SSブログ

ポリーニ・アルゲリッチ世代 [クラシック演奏家]

イタリアの世界的ピアニスト、マウリツィオ・ポリーニが昨日亡くなったというニュースが世界を駆け巡った。ほんとうに今年はなんという年なのだろう。自分のプライベートでの激震もそうだけど、クラシックでは、小澤征爾さん、そして今度はポリーニだ。


自分の世代、そしてクラシック界で一時代を築いた巨星がつぎつぎと亡くなっていく。


もう、これはクラシック音楽界だけではない。俳優さん、タレントさんの世界でも、まさに自分のリアルタイム世代の方がどんどん亡くなっていく。あ~、あの方も亡くなったか~。子供の頃、いろいろ想い出がある。。


最近、そういう経験がすごく多くなってきている。


自分が思うに、自分の人生にとっていままで関わってきたものをすべてこの年で清算して新しい世界へと誘っている、そういう人生の新しい局面、節目、変わり目なんだ、というような気がしている。


自分と繋がっていたものが、つぎつぎと自分の元を去っていく。離れていく。

これは自分にとっても新しい出会いが待っているという前向きな気持ちで捉えるべきなのだろう。


歳をとること、還暦を超えていくと、自分といっしょに同じ時代を過ごしてきた同士がどんどん世を去っていく。お別れを体験することが日常茶飯事になっていく。


人間ってある年齢になったら、そういう同志たちが先に世を去って、そのお見送り、追悼をする、という機会があたりまえのようになっていく。


それはいままでのそれ以下の年齢ではいっさい関係なかったこと、起こらなかった事象だ。そういうことを日常茶飯事に経験するようになったということは、自分はそれだけ歳をとったということなのだ。そういうことを経験する年齢のリミットを超えたということ、そういうシニア世代の仲間入りをしたということ、それだけ歳をとったということだ。


これからの自分は追悼文を書く、という作業も大事な自分の仕事となっていくに違いない。

そして追悼文を書くことが、これからどんどん増えていくに違いない。


やはり、自分と同じ時代を生きてきた有志、自分との接点、関りを中心に、その人の素晴らしい経歴、業績をいま一度、世に再認識してもらうこと、そして心からの感謝、愛情をもって送り出してあげること。


これが自分に課せられた使命であろう。

これからこういう仕事があらたにどんどん増えていく、ということだ。





クラシックのリスナーにとって、”ポリーニ・アルゲリッチ世代”というのが必ずあるに違いないと考えている。


271241541_4691384624241854_8063428924036912673_n.jpg


433879074_955249189303603_6406270088565058770_n.jpg


10371972_4202228270685_9096511672821585997_n.jpg






E3839EE383ABE382BFE383BBE382A2E383ABE382B2E383AAE38383E38381.jpg


25940505_2296186698_2large.jpg


E382A2E383ABE382B2E383AAE38383E38381E38195E38293E58699E79C9F.jpg



1970年代から1990年代、そして2000年あたりまでの30年間。ポリーニとアルゲリッチは、クラシック・ピアノ界の顔ともいうべき存在だった。まさに類まれな天才2人が、こうやって同時期に現れたのも、偶然ではなくなにかしらの運命だったと考えるべきだ。


ポリーニもアルゲリッチもショパン系のピアニストとしてが出自で、ポリーニは、1960年にショパンコンクールで優勝。アルゲリッチも、1965年にショパンコンクールで優勝している。


まさに同じ時期にすい星のごとく現れた。


これだけの才能に恵まれて、華のある大スターが、お互い切磋琢磨してクラシック・ピアノという分野を牽引していった、というのはまさしくひとつの時代だったといえる。


そして、そのポリーニとアルゲリッチで、自分はクラシックのピアノ曲を勉強しました、というリスナー、聞き手の世代が、まさにいるはずなのだ。


まさに自分がそうなのである。


自分は、ポリーニ・アルゲリッチ世代ど真ん中の人で、クラシックのピアノの曲を自分のものにしていこう、一生懸命勉強していこうと修行していた時代。まさにポリーニ・アルゲリッチの録音で、一生懸命勉強していたのだ。


自分がクラシック入門の扉を叩いたときから、2人はすでに大スターだった。


2人のピアニズムはもう全然正反対というか、まったく似ても似つかないまったく違うタイプのピアニストだった。


ポリーニは、非常に紳士的で静かな人、そしてピアノはもうコンピュータのように精緻な打鍵で、まさに”ピアノが上手い”というお手本のようなテクニシャンであった。肌合い感としては、クールな知性派ピアニストという装いで、でも中に熱いものを秘めている、そういうタイプだった。CDのジャケットは、つねに背広にネクタイという紳士服スタイルである。


それに対してアルゲリッチは、情熱的な人で、激しい強打腱、そしてある意味一本調子とも言えるくらい突っ走るタイプ、激しいバイオリズムのあるピアノが特徴で、それが女性で超美人である、ということと相まって絵になる、そういうピアニストだった。けっして優等生ではなく、非常に恋多き女性で、愛情の深さ、激情家、失敗も多々あるといったその波瀾万丈な人生にとても人間っぽい俗っぽさ、そういうギャップが誰からも愛されるというそこに秘密があったように思う。


”静と動”


そんな感じでまったく正反対のタイプだった。


ポリーニとアルゲリッチは、お互いぜんぜん違うキャラクターで、どうなのだろう、共演などの接点もそんなにあっただろうか?でも自分たちが、この30年間のクラシック・ピアノ界を牽引していっている、という自覚は自分の中に間違いなくあって、そういう意味でお互いを意識していたことは間違いない。いい意味でお互い切磋琢磨していくライバルだったのである。


それがリスナー、聞き手にとっての”ポリーニ・アルゲリッチ世代”の我々による2人に対するイメージだ。




またこの時代、クラシック音楽界では、アーティストとメディア、評論との関係についても今とは違う独特な関係性があったように思う。いわゆるある演奏会での演奏に対して、歯に衣を着せぬ忖度のない評論、そして正確な分析、でもその評論がいくら厳しい辛口であっても、そこには品格があり、読者を納得させるだけの根拠が感じられ、アーティストのためという親心も垣間見え、そしてアーティスト側もそれに発奮して、それに呼応できるように次回以降に自分の演奏にその意見を取り入れていく、そういう真剣な戦い、やりとりがあったように思う。


忖度のない評論に対しても、両者間には信頼関係があったように思う。


そういう関係性で得られた結果として、、メディアはそのアーティストを最終的に承認するという感じで、お墨付きを与え、そしてその時代を代表するアーティスト、巨匠というような位置に祭り上げる。。。そういうゲームがあったように思う。


いまは、やはり時代なのだろうか、お互い優しい関係だ。褒めていくことで、そのノリの邪魔をしないように、逆を言えばそのノリを加速してあげるようなプッシュ型の関係のように思う。褒めていくことで伸ばす。ノリを加速させてあげる。そういう関係性のように感じる。協調型というか、お互い良い気分でそして良いところを伸ばしていく。。そういうスタイルのように思う。


まっ時代なのだから、それをとやかくいうのはよくないと思うが、そういう厳しい関係にあった時代のアーティストは、その後にカリスマとして存在感があって、その時代を代表する顔になり、ずっと輝いていっているのも、そういう関係性、その鍛錬のおかげなのではないか、と思うのである。


クラシックのリスナーに対して


”ポリーニ・アルゲリッチ世代”


と呼ばせるくらいの存在感になるということは、やはりそういう当時の時代背景があるのではないかと絶対思う。


いまの時代、そして今後のクラシック音楽界で活躍するアーティストで、このように呼ばれるだけの、時代の顔となるだけのアーティストが今後出てくるかどうか。。


自分はなかなか難しいのではないか、と考えている。時代が違う、時代背景が違うというしか言いようがない。


ポリーニは、そういう時代のカリスマだったので、その人が亡くなるというのは、まさに一時代の終焉で、自分のクラシック人生においてもひとつの区切りだな、と思うのである。



また最近、歳をとるにつれて、薄々感じてきているのだけれど、クラシックを学ぶという謙虚な姿勢、そしてコンサートに通って感動する、そういう自分の熱中度合いが段々希薄になってきているように感じる。


若いとき、とにかくクラシックを勉強したい。ショパン、ベートーヴェン、モーツァルト、シューベルト、シューマン・・・それぞれの作曲家の曲、それも交響曲、協奏曲、そしてピアノソナタ、ヴァイオリンソナタ・・・そういう曲を全部自分のものにしたい!


そういうガムシャラさがあった。


自分にとって新しい世界、未知な世界をもうどんどん吸収していく。もう無我夢中でガムシャラである。そこにはあまり理論とか理屈とか存在しなくただガムシャラに聴きまくってその都度新しい発見に感動する。そういう無我夢中という状態があった。


もう好きで好きでたまらない、である。そういう純真無垢な時代は、その時代に夢中になったもの、好きだったものは、後年、そしてものすごく未来永劫自分の中に残るものなのである。忘れ去ることができないものなのである。


ある意味この時代がいちばん大事なのかな?


歳をとってきて、経験やキャリアを重ねていくと、そういう好きという感覚と無我夢中という感覚がだんだんなくなって、どちらかというと俯瞰したモノの見方をするようになるんですね。それも自分の過去の膨大な経験をものさし基準とした俯瞰したモノの見方。


だから慣れと言うか、感動度合いもなくなってきて、すぐに忘れてしまい、後年、あまり自分の中に残らない。


だから自分にとって自分の世代のアーティストは未来永劫追っていくけど、歳をとってくると、若い世代のアーティストはすごく興味があって応援したいのだけど、頭や体がついていかない、というのはそういうことなのかな、と思っています。



でもいざ、若いアーティストの演奏を聴くと、もうすごく大感動するんですけどね。(笑)なによりも見通しが明るいというか、自分の中に潜んでいる閉塞感を一気にぶち破ってくれるようなストレスフリー、抜け感があって、最高に気持ちいいんですけどね。未来が明るい、可能性を感じる、そういう前向きな印象を受けます。


そのときにいつも後悔する訳です。もっと若い世代のアーティストのコンサートに足を運ばないと、と。


だから、自分にとって、ポリーニ・アルゲリッチは、まさに無我夢中で好きで好きでどんどん吸収していた時代の人。だからいつまでも忘れられないし、未来永劫、自分の中に残っているものだと思います。


自分にとってポリーニは、とにかくCDを聴きまくった人。ポリーニの録音はほとんど持っていた。

修業時代、まさに毎日ポリーニのCDを片っ端から1日中聴きまくっていた。


ショパン、ベートーヴェン、モーツァルト、バッハ、シューベルト、このあたりのいわゆる古典派の作曲家を主なレパートリーとしていて、やっぱり自分にとっては、ショパンとベートーヴェンがいちばんポリーニの演奏活動の中で核になっているところではないかな、と思う。


ショパンはやっぱり自分の出自だし、ここが自分のピアニストとしての原点、基本というところがあったと思う。そうしてベートーヴェンは、まさしく39年というピアノ人生をかけて、ピアノソナタを全集としてコンプリートできたところが大きな業績だ。まさにライフワークだ。



449.jpg


ショパン練習曲集(エチュード) マウリツィオ・ポリーニ(1972)



ポリーニは、1960年ショパン・コンクール優勝後に一度10年間ぐらい演奏活動から遠ざかり、その後録音を再開した。


このショパン『練習曲集』は、多くの人を驚愕させ、彼の存在を世に知らしめたのだ。このエチュードは、完璧なテクニックと高い音楽性を発揮した、いまなおショパン演奏史の金字塔のひとつと称されている名盤中の名盤である。


648.jpg


ショパン夜想曲集 マウリツィオ・ポリーニ(2CD)



「ショパン・コンクールに優勝して以来、ショパンは私の人生の一部になった」と語るポリーニによる夜想曲。ポリーニ80歳のときの最晩年の録音。結構自分の想い出深い作品です。結構ヘビロテで聴いていました。ショパンのノクターンは素晴らしいです!


314.jpg


ベートーヴェン ピアノ・ソナタ全集 ポリーニ(8CD)




ポリーニのベートーヴェン:ピアノ・ソナタ全集が39年の月日をかけて完成。ポリーニが30歳代~70歳代に至るまでかかった。まさにライフワークである。単売CDアルバムは、全部で9点あって、それを全部集めていた訳ではないのだが、自分のアンテナに刺さったときは買い集めていた。でも完成してBOXになったら、もちろんBOXも買いました。




659.jpg


モーツァルト ピアノ協奏曲第21番、第17番 マウリツィオ・ポリーニ、ウィーン・フィル



660.jpg


モーツァルト ピアノ協奏曲第24番、第12番 マウリツィオ・ポリーニ、ウィーン・フィル




2000年代になると、自分が弾き振りをやってウィーンフィルとモーツァルトのコンチェルトをリリースしたりして驚いた。ところがこれが素晴らしいんだよね~。ポリーニってやっぱり上手いな~としみじみ思うくらい、あのモーツァルトのコロコロ感のある曲とポリーニの正確無比な精緻な打鍵とが相俟って最高なモーツァルトだと思いました。録音も素晴らしくて、この録音は結構自分のヘビーローテーションになってました。



440.jpg


バッハ平均律クラヴィーア曲集第1巻 全曲 ポリーニ(2CD)



バッハの平均律クラヴィア集も出したりして、ポリーニがバッハ!!!新境地なのかな~という感じで驚いたこともありました。でも素晴らしくて、決してピリオドではなくモダンなアプローチな平均律でした。これもヘビロテでした。


ポリーニには、録音で特別の想い出があります。それはショパンのピアノ協奏曲第1番。ショパン・コンクールでファイナルでの課題曲である。自分はこの曲にずいぶん嵌ってしまったことがあり、好きで好きで堪らなかった。いろいろなピアニストの録音を集めて聴いていた時代がある。



最新録音の音のいい録音は確かにいいとは思うけど、自分がどうしても忘れられない、この曲だったら、この1枚というのがあるのだ。


それがアルゲリッチが優勝した時の1965年のショパンコンクールでのショパンピアノ協奏曲第1番。


25940505_2296186697_40large.jpg


もうすでに廃盤になっていて、中古市場にしか出回らないディスクになってしまったが、自分はこの曲だったら、この演奏がどうしても忘れられない。ある意味、この曲の自分のバイブル的な存在にもなっている。


当時のコンクール・ヴァージョン的に編集されたショパンピアノ協奏曲第1番で、現代の完成度の高い作品と比べると聴き劣りするかもしれないが、自分の中では、この曲で、この盤を超えるものはないと思っている。



とにかくいま聴いても、身震いがするほど、新鮮で衝撃的だ。若い頃に、この録音を聴いて、当時のショパンコンクールでアルゲリッチが優勝した時ってどんな感じだったんだろうな~ということを夢想していたことを思い出す。


彼女の録音を買いまくっていくうちに、彼女の原点はこの1965コンクールの演奏にある、ということに行き着いたのだった。



なぜ、アルゲリッチのショパンコンクール1965の演奏なのか?



アルゲリッチは、その後、後年にこのショパンのピアノ協奏曲第1番を何回も再録している。でもそこには、自分がコンクールライブ盤で感じたような緊張感、鋭さというのを感じなかった。どこか、創り込まれている安心な世界での表現で、ビビッとくるほど緊張や感動をしなかった。


追い込まれた極度の緊張感の中でしか起こり得なかった奇跡、そんなミステリーがこのライブ録音にはある。


コンクール独特の緊張感、まさに伝説の名演奏。

この曲のこれに勝る名演奏はない。


アルゲリッチ本人も、このショパンコンクール録音が気に入っていたという話もある。


とくに第3楽章の冒頭でピアノが最初に入るところ。


ここはアルゲリッチのこのコンクール盤では、まるで鍵盤の上でピンポンが跳ねるように、じつにリズミカルに跳ね上げるように弾く。これが自分には堪らなかった。


それ以来、この曲を聴くときは、この部分はどうなのか?を聴いて、この盤はよい、よくないなどの判断をするようになってしまった。(笑)


それくらい自分にとって大事な箇所だった。


他のアーティストのこの曲の録音のこの部分は、大抵なめるように、軽やかなにさらっと弾き流すのだ。これが自分には物足りなかった。もっと強く鍵盤を弾くかのようにピンポン的に弾いてくれるのが好きだった。



アルゲリッチでこの録音に行き着いたとき、自分は当然、じゃあ、1960年優勝のポリーニのショパン ピアノ協奏曲第1番はどうなのだろう?と思うことは当然の成り行きだ。


なにせ、ルービンシュタインに我々審査員のだれよりもうまい、と言わしめたポリーニである。そのショパンコンクール1960のときのショパン ピアノ協奏曲第1番の録音がないかどうか、もう猛烈にポリーニのディスコグラフィを調べまくった。


ポリーニってこの曲にあまり拘りがないのか、後年この曲をきちんと録音として残すということはしていないみたいだった。ところが、ポリーニ・エディションという、いわゆるポリーニのDGからリリースされた録音全集のようなBOXがDGからリリースされた。


433572091_10224384332137875_7822468794392480625_n.jpg



このBOXの貴重な音源として、このポリーニが優勝した1960年のショパン・コンクールのときのファイナルのショパン ピアノ協奏曲第1番が収録されている、というではないか!!!


もう自分は色めきだった。

長年探し続けてきた恋人にようやく出会えたそういうときめきの瞬間であった。

もう即決で購入!


そしてドキドキしながら、そのショパン・コンクール1960のときのショパン・ピアノ協奏曲第1番のポリーニの演奏を聴いた。


ついに・・・という感じで黄昏がれて聴いていた。この曲はあまりに聴きまくったので、とくにポリーニだからとか、とくにめちゃめちゃ上手いとも感じず、それなりにまっ普通の演奏だな、と感じた。肝心の第3楽章の出だしのところは舐めるようにスラっと演奏していた。


でも、自分にとっては、あの伝説のショパンコンクールでのポリーニのショパン ピアノ協奏曲第1番が聴けて、溜飲を下げた思いである。


その後、学研から出ている過去のショパンコンクールの記録映像をDVDコレクションにした”ワルシャワの覇者”も入手して、ポリーニが優勝した1960年のショパン・コンクールでポリーニが演奏しているその姿も拝見できた。感動であった。


25940505_2512300667_232large.jpg


25940505_2512300663_88large.jpg



ポリーニは、1960年のショパンコンクール優勝のときに、その当時の審査員長のアルトゥール・ルービンシィタインから、”ここにいる審査員の誰よりもうまい”と言わしめた伝説がある。


とにかくポリーニというと、”ピアノがうまい”というのが代名詞であるくらい高度な演奏技能を持ったテクニシャンだったと思う。ショパンのエチュード練習曲もそうだけど、とにかく人間業とは思えないようなコンピューターのように均等で正確なリズムを叩き出す打鍵の精緻さがあって、そしてなによりも安定感がある。語彙不足で申し訳ないのだけど、これだけの名演は存在しない、というくらい”ピアノがうまい”というそういうイメージが自分の中に強烈に存在している。


ポリーニはとにかくピアノがうまいのだ。そしてクール。コンサートやCDジャケットでも衣装はつねに、背広にネクタイ、紳士服姿。まさにクラシックの正統派の道まっしぐらの優等生で知性派のテクニシャン。技能は高くて熱いけど、見た目はクールで温度感低め。そういうピアニストだったと思う。


そうして、ルックスがいつも決まっている。加齢による劣化はあるにしろ、生涯そのアーティストイメージが固定だった奇遇稀な人だったと思う。


まさに、ポリーニ!!!である。


ベルリン・フィルが招聘するソリストとしては、ポリーニ・アルゲリッチは、クラディオ・アバドの時代にその全盛期を迎えた。


434040771_7276826275732994_1698010124219497471_n.jpg


420168963_7276825702399718_8707985336378894485_n.jpg


190901_10152123332640724_166186857_o.jpg


315169901_456045346646700_3285341483706325817_n.jpg



いま現在のベルリンフィルは、招聘するソリストは、それこそいろいろ多彩だが、当時は、とくに録音が絡むと、ベルリンフィル側も顔になるソリストということで固定メンバーで宣伝することが多かった。


カラヤンの時代では、ヴァイオリンではムターで、ピアノではワイセンベルクとかである。で、アバドに時代になって、ピアノならポリーニ、アルゲリッチが顔として招聘されるようになった。


自分では録音では、このメンバー組み合わせで随分愛聴した。


とくにポリーニとアバドは盟友関係にあった。同じイタリア・ミラノ生まれの同郷の指揮者クラウディオ・アバドとは親友であり、芸術上のパートナーであり、数々の協奏曲で多くの共演を行っている。そして政治的・社会的活動においても志を同じくし、イタリア共産党員であった作曲家ノーノとも深い親交があった。


アバドの楽団、たとえばルツェルン祝祭管弦楽団などいろいろ共演を重ねた。


自分はやはりポリーニというとアバドと条件反射的に思い出すほど、このコンビ、ペアは仲が良く、まさに盟友という感じで自分の記憶に深い。


ポリーニといえば、見かけはクールなんだけど、結構、内は芯の強いものを持っているエピソードもあって、自分の記憶の中に強烈に残っている。



ポリーニは日本でのコンサート会場としては東京文化会館にこだわりを持っていた。


サントリーホールが完成した1986年でもすぐにはサントリーホールを使わず、東京文化会館を使用していたのだ。サントリーホールを使い始めたのは、1998年あたりから。ポリーニが言うには「東京文化会館は音の明晰さに特徴があります。その点サントリーホールと違います。とはいえ、現在の東京の音楽活動はサントリーホールが中心になっているので移したわけです。サントリーホールも素晴らしいホールで楽器を響かせる点では優れている。でも今でも東京文化会館のクリアな響きに郷愁を感じています。」と言っていました。


たしかに東京文化会館の小ホールは石造りのホールで室内楽スペースの容積で非常に響きが素晴らしい。ピアノリサイタルという規模であれば、サントリーホールの大ホールでやるよりも東京文化会館の小ホールでやるほうが響きも素晴らしく最適であろう。


でも、音楽ビジネスには収益規模という大事な要素がある。ポリーニくらいの大スターを海外から招聘するにはすごい費用が掛かる。それを小ホールの観客人数ではペイしないのは明白だ。やはり大ホールくらいの観客人数でないとその分の収益を回収することが難しいのが現実である。昨今のコンサートでは、ピアノリサイタルや室内楽を大ホールでやるのはそんな理由もあると思われる。もちろん響きの観点からは、室内楽はやはり小ホールでやることがベストだとは思うのですけどね。


自分は、ポリーニの実演は、意外なことに1回しか経験がない。

自分にとって、ポリーニといえば、もうCDの人、録音の人なのである。

録音で徹底的に聴いた人なので、なかなか実演に足を運ぶというのが遅かった。


2010年10月のサントリーホールでのピアノリサイタルに足を運んだ。


このとき、ポリーニが自分のリサイタル(サントリーホールのときだけ?)でいつも実現しているポリーニ・シートというのも目にすることができた。


25940505_807746329_178large.jpg



この写真のように、お客さんをステージにこのようにピアノの周りに座らせる特別座席を用意するというものだ。

ポリーニのじかに弾いているところを間近で見れるという特別待遇だ。



1.ショパン 24の前奏曲

2.ドビュッシー 6つの練習曲

3.ブーレーズ ピアノ・ソナタ第2番



ポリーニは後年、ドビュッシーもレパートリーに入れるようになり、それを聴けたのがうれしかった。ブーレーズのピアノソナタ2番は大曲で凄かったですね。


この座席だと、ピアノの打鍵の響きがつぎつぎと重なり、飽和して聴こえるような音響でちょっと困惑しました。ピアノリサイタルではここはあまりよくないかもしれない。


なによりもポリーニの実演をじかに見れた最初で最後のコンサートであった。

いまでもよく覚えていますよ。


その後、日本には何回も来日してくれて、その都度行くチャンスがあったのだけど、ポリーニは晩年で、やはり全盛期の頃からからすると衰えが激しいとか、あまり芳しい評判は聞こえてこなかった。ポリーニの晩年は、晩節を汚すというところもあったと思う。これだけ衰えが大きくても、ポリーニというビッグネームに人は集まる。自分は、そんなヨレヨレのポリーニを聴くのが、正直なところあまり気が進まなかった。ポリーニのチケットはすごい高額ですし。



イタリアの世界的ピアニスト マウリツィオ・ポリーニ 82歳。本人に悔いはない人生だったと思う。

そして大ピアニストとしてのその痕跡は、クラシック音楽界に多大なる影響をもたらし、これからもそれで勉強していく音楽家、クラシックファンは多いと思います。


偉大なピアニストだったと思います。


心からご冥福をお祈りします。


R.I.P.















nice!(0)  コメント(0) 

nice! 0

コメント 0

コメントを書く

お名前:
URL:
コメント:
画像認証:
下の画像に表示されている文字を入力してください。

※ブログオーナーが承認したコメントのみ表示されます。