレストランに行くまでの道すがら、いつもとても魅力的なスポットが並んでいるのです。


さすが!銀座、東銀座です!











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江戸時代のお寿司 [グルメ]

ユネスコの無形文化遺産として世界遺産に認定されている”和食”。寿司、蕎麦、天ぷら・・・まさに見た目が美しくてヘルシー。外国人にも大人気だ。ミュシュランでも三ツ星のレストランがいちばん多い国は東京なのだ。


まさに美食大国、日本。


そんな中で、その代表格のお寿司。自分は昔からお寿司の歴史について興味があった。江戸時代に生まれたお寿司。江戸前寿司という言葉はよく使われる言葉だが、それはもともとどういう由来があるのか。


YouTubeなんかで、そんなお寿司のルーツがよく自分のSNS TLに流れて来て、へー、そうなのか!という感じで自分の中でトリビアだった。その江戸時代のお寿司を食べさせてくれるお寿司屋さんが、千葉県のほうにある、ということでさっそく行ってきた。


その前にお寿司の歴史、お寿司の生まれた由来、江戸時代のお寿司とは、”江戸前寿司”という言葉はどういう意味があるのか勉強してみよう。


すし飯で作る現在のおすしは、いつ頃生まれたのか?


それは、江戸時代中期1700年代前半頃になる。現在のおすしの原型となるお酢を使った『早ずし』が誕生した。『早ずし』は、飯にお酢と塩で味付けしたものである。


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江戸時代中期には『箱ずし』『巻きずし』『棒ずし』など今でも愛されている様々なおすしが作られるようになった。ちなみに、江戸の街は『握りずし』が誕生する前は、『箱ずし』が人気だったそうだ。


それでは『握りずし』はいつ頃生まれたのだろうか?

それは、江戸時代後期にさかのぼる。1800年代前半頃、江戸の街で誕生した。


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当時の江戸の街は、100万の人々が暮らす大都会。

単身の男性が多く、『すし』『蕎麦』『天ぷら』などの屋台が人気だったのだ。



では、屋台で人気の『握りずし』は、いったい誰が考案したのだろうか?

残念ながら考案者は不明だが、『与兵衛鮓』の主人、初代華屋与兵衛が大成したと考えられているそうだ。


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当時の『握りずし』は、江戸前で獲れた魚貝を下処理したタネと、お酢と塩で味付けしたすし飯が握られており、その大きさは現在の2倍から3倍も大きかったようだ。


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江戸時代後期に生まれた江戸時代の握り寿司。サイズは2~3倍!シャリは赤く生のネタはほとんど無し


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江戸時代後期に屋台売りの大衆食として始まった握り寿司だが、そのサイズは現代のもののおおよそ2~3倍、シャリは赤酢を使うので赤っぽく、ネタも冷蔵技術が無いためあらかじめ酢でしめたり熱を通したものが大半だった。




すし屋ですしを注文すると、たいていの場合、2個ずつ握ってくれる。

これを「2カン漬け」というが、1個の注文で、値段は勝手に2倍になる。


握りずしが生まれた江戸時代当時(1820年頃)、屋台で盛んに食べられた。そのひとつは、今のすしの2~3個分もあった。すし屋は屋台の奥で、座って握っており、客は屋台を囲んで立ったまま食べた。箸などというものはなく、客はすしを手でつかみ、3~4個食べたら勘定をして、店ののれんで汚れた手を拭いていったという。


また握りずしは手みやげ用に折り詰めにされたり、芝居や花見見物の弁当としても使われた。こちらは箸を使った豪勢なものであったが、手軽にすませる場合は楊枝で刺して食べることもあった。




●すしの誕生


寿司が日本の文献に登場するのは奈良時代になってからだ。「寿司」と言っても、当時の寿司は「なれずし(熟れ鮨、馴れ鮨)」と呼ばれる、魚を米や麹に漬け込んで発酵させて作る一種の保存食。


なれずしは東南アジアから中国、朝鮮半島へ渡り、稲作文化とともに日本に伝えられたと考えられているが、現在の寿司とは大きく異なり、食べるのは魚だけで、一緒に漬け込んだ米は発酵してドロドロに溶けてしまうため、食べずに捨てられていた。


●なれずしから箱ずし、押しずしへ


室町時代になると、米を捨てずに食べることのできる「なまなれ」と呼ばれる寿司が誕生する。


「なまなれ」は、魚と一緒に漬けた米が溶けてしまう前に、米に酸味がつく程度で発酵をとめ、魚と米を一緒に食べられるようにした。「なまなれ」は賞味期限が短くなった反面、発酵期間が短くなり米も食べられるようになった。それまで「魚の保存食」だった寿司が、ご飯も食べられる「飯料理」へと変わったのだ。


やがて、寿司は箱に酢飯を詰めて、具を置いて圧力を加えて作る箱ずし、押しずしとして関西方面を中心に発展していく。その後、巻き寿司や棒寿司、バッテラ寿司などが関西地方で広まり関西寿司として親しまれるようになっていった。



●江戸前寿司の誕生


江戸時代になると、関西方面で生まれた箱ずしや押しずしが江戸にも伝わり、1680年頃には江戸の町にも寿司屋ができた。


やがて、1810年頃になると、押して漬けることにより時間がかかること、魚の脂味が抜けてしまうことなどを嫌った華屋与兵衛が、握ってすぐに食べられる現代のような握り寿司を「握早漬(にぎりはやづけ)」として売り出した。寿司屋の厨房のことをツケバというのは、当時は寿司をつくることを「漬ける」と言ったからなんですね。


与兵衛の作った「握早漬」は「握り寿司」として、一世を風靡することになるが、時を同じくして、江戸中に屋台スタイルを中心に多くの寿司屋が誕生した。そして、主に関西の方で大成していた押しずしなどの「関西寿司」と区別するために「江戸前寿司」と呼ばれるようになるのだ。


当時の江戸前寿司は、大きさが今の2.5倍程度というおにぎりのような大きさで、シャリには粕酢(赤酢)を使うことが多かったため、酢飯には赤みがあった。現在でも伝統的な江戸前寿司にこだわって赤酢を使う寿司屋も多くある。


●江戸前の意味


このように、従来のなれずしや箱ずしとは異なる形で江戸で生まれた江戸前寿司だが、江戸前寿司の「江戸前」とは、文字通り江戸の前にある海の魚介類を使っているということから由来している。


ただし、当時の江戸の前の海とは、江戸城の前あたりの東京湾の中でも一部の海域で、現代とは異なると考えられている。


現代における「江戸前」は、2005年に水産庁によって東京湾全体と定義されているので、狭義の「江戸前」は「東京湾の新鮮な魚介類を使った」という意味になるそうだ。


●江戸前寿司の特徴


時と共に全国に広まった江戸前寿司だが、江戸前寿司の最大の特徴は、魚を酢や塩で〆たり、煮たり焼いたりして熱を加えたり、ツメを塗ったりと寿司だねに一仕事加えるところにある。


これは、まだ冷蔵庫がなかった江戸時代に、そのままではすぐに傷んでしまう魚介を美味しく食べるために生み出された保存食としての知恵であり、当時の職人たちの工夫であった。


光り物好きにはたまらないサバやコハダ、キスなど傷みやすい魚は、今でも酢〆にされることが多い。これも江戸前寿司の伝統的な手法である。当時はアジやサヨリ、白身魚や貝類なども酢で〆て食べていたといわれている。


現在では魚を保存する方法が発達して、鮮魚をそのまま握り寿司にすることが多くなったが、伝統を重んじる寿司屋では、今でも一仕事施した江戸前握りを提供しているそうだ。


我々が、普段何気なく食べている握り寿司は、もともとは”江戸前寿司”と呼ばれる江戸の郷土料理であったが、それまでの寿司の概念を覆した革命的な寿司ともいえるものだったのだ。



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寿司屋の屋台は、間口6尺で奥行き3尺。移動することなく、町場なら路地の入り口、寄席や見世物小屋近くなどの人が集まる場所に添えつけて商った。図の屋台の右にどんぶりが見える。このどんぶりには醤油が注いであり、共有で使っていた。つけ台(握ったすしを直接置く台)の裏側には半畳ほどの畳があり、職人はそこに座ってすしを握っていた。


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「押しずし」の屋台、右手には「箱ずし」を運ぶ姿が描かれている。




これが江戸時代の握り寿司。


江戸前寿司は、白米であるシャリの上に魚の切り身をのせた「握りずし」で、考案したのは本所元町のすし屋「華屋与兵衛」(はなやよへい)といわれている。


その華屋与兵衛のお寿司が絵として残っている。「偲ぶ与兵衛の鮓」の絵/小泉清三郎著  

これが江戸時代のお寿司の元祖だ。


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そしてこの「偲ぶ与兵衛の鮓」の絵を元に当時の江戸前寿司を再現したのがこちらだ。


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現代と江戸時代の握りずしの比較。


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江戸時代の握りすしは大きかった。(笑)江戸時代のお寿司は、いまのお寿司の2倍から3倍の大きさがあったといわれている。まるでおにぎりを食べているみたいだ。(笑)


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一口で食べられないので包丁で二つに切って出す。

これがいまのお寿司屋さんでの”2カン漬け”のルーツになっている。



現在の江戸前寿司である。


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これがお寿司の歴史、江戸前寿司の由来である。





情報引用元:


・すしの歴史(4) 江戸の握りずし文化と華屋与兵衛



・江戸のすし屋台の様子とは?



・サイズは2~3倍!シャリは赤く生のネタはほとんど無し? 江戸時代の握り寿司事情を描いたイラストが話題に



・江戸前寿司とは?江戸前寿司の成り立ちや特徴を解説



・2章 すしの歴史/江戸の握り寿司文化と華屋与兵衛(江戸の外食・醤油文化)







この江戸時代のお寿司の姿をそのまま食べさせてくれるお店が千葉県南房総の館山市にある。


茂八寿司(もはちすし)


自分のInstagramのTLに突然現れて、もう自分はいっぺんに虜になってしまいました。なにせ、江戸時代に創業のお店で、この江戸時代のお寿司をいま現在もそのままの形で我々に伝えてくれるのだ。


これはいい!


かねてより江戸時代のお寿司に興味があった自分にとって、願ってもない、まさにこれは食べてみたい!体験してみたい!である。


茂八寿司の人気メニューは、この田舎寿司である。


じゃあ~ん!

どうよ!これ。(笑)


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「いいんですよ。お箸でも手でも」

お客さまが美味しく食べられるのが

一番のお寿司のお召し上がり方ですから。



茂八【もはち】は、南房総の館山市、小さな船形港の入り口にある昔ながらの寿司やです。

創業は江戸の頃、初代 茂八から数えて私で七代目となります。


南房総のとれたての魚介と地元長狭米で握る「田舎寿司」。

「春」はお花摘みやイチゴ狩、「夏」は合宿や海水浴、「秋」は養老渓谷紅葉狩りにと、

四季を通して 行事や行楽のお食事として、皆様に楽しんでいただいております。


南房総にお越しの折は、おなかも心もいっぱいご満足いただけますよう

店一同、精一杯皆様のおもてなしをさせていただきます。


皆様に御会いできる日を、心よりお待ち致しております。


店主



江戸前にぎりよりはちょっと大きめのシャリと、

でんと大きな厚焼き玉子


茂八の握りは「田舎寿司」とお客さまによく言われます。


田舎寿司は江戸時代の寿司の名残を色濃く残した握り。

都会のちょっとしゃれた江戸前寿司のシャリより大きめ。

勿論ネタもほどよく大きめです。


いつもより少し大きめの口でお召しあがりください。



茂八寿司のあつ焼き玉子は、よせ焼きではなく1枚焼きなんです。


玉子焼き1枚に、房総産の新鮮なたまご約2キロとダシだけ。

「つなぎ」はあえて入れません。

たまごのもつ旨みをじっくり1時間ほどかけて伝統の手法で焼き上げます。


焼きあがりは、まるでプリンのよう。

甘さと香ばしさが、お口の中いっぱいに広がります。



南房総・加茂川水系沿いの長狭地方。

ここは、江戸時代から良質米の産地として知られています。


その良質米である証として、明治4年に「長狭米」が明治天皇大嘗祭に献上。

さらに平成3年には、長狭地域のうち成川地区が「日本の米づくり百選」の

ひとつとして選定されています。


この「長狭米」は、炊けばピカピカの艶を出し、旨みはまさに絶品です。


こだわりの長狭米(ながさまい)と、新鮮な魚介類が見事に合うんです。


茂八寿司公式HP



これはもうさっそくゴーである。


行くときは、かならず予約をしていくことをお薦めする。いつも予約でいっぱいで超満員で入れないので、いきなり行ってもまず無理だ。千葉県南房総まで出かけて、入れませんでした、では洒落にならない。かならず予約すること。


さて、千葉県南房総 館山市ってどこだ?


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ひぇぇぇえええ~~~。千葉の最南端ではないですか!

こりゃ大変だ。アクセスのハードル高いな~。


一応お店までのアクセスとしてはこんな感じだ。


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なにせ、予約制なのでお昼の12:00に予約をした。お昼の12時までにこの千葉県最南端の館山市までたどり着くには、家をいったい何時に出ればいいんだ?


自分は、正確に見積もった訳ではないけど、朝5時に家をでた。

結果としてお店に着いたのが、12時の10分前の11時50分だった。(笑)


なんと!7時間かかった!(笑)


千葉県には内房線と外房線が走っている。

おもに内房線を使う。


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東京からJR京葉線で、蘇我まで出て、そこから内房線で君津まで出てそこから乗り換えて館山まで行く。内房線にしても、平日は館山まで一気に行く電車はないという。必ず一旦君津で乗り換えて、乗り継ぐ。一気に館山まで行くのは土日だけなんだという。タクシーの運ちゃんの話では、内房線は赤字路線らしいです。君津から館山までは、もう2両車両線だし。お客もまばら。赤字路線というのはよくわかるような気がした。




この千葉県南房総 館山市。千葉県の最南端。

もうこんなことがない限り滅多にこない町である。

記念に写真撮影しておいた。


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館山市は、海沿いの町なので、海が見える。海なんて、ほんとうにひさしぶりに懐かしい。東京湾だ。天気がいいので、なんとこの館山市から東京湾を挟んで富士山もよく見えた。驚きだ。



茂八寿司には、この館山駅から出ている日東バスに乗って、10分くらいの船形港前というバス停で下車する。


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ここが船形港前の町並みである。もうのどかな田舎風景である。


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ここに住んでいる人はどこにスーパーマーケットがあって、どこに食材や水を買い出しに行っているのだろう、と思わず不思議に思ってしまうほどのどかだ。



茂八寿司は、この船形港前バス停から徒歩3分くらいのところにある。


ここが茂八寿司である。

は~るばるやってきたぜ~、という感じである。


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やっぱり江戸時代から創業しているだけあって名門という感じの歴史ある趣のお店だった。

・・・そして、にゃんと!ニャンチャン、猫ちゃんがお店の前で店番をしている。(笑)(=^^=)


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まさにこのお店の看板猫に違いない。ずっと開店までこの扉の前に陣取って寝ている。そして開店と同時に、お店の人がドアを開けると、寝てたのが起き出して、ニャ~ニャ~と鳴く。(笑)


撫でてやると、もう喜んでじゃれついて甘噛みしてくる。(結構痛かった。。笑笑)

かなり人慣れしているニャンチャンだ。


開店してお客さんが店内に入って来ても、そのままずっと外の扉の前でずっとお座りして店番をしている。まさに看板猫。このお店を守り続けている商売の神様なんですね。可愛かったです。


さて、茂八寿司の店内。


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江戸時代からの創業の割には、新しく綺麗で清潔感溢れる店内装であった。

たぶん途中何回もリノベーションしているんですね、きっと。


そんな新しさを感じる内装空間でした。

スペースは比較的狭い小規模な空間でした。



予約のときに、もう頼むメニューは決めて伝えてあります。

茂八寿司といえば、田舎寿司です。

ネタとシャリの大きい『田舎寿司』。厚焼玉子とアジの姿寿司はお店オリジナルです。


じゃぁあ~ん、これが茂八寿司の田舎寿司です。


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すっすっごいボリュームです。(笑)

まさに江戸時代のお寿司、おにぎりサイズのお寿司です。

もううれしくなってきました。。。これを食べたいがために千葉県最南端までやってきました。。


タクシーの運ちゃんの言ってましたけど、じつはこの茂八寿司の厚焼き玉子も最高なんだとか。

もう甘くてそれはそれは堪らん美味しさでした。


江戸時代のお寿司は、やはり赤身メインなんです。これはトロだったのかな。とにかくすごい食べるのが大変。(笑)口の中がいつも満杯状態で、すごいボリューム食べ応えでございました。


でもすごく美味しい。シャリが最高ですね。「長狭米」のピカピカで艶があって甘みもあって最高に美味しい。この田舎寿司、もう3つつまむと、もうだいぶお腹が膨れ上がってきますね。


江戸時代の人は、みんなこうやってあの当時のお寿司を楽しんだんだな、と思いました。


旬のお寿司としては、鯵(あじ)の姿寿司がありますね。写真のいちばん左側にあるお寿司です。


「鯵」あじは地元でとれたての新鮮なものをひらき塩にします。酢であらい1匹ずつむなびれと骨をぬき、さらにかめ酢に漬け込みます。あがったものを甘酢にひたし、頃合をみはからってひきあげて酢飯とともににぎります。


かなり手の込んだ一品でこれは〆てある感じで、なかなかの珍味でございました。


とにかくお寿司ひとつつまむというよりはガッツくという感じで、ひと握りを食べるまで格闘でございました。(笑)少しづつ食べようなどの上品なことを言っていると、ご飯が崩れちゃうとか、そうならないように、もう二口、三口で全部口の中に放り入れてしまう。なんかそういうワイルドな食べ方が必要かもしれません。


食べ応えあった~~~。そして美味しかったです!


江戸時代の人は、みんなこんな風に握り寿司を屋台で食べていたんですね。


江戸時代のお寿司。ずっと昔からトリビアで興味のあったお寿司。こういうものだったんだな~ということをリアル体験できてほんとうに満足できました。


タクシーの運ちゃんの話では、この茂八寿司以外にも、館山駅の近くに歩いて行けるところで、館山寿司 白浜屋本店というところもあって、ここも江戸時代の大きなお寿司を食べさせてくれるお店で有名だそうですよ。


館山市まで来ることは、もうなかなかないだろうから、この日行っちゃう?とも過ぎりましたが、さすがにお腹が無理でした。


今度また挑戦しに来ます。














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沖縄ソーキそば [グルメ]

先日吉祥寺に用事があって、帰りに下北沢で下車してひさしぶりに下北の街をぶらぶら歩いてみた。やっぱり下北は若者の街だよね~。まさにサブカルの街。若者の街。歩いている人は若者しかいない。やっぱりなんか自分も若返った気がするね。


小田急の新百合ヶ丘に会社寮があったときは、まさに下北は自分の憩いの場所だった。

ここで生活用品、食料を調達したり、ここでご飯を食べていたりした。


餃子の王将を経験したのもこの下北沢の餃子の王将が初めてだった。

まさに上京したての自分の青い青春の街ですよ。


お店はあの当時から比べると、もうほとんど入れ替わりがあると思うけど、あの下北独特のサブカル的な雰囲気は相変わらず健在だ。


そんな下北の街をぶらぶら歩いていると、沖縄料理のお店を発見した。もう近くを通り過ぎただけで、おきなわ~~~という南国風の独特のオーラを発していて、すぐに目につくという感じだ。


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このお店は、”沖縄料理とそーきそば たいよう”という食堂で、自由が丘と下北沢に展開しているお店のようだ。ソーキそばだけでなく、沖縄料理も品ぞろえがある。



沖縄創作料理とそーきそば たいよう




沖縄創作料理と泡盛を沖縄音楽が流れる店内で楽しめる。


朝11時から朝4時までノンストップ営業!

店内に流れる沖縄音楽と雰囲気でいつでも沖縄気分を満喫。

トロっトロに煮込んだラフテーをはじめ、沖縄創作料理をぜご堪能くださいませ!!


沖縄でお世話になったおばぁの料理。ヤーサン(お腹空いた)と言えば、そーきそば、らふてぃをたくさん作ってくれて、食べ終わる時はチュファーラ(お腹いっぱい)の気持ちになっていた。このおばぁ直伝の料理をみんなに食べてもらいたい。そう思ってできたのがたいよう食堂です。


人気メニューはこんな感じだ。


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なんか独特のオーラを発していて、なんか引き寄せられる感じだった。

ちょっと入ってみたくなった。


沖縄料理か~。


昔、沖縄料理ってどんなものなのか、体験してみたくて、若かった頃の遊び町だった新宿東口、西口でいろいろ沖縄料理のお店によく足繁く通ったことを思い出した。


これが沖縄料理か~という感じで、細かいことは覚えていないけど、とにかくそうやって沖縄料理を楽しんでいた。



自分は、昔から沖縄料理でこのソーキそばというのがどういうものなのか、疑問に思っていた。


ソーキそばって何だ?


沖縄料理で、ソーキそばってすごくよく聞く言葉だ。沖縄料理の代表格みたいな料理だ。


沖縄のソーキというのは、ソーキそばをはじめ、ソーキ汁、ソーキ煮付け等、沖縄の一般家庭では極めて日常的なお肉がこのソーキ。 ソーキとは豚のあばら肉(スペアリブ)のことである。


沖縄そばというのは、中華麺に由来する製法の麺を使用した、沖縄県の郷土料理(沖縄料理)である。沖縄県内では単に「そば」、あるいは方言で「すば」「うちなーすば」とも呼ばれる。麺は一般に太めで和風のだしを用いることもあって、その味や食感は一般的ラーメンよりはむしろうどんや和蕎麦に近い。


ソーキそばとは沖縄そばの一種で、甘辛く味つけしたソーキをトッピングしたもの。 ソーキとは、沖縄の方言で「スペアリブの」の事を指し、砂糖と醤油で甘辛く煮込んだものが使われていることが特徴である。


ソーキ蕎麦と沖縄そばの違いは、沖縄そばはスタンダードな沖縄そばで、三枚肉(甘辛く味付けした豚の角煮をスライスしたようなもの)をトッピングしたものを指す。それに対して、ソーキそばは、三枚肉ではなく、同じく甘辛く味付けした骨付きソーキ(ソーキは沖縄方言でスペアリブの意味)をトッピングしたものを指すのだ。


・・・と、ここまでは、いま日記に書くために調べたわけであって(笑)、下北を歩いていてこのお店を見つけたときは、”ソーキそば”という名前は沖縄料理としてあまりに有名なので知ってはいたが、それがどういう料理なんてこれっぽっちも知らなかった。


それで人生初体験ということで、沖縄ソーキそばを食べてみたいと思い、このお店に入ってみたのだ。


店内は薄暗い照明で、細長いカウンターのみの小さなお店だ。若者だけ、そして外国人さんも多かったような気がする。


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自分は迷わずソーキそばを注文。


これがソーキそば。


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確かに上にお肉の塊が2切れ程のっている。これがソーキか~?沖縄でいうところの豚肉のスペアリブのことだ。脂が乗っていて、ジューシーで香ばしかった。美味しいと思った。


スープは薄味の塩ラーメンのようなあっさり系のさっぱりしたスープで、やや太麺のストレート麺。う~ん、ラーメンというよりは、やはりそば、という感じなのかな。見た目が黄色の麺なので、やはりラーメンっぽい感じである。日本の麺文化でいうなら、ラーメンでもない蕎麦でもない、その中間っぽい独特の麺類の食べ物だな、と思いました。


これに上に乗っている豚のスペアリブがあることで、ソーキそば、ということなんだと思いました。さすがに自分がいままで体験したことのない麺類でした。


これが沖縄ソーキそばなのか~という感じです。


いい記念になりました。


自分にとって、下北沢といえば、やはりスープカリー。下北沢はスープカリーの激戦地。ソーキそばだけではぜんぜん足りない自分は、下北沢のCOSMOSで20種類の野菜と豚角煮のスープカリーを堪能しました。


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ここのスープカリーは相変わらずウマい!!!















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オトナの課外授業 [国内音楽鑑賞旅行]

岐阜サラマンカホールは、その美しい内装空間、素晴らしい音響、そしてスペインサラマンカ市との友好関係とその感動きわまる歴史、日本屈指のコンサートホールと言っていいだろう。


「このホールは、ヨーロッパのホールの響きがする!」



岐阜県白川町のパイプオルガン製作者の辻宏氏。スペインサラマンカ大聖堂の鳴かずのオルガンだったルネサンス期の古いオルガン。世界最古のその天使のオルガンの復旧。サラマンカホールの辻宏建造によるパイプオルガンは、この天使のオルガンのレプリカである。


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まさに夢のような美しいコンサートホールである。


東京のサントリーホール、大阪のいずみホール、そしてこの岐阜のサラマンカホールは、お互いパートナー契約関係にある姉妹ホールである。どの3つのホールに共通していることは、その気品のあるブランド力のあるコンサートホールである、ということであろう。



岐阜サラマンカホールは、今年で開館30周年である。早いもので、5年前の開館25周年ではガラコンサートということで2019年11月に大変豪華な演奏家たちによる夢の競演が行われた。もちろん自分はかけつけた。


今年は開館30周年ということで、どんなセレブリティな催しがおこなわれるか、とても楽しみである。


その第1弾として


サラマンカホール30周年を記念して オルガン協奏曲の祭典


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サラマンカホール開館30周年記念にお贈りするのは《オルガンと弦楽合奏》の協演!

オルガンと弦楽合奏でバッハやヘンデルの協奏曲を中心にお届けいたします。



2024年5月25日(土) 13:30開場 14:00開演


プログラム G.F.ヘンデル:オルガン協奏曲 へ長調 HWV293

J.S.バッハ:協奏曲 ニ短調 BWV1052

J.G.ラインベルガー:組曲 Op.149 ほか


これは素敵すぎる!


まさにサラマンカホールの顔、代名詞ともいえる辻宏氏のパイプオルガンを主役に、パイプオルガンと弦楽アンサンブルで奏でる新たな魅力のコンサートである。


指揮とオルガン演奏にて出演する、大平健介氏。


大平健介は、2020年末に日本へ帰国されるまで、教会オルガニストとして10年間ドイツで過ごされた。前半はヴュルツブルク、そしてミュンヘン音楽大学にて教会音楽を学んだのち、2015年よりシュトュットガルトのシュティフツ教会にて教会音楽家として身を置かれた。


ニュルンベルク国際オルガンコンクール優勝記念CDの収録を行なったドイツ・バイエルン州のアンスバッハの聖グンベルトュス教会で、1783年製の歴史的なオルガンにて演奏されている。アンスバッハ・バッハ週間などの音楽祭が開催される、古楽器ファンにもよく知られた聖地のひとつでもある。



オルガニストとして出演の長田真実さん。


長田真実さんはドイツ・シュトゥットガルトに計6年間留学しており、2015年にはジルバーマン国際オルガンコンクールにて優勝。その後ヨーロッパ各地にて招聘され演奏していたが、2018年に帰国。その年より、故郷である姫路パルナソスホールのホールオルガニストに就任。


・・・そのほか、とても豪華な素敵な演奏家によるパイプオルガンと弦楽合奏のハーモニー。


これは楽しみである!


もちろん自分は馳せ参じることとした!


じつは、自分がぜひこの演奏会に行きたいと思ったのは、じつは別口で大きな伏線が敷かれていたからだ。


それが”オトナの課外授業”である。


この演奏会が終わった後に、そのままこのコンサートホールで開かれる。


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サラマンカホールの音響設計者に聞く~奇跡の響きの秘密

音響コンサルタント小口恵司氏がサラマンカホールの響きのひみつを語ります!


サラマンカホールは2024年4月、開館30周年を迎えます。サラマンカホールの音響設計を担当した小口恵司氏が、ホールの床や壁、舞台や座席がどのように響きに関係するのか、サラマンカホールに採用した素材・材料を選んだ理由など、サラマンカホールの“奇跡の響き”が生まれた経緯を語ります。


こ~れは、オレは食いつくだろう!(笑)

まさに誘っているだろう!


もうこれは絶対行かないといけない。


この講演単独のチケットというのはないんですね。パイプオルガンと弦楽合奏のコンサートのチケットを買ってその公演を聴いた人たちだけが楽しめる講演なのです。コンサートが終わった後に、その同じ場所、ホールでおこなわれるのです。


この日、ぜひサラマンカホールに行ってみよう!と即決したのは、じつは、この講演のため、と言っても過言ではない。


去年2023年の12月に、サラマンカホール・プロデュース・オペラ「魔笛」を観劇しに、サラマンカホールに出かけた。そのときにホワイエに、サラマンカホールのことを報道されていた勲章の新聞の切り抜きが展示されていた。


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その中に、サラマンカホールの音響設計についての記事があったんですよね。2023年8月の記事でした。


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もう目が釘付けになりました。

ゆっくり読んでみたかったけど、休憩時間短くて無理で記事の写真だけを撮ってきた。


概略としては、サラマンカホールを設計する際に、どのような形状にするか、やはり音響的にシューボックスがいい。当時の辻宏さんもシューボックスで賛成。そしてシューボックスでもさらに幅狭く天井は高く。永田音響設計 代表取締役社長 小口 恵司さんが当時のことを述懐してメディア記者に話している記事が紹介されていました。


サラマンカホールの音響設計は小口恵司さんがやっていたんですね。

小口さんは、もういまや永田音響設計の代表取締役社長ですよ!!!

自分にとって、小口さんといえば、やはり軽井沢大賀ホールです!(笑)


そんな小口さんが、サラマンカホールの音響の秘密を存分に語ってくれる。どのように設計されたのか。その音響の秘密。その経緯を思う存分に語ってくれるのだ。もう自分にとって最高に興奮する内容だ。これは絶対行くだろう!もうこのために行くと言って過言ではない。


この講演は、自分はノートでメモ書きしながら聴いていようと思っています。

メモ帳とボールペン、鉛筆持っていかなきゃ!


すごい興奮しますし、楽しみです。


しかもだ。これだけでは終わらないのだ。


さらに翌日、同じくオトナの課外授業としてもうひとコマ。同じく小口恵司さんの講演。


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世界のホールの音響~良い響きの条件とは


音楽ホールの良い響きの条件を知る。


サラマンカホールはシューボックス型のコンサートホールですが、東京のサントリーホールやドイツのエルプフィルハーモニー、ロシアのマリンスキー劇場など、世界のコンサートホールはどのような室形状をしていて、どのような性格・特徴を持っているのでしょう。ステージ床の表面板の張り目方向は縦、それとも横?…音響コンサルタントの小口恵司氏が世界のコンサートホールの良い響きの条件を解き明かします。


これも楽しみだにゃぁ~~~。


この講演は単独でチケットを買えます。場所もコンサートホールではなく、OKBふれあい会館14階展望レセプションルームでおこなわれます。


まさに永田音響設計のトップが経験と実績をもとに語る説得力ある内容。興奮してきました・・・


これもいっしょうけんめいノートにメモ書きしながら聞こうと思っています。


オトナの課外授業



これはホールのHPにもネットにもあまりきちんとそのコンセプト、由来、歴史は書いていなかったのだけど、どうも去年の2023年からスタートした企画っぽくて、サラマンカホールがお届けする、いわゆるクラシック音楽界に関わる文化的な勉強会というセミナーみたいな講演セミナーのようです。


毎回お題、テーマが決まっていて、そのテーマに基づき、講師の方を招聘して、いろいろ講演をしてくれるんですね。サラマンカホールが入っているOKBふれあい会館でおこなわれることが多いみたいです。


これは面白い企画ですね。勉強になると思います。もちろん有料でチケットを買って参加します。


この小口恵司さんの音響関係の講演のあとの予定も紹介しておきますね。


・NHKドラマ音楽録音の裏側 小野寺茂樹(日本放送協会岐阜放送局局長)2024年6月16日(日) 14:00~16:00

・作曲家 三輪眞弘を解剖する。三輪眞弘:聞き手:岡田暁生 2024年7月27日(土) 18:00~20:00

・ひびのこづえワークショップ「ちいさな生きもの研究所」~Tシャツ作り(全2回)ひびのこづえ 2024年8月2日(金)14:30~17:00



プライベートでツライことが続いている今日この頃。ひさしぶりに地方行脚で気を晴らしたいと思います。ツラいことは大分終わってきたので、去年の名古屋、姫路、京都ツアーのときと比較すると、気持ち的には大分晴れやかですっきりした気分になりました。だいぶ軽くなりました。だからすごい楽しめるのではないか、と思っています。


新幹線と宿泊ホテルはもう予約済みです。


名古屋駅の在来線ホーム、そして新幹線ホームの住よしさんのきしめん、また食べられるな~、楽しみ!

今度のなごやめしは、なにを食べようかな~。


じつはもう決まっていて、名古屋駅の名古屋太閤うまいもん通りの台湾ラーメン 味仙はもう決まっているのです。あそこの台湾ラーメン最高です。つい最近、東京新橋の台湾ラーメン 味仙を2軒ほどはしごしてきたのだけど、やっぱり本場名古屋の味とはかなり違うんだよね~。ネットで調べたら、味仙には、いろいろ流派があるみたいで、それぞれのお店でぜんぜん味が違うものらしい。名古屋駅の味仙はめちゃくちゃ美味しいです。


そのほかに、なごやめしで体験してないモノと言ったら、あと手羽先くらいしかないけど、手羽先をわざわざ食べに行きたいとは思わないな~。(笑)


もういままでの名古屋詣でで、ほとんどのなごやめしを体験してしまっているので、もう未体験なものはないかも?連日、台湾ラーメン 味仙かな?こりゃ。(笑)


でもそれでもよし。


なんかいまからすごく楽しみです。







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無気力な図書館員 [犬・猫・ペット]

夜中の4時頃になると、どこともなくソロリソロリと部屋の中に入って来て、寝ている自分の体の上に乗って来ては、自分の顔に頬ずり。かまってちゃんをおねだりする・・・昼間は寝てばかりなのに、夜行性なコイツ。


そしてなぜなのか、人間の頭を舐めるのが大好き。とくに赤ん坊のくりくり坊主の頭は大好物。寝ていると、あのザラザラの舌で頭をベロベロ舐めあげられるともう痛くて、痛くて。(笑)逃げ回っている。



昼間は、我が家の本屋さんで、お店番。そしてお店の看板猫。


そして、なによりも無気力な図書館員。(笑)(=^^=)


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丸い容器にスッポリ入ることも大好きだけど、なぜかこういう本の積み立ててある場所も大好きなコイツ。基本的に綺麗好きだ。綺麗に整えられていて、整理整頓されているところが大好き。そこにベタ~と寝ころびたくなるコイツ。そういう習性なのである。


基本的に旅行が嫌い。ペット入れの籠に入れて持ち歩いて旅行しよう、電車に乗ろうと思うものならもう反抗しまくって、うまく行かない。オイラは基本は、見知らぬところ、風景での旅が嫌い。いつも決まった部屋、エリアでずっと同じところで毎日を過ごすことが大好き。内弁慶な奴。


そういった点で、外を出歩くことが人生の生きがいであるオレとは水と油だ。(笑)


在宅勤務がメインな自分にとっては、オマエはかならずご主人様がパチパチ打ち込んでいるパソコンのキーボードの上に占領して座り込んで、構ってちゃん、になる。



野良はなかなか厳しい人生だが、誰かに拾われて、ご主人様に愛されることで幸せな生活を送り、拾ったときはもうガリガリの汚い汚れた今にも死にそうな猫だったのが、いまやご主人様の愛に支えられ、見違えるようにふさふさとした美しい猫に大変身。よかったね~いい人に巡り合えて。


自分は昔から新居に引っ越すと、そこには野良の猫が寄ってくるという巡り合わせが多かった。自分はいつもそいつには、”たま”と名付けていた。


たまは、いつも自分を癒してくれた。


いいなーオマエ。

オマエを見ていると、なんか人生の悩みなんてないんだろうな・・・毎日なすがまま、そのままなるがままで生きているんだろうな。。。


今度生まれ変わったときは、猫になりたい。


今日も、我が家の本屋で無気力な図書館員。


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お客さんからナデナデされ、ボクチン、いつも大人気だ。

でも正直なところ、ゆっくり寝かせてほしいんだニャ~。(=^^=)



犬も大好きだ。自分は猫も犬も両方大好きだ。やっぱりゴールデンレトリバーが可愛いと思う。


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ゴールデンレトリバーほど、人間に尽くすというか優しい犬はいないであろう。顔つきがなんとも優しい。美犬である。


犬は猫と違ってほんとうに頭がいい。そしてなによりも飼い主の人間に忠誠を誓うというか、人間に忠実だ。飼い主の人間と犬との美談は、もう昔から数えきれないくらい存在する。


あの渋谷駅の忠犬ハチ公もそうだ。大好きな上野先生を待ち続けて、ずっと渋谷駅で待ち続けたハチ。その美談は人を泣かせ、感動させた。


いまでも渋谷駅では、毎年、忠犬ハチ公慰霊祭が開催されています。(笑)


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ゴールデンレトリバーは犬の中でも、秋田犬や柴犬と並んで可愛いと思っているけど、犬を飼うのは大変なハードルだ。室内で飼うのは無理だろう。そして犬の場合はなんといっても、毎日の散歩が必要。(毎日散歩させてあげないと犬というのは発狂してしまう。)


なによりもゴールデンレトリバーはデカすぎて、首輪つけて散歩していても飼い主さん引っ張られて大変だろう。(笑)


犬は可愛いけど、その世話が大変だ。


猫も犬もやはり可愛いからという気持ちだけで衝動買いするのはもっとも危険なことだ。生き物を飼うということは飼い主に責任が生じること。最初可愛いと衝動買いして、実際飼ってみて大変だからポイはあり得ないもっとも愚行の極みだ。


自分は外に出歩くことが大好きで、旅行などで何日も家を不在にすることもあたりまえの人生だ。人生の2/3以上は外に居るので、ペットはやはり無理だ。諦めている。


でも猫は犬よりも飼うことに敷居が高くなく、飼うと毎日が癒されるんだろうな~と思う。毎日、自分の部屋で猫と同じ空間に居ることで、なんともいえない癒され感、ホッとする感覚が得られるのであろう。


今日も我が家の本屋さんで、無気力な図書館員は役に立たない見張り番をしている。(笑)(=^^=)


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(c) Used picture works belong to and are under the copyright of Facebook of Meng Moeun with Digital Creator in Atlanta USA.













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東京タワー [建築]

東京タワーに対する自分の想い出は述べた。東京タワーといえば、自分にとって仕事の場所だった。観光で東京タワーに行きたいと思ったことはまったくなかった。


ずっと自分の記憶の片隅に眠っていた東京タワーであるが、いま東京タワー1Fであの伝説の女優さん、高峰秀子さんの展示会が開催中で、これはぜひ行ってみたいと思い、その場所が東京タワーということで、あまりに思い入れが深いところなので、つらつらと思い出してしまった。


墨田区の東京スカイツリーにデジタル放送の電波塔としての主役の座を譲ったあと、東京タワーっていまどうやってご飯を食べているのかな、どうやって経営が成り立っているのかな。


自分がこうなったら怖いなと思ったのは、東京タワーの毎日の維持費、ランニングコストってすごい高いと思うんですよね。仕事としての役割がなくなった東京タワーは、どうやってこの維持費を賄っているのかな。


ランニングコストを払えなくなって経営難に陥って、ついに東京タワー解体、という話になってしまったら、あまりに悲しすぎる。昭和の高度成長時代からずっと東京を見守ってきた東京タワー。東京の遺産なのであるから、それだけは避けたいと思ったのである。


それで、東京タワーっていまどうやって経営を維持しているのかな、と思い、ネットで調べたのだ。


そうすると、それ以外にも東京タワーの成り立ちから、その歴史、いろいろ知ることができてすごい興奮してしまった。これはもう東京タワーに行くしかないだろう!と思ってしまった。


そして東京タワー、行ってきました!

もちろん高峰秀子さんの展示会も。


そこら辺を、今回紹介できれば、と思う。




●電波塔の東京タワーにわざわざ「展望台」が作られた理由


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情報引用元:


電波塔の東京タワーにわざわざ「展望台」が作られた理由。

小川裕夫~フリーランスライター





・今なお色褪せぬ、東京の「シンボル」


1958年(昭和33年)に開業した東京タワーは、今でも東京の「シンボル」であり、観光名所としても親しまれています。その東京タワーを設計したのは建築家の内藤多中(たちゅう)です。


内藤は、東京タワーのほか、前身ともいえる日本放送協会の愛宕山放送局塔を手掛けています。その後も名古屋テレビ塔、2代目通天閣、別府タワー、さっぽろテレビ塔、博多ポートタワーなども設計し、「塔博士」とも呼ばれました。


国内の電波塔として抜群の知名度を誇る東京タワーですが、それ以前より、名古屋テレビ塔や別府タワー、さっぽろテレビ塔といったテレビ・ラジオの電波塔は建設されていたのです。


いままではテレビ・ラジオの電波塔は、東京ならテレビ局ならテレビ局ごと、そしてラジオ局ならラジオ局ごとというように、それぞれに小さな電波塔が乱立している感じだったのですが、それだと東京のあっちこっちで電波塔の乱立で街の景観が破壊されてしまうということで、そこで持ち上がったのが、テレビ・ラジオなどの電波を集約する総合電波塔の構想です。これが後に東京タワーの計画へと進化を遂げていくのです。


総合電波塔の構想前の時代の電波塔は、このように複数の電波塔が乱立している状態だった。


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テレビの電波塔とラジオの電波塔が別々。これだと電波塔の乱立で街の景観を破壊してしまう。そこで、テレビとラジオをまとめて、1つの電波塔だけで関東圏をすべてカバーする。それが総合電波塔のコンセプトである。



東京タワーを国内屈指の総合電波塔にするべく、内藤多中はあらゆる面で奔走します。


内藤は、名古屋テレビ塔が入場料で建設費を賄ったケースを踏襲し、東京タワーにも展望台を設置します。この展望台で入場料を稼ぐといったビジネスモデルを考えたのです。


東京タワーは総合電波塔としての役目だけでなく、現在は年間300万人が訪れる東京には欠かせない観光名所になっています。東京タワーの収入は電波塔としてテレビ局・ラジオ局から収入を得ているほか、観光客による入場料、お土産販売、レストラン・カフェによる飲食関連の売り上げも大きなウェイトを占めています。


そのため、東京スカイツリーに総合電波塔の主役を譲っても、東京タワーは堅調な経営を維持しています。内藤が考えていた、「観光収入という経営安定策」が、もくろみ通りに東京タワーを収入面で支えているのです。


そうした観光面による収入は、東京タワーが東京都心部に立地していて目立つから、眺望のいい高層のタワーだからということだけが理由ではありません。そうしたメリットにあぐらをかかず、多くのリピーターを引きつけるべく東京タワーは絶えず経営努力をしているのです。


東京タワーの周りには、あまり高層ビルを立ててはいけない、という街景観のルールが東京都港区にはあるみたいですよ。高層ビルが乱立してしまうと、あの東京タワーの美しいシルエットが隠れて見えなくなってしまうじゃないですか・・・


東京タワーのあのシルエットがちゃんと全景が見えるように、あの周辺には建築法など厳しい街景観造りの規制をおこなっているそうです。


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●東京タワーは、なぜ333メートルなのか。


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情報引用元:


なぜ東京タワーは「世界一高い電波塔」となったのか・・・333mという異形の高さを実現した田中角栄のひと言

大澤昭彦(東洋大学理工学部准教授)





関東全域に電波を届けるためには塔の高さを300メートル以上にしなければならない。そこに6局分のアンテナを乗せると380メートルになる。しかし、強風時のアンテナの揺れ角度の制限などから320メートルぐらいに下げざるを得なくなった。


地上風速60メートル/秒、頂部で90メートル/秒の風に耐え得る設計がおこなわれた。着工当時の高さは、塔体260メートルの上にアンテナ部分61.66メートルを加えた321.66メートルであった。


ところが、各局の要望を取り入れようとすると、アンテナが62メートル内に収まらないことがわかり、約80メートルに伸びた。そこで塔体の頂部を一部切除して高さを調整し、塔体253メートルにアンテナ部分を80メートルを加えた333メートルで落ち着いた。


東京タワーの創業者、前田久吉は、東京タワーの高さが333メートルである理由として、「どうせつくるなら世界一を・・・エッフェル塔をしのぐものでなければ意味がない。」と記したが、実のところ世界一を目指したためではなく、技術的な要請によるものであった。(笑)


でも創業者、経営者ってそういうセンスがないとダメですね。そういう洒落っ気というか、アドリブがないと面白くもなんともないです。名経営者にそういう名言が多いのは、普通でなんともない事実をそのように換言するそういうセンスに長けているからだと思います。



●NHKからの物言い


アンテナの位置が高いほど電波は遠くに飛ぶ。各局にとってアンテナの設置場所は死活問題であった。通常、周波数が大きいものを高い場所に設置するため、日本電波塔は、上から順に10チャンネル(日本教育テレビ・NET)、8チャンネル(富士テレビジョン)、6チャンネル(ラジオ東京テレビ)、4チャンネル(日本テレビ)、3チャンネル(NHK総合)、1チャンネル(NHK総合)にすることを考えていた。


この案に最下段となったNHKが反発した。電波を関東一円に届けるころは公共放送の義務であるとして、最上部を要求したのである。日本電波塔の松尾三郎はNHKの永田清会長に面会し説得を試みたが、永田は「一番トップに持っていくなら乗ってやろう」と頑なな姿勢を見せた。


NHKをはじめとする既局はまだ送信所の移転を決定していた訳ではなかった。日本電波塔としてもNHKに利用してもらわなければ、総合と教育の2局分の利用料が手に入らない。これだけは避けたい。


苦肉の策で、最上部に1チャンネルと3チャンネルが共用するスーパーターンスタイルアンテナを置き、以下10,8,6,4チャンネルの順でスーパーゲインアンテナを設置する案を作り、各社の同意を得ることができた。最終的にNHKが、最も条件のよい最上部を確保することとなった。



●田中角栄と東京タワーの意外な関係


これで建設は順調に進むと思われたが、予期せぬところで横槍が入った。東京都が建設基準法に抵触するとして手続きを止めたのである。


NHK、日本テレビ、ラジオ東京のテレビ塔と異なり、新電波塔には屋根や壁を持つ展望台とアンテナ整備用の作業台(1967年に特別展望台に改修)が計画されていた。それゆえ、東京都は「工作物」ではなく、「建築物」とみなしたのである。


当時、建築基準法では、建築物の高さは最大でも31メートルに規制されていた。渋谷の東急会館(東急百貨店東横店西館)と東急文化会館(五島プラネタリューム)はいずれも43メートルの高さだったが、これは例外措置を用いたものだった。


東京都は例外許可の運用が厳格なことで知られていた。


そこに当時郵政大臣であった田中角栄が登場する。


田中は、1957年(昭和32年)7月に39歳で史上最年少大臣に就任。その数日後、郵政官僚の浅野賢澄官房文書課長から、新電波塔の工事が滞っている旨の説明を受け、解決に乗り出す。


自ら建設業を営み、議員になってから建設基準法の制定に大きく関与していた田中は、東京タワーは建築物ではなく工作物と解釈するべきであると石破二朗建設次官に進言。


これに建設省や東京都も納得し、工事が再開されることになる。田中角栄は自らの手柄としたが、その判断の裏には、自民党参議院議員の石井桂の助言があったと考えられている。



●タワーの色が白とオレンジなワケ


工事中には、別のトラブルにも見舞われた。1958(昭和33年)春、国際航空運送協会(IATA)が東京タワーの高さに疑義を唱えたのである。


東京で開催されていたIATAの太平洋・アジア地区技術会議(航空会社11社55名。3月17日から4月1日開催)が、航空安全上の問題があるとして、塔の高さを66メートル低くするよう、運輸省航空局と気象庁に申し入れをおこなった。


羽田空港では、1959(昭和34年)年秋から1960(昭和35年)年末にかけて、パン・アメリカン航空、スカンジナビア航空、日本航空などの各社がジェット機の運航を予定しており、離陸時の支障になるとの主張であった。


通常のルートであれば影響はないが、離陸直後にエンジンが一つでも故障すると、浮力が落ちて急遽飛行方向を変更しなければならず、タワーに衝突する恐れがあった。IATAは、高さを削ることができないのであれば、法規で定めるよりも明るい航空障害灯の設置などを要望した。


法律上、60ワットの航空障害灯を取り付ければよかったが、要望を受けて、東京タワーでは1キロワットが6つ、75ワットが6つ、頂部には500ワットのライトが設置されることになった。


また航空安全の観点から白と橙(インターナショナルオレンジ)で塗分けられることも要望された。日本電波塔側は、太陽の輻射熱の影響をできるだけ避けるため全体を銀白色に塗る計画であった。(→これはいまの東京スカイツリーのほうで実践されていますね。)


1958(昭和33)年10月9日、公募によって愛称が「東京タワー」に決定し、同月14日にアンテナ取り付けが完了。

12月23日に竣工した。




これが東京タワーのすべてである。

東京タワーの真実である。


東京タワーはその当時、その333メートルという高さ。世界一高い電波塔であった。

それは創業者 前田久吉が「どうせつくるなら世界一を・・・エッフェル塔をしのぐものでなければ意味がない。」という逸話も生まれた。


東京タワーは、当初案では煙突のようなタワーだったそうだ。(笑)


エッフェル塔のような末広がりの鉄塔は風景を阻害しているのではないかとの疑問を持たれていたようだった。むしろ煙突のようにまっすぐに空に伸びるスレンダーな塔の方が美観に資すると考えられたそうである。


そして塔がオレンジ色と白に塗り分けられている理由~それは航空安全のためだった。


電波塔ではあるけれど、展望台を作ることで、観光収入を得るという収入ビジネス。設計者であり、塔博士でもある内藤多中が名古屋テレビ塔で展望台を作ったことで得たその知見を東京タワーにも同じビジネスモデルとして取り入れたのだ。


電波塔としての役割は、東京スカイツリーにその主役の座を明け渡したが、いまだに東京タワーとしてビジネス経営ができているのは、このFMラジオ放送局からの電波料賃貸収入、そして展望台の観光収入、そしてお土産屋さん収入、そして東京タワーに入っている飲食店などのテナント料で賄われているのだ。


これで、自分の謎がすべて解決した。


東京タワーというと、もうひとつ面白い逸話がある。

それは東京タワーを建築するときの神話だ。


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東京タワーを作り上げた鳶(トビ)職人たち。昔の人はスゴかった。(笑)怖いだろう?


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鳶(トビ)職人というのは、一般的に日本の建設業において、高所での作業を専門とする職人を指す。


この東京タワー建設時に大活躍した鳶職人たちには、伝説がある。

高層部分の建築は、当然、鳶職人たちがおこなった。

※鳶の若頭は桐生五郎氏で、当時なんと25歳。


鳶職人たちは、もちろん命綱はない。

多いときでは、約60人もの鳶職人が高層部で仕事をしていたそうだ。


納期が厳しいことから、風速15m/sまでなら作業をしていたようである。

東京湾からの突風が吹くこともある。

まさに命がけの工事である。



当時はクレーンもないので、部材はゴンドラに乗せて高所に運んでいた。


東京タワー建設の伝説が、”死のキャッチボール”である。

鉄骨をつなぐ鋲(びょう)を、まるでキャッチボールのように渡していたのが東京タワー建設の伝説。


通称「死のキャッチボール」。


800℃まで熱した鋲を、各作業場所までパスする。

鋲を受け取る鳶職人は、金属製のバケツで800℃の鋲をキャッチする。


ときには、20mクラスのロングパスもあったそうだ。

死のキャッチボールは、約28万回も繰り返された。

このようにして東京タワーは、なんとすべて手作業で建設されているのだ。


東京タワー建設中におきた死亡事故 ”死者数1名”

東京タワー建設では、1名の尊い命が失われている。。


1958年6月30日に、鳶職人1人が強風に煽られて高さ61mから転落して死亡した。


当時の足場は30cmほどしかなく、前述のとおり命綱もなし。

鉄骨にしがみつきながらの作業も多かったそうだ。


もうほんとうに昔の人はスゴイとしか言いようがない。(笑)

高所恐怖症の自分には絶対無理です。



ここまで情報インプットして、もう居ても経ってもいられなくなり、東京タワーに行ってみることにした。(笑)



東京タワーへのアクセスは、5パターンくらいある。自分は一番近い都営大江戸線の芝大門駅からのアプローチを選んだ。


おぉぉぉおおお~~~。見えてきた、東京タワー!!!

もう興奮度最大MAXである。目の前で見る東京タワーの迫力のすごいこと!

すごい高いです。


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東京タワーの構造はこのようになっている。


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1Fがチケット売り場、2F/3Fにお土産屋さん、飲食店・フードコートが集まっている。そしてRという階からオープンエアでメインデッキまで外の階段を上りながら空気をじかに浴びながら、そしてあのオレンジ色の骨組み骨格を眺めながら上っていくのだ。もちろん1Fのエレベーターで、直接メインデッキへ行くことも可能。


地上から150mにある大展望台をいまはメインデッキという呼び方にリニューアル。そして地上から250mにある特別展望台をトップデッキという呼び方にリニューアルしたのです。


展望台は、メインデッキ(150m)とトップデッキ(250m)とがあるということです。


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メインデッキへは簡単にエレベーターで行けるが、トップデッキからはツアー形式になっていて、ツアー申込の予約制で、時間指定のチケットを買わないといけない。メインデッキのみのチケットと、メインデッキとトップデッキへの両方いけるチケットがある。


自分はもちろんメインデッキ+トップデッキの両方行けるチケットにした。


3,000円!!!である。高い!さすがの料金設定である。(笑)ここに観光収入を見込んでいるだけある。


東京タワーへは年間300万人の観光客が訪れるそうだから、3,000円の展望台チケットの観光収入だけでも、年間90億の収入である!(驚)


すごいもんだな~~。


ちなみに、自分が直接東京タワーに入った感触では、もう90%以上が外国人観光客という感じでした。平日のお昼ということもあるでしょうけど、ほとんど日本人はいなかった。全員外国人観光客という感じである。アジア系、西洋系満遍なくいます。


やっぱりインバウンド観光ビジネスなんですね~。インバウンド観光客、神様という感じなんでしょうね。これで日本は儲けさせてもらっているんですね。外国人観光客にとって、東京タワーは大人気なのです。


ボクら日本人がロンドンに行ったらビッグベン&国会議事堂とかロンドンタワーブリッジ、パリなら凱旋門、ルーブル・オルセー美術館に行くようなもんですね。(笑)お互い様です。


3,000円という強気の価格設定もインバウンド観光客向けの設定なのかもしれません。


東京タワーのエントランスです。


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東京タワースタジオというのがあります。


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ここは、かつては、この建物をテレビ東京が日本科学技術振興財団のテレビ事業本部時代から本社・放送センターとして使用していた建物だそうです。当初より、この建物並びに立地している土地は、東京タワーの運営会社である日本電波塔(現:TOKYO TOWER)の所有であり、テレビ東京が本社として使用していた当時は日本電波塔に家賃を払って使用していたそうである。




エントランス前には、ロンドンのあの2階建ての赤いバスを思わせるバスがあり、上階の2階は食べ物を食べるインスタントな食事処になっていました。たこ焼きやホットドッグを食べるみたいです。


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東京タワーの内装空間は、やはりちょっと時代を感じさせますね~。なんかいかにも昭和というレトロな感覚が残っています。もう感覚的、雰囲気の問題です。あ~やっぱり古い建物だな~と思いました。


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2F/3Fの飲食店、カフェ、フードコート、お土産屋さんを覗いてみますね。でも、ここで稼ぐ収入も大きいんですよね。平日のお昼ということもありますが、もう本当に外国人だらけです。日本人ほとんどいなかったです。もうここでの飲食店のテナント料、お土産屋さんの売り上げなどで膨大な収益を上げているのです。外国人観光客、様様です。


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1Fのチケット売り場


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1Fにこんな記念撮影スポットが。東京タワーはもはや観光がメインですから記念撮影スポットはいたるところにあります。


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メインデッキへのエレベーターを待つ人々。もう大行列です。


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そしてエレベータに乗ってメインデッキに到着します。


そうするとウエルカムゲートパネルが待っていました。ここで外国人観光客のみなさん、みんな記念撮影をします。


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メインデッキをゆっくり見物したいですが、トップデッキへ行くのは時間予約制なので、まずトップデッキへ行くことを優先します。トップデッキに行くエレベータはこちらです。ここからはトップデッキツアー専用のエレベーターになります。


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メインデッキからトップデッキに行くためのエレベーターはプライベートエレベーターになっていました。


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この2人の肖像画は、東京タワー創業者の前田久吉と、東京タワー設計者の塔博士の内藤多中に違いありません。どちらがどちら、というのは分かりませんでしたが、なんとAIを使ってかわかりませんが、この肖像画の表情が動き出して話し出すんですよね。(笑)前田久吉と内藤多中とが、東京タワーについて語り合っているのです。


そして奥に見える本棚の一部がトップデッキへ行くプライベートエレベーターです。


トップデッキへはもうツアーなのです。トップデッキツアーなのです。13言語でおもてなし、東京の街と東京タワーを知る事前予約制の体験型展望ツアーなのです。


その前にガイドさんが、東京タワーのトップデッキに着いたら、待ち構えているツアーガイドさんへの挨拶方法を教えてくれます。


トップデッキツアーでは、Vサインではなく3本指のWサインが登場します。WIO!は、電波塔の地図記号を表しており、上から、W・I・O、つまりウィオ!となります。


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プライベートエレベーターでは一気にトップデッキに行くのではなく、途中で下車します。エレベータの乗り継ぎがあるんですね。この途中下車した階でドリンクサービスと、記念撮影があるのです。


こうやって東京都の街並みをバックにカメラマンに記念撮影の写真を撮ってもらえるのです。外国人観光客さんにとってはうれしいでしょう。カメラマンの英語はネイティブ並みに達者でございました。


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そして、ついにトップデッキに到着します。


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メインデッキと比べると当然ですがフロアは狭くなります。でもすごい高くて見晴らしがイイです。これが東京タワーのトップデッキから眺める東京都心です。


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もう外国人観光客大喜びです。


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やっぱり昔から思うんですが、こういう展望台景色は、絶対夜景の方がいいですね、ロマンティックですね。今度夜に行きます。



そしてまたエレベーターでメインデッキに戻って来ます。順番としては、まずツアーになっているトップデッキ(250m)に最初に行くという感じで、あとで、メインデッキ(150m)に戻って来てゆっくり見物する、という感じですね。


メインデッキはやはり広いし、スペースにゆとりがあります。


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季節柄、桜の木も飾られていました。


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神殿なんかもありましたよ。


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メインデッキから臨む東京都心です。


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THE SKYという東京タワーのOFFICIAL SHOPもありました。みんな東京タワーのおみやげを物色しています。


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ここメインデッキから下の階に降りて行くには、まず外のオープンエアの階段を降りていくのです。自分は最初、えっ?と思いました。結構高さがあります。ここから階段で降りていけ、というのか。でもそうなっているのです。


行は地上1Fからメインデッキへエレベーターで直行します。でも帰りは、メインデッキから外のオープンエアの階段で降りていくのです。


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これが素晴らしいですよ!あの東京タワーのオレンジ色の骨組みの中を外気に触れながら階段で降りていくのです。なんか高所恐怖症の方にとっては怖いかも?(笑)階段で言えば、531段あります。こういう試みも東京タワーの醍醐味を楽しんでもらうひとつのコンセプトなんですね。


結構歩いて階段を下りていきました。まっ上りよりは下りの方が楽ですから、助かりましたが、歩行障害の自分にとってはなかなかハードではありました。


そうしてRという外のフロアにいったん到着します。


記念撮影場所があります。


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なんか、東京タワーで、もちろん煙モクモクですから外気に触れるどこかの頂上部でしょうが・・・ジンギスカンが食べられる催しもあるみたいです。


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このRという外のフロアからエレベータで元の1F/2F/3Fに戻るのです。


せっかく東京タワーに来たのに、ちょっとミスしたことがありました。それは東京タワーの上階で、床がガラス張りになっていてそこから下界の風景が一望できるというものです。メインデッキかな。トップデッキかな。


これは怖いですよ~。

高所恐怖症の人は無理ですね、自分含めて。でも体験したかったです。当日忘れてしまいました。



もうお昼を廻っていました。お腹ペコペコです。


2F/3Fのフードコートやレストラン街で、めぼしい処を探します。


せっかくですから珍しいところがイイですね。


パキスタン料理レストランみたいです。


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パキスタン料理ってもちろんいままで食べたことないです。

興味本位でここにしました。



店内は薄暗く、かなり怪しげです。(笑)おそらくパキスタン音楽のBGMが店内に大音量で流れていました。なんかだんだんその雰囲気に染まってきた感じです。


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自分はパキスタン料理とはいえ、カレーにしました。シディクマナカレーというカレーです。パキスタンのカレーなのでしょうか・・・


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これはじつに不思議な味でした。いままで食べたことのないカレーの味です。ちょっと甘い感じで、独特のタンパク質系というかデンプン系というか、そういう食感の味がする不思議な味です。全然辛くないです。ひたすら甘いでんぷん質の味なのです。これがパキスタンのカレーなんだな、と思いました。


美味しいと思いましたよ。

1,200円でした。


御馳走様でした。


じつは東京タワーに来ようと思った最初の理由は、伝説の女優、高峰秀子さんの生誕100年プロジェクトがこの東京タワーで展示されていたからなのです。ここに来たいから東京タワーに来たのです。それで東京タワーのことを調べたら衝動的になってしまって・・・(笑)


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展示は写真撮影禁止ですので、口頭でしか説明できませんが、それはそれは素晴らしいものでした。高峰秀子ファンにとっては堪らないと思います。


高峰秀子 生誕100年プロジェクトは、それはそれは素晴らしいものでした。高峰秀子さんの人生の年表に合わせて、そのときの映画に出演した台本の展示、当時の雑誌に掲載された高峰さんの写真、そして実際住まれていた家の家具なんでしょうかね。実物大で展示されていました。もう高峰秀子という女優のすべてがここに詰まっている、と言っても過言ではないのではないでしょうか。


高峰さんが出演された映画(もちろん白黒)の断片を繋ぎ合わせたショートームービーの鑑賞ルームもあって、そこで座って高峰さんの代表作、そして演じている姿を拝見しました。


高峰秀子さんは、自分の世代ではないですね。もううちのオヤジ、オフクロの世代の女優さんです。

自分からすると伝説の女優さんです。


その凛とした演技ぶり、話し方も含めて、高峰秀子という女優を理解できたような気がします。展示会に行かれる人は、ぜひこのショートムービーをご覧になることをお薦めします。


もうこのために東京タワーに来たんだ、という満足感でいっぱいでした。


展示会は写真撮影禁止ですので、ネットに掲載されている写真を上げておきますね。こんな感じの展示会でした。


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東京タワーというところは、自分にとっては仕事つながりでしか想い出がなかった場所でしたが、まさか女優 高峰秀子で繋がるとは思いも寄りませんでした。(笑)


素晴らしい展示会だったと思います。


5/6(月)までやってます。ぜひ行かれてみてください。













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東京タワーの想い出 [放送技術]

電波塔としての役割は、墨田区の東京スカイツリーにその主役の座は譲ったとしても、いまだに東京のシンボル、東京観光のメッカとして人気の高い東京タワー。昭和、平成、令和と3つの時代に渡って東京を見守ってきた。
                                         
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地上デジタル放送の電波塔は、みんな東京スカイツリーに移りましたが、ラジオの電波塔はまだ東京タワーですね。AMラジオが停波するので、FMラジオだけは、まだ東京タワーの電波塔から送信されていると思います。
                    
自分は東京タワーというと、もう放送系の仕事、RF屋さんとしての技術者時代に記憶が遡る。自分にとって東京タワーというと放送としての電波塔なのだ。
                  
デジタル放送送信アンテナ・システムが東京スカイツリーに移る直前、東京タワーにあったときの電波塔機能。
                             
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アナログ放送からデジタル放送への移行という放送業界にとって100年に1度の大改革の時期。そのど真ん中で自分は仕事をさせてもらった。あれだけ興奮したことはなかったであろう。技術者冥利に尽きる、というものだ。
              
いまじゃもう誰も不思議に思わないデジタル放送。地デジ、衛星デジタル。
            
                         
技術開発のゴールというのは、まさに一般市民が誰も不思議に思わない、ごく当たり前のようにふつうに使う技術まで市民に浸透すること。そこが技術開発のゴールである。
                    
草創期・黎明期の頃に、最初に発表して、世間一般のみんなを驚かすだけではダメである。(笑)ここは、いわばイノベイター的な立ち位置で、とてもカッコいいポジションなので、誰もがやりたがる。でも普通の市民がなにも疑問を持たないくらい浸透させるフェーズになると、かなり地道な作業になっていくので、そうなると段々フェードアウトしていく人たち、企業が多いんですよね。(笑)
                      
それじゃあ、ダメなんだよね。確かに驚きは必要だけど、技術開発のゴールは、一般市民がなんの不思議も抱かずにあたりまえのように使用するようになる。ここがゴールだと思います。
                 
最初に出て、一般市民に浸透するまでには、登場したときから、その姿、形をどんどん変えていき、たぶん20年はかかる。同じく100年に1度の大革命と言われている、カービジネス、次世代モビリティの世界も、おそらく現時点から、どんどんその技術の形が変形していって最終段階のステージに落ち着くにはいまから20年以上はかかるんではないか。
                    
生成AI、Web3、NFTなどの騒がれている技術も、試行錯誤を重ねつつ、形を変えつつ、最終的な落ち着き場所に辿り着いて普及というフェーズに入っていく。
               
技術開発って、みんなそんなもんじゃないかな、と思う。
                         
でもそれに関わる技術者たちは、自分たちが関与している”いま”が最終ゴールと思っていつも仕事しているんだよね。自分がいまやっているのが、普及するための最終といつも思いながらやっている。そのとき、その”いま”に全力投球している。
                  
自分はビデオ事業部なので、ビデオデッキに搭載するデジタル放送受信部、つまりチューナーブロックの設計をしていた。
                     
放送という仕事は、送信があって、受信があるんですよね。
                                 
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放送局側でベースバンドの映像、音声、テキスト情報をIF UpConv/RF UpConv.して変調して電波として空に飛ばし送信する。それをご家庭のビデオデッキ(あるいはテレビ)のチューナー受信部で受信して逆の手順でベースバンドの映像、音声、テキスト情報の元に戻すのです。この反対の作業を復調といいます。我々がテレビで見ている映像、音声、テキスト情報は、もうベースバンド帯域 (ゼロ帯域)の信号なのです。
                
もちろん自分の趣味のオーディオはベースバンドでの世界でのお話です。
                                 
放送はもちろんいまのインターネット、あるいはDVD/Blu-ray/CDのような物理メディアでもそうですが、送信があって、そしてそれを受ける受信があり、その間の放送/通信経路(もちろん物理メディアの場合は記録メディア&物販経路になりますが。)を飛ばすためにデータを搬送波のキャリアに乗せて(誤り訂正含む)飛ばすために変調と言う作業をするのです。ベースバンドの信号をそのままでは飛ばせないのです。飛ばすためには、かならず変調
という物理層・伝送系の処理をその上に被せないとダメなのです。
                           
つまり、我々が家庭で見ているエンド端末での映像、音声、テキストはベースバンド(ゼロ帯域)の信号で、それをどこかに飛ばす、あるエリアに移動させる場合は、そのベースバンドのままでは飛ばせないので、変調、誤り訂正(物理系、伝送系処理)を施して、搬送波(キャリア)という、いわゆる乗り物に乗せて飛ばしてやるのです。
                                  
その移動の手段、移動のさせ方として、放送、インターネット、携帯モバイル通信(3G/4G/5G)、物理メディア(DVD/Blu-ray/CD)という運搬手段があるのです。その放送、インターネット、携帯モバイル通信、物理メディアという伝送手段の種類に応じて、それぞれ変調、誤り訂正の方法が存在するのです。伝送経路に応じて、それぞれに適した変調方式、誤り訂正方式が存在するということです。でももともとのエンド端末では、みんな同じベースバンド帯域(ゼロ帯域)の信号で共通なのです。ベースバンド帯域(ゼロ帯域)は上位層の処理、変調、誤り訂正(物理系、伝送系処理)は、下位層の処理と言われます。
               
画像圧縮、音声圧縮はこのベースバンド帯域(ゼロ帯域)の上位層の処理に属します。
                                           
たまたま、いまここでは放送という伝送経路で説明しているだけに過ぎません。インターネットや携帯モバイル通信(3G/4G/5G)、物理メディア(DVD/Blu-ray/CD)もまったく同様に、同じように説明できます。
                                            
                                                                                                       
自分にとって、東京タワーというと、大学時代の同期で、当時はフジテレビに勤めていた友人のことを思い出す。(彼ももう自分と同じ定年、還暦。その後、ずっとフジテレビで人生を全うしたのだろうか。セカンドキャリアの人生をどう過ごしているのであろうか?)
                          
テレビ局というとニュース、報道、制作陣、プロデューサー、ディレクターと華々しい世界を思い出す人も多いと思うが、その友人は電波の部署に配属された。自分と同じ理系だったので、テレビと言えばやはり電波。当然の配属だったのかもしれない。
              
                      
このアナログ放送からデジタル放送に移行する草創期・黎明期。自分はずいぶんこの友人の影響を受けた。いろいろ教えてもらったことが多かった。
                        
もちろん仕事としてではなく、上京したての頃は、よくその大学時代の友人とプライベートで会っていっしょに遊んだり(タイ料理を教えてくれたのも彼でした。)、ふだん電話(その当時は固定電話です!)をしあったりしていた仲だったので、その会話の中でお互いデジタル放送の仕事をしているので、そんな中の会話のキャッチボールで登場して学ぶことが多かった。
                     
自分はどうしてもテレビやビデオデッキに内蔵するチューナー受信部、いわゆる放送電波を受信してベースバンドの信号に戻すまでの受信部を設計するので、そこだけを知っていればいいという間違いに陥りやすい。
                           
なかなか放送局の送信側の勉強は怠りがちになりやすかった。でも放送は送信があって、そして受信がある。
                   
また社内でもそういう送信側を勉強するような人材パイプなどにも恵まれなかった。(もちろんそういう部署は放送局に関わるテレビ部門、放送局機材を開発する厚木ブランチにはあったと思いますが。)
                      
でも手っ取り早く自分の社外のプライベートな友人からその知識を得ることのほうが多かった。
                  
自分は受信側にいる人間で、友人は送信側にいる人間だったのである。
自分にないモノを持っている立場の人間で、Give & Take みたいな関係だった。
                            
地上波の伝搬の仕組みもその友人から教えてもらった。放送には地上波、ケーブル、衛星放送とあり、ケーブルはある限定エリアにケーブルを敷いてその中に放送電波を通すこと。衛星放送は、宇宙に打ち上げた衛星から日本全国に一瞬にしてビームを照射して電波を流すこと。
                   
ケーブルテレビは、いまは高層ビルが障害になっているとか、あるいは山間部などで、電波が受信しずらいところなどの難視聴地域のために、有線を敷くことでカバーすることで、放送を提供するというものです。
                     
地上波放送と衛星放送
                                  
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ケーブルテレビ
                                               
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そして地上波は、電波塔(送信所、親局)を立てて、そこから放射される電波を、中継局というのがたくさんあり、その中継局から中継局へと伝言ゲームで伝えていく。そういう伝言ゲームが地上波の仕組みになります。
             
図はマルチパス障害の図ですが、とりあえず地上波の仕組みを説明するにはいい図と思い採用しました。
                                     
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電波塔(送信所、親局)は、各地方ごとに自分の管轄エリアをカバーしている。たとえば東京タワーだったら首都圏エリア全般だし、名古屋テレビ塔だったら、愛知県エリア全般だし、さっぽろテレビ塔であれば北海道エリア全般というように。
             
そしてその各々の管轄エリアで、中継局が多数存在して、親局の電波を伝言ゲームでその中継局を通して伝えていって、そのエリアを広げていき、その地域全般の受信をカバーするのである。
                   
                                     
伝送するための電波はこれでわかったとして、じゃ、つぎにそこに流す番組コンテンツ、CMコンテンツは・・・
                  
テレビ放送局の番組コンテンツは、テレビ局が企画して、プロデューサー、ディレクターがいて、実際その番組コンテンツを制作しているのは、テレビ局が抱えている番組制作会社であろう。番組を実際作っているのは、この番組制作会社である。
                      
報道は違うと思う。報道は、放送局が全責任を負っていると推測する。
                                    
全国ネットの放送映像コンテンツ(番組コンテンツ)そのものは首都圏の放送局(在京キー局)から各地の地方局(地方ローカル局)に光ファイバーで送られる。そして間に挟むCMは地方ローカル版を挟むなど。もちろん地方ローカル局の番組コンテンツもある。それをチャンポンにしてMIXしてそうやって地方オリジナルの1日の完パケ(完全パケット)のストリームを造るのだ、地方ローカル局の場合は。
                   
地方ごとに電波塔があって、その電波塔が照射できるビームがある固定エリアでそれを中継局で伝言ゲームしていくのが地上波である。
                              
その電波塔で、首都圏全体に電波を照射するのが東京タワーの仕事である。
               
もちろんさっぽろテレビ塔や名古屋テレビ塔なんかもそうだ。それぞれ彼らのエリアを受け持つ。
                                   
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携帯電話・モバイル通信(3G/4G/5G)の通信システムも、この地上波システムに似ていますね。携帯電話も各エリアに基地局を立てていって、そこから携帯に電波を送り届けます。地上波との違いは、放送(一方向)か、通信(双方向)かの違いです。
                
そんな地上波の仕組みをそのフジテレビの友人はよく教えてくれた。自分はへ~そうだったのか!と目からウロコであった。
            
                
                              
デジタル放送というと、もう現在ではあまりにあたりまえ過ぎて、画質が綺麗としか思い起こす人はいないであろう。アナログ放送時代を知っている老人世代では、デジタル放送の登場は脅威であった。画質がもうメチャクチャ綺麗でいわゆるアナログの柔らかい画質と言うかフイルムカメラのようなしっとりした画質と違って、鮮明でクリアでかなりビビッドな画質に驚いたものだった。そして録画してもいっさい画質劣化がない。何世代ダビングを繰り返してもデジタルはいっさい画質が劣化しない。
                       
アナログ放送を録画するアナログビデオを開発していたとき、最初テレビ番組を録画させることを拒否したのだ、放送局側は。ビデオを開発していた家電メーカーは焦った。そこで必死に説得する。その折衷案が録画、コピーすると画質が劣化するということだった。これでテレビ番組をビデオに録画することを許された。放送局側を説得させることができた。
                       
でもデジタル放送時代になると、何世代、孫の世代までダビングを繰り返してもいっさい画質劣化しないのだ、デジタルというのは。だからコピー世代コントール(親から子は10回までダビング可。孫世代コピーは禁止)という折衷案で解決した。デジタルVTR/VDRが許されることになった。
                     
放送局の人というのは、基本、テレビ番組を録画させたくないのだ。自分たちが制作した著作権コンテンツだから。コピーされて勝手にそのコピー品が世の中に出回ってマネーも絡んで普及していく海賊ビジネス行為が耐えられないのだ。
                
ビデオ事業部は、そんなテレビ放送局の人たちとの交渉、闘いの歴史だったと言えた。
              
                
                             
放送はとりあえずこんな形でけじまったが、これからの時代、インターネット含め、著作権コンテンツはもうユーザーの手元、ローカルにコピーさせることは金輪際ないと思われる。権利者、著作権者にとって、自分の著作権コンテンツは、手元(サーバー)で管理したいのである。ユーザーへの複製を許すということは自分の管理の外に置いてしまうし、そのあとその複製コンテンツがどう扱われるか補償外だ。彼らはそれが心配なのだ。
                                 
これからの時代はストリーミング、サブスクの時代で、サーバーにあるコンテンツを手元で再生するのみ、という形で手元、ローカルには複製できない、が理想の解になるだろう。これからは録画不可能なオンデマンドサービスのみ。家庭用ビデオというのは、過去の経緯から暫定で残った遺跡みたいな存在になるだろう。(笑)
                    
ビデオというのはもともと放送局の一方的な時間割で流れるテレビ番組に対し、タイムシフトで観たいというニーズのために誕生した。でもいまや、タイムシフト視聴は、オンデマンド・サービスが代替えしている。
               
放送ならNHKオンデマンドや民放TVerで、もう充分ビデオの役割を果たしている。(コンテンツは期限付きだが)もう家庭用ビデオというスタイルは廃れるであろう。あぁぁ~オレの人生が・・・(笑)
                           
音楽配信もストリーミングが主流になり、ダウンロードはまだしばらく存在するかもだが、これも淘汰されて自然消滅に間違いない。
                 
著作権コンテンツは、もうオンデマンド・スタイルでゴールだと思われる。
                      
技術はどんどん姿・形を変えていき進化していくいい例だと思う。
               
               
              
                          
デジタル放送は画質が綺麗というイメージが先行するが、自分にとって、デジタル放送というとなんと言ってもSFN (Single Frequency Network)である。
                       
SFNには心底驚いた。そんなことができるのか!デジタル放送すげぇ~~~、である。
                
自分はデジタル放送というと、いちばんその特徴を思い出すのが、このSFNである。
                           
このSFNのこともそのフジテレビの友人から教えてもらった。
                                  
地上波の電波は、各地方にある電波塔(東京であれば東京タワー、名古屋であれば名古屋テレビ塔、札幌であればさっぽろテレビ塔)から中継局への伝言ゲームで伝えられていく、と述べたが、中継局で受信する周波数と逆にそれをさらに違う中継局に飛ばすための周波数は違うのが通例だった。もちろん受信と送信との周波数が隣接しているとお互い干渉してセパレーション(分離度)が悪くなるので、お互いをじゅうぶん離れた帯域に設定しないといけない。これを中継局の数だけ、受信の周波数と送信の周波数とでペアで帯域を占有しないといけなく、中継局の数だけ、もうどんどん帯域が埋まっていくという感じである。そしてついに帯域が足りなくなってしまうという状況にもなった。
                              
ところがデジタル放送の時代は、この中継局の送信、受信はどこでも1つの周波数、単一周波数で送信、受信できるようになった。まさにSingle Frequencyである。日本全国、どこでも単一周波数で伝言ゲームできるのだ。送信と受信で同じ周波数を使ってもお互い干渉しないのだ。
                                          
                     
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昔のアナログ放送は、NHKであれば首都圏と地方ではチャンネル数が違っていたりした。でもいまのデジタル放送では、日本全国どこでもNHKは、11と31のチャンネルである。たった一つの周波数で全国津々浦々送信・受信の伝言ゲームができるのだ。
                     
デジタル放送でなにが驚いたかというと、このSFNでしたな~、自分にとっては。
画質が綺麗ということより、断然SFNのことのほうが、はるかに驚きが大きかったし、RF屋さんとしては、デジタル放送すげぇぇえええ~~~である。このときほど、デジタル放送すげぇぇぇえええ~と思ったことはなかった。
                                         
このSFNのことを教えてくれたのもそのフジテレビの同期友人からだった。
おそらくビデオデッキのチューナー受信部を設計しているだけでは、永久に知らなかったであろう放送の送信側のシステム。
                 
やっぱり放送は、送信があって、受信がある、ということが大切である。これはインターネットや物理メディアでも同じ理屈ですよ。世の中の不偏の原理なのです。
                                
アナログ放送からデジタル放送へ移行するときは、まさにテレビ局にとっては死活問題。
家電メーカーより大変だったと思う。放送局の送信システム、中継局の受信・送信システムをアナログ機器からデジタル機器へ総入れ替えですから。予算も大変だったんじゃないかな。もうテレビ局だけのお財布じゃ無理で国家予算あげての全面協力だったように思う。
               
                                      
放送の世界では、技術革命は、かならず衛星放送から始まる、と言われています。放送のデジタル化もまず衛星放送で始まりました。4K/8Kのスーパーハイビジョン・高画質化もまず衛星放送からスタートします。
                         
理由は簡単。衛星放送の方が、送信設備を変更(アナログ機器→デジタル機器に置き換え)する場所が簡単で工数が少ないからです。宇宙の衛星へ電波を送る地上のでっかいパラボラアンテナ送信所のところだけを変更すればいいからです。
                         
これが地上波、ケーブルのデジタル化となると、各々の地域エリアの親局、そして中継局の受信・送信システムを全部総取り換えになるので、もう膨大な工数と費用が掛かります。
                           
放送の世界では、革命はかならず衛星放送から、が定石なのです。ヨーロッパやアメリカの放送もそうです。日本は地上波の国と言われていますが、世界で似たような放送システムの国はイギリスです。イギリスは地上波の国で、国の放送技術を開発する放送技研としても国営のBBCのBBC放送技術研究所があり、日本が地上波中心で、NHK放送技術研究所で国営のNHKが放送技術の開発をしているのと、あまりによく似ています。放送に関しては、日本とイギリスはそっくりなのです。
                 
アメリカ、ヨーロッパは、ケーブルテレビがやはり主流ですね。
                                    
そのフジテレビの友人は電波部門の所属だったから、このデジタル放送への移行期は、地方の中継局などに出張などですごく忙しかったように記憶している。
                 
東京タワーというと、自分はこのフジテレビの大学同期の友人を思い出す。
電波部門に所属していた友人は、週に1回、2回は、かならず東京タワーに泊りがけの徹夜勤務をしていたのだ。東京タワーのてっぺんには、各放送局の送信アンテナと送信設備があり、それを管理しているオフィスがあるのだ。
                            
NHK総合、NHK教育、日テレ、TBS、フジテレビ、テレビ朝日、テレビ東京。各放送局のアンテナ、送信設備があり、その管理オフィスがある。そこでトラブル、放送事故などなどがないかの見張り番である。
                         
もう30年以上前だから時効だと思うが、ここに入ったことありますよ。(笑)
我々RF屋さんの作業台にある測定器、SG関連が軒並みラックに入って並んでいるのには親近感を抱いたものだ。どこでも同じものを使っているんだな~と思いました。寝るベッドもありました。
                    
ネットでググってみたら、なんと!この東京タワーのフジテレビ送信システム局(TVデジタル放送電波送信設備)の写真ありました。(笑)
                   
そうです。ここです、ここです。
                            
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フジテレビの設備は、ところ狭しと置いてあった記憶があります。部屋はとても狭かったです。送信アンテナは、TBSと共用だそう。今では停波してしまったアナログ波の送信設備は5階にある。停止後は撤去するとのことで、今はもうないかもしれない。デジタル放送の設備は、東京スカイツリーでの送信が始まったら、予備として置いておくのだそうだ。
               
自分がこの部屋に入ったときは、デジタル放送がこれから始まるときだったので、アナログ放送の送信設備だったかもしれません。よく覚えておらず。。
                
                                 
いまは、この各局の送信アンテナ、送信所(エンコーダ類)は、デジタル放送に関しては、そして管理オフィスも全部、墨田区の東京スカイツリーに移ったんですね。でもスカイツリーにもしものことがあったときのために、予備として東京タワーのほうも残しているのかも?アナログの送信設備は撤去ですね。いま残って活動しているのはFMラジオ放送局だけです。
                    
自分にとって、東京タワーというところは、まさにテレビの電波塔そのもの、観光チックな一面はまったくなかった。仕事と直結していた。東京タワーというと仕事のイメージしかなかった。
                 
いままではホームエンターティメント時代の話。カーエンターティメントの時代も思い出がある。カーの時代になるとデジタル放送受信部は車載器の一部という位置づけで設計され、それを車に乗せて、車で運転しながら受信できるかどうかをチェックする。
                    
ホーム時代はFT(FieldTest)と言っていたが、カー時代では実走と言うことが多かった。実際車で走る、という意味合いからそういうのである。
                        
東京タワー周辺を走ると、このエリアは魔のエリアと言われ、なにせ電波塔の直下なので、電波強度がメチャクチャでかい。あまりに強電界で放送受信が落ちる、ということもままあったような気がする。
                   
AGC=Auto Gain Controlの設計が重要である。Tunerへ入力される前段には必ずAGC回路がある。(Tunerへの入力前のRF AGCとIFへの入力前のIF AGC) 強電界過ぎる場合はGainを落として、弱電界の場合はGainを上げて、つねにTuner/IF段への入力レベルを一定にする機能である。
                          
東京タワー周辺、東京タワー直下というのは、そんなAGC泣かせのエリアだったような・・・、そんな淡い記憶がある。もう昔過ぎて、よく覚えていないのですが。。。
             
もう自分にとって東京タワーは仕事だったのである。
遊びで東京タワーに行こうという気はさらさらなかった。
                        
東京タワーにはそんなイメージしかない。
                      
電波塔としての役割は、すでに東京スカイツリーに譲ってしまった東京タワー。
いまどうやって生計を立てているのかな、とふっと不思議に思った。
                 
ちょっとネットで調べてみたら、意外や自分の知らない東京タワーのことがたくさん知ることができてすごい新鮮だった。東京タワーのうんちくとか含め、そうだったのか~~~という感じである。
                        
なんか調べていく内に、そうして東京タワーのことをよく知ることができるようになって、なんか無性に東京タワーに行きたくなってしまって・・・(笑)
              
そしてついに実行!
東京タワーまで行ってきてしまいました。(笑)
                           
じつは伏線としては、いま東京タワーであの伝説の女優さん、高峰秀子さん生誕100年記念プロジェクトという展覧会が東京タワーで開催されていて、それを観に行きたいと思い、そうか~東京タワーか~・・・懐かしいな~と思い、東京タワーのことをネットで調べたらもう興奮モードに入ってしまったということでした。(笑)
                     
まず、自分がネットで調べたかったことは、電波塔としての役割を東京スカイツリーに譲ってしまった東京タワーっていまどうやってご飯を食べていっているのか、その収益源はなんなのか、そこを調べたかったのです。
                 
東京タワーは、基本的には、アンテナ賃貸料、店舗のテナント料や展望台の観光収入が主な収益になっているそうである。
              
つぎの日記で、東京タワーの歴史、そしてひさしぶりに東京タワーに行ってきたので、その体験レポートを書いていこうと思う。

         

                 

                

                      

                 

                         

                     

                           



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スポーツは格闘技 [スポーツ]

日本と韓国の話が出てきたところで、日韓というとやはりスポーツでのライバル関係だろう。日本と韓国は、やはり生涯ライバル関係なのだ。
                                         
一方で、米大リーグMLBの大谷翔平の大活躍は、もうただただ凄いとしかいいようがない。自分も幼少時代からずっと野球を観てきた軽く50年以上の鑑賞歴を持つ大ベテランの野球ファンだ。
                  
大谷翔平のなにが違うのか。
いままでのMLBで活躍してきた日本人選手と何が違うのか。
                      
とにかくパワーがある。
あの体格の良さと体の柔らかさと瞬発力。
ボールを遠くに飛ばせるそれだけのパワーがある。
                  
日本ハム時代の大谷をよく知っているだけに、MLBで化けたな、とつくづく思う。身長が高いと、投手のボールを見ている目線というか視角度が違ってきて、よくボールを飛ばすのに有利のような気がする。
                           
あれだけの体の柔らかさと瞬発力、パワーを日本人選手が有しているなんてまったく想定できなかったことだ。外国人選手との体格とパワーのハンディをいかに克服していくか。MLBでプレーする日本人選手はそれとの闘いだったように思う。
                      
大谷翔平は、もうすでにMLBを下に見ているのではないか?
本人はこれっぽっちの欠点もないような謙虚な性格だから、そんなことはまずないだろうが、もうMLBを下に見ているとしか思えない。YouTubeで大谷翔平の食事管理やトレーニングを見ていたりすると本当にストイックなまでの探究心で驚くばかりだ。
               
だが、だが、ところが・・・ところがだ。
                  
これはいまの時代の風潮、いまのスポーツ界全般に言えることだが、みんな優等生過ぎる、というか、いい人過ぎる、スマート過ぎるのだ。
                
そこにはスポーツは格闘技という野生というか闘争心、怒り、燃える、興奮という状態がないような気がする。あまりにスマート過ぎて、大人しすぎて、優等生過ぎる。
                    
スポーツというのは、元来、人間と人間との闘いなのだから、そこに闘争心、怒りという衝動的な感情がないといけない。
              
野球ファンの自分はそれで思い出すのが、2006年の野球WBC世界大会だ。
                         
イチローが、韓国戦を前にして、格の違いを見せつけたいと思ってます、とインタビューで応えて、それに韓国が猛反発。そしてまさかの韓国戦敗戦。韓国はもうざまぁみろ!という感じで、すごい剣幕だった。
                  
そして準々決勝だったか、韓国戦でさらにまさかの連敗。
野球大国日本として、これ以上ない屈辱だった。
                   
もう後がない三戦目の韓国戦。イチローは同じ相手に三度も負けるわけにはいかない、とインタビューで言う。
                       
準決勝だったかな。
あのときの日韓戦ほど、小便ちびるというか、ドキドキした試合はなかった。
もう心臓がバクバクでテレビを正視できなかった。
              
日本中、そして韓国も含め世界中がまさにテレビに釘付けだったろう。
                    
イチローはまさに男を魅せてくれた。
                
韓国戦連敗でインタビューで散々恥ずかしいコメントまでさせられるイチロー。そこからの奮発で最後の最後は男を上げてくれたイチローは最高にカッコいいと思った。自分の野球観戦の中であれだけ興奮したことがなかった。
                                              
                           
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スポーツを観戦していて、こういう応酬というか、波、ドラマがあったほうが結果として盛り上がるんじゃないか。スポーツって格闘技だから、そこに醍醐味があるんじゃないか。
                    
それ以来、野球の日韓戦は、興奮する看板カード、生涯のライバルとなった。
                        
古くは、1989年の日本シリーズの巨人×近鉄戦。
近鉄が三連勝して、近鉄の加藤哲郎が巨人はロッテより弱いと発言して(実際の発言内容はそうでなく、スポーツ紙が面白おかしく脚色したそうだが。)、巨人側は猛発奮。日本中を敵に回した感じで、巨人がその後怒涛の4連勝で逆転日本一となった。
                
このときも一種独特の異様な雰囲気だった。
                        
スポーツって元来こういう感情、雰囲気が大事なのではないのか。
人間と人間との闘いなのだから、そういう感情があればあるほど興奮するものというものだ。
                               
自分は以前日記でこの同じ例を挙げて、勝負ではそういう発言は避けた方がいい、勝負処になればなるほど、発言は慎重になるべき、ということを書いたような気がする。(笑)
                
でも最近の大谷翔平フィーバーを傍観しながら、なにか感じるその平坦さ、というか、あまりにスマート過ぎる、野性味がない、闘争心とは無関係とも思えるその平穏で幸せな雰囲気に、なんか不満を感じることがある。
                          
スポーツはやはりもっと燃えないといけない。
                    
”スポーツは格闘技。”
                    
人間と人間との闘いだから、そこにライバル心、お互い闘争心が剥き出しにならないといけない。その状態でお互い戦う、ぶつかり戦うから余計観客は興奮するのだ。それが返って周囲を煽って興奮するものなのだ。
              
一発触発!
               
スポーツって本来そういうものではないか。
             
自分のようなロートルの古い世代はどうしてもそう思ってしまう。
最近のスポーツはあまりに優しくてスマート過ぎて、平坦過ぎる。
大人しいな~と思ってしまうのだ。
                    
やはり時代なんだろうと思う。
いまの子たちはみんな優しい。
いい子たちだ。
                   
また時代もあるだろう。
昔のようなそういう感情はもう野蛮と見られるところもあるだろう。コンプライアンス、規律などがどんどん厳しくなっていき、社会がとてもスマートで優しい住みやすい時代に変貌して行っているこの時代。
               
たぶん時代なんだろうな。
それに合わせて、スポーツ界もどんどんスマートになって行っているような気がする。
                          
野球界の大谷翔平も将棋界の藤井聡太もそうだ。
まさに、”いま”という時代の申し子のような優等生、模範生だ。
                           
これがいまの時代にあった戦う選手の自然の成り行きなのだろう、と思う。
                                
自分は大谷翔平は、ほんとうに凄いと思うけど、もっと彼が怒っているところを、怒り、闘志むき出しにして戦っているそういう姿を見てみたいと思っている。
                     
あまりに優等生過ぎるのだ。いい人過ぎる。
スポーツ選手はもっと粗野で野蛮でいいんじゃないか。(笑)
                            
そしてスポーツはもっとそういうギリギリの興奮というか、闘争心剥き出しにしてやるものなのではないか、と思うことだ。そっちのほうが、世界は興奮すると思うよ。
                   
でもいまのコンプライアンスの時代、逆にそういう行動、発言をしてしまうと、余計世間からバッシングされるだけか。(笑)やっぱりそういう時代なんだよな~。
                         
昨今の大谷翔平フィーバーに接していて、ずっと自分が思っていたことなのだけど、今日、日本と韓国、という話題で、急に思い出してそれを文章にしてみました。
             
                              
                                    
 
                                         
                               
                                           

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セイコーマートってこんなコンビニ [グルメ]

以前日記で紹介したと思うが、北海道にあるセイコーマート(愛称セコマ)というコンビニは、北海道だけに存在するコンビニなんですね。
                    
自分はいままでそのことにまったく気づいていなかったです。(笑)東京にもどこにでも同様にあるコンビニだと思っていました。
             
人生60年間やってきて、セイコーマートが北海道だけのコンビニであることは、ほんとうに最後の年に知った訳です。(笑)
               
自分の実家のマンションの近くにセイコーマートがあって、帰省したときは、なにかとペットボトルの水だとかいろいろ生活必需品購入で利用させてもらうことが多いコンビニでした。
                   
セイコーマートの特徴は、売っている商品が、もう全然セブンイレブン、ファミリーマート、ローソンとは違いますね。もう北海道オリジナルの商品ばかりなのです。とくに食品飲料関係なんかがそうですね。北海道で製造して、北海道だけで販売する。そういう地域独立型のコンビニなんですね。
             
もちろん他の都道府県からも出してみないか、というお誘いはあるみたいですが、いまのところ関東圏では、埼玉県と茨城県だけらしいです。
                              
                            
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セイコーマートの特徴として、
                         
・セイコーマートは北海道にしか存在しない。
・そして道外に店舗を展開する意思もないこと。
・北海道からでない理由として、この商品だったらセコマだよね、といわれるオリジネーターの商品作りに拘りがあること。
・そのためには北海道生産のものを使うことで、どの他県よりも早くその情報や原材料入手することができる。
・そのためには北海道にいる必要がある。
・値段の安さは、東京所得と北海道所得との配慮してのこと。
・だからセイコーマートに並ぶ商品は、北海道産の素材を使ったオリジナル独創的な商品が多いこと。
                                        
こんなコンビニなのだ。セイコーマートって。
               
セイコーマートの店内に入ってみると、とにかく
                      
・品数が多すぎる!
・見たことがない商品だらけ!(北海道オリジナルの商品だらけ。)
・安い!
                 
の三拍子。
                   
自分はいままでまったくそのことを知らなかったのだけど、いまセコマが北海道専用のコンビニなんだ、という事実を知って、店内をしげしげと眺めてみると、まさに上の3点が印象に残る。
              
母親が亡くなったという報を受けて、3月の北海道に緊急帰省した。
到着した日はあまりの大変さで、満足に食事もとれなかったが、翌朝タクシーで葬儀会館に行く途中に、実家の近くにあるセイコーマートに寄って朝ごはんを調達していこうと考えた。
                      
この実家の近くのセイコーマートのことを日記に書こうと思っていて、セコマの外観の写真をバシャバシャ撮影していたら、タクシーに戻ってきたら、タクシーの運ちゃんから、「アハハ、内地(北海道外、本州のことを道内人は内地と言う。)の人は、セイコーマートって見たことないからね。(笑)」と言われてしまいました。(笑)
                     
自分の実家の近くにあるセイコーマートってこんな感じのコンビニです。
                                 
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店内は、パッと見た感じでは、いたって、全国版のセブンイレブン、ファミリーマート、ローソンと違いはないのだけど、売っている商品が違います。どれも見たことのない北海道オリジナルの商品ばかり。
                                 
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ワインなどのドリンク関係も品数多いけど、これ全部北海道オリジナルのワインなんだよね。
                              
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牛乳とかも北海道オリジナル品ですね。
                        
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このカップ麺関係も全部北海道オリジナルカップ麺ばかりです。もう驚きました!
全国版カップ麺存在しないです。(あっどん衛ありますか・・・)
                              
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もうすべてにおいて、見たことのない北海道オリジナルの商品ばかりで、もう圧倒されました。そして品数もじつに多い。北海道の原材料を使って、北海道の工場で製造して、北海道内だけで販売する。全部自給自足で賄っているんですね。
             
              
                  
この事実をいままで知らなかった自分は、セコマに入ったら、ふつうに商品が陳列されているなーくらいにしか分かってなかったです。でもその品々1つ1つを眺めると、どれも全国版では見たことのない北海道オリジナルな商品ばかり。
                 
これがセコマ、セイコーマートなんだな、と人生60年経ったいま現在ようやく理解できました。
                  
朝食を見繕って、パンとおにぎりと、お茶。
                       
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葬儀会館に着いて、母親の安置されている部屋で、母親に”おはよう!これから朝ごはん食べるね。”と声掛けをして、母親の傍で、このセイコーマートで調達した朝ごはんを食べていたのでした。(笑)
                     
お茶は全国版の綾鷹ですが、パンとおにぎりはまさに北海道オリジナル。
                             
クリームたっぷり北海道産牛乳入りパン
クリームに北海道産クリームを使ったセコマのホワイトチョコクリームパン。
北海道産小豆使用こしあんぱん
北海道で獲れた鮭を使ったおにぎり
                 
もう北海道づくし、です。
                 
こうしてみると、北海道で獲れる原材料を使う、というところがミソなのかもしれませんね。
                  
最高に美味しかったです!
                     
傍の母親に、これから葬儀(通夜と告別式)始めますよ、と声をかけて、この美味しい朝ごはんがエネルギー源となってこの苦難を乗り越えることができたのでした。
                
                
                      
                                    
                                                    

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韓国家庭料理 [グルメ]

日本と韓国は、過去に大変不幸な歴史があったので、”近くて遠い国”という名のごとく、なかなか難しい間柄ですね。お互い気持ちを一掃して未来志向の間柄を築き上げればいいといつも思うのですが、やはりなかなかそうはいかないみたいですね。とくに被害者の韓国の方々には反日教育含め、心の奥底にそういうわだかまりは生涯消えないのではないでしょうか。


数年間隔ごとに政治の世界、国民感情の世界でニュースになりますね。


難しい関係だとはいつも思います。

仕方がないですね。


でも政治的にはいつもそういう間柄ばかりを強調されますけど、民衆ベースでは、じつは日本と韓国は、すごく文化の交流が盛んですね。まぁそんなことそっちのけで、若い層では、もうすごく日韓の交流は盛んだと思います。


自分の世代では、チェ・ジウさまの冬のソナタなどで韓流ブームが巻き起こりました。チェ・ジウさま好きだったな~。いまはK-POPはじめ、日本の若い子たちは、みんな韓国が大好きで遊びに行ってますね。逆に韓国の若い世代もみんな日本のことが大好きで遊びに来ているのではないでしょうか。日本の有名な観光地に行くと、必ずハングル語が聞こえてきます。


日本のインバウンド観光は、ほんとうに中国・韓国からが多いです。


日本と韓国は難しい関係と言っているのは、政治の世界、そして戦中時代を知っている世代、そしてそれを引きずっている世代なのではないでしょうか。若い世代は、そんなに危惧する必要もないくらい日本人は韓国のことが大好きだし、韓国人も日本によく遊びに来ているという感じでなのではないでしょうか。


いつも思うことですが。お互い不幸な歴史はありましたが、これからは未来志向の関係が築ければといつも思うことです。


”政冷経熱”とはよく言われる言葉ですが、日本と韓国は、政治はともかく、文化、経済ではとても熱い関係で、切っても切れない関係にあるのではないでしょうか。


以前、韓国の俳優さんと言う日記を書いたと思うが、韓国の俳優さんの美顔はほんとうに凄いと思う。美容整形ナンバーワンの国だとか、その美顔、コスメにかけるその情熱・意気込みの文化の特徴もあるけど、ほんとうにすごいです。また、K-POPのような歌謡界、アイドル界も彼らは世界をマーケットとして、つねに世界を見ている。それには理由があって、韓国は国土的に小さい国なので、韓国内のマーケットが大きくなく、より稼ぎを上げようとするなら、収益を上げようとするならもう世界をマーケットとして見ていくしかない、という背景があるようだ。


日本のアイドルのような日本のマーケットが十分に大きいので、日本だけで稼ぎを十分得られる日本とはそこが根本的に違うようだ。ハングリー精神が違うみたいである。


前回、韓国の女優さんで、ソン・イジェン、Son Ye Jinさんを発見してなかなか素敵な女優さんだと思いました。先だって”韓国の俳優さん”という日記で取り上げました。


でも、結婚したばかりなんですかね?なんか最近では旦那さんとのツーショットの投稿写真や、仲つまじい写真ばかりで、最近は妊婦姿も!な~んだ、とか思ってしまいますよね。(笑)ファンは冷めちゃいますね。


やっぱり女優さんは、結婚していても表には1人で出るほうがいいですね。

伴侶を表に出さないで隠しておいた方がいいですね。(笑)


夫婦カップル姿はファンにとっては、な~んだと思ってしまいますね。


最近、自分のSNS TLに流れてくる韓国の女優さんでいいな~と思う”続・韓国の俳優さん”では、ソン ヘギョ Song Hey-Kyoさんがいいいのではないでしょうか。


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なかなか魔性的な魅力というか、ちょっと生意気そうなんだけど、男を魅惑する魔性の女という魅力があっていいと思います。自分の感性にビビッときますね。自分のアンテナに引っ掛かるというか。。。


KBSの『初恋』でドラマデビュー。ドラマ『秋の童話』(2000年)のウンソ役で人気が上昇した。『フルハウス』(2004年)では共演したR&B歌手のRain(ピ)とのコンビも人気を集め、KBS演技最優秀大賞・ベストカップル賞などを受賞した。2005年、『僕の、世界の中心は、君だ。』で映画デビュー。




さて、自分は韓国には、冬のソナタで一気に心を寄せたときがあったけど、その都度起こる政治の世界での日韓の不幸な歴史の反芻の繰り返しで、もうこりゃダメだな、とはよく思いましたが、じつは自分にとってとても韓国で好きなものがあります。


それが


韓国料理


なのです。


韓国料理っていうとキムチなんか有名ですけど、キムチ以外にも韓国料理ってほんとうに東京はもちろんのこと、日本国中で大人気ですよね~。自分は辛い物が大好きだし、とにかく韓国料理が大好き!


自分はやはり東洋系、アジア系の人種なんだなと思うのは、舌の感覚が、フレンチやイタリアンの洋食よりも、アジア食のほうに親近感を抱くこと。その中でも韓国料理は最高に美味しいと思います。


昔、前職時代の本社の五反田ビルの前を走る通りに、美味しい韓国料理屋さんがあって、韓国の家庭料理を食べさせてくれるお店があってよくそこを贔屓にしていました。


とにかく、韓国料理のあのテイスト、あの感じが妙に自分の舌の感覚に合って、昔から韓国料理には好印象しかない。


韓国料理大好き!


という感じなのである。


大好きなんだけど、そんなに頻繁に通っているかというと、そうでもなく、でもあの雰囲気が大好き、というにわかファンなのかもしれません。



とくに単純に韓国料理というのではなく、”家庭”という言葉が入る”韓国家庭料理”という言葉に特別な響きを感じます。大きなお店ではなく、韓国人が家庭で食べるような韓国の家庭料理。この響きに弱いんだな~自分は。(笑)


でも韓国料理って美味しいと思うよ。そしてあのお店の雰囲気、そして韓国料理全体に漂う雰囲気もまさに韓国そのものという感じである。


そういう韓国文化を知ったのは、やはり自分にとっては冬のソナタの韓流ブームのときなんだよね~。あのときはもうチェ・ジウさまが出演するドラマは全部見たので、そうするとドラマの中に出てくる韓国の食事風景、韓国の食器、そして韓国の食事、屋台などのお店、マッコリなどの韓国のお酒、そして儒教の国らしく目上の人を敬うその作法の厳しさ。。。そういうすべての面において当時の自分にとってはもう新鮮そのもので!見るものすべて初めての体験、これが韓国の文化なのか~~~という感じであった。


韓国1度は行ってみたいと思いますが、唯一大変だと思うのはあのハングル語。あれだけはまったくわからないです。(笑)でも韓国へ旅行に行くと、日本人ならまったく困らないくらい日本語案内が発達しているみたいですね。


1度行ってみたいです。韓国。


そんな自分が大好きな韓国料理。


●韓国料理(朝鮮料理)の定義とは?


方や陰陽五行の思想にのっとり、五色(赤・黄・白・緑・黒)、五味(酸・甘・渋・辛・塩)、五法(生・煮る・焼く・蒸す・炒める)をバランスよく献立に取り入れることを良しとする。



・米と穀物中心の食文化

・山菜の多用

・スープの文化

・焼肉の文化

・海産物

・飯饌


朝鮮料理の惣菜は専用名詞の「飯饌(パンチャン)」と呼ぶ。一般的な韓国料理屋の場合、ナムルやキムチなどの一部惣菜を注文とは別に提供する事が多い。


・飯床



●様式・マナー


①属製の箸と匙

食事には、金属製の箸(チョッカラッ)と匙(スッカラッ)を用いる。しかし、現在の韓国では白いプラスティック製やステンレス製が一般的である。


②茶碗・鉢などの食器を持たない

茶碗・平鉢・鍾子・蒸し器・皿などの食器を一切持ち上げないのは原則であり、そもそも金属製の食器がよく使われるので熱が伝わりやすく持ち続けることは困難である。韓国料理での食器は持ち上げずに置いたまま、ご飯や汁物は匙で、汁のないおかずは箸を使って口に運ぶ。


③年長者への敬畏

儒教の影響で、目上の人より先に箸を付けず、目上の人と酒を酌み交わす際には左手をひじや胸に添える。また目上の人の前で飲酒をする場合、目下の者は目上の人から顔を背け、手で口元を隠して飲まなければならない。また女性は、酌をしてはいけない。



自分は、この韓国の食事の様式・マナーの3項目は、そして食器類はすべて韓流ドラマから学んだ。すごい驚きだった。とうぜん日本人とはまったく別の文化で、とても物珍しく思った。


韓国料理は、とにかくあの感じである。(笑)うまく言葉で表現できないけど、あの味、あの感覚が自分の好みに合う。美味しいと思うけどな・・・。


●韓国料理の三大料理は?


今や日本で誰もが知っている韓国料理と言えば「ビビンパ」ですが、チョンジュはビビンパ発祥の地と言われていて、全州のビビンパ、平壌の冷麺、開城のクッパが朝鮮王朝時代の三大名菜とされています。 現在ではその三大名菜が無形文化財にも指定されているので、韓国料理を代表する料理として我々に馴染みがあるのも納得できます。


●韓国を代表する料理は何ですか?


定番グルメ


ビビンバ 韓国伝統料理の代名詞「ビビンバ」

サムギョプサル 厚切りの豚の三枚肉を焼いて食べる「サムギョプサル」

キンパ 韓国風のり巻き「キンパ」

チヂミ 韓国風お好み焼き「チヂミ」

参鶏湯(サムゲタン) 鶏肉の中に漢方を詰めて煮込む「参鶏湯(サムゲタン)」

チャプチェ ...

冷麺


●韓国の伝統料理は?


韓国料理の代表的なメニュー


プルコギ

参鶏湯(サムゲタン)

ビビムネンミョン(冷麺)

サムギョプサル

チヂミ


●韓国の食文化の特徴は?


韓国の食文化の大きな特徴は「調和」であり、例えば多様な味や調理法(焼く、煮る等)、 色彩等の調和である。 また、韓国の食文化の特徴の1つは「スローフード」であり、その 意味するところは、発酵食品に代表されるように時間を掛けるという点にある。 韓食は創造的な献立であるという特徴を持つ。



いいな~いいな~。


韓国料理大好きなんだけど、じつは韓国料理をちゃんと腰を据えて食べたことってあまりないのです。(笑)なんだ~いままでの前振りは!と言われてしまいそうですが、もう想像のレベルで大好きなだけで、ちゃんと何回も足繁く通って食べ尽くしたという訳ではないのです。ただあの雰囲気が好きというだけなのです。もちろん数回は食べたことありますが。。


そこで、今回自分がチャレンジしたのは、そんな想像のレベルで大好きな韓国料理をきちんと食べ尽くそう!韓国家庭料理を心から堪能しようというプロジェクトなのです。


町田にある一楽さんという韓国料理の家庭料理を食べさせてくれるお店をチョイスして、3回くらい通いつくして代表的な韓国家庭料理を思う存分食べてきました。


町田の街を歩いていると不思議なんですが、なぜか韓国料理屋さん、韓国料理の屋台、韓国料理の家庭料理のお店がすごく多いですよね。


なぜなんでしょうね?


町田駅から徒歩1分!昔からある雑居ビルのB1Fの地下にあるのだが、町田で本格韓国料理・焼肉を楽しむなら『一楽』!!


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韓国の本格の味を楽しめる。キムチやチヂミなどの定番はもちろん、韓国でしか味わえない珍しいものまで準備してある。また、絶妙な素材のバランスでできた、秘伝のタレで仕込んだ、黒毛和牛焼肉も!大人気のホルモンも多数取り揃えてある。韓国出身の方のリピーターも多いそうだ。まさに”本物”の韓国料理が知れる人気店である。



若い男女のカップルや日本に住んでいる韓国人の家族等のお客も多く、地元韓国の方も認める美味しいお店なのだと思います。まがい物の韓国料理屋さん、日本人がやっている日本風韓国料理屋さんが多い中で、ここはまさに本場韓国の韓国の家庭料理、そして焼き肉が食べれるところだと思います。


24時間営業みたい。(驚)


店内は、庶民的な造りで、とりわけ韓国風であるという訳ではないが、なかなか庶民的であの韓国料理の家庭料理という雰囲気にはぴったり合うと思います。店内スタッフは、本場の韓国人が多し。日本語上手でした。中には日本人スタッフもいました。




ここに3日間通いました。韓国料理は1品の量がすごく多いので、自分が食べたい品を全部食べようとすると、複数回来ないとダメだと悟りました。それで連日通いました、です。


なので、これから紹介するメニューは、3日間通って食べたメニューですよ。1日で食べた訳ではないですよ。(笑)


メニューには、黒毛和牛による韓国焼肉を筆頭に、韓国家庭料理がずらりと並ぶ。


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●ベチューキムチ(白菜キムチ)


一番満足したのはキムチ。

(箸が韓国の金属箸だ~と感動しました。。笑笑)


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韓国人の人からすると、キムチの美味しいお店は大体全部ほかの料理も美味しい認識だそうです。…ここのキムチはうまかったです。韓国では白菜キムチのことをベチューキムチっていうんですね。このベチューキムチ、白菜キムチ、めちゃくちゃ美味かったです。


よく聞く話が、日本のキムチは日本人に合うように甘辛く漬けてあって、本場韓国のキムチはもっと酸っぱいのだ、というご意見。でもそんなことはありませんでした。とにかくすごい濃厚なキムチ。濃いな~~~、という感じで、あのキムチのあの味がじつに濃厚。これは美味しい、これこそが本場のキムチだと思いました。



●プルコギ


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今回堪能した韓国家庭料理の中で、自分が1番うまいと思ったもの。それはこのプルコギと海鮮チヂミの2品でした。ご飯を大盛にしてもらったのですが、こんな風に盛ってくれるんです。(笑)金属の茶碗です。韓国の作法では、茶碗を持ち上げて食べたりしないです。テーブルに置いたまま食べます。ご飯はスプーンで食べることが多いですね。箸(金属箸)はおかずのときに使いますかね。


プルコギというのは、薄くスライスされた牛肉に醤油ベースの下味をつけ、野菜や春雨と一緒に焼いたり煮たりする料理のことをいいます。 「プル」は韓国語で「火」、「コギ」は「肉」を指すことから、プルコギとは「焼いた肉」という意味です。 


いま「プルコギ」といえば、牛の薄切り肉を野菜とともにタレにつけこんで焼く料理のことだそうです。 プルコギに使う牛肉は、モモやカタなど赤身の多い部位を薄く切った肉がよく使われるとか。


このプルコギが最高にうまいんだ!自分は海鮮チヂミと並んで最高傑作だと思いました。牛肉を野菜とともにそれを醤油ベースのタレで、煮たり焼いたりして食べるものなんだけど、一楽さんのプルコギはすごく甘い味付け。甘いしょう油ダレなので、これが香ばしく甘くてじつにご飯がススムのだ。ご飯に最高の供だと思いますね。とにかく甘い。


これはある意味、日本人の味覚ともよく合うと思いますね。日本でいえば、肉と野菜炒めを甘辛く濃厚に絡め合った1品という感じでしょうかね。日本人なら誰でも大好きな味じゃないでしょうか?そしてご飯のお供としてススムものなのではないでしょうか・・・



●トッポギ


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韓流ドラマでかなりの頻度で登場するトッポギ。トッポギはまさに韓国のソウルフードである。どんな食べ物なのか一度食べていたいとずっと思っていました。


トッポギとは・・・うるち米を原料としたもちを、味付けして炒める韓国のメニュー。 最も代表的な、コチュジャンをベースにした甘辛い味つけは、屋台料理として始まり、現在では家庭においてもおやつやおつまみとしてアレンジされ、さまざまな場面で親しまれている。


韓国のソウルフード「トッポギ」とは、「トッ」と呼ばれる餅をコチュジャンや砂糖を使って甘辛く炒めた料理。 日本の餅と「トッ」の違いは、原材料にある。 日本の餅はもち米から作られているのに対し、「トッ」はうるち米から作られています。


これはもう完全にオヤツですね。(笑)韓国のオヤツです。とにかく甘い。甘かったな~。甘いコチュジャンベースの甘辛いトロリとしょたタレに餅みたいなモッチリした食べ物(筒状で中が空洞になっている)がまぶせられている。


餅と甘いタレのオヤツと言っていいのではないでしょうか・・・トッポギを日本風な表現をするならば。


これはこれで大変美味しいと思いました。



●参鶏湯(サムゲタン)


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参鶏湯(サムゲタン)はもう完全に薬膳料理ですね。


韓国の伝統料理の一つである「参鶏湯」。丸鶏の中にもち米や高麗人参、なつめやニンニク、生姜を詰めてじっくり煮込む料理。高麗人参やなつめなどの食材からもわかるように、薬膳料理としても知られている。


韓国では「伏日(ボンナル)」にこの参鶏湯が食べられているようである。伏日は日本でいう「土用の丑の日」のことを指し、厳しい夏の暑さを乗り切るために食べる習慣があるのだとか。ちなみに「参鶏湯」という名前は、使用食材である高麗人参の「参」、鶏肉の「鶏」、スープを意味する「湯」から付いたと言われている。


韓国料理というとかならず出てくるこの参鶏湯。そのたびに自分は挑戦して食べるのだけど、やっぱり薬膳料理で、健康にはいいかもしれないけど、美味しいモノかといわれるとどうなのだろう?といつも思うものだ。参鶏湯の名前が出てこれば、急いで食べてみるのだけど、う~む、こんなものかな~と思い・・・今度こそは!と思い、また同じ感想を抱く・・それを何回も繰り返す・・そんな韓国料理だ。自分にとって参鶏湯とは。


さっぱりした薄い白湯色の半透明色のスープに丸鶏がそのままに煮込まれている。あまり濃い味付けではなく、さっぱりした無味無臭な薬膳料理。やっぱり高麗人参なんかが入っているところが体にいいですね。



●海鮮チヂミ


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今回自分にとって最大の驚きは、この海鮮チヂミである。

海鮮チヂミがこんなにうまいものだったとは!


大変失礼ながら、海鮮チヂミって所詮おやつに過ぎなくて、それもなんか日本のハンペンみたいな外見であまり美味しそうに見えないので、先入観で大したことないモノとずっと思っていた。


ところがこれが最高にうまいんだな~。とくにこのタレが最高に甘辛くて、このタレにチヂミをつけて食べることで、極上の食感と香ばしい美味、食べ応えに変貌するんだな。これは美味しいと思いました。外はカリっとしていて、そして中はモッチリしていて、ちょっと脂らしい香ばしさがあって、これがタレと相まって最高な食感に変貌するのだ。


海鮮チヂミはもう1回食べてみたいと思ってます。

プルコギと海鮮チヂミが最高に美味しいと思いました。


チヂミは野菜や魚介類などを水で溶いた小麦粉に入れて混ぜ、油を敷いたフライパンなどで平たく焼いたもの。 「韓国式お好み焼き」とも呼ばれ、韓国料理屋や焼肉店でもおなじみの料理である。 しかし、「チヂミ」は日本だけの呼び方で、韓国で言っても通じないらしい。


う~む・・・たしかにお好み焼きといってしまえばそうかもしれない。このタレは一楽さん特製のタレなんでしょうね。だから一楽さんのチヂミ、このタレだからうまいのかもしれない。つけダレが勝負処ですね。


海鮮チヂミは結構サイズが大きくて、これだけでも腹いっぱいになります。かなり食べ応えあります。



●サムギョプサル


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「サムギョプサル」とは、厚切りにした”三枚肉”を専用の焼き鍋で豪快に焼く料理のことを言います。 韓国語でサムは数字の”3”、ギョプは”層”、サルは”肉”という意味です。 一般的な焼肉と違い、サムギョプサルでは豚肉の三枚肉のみを使用しています。 キムチなどと一緒にサンチュやエゴマの葉などに包んで食べます。


サムギョプサル・・・この名前は自分にはあまり馴染みのない言葉でした。なんなんだろう?どんな食べ物なんだろう?要は豚肉ですね。豚肉の焼き肉です。普通の韓国焼肉との違いは牛肉を使うか、豚肉を使うか、の違いです。


サムギョプサルは豚肉を使います。それも厚いお肉を3枚使います。そしてそれを食べるときにサンチュなどとともに葉に包んで食べるんですね。焼いたお肉にサムジャンというみそダレをつけて、野菜と一緒にサンチュで包んで食べるのが一般的な食べ方です。


ネギを千切りにした味付けネギも最高に美味しかったです。


サムギョプサルは豚バラ肉の三枚肉のみに特化しており、厚切りの肉を全く味付けせずに焼くのが特徴的と言われているのだけど、ご覧のように独特の薄口の塩?ベースのサラッとした味付けで食べるのもなかなかオツなモノであった。


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”サムギョプサル”は初めて聞いた言葉だし、初めて食べた韓国料理。

なかなかのお味でした。



●キムチチゲ


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出た~~~という感じですね。(笑)

まさに韓国家庭料理というと、キムチチゲはその代表格ではないでしょうか。


キムチの素はふつうにスーパーで売っていますので、野菜と豚肉を買ってきて、ふつうのご家庭でキムチ鍋を作るのもとても簡単ですね。自分もよくやっているし、大好物です。


キムチチゲは美味しいです。


「キムチ鍋」と「キムチチゲ」は、どちらもキムチを使った鍋料理ですが、調理方法と呼び方で違いがあります。キムチ鍋はキムチや野菜、肉などを鍋に入れ煮込む料理。 キムチチゲは、キムチや野菜、肉などを炒めてから、調味料と出汁で煮込む料理です。 日本では一般的に「キムチ鍋」と呼ばれており、韓国では「チゲ」と呼ばれているそうだとか。


「チゲ」とは、朝鮮半島の言葉で「鍋料理」という意味。 日本では一般的に「チゲ鍋」と表現をすることがあります。 しかし、鍋という言葉が重複しているので、厳密にいうと「チゲ」と呼ぶのが正解だとか。


(後日補記。2024.5.11)


この一楽さんは、もうすごいペースで通いまくっているんですが、今日は、韓国焼肉もいただきました。黒毛和牛の特選牛肉のカルビ、ロース、タンなどのセット。もう脂が乗っていてジューシーで、そして甘みがあって、ほんとうに美味しい。牛角の焼き肉とはもう天と地の差がありますね。(笑)やっぱり韓国焼肉、最高に美味しいです。


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そして、これは焼肉をオーダーしたからなのか、わかりませんが、バイキングもどうぞ!と案内されました。いままで何回も通ったのに、全然紹介されなくて存在すら知らなかったけど、バイキングあるんですね。きっと焼肉をオーダーしたから、バイキングが利用できるんですね。バイキングは無料のサービスです。もう日本で言うところの肉じゃが、大根の煮付けみたいなお惣菜のようなものから、パスタ関連まで、もういろいろ。見た目がいかにも韓国料理という感じです。どれも韓国料理らしく、ピリリと辛い味付けで最高に美味しかったです。


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町田の韓国料理屋一楽さんで堪能した韓国料理の伝統料理、7品。まさに韓国料理と言ったらこれ!という有名な品ばかりでやっと、自分は韓国料理を自分のモノにできた~~~と思いました。


もちろん韓国料理と言えば、韓国焼肉。これは最大の王道でしょう!ここ一楽さんでは、黒毛和牛の牛肉を使って焼肉も堪能できるようにメニューに用意されていました。韓国焼肉、ぜひ食べたかったけど、これだけで腹いっぱいだし、予算も大変だしね、黒毛和牛だと。。。


やっぱり韓国料理、韓国家庭料理、美味しいですよね。


7品食べて改めて感じたことは、韓国家庭料理はやはりすごい濃いというか、濃厚な味付けだな~と思ったことです。甘かったり、辛かったり。とにかく味が濃い。味がすごい濃厚です。


韓国のあのエネルギッシュな国民性が好む味、ということに起因しているのかもしれませんね。


町田にはなぜか韓国家庭料理のお店が多い謎。これからちょっと韓国家庭料理に嵌ってみようと思ってます。(笑)








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龍神様 [雑感]

横浜のおらが街(いまでは旧おらが街になってしまったが。)には30年住んできた。上京して30年も同じ街に住むのは東京暮らしの中でも最長ロングランの記録だ。残された余生の長さを考えると、これからも破られることはないだろう。


そのおらが街にあったイトーヨーカドーが店じまいするという。


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イトーヨーカドーは、その経営状況の悪化から全国から不採算の店舗は閉店していき事業縮小する方向のニュースが報道されたばかりだ。


ついにおらが街も来たか~という感じである。おらが街は温泉街として有名だった街で、温泉地として栄えてきた街である。その歴史と共にイトーヨーカドーもいっしょに歩んできたのだ。


自分がこの街に引っ越してきた30年前には、すでにイトーヨーカドーは存在していた。いろいろお店の出入りが激しい街だが、イトーヨーカドーはその絶対的な王者として君臨してきた。


何を隠そうこの街のイトーヨーカドーは、自分は特別の思い入れがある。もちろんよく買い物をしていた贔屓の場所だったということもあるけど、とくに想い出があるのが、3年間の休職のときに、3年間実家で静養した後、いよいよ復職というときに、その助走期間として東京でもとのようにちゃんと1人暮らしができるかどうかトライアルが必要だろう、ということで、自分のマンションでオヤジ監視の中で、ちゃんと1人暮らしができるかどうか、の試験をおこなったのだ。


休職期間中に実家でおフクロに習った料理、そしてオヤジと一緒に通った男の料理教室で習ったレパートリー。これをいよいよ自分で実践する機会だ。イトーヨーカドーで食器類、ナベ、フライパンなど調理一連を買い込み、そして毎日イトーヨーカドーに3食分の食材を買い込みに行く。この短期間に同居しているオヤジの分と2人分だ。


朝食、昼食、夕食の3食分のメニュー、献立を考えるのは大変だ。ある程度のレパートリーの数が必要だ。それをサイクルして回してく感じだ。肉じゃが、五目煮込み、焼き魚、野菜のポトフ、さんまご飯、白菜鍋(ミルフィーユ鍋)、焼きナス、麻婆豆腐、そしてお漬物(オヤジが必ずつけろと煩い。。笑笑)。。まだまだたくさんあったが忘れてしまった。


母親はもちろん、家庭の奥さんって大変だな、と思ったものだ。3食作っているかどうか別として、毎日違う献立を考えてバリエーションを持たせて旦那さんを飽きさせないようにして、回していくのは大変だ。奥さんの気持ちがよくわかった。さらに仕事を持っている奥さんは兼務だから大変だろう。


オヤジに食べてもらうために(もちろん自分も食べる)料理を作る。人に自分の料理を食べてもらう。そういう作業をした人生で最初でおそらく最後の経験だった。


そのためにイトーヨーカドーの地下の食材売り場は毎日その食材買い込みに毎日通ったところなのだ。


そして数週間、1か月間だろうか、オヤジと同居して、オヤジの合格をもらって、オヤジは北海道に帰って行った。自分は東京で昔の通りに1人暮らしができるというお墨付きをもらって、会社も承諾して、自分の復職が決まった。


イトーヨーカドーの地下の食材売り場は忘れられないよ~。毎年の年末年始の大晦日、正月のお寿司、年越しそば、お節料理の買い込みなんかもこのイトーヨーカドーで毎年調達していた。


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自分は体格が大きいので、下着や靴下がふつうのサイズより大きいサイズが必要なのだが、ここのイトーヨーカドーにはちゃんと置いてあるんだよね。重宝していました。


まさに30年間この街に過ごしてきた自分の生活に密着した大事な調達スポットだったのだ、イトーヨーカドーは。


そのイトーヨーカドーがついに閉店するという。

自分にとってひとつの時代が終わったな~という感じである。


イトーヨーカドーは、温泉街として栄えてきたこの街の成長、移り変わりをずっと眺めてきた生き証人的な存在であった。


それだけこの街でイトーヨーカドーってすごい大きな存在だった、自分にとって。趣味の世界とは違う自分の素の姿、本来の生活をするために必要なスポットだった。


なんか終わったな~という感じである。ほんとうに今年という年は、自分にとってなんでも終わってしまう、いろいろなお別れがある年だ。いままでの自分と決別することを求められている年のようだ。




そして代わりに新しくオープンする施設がある。それがグランクレールという施設だ。去年2023年11月からオープン。いわゆる高級シニア住宅といおうか。老人ホームとか、介護施設というと、ちょっと暗い陰鬱なイメージで、年寄りの墓場みたいなイメージを持ってしまうが、そういうのとは正反対のオシャレで明るいイメージだ。


東急不動産による高齢者住宅。

”街全体が共用部”というコンセプトをもとに、首都圏初の駅直結のアクティブシニア向け住宅。いわゆる住宅型有料老人ホームという感じだろうか。そんな不動産ビジネスがおらが街で始まった。


オレが定年、還暦となったその年に示し合わせたかのようにおらが街でオープン。(笑)


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とにかくすごい。お洒落でモダンでちょっとした高級マンションだ。

老後をこんな素敵な居住空間で過ごせるなら最高だな、と思ってしまった。


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グランクレールとは。


人生を愉しみ、自分らしく過ごしたい、そんな方々に向けたシニアのための住まいである。ゆとりの居住空間や充実した施設、お住いの方々をサポートする各種サービスを備え、東急不動産ホールディングスグループのノウハウとグループ力が結集した住宅なのである。


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ポイント骨子は


・食事へのこだわり


ダイニング、いわゆる食堂があるんだな。食事つきである。社員食堂や寮のように食堂があって、食事がついているのだ。3食付き。それも調理法や食材にこだわり、美味しくいただける最高に素敵な料理だ。予約データに基づき健康管理に気を付けたメニューを要望することも可能なのだそうだ。


どう?この食事。これが普段のご飯、通常食です。


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こんな素敵な料理が毎日食べられるんですよ!

毎日、1人暮らしで食事をどうするか悩んでいる身で、UberEatsで吉野家の牛丼を食べている身からすると別世界ですね。(笑)



もちろん毎日の食事だけでなく、大切な友人やご家族と食事を楽しめるスペース、プライベートダイニングも用意されている。もちろんそれ専用の特別食だ。しかもダイニング、食堂が素敵すぎる!



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もちろんプライベートダイニングの使用も特別食も有料である。


・運動・交流


なんか運動やコミュニティも存在するみたいですよ。インストラクターや理学療法士とかがついているのかしら?毎日運動できるならいいですね。そういう共用施設があるんですね。


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そしてコミュニティもあるみたいです。このように室内楽のサロンコンサートも開催されるみたいです。(笑)


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ご入居者同士の交流の場としてコミュニティの創出、趣味の継続や新しい楽しみの発見の場としても重宝されているんだそうです。


素敵だと思いますが、基本1人が好きな自分としては、入居者同士の付き合いとか面倒くさいな、と思ってしまうので素晴らしいとは思いますが、自分に合うかどうか。。




・日々の生活サービス


●フロントサービス


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フロントサービスがあります。(笑)

もうこれはホテルと言っていいのではないでしょうか。

このグランクレールはフロントがいるのです。


郵便物や宅配物などのお取次ぎや、日常生活のご相談をお受けします。



●安心の24時間サポート体制


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24時間365日の有人管理体制になっております。24時間見守られているのです。緊急の際にはスタッフがすぐに駆け付けるサポート体制が整っています。


老人の1人暮らしにとっていちばん恐れているのは、孤独死ですね。それが心配だから、子供は老親を施設に入れますね。これは自分もなんか考えておかないといけないと思っているところなのですが、たとえばいまは在宅勤務で、朝始業と夕終業はチャットで挨拶しますので、それがないとなにかあったと会社で判断できますが、会社を退職した後は、なにかそういう毎日の生存確認、連絡確認の手段と作っておかないといけないな、と考えています。


でもここグランクレールでは24時間見守り体制なのです。


でも外出するときも、どこそこにいくとか、予定をフロントに伝える必要があるんでしょうね。ちゃんと帰宅しているかどうか。あるいは旅行のような長期不在も予定や連絡先を伝えておく必要ありますね。


24時間見守られている、というのは安心な分、面倒くさいというか窮屈と感じるところもありますね。


でもホテルに宿泊するとき、つねにフロントがいる、というのは安心なことではありますね。



●生活サポート



日常生活のご相談をスタッフがお受けします。また日勤の看護師が、ご入居の健康を見守ります。看護に関わる職員体制:週39時間換算で看護師1名(常勤1名、非常勤0名)



●清掃サービス



居室内の清掃を、ご要望に応じてお受けします。(有料)洗濯とかどうするんでしょうか。各部屋に洗濯機などの家具付きなのでしょうか。それとも共用部にコインランドリー、乾燥機のようなものがあるのでしょうか。トイレやバスルーム、キッチン、収納スペースは各個室にあります。



自分にとって居住空間はとても素敵だと思うが、オーディオができるくらいのボリュームがあるといいなと思います。モデルルームの写真を見れば、小振りなシステムであれば大丈夫かな、とは思います。


でも騒音の問題がありますね。ご老人の住んでいる環境は爆音や騒音には厳しいような気がします。



気になる費用というか、入居条件ですが、


入居初期費用は69万、月々19万だそうです。(笑)

入居条件年齢は65歳以上。


会社員の厚生年金でいえば、1人の老人は年金額15万くらいですからちょっと難しいかもですが、夫婦の年金額ですと23万ですからなんか費用内に収まるのではないでしょうか。初期費用は退職金から十分賄えますね。


これだけのサポート環境が整っていれば、そんなにお高いものではないかもしれません。老人ホームだとか介護施設の暗いイメージよりずっと斬新で明るい新しいイメージだと思います。


住宅型有料老人ホーム。


この住宅型というところが、ミソですね。

いままでの現役時代と違和感なく、いままで通りの住宅に住んでいる感覚を保ちつつ、ダイニング、プライベートダイニングで素敵な食事つき。フロント(ホテルフロントのようにカッコいい!)がいて、スタッフが24時間常駐体制。24時間見守りサービス付き。それに加えて娯楽、運動、コミュニティがある。


新しい時代の高齢者シニア向け住宅ですね。


さすが、東急です!


自分の自宅ホームをこういう安心なところに置いて、コンサートのときに外出するというシニア用生活設計もいいかもしれません。


このグランクレールは、なにもおらが街だけではありません。都内で複数の街に同時に展開しているみたいです。未来志向の明るいイメージの老人の生活。これを目指しているのかもしれません。


こんな不動産サービスが、自分の定年、還暦と同時におらが街で始まりました。(笑)オレに入居しろ、と言っているのでしょうか・・・自分の年齢に合わせて計画されていた不動産サービスだったのでしょうか・・・



しかし、この2024年という辰年。ほんとうに大変な年になりそうです。

芸術分野の著名人の立て続けの訃報。そして自分の定年、母親が亡くなったこと、実家の処分、もうこれだけ最大の試練は初めての経験です。自分がいままで築き上げてきたものがすべて崩れ去り、自分と繋がっていたものがすべて去っていき、新しい出会いが待っている、新しい人生が始まる。。。そういう意味合いの年のようです。


龍神様ってほんとうに恐ろしいですね。


十二支の中で唯一、空想の生き物である龍(辰)は、天に昇る様子から、中国では古来より成功や発展の象徴として、縁起がよいとされています。


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龍神様は地球を守ってくれる存在。天地を自由に動き回って「流れ」を起こし、気象や海流の流れを司っている神様だといわれています、古来より中国から伝来し、日本でも龍神様を信仰するようになりました。龍は架空の生き物で、中国では権力の象徴とされています。



龍神様に好かれる人は「へこたれない」人。もちろん、ときには自己卑下をしたり、罪悪感に苦しんだりち、自分で自分を痛めつけるのが人間というもの、龍神様はそうした人間の性(さが)を理解したうえで、打たれても転んでも自ら起き上がり、復活する人を好むのです。


自分の人生は、自分自身大いに人生を楽しんできた自負があるけど、反面苦労も多く試練も多かった(とくに病気関連)。そこから這い上がってきたという感覚も多いので、龍神様に好かれている、と思いたいです。


龍神様がついている人の特徴は、


(1)決断力が高まる。

(2)雨女や雨男になる。

(3)目力が強くなる。

(4)数字の8に縁がある。

(5)熱っぽくなる。

(6)行動力が増す。


・・・だそうです。


まさに今年2024年辰年は、イトーヨーカドーをはじめとする自分のいままでの縁、世界を全部ぶち壊し、新たな人生、新しい世界へと自分を誘ってくれている、そういう破壊の年。龍神様の力はすざましい、と恐れをなしながら、きっと龍神様に見守られているのだ、と頑なに信じています。


自分は辰年生まれでほんとうに良かったと思っています。


龍ってやっぱりカッコいいですよね。












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