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龍神様 [雑感]

横浜のおらが街(いまでは旧おらが街になってしまったが。)には30年住んできた。上京して30年も同じ街に住むのは東京暮らしの中でも最長ロングランの記録だ。残された余生の長さを考えると、これからも破られることはないだろう。


そのおらが街にあったイトーヨーカドーが店じまいするという。


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イトーヨーカドーは、その経営状況の悪化から全国から不採算の店舗は閉店していき事業縮小する方向のニュースが報道されたばかりだ。


ついにおらが街も来たか~という感じである。おらが街は温泉街として有名だった街で、温泉地として栄えてきた街である。その歴史と共にイトーヨーカドーもいっしょに歩んできたのだ。


自分がこの街に引っ越してきた30年前には、すでにイトーヨーカドーは存在していた。いろいろお店の出入りが激しい街だが、イトーヨーカドーはその絶対的な王者として君臨してきた。


何を隠そうこの街のイトーヨーカドーは、自分は特別の思い入れがある。もちろんよく買い物をしていた贔屓の場所だったということもあるけど、とくに想い出があるのが、3年間の休職のときに、3年間実家で静養した後、いよいよ復職というときに、その助走期間として東京でもとのようにちゃんと1人暮らしができるかどうかトライアルが必要だろう、ということで、自分のマンションでオヤジ監視の中で、ちゃんと1人暮らしができるかどうか、の試験をおこなったのだ。


休職期間中に実家でおフクロに習った料理、そしてオヤジと一緒に通った男の料理教室で習ったレパートリー。これをいよいよ自分で実践する機会だ。イトーヨーカドーで食器類、ナベ、フライパンなど調理一連を買い込み、そして毎日イトーヨーカドーに3食分の食材を買い込みに行く。この短期間に同居しているオヤジの分と2人分だ。


朝食、昼食、夕食の3食分のメニュー、献立を考えるのは大変だ。ある程度のレパートリーの数が必要だ。それをサイクルして回してく感じだ。肉じゃが、五目煮込み、焼き魚、野菜のポトフ、さんまご飯、白菜鍋(ミルフィーユ鍋)、焼きナス、麻婆豆腐、そしてお漬物(オヤジが必ずつけろと煩い。。笑笑)。。まだまだたくさんあったが忘れてしまった。


母親はもちろん、家庭の奥さんって大変だな、と思ったものだ。3食作っているかどうか別として、毎日違う献立を考えてバリエーションを持たせて旦那さんを飽きさせないようにして、回していくのは大変だ。奥さんの気持ちがよくわかった。さらに仕事を持っている奥さんは兼務だから大変だろう。


オヤジに食べてもらうために(もちろん自分も食べる)料理を作る。人に自分の料理を食べてもらう。そういう作業をした人生で最初でおそらく最後の経験だった。


そのためにイトーヨーカドーの地下の食材売り場は毎日その食材買い込みに毎日通ったところなのだ。


そして数週間、1か月間だろうか、オヤジと同居して、オヤジの合格をもらって、オヤジは北海道に帰って行った。自分は東京で昔の通りに1人暮らしができるというお墨付きをもらって、会社も承諾して、自分の復職が決まった。


イトーヨーカドーの地下の食材売り場は忘れられないよ~。毎年の年末年始の大晦日、正月のお寿司、年越しそば、お節料理の買い込みなんかもこのイトーヨーカドーで毎年調達していた。


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自分は体格が大きいので、下着や靴下がふつうのサイズより大きいサイズが必要なのだが、ここのイトーヨーカドーにはちゃんと置いてあるんだよね。重宝していました。


まさに30年間この街に過ごしてきた自分の生活に密着した大事な調達スポットだったのだ、イトーヨーカドーは。


そのイトーヨーカドーがついに閉店するという。

自分にとってひとつの時代が終わったな~という感じである。


イトーヨーカドーは、温泉街として栄えてきたこの街の成長、移り変わりをずっと眺めてきた生き証人的な存在であった。


それだけこの街でイトーヨーカドーってすごい大きな存在だった、自分にとって。趣味の世界とは違う自分の素の姿、本来の生活をするために必要なスポットだった。


なんか終わったな~という感じである。ほんとうに今年という年は、自分にとってなんでも終わってしまう、いろいろなお別れがある年だ。いままでの自分と決別することを求められている年のようだ。




そして代わりに新しくオープンする施設がある。それがグランクレールという施設だ。去年2023年11月からオープン。いわゆる高級シニア住宅といおうか。老人ホームとか、介護施設というと、ちょっと暗い陰鬱なイメージで、年寄りの墓場みたいなイメージを持ってしまうが、そういうのとは正反対のオシャレで明るいイメージだ。


東急不動産による高齢者住宅。

”街全体が共用部”というコンセプトをもとに、首都圏初の駅直結のアクティブシニア向け住宅。いわゆる住宅型有料老人ホームという感じだろうか。そんな不動産ビジネスがおらが街で始まった。


オレが定年、還暦となったその年に示し合わせたかのようにおらが街でオープン。(笑)


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とにかくすごい。お洒落でモダンでちょっとした高級マンションだ。

老後をこんな素敵な居住空間で過ごせるなら最高だな、と思ってしまった。


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グランクレールとは。


人生を愉しみ、自分らしく過ごしたい、そんな方々に向けたシニアのための住まいである。ゆとりの居住空間や充実した施設、お住いの方々をサポートする各種サービスを備え、東急不動産ホールディングスグループのノウハウとグループ力が結集した住宅なのである。


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ポイント骨子は


・食事へのこだわり


ダイニング、いわゆる食堂があるんだな。食事つきである。社員食堂や寮のように食堂があって、食事がついているのだ。3食付き。それも調理法や食材にこだわり、美味しくいただける最高に素敵な料理だ。予約データに基づき健康管理に気を付けたメニューを要望することも可能なのだそうだ。


どう?この食事。これが普段のご飯、通常食です。


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こんな素敵な料理が毎日食べられるんですよ!

毎日、1人暮らしで食事をどうするか悩んでいる身で、UberEatsで吉野家の牛丼を食べている身からすると別世界ですね。(笑)



もちろん毎日の食事だけでなく、大切な友人やご家族と食事を楽しめるスペース、プライベートダイニングも用意されている。もちろんそれ専用の特別食だ。しかもダイニング、食堂が素敵すぎる!



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もちろんプライベートダイニングの使用も特別食も有料である。


・運動・交流


なんか運動やコミュニティも存在するみたいですよ。インストラクターや理学療法士とかがついているのかしら?毎日運動できるならいいですね。そういう共用施設があるんですね。


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そしてコミュニティもあるみたいです。このように室内楽のサロンコンサートも開催されるみたいです。(笑)


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ご入居者同士の交流の場としてコミュニティの創出、趣味の継続や新しい楽しみの発見の場としても重宝されているんだそうです。


素敵だと思いますが、基本1人が好きな自分としては、入居者同士の付き合いとか面倒くさいな、と思ってしまうので素晴らしいとは思いますが、自分に合うかどうか。。




・日々の生活サービス


●フロントサービス


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フロントサービスがあります。(笑)

もうこれはホテルと言っていいのではないでしょうか。

このグランクレールはフロントがいるのです。


郵便物や宅配物などのお取次ぎや、日常生活のご相談をお受けします。



●安心の24時間サポート体制


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24時間365日の有人管理体制になっております。24時間見守られているのです。緊急の際にはスタッフがすぐに駆け付けるサポート体制が整っています。


老人の1人暮らしにとっていちばん恐れているのは、孤独死ですね。それが心配だから、子供は老親を施設に入れますね。これは自分もなんか考えておかないといけないと思っているところなのですが、たとえばいまは在宅勤務で、朝始業と夕終業はチャットで挨拶しますので、それがないとなにかあったと会社で判断できますが、会社を退職した後は、なにかそういう毎日の生存確認、連絡確認の手段と作っておかないといけないな、と考えています。


でもここグランクレールでは24時間見守り体制なのです。


でも外出するときも、どこそこにいくとか、予定をフロントに伝える必要があるんでしょうね。ちゃんと帰宅しているかどうか。あるいは旅行のような長期不在も予定や連絡先を伝えておく必要ありますね。


24時間見守られている、というのは安心な分、面倒くさいというか窮屈と感じるところもありますね。


でもホテルに宿泊するとき、つねにフロントがいる、というのは安心なことではありますね。



●生活サポート



日常生活のご相談をスタッフがお受けします。また日勤の看護師が、ご入居の健康を見守ります。看護に関わる職員体制:週39時間換算で看護師1名(常勤1名、非常勤0名)



●清掃サービス



居室内の清掃を、ご要望に応じてお受けします。(有料)洗濯とかどうするんでしょうか。各部屋に洗濯機などの家具付きなのでしょうか。それとも共用部にコインランドリー、乾燥機のようなものがあるのでしょうか。トイレやバスルーム、キッチン、収納スペースは各個室にあります。



自分にとって居住空間はとても素敵だと思うが、オーディオができるくらいのボリュームがあるといいなと思います。モデルルームの写真を見れば、小振りなシステムであれば大丈夫かな、とは思います。


でも騒音の問題がありますね。ご老人の住んでいる環境は爆音や騒音には厳しいような気がします。



気になる費用というか、入居条件ですが、


入居初期費用は69万、月々19万だそうです。(笑)

入居条件年齢は65歳以上。


会社員の厚生年金でいえば、1人の老人は年金額15万くらいですからちょっと難しいかもですが、夫婦の年金額ですと23万ですからなんか費用内に収まるのではないでしょうか。初期費用は退職金から十分賄えますね。


これだけのサポート環境が整っていれば、そんなにお高いものではないかもしれません。老人ホームだとか介護施設の暗いイメージよりずっと斬新で明るい新しいイメージだと思います。


住宅型有料老人ホーム。


この住宅型というところが、ミソですね。

いままでの現役時代と違和感なく、いままで通りの住宅に住んでいる感覚を保ちつつ、ダイニング、プライベートダイニングで素敵な食事つき。フロント(ホテルフロントのようにカッコいい!)がいて、スタッフが24時間常駐体制。24時間見守りサービス付き。それに加えて娯楽、運動、コミュニティがある。


新しい時代の高齢者シニア向け住宅ですね。


さすが、東急です!


自分の自宅ホームをこういう安心なところに置いて、コンサートのときに外出するというシニア用生活設計もいいかもしれません。


このグランクレールは、なにもおらが街だけではありません。都内で複数の街に同時に展開しているみたいです。未来志向の明るいイメージの老人の生活。これを目指しているのかもしれません。


こんな不動産サービスが、自分の定年、還暦と同時におらが街で始まりました。(笑)オレに入居しろ、と言っているのでしょうか・・・自分の年齢に合わせて計画されていた不動産サービスだったのでしょうか・・・



しかし、この2024年という辰年。ほんとうに大変な年になりそうです。

芸術分野の著名人の立て続けの訃報。そして自分の定年、母親が亡くなったこと、実家の処分、もうこれだけ最大の試練は初めての経験です。自分がいままで築き上げてきたものがすべて崩れ去り、自分と繋がっていたものがすべて去っていき、新しい出会いが待っている、新しい人生が始まる。。。そういう意味合いの年のようです。


龍神様ってほんとうに恐ろしいですね。


十二支の中で唯一、空想の生き物である龍(辰)は、天に昇る様子から、中国では古来より成功や発展の象徴として、縁起がよいとされています。


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龍神様は地球を守ってくれる存在。天地を自由に動き回って「流れ」を起こし、気象や海流の流れを司っている神様だといわれています、古来より中国から伝来し、日本でも龍神様を信仰するようになりました。龍は架空の生き物で、中国では権力の象徴とされています。



龍神様に好かれる人は「へこたれない」人。もちろん、ときには自己卑下をしたり、罪悪感に苦しんだりち、自分で自分を痛めつけるのが人間というもの、龍神様はそうした人間の性(さが)を理解したうえで、打たれても転んでも自ら起き上がり、復活する人を好むのです。


自分の人生は、自分自身大いに人生を楽しんできた自負があるけど、反面苦労も多く試練も多かった(とくに病気関連)。そこから這い上がってきたという感覚も多いので、龍神様に好かれている、と思いたいです。


龍神様がついている人の特徴は、


(1)決断力が高まる。

(2)雨女や雨男になる。

(3)目力が強くなる。

(4)数字の8に縁がある。

(5)熱っぽくなる。

(6)行動力が増す。


・・・だそうです。


まさに今年2024年辰年は、イトーヨーカドーをはじめとする自分のいままでの縁、世界を全部ぶち壊し、新たな人生、新しい世界へと自分を誘ってくれている、そういう破壊の年。龍神様の力はすざましい、と恐れをなしながら、きっと龍神様に見守られているのだ、と頑なに信じています。


自分は辰年生まれでほんとうに良かったと思っています。


龍ってやっぱりカッコいいですよね。












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社会人生活後半をどう生きていくか? [雑感]

技術系の会社に技術者として入社して技術者として生きてきた場合、その晩年をどう過ごすか、は人生のひとつの課題というか乗り越えないといけない壁みたいなものだろう。


定年まで、現役のエンジニアで行ける人ってどうなのだろう?そんなにいるだろうか。


自分の場合、ハードウエアエンジニアだったので、まず視力が落ちてきて限界を感じて、そして細かい作業ができなくなる。半田ごてで、1608チップ(いまもっと小さいチップある?)を基板に半田付けするのが、もう手が震えて、震えて・・・こりゃあかん、もう限界かな・・と思ってしまった。


CADパターン設計で、6層基板なんかを設計する。自分が社会人に成りたてのときは、表裏の2層基板でした。それがいまやGND層、電源層、部品層など、6層もある。基板集積技術の高密度化の発展はほんとうにすごい。


回路設計して、CADで回路図書いて、それに紐づいて部品表が自動で作られて、CADで基板のパターン設計をして基板を作り、工場で基板に部品を実装して、その数枚を取り寄せて、性能評価。ソフトエンジニアの人に頼んでソフトをインプリしてもらって動かす。放送系だったら、FT(FieldTest)&実走も必要だろう。


そういう本番の前に、まず、使うICをどこのメーカー社製を使うか。各メーカーからデモボードを取り寄せて性能評価。そしてこれがいちばんいい、と決めたら、ようやくそのメーカーのICを使うことを決める。


自分の会社に半導体事業部があるなら、逐次その他社ICの情報をフォワードする。そしていずれは自社製のICに乗せ換える。そうやって自社の半導体事業部を育てていく。


技術の世界は、世の中の流れは速い。もうほんとうにすごいスピードで世の中変わっていく。社内失業なんてあっという間だ。社内でどんどん職を変えていく。そんな感じだったな~。


で、オレ、こんなことをしてずっと定年までやっていくのか。。。

もう体力や視力の限界で半田付けができない。


なにより飽きた、というか、こんなことを同じことをずっと続けて歳を取っていくのはしんどいな~、という感じだった。あと肉体的、精神的にキツくなった、という感じかな。作業台と測定器の山に囲まれる世界が。(笑)


前職時代はホームエンターテイメントひと筋20年だった。でもいまの会社に転職してからカーエンターテイメントひと筋の17年である。もうカルチャーショックだった。こんなに世界が違うのか。もちろん会社のカラーの違いもあるだろうけど、ホームとカーではぜんぜん違う。


車は双方向が苦手なのだ。(笑)これからの時代、H/Uにスマホを繋げて双方向なんていう”ちゃっちい”こと言ってないで、もっと車ごとICT機能を持って双方向を実現する、そうあって欲しいと思います。スマホ連携じゃあまりにチンケすぎる!(笑)本命じゃないと思う。


カービジネスのことに携われてほんとうに良かったと思っている。キャリアとしてホームとカーの両方を知っている、というのは大きな強みだと思う。


自分は日本国内では車はやりませんが、これからの時代、カービジネスは熱いですよ~。カー業界はいま100年に1度の大革命の時期と言われています。


自分の前職時代、放送業界もアナログ放送からデジタル放送へ変革。同じく放送業界でも100年に1度の大革命と言われて、そのど真ん中で仕事をやらせていただいた。


ホームでもカーでも、自分はなにか、と100年に1度の大革命のときに遭遇する(笑)、というなかなかそうチャンスは来ない、そういうラッキーな星の巡り合わせはあるのだろう。


まっそんなに優秀なエンジニアとは言えなかったけれど、いま含めて、その当時、その当時の最先端の技術の流れのど真ん中に居れたことは幸せだったと思う。


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前職に在籍していたときから、自分の将来のキャリアプランを考えていて、その頃から知財の世界に憧れを持っていて、技術者人生の晩年は、知財の世界で身を立ててれば、とずっと考えていた。


せっかく長年の技術の世界での経験を活かせるし、知財の世界では、つねに最先端の技術テーマを扱うので、最先端の技術に身を置ける。そしてなによりも半田ごてを持たなくてもいい。(笑)デスク作業だけで、技術の世界に浸れる。人生晩年を過ごすなら、技術のキャリアを活かして、そして自分の体力のことを考えたら、もう絶対知財しか自分の進む道はないと考えた。


前職の会社では、キャリアプランで上司に相談なしに、直接人事と交渉して、自分のキャリアに沿った他部署異動ができる、そういうシステムがあった。


で、自分は知財部に異動したい、と希望を出したのだけれど、リジェクト。理由は経験がないから。知財部は即戦力、経験のある人を必要としている、ということだった。


そんなの無理だろう?誰だって初めての経験なのだから、どうやって経験ありの資格を得るんだ?と思ったものだった。


2回くらいオファーしたのだけど、経験がないから。即戦力が必要なので。というひと言でリジェクト。即戦力を必要とする現場の気持ちもよく理解できるので、なかなか転職って厳しいもんだな~と思った。


そして病気で3年間の休職。そして復職するときに、どこに部署がいい?どういう仕事がいい?という希望に知財と答えたのだが、もともと経験ありしか取らない部署が、病気上がりの人間を取る訳がなく。(笑)


その折衷案として、開発部の中に存在するのだけど、その部門の特許出願を手助けするそういうスペシャルな部門があって、そこに入らせていただくことになった。知財部は本当の意味で、出願に対する事務的な処理に専念するため、先行文献調査とか、特許出願するポイント誘導などの縁の下の力持ちのヘルパーの役割のメンバーは技術部門内にそういう機能があって廻っていたという感じだった。


そこで先行文献調査とか、特許の世界のことをいろいろ勉強した。


自分の技術者人生を振り返ってみると、映像、音声、放送、機構とあった場合、自分はその圧倒的な部分を、放送と音声を占めたのではないか。


とくに音声の仕事は、かなり圧倒的に多かったと思う。知財の世界で、かなり音声処理の特許を出願担当したり、先行文献調査したりして権利マップを作ったりした。音声処理のスペシャリストの技術者にいろいろ教えてもらいながら、それを特許面で自分が貢献する、そんな感じではなかったか。音声処理について(圧縮も含めて)はかなり勉強した。


とにかく音声処理については、随分関わってきた気がする。音声処理のエンジニアの人から、音声処理って映像処理と比べるとものすごく簡単ですよね~。もうやることない感じなんですよ。(笑)とよく言われたことを覚えている。


自分が社会人に成りたての頃、ビデオ事業本部に在籍していた頃(ベータマックスとか全盛でした。。笑笑)、ビデオ事業部とオーディオ事業部とはかなりカルチャーが違っていた。壁があったように思う。


自分が不思議だったのだが、オーディオ機器というのは、いわゆるハイエンドオーディオと呼ばれるものは、100万円なんてザラ、数百万円から数千万円の価格帯である。


でも映像機器は、もう完全に普及価格帯なのだ。ビデオも最初の一発目は旗艦機器として値段が最高なんだけど、それからどんどん安いエントリーモデルが出ていくという路線。最初の旗艦器で高くて40万円。その後の普通価格帯で6万~10万じゃないか。


自分は不思議で不思議で仕方がなかった。映像処理のほうが、音声処理より遥かに難しくて高度で演算量も半端じゃないのに、なぜオーディオ機器は数百万単位で、ビデオ機器は数十万なんだ?(笑)


これはビデオ事業部にいる者にとってちょっとしたジェラシーであった。


自分の中には


”映像処理>音声処理”


という方程式が確固としてあったので、これがいざ商品の価格帯では反転現象になるのが許せなかった。


でもその後、オーディオはいわゆる高級オーディオというHigh Soceityな文化が昔から存在していて、その音、音楽にかける社会的ステータスがすごい高い。そういう文化が昔から存在しているのだ。


それに対して、映像の文化って、まず普及してなんぼ?というのがあるのではないか。


”テレビ番組を録画する”


まず家庭に普及して意味がある。東京オリンピックの頃、力道山のプロレスを観たくて、テレビのある家でみんな集まって応援する。そうやって各家庭にテレビが普及していく。


ビデオもその延長線上で、普及してなんぼ、というのがあるんじゃないか。

普及させるのは、まず普及価格帯ではないと勝負にならない。


オーディオは趣味の世界だから、金のある人、趣向のある人が買っていく。そういうニッチなビジネスでもいい。それでも景気のいいときは、それでマーケットがきちんと廻っていて存在できていた、そんなビジネスなんではないか。


後年、自分の中でそういう位置づけをして、自分なりに納得させたものだった。


その後、自分がオーディオマニアになるとはつゆにも思ってもおらず。(笑)

そしてオーディオマニアになってから、この真髄は正しいと理解できるようになった。


まさにオーディオマニアになって、いろいろな経験をして、学び、オーディオオフ会も多く体験し、そしてコンサートホールの音響なんか勉強していくうちに、自分の人生はますます音、音声処理の世界で占有された人生だったのだな~といま振り返ってしみじみ思う。


でも技術者として、思うのは、やはり自分の中では、


”映像処理>音声処理”


の方程式で揺るぎがないです。


技術者として、本格的に映像処理を専門として拘われなかったのは、残念だったと思う。

自分の時代は、技術者にとって、映像処理はやはり華形でしたから。


でも好奇心旺盛な自分は、もちろん仕事では拘われなかったけれど、自分の知識として映像処理とはどういうものか、というのを一生懸命勉強していましたよ。そういう本が市販でたくさん出ていて、片っ端から買って読み漁っていました。前職時代は仕事人間だったので。



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技術者、エンジニアの末路はなかなか厳しい。成功例は管理マネジメントになることだ。優秀なエンジニアで、人間力がある人は管理マネジメントとして登用されていくだろう。でもそれはほんの数パーセントだ。残りの凡庸な(自分も含めて)人はどうするか。他社に転職して生きながらえるか、あるいはまったく職種を変えて、技術の世界とはまったく関係ない文系の仕事につくかだ。


人生の現実は厳しいのだ。


技術者、エンジニアの末路は大体そういうところだろうな、と若い頃から思っていた自分は、どうしても自分の晩年の身の置き方、というのを考えざるを得なかった。


自分が目指したのは、知財の世界だった。


人生の好転機はあっけない感じでやってきた。

転職して、毎年自分のキャリアプランシートを書かされるのだが、その第2志望に知財部希望と書いていたら、知財部に欠員が出て、至急人材が欲しい、ということで白羽の矢が立った。


人生ってあっけないもんだな~と思った。(笑)

あれだけ希望してもなかなか通らなかった夢が、こんな理由でいとも簡単に実現できてしまうとは。。。である。


これが世の中なんだろう。


多少はかじったことはあるにしろ、知財素人の自分を一生懸命育ててくれた当時の知財部の上司にはもう頭が上がらないです。特許出願、中間処理、外国出願、係争のときの会議にも積極的に参加させてくれ、いろいろ経験を積ませていただいた。


ここで、思ったことは、半田ごてが嫌で、体力がもう持たないから、ペーパーの世界で技術の世界を堪能したい。そういう思いで知財を希望していたのだが、そんなに現実は甘くなかった、ということだ。


知財の世界は、知財の世界で、独特の苦しみというのがあるのだ。

それは分厚い特許明細書を読み込んで、その明細書に書かれている技術を一瞬にして簡潔にまとめられること、そして理解できること。膨大な特許案件(特許リスト)何千件を、ざっと俯瞰して読んでいき、それを全案件とも内容をピンポイントで把握でき、簡潔にまとめられること。


これははっきり言おう!


技術者の世界より、相当厳しい、というか、そうとうツラいですよ。(笑)


技術系の文章を読んで、それを理解する。


あるいは、


技術系の文章を書いていく。(特許明細書を書く)


という作業は、相当苦痛ですよ。


これはやっぱり才能が必要だと思う。才能がないと案件をつぎつぎと処理できないと思います。


自分がこのときつくづく感じたのは、”仕事のできる人”というのは、ある意味頭がいいのだろうけど、ほんとうにすごく効率的で処理能力がずば抜けているのだ。他人のペースを遥かに上回るそういう処理能力がある。


この”仕事のできる人”を自分がいちばん実感として感じたのが、この知財時代だった。

処理能力のある人が仕事のできる人という方程式も成り立った。


知財の世界は、やはり件数ですから。特許出願件数。中間処理件数。。。もう仕事のできる人は、もうあっという間に、どんどん何件も出願を済ましてしまう。それもすごいペースでどんどんこなしていく。


文章を読まないといけない。そして考えないといけない。そして文章を書かないといけない。


これで件数、スピードが求められる。


以前日記に書いたと思うが、企業知財部、そして特許事務所の先生たちは、毎日ノルマを課せられて仕事をしていますから。ノルマを達成できないと査定、給与に響いてきます。


もうこれはある意味、すごいハードワークで、相当ツラいですよ。

技術者時代、ペーパー上だから楽ちん、なんて思っていた自分は相当甘かったです。


知財の世界は、技術の世界とはまったく別の世界だった、と言えました。


自分が現役時代、どうしても敵わないと思った同僚がいた。その人はすごいおとなしい寡黙な人なんだけど、もうすごい処理能力がすごくて、あっという間に自分でどんどん明細書を書いちゃうとか、あの処理能力はちょっと敵わないな、とため息がでました。


”知的財産”という世界は、自分が予想していた世界とは全然違っていて、相当ハードワークなところだったと言えます。というか、技術者の世界とは、ハードな意味合いが違う、まったく違う次元のハードという感じでした。



いまでこそ、いろいろな分野でDXということが叫ばれていますが、知財ほど紙の文化だったところはないでしょう。(笑)さすがにいまはもう特許庁を始め、DX化は進んでいるでしょう。でもあの完璧に紙の文化だった頃をよく知っているだけにあそこからどうやってDX化するのか、気が遠くなるというか、大変でしょうな。


いまの時代は、アイデアシートをAIに読み込ませれば、AIが特許明細書を作成してくれる時代だそうですよ。(笑)


昔、いまの携帯でナビが実現できてしまうナビタイムNAVITIMEが世に出た頃、カーナビの大手のパイオニアがナビタイムを特許侵害と訴訟したことがありました。結局パイオニアが敗訴してしまったのですが。


そのとき、その訴訟記録を閲覧するために、どこだったか、よく覚えていないのですが、そういう知財訴訟、裁判の記録が格納されている図書館に行ったことがあります。


とりあえず知財図書館と言っておきましょうか。。。そこはもちろんコピー禁止です。訴訟記録をひたすら直筆で写すしかないのです。もう大変苦痛な作業でございました。(笑)


その図書館の地下には食堂があって、なんかカレーを食べたのかな、美味しかった~。照明暗かったです。


知財には、”お宝発掘”という地道な作業もあります。これはかなり苦痛な作業です。


ライセンスオファーというのは、ある技術の権利を特許などという形で保有している者が、他社に対してその権利行使をすること。自分の技術ライセンスの権利の使用を認める代わりに、その対価、ロイヤリティを支払ってください、そういうオファー、申し入れをすることを言います。



いつもライセンスオファーされる側だけど(笑)、ライセンスオファーする側もかなり大変です。ライセンスオファーするって簡単なことじゃないです。


他社製品のカタログを全部調べて、その取説と自社特許を照合して自分の会社の特許の技術を使っているかどうかつぶさに調べるのです。もう洗いざらいつぶさに調べます。



やっとこさ確証見つけてレター作成して送付しても、すぐに、ハイ、払いますなんてなる訳ない。(笑)


そんな簡単にはまず行かないです。レターを送られてもそのまましばらく放置というか、交渉含め、ものすごく足が長い時間のかかることなのです。



まっいままで日記でいろいろ知財の世界を紹介してきたので、もうそこで言い尽くした感はありますが、知財の世界は楽じゃない、ということです。ペーパーの世界とタカをくくってはとんでもないことになる、ということです。



技術者、エンジニアにとっては、やはり人生の晩年は、お金に関すること、経営に関することは学んでいたほうが絶対いいです。いくら最新の技術と誉れ高くエバっていても、結局会社って経営で成り立っている、自分たちの給料がどうやって作り出されているのか、その真実をちゃんと知っていたほうがいいです。


サラリーマン、エンジニア、会社人にとっての最終目標は、最後はちゃんとお金のことを理解する、経営のことを知っておく、ということではないでしょうか。自分も偉そうなことを言っていますが、たまたま知財繋がりでライセンス料管理の世界に足を踏み入れるようになり、このお金の世界に入り込みました。


自分の会社のように製造業、つまり商品を開発、製造して、それを世界に販売していく、というビジネスの場合、それにかかる費用、そして売り上げによる利益、そういう関係をよく理解しておいたほうがいいです。


結局会社ってここなのです。

会社って、とどのつまりここなのです。


この真実を知らない限り、いつまでも大人にはなれない、ということではないでしょうか。


・・・なんて偉そうなことを言ってますが、自分も知財からいまの原価グループに移動したときは、まったくのチンプンカンプン、グループメンバーが話している言葉、内容がまったくの宇宙語でした。(笑)


いまもひたすら勉強中ですが、お金の世界は理屈はシンプルなんだけど、とても深いです。


やっぱり会社人だったら、最後の晩年は、きちんと経営のことを理解できるようになるのが、ひとつの目標なのかな、と思います。若いうちはそんなことを考えずに、もうバリバリと技術のことを。そして晩年は経営のことがよく分かっている。。そういうステップがいいのではないでしょうか。



還暦、定年を迎え、セカンドステージと人生が移り変わっていく上で、自分のいままで歩んできた人生をちょっと振り返ってみたくなりました。


じゅうぶんやってきた。よくやってきた。と自分を褒めてあげたいと思います。


なんとか潜り抜けた、通り抜けた、という感じです。(笑)


と、同時に、技術者、エンジニアにとって、自分の晩年の身の置き方を考える、というのも大事なことなのかな、と思い直しました。


もちろん生涯現役、ずっと還暦以降でも、バリバリのエンジニアとして頑張っていく、そういうすごい人もたくさんいることでしょう。自分は、もうそういう人はほんとうに尊敬してしまいます。持って生まれた才能、類まれな才能の持ち主だと尊敬しております。



2024年4月6日(土曜日)


渋谷ハチ公前です。桜が満開でした。いよいよ桜の季節ですね。渋谷ハチ公前は、もう相変わらずですが、外国人観光客でいっぱいでした。ハチ公もタスキ掛けしています。(笑)このハチ公の横に立って記念撮影するのがひとつのパターンなんですね。片側に1人、あるいは両側に2人立って、ハイポーズで記念撮影して、つぎは私の番って感じで、それを順番で繰り返すのです。もうエンドレスでやってます。(笑)


渋谷の桜の季節の名物ですね。


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悩みはもとから絶たないと。。。 [雑感]

今年は辰年。自分は年男なのだが、今年は年初からすごい試練の年である。
                                         
たぶん自分が生きてきた60年間の中で、もっとも最大の試練の年だと思う。厄年と言うのは当たっている。自分が同じ厄年の42歳のときの試練、病気で転職したときより、比べ物にならないほど数段厳しい試練だ。
                          
龍神様は、自分にすごい試練を与えている。
                         
これを乗り越えれば、たぶんあとはこの世を解脱するまでずっと幸せが続くような気がしている。いまが人生の変わり目に違いない。
                                  
年初から、能登大地震、JAL・自衛機の衝突事故、そして小澤征爾さんのご逝去。そして我が還暦、定年でセカンドステージのスタート。それに伴う生活環境の再整備。
                      
・・・そして、なんと母親があの世に旅立った。
                                   
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もう狼狽した。かなり動揺した。
3か月前あたりからかなり容体が悪くなって覚悟しておくように、とは言われていたが、いざそうなるとかなり動揺する。
                       
無事、葬儀・納骨を済ませ、一件落着。
よくやった!自分!と褒めてあげたいと思う。
                                
もちろん残された残務問題も多く、時間がかかりそうだ。今年の辰年は、自分にとって、もう大変な1年となりそうである。
                             
母親のご逝去は予想していなかったことなので、想定外で処理しないといけないが、還暦を過ぎてからのセカンドステージは自分自身、もう何年前から分かっていることだ。5年前あたりから、あと5年したら定年だ、どうしよう?とか漠然に不安なものだ。
                        
もうこれはサラリーマン、企業人、会社人なら仕方がないこと。もう宿命なのだから。月収40万もらっていた人が、再雇用、あるいは年金受給開始から収入大激減。やっていけるのだろうか・・・。
                                 
みんな全員が通らないといけない人生の最大の難関である。みんなそうなのだ。
                               
鬱だよね~。ブルーになるよね~。もう老後のことを考えると、一気に鬱なので、考えないように”いまを楽しむ”で自分はやってきました。老後のことは、そのときになって考えよう。
                                 
実際数年前から分かっていても、じゃあどうする、なにやる?と言ってもとくになにもやらずそのままズルズルと行くだけだと思います。
                        
その点、自由業の方はいいな、と思います。定年はないので。働けるまで働く。ただ年齢相応の役割に変わっていくのかもしれませんが。
                                    
サラリーマン、企業人にとって還暦というのはなんらめでたくありません!地獄の始まりなのです。よく還暦祝いというのを聞きますが、なにがめでたいのかさっぱりわからないです。
                                            
いまだから告白するが、自分は誕生日は1月なので、1月の誕生日に定年になる。2月から働き方が変わる。そうするともう5年前から鬱気味なのだが、さらに1年前になると猛烈に鬱、ブルーになる。
                         
ましてや、3,4か月前だと、この不安のピークは最大限に達する。
                                 
そのとき自分が考えたことは、このままなにもせずにただ自宅の中で在宅勤務を続けて過ごしていって、そのまま定年を迎えるのではもうあまりに人生暗すぎるだろう。これは精神的にかなりよくないと考えた。
                                   
そこで自分が考えたのが、年末に名古屋、姫路、京都をツアーするという旅行を計画することだった。財力がある内に、後悔しないように、ということで計画した。
                       
今年の芸術の秋_2023は、このことがきっかけで起案した旅行計画だったのだ。
                                   
でも、いま考えると、それで気が晴れるか、というとまずそれはあり得なかった。やっぱり旅行中でもついつい不安な老後生活のことを考えてしまい、いま楽しいはずなのに、どこかブルーで憂鬱なのだ。
                    
年末の姫路、京都のときは気分は最悪だったな。
                                     
そしていろいろ経過していろいろあって、いまに至る訳だが、自分はある大きな解脱点を見つけた。悟りを開いたような感じである。
                       
それは、
                              
悩みは根本を絶たないと楽にならない。
                 
ということである。
                                    
みんな、各個人でいろいろな悩みを抱えていると思うが、そしてそれはおそらく他人に相談できない悩みごとだと思うのだが、その悩み事で苦しい精神状況を、なにか別のことで代用することで楽になるか、というとまずそれはあり得ないということである。
                     
あまりに悩み過ぎて薬に頼るとかもダメ。なにか別の楽しい違うことをして解消するか、というとそれもダメだと思う。
                   
苦しい悩みは、その根本を絶たないと意味がない、というか、その悩み自体を解決しない限り、いつまで経っても楽にならない。
                                         
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これが自分の悟りの境地である。
                         
そのためには、その悩み解決のために具体的になにか自分がアクションを起こさない限り、ずっと解決することはない。老後不安だ~と思っていても、なにもしなかったら、それはいつまでたっても不安が続くだけである。
                                    
自分がちょっと楽になったと思うのは、家計のシュミレーションをやったこと。生活していくには、インとアウトの関係ですから。収入と支出の関係。自分がどれだけの収入があって、毎月どれだけ支出しているか?自分は若い頃から、ずっと1人暮らしなので、インとアウトの管理は必然と自分がやらざるを得ない。だから自分が1か月の間になににお金をどれくらい使っているのかを把握している。
                                   
これは大事なことである。家庭の場合、旦那さんはやりくり上手な奥さんに任せっきりだと思うけど、旦那さん、そんなこと知らないでしょ?(笑)老後生活に切り替わるときは、旦那さんも協力しなきゃ。人生の中で、事が大変化するときは、男がちゃんとイニシアティブとって、あと決まりさえすればディリー管理はあとはお願い、というように。
                  
                                 
そのために一番大事なことが、自分(あるいは夫婦)が1か月の間に、どんなことに支出していて、それぞれどれくらいの額なのか、ということをちゃんと理解しておくこと、整理すること。これがいちばん大事なことです。そして老後の低収入の中に、支出が収まるようになるべく、いろいろなところ、固定費、変動費を削っていく。固定費を見直すのは一番効果大ですね。
                        
そうやっていくと、なんか現実的になって、不安がなくなっていくんですよね。収入の中に支出が収まるようであれば、不安解消だし、やや足りないのならどうしたらいいかを考える。
                                 
そうやってアクションを起こさない限り、いつまで経っても漠然とした不安ばかり頭を覆って、その苦しみはもとを絶たない限り消え去らないです。代用で楽になることはないです。
                         
老後スタートが始まる人は、まずこの家計シュミレーションを1回やることをお薦めします。1度シュミレーションしておけば、あとはもう頭の中に入っていますから、そんな毎日、毎月家計簿つける必要もないです。家計簿つけるのが1番いいと思いますが、自分はそんなマメな性格ではないので、やりません。
                               
でも1度シュミレーションしておけば、そんな必要もないと思います。大体頭の中でわかっているから。1度はかならずやるべきです。
                                 
家計の収入・支出を作成してFPに相談するのもいいと思います。
でも最近ネットの記事によく出てくるFPの回答もズサンですよね。(笑)
                       
1か月の生活に必要な金額、年金支給額、そしていくら足りない、その分を貯蓄から捻出する。そして平均寿命まで何年。・・・で結局〇〇千万円の貯蓄が必要。
                              
こういう理論ですね。
老後2,000万円問題ってこういうことですね。最近ようやく理解しました。
                    
そんな〇〇千万貯蓄があるんだったら誰も苦労しませんよ。(笑)安易すぎるんだよ。もっと頭使えよ。もっとタメになる提案しろよ!といつもボクは怒っています。
                           
まっそれはさておき、自分は去年まで漠然とあった老後の不安は、この家計シュミレーションをして実態とどうしたらいいか、を算出したことで、そしてそれに向かって実際アクションを起こしていることで、現実的なものになり、はっきり言いますと、あれだけブルーだった、鬱だった不安が嘘のように消え去りました。
                                 
あれだけ、不安で憂鬱だった毎日が、いまはかなり爽快で雲が消え去ったように気持ちいいです。やっぱり悩みはもとから絶たないとダメなんだと、そのときに自分は悟りを開きました。もちろん悩みが解決している訳ではぜんぜんありませんが、それに向かって動いている、というだけでもすごくスカッと爽快なのです。
                         
これは介護施設で療養をしている母親についても言えることでした。
もしものことがあったなら、葬儀・納骨きちんと終えることができるであろうか?
                                    
葬儀には、喪主と施主という役割があります。
                              
「喪主」・・・葬儀を執り行う責任者。 故人様に代わり参列者を迎える遺族の代表者。
「施主」・・・葬儀費用を負担する人。
                              
たしかに喪主(旦那さんが亡くなれば奥さん、親が亡くなれば長男)は葬儀の責任者なので、重要なのはあたりまえなのですが、自分の経験から、葬儀は結局やっぱり費用、お金の問題に行き着くので、施主がいちばんキーパーソンだと思ってます。
                         
2014年に父親の葬儀を取り仕切った経験があるので、大体こんなもんだということは分かっていましたが、やはり不安。事前に葬儀会社に葬儀費用や葬儀の段取りを確認して、大体のイメージがつかめました。
                                    
縁起でもない、不躾な行動と怒られるかもしれませんが、施主の立場からすると、ここに見通しが立つと、不安が一気になくなります。それでも母親が亡くなったという報を受けたときは、動揺が激しかったですが、それでも葬儀・納骨まで見通しが立っていたので、意外と気持ちが平穏でいられました。
                              
会社の経営もそうです。予実管理。予算と実績の管理。予算で目標を立てて、実際の実績がどうなのか、上振れなのか下振れなのか。そして次月以降の見通し。この見通しという作業が大事なのです。見通しを立てることで、今後の戦略の軌道修正をするし、それでまたダメだったら、また修正し直し。その繰り返しです。
                      
見通しを立てないと、不安ですよね。安心できませんよね。どうなっていくのかをある程度予想する、最悪のケースも考えて・・・そうやっていくことで、そのときはふっと安心するのだと思います。そういう作業をやらないままだと不安で不安で仕方がないです。
                             
自分もそうでしたが、たぶん親の葬儀はみんな不安と思っていることだと思います。でも葬儀は、自分がその当事者にならない限り、わからないと思います。自分の親なりその当事者になって、喪主、施主になって、初めて葬儀というものがわかるのだと思います。
                      
事前に勉強しておこうとか、他人の葬儀に積極的に行ってもたぶん無理。やっぱり当事者じゃないとわからないと思う。
                              
葬儀について日記にしてみようかな、と思いましたが、やっぱりこういうことはあまり表に出すことではないように思いますし、表で触れてはいけないことのように思いましたので、やめときます。
                          
結局、なにが言いたかったか、というと、
                                    
苦しい悩みは、その根本を絶たないと意味がない、というか、その悩み自体を解決しない限り、いつまで経っても楽にならない。
                                           
そのためには、その悩み解決のために具体的になにか自分がアクションを起こさない限り、ずっと解決することはない。
                        
これが自分の悟りの境地である。
                                     
偉そうに言ってますが、自分も去年までこのことを知らずして、ずっと鬱気味が続いていたのですが、最近ようやく解脱した境地です。・・・というのも、時間が解決してくれるというか、時間とともにやはりなにかアクションをしていかないと事が進まないので、そうやっていく内に問題、悩みが徐々に解決していって、気持ちがす~っと楽になってきた、ということでした。
                           
こういう悩みというのは他人に相談できないことが、また辛いですね。自分の場合は1人で道を探していき、解決まで進んでいったのでかなりキツイ数か月だったと思います。
                                     
まだ、半分くらいしか終わっていないのではないでしょうか・・・まだまだ困難な残問題たくさんあります。今年1年かかるかな?その都度、ショックを受けたりしながら進んでいくと思いますが、まっ結局最後はすべてうまく行くという風になるんではないか、と思っています。(笑)
                            
サラリーマン、企業人の方は、みんな定年近くになると、すごい恐怖と不安な気持ちにさらされるものなんですよ。みんなそういうパターンなのです。みんなそういう病気にかかるものなのです。
                        
でも定年1年後、2年後となっていくと慣れてくるというか、心が麻痺してきて、あまり不安に感じることもなくなるように予想しています。
                      
でも現実はやはり厳しかったりして・・・いつ老後破綻がきてもおかしくないかもしれません。(笑)
                   
                 
                    
                       
                             

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文(ふみ)の便り [雑感]

平安・鎌倉時代から江戸時代に至るまで日本の古来から、文(ふみ)というのは特別なコミュニケーション手段で、対面で語り合う以上になんか特別の意思伝達ができるものだったに違いない。


よく恋文(こいぶみ)というのは、男女間でお手紙というあくまで文面でやりとりをすることで、お互い想像を膨らませていって、相手の方はどんな方なんだろう、その文面からさらに激しく相手に想いを寄せるようになって、恋心が燃え上がる。そして長い間、文のやりとりをして、そうしてとうとう念願の対面となる。


昔の日本の恋人同士は、まず最初は文(ふみ)でやりとりをすることが常だったらしい。想像の中でその文の文章の中から、相手への想いがどんどんエスカレートしていく。文というのは、そういう前哨戦的な役割をはたしているものなのだ。だから男女間のお付き合いは、まず文のやりとりから始まる。


文(ふみ)、お手紙というのは、ある意味、自分を脚色できるところもあるのではないか。

人間誰でも他人に対して自分をよく見せたいという気持ちはあるものだ。自分の姿を知られない状態で、文の中で、その言葉の綴りの中だけで自分の心の移ろい、美しさ、純情さ、そして架空想像上のよりよく見せたい自分を相手に表現できる手段でもある。


ある意味、文ほど自分の心の真の姿が出てしまうものもないのではないか。


対面での会話が苦手な人でも、文のやりとり、文通だと自分を出せる人はこの世の中たくさんいるだろう。


文、お手紙で書くということは、リアルな対話以上に、なんか感情的にグッとくるような重いものがある。また文章での疎通はかなり重い、相手への正式な通達みたいな側面もあるのではないか。


ライセンスの世界では、”レター”や”訴状”という形式に則った文面が相手への公式な意思表示になる。決して長文ではないが、まさにオフィシャルな公式の文調でピリっとくる緊張感が漂う。この書面のやりとりからバトルが始まるのだ。(笑)


文章は重いのだ。


いまの軽い時代では、お手紙は重い、としか思われないだろう。スマホのLINEで気軽にワンショットの吹き出しでやりとりをしたり、スマホのテレビ電話でお話しするいまの時代。


お手紙は重すぎて勘弁、というくらいにしか思われていないだろう。


家族で長年に渡って一緒に暮らしている間柄だと、お手紙でやりとりをすることなどほとんどない。家族ほど自分をよく知っている者はいないし、普段日常会話でなにげなくやりとりしている家族。


その家族から手紙をもらうということはほとんどないに違いない。


両親の実家から独り立ちして上京してから、オヤジから手紙をもらったことは、自分の記憶では2回ある。1回は、上京したての頃、ホームシックにかかってしまい、毎晩寮の公衆電話から実家に電話を入れて親の声を聞いていた精神不安定だった頃。オヤジが励ましの言葉とそんなことで、これからの長い社会人生活どうする?やっていけるのか?という叱咤激励の手紙だった。その手紙は紛失してしまって、いまは手元に残っていない。


あとの1回は、自分が大病を患ってしまい、長い間北海道の実家で静養して、そして東京に戻って来て復職したときだ。会社に復職したものの、3年間も不在にしていれば自分の復帰場所も存在しないのはあたりまえだ。


結局早期退職となった。42歳の時である。まさに人生での厄年1回目である。そして1年間は失業保険で暮らしていく。会社都合での退職なので保険給付も長期間で手厚かった。


生活をダウンサイジングする必要があった。高級マンションからもっと手頃なマンションに引っ越し。その引っ越しした自分の新しい住居に、両親が偵察ということで来てくれたのだ。


そして、その帰りに両親を駅まで送るときに、自分が普段愛用しているお寿司屋さんでオヤジ、オフクロにお寿司を御馳走したのだった。


それが大層嬉しかったらしく、その後、オヤジからお手紙をもらった。お手紙の1番の目的は、妹夫妻やオヤジ、オフクロの近影の写真を贈るというものだったが、そこにオヤジのいろいろな想いが綴られていた。


自分がオヤジ、オフクロにお寿司を御馳走したことをそんなに嬉しく思ってくれていたとは思いもよらず、自分は驚きだったが、「帰りにお寿司を御馳走になり、有難う。就職以来何回目かなと思いながらも少しは成長したかなと、ママと話しながら帰りました。」


確かに社会人になって両親が何回か上京して食事をともにしたこともあったが、自分が御馳走したことってそんなになかったっけ?(笑)


まさに無職の時代。これから新しい第2の人生を歩むべく、その第一弾としての引っ越し。これから職探し。そんな人生苦境の時期に、両親が陣中見舞いに来てくれた。


手紙の中には、「四十過ぎの高齢者(特に無資格者)には厳しい事と推察しています。」・・・が頑張れ!という激励であった。


3年間北海道の実家で静養していたときは、毎月1回北大病院で診察を受けていた。オヤジが車で送迎してくれて、診察のときもオヤジ同伴である。


オヤジは大層嘆き悲しんでいた。こんな病気になってしまい、もう普通には働けない体になってしまったんだぞ。お前これからどうやって生きていくんだ?お父さん、お母さんのほうが早く死んでしまうんだぞ!その後、お前どうやって生きていくんだ?


毎回の診察でも、オヤジは北大の主治医の先生に、息子の将来、この病気の場合のその後の人生の生き方について毎回食い入るように相談していた。


自分ははっきり言ってそれが憂鬱だった。


自分にとって、そんなに重い病気、症状だとはまったく思っておらず、全然楽勝で復帰できる。絶対元の生活の戻れるという確信、自信みたいなものがあったので、全然心配していなかったのだ。他の患者さんは、障害者としてその後の人生を歩まれている人も多い中、自分は全然その方々とは違うと思っていた。まったく心配していなかった。自分はせっかくもらったお休みだから、じっくり3年間、会社のことを考えずゆったり楽しみますよ、くらいにしか考えていなかった。


でもオヤジからすると、病気のことを勉強していくにつれてそういうケースを学んでしまうため、息子もそうなってしまう、と深く嘆き悲しんだのだ。そして北大の主治医の先生に、毎回そのことについて真剣に相談するのだった。


それが自分にとって嫌で嫌で堪らなかった。気分が暗くなるからだ。一気に自分も不安になってしまい、そんな気持ちになってしまうからだ。


オヤジからもらった手紙の最後には、そのときに、土曜日が都合が悪く、いまの自由が丘の主治医の先生にご挨拶して面談の機会を逃してしまったのがすごく残念と書いてあった。


そうか~!そんなこともあったな~と思い出した。


病気を甘くみてはいけないが、その後無事今の会社に再就職出来て、第2の人生を再スタートすることができ、まさに人生の幸福度としては最高潮に達したのだ。海外旅行へは行きまくり。(笑)クラシックとオーディオ、そしてグルメ、旅行をメインにした趣味に生きることを自分の人生軸に置いた人生が大成功となり人生を謳歌し続けた。


まったくこんなに人生が好転するとは思ってもいなかった。オヤジが毎日、自分にお前この後どうやって生きていくんだ?と毎回怒られていた毎日を過ごしていた実家静養時代。


自分の子供のことを真剣に心配してくれる親は当然だろう。だからそれも当然だったと自分は思う。でもそういうオヤジの心配をよそに、無事、オヤジを安心させることができて、まっ子供心によかったと思っている。


ほんとうに人生なにがあるかわからない。人生どうなるかわからない、なのである。


オヤジが亡くなったのが2014年である。ライプツィヒ・バッハ・フェスティバル真っ最中のときであった。そしておフクロは、いま施設に居る。


オヤジとオフクロにお寿司を御馳走したお店がいまのおらが街の駅のすぐ傍の栄寿司である。


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昭和32年創業で66年の伝統ある寿司店で、自分はいまでこそご無沙汰しているが、その昔はかなり贔屓で通っていたお店である。回転寿司が多いこの時代の中で、このように昔ながらのいかにも日本伝統のお寿司屋さんという雰囲気が好きでよく通っていた。


ご主人は二代目だそうで、お母さん、お嫁さんと思われる女性の方が給仕さんなどお手伝いをしている。やはり地元密着型のお店で常連さんが通うお店だ。


大学のときに取った自動車運転免許だったが、自分のチョンボで免許失効してしまったことがあって、このおらが街の自動車学校にもう1回通い直して再取得したことがあった。それがいまの会社に転職したその頃だったので懐かしい想い出だ。


会社をフレックスで早めに退勤して自動車学校に毎日通う。もちろんいまのこの時代でも取る免許はMT車の自動車運転免許です。車の運転はマニュアル、MTに限ります。あれから自動車運転免許証もグリーン、ブルー、そして3期連続ゴールド免許である。ペーパードライバー強し!です。


でも仕事はカービジネス関連ひと筋です。(笑)


その自動車学校に通っていたとき、授業、演習が終わったら、毎日この栄寿司でお寿司をいただくのが楽しみだったのだ。なんか毎日通っていた記憶がある。それでこのお寿司屋さんを知ったきっかけになった。


それからオヤジ、おフクロをこのお寿司屋さんで御馳走したのだった。



店内はカウンターとテーブルとがある。


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このテーブルでオヤジ、オフクロにお寿司を御馳走したのだった。


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栄寿司には、もうここ10年くらいご無沙汰で不義理をしていた。超久しぶりに入ったら、なんら変わっていなかった。ご主人もほとんど変わっていない。


ここに来たら、おまかせ寿司。オヤジ、オフクロにもこのおまかせ寿司を御馳走した。

見栄えも美しく、相変わらずの美味でした。


体育会系というよりは、品のある上品なお寿司ですね。


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セカンドステージ、セカンドライフという第二の人生をこれから再スタートする。まさに人生2回目の厄年の60歳である。あのときも厄年の42歳であった。これからどんな人生が待っているのか・・・。


そんなときにふっと思い出し、オヤジの手紙を読み返してみた。普段、一緒に居ることが多かった自分のことを一番知っている家族が、こうやって手紙という文章で想いを綴ってくれるのは、これまたなんか一種独特の感覚がある。文を読めば、あ~まさにオヤジそのものだな~と分かるし、相変わらずオヤジらしいなと思うけど、やはり文(ふみ)、手紙が相手に与える独特の感覚は襟を正すというか、折り目正しさを相手に与えるし、重い感覚があり、しみじみと感傷に浸るものである。


オヤジは九州男児そのもので、短腹(短気なこと)ではあるが、よく笑うし、男らしい性格でいい男であった。まさに九州男児という感じであった。息子の自分にとってはよく怒られていたという記憶が圧倒的ではあるが・・・(笑)。


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新鮮で驚きがあるということ。 [雑感]

自分はもう人生隠居だから自分の好きなことをやり続けれるなら毎日マンネリでもいいのではないか、と思うのだけど。

                              

会社人生、社会人人生として、ひとまず区切りがついて、いままでよく頑張ってきたと自分を褒めてあげたい。いままでずっと緊張してきた人生を過ごしてきた。

                    

つねに頑張らないと、怒られないようにしないと、成果を出さないと、人生真っ盛りだから、若いから、常に突っ走る人生。

                    

でも人生一区切りつくと、もうこの歳だから、そんなに人からも責められないだろう、怒られることもないだろう、年寄りだから仕方がないと思われる、年寄りだから許される、大目に見てもらえる、そんな感じがして、それですごく肩の荷が降りるというか、気が楽になった。いままでの長い緊張の糸が切れた感じだ。

                    

何十年も仕事をしてきて、趣味ともども、人生をフル回転で歩んできた。今後はその経験を活かして世の中の役に立っていきたい。

                     

金持ちになって、人生リタイアした人は、大抵、その後の人生、自分の自慢話だけの人が多く、それははたから見ていてもじつに哀れで可哀そうなものだ。

                      

人間というのは、つねに誰かの役に立っている、世間や社会に貢献している、なにかに貢献している、という気持ちがあるからこそ気持ちに張りがあって、活き活きとしていくものだと思う。若いときはそれが仕事だったりする。

                      

なにかに、社会に、誰かに貢献している、という気持ちが大事なのだろう。

                         

毎日マンネリだと、いつも同じだと、その気持ちの張りが保てるだろうか。歳を取っていくと、緊張力の持続がもう精神的にも体力的に限界になっていく。もう充分頑張ったんだから、もういいかな、ゆっくりマイペースでいいかな、とか。自分はどこまで続けられるかな。

                    

                   

やはり新鮮で驚きがあること。

                     

これが1番大切なことだ。

                  

自分の人生の糧である音楽でもそうだ。

世の中に受け入れられる音楽はつねに新鮮で驚きがある。いままで聴いたことのない音楽、フレーズ、これに人は驚いて大ヒットとなる。

                   

ビートルズの登場もそうだ。自分達で作詞・作曲し、自分達で演奏する。コンセプトアルバム。。。もうなにもかも新鮮ですべてが新しかった。

                      

スティングは、音楽は最初の8小節のフレーズを聴いて驚きがなかったら、その音楽はもうダメだ、という。

                  

今年のNHK大河ドラマ「光る君へ」。自分は期待している。

                                   

                              

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なによりもいままでの大河ドラマにはない新しい風を感じる。

なんかすべてにおいて新鮮だ。

                              

長年、大河ドラマをずっと観てきた自分の感想。なんかすごく新鮮だし、目新しい。

                         

まず扱う時代がいい。いままでこの平安時代を扱った大河ドラマってあったっけ?

自分はあまり記憶にないのだけど。とにかく新鮮だ。

                             

衣装も時代考証も。

                         

そして画がすごく綺麗。あまり馴染みのない時代だけに、当時の貴族が着ている衣装がまさに鮮烈でビビットな原色の組み合わせでほんとうに美しい。

                                 

華やかし平安時代の雰囲気がよく出ている。

すごい綺麗な絵柄だな、と思う。

                        

自分は仕事柄、お金のことをどうしても考えてしまうのだけど、この光る君へのドラマを見ていると衣装、舞台セット含めてお金かかっているな~、すごい予算かけているな~とついついそっちのほうを考えてしまう。

                                 

大河ドラマは、やはりすごい予算がかかるものなので、貴族の服、着物、特に女性役の服装は1度作って使用してもそれをきちんと保管しておくのだそうだ。そして数年後、何十年後にそれをまた違う大河ドラマで再登場させて使用する。

                                 

だから奈良時代だとか、いままで大河ドラマで扱ったことのない時代は、NHK制作陣はやりたがらないそうだ。なにもかも新規に作らないといけなく、すごいお金がかかるから。(笑)

                                 

光る君へを見たとき、まず自分が思ったことは、この時代のドラマは、あまり自分の記憶にないので、衣装からなにから新しく作ったものなのかな、お金かかってるな~、すごい予算かけているのかな~、とかそっちのほうを心配してしまう。(笑)

                             

ひょっとすると以前に平安時代をやっていて、それのおさがりなのかもしれないけど。。。

                           

そしてこの時代の大河ドラマは、ほとんど見たことがないので、登場人物や、その人間関係もまったく予備知識がなく、すごい新鮮だ。毎回勉強である。この複雑な人間関係を自分で把握できるようになるまで、しばらく時間がかかるだろう。

                           

でもそれも新鮮というものだ。

                       

そしてなによりも紫式部を扱うというのがいい。自分は源氏物語は歴史としてもあまりよく知らないし、いい勉強になる。

                            

とにかく画が綺麗だし、扱う時代考証が珍しく、自分にとってはなにもかも新鮮だ。

                        

番組冒頭で流れるタイトルバック、タイトルロールもすごく素敵だ。

いままでの大河ドラマにはなかった雰囲気だ。女性らしくとても優雅だ。

                                                   

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平安時代、女性が主人公の物語らしい優雅さが美しく描写されていて、素敵だな~と思う。

音楽もだ。

                                            

大河ドラマのタイトルバック、タイトルロールというのは、昔は毛筆だった。歴史、日本史は毛筆がいちばん似合うものだった。でもいまの時代に毛筆はもうなんか重い感じがして、新しい時代にそぐわないんだろう。いまの時代は日本史とはいえ、ある程度の軽快さ、軽さが必要だ。ドラマ進行においても。

                                           

視聴率が過去ワーストであるとか、女性を主役にした大河ドラマはいままで視聴率に必ず苦戦するとか、1年間という長丁場を合戦なしで、乗り切れるのか、とかマスコミはネガティブな面ばかりを捉えるけど、自分は正直、もう初期高齢者になるまで人生を生きてきて、もう数えきれないくらいの戦国時代の大河ドラマを見てきた。

                         

正直なところ、織田信長、豊臣秀吉、徳川家康のドラマはもういい(笑)というか、もういくら手を変え、品を変えて演出に工夫をしても、もうこの時代はすでに知り尽くしているし、もうすべてを出し尽くした感があるのではないか。若い子たちはこれからで違うかもだけど、我々の世代はもう飽きた、という感じである。もうあまりに見過ぎた。

                                      

大河ドラマの視聴者というのは、やはり高齢者が多いし、安定志向でお馴染みであることを大事する、つねに保守的な視聴者が多い。だから新しい試みには冷たい、というか、乗ってこない、そういう視聴者が多いんじゃないかな。現代ものも大河ドラマではダメだ。

                          

合戦好きな動的な起伏の激しい、そういう大河ドラマを好む男性視聴者にはストレスに感じて不満を言いだすかな?(笑)光る君へは、女性向け、というか女性ターゲットなのかもしれませんね。

                                      

そういう点で、まだたった3回しか観ていないけど、光る君へは画が綺麗だし、時代考証が自分には珍しくなにかすべてにおいて新鮮な感じがするので、自分はすごく評価しているし、楽しみにしている。

                          

1年間の長丁場だけど、脚本家の大石静さんや主演の吉高由里子さん他、みんな頑張ってほしいと思います。

                         

この大河ドラマについても、ポイントは新鮮で驚きがあるということである。

                               

つねに安定志向、マンネリに心の安定感を感じる、人間ってそういう生き物だけど、新たな驚き、新鮮であること、これはとても大切なことだと自分は考えている。

                     

                        

でも人間は、歳をとると、そういう新鮮さ、驚きを作り出すことが、精神的、体力的、脳的に衰えてきて、難しくなり、マンネリになっていくのだけど、どこまでそれに反抗して頑張っていけるかどうかだな。

                       

自分のこれからの人生をどうやって張りを持てる人生にしていくか。

歳をとるということは、そういうことと戦うことである。

                               

それ以前に、これからの人生の晩年、経済的にちゃんと生きていけるかどうか、こっちのほうが現実的で大変か。(笑)

                       

                        

                       

                                           

                                   





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謹賀新年2024 [雑感]

あけましておめでとうございます。


昨年は拙ブログを読んでいただき、誠にありがとうございました。


昨年は仕事面、趣味面双方において、大きなアクシデントもなく、無事平穏に1年間を過ごせたのではないか、と思います。神様に感謝いたしたいと思います。


思えば、新社会人として上京したときは、ホームシックにかかってしまい、夜な夜な寮の公衆電話から実家の親に電話をしたりして、かなり精神的に不安定な時期がありました。こんなんで、これから社会人生活が務まるのか、ともう絶望の境地にいました。


それでも、そんな青い自分でも、こうやってきちんと務まってきた、というのは不思議ですね。よく頑張ってきた、と自分を褒めてあげたいです。


これから新社会人になるみなさん。きっと不安でいっぱいだろうけど、大丈夫です。私のような者でもなんとかなってきたんですから。(笑)


自分は、技術者、そして知財・ライセンスの世界で人生を全うしてきましたが、思えばこの道のりは、決して1人で成し得たものではない、ということです。


人生の仕事で、自分1人で学んで自分1人で解決していく、ということは、ほとんど不可能なのではないでしょうか。かならず、そのときの上司、先輩、同僚から、あるいはあるときは後輩から、いろいろ教えてもらい、仕事というものを覚えて、自分で実行していく、その繰り返し、そういうものだと思います。


いまの自分の社会人としての人間性、仕事としての知識・ノウハウは、そういうたくさんの人との出会いがあって、初めてそれが自分の形成につながり、いまの自分を造っているのだと思います。


人生において、人との出会いは財産だと思います。


もちろん最後は、自分がやらないといけない訳ですから、自分の能力も必要になってきます。


でもそうなるまで、1人前になるまでに、自分の人生の中で、いろいろな人と出会い、教えてもらいながらやってきた、という実感があります。


技術者、知財・ライセンスの人生の中でも、いままで自分と関わってきた上司、先輩、同僚、そして後輩、1人残らず全員覚えています。もうその方々がいたおかげで、今の自分がある、という感じです。


これはなにも仕事面のことだけではないと思います。


自分の人生でいちばんの危機だと思ったのは、やはり数回に渡る病気に襲われたとき。もうこれは人生の負の部分としていまも自分の中に抱えています。


そのときも、病院の主治医の先生、看護師さん、理学療法士などのスタッフなど、入院、通院などで、ほんとうにたくさんの人との出会いがあり、助けがあって、その危機を乗り越えてきました。


これも人との出会いです。


そして趣味面でも。同期の友人、そしてSNSの発達によってクラシック、オーディオ、そして旅行という趣味の面で同じ趣味、楽しみを共有できるような仕組みができあがり、そこでも共通の”好き”を持っている友人がたくさんできました。


その友人たちとの出会いも、これまた自分の財産です。

その友人たちとの切磋琢磨で、自分という人間がより深く形成されていきます。


やはり、そういういままで自分の人生で関わってきた人には、いまここに大きく感謝の意を表明すべきだと思います。


ありがとうございました。


これからもたぶん同じだと思いますので、もっと頑張っていかないとな、と思っています。



趣味は人生を豊かにすると思います。


仕事しかない人は、仕事を失うと、自分の存在がなくなり、精神的に困ることになると思います。やはり会社、仕事の世界とは別に、もっと違う世界、それは趣味の世界でもいいですから、別の自分を作っておくべきだと思います。


そういう世界で自分の存在を作っておけば、べつに仕事がなくなろうが、どんな状況変化が起ころうが、自分の存在が社会からなくなることはありません。


自分の人生軸を、自分の中に持っておく、ということです。


自分の人生軸を、会社、仕事の中に置いておくと、それは将来仕事を失うときに、困ることになると思います。自分の人生軸を、自分の中のほうに持っていれば、そういう心配はありません。


いつも安定です。


いわゆる分人主義というか、自分という人間性の中に2面性を持っておくことも必要なことだと自分は思います。


仕事しか興味がない人は、やはり人間的にいろいろ狭帯域の人で、人間性として偏った感じがします。上に行く人ほど、仕事だけでなく、あらゆる業界のことを広く浅く知りながら、そういうお付き合いが必要になるのでは、と思います。やはり仕事以外に、仕事以外の違う分野もマージして、いろいろ社会の常識を兼ね備えながら、トータルとしての人間性を形成していくことは、豊かな人間性を構築していく上で必要なことなのではないか、と思います。


自分の場合は、仕事が終わった後に、クラシックやオーディオ、そして旅行、あるいは日々の雑感などを日記で書いていく、という作業を通じて、いろいろな世界のことを知り、豊かな人生、豊かな心になったと思います。こういう作業が自分を豊かにしたと思います。べつにその当時はそんなことを意識して書いていた訳ではありませんが、結果的にそうなった、という感じです。


好奇心、興味が湧く、これがすごく大事なことです。興味が湧くので調べてみたい、自分で学んでみたい。さらにそれを強固なものにするために自分で書いてみる。そんな感じだったと思います。


興味の範囲が広い範囲に及ぶほどいいと思います。


これからの新社会人になるみなさんにも、ぜひそこをアドバイスしたいと思います。

仕事以外に、趣味などの別の世界でもう1人の自分を作っておく。


そうすることで、仕事が不調のときも、自分の逃げ場があります。

心は救われ、安定します。


この境地は、もちろん長い自分の人生で経験して得た境地です。自分も若い頃はそんなことぜんぜんわからなかったです。でもたまには年寄りの言うことも正しいことがあるんだ、ぐらいの気持ちで聞いてくれる、とうれしいです。


これも最近教わったことですが、


中国の孔子の言葉に、「五十にして天命を知る」という言葉があるんだそうです。


人間は、五十歳ごろになると、自分の人生が何のためにあるかを意識するようになる、ということだそうです。


やはり長いこと人生やっていないとわからないことも多いと思います。



そんなことを考えた年末でした。



今年2024年は辰年。自分は年男です。龍神様にいろいろ助けていただき、いろいろ頑張っていきたいと思う1年であります。


本年もよろしくお願い申し上げます。


神様、神社への詣では、みなさん初詣ばかりに注目しますが、じつは大晦日の日にやることが大切だということを知りました。1年間の感謝の意をおつたえするために、その年の最終日の大晦日に神社をお参りするのです。

おらが街の神社で、1年の感謝をお伝えしました。


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そして今日は初詣。要は年末年始で2回神様と対面するんですね。ここでも新たなことを知りました。神様には、お願いするのではなく、感謝と誓いなのだそうです。(ここはまだ自分的には消化できていないところではあるのですが。)


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カリカリって美味しいの? [雑感]

いつも暖かいおうちの中で、我々を癒してくれる猫ちゃん、ニャンちゃんたち。


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人間との美談が多いワンちゃんと違って、ツンデレで人間に媚びない勝手気ままなところが猫ファンからするとたまらなく可愛いらしい。でも猫ちゃんも人間にスリスリとか愛情示しますよね。そんな世間一般でいうほどのツンデレではないと思います。ニャンちゃんもたくさんたくさん飼い主さんに愛情を求めてきます。



自分は犬も猫も大好きだしペットとして飼ってみたいとは思うけど、やはり生き物を飼うというのは責任が発生しますね。可愛いと思って衝動的に飼ってはみたもののいざ飼うとなるといろいろ大変で面倒くさくなり捨ててしまうという最悪の責任放棄は避けたいところです。


あと、自分はアウトドア派で旅行含め、普段にしても外を出歩いているほうが圧倒的に多く、家を不在にするときのほうが多いので、やっぱり生き物は飼えないです。無理です。


自分はワンちゃん派かニャンちゃん派か、というとどちらも大好きだけど、やはり室内で手軽に飼えるという点ではニャンちゃんかな。ワンちゃんは毎日の散歩させないとダメですね。これは大変です。


猫ちゃんは可愛いと思うけど、それはあくまで人間目線の次元で見ているのではないか、と思うことがよくあります。人間からみると猫ちゃんは可愛いかもしれないけど、猫は本来はやはり狩猟本能を持った獣なんですよね。家猫用として飼いならされているとわからないかもですが、猫は基本的に狩りの本能を持った、狩猟本能をもった獣なんですよ。


だからねずみを始め、ちょこまか動く小さな小動物にはかなり敵意と興味を持って追いかけるし、その狩猟本能が最大限発揮されます。


可愛いと思っているのは、あくまで人間目線で見ているだけだからです。


ライオンやトラはネコ科です。彼らこそまさに狩猟本能を兼ね備えた百獣の王、野獣の王様です。

猫はライオンやトラと同じで、猫の本性、原点はそこにあると思っています。


なぜ、自分はそんなことを意識して思うようになったかというと、猫について子供の頃にトラウマな経験があるのです。


それは近所の人が飼っている幼い鳩がバタバタと低空飛行で飛んでいたのです。

小さな子供だった自分は、その鳩が可愛いと思い、追いかけました。


その一瞬の瞬間です。


どこから現れたかわからないほど、突然猫が飛び出してきて、ジャンプしてその低空飛行をしていた鳩をパクっと一口でくわえてしまい、去って行ったのです。


もう一瞬です。


あのときの恐怖、怖さというのは尋常ではありませんでした。いや~猫って怖いな~。やっぱり狩猟本能の動物、狩りをする動物なんだな、ということを幼い子供の心にしかと植え付けた出来事でした。


自分が普段から可愛いと思っていたその鳩をあっという間にパクッとくわえて去って行ったのです。これがまさに猫の本性、本当の姿なんだな、と思いました。


これが自分が猫に対する子供の頃に受けたトラウマのできごとです。


今回の話はそこではありません。(笑)すみません、脱線しました。


それは猫ちゃんのエサのことです。


SNSの猫ちゃん関係の投稿を見ると、よくエサを与えているところの動画を拝見しますが、そのエサには、いわゆる固いカリカリ状のドライフードと、ちょっと湿った水分を含んだウエットフードの2種類があります。


自分の疑問は、ニャンちゃんにとってドライフード、カリカリって美味しいのかな?と思うことです。(笑)


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なんか硬くて、乾燥していて、これをカリカリと食べるにしても、美味しいと感じるのかな?と思うことです。もうこれはエサというよりはお菓子、オヤツという感じですよね。


自分が猫だったら、もう絶対ウエットタイプのほうのキャットフードのほうがいかにもご飯、御馳走という感じで食べ応えがあるんじゃないか、こっちのほうが美味しんではないか、と思うことです。ウエットタイプのキャットフードのほうはいい写真がなかなか見つからなかったのですが、猫缶なんかもそうですよね。柔らかくてボリュームがある感じで美味しそうで、いかにもご飯という感じです。


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自分が飼い主なら猫のことを考えて、絶対ウエットタイプのエサにするのにな~と思っていました。

もう猫のエサを自分が食べるときの印象で決めてしまっています。(笑)



ドライフード、カリカリって美味しいのか?

見た目、あっさりした乾燥したお菓子じゃん?

これって美味しいの?



って思ってしまうのです。


もちろん自分は猫を飼ったことがないので、エサもどうやって与えるべきかもよくわかっていないド素人です。


ネットで調べてみました。



ウェットフードは猫の水分摂取量を増やすのに役立ちますが、それに対してドライフードは猫の歯の健康維持に役立ちます。ウェットフードの香りは好き嫌いの多い猫にも気に入ってもらいやすい一方で、ドライフードは一日中ボウルの中に入れておいても、傷みにくいという利点があります。このようにウェットフードとドライフードにはそれぞれ異なる利点があるため、両方を併用するミックスフィーディング(ただし、ボウルは別々に検討するとよいでしょう。




●猫用ドライフードの利点


ドライフードの利点の1つは、猫に簡単に与えられて保存性も高いという点です。一日中ボウルに入れっぱなしにしても傷むことはありません。その利点のおかげで、猫はこまめに少量ずつ食べることができるため、健康的な食生活をサポートするのに役立つ存在だと言えるでしょう。


ドライフードを猫の食生活に織り交ぜることで、キブル(粒)の研磨作用によって歯石が溜まるのを抑制することができて、歯の健康状態の維持にも効果があります。そして当然ですが、栄養面におけるメリットも大きいです。ドライフードは愛猫の栄養ニーズに応じて、きめ細やかに栄養バランスを調整することができるという特長もあります。




●猫用ウェットフードの利点


多くの猫は、飲み水だけでは十分な水分量を摂取できておらず、食事から必要な水分を補っています。ウェットフードの主な利点は、猫に追加で水分を供給して必要な水分量を摂取させてあげられることに加えて、腎臓や尿路の健康維持に貢献できることが挙げられます。


また、ウェットフードにはドライフードよりも豊かな香りがあるという利点もあります。猫は味覚よりも嗅覚に大きく依存しているため、これはとても大きなメリットです。猫の味覚については、猫の舌の味蕾の数は人間の舌の約20分の1しかないことから、優れた味覚を持っているとは言えません。その一方で、猫の嗅覚は通常、人間よりもはるかに優れているため、フードの香りが重要なのです。



情報引用元:


ウェットフードかドライフードか - 猫にどのようなフードを与えるべきか




・・・そういうことなんだそうです。(笑)


ウエットフードは濡れているから猫ちゃんが水分を自然と採れるようになっている。ウエットフードは香りがするので、猫が臭覚に敏感なので食いつきやすい。欠点は傷みやすい。エサボールにそのまま入れっぱなしにして放っておけない。すぐに傷んでしまう。


ドライフードは、傷まなくて長持ちするので、そのままエサボールに入れっぱなしにしておける。飼い主さんの手間があまりかからない。猫ちゃんの歯が鍛えられる。


・・・こんなとこでしょうかね?


そうなんですね。ちゃんとドライフード、ウエットフードでメリット、デメリットというのがあるんですね。カリカリは美味しいのかな?とも思ったのだけど、ウエットにはない、いろいろなメリットがあるんですね。


ようやく納得いきました。


でも自分は、やはりウエットフードのほうがいかにもご飯という感じで美味しそうな感じがします。

ネコも本音ではウエットフードのほうが好きなんじゃないかな、と思ってます。


よくいつもはカリカリがご飯なのだけど、今日は特別に御馳走で猫缶をその上にミックスしてあげよう、という投稿をよく見ます。そういうところからも、やはりウエットフードのほうが、御馳走な感じがするし、猫もじつはそっちのほうが好きなんじゃないかな、と思っていたりします。




メニューは蕎麦、カレー、焼肉定食、猫!?(笑)蕎麦屋で発見した猫の姿がとっても可愛かった。


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満員通勤電車と在宅勤務 [雑感]

2020年のコロナ禍になってから、日本における、いや世界におけると言っていいかな。働き方改革が急激に進んだ。それ以前でも日本の国会では、働き方改革を議論していたように記憶しているが、コロナ禍のときほど急激に進んだことはなかった。やはり単なる議論だけではなく、じっさい環境が強制的にそうならないとなかなか進まないものだと実感する。


在宅勤務、テレワーク、リモートワークの推進である。


自分もコロナ禍の2020年から、会社で在宅勤務を推奨するようになり、職種にもよるが、自分のようなテレワークでも仕事ができるような職種の場合、在宅勤務中心のワークスタイルに変わっていった。特に2021年に脳梗塞を発症してから、身体が不自由になったので、在宅勤務中心とならざるを得ない状況になった。


2020年からだから、もう3年目である。

3年も在宅勤務中心のスタイルで仕事をしていると、毎朝、満員の通勤電車に乗って会社に通っていた頃、オフィスで仕事仲間といっしょに机を並べて仕事をしていたこと、仲間とのふざけたなにげない雑談、会議室に集まって会議をしていたこと。。。そういういわゆる会社員生活は遠くになりにけり。。どんな感じだったっけ?


でも33年間もそういう生活を毎日あたりまえのようにやってきた訳だから忘れようにも忘れることができないし、はっきり覚えている。それと比較すると、在宅勤務は、ほんとうに楽だよな~。まずストレスがない。心の健康、精神の健康にいい。周りの雑音がないので、仕事に集中できる、仕事が捗る・・・と自分にとってはいいことづくめに感じる。


逆に家で1人で籠っている感じがずっと続くので、人との会話がなく、精神的に鬱になりやすい。などの問題もあるようだが、自分は1人で誰と話さなくてもずっと過ごせる平気な人なので、あまり苦にならない。


なによりも毎朝のあのぎゅうぎゅうの満員通勤電車である。

あれに乗らなくてもいい、というのは最大のお加護なのではないだろうか。


早朝の通勤の満員電車乗ったことありますか?(笑)


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自分は、まさに入社時の1987年からコロナ禍の2020年になるまでの33年間。もう毎朝、毎日、この満員の通勤電車に乗っていましたよ。もうプロ中のプロ。まさに会社員生活、サラリーマン生活ど真ん中の生活をしていました。写真を見ただけで、もうすぐにあの感覚がリアルに蘇る。もう忘れたくても忘れられないです。身に沁みついています。33年間もずっとこういう生活を続けてきた訳ですから。。。


早朝の満員通勤電車ってどんな感じなのか?


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まさにギュウギュウの世界です。

駅員さんが、発車前のベルが鳴ると同時に、お客さんをギュウギュウとおしくらまんじゅうのように押し込んで無理やり電車内に押し込に扉を閉める、あれです。電車内の雰囲気は、もう息もできないくらいギュウギュウ状態です。


もう座れるということは100%ないです。立ったままの状態で、おしくらまんじゅうのギュウギュウ状態で、人の顔と顔がくっつくような近接感、もう呼吸をすることも困難なギュウギュウ状態。


これを自分の下車駅までずっと続ける訳です。



前職時代は、山手線の五反田、大崎、品川にオフィスがあったので、新人だった頃は小田急、井の頭線、そして山手線、その後海外から帰国してからは、東横線、山手線で、もう首都圏の中に行く場合、もういずれも100%ギュウギュウの満員電車です。


転職していまの会社になってからは都心というより反対側の八王子に行く感じにはなりますが、東横線、横浜線、八高線とやはりこれもギュウギュウの満員電車。やはり日本の通勤電車の満員電車の光景は異常ですよ。


この早朝の満員の通勤電車による通勤時間。自分の場合で、前職時代で1時間、いまの会社になってから1時間半くらいです。それくらいギュウギュウの満員電車に乗り続けていた訳です。



自分は結局、前職時代もいまの会社のときも、朝の通勤電車はギュウギュウの満員電車だったです。それを33年間毎日続けましたです。


歳をとってくると朝は早く目が覚めるので、そんなに早朝の通勤電車はつらくないのですが、若い頃は、朝早いというのはとにかく眠い。朝7時には自宅を出るわけですから、起きてすぐ着替えて家を出るという感じで、朝ごはんも満足にとれず、駅の立ち食いそばで慌ただしくかっ込む感じ。もう眠気まなこで、満員電車の中ではいつも立っていながら目はつむって、立ちながら寝ている・・そんな状態でしたね。


立ちながら寝れるんです。(笑)


とにかく朝の満員電車の中は、立ちながら寝ていた。それくらい眠たかった。

とにかく眠いので、会社に着いていからも午前中でも眠くてあまり役に立たなかったかな。


でもそんな満員電車でも乗るときのノウハウがあるのです。

それはつねに座席シートの前に立つということです。


座席に座っている人が自分の下車駅で降りると、座席が空くわけですから、もう即座にその空席になった座席に座れるのです。そうすると奇跡的に満員電車でも途中から座ることができるのです。


それはすでに座席に座っている人が、途中で降りるかどうかにかかっています。


そうすると、予測を立てるんですね。どのような人の前に立っていれば、その人が途中下車するか、たとえば高校生が座っていれば、あ~そういえば学校はこの駅にあるから、あの駅でこの子たちはみんな降りるな。そうすると空くな。よし!この子たちの前で立っていよう。


カートや大きな荷物を持ったお客さんが座っていた場合、あ~この方たちは、旅行に行くからたぶん新幹線だな。であれば新横浜駅で下車だな。じゃあ、この人たちの前で立っていよう・・・


このように、いま座っているお客さんの人物、身なり、荷物などを見てどこら辺の駅で降りそうかを予測するのです。そしてこのお客さんは早めに降りそうだ、という予測を立てて、その人の前で立って待っているのです。


そのお客さんの人物、身なりをチェックして一瞬にして途中下車しそうなお客さんかどうかを判断する訳です。


満員通勤電車に乗ると、そういうスキルが身につくようになります。

これもひとえに、途中からでもいいから座りたいから。。。この一心からです。


ホームで電車を待っています。そしてドアが開きました。・・・そうしたらいの一番に電車の中に入って行って、座っているお客さんの人物、身なり、荷物を見て、即座に判断します。よし!このお客さんなら早く途中下車するに違いない。そのお客さんの前で立って待っているのです。


それを電車の中に入った瞬間の数秒で判断します。

そういう才能が育ち優れるようになります。(笑)


そうして最初目をつけていたお客さんがなかなか降りようとしないときは、目標ターゲットを変えます。こちらのお客さんの前にしよう。。など。うまく行く場合もありますし、また結局的外れの場合もあります。


前提は、もうかならず座っている座席の前に立つことです。ドア付近だとか、周りも立っている人だらけ。立っている混んでいる状態のど真ん中にいるようでは、もう完全にダメです。座れる可能性ゼロだからです。自分の終着駅までずっと立ち続けることになります。


かならず座席の前に立つこと。


そこまでして座りたいのか!(笑)

満員電車ってほんとうに地獄ですから、そこまでしても座りたいですね。


それで途中下車で座席が空くのがだいたい自分の下車駅のすぐ近く。だから後半なんですね。だから座ったとしてもあっという間に終着。それでも座りたいものなのです。座れただけでも今日もラッキーと思うものです。逆に結局自分の終着駅までとうとう前の座席に人が降りずに、最後までずっと立っていないといけなかった場合、もうこの日は1日ブルーという感じになりますね。


座れる区間はほんとうに短い区間なんですが、それでも座れるとホッとするものです。

その日の癒しみたいになるものです。


自分は、それで毎日のゲン担ぎとしていたようなところがあります。なんか満員電車の中でもゲームというか、ゲン担ぎというか、そんな楽しみを見つけて長い通勤時間、しかも満員電車を楽しむという術を見つけていたような気がします。


通勤満員電車で怖いのは、トラブルですね。


とくに自分は男性なので、痴漢騒動には気をつけていたです。

ギュウギュウの満員電車の場合は、なるべく女性の傍に寄らないようにしました。


ぜんぜんこちらはその気がなくても、結局ギュウギュウにおしくらまんじゅうな訳ですから、女性のほうで勘違いして、触られた~、助けてください、この人痴漢です!とか叫ばれたら、もう最悪です。こちらが弁明しても尚更状況はまずます悪くなるような気がします。もうそういう状況だけは避けたかったです。


自分はそれが嫌だったので、満員電車の中では、女性の隣とかは絶対避けていました。


あと、おまえ、なに俺にガンつけているんだよ!との男客からのいちゃもん。自分は一点を見つめていただけなのですが、その男の人からすると、自分をずっと見つめていた、ガンをつけていた、と思い込んだんでしょうね。そういういちゃもんをつけられたことは1回だけあります。


その後気をつけようと思いました。


そしてあとはスリですね。なにせギュウギュウの満員電車ですから、スリに狙われても全然不思議ではない環境です。バッグはつねに胸に抱きかかえるようにして、チャックなどの開閉口の部分をしっかり手でガード。そうやってスリに合わないように気をつけていました。


でも海外と違って、日本は安全な国ですね。自分は33年間、早朝のギュウギュウの満員通勤電車にずっと乗り続けてきましたが、1回もスリに会ったことはなかったです。


日本はやっぱり安全な国なんですね。


海外だとまずそういうことはないですね。


とくに海外の人、外国人の人にとって信じられないのが、朝の満員電車はもちろん、深夜の飲み屋のハシゴ酒で泥酔したあとに電車に乗ってコックリコックリ寝ている人、深眠りしているお客さん、うっかり乗り過ごした~と騒いでいるお客さん、我々日本人からすると至極当たり前の情景ですよね。


でも外国人にはこれが信じられないようです。そんな眠りこけていたら、スリの盗難の絶好のターゲットにされてしまう。あり得ない!と驚くようです。


いかに日本が安全な国なのかの裏返しのことなのかもしれませんね。


あと、通勤時間が1時間とか1時間半とかあると、その満員電車の中でなにをやっているか、です。早朝の通勤時はもう眠いのでひたすら立ちながら寝ています。でも帰りですね。帰りは始発で乗れるということもあって、最初から座れることが多いです。


そうすると1時間、1時間半となると、スマホを見ているか、iPodで音楽を聴いているか、なんですね。スマホはいいとして、この通勤時間をiPodで音楽を聴く。。自分はこれを33年間続けてきた訳ですが、それも大音量で聴いていたので、その後遺症が出てきてしまいました。


耳鳴りです。


もうこれ以来自分は、インナータイプのオーディオ、すなわちイヤフォンやヘッドフォンなどで聴く音楽スタイルというのはできなくなりました。もうとてもじゃないけど、耳が持たないからです。耳鳴りがひどくなり、もう不可能な状態です。そういう原因を作ったのが、この通勤時間帯(帰り)での電車内でのiPodでの音楽を聴くという行為でした。もう今更ですが、この行為はほんとうに後悔しています。みなさんもインナータイプ・オーディオで聴くというスタイルは、よく注意して耳を壊さないように適切な音量で、しかもあまり長時間聴かないこと。このことをアドバイスしたいです。



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この毎朝のサラリーマン、会社員による満員通勤電車。

この光景は日本だけのものなのでしょうか・・・


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外国人観光客がますます増えてきた昨今。日本にやってきた外国人観光客がまず驚くことのひとつに「日本の通勤事情」があります。特に都心における電車通勤の光景は、自国ではまず“ありえない”ことだらけに感じるようです。



1.「鉄道網が非常に発達している」

 

「外国人は、日本の電車が定刻通りに発着することに驚く」というのはよく知られた話ではありますが、同じくらいに驚かれることが、鉄道網の広大さ、路線の複雑さです。特に新宿や渋谷といった主要都市の駅は、まるで“ダンジョン”だと揶揄されるほど。


街中のいたるところに電車の出入り口があったり、JR・私鉄・地下鉄などさまざまな路線が同じ駅に乗り入れていたり、同じ路線なのに特急・準急・通勤快速、と種類があったり……


……と、ここまで鉄道網が発達している国は世界を見てもほとんどなく、しかもそれが5~10分間隔でほぼ定刻通りに運行しているというのは、外国人にとっては驚きの対象でしかないのです。


非常に便利な日本の鉄道ですが、ただそれを乗りこなせるのは、毎日当たり前に利用している日本人だからこそ。初めて来た海外観光客にとっては、理解するだけでも至難の業です。そのため「日本の電車は複雑すぎて迷ってしまう」と悲鳴を上げる人は少なくありません。



2.「満員電車の過酷さ」


日本の朝の名物(?)ともいえるのが満員電車です。特に7~8時台の都心駅のラッシュアワーでは、出勤を急ぐビジネスパーソンたちでごった返しています。


電車を待つ間はきちんと整列しているのに、いざ電車が到着すると、押し合いへし合いの地獄絵図。発車時間が近づき早足でホームへ駆け込むんできた人は、扉付近の狭い隙間を見つけるや否や、中の人を身体全体で押しつぶしながら電車へ乗りこみます。


そして、すし詰め状態の電車内では一歩も動くことができず、パーソナルスペースの侵害などという話は通用しません。やっと電車が駅に到着したかと思えば、どっと蜘蛛の子を散らすがごとく通勤客が駆け下りていく……そんな光景が毎朝、くり返されています。


そこには「羊のように大人しい」「真面目で礼儀正しく他者思い」と海外から評される普段の日本人の姿はどこにもありません。鬼気迫るような満員電車の光景に、外国人が唖然としてしまうのも無理はないでしょう。



3.「電車内の静かさ」


息もできないような朝の通勤電車ではともかく、平常時、帰宅ラッシュ時でも、日本では電車内で「静かに過ごす」のが当たり前です。これは電話での通話や、大声でのおしゃべりはマナー違反という共通認識があるため。これも、外国人にとっては驚くべきポイントです。


海外の多くの国では「電車内は静かに過ごす」という考え方はありません。海外では電車内でも、公園で散歩するのと同じようにおしゃべりを楽しみますし、気分がよい時は歌を歌う、スピーカーで音楽を流すといったことも公然と行われます。マナーの問題というよりは、マナーの捉え方が日本と違うということなのかもしれません。



4「電車の中で居眠りする」


日本ではよく見られる電車内での居眠りも、多くの外国人がびっくりする光景です。海外では、電車で居眠りしている人は、盗難やスリの格好の標的。身ぐるみを剥がされてもおかしくないほど、あまりに無防備な姿なのです。もちろん日本でも盗難がないことはありませんが、電車内での居眠りが格別危険な行為だと考える人は少数でしょう。


特に「酔い潰れて、うっかり終点の駅まで寝過ごしてしまった!」などというよくある失敗談は、外国人が聞いたら驚きを通り越して異常な出来事に聞こえるはずです。そもそも海外では日本の「居酒屋」のような場所はほとんどないうえ、夜は犯罪も増えることから、外出先で深酒をするというのは考えられないのです。


また、夜ではなく、朝の電車内でも居眠りをする日本人に対し「もう疲れているの?」といった外国人のツッコミもよく聞かれます。日本が安全な国ということなのか、それとも激務が過ぎる国なのか……少し考えさせられる話です。



海外の通勤事情は?


さて海外の通勤事情はどうかというと、たとえばアメリカは自動車通勤が76%と全体の8割近くを占め、電車などの公共交通機関を使う人は5%程度とごくわずか。典型的な車社会といえます。電車を通勤に使う人はニューヨークのような都市部の限られた範囲内にとどまるそうです。駅員が低賃金というのも、無理からぬ話ですね。


いっぽうヨーロッパで自動車通勤している人は66%、公共交通機関を利用している人は34%という報告があります。ただし公共交通機関が充実しているかどうかは国によってばらつきがあるようです。


また、昨今はエコ意識や健康志向の高まりから、自転車通勤を推奨する国もあります。中でもオランダでは自転車購入費の助成や自転車通勤者用の公共サービスを充実させるなど自転車通勤の制度化をすすめており、世界的に注目されています。現在自転車通勤をしている人は20%以上にのぼるそうです。


アジアに目を向けると、まず中国では電車といえば国営の国鉄か地下鉄で、通勤に使われるのは地下鉄が一般的。しかし列車は各駅停車のみで日本のような「通勤快速」はなく、しかも乗車前に保安検査を受ける必要があります。通勤手段としての使い勝手は、あまりよくなさそうです。また、富裕層になるほど自動車通勤が好まれる傾向から、都市部の交通渋滞は社会問題となっています。


そして、2023年には中国を抜いて世界一の人口となる見通しのインドの場合、通勤ラッシュの混雑ぶりは、日本のそれを遙かに上回る状況です。混雑率は、なんと250%。電車の中に入れず、車両にしがみついて無理矢理「乗車」する人もおり、電車から落下する事故が絶えません。そのため「命がけの通勤」とまで呼ばれています。


また、電車だけでなく自動車通勤も多いですが、やはり人口が多いために渋滞は日常茶飯事。人はもちろん、家畜の群れが道路を横断することもあるそうで、仕事場から自宅まで数時間かかる……ということもざらなのだとか。


それぞれの通勤事情は、その国のお国柄や経済事情を如実に表している、ともいえそうですね。



まさに日本の名物である「満員電車」。戦前から高度成長、そしてコロナ禍...日本人と通勤ラッシュの歴史を紐解いてみましょうね。



●戦前ですでに「東京名物」「文明国の恥辱」


都市交通を担う電車の運転が始まったのは明治時代にさかのぼる。東京・大阪で路面電車が開業したのが1903年、翌年に省線(現JR)初の電車運転が、現中央線の飯田町~中野間で始まる。都市化が進むと、特に路面電車(市電)に労働者・学生が集中し、早くも満員電車が発生した。


東京市電の1日の乗客数は1919年に100万人を突破する。これは東京メトロと都営地下鉄を合わせた現在の1日の平均輸送人員1000万人強に比べれば少ないものの、地下鉄と路面電車の輸送力の違いを考えればかなりの混雑が予想できる。


当時の満員電車ぶりはすでに東京の風物詩になっていたようで、流行歌にも登場する。まず1918年の流行歌・東京節の一節から。


「東京の名物 満員電車 いつまで待っても 乗れやしねえ 乗るにゃ喧嘩腰 いのちがけ ヤットコサとスイタのが 来やがっても ダメダメと 手を振って 又々止めずに 行きゃあがる なんだ故障車か ボロ電車め」

 


物理学者で随筆家の寺田寅彦は1922年に随筆「満員電車」を記している。彼は路面電車の混みぐあいを東京各地で観測し、空いている電車を待たずに混雑している電車に乗っていく人々が市電の混雑を助長していると分析し、


「東京市内電車の乗客の大多数は――たとえ無意識とはいえ――自ら求めて満員電車を選んで乗っている。第二には、そうすることによって、みずからそれらの満員電車の満員混雑の程度をますます増進するように努力している」


とまでつづっている。


大正時代には現在の大手私鉄が続々開業して都市の郊外に路線を敷設し、ラッシュアワーが定着した。無名の東京市民からも満員電車への苦情は出ており、1925年に編纂された調査書「小市民は東京市に何を希望しているか」には学生たちからの切実な言葉が残っている。


例えば


「私たちが、常日頃道路のそれと同様に、文明国の恥辱とするところの朝晩の電車についてであります。あらゆる階級の男子も女子も、皆あのむごたらしい状態を続けて行かなければならないのであります。そして、その乗る時降りる時互に先を競う様は、唯我国に於いてのみ見られるべきでしょうか。時折幼い子供や老女の悲痛の声が耳に響きます、実になげかわしい次第であります。かつその混雑にまぎれて婦女子に対してつまらぬ行為をなす狂人の様な者がおります。これはどうしても、朝夕の緩和策を講じなければならない由々しき大事であります」

(商業学校に通う学生)



という具合だ。すでに「婦女子に対してつまらぬ行為をなす」、痴漢のような犯罪も出現し、1912年にはすでに日本初の女性専用車になる「婦人専用電車」が中央線に導入されている。


●戦後は「殺人電車」が出現


戦後、復員者や引揚者で都市人口が増え、鉄道インフラの荒廃も影響して鉄道の混雑は悪化する。現在のように、混雑率の正確な統計は1970年代頃まで得られていなかったが、ひどい場合はおおむね300%を超えるような込み具合だったとみられる。


1946年2月のニュース映画「日本ニュース」には、身動きもままならないホームにあふれる群衆の映像が記録されている。復興から経済成長の時代、東京の人口は再び激増、1945年に約350万人だった東京都人口は1955年に800万人、1962年に1000万人を突破した。当時のラッシュの過酷さは「満員電車」を通り越して「殺人電車」と例えられる程であった。


1961年の週刊誌「週刊サンケイ」には「殺人電車 わたしはつぶされる!」という見出しが躍っている。ニュース映画「朝日ニュース映画」の1968年の映画「ああ通勤」にも戦後まもない時期と変わらないような、ホームにあふれる乗客の映像が映っている。


複々線化・地下鉄の建設で鉄道の輸送力は上昇し、混雑率は300%台が当たり前だった昭和の時代から平成期には低下していくが、それでも2018年の統計で東京メトロ東西線で199%、JR横須賀線で197%を記録している。平均的な値なので、200%を超える列車も当然あるだろう。東京で電車が走り始めてから100年経っても満員電車との付き合いは「多少マシになった」程度だった。


●時差通勤の努力を軽く凌駕したコロナ


満員電車を解消するための時差通勤は、すでに戦時中から検討されていた。軍需工場へ労働者を輸送する列車の混雑を緩和し、また生産の効率化を図るためである。戦後は一例として運輸官僚の角本良平が1956年に論文「時差通勤の必要と可能性」を発表、呼びかけは進んでいたが、大都市圏への人口集中も止まらなかったため、200%級の混雑は依然続いていた。しかしそれらとは比較にならない効果をコロナ禍はもたらした。



情報引用元:


外国人が驚く「日本の通勤事情」



「満員電車の百年史」 戦前から高度成長、そしてコロナ禍...日本人と通勤ラッシュの歴史




まさにコロナ禍はすべてを変えたと言っていいでしょうね。コロナの世界的なパンデミックは、2020年からスタートしましたが、ここからかねてより議論はされていたものの、いっこうにリアルに実現しなかった働き方改革。これがコロナ禍で半ば強制的に一気に進んだ。


まさに自分はその働き方改革をリアルタイムで体験することになった。


それが在宅勤務、テレワーク、リモートワークである。


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家にいながら会社のLANネットワークに入ることができ、通常のオフィス環境の状態で仕事ができる。そこにはVPNという技術が必須だし、WiFiの環境も必要。使うノートPCは、かならず会社が供与したセキュリティ対策を施した会社専用のノートPCを使うこと。


昔は社員が1人1台と供与されているディスクトップPC以外に、自分専用のノートPCを持つということは与えられた特権階級の人しか許されない権限だった。自分はよく憧れたものである。会議室で自分専用のノートPCを持ち込んで使って会議に参加しているのだから。ブルジョアだな~と思ったものです。


それがいまや1人1台でノートPCが会社から与えられている。社員人数分のノートPCを購入するのは大変だから、リースしている。そのほうが会社としてもリスクは少ないし、コストも抑えられるし懸命の判断だと思う。


コロナ禍が過ぎて、もとの出勤スタイルに戻す会社もあるようだが、うちの会社は、リアル通勤とテレワークをの両方を兼用するいわゆる”ハイブリッドワーク”を推奨していく。


在宅勤務は、やはりその職種の種別によって、この仕事は在宅勤務ではできないので、出社してじっさい勤務。たとえば開発・設計をおこなう技術部門などはそうだろうし、あとマネジメント層もやはり出社が原則であろう。経営層も同じだと思う。


バックオフィス系など、基本在宅でもできる仕事は、在宅勤務でやっていく。


そういう併用スタイル、ハイブリッドワークがやはり今後の世の中の主流のように自分も確信する。


うちの会社では、リアル通勤:在宅勤務=60%:40%あたりの指標ですかね?


在宅勤務を取り入れることで、たとえば通勤の定期券。これは不要になるので、通勤定期券は通常は会社負担なので、それが在宅勤務になると不要になる。これは会社にとってはすごいコストメリットがあることだと思いますよ。


自分の場合、いまの会社の通勤定期は、6か月間定期で13万~14万かかってましたから。これが会社員全員分コストカットとなると、そのコスト削減はすごいメリットが出てくるように思います。


反面、在宅勤務をする人からすると、1日家に居ることになりますから、電気代、ネット通信代などかなり費用がかさんできます。会社側から”在宅勤務手当”というのが1日単位の日当という形で支給はされています。そういう配慮がされています。


あと、在宅勤務を取り入れていくことで、オフィスもスペース大幅減が可能になり、場所賃貸代、電気代、などもろもろのコスト削減になります。


”小さなオフィス”ですね。


今後のリアルオフィスは小さなオフィスで小振りでフットワーク軽く。フリーアドレスで。そんな軽い小さなオフィスが求められていくのであろう。


うちの会社もわがカービジネス事業部隊は、長年の北八王子のオフィスビルを売却し、新子安の本社ビルに移る。カーの技術部門全員を新子安の本社に移すのは、スペース的に大変のような気がするのだが、最初から在宅勤務との併用でハイブリッドワークで推進していくのであれば、在宅勤務ではできない仕事のみの人がリアル出勤するという形であろうから、スペースもそんなに心配はないのかもしれない。


でも技術部門は、開発・設計はやっぱりリアル現場だと思うので、技術部門だけでもけっこうスペースを喰うんじゃないかな、と思いますけどね。ハード屋さんだと作業台とか測定器とかのスペースも大きいと思うし。


個人それぞれだと思うが、自分は2020年から3年間、在宅勤務を続けてきて、あくまで自分の場合だけだが、もうメリットしか浮かばない。まず心のストレスがない。心、精神の健康状態がすこぶる良い。


そしてなによりも会社を休まなくなった。

リアル通勤をしていたとき、つまり毎朝、朝早くからあの満員通勤電車で1時間半もかけて出勤するあの辛さ。朝6時半、7時には起床しないといけないのだが、そのとき体調不良で思わず今日は会社を休ませてください、ということが凄く多かった。


それもすべて満員の通勤電車のせいである。


在宅勤務はその満員通勤電車による通勤がいっさいなくなるのだ。

通勤というものがいっさいなくなる。


これはかなり大きい。かなり楽である。なによりも在宅勤務になって、通勤がなくなって、会社を休まなくなった。


昔は1年間に与えられる有給休暇の日数は決まっていて、自分は1年間の間にそれをフルに使い切ってしまう人だった。1年間の終わりの頃になると、有給休暇がほとんど残っておらず、新しく来年度版として支給される3月まで会社を休めない、そういうギリギリの生活を送っていた。自分にとって有給休暇ってかなり苦心していたところなのだ。


ご存じのように海外旅行とか国内旅行などで休みを大量に取るので、それで支給された有給休暇日数がだいぶ減る訳だが、そのあともそういうくだらない体調不良などの休みを多くとってしまうために、いつも1年の終わり頃のになると有給休暇が残っていないという状況になってしまう。


人によっては有給休暇はまったく使わない人もいて、人それぞれなのだが、自分はフルに有給休暇を消化する人だった。


いつも上司に心配されている人だった。


1年間に支給される有給休暇を使いきれなかった人は、その残った有給休暇はそのまま積立保存休暇として回され、どんどん貯蓄されていく。有給休暇を使わない人は、もうどんどん積立保存休暇が溜まっていく一方である。


自分は、毎年、その年の有給休暇を全部使い切る人だったので、絶対積立保存休暇は溜まらない人だった。


それが在宅勤務にワークスタイルを変えてから、まったく休まなくなった。有給休暇を使うことがほとんどなくなった。1年間終わりになっても、ほとんど休みを取っておらず、どんどん休みが溜まっていく。そしてそれが積立保存休暇のほうにどんどん蓄積されていく。


やっぱり有給休暇に残日数に余裕があるということは心の健康に断然いい。

いらぬ心配をする必要がない。


なぜ、会社を休まなくなったのか。これはひとえに通勤がなくなったからである。体調が極めて良好の状態をコンスタントに毎日続けていくことができるようになったからである。休む必要がないからである。


朝起きたら、そのまま家に居る状態で仕事を始めることが可能だからである。


この通勤がなくなったことで、体調不良で休むことがまったくなくなった。毎日健康そのもので、規則正しく会社生活を送れている。これが自分にとって在宅勤務に変わってからの最大の変化点で最大のメリットのように思う。


いかにあの早朝の満員通勤電車での通勤が体を蝕んでいたか。体に大きな負担を与えていたか。


つぎに、心のストレスがなくなった。1日中自宅で、自分の仕事に集中できるため、仕事効率もあがったように思う。心のストレスがないので、毎日一定の安定した心の健康状態で、1年間ずっとコンスタントに仕事を続けられることである。今日会社行くのはイヤだな~。休んじゃおうかな~とかいうようなことがまったくなくなった。


それは心の健康がつねに一定コンスタントに安定しているからだと思うのである。

漠然とした不安や緊張というのがなくなった。


これは仕事をする上でかなり大きいと自分は感じる。


そしてなによりもWEB会議の普及であろう。


いままでは、会議室でみんな集まり、資料などはプロジェクターに映してそれをみんなで見て議論をしていた。ところが在宅勤務になっていくと、ノートPCを使ってWEB会議でふつうに会議ができる。


プロジェクターに映す資料もWEB会議の画面共有機能で、それぞれの資料を参加者全員に共有できる。各自のノートPCの画面に共有表示されるので、字も大きいし見やすい。プロジェクターに移される小さな文字を会議室の座席の遠方から見ているよりぜんぜんいいように思う。


自分なんかは、WEB会議のほうが、会議としての効率、理解度、お互いのメンバーへの伝達率などぜんぜんリアル会議より優れていて効果あるように感じる。


そして世界共通、世界中のメンバーと会議をおこなえるからもう最強だ。もう海外出張という必要もないくらいだ。海外出張はかなりの費用がかかると思うが、WEB会議ですべて用は足りてしまう。世界中とつながって、世界中の企業と会議ができる。あとは、時差などの時間調整で会議の開始時間を考慮するだけだ。


自分は、会社ではWEB会議のツールとしては、Microsoft Teamsを使っているが、もう完全に慣れてきた。


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顔出しなしも対応可能で、Teamsだとこんな自分の名前の漢字のイニシャルアイコンが出るだけ。

顔出しする場合も、背景を加工することもできる。


最初Teamsのチャットとメールの使い分けがいまひとつしっくりこなかったが、フォーマルな伝達にはメールで、もっと親近感ある親しい感じのコミュニケーションにチャットを使う、という塩梅もわかってきた。


自分は、WEB会議を使うようになって、Microsoft Teamsを使うようになって、一番画期的で効果大だと思ったのはこの会議のときの画面共有機能による資料の見やすさ、共有やすさ。そして会議が身近で簡単になったこと。


これは自分の会社人生、仕事人生の中でもっとも影響が大きかったな、と思う。もう会議室に集まって、プロジェクターで資料を映して・・・などの時代には戻れないと思う。この利便性をいったん味わってしまうと。。。


WEB会議ツールとしては、世間一般ではZoomがすごい普及しているが、セキュリティ面や中国企業系であることから会社、企業のような機密性の高い情報のやりとりをするには、リスクがあるというのが世評だ。


会社、企業関係は、みんなMicrosoft Teamsだと思う。


でももっと会社関係以外の趣味娯楽部門では、やはりZoomの普及度はすごく、自分のプライベートPCにZoomを入れて使ってみようとは思っています。まだ1度も使っていませんが。。


在宅勤務はなにもメリットだけではない。


やはり仲間との雑談とか、空間の共有がなくなるので、家の中で1人なので孤独感を感じ、心の健康を心配されている。


自分も3年間在宅勤務中心のワークスタイルになって、仲間とのなにげない雑談、空間の共有がなくなって寂しいと感じることもあるが、でも、もう33年間も早朝の満員通勤電車、そしてオフィスで仲間といっしょに仕事をするということ、会議室に集まって会議をすること。これを33年間もやってきたのだから、もう絶対忘れることはないし、もう心、身体に染みついていると言っていい。


もう自分の企業人人生、サラリーマン人生にとって、もうガッチリと組み込まれてきた、体内に深く沁み込んだ経験で、よもやこの体感を忘れることはまずないであろう。


それよりもいまは在宅勤務の新鮮さ、メリットのほうに大きく感動し、有難みを受容しているという感じである。


もちろんリアル出社でないといけない、そちらのほうがやはり重要であることがあるのもよく認識している。


たとえば、経営層、マネジメント層、管理職になるとやはり出社が原則で、社内での意思疎通、意思決定確認など、リアルな対談、会議でないとオフィシャルにはならない、というのもあるだろう。これは当然だ。


あとやはりリアル会議、リアルで対面して話をするほうが、やはり頭にロックしやすいとか、シリアス度が違うとか、人間的にこうじ~んと来るというか、真剣味、リアルさ、本気度が全然違う。やはりここはリアル対談がWEB会議などに絶対負けない部分なのだ。


やはりリアルは強いのである。


そして組織として動いているか、を把握するためにもマネジメント層はリアル出社は必要なのだ、ということは類推できる。


まっリアル勤務と在宅勤務、ハイブリッドワークですね。


在宅勤務というワークスタイルで、ワーケーションというスタイルも国は宣伝しているが、自分はいいと思う。リゾート地でとか、景色のいい環境のいい遠隔地の土地で、ノートPCで仕事ができる、というのもすごく人間として豊かな仕事スタイルなのではないかと思う。仕事が終われば、そのままその土地でリラクゼーションで楽しめるとか。。仕事中も周りの環境が素敵だと精神の健康にもいい。


自分はワーケーションはとてもいいことではないか、と思っている。



ただ、在宅勤務にも弱点はある。


これである。(笑) (=^^=)


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ニャンちゃんは、在宅勤務をしていると、かならずパソコンのところに陣取る習性があるらしい。(笑)


それを解決する算段としては、近くにすっぽり入るような箱を用意してあげると、その中にスッポリはまって一丁上がり、という感じだそうである。(笑)


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自分もこれからはシニアになる世代。シニアでも働けるような環境、自分の場合やはり脳梗塞の後遺症があるから、やはり在宅でも仕事ができるそういう環境をこれからは重要視していかないといけないのかな、と漠然とだが、考えている現在である。













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