永代供養 [葬儀・墓・供養]
父と母が自分の命と引き換えに子供たちの自分に教えてくれた葬儀のしきたり。自分は奥さん、連れ合いがいないので、おそらく葬儀は、この父と母の葬儀が終わったことで、今後、自らが葬儀を取り仕切ることももうないだろう。
葬儀は、やはり自分が当事者とならない限り、ほんとうの意味で理解することは難しいと思うのだが、でもよく考えてみるとここは事前にアドバイスしてあげておかないと、その葬儀当日になって本人たちも路頭に迷ってしまうこともあると思い、まっ、あくまで自分の経験に基づくものだけどアドバイスすることにした。
人生の中で、葬儀を取り仕切るというのは、父と母と、連れ合い、そして不幸が重なって自分の子供という大体これだけじゃないか。それ以外に取り仕切ることはないと思う。
自分は奥さんがいないので、父と母だけだ。
それでも父と母の葬儀を取り仕切っただけでも、よくやった!子供としての責任を果たした、と自分を褒めてあげたい。父と母の葬儀は、子供にとって絶対避けて通れない人生最大の試練だ。誰しもがこの難関を通らないといけない。
お金のことなんだが、やはりこういうことはあらかじめアドバイスしてあげておいたほうがいいのではないか。葬儀当日になって、これは困った!と路頭に迷っても困るだけだ。自分は知っているのに、そのことを言わないのもなんか気が引けて・・・
やっぱり葬儀を取り仕切る、ということは、最終的に費用の問題、お金に関する問題に行き着くというのが自分の偽らざる印象だ。
葬儀になった場合、喪主と施主という2人の役割を親族の中で決めないといけない。
「喪主」・・・葬儀を執り行う責任者。 故人様に代わり参列者を迎える遺族の代表者。
「施主」・・・葬儀費用を負担する人。
父親が亡くなった場合は、喪主は母親で、施主は長男が担う。父がすでに故人で、母親が亡くなった場合、喪主と施主は長男がおこなう。(あるいは家庭の事情で、喪主は長男、施主は長女という場合もあるだろう。)
自分の場合、オヤジが2014年に亡くなったときは、喪主はおフクロ、施主が自分。そして今回のおフクロが亡くなったときは、喪主・施主とも自分が担った。
葬儀というのは、葬儀費用を払う人、施主が一番のキーパーソンだと自分は思う。
葬儀自体は、もう葬儀会社はその道のプロなので、葬儀会社がきちんと葬儀のルール、しきたりに則って、その通りに進行してくれるので、自分たちはそのレールに乗っているだけなのだけど、問題は葬儀が終わりました。はい、請求書がきました。それ払ってください、というときに、それが支払えるかだ。
亡くなられた場合は、とにかく焼かないといけない。(笑)そのままだと腐敗してしまうので、とにかく焼かないといけない。だから一連の葬儀は終わらせないといけない。そしてお骨にしてお寺に納骨してそれで一件落着。それはもうきちんとレールが敷かれているので、遺族はその通りに従うだけなのだ。
それは、2~3日で全日程が終わってしまう。3日あれば、すべて終わってしまうのだ。
いちばん親族にとって緊張する場面は、その支払いのときに、どれくらい請求されて、それを現金キャッシュできちんと支払えるかどうかだ。自分の父と母の葬儀でお世話になった葬儀会社だけかどうか、わからないけど、葬儀会社ってクレジットカード払いは受け付けないのだ。あくまで現金キャッシュのみしか支払いは認めない。
だから自分の口座残高で何十万円、百万円近くを預金で持っていないとダメなのだ。請求が来たら、葬儀が終わった後、すぐに銀行のATMで何十万と降ろして、すっきり現金払い、そういう世界なのだ。
介護施設の母親がかなり具合が悪く、覚悟しておくように。。。と病院から最後通達が来たとき、まず親族にとって、とりわけ長男である施主の自分が心配したのは、葬儀の支払いがニコニコ現金払いできるかどうか、だった。
お金の話というのは、芸術面でもそうだけど、あまり表に出すと、はしたない、お金のことはあまり表で言うもんでないというのが、世間の常識だが、そういう綺麗ごとを言う人は大体そういう汚れ役を担っていない人の場合が多く、実際物事がちゃんと動いているのは、そういうお金の面を下支えできちんと綺麗に処理しているから物事はスムーズに進んでいるように見えるのだ。
なので、まず両親がご健在の場合、まずそういう将来に向けて、現金でその分の預金の確保をしておくことをお勧めします。あとで説明するが、通常みんな生命保険に加入している場合が多いから、その生命保険が降りてから、葬儀会社に支払いしても大丈夫だとは思います。事情を説明すれば、葬儀会社は待ってくれるとは思います。
そんな自分の預金で、何十万、百万の残高、余裕であります、なんてあまりないですよね。(笑)
自分の経験から、親戚などのご香典が集まって、その香典全部集めると、葬儀代が全部ペイしてしまう、という経験もあった。自分の父親の葬儀がそうだった。なんだ、葬儀ってあっけないな~ご香典で採算とれるなんて・・・と思ったことがある。
でもご香典は水物。あまり綿密にあらかじめの見積もりには入れておかない方がいい。案の定、今回の母親のご香典はあまり集まりませんでした~。(笑)大赤字です。。。
まず、親の葬儀に向けての準備段階として、もしものときに、どこの葬儀会社を使うかをきちんと決めておくことだ。地方の地元であれば、大体そこひとつというくらい決まってくる。首都圏だとたくさんある。
母親を介護施設に入所させるときに、もしものときは、どこの葬儀会社に運びますか、ということを決めさせられるのだ。だから、今回も病院から母親ご逝去の電話を朝4時に受けたら、すぐにその葬儀会社に、その病院施設に迎えに行ってくれ、という連絡をした。そして病院にも連絡をして、そのまま母親の亡骸をその葬儀会社に安置してもらった。ドライアイス付きで。
そして自分と妹はすぐその日に北海道に飛んだ。こういうとき、ANAアプリってめちゃくちゃ便利です。PC、スマホひとつで、思い立ったそのときにその場ですぐに航空券チケット予約できて、支払いできて、そのままスマホのe-ticketでチャックイン、搭乗できる。もうもとの時代には戻れませんね。
夜の7時頃にようやく葬儀会社に到着。妹夫妻はすでに到着していた。
母親の安らかな顔を拝む。
そこから葬祭プランナーと呼ばれる人が来て、我々遺族と実際の葬儀の進め方について、ディスカッションを始める。どういう葬儀にするか、その葬儀プラン、その段取りと、実際の支払いの見積りだ。ここのステージがいちばん重要なのではないか。ここですべてが決まって、あとはこの敷いたレールの通り進むだけ、それをこなしていくだけだから、最初のこの葬儀プランを決めるときが1番重要である。
死亡診断書を受け取る。
死亡届などを地元の区役所、市役所に届けてくれるのは葬儀会社がやってくれる。
死亡診断書のコピーをもらう。複数枚。生命保険請求のときなどにつかう。
葬式の形態としては、家族だけで見送ってあげる”家族葬”がいちばん費用も掛からないし一般的なのではないか。
まず、お寺に連絡しないといけない。お坊さんの手配なんだが、納骨の際にお世話になるお寺にお願いするのが当然だ。
オヤジのとき、初めての葬儀だったので、勝手がよくわからず、とにかくノンノン家は、浄土真宗 西本願寺の宗派であることを葬儀会社にお伝えしたら、葬儀会社の方で探してくれた。
結局、オヤジはそのお寺に納骨していまも眠っている。
まず、自分の家の宗派をきちんと知っておくこと。親戚、ご先祖さま含めて調べてちゃんと知っておかないといけない。葬儀はその宗派のお寺のお坊さんにお世話になるべきである。
浄土真宗 西本願寺派・・・浄土真宗 本願寺派
あまり細かい儀式作法は好まず、ざっくばらんな気安い作法を望む宗派だそうで、自分の家に合っているなとは思います。
だから、オフクロの場合は、そのままそのオヤジのお寺にお世話になることは至極当然のレールである。
そのお坊さんの手配、スケジュール次第で、お通夜、告別式、そして霊柩車、火葬場の予約のスケジュールが事細かくつぎつぎと決まっていくのだ。まずお坊さんの手配。
そのお寺のお坊さんが母の亡骸が安置されている葬儀会社にやって来てくれる。
枕経(まくらぎょう)をやっていただく。
枕経(まくらぎょう)とは、仏式の葬儀で納棺の前に故人の枕元で読経すること。 危篤の際に親族が家へ集まり、僧侶に依頼して危篤状態の人の枕元でお経を読むことで不安を鎮める。 臨終後、霊が迷わず成仏するように導く意味を持って枕経があげるなど、枕経の意味については、諸説ある。
母の場合は、事が終了した後なので、後者の意味合いが強い。母の亡骸が安置されている前には、ろうそく、小さなテーブルとちょっとしたご焼香セットが置いてある。お坊さんがお経を読んでいる間、遺族はご焼香をする。
亡くなった場合は、”戒名”というのをつけないといけない。
戒名と言うのは、あの仏様、極楽浄土の世界での名前である。
我々のいまの名前は現世、俗世間に住んでいるときの名前である。成仏して仏様の世界に行く場合は、その俗世間の名前じゃダメなのだ。戒名して、その仏様の世界での名前にならないといけない。
これを戒名と言う。
戒名は、浄土真宗 本願寺派では、法名という呼び方をする。浄土真宗では、”法名=戒名”なのである。
法名は絶対つけないといけないのだ。
浄土真宗では、他宗派の道号に当たる部分がなく、この部分に男性は「釋(しゃく)」、女性は「釋尼(しゃくに)」という字が入ることが特徴である。
男性が「釋」、女性が「釋尼」
と名付ける。
男性なら、釋(しゃく)〇〇、女性なら、釋尼(しゃくに)〇〇
というように名付けられるのだ。法名の名付け親は、そのお寺さんである。
位牌には、この法名が書かれるのだ。
釋というのは、浄土真宗では「仏様の弟子」という意味である。
この法名をお寺さんの方で決めるにあたって、その枕経のときに、お坊さんがいろいろ我々家族の生い立ちや、母の好きだったこと、得意だったことを聞きだす。なるべく母の素性にあった名前をつけてあげたい、という配慮からである。
●戒名と法名はなにが違う?
戒名は、「人間は死後、仏の世界に旅立つ」という仏教の独自の考え方がもとになっている。俗世間の名前に対して、仏の世界での名前。
法名というのは、戒名の浄土真宗における呼び方。戒名=法名。
浄土真宗では、法名の上についている「釋(釈)」とは、仏弟子であることを意味している。他の宗派と比べると短く感じるかもしれないが、浄土真宗の宗祖である親鸞でも「釋親鸞」となっている。
なお、本山に進納された方やお寺に貢献された方には「院号」が授けられることがある。
この院号をもしつけるとなると、院号をつけるだけで、さらに20万円かかるので、これは院号なしにしてもらった。父親のときもそうだったので、母親の場合もそれにならう形にしてもらった。
院号はなし:院号をつけるとなると20万円かかる。
これはひとつのポイントで、北海道だけの慣わしなのかもしれないが、お寺さんに払うお布施と、葬儀会社に払う費用とはまったく別会計である。葬儀会社に払う何十万(あるいは百万単位)という費用とは別に、お寺さんには別途お布施という形で何十万という費用を払わないといけない。
だから葬儀にかかる費用とは、
葬儀費用+お寺さんへのお布施+そうしてお寺さんへの納骨するための費用
この3要素の加算結果と言えるのではないか。お葬式にかかる費用と言うのはこの値段のことを言っている。親が亡くなったときにかかる費用は、この3ファクターの合計値である。
葬儀会社の葬祭プランナーと呼ばれる人と具体的に葬儀のプランについて決めていく。
葬儀の形式は、ほんとうに細かく要素分けされていて、
祭壇のお花:10万、遺影:5万、お棺:3万、ドライアイス:2万、お食事:10万・・・などなど。
こういう要素をどんどん組み合わせていき、葬儀費用の合計が決まっていく。お花はこれでいいですか?お棺はこの色でいいですか?ドライアイスはこれくらい?お食事のメニューはこの中から選んでください。。。などなどその都度葬儀会社のマニュアルの写真の中から我々が選んでいくのだ。
そうして決まった順に、それをどんどん書いていく。
基本は2014年のときの10年前の父親のコースと同じにしてください、と依頼をして、その当時の記録用紙を持ってきて、それに右倣えである。
施主の自分は、もうこのときからもうすごいドキドキ。どんどん負債が溜まっていく感じで、もう気になるのは、その合計値はいくらなの?というところに集中してしまう。そうして最後に電卓で合計値をパチパチ計算しているときの心臓ドキドキMAXのすごいこと。(笑)
出てきた金額は、まっ自分が事前に聞いていた値段とほぼ変わらなく、ホッと安堵である。
そこからコストダウンをしていく。削れるところは削っていく。お花は10万もいらないんじゃないの?もっと小規模でいいですとか・・・でもお花をコストカットしたのは、ちょっと後悔しています。父親の祭壇の豪華さを覚えているので、母親のときはちょっと質素な感じで可哀そうなことをしたな、とすごく後悔しました。
遺影の写真は常日頃から遺族の方は、気をつけておこう。遺影の写真は、遺族のみなさんが普段持っているいわゆるあのプリント型のあの写真でいい。亡くなった人が映っている写真があれば、それでそれがその人のことをいちばん如実に語っているそういう表情をしている写真があれば、それでOKだ。
あとはクロマキーのように、その人物だけを抜き出し、ちょっと表情に笑顔を含ませるとか、背景の色、デザインとか、あるいはなんだったら服装も変えられる、そういう加工は全部葬儀会社の方でやってくれる。そうして出来上がった遺影の写真が、これがまさしくプロの出来栄えなのだ。もう素晴らしいとしかいいようがない。
あのいわゆる写真があればそれでOKだ。もちろん終活活動として、遺影用の写真撮影を別途してもOKだし、フィルムカメラのフィルムを渡してもいいしデジカメのSDカードをそのまま渡してもOKだ。紙の写真でいい、というのが素晴らしい。
オヤジは、釣りが大好きで終生の趣味だったので、その釣りをしている写真がいちばん活き活きとしていて、オヤジらしく素晴らしいと思ったのでその写真を選んだし、母親は実家の自宅でくつろいでいるその表情が素晴らしい写真を選んだ。
ちなみに、この遺影写真を手帳サイズの立て掛け型の写真として作ってくれることも葬儀会社の方でやってくれる。
遺影写真は大きいし、遺族だけが持つものだが、こういう手帳サイズの立て掛け型にすれば、父親方の親族、母親方の親族に配ることができる。そして葬儀の状況の報告の添え状を兼ねて。大体4,000円くらいで出来てしまう。葬儀会社の方で枠も含めてそういうサービスをやっています。これが親族には大好評なのです。(笑)
葬儀のお通夜、告別式に入る前に、”湯灌(ゆかん)”、”納棺”という作業をおこなう。
これも重要な儀式だ。我々遺族は、このときもそれに立ち会う義務がある。
”湯灌(ゆかん)”という行為は、亡くなったままの病院の衣装でそのまま安置されている母親だが、ご遺体の表情や髪型、服装を整え、外見上の美しさをよみがえらせることをいう。
身体を清掃し、衣服を白装束に着替えさせる。そして髪を解かして、きれいに化粧をしてあげる。これをやってくれる人はまさにプロだ。ふとんをかぶせたまま、清掃、着替えを見事に済ませてしまう。死化粧のときは、我々遺族1人1人が交代で筆で顔に化粧を施してあげる。
もう見違えるような感じである。
そうしてあらかじめ、葬儀プランで決めていたお棺に納棺する。そのときのご遺体を抱えて、お棺に入れる作業は、我々遺族がやらないといけない。喪主である私は頭部のところを担当。それぞれの遺族が身体の他の部分を担当する。すべって落としたりしたら大変なので、すごく緊張します。
無事、お棺に納めることが出来たら、本人の大切していた宝物や記念ものもいっしょにいれてあげることも可能である。
妹の意見でお棺に色をピンクにしたのだが、女性らしく可愛らしくてよかった。
葬儀と言うのは、
お通夜 17:00などの夕方。その日に泊まる。
告別式 9:00~火葬場
この行事のことを言っている。
お通夜というのは、大体夕方の時刻に設定するものである。
お通夜でお坊さんにお経を上げてもらい、遺族たちは焼香する。
葬儀のときはやはり喪服と数珠は必要ですね。
喪服は男性の場合は、いわゆる冠婚葬祭の礼服で十分です。自分なんか、ヨーロッパの夏の音楽祭は、もう礼服を着ていくので、喪服と兼用してますよ。(笑)数珠はやっぱりあったほうがいいです。数珠は葬儀のひとつのマナーというか常備しておく必需品だと思います。
葬儀での遺族のやることは、ご焼香です。焼香のやり方、作法は、その宗派によって作法が違うんですね。浄土真宗 本願寺派の焼香の作法というのがあります。
そして、葬儀会社の葬儀会場というのは、通常その会場の横側に和室の広間があって、そこで寝泊りや食事ができるようになっている。お通夜の儀式が終わった後、その和室の畳敷の広間で、”通夜振る舞い”というのをおこなう。
”通夜振る舞い”というのは、通夜の後に設けられる食事会のことである。 通夜振る舞いは単なる食事会ではなく、「喪家が僧侶や弔問客に対して感謝の意を表す」「故人を偲ぶ」という2つの意味がある。 喪主が僧侶や通夜の弔問客に対する感謝の気持ちを表すために、お酒や食事を振る舞ったりする。
そして自分や妹夫妻のような直接の遺族は、そのままその日はその和室で泊まることが普通だ。
母親といっしょに最後の晩を過ごす、という意味である。
自分はお通夜、告別式とある内、このお通夜のときが、いちばんじ~んと来ることが多い。
この最後の晩、妹夫妻と夜遅くまでいろいろ語り合った。いい気分晴らしになった。
そして翌日、告別式。お葬式の本番はこちらのことをいいますね。告別式は午前中朝早く行うことが普通です。お坊さんにお経をあげてもらい、ご遺族たちはご焼香。
そして告別式が終わると、火葬場に行く訳だが、その最後の遺族とのお別れで、お棺をあけて、花がたくさん用意されていて、その1本、1本を遺族の人が、母親の顔の周り、そして身体と母親の花でいっぱいにする。
最後のお別れである。
自分は父親のときもそうだったが、この告別式が終わって火葬場に行く前の最後のお別れのとき、花を1本、1本埋めていく作業のときが、いちばんじ~んと来て涙が出そうでつらいですね。このときがいちばん感傷的になります。
なんともいえない瞬間です。
葬儀で自分がいちばん感傷的になるときです。
母親に産んでくれてありがとう、いままで育ててくれてありがとう。
と感謝を述べました。
そして火葬場に直行。
火葬場はだいたい街の外れにある場合が多い。霊柩車、自分たちの場合はバスを使用しましたが、母親と遺族で火葬場に向かう。
火葬場は大きな炉が何か所もあるという感じで、無機質な空間だ。
そこで母親のお棺をそのまま火葬炉の中に電動式で入っていくときはなんとも複雑な境地だ。あ~ついに・・・という感じである。
そうして1時間半くらい待合室で待つ。
オヤジのときもそう思ったのだけど、人間って焼かれた後というのは、こんなに見事なまでに骨だけになるのか、というそういう驚きがすごい。物の見事に骨だけになっている。
どれくらいの火力で焼けばこうなるのか、かなり高温じゃないとこうはならないのではないか、と思うのだ。すごい火力のはずだ。
そして、これから”骨上げ”をおこなう。
骨上げは「収骨」とも呼ばれ、火葬が終わった後に遺骨を骨壷(収骨容器)におさめる儀式のことを指す。 遺骨は手ではなく、長さが揃っていない木製と竹製の箸を用いるのが基本である。 その先頭を切ってやるのが、喪主そしてつぎに施主がやる。骨上げは日本独自の慣習であり、世界ではあまり見られないそうだ。
火葬場の人が、喉仏の骨をみつける。これは別途違う袋に入れる。
そして頭のてっぺんの骨も最後に入れる。
たくさんの骨の中から、喉仏の骨をいとも簡単に見つけてしまう火葬場の人はほんとうにプロとしか言いようがない。毎日やっているから、簡単に見分けられるのだろう。
あとは遺族全員でお骨をお櫃に入れる作業である。
もうこのときは無機質な気持ちである。
これで無事母親はお骨となった。
そしてまた葬儀会場に戻って来て、繰り上げ法要という形で、四十九日の法要を繰り上げてお経を読んでいただいた。
それで正式に告別式終了である。母親の葬儀はこれで全日程終了である。
心地よい疲労感。ついにやり遂げた~という気持ちである。
あとは、お寺さんへの納骨である。
これまた説明する必要があるだろう。
いわゆるお墓ってどれくらいするか知ってますか?
墓石代が、60万~200万、墓地代が、35万~130万。
総額が、100万~350万円もするものなのです!
信じられます???(笑)
こんな高いんですよ。
これもこれから述べますが、葬儀費用は、ふつう200万~300万掛かるのが世間の相場です。そしてお寺さんへのお布施はたとえば自分の場合で、地方の田舎のお寺ですが、20万円でした。そうして、お寺への納骨、つまりお墓が100万~350万です。
そうすると、葬儀にかかる費用と言うのは、
葬儀費用+お寺さんへのお布施+そうしてお寺さんへの納骨するための費用(お墓)
ですから、
200万~300万+20万(地方の田舎)+100万~350万
で、320万~670万かかる!ということなのです。
信じられますか??これが現実なのです。葬儀にかかる費用というのはこれだけ莫大な金額が必要で、これが現実なのです。
ちょっと普通の人では無理でしょう?
でも父親、母親は、かならず将来自分より早く亡くなります。
両親の葬儀は自分がやらないといけません。
もうこの現実が自分にとって若い頃からの憂鬱、ブルーな悩みでして、将来どうしよう~といつも考えていました。
いちばんあり得るケースとしては、親の親族の代々の御先祖さまのお墓に入らせてもらうというパターンです。ご先祖様が立派なお墓を持っていらっしゃる場合は、そのままそのお墓に入らせてもらうというパターンです。
これが現実問題、いちばん多いんじゃないかな?
オヤジが亡くなった2014年の葬儀のとき、自分はお墓のことはまったくノーアイデアでした。お墓どうするんだろう?と不安には思っていましたが、どうしようもない。なにか解決できるわけでない。
そこで葬儀に参列いただいたオヤジの弟さんから、九州佐賀県のノンノン家の実家に代々のご先祖様のお墓があるから、そこに入れようか?と提言してくれました。
あるいは永代供養というスタイルがあるよ。
永代供養?
ここで、自分は初めて”永代供養”ということを知りました。
永代供養(えいたいくよう)とは、遺族に代わって、寺院や霊園がお墓の管理・供養をする埋葬方法のことをいいます。 寺院や霊園の管理者が、お墓掃除や供養を一挙に引き受けてくれるため、遺族はお墓参りの必要がありません。 そのため、遺族に負担をかけたくない方や、身寄りのない方からよく選ばれているのです。
いわゆるお墓というのは、墓地を購入して、そこに墓石を立てる。その管理は遺族がやらないといけないんですね。放っておくと、どんどん草ぼうぼうになるし汚くなり、仏さん可哀そうです。だからお盆はもちろんのこと頻繁にお墓参りをしてお墓掃除をしてあげないといけない。
でも永代供養(えいだいくよう)というのは、お寺の中に納骨堂というお骨や位牌を格納するボックスがあるんですね。いわゆる駅に中にあるコインロッカーのようなものをイメージしてくれればいいです。その納骨堂ひとつひとつにその1人のお骨、位牌を納めていくのです。
そして納骨堂の管理、つまり清掃などは、すべてお寺んさんの方でやってくれます。
永代供養のポイントは。永代に渡って祀ってくれる、という意味です。たとえば自分の場合ですと、両親の子供は自分と妹しかいません。その自分や妹が亡くなってしまうと、ふつうのお墓であれば、そのまま誰もお参りしてくれない無縁仏になってしまい、墓も草ぼうぼうで荒れ放題。そうなるとあまりに仏んさんが可哀そうです。
そういう無縁仏にさせないために、永代供養というスタイルが登場したのです。お寺では、かならず年会費を徴収しています。年会費は、そのお寺の総本山への上納と、あと納骨堂の管理費を含んでいます。自分の場合で大体年間1万円くらいです。
お寺には、自分と妹の連絡先を伝えてあります。たとえば自分が亡くなると、お寺さんは自分と連絡が取れなくなるので、妹に連絡をする訳です。年会費払ってください、ということで。そうして妹が今度は払い続ける訳ですが、妹も亡くなった場合、お寺としては妹とも連絡が取れなくなった場合、もうオヤジとオフクロの納骨堂にお参りに来る人はいなくなった、と判断します。
つまり無縁仏になったと判断します。
そうすると、お寺の方では、その納骨堂のお骨や位牌を、他の人といっしょに合祀する、というか、そうやってその人の供養をお寺が末代、永代まで供養する、というステージに変更するのです。
その合祀のやり方は、具体的には知りませんが、いままで個人ベースでの参拝ということで、納骨堂で管理していたお骨と位牌ですが、無縁仏になったと同時に、他の人と合祀して、その管理スペースが変わると思います。そして、そのお寺が永代に至るまで供養していく、というステージに変わります。
これが”永代供養”というものです。
・お墓の代わりに納骨堂。
・無縁仏になったら、お寺のほうで永代供養。
これが永代供養の大きな特徴だと思います。
自分はオヤジの葬儀のときに、永代供養ということを初めて知って、オヤジは浄土真宗 本願寺派の永代供養のお寺さんに埋葬しようと決めました。
永代供養は、とても便利ですよ。なにせ、お墓が、お寺さんの中にありますから、いつもお寺さんの方で、綺麗に清掃されていて清潔感溢れる感じでいいです。そしてなによりも法要とか法事とか、あるいはひさしぶりに北海道に帰省して、オヤジのお墓参りをしようとしたら、お寺さんにお願いすれば、お寺の荘厳立派な広い祭壇会場のところでお経をあげてもらうことも簡単にできます。
ふつうお墓参りというと、お墓を掃除して、お花を添えて、そして墓石に水をかけて、そして合掌する、というのがふつうだと思いますが、永代供養スタイルですと、納骨堂からお骨と位牌を自分が運んでお寺の祭壇会場にセッティングするだけでいいです。そしてお寺の立派な祭壇にオヤジのお骨と位牌をセッティングして、そのままお坊さんにお経を上げてもらえるのです。
ふつうのお墓参りよりもぜんぜん仏んさんに優しいと思います。
お墓とお寺が同じお寺内にあるから可能なことだと思います。
いまオヤジとオフクロは、同じ納骨堂に収まって、あの世でも夫婦めおとで仲良く佇んでいます。同じ納骨堂に納める、というのはお寺さん側のアイデアで大変うれしい心遣いだと思って感謝しています。(ブルーがオヤジのお骨で、オレンジがオフクロのお骨です。)
永代供養の相場は、40万円だと言われています。自分の場合、オヤジのときに初めて永代供養墓(納骨堂)に入所したので、40万円払ったです。自分が20万、オフクロが20万の折半で賄いました。
もちろん北海道の地方都市での話ですが、首都圏でもこの永代供養というスタイルは登場してきています。
東京広尾にある”了聞”という永代供養のお墓。
こんな立派なんですよ!詳しくは資料を読んでいませんが、永代供養墓は30万円だそうですよ!俗社会時代では、東京・広尾といったら、まさしく高級住宅エリアでまったく歯が立たなかったエリアですが、あの世に行ったら、広尾の永代供養墓で暮らすというのもなんかいいですね。(笑)
FacebookやInstagramは相変わらず自分に優しいので、そのときそのときで自分に合った適切なコンテンツをプッシュしてくれます。最近はこの永代供養のコンテンツひと筋です。(笑)
先祖代々のお墓に入れてもらう、というのが手っ取り早くていいと思いますが、そういう所縁がない人も多いと思います。自分の場合、オヤジを九州の実家の先祖のお墓に入れる提案もありましたが、そうするとオヤジのお墓参りに九州まで行かないといけない。これも大変かな、と思いました。
東京から北海道や、東京から九州だと飛行機代や旅費など変わらないかもですが、やはり両親は慣れ親しんだ土地で眠るのがいいのだと思っています。
そうして、最後に肝心の葬儀費用です。
世間一般では葬儀費用は、200万~300万かかると言われています。最近は小さなお葬式とか、あまりに費用が掛かり過ぎるので、いろいろ工夫されているようですが、自分が昔から知っている相場はこのくらいです。
でも葬儀を賄う会場、葬儀会社には”互助会”という組織があります。
互助会のもともとの発端は、葬儀代があまりに高額で、低収入家庭の人はとても葬儀が上げられないので、そういう貧困層のための葬儀会社としてスタートしたのが発端です。
自分の実家のある町にある”ベルコ会館”というところは、その互助会の組織のメンバーです。
だから市民にやさしい葬儀会社なのです。
なにが優しいか、と言いますと、そのベルコの葬儀プランの中で、積立していくコースがあり、大体毎月3,000円くらいの額を毎月積み立てていきます。そうして、3,000×64回=192,000円で完結です。
こういう積み立てプランに入っていると、いざ葬儀のときに、普段なら100万~300万掛かる葬儀費用を、そのコースを完済した会員特権として、会員お徳プランという激安で基本プランを使えますよ、という仕組みなのです。
たとえば、オフクロのときは、この3,000円×64回のコースを2本積み立て完了(384,000円)していたので、実際かかった葬儀費用は60万円以内で済みました。
これだけの激安で済ませられたのも、この互助会という組織の一員である葬儀会社を使ったこと。というか、私の実家の町では、葬儀はこのベルコ会館でやるしかほかに選択肢はないわけですが。。。(笑)
この互助会という組織の一員である葬儀会社は全国でもたくさん存在します。東京でもたくさん存在します。2014年の父親のとき、将来の自分の葬儀のために、この互助会に属している東京の葬儀会社のリストをベルコ会館からもらいました。
ベルコ会館というところは、もともと大阪に本社があり、大阪の会社だそうで、でも全国各都市に存在するそうです。東京にも存在するそうなので、自分の葬儀は、このベルコ会館にしようかな、とか考えています。(笑)親子代々でお世話になります。
そのためには積み立てしとかないとダメです。月3,000円でしたら負担小ですね。月々での支払いではなく一括で払ってしまってもいいらしいです。母親と同じく2本完遂しておくには、384,000円一括で払ってしまっても無理な額ではないんではないでしょうか・・・。そうすると葬儀代は60万以内で収まります。
葬儀にかかる費用と言うのは、
葬儀費用+お寺さんへのお布施+そうしてお寺さんへの納骨するための費用(お墓)
ですから、自分の場合は、60万+20万+40万=120万円
納骨するための費用40万円は、最初のオヤジの時だけです。2回目のおフクロのときは必要ありませんでした。
いま葬儀代の相場と言われている200万~300万という額からすると,120万円で済むのは格安な方なのではないでしょうか。もちろん、葬儀終了とともに2~3日以内に、現金キャッシュで払わないといけません。(笑)
施主にとって、この葬儀代をどこの財源から持ってくるか、というのが重要なことです。将来、施主になる立場の人のつねに考えておかないといけないことです。
もちろん自腹で払ってもいいですが、いくら格安とはいえ、120万も自分の自腹って痛くありませんか?(笑)
やはり親に生命保険に入ってもらうことです。受取人は施主の自分にしておきます。
そうすれば大きな出費でも痛くありません。
オヤジは病気をたくさん抱えた後に、生命保険に入ろうとしましたが、案の定入れず。生命保険なしでした。葬儀代は自腹を覚悟しましたが、ご香典が予想以上に集まり、結局葬儀代はほとんどペイしてしまいました。
そのときのオヤジの教訓で、その2014年におフクロを強制的に生命保険・医療保険に強制加入させました。私が月々の保険料払っていました。
今回の出費も無事そこから賄えそうです。
もう、ご両親を生命保険に加入させる、というのは誰もがやっているあたりまえのコモンセンスなのではないでしょうか。まずこれは基本ですね。
生命保険というのは、昔からあるスタンダードな正攻法ですが、最近は、”葬儀保険”というのもあるみたいですよ。やはり葬儀はお金がかかるので、そのための専用の保険です。昔は存在しなかったので、最近誕生した保険サービスなんですね。なんでも月1,000円の掛け金で、300万の葬儀保険金が下りるみたいですよ。まさに葬儀に特化した保険ですね。でも月1,000円というのは注意が必要ですね。自分の医療保険もそうですが、健康体の人が、1,000円なのであって、持病をいろいろ持っている人は、もっと保険金が高くなったり、あるいは最悪保険に入れない場合もあるかもしれません。ここは宣伝文句に注意と言うか罠の場合もありますので、よく確認されることをお薦めします。
あと、これは葬儀とは関係ないですが、老親の介護のときの注意点を書いておきます。
親が高齢になるにつれ、病気で五体満足でなくなり、介護が必要になり、介護施設に入ったりします。そのときの介護費用は、バカになりません。かなり高額です。
その費用は誰が払うのか?
それは当然親の銀行通帳から払ってもらいます。
親の月々の収入、年金額に見合ったレベルの介護施設を選ぶ必要があります。
親がちゃんと認識力があって、子供に自分の通帳と銀行認印を渡して、子供に入所手続きを代役でやってもらう、という状態だったらなんら問題ありません。
ところが親の認知症や認識力、理解力に問題ある場合、その代用手続きが不可能な場合はかなり厄介です。その費用引き落としの手続きには、親の銀行通帳とその銀行認印が必要になります。
親が急な病気で認知レベルに問題があって、その銀行通帳と銀行認印を子供に渡すという作業が不可能な場合、子供にとってかなりリスク最大になります。
その親の介護施設の費用を子供が払わないといけません。月々7万円(自分の母親の場合)とか、そんなのとてもじゃないですが、子供は負担できません。
自分の母親の場合、実家の自宅内で脳梗塞で倒れてしまいました。1人暮らしなので、その異変に気付いたのは、毎週1回母の様子をチェックにしに自宅に訪問してくれるヘルパーさんから自分に連絡が入りました。
お母さん、呼び鈴鳴らしても全然出てこないし、新聞も何日分も刺さったままで溜まっている。
自分は、スワっと恐怖感が全身を襲いました。
老親の1人暮らしの最大の恐怖は孤独死です。心筋梗塞、脳疾患などいつ突然やってくるか、わかりません。しかも1人暮らしです。誰も気が付かないです。
うわぁ~自分がいちばん恐れていたことが起こってしまった~と思いました。
中から鍵がかかっているので、もう警察と消防車を呼んで、3階なのですが、窓ガラスを割って、施錠を外して強制的に潜入してもらいました。
そうしたら、母は倒れていて、でも意識はあったそうです。それで、どうも脳疾患みたいだということで救急病院に運ばれ、なんとか助かりました。
それで、脳梗塞の後遺症から、もう1人での生活は不可能で、介護施設で介助を受けながら生活をしていかないだとダメだと診断されました。
もう警察、消防車の強制潜入(私が逐次電話で指示しながら)、そして病院の先生の診断結果を受け取る。これは正味3時間くらいのできごとでしたでしょうか・・・身が凍り付くというか生きた心地がしなかったです。
そこから介護施設探しです。
結局、病院の機能がついた介護施設に決めて、そこに入所してもらいました。
問題は、その月々の介護費用をどうするか、です。
母親の状態から、銀行通帳と銀行認印が家のどこにあるか、など聞き出せる状態ではありませんでした。そのとき、私は仕事でいっぱいいっぱいだったので、ピンチヒッターで妹に北海道の実家に飛んでもらいました。
そうして家の中で探してもらいました。そうしたら、探し始めたその最初で母親の買い物袋の中に、銀行通帳と銀行認印が見つかり、いともあっさり解決してしまいました。
このときの妹からの電話の一報に自分がいかに救われたか、なんとも言えない安堵、ピンチを逃れた~という感じです。
あとは母親の銀行通帳から月々の引き落としを設定してもらいました。
ここからが私のアドバイスです。
親が高齢になるにつれ、そして連れ合いに先立たれ、1人暮らしをしているような場合、そして子供が遠方に住んでいる場合、まず孤独死を避けて異常を検知しやすい仕組みを作っておくこと。
そして親が元気で認識力が十分ある内に、親の銀行通帳と銀行認印の普段置いてある場所を聞いておくこと。
これをかならず実施しておいてください。
私のような突然のケースに陥ってどうにもならなく途方にくれることもあります。
あと、介護保険の利用の仕方もありますが、自分の場合、介護保険はあまり利用しなかった、というか使えないシステムだな、と思いました。スミマセン。(笑)
介護保険のことをよく知らないだけかもしれません。
結局、自分の父親と母親が、自分の命と引き換えに、我々子供に残していった試練、教訓はしかと学びました。人生の大変な教訓だと思っています。
自分の始末を、子供や親戚に迷惑をかけずに、生前にあらかじめきちんとレールを敷いておくこと。結局、自分はオヤジのときもおフクロのときも、その敷かれたレールの上をただその通りに実行していただけに過ぎませんから。
それを自分の父親、母親から学んだのだと思います。
これを自分の終活に活かさないはずがないです。
自分もいろいろ準備しておかないといけない、と今回の母親の葬儀で思ったところです。
注意点ですが、あくまでこれは私個人のケースですので。もっといろいろなパターンはあると思います。
せっかく両親が自分に残してくれた教訓を、世の中の同年代や若い世代の方々にお役に立てればと思いました。みんな同じ不安を抱えていると思うので。少しでも役に立てればと思います。
しかし、ふつうは表には出てこない、隠すべき(?)葬儀の件をここまで詳らかにした記事は前代未聞かもしれません。(笑)
2024-03-22 20:41
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