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シン なごやめし [グルメ]

名古屋めし(なごやめし)は、グルメ激戦区として知られる愛知県名古屋市の名物料理を指す造語である。すべてが名古屋市発祥の料理ではなく、他の地域に起源を持つ料理もある。


特徴


全国的に知られるメニューに創作を加えた料理が特徴で、味付けが濃厚で個性が強いことが共通している。B級グルメに属する料理の集合体。豆味噌や溜り醤油などが多く使われる。なお、発祥が名古屋や中京圏ではない料理でも名古屋めしに含む場合もある。


なごやめしは、とにかく濃いのである。すごい濃い。

一種独特の味付けですよね。濃い味付けです。


3年前の2020年に、”なごやめし”を体験したく、名古屋ツアーをおこなった。でもそのときはなごやめしのすべてを制覇したわけではなく、心残りで宿題を残したメニューもあったので、今回それを全部網羅して、”なごやめし”を自分のモノにしたかった。


リベンジ、再挑戦である。


もちろん、主役のなごやめしメニューは、もう1回堪能したかったというのもある。


では旅程の順番に、自分が体験していった”なごやめし”を紹介していこう。


●味噌おでん、どて煮


寒くなると多くの人が食べたくなる料理の1つとして、おでんがあげられるでしょう。練り物を中心に複数の具材を使用するおでんは、煮込み料理や鍋料理に分類される日本を代表する料理です。


一般的なおでんは、鰹節や昆布でとった出汁をベースに味付けされますが、名古屋のおでんは一味違います。名古屋グルメと言えば味噌をふんだんに使用した料理が有名ですが、おでんも味噌ベースです。


「味噌おでん」と呼ばれる名古屋のおでんは他の名古屋グルメ同様、その他地域のものと比較しても一線を画しているのです。


情報引用元:


味噌おでん

名古屋のおでんは味噌で楽しむ!「味噌おでん」の特徴とおすすめ店舗をご紹介(たべまろ)




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・豆味噌をベースに煮込んだ「味噌おでん」


名古屋グルメに欠かせない要素の1つとして、岡崎市で作られる伝統調味料の「八丁味噌」があげられます。八丁味噌は岡崎市で作られた味噌だけが名乗ることを許されている名称であり、大豆と塩の味を原料に作られます。


豆味噌の1種である八丁味噌は最低でも1年以上、長くて3年程度熟成されてから市場に出回ります。そのため濃厚なコクと酸味、独特な渋みが特徴となっているのです。


そんな八丁味噌をベースに甘めの出汁で煮込まれた「味噌おでん」は、別名「味噌どて」とも呼ばれており、名古屋だけではなく愛知県全域で愛されています。


通常のおでんとは違い、八丁味噌由来の真っ黒な出汁は見た目のインパクトも抜群。もちろん煮込まれた具材も、味噌由来の特徴的な色をしています。


「味噌おでん」は本来、大阪を中心に食べられていた牛すじ煮込みである「どて焼き」が変化し、現在の形になったと考えられています。その説を裏付けるように名古屋で「どて焼き」は「どて煮」と呼ばれ、それぞれ区別されていますが、基本的な味付けは同じ。提供するお店によっては「味噌おでん」も「どて煮」も区別していない場合もあるのです。


・味噌を後からつける「田楽」タイプも


味噌ベースの出汁で煮込むおでんだけではなく、昆布や鰹節といった通常の出汁をベースにしたおでんに、後から味噌を付けて食べるタイプも存在しています。


このおでんの場合、土鍋などの中央に味噌ダレが入った味噌壺を配置し、その回りでおでんの具材を煮込んで作られます。そして取り分けた具材に、各自味噌壺から取った味噌で味を付けて食べるのです。


味噌の味付けは店舗や家庭によって様々ですが、基本的には八丁味噌をベースに砂糖やみりん、ごまなどを入れて作られます。


この食べ方は全国各地に郷土料理として残る「田楽」の食べ方と類似しており、「味噌おでん」の原型は後付けタイプだったと言われています。しかしながら現在では前述した、味噌ベースの出汁で煮込んだ「味噌おでん」が主流となっているのです。


・意外と知らない「おでん」の歴史


馴染み深い料理であるおでんの歴史は古く、室町時代にまで遡ります。豆腐などを串に刺した「焼き田楽」や「煮込み田楽」がおでんのルーツと考えられています。


そして江戸時代には田楽に味噌を付けた「味噌田楽」が庶民の間に広がり、江戸の名物として流行。その種類も豆腐だけではなくナスや里芋、こんにゃくなどと増えてきました。当時の大阪でも味噌を付けた「こんにゃく田楽」が流行し、江戸同様に多くの人々に愛される料理になっていたようです。


その後、現在のように複数の具材を煮込む「おでん」へと移り変わった理由には諸説ありますが、江戸時代後期に現在の千葉県で醤油の醸造が盛んになったことが一説として唱えられています。


つまり関東地方を中心に現在のおでんの原型が現れたため、西日本を中心に「関東煮」と呼ばれていることが考えられます。このような歴史的背景を確認すると、おでんの味付けの原点は名古屋の「味噌おでん」同様、味噌味にあったことが分かりますね。




・・・もうこれだろう~。前回堪能できなくていちばん心残りだったのが、この味噌おでん、どて煮なのでした。

なごやめしといえば、自分はやはり味付けに八丁味噌をすぐに思い出す。それだけなごやめしと味噌の関係は深いと言える。


自分は、おでんは、関東おでん、関西おでん、金沢おでん、そしてつい最近の姫路おでんとかなり経験豊かだと思うのだが、やはり名古屋おでんである味噌おでんとどて煮はどうしても食しておきたかった。


今回、名古屋に入ったその初日に、まずこの名古屋おでん、どて煮を体験しようと思っていた。

狙ったのは、島正さん。


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以下、島正さん公式HPより抜粋。


1949年(昭和24年)創業。


今も進化を続ける伝統に味。

「名古屋名物 どて焼き」


名古屋の名物料理「どて焼き」。別名では「味噌おでん」・「味噌どて」などとも呼ばれています。「どて焼き」とは、牛のスジ肉や大根などを八丁味噌で煮込んだもので、おでんの「関東煮」や「関西煮」とは違う、名古屋独自の郷土料理です。


「どて焼き」の由来は、鉄板の上に八丁味噌で土手を作って中に水を入れ、焦がしながら煮込むことから、そう呼ばれるようになったと言われています。(鍋を使うようになったのはあとのことです)


甘味と辛味と旨味をあわせ持つまろやかなコクのある味です。



当店で使用している「どて焼き」は愛知名産の「八丁味噌」を使用しています。八丁味噌とは、米麹や麦麹を用いず大豆のみから作られる豆味噌の一種であり、赤褐色の味噌です。2年を越える天然醸造の製法で作られ、独特の渋みと旨味が特徴の味噌です。八丁味噌には塩辛いイメージが定着していますが、実際八丁味噌は塩分が少ないのが特徴です。


近年では、2006年4月より放映されたNHKドラマ『純情きらり』の舞台が八丁味噌の蔵元であったこともあり、注目を集める食材となりました。


島正のどて焼き ~ SHIMASHO's DOTEYAKI ~


大鍋の中で、ぐつぐつ煮る具は、大根、豆腐、コンニャク、卵。別鍋では牛スジも。普通のおでんとは違って、塩味のついた練り物は使わず、具自体には味がついていないものが基本です。この土手焼きに加え、揚げたての串カツを鍋の味噌の中にさっとくぐらせた味噌串カツも創業以来の名物です。使う味噌は名古屋独自の八丁味噌。(豆味噌とも呼ばれています)この味噌で煮込んだ大根等は茶色というよりも黒色に近いですが、色の割りには味はそこまで 濃くはありません。


大根は下ごしらえをしてから、10日かかって味を仕込みこませます。甘過ぎず、辛過ぎず、まろやかな味です。


・・・名古屋でどて焼き、名古屋おでんといえば、やはり島正さんでしょう~。

さっそく行ってきました。


もう店内は、ほんとうに狭く、カウンターのみの小スペースなお店であった。


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店員さんとお客さんとの距離がすごい近い。濃密な関係を築ける間柄になれそうだ。


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自分は、どて焼き、どて煮というと、もうすごい大鍋でグツグツ煮る感じを想定していたのだけれど、またネットで勉強しているときでも、そういう写真が圧倒的だである。でも本場の島正さんは、予想外に小さな正方形の鍋で慎ましやかに煮ていたのである。


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まさに盛り付けだが、もう見ているだけで、よだれが出そうで、美味しそう~。やっぱり味噌おでん、どて煮は堪らんですな~。


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来ました~~~。6種盛り合わせにしました。


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もう写真で見た通りの味がします。(笑)

まったく期待を裏切らないです。ご想像される通り、その通りの味がします。


甘くて濃厚な八丁味噌の味。

まさにこれよ!という感じで、大満足なのでした。


今回はグルメツアーなので、これからの日程、たくさん食べるので、この6種盛り合わせだけにしましたが、本音はもっと腹いっぱい食べたかった~という感じです。やっぱりおでんは味噌味かな、と思いました。なごやめしでいちばん食べたかったのが、この味噌おでん、どて煮でしたから。後ろ髪引かれる思いで、店を後にしました。



●名古屋モーニング 小倉トースト



喫茶店のモーニングサービスは、いまや全国どこの喫茶店でもあたりまえにおこなわれているサービスだろう。自分も社会人に成りたての頃、販売研修で大阪の上新電機に販売応援に行ったとき、毎朝、朝食替わりに喫茶店でモーニングを食べていたのをよく思い出す。自分にとって喫茶店のモーニングと言えば、あのときの経験だ。


喫茶店のモーニングは、名古屋の喫茶店が発祥だと言われている。今回喫茶店モーニングを名古屋の喫茶店で味わってみたいと思っていた。とくに名古屋名物である小倉トーストは、いままで食べたことがなかったので、ぜひチャレンジしてみたいと思っていた。


さて、喫茶店モーニングが名古屋の喫茶店が発祥だというそのルーツをもう少し詳しく調べて勉強してみよう。




情報引用元:


名古屋名物“モーニング”。発祥の地・一宮市でその秘密と喫茶文化に迫る!

住まいと暮らしのライター 松尾麻衣子



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・名古屋名物として知名度を上げたモーニング


「コーヒーを頼んだだけなのに、勝手にトーストとゆで卵が付いてきた!」と、他府県の人たちから驚かれてきた名古屋地方の“モーニング”。もはや、説明するまでもないかと思うが念のためお伝えしておくと、モーニングとは飲み物一杯分の値段で、おまけが付いてくる朝限定のサービスのこと。おまけは、トーストに小倉あんをトッピングできたり、うどんや茶わん蒸しが付いてきたりと、多種多様の進化を遂げている。


独自のモーニングを提供するレトロな純喫茶は、今や若者たちの絶好の“映えスポット”として賑わい、名古屋喫茶の代表格・コメダ珈琲店は47都道府県への出店を果たし全国制覇。モーニングというネーミングは今では名古屋地方の食文化としてしっかりと定着してきたように思う。


名古屋名物として知名度を上げたモーニング。発祥の地は名古屋市の北にある一宮市だといわれている。今回はこの一宮市で開催された、大ナゴヤツアーズ「喫茶店めぐり モーニング発祥の地・一宮編」に参加し、この地でモーニングが誕生した理由や、根付いていった経緯について教えていただいた。


モーニングの起源についての話。一宮市では商工会議所が中心となって2009年に一宮モーニング協議会を設立。同協議会の調べによると、最古のモーニングは昭和31(1956)年に誕生していたことがわかったそう。


「『三楽』という喫茶室が最初にモーニングを出したといわれています。最初からトーストが付いていたわけではなく、実はゆで卵とピーナッツがおまけとして付けられていました」と大竹さん。現在のモーニングは進化形というわけだ。


続いて、モーニングが始まった経緯については


「一宮は全国的にも有名な繊維のまち。昭和30年代は繊維業の全盛期でまちのあちらこちらに機屋(はたや)さんがあり、機織りの機械がせわしなく稼働していました。全国からいろんな業種の方が打ち合わせなどで訪れる機会も多かったのですが、社内では機械の音がうるさくて商談がなかなかできない。だから、喫茶店を会議室や応接室代わりに利用する会社が多かったんです。こうして頻繁に利用してくれる機屋さんに何か還元しようと、喫茶店側が始めたのがモーニングだといわれています」。常連さんへのちょっとしたお礼の気持ちがモーニングの始まり、というわけだ。



・一宮の繊維街で生まれたモーニングが長者町に伝わり、名古屋全域に広がった


一宮から名古屋へとモーニングが派生していった経緯についても繊維業が大きく影響している、とは大竹さんの仮説。「名古屋の丸の内周辺には、東京の横山町、大阪の丼池筋に並ぶ日本三大繊維問屋街のひとつ・長者町繊維街があります。一宮の機屋さんたちはそこへ納品しに行きます。商品を納めて、さて喫茶店で一服でもしようとなったときに『モーニングが付いてこんがや(尾張弁:付いてこないね、の意味)』)となったのではないでしょうか。そこで、『一宮にはこんなサービスがあるからやってみや~(やってみたら?)』、と名古屋の喫茶店のマスターに教えたんじゃないかと考えてみたんです」。この仮説はさらなるリサーチによって裏付けも取れたという。


「長者町付近で昭和30年前後から営業している喫茶店のママさんから、『うちのお爺さんが、一宮の人に言われて(モーニングを)始めたんだわ』という証言を得られました。このことから、一宮の繊維街で生まれたモーニングが長者町に伝わり、そこから名古屋全域に広がっていったと考えてもいいのではないかと思います」



・・・そうだったんですね。名古屋の一宮の喫茶店が喫茶店モーニングのルーツだったんです。昭和31年(1956年)のことです。名古屋一宮市は、そのとき繊維業が全盛期で、機屋(はたや)さんがたくさんいて、その打ち合わせ場所として喫茶店が使われたんですね。(工場だと機械の音がうるさいから。)そのとき、心配りで、コーヒーだけじゃなく、トースト、ゆで卵、ピーナッツが出された、ということなんですね。


そして一宮の喫茶店でこんなサービスがあるけど、ここはないのかい?ということで、どんどん名古屋中に広まっていった。そういうことなんですね。


いや~大変勉強になりました。。。


リンク先には、もっと詳細に書いてありますので、そちらをご覧になれば、喫茶店モーニングのルーツが解明されるでしょう。


今回、喫茶店モーニングを堪能するには、どこの喫茶店を利用するか。自分は名古屋に土地勘がないので、地元民が愛するローカルな名古屋喫茶店をよく知らないんですね。


もうコメダ珈琲にしました。(笑)


名古屋発祥のコメダ珈琲。いまや47都道府県への出店を果たし全国制覇だそうです。


名古屋のどこのコメダ珈琲にするか、悩みどころで、名古屋駅前がいいな、と思ったのですが、ホテルに向かう途中の地下通路UNIMALLの中にその店舗を見つけました。名古屋ツアー2日目の朝早く7時くらいにさっそく入りました。


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店内は小さなスペースで、斜め傾斜のついているデザインでした。いちばん高いところに厨房があるんですね。


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喫茶店には新聞、雑誌は不可欠です。(笑)


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モーニングメニューです。もう迷わず自分は小倉あんがついているモーニングサービスを注文しました。


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念願の小倉トーストのモーニング。

喫茶店モーニング発祥の地、名古屋の喫茶店でいただいております。


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もう、これもご多分にもれず、写真のとおり、ご想像されるが通りの味がします。

まっこういう感じだろうな、というところです。


美味しかったです。

とても記念になりました。



●名古屋駅ホームのきしめん



JR名古屋駅を使うことから、どうしても、駅ホームの立ち食いきしめんは体験しないといけないだろう、ということで、今回もしっかり食べてきました。以前日記で、なぜ名古屋駅ホームの立ち食いきしめんは、新幹線ホームより在来線ホームのほうが美味しいのか、その特集をやりました。そこで詳しく書いたので、ここでは簡単に済ませます。


ひと言で言いますと、在来線ホームのお店は、揚げ物をあげるフライヤーの設備があることです。だから揚げたてのホクホク、サクサクの揚げ物を食べれるのです。在来線ホームの中でも最強なのが3番ホームです。3番ホームのフライヤーがいちばんサイズが大きいのです。


新幹線ホームのお店はフライヤーがないのです。ですので、3番線ホームのお店のフライヤーで揚げてから、その揚げたものを新幹線ホームに輸送しているのです。


そのロジックが前回わかりました。


在来線3番ホームは、大府、豊橋方面の東海道線ですね。


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ありました!相変わらず変わってない、住よしさんの立ち食いきしめん。史上最強の3番ホームのお店です。


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フライヤーでかいですね~。(笑)いま揚げたて真っ最中です。


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かき揚げのきしめんを頼むのが王道ですね。住よしさんのきしめんは、このかつおぶしがすごいいい香りで美味しいのです。王道の不変の美味しさでした。


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こちらが新幹線ホームの住よしさんです。黒いのが特徴です。新幹線ホームは、やっぱり在来線ホームと違って、すごい混むんですよね。ある意味あたりまえのことですが。。


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愛され続けて駅きしめん。昭和36年 名古屋駅 開店。

自分が生まれた年よりも古いんですね。驚きです。


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でも、新幹線ホームのかき揚げきしめんも美味しいです。やはり名古屋駅に来たら、住よしさんの駅きしめんは食さないといけません。


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●味噌カツ


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今回のなごやめしメニューの中でもっとも乗り気じゃなかったのが、この味噌カツです。(笑)

もうヘビーすぎる。(笑)


こりゃ腹にもたれるだろう?と思いました。



味噌カツはなぜ名古屋が有名なのか?


愛知県、とくに名古屋市内で提供される味噌カツは豆味噌をベースにしたタレがかかっています。 これは愛知県の味噌といえば豆味噌が多くつかわれているためです。 豆味噌は東海地方(愛知県・三重県・岐阜県)で主に生産されており、とくに愛知県で多く生産されています。


情報引用元:


全国みそ料理めぐり

愛知県みそカツ




・味噌をベースにしたタレが自慢。名古屋めしの代名詞。


「東海地方にあるトンカツを提供するお店で、味噌カツを置かない店はほとんどない」といわれるほどの郷土料理となった味噌カツですが、ルーツとなった説はいくつもあります。


味噌カツのルーツは戦後まもないころの昭和40年代が多く、カツに味噌で作ったタレをかけて提供されたとする説がもっとも多くなっています。昭和24年創業で「味噌カツ」の発祥を謳う「味処 叶」は、浅草で蕎麦屋を経営し天丼も提供していた先代店主が、戦後名古屋に帰郷し店を再開した際、天丼のタレをヒントに「醤油でできるなら、味噌でもできるはず」と名古屋の名物食材の豆味噌をベースにしたタレをかけたことが発祥と記載しています。


また1967年(昭和42年)に刊行されたガイドブックには、愛知県名古屋市中区錦三丁目にあった「和食レストラン なごや」が、豆味噌をベースにしたソースを豚カツにかけて提供しているとの記述があり、その後の1970年代に刊行された他の書籍などでも名古屋市内や尾張地方周辺の店舗で広く提供されている旨の記述があるそうです。その他にも三重県津市の「カインドコックの家 カトレア」が1965年(昭和40年)に考案したものであると店主自ら名乗りを上げています。しかし三重県と愛知県では味噌カツに使われている味噌が異なることから味が異なっているため、同名の別物とする文献もいくつか存在しています。


味噌カツとして提供されたことをルーツとする説の対抗として、名古屋でもっとも有力視されているのは「屋台で串カツを食べていたお客さんが豆味噌で煮込んだどて焼きにつけて食べたことから誕生した」というものあります。



・愛知県の味噌といえば豆味噌


愛知県、とくに名古屋市内で提供される味噌カツは豆味噌をベースにしたタレがかかっています。これは愛知県の味噌といえば豆味噌が多くつかわれているためです。豆味噌は東海地方(愛知県・三重県・岐阜県)で主に生産されており、とくに愛知県で多く生産されています。


豆味噌の歴史は古く、西暦730年には、現在の愛知県西部の尾張国から朝廷に献上されたと記録が残っています。その後平安時代には、都であった平安京に味噌専門店があったとされています。


米や麦でつくった麹と、蒸した(または茹でた)大豆と塩をあわせて仕込む米味噌と麦味噌と異なり、豆味噌は大豆を直接麹にします。蒸した大豆を潰し、団子のように丸めた味噌玉をつくり、そこにコウジカビを繁殖させます。すると豆麹ができあがります。あとは塩と水を加えれば味噌の仕込みは完了。シンプルな材料でつくられる豆味噌は、大豆に多く含まれるタンパク質が微生物に分解され、多様なアミノ酸となることで濃厚で複雑な香りが生み出されます。



味噌カツ、ヘビーすぎて気乗りしませんが(笑)、味噌カツといえば矢場とんです。


矢場とんの本店は矢場町にあるのですが、なにせ足が悪いので、見知らぬ街で本店を探し当てるほど元気がでません。そこで旅行中の予定変更。よくあることです。支店がいっぱいあるなら、もうそこでいいじゃない。あえて本店にこだわる必要ないじゃない、です。


この日は名古屋城&本丸御殿を見学に行っていたのでした。


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そこに金シャチ横丁という名古屋名物の食べ物屋さんが集結しているところがあるのです。ここは義直ゾーンかな?ここに矢場とんがありました。もうここでいい!と即決です。


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名古屋城 金シャチ横丁の矢場とん。


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もう矢場とんはどこのお店でも大混雑です。

もうここもこんなに大行列。


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自分が狙うのは、このわらじとんかつ御膳です。しかし、わらじとんかつって・・・(笑)もうますますヘビー感が溢れ出てしまい、ゲソっとなってしまいます。(笑)


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店内はかなり広い感じです。


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お土産屋もたくさんあります。


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これが矢場とんの味噌カツです!出た~という感じです。


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最初、味噌がかかっていない状態で、配給されたので、あれ?味噌かかっていないじゃないですか?と聞いたら、女性店員さん、これからかけるのです。そしてジャ~という感じでとんかつに味噌ソースをかけます。


一気に味噌カツに出来上がりです。矢場とんの味噌カツの味噌ソースは液体状ですね。ネットの写真なんかを見ると、トロリとした粘液上のタレも多いですが、矢場とんは完全にサラサラの液体ソースです。



これがまったく予想外のダークホースでめちゃくちゃウマいのです。これは最高に美味しい。あれだけ恐れていたヘビー感も全然なく、豚肉がすごく柔らかく高級な豚肉を使っていると思います。


なんで、こんなに美味しいと思わせたのか、というと、たぶんいままで連日食レポなので、セーブするというか、腹ペコ感がちょっとある感じであまり食った~という感じがしない中途半端な状態が続いていたところに、この食べ応えのある味噌カツで、その空腹感が一気に解消された。。。そういう解放感があったのだと思います。それがめちゃくちゃウマい!というように余計に感じてしまった。


やっぱり人間ってガッツリ食わないと、満たされない生き物なんだと思います。そういうガッツリ感が味噌カツにはあって、すごい食べて大満足、という感じになったのだと思います。


矢場とんの味噌ソースが液体状なのもよかったですね。豚肉が柔らかいところに、このジューシーな味噌ソースが抜群に合ってました。


迷わず今回のなごやめしツアーの優勝は、この矢場とんの味噌カツとすることにしましょう!



●味噌煮込みうどん



味噌煮込みうどんの山本屋総本家も、この名古屋城 金シャチ横丁にありました。一気にこれも食べてしまいます。前回もレポしましたが、名古屋で味噌煮込みうどんといえば、やっぱり山本屋だそうで、しかも山本屋総本家と山本屋本店が、うちこそ元祖、本家と争っているとか。前回は両方とも体験しました。味的な違いは自分にはわからなかったです。名古屋城に入っているのは、山本屋総本家のほうです。


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なごやめし、といえば、やはり味噌煮込みうどんですね。美味しそうだけど濃そう~。喉乾きますね。前回は水をがぶがぶ飲みながら食べていました。


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名古屋の味噌煮込みの特徴は、やはり麺が半生という固いですね。よくゆでていないというか、もともとそういう生の状態の麵なんだそうです。でも美味しかったです。喉乾いた~~~。




●台湾ラーメン


台湾ラーメンは、3年前の前回のなごやめしツアーでも体験しましたが、今回も食べてみたく。台湾ラーメンといえば名古屋発祥の味仙です。今池本店ではなく、名古屋駅のうまいもん通りというこれまた名古屋名物の食べ物屋さんが駅構内に集結しているそういうエリアがあるのです。


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その中に味仙があります。今回はここを利用しました。


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今池本店の台湾ラーメンは、すごい小さな容器で台湾ラーメンってこんなもんなの?と思ってしまいました。でもここの味仙は違いました。大盛を頼んだのですが、そのせいもあるかもしれませんね。すごい容器が大きく、これだよ~こうじゃないと!という満足感を得られました。


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台湾ラーメン、美味しいけど辛い~。むせますね。きちんと連続して食べれないです。食べるのが難しいです。でも基本甘いスープの味で独特の美味しさがありました。こりゃハマりますね。病みつきの味です。この名古屋駅の味仙の台湾ラーメンはウマいです。




●あんかけスパゲティ


最後に今回、まったく予定にいれていなかった、あんかけスパゲティを食べようと思いました。名古屋駅うまいもん通りの中で味仙を探しているときに、偶然見つけました。


肉や野菜のコクとうまみが溶け込んだピリ辛ソースに、もっちりした極太麺をからめて食べる「あんかけスパゲッティ」。 茹でた麺をソースで和えるのではなく、あらかじめ茹でている麺をラードや植物油にくぐらせて辛みの効いたソースをかけるのが特徴です。


あんかけスパゲティの歴史ですが、昭和36年に『ヨコイ』初代の横井博氏が親戚と共同経営で『そ~れ』を開業し、横井氏がオリジナルミートソースとしてあんかけスパゲティソース考案。 その後横井氏が独立し、昭和38年に『ヨコイ』を開業。ここから来ているようです。


あんかけスパゲティも正直なところ、あまり気乗りしないというか(笑)、写真を見ていても美味しそう~とは感じない印象でした。


チャオというお店です。なんかインパクトでかい。(笑)


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あんかけスパゲティ。


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う~ん、やっぱり微妙だな~。(笑)確かに美味しいけど、自ら食べたいというか、そういう欲がでるほどでもない、という感じですかね。美味しいですよ。このピリ辛ソースと極太麺の相性は素晴らしく食べ応えがあるし、腹持ちもいいと思いますが、そんなに夢中になるほどか、というとそうでもないかな。ゴメンナサイ。


まっなごやめしだったら、ほとんどのメニューを制覇したい、という夢がありましたので、その一環として挑戦してみた、というところでしょうか・・・。


御馳走様でした。


これで今回挑戦したなごやめし、名古屋めしのメニューは全部終了です。あと予定に入れていた手羽先が入っていませんが、足の調子が悪くギブしました。まっ手羽先はほとんど酒のつまみですね。


やっぱりなごやめしは、濃いな~と思います。それも色的にはっきりとした原色を混ぜ合わせた、そんなイメージですよね。淡い中間色というようなそんな繊細な感じでないです。もう完璧に原色の組み合わせという強烈なインパクトです。


これがなごやめしの大きな特徴なのではないか、と再認識した次第です。


自分のなごやめしに対する探究心は今回のツアーで十分に満たされたのではないか、と思いました。


またいつの日か挑戦したいです。











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あつた蓬莱軒 [グルメ]

”なごやめし”、”名古屋めし”の筆頭として、まず自分は”ひつまぶし”を挙げたい。まさに名古屋発祥の食べ方で、名古屋のお店、”あつた蓬莱軒”がその登録商標の権利を保有している。


”ひつまぶし”を考案して、あの食べ方を考案したのは、すべて名古屋のあつた蓬莱軒の発明なのである。


あつた蓬莱軒のひつまぶし


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もちろん現在、名古屋にはそれこそ仙台の牛タンと同じく、無数のひつまぶしを食べさせてくれるお店があるだろう。ひつまぶしは、まさに名古屋名物なのであるから。でもそのもともとのルーツ、発明者のあつた蓬莱軒を聖地巡礼したいと考えていた。


3年前の2020年になごやめしツアーで、あつた蓬莱軒本店を訪問できた。

あのときの味、経験が忘れられず、もう1回ぜひ訪問したいと考えていた。


聖地巡礼である。


うな重、うな丼、ひつまぶしの違いわかりますか?(笑)



うな重は重箱に白ごはんを入れてタレを掛けてうなぎをのせたもの。

うな丼は御飯にタレを掛けて全体をタレ御飯にして丼に入れてうなぎをのせたもの。


ひつまぶしは名前の通り木製のおひつにタレを混ぜたご飯を入れうなぎは細かく切って入れる。薬味に海苔やわさびを添え、吸い物の味を付けた出しを添える。


うな重


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うな丼


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ひつまぶし


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うな丼もうな重も、白いご飯にうなぎを乗せて、そこにタレをかけて食べるものです。

ただ器が違うだけです。

うな丼よりうな重のほうが、やはりなんか高級な感じがしますよね。



美味しいですよね~。堪らんですよね。でもうなぎの価格の高騰でうな重食べれませんね。自分はUberEatsでおらが街のお店のうな重をよく頼みます。すごい美味しいです。うな重が無性に食べたいときがありますが、そういうときは、ついついスマホでポチっとやってしまいます。3,000円くらいするんですよね。


1か月の間についつい何回もポチっとやってしまうので、月末気づけば大変な金額請求になります。(笑)でもそこまでしてもうな重食べたいですよね。ほんとうに美味しいです。


うな重もうな丼もそれこそ捌いたうなぎをそのままドンとご飯の上に乗せるだけです。でもひつまぶしは、そのうなぎを細かく刻んであります。そして食べるときに、4種類の方法で食するのが作法です。


ひつまぶしの食べ方、知ってますか?(笑)


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おひつに入っている細かく刻んであるうなぎとその下にある白いご飯。

これを食べるときに4等分して、それぞれ4回の食べ方で楽しむものなのです。


①最初はそのままで。

②薬味をのせて。

③薬味とダシ汁をかけて。

④お好きな方法で。


これがひつまぶしの食べ方なのです。


まさに名古屋発祥、あつた蓬莱軒が発明した食べ方なのです。


なぜひつまぶしは、うな重やうな丼と違って、うなぎを細かく刻むのでしょう?

そしておひつは、なぜ木製のおひつなのでしょう?


ひつまぶしを食べる上では、もうあたりまえのことですが、ここにも”あつた蓬莱軒”の経験値が含まれているのです。



あつた蓬莱軒について、そして、現在のひつまぶしの食べ方を含め、我々があたりまえのように思っていることがすべてあつた蓬莱軒の経験値の積み重ねによって考案されたものであることがわかります。


まさに、驚きでした。目からウロコという感じで驚きますよ。自分は感動しました。


情報引用元:


あつた蓬莱軒公式HP



●あつた蓬莱軒の始まり


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熱田は、古くは熱田社を中心とした門前町であり、東海道唯一の陸と海の分岐点であっただけでなく、美濃路・佐屋街道といった各地方からも交通と文化が集まってくる場所でもありました。江戸時代には本陣があり東海道五十三次の41番目の宿場町として、多くの人が集まり、東海道随一のにぎわいをみせていました。


明治6年あつた蓬莱軒は、この宮宿に料亭として創業いたしました。弥次喜多東海道膝栗毛にも登場するように当時は蒲焼き(鰻)とかしわ(鶏)が名物で蓬莱軒も蒲焼きとかしわを召し上がっていただいておりました。


又出前が大変多く、出前持ちが出前を下げに行く度に空の丼を割ってくるので当時の2代目店主甚三郎が大変困ってしまい女中頭のお梅さんと相談の上考え、割れない木の器を考案し、大きなおひつに数名分の鰻丼を入れて出前をするようになりました。


ただ鰻ばかりを先に取ってしまうので、ご飯が残ってしまいます。そこで2代目店主甚三郎が困って女中頭のお梅さんと相談の結果、鰻を細かく切ってご飯とまぜてお出しした所、大変好評だったため会席料理の食事にもお出しするようになりました。


大きなおひつで鰻とご飯をまぜる(まぶす)これがひつまぶしの名前の由来です。

またお茶漬けにしたらと試してみたらこの味が好評で今日に至っております。

現在はおひつもお一人様用になり皆様に大変喜ばれております。


これからも従業員一体となりお料理、接客すべてのことに於いてお客様かたありがとうと言って頂ける店づくりに励んでいきたいと思います。



登録商標


「ひつまぶし」とはあつた蓬莱軒の登録商標です。



2代目店主甚三郎と女中頭のお梅さんが偉いんですね。(笑)


・・・そうだったんですね。割れない木の器を使うようになったこと、うなぎを細かく刻む理由はそこにあったんですね。


江戸時代の東海道五十三次の41番目の宿場町であった熱田。そこの宮宿に料亭として創業した蓬莱軒。これがすべてのスタートのようです。蓬莱軒でも、熱田にあるからあつた蓬莱軒です。あつた蓬莱軒のすぐそばに熱田神宮があります。


やはり最初は、鰻焼きとかしわ(鶏)だったそうです。


でもこういうハプニングがいろいろ起きて、2代目店主甚三郎と女中頭のお梅さんのタッグ考案も含め、どんどん枝葉が拡がっていき、いまのひつまぶしの形が生み出されたんですね。



あつた蓬莱軒、明治6年に創業

名古屋の味を守り続け140年


備長炭で焼き上げる職人の技、創業以来継ぎ足しの秘伝のタレなど昔から変わらぬ味を一人でも多くのお客様に味わって頂くことが私達の喜びです。




140年継ぎ足しの秘伝のタレ


創業時代から継ぎ足し140年分の旨みが溶け込んだタレ。創業者の家系のみに口頭で伝えられ受け継がれている秘伝の味。




職人の技


新鮮なうちに数秒でさばかれるうなぎ。身と皮の間に職人の感覚で打つ串。備長炭で香ばしく焼き上げる焼きの技。職人技の集結から生まれる伝統の味。


備長炭


備長炭の中でも最高級のものを使用して、安定した火力で香ばしく焼き上げます。



活きのよい活きうなぎ


安心、安全はもちろん活きのよい良質なうなぎのみを仕入れ使用しています。



明治時代から続く伝統のスタイル


現在のひつまぶしの召し上がり方は明治時代に確立され、今ではひつまぶしを求めて行列ができるようになりました。



これでひつまぶし、あつた蓬莱軒のことがわかってきましたね。


さっそく、そのあつた蓬莱軒に訪れてみたいと思います。


あつた蓬莱軒は名古屋のお店です。名古屋だけしか体験できないです。

東京とかに支店展開はしていないです。


現在、この4店舗ですね。


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熱田神宮の近くにあるのが本店と神宮店です。

神宮店は熱田神宮の敷地の中にあります。

神宮店、なかなか人気ありますよ。


2020年に初めて訪問したときは、旅行雑誌まっぷるではあつた蓬莱軒は本店と神宮店の2つの店舗が紹介されていましたが、現在の新しい版は、もう神宮店のみですね。やっぱり広告料をより多く出しているのでしょうか?(笑)それとも本店は劇混みなので、これ以上宣伝したくない、ということなのでしょうか。


自分は、あつた蓬莱軒に行くなら、やはり起源ルーツの本店に行きたいと思っていました。


あつた蓬莱軒本店は、もうすごい劇混みですよ。予約なし、で行ったら、まず2時間は待ちます。事前に予約したいと思い、お店に電話したところ予約は受け付けていないとのこと。やはり直接行って、そこで整理券をもらって順番を待つしかないです。早く入るためには、早く行って並ぶしかないです。


あつた蓬莱軒本店、着いたと同時に、あ~~やっぱり並んでいる、並んでる~。


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・・・と思いきや、さらに行列が繋がっていることに気づき、ハ~と深いため息。(笑)やっぱり本店は劇混みだよな~。


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ひさしぶりのあつた蓬莱軒本店。12月上旬の8日に行ったので、まだ紅葉が少し残っている感じで綺麗だったです。


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そして出ました~。あつた蓬莱軒本店の名物のおじさん。名前を言って、整理券をもらいます。15分間隔でグルーピングされます。はい、あなたは14:30のグループでお願いします。。というような感じで。



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どういうルールで15分間隔でグルーピングして、店内の展開をしているのか,よくわかりませんが、最初から満席で入れるのではなく、ひつまぶしを作る手間、時間を考慮して徐々に入れていき、先のお客さんは食べ終わってお店を出るタイミングなどいろいろ総合的に考察して、こういうグルーピングで回しているのでしょう。


今回もやはり自分が呼ばれるまで2時間待ちました。

やっぱり本店は大人気、劇混みです。



あつた蓬莱軒本店(蓬莱陣屋)。


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まさにこれが顔ですね。

江戸時代の東海道五十三次の41番目の宿場町であった熱田。そこの宮宿に料亭として創業した蓬莱軒。

これが本店です。すべての起源ルーツです。



玄関の前にお庭があります。日本らしい和風の庭造りで情緒あふれて美しいです。みんな、ここでパチリと写真を撮っていたので、自分も記念にパチリと。


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3年ぶりの本店。中はこんな感じで、赤絨毯と白ベージュの木造建物の装いです。


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複数の部屋があって、3年前は1階だったので、畳部屋にテーブルと椅子が置いてあって、椅子に座って食べる方式でした。でも今回は2階の畳の大座敷に通され、こんな感じです。畳に直接座って食べる感じなのです。


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もちろん自分は、スタンダードな”ひつまぶし”を。ご飯大盛にしました。4,600円です。


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キタ~~~。ひつまぶしのルーツ、登録商標の権利者、あつた蓬莱軒本店(蓬莱陣屋)のひつまぶし。


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ひつまぶしの4種類の食べ方の中で、前回は自分は薬味で食べる食べ方がすごい美味しくて感動しました。わさびなどの薬味をただ、上に乗せるだけなのですが、なんともいえない香りというか、薬味の豊潤な香りが鼻につ~んと来て、ひつまぶしのあの甘辛いタレに合って極上なのです。


じつは薬味ってあまり期待していないところがあったので、薬味をただ振りかけるだけで、こんなに美味しくなるとは!という驚きだったのです。


今回は、やはりダシ汁かな~。これはやっぱり最高でしょう!薬味をふりかけて、その上にダシ汁をかけてかっ込む。ダシ汁はお茶でないので単なるお茶漬けではなく、あの独特のコクのあるダシ汁でめちゃくちゃ美味しかったです。


やっぱりKING OF ひつまぶしの食べ方は、③の薬味+ダシ汁ではないでしょうか・・・


④のお好きな食べ方でも、リクエストで③の薬味+ダシ汁にしました。


うなぎも甘くて身がホクホクで美味しい。


あつた蓬莱軒本店のうなぎは、「あつた蓬莱軒」で11年間修業した店主が、三河一色産うなぎを炭火で焼き、蒲焼に仕上げたものだそうです。


いやぁ~美味しかった。最高でございました。ご飯大盛なので、もうボリューム充分過ぎるくらいで、喰った~という満足感いっぱいです。


名古屋名物、ひつまぶしの元祖、あつた蓬莱軒のひつまぶしをここに制覇いたしました。


また来ます。



追伸


ちなみに、こちらがあつた蓬莱軒 神宮店です。熱田神宮の敷地の中にあります。神宮店と本店は距離的に比較的近いです。旅行雑誌では、最近はもっぱらこの神宮店を取り扱ってますね。神宮店人気です。本店は劇混みなので、これ以上宣伝したくないのでしょうか。(笑)


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デザイナーズホテル [ホテル・旅館]

国内の旅行の場合、もう宿泊、ホテルは格安でいい。寝泊りが出来て、雨風を凌げればいい。これが海外だとちょっとせっかくの計画で投資するんだから記念のために素敵なホテルに泊まりたい、という欲も出てくる。


そんなポリシーでいた。だから国内のホテル宿泊予約はひたすらネットの格安ホテル予約を使う。それでなるだけ安いところを抑える。1泊5,000円~7,000円の間に収まるように。もちろんそのホテル一覧を案内するポータル業者のサイトがある。その業者の仲介料も込みだろう。


それが大体自分の旅行予約のパターンだ。


今回もそのポリシーに則って、なる安のホテルをネットで抑えた。12月上旬の名古屋はまだしも、年末の掻き入れどきに新大阪、姫路、京都の格安ホテルを抑えるのはなかなか至難の業だった。


ポイントは予約するタイミングだ。直前だとやっぱり空いてないし、値段も高くなる。格安で抑えるには、もう2か月以上前から計画、それも日時を指定してしまう。もう計画の実行日時をピンポイントで決めてしまう。


そうしてExcelでスケジュール表、予定表を作成する。自分の場合、凝り性なので、もうこの日にどんなグルメメニューを食べて、この日はどこに行くとか、どこのコンサートホールに行くとか事細かに決めてしまう。それも2か月以上も前にだ。(笑)


そうすることで、旅行の日程が見えてくる。何泊何日でどこに何泊するか、がわかる。それを2か月以上前に決めてしまい、ホテルはネットの格安ホテルを取ってしまう。宿泊日より、より前に予約すればするほどホテル宿泊費は安いものなのだ。直前ほど高い。


これは飛行機や新幹線もそうだ。飛行機は2か月前から、JR新幹線は1か月前から予約可能だ。直前になればなるほど高い。飛行機はANAの場合もうスマホで全部できてしまう。JR新幹線もスマートExなるものが登場して、これもスマホですべて完結する。


もう時代はこういう時代なのだ。


自分は今回、名古屋、新大阪、姫路、京都、どれもネット格安ホテルで取ったのだが、姫路のホテルは酷かったな。ふつう、ホテルというのは、1日中フロントは稼働していないとダメだろう?


でもそのホテルは、14:00~23:00が稼働時間なのだ。それ以外の時間は、フロントにスタッフがいないのだ。これって宿泊するお客さんにとってすごい不安なことなんだよね。


ホテルスタッフ、フロントは、オールナイト、オールデイで稼働していないだとダメだ。そしてホテル内の照明も薄暗いし、部屋のテレビも2チャンネルしか映らないような感じで、なんか3泊もしていて、精神的に鬱になってしまった。姫路は大きな街じゃないので、すぐに目的は終わってしまい、すぐにホテルに帰りたいのだが、あまりホテルに帰りたくない、という感じだった。(笑)早くホテルに帰ってもルームメイキングで部屋に入れないので、フロントのチェアで待っていることになる。


なにせ稼働していないので、全館照明が落とされていて、精神的に鬱になってしまう。気が滅入ってしまう感じである。


同じ格安ホテルでも名古屋や新大阪はそんなことはなかったので、しかも姫路ホテルと名古屋ホテルは同じ系列ホテルなので、これはその姫路ホテルの問題なんだろう。


そんな散々な地獄の姫路3泊を経ていたので、そこから京都のホテルに移ったとき、その天国のような居心地のよさ、素敵なお洒落なホテルにテンションが一気に上がってしまった。


ホテルエムズ・プラス四条大宮



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あまりにお洒落なホテル。それなのに1泊5,000円代の格安。

このホテル何者?と思い、思わずネットで調べてみた。


そうすると京都のデザイナーズホテルグループの傘下なのだそうだ。新築オープンしたばかりのホテルらしいですよ。


デザイナーズホテルってなんだ?


「デザイナーズホテル」とは、有名な建築家やデザイナーが手がけた、建築・インテリアデザインのホテルのことです。一般的なシティホテルやリゾートホテルに比べると、外観や内装にこだわりが強く出ています。ホテルごとにコンセプトやテーマが定まっており、他のホテルと差別化することによって、集客力を増すことを目的としています。


・・・だそうです。


そりゃそうだよな。そういうデザイナーズホテルという、いかにもそういう感じである。


今回の旅行は、自分は足が悪くてあまり長時間歩けないので、すぐにホテルに帰ってくることになる。そうするとルームメイキングの時間で部屋に入れるのは、大体15:00からだから、大体フロントのチェアで座って時間を潰していないといけないのだ。


それが、ここの京都ホテルではもう”ラウンジ”が用意されていますからね。(笑)

このラウンジで15:00まで待っていればいいのです。ラウンジではコーヒーも飲めます。


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あまりに素敵なので、惚れ惚れしてしまい、地獄の姫路3泊から一気に天国の京都3泊になったのでした。


ただ、京都に宿泊することで、新たな発見があった。それは宿泊税というものだ。

京都は財政破綻で苦しい財政危機を救うべき、ホテルの宿泊代に税金をかけて徴収するのだ。

フロントでチェックインするときに、それを伝えられ、え?となった。(笑)


ネットで予約するときはそんな税金は含まない。あくまでホテルにチェックインするときに、ホテル側で徴収する税金だ。自分の場合、その場で600円払ったかな。


この宿泊税というのは京都のホテルに宿泊するときのみ発生するものである。

京都だけで実施している制度である。


ご存じのように、京都は、世界各国から観光旅行者がやってくる日本随一、日本No.1の観光都市だ。この旅行者からこの宿泊税を徴収することで、これはかなり財政的に、大きな収入源になるのであろう。


●宿泊税



京都市では、平成28年3月に策定した「はばたけ未来へ!京プラン」実施計画第2ステージにおいて、市民の安全・安心な生活をしっかりと支え、将来にわたり必要な施策・事業を実施することができるよう、持続可能かつ機動的で、特別の財源に依存しない、景気変動等にも耐え得る足腰の強い財政の確立を図っていくとし、そのためには、自主財源の拡充強化により、財政の自主性、安定性を高めていくことも重要であることから、「入洛客への新たな負担のあり方や超過課税等の課税自主権の活用」について検討していくこととしました。



・・・特別の財源に依存しない、景気変動などにも耐え得る足腰の強い財政の確立、自主財源の拡充強化。。。

である。


そこで京都の一番の武器である観光都市であるところに着目して、宿泊税をホテル宿泊に課しているのだと思う。自分はこのニュースを3年前の2020年頃に聞いたとき、京都も大変だよな~でもそれって仕方がないことだよね、京都は日本だけでなく外国からたくさん旅行者が泊まりに来るので、いい財源になるんじゃない、と思ったのである。


まさかその3年後に自分がその宿泊税を払うことになろうとは!思いもよらなかったわけだが。(笑)すっかり忘れていました。


このホテルエムズ・プラス四条大宮は、それは外国人の観光客がすごく多かった。そして若い層も。なにせ1泊5,000円代で、こんな素敵なデザイナーズホテルに泊まれるのだから。


自分も次回から京都に宿泊するときは、もうこのホテルでピンポイントで決めてしまいたいです。それだけ気に入りました。


ホテルの部屋は・・・と言いますと、こんな感じです。自分の場合、1人なので安いシングルにしましたので、大体部屋のスペース的にこんな感じかな、と思います。なんかテレビの設置とかそれ以外のモノを設置する家具みたいなものがまたデザイナーズ的におしゃれですよね。


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これがダブルとか複数人の場合、一気にこんな部屋になるそうです。


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こだわり抜かれたインテリア


機能的で洗練されたインテリアが快適なひとときを実現し、

デザインされた贅沢な空間が、旅の疲れを癒やします。


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ホテルエムズ・プラス四条大宮


観光地各所へのアクセスが抜群の四条大宮駅から徒歩2分。

こだわりのベッドやアメニティで、

旅の疲れを癒してください。


四季折々、様々な表情を見せる京都をのんびり旅しませんか?



観光に、お食事に、ショッピングに。アクセス抜群の立地。


竹林の道や渡月橋など京都の情緒が詰め込まれた観光名所として名高い嵐山へはホテルより徒歩2分の京福電鉄(嵐電)「四条大宮」駅から乗換なしでの移動が便利です。また、世界遺産の二条城や金閣寺へも市内全域をカバーする京都市営バスにて乗換なしで移動できます。




こだわりのベッド・リネン・アメニティ


お客様の肌に直接触れるベッド、タオル、アメニティは、安心してご利用頂けるようこだわりを持って採用いたしました。ベッドは、世界的に有名な「シモンズ社」と共同開発したオリジナルブランド「MARO(まろ)」を全室に導入。一日の終わりをすっきりとリセットしてくれます。


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ファシリティとしては、無料Wi-Fi、全室禁煙、ランドリー、自動販売機、製氷機、、マッサージが常備されている。


いいです~~~。このホテル気に入りました~。


やはりホテルは安ければいいというものではないことが今回身に染みました。清潔感のある綺麗なホテルがいいです。宿泊が素敵だと、旅も心地よく、快適なものにしてくれます。


京都は観光都市なので、ホテルは軒並み、もうみんなべらぼうに高いです。2016年、2017年のときは、京都タワーの隣にあるホテル法華クラブ京都という高級ホテルに泊まりました。1泊16,000円くらいだったかな。あのときはイケイケだったので。(笑)


ホテル法華クラブ京都は、立地、値段ともに確かにゴージャスなホテルでした。


でも、いまは1泊5,000円代で宿泊可能なこのデザイナーズホテルが気に入りました。ここを京都の定宿にしたいですね。


このホテルへのアクセスは、京都駅からだと、地下鉄烏丸線で四条まで行き、そこで阪急電車で乗り換えてから大宮まで行きます。阪急電車の大宮駅のすぐ傍です。


近くに、京福電鉄(嵐電)「四条大宮」駅もありますので、あの有名な観光地の嵐山に乗り換えなしで行けます。


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・・・そして、餃子の王将 四条大宮 1号店はホテルのすぐ傍にあります。(笑)・・というより阪急大宮駅出口に近い、ということかな。


ホテルの近くに楽器店があり、ポールが愛用しているハフナーのベースを発見しました。(笑)


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今回新たに、”デザイナーズホテル”という分野を初めて知った訳ですが、デザイナーズホテルというのは、やはりインテリア、デザイン的にこだわりのあるホテルという意味なんですね。世界にはいろいろなデザイナーズホテルがあります。




●有名なデザイナーズホテル


デザイナーズホテルの持ち味は、珍しいデザインにあります。国内外の有名なデザイナーズホテルをご紹介します。



●ホテルクラスカ(日本・東京)


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東京・目黒の明治通りにある、古いホテルをリノベーションしてできたホテルです。ジャパニーズモダンをメーンとした、日本らしい部屋が特徴のひとつです。また、ギャラリーブースやDJブースなどもあり、若者に人気のデザイナーズホテルです。


●ホテルイルパッツオ(日本・福岡)


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ホテルブランド「スモール・ラグジュアリー・ホテルズ・オブ・ザ・ワールド(SLH)」に加盟している、世界が認めたデザイナーズホテルです。SLHは、日本ではたった8つのホテルしか選ばれていません。「時」をデザインするというコンセプトによって作られている客室は、伝統工芸とモダニズムが融合したインテリアでまとめられています。


●ザ・ホテル(スイス・ルツェルン)


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客室の天井や壁紙に、有名な映画の名シーンが描かれており、モダンなテイストでまとめられています。映画ファンに人気のあるデザイナーズホテルです。


●ザ・スタンダート ハリウッド(アメリカ・ロサンゼルス)


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アメリカの人気ドラマ「セックス・アンド・ザ・シティ」に登場したホテルです。カジュアルかつポップなデザインが売りです。街中を見渡せる屋上プールや、24時間営業のレストランなどがある、若者に人気のデザイナーズホテルです。


●ノビスホテル(スウェーデン・ストックホルム)


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銀行を大規模にリノベーションしたのがノビスホテルです。この銀行は「ストックホルム・シンドローム」という言葉を生み出した立てこもり事件が起こった銀行でもあり、デザイナーズホテルへの変貌ぶりが注目を集めました。



●デザイナーズホテルの選び方


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デザイナーズホテルは世界各国にあり、テイストや雰囲気もそれぞれ違います。ウェブサイト「ホテル・アンド・デザイン」では、世界中のデザイナーズホテルが紹介されており、特徴別、地域別にホテルを検索することができます。他にも、デザイナーズホテルに限定した書籍やウェブサイトなどがあります。




情報引用元:


「デザイナーズホテル」とは




今回宿泊したホテルエムズ・プラス四条大宮というホテルは、京都デザイナーズホテルグループの傘下のホテルということですから、そういうグループがあるんですね。そこに登録している京都のデザイナーズホテルはまだほかにもたくさんある、ということですよ。


しかも宿泊費がこの四条大宮のホテルなみに安いといいですね。でも宿泊税はフロントで徴収されると思いますよ。(笑)







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餃子の王将 四条大宮 1号店 [グルメ]

京都では、京都のデザイナーズホテルグループが運営するホテルに宿泊したわけだが、それが四条大宮、正確に言うと、阪急電車の大宮駅のすぐ近くであった。京都の旅程では、もう足の調子の悪さ、精神状態の最悪状態から、三十三間堂や東福寺、京和菓子の世界 老松はもう完全にあきらめていた。


さて、ホテルもクリーンアップがあるから日中は部屋を空けないといけない。さてどうするか。

スマホで四条大宮、阪急大宮駅の近くの観光スポット、ご飯食べ処を調べてみた。そうすると餃子の王将 四条大宮 1号店の記事を発見した。


うん?これは?過去に餃子の王将の日記をたくさん書いてきたので、もうすぐにピンと来た。

そうだ!晴れある餃子の王将 1号店である。


なんと!今回の京都ホテルの、つい目と鼻の先に餃子の王将 1号店があったのだ。なんという巡り合わせ。自分と餃子の王将の結びつきは、やはり強固なものがあったんだな~と感心した。


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餃子の王将は、株式会社王将フードサービスが京阪神地区を中心に全国展開する餃子を売りにした中華料理チェーン。単に「王将」と呼ばれることもあるが、後述の「大阪王将」と区別するために「京都王将」と呼ばれることもある。看板に「京都」と明記してある店舗も存在する。



現在、海外の3店舗を含む737店舗を全国に展開している餃子の王将。その第1号店が、1967年(昭和42年)12月25日に京都市の大宮駅付近(四条大宮)に一号店を開店したのである。ここがすべての始まりだったのだ。


今回の京都のホテルは四条大宮、阪急電車の大宮駅だったわけだが、餃子の王将 1号店はホテルの目と鼻の先。そしてホテルに入ったのが12月25日。もちろんこの1号店に入りましたよ。その入った日が12月25日。つまりいまから56年前のその開店日だったのである。いま日記を書くうえで調べてこの事実に気が付きました。(笑)



餃子の王将 1号店に、その開店日の12月25日に入ることができたとは!



餃子の王将は、自分にとってはすべては下北沢店から始まりました。その想い出はいままでお話した通り。その原点ともいえる1号店 四条大宮店に偶然とはいえ入ることができたとは!これはきっと神様も誘いですね。間違いないです。


もう自分と餃子の王将の強い運命の結びつきを感じます。


さて、いまから56年前の1967年(昭和42年)12月25日に開店した餃子の王将 1号店。

店内はどんな感じなのだろうか・・・


なにせ自分が生まれた年の3年後にすでにこの四条大宮に開店していたということだから、気が遠くなる神話の世界だ。餃子の王将フリークの方にとっては、1号店は、神のような聖地ではないだろうか。この1号店で餃子を食べられるだけでも、もう天国に昇ったかのような有難みを感じるのではないだろうか。


神様に感謝である。


餃子の王将というと、最近オープンした店舗などは、とにかく店内がすごい広い。たくさんのお客さんを入れられるように、もう店内のスペースがすごい広いのが通常だ。


ところが餃子の王将 1号店は、もう信じられないくらい狭い。もうカウンターのみである。ほんとうにこの人数分のカウンター席のみである。最近の店舗しか知らない自分は呆気にとられてしまった。もちろん2階もあるみたいだから、そっちは広いかもしれませんが。。


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これは56年前だから、もう手探りの状態で始めたのだから、最初から広くなどとは考えられず、とりあえずカウンター席だけでも、という感じだったのではないだろうか。。。


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そして調理厨房。ここは時代とともに進化していかないといけないから逐次改良しているのだろう。餃子の王将は、餃子の調理方法で、全自動成型餃子システムを導入したセントラルキッチンによる製造に移行した。2019年までに店内の餃子製造を取りやめているのだ。この1号店も例外ではなく、おそらく店内で餃子をつつむという作業はやっていないだろう。


餃子を頼んだとき、店員さんは、餃子を焼くのにお時間いただきます。。。と言っていたので、すでに包んであるものを焼くという感じなのだろう、と思う。


厨房には、こういうオーブンみたいなものもあった。これで温めなどをやっていた。


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メニュー。これもどこでも同じだと思いますね。


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自分はさっそく餃子の王将で頼む王道メニュー。ニラレバ炒めを注文。盛り付けが雑。(笑)でもウマかった~。


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そして定番の餃子定食ダブル(12個入り)これもウマかった~。


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味はまっ、どこでも同じだと思うので、とりわけ1号店だから~ということはなかったと思います。普段自分が食べているのと同じ味でした。


ほんとにあっという間の出来事でした。まったく普段おらが街や若い頃に下北沢店で食べていたときと同じように、この伝説の四条大宮 1号店でふつうに餃子を食べたのでした。


まったくいつもの通り。


でも餃子の王将フリークとしては、この1号店で食べれたこと、そして店内を体験できたことは、もう神様に感謝するしかないですね。ありがたい貴重な体験でした。


しかも、56年前の開店日の12月25日に入って食べれたのですから。

もちろんそのときはそんなことは全然知る由もなし。あとで調べてわかったことです。


この神様の奇跡に感謝するしかないと思います。


従業員の方も、この1号店で勤務できる、ということは、たぶん誉なことなのかもしれませんね。











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京都の聖地 [グルメ]

京都は、やはり日本古来の古都、歴史ある街ということで、寺院・仏閣の観光地が多く、おそらく日本一の観光都市であることはまず間違いないところだ。欧米、アジアからの海外からの観光旅行者もコロナ禍の状況が落ち着いてきたところでインバウンド景気も復活の兆しを見せ、ふたたび一気に日本に押し寄せている。


そういう寺院・仏閣の聖地である京都であるが、自分にとって”京都の聖地”といったら、京都ラーメンの老舗”中華そば ますたに”だ。


1995年頃、インテル入ってるの友人に紹介された東京・日本橋にある”京都銀閣寺ますたに”という京都ラーメン屋さん。この日本橋のラーメン屋さんに超ハマってしまった。


京都府京都市を代表する「ますたに」の京都3層スープ系ラーメン。これが東京・日本橋でも堪能できる。「ますたに」の京都3層スープ系ラーメンは、上層はたっぷりの背脂で脂の甘さを感じるマイルドな味になっており、中層はさっぱりとした醤油味、下層は特製の一味が入っているのでぴりっと辛みを感じるスープである。鶏ガラのうま味を感じることが出来るスープは、背脂の甘みと、醤油のキレが絶妙なバランスで口の中に広がるので非常に美味しい。背脂がホントに甘くておいしく、鶏ガラスープのさっぱりと混ざるとどんどん飲める。麺は細ストレート麺である。


なんとも言えないクセになる味で完璧にハマってしまった。

京都ラーメンってなんて美味しいんだろう!と驚きだった。



もうこのラーメンにハマってしまい、いままで28年間食べ尽くした感のある自分のお気に入りのラーメンだ。もういままでどれだけ、この日本橋に通ったことか!渋谷から銀座線に乗るのがサントリーホールに行くときとこの京都銀閣寺ますたに、に行くときと決まっていた。


日本橋店は、再開発で立ち退きに会い、移転になった。移転になってからもよく足を運んでいた。


その東京・日本橋にある京都銀閣寺ますたには、もともとは京都の北白川にある”中華そば ますたに”から暖簾分けされたお店であることをその当時知った。


京都か~。遠いな~。ぜひ総本店の味を堪能してみたいけど、京都まで行けるかな~、という感じだった。


それが、2016年に夏・秋の京響ツアーで京都を訪れることになり、そのときに、中華そば ますたに北白川本店を聖地巡礼することができた。


まさに21年ぶりの悲願達成である。このときは泣いた。(笑)

あれだけ日本橋に通いまくった京都銀閣寺ますたにのもともとの総本店はここだったのか~、である。


まさに自分にとって、”京都の聖地”である。


それ以来、京響ツアーで2016年、2017年と京都に行く度に毎日訪れていた。


もともとの総本店は、あくまで”中華そば ますたに”である。東京・日本橋にある暖簾分けされたお店は、やはり東京都民に京都ラーメンであることを表にアピールしたいのか、”京都銀閣寺”という冠をつけているのである。中華そば ますたには、銀閣寺のそばにあるのだ。


元祖はあくまでシンプルに”中華そば ますたに”なのである。


今回、京都を再訪するにあたって、ぜひ再度、中華そば ますたにを再訪したいと願っていた。


じつは新たな試みがあった。それは”中華そば ますたに”の暖簾分けされたお店が京都駅の駅ビルの中にあるという情報をキャッチした。京都駅でますたにが食べられるのであれば、ぜひそこも訪問してみたい、ということで今回そこにチャレンジした。


中華そば ますたに 拉麺小路店である。


京都駅に隣接されている伊勢丹の10Fに京都拉麺小路がある。


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いわゆるラーメン店がここに集結して、いろいろなラーメン屋さんを一度に楽しめるようなテーマパークで、この中の1店舗として、中華そば ますたにが入っているのだ。


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あった!ここだ!中華そば ますたに 拉麺小路店。


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昭和23年創業 京都の老舗ラーメン 京都・北白川本店の味・・・である。

身震いしてきた。まさにここは北白川本店から暖簾分けされたお店なのである。


そしてお店はあくまで、”ますたに”なのである。東京のような京都銀閣寺ますたに、ではない。シンプルにオリジナルに添って”ますたに”なのである。


店内は、やはり駅ビル、京都駅ナカに即興に拵えた感のある感じだが、まっこんなもんでしょう。


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ここは券売機でチケットを買うのだが、買ってから、さらに違うところで列に並ぶので、間違う可能性が高い。券売機で買うのを忘れて、先に列の方に並んでいて、あっチケットって券売機で買うの?という感じになりやすいのだ。


自分はシンプルに”ますたにラーメン”をオーダーした。


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正直な感想を述べると、なかなか微妙な味だったと言える。それは本家の北白川本店の味でもなければ東京・日本橋の京都銀閣寺ますたにの味でもないからだ。


むむむ???という感じであった。


まず、なにに違和感を感じたか、というと、麺の固さ、と、スープの色だ。麺はもう伸びているかのようなふにゃふにゃな感じだ。これはいただけない。そしてスープの色がすごい明るい黄色だ。ますたにラーメンってこんなに黄色だったっけ?北白川本店も東京日本橋店ももっと醤油っぽい感じの色だったはずだ。


でも食べてみると、確かにますたにラーメンの味がする。これは紛れもないますたにラーメンである。背脂がホントに甘くておいしく、鶏ガラスープのさっぱりと混ざる、あの美味しさだ。これは間違いなくますたにラーメンである。


麺がふにゃふにゃなのはいただけないな~。注文するとき、麺固めにしておくべきだった。


ということで、初対面の印象は、自分にとっては微妙な感じで、不思議な感じだった。


結局、今回京都滞在中にこのますたに拉麺小路店に2回通った。


2回目はチャーシューメンにしてみた。印象は1回目とほぼ同じだった。なんとも不思議な微妙な気持ちだった。でも間違いなくますたにラーメンなのである。


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そして、いよいよ、ますたにラーメンの本家本元、北白川本店の”中華そば ますたに”に聖地巡礼である。


北白川本店は、京都市バスで銀閣寺行のバスに乗り、”銀閣寺道”のバス停で降りる。


左京区北白川、白川疏水沿いにあるこちら。ここに”哲学の道”というのがあり、若王子橋から銀閣寺橋の2km以上にわたり、琵琶湖疎水の分線沿いに遊歩道が整備されたくさんの桜が植えられている。大正時代、哲学者の西田幾多郎が好んで散策したことから、「哲学の道」と呼ばれるようになった。


いわゆる元祖京都ラーメンと言われるお店の一つに数えられる有名店「ますたに」がここにある。


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京都ラーメン界の源と言って良いお店「ますたに 北白川本店」。今出川通に沿って流れる、疎水沿いにポツンと佇む店構え。この店が名店だとはとても思えない感じだが、お客が途絶えることはない。


創業昭和二十三年、元祖・鶏ガラベースの背脂醤油ラーメン。まさに京都ラーメンを代表するお店”ますたに”はこんなに素朴なテイストなのだ。


なんか、2016年、2017年に来たときに比べて、お店の外の赤いひさしのところが折れ曲がってしまっているような・・・(笑)修理してあげたいです。台風か何かでそうなってしまったのでしょうか・・・


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店内もまったく変わっておらず。赤いL字型のカウンターに奥に座敷がある。客層は、やはり地元の人で、年配の方が圧倒的だ。やはり地元密着型の地元の常連さんによって支えられているお店なのだ。京都駅拉麺小路店が若い客層だったのとは対照的だ。メニューは基本ラーメンのみ。チャーハンだのから揚げだの餃子だのといったサイドメニューはありません。ライスとおつけもんくらい。このシンプルさも昔からのスタイルをそのまま守っている。


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厨房ではやはり年配の女性や男性によって支えられている。このカウンターから見える厨房ではラーメンは作っていないのだ。ラーメンはどこで作っているのだろう?と思うと、厨房の端のこの奥で旦那さん、ご主人が作っているんですね。そしてこの窓越しに完成したら給仕さんに渡している、という感じでしょうか。ラーメンを作っているところは、お客さんには見えないようになっているのだ。



やはり地元密着型の地元の常連さんのお店らしく、ひっきりなしに、注文の電話がかかってくる。”はい。2人前ですね。承知しました。おおきに~。”またお持ち帰りのお客さんも多かった。いずれも年配のお客さんによるもので、やはり地元の常連さんで支えられているお店なんだな~と改めて認識をした。


そして、いよいよ”中華そば ますたに 北白川本店”の本家本元のますたにラーメンである。


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ここでやはり自分は、ややむむむ???という感じになってしまう。

それはやはり麺がふにゃふにゃな感じなのだ。あれ~~~本店もそうなの?

そしてスープの色も自分が思っていたよりやはり黄色い。


ある意味、京都駅の拉麺小路店でのラーメンとほぼ同じだ。でも北白川本店のほうが、なにかこう豚骨っぽい臭みというか、そういう特徴はある。でも自分が、2016年、2017年に体験したときは、もっとスープの色は醤油っぽい感じで、麺ももっと硬かったような気がするのだが。。。


・・・不思議である。

やっぱりラーメンって同じ味をずっと保ち続けることというのは、すごく難しいことなのだろうか。時代の変遷にともない、どんどんどうしても味が変わっていくものなのであろうか・・・


でも食べてみると、これはたしかにますたにラーメンだ。美味しい。北白川本店は東京日本橋店と比べると、ちょっと豚骨の臭みが強烈なのが特徴なのだが、それもちゃんと継承している。


そこであらためて思ったこと。そういえば、東京・日本橋の京都銀閣寺ますたにのラーメンも最近行ったときは麺がふにゃふにゃで、こんなに柔らかかったかな?と思ったことはある。最近の傾向として変わっていった、ということなのだろうか。


いずれにせよ、ますたにラーメンを頼むときは、麺固めで注文することが肝要であることがわかった。


自分にとって、”京都の聖地”である中華そば ますたに 北白川本店のますたにラーメン。

2023年12月27日(水)にしかと堪能し、これからもますたにラーメンのファンとしてずっと通い詰めていくことをここに誓ったのでした。もちろん自分の場合は、東京・日本橋の京都銀閣寺ますたに、のほうにお世話になることが多いと思いますが。


でもこうやってたまには、本家本元の総本山を聖地巡礼することも忘れないようにしたいと思っている次第です。









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姫路グルメ [グルメ]

姫路は姫路駅と姫路城をむすぶ大きな道路があり、その両側に山陽百貨店とかFESTAとか大きな商業施設がある。でもそこが姫路市民の生活の憩いの場所かと言うとそうでもない。どちらかというと、その隣のみゆき通りというアーケードのショッピングモールがあって、そこにびっしりと飲食店含め商業施設がひしめて並んでいる。どちらかというと、こちらのほうが、姫路市民の生活の用を足すところだと自分は感じた。


せっかく姫路に来たのだから、姫路ならではの姫路グルメを堪能してみたいと考えていた。


情報源は、旅行雑誌まっぷるである。これで姫路グルメとはなんぞや?ということを突き止めていろいろリサーチしていた。的を絞って数件紹介してみようと思う。


●アーモンドバター&アーモンドトースト


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写真のアーモンドバターは、なんとなく馴染みがあるというか、どんな味がするか、誰でも想像できるというか、食したことがあるものではないだろうか。あの甘い香ばしいアーモンドの味がする、それをバター状に塗る感じで、トーストに塗ったりして食べる。それがアーモンドトーストだ。


このアーモンドバター&アーモンドトーストがじつは姫路のカフェ・ド・ムッシュというカフェが発祥だという。自分はこのことを初めて知った。


カフェ・ド・ムッシュは、テレビやメディアで多数取り上げられ「アーモンドバター」で有名なカフェとして名を挙げた。モーニングサービスとしてムッシュ自家製「アーモンドバター」を提供したところ、幅広く姫路市民に支持され、今では遠方からファンが集まるようになり、兵庫県から2013年に特産品として認定された。お店では定番のアーモンドトーストだけではなく、実はボリューム満点の大盛メニューも有名だそうだ。ドリンク合わせて

140種類ほどのメニューがあるそうだからすごいものだ。


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元祖と呼ばれ愛されている「ムッシュ」のアーモンドバターは700円。トランス脂肪酸を抑えたムッシュオリジナルマーガリンに、全体の23%以上を占める量のアーモンドを手作業で混ぜ込んだ逸品。アーモンドトーストは必ずトーストに塗ってから焼くのだそうだ。


EC配送もしていて、取り寄せもできるようだ。



姫路グルメとしては、ぜひこのアーモンドバター&アーモンドトーストを経験しないといけないだろう。ということで、このカフェ・ド・ムッシュのカフェに行くことにした。


カフェ・ド・ムッシュは3店舗ある。姫路・新在家・網干の3店舗。

やはり最初のオリジナルの本店の姫路店に行くしかないだろう。


ところがカフェ・ド・ムッシュ姫路店は、アクセスが難しく、姫路駅周辺からかなり離れており、歩いていくことはほぼ不可能。電車の交通手段もないのだ。完全に車でアクセスすることが前提のカフェなのだ。


これはほんとうに困りました。どうしても体験したい自分は、仕方がないので往復をタクシーを使うことにした。そこまでして体験したかった。


●カフェ・ド・ムッシュ姫路店


レトロでどこか懐かしい雰囲気の素敵なカフェである。

やっぱり駐車場がしっかり常備されている。


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店内の内装もかなり素敵な雰囲気だ。かなりお洒落である。地元人気抜群で、自分はモーニングを体験したく朝の7時半あたりからかけつけたのだが、こんな混みようで、姫路市民の人気ぶりがよくわかる。


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タクシーの運ちゃんから、カフェ・ド・ムッシュ姫路店を体験したくて遠くからやってきた、と言ったら、どこから来たの?と聞かれ、東京から来ました、と答えたら大層驚かれてしまいました。(笑)


なにせ、140種類のメニューがあるので、すごい盛りだくさんだ。


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アーモンドトーストが体験できるモーニングということで、このカフェの1番人気は、アーモンドトースト、ホットサンド、オムレツ、スパゲティ、そしてサラダが付く”キャンデイ”をオーダーした。830円。


このキャンディがこのカフェの一番人気のモーニングだそうだ。


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アーモンドトーストは、ほんとうに香ばしい甘さ抜群で最高に美味しかった。これが姫路のアーモンドトーストか~という感じで感慨深かった。なにせ、ボリューム満点のモーニングなのでずいぶんお腹いっぱいになりました。


これでミッションコンプリートになりました。



●はまもとコーヒー


アーモンドトーストを体験できる姫路のもうひとつの有名店で、はまもとコーヒーという珈琲専門店の情報が雑誌に載っていたので、ここも体験してみた。


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ここはアーモンドバター&アーモンドトーストというよりは、完全な珈琲専門店で、1975年より営業している。「コーヒー本来の美味しさをお伝えしたい」をモットーに、丁寧に、心をこめて淹れるコーヒー。まさにコーヒー専門店である。アーモンドトーストはついでに置いてある、という感じである。


みゆき通りに中にあって、店内はかなり昭和レトロな雰囲気で素敵だった。まさにコーヒー専門店という装いの店内だった。年配の男性のスタッフで、こだわりのお店と言う感じがする。


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はまもとコーヒーのアーモンドトースト。


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甘さ控えめで、とてもシンプルであっさりしたアーモンドトーストでした。


アーモンドバター&アーモンドトーストは、姫路市あげての名産物なので、この2店舗だけではない。もう姫路市内のあらゆるカフェで、アーモンドトーストが食べられる、と考えていいだろう。


姫路駅内のカフェも、大きな電子掲示板でアーモンドトーストの宣伝をしていて、美味しそうで思わず入りそうになった。




●つけ麺 姫路


世界遺産 姫路城をモチーフにした観光名物!「つけ麺 姫路」。

この宣伝文句に思わず乗ってしまった。


姫路の観光名物「つけ麺 姫路」「姫路拉麺」は、海苔を大天守閣に、麺を城壁に、ローストポークを石垣に見立て、姫路城をイメージした盛り付けに由来している人気メニューである。


メディアでも多数紹介されて人気だそうだ。

地元民をはじめ、姫路観光に合わせて食したい至福の一品とある。


お店は、”姫路 麺哲”というところで、みゆき通りからもう1本外にある通りにある。はまもとコーヒーのすぐそばにあるので、立ち寄ってみた。


姫路 麺哲


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店内は、近代的で清潔感溢れていて、オシャレな雰囲気で好印象だった。


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自分はさっそく”つけ麺 姫路”のほうをオーダーした。


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つけ麺 姫路


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う~ん・・・これから姫路城をイメージするのはなかなか自分には難しかったが(笑)、食べてみてとても美味しかった。とくにつけダレがすごく甘い醤油味でこれがかなり美味しかった。つけ麺は普段あまり食べないが、つけ麺はやはりこのつけダレが濃い味じゃないとダメでしょうね。


とにかくつけダレがすごく甘く、それが引き立てになり、総合的にすごく美味しいつけ麺だと思いました。でも、繰り返すけど、この完成品から姫路城をイメージできるかな~。(笑)



●姫路おでん


おでんには、関東おでん、関西おでん、金沢おでん、そして名古屋おでん(どて煮)と体験してきたが、今回は姫路おでんを体験することにした。姫路おでんというのは、どこに特徴があるか、というと、食べるときに生姜醤油につけてたべることを姫路おでん、というのだそうだ。おダシは、どちからというと薄味の関西系。生姜醤油だったら、べつに関東でも入手できるわけだから、場所を選ばず姫路おでんというのは食べれそうな気がするのだが。(笑)


これもアーモンドバター&アーモンドトーストと同じで、姫路市内のいたるところのおでん屋さんは、みんな姫路おでんを食べれるに違いない。どこか見繕って、ということで、雑誌まっぷるに掲載されているお店をチョイスして行ってきた。



姫路駅前にFESTAという商業ビルがある。その隣に路地裏という気配なのだが、飲み屋さん街が並んでいる。ここを”姫路のれん街”というらしい。


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こんな感じでお店はシートで覆われており、路地裏の知られざる庶民派飲み屋さん、という感じだ。


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このお店の中に、”おでんと串かつ 姫路のお店”というところがある。


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自家製生姜醤油で食べる10種類以上の姫路おでんと、本場大阪から取り寄せている素材をメインにした居酒屋。兵庫の地酒も豊富にあり、姫路B級グルメ「ひねぽん」「ぼっかけ」「ちゃんぽん焼き」なども。メディア取材多数の人気店だそうだ。


そういうことか・・・生姜醤油もふつうに生姜と醤油を合わせているんじゃなくて、自家製の生姜醤油に特徴があるんですね。


店内は、もうテントに覆われている秘密基地という感じで、超狭い。とても写真に収める気がしなかった。(というより不可能)


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さっそく、おでん7種盛り合わせをオーダーした。お店の方で、選んでくれて盛り付けてくれる一品だ。もちろん、自分は大根、こんにゃくなどセルフでも選べる。


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薄味のダシが基本だが、見た目は、ふつうのおでん、どちらかというと関西おでんに近いかな。おでんのタネもいたって普通のおでんである。



これにこのお店自家製の生姜醤油をかけて食べる。自分は、なにか小皿に生姜醤油が盛られて、そこにおでんをつけて食べるのか、という上品なことを考えていたが、もう生姜醤油が写真のような容器の中に入っていて、それをよく振って中をかき混ぜてから、おでんに直接振りかけて食べるのだそうだ。ワイルドだな~~~。(笑)


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さっそく姫路おでんを食してみる。むむむ・・・。これはなかなか意外な味。確かに生姜醤油ですから、みなさんが想像した通りのあの味ですよ。お刺身につけて食べるときのあの生姜醤油です。あの味をおでんにかけて食べると、ちょっと珍味というか、かなりさっぱりした味口で、やさしいおでんに対してちょっとピリリと苦みを感じさせるような不思議な味なんだな~、あまり食したことにない味だな~と思いました。


もちろん美味しいですが、珍味ですね~。

これが姫路おでんなんですね。

確かにここに体験しました。



予算の関係で、姫路B級グルメ「ひねぽん」「ぼっかけ」「ちゃんぽん焼き」はまた次回にしたのだが、せっかく姫路に来たなら姫路の地域密着の食べ物を食すのがよかろう。この姫路B級グルメ、これもどこの居酒屋でも置いている感じで、居酒屋さんの前を通ると、メニューの看板が飾ってあり、その中にかならずこの姫路B級グルメが存在していた。


あ~地域密着食べ物なんだな~と思いました。


どんな食べ物なのか、ネットの写真で紹介だけはしておきます。


・ひねぽん


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ひねぽんとは、ひね鳥の肉を炙ってポン酢を加えて作る料理である。


ひねポンは関西の西外れに当たる播州の名物料理として知られている。播州では鶏卵を得ることなどを目的として養鶏が行われてきた。しかし年老いると卵を産まなくなり、そのような雌鶏をひね鶏(ひねどり)と呼ぶ。ひね鶏は年老いていることもあり、通常の食肉として出荷される鶏肉用の若いニワトリよりも肉質が硬い。そのような肉質ではあっても炙ってポン酢で和えてみたところ独特の旨味があったため、ひねポンを播州の姫路などでは提供する飲食店も現れた。主に居酒屋で提供され、炙ったひね鶏の肉をポン酢で和える点は共通ながら、味は店ごとに異なっている。



・ぼっかけ


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「ぼっかけ」とは、牛スジ肉・こんにゃくを甘辛くじっくり煮込んだ家庭的な味の料理。うどんにかける場合もあるし、酒のつまみにするなどして親しまれている。兵庫県・愛媛県・福井県・和歌山県・福岡県・高知県などいろいろな地方のぼっかけがあるようだ。 




・ちゃんぽん焼き


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ちゃんぽん焼きは、兵庫県姫路市周辺で食べられている麺料理で、焼きそばと焼きうどんを合わせたもの。姫路では定番グルメになっている。長崎発祥の「ちゃんぽん」は福建料理をベースとしたラーメンの一種だが、ちゃんぽん焼きはあくまでも焼き麺である。



これらの姫路B級グルメは、かならず姫路市内にある居酒屋さんには存在する一品です。

今度行ったらチャレンジしてみよう!




姫路おでんでは、姫路に着いたときに、駅構内にあるお店でもさっそく食べてみた。姫路駅内に、ピオレ姫路という商業ビルが構内の中にもう隣接しているのだ。


そこにはピオレおみやげ館とかあるのだが、その中に、”播州うまいもん処”という姫路名物を食べさせてくれるお店が集まっている処があるのだ。


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その中に、姫路の地酒、姫路のおでん、というお店があり、ここで姫路おでんを食べられると思い、姫路に到着と同時にすぐに食べてみた。


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姫路おでんランチ定食を頼んだのだが、う~ん、なんか見た目は、なんか貧祖で姫路おでんってこんなものなのかな?と思ってしまった。こちらは、お皿に生姜醤油を盛り付け、おでんをそれに浸しながら食べるふつうのタイプだ。でもこの食べ方だと、いまいちよくわからないかな。姫路到着初日の軽い失敗であった。


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これらのメニュー以外にも、お店の中には入らなかったけれど、さっと通りかかったときに、あ~これはよさそう!と思ったお店が何軒もあった。姫路えきそば、姫路タンメン、とか・・・いろいろである。


それこそみやき通りにある飲食店街の気になったお店は大抵は写真で撮影してきてある。

次回に番外編ということで、それも紹介していこう。


お楽しみに!









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道頓堀 今井 [グルメ]

大阪に旅行に行くとき、新幹線で新大阪駅で下車すると、かならずやる儀式がある。それがその駅構内にある道頓堀 今井で、関西うどん、大阪うどんを食することである。


それで関西スピリッツ注入~~~!という感じで俄然やる気が出てくる、という感じである。自分の曖昧な記憶だと、道頓堀 今井のお店が新大阪駅構内にあるという感じだったのだが、今回あらためて意識して確認したところ、違っていた。


新大阪駅構内にあるのは、”大阪のれんめぐり”というナニワの銘店ここに終結という感じのいろいろな大阪名物が食べられるちょっとした食事処であった。


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そうだった。そうだった。ここだ。ここだ。

自分は新幹線で新大阪駅に着いたら、かならずここに寄るのだった。


大阪串カツとか、いろいろなお店が入っているのだ。


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この中のひとつとして、道頓堀 今井が入っているのだ。

自分が大阪に来たときに、毎回寄って食べているのは、ここだった。


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自分の勝手な思い込みだけど、関西うどん、大阪うどんというと、やっぱり”きつねうどん”なんだよね~。どれを食べるかというと、絶対きつねうどんを頼む。関西うどん=きつねうどん、という方程式が自分の中に頭の中にある。関西風のあの薄味のダシの効いた汁には、やはりきつねうどんがいちばん合うと思う。


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やっぱり関西うどん、大阪うどんは、別の意味で美味しいと思います。

自分は北海道で育ったので、そば、うどんの汁は真っ黒な醬油ベースが基本です。あれがそば、うどん、だと思っています。関西の方からすると、こんな真っ黒なそば、うどんなんか食われへん、と言われるかもしれませんが、それ有名な話ですよね。自分は大人になるまで、その事実を知りませんでした。そば、うどんは真っ黒な醤油ベースというのがあたりまえだと思っていました。


はじめて、この薄味の関西うどんを食べたのは、社会人になりたての販売研修で大阪の上新電機に研修に行ったときかな。このときにはじめて関西うどんを食べました。これが大阪うどんか~と思って食べてました。


うどんの関西風と関東風の違いについて。


うどんの場合は、京風と関東風の大きな違いは「つゆ」にある。 関東は「うどんつゆ」、関西では「うどんだし」と呼びます。 京風は、昆布出汁がベースの薄口醤油の透明な汁に対して、関東風は、鰹出汁がベースで濃い口の黒っぽい汁です。


大阪うどんの最大の特徴は、「麺よりもスープが命」という点にある。 昆布やかつおの旨味が染み渡る"ダシ"(スープ)こそが主役であり、麺は主張しすぎないツルッとしたのど越しの食感が好まれる。 コシが強くて太い、麺そのものを味わう讃岐うどんとは、同じうどんとはいえ、かなり対照的な料理として進化してきたのです。



この新大阪駅の”大阪のれんめぐり”の道頓堀 今井のきつねうどんを食べたときは衝撃だったな~。ほんとうにダシが効いている、というか、薄味なのに、こんなに美味しいものなのか、という驚きだった。ダシから匂い立つ香りが凄かったような気がする。関西うどん、大阪うどんが”麺よりスープが命”、”ダシ(スープ)こそが主役”と言われるのがよくわかるような衝撃だった。


自分に関西うどん、大阪うどんの凄さを教えてくれたのは、この新大阪駅の”大阪のれんめぐり”の道頓堀 今井だったのだ。


それを何度も大阪に行く度にこの新大阪駅の道頓堀 今井で関西うどんというものを堪能していたのだ。


そのうち、後年になって、この道頓堀 今井の本店に聖地巡礼に行きたいと思うようになった。でもこのためだけに大阪に行くのもあれだし、なんかのついでに寄りたいな~とずっと思っていたのだ。


そうして好機万来。いまがその絶好のチャンスとなった。

姫路、京都に行くついでに新大阪に1泊しようと思いました。


この道頓堀 今井本店を訪れるためだけに、である。


ここで道頓堀 今井について学んでいこう。



今井の始まりは、芝居茶屋「稲竹」



1838年(天保9年)、初代・今井佐兵衛の一人娘「たけ」が、稲野屋徳兵衛の援助により道頓堀の中座向かいで芝居茶屋「稲竹」を創業。3代目、4代目へと引き継がれる。


1815年

1815年(文化12)頃、初代:今井 左兵衛が奈良の今井町より道頓堀へ移り住んだとされる。過去帳より、一人娘のたけが確認された。


1822年

9月25日、今井の初代、今井佐兵衛死去。

※大坂など西国でコレラが大流行。


1838年

二代目・たけが、芝居茶屋「稲竹」創業。


楽器店への転身


1869年

今井3代目、今井佐兵衛が芝居茶屋「稲竹」を継ぐ。


1870年

今井4代目、今井三之助が誕生。この年、明治新政府は千日前の刑場を廃止し、隣接の墓地も阿倍野に移して跡地を無償で払い下げた。


1877年

信太ずし(いなりずし)の薄揚げをうどんに入れる「きつねうどん」が考案される。甘辛く煮た油揚げ入りのきつねうどんは1894年(明治27)の日清戦争以降に登場した。



今井楽器店


今井の4代目、今井三之助が、芝居茶屋「稲竹」の営業権を同店の女番頭だった野村照に譲り、5代目・今井寛三の発案で西洋楽器を販売する「今井楽器店」を創業。


創業当時はおもちゃ屋も併設してのスタートだったが、西洋楽器を売る店としては全国でも3本の指に入り、道頓堀ジャズの大流行ともあいまって順調に売れ行きを伸ばした。



1869年

今井3代目、今井佐兵衛が芝居茶屋「稲竹」を継ぐ。


1870年

今井4代目、今井三之助が誕生。この年、明治新政府は千日前の刑場を廃止し、隣接の墓地も阿倍野に移して跡地を無償で払い下げた。


「御蕎麦処 今井」の誕生


御蕎麦処 今井


大阪大空襲により焼け出され、疎開先での生活を経て、道頓堀に戻ってきた5代目・今井寛三一家は、食べ物を売ることで自らも食いつなげるようにした。考えて始めた商売ではなく、そうせざるを得ない状況であった。


1946年

今井寛三一家の道頓堀での生活がスタート。食べ物屋として再出発し、夏は寒天・氷水を売り、 秋からはぜんざい・焼き栗などを販売した。一方で、めん類も内緒で販売。すると客が付き、寛三の妻・マチ子は「これだ」と感じた。これを転機に「おそばとうどんの店」、後の「御蕎麦処今井」がスタートした。


1947年

先代の三之助まで続いた芝居茶屋「稲竹」を継いだ「稲照」が、千日前筋西の路地に移転復帰。


御蕎麦処今井から「道頓堀今井」へ


1956年

屋号はそれまでと変わらず「御蕎麦処 今井」とし、

その経営母体を「株式会社今井」として法人化。


1957年

6代目・清三が社長に就任。入社からわずか2年での就任であった。「うどん、そばにも季節感がないとあかん」を持論とし、「季節そば・点心」をメニューに追加。


1995年

7代目・徹が社長に就任。2002年に起きた火災に巻き込まれ本店が類焼するも、新規店舗やテイクアウト商品を展開し、現在に至る。



6代目・清三


6代目・今井清三

「味はもちろん、季節にこだわり、和の姿と形にこだわって、それらを自らのめん類店に取り込む」味・季節感・和の心・器へのこだわりは今に受け継がれている。


情報引用元:


道頓堀 今井公式HP



まさに江戸時代から続く名店中の名店だが、きつねうどんを発明したのは、この道頓堀 今井だったんですね!

1877年のことでした。


信太ずし(いなりずし)の薄揚げをうどんに入れる「きつねうどん」が考案される。甘辛く煮た油揚げ入りのきつねうどんは1894年(明治27)の日清戦争以降に登場した。


きつねうどんが明治時代に発明されたもの、そしてそれは道頓堀 今井が考えたものだ、ということをいまこの日記を書くために調べている最中に知りました。(遅い。。笑笑)


自分が、単なる勘で、道頓堀 今井に来たらどうしても、きつねうどんを食べたくなる。関西うどん、大阪うどん、というと、きつねうどんのことを指す、と感覚的にイメージしていたのは、じつは正しいことだったんですね。もうびっくり仰天の真実でした。


道頓堀


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道頓堀 今井は、道頓堀のあの通りの中にあります。道頓堀のあのナニワの雰囲気の通りの中に、埋め込まれるように潜んでいます。もうあきらかに周りの雰囲気と違って浮いています。(笑)


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ついに来た~~~。


聖地巡礼。関西うどん、大阪うどんの聖地にやってまいりました。


玄関の顔がすごく日本的、和風、和装な面持ちなので、店内の内装もかなりデラックスな和風仕様なのか、と思いましたが、店内は、思っていたよりもかなりシンプルな装いでした。


なにげなく響く関西弁が素晴らしい。


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でも、自分はいまあれだけ憧れた関西うどんの聖地に来ているんだな~と思うと、興奮、震えが止まりませんでした。1階だけではなく、上階に複数のフロアを持っている構造です。


自分は上階(何階だったか、忘れましたが。)に通されました。


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自分は、この畳の和室でいただきました。


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自分は、このとき、きつねうどんは、道頓堀 今井が発明したものだとは、まったく夢にも思わず、でもまよわず最初は、きつねうどんを頼みました。


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道頓堀 今井のうどんのおダシは、北海道産の天然真昆布と九州産のさば節とうるめ節を使用した今井のお出し。しっかりとしたコクと旨味を持ちながらも、上品な薄味に仕上げたお出しになります。


やはり美味しかった~~~。

自分に関西うどん、大阪うどんの美味しさを教えてくれた道頓堀 今井のきつねうどん。最高でした。まさに薄味のダシで、匂い立つような香りです。お揚げさんが甘かった~~~。


せっかく聖地巡礼で訪れたのですから、きつねうどん1杯だけでは物足りないな、と思いました。いろいろメニューを眺めてみると、うどん鍋すき、というのがあって、これがよさそうだな~と思いましたが、5千円もするし、高すぎるのでやめました。


そして、鍋焼きうどんにすることにしました。


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さっぱりした口あたりに、あっさりだけどコクとうまみのあるおダシ。

最高の1品でございました。


道頓堀の中にある 道頓堀 今井本店に訪れることができて、聖地巡礼ができました。まだまだ若輩者で、大阪のことはまったくよくわかっていませんですが、関西うどん、大阪うどんというのは、こういうものなのだ、ということを自分に教えてくれた道頓堀 今井の本店を訪れることができて、これ以上の喜びはないです。


よかったです。いいメモリアルになりました。


ちなみに、自分は、ホテルニューオータニ大阪の道頓堀 今井には行ったことがなかったです。

ぜひ行きたいと思っていたのですが、なかなかそのためだけに大阪に行けなかったです。

再出店を望みたいです。


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サラマンカホール プロデュース オペラ [オペラ]

岐阜サラマンカホールには、ぜひもう一度足を運びたいと心から願っていた。とにかくホール内装空間がすばらしく美しく、ホールの響きも極上の美しさ、そして辻宏さんによるスペインのサラマンカ大聖堂の天使の歌声のパイプオルガンの復活伝説、と数々の要素で自分を魅入ってきたコンサートホールである。ぜひまた足を運びたいと思っていた。
                                                  
そんなときにコンサートカレンダーを眺めていると、パイプオルガンで演奏するモーツァルト・オペラ「魔笛」という演目がある。
                                                    
                               
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パイプオルガンだけでオペラをやってしまうの?どうやって?しかもあのモーツァルトの「魔笛」だ。それってちゃんとオペラになるの?
                                     
オペラと言うと、ふつう我々は、ステージ前にあるピットにオーケストラが入り込んで、フルオーケストラで鳴らす壮大なスペクタクルを想像する。あの荘厳な世界を、パイプオルガンだけで実現してしまうのか?
                             
パイプオルガンだけで、パイプオルガンの伴奏だけで、オペラ歌手が歌って劇をやってしまうのか?そんなことが実現可能なのか?
                             
自分はサラマンカホールに行くなら、ぜひ辻宏さんのパイプオルガンが絡んだ演目がいいな、と考えていた。サラマンカホールのパイプオルガンがどうしてももう一度聴きたかった。
                                       
そういう意味で、このパイプオルガンだけで演奏してしまうオペラ「魔笛」がとても興味深く感じてしまった。このオペラ、サラマンカホール独自の企画。サラマンカホール プロデュース オペラである。
                                
「サラマンカホール プロデュース オペラ」のプロジェクトの始まりは2012年。最初は「子どものためのオペラ」として、地域の子どもにオペラに親しんでもらおうと企画したが、大人も含めた幅広い世代にむけて発表するようになった。ホール支配人の嘉根礼子さんは「地域の子どもたちにとっての、オペラデビューになる場をつくりたいという思いは今もある」と話す。
                                     
オペラには若手音楽家の育成という役割もあり、出演者はオーディションで募集する。今回は、東海地方を中心に81人が応募し、キャスト15人のほか、合唱などで計約60人が参加している。岐阜大や岐阜聖徳学園大の学生もキャストを務め、ホール専属の合唱団であるサラマンカ少年少女合唱団も加わる。
                                       
演出・美術は乃村建一さん、指揮・編曲は倉知竜也さんがそれぞれ務める。劇場としては小規模なサラマンカホールに合わせ、本来はオーケストラで演奏するパートを倉知さんがパイプオルガン、ピアノ、シンセサイザー向けに編曲した。「オーケストラという固定観念とはまた違ったオペラを」と、パイプオルガンやピアノならではの響きを作り上げる。
                                       
嘉根さんは「サラマンカでできる最大限の演出で、オペラをぜひ楽しんでもらいたい。魔笛は子どもから大人まで誰でも親しみやすい作品なので、ぜひ足を運んでみて」と呼びかける。
                                         
・・・そういうことなのだ。つまりもともとサラマンカホールは容積的に小規模な部類のホールなので、そこでフルオーケストラのオペラを実現することは難しかった。そこをサラマンカホールの自慢であるパイプオルガンをメインにオペラ原曲を編曲してしまい、パイプオルガンとピアノとシンセサイザーだけの編曲バージョンでオペラ「魔笛」を実現してしまおうというのである。
                                           
そこに「サラマンカホール プロデュース オペラ」のコンセプト、「子どものためのオペラ」として、地域の子どもにオペラに親しんでもらおうと企画したが、大人も含めた幅広い世代にむけて発表するようになった、という背景が重なったものである。
                                       
自分はこれですべての背景が理解できたように感じた。
ぜひ!行ってみよう!このサラマンカホール プロデュース オペラを体験してみたい!と心底思うようになった。
                           
パイプオルガンの響き
新しい「魔笛」の世界
                                 
このタイトルが素晴らしいではないですか!
                            
                               
サラマンカホールは、OKBふれあい会館の中の一施設として存在する。
OKBふれあい会館は、天井が高く、とても素敵な空間だ。
                                   
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サラマンカホール。
                                  
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サラマンカホールは2019年以来4年ぶりの再訪だ。
相変わらずホワイエからして美しいお洒落な空間である。もう大好きなコンサートホールである。
                                            
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これは世界最古の大学、サラマンカ大学(中央)と、サラマンカ大聖堂(左右)のレリーフを模したもの。石材に現地のビジャマジョール石を用い、スペインの職人によって三年かけられて作られたものである。
                                          
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真ん中の中央のサラマンカ大学レリーフのレプリカは、唐草模様の中に隠れている多くの動物たちや、翼をもった女性、どくろなどが彫られている。さながら我々の世界のよう。レリーフの中には一匹のカエルが彫られており、このカエルを見つけられたら幸運に巡り合える、といわれている。
                                     
そして左右のサラマンカ大聖堂レリーフのレプリカは、さまざまな楽器を持った人が点在し、音楽のある幸福な世界が表現されている。
                        
まさに芸術的なホールという香りが豊潤に漂う空間だと思う。
                               
今回は、このレリーフの前に、特別に展示がなされていた。
こんな展示があるのは、自分は初めての経験である。このレリーフ制作にあたりの経緯を改めて知ることになり、すごい神聖な気持ちになりました。
                                         
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レリーフの制作。実物の約5分の2の大きさで3年の歳月をかけて彫られました。ビジャマジョール石の採掘。ビジャマジョール石は、砂が重なってできた砂岩の一種。地表近くから掘り出す。
                                        
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天皇皇后両陛下がご訪問。
                              
両陛下は、2度にわたりサラマンカ市をご訪問されました。大学正面玄関横には1985年2月、当時皇太子同妃両殿下としてご訪問されたのを記念した文字が記されています。
                         
サラマンカ大学の正面玄関
                               
玄関は高さ20メートルに及び、美しいプラテレスコ様式の彫り物が施されています。この模様がサラマンカホールのレリーフの中央に飾ることになりました。また手前はルイス・デ・レオン師(16世紀サラマンカ大学神学教授の)の像です。
                          
                               
それだけではありません。
この日は、やはりサラマンカホールのことをよく知ってほしい、いままでのサラマンカホールの足跡を紹介する、というそういう主催者側の嬉しい配慮があったように思います。
                                      
サラマンカホールに関するメディア、新聞記事もきちんと保管されており、その過去の記事の紹介もこのようにパネルで紹介されていました。
                                         
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自分はこの記事がいちばんググっと来ましたかね。(笑)
                                
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サラマンカホールを設計する際に、どのような形状にするか、やはり音響的にシューボックスがいい。当時の辻宏さんもシューボックスで賛成。そしてシューボックスでもさらに幅狭く天井は高く。永田音響設計 代表取締役社長 小口 恵司さんが当時のことを述懐してメディア記者に話している記事が紹介されていました。
                       
自分はその内容に猛烈に反応。(笑)休憩時間でじっくり読み込んでいる時間がなかったので、カメラで記事の写真を取っておきました。(笑)
                      
                           
この日は、サラマンカホールの総集編とも思うべき、いろいろな展示の心遣いがあって、自分はとてもうれしい気持ちになり、興奮しました。サラマンカホール・ファンとしては堪らない気持ちになりました。
                           
                           
そしていよいよ、ホール空間に入ります。
                                     
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んんん???
                         
この天井から降りている黒いカーテンはどういう意味なのでしょう?
                                               
自分はサラマンカホールを再訪したかった理由のひとつにその美しいホール内装空間をもう一度観たいと思っていたので、正直なところ、この黒いカーテンはそれを阻害する感じで邪魔だな~と思いました。(笑)
                         
この黒いカーテンは、なんのためにあるのだろう?
オペラの演出の一部なのであろうか?
                         
いろいろ考えてみました。あくまで自分の考えでしかないですが、あとで述べてみたいと思います。
                    
                   
                            
さて、サラマンカホール プロデュース オペラの「魔笛」です。
                        
結論から述べますと、想像していた以上に、素晴らしく完成度の高いオペラでした。
もう十分すぎるくらいオペラとしてきちんと成り立っている。
驚きました。
                       
歌手のレベルも高いし、ふつうに新国立劇場でオペラを観ているのをなんら変わらない、まったく違和感のない、もうオペラそのものです。
                        
自分がいちばん興味を持っていたパイプオルガンだけでオペラをできるのか?です。
                         
実際オペラの伴奏として編曲に使われた楽器は、パイプオルガンとピアノ、そしてシンセサイザーです。そのうち主旋律を演じていたのは、ピアノです。ピアノがメインですね。
                        
(すみません、シンセサイザーも入っていたようで、事前に告知で知っていたのですが、どこで演奏しているのか、当日はわかりませんでした。)
                        
そしてパイプオルガンは、古楽の通奏低音のような位置づけで、どちらかというと伴奏的な立ち位置のように感じました。もちろん場面、場面で、ここはパイプオルガンが主役に躍り出て、主旋律を歌うということもあります。
                      
でも比率からすると、ピアノが主旋律を歌っているときのほうが多いように感じました。
                                    
パイプオルガンはどちらかというと音量控えめです。ふつう我々のイメージからすると、コンサートホールのパイプオルガンというと、ホール空間いっぱいにジャ~ンと鳴り響く荘厳なイメージがあります。あるいは教会のパイプオルガンもそうですね。自分もパイプオルガンにはそういうイメージがあるので、あの音量で鳴らしたら、歌手の声もかき消してしまい、オペラにならないのではないか?そういう思いがあったのです。
                          
でもそれの真逆を行くかのように、まるでピアノの伴奏のように静かに音量控えめで、通奏低音のような感じなのです。
                           
このとき、自分はホールの天井からぶらさがっている黒いカーテンについて、考えてみました。これはひょっとするとパイプオルガンの音色、響きを吸音するためのカーテンの役割なのかな、と考えました。
                          
パイプオルガンが鳴り響かないようにこの垂れ幕で音を吸っているのかな?と考えました。
間違っているかもしれませんが(笑)、そのように考えました。
                       
もう歌手の声はじつにクリアにはっきり大きな音量で聴こえてきます。
                        
もう完全にオペラとして成り立っているのです。
                           
こういう演出もあるんだな~と思い驚きました。サラマンカホールがフルオーケストラ対応のオペラの代用として、自分のホールの容積に合わせた独自の編曲バージョンのオペラ。
               
まさにサラマンカホール プロデュース オペラです。
                        
これはなんといっても、このようにパイプオルガン、ピアノ、シンセサイザーだけで魔笛が実現できてしまうように編曲した倉知竜也さんがいちばん偉いですね。倉知さんは指揮者として登場されていました。
                             
ふつうのオペラの指揮は、ピットの中でオーケストラの前で指揮をしますが、今回はステージ中央の客席のところに陣取りそこでステージの方向を向いて指揮をします。オーケストラがいない訳ですからその指揮を誰が見ているのだろう?誰に向かって指揮をしているのだろう?と思いましたが、パイプオルガンの奏者のところにモニターがあるんですね。そのモニターに倉知さんの指揮姿が映っておりました。
                      
オルガン奏者は背中を向けているので、指揮も見れないし、歌手たちも見れない。タイミングをどうとっているのか、なのですが、このモニターで倉知さんの指揮を見ながらタイミングを取っていたんですね。
                         
ピアノもそうだと思います。
                     
いろいろ工夫されているのがよくわかりました。
                            
さて、肝心のオペラのほうですが、アリアの歌のところは原語で歌い、そのほかのセリフのところは日本語で話すというわかりやすい手法でした。だから字幕など必要ありません。でもアリアの歌の意味がわかるようにステージ正面の背面のところに字幕ありましたかね?
                         
ステージ両サイドにあるより、よっぽど見やすかったです。
                        
舞台装置はとてもシンプル。
                          
でもオペラって不思議ですね。どんなにシンプルな舞台装置でも、その魔笛の場面がその歌手、役者さんたちの歌、そして演技で、その場面、その場面がきちんと実現できてしまうし、頭の中でストーリーをイメージできてしまうものなのです。
                    
素晴らしいと思いました。
                              
歌手もレベルが高かったです。まるで新国オペラとなんら遜色ないくらい素晴らしいと思いました。今回キャストを、若手音楽家の育成という役割もあり、出演者はオーディションで募集したとのことですが、じつにハイレベルだと思いました。
                      
タミーノ:山本康寛さん、パミーナ:趙知奈さん、パパゲーノ:近野賢一さんがやはり主役を張るだけあって素晴らしかったです。自分が意外や感動したのが、ザラストロ:伊藤貴之さんですね。もうあの低音は素晴らしく、プロ並みと言っていいですね。みんなすごいレベルが高いです。
                      
われわれはやはりモーツァルトの魔笛というと夜の女王のアリアを思い出しますね。コロラトゥーラのまさに魅せどころです。自分もグルベローヴァさまのCDで随分鍛えました。
                       
この大変な役どころである夜の女王を林美予子さんがきっちりと勤め上げていました。やはり夜の女王のアリアのコロラトゥーラのところはかなり苦しそうに歌っているように感じましたが、そりゃそうですよね。プロでもちゃんと歌える人はいないです。でも見事に演じ切っていたと思います。
                        
オペラの演出自体もじつにわかりやすく、途中でナレーション、解説の人が出てくるなど、初心者にもわかりやすい配慮がなされていました。オペラの演出自体はとてもシンプルで正攻法だと思いました。
                         
もうオペラとして、断然成立しているし、すごく内容の濃いオペラだったと思います。
何度も言いますが、新国オペラとなんら遜色ないです。
                                 
すごい見応えがありました。
                                        
子どもたちへのオペラの普及。そして大人の世代に向けてのオペラの普及。
                                                                               
サラマンカホール プロデュース オペラ。
                                                                                          
これでチケット代はたったの2,000円なのですから。商業的と言うより、普及が目的とはいえ、じつに素晴らしい試みだと思いました。
                    
                              
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(c)サラマンカホール Facebook
                
                     
                         
パイプオルガンの響き
新しい「魔笛」の世界
                                              
2023年12月9日(土)14:00~
サラマンカホール
                  
                     
                     
指揮・編曲/倉知竜也  
演出・美術/乃村健一
原語歌唱、日本語台詞、日本語字幕付き
サラマンカオリジナル・パイプオルガン編曲版
                     
上演時間 約3時間(休憩を含めて)
                  
シングルキャスト・2回公演
                
                      
              
キャスト
                   
タミーノ:山本康寛 
パミーナ:趙知奈 
パパゲーノ:近野賢一 
パパゲーナ:舟倉悠利 
夜の女王:林美予子 
ザラストロ:伊藤貴之 
侍女Ⅰ:久野絵理
侍女Ⅱ:濱野織
侍女Ⅲ:梅澤市樹 
                  
童子:鳥木優佳里・堀江七海・スミス桃美・村山佑菜・武田紗那恵 
モノスタトス:山本治樹 
弁者:上田賢 
神官:山本農里 
                 
合唱:サラマンカホール魔笛合唱団
                 
                  
                        
パイプオルガン:三上郁代
ピアノ:池原陽子
シンセサイザー:重左恵里
                          
稽古ピアノ:池原陽子、重左恵里
                             
原語、合唱指導:近野賢一
照明:田中宏幸(ライティング・ビーム)
                  
制作・主催/サラマンカホール

                       

                                             

              

                                                        


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京響の第九 [国内クラシックコンサートレビュー]

年の瀬、年末を京都で過ごすとは!そして年末の第九を京響で納めることになろうとは!夢にも思っていなかったです。ほんとうに勢いで計画してしまいましたが、ほんとうによかった。大伽藍のすばらしい演奏でありました。


自分のクラシック人生の中で、一生忘れることのできないメモリアルな第九となったと思います。


ほんとうにひさしぶり。6年ぶりの京都コンサートホール。

あたりまえだけど、まったく変わってなくてホッと安心。


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しかし、ホワイエの内装空間がほんとうに抽象的、オブジェ的な美しさというか、素晴らしいですよね~。これはなにを意味してデザインされているのか、知ってみたいです。


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ホール専用の軽食やカフェなどもあるんですね。たぶん昔からあると思うのですが、自分の記憶にはなかったです。覚えてないです。今回とても目新しく感じました。


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座席は、1階4列23番。

なぜか京響のコンサートで自動採番でチケットを取ると、前方列になるんですよね。でもここのホールは前方列で聴く方が音響はいいそうですから、結果オーライですね。指揮者、楽団、ソリスト、みんな間近で見れますしね。


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京都市交響楽団 特別演奏会「第九コンサート」

初日の12月27日(水)に参戦しました。


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[指揮]大友直人(京都市交響楽団桂冠指揮者)

[ソプラノ]小林沙羅 

[メゾ・ソプラノ]鳥木弥生

[テノール]西村 悟 

[バリトン]大西宇宙

[合唱]京響コーラス


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これ以上ない最高に魅力的な布陣ではないでしょうか。



もう第九、1本で勝負です。


2016年に初めて京響を京都コンサートホールで体験したときは、とにかく弦の再生能力が抜群に素晴らしいオーケストラで、地を這うような、あのうねるような分厚い弦の音色、一糸乱れぬアンサンブルの精緻さと一体感、そして抜群のハーモニー感と、圧倒された記憶があります。やっぱりオーケストラの楽器構成としては、弦楽奏者が大半を占める訳ですから、弦楽器の再生能力が貧弱なオケは苦しいものがあるのではないかと思います。とにかく”京響は弦がすごい!”というイメージがずっと自分の頭の中に固定観念としてこびり付いている。


その後、8回実演を体験することができたのですが、もうどの公演もその印象は変わらず一貫したイメージ像、印象だったと思います。


反面出会った頃の京響は、金管がいまひとつ安定感がなくて、ウィークポイントは金管かな、という印象があった。でもそれは2016年の頃の話で、後年の8回の演奏では、その弱点も克服され、金管に不安定を感じることはほとんどなくなりました。


そしてオーケストラの演奏の方向性としては、いわゆるクラシックの王道の曲を、大河のごとく演奏して鳴らし切り、聴衆を堂々とノックアウトする、圧倒するという正統派の演奏のように感じます。選曲をはじめ、あまり突拍子もない驚くような手法で聴衆に臨んでくることは、ほとんどない。まさに正攻法そのもの。


同一会場で、演奏回数が多くなっていくと、やはりマンネリを防ぐために、新しい斬新な取り組み、作曲家や選曲をはじめ、そういう工夫をしないといけないこともあると思うのですが、あくまで自分が8回の演奏体験の中ではそういうアプローチはあまりしない楽団だと思いました。


京響のコンサートの特徴は、やはり自分にとっては、ロケーション的に離れたオーケストラなので、なかなか滅多には聴けないオケで、その数少ない貴重な体験のコンサートでは、もう大感動で痺れる、というようなコンサートばかりだったと思います。


そういう一発勝負の場面で、聴衆を圧倒する、大感動を与える、そういうインパクトがかなり大きいオーケストラなんですね。


自分にとって京響は、すごくインパクトが大きいです。


とにかく1公演、1公演がすごい極限の極致まで、持ち上げるところまで持ち上げて、徹底的に、最高に興奮する大感動なコンサートばっかりだった、というイメージが多いです。


やってくれるな~という感じ。(笑)


そういう意味でも、自分のクラシック人生の中で運命の節目、節目で縁の深いオーケストラではなかったか、と思います。


いまだに強烈に想い出に残っているのは、2017年9月18日、サントリーホールでおこなわれたサントリー音楽賞受賞記念コンサートですね。広上淳一さんと京都市交響楽団でした。


あのときのラフマニノフ交響曲第2番の大感動は一生忘れられないと思います。ラフ2は広上さんの十八番ということもありましょうが、あのときはほんとうにぶったまげました。


あういう感じの一発、一発が大感動というのが、自分の京響のイメージなんですよね。非常にインパクトが大きいオーケストラなのです。


それは今回の第九のコンサートにもまったくあてはまっていました。

やはり体験する機会が稀ですと、それだけ受ける衝撃が違うものなのでしょうか。


ベートーヴェンの第九は、テンポも中庸でスタンダード。まさに王道の第九でありました。

前方席とはいえ、ホール空間で四方八方から全身に浴びるようなオーケストラ・サウンドのシャワー。

この分厚いうねるような弦楽器の音色。

圧倒的なダイナミックレンジ。


もうオーケストラの生演奏の醍醐味をこれでもか、というくらい浴びせられました。毎回思うことですが、この器感の大きさ、D-Rangeの巨大感、そして全身を包み込むように音が浴びせられる感覚は、もう生演奏だからこそ味わえる感覚で、この感覚をオーディオで再現するのは、やはり無理なのではないか、と毎回思います。


オーディオにはオーディオらしい、それに適した楽しみ方があり、生演奏とオーディオは評価軸を別途分けて議論するべきものなのではないか、と思うことです。


オーディオにはオーディオの世界観で楽しめる別の評価軸があり、それは生演奏では成し得ないようなメリットもたくさんあり、生演奏は生演奏、オーディオはオーディオで分けて、ときどき参考情報としてお互いをマージして考える、そういう立ち位置関係なのじゃないかな、と思ったりします。


京響の第九は、やはり正攻法で王道の第九でありました。

まさしく正面ストレートど真ん中というようなアプローチで、自分がつぎにこういう感じのフレーズに移行していく、というような予想が次から次へとすべて的中するような正攻法。まさしく自分が期待していた通りの自分のイメージ像にあるベートヴェンの第九そのものでありました。


そしてサウンドのなんとも迫力があり大伽藍であることか!

もうこれには圧倒されました。


今回いつもの自分と違うのは、第3楽章の美しさに心惹かれたことです。第九の第3楽章は、いわゆる他の楽章の攻めに攻めたアプローチに対して、ちょっとお休みのゆったりした美しい楽章なのですが、それはある意味次のラストスパートの第4楽章への序奏段階という感じで力をためておく意味合いもあると思うのです。


この第3楽章の美しさがもう心に染みた~~~。

いつになく沁みた~。


すごい美しかったです。


そして最終楽章。やはりここは燃えますよね~。もう合唱が入った途端、最高潮にボルテージマックスになります。人の声の厚み、人の声の合唱ってなんでこんなに美しくて感動させられるものなんでしょうね。肉厚で分厚い美しさですよね。感動の度合いが、オーケストラだけだったときの感動をさらに段違いなレベルまでヒートアップさせます。


合唱を交響曲に取り入れる、という発想をはじめてベートーヴェンが考案した。その新規性、斬新な発想は、まさに驚くばかりですが、オーケストラ+合唱というもう最高級の衝撃波が襲ってきてもう自分は大変な状態でございました。


合唱の京響コーラスは、もうレベルはかなり高いです。オケの後方に3列に並んでの布陣で、もうコロナ対策の人数削減はまったくなくいつものスタンダードな布陣でありました。


独唱ソリストも、もう最高でありました。冒頭のバリトンの大西宇宙氏でもう世界観が一気に変わり、そのモードに突入していきます。いい声してますよね~。まさにこれからの日本のオペラ界を背負って立つ期待のバリトン。大西宇宙氏だけでなく、今回の4人のソリストはもういまがまさに旬の日本オペラ界の顔ですよね、みなさん。すごいキャストだと思います。


テノールの西村 悟氏は自分にとって初体験だったと思います。声の伸びがあって声帯が広いいい歌手だと思いました。頑張ってほしいと思います。


自分は前方座席なので、独唱ソリストがよく視界に入りにくくて、すごく残念だったのですが、特に女性陣が見えなかったのが残念。身を乗り出して、やや半立ちのような感じで、メゾ・ソプラノの鳥木弥生さんが見えたのは救いでした。


今回は、鳥木さんの生の歌声を聴きたい、というのがひとつのミッションでもありましたので、なんとか果たせてホッとしました。声の張りがあって、すごい声質が明るく、声量も大きい。かなり目立つ声で驚きました。素晴らしかったです。



ソプラノの小林沙羅さんは、やはり美声で優しい声ですね。ご本人の人柄に合っているようなそのままのイメージの声でした。小林沙羅さんは、今回が初めてではなく、2回くらいかな?実演に接したことがあります。ミューザ川崎の東響の名曲シリーズで実演に接したことがあります。まさにこれからの日本オペラ界を背負って立つ期待のソプラノですね。頑張ってほしいです。



指揮の大友直人さんも、じつはミューザ川崎の東響の名曲シリーズで何回も実演に接したことのある自分にとってはお馴染みの指揮者です。


大友さんはやっぱりカッコいいよね。(笑)もうルックスが。。(笑)


スラリとした長身で、ダンディでカッコいい男性そのもの。

同じ同性の男性である自分から見てもカッコいいな~と思います。


指揮者にはいろいろなスタイルがあると思いますが、やはりフォトジニックである、という要素も重要なファクターだと思うんですよね。過去の偉大な指揮者も、やはり見栄えがする要素の大きい人も多かった。


これも指揮者のある意味大事な魅力であると思います。


大友さんの棒は非常にわかりやすく、観ていて楽団からの引き出し方がスムーズで非常にわかりやすい指揮ですよね。スタンダード、正攻法で素晴らしい指揮だと思います。指揮スタイルとしてすごくスマートだし、わかりやすい。


オケをうまく乗せていく、というような誘導の巧妙さを感じました。


この日の公演の大成功は、やはり最後は大友さんの指揮にあったのではないでしょうか。。。



年末に京都で京響で第九を聴く。


まさか自分も予想だにしていなかった体験でしたが、まさに最高のベートーヴェンの第九だったと思います。讃ばかりのように思うかもしれませんが、ネガティブな部分はまったく思い当たらなかったです。


自分にとって、いままで聴いてきた第九の中でもトップクラスの第九だったと思いました。

自分のクラシック人生の中で大きな勲章がまたひとつ増えたと思います。




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(c)京都コンサートホール Facebook




2023年12月27日(水)19:00開演

京都市交響楽団 特別演奏会「第九コンサート」


[指揮]大友直人(京都市交響楽団桂冠指揮者)

[ソプラノ]小林沙羅 

[メゾ・ソプラノ]鳥木弥生

[テノール]西村 悟 

[バリトン]大西宇宙

[合唱]京響コーラス


[管弦楽]京都市交響楽団



ベートーヴェン:交響曲第9番ニ短調 作品125「合唱つき」














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姫路、京都に行ってきました。 [街歩き]

クリスマス、年末にかけて、姫路、京都に行ってきました。ただいま自宅に帰ったところです。7泊8日という大旅行でしたが、無事全うできてよかったです。もちろん歩行障害のハンディ付きの体ですので、事前に計画を立てた通りにはいかず、かなりキャンセルしました。とくに後半の京都は、もうほとんど精神、体力的に無理で、大半がキャンセルです。まっ仕方がないです。


今回の1番の目的は、姫路城に行くことでしたから。

なんちゃって城マニアとしては、世界遺産でもあり、日本でもっとも美しいお城、白鷺城(はくろじょう)をじかに見ておきたかったのです。姫路城は、日本で初めての世界遺産になってから、今年が30周年の節目の年なのです。その年にぜひ姫路城をじかに見てみたかった。


この日は、雲ひとつない晴天で、絶好の城見物の日和となりました。

最高の想い出となりました。


ざっくばらんに時系列に今回の旅行の内容を振り返ってみますね。


詳細版はその後に発行します。今回の姫路、京都に併せて、12月8日~11日に実行した名古屋編の詳細日記もいっしょにリリースしようと思います。この年末年始の休みを利用して1日中家の中でずっと書き続けて、全部片づけてしまいたいです。ミックスのチャンポンで書いていきます。その日の気分に合わせて、名古屋、姫路、京都とチャンポンでリリースします。(できるかな~~~???)


もちろん横浜シリーズも忘れてませんよ。かならず完成させます。


でも旅はやはりいいですね。当初、名古屋、姫路、京都の旅行の予定を立てたときは、あまりよく考えていませんでした。衝動的に行きたい~~~という感じで決めました。


でも旅、自分の生活圏外に出ることは、いろいろもやもやしている気分を一気に気分転換させてくれますね。忘れさせてくれます。もし旅行の計画がなくてこのまま年末までずっと仕事をしていて、そのまま休みに入るのでは、もう悶々としてダメだったですね。


計画を立てたときは、全然そんなことは思ってもいなかったし、あくまで結果論ですが、年末に旅行の計画を入れておいてほんとうによかったです。気分晴らしになりました。


今回は、姫路、京都がメインなのですが、その前に新大阪に寄りたいと思いました。新大阪で、あの関西うどんの道頓堀 今井本店を訪れたかったのです。


新幹線の新大阪駅構内に、”大阪 のれんめぐり”というナニワの銘店がここにすべて終結というお店があるんですね。ここに道頓堀今井が入っているのです。新幹線を降りたら、まずここの道頓堀 今井さんのきつねうどんを喰って関西スピリッツ注入~~~というのが大阪に入り前の儀式のようなものなのです。


大阪に行くときは、毎回そうなので、ぜひ道頓堀にある道頓堀今井本店の聖地巡礼をしたいと思っていました。そのために新大阪に寄ることにしました。


道頓堀。


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今年の38年ぶりの阪神タイガースのアレで、ここは毎度のことながらダイブで盛り上がっていましたな~。1985年のバース、掛布、岡田の時代をリアルタイムで経験していた世代なので、その岡田彰布が監督としてふたたびあの夢を実現してくれたというのは、もう感慨深いものがあります。あの頃からもう38年経つんですね。


道頓堀 今井本店は、この道頓堀の通りの中に埋め込まれているような感じで存在しているのです。


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あのナニワの道頓堀の雰囲気と比べると、あきらかにそこだけ異次元の世界と言う感じで浮いています。(笑)大阪らしくないです。


いやぁ~、夢の道頓堀 今井本店初めて足を踏み入れました。とてもシンブルな内装で和装な雰囲気で素敵でした。きつねうどんとなべやきうどんをいただきました。それはそれは美味しかったです。関西うどん、大阪うどんは、やはりだしが透明で、だしが効いているというか美味しいですね。醤油味の真っ黒の関東だしは受け入れないんでしょうね、関西の方にとっては。


すでに閉店になってしまいましたが、ホテルニューオータニの道頓堀 今井にもぜひ行ってみたかったです。


そして翌日、姫路入りしました。


姫路城って駅から見えるんですね。よくSNSの投稿の写真で拝見していましたが、ほんとうにそのように見えるので、あ~ホントだったんだ~~と思いました。JR姫路駅から一直線上の道路が走っていて、その先に姫路城がそびえ立っているのです。


こういうオブジェがあって、ここに立つと姫路城をバックにして記念撮影できるような仕組みなのです。


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姫路城、白鷺城、行ってきましたよ~~~。

いやぁ~ほんとうに美しかった!

ほんとうに真っ白いお城でした。


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写真ではよく拝見していましたが、じかに肉眼で観るのとではもうぜんぜん違いますね。江戸城(天守閣なし)、大阪城、名古屋城、松本城といろいろ見て回ってきましたが、やはり姫路城の美しさは群を抜いていますね。今回の旅行の最大の目的を果たすことができて、よかったです。


姫路という街は、そんなに大きな街ではありませんが、3泊もしていると、もう大体わかるというか、こんな感じの街なんだな、ということが理解できました。3泊も必要なかったですね。持て余していたです。(笑)


姫路駅と姫路城を結ぶ大道路があって、ここに山陽百貨店やFESTAなどの大きな商業施設がありますが、そんなに大都会という訳でもなく、いわゆるお店、もっと小さな庶民的なショッピングモールという点では、その隣にあるみゆき通りというアーケードの商店街モールがあるんですね。いわゆる姫路市民が愛用するショッピング系はこちらがメインなんじゃないかな、と思いました。


姫路に滞在する目的には、姫路グルメを堪能することもミッションでした。


姫路発祥のアーモンドバターを使ったアーモンドトースト。カフェ・ド・ムッシュ 姫路店、はまもとコーヒーで味わえました。



カフェ・ド・ムッシュ 姫路店


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はまもとコーヒー


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そして、姫路といえば、姫路おでんですね。

おでんには関東おでん、関西おでん、金沢おでん、というのを自分はいままで経験してきましたが、姫路おでんというのは、なにが特徴かというとおでんのダシ自体は、関西系の透明の薄味だしだと思いますが、食べるときに生姜醤油で食べるところが特徴なのです。


おでんを生姜醤油につけて食べる。

これが姫路おでんなのです。


商業ビルのFESTAのとなりにある姫路のれん街にある、おでんと串カツと姫路のお店で堪能しました。


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生姜醤油ってあの味ですよ。誰もが想像できるあの味ですよ。我々がお刺身を食べるときに、つけてたべる生姜醤油。あの味です。おでんにその生姜醤油をつけて食べるのです。う~ん、こういうのもありだな、と思いました。ふつうに美味しかったです。



姫路グルメとしてもうひとつ有名なつけ麺姫路の麺哲さんで、姫路城をイメージして創作されたつけ麺をいただきました。つゆがとても甘い醤油味ですごい美味しかったです。


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さて、京都に入ります。


2017年以来だから6年ぶりの京都。京都駅、日本の駅校舎としては最大規模の駅校舎になります。懐かしいですね~。


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京都タワー。

ここにあった京都タワーのお風呂懐かしいです。よく愛用していました。残念ながらコロナ禍の影響を受けて閉店してしまいました。


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京都市バス。京都の寺院仏閣を廻るには絶対欠かせない交通機関ですね。相変わらず劇混みです。


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コロナ禍で大打撃を受けた観光都市京都ですが、外国人観光客の足も戻り、なんでもコロナ禍以前と比べると9割方復帰だそうです。外国人観光客、すごく多かったです。アジア系も多いですが、西洋系も多かったです。やっぱり日本を潤わせてくれるのは、こういうインバウンド景気なんだとつくづく思いました。


今回の旅行ではとにかくコストを抑えたかったので、ホテルは格安ホテルでネットで抑えました。大体1泊5千円くらいな安ホテルです。


新大阪や姫路はそれ相応のいかにも格安ホテルという感じだったのですが、京都のホテルには驚いてしまいました。


京都のホテルは、いわゆる京都のデザイナーズホテルグループが運営するホテルのようで、すごいファッショナブルで高級なホテルでした。もうラウンジからしてすごい!


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ホテルというのはふつう15時からチェックインなので、大抵それより早くホテルに着いてしまうので、フロントのところのチェアで待っているというケースが多いのですが、ここのホテルは”ラウンジ”ですからね。(笑)


もう一気にテンションがあがりました。

これで1泊5千円代、というのは信じられないです。


やはりホテルって重要ですね。ホテルが綺麗で、サービスも高級で、コンシェルジェの方も上品で素敵だと、やはり旅の気分もぜんぜん違ってきます。天と地の差があります。


姫路のホテルがかなり酷かったので、気分的に鬱状態になってしまったのですが、京都で一転して天国に昇ったような気持ちになれました。


やっぱり旅にはホテルって重要なんだな、と思いました。


京都では、三十三間堂や東福寺の寺院仏閣廻り、そして京和菓子 老松の訪問はぜんぶ取りやめにしました。もう足が限界で、あと長旅と精神状態が最悪で、気分がジェットコースターのように上がったり、下がったりで体調がかなり悪かったので、もうこれは無理だと思いました。仕方がないです。


京都に来たら、ぜひ中華そばますたに、を訪問したいと思っていました。

これは絶対外せないと思っていました。


そう長年自分が愛してきた京都ラーメンの老舗。背脂ちゃちゃ系の京都ラーメン。東京、日本橋の京都銀閣寺ますたにラーメンを長年に渡って通い詰めてきたので、その元祖がこの京都の北白川にあるお店ということで、2016年に初めて訪問できました。


”京都銀閣寺ますたに”という名前は、あくまで東京・日本橋にあるお店が独自につけている名前です。元祖は、中華そばますたに、なのです。とてもシンプル。中華そばますたには、銀閣寺の近くにあるのです。それで東京サイドは、京都銀閣寺という冠をつけているのだと思います。


東京・日本橋にある京都銀閣寺ますたには、この中華そばますたに北白川店から暖簾分けされたお店なのです。


どうしても今回もう一回行きたいと思い行ってきました。北白川本店はもちろんですが、今回新たな試みで、京都駅の伊勢丹の10Fにある拉麺小路に、じつはここに北白川店から暖簾分けされた分店が入っているという情報を知りました。


名前はもちろん、中華そばますたに、です。


この情報は初耳でした。


中華そばますたに 拉麺小路店です。


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ここのますたにラーメンは、ちょっと北白川本店の味とも違うし、東京・日本橋の京都銀閣寺ますたにの味とも違う。美味しいけど、なかなか微妙な印象ではありました。でもたしかにますたに系ラーメンの味ではあります。だから確かに暖簾分けの味ではある。なかなか微妙です。



詳しくは本編詳細編で・・・


じつは計画にまったく入っていなくて、予想外だったことがありました。


それはホテルのすぐそばに、餃子の王将 1号店の四条大宮店があったことです。


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現在、海外の3店舗を含む737店舗を全国に展開している餃子の王将。その第1号店が、1967年(昭和42年)12月25日に京都市の大宮駅付近(四条大宮)に一号店を開店したのです。ここがすべての始まりだったのです。


今回の京都のホテルは四条大宮だったのです。餃子の王将 1号店はホテルの目と鼻の先です。そしてホテルに入ったのが12月25日。もちろんこの1号店に入りましたよ。その入った日が12月25日。つまりいまから56年前のその開店日だったのです。いま日記を書くうえで調べてこの事実に気が付きました。(笑)


餃子の王将 1号店に、その開店日の12月25日に入ることができたとは!


餃子の王将は、自分にとってはすべては下北沢店から始まりました。その想い出はいままでお話した通りです。その原点ともいえる1号店 四条大宮店に偶然とはいえ入ることができたとは!これはきっと神様も誘いですね。間違いないです。


餃子の王将 1号店 四条大宮店の中はどうなっているのか・・・

これは本編をお楽しみに~~~。(笑)


そして京都コンサートホールで京響の第九です。

まさか年末に京都で過ごして、京響の第九で1年を締めるなんて誰が予想できたことでしょう!

自分も考えてもいなかったことです。


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大友 直人さん指揮による京響の演奏、小林 沙羅(ソプラノ)、鳥木 弥生(メゾ・ソプラノ)、西村 悟(テノール)、大西 宇宙(バリトン)京響コーラス(合唱)。もう素晴らしい演奏と声の協奏で、これだけの感動を与えてくれたことに大感謝の素晴らしい大伽藍でした。


京響は2016年に初めて実演を体験させていただき、今回で8回目の体験で、ローケーション的に離れているオーケストラとして8公演も聴いてきているなんて、自分はもうすでに京響フリークと言っていいのではないでしょうか?(笑)


自分と運命の節目、節目で縁があるオーケストラだと思っています。

ほんとうにすばらしいオーケストラだと思います。


普段滅多に聴けないオケなので、そのときに遭遇する演奏の感動がいつもすごくインパクトが大きいんですよね。いつも大感動を与えてくれる。自分にとって、いつもそのインパクトが大きいオーケストラだな、と毎度思っていることです。


在京楽団では味わえない独特の感動なんですよね。



こんな感じで過ごしておりました。

近年にない充実した年末の過ごし方だったと自負しています。


12月24日のクリスマスイブは、姫路駅のデパートの中で。


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12月25日は京都駅で過ごしていたのでした。(笑)

こういうクリスマスもいいもんです。


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慢性的な精神疲労 [知財・ライセンス]

知的財産部には出願系とライセンス渉外部、そしてIT関連から構成される。

ライセンス渉外部は、係争、訴訟などを扱う部署だ。交渉なので、なかなか人間的にドロドロした世界である。ライセンス料管理もここに入る。

                                              

一方で出願系は、特許出願をおこなう部署だ。IT関連は、特許庁との年金関係とか、あと出願の包袋を管理する部署である。

                                                     

知財の世界は、特許出願と企業知財の2面から成ると思う。

                                     

特許出願は、まさにその新規テーマについていかに素晴らしい特許明細書を造り上げるか、技術部門から出たアイデアを特許出願につなげて、そして中間処理を経て、それを登録査定まで導くか、そこがミッションだ。

                                          

そして出願系のグループに在籍していると、もうそれはそれは特許の深遠な世界をみっちり学ぶことになる。まさに特許の基礎は、出願の業務をやらないとわからないと思う。出願の経験を十分に積んで初めて特許の世界が理解できると思う。

                                              

こっちの世界は、特許明細書を作成する特許事務所の先生方にもあてはまる。

企業から受注を受けて、一生懸命期限以内に明細書を書く先生たち。

                                                 

                                           

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あるいは知財部員みずから明細書を書く場合もあるだろう。特許事務所に依頼するということは費用が掛かりますから。コストダウンを兼ねて、そして知財部員なら明細書を書く経験をしたほうがいい、ということから、知財部員が明細書を書く場合もある。これを内製といいます。

                                           

特許明細書ってそんなに誰でも書けるものではなく、かなり高度な専門知識、スキルを必要とする。

                                              

知財の世界では、いわゆる”弁理士”という知財のプロの資格もある。弁理士の資格はもう簡単に取れませんよ。医者の資格より難しいと言われていますから。知財六法などの法律から、知財のことならなんでもの専門家だ。

                                             

特許事務所に在籍している先生方もだれもが弁理士か、というとそうでもなく、弁理士の資格を持っている人はごく一部である。

                                             

こういう出願に関する業務、これがまさに特許の基礎、特許の深遠な世界を学ぶための部署なのだ。

                                             

一方で”企業知財”という言葉は、企業がビジネスをやっていく上で弊害となるものを除外していくとか、商品をマーケットに出すうえでいかに知財を活用するか、そこにポイントがあると思う。

                                                

パテントクリアランス(特許侵害調査)とか、パテントマップなどの権利マップ。

                                            

もちろん係争、訴訟、既契約のライセンス料管理もこの分野に含まれる。

                                            

パテントクリアランスとか係争のときのクレームチャートとかになると、特許明細書の読み込み、クレームの解釈の仕方とか、かなりのスキルが必要だ。これがまた出願のときとはちょっと違うんだよね~。

                                            

出願のときには経験できない別の意味で深い技術が必要だ。

                                            

なぜかというと、訴訟されているので、お金が関係してくるので、いかに回避するかで、その明細書の読み込みがもう真剣なのだ。出願のときより全然真剣である。(笑)

                                          

知財の世界は、この”特許出願”と”企業知財”から成り立っていると思う。

                                            

で、特許の世界は、やはり専門知識がかなり必要なので、やはり事業部の人たちの立場からすると苦手なんだよね。でもお金が関係してくる、お金を払わないといけない、という立場から、事業部は、やはり”企業知財”のほうに、どうしても真剣になるものなのだ。

                                             

そういう局面に遭遇して、初めて、そのときに真剣に明細書を読み込むし、解釈もする。回避したいために。

                                               

”特許出願”と”企業知財”というのは両方の知識・スキルが必要である。

この2つが揃って初めて完成するような感じである。

                                             

特許出願の世界は、もうそれは特許事務所で働くという意味では、もう別の世界である。特許の仕組み、特許出願のルール、全部を把握し、いかにいい明細書を書くか、将来の係争に耐えうるような明細書を造り上げるか、そこに価値観を求める人、そういう世界があると思う。まさに深遠な世界である。

                                              

でも企業知財はまた別なんだよね。あくまで企業中心の考え方というか、企業のビジネスに寄り添った形で知財を利用するという形だ。事業部の人は、後者になると真剣だが、前者が苦手なのである。(笑)深い世界なので。

                                               

でも企業知財の世界でも、特許の基本が出来ていないと、ダメなのである。だからこれらの2つは両輪なのである。まさにオーケストラコンサートとオペラは両輪なのと同じだ。

                                              

自分はもう十分すぎるくらい特許出願をやってきたので、あの大変な作業は高齢者にはもう無理であろうと思う。特許事務所の先生方は、まさにノルマがあるはずだ。企業の知財部員の出願Gの人たちもノルマがある。上半期で何件出願、下半期で何件出願、年間でトータル何件出願する。そういうノルマを課せられる。出願数だ。

                                               

そのノルマが達成できないと査定、給料に影響してくる。

                                              

特許事務所の先生方は、もう大変である。特許明細書を書く、というあの大変な業務で日夜遅くまでずっと書き続ける、技術系の文章を書く、という作業を延々と続けるのだ。もう自分が抱えている案件だけで、もう何十件も抱えている。そして期限に追われながら。

                                          

もし、納期に遅れるようなことがあったなら、その企業からの信頼を失うだろう。

そして明細書のレベルが低かったなら、同じく企業からの信頼を失う。

                                            

企業は、大抵の場合、複数の特許事務所を抱えているので、仕事のレベルが低かったなら、もうその事務所には仕事が回ってこない。企業からするとお金を払って依頼しているので、出来が悪いなら当然だ。自分たちの将来のIP財産や訴訟に強いハイレベルな特許明細書を必要とするからだ。

                                           

特許事務所はもうピンキリだ。レベルは高いけど納期にルーズな事務所とか。その逆とか。

                                             

これはあくまで自分の意見、思い込みでしかないけど、特許事務所はかなりブラックな企業なのではないかと思っている。(笑)

                                             

弁理士の資格を取ったとしても、そして自前の特許事務所を設立したとしても、結局その事務所の経営センスというか、企業からの受注をいかに得るか、その信頼をいかに得るか、がもう大変で楽な仕事ではないのだ。

                                           

そういう面でやはり費用を払う、仕事を依頼する企業のほうが力関係的には強いのかな。

                                           

特許事務所を立ち上げても、結局その事務所の経営がうまくいかなくて、事務所をたたんで、大手事務所に雇われるという感じになることも多い。自分はそういうケースもたくさん見てきた。

                                               

仕事がすごいハードな割には、かなりツライ立場のように自分はその当時ではあるが感じたのである。

                                                

やはり特許のあの深遠な世界、いかに素晴らしい明細書を書き上げるか、に使命感を感じるというか、そこに魅力を感じ続ける人でないと勤まらない世界だと思う。好きじゃないと勤まらないように感じる。これはこれでもう深い世界なのである。

                                                

特許出願の世界はまさに聖域。

企業知財とは違う世界なのだ。お互い両輪であるのだが。

                                              

自分が企業の知財側で特許出願をやっていたとき、感じたことは、慢性的な精神疲労がある仕事だな、と思ったことだ。

                                             

ライセンス料管理は、その日に起こったことは、その日に解決してしまい、もうその日でなんにもない状態にしてすっきり1日を終える。。。そういう世界である。精神的に健康、健全な世界である。

                                             

ところが特許出願の世界は、つねに何件も抱えているという状態なのだ。もう自分だけで10件以上の案件を抱えている。特許出願、中間処理、もう絶対複数案件を同時に抱えている状態だ。

                                                

いま一生懸命書いているのに、上司がやってきて、これ担当をお願いします、と言って、特許包袋(特許の明細書)を自分の机に置いていく。もう連続でどんどん置いていく。もうどんどん溜まっていく感じだ。

                                                

つねに宿題が残っている感じで、終わっても終わっても、あと何件溜まっている。残りが少なくなってきたら、また上司が、これお願いします、と包袋を置いていく。その繰り返し。いま案件なし、です、ということはほとんどない。そして締め切りに追われながら。そして出願数のノルマが課せられて。

                               

これは、かなり精神的に慢性的な疲労が出るかなりブラックな仕事だった、と思う。(笑)

                                            

やはり特許出願は、特許の深遠な世界を学ぶためには、どうしても通らないといけない関門だと思うが、歳をとると、もうあの世界は無理かな~とか思ってしまうこともある。

                                

スミマセン、これ当時の話ですので。(笑)

いまはどうかわかりません。。。

                                  

気を悪くなさられたら申し訳ありません。

あくまで自分の経験値の世界の話ですから。

                            

                            

                             

                        

                                 





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岐阜は信長の街 [街歩き]

サラマンカホールは、岐阜にあるのだ。名古屋ではないのだ。なので、サラマンカホール、つまりOKBふれあい会館に行くには、名古屋からいったんJRの東海道線に乗り、岐阜まで行かないといけない。そして岐阜駅北口岐阜バスで、20分くらいのところのロケーションである。


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JR岐阜駅の北口はこんな感じで、岐阜駅もなかなか大きい綺麗な近代的な駅のように感じる。


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その北口には、岐阜バスのバス乗り場があって、OKBふれあい会館行は、この5番のりば。平日で1時間に3本、そして土日の休日は、1時間に2本という割合だ。


アクセスとしては結構ハードルが高いです。


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このベンチに座って、バスが来るまでず~っと待っているんだよね。(笑)

なにせ、1時間に2本、3本なので。


お薦めなのは、ホールの開場時間がずっとまだ先で、それよりだいぶ余裕を持ってバス停に着かれた方は、このバス停で開場時間まで待つ必要はないと思う。もう早々とバスに乗って、OKBふれふあい会館に行ってしまったほうがいい。


OKBふれあい会館は、いつどんなときに行っても開場して中に入れるし、とても天井が高い素敵な空間で、テーブルやいすもあることから、早く着いても、OKBふれあい会館の中で待っていればいいだけのことなのだ。それだけOKBふれあい会館の居心地は最高である。


ただ、その中の一部の施設のサラマンカホールが時間になるまで開場しないというだけのことである。寒い外のバス停でずっと開場時間近くになるまで待っている必要はまったくない。


このバス停でバスを待っていると、いろいろ織田信長をプリントしたいろいろなカラーリングバスにでく合わす。さすが織田信長の街、岐阜である。


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こんなお洒落なバスも運行しています。(笑)


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その岐阜駅で途中降りる訳だが、ここにかねてより、自分が訪ねたい場所があった。


それは全身金色の織田信長像である。


織田信長といえば尾張、岐阜出身。まさに岐阜市民については、織田信長像は英雄の英雄、岐阜市民の誇りなのである。


過去何回も岐阜駅、岐阜市に来ているのだけど、織田信長像は観ていないな~と思い、今回意を決して信長像と対面することにした。


岐阜駅の観光案内所のスタッフに場所を聞いたら、なんと!岐阜駅北口の目の前の広場にある、というではないか!(笑)岐阜バス停から見ても、ほんの斜め向かいである。


いままで何回もサラマンカホール、岐阜に来ていながら、まったくその存在に気づいていなかったです。申し訳なかった!


岐阜駅北口に”信長ゆめ広場”というスペースがあり、そこに全身金色の織田信長像がそびえ立っていた。


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両サイドに、信長の名言、天下布武、夢幻のごとくなり、の旗を掲げながら。


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もう感無量である。

ようやく出会えた。


いままで何回も出会えていたのに、このバス停の目の前に存在していることにまったく気づかず、勿体ないことをした。



織田信長


 

戦国時代を駆け抜け、現代において絶大な人気を誇っている武将。

全国の戦国武将ランキングでは堂々の一位。


 

尾張の国(愛知県)で生まれ、尾張統一、美濃を平定し天下布武の印を使用、比叡山を焼き討ちし、長篠の戦に勝利、安土城を築城し、からの本能寺の変。



岐阜県は信長とは切っても切れない関係。

岐阜と名前を付け、鵜飼の「鵜匠」という名前も。

楽市楽座や天下布武の印も。


そこでこの岐阜市に織田信長像を建てることになりました。


 全国各地に信長像はありますが、金色なのは岐阜のみ。


高さは3m、台座も含めると11mに。


制作費は約3,000万円。


金箔3層貼り。


高さに関しては本物の金箔なのでイタズラ防止なんだそうだ。真後ろに交番もある。


税金の無駄遣いと言うなかれ、これは寄贈されました。


そもそも誰が寄贈?


「信長公の銅像を贈る会」


が寄贈したそうです。


 3,000万円必要だったのに建設時には800万円足りず、支払いの猶予をいただいていたそうです。


さらには長年この辺りは「新聞社」のし烈なシェア争いがあります。


・岐阜新聞

・中日新聞


であります。


 


岐阜新聞は岐阜。

中日新聞は名古屋。


創刊は岐阜新聞のが先輩で、岐阜地区の新聞はこれでした。

しかしのちに中日新聞が創刊。


東海地区のシェア1位まで上るんですが、中日新聞としては、どうしても岐阜市のシェアをもっと増やしたい。そこでいろいろ喧々諤々に中日新聞と岐阜新聞の小競り合い、シェア争いの闘いが始まるんですね。


 8月初週に岐阜新聞主催の「全国花火大会(約3万発)」があったんですが、中日新聞は10年ほど遅れてその前週にぶつけていました。「全国選抜長良川中日新聞花火大会(約3万発)」であります。


・・・もうこんな感じをずっと続けてきたライバル同士だそうです。



そこで何か決定的な何か。を作りたい。

ということで、金の信長像が誕生したのだそうです。


 

岐阜市役所はこう言います。


「岐阜駅を出られた多くの来訪者をお迎えする意味合いを込め、岐阜駅北口の中央出入口を向いて設置されております」



信長様がこの方向を向いている理由。


正面から信長を撮ると後ろには、岐阜新聞の広告看板が・・・(笑)


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だいたい観光客は正面から撮りますからね、そうすると必然的に写りこむ。だいたい、広場の一番奥でこれだけ高い台座に乗ってっていうのは少し不自然ですからね。


やっぱり織田信長は岐阜の英雄という強い気持ちがあったのでしょう。

もう岐阜市民の意地みたいなものですね。



織田信長というと、もう戦国時代の革命児、天才型、幾多の過去の風習に捉われない新しいやり方、文化をどんどん取り入れてきた武将。気性が激しく、いままでのNHK大河ドラマでも数々の男らしい二枚目の男優さんが演じてこられてきました。


まさにNHK大河ドラマでもっとも人気のあるコンテンツが戦国時代で、織田信長、豊臣秀吉、徳川家康の三武将が登場する時代。いままで題材に扱われた回数もダントツではないのでしょうか。そしていつも人気No.1のキラーコンテンツでもあります。


その中でもダントツで人気が高いのが織田信長。信長を誰が演じるのか、はかならず話題になりますね。戦国時代は、たとえ秀吉や家康が主役でも、信長が主役みたいな存在感があります。


もう60年以上のNHK大河ドラマの歴史に中で、ほんとうにいろいろな名優、男優さんが織田信長を演じてこられました。


やっぱり自分にとって大河ドラマの織田信長というと、やっぱりダントツで、1973年の国盗り物語の高橋英樹さんなんですよね~。もう自分にとって信長といえば、高橋英樹さんなのです。もう反射的にそうなります。


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1973年というと、自分が小学三年生のときですね。おそらくこの国盗り物語が、自分がNHK大河ドラマを初めて見たときだったと思います。それ以降ず~っと長年に渡って大河ドラマ見続けてきましたが、その最初が戦国時代ものなのでした。


国盗り物語は、司馬遼太郎さんの歴史小説が原作。前半は平幹二朗さんの斎藤道三で、後半が高橋英樹さんの織田信長が主役という二部構成でした。


もう初めて見る、そして学ぶ戦国時代。織田信長ってカッコいいな~と憧れたのが、高橋英樹さんの信長でした。高橋英樹さんは、ほんとうに時代劇がよく似合うお方で、まさに時代劇と共に人生を歩まれてきた大役者さんです。


豊臣秀吉は火野正平さん、明智光秀は近藤正臣でんでしたね。よく覚えています。


高橋英樹さんの信長はとにかく男らしくカッコよかったです。

ほんとうに武将として最高の二枚目俳優だと思いました。


子供心に信長ファンになってしまったのは、高橋英樹さんの信長を心に刻んでいたからでした。


最近の大河ドラマは、やはり番組のコンプライアンスというかそういうのが厳しくて、あまり切腹とか残酷な部分は描写しなくなり、綺麗な死に方、去り方をさせる演出にあるように思います。


ところがこの時代、1973年当時の大河ドラマは、高橋英樹さんの本能寺の変の信長の切腹は、もう小刀で腹を掻っ切るというのを、まさに音付きで、リアルに見せる描写で、これも子供心にすごい衝撃でした。


あの英雄で、天才で、残虐な信長が、本能寺の変でついに自刃する。。。これはまさに小学校三年生の自分にとってはとてもショックしすぎて、あれから50年も経過している訳ですが、織田信長はやはり高橋英樹といまだに心深くに根付いているのもそういう幼少体験があるからだと思います。


1983年の大河ドラマ「徳川家康」主演滝田栄さんのときの織田信長は役所広司さんが演じられ、この役所広司さんの信長もカッコよかったんですよね~。自分のイメージ通りの好きな信長像でした。忘れられないです。



自分のオヤジやおフクロの世代になると、これまた違うんですよね~。

織田信長は、やはり高橋幸治さんなのです。そして豊臣秀吉が緒形拳さん。


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1965年、ほぼ自分が生まれた年ですが、大河ドラマとして、第2回になるのかな、第3回になるのかな。吉川英治さん小説をそのままドラマ化、太閤記でした。


このときの織田信長役の高橋幸治さんが、それはそれは大人気で凄かったそうです。国民的大人気でもあった。本能寺の変が近いづいてくると、日本全国からNHKに助命嘆願が届いたとか。大河ドラマって結局総話48回くらいじゃないですか?


あまりの助命嘆願書が多すぎて、NHKも本能寺の変を伸ばしに伸ばして、ついにようやく第42回で本能寺を放映。

本能寺の変が第42回なんて。。。(笑)


もうそれくらい高橋治幸さんの織田信長人気は凄かったのです。


過去の信長を演じてきた俳優さんの中でも、高橋幸治さんの信長は、おそらく絶対的な第1位を獲得すると思います。まさにいまの織田信長のイメージをドラマで確立したその先駆者だったのです。


高橋幸治さんの信長は、ひと言で表現するならば、”笑わない信長”だと思います。こういうクールな信長像のイメージを植え付けたのも高橋幸治さんなのです。


自分のオヤジやおフクロの世代は、まさにこの織田信長=高橋幸治、豊臣秀吉=緒形拳の時代なのでした。


緒形拳さんは自分はもう大好き、大ファンでしたね~。

二枚目というよりは、個性派の主役スターという感じで、じつに個性的なカッコいい男優さんでした。あの顔の表情、演技でじつにうまい、個性派俳優さんでした。とくに笑顔が素敵なんだな~~~。


自分はもう大ファンでした。


大河ドラマでももう常連の主役でした。


自分の世代では、加藤剛さん主演の風と雲と虹と、での藤原純友、峠の群像での大石内蔵助だとか、緒形拳さんが主役でした。もうのめり込んだです。


緒形拳さんが木下藤吉郎、豊臣秀吉というのはすごく合っていると思います。

まさに適材適所の配役。あの緒形拳さんの雰囲気にピッタシ!



この織田信長=高橋幸治、豊臣秀吉=緒形拳のコンビを後年の大河ドラマで観れたことがありました。


それが1978年に放映された大河ドラマ「黄金の日々」でした。


もうオヤジ、オフクロは大喜び。すごい喜びようでした。おフクロは、「あら~またこのコンビで出ているの~。いやぁ~うれしいわ~。ほんとうに当時はすごい人気だったのよ。」オヤジも、緒形拳さんの人たらしで飾らない人柄の秀吉に、大笑いしたりして、じつに嬉しそうでした。


自分もふだんから、この織田信長=高橋幸治、豊臣秀吉=緒形拳の伝説を聞かされていたので、黄金の日々でふたたび見れるとは思いもせず、すごい興奮して見ていました。


なんか、すごく嬉しかったです。


でもこの黄金の日々での緒形拳さんの秀吉の描き方は、やはり時代設定が違うからでしょうか、晩年の秀吉にターゲットを絞られていて、もう欲に満ちた悪どくて残虐な秀吉と、1965年の太閤記の真逆のイメージで描かれていました。


じゃあ、1965年の太閤記っていま観れないのか?

そういう映像素材はないのか?


なにせほぼ自分が生まれた年ですから、まず白黒です。

NHKアーカイブスに残っていないのか、NHKオンデマンドで観れないのか?


いろいろ調べたことがありました。

とにかく1965年の太閤記が見たくて・・・


そうしたら、ありました。NHK大河ドラマ名作集というVHSテープで売られていたシリーズですが、この1965年の太閤記の本能寺の変の回だけを収録したVHSテープを販売してくれたのです。


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もう自分は喜んで購入しました。スミマセン、VHSテープで販売されていた時代ですから、これ昔の話ですよ。(笑)いまはもうないかも?あるいはNHKオンデマンドになっているかも?


いやぁあ~高橋幸治の織田信長の最期、しかと拝見しましたです。


こうやって、オヤジ、オフクロが熱狂していた時代の織田信長=高橋幸治、豊臣秀吉=緒形拳を見ることができて、ちょっと溜飲を下げたという感じではありました。


これは常日頃、自分がクラシックの演奏家ファン論で言及している通り、人間ってやはり自分の世代にあったリアルタイム世代がいるんですよ。自分が本気で感情移入できる相手。そういうリアルタイムで本気で感情移入できる相手世代ってやっぱり、その人、その人で、それぞれ世代が違う訳ですから、もう人それぞれなのです。


自分の世代にあったスーパースターというのがいるものなんです。その青春期に憧れたスターはずっと自分の人生のメモリアルの中に永遠に存在するものなのです。絶対忘れられないです。


人それぞれ、人の世代それぞれ、ですから、そのスター達も世代いろいろなのです。


歳をとってくると、人間と言うのは、人に対して感情移入するということが苦手になってくるんですよね~。いつまでも自分のリアルタイム世代のスターを追い続ける、そういう生き物なのです。


オヤジ、オフクロの世代の織田信長=高橋幸治、豊臣秀吉=緒形拳の話をしているときに、ふだん自分がそう思って主張していることに通じるな、と思いました。


もちろん若い世代、これからの若い人にはどんどん頑張ってほしいという気持ちは一寸も変わらないものなのです。











 

 

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名古屋は大都会で観光都市だった! [街歩き]

3泊4日で名古屋に旅行に行ってきました。旅行は、去年の7月の金沢以来ですからもう1年以上のブランクです。やっぱり旅はいいです~。旅は心をリフレッシュしてくれますね。いまこうやって自宅に帰ってきましたが、やっぱり濃密度というか濃さ、充実感がぐっと違いますね。なんかひと仕事終えた感じです。気持ち的な充実感がすごいです。


行く前など、ほんとうに大丈夫?という感じで気持ち的にも散々な感じでしたが、いざ実行してみれば、大きなトラブルもいっさいなく無事にコンプリートしました。国内は安全ですね。


でも足が死んでしまった~。(笑)腰にも若干きてる。。。

横浜シリーズは、土日の2日間だけだから、あとは5日家の中でオフ、休養できますが、旅行で4日連続は、やはり自分の足のハンディからかなり厳しいことがわかりました。


でも、やっぱり旅行、旅は自分の人生のライフワークですね。予算が大変かかりますが。(笑)


先だっての日記では、12月に名古屋、そして姫路、京都とツアーをおこなう、と宣言しましたが、ほんとうに実現できるか怪しくオオカミ少年になる可能性も大でしたが、名古屋はなんとか実現できたです。


年末の姫路、京都もすでにJR、ホテル、そして会社への休暇申請も無事に完了しており、よほどの緊急突発事項が起こらない限り実現できそうです。


名古屋はじつは自分はあまりよく知らなくて、いままで2回しか行ったことがないです。

2015年のアラベラ・美歩・シュタインバッハー&NDRのツアーで愛知芸術劇場コンサートホール、このときに名古屋観光も少々。そして2020年のコロナ禍のとき、このときのスローガンは、”なごやめし”を制覇することでした。そして名古屋観光も大々的にやりました。本当の意味で、名古屋観光をしたのは、この2020年のときだと思います。


今回の名古屋ツアーの意味は、2020年の”なごやめし”で未達のメニューを制覇したいという想いからでした。やっぱり全部コンプリートしたいよな。という感じで。


メニューの予定はいろいろ立てましたが、まっ手羽先はちょっと無理でしたが、それ以外、計画になかったメニューも当日に思いつき、手羽先の分はカバーできたと思います。


やっぱり旅行は、計画通りにいかないですね。計画を立てる必要はありますが、実際現地に行って、そのときの状況に応じて臨機応変に変更していくことが旅のスキルというものです。


そしてせっかく行くなら、ぜひ岐阜サラマンカホールに行きたいということで、サラマンカホール・プロデュースのオペラ「魔笛」を鑑賞してきました。


そして重複にはなるけど、もう1回行きたいということで、熱田神宮、名古屋城に行ってきました。何度行っても感動は大きいです。


それぞれ日記にしていきたいと思っていますが、間違いなく遅筆となることは間違いありません。(笑)

横浜シリーズもあとまだ17章も残っています。(笑)


なによりも12月・1月というのは、仕事で年間でいちばん忙しい時期です。来季予算作成のためにいちばん忙しい時期なのです。自分だけじゃなく、グループのメンバーも全員超忙しい。そんな忙しい12月にいろいろ調整して、名古屋、姫路、京都ツアーを入れ込んだので、自分としてはかなりチャレンジングでした。


でも大丈夫です。

自分なら余裕で間違いなくできます。

その自信をもとにこの計画を立案しました。


・・・ということで仕事、超多忙ということで、日記をいちいち書いていられないと思うので、まずは総集編まとめみたいなものを旅から帰ったその日に書いてしまおうと思いました。


詳細版は、後日・・・ということで。おそらく遅筆に遅筆が重なり、横浜シリーズみたいになってしまうと思いますが。(笑)


名古屋出身や住民の方からすると、なんでそんなツマンナイことにいちいち反応して騒ぐんだよ、と仰られるかもしれませんが、自分は名古屋のことをよく知らないし、もう完全にお上りさん状態なので、見るもの、体験するもの、新鮮で、新鮮で、ついつい日記に取り上げたくなります。怒らないで寛容な目でお願いします。


本番は、後日の詳細版でレポートしたいと思うので、このまとめ編では、ふだんの日記ではあまり取り上げられることのない、いわゆる没となりやすい、そういう写真や事柄を優先して取り上げようと思います。


ふつうなら絶対陽の目をみない些細なことですが、こういうところで陽を当ててあげたいです。

カッコいい主役となるような写真は本番で。


今回つくづく思ったのは、名古屋って大都会だよな、ということです。

ほんとうにすごい大都会。


碁盤の目などの街の形状は札幌に似ていますが、街の規模や道路が何車線にもなっているなど、自分の感覚では、もう札幌よりも1.5倍から2倍くらい名古屋のほうが都市としての規模が大きいと感じることです。


そしてなによりも名古屋駅がめちゃめちゃデカい!


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名古屋駅もクリスマス・モードです。


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ここは東山線で、名古屋駅の隣の伏見ですが、もう道路の車線が何車線にもなっていて、デカいな~と驚きました。まさに大都会です。


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自分の感覚では、もう札幌よりぜんぜんデカいじゃん、という感じですが、人の多さもすごい。東京よりもすごいのではないか、と思うくらいたくさんの人が駅を歩いています。


駅の大きさランキングというのを調べてみたのですが、


1位 東京・新宿駅

2位   名古屋・栄駅

3位   名古屋駅

4位   大阪・長堀橋駅


・・・だそうですよ。

やっぱりな~という感じです。


もうそれくらい名古屋駅デカいな~と思いました。

名古屋でもっとも繁華街なのは栄だと自分は理解しています。(間違ってるかもしれませんが。。)


栄は東山線で名古屋から2駅の近距離で、ぜひ栄の街をぶらぶら歩きたいな、栄の街の景観を眺めたいな、と思いましたが、もう足がゆうことをきかなくダメでした。観光地を回るだけで精一杯でした。



自分は新宿駅はそんなに大きいと感じないのですが、ここでいう駅の大きさランキングというのは、単純に広さ、面積のランキングだと思っています。新宿はいろいろな路線が入り込んでいる都市なので、そういう線路、路線で大部分の面積を食っているのだと思います。人が歩く駅構内はそんなに広いかな?、と思います。



駅の乗客動員数ランキングとなるとまたちょっと違ってきますね。


1位 新宿駅

2位 渋谷駅

3位 池袋駅

4位 横浜駅


という感じだそうです。


でも名古屋駅の人の多さも尋常ではありませんでした。


名古屋駅はとにかくデカい。通路がきちんと碁盤の目状でわかりやすいのですが、なんかどこに自分がいるのか、よくわからなくてずいぶん迷いました。旅の後半でようやく名古屋駅内の構造が分かってきました。それくらい広いし迷います。


名古屋駅はなかなかユニークです。これは地下鉄の東山線の名古屋駅だったか、JR東海道線の名古屋駅だったか、覚えていないのだけれど、ホームの横にこのようにカフェが存在するんですよね。(笑)電車ファンの方には最高なのではないでしょうか。。


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名古屋駅は太閤口と桜通口の2つの出口がありますね。(これに広小路口というのがあるらしいですが、よくわからなかったです。。笑笑)新幹線のりばは、太閤口のほうです。


前回の2020年の名古屋”なごやめし”ツアーのときは、太閤口から出て、地上を歩いて行って、すぐのところにホテルを取ったので、自分はどちらかというと太閤口エリアに土地勘がありました。


でも今回のホテルは、桜通口のほうにあるのです。

こっち方面は初体験です。


まずホテルの場所の確認です。


そうするとホテルに行くには名古屋駅桜通口を出て、地下街の地下歩道を歩いていくんですね。


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名古屋駅の地下歩道にGatewalkとUNIWALLという2種類の地下歩道があるのです。


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もうこれが自分には目新しくて、目新しくて。(笑)


GatewalkもUNIWALLも出口がたくさんあって、いわゆる名古屋駅からずっと地下歩道が遠くまで行き届いていて、その途中から地上への出口がたくさんあるのです。


Gatewalkの出口はこのようにG7とか書いています。Gatewalkの出口だから、Gなのです。


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そしてUNIWALLの出口はこのようにU3とか書いています。UNIWALLの出口だから、Uなのです。


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もう自分は大感動です。(笑)

最初、この出口のところにU3,G7とかあって、このUとかGとかどういう意味なんだろう?と不思議に思っていましたから。あとで気づいてたぶんそういうことなんだな、と思い、自分は大感動したのです。



自分のホテルは、UNIWALLのこのU10の出口から歩いていきます。



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この出口から、さらにちょっとした飲み屋さん街があって、そこをかいくぐっていき結構歩きますが、まっ許容範囲かな、という感じです。コストを抑えるために、1泊6,000円くらいの安宿ですから。文句も言っていられません。


そして海外、国内でもそうですが(特に海外かな)、見知らぬ土地を旅するということは、そこの土地の交通機関をマスターする、自分のモノにするということです。


交通機関が理解出来たら、その土地を制覇できたような感覚になります。


名古屋はJR在来線、東山線、名城線、名鉄線などの地下鉄がすごい発達していて、まるで東京のような感じの迷路図です。地下鉄路線マップを見ると、結構複雑だな~と思います。


最初見知らぬ地名、駅名ばかりですから、恐怖感や怖い感じがしますが、4日間いると慣れてきました。

自分の行動範囲は、東山線、名城線を使うことが多かったかな。


ホテルは安宿ですので、部屋も1人用のビジネスホテルみたいですが、もう自分はぜんぜんこれで十分です。

テレビをつけると、これまた結構刺激的というか面白いんですよね。


地上波テレビというのは、全国版番組と地方ローカル番組との混成ですが、この地方ローカル番組がめちゃめちゃ面白いのです。


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ちょうど自分が偶然見ていたのが中京テレビの”PS純金ゴールド”という番組で、東海3県(愛知県・岐阜県・三重県)のグルメ・レジャー・観光スポットや東海地方の知られざる意外な情報などを紹介するというものです。


で、この日は偶然、年末モーニング特集ということで、この東海3県(愛知県・岐阜県・三重県)のそれぞれ特徴あるモーニングの特集をやっていたんですね。


名古屋といえば、モーニングじゃないですか?喫茶店のモーニングは、名古屋の喫茶店が始めたことなのです。名古屋がルーツなのです。やっぱり名古屋をはじめ、東海エリアの喫茶店のモーニングは、もうめちゃくちゃメジャーな存在、というか至極あたりまえの存在で、このPS純金ゴールドという番組では、べつに年末だけでなくて、普段でも頻繁に名古屋モーニング、喫茶店モーニングを特集しているみたいなのです。


今回の自分のなごやめし・ツアーの中には名古屋モーニング、喫茶店モーニングも重要なテーマでしたから、もう自分は食い入るように見ていました。


最高に面白いですよね。


だって、喫茶店のモーニングをこうやって番組の中心テーマとして取り上げて番組を作っちゃうところがすごい面白い。いかにも名古屋だな~と思い、自分はもう最高に楽しかったです。


もう我々がふつうにイメージするモーニングの域を完全に超えています。(笑)


納豆モーニング、ステーキモーニング、もつ鍋モーニング、ハイカロ(ハイカロリー)モーニング・・・


もうなんでもモーニングにしちゃいます。(笑)


もうスタンダードな喫茶店モーニングの枠を超えたスペシャルなモーニング。

これまでモーニングにしてしまうか!


そんな驚きの連続ですごく面白かったです。

こういうのが、地方ローカル番組のつよみですよね。



やはり自分の旅には、音楽ツアーをつけたいです。

せっかくですから、その地方のコンサートホールを堪能したいです。


自分はどうしても岐阜サラマンカホールを再訪したく、計画に入れました。


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サラマンカホールがプロデュースするモーツァルト・オペラの「魔笛」を鑑賞しました。パイプオルガンとピアノだけで実現するオペラで、自分はそれってオペラとして成り立つのかな?ふつうのオペラ歌手が魔笛を演じ、歌いながら、それでいて楽器の演奏はパイプオルガンとピアノだけ。


これってどんな感じなんだろう?


自分は大変興味深く拝見しました。とくにこの演目を選んだ第一の理由は、サラマンカホールのパイプオルガンを聴けることです。まさに辻宏さんのパイプオルガンをもう一回聴きたい自分としては、もうこのパイプオルガンの音色を聴きたいがゆえに選んだオペラといってよかったです。


これは素晴らしかったのです。


クラシックのコンサートホールのパイプオルガンというと、どうしてもあの腹や体に響いてくるジャ~ンとホール一杯に鳴り響く重厚なサウンドを思い出しますが、今回のオペラでは、そういうイメージと正反対で、すごい音量控えめでまるで通奏低音みたいな伴奏みたいな役割でところどころ主旋律という、そういう立ち回りのように感じました。


主旋律を演じていたのはピアノでしたね。


でもちゃんとオペラとして成り立っているんですよね。

全然違和感ないのです。


もうふつうにオペラを観ている感じで、まったく同じ。


歌手たちのレベルも高く、もうふつうのオペラで驚きました。


かなりレベルの高い魔笛で自分はもう大満足。


パイプオルガンとピアノだけのオペラという発想は、もともとサラマンカホールはそんなに大ホールというよりは、比較的容積控えめなホールなので、ふつうに大編成のオーケストラを入れることができない。ピットもないし、ステージもそんなに広くない。


そこでそういうフルオーケストラを入れずにオペラを実現する。

オペラをパイプオルガンとピアノ用に編曲する。


そういうアプローチのようです。


詳しくは、本番の日記のほうで説明したいと思います。



サラマンカホールは、OKBふれあい会館という施設の中の一部として入っているのですが、そのOKBふれあい会館はとても天井が高くて素敵な空間です。自分は毎回行く度にため息がでてしまいます。


すっかりクリスマスモードでした。


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子供たちによる合唱のコンサートもおこなわれていました。きよしこの夜とか・・・もうたくさんのクリスマスソング。子供たちの歌声、合唱は天使の歌声ですね。


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サラマンカホール、つまりOKBふれあい会館というのは、岐阜にあるんですね。だから名古屋からJRの東海道線で岐阜まで行かないといけません。そしてその岐阜駅からさらにバスで20分くらいのところにあります。しかも1時間に2本の割合頻度。


ロケーションとしては結構ハードル高いです。


行きはふつうに岐阜駅からバスでいいのですが、終演後夜暗くなってからバス停で待っているとか、結構大変です。そこで終演後は、こうやってサラマンカホールから西岐阜駅まで送ってくれる無料のシャトルバスが出ています。小さなシャトルバスですが、ホールと駅の間を何回も行き来して繰り返します。


自分はサラマンカホールに来たときは、帰りはかならずこのシャトルバスを利用します。すごい便利です。

西岐阜駅から名古屋駅までは、もうJRの東海道線です。そして名古屋のホテルで宿泊です。


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サラマンカホールには、こういうシャトルバスがあるんだよ~ということをお知らせしたかったです。これも普段はなかなか陽の目をみない写真、トピックスです。


さて、ここからは観光です。


自分は前回の2020年のときに悔やんでいたことがありました。それは熱田神宮をきちんと自分のモノにしていなかったことです。さらっと本宮を観た程度で、それで終わりでした。



「熱田神宮」は名古屋随一のパワースポットなのです。

数ある神社の中でも別格とされる「伊勢神宮」と比較されるほど、格の高い神社であり、日本の秘宝が保管されている。それだけに見どころも多く、日本の歴史や文化を肌で感じられるスポットなのです。


天皇家に代々継承されている秘宝である「三種の神器」のひとつ、「草薙神剣(くさなぎのつるぎ)」を祀っていることでも有名。


織田信長が「桶狭間の戦い」に挑む前に、この熱田神宮に戦勝を祈願し、実際に戦いに勝利した。織田信長だけではない。豊臣秀吉も徳川家康もこの熱田神宮とは非常に関係が深いのです。


これはぜひしっかり回ってこないといけないだろう、ということで今回メニューに盛り込みました。


まず本宮、本殿でお祈願しました。


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今回は新たな発見としては、草薙館とその草薙庭園を拝見できたことであろうか。刀剣館や宝物館も拝見した。ちょうど秋の紅葉がまだ残っている感じで、すごく美しかった。地面には銀杏の黄色の葉っぱがいちめんに広がっていて最高に美しかった。


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自分にとっては、こういう常夜燈の存在も珍しかった。


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そしてこの熱田神宮は戦国三大武将、織田信長、豊臣秀吉、徳川家康と非常に所縁の深い神社なのである。


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そして名古屋城。2020年にも名古屋城天守閣だけでなく二の丸庭園、そして本丸御殿など堪能したが、今回は天守閣の裏側に行ってみた。これは前回行っていないエリアである。今回このルートを初めて発見し、ここは前回行っていなかったな、と思い新しい発見であった。



名古屋城天守閣。

相変わらず壮大で美しい天守閣。まさに天下人の天守は五重の天守。日本の名城中の名城であろう。現在は天守閣の中には入れません。


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名古屋城の礎石です。


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礎石って知ってますか?礎石(そせき)とは建物の柱を受ける土台石のことで、単に礎(いしずえ)とも呼ばれています。


名古屋城天守閣の裏側にありました。名古屋城天守閣とは別のエリアに礎石があるということは、いまの天守閣は後年建てられたもので、いわゆるもともと天守閣があった場所とは違うところに建てられているということで、礎石のある場所は昔の天守閣のあった場所だったということかもしれませんね。 



名古屋城天守閣の石垣。

これも今回発見した天守閣の裏側にある撮影スポットでした。


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石垣って美しいですよね~。惚れ惚れします。昔の人はこれをどうやって積み上げたのか、そして斜面をこうやって平たく削ったのはどうやったのか、ほんとうに驚くばかりです。


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二の丸庭園は、前回の2020年にも行きましたが、今回は秋の紅葉が残っているので、もう庭園の美しさとしては、もうダントツで今回のほうが美しかったです。


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二の丸庭園に来たら、この二の丸茶亭で抹茶と和菓子を食さないとダメですね。ここも絶対寄らないといけないスポットです。


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そして名古屋城観光の最大のスポットは、この本丸御殿の屏風画、障壁画ですね。ほんとうにすごいです。名古屋城に来たら、かならずここを観ないといけません。


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今回特別公開と題して、とてもうれしい公開がありました。それはこのように部屋の中に入って、至近距離で屏風画を観れる工夫があることです。部屋の中にカーペットを敷いて、そこを歩くことで、屏風画を間近で観れるというものです。うれしい心配りです。


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さらに普段は公開しないのだけど、今回は特別公開ということで、将軍様のトイレも公開されていました。(笑)


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最後に”なごやめし”です。

これが今回の最大の目的だったわけです。


いろいろ食べました。


まずは名古屋喫茶モーニング。


なにげなく我々が接している喫茶店のモーニングは名古屋の喫茶店が発祥の地。やはり喫茶モーニングを名古屋の喫茶店で体験したいと思いました。


コメダ珈琲にしました。チェーン店なので、東京にもいっぱいあるし別に名古屋でなくてもいいだろう?と言われるかもしれませんが、名古屋の地元民が愛すローカルな喫茶店をよく知らないので、まずは名古屋のコメダ珈琲でモーニングを体験する、というように面目を立てました。


ホテルに向かう途中のUNIMALLの中にありました。偶然見つけました。わざわざ探さなくて助かったです。


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店内は斜面上の勾配になっていて、コンパクトな店内でした。


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喫茶店の証の新聞と雑誌類置いてあります。(笑)


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自分は名古屋喫茶モーニングでもこだわりがありました。それは小倉トーストを食べてみたかったことです。トーストに小倉あんを塗るトーストです。


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トーストにあんこを塗って食べるんだから、大体想像がつくもので、こんな感じだろう、という100%命中の味がしました。(笑)まっあんこって日本人にとって馴染みの深い食べ物ですからね。でもすごく美味しかったです。北海道産のヨーグルトも美味しかったです。



そしてつぎに拘った”なごやめし”は、味噌おでん、どて煮です。

名古屋といえばやはり味噌。おでんも関東おでん、関西おでん、金沢おでんといろいろなおでんが存在しますが、名古屋おでんといえば、やはり味噌おでんなのです。おでんに限らず名古屋めしの基本は味噌、八丁味噌、赤味噌にあります。




どて煮というのは、牛すじや豚のモツを、味噌やみりんで煮込んだ庶民の味。「どて」とも呼ばれています。家庭や居酒屋で愛される名古屋を代表する料理のひとつで、大阪発祥の「どて焼き」から転じた料理ともいわれています。


前回食べれなくて、ぜひ食べたい~と思っていたのが、この「どて煮」なのでした。


名古屋でどて煮といえば島正さん。名古屋の隣駅の伏見にあります。


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店内はすごく狭くこんな感じ。


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島正さんのどて煮は、本体のどて煮だけではなく、大根などの味噌おでんも含んだ感じ。だから正確には味噌おでん、どて煮なんですね。


もっとすごい寸胴で作っているのか、と思いきや、意外に小さいので驚きました。


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キタ~~~。これはウマソ~。最高でございました。


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今回いろいろ食べた”なごやめし”の中でどれが最高だったか、というとじつは矢場とんの味噌カツなのでした。


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事前にネットで写真を見る限りでは、あまりにボリュームあり過ぎで、いかにも血糖値悪化しそう。(笑)これはヘビーすぎるだろう?ということで自分として敬遠したいメニューでした。あまり期待していませんでした。


最初サーブされたときは、ふつうのとんかつなのですが、それに赤味噌をジャ~とかけます。そうすると写真のようになります。


味噌ダレはとろみがあるんじゃなくて、あくまで液体状です。


これがみちゃくちゃウマいんですよ。まず豚肉がすごい高級肉で柔らかくてジューシーで、これは高級豚肉だな~と思いました。そして衣がサックサックで香ばしい。そこに甘い赤味噌ダレがすごい食欲をそそります。


これはウマいです!


ご飯がススム君でめちゃくちゃご飯が進む。

いわゆる腹いっぱい感、食った~感がすごいんですよ。

すごい満足できる。


今回のなごやめしで、いちばん美味しい、印象に残ったのは、この矢場とんの味噌カツなのでした。


まったくの伏兵で、もっとも自分が苦手で敬遠していた味噌カツが、まさか最高に美味しかったとはまったくわからないものです。



矢場とんは本店は矢場町にありますが、足が悪いので、もう名古屋城を見学に来たときに、その名古屋城にある金シャチ横丁の義直ゾーンのお店で食べたのでした。


今回のイレギュラーな予定変更はこの点です。食レポはかならず本店に伺うのが礼儀としてきましたが、見知らぬ土地で本店を探し回る手間や足の状態から、手短に食べられるところにあるなら、そこでいい、という判断にしました。


その他にもあらたにチャレンジする”なごやめし”にこんなものも・・・(笑)

後日詳細にレポします。


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それ以外にも、これは前回も経験しましたが、ひつまぶし、きしめん、台湾ラーメンを堪能しました。これも後日です。



こんな感じでございました。

かなり充実していました。


自分的には満腹感いっぱいの旅行でした。


でも毎日連日、足がひどい状態で、帰りは足を引きずりながら歩ている状態で、ホテルに帰ったら、お風呂で疲れた足、体をほぐし、そしてすぐに就寝につくことです。


でもあまりに疲れすぎて寝れないんですよね。(笑)

もう足がジンジンとして、体内が火照っている感じです。


やっぱり自分の足はハンディがあるな、と思いました。


今回の3泊4日でもうこれだけ足が限界ですから、年末の姫路・京都ツアーは、7泊8日ですよ!

こりゃかなり大変な旅になるな、と思っています。


途中でギブするかも?

大幅旅程削除とか、です。


どうなりますことやら。。。











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自由が丘デパート [街歩き]

自由が丘はおしゃれな街だが、先だっての日記で書いた通り、おしゃれなストリートはあくまで一部なのだ。全部がおしゃれな雰囲気ではない。あるエリアでは、和的ですごく庶民的なお店が並んでいるエリアとか、あるエリアでは飲み屋街、ラーメン屋さん、とかそういう大衆系、そういういろいろな要素を含んだ混在した街なのだ。


世間一般で抱いているおしゃれでハイソな自由が丘の街のイメージはその一部でしかないのである。もちろんそのおしゃれエリアはすごく広範囲に渡るので、それが自由が丘全般のイメージと見なされても仕方ないくらいパーセンテージを占めているのかもしれないが。


20年間自由が丘に通い続けて、そんなおしゃれなイメージとは相いれない一種異様で独特な雰囲気をもつ建物がある。それは自由が丘北口のすぐ真横にあるのだが、20年前から自由が丘に通い続けて、ずっと気になっていた建物であった。


20年間ずっと気になってはいたのだが、中に入ってみようとまでは思わなかった。


デパートである。自由が丘デパートという。


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もう見るからに時代遅れというか、昭和レトロな雰囲気満載で、よく取り壊しにならずにいままで残っていたな、という感じである。いままさに自由が丘駅前再開発で、1丁目29番地地区エリアが再開発中だが、お次はここでは?と思わせるほど時代遅れというか、時代に取り残された感じのする建物である。


この自由が丘デパートってどんなところなのか?


デパートと名が付くけど銀座や日本橋にあるデパートを想像しては全然お門違いである。自由が丘駅のすぐ横にあるレトロな商業ビルである。


昭和の死語が飛び出しても全然違和感ない佇まいである。


ほんとうに自由が丘という若者のおしゃれな街、スィーツの街でよくこんな建物がずっと取り壊されずに残っているな、という感じがする。20年間ずっと気になっていたのだが、1回も中に入ったことがなかった。1度は入ってみたいとず~っと思いながら、20年間が過ぎてしまった。


そして今回自由が丘北口エリアを特集で取り上げる際に、よし!と意を決して、自由が丘デパートに初めて挑戦してみようと思ってみた。実行する前に前日のネットで自由が丘デパートのことを調べてみた。




東京都目黒区の自由が丘。


東急東横線と大井町線の駅があり、ご存じのように「おしゃれでハイソな街」のイメージを持たれることが多い街である。しかし自由が丘駅の改札を一歩出ると、周辺はそのイメージとは異なり、狭い路地に居酒屋がひしめき合い、古い雑居ビルが立ち並ぶ、昭和の香りが漂う雑然とした賑わいがある。


この自由が丘北口の改札を出て右方面の真横のエリアは、かなり昭和の雰囲気が漂っている、いわゆる自由が丘らしくない雰囲気のエリアである。


自由が丘デパートは、戦後すぐの1953(昭和28)年に開業し、鉄筋コンクリートのビルの所々には時代の年季が感じられる建物である。


この「自由が丘デパート」は再開発の対象区域からは外れており、昭和の生き証人のひとつとして、すずかけ通りを挟んでさらに北側にある「ひかり街」ともども、まだ生き続けることとなるそうだ。


まさに驚きである。(笑)


再開発ならまっさきにやり玉にあがりそうな感じだったのだが。。。


昭和28年創業ですよ!まさに自分が生まれる遥か昔のことだ。


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自由が丘デパートは、地上4階から地下1階にかけてのデパートで、このように縦に長いデパートで、中は直線の通路のようになっていて、その両側にファッション・ビューティー・リビング・ライフ・グルメ・カルチャーなど様々なジャンルの最新から懐かしい物まで100店ほどのお店がテナントとして入っていて営業しているのだ。そういうたくさんのお店がひとつの場を共有しているそういうデパートなのである。


自由が丘デパートはテナントを貸し出していて、そこに応募すれば自由が丘デパート内で営業ができる、そんな感じである。


実は昭和28年頃の開業当初は最先端の商業施設だったそうだ。「戦後闇市の流れで簡素な商店を集めてビルを建てたのが最初。当時は珍しく、各地から見学に来たみたい。・・・だそうである。


今じゃ逆に昔懐かしさを求めて来る人も多いそうだ。


大体、自分が抱いているイメージ通りのデパートであった。


自由が丘デパート。さっそく中に入ってみよう!


地上1階と地下1階が物の販売店。


このように長屋みたいに細長く、ちょうど真ん中のあたりに、長い直線状の通路があって、その両側にいろいろなテナントが入っている感じである。地下1階から3階に惣菜、宝石、服飾、エステ、スナック……館内丸ごとおもちゃ箱みたい。いろいろ揃ってる。


中に入ると左右に佃煮・珍味の店や持ち帰りの寿司店、呉服店、婦人服、雑貨店、リサイクル店などバラエティ豊かな店舗がひしめいている。個人経営の小さな店が多く、フリマみたいに買い物を楽しみながら気になる品を見つける楽しさもある。地下1階は貴金属加工や西洋アンティーク、占いなどちょっとユニークな店も。


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上階、下階への昇り降りはもちろん階段である。


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う・・・~ん、しかし昭和レトロだな~。いい雰囲気出していると思います。地下1階に行くと、もう大半がシャッターが降りていて、テナントとしてお店が入っていなくて空なのか、寂しい感じであった。


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自分のお目当ては、2階、3階にあると当初からそのように狙っていた。2階、3階は飲食店街なのだ。2階が食事処で、3階がバーなどの夜に活躍する酒場である。飲食店街は2階と3階にある。2階は和食のほかアジアなど海外系も多く、3階は昭和の雰囲気プンプンのスナックなどが並ぶ。



まず2階の食事処から。このように、地上1階、地下1階とは違って、通路が外に接する一番端にある感じである。そして各お店が右側に入っている。日本、トルコ、インドなど多国籍な店がズラリ。思わず息をのんだ。


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江戸すし。お寿司屋さん


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すきやき、とんかつ一番


最上級の黒毛和牛がコスパよく。すき焼きはカツオダシが利いた割り下と甘いタレを使う関東風で、変わらぬ旨さを家族で守っている。揚げ物は3代目の担当。人気のトンカツはラードで揚げた後、高温の白絞油にくぐらせてあっさり仕上げるのが特徴だ。


ここは入ってみたかったね~。


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ここはトルコ料理「サバラン」


スパイス&野菜たっぷりのトルコ&ペルシャ料理の店。現地の雰囲気漂うインテリアももおしゃれで、名物店主が気さくに迎えてくれる。おすすめの「ミルザガセミ」はカスピ海のナス料理。素焼きのナスをトマトとニンニクで和えて卵でとじたもの。ワインが進む。


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発酵料理の麹。


麹を使った体にやさしい料理が人気。昼は焼き魚や肉の定食類、夜は麹料理や旬の味をつまみに一杯も楽しめる。「豚のしょうゆ麹しょうが焼き」は醤油麹と生姜が利いて風味豊かな味。白いご飯(十穀米もあり)に合う。自家製の麹ドリンクなどもある。


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カラオケ、パブもあります。


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ベトナム家庭料理 QUAN AN TAMTAM(クァン アン タム)



確かに異国の料理だが、地元感あふれるアットホームな味わいが妙に落ち着く。それはきっと、店主タムさんがおばあちゃんから教わった家庭料理がこの店の基本だから。ベトナム人も多く来るそうで、彼らが必ず頼むのがスペアリブ。特製ダレに漬けた骨付き肉はレモングラスが利いた奥深い味。豪快に頬張るほど旨い!


「ベトナム料理は決して辛い味じゃないし、パクチーも苦手なら調整しますからね!」。家族に作るみたいに、そこにはお客さんへの愛がある。



ここぜひ入ってみたかった~。すごい雰囲気ある~。

今度ぜひ狙って行ってみたいです。


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「アーサ・インドレストラン」


インド人のオーナーシェフが本場の味をリーズナブルに提供したいとオープン。カレー2種、タンドリーチキン、シシカバブ、サモサ、サラダ、ナン(またはライス)付き。カレーはトマトベースでコクのある「バターチキン」などから選べる。


いやぁ~ほんとうに多国籍だな~。ここもぜひ今度!


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そして3階。ここはもう昭和の雰囲気プンプンのスナックやバーなどが蒼然と並ぶ。開店、勝負は夜からなので、このときはみんなどこも閉まっていた。


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そして、自分が今回自由が丘デパートに来て、ここはぜひお店に入ろうと思っていたところがここ。


絶品のハンガリー伝統料理を楽しめる「キッチン カントリー」だ。


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2階が飲食店で、3階がスナックなのだが、このハンガリー料理のお店だけ例外に3階にあるのだ。小さなハンガリーである。伝統料理を振る舞ってくれるのはシェフの齊藤さん。もとは洋食店だったが、看板を変えて28年。今はハンガリー料理の名店として愛されている。現地や大使館の人に教わったという味はパプリカの粉末を使う国民食のスープ「グヤーシュ」など煮込み料理が多く、日本人にも親しみやすいものばかり。パプリカは日本でいう味噌のような存在で、食卓に欠かせないのだそう。鮮やかな朱色と香りが食欲を刺激する。


じつは世界の朝ごはんのつぎの12月・1月のメニューは、ハンガリーの朝ごはんなのだ!

ようやく!長かった!!!


2022年12月29日のルーマニアの朝ごはん以来、じつに1年ぶりに世界の朝ごはん。

すでに経験済みの国の朝ごはんは2回はレポートしないというポリシーのもと、それは主催者側からするといままでのたくさんの国の朝ごはんのレパートリーを複数回回したい、という意図もよく理解できるし、ずっと見守ってきた。


そうして、いよいよ次回の12月・1月が自分にとっての初めての国、ハンガリーの朝ごはんとなった訳だ。1年ぶりの再会。世界の朝ごはんレポ再開。楽しみです。ちなみにハンガリーは行ったことないです。(笑)クラシック音楽との縁で言えばハンガリー舞曲ですかね?


そんなタイミングにドンピシャだったのです。この自由が丘デパートのハンガリー伝統料理の「キッチン・カントリー」は!


まさに前哨戦でした。


もちろん事前にそんなことはいっさいつゆ知らず、このキッチン・カントリーを経験した後日に世界の朝ごはんのハンガリーの発表があったのでした。うれしいシンクロニシティです。


店内は比較的こじんまりしたスペース空間ですが、ハンガリーのインテリアやお酒などがいろいろ飾られており、とても素敵でした。ここはいいお店だと思うな~。最高の隠れ家を見つけた、という感じです。


こんな素敵なハンガリー伝統料理のレストランが、まさかこの昭和レトロ色いっぱいの自由が丘デパートの中に存在するとはだれ一人思わず。まさに隠れ家レストランというのは、こういうところのことを言うのでしょう。


お店に入った瞬間、ハンガリーの国旗一色のカラーで独特の地域色豊かな色彩が目を奪います。


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在日ハンガリーの方もよくいらっしゃっているみたいで、そのサインがたくさん飾られています。みんな自分の故郷の味がここに来れば食べれるということで、贔屓にしているんですね。それはよくわかります。


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ワードスプリング著 単行本 「大使館御用達レストラン」にもこのお店は掲載されています。まさにハンガリー大使館御用達のお店なのです。


日本では珍しいハンガリーのアラカルト料理が豊富で、トカイやエゲル、ビラーニ地方のワインも取り揃えている。ハンガリーはヨーロッパでも数少ないアジア系民族と言われていて、どこか懐かしい味がする料理ばかりなのである。




ハンガリーの伝統料理がとても気になったことも理由だけど、もっと決定的だった理由は、ここのロールキャベツが食べたかったからである。


ロールキャベツ大好き。


もちろん親元を離れて、一人暮らしになってロールキャベツを食べることなんかほとんどない。

自分もほとんど記憶がない。


子供の頃、おフクロはよくロールキャベツを作ってくれた。

ロールキャベツはトマトケチャップベースのものが大半だが、子供のときにテレビ番組で偶然見たクリームソースベースの白いロールキャベツがすごく印象に残っていて、白いロールキャベツが食べたい!と母親におねだりしたことがあった。


おフクロは、シチューのルーを使って、それをロールキャベツと組み合わせて、白いクリームソースベースのロールキャベツを作ってくれた。子供の、ただ白いクリームソースベースのロールキャベツが食べたいという無茶ぶりにきちんと応えてくれたのである。


嬉しかったし、もちろん美味しかったことは言うまでもない。

ロールキャベツにはそんな想い出がある。


ロールキャベツを食べさせてくれる有名なお店があるみたいなので、ぜひ訪れてみたいと思っている。


そんな子供の頃のセンチな想い出も引きずって、ぜひロールキャベツが食べたいと思ったのだ。このハンガリー風のロールキャベツ 「トルトット・カーポスタ」の写真を見てこのお店に即決したのである。


結局このお店では2品を頼んだ。

ランチだったのだが、どれも1品につきライスがついてくる感じで、2品頼んだのだが、1品づつライスがついてくることになってしまった。(笑)でも大食漢の自分にはぜんぜん平気。物足りないくらいでした。



グヤーシュ


ハンガリーで最も有名なスープ。牛肉を粉末パプリカ入りスープーでじっくり煮込み、玉ねぎ、トマト、フレッシュパプリカを加えた朱色のスープ。見た目よりもさっぱりした味。


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ハンガリー料理といえば、このグヤーシュでしょう!というくらい代表的な有名ハンガリー料理。パプリカというのは日本ではあまり聞いたことがないのだが、ナス科の多年草であるトウガラシ属トウガラシの栽培品種の一つだそうで、またはその品種を原料とする香辛料の名称のことだそうだ。パプリカは日本でいう味噌のような存在で、食卓に欠かせないのだそうだ。このグヤーシュ、見た目は朱色のスープで、まっ一瞬口にした感じではトマトベースな感じのかなりさっぱりした口あたりというか美味なスープであった。ハンガリーの代表料理の一番手を制覇できてよかったです。



そして・・・


トルトット・カーポスタ



ハンガリー風のロールキャベツ、玉ねぎ、挽肉の詰め物にお米を加えて、湯がいたキャベツで巻き、粉末パプリカを入れて、たっぷりのブイヨンでゆっくり優しく煮込んである。ボリューム満点の一品で、時間を掛けてとろとろに煮込んであります。


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これだ~~~!まさにこのロールキャベツが食べたくてハンガリー料理レストランにしたのだ。

しかも個人的にもロールキャベツは大好きで子供の頃からいろいろ想い出のある一品。


これはまさに最高でした。写真にいっさいの偽りなし。もうそのまま見た通りのウマさです。パプリカ、グヤーシュベースというか、朱色、オレンジ色で煮込んであるが、まっトマトベースに近いと言えば近いかな。そして中の挽肉のボリューミーなこと。まさに食べ応えがある、という感じで至福の一品でございました。


ロールキャベツって美味しいよね~。

でも自分で作るのって意外と手間かかるんでしょ?(笑)


まさにこのレストランの最大の見せ場のメニューだと思います。このハンガリー風ロールキャベツは。。。


このキッチン・カントリーで頼まないといけないメニューは、自分が頼んだこの二品だと思います。

グヤーシュとロールキャベツ。


この隠れ家レストラン、ぜひこの二品お試しあれ!!!



これで、世界の朝ごはんのハンガリーの朝ごはんの前哨戦をここで迎えることができました。

ハンガリーの朝ごはん、とても楽しみにしています。


そしてハンガリー、行ったことないですが、ぜひいろいろ紹介して熱く語ってみようと思っています。



まさにおしゃれでハイソな自由が丘の街に昭和レトロな、こんな建物があるのか!と驚きの自由が丘デパート。こんな感じの建物でした。20年間の謎が一気に解明しました。



この自由が丘デパートの横のエリアに、居酒屋、焼き鳥屋、飲み屋街、ラーメン屋などのいわゆる横丁的なお店がずらっと立ち並ぶんですよね。もうぜんぜん自由が丘の街のイメージと正反対。まさに昭和の雰囲気で、自分のようなオヤジの世界。


このエリアのことをなんというのか、きちんとした呼称があるのか、いろいろネットで調べたのですが、よくわからなかったです。”自由が丘横丁”という名称があって、このことかな、と思いましたが、地図を見るともっと小さな固定エリアみたいだし。。よくわからなかったです。


こういうエリアの雰囲気も、もうひとつの自由が丘の顔なのです。


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カリカリって美味しいの? [雑感]

いつも暖かいおうちの中で、我々を癒してくれる猫ちゃん、ニャンちゃんたち。


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人間との美談が多いワンちゃんと違って、ツンデレで人間に媚びない勝手気ままなところが猫ファンからするとたまらなく可愛いらしい。でも猫ちゃんも人間にスリスリとか愛情示しますよね。そんな世間一般でいうほどのツンデレではないと思います。ニャンちゃんもたくさんたくさん飼い主さんに愛情を求めてきます。



自分は犬も猫も大好きだしペットとして飼ってみたいとは思うけど、やはり生き物を飼うというのは責任が発生しますね。可愛いと思って衝動的に飼ってはみたもののいざ飼うとなるといろいろ大変で面倒くさくなり捨ててしまうという最悪の責任放棄は避けたいところです。


あと、自分はアウトドア派で旅行含め、普段にしても外を出歩いているほうが圧倒的に多く、家を不在にするときのほうが多いので、やっぱり生き物は飼えないです。無理です。


自分はワンちゃん派かニャンちゃん派か、というとどちらも大好きだけど、やはり室内で手軽に飼えるという点ではニャンちゃんかな。ワンちゃんは毎日の散歩させないとダメですね。これは大変です。


猫ちゃんは可愛いと思うけど、それはあくまで人間目線の次元で見ているのではないか、と思うことがよくあります。人間からみると猫ちゃんは可愛いかもしれないけど、猫は本来はやはり狩猟本能を持った獣なんですよね。家猫用として飼いならされているとわからないかもですが、猫は基本的に狩りの本能を持った、狩猟本能をもった獣なんですよ。


だからねずみを始め、ちょこまか動く小さな小動物にはかなり敵意と興味を持って追いかけるし、その狩猟本能が最大限発揮されます。


可愛いと思っているのは、あくまで人間目線で見ているだけだからです。


ライオンやトラはネコ科です。彼らこそまさに狩猟本能を兼ね備えた百獣の王、野獣の王様です。

猫はライオンやトラと同じで、猫の本性、原点はそこにあると思っています。


なぜ、自分はそんなことを意識して思うようになったかというと、猫について子供の頃にトラウマな経験があるのです。


それは近所の人が飼っている幼い鳩がバタバタと低空飛行で飛んでいたのです。

小さな子供だった自分は、その鳩が可愛いと思い、追いかけました。


その一瞬の瞬間です。


どこから現れたかわからないほど、突然猫が飛び出してきて、ジャンプしてその低空飛行をしていた鳩をパクっと一口でくわえてしまい、去って行ったのです。


もう一瞬です。


あのときの恐怖、怖さというのは尋常ではありませんでした。いや~猫って怖いな~。やっぱり狩猟本能の動物、狩りをする動物なんだな、ということを幼い子供の心にしかと植え付けた出来事でした。


自分が普段から可愛いと思っていたその鳩をあっという間にパクッとくわえて去って行ったのです。これがまさに猫の本性、本当の姿なんだな、と思いました。


これが自分が猫に対する子供の頃に受けたトラウマのできごとです。


今回の話はそこではありません。(笑)すみません、脱線しました。


それは猫ちゃんのエサのことです。


SNSの猫ちゃん関係の投稿を見ると、よくエサを与えているところの動画を拝見しますが、そのエサには、いわゆる固いカリカリ状のドライフードと、ちょっと湿った水分を含んだウエットフードの2種類があります。


自分の疑問は、ニャンちゃんにとってドライフード、カリカリって美味しいのかな?と思うことです。(笑)


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なんか硬くて、乾燥していて、これをカリカリと食べるにしても、美味しいと感じるのかな?と思うことです。もうこれはエサというよりはお菓子、オヤツという感じですよね。


自分が猫だったら、もう絶対ウエットタイプのほうのキャットフードのほうがいかにもご飯、御馳走という感じで食べ応えがあるんじゃないか、こっちのほうが美味しんではないか、と思うことです。ウエットタイプのキャットフードのほうはいい写真がなかなか見つからなかったのですが、猫缶なんかもそうですよね。柔らかくてボリュームがある感じで美味しそうで、いかにもご飯という感じです。


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自分が飼い主なら猫のことを考えて、絶対ウエットタイプのエサにするのにな~と思っていました。

もう猫のエサを自分が食べるときの印象で決めてしまっています。(笑)



ドライフード、カリカリって美味しいのか?

見た目、あっさりした乾燥したお菓子じゃん?

これって美味しいの?



って思ってしまうのです。


もちろん自分は猫を飼ったことがないので、エサもどうやって与えるべきかもよくわかっていないド素人です。


ネットで調べてみました。



ウェットフードは猫の水分摂取量を増やすのに役立ちますが、それに対してドライフードは猫の歯の健康維持に役立ちます。ウェットフードの香りは好き嫌いの多い猫にも気に入ってもらいやすい一方で、ドライフードは一日中ボウルの中に入れておいても、傷みにくいという利点があります。このようにウェットフードとドライフードにはそれぞれ異なる利点があるため、両方を併用するミックスフィーディング(ただし、ボウルは別々に検討するとよいでしょう。




●猫用ドライフードの利点


ドライフードの利点の1つは、猫に簡単に与えられて保存性も高いという点です。一日中ボウルに入れっぱなしにしても傷むことはありません。その利点のおかげで、猫はこまめに少量ずつ食べることができるため、健康的な食生活をサポートするのに役立つ存在だと言えるでしょう。


ドライフードを猫の食生活に織り交ぜることで、キブル(粒)の研磨作用によって歯石が溜まるのを抑制することができて、歯の健康状態の維持にも効果があります。そして当然ですが、栄養面におけるメリットも大きいです。ドライフードは愛猫の栄養ニーズに応じて、きめ細やかに栄養バランスを調整することができるという特長もあります。




●猫用ウェットフードの利点


多くの猫は、飲み水だけでは十分な水分量を摂取できておらず、食事から必要な水分を補っています。ウェットフードの主な利点は、猫に追加で水分を供給して必要な水分量を摂取させてあげられることに加えて、腎臓や尿路の健康維持に貢献できることが挙げられます。


また、ウェットフードにはドライフードよりも豊かな香りがあるという利点もあります。猫は味覚よりも嗅覚に大きく依存しているため、これはとても大きなメリットです。猫の味覚については、猫の舌の味蕾の数は人間の舌の約20分の1しかないことから、優れた味覚を持っているとは言えません。その一方で、猫の嗅覚は通常、人間よりもはるかに優れているため、フードの香りが重要なのです。



情報引用元:


ウェットフードかドライフードか - 猫にどのようなフードを与えるべきか




・・・そういうことなんだそうです。(笑)


ウエットフードは濡れているから猫ちゃんが水分を自然と採れるようになっている。ウエットフードは香りがするので、猫が臭覚に敏感なので食いつきやすい。欠点は傷みやすい。エサボールにそのまま入れっぱなしにして放っておけない。すぐに傷んでしまう。


ドライフードは、傷まなくて長持ちするので、そのままエサボールに入れっぱなしにしておける。飼い主さんの手間があまりかからない。猫ちゃんの歯が鍛えられる。


・・・こんなとこでしょうかね?


そうなんですね。ちゃんとドライフード、ウエットフードでメリット、デメリットというのがあるんですね。カリカリは美味しいのかな?とも思ったのだけど、ウエットにはない、いろいろなメリットがあるんですね。


ようやく納得いきました。


でも自分は、やはりウエットフードのほうがいかにもご飯という感じで美味しそうな感じがします。

ネコも本音ではウエットフードのほうが好きなんじゃないかな、と思ってます。


よくいつもはカリカリがご飯なのだけど、今日は特別に御馳走で猫缶をその上にミックスしてあげよう、という投稿をよく見ます。そういうところからも、やはりウエットフードのほうが、御馳走な感じがするし、猫もじつはそっちのほうが好きなんじゃないかな、と思っていたりします。




メニューは蕎麦、カレー、焼肉定食、猫!?(笑)蕎麦屋で発見した猫の姿がとっても可愛かった。


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満員通勤電車と在宅勤務 [雑感]

2020年のコロナ禍になってから、日本における、いや世界におけると言っていいかな。働き方改革が急激に進んだ。それ以前でも日本の国会では、働き方改革を議論していたように記憶しているが、コロナ禍のときほど急激に進んだことはなかった。やはり単なる議論だけではなく、じっさい環境が強制的にそうならないとなかなか進まないものだと実感する。


在宅勤務、テレワーク、リモートワークの推進である。


自分もコロナ禍の2020年から、会社で在宅勤務を推奨するようになり、職種にもよるが、自分のようなテレワークでも仕事ができるような職種の場合、在宅勤務中心のワークスタイルに変わっていった。特に2021年に脳梗塞を発症してから、身体が不自由になったので、在宅勤務中心とならざるを得ない状況になった。


2020年からだから、もう3年目である。

3年も在宅勤務中心のスタイルで仕事をしていると、毎朝、満員の通勤電車に乗って会社に通っていた頃、オフィスで仕事仲間といっしょに机を並べて仕事をしていたこと、仲間とのふざけたなにげない雑談、会議室に集まって会議をしていたこと。。。そういういわゆる会社員生活は遠くになりにけり。。どんな感じだったっけ?


でも33年間もそういう生活を毎日あたりまえのようにやってきた訳だから忘れようにも忘れることができないし、はっきり覚えている。それと比較すると、在宅勤務は、ほんとうに楽だよな~。まずストレスがない。心の健康、精神の健康にいい。周りの雑音がないので、仕事に集中できる、仕事が捗る・・・と自分にとってはいいことづくめに感じる。


逆に家で1人で籠っている感じがずっと続くので、人との会話がなく、精神的に鬱になりやすい。などの問題もあるようだが、自分は1人で誰と話さなくてもずっと過ごせる平気な人なので、あまり苦にならない。


なによりも毎朝のあのぎゅうぎゅうの満員通勤電車である。

あれに乗らなくてもいい、というのは最大のお加護なのではないだろうか。


早朝の通勤の満員電車乗ったことありますか?(笑)


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自分は、まさに入社時の1987年からコロナ禍の2020年になるまでの33年間。もう毎朝、毎日、この満員の通勤電車に乗っていましたよ。もうプロ中のプロ。まさに会社員生活、サラリーマン生活ど真ん中の生活をしていました。写真を見ただけで、もうすぐにあの感覚がリアルに蘇る。もう忘れたくても忘れられないです。身に沁みついています。33年間もずっとこういう生活を続けてきた訳ですから。。。


早朝の満員通勤電車ってどんな感じなのか?


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まさにギュウギュウの世界です。

駅員さんが、発車前のベルが鳴ると同時に、お客さんをギュウギュウとおしくらまんじゅうのように押し込んで無理やり電車内に押し込に扉を閉める、あれです。電車内の雰囲気は、もう息もできないくらいギュウギュウ状態です。


もう座れるということは100%ないです。立ったままの状態で、おしくらまんじゅうのギュウギュウ状態で、人の顔と顔がくっつくような近接感、もう呼吸をすることも困難なギュウギュウ状態。


これを自分の下車駅までずっと続ける訳です。



前職時代は、山手線の五反田、大崎、品川にオフィスがあったので、新人だった頃は小田急、井の頭線、そして山手線、その後海外から帰国してからは、東横線、山手線で、もう首都圏の中に行く場合、もういずれも100%ギュウギュウの満員電車です。


転職していまの会社になってからは都心というより反対側の八王子に行く感じにはなりますが、東横線、横浜線、八高線とやはりこれもギュウギュウの満員電車。やはり日本の通勤電車の満員電車の光景は異常ですよ。


この早朝の満員の通勤電車による通勤時間。自分の場合で、前職時代で1時間、いまの会社になってから1時間半くらいです。それくらいギュウギュウの満員電車に乗り続けていた訳です。



自分は結局、前職時代もいまの会社のときも、朝の通勤電車はギュウギュウの満員電車だったです。それを33年間毎日続けましたです。


歳をとってくると朝は早く目が覚めるので、そんなに早朝の通勤電車はつらくないのですが、若い頃は、朝早いというのはとにかく眠い。朝7時には自宅を出るわけですから、起きてすぐ着替えて家を出るという感じで、朝ごはんも満足にとれず、駅の立ち食いそばで慌ただしくかっ込む感じ。もう眠気まなこで、満員電車の中ではいつも立っていながら目はつむって、立ちながら寝ている・・そんな状態でしたね。


立ちながら寝れるんです。(笑)


とにかく朝の満員電車の中は、立ちながら寝ていた。それくらい眠たかった。

とにかく眠いので、会社に着いていからも午前中でも眠くてあまり役に立たなかったかな。


でもそんな満員電車でも乗るときのノウハウがあるのです。

それはつねに座席シートの前に立つということです。


座席に座っている人が自分の下車駅で降りると、座席が空くわけですから、もう即座にその空席になった座席に座れるのです。そうすると奇跡的に満員電車でも途中から座ることができるのです。


それはすでに座席に座っている人が、途中で降りるかどうかにかかっています。


そうすると、予測を立てるんですね。どのような人の前に立っていれば、その人が途中下車するか、たとえば高校生が座っていれば、あ~そういえば学校はこの駅にあるから、あの駅でこの子たちはみんな降りるな。そうすると空くな。よし!この子たちの前で立っていよう。


カートや大きな荷物を持ったお客さんが座っていた場合、あ~この方たちは、旅行に行くからたぶん新幹線だな。であれば新横浜駅で下車だな。じゃあ、この人たちの前で立っていよう・・・


このように、いま座っているお客さんの人物、身なり、荷物などを見てどこら辺の駅で降りそうかを予測するのです。そしてこのお客さんは早めに降りそうだ、という予測を立てて、その人の前で立って待っているのです。


そのお客さんの人物、身なりをチェックして一瞬にして途中下車しそうなお客さんかどうかを判断する訳です。


満員通勤電車に乗ると、そういうスキルが身につくようになります。

これもひとえに、途中からでもいいから座りたいから。。。この一心からです。


ホームで電車を待っています。そしてドアが開きました。・・・そうしたらいの一番に電車の中に入って行って、座っているお客さんの人物、身なり、荷物を見て、即座に判断します。よし!このお客さんなら早く途中下車するに違いない。そのお客さんの前で立って待っているのです。


それを電車の中に入った瞬間の数秒で判断します。

そういう才能が育ち優れるようになります。(笑)


そうして最初目をつけていたお客さんがなかなか降りようとしないときは、目標ターゲットを変えます。こちらのお客さんの前にしよう。。など。うまく行く場合もありますし、また結局的外れの場合もあります。


前提は、もうかならず座っている座席の前に立つことです。ドア付近だとか、周りも立っている人だらけ。立っている混んでいる状態のど真ん中にいるようでは、もう完全にダメです。座れる可能性ゼロだからです。自分の終着駅までずっと立ち続けることになります。


かならず座席の前に立つこと。


そこまでして座りたいのか!(笑)

満員電車ってほんとうに地獄ですから、そこまでしても座りたいですね。


それで途中下車で座席が空くのがだいたい自分の下車駅のすぐ近く。だから後半なんですね。だから座ったとしてもあっという間に終着。それでも座りたいものなのです。座れただけでも今日もラッキーと思うものです。逆に結局自分の終着駅までとうとう前の座席に人が降りずに、最後までずっと立っていないといけなかった場合、もうこの日は1日ブルーという感じになりますね。


座れる区間はほんとうに短い区間なんですが、それでも座れるとホッとするものです。

その日の癒しみたいになるものです。


自分は、それで毎日のゲン担ぎとしていたようなところがあります。なんか満員電車の中でもゲームというか、ゲン担ぎというか、そんな楽しみを見つけて長い通勤時間、しかも満員電車を楽しむという術を見つけていたような気がします。


通勤満員電車で怖いのは、トラブルですね。


とくに自分は男性なので、痴漢騒動には気をつけていたです。

ギュウギュウの満員電車の場合は、なるべく女性の傍に寄らないようにしました。


ぜんぜんこちらはその気がなくても、結局ギュウギュウにおしくらまんじゅうな訳ですから、女性のほうで勘違いして、触られた~、助けてください、この人痴漢です!とか叫ばれたら、もう最悪です。こちらが弁明しても尚更状況はまずます悪くなるような気がします。もうそういう状況だけは避けたかったです。


自分はそれが嫌だったので、満員電車の中では、女性の隣とかは絶対避けていました。


あと、おまえ、なに俺にガンつけているんだよ!との男客からのいちゃもん。自分は一点を見つめていただけなのですが、その男の人からすると、自分をずっと見つめていた、ガンをつけていた、と思い込んだんでしょうね。そういういちゃもんをつけられたことは1回だけあります。


その後気をつけようと思いました。


そしてあとはスリですね。なにせギュウギュウの満員電車ですから、スリに狙われても全然不思議ではない環境です。バッグはつねに胸に抱きかかえるようにして、チャックなどの開閉口の部分をしっかり手でガード。そうやってスリに合わないように気をつけていました。


でも海外と違って、日本は安全な国ですね。自分は33年間、早朝のギュウギュウの満員通勤電車にずっと乗り続けてきましたが、1回もスリに会ったことはなかったです。


日本はやっぱり安全な国なんですね。


海外だとまずそういうことはないですね。


とくに海外の人、外国人の人にとって信じられないのが、朝の満員電車はもちろん、深夜の飲み屋のハシゴ酒で泥酔したあとに電車に乗ってコックリコックリ寝ている人、深眠りしているお客さん、うっかり乗り過ごした~と騒いでいるお客さん、我々日本人からすると至極当たり前の情景ですよね。


でも外国人にはこれが信じられないようです。そんな眠りこけていたら、スリの盗難の絶好のターゲットにされてしまう。あり得ない!と驚くようです。


いかに日本が安全な国なのかの裏返しのことなのかもしれませんね。


あと、通勤時間が1時間とか1時間半とかあると、その満員電車の中でなにをやっているか、です。早朝の通勤時はもう眠いのでひたすら立ちながら寝ています。でも帰りですね。帰りは始発で乗れるということもあって、最初から座れることが多いです。


そうすると1時間、1時間半となると、スマホを見ているか、iPodで音楽を聴いているか、なんですね。スマホはいいとして、この通勤時間をiPodで音楽を聴く。。自分はこれを33年間続けてきた訳ですが、それも大音量で聴いていたので、その後遺症が出てきてしまいました。


耳鳴りです。


もうこれ以来自分は、インナータイプのオーディオ、すなわちイヤフォンやヘッドフォンなどで聴く音楽スタイルというのはできなくなりました。もうとてもじゃないけど、耳が持たないからです。耳鳴りがひどくなり、もう不可能な状態です。そういう原因を作ったのが、この通勤時間帯(帰り)での電車内でのiPodでの音楽を聴くという行為でした。もう今更ですが、この行為はほんとうに後悔しています。みなさんもインナータイプ・オーディオで聴くというスタイルは、よく注意して耳を壊さないように適切な音量で、しかもあまり長時間聴かないこと。このことをアドバイスしたいです。



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この毎朝のサラリーマン、会社員による満員通勤電車。

この光景は日本だけのものなのでしょうか・・・


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外国人観光客がますます増えてきた昨今。日本にやってきた外国人観光客がまず驚くことのひとつに「日本の通勤事情」があります。特に都心における電車通勤の光景は、自国ではまず“ありえない”ことだらけに感じるようです。



1.「鉄道網が非常に発達している」

 

「外国人は、日本の電車が定刻通りに発着することに驚く」というのはよく知られた話ではありますが、同じくらいに驚かれることが、鉄道網の広大さ、路線の複雑さです。特に新宿や渋谷といった主要都市の駅は、まるで“ダンジョン”だと揶揄されるほど。


街中のいたるところに電車の出入り口があったり、JR・私鉄・地下鉄などさまざまな路線が同じ駅に乗り入れていたり、同じ路線なのに特急・準急・通勤快速、と種類があったり……


……と、ここまで鉄道網が発達している国は世界を見てもほとんどなく、しかもそれが5~10分間隔でほぼ定刻通りに運行しているというのは、外国人にとっては驚きの対象でしかないのです。


非常に便利な日本の鉄道ですが、ただそれを乗りこなせるのは、毎日当たり前に利用している日本人だからこそ。初めて来た海外観光客にとっては、理解するだけでも至難の業です。そのため「日本の電車は複雑すぎて迷ってしまう」と悲鳴を上げる人は少なくありません。



2.「満員電車の過酷さ」


日本の朝の名物(?)ともいえるのが満員電車です。特に7~8時台の都心駅のラッシュアワーでは、出勤を急ぐビジネスパーソンたちでごった返しています。


電車を待つ間はきちんと整列しているのに、いざ電車が到着すると、押し合いへし合いの地獄絵図。発車時間が近づき早足でホームへ駆け込むんできた人は、扉付近の狭い隙間を見つけるや否や、中の人を身体全体で押しつぶしながら電車へ乗りこみます。


そして、すし詰め状態の電車内では一歩も動くことができず、パーソナルスペースの侵害などという話は通用しません。やっと電車が駅に到着したかと思えば、どっと蜘蛛の子を散らすがごとく通勤客が駆け下りていく……そんな光景が毎朝、くり返されています。


そこには「羊のように大人しい」「真面目で礼儀正しく他者思い」と海外から評される普段の日本人の姿はどこにもありません。鬼気迫るような満員電車の光景に、外国人が唖然としてしまうのも無理はないでしょう。



3.「電車内の静かさ」


息もできないような朝の通勤電車ではともかく、平常時、帰宅ラッシュ時でも、日本では電車内で「静かに過ごす」のが当たり前です。これは電話での通話や、大声でのおしゃべりはマナー違反という共通認識があるため。これも、外国人にとっては驚くべきポイントです。


海外の多くの国では「電車内は静かに過ごす」という考え方はありません。海外では電車内でも、公園で散歩するのと同じようにおしゃべりを楽しみますし、気分がよい時は歌を歌う、スピーカーで音楽を流すといったことも公然と行われます。マナーの問題というよりは、マナーの捉え方が日本と違うということなのかもしれません。



4「電車の中で居眠りする」


日本ではよく見られる電車内での居眠りも、多くの外国人がびっくりする光景です。海外では、電車で居眠りしている人は、盗難やスリの格好の標的。身ぐるみを剥がされてもおかしくないほど、あまりに無防備な姿なのです。もちろん日本でも盗難がないことはありませんが、電車内での居眠りが格別危険な行為だと考える人は少数でしょう。


特に「酔い潰れて、うっかり終点の駅まで寝過ごしてしまった!」などというよくある失敗談は、外国人が聞いたら驚きを通り越して異常な出来事に聞こえるはずです。そもそも海外では日本の「居酒屋」のような場所はほとんどないうえ、夜は犯罪も増えることから、外出先で深酒をするというのは考えられないのです。


また、夜ではなく、朝の電車内でも居眠りをする日本人に対し「もう疲れているの?」といった外国人のツッコミもよく聞かれます。日本が安全な国ということなのか、それとも激務が過ぎる国なのか……少し考えさせられる話です。



海外の通勤事情は?


さて海外の通勤事情はどうかというと、たとえばアメリカは自動車通勤が76%と全体の8割近くを占め、電車などの公共交通機関を使う人は5%程度とごくわずか。典型的な車社会といえます。電車を通勤に使う人はニューヨークのような都市部の限られた範囲内にとどまるそうです。駅員が低賃金というのも、無理からぬ話ですね。


いっぽうヨーロッパで自動車通勤している人は66%、公共交通機関を利用している人は34%という報告があります。ただし公共交通機関が充実しているかどうかは国によってばらつきがあるようです。


また、昨今はエコ意識や健康志向の高まりから、自転車通勤を推奨する国もあります。中でもオランダでは自転車購入費の助成や自転車通勤者用の公共サービスを充実させるなど自転車通勤の制度化をすすめており、世界的に注目されています。現在自転車通勤をしている人は20%以上にのぼるそうです。


アジアに目を向けると、まず中国では電車といえば国営の国鉄か地下鉄で、通勤に使われるのは地下鉄が一般的。しかし列車は各駅停車のみで日本のような「通勤快速」はなく、しかも乗車前に保安検査を受ける必要があります。通勤手段としての使い勝手は、あまりよくなさそうです。また、富裕層になるほど自動車通勤が好まれる傾向から、都市部の交通渋滞は社会問題となっています。


そして、2023年には中国を抜いて世界一の人口となる見通しのインドの場合、通勤ラッシュの混雑ぶりは、日本のそれを遙かに上回る状況です。混雑率は、なんと250%。電車の中に入れず、車両にしがみついて無理矢理「乗車」する人もおり、電車から落下する事故が絶えません。そのため「命がけの通勤」とまで呼ばれています。


また、電車だけでなく自動車通勤も多いですが、やはり人口が多いために渋滞は日常茶飯事。人はもちろん、家畜の群れが道路を横断することもあるそうで、仕事場から自宅まで数時間かかる……ということもざらなのだとか。


それぞれの通勤事情は、その国のお国柄や経済事情を如実に表している、ともいえそうですね。



まさに日本の名物である「満員電車」。戦前から高度成長、そしてコロナ禍...日本人と通勤ラッシュの歴史を紐解いてみましょうね。



●戦前ですでに「東京名物」「文明国の恥辱」


都市交通を担う電車の運転が始まったのは明治時代にさかのぼる。東京・大阪で路面電車が開業したのが1903年、翌年に省線(現JR)初の電車運転が、現中央線の飯田町~中野間で始まる。都市化が進むと、特に路面電車(市電)に労働者・学生が集中し、早くも満員電車が発生した。


東京市電の1日の乗客数は1919年に100万人を突破する。これは東京メトロと都営地下鉄を合わせた現在の1日の平均輸送人員1000万人強に比べれば少ないものの、地下鉄と路面電車の輸送力の違いを考えればかなりの混雑が予想できる。


当時の満員電車ぶりはすでに東京の風物詩になっていたようで、流行歌にも登場する。まず1918年の流行歌・東京節の一節から。


「東京の名物 満員電車 いつまで待っても 乗れやしねえ 乗るにゃ喧嘩腰 いのちがけ ヤットコサとスイタのが 来やがっても ダメダメと 手を振って 又々止めずに 行きゃあがる なんだ故障車か ボロ電車め」

 


物理学者で随筆家の寺田寅彦は1922年に随筆「満員電車」を記している。彼は路面電車の混みぐあいを東京各地で観測し、空いている電車を待たずに混雑している電車に乗っていく人々が市電の混雑を助長していると分析し、


「東京市内電車の乗客の大多数は――たとえ無意識とはいえ――自ら求めて満員電車を選んで乗っている。第二には、そうすることによって、みずからそれらの満員電車の満員混雑の程度をますます増進するように努力している」


とまでつづっている。


大正時代には現在の大手私鉄が続々開業して都市の郊外に路線を敷設し、ラッシュアワーが定着した。無名の東京市民からも満員電車への苦情は出ており、1925年に編纂された調査書「小市民は東京市に何を希望しているか」には学生たちからの切実な言葉が残っている。


例えば


「私たちが、常日頃道路のそれと同様に、文明国の恥辱とするところの朝晩の電車についてであります。あらゆる階級の男子も女子も、皆あのむごたらしい状態を続けて行かなければならないのであります。そして、その乗る時降りる時互に先を競う様は、唯我国に於いてのみ見られるべきでしょうか。時折幼い子供や老女の悲痛の声が耳に響きます、実になげかわしい次第であります。かつその混雑にまぎれて婦女子に対してつまらぬ行為をなす狂人の様な者がおります。これはどうしても、朝夕の緩和策を講じなければならない由々しき大事であります」

(商業学校に通う学生)



という具合だ。すでに「婦女子に対してつまらぬ行為をなす」、痴漢のような犯罪も出現し、1912年にはすでに日本初の女性専用車になる「婦人専用電車」が中央線に導入されている。


●戦後は「殺人電車」が出現


戦後、復員者や引揚者で都市人口が増え、鉄道インフラの荒廃も影響して鉄道の混雑は悪化する。現在のように、混雑率の正確な統計は1970年代頃まで得られていなかったが、ひどい場合はおおむね300%を超えるような込み具合だったとみられる。


1946年2月のニュース映画「日本ニュース」には、身動きもままならないホームにあふれる群衆の映像が記録されている。復興から経済成長の時代、東京の人口は再び激増、1945年に約350万人だった東京都人口は1955年に800万人、1962年に1000万人を突破した。当時のラッシュの過酷さは「満員電車」を通り越して「殺人電車」と例えられる程であった。


1961年の週刊誌「週刊サンケイ」には「殺人電車 わたしはつぶされる!」という見出しが躍っている。ニュース映画「朝日ニュース映画」の1968年の映画「ああ通勤」にも戦後まもない時期と変わらないような、ホームにあふれる乗客の映像が映っている。


複々線化・地下鉄の建設で鉄道の輸送力は上昇し、混雑率は300%台が当たり前だった昭和の時代から平成期には低下していくが、それでも2018年の統計で東京メトロ東西線で199%、JR横須賀線で197%を記録している。平均的な値なので、200%を超える列車も当然あるだろう。東京で電車が走り始めてから100年経っても満員電車との付き合いは「多少マシになった」程度だった。


●時差通勤の努力を軽く凌駕したコロナ


満員電車を解消するための時差通勤は、すでに戦時中から検討されていた。軍需工場へ労働者を輸送する列車の混雑を緩和し、また生産の効率化を図るためである。戦後は一例として運輸官僚の角本良平が1956年に論文「時差通勤の必要と可能性」を発表、呼びかけは進んでいたが、大都市圏への人口集中も止まらなかったため、200%級の混雑は依然続いていた。しかしそれらとは比較にならない効果をコロナ禍はもたらした。



情報引用元:


外国人が驚く「日本の通勤事情」



「満員電車の百年史」 戦前から高度成長、そしてコロナ禍...日本人と通勤ラッシュの歴史




まさにコロナ禍はすべてを変えたと言っていいでしょうね。コロナの世界的なパンデミックは、2020年からスタートしましたが、ここからかねてより議論はされていたものの、いっこうにリアルに実現しなかった働き方改革。これがコロナ禍で半ば強制的に一気に進んだ。


まさに自分はその働き方改革をリアルタイムで体験することになった。


それが在宅勤務、テレワーク、リモートワークである。


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家にいながら会社のLANネットワークに入ることができ、通常のオフィス環境の状態で仕事ができる。そこにはVPNという技術が必須だし、WiFiの環境も必要。使うノートPCは、かならず会社が供与したセキュリティ対策を施した会社専用のノートPCを使うこと。


昔は社員が1人1台と供与されているディスクトップPC以外に、自分専用のノートPCを持つということは与えられた特権階級の人しか許されない権限だった。自分はよく憧れたものである。会議室で自分専用のノートPCを持ち込んで使って会議に参加しているのだから。ブルジョアだな~と思ったものです。


それがいまや1人1台でノートPCが会社から与えられている。社員人数分のノートPCを購入するのは大変だから、リースしている。そのほうが会社としてもリスクは少ないし、コストも抑えられるし懸命の判断だと思う。


コロナ禍が過ぎて、もとの出勤スタイルに戻す会社もあるようだが、うちの会社は、リアル通勤とテレワークをの両方を兼用するいわゆる”ハイブリッドワーク”を推奨していく。


在宅勤務は、やはりその職種の種別によって、この仕事は在宅勤務ではできないので、出社してじっさい勤務。たとえば開発・設計をおこなう技術部門などはそうだろうし、あとマネジメント層もやはり出社が原則であろう。経営層も同じだと思う。


バックオフィス系など、基本在宅でもできる仕事は、在宅勤務でやっていく。


そういう併用スタイル、ハイブリッドワークがやはり今後の世の中の主流のように自分も確信する。


うちの会社では、リアル通勤:在宅勤務=60%:40%あたりの指標ですかね?


在宅勤務を取り入れることで、たとえば通勤の定期券。これは不要になるので、通勤定期券は通常は会社負担なので、それが在宅勤務になると不要になる。これは会社にとってはすごいコストメリットがあることだと思いますよ。


自分の場合、いまの会社の通勤定期は、6か月間定期で13万~14万かかってましたから。これが会社員全員分コストカットとなると、そのコスト削減はすごいメリットが出てくるように思います。


反面、在宅勤務をする人からすると、1日家に居ることになりますから、電気代、ネット通信代などかなり費用がかさんできます。会社側から”在宅勤務手当”というのが1日単位の日当という形で支給はされています。そういう配慮がされています。


あと、在宅勤務を取り入れていくことで、オフィスもスペース大幅減が可能になり、場所賃貸代、電気代、などもろもろのコスト削減になります。


”小さなオフィス”ですね。


今後のリアルオフィスは小さなオフィスで小振りでフットワーク軽く。フリーアドレスで。そんな軽い小さなオフィスが求められていくのであろう。


うちの会社もわがカービジネス事業部隊は、長年の北八王子のオフィスビルを売却し、新子安の本社ビルに移る。カーの技術部門全員を新子安の本社に移すのは、スペース的に大変のような気がするのだが、最初から在宅勤務との併用でハイブリッドワークで推進していくのであれば、在宅勤務ではできない仕事のみの人がリアル出勤するという形であろうから、スペースもそんなに心配はないのかもしれない。


でも技術部門は、開発・設計はやっぱりリアル現場だと思うので、技術部門だけでもけっこうスペースを喰うんじゃないかな、と思いますけどね。ハード屋さんだと作業台とか測定器とかのスペースも大きいと思うし。


個人それぞれだと思うが、自分は2020年から3年間、在宅勤務を続けてきて、あくまで自分の場合だけだが、もうメリットしか浮かばない。まず心のストレスがない。心、精神の健康状態がすこぶる良い。


そしてなによりも会社を休まなくなった。

リアル通勤をしていたとき、つまり毎朝、朝早くからあの満員通勤電車で1時間半もかけて出勤するあの辛さ。朝6時半、7時には起床しないといけないのだが、そのとき体調不良で思わず今日は会社を休ませてください、ということが凄く多かった。


それもすべて満員の通勤電車のせいである。


在宅勤務はその満員通勤電車による通勤がいっさいなくなるのだ。

通勤というものがいっさいなくなる。


これはかなり大きい。かなり楽である。なによりも在宅勤務になって、通勤がなくなって、会社を休まなくなった。


昔は1年間に与えられる有給休暇の日数は決まっていて、自分は1年間の間にそれをフルに使い切ってしまう人だった。1年間の終わりの頃になると、有給休暇がほとんど残っておらず、新しく来年度版として支給される3月まで会社を休めない、そういうギリギリの生活を送っていた。自分にとって有給休暇ってかなり苦心していたところなのだ。


ご存じのように海外旅行とか国内旅行などで休みを大量に取るので、それで支給された有給休暇日数がだいぶ減る訳だが、そのあともそういうくだらない体調不良などの休みを多くとってしまうために、いつも1年の終わり頃のになると有給休暇が残っていないという状況になってしまう。


人によっては有給休暇はまったく使わない人もいて、人それぞれなのだが、自分はフルに有給休暇を消化する人だった。


いつも上司に心配されている人だった。


1年間に支給される有給休暇を使いきれなかった人は、その残った有給休暇はそのまま積立保存休暇として回され、どんどん貯蓄されていく。有給休暇を使わない人は、もうどんどん積立保存休暇が溜まっていく一方である。


自分は、毎年、その年の有給休暇を全部使い切る人だったので、絶対積立保存休暇は溜まらない人だった。


それが在宅勤務にワークスタイルを変えてから、まったく休まなくなった。有給休暇を使うことがほとんどなくなった。1年間終わりになっても、ほとんど休みを取っておらず、どんどん休みが溜まっていく。そしてそれが積立保存休暇のほうにどんどん蓄積されていく。


やっぱり有給休暇に残日数に余裕があるということは心の健康に断然いい。

いらぬ心配をする必要がない。


なぜ、会社を休まなくなったのか。これはひとえに通勤がなくなったからである。体調が極めて良好の状態をコンスタントに毎日続けていくことができるようになったからである。休む必要がないからである。


朝起きたら、そのまま家に居る状態で仕事を始めることが可能だからである。


この通勤がなくなったことで、体調不良で休むことがまったくなくなった。毎日健康そのもので、規則正しく会社生活を送れている。これが自分にとって在宅勤務に変わってからの最大の変化点で最大のメリットのように思う。


いかにあの早朝の満員通勤電車での通勤が体を蝕んでいたか。体に大きな負担を与えていたか。


つぎに、心のストレスがなくなった。1日中自宅で、自分の仕事に集中できるため、仕事効率もあがったように思う。心のストレスがないので、毎日一定の安定した心の健康状態で、1年間ずっとコンスタントに仕事を続けられることである。今日会社行くのはイヤだな~。休んじゃおうかな~とかいうようなことがまったくなくなった。


それは心の健康がつねに一定コンスタントに安定しているからだと思うのである。

漠然とした不安や緊張というのがなくなった。


これは仕事をする上でかなり大きいと自分は感じる。


そしてなによりもWEB会議の普及であろう。


いままでは、会議室でみんな集まり、資料などはプロジェクターに映してそれをみんなで見て議論をしていた。ところが在宅勤務になっていくと、ノートPCを使ってWEB会議でふつうに会議ができる。


プロジェクターに映す資料もWEB会議の画面共有機能で、それぞれの資料を参加者全員に共有できる。各自のノートPCの画面に共有表示されるので、字も大きいし見やすい。プロジェクターに移される小さな文字を会議室の座席の遠方から見ているよりぜんぜんいいように思う。


自分なんかは、WEB会議のほうが、会議としての効率、理解度、お互いのメンバーへの伝達率などぜんぜんリアル会議より優れていて効果あるように感じる。


そして世界共通、世界中のメンバーと会議をおこなえるからもう最強だ。もう海外出張という必要もないくらいだ。海外出張はかなりの費用がかかると思うが、WEB会議ですべて用は足りてしまう。世界中とつながって、世界中の企業と会議ができる。あとは、時差などの時間調整で会議の開始時間を考慮するだけだ。


自分は、会社ではWEB会議のツールとしては、Microsoft Teamsを使っているが、もう完全に慣れてきた。


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顔出しなしも対応可能で、Teamsだとこんな自分の名前の漢字のイニシャルアイコンが出るだけ。

顔出しする場合も、背景を加工することもできる。


最初Teamsのチャットとメールの使い分けがいまひとつしっくりこなかったが、フォーマルな伝達にはメールで、もっと親近感ある親しい感じのコミュニケーションにチャットを使う、という塩梅もわかってきた。


自分は、WEB会議を使うようになって、Microsoft Teamsを使うようになって、一番画期的で効果大だと思ったのはこの会議のときの画面共有機能による資料の見やすさ、共有やすさ。そして会議が身近で簡単になったこと。


これは自分の会社人生、仕事人生の中でもっとも影響が大きかったな、と思う。もう会議室に集まって、プロジェクターで資料を映して・・・などの時代には戻れないと思う。この利便性をいったん味わってしまうと。。。


WEB会議ツールとしては、世間一般ではZoomがすごい普及しているが、セキュリティ面や中国企業系であることから会社、企業のような機密性の高い情報のやりとりをするには、リスクがあるというのが世評だ。


会社、企業関係は、みんなMicrosoft Teamsだと思う。


でももっと会社関係以外の趣味娯楽部門では、やはりZoomの普及度はすごく、自分のプライベートPCにZoomを入れて使ってみようとは思っています。まだ1度も使っていませんが。。


在宅勤務はなにもメリットだけではない。


やはり仲間との雑談とか、空間の共有がなくなるので、家の中で1人なので孤独感を感じ、心の健康を心配されている。


自分も3年間在宅勤務中心のワークスタイルになって、仲間とのなにげない雑談、空間の共有がなくなって寂しいと感じることもあるが、でも、もう33年間も早朝の満員通勤電車、そしてオフィスで仲間といっしょに仕事をするということ、会議室に集まって会議をすること。これを33年間もやってきたのだから、もう絶対忘れることはないし、もう心、身体に染みついていると言っていい。


もう自分の企業人人生、サラリーマン人生にとって、もうガッチリと組み込まれてきた、体内に深く沁み込んだ経験で、よもやこの体感を忘れることはまずないであろう。


それよりもいまは在宅勤務の新鮮さ、メリットのほうに大きく感動し、有難みを受容しているという感じである。


もちろんリアル出社でないといけない、そちらのほうがやはり重要であることがあるのもよく認識している。


たとえば、経営層、マネジメント層、管理職になるとやはり出社が原則で、社内での意思疎通、意思決定確認など、リアルな対談、会議でないとオフィシャルにはならない、というのもあるだろう。これは当然だ。


あとやはりリアル会議、リアルで対面して話をするほうが、やはり頭にロックしやすいとか、シリアス度が違うとか、人間的にこうじ~んと来るというか、真剣味、リアルさ、本気度が全然違う。やはりここはリアル対談がWEB会議などに絶対負けない部分なのだ。


やはりリアルは強いのである。


そして組織として動いているか、を把握するためにもマネジメント層はリアル出社は必要なのだ、ということは類推できる。


まっリアル勤務と在宅勤務、ハイブリッドワークですね。


在宅勤務というワークスタイルで、ワーケーションというスタイルも国は宣伝しているが、自分はいいと思う。リゾート地でとか、景色のいい環境のいい遠隔地の土地で、ノートPCで仕事ができる、というのもすごく人間として豊かな仕事スタイルなのではないかと思う。仕事が終われば、そのままその土地でリラクゼーションで楽しめるとか。。仕事中も周りの環境が素敵だと精神の健康にもいい。


自分はワーケーションはとてもいいことではないか、と思っている。



ただ、在宅勤務にも弱点はある。


これである。(笑) (=^^=)


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ニャンちゃんは、在宅勤務をしていると、かならずパソコンのところに陣取る習性があるらしい。(笑)


それを解決する算段としては、近くにすっぽり入るような箱を用意してあげると、その中にスッポリはまって一丁上がり、という感じだそうである。(笑)


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自分もこれからはシニアになる世代。シニアでも働けるような環境、自分の場合やはり脳梗塞の後遺症があるから、やはり在宅でも仕事ができるそういう環境をこれからは重要視していかないといけないのかな、と漠然とだが、考えている現在である。













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おしゃれな街「自由が丘」が密かに抱いている危機感 [街歩き]

この写真が去年2022年までの自由が丘駅(北口)の風景だ。


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それが今年2023年からこれである。工事中である。かなり大規模だ。2023年からスタートしたと思われる。


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自分は、今年10月の自由が丘女神まつりのときに、北口絶賛工事中であることに気づいた。

これはなんなんだろう?

なんの工事なんだろう?


調べてみると、なんと!高さは約60メートル、地上14階建ての複合施設が建てられるらしい。低層部に商業施設、業務施設が入り、上層部には住宅が造られる。事業協力者はヒューリック、鹿島建設。


今後の予定としては、2023年度に工事に着手、竣工予定は2026年度だそうだ。


自由が丘一丁目29番地地区市街地のエリアだ。


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自由が丘にショッピングモール?

どう思います、これ?(笑)

自由が丘駅前にこんな高層ビルが建つらしいですよ。。


あれだけ商店会の組織が一致団結して、けっして大きなデパートやショッピングモールなどを造らせない。そういう個人店などマニュアル的な雰囲気が魅力だった自由が丘に、ついにショッピングモールを作るという。


現在の自由が丘駅周辺でもっとも高いのは9階建てということを考えると、これまでにない高さの建物になる。



日本一結束力の強い自由が丘商店街振興組合が、これを許したのだろうか?

高層ビルのなかった街が大型再開発に踏み切る訳はなんなんだろう?


いろいろ記事を読んでみると、やっぱり街造りって、ほんとうに大変な仕事というか、要は考える先のスパンが長くて頭の容量が相当広く、いろんなケースを読みながら作戦を練っていくそういう知的労働なんだな、と思いました。


そりゃ世の中には、いろいろな仕事がありますが、街造りは、スケールがすごい大きい仕事ですよね。街を造っていく。これは並大抵のレベルでないほどスケールが大きい仕事だと思う。


自由が丘駅前再開発にはこんな事情があったようだ。


●新宿や池袋、二子玉川、武蔵小杉との競争


ここ10~15年、このままでいいのかという議論が起こってきたと、自由が丘のまちづくり会社で都市再生推進法人であるジェイ・スピリットの岡田一弥氏は言う。


きっかけは東急線の相互直通運転だった。新宿や池袋など他の魅力的な商業地域とダイレクトにつながることになり、これまで並び称されてきた代官山、下北沢などとは異なる、より広範な地域間での競争を意識せざるをえなくなったのである。


加えて二子玉川や武蔵小杉の変貌もあった。


「自由が丘は鉄道、道路といったインフラが整備されないままにきた街。課題である迷路のような細街路の魅力を武器に専門店の集積として発展してきましたが、一方で諦めてしまったものもあります」と岡田氏。


「かつて6館あった映画館は今はゼロ。大きな床がないのでホテルも、オフィスもありません。駐車場、駐輪場も足りない。生鮮三品を扱う店も以前からの店はほぼ死滅している状態。対して二子玉川や武蔵小杉にはそうしたものが全部揃っています」




周囲の変化に対する危機感に加え、この10年ほどは建物の老朽化が進んでもいた。建て替えを考えても駅前では交通を遮断するわけにいかないため、単独建替えは難しい。さらにいつ始まるかわからない都市計画道路工事もある。そうした諸問題を解消、建物を更新するためには共同で建替えるしかないという声が出ていた。


その結果が現在進んでいる再開発である。再開発はデベロッパーや自治体から地元に声がかかり、彼ら主導で進んでいくことが多い。だが、自由が丘では主体は地権者。このままではまずいという1人の意見に徐々に地域の人たちが賛同、みんなで解決策を模索した結果、自分たちで開発を決めたのである。


再開発と言いながら、実態は共同建替えに近く、自分たちが所有している土地を鑑定、その評価分を再開発後の床と交換すると考えると等価交換とも近いと岡田氏。かなりの商店主が新築後の建物で商売を再開する予定になってもいる。



・・・まとめると、こういうことですね。


・東急線の相互直通運転で、新宿や池袋など他の魅力的な商業地域とダイレクトにつながることになり、より広範な地域間での競争を意識せざるをえなくなった。要は新宿・池袋と勝負しないといけなくなった。


・二子玉川や武蔵小杉の発展・変貌も大きなトリガーになった。ライバルとして、置いてかれるんじゃないか。


・この自由が丘一丁目29番地エリアの建物は、どれもみんな老朽化が進んでいた。なんとかせにゃあかん。

・このエリアのある建物だけを単独で建て替えるのはいろいろ難しいので、もうこのエリアに立地している建物は全部建て替えてしまう。

・それイコール、このエリアのお店は、ぜんぶリニューアルで再開ということになると、ショッピングモールというスタイルが望ましい。→事実この複合施設が完成した暁には、この建物を建て替えたかなりの商店主は、みんなここに入ってもらい商売再開という手続き。


・今回の再開発は、自由が丘の地権者の1人のこのままじゃまずい、という意見に、みんなが賛同したつまり商店会一致した意見である。けっして自治体やデベロッパーからの動きではない。→そういう意味で自由が丘らしい、従来からの秩序は守られている。



・・・こういうところなんですね。

う~ん、筋が通っていると自分は思いますね。


そりゃいままで自由が丘独特のイメージ、ブランドが大きく変わろうとしているのだから、どうなのか、というファンの意見もありそうだけど、こういう先を見据えた背景を考えたうえでの決断は納得せざるを得ないのではないか。


街造りは自分の街のことだけを考えるのではなく、隣接する街との関係、負けちゃいけない。負けると自分たちの街への観客動員数が減ってしまう、ライバルの街にとられてしまう。そういう世界なんですね。そういう意味で東急線の相互直通運転は影響大でした。



さらには、再開発で生まれるビルには、駐車場、駐輪場、共同荷捌き所、無電柱化を進めるための電力システムなど、今、自由が丘に足りていないものを備えるという。加えて、細街路に個店が並ぶ、いかにもこの街らしい自由が丘サンセットエリアへの人の流れを促すよう、建物内を貫通する通りも作られる。足元には幅4.5mほどの歩道空間も生まれる予定だ。


これはすごく大きいことではないですか?


先の日記で、自分は自由が丘のストリートの中でもっともオシャレで自由が丘らしいストリートというのは、サンセットエリアだと思っていましたから。そこにそのビルから人が流れるように直結の通路を造る、というのも、なるほどな~と思います。


自由が丘のいちばんオシャレなストリート、いちばん人気のあるストリートとの融合ですね。街造りって、人の動線を考える、とよく言われることですが、自由が丘としていちばん人気スポットを自分たちはよく知っているうえでの戦略なんでしょうね。





また、このビルには、低層階には商業、業務機能を入れ、7階以上を賃貸住宅に充てるというのも他の再開発にはない点だ。自由が丘の大きな顧客である隣接地、田園調布では高齢化が進んでおり、165㎡という住宅の最低敷地面積の制限もあって若い人の流入がそれほど多くは見込めない。だが、自由が丘駅前の賃貸住宅であればこれまでと違う層の流入が期待できる。



なんか、こうしてみると、今回の自由が丘駅前再開発、複合施設、大きなショッピングモールの建設はそんなに違和感のない、自分は受け入れられる内容だと肯定的に考えるのですが、どうでしょう?


なによりも自由が丘の地権者が自ら決めていることだ、ということが重要ですね。いままでどおり、自由が丘の商店主みずからが決めて進めていることなのです。


そりゃ最初は、自由が丘に高層ビルのショッピングモール!自由が丘も渋谷みたいになっていくのか、と危惧してしまいますよね。それが普通の感覚だと思います。


街造りって、ほんとうにスケールの大きい大変な仕事ですけど、夢もありますね。

でもほんとうに大変な仕事だ。



現在、自由が丘には最少10人、最多380人という12の商店街があり、それを束ねる形で自由が丘商店街振興組合がある。会員数はコロナ禍で少し減ったものの1250人ほどでおそらく日本でも最大級の商店街振興組合である。



それだけの商店街がまとまって動けばインパクトは大きい。たとえば自由が丘では季節に応じて8つのイベントが開催されているが、そのうちでも最大規模の「自由が丘女神まつり」の来場者数は約50万人以上とも言われるほど。隣り合う商店街はたいていの場合、仲が悪いものだが、自由が丘では一緒になって街を盛り上げ、それで成功してきた。一体感がある街なのである。


イベント、祭り以外にも夜間のゴミ収集事業、個店の煩雑なカード決済業務を引き受けるカードビジネス、その他、商店街振興組合はさまざまな事業を行っており、前述のまちづくり会社も商店街発。2002年から商店街が行政、鉄道会社その他地域の関係者と連携、まちづくりを先導してきた。自らの発意による再開発もその流れなのだそうだ。


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今回の自由が丘駅前再開発でググって検索してみると、


駅近施設「トレインチ自由が丘」もリニューアル


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こんなのもあった!

しかも地図を見ると、自分が普段病院クリニックに行く途中である。(笑)


あれ~こんなところあったっけな?こんな施設見たことないな~。

しかも完成図をみると、すごい近代的でおしゃれっぽい装いだ。

確かあそこ、いつも工事中だったから、あそこのことかな?


それで昨日、クリニックに行った後に寄ってみたらありました。


「トレインチ自由が丘」



解放感あふれるオープンモール型の商業施設。

「自然と過ごす、街の“あいま”で」をコンセプトに、

緑豊かな屋外空間と居心地の良いラウンジで

“自然と”過ごせる場所を提供します。


ここですね。


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基本は商業施設ですね。全体の雰囲気が開放感があって、いかにも自由が丘らしいテイストの建物です。いろいろなショッピング施設が入っています。雰囲気がいかにも自由が丘らしいです。


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オフィス・ラウンジみたいなところもあります。


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ここのカフェが最高に素晴らしいと思いました。

かなり素敵です。病院に行く途中にあるので、今度頻繁に利用したいと思います。


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情報引用元:


おしゃれな街「自由が丘」密かに抱いていた危機感

高層ビルなかった街が大型再開発に踏み切る訳(東洋経済)


















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自由が丘という街はなぜおしゃれで魅力があるのか。 [街歩き]

自由が丘という街は、東京都の目黒区である。


自由が丘というと、やはりスィーツ、ブティック、カフェ、アパレルなどが並ぶおしゃれな若者の街。

銀座、六本木、表参道、青山、代官山、そして自由が丘。


いわゆる、東京のファッションセンスあふれて、おしゃれな街といったら、ここら辺が浮かび、自由が丘はかならずその筆頭にあがる人気の街である。


自由が丘は、その昔、衾ふすま村という農村であった。1927年に東急東横線が開業し、大字衾が大字自由ヶ丘に改名されたのは1933年である。名前の由来は1927年に開校した自由ヶ丘学園である。ちなみに自由ヶ丘駅が自由が丘駅へと名前を変えたのは1966年になります。


まず、自由が丘ほど東急沿線で、東急の存在が感じられない駅はないと思います。少なくとも特急停車駅でここまで感じられないのは、自由が丘ぐらいでしょう(笑)(中目黒駅もそれほど感じられませんが)。二子玉川駅や武蔵小杉駅に比べると、極めて対照的である。


それはなぜかというと、自由が丘には二人のビジョンを有した大地主がいて、彼らを中心にボトムアップで街づくりをしてきたという経緯があるからである。つまり、サラリーマン集団である企業がつくった街ではないのである。


いま渋谷は100年に1度という渋谷再開発ということで、大々的な大変革を遂げようとしていると思うが、あれはやはり東急グループという大企業が、綿密な計画を立てて、計画的にプランニングされた企業の造った街と言えると思うのである。


自由が丘はそういう街ではないのである。


自由が丘商店街の活性化のための発想のスタンスって、活性化と開発の主体はあくまでも地元商業者と住民であるという姿勢を育んだところに独創性があって、現代に至る多くの商店街の活性化と開発が、行政や民間ディベロッパー等の主導であるのと比べて、マリ・クレール通りを始め、自由が丘の中心部には大型のショッピングセンターやアミューズメント施設はないのにもかかわらず、多くの来街者を集め、常に住みたい街の上位を占めている。


これが自由が丘という街のオリジナリティでもあって、自由が丘ならではの独特の街景観がある所以なのだと思ってます。


それが理由だと思うのですが、ここの街には手作り感と地元感が溢れている。そして、東急のような大親分がいないので、個人がそれぞれ頑張っているという空気に満ちている。個人は千差万別ですので、全員が同じ方向を見ている訳ではない。しかし、自由が丘という街をよくしようという大きな目標では一致している。


そして自由が丘が広く女性を引きつける理由は、スイーツの大メッカであることではないだろうか。


自分も自由が丘に20年間も通い続けて、感じることは、自由が丘はやはりスィーツの街だよな~ということです。これはヒシヒシそう感じます。自分の実体験がそう感じさせます。もう長い経験でいたるところにスィーツのお店を発見すること。ほんとうにスィーツのお店が多い。



自由が丘にはスイーツ・フォレストというお菓子のテーマパークのような施設があります。このような施設があるだけあって、自由が丘のお菓子の街という特徴は図抜けています。統計でみても、自由が丘ほどスイーツ関連のお店が集積している街は東京にはありません。そして、東京で一番ということはもしかしたら世界で一番、スイーツが集積した街かもしれないのです。


モンブランというケーキをご存知かと思います。モンブランというと、フランスの最高峰の山ですから、当然、フランスだろうと思う人も多いかもしれませんが違います。モンブランは自由が丘発祥のケーキなのです。


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そのモンブラン発祥の地ということで、そのモンブランのお店もぜひ訪問してみたい、そのように思っていました。モンブランというと自由が丘南口のマリクレール通りのところにカフェ・ラミルというカフェがあってここのモンブランは、いわゆるふつうのスタンダードなモンブランとは違って、一種独特のクリーム豊かなケーキで大好きで大好きで、好きすぎて、何年もずいぶんと通いました。クリスマスケーキとしてホールごと買ったこともあります。(笑)いまは閉店し、そこにはモーツァルトという新しいカフェがオープンしていました。


自分には自由が丘のモンブランというとそんな想い出が脳裏に焼き付いています。


でもモンブラン発祥のお店でのモンブランは、やはり楽しみです。ぜひ行ってみたいと思っていました。


他にも王選手のコマーシャルで知られているナボナ、マカロンが日本で最初に販売されたのも自由が丘のダロワイヨです。これらの流れを決定づけたのが洋菓子の鉄人、辻口博啓氏がオープンしたモンサンクレールでしょう。彼もそうですが、今、自由が丘はスイーツの登竜門、メッカのようになっているのです。


彼が自由が丘に出店したのは、自由が丘こそがスイーツの登竜門であると思ったからだそうです。そして、今は日本の、いや下手をしたら世界のスイーツのメッカになっているのではないか、とこれらのスイーツ店を訪れる外国人観光客の多さをみると思ったりします。さて、それでは、なぜこのような個店が集まることによってスイーツの街としての自由が丘が特別な魅力を放つことになったのか。


美味しいスイーツを手がける独立店のパティシエたちは、手作りを基本とするので量産が難しい。しかも、味に拘って生クリームや生チョコレートなどを用いると日持ちはしない。そうすると、美味しいスイーツは地元の個店で購入するのがベストな選択肢ということになります。逆にいえば、近くに美味しいスイーツ店がないと、なかなか美味しいスイーツにはありつけないことになる。したがって、美味しいスイーツを自分へのご褒美にたまに食べたいな、と思う方は、それを前提として住む街を選ぶことをお勧めすることになります。



なぜ自由が丘にそんなにスイーツが集まったのか。これに関しては、『自由が丘スイーツ物語:ケーキで人を幸せにする街』(阿古真理著)という素晴らしいネタ本があります。その本で書かれている内容を整理させてもらうと、大きな理由の一つは歴史。日本で最初にシュークリーム、モンブランを出したお店が自由が丘であったこと。


ダロワイヨも日本一号店は自由が丘。そして、前回もちょっと話をしましたが、そのステータスをさらに浮揚させたのが「スイーツ鉄人」の辻口博啓氏。辻口氏は最初の店舗を自由が丘に出すことに拘るのですが、それは「駅が小さく」て、「お菓子の街みたいな雰囲気がにじみ出ていて、いい街だな」という印象を持ち、気に入ったからだそうです。そして、辻口氏の「モンサンクレール」でスイーツの知名度がさらにアップした自由が丘には、良質な店が以前よりも集まるようになってきました。都市の経済学で言う「地域特化の経済」という利益が、自由が丘においては顕在化されたのです。



自由が丘の凄いところは、単にお店が多いというだけではなく、そこで新しい商品を創造することができている点です。なぜ、このようなクリエイティビティが街にあるのか。前述した『自由が丘スイーツ物語:ケーキで人を幸せにする街』で、著者はその秘密を地元の古本屋さんに尋ねているのですが、この彼の回答が非常に的を射ていると私は思うので、ここに紹介させてもらいます。


「それと、自由が丘には大資本の企業や商業施設がないんです。スイーツ店にしろ、洋服やにしろ、自然のバランスで成り立っているんです。大資本は地主でした。だから魅力ある街になっているんだと思います」(p.219)。


スイーツのようにデリケートでつくるのに繊細な神経が必要で、大量生産が向いてなく、しかも材料が傷みやすいものは、チェーン店や企業的なアプローチではなかなか質の高いものがつくれず、個店に勝算が見出せる商品なのです。大資本の企業や商業施設がない自由が丘はスイーツという分野においては個店が勝負できる街なのです。


このようにスイーツ好きは、街をしっかりと選ばないと美味しいスイーツに巡り会えないということが分かっていただけたかと思います。


情報引用元:


まちづくりで住宅を選ぶ 自由が丘という街はなぜ魅力があるのか? 服部圭郎





スミマセン。。。ついつい自由が丘はスィーツの街ということで熱く語ってしまいました。


やはりスィーツって、デリケートでつくるのに繊細な神経が必要で、大量生産に向いていなく、しかも材料が傷みやすい。これは大資本のチェーン店や企業的なアプローチでは質の高いものが作れない。個店に勝算が見いだせる商品である。。。


ここなんでしょうね。


そして自由が丘は、「駅が小さく」て、「お菓子の街みたいな雰囲気がにじみ出ていて、いい街だな」なんでしょう。こういうところが自由が丘がスィーツの街といわれる所以なのだと思いました。



自由が丘南口、マリクレール通り、九品仏緑道については、もう20年のおつきあい。

もういままでご紹介してきた通りである。


でも自由が丘北口のエリアは、ふだんあまり行かないんですよね。

これでは自由が丘を知っているとは言えない。


自由が丘のメインは、やはり北口エリアではないのか。

自由が丘のメインスポットは、やはり北口エリアなのである。


そこで自由が丘北口エリアを徹底的に歩いてみよう。街歩きしてみよう。

そうすることで、自由が丘という街を理解することができる。


街歩きってやはり自分の足で歩いてみて、自分の目や耳で街の景観を感じて、街の喧騒を聴かないと自分のモノになったとはいえないと思う。


リアルでその街を歩かないとほんとうに自分のモノになったとは言えないと思います。

・・・ということで、かねてよりの有言即実行!


昨日、自由が丘北口エリアを徹底的に歩いてみたのである。


自由が丘の街をどのように歩いていくか。

自分は、自由が丘の通りに、その名前がついているストリートに注目しました。


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自由が丘という街はとても素敵で、それぞれのストリートに名前がついているんですね。


●自由が丘北口


・ヒルサイドストリート

・サンセットアレイ

・女神通り

・カトレア通り

・すずかけ通り

・わかくさ通り

・メープルストリート

・しらかば通り

・ヒロストリート

・ガーベラ通り(学園通り)


●自由が丘南口

・マリクレール通り

・九品仏川緑道(グリーンストリート)


自由が丘って、こういうふうにストリートに素敵な名前がついているのです。自分が20年間知っていたのは、南口のマリクレール通りと九品仏川緑道(グリーンストリート)だけだった、ということになります。


いわゆる自由が丘の本場としては、やはり北口のたくさんのストリート沿いに、スィーツ、ブティック、カフェ、レストラン、アパレルなんかが集中しているのだと思います。



じゃあ、この北口エリアの10本のストリートを全部回ってしまおうじゃないか!


そう思いました。そうすると各々のストリートでもっとも印象的な通りはどこなのか、それぞれのストリートでどのような特徴があるのか、それをストリートごとに眺めていって、そのストリートの総合体として、最終的に自由が丘という街の特徴を捉える。そういう戦法にしたのです。


結局、この日、この北口エリアの10本のストリートを全部回り、それを2回繰り返して見て回りました。もう大変な歩行距離です。おそらく歩行距離としては、横浜シリーズの最高記録を抜いたと思います。自分でもよくやったと思います。もう昨日は帰って来てから、もう腰が重くて足がジンジンとむくれ上がり、体内が火照り上がっている感じでした。さっそく熱いお風呂で体を解し、ぐっすり寝て、朝起きてようやくなんとなく元に戻ったかな、という感じです。


でもまだ本調子ではありません。疲れが残っている感じ。

歩き過ぎって、じつは健康にあまりよくないらしいです。(笑)


そしてなにより大変だったのは、ストリートとその場所の景観を頭の中で紐づける作業です。

ストリートは、もうこの日スマホの地図を見ながら、ここは〇〇ストリートとぶっつけ本番です。なにせ10本もストリートある訳ですから。そしてふだんあまり歩かない土地勘のない北口エリア。


ぶっつけ本番で、地図を見ながら、この場所のこの景色は○○ストリートと頭の中で地図とそして眼で景観の紐づけをおこなうのです。これはなかなか大変な作業でしたよ。(笑)


膨大な写真を撮影したのはいいけど、あとでそのたくさんの写真群を見たとき、この景観はどこのストリートだったっけ?となってしまいます。


この紐づけ作業はとても重要なタスクなのです。


自分はこの作業は結構得意だと思ってます。


もちろん道端には、こういう感じで、ストリート名が碑として立っている場合は大半でしたので、スマホの地図を頼りに、この碑を見つけるという作業でしたね。それで、いまここは〇〇ストリートなんだ、ということを再確認する、という感じです。


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やっぱり旅人にはこういう才能が必要ですね。こういう才能に長けていないと、なかなか見知らぬ土地、とくに海外でスムースに目的地に行くということはできないと思います。



この自由が丘北口エリアの10本のストリートのそれぞれの景観は、また別途、別日記で、”自由が丘ストリート”というタイトルで日記にしたいと思います。ここでは簡潔に要点だけをまとめたいと思います。


昨日、この10本のストリートを全部回り、その景観とストリート名を紐づけて、それで自分が抱いた印象です。


自由が丘北口エリアの10本のストリートの中で、もっともオシャレな景観なのは、


・ヒルサイドストリート

・サンセットアレイ

・カトレア通り


この3ストリートです。自由が丘がオシャレ~というイメージなのは、この3ストリートの景観のことを言っていると思いました。逆に言えば、自由が丘を楽しみたいと思えば、このヒルサイドストリート、サンセットアレイ、カトレア通りの3ストリートを堪能すればいい、それで事足りると思います。


●サンセットアレイ


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この中でもさらにサンセットアレイが最高かな。ここのサンセットアレイのストリートがいちばんオシャレで、これこそが自由が丘~という感じです。ちょっと道幅が細くて裏道で陽がささない暗い感じがするのですが、ここに軒並みオシャレなブティック、カフェなどの素敵なお店が立ち並んでいてほんとうに壮観でした。こういうところこそ、まさに自由が丘だな~と思いました。




●カトレア通り


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2番目に素敵だと思ったのは、カトレア通りかな。ここもオシャレそのもので、サンセットアレイがどちらかというと、暗い細道に密集している秘かなるオシャレスポットという感じなのが、カトレア通りでは、通り自体が比較的広くて大きな通りで、自由が丘の中心、メインストリートという感じがします。いわゆる自由が丘の繁華街と言う感じです。ここも素敵なんですよね~。




●ヒルサイドストリート


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ヒルサイドストリートは、自由が丘の都心という感じではなく、比較的田舎というか、のんびりした風景で、そこにある一定間隔を置いて、オシャレスポットがある、という感じです。ヒルサイドストリートは、自由が丘駅からもっとも離れたストリートなので、ある意味田舎というかのんびりしていて当然だと思いました。でもこの一定間隔でポツポツとあるスポットが、これまた素敵なんですよね~。




この3ストリート以外のいわゆる自由が丘駅北口の真正面にある、わかくさ通り、メープルストリート、しらかば通り、ヒロストリートは一気に和的庶民的なお店が並びます。(メープルストリートはちょっとオシャレです。)うなぎ屋さんだとか、そば屋さんだとか、銀だことか、マクドナルドとか、もう一気に庶民的です。もうぜんぜんオシャレじゃないです。


自分は思うんですが、自由が丘ってどこのエリアでもオシャレかというとそうでもないんですね。結構庶民的な和風、日本風なお店、あるいはレトロなお店が並ぶところも多いです。たとえばこれからあとで特集する自由が丘デパートとか、もうすごいですよ。時代錯誤とも思えるような昭和レトロな建物で、もうびっくり。逆にすごく新鮮に感じます。昭和の時代と間違えるようなこんなレトロな建物が、自由が丘に存在していること自体、笑えるくらいおかしいです。


また、この自由が丘デパートの隣のエリアは、いわゆる飲み屋街、飲食街、ラーメン屋などのストリートが続いていて、もう完全にサラリーマン、庶民派の食事処、飲み屋さん街なのです。自分が愛用している自由が丘の吉野家さんもこのエリアにあります。


このように自由が丘って全部がオシャレなんではなくて、オシャレなスポットと庶民的な和風・飲み屋さん街などが混在した街といえるんじゃないですかね。


そういう両面性を持っている街です。


世間のみなさんが自由が丘に対して、一般にイメージとして持っているオシャレな雰囲気は、


・ヒルサイドストリート

・サンセットアレイ

・カトレア通り


のこのエリアだけと言っていいです。あと、メープルストリート、ガーベラ通り(学園通り)も入ると思います。


さて、今度はストリートという括りではなく、建物、スポット単位で気になったところを何点かピックアップします。



●モンブラン発祥のお店 MONT-BLANC


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出ました~~~。モンブラン発祥のお店 MONT-BLANC。モンブランは自由が丘発祥で、このお店が開発したものなのです。


カトレア通り沿いにありました。


店内は、まさにゴージャズなモンブランの展示。


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テイクアウトはもちろんですが、イートインは、外のテラス席だけなのかな、と思いました。比較的小スペースですね。ぜひモンブラン発祥のお店での元祖モンブランを食べていきたかったのですが、まさか突然ここで出会うとは思わず、その心の準備ができていませんでした。(笑)今度は、”自由が丘のスィーツを堪能する”と題してリベンジしたいと思います。



●Aesop


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最初チェロの楽器が店内に飾られているので、てっきり自分は楽器屋さんだと思ってしまいました。でも棚に陳列されている商品が筒状なので、ヴァイオリンとかに塗るヤニなのかな、と勝手に思ってしまいました。



あとで、ネットで調べたところ、ハンドウォッシュ、ハンドバーム、シャンプー、フェイススクラブなどのアイテムだったそうです。クラシックの楽器とはぜんぜん関係ないんですね。(笑)インテリアとして置いてあるということなんでしょうね。


でもお店の外観がすごくオシャレでいかにも自由が丘らしい感じです。



●PUPPILY HILLS TOKYO


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この大御殿なんだと思います?


これ、ワンちゃんのドッグウェア&グッズの販売から心からリフレッシュしてもらうためのトリミングやスパなどを施す御殿なんですよ。(笑)まさにお犬さまにここまで・・・と驚くしかないですが。。世の中やはりこういうブルジュアな世界があるんですね~。


自由が丘をいろいろ歩いていると、ペットショップはすごく多かったです。



●「JIYUGAOAKA de aone(自由が丘 デュ アオーネ)」



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やっぱり自由が丘でも生活していく人がいるわけですから、スーパーマーケットは必要です。自由が丘では、長年に渡って、ピーコックストアというスーパーマーケットが52年にわたって、自由が丘住民の生活を助けてきた訳でしたが、2021年についに閉店。かわりにイオンモールが出店するということでありました。


当初、自由が丘の景観に、イオンのようなスーパーマーケットそのものみたいなイメージはあわないだろう、ということで、自由が丘市民も大反対だったそうだが、いざ完成してみると、いわゆる通常のイオンでなく、デッキ、緑が多く開放的な自由が丘らしいデザインとなっていて、そういう配慮をされたのがよくわかる。イオンモール系だけど、名前も、「JIYUGAOAKA de aone(自由が丘 デュ アオーネ)」。


街の景観を壊さないようにしながら街づくりをしていく。。。これはとても重要なことなのです。


わかくさ通り~メープルストリートとガーベラ通り(学園通り)の交差点のところにあります。




●自由が丘 熊野神社


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熊野神社は鎌倉時代より以前に創建された、由緒正しい神社です。自由が丘の街の華やかな雰囲気とは少し違い、凛とした雰囲気。ここの神社に足を踏み入れると、空気が済んでいるようでとても気持ちがいいです。


“熊野信仰”は、鎌倉時代(1192~1333年)、庶民の間でも盛んになり、現在の目黒地域からも那智熊野参拝の記録があり、その時代、信仰の厚い土地の名士たちが西方熊野に赴き、熊野本宮の御神霊を拝受して祀られたと伝えられる。


・・・とのこと。


20年間に渡り、自由が丘という街に縁があって通えたことに感謝。病院が自由が丘であったこと。そして主治医の先生に日頃の感謝。そしてこれからも末永くよろしくお願いいたします。。。とお祈願してまいりました。


この自由が丘熊野神社はいつかはきちんとお参りしたいと思っていたので、すっきりしました。



自由が丘ってこんな街なんですね。自由が丘北口エリアってこんな街なのです。


それに自分が20年間通い続けている南口のマリクレール通り、九品仏緑道の昨日の様子も上げておきますね。いまの秋の季節、クリスマスに向けてクリスマスツリーも飾られています。


マリクレール通り


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九品仏緑道


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この秋の季節のマリクレール通り、九品仏緑道もやっぱり素敵です。


やはりここは何度見ても癒されるわ~。

自分のマイエリアです。


この自由が丘北口エリアの10本のストリート、そして南口の2本のストリート、合わせて12本のストリートが形成する景観が、まさに自由が丘という街なのだと思います。








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自由が丘 女神まつり [フェスティバル]

横浜シリーズも遅筆に遅筆ですが、自由が丘の秋のマリクレールこと、自由が丘女神のまつり2023も10月8日でしたから、なんと2か月も遅れてのご報告。大変申し訳ございません。


でも日記としては、秋のマリクレールで事前告知しましたので、任務は果たせたのかな、とは思います。


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自由が丘最大級の規模で行われるイベント「自由が丘 女神まつり 2023」が10月8日(日)・9日(月・祝)に開催されました。2022年に規模を縮小して3年ぶりに実施されましたが、2023年は完全復活でした!


実は自由が丘商店街振興組合は、目黒区内ではもちろん、国内でも最大級といわれる組織で、1,000店を超える会員が入会。12の商店会を束ねる組織なのです。


そうなんですよね。自由が丘って、デパートとか商業ビルというのが存在しないです。というか街づくりがそういう戦略でない。自由が丘の中にそのエリアごとに、たくさんの商店会が結成されていて、そのそれぞれの商店会が自由が丘の街づくりをしている。1つの商業ビルだと、そのビルの中にいろいろなジャンルの商品が全部そろっている。でも自由が丘はそういう感じではなく、ひとつのジャンルの商店が、たくさんあって、それが面となって存在していて、お客さんがその中から好きに選べる、ということなんだと思います。


そのたくさんのジャンルの商店が、すべて自由が丘商店街振興組合に所属しているんだと思います。


この自由が丘商店街振興組合って、国内でも最大級といわれる最強の組織らしいです。


すごい特徴的なのです。



自由が丘商店街の活性化のための発想のスタンスって、活性化と開発の主体はあくまでも地元商業者と住民であるという姿勢を育んだところに独創性があって、現代に至る多くの商店街の活性化と開発が、行政や民間ディベロッパー等の主導であるのと比べて、マリ・クレール通りを始め、自由が丘の中心部には大型のショッピングセンターやアミューズメント施設はないのにもかかわらず、多くの来街者を集め、常に住みたい街の上位を占めている・・・



これが自由が丘という街のオリジナリティでもあって、自由が丘ならではの独特の街景観がある所以なのだと思ってます。


自由が丘ってちょっと独特なんですよね。


自由が丘商店会の力は最高に強いです。


結束力抜群です。



その自由が丘商店街振興組合が毎年、10月のスポーツの日の連休に開催しているのが「自由が丘 女神まつり」。

駅前ロータリーに設けられた特設ステージでミュージシャンによるライブ演奏やショーなどが開催される他、各商店会ごとに個性あふれるイベントを実施します。


”自由が丘女神まつり”は、自由が丘で催されるイベントの中でも、最も盛り上がる最大規模のイベントなのです!1973年に始まった「女神まつり」も今年で49回目だそう。


今年のテーマ「変わりゆく時、変わらない想い。」コロナ禍により中止が続き、昨年は規模を縮小しての開催、今年は4年ぶりに完全復活となる「女神まつり」。来場者数は50万人以上とも言われ、自由が丘の街のいたるところで各商店会ごとに音楽やアートライブ、露店にワゴンセールなど、さまざまなイベントが催されるのです。


年々来場者数は増加し、最も注目を集めるのが駅前メインステージで繰り広げられる無料のライブ。例年有名アーティストが出演することでも注目を集めます。



そんな自由が丘女神まつり2023の各商店会主催イベントのMAPは、こんな感じです。


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自分としては、毎年5月下旬に開催される自由が丘南口エリアのマリクレール フェスティバルがお馴染みでした。かかりつけの自由が丘のクリニックに通院途中で毎回通ることでお祭りを認識して、あ~今年もやってるな~という感じで楽しむ感じです。ところが今年からそのマリクレール フェスティバルが、南口だけのお祭りだけでなく、北口も含めて”自由が丘マルシェ”として生まれ変わったのです。今年からです!


でも、この秋の10月にやる自由が丘女神まつりは、今年で49年目ですから昔からのイベントだったんですね。しかも自由が丘最大のフェスティバル。


全然知らなかったです。(笑)


5月のフェスは土曜日になる可能性があるけど、10月のフェスは土曜日にならないんですかね?いままでぜんぜん通りかかった記憶がないということは・・・。おそらくそういうことだと思います。


ともあれ、自由が丘女神のまつり2023。じゅうぶん楽しんでまいりましたので、その様子をレポートしたいと思います。基本は、5月のときの”自由が丘マルシェ”と同じコンセプトで、各商店会の催し、出店も同じ感じです。


でも自由が丘駅北口エリアの特設会場を設けての音楽ライブは、もうこれは今回の自由が丘女神まつりのほうがすごいですね。


自由が丘北口と南口では、もう完全にカラーが違います。


南口は、もう完全にマリクレール フェスティバルそのものです。ずっとあのスタイルを伝承してきております。自由が丘南口のマリクレール通り、九品仏川緑道の2通りを借りて、おもに九品仏川緑道のほうで、ヨーロッパのカフェのテラスを思い起こすような外で白いテーブルと椅子でみんなでお酒と食べ物を楽しみながらお喋りに興じる・・・そのスタイル、光景が一面に繰り広げられる。


それに対して、自由が丘北口は、おもに各商店会の出店、露店にワゴンセール、これがメインである。南口にももちろん出店はあるのだけど(そこでビール、お酒、食べ物を買って、各テーブル、椅子で興じる訳です。)、出店の種類、規模の大きさ、店舗の数としてはもう断然北口のほうがすごい。


やっぱり南口というのは、自由が丘南口商店会が中心でやっているのに対して、北口は、いろいろな商店会がたくさん集まってやっているから、もうその規模が違うのです。


5月の自由が丘マルシェ、そして10月の自由が丘女神のまつりの両方を経験して、大体どちらも同じだけれど、北口と南口ではそんな違いがあるな~ということがわかりました。


では、そんな自由が丘女神のまつり2023の様子を、歩いてきた順番に写真を撮って来ただけだけど、それを並べます。とくに詳しい説明はしないです。


まさに見ての通りです。(笑)


この写真でお祭りの雰囲気が伝われればと思います。


まず、南口のほうから行きます。


自由が丘南口のマリクレール通りでは、日本とフランスの国旗が並べて掲げられ、お祭りの雰囲気を盛り上げています。


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マリクレール通りは、地区のイメージづくりの取り組みの1つとして、フランスのファッション誌、マリ・クレール社および中央公論社の女性誌「マリクレール」とのタイアップにより実現し、1984年に正式に通りの愛称として採用された経緯があるのです。いわゆるマスメディアの力を街のブランディングに最大限に活用した取り組みだったんですね。


だからこのマリクレール通りという名前の「マリクレール」の由来は、中央公論社とフランスのファッション誌から採用しているものなのです。日本とフランスの友情の証なんですね。


マリクレール通りでは、日本とフランスの国旗が仲良く並んで掲げられているというだけで、とくにお祭りのなにかをこの通りでやる、ということではなかったようです。


そして、まさに自由が丘の宝と言っていい九品仏川緑道の、ヨーロッパのカフェのテラスを思い起こすようなあの場面ですね。毎回思うことですが、もう圧巻されます。ヨーロッパのカフェのテラスだな~と思ってしまいます。


今回はまずこちらからです。(笑)


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マリクレールフェスティバルのまさに名物の道化師人形さんです。フェスにはかならず登場する有名道化師さんです。正式なお名前は”銅像の花嫁 June Bride”です。


これ中身人間なんですよ。(驚)まるで動かないで人形みたいですが、中は人間が入っていて動きがいかにも人形的なのです。まさにプロです。



この銅像に指輪をはめてください、というように指に指輪をはめるとどうなるのか、いつも興味津々なのですが、怖くて実現できていません。


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心ばかりのお祝儀も贈るのもマナーです。


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なんと!今回はこの道化師さんが歩いているときに遭遇してしまいました。(笑)

道化師さん、歩いています。(笑)


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トイレにでも行くのでしょうか・・・?

やっぱり人間だったんですね。


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九品仏川緑道の、ヨーロッパのカフェのテラスです。

じゅうぶんお祭りの雰囲気をお楽しみください。

まさにヨーロッパだな~~~という感じ。

毎回惚れ惚れします。


まさに九品仏川緑道は、自由が丘の宝といっていいですね。街造りってこういうふうに計画的にデザインしながら長年をかけてやっていくものですね。まさに自由が丘の宝です。自分は自由が丘はやはり南口だ!と断言するのは、この九品仏川緑道のことを指しています。


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南口のフェスの方にも出店はあります。そうじゃないと、九品仏川緑道のテラスで飲み食いできませんよね。そのための買い出しはみんなここの南口の出店でやります。この出店は自由が丘南口商店会のみなさんによるものです。


でもほんとうにウマソ~なんだよな~。


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南口を司る自由が丘南口商店会の本部です。


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ワンちゃんを連れて物見遊山にお散歩。優雅です。


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もちろん飲食関係の出店だけでないです。こういう感じのお店もいかにも若者の街、自由が丘らしくていいです。


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九品仏川緑道のストリートのほうでは、自由が丘商店街振興組合の歴史とか、自由が丘の歴史についてのパネル展示もありました。


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では、つぎに北口エリアのほうにいきますね。


北口エリアの最大の見せ所は、この自由が丘駅北口のエリアに作られた特設会場です。ここで音楽ライブなどいろいろなエンターティメントがおこなわれます。これは南口ではできないことです。そして自由が丘女神のまつりのいちばんの魅せどころでもあるかもしれませんね。


私が行ったときは、まさに初日の朝早くだったので、フェスの開会式のときでした。


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この女神像が自由が丘女神のまつりを象徴する女神像なんですね。こんなところに女神像があるなんていままでぜんぜん知らなかったです。


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北口エリアでは、5月の自由が丘マルシェのときと比べると、マルシェ色は弱くなっていると思いました。5月のときはいろいろなマルシェがありましたが、今回はそんな感じではありませんでした。


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そしてなによりもいま自由が丘北口は再開発のために工事中なんですね。なんでも自由が丘再開発ということで、14階建ての複合施設を建設中なのだとか。2025年竣工だそうです。なんかいままでの自由が丘の街の魅力というのは、自由が丘商店会のお店たちがその魅力になっていたのに、自由が丘の街にもショッピングモールみたいなのって、なんか嫌ですね。渋谷を初めとして、いまの都市開発ってみんなこんな感じのショッピングモール、複合施設というスタイルなんでしょうかね。いまの自由が丘北口はそんな工事中の敷居でエリアの面積も狭くなっている、そんな感じがしました。


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三井住友銀行(マイバンク!)前のマルシェですね。広小路商店街、自由が丘しらかば通り会、自由が丘駅前中央会あたりにかけてですかね。もう食べ物関係の出店がいっぱい。まさにこういう感じが自由が丘北口の特徴なんですよ。でも美味しそう~~~。


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ちょっとしたミニライブ会場になっていました。そしてその前でリラックスしながら飲食を楽しみながらショーを観るみたいな。。。


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しかしこれはウマソ~だな~。自分はこういうのにいちばん弱い。(笑)


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パンの田島さんは、おらが街にもあります。


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南口の九品仏川緑道ほどではないですけど、北口もところどころにこうやって出店で買ったものをその場で食べられるテーブルと椅子があるんですよね。小スペースですが。


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北口エリアは広いし、南口と違って、自分はそんなに土地勘がある方ではないので、もうどんどん北口エリアを歩いていく感じで、いま自分がどこを歩ているのか、よく理解できていないところもありました。


自由が丘熊野神社は、今度改めてきちんとお参りにいきたいと思っています。


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自由が丘女神のまつりのフラッグ。いかにも自由が丘らしいお洒落な雰囲気が漂っています。


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ここではミニライブが行われるところでしたよ。


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こういう雰囲気がいちばん自由が丘のイメージに合っていますね。北口の出店エリアでは、ここがいちばん繁華街というか大きい規模の出店エリアです。確信はないけど、地図MAP的には、銀座会、自由が丘一丁目睦会あたりですかね・・・?


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こりゃ~絶対ウマいだろ?(笑)5月の自由が丘マルシェのときもそうでしたけど、このエリアはいつも豪快な焼き物系の美味しそうな出店がいっぱいで、いちばん魅かれるところではあります。


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以上が、自由が丘女神のまつり2023の模様でございました。お写真ではありましたが、その雰囲気が伝わったでしょうか・・・基本は、5月の自由が丘マルシェと同じコンセプトで、北口、南口の特徴なんかもそのまま継承されている感じで、とくに大きな変化はなかったと思います。


自由が丘最大規模のイベント、自由が丘女神まつりは、北口、南口でどのようなスタイル、どのような雰囲気で開催されるものなのかがよく理解できました。


自分はいままで20年近く自由が丘に通い続けてきましたが、南口のマリクレール フェスティバルはよく知っていましたが、北口も含めて自由が丘全体のお祭り、自由が丘マルシェや自由が丘女神のまつりは、今回初めて体験できました。


勉強になったのは、北口がどのようなお祭り形態なのか、ということです。北口は各商店会による出店中心のお祭りで、目玉が自由が丘北口広場の特設会場の音楽ライブなのだと思いました。


自由が丘全体のお祭りとして、自分のモノにできたと今回ようやく感じました。


自分は、自由が丘南口ファンなのですが、いまあらためてこうやって自由が丘北口エリアを歩き回ると、やっぱり自由が丘ってお洒落ですよね~。もう街並みの景観が、カフェ、ブティック、スィーツなんか、蒼然と立ち並んでいて、そのお店の外観、面構えがいかにも若者向けの素敵なお店が並ぶ景観で素敵だな~と感じ入りました。


このとき、自分は決心しました。


自由が丘北口エリアを徹底的に街歩きしよう!

街歩き日記で、自由が丘北口エリアを取り上げよう!


そう決心しました。

それだけ素敵でセンスのいい街の景観でした。

自由が丘はスィーツの街といわれる所以のスィーツの名店も廻ってみたいです。


銀座、六本木、表参道、青山、代官山、そして自由が丘。

東京でのお洒落スポットの代表格と言われる街のひとつである自由が丘。

ぜひその魅力をじかに歩いてみて掘り下げてみたいと思っています。


近々実行する予定です。

お楽しみに!








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