東京春祭ワーグナー 「ニーベルングの指環」ガラコンサート [国内クラシックコンサートレビュー]
オペラアリアコンサートというのは、オペラの見どころ、聴きどころであるアリアを中心に編成するプログラム。CDやコンサートの両方でよく使われる手法だ。
オペラは全曲、完結編を観るとすごい長いので、そのいちばん美味しいところのアリアだけを抜粋して楽しみましょう、というコンセプト。
自分はいままで、このオペラアリアコンサートをすごい愛用してきた。たとえばベルカントオペラを親しみたいと思ったら、グルベローヴァさまのCDでオペラアリア集のCDを聴く。ほんとうに素敵なアリアだけで編集されているので、いわゆるベストアルバムみたいなもので、飽きないし、楽しい。そしてイタリア、ベルカントオペラの演目を網羅して、ベルカントオペラなるもの、その全体を俯瞰できるメリットもある。1から全曲、オペラ完結編を観るより、ずっと効率的で楽な手法である。コンサートについてもしかり。オペラアリアコンサートというのはよく使われる手法である。自分なんかオペラを観るよりも、このオペラアリアコンサートのほうが好きかもしれない。
先日のトリスタンとイゾルデで、まさに世紀の大名演を演じてくれたヤノフスキ&N響。
今回は、ワーグナーの最大の大作「ニーベルングの指環」のガラコンサートである。
いわゆるリングのオペラアリアコンサートである。
これは当然もうすごい期待するに決まっているじゃないですか!
リングのオペラアリアですよ!
トリスタンのときと同じあの感動、震えがもう一回味わえる。
あの熱量をもう一度。そう考えるのがあたりまえじゃないですか。
自分はもちろんトリスタンと同レベルの感動を求めて会場に行きました。
結果としては、もちろん素晴らしいコンサートで感動もしたし、いわゆるガラコンサート、”祝祭”という観点からその役割は十分果たしたと思います。
素晴らしかったです。ブラボー!
詳細な公演レポは後述。
じつは、正直なところを申しますと、自分はこのリングのガラコンサート。いろいろ思うところが多かった。まず聴いていた瞬間、トリスタンのときのような熱い感動は得られなかった。そしてヤノフスキ&N響もトリスタンのときのようなキレッキレの演奏とはかなり程遠く、かなり散漫で緩い演奏だったように思う。オーケストラが引き締まってなかった。筋肉質の引き締まったサウンドが真骨頂のヤノフスキ、おそらくN響をリハーサルのときから締めに締めあげて徹底的に追い込んで作っていくヤノフスキサウンド。その片鱗が見られなかった。かなり緩い演奏だったように思われた。
トリスタンがあれだけキレッキレだったので、さすがのヤノフスキ&N響もお疲れだったのかしら?(笑)人間なんだから、そんなに連日連夜、緊張を持続させるのは難しいですよね。波があって当然です。こういうときもあるさ。。。自分は聴いた直後はそのように思っていた。
でも、そうじゃないんだよね。なんか自分の中でしっくりくるものがない。頭がこれだっ!という感じでロックしない。なんかモヤモヤしている。真理をついていないからだ。
そうして終演後6時間後経ってからかな。ずっともやもやを続けながら考え続けて、昨晩の23時頃。自分はようやくたぶんこういうことなんじゃないかな、という真実に辿り着いたような気がする。
その真実とは・・・
ワーグナー音楽は、ガラコンサート(オペラアリア)とは合わないのではないか?
ということである。
昨日、自分がいちばん違和感を感じたのは、短すぎる、あっという間すぎる、ということである。1アリアにつき、もう20分くらいで終わってしまい、そしてその都度拍手である。
自分はこの拍手が、すごく精神を集中させているときに邪魔になるもの、阻害するものだと、このときほど感じたことはなかった。ふつうのワーグナーオペラのように、1時間から2時間くらい1幕をびっちりやって、聴衆はずっと沈黙を守り続け、そしてそれから拍手ならわかるのだけど、20分間隔で拍手はもうその都度、ブツブツと切れる感じなので、緊張が続かず、散漫な印象を受ける。
やはりワーグナーは、長くないとダメなんじゃないか。
なぜワーグナー音楽は陶酔するのか?酔えるのか?
それは旋律とか、ライトモチーフとか、いろいろな要因はあるけど、じつは長いから、というのも大きな要因のように思う。まさに長いオペラ、4時間から5時間かけてずっと聴いてきているからこそ、そういう想いがどんどん内部に蓄積されてきて、そういう想いがあるからこそ、最後のエンディングは、いままでずっと聴いてきた、そういう到達感というか、そういう想いが一気に胸に込み上げてきて、最後は万来の気持ちで感動する、いや感傷的になると言ってもいい。ワーグナーのオペラが長い、というのは、じつはそういう作用効果を生むポイントにもなっているのではないか。
そういう長い尺の中で、出てくる素敵なアリアも、そういう助走の部分があってこそ、そこのアリアの素晴らしさが際立つのであって、そのアリアだけを抜粋してポンと持ってきました、というだけでは、感動できないのではないか、ワーグナーの場合。
クラシック音楽というのは、交響曲なら1時間という枠組みの中の作品構成でそのシナリオ考えながら作曲されているので、その美味しいところの一部分だけを抜粋して持ってきても、感動具合からすると、減少してしまうのではないか。
完成体な枠組みの中で捉えないと、その感動具合はかなり減るのではないか。オペラアリアは確かに美しい素敵な箇所で、それだけでも魅力があるのだけど、じつは作品全体としてのフレームの中で捉えられる方がその本質の素晴らしさが損なわれないのではないか。クラシックはもともとそのように設計、作曲されているのではないか。
自分はいままであまりこのことを意識したことはほとんどなかった。いやまったく考えていなかった。こういうことを問題提起したこともなかった。
でも昨日のリングのガラコンサートを拝聴して、結局なにかどこか満たされない、欲求不満のようなストレスみたいなもの、そういうモヤモヤを感じていたのは、そこが原因なのではないか。
自分はトリスタン全曲演奏のときのような、昇天して逝ってしまう。あの突き抜けるような感動。。そういうものを期待していただけに、昨日のコンサートは、どこか消化不良のようなモヤモヤみたいな満たされないストレスがずっとつきまとった。
それは誰が悪い訳でもない。ヤノフスキ&N響が悪い訳でもない。
ワーグナーには、ガラというのが合わないんじゃないか?
ここに行きつくのかな、とようやく解脱した。
ワーグナーはやはり4時間~5時間の長編のドラマをずっと聴いてきて、そこにうねるような毒のある音楽性に身をゆだねながら、そこに陶酔していく、そういう長い前ぶりがあるからこそ、その見せ場のアリアで、その快楽は頂点に達する。
そういう仕掛け、前ぶり、助走が必要なのではないか。そういう全体のフレームの中で捉えないと酔えない、うまくその魅力を伝えるのが難しい音楽なのではないか、ワーグナー音楽というのは。
いくら美しいアリアでも、そこだけをポンと抜粋して持ってきて並べてみても、いっこうに酔えない、感動できないのは、ワーグナー音楽にはもともとそういう特徴、構成美があるからじゃないか。
このことは実際演奏しているN響にも大きな影響を与える。なにせ20分くらいで1アリアが終わってしまうので、団員たちはどこにピークを持っていけばいいのか、そういうストーリーが見えないので、なんかこうぐっと集中できない。わずか20分で、エンジンがかからなううちに終わってしまう。なんか昨日の演奏を聴いていると、ずっとそんな印象を受けた。オケが乗れない、というか、乗っていけないというような感じ。どこか消化不良なのである。
N響も前半よりも後半のほうが圧倒的に良かった。前半あまりに散漫で緩い演奏で、引き締まってないので、これがヤノフスキの音か、と自分は耳を疑ったし、座席が悪いのかな、とも思ったりした。後半になり、最後の神々の黄昏のブリュンヒルデの自己犠牲のところは、さすがであった。これだよ、これ!ようやくヤノフスキ&N響のサウンドが戻ってきた。
一糸乱れぬ調和のとれた弦の厚いハーモニーで、もうグイグイ攻めてくる。高速でハードボイルド。まさにあの鍛え抜かれた、ヤノフスキがN響に対して徹底して追い込みに追い込んで作り出していくサウンド。やっぱりN響は、ヤノフスキに鍛えられるようになって以来、その音がよりドイツの楽団の音がするようになったと思います。
それが復活してきた。
こうでなくっちゃ、である。
それを感じたのが、後半。とくにラストの大団円である。
4時間なら4時間、5時間なら5時間という長い尺の中で、その物語性を音楽絵巻物語のように表現しながら、そのところどころでピークに持っていく、そういうバイオリズムというか波があるものなんじゃないか。そういう波があるからこそ、そしてそれが長いからこそ余計その反動でピークは大感動するのではないか。それがワーグナー音楽なんじゃないか。
そのピークだけを抜粋して、並べてもなんか消化不良的なモヤモヤがあって感動できない。
ワーグナー音楽には、そういう罠があるんじゃないか。
ワーグナーは、ガラが合わないのではないか。
自分は、昨日ずっとモヤモヤとしながら考え続けて、ようやく到達した解脱ポイントはここであった。
こういうことっていままで考えたこともなかったです。まったく露にも考えたことがない。オペラアリアは美しくて、楽しい。その一点張りで、そういうもんだと思っていました。
また、先日ののだめクラシックコンサートの日記でも書いたように、結局若い世代の人が、なかなかクラシックに入れ込めないのは、長いからでないか。若い人は、そのサビの部分だけ、美味しいところだけを望んでいる。若者が耐えられる時間は3分である。
と現在のクラシックが若い世代に普及して行かない理由を分析したりした。
でも、その見解もクラシック音楽のほんとうの魅力を伝える上では、間違っているというか、暫定処置、応急処置みたいなもので、本筋ではないのかな、と思うようになりました。
はっきり言いますと、もう自分はなにがなんだか、よくわからなくなってきました。(笑)
じゃあ、どうすればいいのか、とか。
やっぱり世の中、クラシックの世界は深すぎますね。
そんなに簡単に世の中の真理は見通せないですね。
また迷い道の迷いネコ(犬ではない)のようになってしまいました。
自分は、リング、いやワーグナー作品のガラコンサートという経験は今回が初めてでした。昔、リングのアリアを自分のものにしたくて勉強したくて、そういう名もなき指揮者、オーケストラのコンピレーション・アルバムのようなアリア集を買ったりしたけど、やはり感動しなかった。というかあくまで勉強のため、という位置づけなので、それでポイだったな~。ワーグナー音楽にはそういう罠がある、ということは、実演に接してみて、今回初めて理解できました。クラシック人生での初体験です。自分もまだまだ勉強するところが多いと思いました。
もちろん企画する側もまったくそのようには思っておらず、自分と同じ、ワーグナーのニーベルングの指環ですよ!リングですよ!それのアリア集ですよ!もう最高に感動するに決まっているじゃないですか!
という多大な期待を寄せていたに違いない。
自分も間違いなく、そのように期待していましたから。
誰も責められないです。誰が悪い訳じゃないです。
思ってもいなかったことだった、ということだけじゃないでしょうか。(笑)
もちろんこれは自分の気持ち、自分の解釈ですので、人はいろいろな感性で感じるので、一概に正しいとは言えないです。みなさんが正直に自分の感性に感じられたことがいちばん正しいと思います。それが一番だと思います。
ガラコンサートというのは、そもそも”祝祭”の意味を持つコンサート。今年で東京・春・音楽祭も20周年ということで、その祝祭もかねて、こういう特別企画のコンサートを催したということなのだと思います。
またガラコンサートとしては、もう充分過ぎるくらい素晴らしいコンサートで、もう充分その役割を果たしていたのではないか、と思います。
ワーグナーのガラコンサートって、世界中でも頻繁に開催されるものなんでしょうかね?
そういう事例はたくさんあるんでしょうかね?
自分は、今回初めて体験しました。大変貴重な経験で、いろいろな発見もできて、自分の認識も新たになり、そういう意味でも自分のクラシック人生の中でも忘れることのできないコンサートとなりました。メモリアルなコンサートだったと思います。
東京・春・音楽祭20周年を記念とするアニバーサリーコンサート。
ワーグナーの大作「ニーベルングの指環」四部作のアリアで構成された贅沢なガラコンサートとなった。
採用されたアリアは、
序夜《ラインの黄金》より第4場「城へと歩む橋は……」~ フィナーレ
第1日《ワルキューレ》より第1幕 第3場「父は誓った 俺がひと振りの剣を見出すと……」~第1幕フィナーレ
第2日《ジークフリート》より第2幕「森のささやき」~フィナーレ
第3日《神々の黄昏》より第3幕 第3場ブリュンヒルデの自己犠牲「わが前に 硬い薪を積み上げよ……」
まさにリングのアリアならここ!というほどの贅沢な選択で、ワーグナーファンにとって文句のつけようがない満足のいくものであったであろう。
歌手陣は大変充実していたと思う。
とくに自分がいちばん推しというか素晴らしいと感じたのは、神々の黄昏のブリュンヒルデのエレーナ・パンクラトヴァ(ソプラノ)。
先だってのトリスタンとイゾルデでは、イゾルデ役にいっせいに批判が集まり、もう可哀そうな感じであった。(笑)たしかに声量控えめで、あまりワーグナー歌手という感じでない優しい感じなので、そこに主役を張るだけの存在感を感じずに、そういう評価になったのだと思うけど、自分は最初こそたしかにちょっと不安定な要素が多く、不満にも思ったけど、その後、喉が温まってきたらヒートアップしてよく健闘していたと思うけどな。最後の愛の死もよく頑張ってくれて自分は大感動しました。
なんか、SNSの投稿って誰かが口火を切ると、それに畳みかけるように同じように批判する傾向があるので、なんか可愛そうだな、と思いました。みんなと違う意見を言うことも勇気だと思います。
今日のこのエレーナ・パンクラトヴァは、声量も抜群で、深いヴィブラートがかかり、声色コントロールもなかなかなもので、いい歌手だなと思った。いかにもワーグナー歌手という感じで、彼女がイゾルデ役だったらよかったかもな~、とも思ったりもした。
やっぱり圧巻は、ラストのブリュンヒルデの自己犠牲。まさにリング、神々の黄昏でもっとも感動するアリア、大団円であり、その荘厳な終結は、その余韻含めほんとうに美しい。自分が今回のコンサートでもっとも感動した場面であり、文句のつけようがなかった。N響のサウンドも重厚で雄大なスケール感の大きいサウンドがここに来てようやく復活してきた。これこれ、この音。こうじゃなきゃいけない。。。この音を聴きに来ました。。そう確信した最高の出来栄えであった。
ブリュンヒルデは歌い終わった後も、N響があの感動的な旋律を奏でる中、役にそのまま入り込む続けるその熱演ぶりで、その余韻をずっと維持し続けてくれた。素晴らしかったと思う。
ローゲとジークムンド、ジークフリードの3役をこなしたヴィンセント・ヴォルフシュタイナー(テノール)
甘く、深い声帯の幅を持った器感のある余裕のあるいい声をしていて、いい歌手だと思った。1人3役という難関もなんなくこなし、それぞれの役割に華を添えるだけの歌い手としての余裕があったように思う。自分は個人的にジークフリードのアリアが好きなんですよね。ジークフリードはあまり女声がでてこない男声中心のオペラですが、そんな男声の魅力をじゅうにぶんに伝えてくれるのがジークフリードなのです。このジークフリードを歌っているときのヴォルフシュタイナー氏は素晴らしいと思いました。
その他に、ヴォータンを歌ったマルクス・アイヒェ。相変わらず彼は素晴らしい。もう宝物のようないい声していますね。彼が発声するだけで、いちだんとエネルギー感が違うというか、かなり目立つ声をしていると思います。東京春祭ワーグナーシリーズの常連さんです。毎年ありがとうございます。
日本人歌手も健闘した。フリッカの杉山由紀さんは、はじめて体験しましたが、なかなかVividな声の持ち主でインパクト大きいな、と思いました。岸浪愛学氏も柔らかいマイルドな声の印象で好印象。やはりいちばん印象に残ったのは、森の鳥の中畑有美子さんではないか。バンダのように2階席から歌う場面、そしてジークフリードとのやりとり、魅力的だと思いました。その他の日本人歌手もみなさん健闘しました。素晴らしかったです。
トリスタンのときは、その悪質なフライング拍手、ブラボーに心底嫌な思いをしたが、今回はまさにパーフェクト。マエストロや主催者側の意を汲むように、終演後、しばらく数分間の沈黙。やはりクラシックのコンサートはこうでないといけないと思います。終演後の余韻ってすごく重要だと思います。これでそのコンサートの重みが違ってきますね。
東京・春・音楽祭で、2014年のラインの黄金から始まって、2017年の神々の黄昏まで、東京春祭ワーグナーシリーズでN響とリング四部作を振ってきたマエストロ・ヤノフスキ。今回、その同窓会とも言えるべき顔合わせと懐かしい調べに涙しましたし、あの当時から10年経ったんだな~です。
あの当時のこと、よく覚えてますよ。毎日が無我夢中でした。
今年の東京春祭20周年に相応しいアニバーサル・コンサートだったと思います。
ヤノフスキ、4月13日、14日のNHK定期演奏会にも指揮をしてくれます。自分は13日だけだと思って、チケットを取ったら、なんと!川本嘉子さんのブラームス室内楽の日と被っていました。残念!今回は諦めかな、と思いましたが、なんと4月14日も同プログラムであるんですね!N響のFBの投稿でそのことに気づき、急いでチケットを取りました。14日の日、ひさしぶりのNHKホールに見参します。シューベルトの交響曲と、ブラ1です。楽しみ~。
今回の来日で話題になっているヤノフスキ先生のおやすみポーズ、自分のカメラで撮ることができました。(笑)まさにトリスタンからずっと日本滞在しているヤノフスキ先生。日本食を十二分に楽しまれているのでしょうか・・・きちんと洗濯していますか?(笑)
Copyright:NHK交響楽団 Facebook
Copyright:東京・春・音楽祭 Facebook
The 20th Anniversary
ワーグナー『ニーベルングの指環』ガラ・コンサート
2024年4月7日 [日] 15:00開演(14:00開場)
東京文化会館 大ホール
出演・曲目
舞台祝祭劇『ニーベルングの指環』より
序夜《ラインの黄金》より第4場「城へと歩む橋は……」~ フィナーレ
ヴォータン:マルクス・アイヒェ(バリトン)
フロー:岸浪愛学(テノール)
ローゲ:ヴィンセント・ヴォルフシュタイナー(テノール)
フリッカ:杉山由紀(メゾ・ソプラノ)
ヴォークリンデ:冨平安希子(ソプラノ)
ヴェルグンデ:秋本悠希(メソ・ソプラノ)
フロースヒルデ:金子美香(メゾ・ソプラノ)
第1日《ワルキューレ》より第1幕 第3場「父は誓った 俺がひと振りの剣を見出すと……」~第1幕フィナーレ
ジークムント:ヴィンセント・ヴォルフシュタイナー(テノール)
ジークリンデ:エレーナ・パンクラトヴァ(ソプラノ)
第2日《ジークフリート》より第2幕「森のささやき」~フィナーレ
第2場「あいつが父親でないとは うれしくてたまらない」―森のささやき [試聴]
第3場「親切な小鳥よ 教えてくれ……」〜第2幕フィナーレ [試聴]
ジークフリート:ヴィンセント・ヴォルフシュタイナー(テノール)
森の鳥:中畑有美子(ソプラノ)
第3日《神々の黄昏》より第3幕 第3場ブリュンヒルデの自己犠牲「わが前に 硬い薪を積み上げよ……」
ブリュンヒルデ:エレーナ・パンクラトヴァ(ソプラノ)
指揮:マレク・ヤノフスキ
管弦楽:NHK交響楽団(ゲスト・コンサートマスター:ウォルフガング・ヘントリヒ)
音楽コーチ:トーマス・ラウスマン
2024-04-08 17:17
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