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社会人生活後半をどう生きていくか? [雑感]

技術系の会社に技術者として入社して技術者として生きてきた場合、その晩年をどう過ごすか、は人生のひとつの課題というか乗り越えないといけない壁みたいなものだろう。


定年まで、現役のエンジニアで行ける人ってどうなのだろう?そんなにいるだろうか。


自分の場合、ハードウエアエンジニアだったので、まず視力が落ちてきて限界を感じて、そして細かい作業ができなくなる。半田ごてで、1608チップ(いまもっと小さいチップある?)を基板に半田付けするのが、もう手が震えて、震えて・・・こりゃあかん、もう限界かな・・と思ってしまった。


CADパターン設計で、6層基板なんかを設計する。自分が社会人に成りたてのときは、表裏の2層基板でした。それがいまやGND層、電源層、部品層など、6層もある。基板集積技術の高密度化の発展はほんとうにすごい。


回路設計して、CADで回路図書いて、それに紐づいて部品表が自動で作られて、CADで基板のパターン設計をして基板を作り、工場で基板に部品を実装して、その数枚を取り寄せて、性能評価。ソフトエンジニアの人に頼んでソフトをインプリしてもらって動かす。放送系だったら、FT(FieldTest)&実走も必要だろう。


そういう本番の前に、まず、使うICをどこのメーカー社製を使うか。各メーカーからデモボードを取り寄せて性能評価。そしてこれがいちばんいい、と決めたら、ようやくそのメーカーのICを使うことを決める。


自分の会社に半導体事業部があるなら、逐次その他社ICの情報をフォワードする。そしていずれは自社製のICに乗せ換える。そうやって自社の半導体事業部を育てていく。


技術の世界は、世の中の流れは速い。もうほんとうにすごいスピードで世の中変わっていく。社内失業なんてあっという間だ。社内でどんどん職を変えていく。そんな感じだったな~。


で、オレ、こんなことをしてずっと定年までやっていくのか。。。

もう体力や視力の限界で半田付けができない。


なにより飽きた、というか、こんなことを同じことをずっと続けて歳を取っていくのはしんどいな~、という感じだった。あと肉体的、精神的にキツくなった、という感じかな。作業台と測定器の山に囲まれる世界が。(笑)


前職時代はホームエンターテイメントひと筋20年だった。でもいまの会社に転職してからカーエンターテイメントひと筋の17年である。もうカルチャーショックだった。こんなに世界が違うのか。もちろん会社のカラーの違いもあるだろうけど、ホームとカーではぜんぜん違う。


車は双方向が苦手なのだ。(笑)これからの時代、H/Uにスマホを繋げて双方向なんていう”ちゃっちい”こと言ってないで、もっと車ごとICT機能を持って双方向を実現する、そうあって欲しいと思います。スマホ連携じゃあまりにチンケすぎる!(笑)本命じゃないと思う。


カービジネスのことに携われてほんとうに良かったと思っている。キャリアとしてホームとカーの両方を知っている、というのは大きな強みだと思う。


自分は日本国内では車はやりませんが、これからの時代、カービジネスは熱いですよ~。カー業界はいま100年に1度の大革命の時期と言われています。


自分の前職時代、放送業界もアナログ放送からデジタル放送へ変革。同じく放送業界でも100年に1度の大革命と言われて、そのど真ん中で仕事をやらせていただいた。


ホームでもカーでも、自分はなにか、と100年に1度の大革命のときに遭遇する(笑)、というなかなかそうチャンスは来ない、そういうラッキーな星の巡り合わせはあるのだろう。


まっそんなに優秀なエンジニアとは言えなかったけれど、いま含めて、その当時、その当時の最先端の技術の流れのど真ん中に居れたことは幸せだったと思う。


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前職に在籍していたときから、自分の将来のキャリアプランを考えていて、その頃から知財の世界に憧れを持っていて、技術者人生の晩年は、知財の世界で身を立ててれば、とずっと考えていた。


せっかく長年の技術の世界での経験を活かせるし、知財の世界では、つねに最先端の技術テーマを扱うので、最先端の技術に身を置ける。そしてなによりも半田ごてを持たなくてもいい。(笑)デスク作業だけで、技術の世界に浸れる。人生晩年を過ごすなら、技術のキャリアを活かして、そして自分の体力のことを考えたら、もう絶対知財しか自分の進む道はないと考えた。


前職の会社では、キャリアプランで上司に相談なしに、直接人事と交渉して、自分のキャリアに沿った他部署異動ができる、そういうシステムがあった。


で、自分は知財部に異動したい、と希望を出したのだけれど、リジェクト。理由は経験がないから。知財部は即戦力、経験のある人を必要としている、ということだった。


そんなの無理だろう?誰だって初めての経験なのだから、どうやって経験ありの資格を得るんだ?と思ったものだった。


2回くらいオファーしたのだけど、経験がないから。即戦力が必要なので。というひと言でリジェクト。即戦力を必要とする現場の気持ちもよく理解できるので、なかなか転職って厳しいもんだな~と思った。


そして病気で3年間の休職。そして復職するときに、どこに部署がいい?どういう仕事がいい?という希望に知財と答えたのだが、もともと経験ありしか取らない部署が、病気上がりの人間を取る訳がなく。(笑)


その折衷案として、開発部の中に存在するのだけど、その部門の特許出願を手助けするそういうスペシャルな部門があって、そこに入らせていただくことになった。知財部は本当の意味で、出願に対する事務的な処理に専念するため、先行文献調査とか、特許出願するポイント誘導などの縁の下の力持ちのヘルパーの役割のメンバーは技術部門内にそういう機能があって廻っていたという感じだった。


そこで先行文献調査とか、特許の世界のことをいろいろ勉強した。


自分の技術者人生を振り返ってみると、映像、音声、放送、機構とあった場合、自分はその圧倒的な部分を、放送と音声を占めたのではないか。


とくに音声の仕事は、かなり圧倒的に多かったと思う。知財の世界で、かなり音声処理の特許を出願担当したり、先行文献調査したりして権利マップを作ったりした。音声処理のスペシャリストの技術者にいろいろ教えてもらいながら、それを特許面で自分が貢献する、そんな感じではなかったか。音声処理について(圧縮も含めて)はかなり勉強した。


とにかく音声処理については、随分関わってきた気がする。音声処理のエンジニアの人から、音声処理って映像処理と比べるとものすごく簡単ですよね~。もうやることない感じなんですよ。(笑)とよく言われたことを覚えている。


自分が社会人に成りたての頃、ビデオ事業本部に在籍していた頃(ベータマックスとか全盛でした。。笑笑)、ビデオ事業部とオーディオ事業部とはかなりカルチャーが違っていた。壁があったように思う。


自分が不思議だったのだが、オーディオ機器というのは、いわゆるハイエンドオーディオと呼ばれるものは、100万円なんてザラ、数百万円から数千万円の価格帯である。


でも映像機器は、もう完全に普及価格帯なのだ。ビデオも最初の一発目は旗艦機器として値段が最高なんだけど、それからどんどん安いエントリーモデルが出ていくという路線。最初の旗艦器で高くて40万円。その後の普通価格帯で6万~10万じゃないか。


自分は不思議で不思議で仕方がなかった。映像処理のほうが、音声処理より遥かに難しくて高度で演算量も半端じゃないのに、なぜオーディオ機器は数百万単位で、ビデオ機器は数十万なんだ?(笑)


これはビデオ事業部にいる者にとってちょっとしたジェラシーであった。


自分の中には


”映像処理>音声処理”


という方程式が確固としてあったので、これがいざ商品の価格帯では反転現象になるのが許せなかった。


でもその後、オーディオはいわゆる高級オーディオというHigh Soceityな文化が昔から存在していて、その音、音楽にかける社会的ステータスがすごい高い。そういう文化が昔から存在しているのだ。


それに対して、映像の文化って、まず普及してなんぼ?というのがあるのではないか。


”テレビ番組を録画する”


まず家庭に普及して意味がある。東京オリンピックの頃、力道山のプロレスを観たくて、テレビのある家でみんな集まって応援する。そうやって各家庭にテレビが普及していく。


ビデオもその延長線上で、普及してなんぼ、というのがあるんじゃないか。

普及させるのは、まず普及価格帯ではないと勝負にならない。


オーディオは趣味の世界だから、金のある人、趣向のある人が買っていく。そういうニッチなビジネスでもいい。それでも景気のいいときは、それでマーケットがきちんと廻っていて存在できていた、そんなビジネスなんではないか。


後年、自分の中でそういう位置づけをして、自分なりに納得させたものだった。


その後、自分がオーディオマニアになるとはつゆにも思ってもおらず。(笑)

そしてオーディオマニアになってから、この真髄は正しいと理解できるようになった。


まさにオーディオマニアになって、いろいろな経験をして、学び、オーディオオフ会も多く体験し、そしてコンサートホールの音響なんか勉強していくうちに、自分の人生はますます音、音声処理の世界で占有された人生だったのだな~といま振り返ってしみじみ思う。


でも技術者として、思うのは、やはり自分の中では、


”映像処理>音声処理”


の方程式で揺るぎがないです。


技術者として、本格的に映像処理を専門として拘われなかったのは、残念だったと思う。

自分の時代は、技術者にとって、映像処理はやはり華形でしたから。


でも好奇心旺盛な自分は、もちろん仕事では拘われなかったけれど、自分の知識として映像処理とはどういうものか、というのを一生懸命勉強していましたよ。そういう本が市販でたくさん出ていて、片っ端から買って読み漁っていました。前職時代は仕事人間だったので。



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技術者、エンジニアの末路はなかなか厳しい。成功例は管理マネジメントになることだ。優秀なエンジニアで、人間力がある人は管理マネジメントとして登用されていくだろう。でもそれはほんの数パーセントだ。残りの凡庸な(自分も含めて)人はどうするか。他社に転職して生きながらえるか、あるいはまったく職種を変えて、技術の世界とはまったく関係ない文系の仕事につくかだ。


人生の現実は厳しいのだ。


技術者、エンジニアの末路は大体そういうところだろうな、と若い頃から思っていた自分は、どうしても自分の晩年の身の置き方、というのを考えざるを得なかった。


自分が目指したのは、知財の世界だった。


人生の好転機はあっけない感じでやってきた。

転職して、毎年自分のキャリアプランシートを書かされるのだが、その第2志望に知財部希望と書いていたら、知財部に欠員が出て、至急人材が欲しい、ということで白羽の矢が立った。


人生ってあっけないもんだな~と思った。(笑)

あれだけ希望してもなかなか通らなかった夢が、こんな理由でいとも簡単に実現できてしまうとは。。。である。


これが世の中なんだろう。


多少はかじったことはあるにしろ、知財素人の自分を一生懸命育ててくれた当時の知財部の上司にはもう頭が上がらないです。特許出願、中間処理、外国出願、係争のときの会議にも積極的に参加させてくれ、いろいろ経験を積ませていただいた。


ここで、思ったことは、半田ごてが嫌で、体力がもう持たないから、ペーパーの世界で技術の世界を堪能したい。そういう思いで知財を希望していたのだが、そんなに現実は甘くなかった、ということだ。


知財の世界は、知財の世界で、独特の苦しみというのがあるのだ。

それは分厚い特許明細書を読み込んで、その明細書に書かれている技術を一瞬にして簡潔にまとめられること、そして理解できること。膨大な特許案件(特許リスト)何千件を、ざっと俯瞰して読んでいき、それを全案件とも内容をピンポイントで把握でき、簡潔にまとめられること。


これははっきり言おう!


技術者の世界より、相当厳しい、というか、そうとうツラいですよ。(笑)


技術系の文章を読んで、それを理解する。


あるいは、


技術系の文章を書いていく。(特許明細書を書く)


という作業は、相当苦痛ですよ。


これはやっぱり才能が必要だと思う。才能がないと案件をつぎつぎと処理できないと思います。


自分がこのときつくづく感じたのは、”仕事のできる人”というのは、ある意味頭がいいのだろうけど、ほんとうにすごく効率的で処理能力がずば抜けているのだ。他人のペースを遥かに上回るそういう処理能力がある。


この”仕事のできる人”を自分がいちばん実感として感じたのが、この知財時代だった。

処理能力のある人が仕事のできる人という方程式も成り立った。


知財の世界は、やはり件数ですから。特許出願件数。中間処理件数。。。もう仕事のできる人は、もうあっという間に、どんどん何件も出願を済ましてしまう。それもすごいペースでどんどんこなしていく。


文章を読まないといけない。そして考えないといけない。そして文章を書かないといけない。


これで件数、スピードが求められる。


以前日記に書いたと思うが、企業知財部、そして特許事務所の先生たちは、毎日ノルマを課せられて仕事をしていますから。ノルマを達成できないと査定、給与に響いてきます。


もうこれはある意味、すごいハードワークで、相当ツラいですよ。

技術者時代、ペーパー上だから楽ちん、なんて思っていた自分は相当甘かったです。


知財の世界は、技術の世界とはまったく別の世界だった、と言えました。


自分が現役時代、どうしても敵わないと思った同僚がいた。その人はすごいおとなしい寡黙な人なんだけど、もうすごい処理能力がすごくて、あっという間に自分でどんどん明細書を書いちゃうとか、あの処理能力はちょっと敵わないな、とため息がでました。


”知的財産”という世界は、自分が予想していた世界とは全然違っていて、相当ハードワークなところだったと言えます。というか、技術者の世界とは、ハードな意味合いが違う、まったく違う次元のハードという感じでした。



いまでこそ、いろいろな分野でDXということが叫ばれていますが、知財ほど紙の文化だったところはないでしょう。(笑)さすがにいまはもう特許庁を始め、DX化は進んでいるでしょう。でもあの完璧に紙の文化だった頃をよく知っているだけにあそこからどうやってDX化するのか、気が遠くなるというか、大変でしょうな。


いまの時代は、アイデアシートをAIに読み込ませれば、AIが特許明細書を作成してくれる時代だそうですよ。(笑)


昔、いまの携帯でナビが実現できてしまうナビタイムNAVITIMEが世に出た頃、カーナビの大手のパイオニアがナビタイムを特許侵害と訴訟したことがありました。結局パイオニアが敗訴してしまったのですが。


そのとき、その訴訟記録を閲覧するために、どこだったか、よく覚えていないのですが、そういう知財訴訟、裁判の記録が格納されている図書館に行ったことがあります。


とりあえず知財図書館と言っておきましょうか。。。そこはもちろんコピー禁止です。訴訟記録をひたすら直筆で写すしかないのです。もう大変苦痛な作業でございました。(笑)


その図書館の地下には食堂があって、なんかカレーを食べたのかな、美味しかった~。照明暗かったです。


知財には、”お宝発掘”という地道な作業もあります。これはかなり苦痛な作業です。


ライセンスオファーというのは、ある技術の権利を特許などという形で保有している者が、他社に対してその権利行使をすること。自分の技術ライセンスの権利の使用を認める代わりに、その対価、ロイヤリティを支払ってください、そういうオファー、申し入れをすることを言います。



いつもライセンスオファーされる側だけど(笑)、ライセンスオファーする側もかなり大変です。ライセンスオファーするって簡単なことじゃないです。


他社製品のカタログを全部調べて、その取説と自社特許を照合して自分の会社の特許の技術を使っているかどうかつぶさに調べるのです。もう洗いざらいつぶさに調べます。



やっとこさ確証見つけてレター作成して送付しても、すぐに、ハイ、払いますなんてなる訳ない。(笑)


そんな簡単にはまず行かないです。レターを送られてもそのまましばらく放置というか、交渉含め、ものすごく足が長い時間のかかることなのです。



まっいままで日記でいろいろ知財の世界を紹介してきたので、もうそこで言い尽くした感はありますが、知財の世界は楽じゃない、ということです。ペーパーの世界とタカをくくってはとんでもないことになる、ということです。



技術者、エンジニアにとっては、やはり人生の晩年は、お金に関すること、経営に関することは学んでいたほうが絶対いいです。いくら最新の技術と誉れ高くエバっていても、結局会社って経営で成り立っている、自分たちの給料がどうやって作り出されているのか、その真実をちゃんと知っていたほうがいいです。


サラリーマン、エンジニア、会社人にとっての最終目標は、最後はちゃんとお金のことを理解する、経営のことを知っておく、ということではないでしょうか。自分も偉そうなことを言っていますが、たまたま知財繋がりでライセンス料管理の世界に足を踏み入れるようになり、このお金の世界に入り込みました。


自分の会社のように製造業、つまり商品を開発、製造して、それを世界に販売していく、というビジネスの場合、それにかかる費用、そして売り上げによる利益、そういう関係をよく理解しておいたほうがいいです。


結局会社ってここなのです。

会社って、とどのつまりここなのです。


この真実を知らない限り、いつまでも大人にはなれない、ということではないでしょうか。


・・・なんて偉そうなことを言ってますが、自分も知財からいまの原価グループに移動したときは、まったくのチンプンカンプン、グループメンバーが話している言葉、内容がまったくの宇宙語でした。(笑)


いまもひたすら勉強中ですが、お金の世界は理屈はシンプルなんだけど、とても深いです。


やっぱり会社人だったら、最後の晩年は、きちんと経営のことを理解できるようになるのが、ひとつの目標なのかな、と思います。若いうちはそんなことを考えずに、もうバリバリと技術のことを。そして晩年は経営のことがよく分かっている。。そういうステップがいいのではないでしょうか。



還暦、定年を迎え、セカンドステージと人生が移り変わっていく上で、自分のいままで歩んできた人生をちょっと振り返ってみたくなりました。


じゅうぶんやってきた。よくやってきた。と自分を褒めてあげたいと思います。


なんとか潜り抜けた、通り抜けた、という感じです。(笑)


と、同時に、技術者、エンジニアにとって、自分の晩年の身の置き方を考える、というのも大事なことなのかな、と思い直しました。


もちろん生涯現役、ずっと還暦以降でも、バリバリのエンジニアとして頑張っていく、そういうすごい人もたくさんいることでしょう。自分は、もうそういう人はほんとうに尊敬してしまいます。持って生まれた才能、類まれな才能の持ち主だと尊敬しております。



2024年4月6日(土曜日)


渋谷ハチ公前です。桜が満開でした。いよいよ桜の季節ですね。渋谷ハチ公前は、もう相変わらずですが、外国人観光客でいっぱいでした。ハチ公もタスキ掛けしています。(笑)このハチ公の横に立って記念撮影するのがひとつのパターンなんですね。片側に1人、あるいは両側に2人立って、ハイポーズで記念撮影して、つぎは私の番って感じで、それを順番で繰り返すのです。もうエンドレスでやってます。(笑)


渋谷の桜の季節の名物ですね。


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