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コンサートのキャッチボール [クラシック雑感]

今日のトリスタンとイゾルデを聴いて、長年自分の中でもどかしい想いをしていたことが、ようやくわかった。


ずっと自分のライフとして生演奏、実演とオーディオの両方を聴いてきて、なぜ生演奏、実演のほうが感動するのか。D-Range、低域再生という言葉を使ったりしていたけど、なにか足りない、というかずばり言い得ていないもどかしさがあった。


なんか、もっと的確に表す言葉がないものか。

たしかに技術的な観点から考えると、D-Rangeとか低域再生とか、あと音場感とか、スケール感、立体感、自分の身体の周りが響きで包まれるような感覚とかいろいろある。


でもそういった技術的な用語では説明できないなにかがある。ずっとそう思っていた。なんか言い得ていないというか、そのものずばり、というストライクな感覚がない。


なんなんだろう、とずっと考えていた。


それはステージと聴衆との間の心のキャッチボールだ。


演奏中のステージと聴衆との間の真剣勝負、張りつめた空気感。


そして終演後、演奏者が心を込めて演奏をして、どうですか?いかがでしたか?と我々に投げかけてくるそのボールに、我々は大感動をする。割れんばかりの拍手とブラボーで応える。あるいはその反対の大落胆、ブーもある。


そういう双方向の見えないコミュニケーションがあるからじゃないか。

そこに人間同士の心の通い合いというか、そういうつながりがあるからじゃないか。


で、そこには予期せぬ驚きがある。開演時はどうなるかわからない。誰も予想できない。でも終わってみたら、まさに一期一会の名演だった。


そこに予期せぬ驚きがあり、我々に与えるその瞬時のインパクト、衝撃度が凄まじいということじゃないか。なんか感覚的にそういうことじゃないかな、とようやく言葉で言い表せれるようになってきた。いままでドンピシャで言葉で書けなくて、なんなんだろう、とずっともどかしい想いをしてきた。


そういう双方向のキャッチボールがあって、そして予期せぬ驚きがあるから、そのインパクトが瞬時ですごいのだ。それが実演の凄みなんじゃないか。


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録音再生は、どうだろう。双方向の心のキャッチボールはあるだろうか。そして予期せぬ驚きがあるだろうか。たぶん聞き手、リスナー側の一方的な要望により再生して感動を得る。そして、その音源が優秀録音なのか、否かもよくわかっている。そういう予定調和の中での快感というか期待を裏切らない快感なのだろうと思う。


どっちがいい、というような単純なことを言うつもりはない。


自分は昔からオーディオ再生が大好きだったので、オーディオの魅力もよくわかっている。やっぱりオーディオは所有感の美学というか、自分の空間に装置がビシッと決まっていて、それが鳴っている図が堪らんという感じなんだよね。男の人が好きな車と同じ感覚。


ハイエンドオーディオが大好きだった自分。あのフォルムの美しさ、あの空間、装置が鳴っているそのサマが堪らんという感じです。そして技術的に深いところも堪らん、そそられる。


鳴るようにいろいろ調教する楽しみもあるだろう。

あと、優秀録音のソフトを見つけ出して集めるのもコレクターで楽しいもんなんですよね。(このパターンは多いですよ。)


スピーカーからいい音が出ているあの感動(おっいい音じゃん、すごい音じゃんと一瞬思うあの感覚)と、コンサートで受ける感動は、なんか別物のような感じがするんですよね。


それを等しくなるようにするのも理想のひとつなのかもしれないが、でも現実はなかなかねぇ。大きな違いが


・双方向で心のキャッチボールがあるかどうか。

・予期せぬ驚きがあるかどうか。


ずっとなんなんだろう?と言葉で言い表せなくてもどかしい想いをずっとしてきたのだが、こういう表現をすれば言い得ているのかな、と今日の公演を聴いて閃いた。


そういうことを一瞬にて閃かせてくれるくらいの今日の公演は大名演だった。


もちろん生演奏は水物なんで、当たりもあれば、外れも多い。

その点録音再生はつねに安定な快感を得られる。


つねに間違いない快感を得たいのであれば、録音再生がいいだろう。


でも生演奏の当たりだった場合の感動は、すごいインパクト大きいんですよ。それも瞬時でドバ~と襲い掛かってくる。もう痺れる~という感じである。


これは病みつきになりますよ。繁々とコンサートホールに通うのはそういう出会いをしたいからである。


コンサートゴアの方にとっては、オーディオは理解できないかもしれませんね。

やっぱりオーディオは好きな人じゃないとその気持ちはわからないと思う。


生演奏で外れだった場合は、ほんとうにガッカリである。こういうことを言うと、トゲがあって嫌な気持ちにさせてしまうのが嫌なのだが、やはりコンサートチケット代は高額で、しかも身銭なので、自分の働いたお金でやりくりして買っているので(貧乏庶民なので。。笑笑)、凡演や外れだった場合のがっかり感、怒りはやはり凄まじいです。演奏側からすると連日公演のうちのOne Of Themなのかもしれませんが、自分はその1日にピンと合わせて勝負をかけて来ているので、それが凡演だったときの怒りはやはり大きいです。なんとも言えない虚しさが残ります。


とくに海外旅行の場合の落胆度は半端ではないですね。もう1年前からずっと準備をしてきて、もう何十万という予算をかけて、気合を入れて、いざヨーロッパの劇場に乗り込んだら、凡演で唖然としてしまった、ということも多いです。


自分は外様客で、外国人演奏家だと、そんな気持ちもわからない、察してくれないだろうから、余計虚しい訳です。どこに怒りをぶつけていいのか。(笑)


それが生演奏は水物、といわれる所以です。


”生演奏とオーディオ”については、このブログを始めた当初からずっと語っていることだけど、もう尽きた感もあるけど、でもいまだに真相はわからない、という永遠のテーマです。



そしてこの御命題は、人によって、みんなそれぞれの考え方があって、どれが正しいとは一概には言えないけれど、自分の経験、自分の考え方に基づくという限定であれば、1冊の本が書けると思いますよ。(笑)













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