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巨星墜つで考えたこと。 [クラシック指揮者]

”世界のオザワ”、指揮者の小澤征爾さんがご逝去なされた。そう遠いことはではないとは思っていたけれど、いざそうなってみるとなんともいえない虚脱感、喪失感が大きい。ついに来たか、という感じで一時代の終焉といえるのではないか。


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昨日世界中に小澤さんの訃報が流れ、世界各所から追悼の意の表明が続いた。それがなお一層悲しさを冗長させる。この気持ちなんとも言えない気分である。


ふつうの訃報や追悼は、自分の人生との関与具合からそれなりの距離感を保つことが可能だが、小澤征爾さんの場合、なかなか自分にはキツイものがあった。小澤さんでそれをやられるのがかなり悲しかった。


なんかいまだに信じられないような・・・その現実を受け入れるのが難しい自分があった。


そしてその訃報に接して、咄嗟に自分が考えたことがあった。


これも時代の終わり。一時代が終わった。もちろん指揮者として、日本、海外のクラシック業界に残した業績のこともある。でも自分が言いたいのは、自分が考えたのは、なんか自分の人生においてもこれでひとつの区切り。時代が終わったんだな、ということである。


先月1月に還暦、定年を迎え、新しい人生、セカンドステージ、セカンドキャリアを歩むことになった自分。

当然いままで趣味として深い関係にあったクラシック音楽。


今後の新しい人生において、クラシック業界とどのような距離感で接していけばいいのか、正直自分はよく見えていなかった。考えてはいるんだけど、正解が見えないというか。


現役時代は、もう自分はクラシックに対してもう膨大な費用を注ぎ込んできた。音楽は自分の人生そのものという指針みたいなものがあった。物欲などでは到底得られない感性の豊かさ、心の感動が得られるからである。


もう毎回が一期一会なのである。


高額なチケット代、そして地方遠征の場合はホテル代、交通費、食費、雑費。さらには海外遠征にも及び世界中のコンサートホール、オペラハウスを制覇したいという夢を語り、実際実現してきた。


これもその一期一会の感動、音楽が人間に与える無形資産、無形価値。こういうものはモノの購入では実現できないのだ。その場にいて、そのときのあの感動。その積み重ねなのである。それが人生を豊かにしていくのである。クラシック音楽においては、経験が財産なのである。いかにたくさんの経験を積むか、この数でその後のクラシック人生が形成されると言って過言ではない。そこにいかに投資するか、である。


お金がもったいないから、お金を出して結局モノとして自分のところに入ってこないものにお金を投資するのは勿体ない、そう考える人も多いだろう。それも正解である。人、人生それぞれの考え方である。


自分はクラシックを自分のモノにするには、もう経験を積むしかない。そして海外、とりわけヨーロッパに行かないとダメだと考えた。箔がつくじゃないけど、海外でのホールでの鑑賞の経験がないとクラシックはダメだと思う。その経験の数でその後のクラシック人生が決まると思う。


自分はそのスローガンのもと、徹底的に国内・海外のコンサートに投資してきた。また自分は絶対正しいという確信みたいなものもあった。自分はいまがそのときだ。徹底的に投資して自分の経験値を上げよう。そこにお金を惜しむようなことはしていけない。


自分にとって新しい世界をどんどんその場でリアルに経験して自分の熟成度を上げよう。

それが自分のクラシック人生においての修行だと思っていた。


それが、2007年あたりから2024年の17年間の自分のやってきたことではなかったか。。。


前職時代は完璧な仕事人間だった。興味が仕事しかなかった。最新の新しい技術の登場に胸ときめいた。でも病気で退職することになっていまの会社に転職した。転職した当時は、やはり人生の張りというかやりがいみたいなものが見つからなく、どこか人生の脱落者的な感覚もあって、人生に生き甲斐を感じなくて鬱だった時期だった。


そのとき自分が思ったのは、人生の自分軸を会社に置かずに、自分の内側に持とうと思ったことである。会社に置いてしまうと、定年になって仕事を失ったあとが哀れである。老後にみんな自分の存在価値が感じられなくなって、鬱になったりする。また仕事しかない人生というのもなんか偏っている人間のように感じられた。


もっといろいろなところにアンテナを張って、総合的にいろいろなことに興味を持ち、トータルの人間性として豊かなバランスのとれた人間を目指した方がいいのではないか、と考えるようになった。


自分は技術者だったので、いかにハード設計スキル、ソフトウエア・プログラミングスキルに優れていても、結局人生それだけの人と言うのは、極端すぎる。偏り過ぎていると思うのである。


技術系の人間だからこそ、逆に芸術の感性、芸術の世界という正反対の世界をたしなむということが人間的にバランスのとれた人間になれると思うのである。


自分は転職する前からクラシックやオーディオの趣味を1人でやっていた。当時は、SNSとかなかったので、皆で共有するということができなかったのである。1人で黙々と楽しんでいた。孤独だけれど、自分が楽しいんだからそれでいいじゃんである。クラシックに関しては、ときどきアムスの同期友人とメールで情報交換するくらいだった。


自分にとって人生の転機になったのは、mixiをやり始めたことかな。NHKの音楽デレクターの小林悟朗さんと出会えたことだ。そこから同じオーディオを趣味とする、そしてクラシックを趣味とするいろいろ仲間達と知り合えたことだ。SNSってなんか楽しいな、と感動だった。(笑)


自分の興味の持ったこと、好きなことを書けば、友人は読んでくれる。誰かに読まれるというのは文章を書く側からすると、ずいぶん励みになるものである。自分の好きなクラシックやオーディオの世界で共通に好きな友人たちと楽しめる。SNSってなんて楽しんだ!ここから人生が変わったような気がする。


自分の会社とはまったく関係ない異業種な人たちと新たに出会い、趣味というひとつのジャンルで繋がるのである。


これは画期的だった。


なんか新しい自分軸を作れそうな気がした。自分の内側にである。会社の仕事は、お金を稼ぐためと割り切っていた。そこで稼いだお金を全部趣味につぎ込んでいたのである。(笑)将来のこと、老後の貯蓄とか、そんなレベルを考えられる訳でもない。


いまを生きる。

いまを楽しむである。


である。なんかそれで精一杯だった17年間だったと思う。


でも自分の人生の幸福度、幸せ、いかに充実していたかを振りかえってみると、もう段違いレベルで仕事オンリーだった前職時代と比較していまの会社で勤めていた17年間のほうが幸せだった。いまの会社で過ごしていた人生のほうがすごく充実していたし楽しかった。楽しい想い出しかない。


人間の幸福として、やはり仕事以外に自分の打ち込める対象を作ったほうがいいと思う。会社に勤めている間は、人間として2面性を持っているのである。仕事の自分と、趣味の世界での自分。分人主義である。


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小林悟朗さんと出会ってから、小澤征爾さんの存在を強く意識するようになる。もちろんもう大昔から世界的指揮者であるから、もちろん知ってはいるが、クラシックを聴き込む、自分のモノにするというレベルになって小澤征爾さんを本格的に意識し、たくさん聴くようになった。オーディオそして実演などに足を運んだ。


自分の場合、小澤征爾さんは、ゴローさん抜きでは考えられない。

小澤さんのキャリアでは、ウィーン国立歌劇場監督を務めていた頃からである。そしてベルリンフィル、ウィーンフィルと世界のオーケストラをまたにかけて、クラシック音楽界でもっとも成功した日本人指揮者となっていった。


西洋社会、西洋文化のクラシック音楽界で、アジア人の指揮者の存在を世界に認めさせたのは、小澤さんが初めてで、計り知れない大きな功績だ。


自分の人生最高だった17年間は、まさに小澤征爾さんは自分のクラシックを楽しむ人生の象徴アイコン的存在だったといえる。オザワブランドともいうべき、松本でのサイトウ・キネン・オーケストラ、水戸での水戸室内管弦楽団、そして新日本フィルハーモニー管弦楽団。もうこれは通いまくった。まさにいまこのときに投資しないとダメだろう、である。湯水のように惜しげもなく費やした。


松本、水戸は、小澤さんがいなければ自分から行こうとは思わなかった街ではなかったか。真夏の暑いミ~ン、ミ~ンとセミが鳴いている時期に、松本市内を歩き回っていたのをいまでもはっきり思い出す。


オザワブランドは一種独特の雰囲気を持っていた。

小澤さんのあの鋭い目力でぐっと睨まれると、もう空気がガラ変して、出てくる音も全然違ってくる。


小澤さんの推進力で引っ張られるサイトウ・キネン・オーケストラ、水戸室内管、そして新日フィルは、独特のブランド、格好良さがあった。団員達も自分がそのメンバーであることに限りない誇りを持っていたと確信する。


それがヒシヒシと感じられるほど、演奏に感動と爆発力があった。


小澤さんのすごいところは、目線の高さが我々と同じ高さにある、ということだ。大巨匠ともなると、どうしても威厳と尊厳が付きまといがちだが、小澤さんはつねにフレンドリーで人間的に親しみやすい暖かい人でもうその人間性が表に滲み出ているのである。話し方も単刀直入でシンプルでわかりやすい。


世界のマエストロでありながら、そういう印象を与えるのは、やはりそのもともとの人間性にあるんだと思う。


でも仕事では厳しいらしいですよ。


小澤征爾さんのクラシック音楽界に残した偉大なる業績、遺産は、もうこれから日本を始め、世界中のメディアから記事、追悼番組などでどんどん紹介されていくだろう。だから自分の日記ではそのことに触れない。自分の小澤さんに対する想い出のみに注力する。


そんな小澤征爾さんがご逝去なされた。

これはクラシック音楽界で一時代の終わりであることは間違いなのだが、自分の人生にとっても一時代の終わりなのかな、と薄々感じ取っていたのだ。小澤さんの訃報を知ったとき、まず自分が考えたのは、自分の人生にとっても一時代の終焉を意味すると思ったのである。


これからセカンドステージ、セカンドライフという経済的に制約された環境で生活していかないといけない中で、いままでのように経験のために投資していくというのは難しくなると考えている。


それが自分が今後のクラシックとの距離感をどうしていくか、の悩みである。もう現役時代のようにどんどん湯水のように経験のために投資していくのは無理だと思っている。海外含め。いままでのようにはいかないと思っている。


そこは取捨選択をしていかないといけないだろう。

興味あるコンサートはなんでも全部駆けつけるということも今後はできなくなるだろう。


まさにクラシック音楽を学ぶための修行、いかに経験をたくさん踏んでいくか、の象徴的なアイコンだった小澤征爾さんのご逝去は、そういう無尽蔵にクラシックを楽しむ自由なスタイルへとの決別なのかな、と感じたのだった。


セカンドステージ、セカンドキャリアの人生になっても、やはり過去の栄光や快楽が忘れられず、まだまだオレは頑張るぞ~と思っていた節もある。でも小澤さんのご逝去で一気に萎えたというか、現実を見ろ、いままでのスタイルを見直すべきところに来ている。


そのことを小澤さんが自分に引導を渡したように感じてしまった。


なんかオレの人生にとってもひとつの終焉なのだな~。

もう修行、経験を積むことに莫大な投資をする時代は終わったのかな。


この17年間でもう充分過ぎるくらい濃厚な経験を積んできたので、もういいだろ?

これから現状維持をモットーにやっていくべきではないか。


そんなことを考えたのである。


小澤征爾さんのご逝去で後任は誰?というほど愚問はないだろう。後任なんて作れるわけない。これだけの業績を積み上げてきた人と同じことをやれ、と言っても無理である。もうこの一時代で終わり。一時代の終焉。ただそれだけである。


1970年代は、一般的には「爆発しない」タイプの演奏様式が 特にレコード録音では、主流だったと思う。 時代の風潮なのだが、当時の70年安保闘争や学生運動の嵐が去った後の「しらけた」雰囲気というのは、独特のものがあった。 ヨーロッパでも 第2次世界大戦の熱気が冷めて 東西冷戦が続いている中で 「パッション・パッション!」「根性だ!爆発だ!」みたいな起伏の激しいロマンティックな演奏は前時代の様式となり、ある種脱力系というか ローカロリーで起伏がなだらかで精緻な演奏がモダンだとされた。 


当時のスター演奏家を眺めてみても もはやバーンスタインもベートーベンやブラームスといったクラシック交響曲では、爆発しないし、ベームは オーケストラの持ち味によりかかった晩年のスタイルになっているし、カラヤンは、爆発というよりも響きの豊潤さを重視した、流麗で古典的な演奏スタイルだ。 それに続くアバドや小澤征爾さんといった中堅もある種優等生的精密な演奏スタイルだった。 


戦後の日本のクラシック音楽界を築き上げてきた、日本人にとって全く道のないところに切り開いていった、まさにいまの日本のクラシック音楽界の礎を築いた小澤征爾さんは、カラヤン、バーンスタイン、ベーム、そしてアバドと同じ時代を生きてきたまさに”生き証人”なのだ。


そのクラシックの伝統を生き証人として生きてきて、多大な貢献を日本のクラシック界にもたらした。


そういう意味で、小澤征爾さんのご逝去は、一時代の終わり、終焉なのである。


2014年に成城学園の小澤さんが贔屓にしているお蕎麦屋さん、増田屋さんをぜひ体験したく、行ったことがある。そのとき、なんと!その後に小澤さんがお店に入ってきたのだ。なんといううれしいサプライズ。


きっと音楽の神様が、自分と小澤さんを引き合わせてくれたに違いないと思うことにしている。


小澤さんとサシでちょこっとだけど、お話させてもらったかな。

ゴローさんの話だったような・・・


そのときにツーショットも撮っていただいた。

そのときの小澤さんである。


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世界中で唯一無二のアイコン、”成城学園前のお蕎麦屋さんで小澤征爾さんにバッタリ!”である。











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