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ヤノフスキ&N響 定期公演 [国内クラシックコンサートレビュー]

よかった~~~。すっすごかった~~。(大滝汗)
                      
ヤノフスキ&N響の音が戻ってきた。この音、このサウンドを待ってました。
               
やっぱり前回はお疲れだったんですね。(笑)
トリスタンにあまりに完全燃焼し過ぎてガス抜きだったんですね。
                    
ていうか、ワーグナーにガラは合いませんよね。(笑)
余計消化不良でストレスになるだけだと思います。
              
このコンビは、やはりこういう音を出してもらわないといけない。
聴衆もそれを期待していると思います。
                         
じつにひさしぶりのNHKホール。ここはステージの音が客席に飛んでこないことで有名なのですけど、2階席でしたが、全然そんなに気にならず。十分楽しめました。すごい迫力でした。
                          
ヤノフスキが指揮をするN響はドイツのオーケストラの音がします。まるでドイツの楽団のようです。厳格で男らしい。無駄を排除した淡調感とは無縁のきっちりと骨格感のある音。
                                   
ヤノフスキはもともとドイツ音楽を専門として指揮者として極めてきたところがあるので、その遺伝子をN響にインプリして後世に伝えようとしている感じがします。
                                    
オーケストラは、ほんとうに指揮者によって出てくる音が全然違ってくる。いつも自分が思うのは、オーケストラの団員さんってすごい大変なんじゃないかということ。首席指揮者はもちろん、客演指揮者など、海外からたくさんの指揮者を招聘してくる。とくにN響のような資金力の安定している楽団は、その招聘力は凄いものがある。
                    
そのたくさんの指揮者1人1人に、自分たちのサウンド作りを委ねるのだ。
                              
リハーサル。
                             
その指揮者、指揮者で、いろいろなアプローチ、音作りがあって、それを叩き込まれて、その指揮者の数だけ、自分をカメレオンのように変幻自在に変化させていかないといけない。自分のような不器用な人はついていけませんね。
                                 
そのオーケストラをはじめて振る指揮者の場合、”ファーストコンタクト”と言って最初の30分だったかな(時間はよく覚えていない。)、この30分の間のリハーサルでの指揮者とオーケストラのやりとり、相性で、その後のすべてが決まってしまうのだそうだ。最初の30分間で両者間でしっくりいかない場合は、結局最後までその指揮者とオーケストラはうまくいかない。逆にすんなりうまく溶け合えば、その後がミステリーなサウンドを作り出すことができる。オーケストラの団員たちにとって、演奏していて自分を天国の境地に連れてってくれるような指揮者が最高なのだ。逆にこりゃあかん、と見限った場合、もうその指揮者の言うことは、そのまま右耳から左耳へスルーしながら、いっさい構わず自分たちで勝手にサウンドを作ってしまう。
                      
そんな感じなんだろう。
                                         
指揮者ってつらい稼業だ。あの指揮台に立って、大勢のオーケストラと面と向かって対話しながら、外国オーケストラであれば英語かドイツ語で説得していかないといけない。オケのみんなは受動態だから、指揮者ってツラいと思うな。孤独な職業だ。
                             
この最初の30分のファーストコンタクトですべてが決まってしまうのだ。
                                     
このファーストコンタクトは、自分は佐渡裕さんが初のベルリンフィルに客演ということで、NHKが連携取材してドキュメンタリーにした番組を見て知った。
                                 
佐渡さん、ドイツ語堪能なんですね。自分がずっと憧れていたベルリンフィルをはじめて振ることができる。ドイツ語で丁寧に一生懸命説明する佐渡さん。そのファーストコンタクトでじりじりと焦りが・・・
                                    
結局ベルリンフィルの団員たちからコンマスの樫本大進氏を通して、結局どういう音が欲しいのか、ダイレクトに端的に言って欲しい。そうすれば、その望み通りの音を作り出して提供する。
                                       
そんなことを言われてしまう佐渡さん。あわわ・・・ベルリンフィル怖ぇえ~。(笑)
                                      
佐渡さんを客演として招聘しようという動きはベルリンフィル内部のメンバーが発起人として動いたことだそうなので、やはり佐渡さんにはうまく行って欲しい、という願いからなのだろう。
                                    
指揮者とオーケストラの関係は、我々が想像している以上に難しい神経の磨り減る関係なのだ。もうお互い長年のパートナーでよく知っている間柄だとすごくやりやすいでしょうね。日本のオーケストラはみんなそういう良い関係が多いような気がします。
                                  
逆にN響のような海外からの招聘の客演指揮者が多い場合、オケの団員たちは大変である。良好な関係を築けるかどうか、ファーストコンタクトがうまく行くかどうか。。。
                                  
ほんとうにその指揮者によってどんな音を作りたいか、全然違うし、その作法も全然違う。その都度、その指揮者に自分たちを合わせる作業というのは大変ではないか、と思うのだ。とくに招聘指揮者の数が多い場合は。
                          
ヤノフスキのリハーサルは非常に厳しいそうだ。
かなり厳しいという話を聞いている。
                             
オケがうまくできないときは、事務所に怒鳴り込んでくる剣幕らしい。
                               
いっさいの妥協がない巨匠なのだ。
                              
自分がヤノフスキの指揮でなにがいちばん素晴らしいかというと、オーケストラから大きな大音量を出し尽くせる指揮者だということだ。これだけオーケストラを鳴らせる、これだけオーケストラから大音量を引き出せる、その手腕というのはなかなかそうはいないと思う。
                                    
指揮者にはほんとうにいろいろなタイプがいて、音楽の解釈に拘る、その解釈の仕方に自分の意見を反映させる、曲の最初から最後に至るまでの抑揚のつけ方、ドラマをいかに造るかに拘る人、その音楽の作り方、もういろいろである。
                                   
でもオケから大音量を引き出せる、オケを鳴らせる、ハードボイルドである、という基本は、なかなかできてない難しいところではないか。
                                     
もちろんヤノフスキの場合、ワーグナーを中心にドイツ音楽主体でやってきた人なので、もともと畑が違う人からすると違和感でしかないかもしれないが、自分は、ヤノフスキのそこが大好きである。
                                  
自分は聴いていて、オケをガンガンに鳴らして、自分を陶酔させてくれる指揮者が好きだ。終わった後もその余韻が続き、興奮が冷めやらない、そんなトリップさせてくれる男らしい指揮をする指揮者が好きだ。
                                       
指揮者によっては、カラフルな色彩感を強調したく、抑揚を大きく、全体をこう膨らませるような音作りをする人も多い。ヤノフスキはその反対で、非常に引き締まった音作りをする人で、全体がビシッとこう締まった感じで、どちらかというと機能的でシンフォニック的な音作りだ。そしてとにかくテンポが早い。すごい高速な人で、もうサクサク進んでいくという感じである。
                                         
もっと叙情的に歌い上げるようにやってほしい、という声もあるが、自分はヤノフスキのワーグナーを聴いている限り、もう十分すぎるくらいドラマティックで陶酔感があると思うし、かなり酔える。それでいて高速でハードボイルドで引き締まったサウンドである。
                                         
もうヤノフスキのワーグナーに身を沁みつかせてしまうと、昔のワーグナー録音や演奏には戻れないような気がする。古臭く感じてしまい、とても聴いていられないような気がする。
                                       
東京・春・音楽祭、そしてN響定期と長年のヤノフスキとN響との共創作業で強固なパートナーシップと信頼関係に結びついている両者。
                                          
すっかりヤノフスキの音造りのノウハウを叩き込まれているN響。
                                   
その鉄壁のコンビで繰り広げられた今日の公演は圧巻だった。
                                    
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シューベルト 交響曲第4番「悲劇的」とブラームス交響曲第1番。
                            
シューベルトの4番は、軽やかさと重厚さが相まみえた不思議な曲調で、でもそこにヤノフスキらしい厚い重厚なサウンドに光るものがあって絶品だった。この曲は、あまり自分は経験の記憶にないのだが、なかなか素晴らしい曲だと感じた。
                                   
そうしてなによりも本命は後半のブラ1だろう。まさにドイツ音楽そのものというカラーのブラ1。自分は昔、2011年頃のベルリンフィルのヨーロッパコンサートで、バレンボイムが指揮したブラ1が名演で忘れられない。ヨーロッパコンサートなので、イギリスの教会のようなところでの特別演奏会なのだが、なかなか理想に近い演奏だった。
                                        
ブラ1というと、自分の頭の中にはその演奏のイメージが強くこびり付いているので、最初にヤノフスキのブラ1を聴いた瞬間、速すぎるよ~。(笑)あまりにサクサク進むので、速過ぎると思ってしまった。ブラ1の冒頭は、あの歌い上げるような腰のある、というか、そういう演歌のこぶしのような粘りが必要だと思うのだが、ヤノフスキのブラ1は、かなり機能的でサクサク感満載で、あっけない感じでどんどん進んでいく。
                     
でも第2楽章、第3楽章では美しく歌わせるところは、美しく歌わせ、充分に緩急を示していた。決して一本調子ではない。やはり最終楽章が見せ場、最高のクライマックスであろう。
                       
あれだけ速かったテンポを若干緩め、重厚感たっぷりに鳴らすその音のさまは、まさに圧巻そのものであった。この第4楽章を聴いただけでも、ヤノフスキは速いだけではない、充分歌わせるだけの緩急はあると確信できる。
                  
まさに酔えたブラ1であった。
                               
自分はブラームスの交響曲第1番は、ブラームスがその着想に20年かけたというだけあって、曲の構造や音階の進行がかなり大仰な感じで、ちょっと大げさだよな~という印象を昔からずっと持っていた。もっとさりげない軽さというのがあったほうがいいと思っていた。とにかくブラ1は大仰なのだ。
                                   
でもこの日の最終楽章を、このヤノフスキ&N響の重厚なサウンドで聴けて、やはりこれくらいじゃないと大作とは言えないなと思い直したところである。
                  
シューベルトとブラームス両方において、首席オーボエ奏者の吉村さんが大活躍だった。ソロパートが多く、すごい目立っていて素晴らしい大活躍だと思いました。ブラボー!
                      
                                  
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(c) NHK交響楽団 NHKSO Facebook
                              
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2024年4月 N響定期公演
2024年4月14日(日) 14:00~
NHKホール
                        
指揮:マレク・ヤノフスキ
                 
妥協なき巨匠と拓くブラームス<<第1番>>の新たな世界
NHKホール<Aプログラム>
                     
シューベルト 交響曲第4番 ハ短調 D.417「悲劇的」
                            
ブラームス 交響曲第1番 ハ短調 作品68
                   
                     
                   
                                   
                    
                             

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川本嘉子 ブラームス室内楽 11年間ありがとう! [国内クラシックコンサートレビュー]

ついにこのときが来た、という感じである。なにごとにも終わりがある。東京・春・音楽祭の看板公演だったブラームス室内楽が、11年目の今年をもって終了である。

                                        

ほんとうにご苦労様、そしてブラームスの室内楽のことをいろいろ教えてくれてほんとうにありがとう!である。ひとつのテーマについて掘り下げていき、それを11年間も続ける、ということはなかなかないのではないか。

                     

自分もずっと最初の頃から聴いてきて、ブラームスの室内楽とは、ということでほんとうに勉強させてもらった。ブラームスの室内楽に対して、広く大きな外枠のイメージを抱くことを可能にさせてくれた。心から感謝いたします。そしてその労を心から労いたいと思います。

                          

その最終公演となった今日。凄かった~~~。(笑)とくに音!こんなにすごい音。。。やっぱり生演奏はスゴすぎる。音量が桁違いだ。この音量感はなかなか実演でないと無理だろう。そして弦の厚み、ハーモニー感、和声感のある重厚な響き、そしてもう毎度おなじみの圧倒的なD-Range。すべてにおいて桁違いのスケールだった。

                

弦楽四重奏だった訳だが、各々の4人が輝いていた。

ひとりひとりがスター的な存在で、とくに若手2人が素晴らしかった!

                         

この11年間を振り返ってみて思うのだが、川本嘉子さんはNHK大河ドラマの主役だったのではないか。

                      

NHK大河ドラマは1年間の長丁場である。その長丁場を視聴者に飽きさせずに乗り越えていくには、ある意味、ドラマ自体が群像劇的な要素を持ったほうがいいのではないか。

                                

その時期、その期間で、魅力的なキャラクターが光るサブの主役たちが登場して、話題をさらい番組を盛り上げる。そういうサブの主役がたくさん登場すればするほど結果として番組は盛り上がり、1年間という長丁場では成功するのではないか。

                 

オレが、オレが、という主役主導型だと1年間持たせるのは大変だろう?

              

そういう群像劇的スタイルのキャラクターの立たせ方が肝を握っていると思う。

                          

もちろん主役としてつねに中心軸をしっかり掴んだまま、そのときのサブの主役たちを縁の下の力持ちのように下から支えて暖かく見守る。そういうサブの主役たちがたくさん登場して、活躍すればするほど、結果としてそのドラマは大成功する。主役にはそういう大人の器量というのが必要なのではないか。

                           

そして終盤になって行くにつれて、どんどんドラマを締め上げていき、最後はきちんと主役として圧倒的な存在感を示して終了する。それが長丁場の主役の在り方なのではないか。

                

なんか、東京春祭のブラームス室内楽を11年間に渡って見てきて思うのは、そんな主役の在り方が川本嘉子さんの立ち位置だったような感じがする。

                               

11年間の間、昔は同じ釜の飯のサイトウキネン、水戸室などの小澤ブランドの仲間で占めることが多かったが、後半の近年はもう積極的に若手を登用し、いかに若手が話題をさらっていくか、そんな暖かく見守るそんな主役の立ち位置だったように思う。

                          

これって簡単に言うけど、結構大変なのではないでしょうか・・・。

11年間に渡り、毎年つねに新しいメンバーを立たせながら、自分はホストとしてずっとシリーズを支えていく、というのは大変な重責だったと思います。

                

ほんとうにご苦労様としかいいようがない。

なかなか誰にでもできることではないと思います。

                          

自分にとって、ブラームス室内楽は、N響ワーグナーと並ぶ東京・春・音楽祭の看板公演だった。東京春祭では、かならずこの2公演は必須である。それに興味のある公演が出てこれば、それをアドオンしていく。そんな手法である。

                          

ブラームス室内楽の存在を知ったのは、2015年の頃かな?ミューザ川崎のホール空間を設計なされたACTの小林洋子さんの自由が丘事務所でおこなっている室内楽に参加したときである。川本嘉子さんと三舩優子さんのデュオでヴィオラリサイタルだった。ブラームスのヴァイオリン・ソナタをヴィオラ版にした譜があって、それを演奏されていた。

                      

それに大層感動して、そして東京春祭でブラームス室内楽をやってます、という紹介で知った。ブラームス室内楽は2014年からだから、ちょうど2年目からずっと聴いてきたのである。(途中チョンボでスッポかしたこともありますが。。笑笑)

                       

その自由が丘事務所で川本さんとツーショットの写真も撮りましたよ。(笑)10年以上前だから、いま見返してみるとお互い若い!(笑)自分はとてもシャイな性格なので、アーティストとツーショットの写真を撮ることはまずない。というかお願いできない。

                   

いままでツーショットの写真があるのは、川本嘉子さんと小澤征爾さんだけである。

                            

自分のクラシックの鑑賞歴においても、たとえば、ブラームスの室内楽だったら、それを11年間も聴き続けるという経験はなかった。自分にとっても初めての経験であった。

                 

長いようであっという間で短かったように思う。

                          

ヴィオラは、オーケストラの中では内声の役割で、縁の下の力持ちだ。

ところがヴィオラ奏者がソリストとしての立場になることが多くなった。

                   

日本クラシック界のヴィオラ奏者のレジェンドである今井信子さんの功績も大きい。

                             

ヴィオラの地位を上げたのが、まさに今井信子さんだ。欧米でソロ奏者、指導者として尊敬される存在で、小澤征爾さんらマエストロたちからの信頼もあつい。

                

まさに日本のクラシック界にとってヴィオラのレジェンドである。

                         

自分の世代だとタベア・ツィンマーマンが好きだったな~。自分はファンでした。大好きなヴィオリストでした。myrios classicから出る彼女のSACDは自分の愛聴盤でした。彼女もヴィオラという楽器を内声的役割ではなく主旋律として使って、ヴァイオリンの曲を、どんどんヴィオラで演奏するというようなチャレンジをしていった奏者で革命的だったと思う。

                         

ソリスト用のヴィオラ専用の曲というのは、当初はなかなかなかったが、タベア・ツィンマーマンのようないわゆるヴィオラ版という形で編曲して演奏するというアプローチが多かったように思う。

                 

今上天皇さまも学習院大在籍のときオケでヴィオラを弾いていらっしゃったのですよ!

                             

ヴィオラは何といってもその暖かい音色、人を恍惚とさせる周波数帯域のその音色がなんといっても魅力的だ。まさに懐の深い倍音である。

                      

この心地よさ、気持ちよさはチェロの音色にも通じるところがありますね。

                                                 

そんなヴィオラという楽器で、いまやソリスト級としての扱い、ヴィオラをひとつの独立した存在の楽器として扱う演奏家、まさにいまの時代のヴィオラの顔なのが、川本嘉子さんだ。

                                               

川本嘉子さんというと、自分にはずっと謎がある。それは音楽家仲間や裏方さんは、みんな彼女のことを、”いねこ”さん、”イネコ”さんと呼ぶことだ。

                                            

どうして「いねこ」さんなのか。

まったく想像つかない。

                                            

なんか、東京都下で女子高なのに、なぜか男子生徒までいるという奇抜な学校(笑)で、ヴァイオリンを習っていたときのこと。なんの拍子か、先生だか友人だかが、「嘉子」を「いねこ」と読む、と信じ込んだんだな。その方たちは嘉子さんのことを、それからというものの「いねこ、いねこ」と呼び続け、一向に直してくれようとはしなかった。そしていつのまにか、まわりの友人も学友もそれを面白がり、「いねこ~」やら「いねちゃん」と呼ぼれるようになったそうだ。

                                                   

この神話のルーツはたぶんそういうことらしい。

長年の謎がいまようやく解けた。

                               

                                           

川本さんのインタビューでこんなことを言っていて、自分はなかなか興味深く拝読した。

                                                         

・・・・・・・・

                                      

                        

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「私がバイオリンからビオラに転向した二十数年前、親は悲しくて泣いていた」。

                                      

ヴィオラの場合、ベートーヴェンの作品でも、しばらくは音にどんな意味があるのかわからなかったです。というのも、指揮者もメロディを弾くヴァイオリンなどにはきちんと指示をするのですが、ヴィオラをどうするかを考えていない人が多いからです。私は周りの息遣いや動作に合わせて引いていました。最近はヴィオラの内声としての意味が考えられるようになり、指揮者も上手く操作してくれる人が多いです。またオケのヴィオラ奏者も個性が多様化したように思います。

                           

ヴィオラ奏者はヴィルトゥオーゾというよりは音色のよさが求められます。私は前に出るのが苦手なので、ヴィオラの転向によって前に押し出されるのを回避できました。両親は始め理解を示しませんでしたが、ここまでくると転向してここまでやってきたことがえらいという風に変わってきました。わたしとしては楽しみながらやってきました。

                          

ロシア生まれの世界的ヴィオラ奏者、ユーリ・バシュメットが日本でリサイタルをした記事があり、ヴィオラでもソリストとして生きていけることを知り、衝撃を受けました。ベートーヴェンがそれまでの作曲家と違い、パトロンの庇護を受けずにフリーランスの音楽家として成功したのと同じくらいのイノベーションを感じ、興奮したことを覚えています。

                

プリムローズという天才の活躍後は、バシュメット、カシュカシアン、今井信子さんたちが世界を駆け巡り活躍していたので、ヴィオラの可能性はITで起業に挑むような心持ちでした。

                     

                 

・・・・・・・・

               

今日の公演の弦楽四重奏第3番の第2楽章だったかな?

                             

いままでヴァイオリンが主旋律で、ヴィオラが内声という役割が反転して、ヴィオラが主旋律を担い、ヴァイオリンが内声というスタイルでヴィオラが朗々とメロディを歌うというところがあって、これがめちゃくちゃカッコよかった!川本さん、最高にカッコいいと思いました。

                  

そんな世間が言うほど、ヴィオラは地味だとは思いませんけどね。

                 

11年目でついに最終章となったブラームス室内楽。

最後は弦楽四重奏だった。

               

                            

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ヴァイオリンに周防亮介、小川響子といういま最高に注目の若手を起用し、チェロ:向山佳絵子という長年の親友パートナー。

                

               

周防亮介、小川響子というホットな2人は最高に楽しみだった。

もうこういう機会でないと自分の場合、なかなか聴くチャンスがない。

                                   

小川響子は、先日のシューマン室内楽マラソンコンサートで堪能した。葵トリオ、そしてデュオと鑑賞したが、すごく目立っていてレベルが高くいい奏者だな~という印象だった。

               

自分が驚いたのは、弦楽四重奏第2番の第3楽章だったかな?自分の座席からはこのとき1stだった小川の姿を直視する感じなので、一心不乱に観ていた。とにかくすごい熱演で、激しいボーイングに、演奏に興を高じて、椅子から体を浮かすアクションを何度もするくらいの激しい演奏で、それも4人全員が同じテンションの激しさ。

                  

これは痺れました~~~。

                     

小川響子すごいよ~。オガキョ、凄い!

                           

彼女はほんとうにすごいヴァイオリニストだということが、この時点でしっかり自分の頭の中に刻み込まれました。やっぱり印象は最初が肝心。彼女に対しては、このイメージをずっと持ち続けることになるでしょう。

               

日本のクラシック界の未来は明るい。

                  

ヴァイオリンは、1stと2ndは、周防亮介、小川響子が交代で務めた。

                       

自分が最高に楽しみだったのが、周防亮介。ご活躍はずっと存じ上げていましたが、いつかは実演に接してみたい、とずっと思っていたので、念願かなって最高にうれしかったです。

                   

見た目、中性的で性別不詳なのですが(名前からすると男性なのかもですが、よくわからないです。)、それがかえって、ミステリアスな感じがして自分は昔から気になっていた存在でした。

                           

非常にスマートで、端正な奏法で、なんか外見のエレガントな感じとよく合っていて、カッコいいな、と思いました。男である自分から見ても、なんかちょっとカッコいい、惚れてしまう、そういう魅力があります。なんか魔訶不思議な魅力ですよね。

                            

一度、ヴァイオリンソナタでじっくり演奏を聴いてみたい感じがします。

すごい気になっていたヴァイオリン奏者だったのでした。(笑)

                                 

川本嘉子ブラームス室内楽のチェロと言ったら、もう向山佳絵子さんしか思いつかないですね。若手じゃ無理です。(笑)まさに川本さんの親友パートナーで、ずっとこのシリーズでチェロ、そして川本さんの相棒として重責を果たしてきました。まさにこのシリーズの顔と言っていいのではないでしょうか?

                          

自分の記憶ではレギュラー出演だったような気がします。チェロで若手というのは、曲に応じてそういうこともあったかもですが、基本は、毎年のレギュラー出演だったと思います。まさにこのシリーズでなくてはならない存在だったと思います。

                  

今回の座席は、向山さんのチェロの音色が飛んでくる方向に座っていたので、いつもより低弦のゾリゾリ感が凄く迫力がありました。

                             

演目は、ブラームスの弦楽四重奏の第1番、第2番、第3番。

まさにこれぞブラームスという重厚な旋律で、ホールの響きも素晴らしく、生演奏ならではの迫力サウンドだったので、もう圧倒されました。

                    

11年間、毎年名演で、優劣つけれませんが、優秀の美ということで、この最後の公演をベストとして推挙しても許されるのではないでしょうか。

                                 

誰も文句は言わないと思います。

               

それだけ素晴らしい公演でした。

                    

来年から東京春祭でブラームス室内楽を聴けないと思うと、なんかさみしいな~とは思います。

              

この11年間の歴史、歩みは、川本嘉子さんの演奏家人生の中で、揺るぎない金字塔、キャリアとして永遠に語り継がれていくことでしょう。そしてもちろん、これだけのチャンスを与えてくれた春祭実行委員長の鈴木会長には、まさに感謝しかありませんね。

                     

                                 

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(c)東京・春・音楽祭 Facebook


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東京・春・音楽祭2024  ブラームスの室内楽 XI

                      

2024年4月13日 [土] 18:00開演

東京文化会館 小ホール

                  

ヴァイオリン:周防亮介、小川響子

ヴィオラ:川本嘉子

チェロ:向山佳絵子

                  

ブラームス:

弦楽四重奏曲 第1番 ハ短調 op.51-1 

弦楽四重奏曲 第2番 イ短調 op.51-2 

弦楽四重奏曲 第3番 変ロ長調 op.67

               

                      

                    

                         

                                    




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東京春祭ワーグナー 「ニーベルングの指環」ガラコンサート [国内クラシックコンサートレビュー]

オペラアリアコンサートというのは、オペラの見どころ、聴きどころであるアリアを中心に編成するプログラム。CDやコンサートの両方でよく使われる手法だ。


オペラは全曲、完結編を観るとすごい長いので、そのいちばん美味しいところのアリアだけを抜粋して楽しみましょう、というコンセプト。


自分はいままで、このオペラアリアコンサートをすごい愛用してきた。たとえばベルカントオペラを親しみたいと思ったら、グルベローヴァさまのCDでオペラアリア集のCDを聴く。ほんとうに素敵なアリアだけで編集されているので、いわゆるベストアルバムみたいなもので、飽きないし、楽しい。そしてイタリア、ベルカントオペラの演目を網羅して、ベルカントオペラなるもの、その全体を俯瞰できるメリットもある。1から全曲、オペラ完結編を観るより、ずっと効率的で楽な手法である。コンサートについてもしかり。オペラアリアコンサートというのはよく使われる手法である。自分なんかオペラを観るよりも、このオペラアリアコンサートのほうが好きかもしれない。


先日のトリスタンとイゾルデで、まさに世紀の大名演を演じてくれたヤノフスキ&N響。

今回は、ワーグナーの最大の大作「ニーベルングの指環」のガラコンサートである。

いわゆるリングのオペラアリアコンサートである。


これは当然もうすごい期待するに決まっているじゃないですか!

リングのオペラアリアですよ!

トリスタンのときと同じあの感動、震えがもう一回味わえる。

あの熱量をもう一度。そう考えるのがあたりまえじゃないですか。


自分はもちろんトリスタンと同レベルの感動を求めて会場に行きました。


結果としては、もちろん素晴らしいコンサートで感動もしたし、いわゆるガラコンサート、”祝祭”という観点からその役割は十分果たしたと思います。


素晴らしかったです。ブラボー!

詳細な公演レポは後述。


じつは、正直なところを申しますと、自分はこのリングのガラコンサート。いろいろ思うところが多かった。まず聴いていた瞬間、トリスタンのときのような熱い感動は得られなかった。そしてヤノフスキ&N響もトリスタンのときのようなキレッキレの演奏とはかなり程遠く、かなり散漫で緩い演奏だったように思う。オーケストラが引き締まってなかった。筋肉質の引き締まったサウンドが真骨頂のヤノフスキ、おそらくN響をリハーサルのときから締めに締めあげて徹底的に追い込んで作っていくヤノフスキサウンド。その片鱗が見られなかった。かなり緩い演奏だったように思われた。


トリスタンがあれだけキレッキレだったので、さすがのヤノフスキ&N響もお疲れだったのかしら?(笑)人間なんだから、そんなに連日連夜、緊張を持続させるのは難しいですよね。波があって当然です。こういうときもあるさ。。。自分は聴いた直後はそのように思っていた。


でも、そうじゃないんだよね。なんか自分の中でしっくりくるものがない。頭がこれだっ!という感じでロックしない。なんかモヤモヤしている。真理をついていないからだ。


そうして終演後6時間後経ってからかな。ずっともやもやを続けながら考え続けて、昨晩の23時頃。自分はようやくたぶんこういうことなんじゃないかな、という真実に辿り着いたような気がする。


その真実とは・・・


ワーグナー音楽は、ガラコンサート(オペラアリア)とは合わないのではないか?


ということである。


昨日、自分がいちばん違和感を感じたのは、短すぎる、あっという間すぎる、ということである。1アリアにつき、もう20分くらいで終わってしまい、そしてその都度拍手である。


自分はこの拍手が、すごく精神を集中させているときに邪魔になるもの、阻害するものだと、このときほど感じたことはなかった。ふつうのワーグナーオペラのように、1時間から2時間くらい1幕をびっちりやって、聴衆はずっと沈黙を守り続け、そしてそれから拍手ならわかるのだけど、20分間隔で拍手はもうその都度、ブツブツと切れる感じなので、緊張が続かず、散漫な印象を受ける。


やはりワーグナーは、長くないとダメなんじゃないか。


なぜワーグナー音楽は陶酔するのか?酔えるのか?


それは旋律とか、ライトモチーフとか、いろいろな要因はあるけど、じつは長いから、というのも大きな要因のように思う。まさに長いオペラ、4時間から5時間かけてずっと聴いてきているからこそ、そういう想いがどんどん内部に蓄積されてきて、そういう想いがあるからこそ、最後のエンディングは、いままでずっと聴いてきた、そういう到達感というか、そういう想いが一気に胸に込み上げてきて、最後は万来の気持ちで感動する、いや感傷的になると言ってもいい。ワーグナーのオペラが長い、というのは、じつはそういう作用効果を生むポイントにもなっているのではないか。


そういう長い尺の中で、出てくる素敵なアリアも、そういう助走の部分があってこそ、そこのアリアの素晴らしさが際立つのであって、そのアリアだけを抜粋してポンと持ってきました、というだけでは、感動できないのではないか、ワーグナーの場合。


クラシック音楽というのは、交響曲なら1時間という枠組みの中の作品構成でそのシナリオ考えながら作曲されているので、その美味しいところの一部分だけを抜粋して持ってきても、感動具合からすると、減少してしまうのではないか。


完成体な枠組みの中で捉えないと、その感動具合はかなり減るのではないか。オペラアリアは確かに美しい素敵な箇所で、それだけでも魅力があるのだけど、じつは作品全体としてのフレームの中で捉えられる方がその本質の素晴らしさが損なわれないのではないか。クラシックはもともとそのように設計、作曲されているのではないか。


自分はいままであまりこのことを意識したことはほとんどなかった。いやまったく考えていなかった。こういうことを問題提起したこともなかった。


でも昨日のリングのガラコンサートを拝聴して、結局なにかどこか満たされない、欲求不満のようなストレスみたいなもの、そういうモヤモヤを感じていたのは、そこが原因なのではないか。


自分はトリスタン全曲演奏のときのような、昇天して逝ってしまう。あの突き抜けるような感動。。そういうものを期待していただけに、昨日のコンサートは、どこか消化不良のようなモヤモヤみたいな満たされないストレスがずっとつきまとった。


それは誰が悪い訳でもない。ヤノフスキ&N響が悪い訳でもない。


ワーグナーには、ガラというのが合わないんじゃないか?


ここに行きつくのかな、とようやく解脱した。


ワーグナーはやはり4時間~5時間の長編のドラマをずっと聴いてきて、そこにうねるような毒のある音楽性に身をゆだねながら、そこに陶酔していく、そういう長い前ぶりがあるからこそ、その見せ場のアリアで、その快楽は頂点に達する。


そういう仕掛け、前ぶり、助走が必要なのではないか。そういう全体のフレームの中で捉えないと酔えない、うまくその魅力を伝えるのが難しい音楽なのではないか、ワーグナー音楽というのは。


いくら美しいアリアでも、そこだけをポンと抜粋して持ってきて並べてみても、いっこうに酔えない、感動できないのは、ワーグナー音楽にはもともとそういう特徴、構成美があるからじゃないか。


このことは実際演奏しているN響にも大きな影響を与える。なにせ20分くらいで1アリアが終わってしまうので、団員たちはどこにピークを持っていけばいいのか、そういうストーリーが見えないので、なんかこうぐっと集中できない。わずか20分で、エンジンがかからなううちに終わってしまう。なんか昨日の演奏を聴いていると、ずっとそんな印象を受けた。オケが乗れない、というか、乗っていけないというような感じ。どこか消化不良なのである。


N響も前半よりも後半のほうが圧倒的に良かった。前半あまりに散漫で緩い演奏で、引き締まってないので、これがヤノフスキの音か、と自分は耳を疑ったし、座席が悪いのかな、とも思ったりした。後半になり、最後の神々の黄昏のブリュンヒルデの自己犠牲のところは、さすがであった。これだよ、これ!ようやくヤノフスキ&N響のサウンドが戻ってきた。


一糸乱れぬ調和のとれた弦の厚いハーモニーで、もうグイグイ攻めてくる。高速でハードボイルド。まさにあの鍛え抜かれた、ヤノフスキがN響に対して徹底して追い込みに追い込んで作り出していくサウンド。やっぱりN響は、ヤノフスキに鍛えられるようになって以来、その音がよりドイツの楽団の音がするようになったと思います。


それが復活してきた。


こうでなくっちゃ、である。

それを感じたのが、後半。とくにラストの大団円である。


4時間なら4時間、5時間なら5時間という長い尺の中で、その物語性を音楽絵巻物語のように表現しながら、そのところどころでピークに持っていく、そういうバイオリズムというか波があるものなんじゃないか。そういう波があるからこそ、そしてそれが長いからこそ余計その反動でピークは大感動するのではないか。それがワーグナー音楽なんじゃないか。


そのピークだけを抜粋して、並べてもなんか消化不良的なモヤモヤがあって感動できない。


ワーグナー音楽には、そういう罠があるんじゃないか。


ワーグナーは、ガラが合わないのではないか。


自分は、昨日ずっとモヤモヤとしながら考え続けて、ようやく到達した解脱ポイントはここであった。


こういうことっていままで考えたこともなかったです。まったく露にも考えたことがない。オペラアリアは美しくて、楽しい。その一点張りで、そういうもんだと思っていました。


また、先日ののだめクラシックコンサートの日記でも書いたように、結局若い世代の人が、なかなかクラシックに入れ込めないのは、長いからでないか。若い人は、そのサビの部分だけ、美味しいところだけを望んでいる。若者が耐えられる時間は3分である。


と現在のクラシックが若い世代に普及して行かない理由を分析したりした。


でも、その見解もクラシック音楽のほんとうの魅力を伝える上では、間違っているというか、暫定処置、応急処置みたいなもので、本筋ではないのかな、と思うようになりました。


はっきり言いますと、もう自分はなにがなんだか、よくわからなくなってきました。(笑)

じゃあ、どうすればいいのか、とか。

やっぱり世の中、クラシックの世界は深すぎますね。


そんなに簡単に世の中の真理は見通せないですね。


また迷い道の迷いネコ(犬ではない)のようになってしまいました。


自分は、リング、いやワーグナー作品のガラコンサートという経験は今回が初めてでした。昔、リングのアリアを自分のものにしたくて勉強したくて、そういう名もなき指揮者、オーケストラのコンピレーション・アルバムのようなアリア集を買ったりしたけど、やはり感動しなかった。というかあくまで勉強のため、という位置づけなので、それでポイだったな~。ワーグナー音楽にはそういう罠がある、ということは、実演に接してみて、今回初めて理解できました。クラシック人生での初体験です。自分もまだまだ勉強するところが多いと思いました。


もちろん企画する側もまったくそのようには思っておらず、自分と同じ、ワーグナーのニーベルングの指環ですよ!リングですよ!それのアリア集ですよ!もう最高に感動するに決まっているじゃないですか!


という多大な期待を寄せていたに違いない。


自分も間違いなく、そのように期待していましたから。

誰も責められないです。誰が悪い訳じゃないです。


思ってもいなかったことだった、ということだけじゃないでしょうか。(笑)


もちろんこれは自分の気持ち、自分の解釈ですので、人はいろいろな感性で感じるので、一概に正しいとは言えないです。みなさんが正直に自分の感性に感じられたことがいちばん正しいと思います。それが一番だと思います。


ガラコンサートというのは、そもそも”祝祭”の意味を持つコンサート。今年で東京・春・音楽祭も20周年ということで、その祝祭もかねて、こういう特別企画のコンサートを催したということなのだと思います。


またガラコンサートとしては、もう充分過ぎるくらい素晴らしいコンサートで、もう充分その役割を果たしていたのではないか、と思います。


ワーグナーのガラコンサートって、世界中でも頻繁に開催されるものなんでしょうかね?

そういう事例はたくさんあるんでしょうかね?


自分は、今回初めて体験しました。大変貴重な経験で、いろいろな発見もできて、自分の認識も新たになり、そういう意味でも自分のクラシック人生の中でも忘れることのできないコンサートとなりました。メモリアルなコンサートだったと思います。



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東京・春・音楽祭20周年を記念とするアニバーサリーコンサート。

ワーグナーの大作「ニーベルングの指環」四部作のアリアで構成された贅沢なガラコンサートとなった。


採用されたアリアは、


序夜《ラインの黄金》より第4場「城へと歩む橋は……」~ フィナーレ 

第1日《ワルキューレ》より第1幕 第3場「父は誓った 俺がひと振りの剣を見出すと……」~第1幕フィナーレ

第2日《ジークフリート》より第2幕「森のささやき」~フィナーレ

第3日《神々の黄昏》より第3幕 第3場ブリュンヒルデの自己犠牲「わが前に 硬い薪を積み上げよ……」


まさにリングのアリアならここ!というほどの贅沢な選択で、ワーグナーファンにとって文句のつけようがない満足のいくものであったであろう。


歌手陣は大変充実していたと思う。


とくに自分がいちばん推しというか素晴らしいと感じたのは、神々の黄昏のブリュンヒルデのエレーナ・パンクラトヴァ(ソプラノ)。


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先だってのトリスタンとイゾルデでは、イゾルデ役にいっせいに批判が集まり、もう可哀そうな感じであった。(笑)たしかに声量控えめで、あまりワーグナー歌手という感じでない優しい感じなので、そこに主役を張るだけの存在感を感じずに、そういう評価になったのだと思うけど、自分は最初こそたしかにちょっと不安定な要素が多く、不満にも思ったけど、その後、喉が温まってきたらヒートアップしてよく健闘していたと思うけどな。最後の愛の死もよく頑張ってくれて自分は大感動しました。


なんか、SNSの投稿って誰かが口火を切ると、それに畳みかけるように同じように批判する傾向があるので、なんか可愛そうだな、と思いました。みんなと違う意見を言うことも勇気だと思います。


今日のこのエレーナ・パンクラトヴァは、声量も抜群で、深いヴィブラートがかかり、声色コントロールもなかなかなもので、いい歌手だなと思った。いかにもワーグナー歌手という感じで、彼女がイゾルデ役だったらよかったかもな~、とも思ったりもした。


やっぱり圧巻は、ラストのブリュンヒルデの自己犠牲。まさにリング、神々の黄昏でもっとも感動するアリア、大団円であり、その荘厳な終結は、その余韻含めほんとうに美しい。自分が今回のコンサートでもっとも感動した場面であり、文句のつけようがなかった。N響のサウンドも重厚で雄大なスケール感の大きいサウンドがここに来てようやく復活してきた。これこれ、この音。こうじゃなきゃいけない。。。この音を聴きに来ました。。そう確信した最高の出来栄えであった。


ブリュンヒルデは歌い終わった後も、N響があの感動的な旋律を奏でる中、役にそのまま入り込む続けるその熱演ぶりで、その余韻をずっと維持し続けてくれた。素晴らしかったと思う。



ローゲとジークムンド、ジークフリードの3役をこなしたヴィンセント・ヴォルフシュタイナー(テノール)


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甘く、深い声帯の幅を持った器感のある余裕のあるいい声をしていて、いい歌手だと思った。1人3役という難関もなんなくこなし、それぞれの役割に華を添えるだけの歌い手としての余裕があったように思う。自分は個人的にジークフリードのアリアが好きなんですよね。ジークフリードはあまり女声がでてこない男声中心のオペラですが、そんな男声の魅力をじゅうにぶんに伝えてくれるのがジークフリードなのです。このジークフリードを歌っているときのヴォルフシュタイナー氏は素晴らしいと思いました。



その他に、ヴォータンを歌ったマルクス・アイヒェ。相変わらず彼は素晴らしい。もう宝物のようないい声していますね。彼が発声するだけで、いちだんとエネルギー感が違うというか、かなり目立つ声をしていると思います。東京春祭ワーグナーシリーズの常連さんです。毎年ありがとうございます。



日本人歌手も健闘した。フリッカの杉山由紀さんは、はじめて体験しましたが、なかなかVividな声の持ち主でインパクト大きいな、と思いました。岸浪愛学氏も柔らかいマイルドな声の印象で好印象。やはりいちばん印象に残ったのは、森の鳥の中畑有美子さんではないか。バンダのように2階席から歌う場面、そしてジークフリードとのやりとり、魅力的だと思いました。その他の日本人歌手もみなさん健闘しました。素晴らしかったです。



トリスタンのときは、その悪質なフライング拍手、ブラボーに心底嫌な思いをしたが、今回はまさにパーフェクト。マエストロや主催者側の意を汲むように、終演後、しばらく数分間の沈黙。やはりクラシックのコンサートはこうでないといけないと思います。終演後の余韻ってすごく重要だと思います。これでそのコンサートの重みが違ってきますね。


東京・春・音楽祭で、2014年のラインの黄金から始まって、2017年の神々の黄昏まで、東京春祭ワーグナーシリーズでN響とリング四部作を振ってきたマエストロ・ヤノフスキ。今回、その同窓会とも言えるべき顔合わせと懐かしい調べに涙しましたし、あの当時から10年経ったんだな~です。


あの当時のこと、よく覚えてますよ。毎日が無我夢中でした。

今年の東京春祭20周年に相応しいアニバーサル・コンサートだったと思います。


ヤノフスキ、4月13日、14日のNHK定期演奏会にも指揮をしてくれます。自分は13日だけだと思って、チケットを取ったら、なんと!川本嘉子さんのブラームス室内楽の日と被っていました。残念!今回は諦めかな、と思いましたが、なんと4月14日も同プログラムであるんですね!N響のFBの投稿でそのことに気づき、急いでチケットを取りました。14日の日、ひさしぶりのNHKホールに見参します。シューベルトの交響曲と、ブラ1です。楽しみ~。


今回の来日で話題になっているヤノフスキ先生のおやすみポーズ、自分のカメラで撮ることができました。(笑)まさにトリスタンからずっと日本滞在しているヤノフスキ先生。日本食を十二分に楽しまれているのでしょうか・・・きちんと洗濯していますか?(笑)



Copyright:NHK交響楽団 Facebook


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Copyright:東京・春・音楽祭 Facebook


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The 20th Anniversary

ワーグナー『ニーベルングの指環』ガラ・コンサート


2024年4月7日 [日] 15:00開演(14:00開場)

東京文化会館 大ホール


出演・曲目

舞台祝祭劇『ニーベルングの指環』より


序夜《ラインの黄金》より第4場「城へと歩む橋は……」~ フィナーレ 

ヴォータン:マルクス・アイヒェ(バリトン)

フロー:岸浪愛学(テノール)

ローゲ:ヴィンセント・ヴォルフシュタイナー(テノール)

フリッカ:杉山由紀(メゾ・ソプラノ)

ヴォークリンデ:冨平安希子(ソプラノ)

ヴェルグンデ:秋本悠希(メソ・ソプラノ)

フロースヒルデ:金子美香(メゾ・ソプラノ)



第1日《ワルキューレ》より第1幕 第3場「父は誓った 俺がひと振りの剣を見出すと……」~第1幕フィナーレ 

ジークムント:ヴィンセント・ヴォルフシュタイナー(テノール)

ジークリンデ:エレーナ・パンクラトヴァ(ソプラノ)


 

第2日《ジークフリート》より第2幕「森のささやき」~フィナーレ

第2場「あいつが父親でないとは うれしくてたまらない」―森のささやき [試聴]

第3場「親切な小鳥よ 教えてくれ……」〜第2幕フィナーレ [試聴]

ジークフリート:ヴィンセント・ヴォルフシュタイナー(テノール)

森の鳥:中畑有美子(ソプラノ)



第3日《神々の黄昏》より第3幕 第3場ブリュンヒルデの自己犠牲「わが前に 硬い薪を積み上げよ……」 

ブリュンヒルデ:エレーナ・パンクラトヴァ(ソプラノ)


 


指揮:マレク・ヤノフスキ

管弦楽:NHK交響楽団(ゲスト・コンサートマスター:ウォルフガング・ヘントリヒ)

音楽コーチ:トーマス・ラウスマン














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社会人生活後半をどう生きていくか? [雑感]

技術系の会社に技術者として入社して技術者として生きてきた場合、その晩年をどう過ごすか、は人生のひとつの課題というか乗り越えないといけない壁みたいなものだろう。


定年まで、現役のエンジニアで行ける人ってどうなのだろう?そんなにいるだろうか。


自分の場合、ハードウエアエンジニアだったので、まず視力が落ちてきて限界を感じて、そして細かい作業ができなくなる。半田ごてで、1608チップ(いまもっと小さいチップある?)を基板に半田付けするのが、もう手が震えて、震えて・・・こりゃあかん、もう限界かな・・と思ってしまった。


CADパターン設計で、6層基板なんかを設計する。自分が社会人に成りたてのときは、表裏の2層基板でした。それがいまやGND層、電源層、部品層など、6層もある。基板集積技術の高密度化の発展はほんとうにすごい。


回路設計して、CADで回路図書いて、それに紐づいて部品表が自動で作られて、CADで基板のパターン設計をして基板を作り、工場で基板に部品を実装して、その数枚を取り寄せて、性能評価。ソフトエンジニアの人に頼んでソフトをインプリしてもらって動かす。放送系だったら、FT(FieldTest)&実走も必要だろう。


そういう本番の前に、まず、使うICをどこのメーカー社製を使うか。各メーカーからデモボードを取り寄せて性能評価。そしてこれがいちばんいい、と決めたら、ようやくそのメーカーのICを使うことを決める。


自分の会社に半導体事業部があるなら、逐次その他社ICの情報をフォワードする。そしていずれは自社製のICに乗せ換える。そうやって自社の半導体事業部を育てていく。


技術の世界は、世の中の流れは速い。もうほんとうにすごいスピードで世の中変わっていく。社内失業なんてあっという間だ。社内でどんどん職を変えていく。そんな感じだったな~。


で、オレ、こんなことをしてずっと定年までやっていくのか。。。

もう体力や視力の限界で半田付けができない。


なにより飽きた、というか、こんなことを同じことをずっと続けて歳を取っていくのはしんどいな~、という感じだった。あと肉体的、精神的にキツくなった、という感じかな。作業台と測定器の山に囲まれる世界が。(笑)


前職時代はホームエンターテイメントひと筋20年だった。でもいまの会社に転職してからカーエンターテイメントひと筋の17年である。もうカルチャーショックだった。こんなに世界が違うのか。もちろん会社のカラーの違いもあるだろうけど、ホームとカーではぜんぜん違う。


車は双方向が苦手なのだ。(笑)これからの時代、H/Uにスマホを繋げて双方向なんていう”ちゃっちい”こと言ってないで、もっと車ごとICT機能を持って双方向を実現する、そうあって欲しいと思います。スマホ連携じゃあまりにチンケすぎる!(笑)本命じゃないと思う。


カービジネスのことに携われてほんとうに良かったと思っている。キャリアとしてホームとカーの両方を知っている、というのは大きな強みだと思う。


自分は日本国内では車はやりませんが、これからの時代、カービジネスは熱いですよ~。カー業界はいま100年に1度の大革命の時期と言われています。


自分の前職時代、放送業界もアナログ放送からデジタル放送へ変革。同じく放送業界でも100年に1度の大革命と言われて、そのど真ん中で仕事をやらせていただいた。


ホームでもカーでも、自分はなにか、と100年に1度の大革命のときに遭遇する(笑)、というなかなかそうチャンスは来ない、そういうラッキーな星の巡り合わせはあるのだろう。


まっそんなに優秀なエンジニアとは言えなかったけれど、いま含めて、その当時、その当時の最先端の技術の流れのど真ん中に居れたことは幸せだったと思う。


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前職に在籍していたときから、自分の将来のキャリアプランを考えていて、その頃から知財の世界に憧れを持っていて、技術者人生の晩年は、知財の世界で身を立ててれば、とずっと考えていた。


せっかく長年の技術の世界での経験を活かせるし、知財の世界では、つねに最先端の技術テーマを扱うので、最先端の技術に身を置ける。そしてなによりも半田ごてを持たなくてもいい。(笑)デスク作業だけで、技術の世界に浸れる。人生晩年を過ごすなら、技術のキャリアを活かして、そして自分の体力のことを考えたら、もう絶対知財しか自分の進む道はないと考えた。


前職の会社では、キャリアプランで上司に相談なしに、直接人事と交渉して、自分のキャリアに沿った他部署異動ができる、そういうシステムがあった。


で、自分は知財部に異動したい、と希望を出したのだけれど、リジェクト。理由は経験がないから。知財部は即戦力、経験のある人を必要としている、ということだった。


そんなの無理だろう?誰だって初めての経験なのだから、どうやって経験ありの資格を得るんだ?と思ったものだった。


2回くらいオファーしたのだけど、経験がないから。即戦力が必要なので。というひと言でリジェクト。即戦力を必要とする現場の気持ちもよく理解できるので、なかなか転職って厳しいもんだな~と思った。


そして病気で3年間の休職。そして復職するときに、どこに部署がいい?どういう仕事がいい?という希望に知財と答えたのだが、もともと経験ありしか取らない部署が、病気上がりの人間を取る訳がなく。(笑)


その折衷案として、開発部の中に存在するのだけど、その部門の特許出願を手助けするそういうスペシャルな部門があって、そこに入らせていただくことになった。知財部は本当の意味で、出願に対する事務的な処理に専念するため、先行文献調査とか、特許出願するポイント誘導などの縁の下の力持ちのヘルパーの役割のメンバーは技術部門内にそういう機能があって廻っていたという感じだった。


そこで先行文献調査とか、特許の世界のことをいろいろ勉強した。


自分の技術者人生を振り返ってみると、映像、音声、放送、機構とあった場合、自分はその圧倒的な部分を、放送と音声を占めたのではないか。


とくに音声の仕事は、かなり圧倒的に多かったと思う。知財の世界で、かなり音声処理の特許を出願担当したり、先行文献調査したりして権利マップを作ったりした。音声処理のスペシャリストの技術者にいろいろ教えてもらいながら、それを特許面で自分が貢献する、そんな感じではなかったか。音声処理について(圧縮も含めて)はかなり勉強した。


とにかく音声処理については、随分関わってきた気がする。音声処理のエンジニアの人から、音声処理って映像処理と比べるとものすごく簡単ですよね~。もうやることない感じなんですよ。(笑)とよく言われたことを覚えている。


自分が社会人に成りたての頃、ビデオ事業本部に在籍していた頃(ベータマックスとか全盛でした。。笑笑)、ビデオ事業部とオーディオ事業部とはかなりカルチャーが違っていた。壁があったように思う。


自分が不思議だったのだが、オーディオ機器というのは、いわゆるハイエンドオーディオと呼ばれるものは、100万円なんてザラ、数百万円から数千万円の価格帯である。


でも映像機器は、もう完全に普及価格帯なのだ。ビデオも最初の一発目は旗艦機器として値段が最高なんだけど、それからどんどん安いエントリーモデルが出ていくという路線。最初の旗艦器で高くて40万円。その後の普通価格帯で6万~10万じゃないか。


自分は不思議で不思議で仕方がなかった。映像処理のほうが、音声処理より遥かに難しくて高度で演算量も半端じゃないのに、なぜオーディオ機器は数百万単位で、ビデオ機器は数十万なんだ?(笑)


これはビデオ事業部にいる者にとってちょっとしたジェラシーであった。


自分の中には


”映像処理>音声処理”


という方程式が確固としてあったので、これがいざ商品の価格帯では反転現象になるのが許せなかった。


でもその後、オーディオはいわゆる高級オーディオというHigh Soceityな文化が昔から存在していて、その音、音楽にかける社会的ステータスがすごい高い。そういう文化が昔から存在しているのだ。


それに対して、映像の文化って、まず普及してなんぼ?というのがあるのではないか。


”テレビ番組を録画する”


まず家庭に普及して意味がある。東京オリンピックの頃、力道山のプロレスを観たくて、テレビのある家でみんな集まって応援する。そうやって各家庭にテレビが普及していく。


ビデオもその延長線上で、普及してなんぼ、というのがあるんじゃないか。

普及させるのは、まず普及価格帯ではないと勝負にならない。


オーディオは趣味の世界だから、金のある人、趣向のある人が買っていく。そういうニッチなビジネスでもいい。それでも景気のいいときは、それでマーケットがきちんと廻っていて存在できていた、そんなビジネスなんではないか。


後年、自分の中でそういう位置づけをして、自分なりに納得させたものだった。


その後、自分がオーディオマニアになるとはつゆにも思ってもおらず。(笑)

そしてオーディオマニアになってから、この真髄は正しいと理解できるようになった。


まさにオーディオマニアになって、いろいろな経験をして、学び、オーディオオフ会も多く体験し、そしてコンサートホールの音響なんか勉強していくうちに、自分の人生はますます音、音声処理の世界で占有された人生だったのだな~といま振り返ってしみじみ思う。


でも技術者として、思うのは、やはり自分の中では、


”映像処理>音声処理”


の方程式で揺るぎがないです。


技術者として、本格的に映像処理を専門として拘われなかったのは、残念だったと思う。

自分の時代は、技術者にとって、映像処理はやはり華形でしたから。


でも好奇心旺盛な自分は、もちろん仕事では拘われなかったけれど、自分の知識として映像処理とはどういうものか、というのを一生懸命勉強していましたよ。そういう本が市販でたくさん出ていて、片っ端から買って読み漁っていました。前職時代は仕事人間だったので。



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技術者、エンジニアの末路はなかなか厳しい。成功例は管理マネジメントになることだ。優秀なエンジニアで、人間力がある人は管理マネジメントとして登用されていくだろう。でもそれはほんの数パーセントだ。残りの凡庸な(自分も含めて)人はどうするか。他社に転職して生きながらえるか、あるいはまったく職種を変えて、技術の世界とはまったく関係ない文系の仕事につくかだ。


人生の現実は厳しいのだ。


技術者、エンジニアの末路は大体そういうところだろうな、と若い頃から思っていた自分は、どうしても自分の晩年の身の置き方、というのを考えざるを得なかった。


自分が目指したのは、知財の世界だった。


人生の好転機はあっけない感じでやってきた。

転職して、毎年自分のキャリアプランシートを書かされるのだが、その第2志望に知財部希望と書いていたら、知財部に欠員が出て、至急人材が欲しい、ということで白羽の矢が立った。


人生ってあっけないもんだな~と思った。(笑)

あれだけ希望してもなかなか通らなかった夢が、こんな理由でいとも簡単に実現できてしまうとは。。。である。


これが世の中なんだろう。


多少はかじったことはあるにしろ、知財素人の自分を一生懸命育ててくれた当時の知財部の上司にはもう頭が上がらないです。特許出願、中間処理、外国出願、係争のときの会議にも積極的に参加させてくれ、いろいろ経験を積ませていただいた。


ここで、思ったことは、半田ごてが嫌で、体力がもう持たないから、ペーパーの世界で技術の世界を堪能したい。そういう思いで知財を希望していたのだが、そんなに現実は甘くなかった、ということだ。


知財の世界は、知財の世界で、独特の苦しみというのがあるのだ。

それは分厚い特許明細書を読み込んで、その明細書に書かれている技術を一瞬にして簡潔にまとめられること、そして理解できること。膨大な特許案件(特許リスト)何千件を、ざっと俯瞰して読んでいき、それを全案件とも内容をピンポイントで把握でき、簡潔にまとめられること。


これははっきり言おう!


技術者の世界より、相当厳しい、というか、そうとうツラいですよ。(笑)


技術系の文章を読んで、それを理解する。


あるいは、


技術系の文章を書いていく。(特許明細書を書く)


という作業は、相当苦痛ですよ。


これはやっぱり才能が必要だと思う。才能がないと案件をつぎつぎと処理できないと思います。


自分がこのときつくづく感じたのは、”仕事のできる人”というのは、ある意味頭がいいのだろうけど、ほんとうにすごく効率的で処理能力がずば抜けているのだ。他人のペースを遥かに上回るそういう処理能力がある。


この”仕事のできる人”を自分がいちばん実感として感じたのが、この知財時代だった。

処理能力のある人が仕事のできる人という方程式も成り立った。


知財の世界は、やはり件数ですから。特許出願件数。中間処理件数。。。もう仕事のできる人は、もうあっという間に、どんどん何件も出願を済ましてしまう。それもすごいペースでどんどんこなしていく。


文章を読まないといけない。そして考えないといけない。そして文章を書かないといけない。


これで件数、スピードが求められる。


以前日記に書いたと思うが、企業知財部、そして特許事務所の先生たちは、毎日ノルマを課せられて仕事をしていますから。ノルマを達成できないと査定、給与に響いてきます。


もうこれはある意味、すごいハードワークで、相当ツラいですよ。

技術者時代、ペーパー上だから楽ちん、なんて思っていた自分は相当甘かったです。


知財の世界は、技術の世界とはまったく別の世界だった、と言えました。


自分が現役時代、どうしても敵わないと思った同僚がいた。その人はすごいおとなしい寡黙な人なんだけど、もうすごい処理能力がすごくて、あっという間に自分でどんどん明細書を書いちゃうとか、あの処理能力はちょっと敵わないな、とため息がでました。


”知的財産”という世界は、自分が予想していた世界とは全然違っていて、相当ハードワークなところだったと言えます。というか、技術者の世界とは、ハードな意味合いが違う、まったく違う次元のハードという感じでした。



いまでこそ、いろいろな分野でDXということが叫ばれていますが、知財ほど紙の文化だったところはないでしょう。(笑)さすがにいまはもう特許庁を始め、DX化は進んでいるでしょう。でもあの完璧に紙の文化だった頃をよく知っているだけにあそこからどうやってDX化するのか、気が遠くなるというか、大変でしょうな。


いまの時代は、アイデアシートをAIに読み込ませれば、AIが特許明細書を作成してくれる時代だそうですよ。(笑)


昔、いまの携帯でナビが実現できてしまうナビタイムNAVITIMEが世に出た頃、カーナビの大手のパイオニアがナビタイムを特許侵害と訴訟したことがありました。結局パイオニアが敗訴してしまったのですが。


そのとき、その訴訟記録を閲覧するために、どこだったか、よく覚えていないのですが、そういう知財訴訟、裁判の記録が格納されている図書館に行ったことがあります。


とりあえず知財図書館と言っておきましょうか。。。そこはもちろんコピー禁止です。訴訟記録をひたすら直筆で写すしかないのです。もう大変苦痛な作業でございました。(笑)


その図書館の地下には食堂があって、なんかカレーを食べたのかな、美味しかった~。照明暗かったです。


知財には、”お宝発掘”という地道な作業もあります。これはかなり苦痛な作業です。


ライセンスオファーというのは、ある技術の権利を特許などという形で保有している者が、他社に対してその権利行使をすること。自分の技術ライセンスの権利の使用を認める代わりに、その対価、ロイヤリティを支払ってください、そういうオファー、申し入れをすることを言います。



いつもライセンスオファーされる側だけど(笑)、ライセンスオファーする側もかなり大変です。ライセンスオファーするって簡単なことじゃないです。


他社製品のカタログを全部調べて、その取説と自社特許を照合して自分の会社の特許の技術を使っているかどうかつぶさに調べるのです。もう洗いざらいつぶさに調べます。



やっとこさ確証見つけてレター作成して送付しても、すぐに、ハイ、払いますなんてなる訳ない。(笑)


そんな簡単にはまず行かないです。レターを送られてもそのまましばらく放置というか、交渉含め、ものすごく足が長い時間のかかることなのです。



まっいままで日記でいろいろ知財の世界を紹介してきたので、もうそこで言い尽くした感はありますが、知財の世界は楽じゃない、ということです。ペーパーの世界とタカをくくってはとんでもないことになる、ということです。



技術者、エンジニアにとっては、やはり人生の晩年は、お金に関すること、経営に関することは学んでいたほうが絶対いいです。いくら最新の技術と誉れ高くエバっていても、結局会社って経営で成り立っている、自分たちの給料がどうやって作り出されているのか、その真実をちゃんと知っていたほうがいいです。


サラリーマン、エンジニア、会社人にとっての最終目標は、最後はちゃんとお金のことを理解する、経営のことを知っておく、ということではないでしょうか。自分も偉そうなことを言っていますが、たまたま知財繋がりでライセンス料管理の世界に足を踏み入れるようになり、このお金の世界に入り込みました。


自分の会社のように製造業、つまり商品を開発、製造して、それを世界に販売していく、というビジネスの場合、それにかかる費用、そして売り上げによる利益、そういう関係をよく理解しておいたほうがいいです。


結局会社ってここなのです。

会社って、とどのつまりここなのです。


この真実を知らない限り、いつまでも大人にはなれない、ということではないでしょうか。


・・・なんて偉そうなことを言ってますが、自分も知財からいまの原価グループに移動したときは、まったくのチンプンカンプン、グループメンバーが話している言葉、内容がまったくの宇宙語でした。(笑)


いまもひたすら勉強中ですが、お金の世界は理屈はシンプルなんだけど、とても深いです。


やっぱり会社人だったら、最後の晩年は、きちんと経営のことを理解できるようになるのが、ひとつの目標なのかな、と思います。若いうちはそんなことを考えずに、もうバリバリと技術のことを。そして晩年は経営のことがよく分かっている。。そういうステップがいいのではないでしょうか。



還暦、定年を迎え、セカンドステージと人生が移り変わっていく上で、自分のいままで歩んできた人生をちょっと振り返ってみたくなりました。


じゅうぶんやってきた。よくやってきた。と自分を褒めてあげたいと思います。


なんとか潜り抜けた、通り抜けた、という感じです。(笑)


と、同時に、技術者、エンジニアにとって、自分の晩年の身の置き方を考える、というのも大事なことなのかな、と思い直しました。


もちろん生涯現役、ずっと還暦以降でも、バリバリのエンジニアとして頑張っていく、そういうすごい人もたくさんいることでしょう。自分は、もうそういう人はほんとうに尊敬してしまいます。持って生まれた才能、類まれな才能の持ち主だと尊敬しております。



2024年4月6日(土曜日)


渋谷ハチ公前です。桜が満開でした。いよいよ桜の季節ですね。渋谷ハチ公前は、もう相変わらずですが、外国人観光客でいっぱいでした。ハチ公もタスキ掛けしています。(笑)このハチ公の横に立って記念撮影するのがひとつのパターンなんですね。片側に1人、あるいは両側に2人立って、ハイポーズで記念撮影して、つぎは私の番って感じで、それを順番で繰り返すのです。もうエンドレスでやってます。(笑)


渋谷の桜の季節の名物ですね。


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のだめクラシックコンサート [国内クラシックコンサートレビュー]

諏訪内晶子さんの国際音楽祭NIPPONにしろ、茂木大輔さんののだめクラシックコンサートにしろ、共通していたことは、主役は若手だということだ。自分はあくまで総監督という位置づけ。


自分の世代から若い新しい世代へ。


これからの日本のクラシック界を考えて、若手を育成していく。

どんどんチャンスを与え、お披露目の場を与えて、世間のみなさんに認知してもらう。

そういうプロデュース的な立場に自分を置いていたように思う。


でも、それは誰でもができることではないんですよね。

まず自分が凄くないといけない。それだけいままでクラシック界で名を馳せてきた人でないといけない。そういう実績、功績のある人が、じゃあつぎに、ということで若手を育てていく、自分の経験値、スキル、ノウハウを後世に伝えていく、そういうステップがあるように思う。


諏訪内さんにしろ、茂木さんにしろ、現役時代(いまもバリバリの現役ですが。。笑笑)、もう名声の名声を得てきた人ですから、それだけの資格というか、誰しもが認めるところなのだと思います。


漫画”のだめカンタービレ”に基づいた茂木大輔さんの”のだめコンサート”。自分は、何年前だったかな。まさにのだめコンサート発祥の地、愛知県春日井市まで詣でをしたことがある。やはり聖地巡礼。これはある意味、1番最初の訪問のときの礼儀、マナーでもある。


高橋多佳子さんのラフマニノフ ピアノ協奏曲第3番だった。


鮮烈でした。いまでもはっきり覚えている。


その当時、関東では、のだめオーケストラというのが、茂木さんのオーケストラとは別組織で存在していて、権利関係で、なかなか関東圏で活動できなかったのであるが、その権利もクリアになり、首都圏でも”のだめコンサート”ができるようになった。


東京ののだめコンサートは、大体、調布グリーンホールを使うことが多かった。初東京上陸のときも、かけつけましたよ~。


そんな紆余曲折の歴史があるので、それがいまやこんなに知名度があって、ビッグなコンサートになったなんて、感慨深いものがある。兵庫県ののだめコンサートはかならず販売即完売となる人気スポットで、定番のイベントとなった。


そしていまや全国各都道府県でのだめコンサートが開催されるようになった。


のだめコンサートは、自分が知るようになるずっと前から、地道な努力を続けてこられてきたが、自分が知るようになってからも、まさに長い道のりだったな~と思います。


成功は一夜にしてならず、ですね。


のだめコンサートに行くと、毎回驚くことが、客層が驚くほど若いということだ。年配者もいるが、もう圧倒的に若い人。やっぱり客層が若いということは、その場にいる自分にとってもすごく嬉しい。


自分はクラシックのコンサートのいつもの客層を知っているので、あの高年齢層化した客層には、正直あまり未来を感じにくいし、暗い気持ちにもなる。というか、自分も含め、この方たちが鬼籍に入ってしまった後、クラシックコンサートってビジネスとして成り立つのかな?という不安をいつも感じる。このままじゃダメじゃないか、とか。


これはいまのクラシック界が抱えている大きな問題の一つで、クラシック音楽は難しいし、敷居が高い、というハードルがある。結局かなりの専門知識が必要で、経済力のある、ちょっとブルジュア的な階層の楽しむ趣味、高学歴・高教育、そんなイメージがつきまとう。そして公演評などの筆クオリティの壁。


やっぱりクラシックはお高いのだ。(笑)


そのハードルの高さの要因となっているのは、クラシック音楽って、長いよね、ということだと思う。交響曲で40分~60分くらい。協奏曲でも30分~40分ではなかろうか。しかも第1楽章、第2楽章、第3楽章、そして交響曲の場合は第4楽章まである。


長いよ~~~。(笑)


しかも、冗長的だ。この長い曲は、いわゆる絵巻物語で序章から中盤にかけて、そしてコーダときちんとした物語になっている場合が多く、いわゆるもっとも人の心を掴むキャッチーなメロディって、そのピークのところのごく一部だったりする。


そこの感動を味わいたいから、物語を序盤から聴いていき、徐々に自分のピークを持っていって、その見せ場に来たら、キタ~~~という感じである。


クラシックを長年キャリアを積んでいくと、そのピークまでいく過程の物語を楽しみ、そしてピークで昇天して、作品トータルとして捉える楽しみ方ができるようになる。いきなりピークを持ってきて来られても唐突過ぎる、という感じかもしれない。


まっ大人の楽しみ方と言えるのかもしれません。


でもクラシックに馴染みのない若い世代の人は、そのピークだけを楽しみたいんですよね。(笑)いわゆるポップスなどのヒット曲にあるフックの仕掛けというか、大ヒットする曲というのは、かならずそういう秀逸なメロディを持っている。若い人はそこだけを聴きたいです。あるいはその連続が聴きたいです。


あまり長い前ぶりの過程は飛ばしたい、という感じではないでしょうか。。


ポップスの曲は、1曲あたり大体3分です。その中で、聴いていたら、ピークがやってきて、気持ちいい、となる。そういうパターンしか慣れていないと思います。若者の限界は3分なのです。(笑)


だから全部聴くのに1時間もかかるクラシック。しかもそのピークに行くまでの過程が長過ぎて、若者は待ってられないというかくたびれちゃうのではないでしょうか。


でもそれは仕方がないことです。古来から伝承されてきているクラシックの曲というのは、そういう構造なのです。


クラシック音楽を若い世代の人たちにもその魅力を伝えたい、ということで、業界あげていろいろな工夫がされている。まさにクラシック界が抱えている大きな問題なので、この高年齢層しかお客がいないという現実をいかに回避して、いかに若い世代に魅力を伝えていくか。みんな大まじめに考えている。クロスオーバーだとかいろいろやっている。


そういうクラシック音楽界の抱えている大きな問題点を、そのものずばり解決して、その解を提示しているのが、のだめコンサートの手法なのではないか、と自分は思うのです。


のだめコンサートの手法は、じつに明快。


クラシックの初心者にもわかりやすい、取っつきやすいキャッチーなメロディのその楽章だけを演奏する。それはいわゆるクラシックの名曲、名旋律と呼ばれる有名な曲から、そのメロディを抜粋みたいな、その楽章だけの抜粋。そしてコンサートの始めから、終わりまで、そういう素敵なメロディが、次々と現れて、飽きることがない。とにかく美しい、素敵なメロディばかりが流れる。楽しい。


そんな印象で埋め尽くされるように選曲、プログラミングされているのが、のだめコンサートである。クラシックだけではない。あるときはジャズだとか、ポップスとかも取り上げる。


当初はのだめカンタービレに関わる楽曲に限定されていたところもあったが、いまはもうほとんどそんな縛りがない。茂木さんがいいと思ったものは、どんどん取り入れていくフレキシビリティがある。


とにかくずっと聴いていて楽しいし、ウキウキする。


そうして、そういうプログラミングである、ということは、コンサートの告知をしたときに、若い世代の人が食いつきやすいのだと思います。のだめコンサートに行けば、ほんとうに楽しいいい曲がいっぱい聴ける、という先入観があって、若い人はチケットを買ってくれる。もうそういう概念ができあがっている。


ここがミソなんじゃないかな、と思います。


茂木さんは手の込んだ、巧妙な、そんなに画期的な戦略を考えながらという訳でもなく、ほんとうにシンプルそのもので、のだめカンタービレに関わる曲で、初心者の方に飽きさせないようにするには、どういう楽しみ方をさせればいいか。


そこを考えて、自然とこういうスタイルになったのではないでしょうか。ほんとうにあまり深刻に考えずに、とてもシンプルに考えて行きついた境地なのだと思います。


自分のようなある程度クラシックを聴いてきているファンにとっても、のだめコンサートがある、チケットを買ってみようか、ということになったときに、どんな素敵なメロディがたくさん聴けるのだろう、となんかウキウキします。自分のような者でもすごい楽しみだったりします。期待してしまいます。


そして大きなことは、外れがないことですね。


絶対外れがない。


別にそんな目新しいことをやっている訳でもなく、ほんとうに真髄を考えて行ったときに、ここに行きついた、という感じではないかと思うのです。


のだめコンサートは、いわゆる選曲だけじゃないです。茂木さんのスピーチや、ゲストとのトーク、スクリーンの投影などで、その曲の成り立ちや知識などをわかりやすく、説明してくれます。これもとても初心者にやさしい感じがします。


コンサート全体として、すごい暖かい雰囲気がありますね。漫画、アニメ、実写の”のだめカンタービレ”を中心のシンボルとして置いているのも、そういう温かみを助長していると思います。クラシックの敷居の高い雰囲気とは、もう全然違う世界です。クラシック音楽につきまとうハードルの高さを、こういう点を解消して、初心者、若い人にもわかりやすい雰囲気を作って導入しやすいようにする。。。ここにのだめコンサートの真髄があると思います。


だからいつも客層は、圧倒的に若い層が多く、なんか明るい感じがするのです。

そして人気があり、いつも満員御礼なんだと思います。


これが自分がいままでのだめコンサートに通い続けてきた経験の中で悟った解脱の境地です。

たぶん間違いないと思います。合っていると思います。


クラシック音楽をいかに若い世代の方々に興味を持ってもらうか。いろいろなアプローチをされている中で、のだめコンサートがやっていることは、もっともいまの現状の延長線上にあるシンプルなやり方で、難しくもなんともなく、簡単に実現できる方法なのだと思います。


自分はいつもそう思っています。


昔、カラヤン&ベルリンフィルが出したアルバムで、”アダージョ・カラヤン”というCDがあり、世界的な大ヒットとなった。文字通り、クラシックの有名曲のいちばん素敵なメロディの部分の楽章を選りすぐり集めたコンピレーション・アルバムみたいなもので、これが初心者層に大受けした。スペインを中心としたヨーロッパで驚異的な大ヒットをはたし、日本でも一世を風靡した。世間、普及世帯にクラシック音楽を浸透させるのは、意外やこんなアプローチが常套手段なのかもしれない。


さて、今回の”のだめクラシックコンサート”ですが、自分は茂木さんのFacebookでの投稿で知ったのですが、もちろんそのときにネットで調べてちょっとショックなことがありました。



”のだめカンタービレ”は、連載開始20周年を記念して2022年にはサントリー・ホールとオーチャード・ホールで3公演「のだめクラシック・コンサート」が開催され、23年にはフェスとミュージカルも開催されたのだそうです。


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大変不覚なことで、自分はこの2022年ののだめクラシックコンサート、まったく気づいていなかったです。2022年の年末に調布グリーンホールで、のだめコンサートのクリスマスイブコンサートには行ったのは覚えています。この年の聴き納めコンサートで大感動しました。のだめコンサートの東京版といえば、大体調布グリーンホールで行われるのが常。



そのときいつも思っていたのが、のだめコンサートをサントリーホールで聴けたらな~、最高の華なのにな~と思っていたのでした。



だから、連載20周年記念の節目の年にサントリーホールでのだめコンサートが開催されていたなんて!もう地団太踏んで悔しく思いました。まったく気づいていませんでした。駆けつけることができず、申し訳なかったです。こんな大イベントにまったく気づいていなかったなんて。。。SNS普段よく見ていますが。。ネットで調べて初めて知りました。いま知りました。



今回ののだめクラシックコンサートは、東京国際フォーラムで新年ガラコンサートという位置づけ。

ただの”のだめコンサート”ではないです。”のだめクラシックコンサート”なのです。


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東京国際フォーラムという5,000人は入るであろう大会場が満員御礼。これだけたくさんの人が集まってくれるなんて、しかも毎回のことながら、客層がすごく若い!


東京国際フォーラムはもともと音楽ホール用という訳ではないので、やはり広すぎますね。PAが薄っすら入っていたと思います。でもこれだけの人数が収容できて、満員御礼ということであれば、1度きりの公演での収益率がすごいですね。(笑)大ホールでやる魅力はビジネス的にはそこに魅力がありますね。のだめコンサートは、いつもはステージ背面に大きなスクリーンをぶら下げて、そこに投影します。でも今回は、ステージ両側横にテレビモニターを設置して、そこに映し出していました。のだめカンタービレの漫画の投影ももちろんですが、ピアノなんかはそこにカメラを設置して、指回りの様子をそのモニターに映し出したりして、臨場感を出したりしていました。


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とにかく名曲のオンパレード。アンコールピースのオンパレードとも思うくらい、美しいいい曲が全編に並ぶ。フル楽章でなく、単楽章のみなどの疲れさせない工夫。



この日は、12曲という大サービスで、みんな珠玉の名曲ばかり。



あまりにいい曲ばかりで、家に帰ったら思わずストリーミングで聴き返して、お気に入りに追加しておきました。(笑)それだけ頭の中でループしてずっと鳴っていて強烈なインパクトでした。


ちょっとこの中で印象に残った曲を簡単に自分の印象含め、紹介していきますね。


最初の小林萌花さんのベートーヴェンのピアノ・ソナタ第8番の悲愴の第二楽章。いわゆる悲愴ソナタ。のだめカンタービレでも重要な立ち位置の曲です。


このメロディは誰でも泣くでしょう!(笑)あまりに美しいメロディ。

自分はベートーヴェンのピアノソナタの中では最高に好きなメロディです。


小林萌花さんは初めて拝見しましたが、とても指回りが素晴らしく、とくにつぎに弾いたショパン エチュードも圧巻ですごいピアニストがいるもんだな、と驚きました。


のだめコンサートでは、まさに定番であるガーシュウインのラプソディー・イン・ブルー。

ピアニストは、シークレットゲストとなっていました。


いざステージ上手から登場したのは、いま若手男性ピアニストで人気の角野隼斗氏。客席から黄色い声が飛んでおりました。(笑)角野氏が弾くラプソディー・イン・ブルーは、まさにジャズ色のアレンジいっぱい。こうちょっと崩した感じの弾き方とか。いわゆるクラシックピアノにおけるカデンツァにあたるアドリブが随所に現れて、凄かったです。


ピアノの上にトイピアノというのかな。それを置いて、ピアノ本体の速射連弾と、トイピアノの速射連弾と、右手、左手の方をうまく使って、片手づつ、それぞれハンドリングして、すごいアクロバティック。何度も現れるオリジナル独創のジャズ風アレンジと相まって、それはそれはすごいラプソディー・イン・ブルーとなりました。


角野隼斗、カッコイイよ、オマエ!(笑)


のだめコンサートの手法は、大きなスクリーンにアニメ画像を投影するという手法がメインなのですが、この日は、ステージ横に大型テレビモニターを壁に掛けて、カメラで演奏中のピアノの手元も映し出して、そのモニターに映し出すというもので、それはそれはすごい格好良かったです。


こんなラプソディー・イン・ブルーは聴いたことがなかったですね。


その後、茂木さんと角野氏とのゲストトークで、お互いこのラプソディー・イン・ブルーは毎回共演している回数が多いそうですが、毎回このジャズ風アレンジが共演するたびに、全部違うアドリブなんだそうです。まさにそのときに瞬時に思いつきながら弾く即興演奏ですね。いまNYに住んでいるらしくて、夜な夜なNYのクラブに現れては、ピアノで参加して即興のジャムセッションに加わって演奏している、そんなクラブ回りの毎日を過ごしているんだそうです。まさに若いときの武者修行と言おうか、一番鍛錬を積むときですね。


東大在学中にピティナ・ピアノコンペティションで特級グランプリを受賞!

まさに異色のピアニストです。


つい先だって、ソニークラシカルとのアーティスト契約も発表されて、ますますのワールドワイドな活躍が期待されますね。頑張ってほしいです。


休憩を挟んで、Budoによるショパンの幻想即興曲と、ベートーヴェンのピアノ・ソナタ熱情・第三楽章。


Budo、ぶどうと呼ばれるピアニスト。自分は存じ上げませんでした。ネットで調べてもあまり詳しい情報は出てきません。YouTuberピアニストだということくらいです。神秘のベールに包まれたピアニストで、なんとYouTuberピアニストとして初のサントリーホールでコンサートを開くそうです。そして浜離宮朝日ホールでも。


桐朋学園大学ピアノ科を卒業後、単身カナダに渡り、ストリートピアノとの運命的な出会いを果たしたそうです。帰国後、YouTubeにストリートピアノの演奏動画を投稿し始め、独特の世界観、”怪しい風貌の男”が超絶技巧のクラシック音楽を奏でる動画が話題を呼び、YouTube登録者数が8万人を超え、数か月で100万回再生を超えた。


そんな異色のピアニストでした。(今回のパンフレットに書いてありました。)


自分は当日誰なのだろう?と思いましたが、ルックスが男性で長髪で、ゴローさんそっくりなのです。(笑)なんかゴローさんに似ているな~とずっと思っていました。


ゴローさんに似ているので、確かに”怪しい風貌の男”です。(笑)


で、で、ですよ。。。ピアノがめちゃくちゃウマいです。驚きました。まさに全盛期のポリーニばりに均等でコンピュータのような精緻な打鍵で、パワーもある。あまりにピアノがウマいので、この方誰?という感じになってしまいました。


茂木さんとも親しいらしく、ゲストトークでも弾んでいました。

のだめカンタービレのミュージカルで劇中ピアノ演奏を務めたそうなので、その縁ですね。


いぁあ、自分はこのピアニストがすごい衝撃でした。かなり怪しい雰囲気なのですが(笑)、とにかくめちゃめちゃピアノがうまくて。。。


まさかYouTuberピアニストとは思ってもおらず、こういう出会いがあるのも、のだめコンサートの素晴らしいところではないでしょうか。


高松亜衣さんによるモンティのチャールダッシュ。

チャールダッシュはこれは聴けば必ず燃える曲ですよね~。まさに高速弾きのこれぞスタンダード曲とも言うべき有名な曲で、すごく興奮しました。


新倉瞳さんによるドヴォルザークのチェロ協奏曲も素晴らしかったですね~。まさにチェロ協奏曲の定番、名曲ですね。その恍惚の旋律、そしてチェロの暖かい恍惚感のある周波数帯域の音色に酔いしれました。新倉さんはご無沙汰していました。昔ののだめコンサート以来でしょうか。


やっぱり締めは、のだめカンタービレの主題歌、ベートーヴェン 交響曲第7番ではないでしょうか。第一楽章と第四楽章でした。


今回、自分のツボだったのは、アンコールのプッチーニのお父さん。

もうこれはオペラアリアの名曲中の名曲ですね。ひさしぶりに聴きました。ほんとうに素敵なアリアです。てっきりオペラ歌手がそのアリアを歌うのか、と思いましたが、そのメロディは、コンサートマスターがヴァイオリンで奏でるというサプライズでした。


オーケストラは、のだめオーケストラとのだめユースオーケストラ。


茂木さんもN響首席時代から指揮者に転向してからずっとその指揮姿を見てきましたが、もういまや完璧な指揮者に変貌です。ベテランの指揮者と間違うくらい堂に入っていてカッコいいです。



若手演奏家主体で、そのフレッシュな演奏、みんな素晴らしかった。


ブラボーでした。


いつ来ても、何回通っても飽きさせない、そのときのサプライズ、企画が用意されていて、そしてお馴染みの根幹をなすスタンダードの曲ももちろん披露して、ほんとうに楽しいコンサートです。


なによりも聴いていて気持ちいい。

音楽って、この要素が結局原点というか、いちばん大切なことなんじゃないでしょうか。


このファクターさえ、つねに心掛けていれば世代の壁など関係なく、お客さんは集まってくれるのだと思いました。



のだめクラシックコンサート、次回は京都ですよ~。ロームシアター京都。2024年5月4日(土)&5月5日(日)です!!!


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のだめクラシックコンサート

2024.2.24(土) 17:00~ 東京国際フォーラム ホールA


ベートーヴェン" ピアノソナタ第八番 悲愴 第二楽章"(小林萌花)

ショパン" エチュード 作品10-4"(小林萌花)

グリンカ" 歌劇「ルスランとリュドミラ」より序曲"(のだめユースオーケストラ)

ガーシュウィン" ラプソディ・イン・ブルー"(角野隼斗&のだめユースオーケストラ)

ラフマニノフ" ピアノ協奏曲第二番 一楽章"(石井琢磨&のだめオーケストラ)


- 休憩 intermission –


ショパン" 幻想即興曲 "(Budo)

ベートーヴェン" ピアノソナタ第23番「熱情 」第三楽章"(Budo)

ヴェルディ" 歌劇「椿姫」より「乾杯の歌」"(のだめオーケストラ、REAL TRAUM、川越未晴)

モーツァルト"歌劇「魔笛」より、パパゲーノのアリア「俺は鳥刺し」(のだめオーケストラ、堺祐馬)

モーツァルト"歌劇「魔笛」より、タミーノのアリア「なんと美しい絵姿」(のだめオーケストラ、鳥尾匠海)

モーツァルト"歌劇「魔笛」より、「夜の女王のアリア」(のだめオーケストラ、川越美晴)

レハール"喜歌劇「微笑みの国」から「君は我が心のすべて」"(のだめオーケストラ、REAL TRAUM)

モンティ" チャールダッシュ"(のだめオーケストラ、高松亜衣)

ドヴォルザーク" チェロ協奏曲 から第一楽章"(のだめオーケストラ、新倉瞳)

ベートーヴェン"交響曲第七番 第一・四楽章"(のだめオーケストラ)

プッチーニ"歌劇「ジャンニ・スキッキ」から「私のお父さん」"(のだめオーケストラ)








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シューマン室内楽マラソンコンサート [国内クラシックコンサートレビュー]

とにかく2024年辰年。年男の自分であるが、まさに人生最大の試練の年。公私ともにすごい大変なストレスにさらされている。とくに3月に入ってプライベート面でどん底で、それでも予定していたクラシックのコンサートは行くので、もう精神状態が下げたり、上げたりでまさしくジェットコースターのようで気分が悪くなる。(笑)


そういう状態なので、コンサートレビューの日記がなかなか書けなくて申し訳なかったのだが、徐々に書いていきたいと思う。


諏訪内晶子さんの国際音楽祭NIPPON2024。シューマン室内楽マラソンコンサートに行ってきた。


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まさにシューマンの室内楽を、朝11:00開演で、20時頃終演になるまで、まさに1日フルマラソンのコンサートである。シューマンの室内楽を、ピアノ三重奏曲、ヴァイオリン・ソナタ、弦楽四重奏曲、そしてピアノ四重奏曲、ピアノ五重奏曲とおおよそ、すべての作品をフルに聴くという機会はなかなかないのではないだろうか。


大変貴重な経験をさせていただいたと感謝している。


この日の演奏会の目玉は、なんといってもやはり若手演奏家中心であること。これがなんと言っても新鮮だ。諏訪内さんは最後の大トリのピアノ五重奏曲だけの出演だった。


やはり若手の演奏家、これからの日本のクラシック音楽界を継いでいくその俊英たち。なんともフレッシュな顔ぶれで、聴いていても見通しの明るさ、可能性を感じて、その場がふっと明るくなる感じがする。演奏家のルックスを見てもあどけさなが残って可愛い感じがするし、自分の気持ちもとても若返った気持ちがする。なんか自分の子供の晴れ舞台の演奏会を親として観ている感じだ。(笑)


そしてなんといっても、技術的にハイレベルであること。自分が普段聴いている自分の世代の演奏家とまったく遜色ない、素晴らしいパフォーマンスを魅せてくれたこと。日本のクラシック界の将来は明るいな、と安心しました。


とくに一度聴いてみたいとずっと思っていた若手音楽家が何人も登場していて、この機会を逃しては絶対いけないな、と狙っていた。



国際音楽祭NIPPON2024のシューマンづくしの企画としては、このように東京オペラシティコンサートホールのホワイエで、ロビーコンサートと題して、シューマンの室内楽について、ちょっとしたレクチャーコンサートも催されていた。司会進行は、音楽評論家の舩木篤也さんが務められていた。


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そして国際音楽祭NIPPONは、単なるコンサートだけではない。若手音楽家の育成も大きなテーマだ。諏訪内晶子さんなどの講師陣を迎えマスタークラスも開催された。写真は、ヴァイオリン部門。講師は諏訪内晶子、ベンジャミン・シュミット。



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(c) 国際音楽祭NIPPON Twitter/X



シューマンの室内楽というのは、じつはあまり自分は実演で経験したことがなく、ブラームスの室内楽のほうはもうベテランだ。(笑)東京春祭の川本嘉子さんのプロジェクトでもう10年以上聴き続けている。ブラームスの場合は、いかにもきっちりとした骨格感があって厳格な旋律で、ドイツ音楽らしい男らしいメロディで、硬派な音の紡ぎの中でその合間にフッと現れる美しい旋律がなんとも効果的。そういう男らしい硬派~美しいのバランスが絶妙に交互に現れるので、そこはかとなく秋の季節が似合うそういう哀愁帯びた音楽。


ブラームスの音楽って大体そんな感じではないだろうか。


でもシューマンの音楽は、とても優しい女性的な美しいメロディでほんとうに癒される。音階の進み方やメロディの構造がとてもわかりやすく、とても親しみやすい、わかりやすい音楽だ。すごく優しくて女性的で叙情的な調べ。聴いていて浄化される、というか、精神が綺麗になるようなそんな爽やかな感じがする。


シューマンの音楽は、春の季節が似合うと思う。ブラームスが秋の哀愁とすると、シューマンは春の訪れである。


クラシック初心者の方にも入りやすい作曲家ではなかろうか。


アルゲリッチが、やはり私はいちばんシューマンが好き。シューマンがいちばん自分に合っている、と告白しているくらいだ。アルゲリッチが愛したのはピアノ曲と室内楽だ。アルゲリッチとシューマンといえば、子供の情景とかクライスレリアーナ。あとシューマンのピアノ協奏曲があるじゃないですか!もうピアノコンチェルトの中でも名曲中の名曲ですね。ほんとうに明るいいい曲です。


ブラームスの成功はやはりシューマン夫妻なくしてはありえなかった。そしてその後のブラームスの人生、創作活動についても、シューマンの妻・クララとの関係を抜きにして語ることはできない。



でもこの3者でその音楽性がとても明確に違いがあってとても興味深く感じるところでもある。


自分は、シューマンの室内楽が大好きだ。


心温まる旋律で、どちらかというと春の訪れというイメージがあり、春の季節にぴったりな素敵な調べだと思う。でもその一方でシューマンの音楽は、明るいだけじゃない。ほの暗くロマンティックなところも特徴で、シューマン自身が精神障害を患い始めてからは一層内向的になり、心の奥底へ沈み込んでゆくようになる。情熱的な曲ですら、何か焦燥感にかられるようであり、心の不安定さが拭いきれない、という一面も持っている。けれども、ファンにとってはそれが魅力であり、強く惹かれるのではないか。


シューマンの時代。すなわち19世紀の前半。室内楽は、作曲家が「本気で」取り組むべきジャンルとなっていた。もはや王侯貴族の館やアマチュア家庭でのみ奏でられる娯楽作品ではない。公衆が集まるコンサートで、書き手の能力がシビアに問われ、交響曲と同様のステイタスを有していたとみなされていたのだそうだ。


それまでに公表したのは、もっぱらピアノ曲と歌曲だった。1841年に交響曲を、翌1842年に室内楽曲を集中的に書いている。私人としても公人としても「社会的承認」を得ねば、というわけだ。室内楽に関しては、以後ドレスデン時代とデッュセルフ時代にも書き継いでいる。


今回、そんなシューマンの室内楽をもうほとんどすべてを網羅するという感じで聴かせていただいて、自分はシューマンが紡ぎ出すそのメロディへの自分の印象、認識を新たに確実にした、という感じだった。



Following pictures are under the copyright of 国際音楽祭NIPPON Twitter/X


●<第1部>11:00開演

ピアノ三重奏曲 第1番 ニ短調 Op. 63(葵トリオ)


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ピアノ三重奏曲 第2番 ヘ長調 Op. 80 (辻/佐藤/阪田)


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ピアノ三重奏曲 第3番 ト短調 Op. 110 (シュミット/マインツ/福間)


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ピアノ三重奏曲というのは、ヴァイオリン、チェロ、ピアノの室内楽だ。



妻クララへの誕生日プレゼントのために作曲された第1番。メンデルスゾーンのピアノ三重奏曲第1番ニ短調に影響を受けて作曲され、この2つの作品はロマン派を代表するピアノ三重奏として広く認知されている。第2番は、1847年に第1番と同時期に作曲された。次第にシューマンを苦しめる心の病から逃れるかのように、明るく前向きな内容で、シューマン自身「甘やかで生き生きとした印象」としており、後にクララはこの作品について「私の魂の深いところをあたたかく包み、最初から最後まで私を喜ばせる作品」であり「大好きで何度も演奏したい」と述べた。そして第3番は、シューマン家でクララのピアノで初演されたのち、1852年に公開初演された。クララ自身、この作品を情熱的で創意に満ちていると非常に気に入っていたようすの日記が遺されている。


シューマンの室内楽はあまり経験がないと思っていたのだけど、調べてみると、シューマンのピアノ三重奏曲は、2011年にベルリンのコンツェルトハウス・ベルリンの室内楽ホールで生体験した経験があり、素晴らしい感動体験だった。素敵なホールでした。シューマン室内楽と言えば、ピアノ五重奏曲やピアノ四重奏曲が双壁だと思うが、ピアノ三重奏曲もじつに素晴らしいのだ。


ピアノ五重奏曲とピアノ四重奏曲は名曲なので、比較的コンサートやFM放送などでも取り上げられる機会も多いが、それに比べてピアノ三重奏曲、あまり耳にする機会は多くない。そういった意味ではある意味渋い選曲かもしれない。


自分がかねてより聴きたかったのは、葵トリオだ。小川響子(ヴァイオリン)、伊東裕(チェロ)、秋元孝介(ピアノ)のトリオ。


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ドイツのミュンヘン国際音楽コンクールで2018年に堂々の1位を獲得し、ドイツを拠点に活動する。ベルリン、ミュンヘンなどで研磨をしているときから注目していて、ぜひ一度実演に接してみたいと思っていてようやく念願が叶った。フレッシュなアンサンブルで、切れ味鋭い鋭敏さとハーモニーの美しさが両立しているような抜群のコンビネーションを魅せてくれた。ベテラン並みのかなりハイレベルなアンサンブルで舌を巻いた。特に小川響子のヴァイオリンが目立っていた。


辻彩奈(ヴァイオリン)、佐藤晴馬(チェロ)、阪田知樹(ピアノ)の第2番。辻、阪田は実演の経験済みで、佐藤晴馬が初体験で注目。チェロというもっとも人間の聴覚に恍惚感を与える帯域の楽器。ボーイングがサマになっていて、格好良かった。1度拝見してみたかった。


シュミット(ヴァイオリン)、マインツ(チェロ)、福間洸太朗(ピアノ)の第3番。自分はもちろん福間を初体験で狙っていた。予想外にシュミット、マインツの押しが目立ち、いい奏者だな、と感心した。とくにこのあとのヴァイオリン・ソナタでも活躍するシュミットが素晴らしく、自分はヴァイオリニストはやっぱり女性奏者がいい、というところもあるのだが、男性ならではの切れ味、パワフル、弓が弦に吸いつくような安定したボーウイングなど、さすが男性奏者だなと舌を巻いた。



●<第2部>14:00開演


ヴァイオリン・ソナタ 第1番 イ短調 Op. 105(中野/秋元)


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ヴァイオリン・ソナタ 第2番 ニ短調 Op. 121 (シュミット/福間)


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ヴァイオリン・ソナタ 第3番 イ短調 WoO 27 (辻/阪田)


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シューマンの第1番のヴァイオリン・ソナタは1851年に着手され、たった16日間で完成されたという曲。まだまだ活動的で、情熱に溢れる時期の作品であり、全体的に緊密に書かれた名作なのだが、シューマンはこの曲に満足していなかったようで、第1番の完成後、約1か月ほどですぐに第2番に着手、たった1週間で完成させるという超人的能力を発揮。第1番よりも更に円熟の作品を作り上げたのであった。第3番のソナタはほとんど知られていない作品で、これはかのヨアヒムに献呈された「F.A.E.ソナタ」のシューマンが作曲した部分(第2楽章と第4楽章)に、新たに2つの楽章を加えてソナタとして完成させたもの。完成度は高いものの、ほとんど注目もされず、没後100年目の1956年になってようやく楽譜が出版されたという秘曲である。



中野りな(ヴァイオリン)、秋元孝介(ピアノ)の第1番。中野りなもぜひ聴いてみたい、実演に接してみたかった若手ヴァイオリニストで、可愛らしい優しいルックスに似つかないパワフルなテクニシャンで驚いてしまった。(笑)将来かなり有望であろう。


シュミット(ヴァイオリン)、福間洸太朗(ピアノ)の第2番。かねてより福間洸太朗のピアノを聴いてみたいと思っていた。やっぱりいま若手男性ピアニストは熱いし、超人気だ。ルックスの良さ、スタイルの良さ、そして堅実だけど光るものがあるテクニック。人気なのはよくわかるな~と納得だった。


辻彩奈(ヴァイオリン)、阪田知樹(ピアノ)の第3番。辻、阪田のコンビは、もう普段でも数多くの公演を重ねてきており、もうお互いあ・うんの呼吸というか、よくお互いを知っている絶妙のパートナーであろう。もうすっかり名コンビだ。辻彩奈は、自分にとっては、スイスロマンド100周年記念コンサートで東京芸術劇場で、ジョナサン・ノット指揮でメンデルスゾーンのコンチェルトにて初めて実演に接した。将来有望と目をかけているヴァイオリニストである。いまもっとも公演数が多く、弾けている旬な奏者ではないか。初めて実演に接したときと比べ、より音量が大きく、奏法もすごく安定してサマになってきた、というか貫禄が出てきた。一流ヴァイオリニストの仲間入りという感じだ。経験の数がモノを言ってますね。


阪田は相変わらず素晴らしい。ラフマニノフ全曲演奏会でその実力に舌を巻き、ピアニストとしての実力はそのときに詳細にレポートした。まさにその通りだ。若手男性ピアニスト・知性派ピアニストの筆頭株としてこれからもどんどん精進していってほしい。応援している。



●<第3部>16:00開演


弦楽四重奏曲 第1番 イ短調 Op. 41-1 (米元/小川/鈴木/伊東)


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弦楽四重奏曲 第2番 ヘ長調 Op. 41-2 (中野/米元/佐々木/佐藤)


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弦楽四重奏曲 第3番 イ長調 Op. 41-3 (カルテッド・アマービレ)


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”弦楽四重奏は、クラシックの基本である。”


小澤征爾さんが解脱して得た真実である。それをもとに小澤国際室内楽アカデミー奥志賀、そしてスイス国際音楽アカデミー、とこの真理をもとに若手を育成してきた。


「サイトウ・キネン・フェスティバル松本」と同時に、奥志賀で若い音楽家を集めて講習会をやっていて、それとまったく同じアイデアをスイスに持ってきた。日本では日本人が主で、スイスではヨーロッパ人が中心だ。


小澤さんの解脱した真実とはこういうことだ。


要するに四重奏をやってソリストになるのと、やらずになるのとでは( その人が作り出す )音楽に違いが必ずあるということですね。音楽の本当の芯を作るのは、弦楽四重奏の主なる特徴なんですね。弦楽四重奏というのは、飾りがないんですよね、全然。オーケストラというのは飾りが割りと入っているけど。


飾りがまったくなくて、純粋な音楽作りを4人でやるというのが、歴史的にも弦楽四重奏の特徴で、作曲家もみんなそういうつもりで書いているからね。そこには純粋な音楽だけがあるのです。


そういう経験があったほうが、オールラウンドで、全体としていい音楽家になれると思います。「音楽作り」には四重奏が大切だと信じています。細かく言えば、音楽の語法とか、論法とか、そういうものを習うのにも四重奏はすごくいい。


音をただ並べるだけでは音楽にならないわけで、どうやって作曲家が紙に書いたものを音楽に戻すかと、ここのことですよね。もちろんソロの曲でもそういうことはあるのですが、四重奏の場合はそれがもろに出てくるということです。




シューマンが作曲した弦楽四重奏曲は、この作品41の3曲のみである。


1840年に結婚した妻クララが、1842年に結婚後初めての長い演奏旅行に出ている間、シューマンはライプツィヒの自宅で一人暮らしを余儀なくされ、極度のスランプに陥っていた。1840年の歌曲 (「歌曲の年」)、1841年の交響曲 (「交響曲の年」)に続き、新たに室内楽に目を向け、1842年6月4日に第1番の作曲を開始し、約2か月の間に3曲の弦楽四重奏曲を完成した。これらは、シューマンにとって最初の室内楽曲作品である。


シューマンの弦楽四重奏は、シューマンが重んじた先人たちの様式とロマン派の表現が高い次元で融合した作品ともいえる。


これは第1番だったか、第2番だったか覚えていないのだけど、たぶん1番。もうものすごい美しい軽やかなメロディで、まさにシューマンらしい春の訪れを感じさせるような明るくて優しい曲。自分はもう一発で虜になりましたねぇ~。この日のフルマラソンコンサートの中で1番驚いて、1番シューマンの音楽って素敵だ!と思った瞬間です。弦楽四重奏だから、弦の合奏の美しさ、ハーモニーの美しさが、この曲に際立って合っていて、もうじつに軽やかに軽快に弾くんだよね~。弦の厚いハーモニーってほんとうに美しいです。


ホールに響き渡る倍音の美しさ。


ふっと自分の頬に春のそよ風があたる・・・、みたいななんとも言えない軽やかさ。もう自分はベタ惚れ。自分がこの日一番反応したときでした。


米元響子さんは、ずいぶんご無沙汰。数年前にイザイの無伴奏のリサイタル以来。あとは前回の諏訪内さんの音楽祭以来かな。なんか、より女性らしく美しくなったんじゃないでしょうか?(笑)なんかあか抜けて綺麗になったな、と思いました。


カルテッド・アマービレは、2015年桐朋学園大学在籍中のメンバー(Vn. 篠原悠那、北田千尋、Va.中恵菜、Vc.笹沼樹)により結成された。勉強不足で存じ上げなく申し訳なかったですが、素晴らしかったですね~。なんかふつうに自分が聴いているベテランのカルテッドと全然遜色ないんだよね。もう驚いちゃいます。自分が差を認識できないアマチュアというだけなのか、それともほんとうに上手いのか。たぶん間違いなく後者です。自分はそれなりに経験を積んできたという自負があるので、そこら辺の識別には自信があります。


ほんとうにすごいよ。驚くばかりであった。




●<第4部>19:00開演


幻想小曲集 イ短調 Op. 88 (葵トリオ)


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ピアノ四重奏曲 変ホ長調 Op. 47 (シュミット/鈴木/マインツ/阪田)


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ピアノ五重奏曲 変ホ長調 Op. 44 (諏訪内/米元/佐々木/マインツ/ガヤルド)


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やっぱりシューマンの室内楽の名曲、王様と言ったら、ピアノ四重奏曲、ピアノ五重奏曲であろう。もう名曲中の名曲で、室内楽コンサートではかならずお目にかかることの多い曲だ。


とくにピアノ五重奏曲はその頂点に立つと言ってもいい珠玉の名曲、秀逸な作品で、とくに最終楽章のあの盛り上がりのところは、まさに春の訪れである。もうシューマンと言ったら結局ここなんだよね~。(笑)


シューマンのピアノ五重奏曲と言ったら自分は想い出がある。東京オペラシティコンサートホールのリサイタルホールのほうで、ゴローさん存命のとき、ゴローさん、みつばちさん、そして島田真千子さん、などのメンバーで、このシューマンのピアノ五重奏曲の演奏会を披露したことがあり、ゴローさんがmixiの日記でぜひ応援に来てくれ~、というお誘いに、自分はかけつけたのであった。


懐かしすぎる~。(笑)何年前のことだ?少なくとも2012年より前のことだから、12年以上前のことだ。

ヴァイオリンは1stが島田さんで、2ndがゴローさんだった。ピアノがみつばちさん。


これから開演、いざ始まる、というときに、ゴローさんがふっと立ち上がり、この期に及んで椅子の高さを調整していた。もっと始まる前にやっておけよ(笑)、と思ったものだ。図太い神経だな、ゴローさんらしいとも思いました。


それはそれは素晴らしい演奏で、”シューマンの曲は春の訪れ”というのは、そのときにこの曲を聴いて、自分の中に深く刻み込まれたフレーズだった。シューマンのピアノ五重奏曲が室内楽の名曲中の名曲である、ということも、このときにしっかり自分の中に刻み込んだ。あの公演は忘れられないです。


シューマンのピアノ五重奏曲と言ったら、あのコンサートのことを思い出すし、自分の中ではあの公演がナンバーワンの位置づけです。


個人にとってのメモリアルなコンサートの想い出というのは、じつはプロの演奏でない場合が意外と多いんですよね。


幻想小曲集と言ったら、もともとピアノ曲集で、ふつうシューマンのアルバムでは、子供の情景とカップリングで、この幻想小曲集が入っているアルバムが多いですね。これを葵トリオで聴く。素晴らしかった。なんか懐かしい感じがした。自分が一生懸命クラシックを勉強していたときのことを思い出すというか。。。


ピアノ四重奏曲もスタンダードな名曲。もちろん素晴らしい演奏だった。


そして最後の大トリ。ピアノ五重奏曲。諏訪内晶子さんが満を持してついに登場。

朝11:00からずっと聴いてきたシューマンの室内楽コンサート。もう夜の20時近くだったかな。なんか最後の大見せ場にふさわしいゴージャスなアンサンブルで自分はついに来たか~という涙がうっすらと・・・。もちろんこのとき自分のメモリアルのあの公演のこともオーバーラップした。最終楽章のあの盛り上がる、昇天して行ってエンディングに入る、あの感動の進行は相変わらず痺れました。


1日かけてのフルマラソンコンサートにふさわしいエンディングだったと思います。


最後は、芸術監督の諏訪内さんが、御礼のご挨拶とアンコール、クララ・シューマン 3つのロマンス Op.21より第1楽章で締めたのでした。



若手の演奏家のみなさんは、その実力の期待値通りの抜群のアンサンブルの精緻さと色艶のある表現力で、シューマンの味わい濃いテイストを十分に醸し出していたと思います。やはり室内楽って、聴いている聴衆からすると、各楽器のこまやかなフレージングやニュアンスが手にとるようにわかるもんなんですよね。そういうすごい生々しさがじかに感じ取れるのです。


突っ走らないし、ちょっと呼吸する、ちょっとフレーズを歌う、ちょっと息を抜くといったところがシューマンの曲のやんわりとした幻想的な感覚に妙にマッチしていてお見事としか言いようがなかったと思います。


音程の安定感と音の柔らかい伸びが素晴らしく、繊細な心の動きやふるえが感じられる表現はみんな若いのにベテラン並みだと感服しました。


室内楽の素敵なところは、音数の少ないことに起因する、そのほぐれ感、ばらけ感、隙間のある音空間を感じることで、音が立体的でふくよかに感じ取れる感覚になれるところだと思います。


大編成のオケの重厚な音では絶対味わえない豊潤なひとときだ。


そんな素敵な「音のさま」がこの音響の素晴らしい東京オペラシティコンサートホールに響きわたるのを聴けたのは本当に最高の幸せ。


これから未来の日本のクラシック界を背負って立つべく、経験、大舞台をどんどんキャリアを積んでいって大きくなっていってください。


私も最初は優しく包容あるように論評しましたが、これからは厳しいです。(笑)

やっぱり演奏家にとって、音楽評論は優しいだけではダメだと思います。お互い両者にとって伸びていく、学んでいく、育っていくには、お互い前向きで真実に迫る厳しいアドバイスも必要だと思います。


今日体験した若手演奏家のみなさんは、きっとこれからの大スターとなるそういうオーラがありました。

すごく楽しみにしています。


最後にシューマンの室内楽というと、もうひとつ自分には思い出があります。

こうしてみると、自分は意外やシューマンの室内楽、実演の経験多かったです。


ゴローさんご逝去の2012年。その年の年末をどう過ごそうか。第九はマンネリだしな~と思っていたところに、堀米ゆず子さんのシューマンの室内楽コンサートが、東京文化会館 小ホールであったのです。2012年12月21日でした。年末の聴き納めはこれにしよう!と即決でした。


プラチナ・ソワレ第3夜「冬の一夜、シューマンとともに」というタイトルで、



ヴァイオリン:堀米ゆず子

チェロ:山崎伸子

ピアノ:津田裕也


曲目


シューマン/アダージョとアレグロ 変イ長調 Op.70

シューマン/子供の情景 Op.15

シューマン/ヴァイオリン・ソナタ 第2番 ニ短調 Op.121


~休憩~


シューマン/ピアノ三重奏曲 第1番 ニ短調 Op.63



でシューマンの室内楽を楽しんだのでした。



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堀米さん、若い!!!(笑) 


いまでもよく覚えていますよ。


堀米ゆず子さんとゴローさんとは親交があって、ゴローさんのNHKのクラシック番組にもよく出演してもらっていた間柄でした。


そしてこのコンサートが終わった後、堀米さんはMCで、この年亡くなった小林悟朗さんのことに言及して、


「今年、私の大切な友人だったNHKの音楽ディレクター、小林悟朗さんが亡くなられました。つい先だって、「ヴァイオリン戻ってきてホントに良かったねぇ~。」とかいろいろ話していたばかり、いまだに信じられません。今日はその悟朗さんが大好きだったシューマンのピアノ四重奏曲の第3楽章をアンコールに演奏したいと思います。今日はトリオでしたが、このアンコールのためにヴィオラをわざわざ呼んできました。(笑)どうぞお楽しみください。」




そう言えば、堀米ゆず子さん、昔、空港の税関で自分のヴァイオリン、ガルネリを没収されてしまった事件ありましたね。(笑)いま昔の日記を読み返して思い出しました。そんなことあったな~という感じです。


シューマンの室内楽というのは、じつは自分にとって、コンツェルトハウス ベルリン、ピアノ五重奏曲、そして堀米さんコンサートと意外に縁が深かったということをいまこの日記を書きながらわかりました。


きっと、この国際音楽祭NIPPON2024 シューマン室内楽マラソンコンサートも、音楽の神様が自然と赤い糸で結び付けてくれて、当の本人である自分はすっかりそのことを忘れて、よっしゃ~若手を聴きに行くか~というなにげない動機で4部ともフル参加した、という偶然だったのかもしれません。


自分の時代から、若い新しい時代へ。

そういう縁結びだったのかもしれません。


音楽の神様に感謝です。


音楽の神様はいつも自分の音楽人生のことを見守ってくれています。











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