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トゥール・ダルジャン [グルメ]

北海道の田舎の町で生まれ育った自分が人生で初めてフランス料理を堪能したのは、北大合格が決まって、オヤジからその入学祝ということで、家族でフランス料理のレストランでお祝いをしてもらったときだ。


札幌のフレンチ・レストラン。


これがフランス料理か~という感じで、とにかくその上品で美しい盛り付けに感動した覚えがある。店内もゴージャスとまではいかないまでも、シックで気品のある美しい内装だった。


オヤジは、食べ物に関しては、西洋料理とはあまり縁がなかったように思え、自分が生まれ育ったときからオヤジにフレンチやイタリアンのレストランに連れてってもらった記憶は1回もない。


この大学入学祝のときが初めてだと思う。

当時はインターネットなんかなかった時代だから、オヤジは、どうやって、この札幌のフレンチ・レストランを探り当てたのかわからないが、ずいぶん感謝したものである。


オヤジが同じように九州の実家で進学祝いに父親からそのようにレストランで家族で進学祝いをしてもらったことが嬉しくて、自分の息子にもそうしてあげようと思ったらしい。


これが自分の人生の中で初めてのフランス料理、フレンチの体験だった。


いまの国際的にもユネスコ無形資産”和食”の美食国として有名なニッポンと違って、当時は舶来主義というか、やはり西洋料理が贅沢品とされた時代だった。


社会人になって、ヨーロッパに住めるようになったときでも、やはり世界でいちばん美味しい料理は、フレンチとイタリアンの二大巨頭だと思っていた。当時は間違いなくそうだった。


またヨーロッパの国の中で、メシがうまいだけでなく、ブロンド美人の美しさ、美人度からしても、やはりフランスとイタリアが群を抜いてダントツで美人が多かった。


”ヨーロッパの中で美人とメシがうまいのは、フランスとイタリアである。”


これは自分の経験からしみじみ実感することと、我々の世代の常識であった。


またスリが多いのもフランスとイタリアなんですけどね。(笑)(自分はフランスでやられました。。笑笑)


でもいまは、和食、中華料理など世界のいろいろな美食が世界的に認知されるようになり、もはやフレンチ、イタリアンだけの時代ではなく、群雄割拠の時代に入ったと言っていいだろう。


料理の評価基準として”ミシュラン(MICHELIN)”というガイドを知っているだろう。


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ミシュランガイドは、世界16,000軒以上のレストランを紹介する信頼できるレストラン&ホテルの情報提供プラットフォームだ。


ミシュランガイドの”インスペクター”という調査員の方がいて、日本、米国、中国、そしてヨーロッパのいろいろな国を訪れて、訪れたレストランを同じ基準で評価するのだ。ミシュランガイドが世界的に信頼を得ているのは、


・セレクションは、ユーザーのために客観性を維持し、独自性を保つためミシュランがすべて行う。

・ミシュランガイドの掲載は無料。

・掲載の決定は携わった全てのインスペクターとその国のディレクター、そしてインターナショナル・ディレクターとの協議に基づく。特に最高評価については国際的な基準に沿って慎重に検討を重ねる。

・ミシュランガイドに掲載されるレストランは、ミシュランの基準に沿ってセレクションされる。それは、すべてのインスペクターが同じメソッドに従って調査しているからこそ可能。


ミシュランガイドは赤い本で国ごとに1冊で発行されている。ヨーロッパに住んでいるとき、同時期に赴任していたアムスの同期友人が、このミシュランの赤い本をいろいろな国の冊分だけたくさん買い集め、2人で車でドライブでいろいろな国に行くとき、このミシュランガイド本でレストランを探していたのを覚えている。友人はグルメなので、いろいろな国に行って自分が入ったレストランは、すべて自分の手帳にそのレストラン名とアドレスをメモっていたのを覚えている。(笑)


まさに自分の実体験に基づく欧州現地の自分だけのヨーロッパグルメ帳である。


ミシュランの評価として、一つ星、二つ星、三ツ星という三段階がある。


三ツ星>二つ星>一つ星


のランク、順位付けである。



一つ星、二つ星、三つ星の評価は、素材の質、料理技術の高さ、味付けの完成度、独創性、そして常に安定した料理全体の一貫性など、いくつもの点が考慮される。



●三つ星:そのために旅行する価値のある卓越した料理


ミシュラン最高峰の三つ星は、キャリアを極めたシェフの卓越した料理に授与される。最上の食材を使った料理は芸術の域に達しており、後世に受け継がれることも多い。



●二つ星:遠回りしてでも訪れる価値のある素晴らしい料理


熟練した技術だけでなく、目を見張る食材の質や独自性など、料理は洗練されている。



●一つ星:近くに訪れたら行く価値のある優れた料理


食材の質、料理の技術、味付けの完成度など、そのカテゴリーの模範となる。




“世界の美食都市”と聞いて、みなさんはどの都市を思い浮かべるか?


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世界の美食の指標として知られ、世界37カ国でセレクションを行っている『ミシュランガイド』において、星の評価の数は、じつは東京が世界一を誇るのだ。もう驚きである。ミシュランが東京の本を出すというニュースはつい最近のことだったように思うのだが、もはやいまでは星の数は世界一なのだ。


東京は世界一の美食の都市なのだ。



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フランスで誕生した『ミシュランガイド』は、パリ万国博覧会が開催された1900年の初版発行から100年以上もの間、美食を司るガイドブックとして世界中で親しまれている。日本では、2007年に初のアジア版として『ミシュランガイド東京 2008』が発行され、日本で最もよく知られるグルメガイドとしてその名を馳せている。


現在、東京の『ミシュランガイド』の星の数は、美食都市として知られるフランスのパリやアメリカ合衆国のニューヨークを凌いでいる。東京初の2008年版でパリをおさえて世界1位を獲得して以来、東京は16年連続で世界1位を獲得しつづけており、2022年11月に発行された最新号『ミシュランガイド東京 2023』では、合計200軒(ビブグルマン除く)のレストランが星の評価を得ているのだそうだ。





『ミシュランガイド東京 2023』発表の場において、ミシュランガイド・インターナショナルディレクター、グウェンダル・プレネック氏は、「東京は星付きの飲食店・レストランの数が200軒と、今年も世界一星の多い都市となりました。良質な食材が集まる利点があり、それを調理する素晴らしい腕前の料理人が国内外から集まる東京は、美食都市として世界をリードし続けるでしょう」とコメント。


さらに、東京特有の食文化についても触れ、「シンプルな居酒屋や小さな寿司屋、日本料理の専門店から最高級レストランまで、東京には良質なレストランが溢れており、そのユニークなシーンで人々を魅了しています。巨大都市・東京は開放的で、食の多様性も輝きを放っています」とグウェンダル・プレネック氏。このように、美食都市「東京」は、世界中のグルマンから注目を集めているのだ。




2007年に初のアジア版として発行された『ミシュランガイド東京 2008』。そのときはじめて和食料理店や寿司屋が三つ星になった。さらに、三つ星の数が世界一だったパリの10軒に次ぎ、東京は8軒が獲得。また、それまでに発行された他国のミシュランガイドでは、掲載店の一部のみに星がつくだけだったが、東京版では150の掲載店すべてが一つ星以上の評価。星の合計数は、パリの64軒の倍以上を上回る191個で世界最多となった。


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2022~2023年の最新発表によると、東京の三つ星の数は世界1位、さらに三つ星、二つ星、一つ星の合計数でも2位のパリの118軒を大きく上回る200軒と高評価。また、東京だけでなく、TOP5に京都・大阪もランクインしており、東京のみならず、日本の食文化の多様さ、強さがデータからも読み取れる。


それについて、グウェンダル・プレネック氏は、「京都は、歴史と食文化、旬の食材を使った伝統料理、おもてなしの心が息づいています。日本文化を知り、楽しみたい旅行者にとって必見の場所です。一方、大阪は独自の食文化が発展しており、地元の名物料理から世界各国の料理まで、バラエティ豊かな料理を楽しむことができます」と述べた。


●なぜ東京にはミシュランガイドの星の評価を得た店が多いのか


①四季折々の多様で新鮮な食材

②日本独自の味覚、“旨味(UMAMI)”

③国内外問わず、世界トップレベルの料理人が集結


●インバウンド消費のカギを握る、日本の食文化「和食」


和食がユネスコ無形文化遺産に登録されて以来、世界的に和食がブームになり、今では世界中の至るところに日本食のレストランが急増している。また、和食が好まれる理由として多く挙げられたのは、「ヘルシーで健康的だから」。おいしさのみならず、“旨味”を上手に使うことによって、おいしさを損なわず、減塩効果や動物性油脂の少ない健康的な食生活が送れると、ヘルシー志向の外国人からも注目を集めているのだ。



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また、観光庁が発表した「訪日外国人の消費動向」(2019年次報告)によると、訪日外国人観光客が「訪日前に期待していたこと」という調査に、「日本食を食べること」(69.7%)が1位となった。また、日本貿易振興機構「日本食品に対する海外消費者アンケート調査-6都市比較編-(2014年3月)によると、外国人が好きな外国料理の1位が「日本料理」(66.3%)という結果となっている。


訪日外国人観光客の受け入れが再開されたいま、美食の街「東京」、さらに京都・大阪をはじめとする日本各地の地域の食や食文化の魅力を発信することが、日本誘致のカギを握ると言える。


情報引用元:


ミシュランガイドの星が最も多い街「東京」は、世界トップの美食都市 その強さの理由とは





どうだろう?


自分はいま知った事実であり、もう驚きである。確かに世界中から東京に一流シェフが集結するというのはよく理解できる。そういう土壌が日本にはありますね。なにも和食だけではないと思う。世界中の美食が、すべて日本、こと東京には集まっているのではないか。世界のオリジナルの本店に行かなくても東京ですべての国の料理が楽しめる。ラーメン業界の新横浜ラーメン博物館と同じ原理である。日本、東京はグルメの都市なのだ。そしてそういう需要があるから、自然と供給が生まれ、そこにビジネスが発生するのだと思う。たぶん日本国民の要望が強いんだと思う。東京でも食べれるように支店を出してほしい。支店を出せば儲かるから本店側もうれしい、そんな関係なのだろう。


そして東京が美食都市として名を馳せる理由は、日本の風土が大きな要因である。その風土がもたらす日本の四季がはっきりと分かれることで、その季節折々の多様で新鮮な素材、その持ち味を尊重した料理が、日本そして東京のレストランシーンの強みのひとつになっているのだろう。


灯台元暗し。


まさに自分が住んでいる日本、東京はいまや世界一、世界ナンバーワンの美食都市なのだ。


世界の美食としては、やはりフレンチとイタリアンが二大巨頭。


自分の脳内知識は、あの当時から今に至るまでずっとそのまま止まったままだったのである。(笑)


でもどうなのだろう?


いまや世界一の美食都市、東京とは言えども、やはりフレンチ、イタリアンはちょっとオシャレ、非日常感を感じるような特別な食事ではないだろうか?とくに自分は小さい頃から和党、日本食大好きのそっち側の人間だったので、そんなに普段、フレンチやイタリアンを食べるわけではない。やはり旅行とか、デートとか、記念日だとか、そういう特別の日に祝祭を兼ねて利用するのがフレンチやイタリアンだ。


フレンチやイタリアンでもフォーマルなものから家庭料理的なものまで幅広い。海外へホームスティとかの経験のある人は、後者の家庭料理的なものも経験があるのだろう。自分は残念ながらあまり記憶にない。フレンチとイタリアンというともっぱらフォーマルな記憶しかない。


イタリアンも美味しいと思うけど、自分はやっぱりフレンチ、フランス料理が世界一だと思うな。美食都市、東京である現在を鑑みると、自分がオシャレ、非日常感を感じる料理の世界一という意味である。


自分はずっとそのように生まれ育って、生きてきたので、いくら日本食が世界一と言われても灯台下暗しで実感やその有難みがわからず、フレンチが特別で最高と考えてしまう。


フランス料理は、トルコ料理、中華料理とならぶ世界三大料理のひとつである。


フランスで発祥した食文化および調理技術のこと。フレンチガストロノミー(フランス美食学)は2010年にユネスコの無形文化遺産に登録されている。


ベルギーに住んでいた頃、ブリュッセルの街の中のレストランのメニューは大半はフランス語で書かれていた。ベルギーは、真ん中がフランス語圏、上側がオランダ語圏、そして下側がドイツ語圏と3か国語が混在する多国民族国家という感じで非常に複雑だった。


首都のブリュッセルはフランス語圏内だったと思う。レストランのメニューは、ほとんどフランス語で書かれていた。


ここで鍛えられた。フランス語のメニューを理解しないといけない。まっ誰でもそうだと思うが、前菜、肉料理、魚料理、デザート、ドリンクと分類されて、その下に細かくさらにいろいろな料理が分類されている感じ。


だから自分が肉を食べたいのか、魚を食べたいのか、をまず決めないといけない。


肉料理はViande、魚料理はPoissonである。


さらにその下に分類されている料理名を眺めていく。そうすると、その単語、単語で知っている単語がかならず出てくるものなので、それを脳内で繋ぎ合わせていくと、大体どんな感じの料理なのか想像がつく、というものだ。


そして自分のイメージ、好みに合う料理を選んでいく。出てきたものがまったく想像外、という笑い話もあるけど、慣れてくるとそんなに外れもない。


そうやっていけば生きていける、というものである。

生きていくには、そういうサバイバル術が必要だということだ。


思うのだけど、いまの時代はもう英語メニューも必ず用意されていると思いますよ。そしていまの時代は、日本語メニューや中国語メニューなど、お店側はほとんど多国語メニューを用意しているのではないでしょうか?日本人はもちろんのこと、いま現在は中国人の旅行者は世界中ですごい多いですから。


あと、スマホのアプリで、言語翻訳してくれますね。Googleレンズみたいに。(笑)

もう時代はそういう時代なのだ。進化しているのだ。


現地で食べるフレンチやイタリアンの場合、アジア人と分かった途端の人種差別的行為を受けることもあるだろう。よくフランスやニューヨークで日本人夫婦がレストランに入ろうとしたら、日当たりが悪い暗いすごく場所の悪い処に案内された、とかその類の話はよく聞く。まっこれはなかなか残念なことだが、現地のアジア人に対する先入観、潜在意識の中にある人種差別はなかなか消え去らないと思う。


自分の場合、性格が鈍感なので、あまりそんな風に感じたことは1回もないのだが。。。


フランス料理は、首都パリで食べれるものという以外にも、いろいろなフランス内の地域で特色のある料理風土を持つ。プロヴァンス料理/バスク料理/アルザス料理/ノルマンディー料理/ブルターニュ料理/ブルゴーニュ料理/ロワール料理・・・などなどどれも耳にしたことのある名前で、それだけフランス料理は幅広く有名なんだということだ。


飲食店の形態も、レストラン/ビストロ/.ブラッスリー/ブション/カフェ・・・など様々なスタイルがある。


フレンチ、フランス料理というと、レストランのフォーマルなことばかり思い起こしてしまうけど、ワインとチーズ、フランスワインとフランスチーズ、そしてパンですね。フランスパン。もうこれらもフランスをイメージする大切なファクターだ。


こうしてみると、フランスってほんとうに芸術の国というか、美食の国という感じがよく分かりますよね。


普段の日常の食事は和党の自分は、フレンチやイタリアンを堪能するときは、やはり特別の祝祭のときに外のレストランでいただくことが多かった。デートとか、なんかすごくウキウキうれしいときとか。


赤坂見附、表参道、銀座はよく出没していました。


赤坂見附はよく歩いているときに、ここオシャレで素敵だな~と思うと、彼女とのデートで使っておりました。赤坂見附はイタリアンのいいお店があり、そこをかなりの回数使わせていただきました。


もう店名も場所も覚えていないけど、もう存在していないだろうな・・・当時の話ですが、赤坂見附というところは、なかなかそういう自分のイメージにドンピシャとくる素敵なレストランがいっぱいありました。


表参道もよく出没しておりました。

銀座線の地上出口に出たところから徒歩数分のところにこれまた安い、とてもカジュアルで、そして内装がとてもゴージャスなフレンチ・レストランがあり、ここもよく利用していました。デートで使うときも多かったけど、合コンのときに幹事を任されたとき、ここをよく利用していました。大好評だったです。自分は正直に告白すると、合コンというのが大の苦手でした。(笑)付き合いで笑ったり相手に合わせて話していたりしていましたが、早く終わらないかな~とずっと思っておりました。


あと、これも地上出口のすぐそばにありましたが、クリスマスイヴで彼女と食事したフレンチ・レストランがありました。もうこの頃の自分は、バブリーな時代でステレオタイプそのままの行動形式でした。(笑)いま思い起こすととても恥ずかしいです。


表参道もかなりディープなスポットでした。


あと、デートの場所として新宿西口の高層ビル街を使うことが多かったので、ここの新宿センチュリーハイヤット、いまはハイアット リージェンシー東京って改名しているんですね。そこのフレンチ・レストランを使うことも多かったです。


海外旅行では、もうそれメインで訪れますので、非日常感があたりまえです。もう完璧にそれ目的です。だからいっぱい想い出のレストランがありますが、ひとつだけ上げるとすると、2013年に訪問したザルブルク音楽祭のときにゴルディナーヒルシュというホテルです。ザルツブルクのあの最高の人気の通りであるゲトライデガッセにある老舗の高級ホテルです。


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《Hotel Goldener Hirsch》はオーストリア、ザルツブルグにあるホテルで、名称は「黄金の鹿亭」の意。中世の建物を利用したホテルで、15世紀初頭には存在していたガストホーフで、ゴルデナー・ヒルシュの名称での営業は1564年からとされている。


名指揮者、カラヤンが定宿としたことで知られている。


そうなのだ!この年のザルツブルク音楽祭訪問は、音楽祭に行くこともメイン目的でしたが、ザルツブルクに本拠地を置いていたカラヤンのルーツを辿る、という旅でもありました。


アニフにあるカラヤンの墓や家も観に行きましたし、同じアニフにあるムーティの家にも行くことができました。


ザルツブルク音楽祭でカラヤンが定宿としていたホテル・ゴルディナーヒルシュ。ここに宿泊したかったですが、高くて無理でした~。(笑)でもどうしても体験しておきたかったレストランが、このゴルディナーヒルシュの中にあるレストランです。


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近代の造られた造形美みたいな最新のゴージャスさというのではなく、いわゆる岩鉱をくり抜いた空間というか、そういう歴史の重みを感じる空間ですね。これが真のザ・ヨーロッパの美しさだと思います。けっしてゴージャスであればいいという訳でなく、こういう素朴なんだけど昔の面影をそのまま引き継いで歴史の重みを感じる・・・そこにヨーロッパの美しさがありますね。原石の美しさ、といいましょうか・・・決して造られた造形美じゃないです。


このホテルを定宿としていたカラヤンは、もちろん食事でもこのレストランを愛用していました。このレストランでカラヤンがいつも座る定位置の場所があるんですね。いわゆるカラヤンテーブルです。小澤征爾さんの成城学園の増田屋さんのお蕎麦屋さんの定位置の座席と同じです。


厨房近くのレストランの端のほうにあり、1人用テーブル。ここがカラヤンテーブルです。自分は事前にこのカラヤンテーブルに座りたいと要望を出していて、無事そこに陣取ることができたのです。


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レストラン内は、岩鉱をくり抜いた空間というか石でできた空間なので、とにかくすごい響く。そしてなによりもレストラン内の客の話し声が凄く大きくうるさい(笑)。騒然としていてウェイターもかき消されないように、ということですごい大声で話しかけてくる。これだけうるさいレストランは経験したことがなかったです。(笑)


高級レストラン独特の静かな上品さという感じとは正反対な感じです。雰囲気もなんか明るい感じで、でも客の服装はきちんとしている。


敷居はそんなに高いとは感じなかったです。


ここは、とくにフレンチ専門のレストランということではなく、オーストリア料理でしょうね、フレンチも兼ねます、みたいなカジュアルなレストランでした。



デザートのゴルデナーヒルシュ風のクレープとアイスが、視覚的にも最高で、美味しかったです。


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さて、そんなフランス料理、フレンチであるが、自分の人生の中で最高級のフランス料理の経験となったのが、”トゥール・ダルジャン”である。トゥール・ダルジャンはフランス・パリに本店があり、世界で唯一支店として許されているのが、日本の東京なのだ。


トゥール・ダルジャンは、フランス料理の最高級レストラン、グランメゾンである。


まさに、その過程をして「フランス料理の歴史そのもの」と言わしめるほどとなった。


鴨料理が名物。ミシュランの3つ星を長く保持していたことも有名。

現在はパリ本店も、東京ニューオータニ店も、ミシュランの1つ星である。(笑)

やっぱり時代なんですね~。信じられないです。いまや東京のほうが美味しいと評価されているのです。



パリ ラ・トゥール・ダルジャン


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パリ、セーヌ河のほとりに”トゥール・ダルジャン”という鴨料理で有名な老舗レストランがある。創業440年の老舗で、顧客リストには国王をはじめ多くの要人の名が並ぶ。あの昭和天皇皇后も2回訪れたことがある名門レストランだ。パリを代表するこの店の歴史は、まさにフランス料理の歴史でもあるわけだが、しばらく改修していたんですね。2023年の9月にリニューアルオープンしたそうだ。いまネットで知りました。場所や外観は同じだと理解しています。


自分はロンドンに住んでいるとき、パリに遠征してこのトゥール・ダルジャンを体験したことがあります。当時は、ユーロではなく、FF(フレンチフラン)紙幣を握りしめて・・・


トゥール・ダルジャンが鴨料理で有名であるということは当時はまったく知らなかったです。(笑)いまは英語メニューや他の多国語メニューもあると思うのですが、当時はフランス語メニューだけで、なにせ、メニューをViande/Poissonで振るい分けして、あとは想像を掻き立てて、"This One"で指差しでメニューオーダーですから。(笑)愚かでした。。笑笑


もちろんドレスコードはありますので、ピシっとしていきました。


そういう伝統、歴史のある敷居の高い名店ですが、結構恐れ知らずというか、平気でどんどん入っちゃうそういう性格でしたから。いまもそうですが。(笑)たくさんいろんな経験を積むことが将来、自分の糧になる、という考えがその昔からありました。



セーヌ河、そしてノートルダム寺院・・・あのパリの景観がそのまま望める絶景のレストランで、自分は恐れ慄きました。


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自分みたいなアジア人が、西洋人の中に紛れ込んでこんなところに居ていいのかな?と思いました、です。西洋人、ヨーロッパ人の人はすごいゆったりスローモーションで日本人みたいにセカセカしていないですね。なんかゆったりその存在がそのまま絵になる感じで、こういう空間に違和感なく自然にそのまま溶け込んでいる感じがします。私のようなアジア人がそこに溶け込もうとすると無理をするというか、背伸びする感じがどうしても拭えませんが、西洋人の人たちはもうゆったり自然です。悔しいな、といつも思うことです。これはヨーロッパの夏の音楽祭のときのブレークでみんなワインを片手に”ダンケ・シェーン”と通り過ぎるあのゆったりした自然な振舞。あれをどうしても思い出します。


でも、自分の食生活履歴の中で、人生の中で最高の晩餐となったのが、このパリ・トゥール・ダルジャンでの一夜です。これはとても名誉に思っています。クレジットカード払いなので、いくらかかったか覚えていません。5万円というのは当時の東京のほうのトゥール・ダルジャンでの値段です。なにを頼んだのかも覚えていません。


「トゥール・ダルジャン」の7階にあるダイニングへ行くにはエレベーターを利用しますが、そのエレベーターへ向かう狭い通路の両壁いっぱいに飾られているのが、同店で食事した国内外の賓客が残した自筆サイン。王侯貴族、元首、政治家、経済人、文化人や映画スターなど華やかな有名人士のサインが側壁一面にずらっと並ぶ。


これは圧巻ですよ。 こんなところにオレ入っていいのかな?と怖くなりました。






1582年、フランスではアンリ三世の時代であり、日本では大阪城が建てられた頃。パリの中心、5区のセーヌ河畔、ノートルダム寺院を望むサンルイ島の前に一軒の旅籠が誕生。そこからは銀の塔(フランス語でトゥールダルジャン)と呼ばれる、太陽の光に反射して銀色に輝く雲母で飾られた塔が眺められました。貴族のための旅籠を造ろうとしていた主人は、国王に願い出て、店の紋章にこの塔を使う許可を得ました、これがトゥールダルジャンのルーツ。シェフの料理は評判を呼び、遠くイタリアの貴族達も噂を聞いて訪れるようになりました。


1582年のある日。鹿狩りの帰りにアンリ三世と貴族たちが「トゥールダルジャン」に来店。隣のテーブルではフィレンツェから来た貴族の従者が小さな尖った道具を取り出して肉に突き刺して食べていました。この道具に興味を持った国王が尋ねたところ、ヴェニスから届いたばかりの発明品であるとのこと。これがフランスの食文化史上初めてフォークが登場した瞬間。国王はさっそくこの道具を取寄せ、フォークの存在は広まっていきました。


19世紀末、パリの貴婦人たちの間で圧倒的な人気があったレストラン「カフェ・アングレ」の娘と、当時の貴族の館「トゥールダルジャン」の子息が結婚。これにより、ふたつのレストランはひとつになりました。これが現在の「トゥールダルジャン」なのです。カフェ・アングレの偉大なワインセラーも、トゥールダルジャンに統合され、この融合によってフランスの食文化はさらに広がりを見せたといえます。カフェ・アングレのオーナーであったクローディアス・バーデルは、現在のトゥールダルジャンのオーナー、アンドレ・テライユの曾祖父にあたります。



数多くの著名人に愛されたことでも知られる「トゥールダルジャン」。例えば、グレース・ケリー、チャールズ・チャップリン、クリスチャン・ディオール、ジャン・コクトー、アメリカのフランクリン・ルーズベルト大統領、フランスのフランソワ・ミッテラン大統領や、日本をはじめ各国のロイヤルファミリーの方々などさまざまなセレブリティをおもてなししてまいりました。そして、門外不出だった「トゥールダルジャン」の歴史を大きく塗り替える出来事が。1984年、ホテルニューオータニ開業20周年記念事業の一環として、パリ本店と同じく約400年の歴史を誇る日本庭園を望む地に「トゥールダルジャン東京」をオープンしました。フランスと日本の食文化の架け橋として、パリのエスプリと伝統を大切に守りながら、進化し続ける本物のフランス料理を今日もお届けしています。


(以上トゥール・ダルジャン公式HPより抜粋。)


このパリのトゥール・ダルジャンに関するエピソードとしては、


・19世紀末に活躍した給仕長のフレデリック・デレールは、手がけた鴨の一羽一羽に番号をつけ提供するというアイデアを発案し、これが現在でも引き継がれている。


・1921年6月21日、昭和天皇(当時は皇太子)のパリ来店に際し53,211羽目の鴨で、1971年の2度目の来店に際しては423,900羽目の鴨でもてなした。東京店では、これに由来し、53,212羽目の鴨からナンバリングしている。


・ソムリエのメッカ(聖地)としても知られ、数多くの有名ソムリエを輩出している。


・ドラマ「半沢直樹」シーズン2のロケ地として登場し、半沢の「3人まとめて1000倍返しだ!!」や大和田との「タンデム土下座」などの名シーンで登場する。


などがあります。


自分にとってなんとも最高なのは、


あの美食倶楽部の創設者で有名な、陶芸家、美食家の北大路魯山人が、このパリのトゥール・ダルジャンで、鴨料理を「ソースが合わない」と評価し、持参したわさび醤油で食べたとされている逸話です。(笑)



そして・・・そうなんですね。東京の赤坂見附のホテルニューオータニに、このトゥール・ダルジャンの東京支店”トゥール・ダルジャン東京”がオープンしたのです。1984年のことです。


フランス料理の最高峰に立つパリのトゥール・ダルジャンから唯一その支店展開を許されたのが東京です。


トゥール・ダルジャン東京


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当時、東京にもトゥール・ダルジャンがある、ということを知ってさっそく行きました。彼女と2回、1人で1回かな?1回あたり5万かかったような記憶が鮮烈に残っています。


”フレンチに5万円をかけて堪能する。”


まさにバブルの時代、イケイケの時代、ワンレンボディコン、ディスコお立ち台、お金が天空に舞い踊る・・・そんなお金の使い方が青天井だった時代です。


ちなみに、この5万円の中には、Service Charge (サービス料)も含まれています。


いまこうやってネットから写真を拝借すると、自分の当時の記憶とちょっと違いますね。もっと暗くてすごいインテリア装飾があったような記憶があるのですが、たぶん夜だったからでしょうかね。


もちろんドレスコードあります。男性はジャケット着用を義務付けられています。


もちろんメニューは、日本語なんですが、そのときもトゥール・ダルジャンは鴨料理が名物料理ということを全く知りませんでした。(笑)なんか全然違うコースを頼んでいたような気がします。鴨料理ってまったく記憶にないです。


自分の日本でのフレンチ体験でも、このトゥール・ダルジャン東京が最高峰になります。

これ以上の経験はないです。




約400年の歴史を誇るトゥール・ダルジャン。


伝統を継承しながら、常に革新を続け、時を超えてフランスのエスプリである「アール・ドゥ・ヴィーヴル」(美的生活)をお伝えし、人生の幸福な時間を彩る存在として、フランスと日本の食文化の架け橋として歩んでいるトゥールダルジャン 東京の世界をひも解きます。




トゥール・ダルジャン東京のシェフは、


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ルノー オージエ Renaud Augier

エグゼクティブシェフ


レストランの経営をしていた祖母の影響で、幼い頃から将来の夢は料理人。16歳で一ツ星レストランでの修行をスタートさせ、その後も夢に向かって突き進んできました。愛する日本で、フランス食文化の魅力をお届けする事に誇りを感じています。これからも約400年のトゥールダルジャン パリ本店の伝統とエスプリを継承しながら新しいクリエイションをお届けいたします。



2019年度M.O.F.(フランス国家最優秀職人章)を受章しました。M.O.F.(Meilleur Ouvrier de France / フランス国家最優秀職人章)は、フランス料理界最高峰の栄誉であり、M.O.Fは例えてみれば、ちょうど人間国宝にも相当する称号といえるでしょう。


料理部門で選ばれた7名の内、最年少での受章。日本在住のシェフがM.O.F.に選ばれるのは実に37年ぶりであり、今世紀初の快挙。5月13日には、パリのエリゼ宮でフランス大統領からメダルを授与され、新たなM.O.F.の誕生となりました。




誤解のないように言っておきますが、いままで書いてきた自分の経験は、いまから30年前のことを言ってますよ。いまこんな生活している訳じゃありませんよ。(いまは毎朝納豆ご飯です!)イケイケだった時代の話です。


先日、東京オペラシティビルの53Fにある松坂牛 よし田で並んでいて、すき焼きやしゃぶしゃぶで5万円と知って、急にトゥール・ダルジャンのことを思い出しました。いままで完璧に忘れていました。記憶が遥か彼方にありました。


それを突然思い出しました。


自分の中で最高の贅沢の晩餐である”トゥール・ダルジャン”を、老後貧乏に入る前にもう一度だけ、”最後の晩餐”という形で体験してみる?と計画中です。


いま公式HPでメニューを確認してみると、ディナーで、2,2000円~3,3000円くらいですね。すごい安くなったんですね。当時は間違いなく5万かかりました。自分の記憶の中に強烈に残っています。


今回はぜひ鴨料理を食べてみたいです。


もちろんバシッと正装します。喪服でもいいですか?(笑)


”美食倶楽部 トゥール・ダルジャン~最後の晩餐”


として日記を書こうと思っています。



トゥール・ダルジャン東京に現れて、鴨料理を頼んで、”このソースは合わない”ときっぱり言い放ち、持参のわさび醤油で食べてみたいです。(笑)それこそがこの体験記を、”美食倶楽部”の連載とする北大路魯山人へのオマージュになると思っています。














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