音楽通り [街歩き]
神奈川県立音楽堂。
日本初の音楽専用コンサートホール。そして木造ホールである。
1954年(昭和29年)創建ですよ。いまから70年前。もう自分が生まれるずっと前にできたまさに伝説のコンサートホールである。
JR桜木町駅から紅葉坂の交差点をずっと登っていく訳だが、これがすごい心臓破りの坂で、今日は神奈川県立音楽堂でコンサート、という日はもう前の晩から憂鬱である。(笑)この坂をずっと登っていくときのあの足の辛さ、そして息も絶え絶えの心臓の辛さはもう誰もが知っている難所であろう。
この紅葉坂の交差点を昇っていく途中に、”音楽通り”というストリートがある。
なんという洒落たネーミングの通りなのだろう!と自分は感動してしまった。
かなり素敵なネーミングだと思う。
”音楽通り”は、なんでも、神奈川県立音楽堂で公演した人々が、帰り道に歌を歌い、その歌声が響く通りという理由で名付けられた愛称なのだそうだ。
やはり神奈川県立音楽堂と「音楽通り」は関係があったのだ!最初は愛称だったけれど、横浜市が市民から募集した「愛称道路」事業で1976年に正式に認定されたそうだ。
「夜寝ていると通りから歌声が聞こえてくるんです。その歌声が鼻歌ってレベルじゃないんですよ。子ども心にとても上手だなと思いました」
今は聞こえてくることはないそうだが、ぜひプロの鼻歌を聞いてみたいものである。
1988年 第32回 岸田國士戯曲賞受賞者大橋泰彦さんが月刊『すばる』に執筆されたエッセイにこの通りを題材にした『音楽通り』というエッセイがある。昭和30年代末頃の「音楽通り」の様子が文章から偲ばれる。大橋さんのご実家は、音楽通りで貸本屋さんを営まれていたそうである。
…【略】…
沿線に日吉、田園調布、自由が丘、代官山を置く、日本でもハイソサエティーな私鉄、東横線の横浜よりの終点、桜木町に、私の実家がある。線路と平行に、国道県道を間に置いて、一方通行の小さな商店街、花咲町は、「ハナザキチョウ」と読むのが正式らしいが、私はいつも「はなさきちょう」と言う。
一直線に五百メール程続く商店街は、通称「音楽通り」と呼ばれていて、パン屋、お菓子屋、靴屋、薬屋に始まり、油屋、八百屋、お茶屋、ハンコ屋、乾物屋と続く。通りの中ごろにある私の実家は、小さな貸本屋をやっていた。通りの終点は、なだらかな坂道になっていて、登りきると、今度は直角に、紅葉坂という坂がのびていて、その先には、横浜でもかなりの老舗の県立音楽堂がある。
昔は、クラシックの演奏会が盛んで、十二月にもなると、演奏会帰りの人達が、第九や賛美歌を合唱しながら家の前を通りすぎていった。おそらく「音楽どおり」という名前も、そんなとこから付けられたらしい。私が幼い頃、子守唄替わりに聞いた「もろびとー、こぞりてー」が日本語だったという事を知ったのは、ずい分後だったと思う。
…【略】…
少年の頃、よく屋根に登り、瓦に腰かけ見下ろした風景は、今、この屋上からは見られない。回りをいくつもの高層ビルやマンションに囲まれて、花咲町「音楽通り」も、時代の波に取り残されまいと、古い家は、五階、六階のビルに建て替えられ、木造の家は、もう、数える程になってしまった。
☆集英社『すばる』1988年7月号 <フォーラム・すばる~町の顔・屋上>より
では、この”音楽通り”というストリートは、本当に音楽と関係がある、そういう情緒ある眺めなのか興味が湧くところである。
実際、この”音楽通り”を歩いてみたい、と思ったのである。”音楽通り”をそのまま歩いてみて、自分がなにか感じること、それはやはり音楽的にインスピレーションを与えてくれるものなのか、そういう独特の雰囲気があるのか、自分は感じ取ってみたいと思ったのである。
ネットでいろいろググってはみたものの、音楽通りの標識の写真はあるけど、そのストリートの様子の写真はほとんど皆無だ。これは実際取材してみれば希少価値があるのではないか、と考えた。
”音楽通り”は、地図上では、この赤い区間のストリートである。
では、さっそく”音楽通り”を歩いてみる。
う・・・~む。なかなかなんの変哲もないふつうの細道の道路で、ここから”音楽”というインスピレーションはまったく湧いてこない。(笑)結論からいうと、およそその通りの風情から、音楽という感じが湧き出てくるようなそんな特別な景色ではなかった。いたって普通の細道、通りである。なんの変哲もないふつうの通りである。
”音楽通り”の写真が、ネットにほとんど掲載されていないのも、おそらくこれじゃ絵にならない、ということだけなのだろう。
なんと!素敵なストリートなんでしょう!というテンションで盛り上げたかった自分としては、正直困ったな~、どこを売りにしよう?と悩んだりしたが、余計な脚色をするよりも、そのままありのままの姿をご披露するのがいちばんいいだろう、と考え直した。
たぶん、桜木町、神奈川県立音楽堂の”音楽通り”の全景の写真を掲載している記事は、この私の日記しか存在しないであろう。まさに日本一、世界一貴重な写真記事だと考える。(笑)
キリスト教の本屋さんもあります。
たしかに一見すると、なんら変哲もないふつうの道に見えるんですけど、ところどころに小洒落た素敵なスポットも確かにあります。ここは素敵だな~と思います。
ここは、セレクトショップのAonoha アオノハさん。
セレクトショップというのは、いわゆる店主さんのお目にかなった商品を販売するという独自路線のお店。店主独自のセレクトで選ばれた商品は衣類から雑貨、お花と幅広く取り扱っているそう。
そして、ここにも”音楽通り”の標識が!
やっぱりネーミングが素敵ですよね~。すごいセンスあると思います。この標識を見るとなんかドキッとしますね。
・・・そしてまたしてもなんの変哲もない景色が続きます。(笑)
ここはDog Space。ここはペットサロン、犬の美容室ですね。
手づくりパンのコティベーカリー。
横浜港にほど近い町・桜木町。
この町で1916年(大正5年)創業以来、
毎日ていねいにパンを作り続けてまいりました。
町の様子は移り変わりましたが、
当店は今日も昔と変わらぬ製法で
じっくり時間をかけてパンを作っております。
港町の小さな小さなパン屋です。
横浜桜木町シベリアのコティベーカリー
自家製のパン屋さんです。
自家製のパンのみ販売というのは、街のパン屋としては、当時画期的で斬新な試みだったそうでこのパン屋さんが、まさにこの”音楽通り”の中の1番の見せ場というかスポットだと思いますよ。
県立音楽堂ができる前、まだ音楽通りというネーミングもなかった時代からこの通りにあるパン屋さんで、大正創業ですから。。。まさにこの通りが”音楽通り”と名付けられる前からずっとこの通り沿いにあって、この音楽通りの生き証人、ずっとその姿を見守ってきた重鎮なのです。
まさに
「夜寝ていると通りから歌声が聞こえてくるんです。その歌声が鼻歌ってレベルじゃないんですよ。子ども心にとても上手だなと思いました」
これはコティベーカリーの御主人の記憶のひと言なのです。
音楽通りのことを聞きたかったら、ここの御主人に聞け!です。音楽通りのことで、このお店より詳しい人はいないと思います。お店のHPには、”音楽通り今昔”と題して、昭和20年、30年、50年の頃の音楽通りの写真や想い出がいろいろ綴られており、大変興味深いです。
音楽通りの情報はネットで探してもほとんど皆無で、一番詳しいと思うのが、このパン屋さん”コティベーカリー”のHP内の記述だと思います。
当店の歴史・音楽通り今昔
店内はこんな感じです。ほんとうに狭い小さな手づくりパン屋さんという感じです。商品の棚には、このお店の看板商品のシベリアが見えます。
コティ・ベーカリーのパンといえば、シベリアです。
『シベリア』というお菓子が生まれたのは明治後半から大正初期頃です。当時のパン屋では、どの店でも、このお菓子が作られていました。パン焼きがまの余熱を利用して焼いたカステラと、あんぱんに使うあんを使って作られました。
和菓子のような製品ですが、パン屋で作られたのには、この様ないきさつがあったのです。シベリアパン、シベリアケーキと呼ばれることもあります。しかし、製造に手間と時間がかかることから、いつの間にか、シベリアはパン屋の店先から姿を消していきました。さいわい当店のシベリアは、お客様に愛され続け、大正5年(1916年)創業以来、製法も当時のまま、今日に至っております。
音楽通りの生き証人、コティベーカリーといえばシベリアということで、自分もひとつ買いました。お味はとてもシンプル。真ん中のあんの部分はツルツルした食感で、なんか食べるとペロンという感じで食べれてしまい、その両側のカステラはもっとモッチリした感じで、なんか全然別次元の不思議な組み合わせの味わいです。不思議なパンだな~と思いました。
シベリアパン、シベリアケーキはいまやこのパン屋さんでしか食べられませんね。コティベーカリーのシベリアは、お客様に愛され続け、大正5年(1916年)創業以来、製法も当時のまま・・・です。
貴重なパンが食べられて一生の想い出になりました。
このコティベーカリーのシベリアは、NHK Eテレやそのほかいろいろなテレビ番組、雑誌などの特集でたくさんのメディアから取材を受けています。
自分は”音楽通り”の取材を行く前から、このパン屋さんは生き証人ということで、絶対ここに寄るぞ~!、シベリアを食べるんだ!と誓っていましたから念願かなって本望でした。
”音楽通り”といえば、このお店ということで、自分もメンションできて一安心です。
横浜桜木町シベリアのコティベーカリー
音楽通りの中でいちばんオシャレで素敵なお店構えだと思ったのがここです。
ハナサキ・ブッチャーズ・ストア HANASAKI BUTCHERS STORE。
アルゼンチンBBQ料理やブッチャーズフードをワインやクラフトビールで楽しめるお店。インダストリアルな内装でポートランドのフードカルチャーとアルゼンチンの豪快な食文化”アサード”からインスパイアされたメニュー。
BUTCHERS(ブッチャーズ)というのは、英語で肉屋のことです。
昔、プロレスラーでアブドラ・ザ・ブッチャーというレスラーいましたね。(笑)
アルゼンチンの”アサード”というのは、注文したお肉が豪快に焼かれるところを見ながらワインと前菜やソーシャルの愉しむ食文化を取り入れた料理のこと。お肉以外のメニューはほぼ手作りだそうです。
アサードではないですけど、ブラジルの料理でシュラスコというのがあるじゃないですか?
ブラジル生まれの肉料理「シュラスコ」。長い串に刺したブロック肉を炭火でじっくりと焼きあげる、お肉好きにはたまらない一品のあれ、です。
昔、渋谷にこのシュラスコを食べさせてくれる有名なブラジル料理のお店があって、大学同期のフジテレビの友人から教えてもらったんですけど、まさにテーブルにお店の人がやって来て、大きな長い串に刺さったシュラスコを、ナイフでそぎ落として、お客さんのそれぞれのお皿に盛っていくんですよ。あれは最高でしたね。ウマい、美味しい、ということはもちろんだけど、その豪快さの絵柄が堪らんかったです。
そして宴たけなわになっていくと、みんなテーブルから立ち上がって、行列を作って、前の人の両肩に両手を乗せて、行進を始めてお店内をグルグル廻のです。ブラジル音楽全快でノリノリです。横浜オクトバーフェストのときのようなあんな感じです。
あのブラジル料理屋さん、シュラスコは堪らんかったです。自分の数少ない合コン幹事でもこのお店よく使わせてもらい大好評でした。(笑)
この音楽通りでは、このハナサキ・ブッチャーズ・ストアがいちばん惹かれました。思わずスルスル~と入ってしまいそうでした。
ここのオレンジコンセプトもなかなかよさげでした。イタリアンのバルです。そう、あのスペインのバルと同じ、そのイタリア版です。バルというのは、バーのことですね。25年の経歴を持つフレンチ出身のシェフがやっているそうですよ。
ここはヘアサロンですかね。
ほんとうに極めて普通の通りなのです。(笑)
ここが終点ですね。大きな通りに出ます。
宮崎料理のいっちゃがさんも発見しました。
神奈川県立音楽堂に因んだ”音楽通り”。
まさにそのストリートを端から端まで歩いて、その全貌を明らかにした記事は、この日記が初めてだと思います。(笑)極めて普通の通りそのもので(笑)、その風景からは音楽というかけらも微塵に感じないのですが、でもそこの通りは、県立音楽堂のコンサートを楽しんだ方々がそのハイになった気分から、ついつい鼻歌、口笛を口ずさみながら、その通りを歩いていく・・・そういう所縁からそのように名付けられたそういうストリートなんですね。
この名付けセンスに自分はやられました。
とても素敵だと思います。
こういうセンスがとてもいいと思います。
”音楽通り”素敵なストリートでした。
2024-02-17 19:14
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