低域とエアボリューム [オーディオ]
物を持たない人生。
身を軽くすること。
アウトドア派にとっては、コンサートを始め、外に出歩くことに人生の主軸を置く。
セカンドステージの人生を始めるにあたって、終活の観点からもそれがいいだろう、とオーディオシステムも大きなシステムから小振りなシステムに変更した。
B&W Signature 800からSignature805へ。
最初からまったく期待していなく、大体ブックシェルフのような小径のスピーカーはやはり限界があるもんだ。大きなユニットのスピーカーに絶対敵わない。とくにオーケストラの大編成のサウンドは、小径のスピーカーには限界があるもんだ。
もう身を軽くすることが目的だったから、まっいいっか。
805はもともとサラウンドのリアとしてしか使っていなかったから、ほとんど鳴らしていないのも同然の固い代物だ。
もうオーディオはもう充分楽しんできたし、特にハイエンドは、もうこれ以上あまり新しい可能性を感じない(笑)ので、これからは・・・もう普段スマホで聴いているくらいですから。(笑)
小振りのシステムに変更することで、困ったことが起きてしまった。パワーアンプを売り飛ばしたので、スピーカーケーブルがアンプと合わなくなってしまった。あちゃ~、せっかくすごい高額を投資しためちゃ高価なスピーカーケーブルなのに・・・使い物にならんとは、勿体ない。
電源ケーブルの黒ヘビ君も、もともと使いまわしが悪いケーブルなので、小システムにはもう無理。黒ヘビ君も高いのに。。。
スピーカーケーブルと電源ケーブルが使えない。
これはすごいハンディキャップだ。(笑)
インターコネクトのケーブルだけが使える。
ブックシェルフにすることで、大幅なサウンドレベルダウンを覚悟していた自分にとって、このケーブルが使えないのは想定外でこれはもう終わったかな、と感じたところだ。
もうオーディオにお金をかけるつもりはまったくないので、音が鳴ればいいや、音楽が聴ければいいや、という感じで、スピーカーケーブルはAmazonでスピーカーケーブル完成品の3,000円くらいのものを。電源ケーブルも同じくAmazonで市販のもの2,000円くらいのものを。
それで、重い腰をあげて、ようやく今日結線した。身体障害者なので、息ゼイゼイでかなりキツかった。最初Rchのほうが鳴らなかったりで、余計汗ダクダクになってやってた。
ようやく・・・恐る恐る鳴っている音を聴くと・・・
あまりに素晴らしいサウンドで驚いてしまった。(笑)
なにが驚いたかというと、低域モリモリなのだ。こんなにモリモリに低域が鳴っているのは、いままで聴いたことがなかった。Signature800を中古で購入して17年間育ててきた自分がいままで聴いたことがなかった低域モリモリぶりだ。ブックシェルフのスピーカーからこんなに低域モリモリの音が聴けるなんて、夢にも思わなかった。
これはコンサートホールでの実演でも言えることだけど、音楽にとって低域ってすごい大切な帯域だ。低域が豊かになることで、聴感上の安定感、下支えがしっかりするので、音楽の豊かさというのが全然違ってくるのだ。低域が十分に再生しきれていないサウンドは、音痩せしている感じで、その音楽の豊かさというのが出てこないものなのだ。
805のウーハーユニットと800のウーハーユニットではもうユニットサイズと造りが違い過ぎる。大人と子供みたいなものだ。
自分は心当たりがあった。
Signature800というSPは、低域が鳴らない、ウーハーが固いことで有名なスピーカーなのだ。マニア泣かせというか、あまり評判がよくない。
自分はGoldmundの300万のパワーアンプでドライブして鳴らしていた。そうでもしないと、Signature800はウーハーが固すぎて低域が鳴らないSPという引け目をいつも感じていた。
それを一生懸命いろいろやって調教してきた。オフ会でも、大丈夫ですよ、低域十分にちゃんと出ているじゃないですか!というお墨付きももらって、自分はこれで自分のサウンドとしてとりあえずひと段落した。全国各地のオーディオ友人のサウンドを聴いても、拙宅のサウンドがそんなに低域不足だとは思わなかった。
Signature800の素晴らしさは、やはりその澄み切った高域、クリスタルな響きに素晴らしい特徴がある。中域から高域、超高域に向けて秀逸なものがあって、特にピアノの音のそのクリスタルな響きは素晴らしいものがある。その反面、低域が鳴りにくいので音痩せという傾向にある。
17年間も育てて来て、毎日聴いてきたSPなので、もう隅々までその素性を知っている。今度、ゆっくりとB&W Signature800について語ってみたいと思う。我が子のことは自分がよく知っている。
そんな大ユニットのSiganture800を17年間毎日聴いてきて、今日805というブックシェルフの小径スピーカーから出てきた低域モリモリの音が驚きとしか言いようがなかった。いままで聴いたことがないくらい低域モリモリだ。
こんな低音豊かな音楽を室内のオーディオで聴いたことは初めてだ。
370万のスピーカーと300万のパワーアンプが、50万のスピーカーと60万のAVアンプに負けてしまうのだ。(笑)
なんで、こんなに低域モリモリなんだ?
ずっと自分は考えていた。
やっぱりS800は固いんじゃないか。自分は鳴らせていたと思っていただけで、じつは鳴らし切れていなかった、ということではないか。
あと、部屋のエアボリュームもあるかな、と。大きなスピーカーを活かせるようなエアボリュームでなかったのに対して、小径のSPだと、部屋容積的にも鳴り方に解放感があって余裕がある。低域と言うのは波長が長い信号なので、部屋の広さは結構影響が大きい。
でも、それにしてもこの低域モリモリぶりはなんだ!最初の出音を聴いて、なんだ?なんだ?と驚いてしまったくらいですから。いままで17年間聴いたことのないモリモリぶりだ。
低域が豊かな音楽って、なんと安定した、豊かなサウンドなんだろう。
聴いていて、心の豊かさを感じますね。心が暖かい感じがします。
オーディオで素晴らしいサウンドという条件は、この下支えの低域がきちんと鳴っているということである。(鳴りすぎも良くなく、それぞれの帯域バランスが重要なことはもちろんですが。ピラミッドバランスとかドンシャリとかいろいろ特徴あります。)
あと、この部屋、すごいライブなんですよね。部屋の中で携帯で電話しているときの自分の話し声なんてすごい響いて、うわっすごいライブだな、と思ったくらいですから。
あと、ちゃんと音離れもしているんだよね。驚きです。
自分がこの小振りの小システムで期待していたのは、SACD/CDプレーヤーでディスク再生をすること。
たとえば、来年の東京春祭のN響ワーグナーの予習で4~5時間もかかるワーグナー音楽を聴くのに、スマホのストリーミングでは無理がある。(笑)
やっぱりディスク再生ができないとダメだろう、ということになった。だから自分にとって、小振りなシステムは、SACDやCDが再生できることが最優先だった。
メインで使っていたSCD-1も売り飛ばしてしまったので、ずっと眠っていてほとんど使っていなかったサブ機を生き残らせたのだが、やはり眠い音だったな。(笑)エージング必要だろう。もう5年から8年くらい電源入れてなかったサブ機だ。
でも怖いのは、ディスク読み取り不良などのピックアップ問題とかディスクトレイの出し入れの問題。怖いのは、あまりに使用すぎると、ここにかならずガタが来る。
もう生産中止、サポート中止の貴重なSACDプレーヤーなので、壊れたら素もこうもない。
いま世の中にSACDプレーヤーはほとんど存在しませんから。
だから酷使できない。貴重に大切に扱わないと。壊れたらもう終わりだ。
だから自分にとって小振りなシステムでも、メインはストリーミングオーディオ、PCオーディオのほうである。
でもやっぱりスマホで聴いているのとは、もう全然違う。
低域が豊かすぎる!
音楽が豊かだ。
やっぱりスマホじゃ限界がある。
でもぬか喜びはまだまだ、である。
たまたまストリーミングの音源が録音がよかっただけかも。
New York Lounge Jazz Vocal Classics(マンハッタン・ジャズ・カルテット)に昨今嵌っていて、これはいい録音ですよ。今日1日ずっとエンドレスで聴いていました。あまりにカッコいい曲でいい録音なので、惚れ惚れです。
Spotifyは権利者還元に問題あるけど、UIとかほんとうにわかりやすく使いやすい。これに慣れちゃうと、なかなか・・・な感じ。スマホをリモコンにして、メインのオーディオで鳴らす芸当もできるし(これは昔から自分が望んでいたこと)、音声信号解析・嗜好解析技術によるリコメンド機能・新たな曲の発見もなかなか妙がある。
でも自分はストリーミングは、昔の古い曲を聴いていることが多いので、やはり古い録音はそんなに音もよくないしまっこんなもんかな、いかにもPCオーディオだな、という感じではあります。
ディスクオーディオは壊れると困るので、1~2枚(アラベラさんのヴァイオリン)聴いたくらい。眠い音だな、と。(笑)でもサブ機がちゃんとSACD再生できてよかったです。
ほとんど期待していなかった小振りなシステムではあるが、ここまで鳴ればもう上出来ではなかろうか。嬉しい誤算である。
もうこれからの自分はアウトドア中心で行くので、物を持たない人生、身を軽くすることをモットーとしているので、コストカットしたオーディオがこれだけ鳴ればもう充分である。
これは昔から学んだ自分の経験学だが、オーディオ機器というのはどんなに高額な機器でも売却するときは、ほんとうに二束三文。
それに対して、ソフトはすごいお金になるんですよね。
ソフトを処分して売るとすごい収入額が入ってくる。
これは昔から感じていることだけど、ソフトって金になるんだな、という感じである。何百万というハイエンド機器でも売却するとほんとうに二束三文なんだけど、ソフトはすごい金になる。
これは自分の人生で学んだ教訓である。
物を持たない人生、身を軽くすることが、これからの自分のモットーですが、そのために機器は処分しましたが、人生何があるかわからないし、晩年に人生爆発することもあるので、高価なインターコネクト、スピーカー、電源ケーブルはちゃんと段ボールにしまって、押し入れにしまってあります。(笑)
どれが本物? [オーディオ]
ビートルズのバイブルともいえる赤盤、青盤がまた2023としてリニューアルされる。
これはフルトヴェングラーの復刻版ビジネスと同じで、ある一定周期でなにかしらのリニューアルをしてリ・イシューするという毎度おなじみのビジネスだ。
赤盤は12曲追加されて、青盤は最後の新曲「ナウ・アンド・ゼン」を加えた9曲が追加されるという。もうすごいね。いったいどんな曲が追加されるのか知りたいです。
赤盤・青盤は昔からビートルズの曲を勉強するなら、という教科書的なバイブルのようなアルバムだ。これぞ!ビートルズ”ともいうべき珠玉のヒット曲が全部収まっている。
もうお腹いっぱい!というくらいなのに、さらに12曲とか9曲とか追加したら、いったいどの曲入れているんだ?(笑)ベストアルバム色の濃度がどんどん薄まって、昔ながらの赤盤、青盤の有難みがどんどん減るんじゃないか、と危惧してしまう。ベストアルバム特有の濃さというのが、かなり薄まってしまうんじゃないか、と思ってしまう。
でもアマゾンで赤盤、青盤の曲目リストを見ると、そんなに違和感はなくて、どれもベストに入るのにふさわしいいい曲ばかり。12曲とか9曲とか、いったい何を追加したの?という感じである。もともとの赤盤、青盤ってそんなに曲目少なかったっけ?という感じでもある。
そして通常は、リマスタリングなのだが、今回はリミックスだ。
リマスターというのは、古い音源に対して、ノイズ取りとかS/Nをよくしたりして音質を改善する処理のことだ。だからある意味、マスターテープの神様は変わらないし、いじらない。
でも、リミックスとなると、ミックスのやり直しだ。
もう神様が神様でなくなる。まったく別物の音楽になってしまう。
これは昔も日記に書いたことがあったのだが、そのときもビートルズのリマスター・リミックスについてだったのだが、リマスターは問題ないし、いい方向なのだが、リミックスってどうなんだろう?という疑問がある。
このテーマは、往年のビートルズファンの間ではかならず話題に上がる。
もうお決まりの儀式みたいなものだ。
ミックスから全部やり直すとなると、できあがったマスターは、もう音像の定位や立体感、左右のバランス、音場とかまったく別物になるんだろう。
そりゃ絶対悪い方向にする訳ないから、いいクオリティー向上の方向に改善する。
たぶんまず立体感だろうな。3D的に空間力が増すように改善されているに違いない。アップサンプリングで解像感も上げている?そして音場ももちろん広がっているんだろう。
音質をよくするリマスターと違って、リミックスって、その音の構成、音の鳴る空間像、楽器やボーカルの分離とか、音の立ち方、空間での定位の仕方やバランス、もう全部いじっていて、そのものを変えてしまうので、もうまったくガラ変になってしまう。まったくの別物になっちゃうんですよね。
それってビートルズのアルバムといえるのか?ということである。
ビートルズの曲ってそんなに分離よくバラバラに聴こえていいのか?
もっとゴチャっといっしょになって聴こえないとおかしいと思うんじゃないか?
往年のアナログレコードを聴いて育ってきたリアルタイム世代、自分のような第二世代のビートルズファンにとって、そういうリミックス音源を聴いて、はたして、これはビートルズの”あの”カムトゥギャザーだ、”あの”ジ・エンドだ、”あの”レット・イット・ビーだ、と思うかどうかだ。
そういう音源を聴いてきたファンが、そのリミックス音源を聴いて喜ぶかどうか。違和感を感じないのか。
これは毎回起こる議論、話題なんだよね~。
ボーカルや楽器が分離されたり、立体感が増したりすると、オーディオ的には快感でいい音と思うかもしれないけど、これってビートルズの曲なの?と思ったりしないのか。
昔からビートルズ音源のリミックス問題は、その是否で議論になる。
リマスターは問題が起きない。リミックスが問題なのである。
もっと広い心を持って、いい音で聴く。クオリティの高い音で聴けば、ビートルズの曲も、昔よりさらに新しい発見がでてきて、魅力も深くなっていく。
そして、なによりもオーディオ技術は日進月歩でどんどん進化している。いまやドルビーアトモスだ、Auro-3Dだ、などの空間オーディオ、空間における表現描写力を重要視する流れになっている。
そんな流れの中で、ビートルズの音源だけがその流れに逆らって、いまも昔のままの平坦なラジオのような音場のサウンドに甘んじている、というのはやはりオーディオ業界としてはあり得ないのだろう。
やはり時代の流れに沿って・・・という意味ではべつにそんなにおかしい行動でもない。
たぶん、オーサリングするエンジニアも全くビートルズを知らない世代がやっているとは思えないんだよね。ビートルズの曲をよく知っている人が、その原曲のイメージを壊さないように、原型を留めつつ、そして豊かなサウンドになるようにやっているのだろうから、そんな無茶苦茶なことはやっていないとは思うんだが。
この議論に決着をつけるには、自分がリミックス音源を聴いて自分でどう感じるかを確認すればいい。自分が受容できるか。
自分的に違和感を感じるんだったら大いに声を大きく上げればいい。
でもいまの自分は、そんな音の確認をするためだけに、赤盤・青盤で8,000円も出そうとは思わないんだよね。(笑)昔からなんだけど、そこまでやる気もないかな。どっちでもいいかな、という感じで。
でもリミックスは、ビートルズの曲の原型を変えてしまうので、違和感を感じるという気持ちはよくわかるのだ。自分の感覚的なものとして。
やはり、自分の脳裏には、中学生、高校生時代に一生懸命お小遣いをためて、ビートルズのアルバムを買って、アナログレコードで聴いていたあの音が、やっぱりビートルズなんですよ。あのサウンド、聴こえ方がビートルズそのものなんですよ。
若い世代の人はきっとリミックスのほうが、もう断然いい、と言うに決まっている。
既成観念、固定概念がない、白紙のキャンバスだから。
いい音で鳴っているこのビートルズの音のほうが全然いい。
そういう風に言うに決まっている。
まっそういうもんなんじゃないかな。毎回登場する議論だけど、まっそんなところでグルグルいつまでも回っている議論だと思います。
自分にとって、ビートルズの曲というのは、やはりアナログレコードで聴くサウンドがまさにビートルズだと思っています。(アナログレコードって、音質改善技術ってありましたっけ?(笑))